ラーミア〜竜の女王〜バラモス――1
 隊列の真ん中で、セオは息を整えながら歩を進めた。先頭のラグが雪をかき分けてくれるので、その後ろにいる自分たちはラグよりはるかに楽に足を進めることができているのだが、それでもたいていの人間にとって、この道行きは楽なものではないのだろう、とセオは客観的に判断する。
 気温の異常なまでの低さ。いかに世界の北端、南端は冷涼な気候の基であるとはいえ、ここまでの寒さともなれば、世界の他のどこを探しても及ぶ土地はあるまい。そして視力を強化しなければ、数間先もまともに見えないほどの密度を持つ吹雪。補給も休憩も難しい、ただひたすらに凍りついた大地のみが広がる地形。そこに絶え間なく襲いかかる、数多の魔物たち。この土地を踏破したという冒険家フィリオ・ロッドシルトが、実は勇者だったという無茶な俗説を信じたくなってしまうほどだ。
 だが、幸い今の自分たちならば、さほどの負担でもない。気温の低さは呪文と入念な防寒によっておおむね対抗できているし、吹雪はフォルデの驚くべき精度を誇る五感を頼ることができれば大した障害にはならない。補給物資は道具袋に充分な量を用意してあるし、休憩は必要になれば呪文で簡易的な異空間程度ならいつでも作れる。魔物たちが襲ってくるのはいつものことだし、この地に生息する魔物はネクロゴンドの魔物の中でも弱い範疇に入るような者たちばかりらしく、命の危険に類するものを感じたことは一度もない。
 さらに言えば、自分たちの前には、すでに道が作られていた。
 自分たちの進む先に、煌々と輝きながら鎮座する塔。そこに至るまでの道を、きらめく光が舗装している、というように自分たちには見えた。自分たち――セオとレウ、つまり勇者と呼ばれる者たちには。これでは迷いようもないし、とりあえずの目的地までどれくらいの距離があるかもまるわかりなのだから、移動に要する苦労ははなはだしく軽減される。旅というより散歩をしているようなものだ、とセオには思えた。
 光が指し示す輝く塔をとりあえずの目的地と定めることについては、幾分かの議論ののち全員から同意されている。もっとも最初素直に光の道をたどることに疑問を呈したフォルデも、単純に光の道を造った者――おそらくは神々かその配下の人々の目論見に乗ることは危険だ、という問題提起が主眼だったようなので、実際には全員が意見を同じくしていると言ってよかった。
 話がどう転ぶにしろ、自分たちの現在の第一目的はラーミアを復活させること。そしてラーミアが封印されているとおぼしき場所のはっきりした位置は調べようがないので(フィリオ・ロッドシルトもレイアムランドで冒険をしている際、吹雪のために遭難しかけた時に逃げ込むように避難した場所だと書いているのだ、正確な位置など残しているわけもない。ある程度の休息を取ることはできたものの、できる限り早く退去することを要求されたため、星で位置を調べることもできなかったらしいし)、とりあえずは向こうが指し示している位置に向かってみる。向こうの打った手にどう対抗するかは、そこから先の話だ、と全員が結論づけたのだ。
 なのでこうして、自分たちは光の指し示す道を、ひたすらに先へ先へと進んでいるのだが。
 妙だな、とは感じていた。いや妙というか、状況からするとさほどおかしなことではないのだが、移動速度が速すぎる。いかにヘルマの靴を履いているとはいえ、空に垣間見える星の位置からして、自分たちは今朝レイアムランドに接岸したばかりだというのに、もうレイアムランドの中心近くまで移動していることになる。
 レイアムランドの正確な地図や面積を知ることができているわけではないが、フォルデが鷹の目によって観察した限り、最低でもジパングの十倍程度の広さはあるらしい。それなのにここまで速やかに移動できているということは、神々かそれに類する者たちがなんらかの手段を講じている、と考えるべきなのだろう。この光の道は、ことによるとそのために造られたものなのかもしれない。
 仲間たちもその違和感には気がついているようで、幾度か各々顔をしかめたりしながらも、それぞれ互いに視線を交わしうなずき合って、さして話し合うこともせずに歩を進めていた。全員の意思統一も作戦会議も終わっている、改めて話し合わなくてはならないほどのことは今のところ起こっていなかった。
 吹雪の中をそうやって進むことしばし――彼方まで続く道をわずかな時間で歩きすぎ、セオたちは光り輝く塔へとたどり着いた。

「……雪が、止んだ、な」
「止んだっつーか……降ってこなくはなった、な」
 塔の扉の前に立ち、空を見上げてラグとフォルデが眉を寄せながら呟く。実際、不思議な眺めではあった。レイアムランド全体にかかっている黒雲が、塔の周囲だけには近寄らず、星々の浮かぶ紺の夜空を見せている。吹き荒れる雪風も塔の周囲には吹き込んでこない。それどころか寒さもさして感じない。おそらくは気温の変化を含む、この塔の周囲の空間を乱す要素を遮断する結界が長いこと張り続けられているのだ、という察しはさすがについた。
 フォルデが塔の扉を調べ、罠の類はないという合図を送ったのち、静かに先頭に立って扉を開ける。こういった閉鎖空間ではフォルデが先頭に立ち、斥候となってくれるのは、旅の初めからずっと続く決まり事だった。
 塔の中は静かで、そして神の気配に満ちていた。最後の鍵を手に入れた、あの海底遺跡などと同じように、異常なまでに強力な魔力と魔法技術を駆使して保たれている、静謐で清浄な空間。
 蒼水石によって形作られた塔の中は、うっすらとした蒼い光と、どこからともなく降り注ぐ白い光によって照らされている。大きさはざっと直径が三十丈というところ。だがとりたててなにがあるというわけでもなく、ひたすらに広がるがらんどうの空間の中で、中心点から半径の三分の二ほど扉側に寄ったところに螺旋階段が設置してあり、それが上方へ何層も続いているとおぼしき空間を繋ぐ、ただひとつの道となっていた。
 隊列を崩さないまま、揃って階段を上る。階段は幾重もの階層を貫き、ひたすらにえんえんと伸びていた。途中で通り過ぎる幾重もの階層にも、なにかが設置されているというわけでもない。あるのは壁や床に刻まれた装飾――おそらくは呪術刻印と、光で満たされた空間だけだ。おそらくは、最後の鍵を封じていた遺跡のように、それらすべてがラーミアを封じ、外界からの干渉を拒む魔法回路となっているのだろう。
 無言のままに階段を上ること、四半刻ほど。唐突に、空間が開けた。
「………!」
 そこは塔の頂上だった。だが天井となるものがどこにもない。あるのは金色に輝く祭壇のような六つの台座と、赤々と灯るかがり火の前に立つ二人のエルフと思しき女性。
 そして、その背後に鎮座する、巨大な卵だった。
「うわ……」
「でけぇな……」
「あれ、本当に、鳥の卵か……?」
 仲間たちが思わずといったように呟く。実際、その卵は感嘆の目で見られるにふさわしい代物だった。
 色と形はごく当たり前、というか鶏の卵とさして差異があるようには見えない。だが、その大きさと、なによりその神威は、見るものを圧倒するだけの迫力に溢れていた。
 高さは大の大人十人分ほど、周りを囲むには大の大人が二十人ほどは要るだろう。ややずんぐりしたその卵には、一目見るだけで、見たものの背筋を震わせる力があった。造形的な美しさでもない、魔力がどうこうというのともまるで違う、ただ見た瞬間から、『これは尊いものだ』と、どんな人間にも否応なしにわからせてしまうような、なにかが。
 揃って卵の前で呆然とする自分たちの耳に、鈴を振るような声で、詠うような響きの言葉が鳴った。
「私たちは」
「私たちは」
 声音、高さ、語調、言葉の響かせ方。すべてが同じ声に聞こえた。けれど、二人で言っているということははっきりわかる。声の発された位置というだけでなく(セオの耳には、『同じ位置から発されたように聞こえる声』として響かせられているように聞こえたのだが)、声と存在感の波長が絡み合い、合唱しているかのごとく、一人では発することのできない響きとして完成させられているように感じたのだ。
 これは、セオたちが世界樹の森――白の森≠ナエルフの戦士たちに見せられた、同調呪文に似ている、とセオには思えた。おそらくこの二人の巫女も、それと同種の技法を修めた呪文使い、呪術使いなのだろう。
「卵を守っています」
「卵を守っています」
 ともあれ、本来ならば実際的な技法のひとつでしかないのだろうが、セオの耳にはこの二人の声は、ひどく美しく聞こえた。言葉の響きと、音律韻律、重ねられる波長が、壮麗荘重な歌の大合唱のように聞こえる。
 ラーミアの封印を護る巫女にふさわしい、この卵の前で詠われるにふさわしい祈りの言葉であると、セオには思えた。
「世界中に散らばる6つのオーブを金の台座に捧げた時」
「伝説の不死鳥、ラーミアは蘇りましょう」
 そう言って二人の巫女は口を閉じる。どう反応すべきか数瞬迷う、よりも先にフォルデがずかずかと二人の巫女へと歩み寄った。
「おいお前ら、んなこと抜かすより先に言うことがあんだろーがよ。てめぇらがどういうつもりでここにいて、なに考えて俺らにんなこと抜かしてきやがるかって心づもりを先に言いやがれ。ちっとでも腹割って話すつもりがあるってんなら、それが最低限の礼儀だろうがよ」
「…………」
「…………」
 二人の巫女は口を開かない。けれどその沈黙さえもが、間合いと意思とによって共に歌を歌い上げているように感じられる。すごいな、とセオは内心でつくづく感嘆した。
「だんまりかよ。てめぇら、自分らがどんだけ偉いと思ってんのか知らねぇがな――」
「フォルデ、待て。ここでやり合うのは少々まずい」
「あぁ?」
「この塔は、そこの小娘二人が呪や術を使うのに最適化された場≠ノなっている。いやそういう段階の話じゃないな、最低でも千年はかけて整えた場≠ノ魔力を溜め込んで、この場≠ノ適した呪や術を使うことができるよう心身を整えて――それこそ生活のありとあらゆる時間を相手と同調し、互いの波長を大きく増幅できるようにしてるんだ。覚えているだろう、白の森≠フエルフどもの同調呪文を。こいつらはあれの究極体だ」
「具体的に言えっての。こいつらはなにができるんだ」
「まぁ基本、こいつらが『したい』と考えたことなら何でもできるんだろうさ。賢者の呪文の究極だな。言ってみれば、俺たちは、こいつらの間合いに入って武器を振り下ろす軌道に首を差し出してるみたいなもんなんだ。喧嘩をするには少しばかり不利な状況だな」
「んな状況だからって、できることがなんにもねぇってわけじゃねぇだろ」
「まぁな。やろうと思えばいくらでも手はあるし、今の俺たちならやろうと思えばこの小娘どもが反応する前に殺る、ということもできるだろう。真正面から戦っても、まず間違いなく俺たちが勝つだろうし、別に追い込まれた状況というわけでもない。が、喧嘩をするとなると、そこにあるラーミアのものらしき卵が、少々まずいことになるだろう?」
 ロンに促され、フォルデは眉を寄せながらも、鋭く問い返す。
「防護策の類はなんもねぇのかよ」
「そこらへんは、そこの小娘二人に完全に任せきるつもりだったらしいな、この塔の設計者は。実際、この世のどんな連中が、どんな大群で押し寄せてこようとも、そこの小娘二人がいれば、まず間違いなく護りきれるのは確かなんだ。俺たちのような少数の例外を除いてな。だが、俺たちと本気でやり合うという状況で、小娘どもが卵に完全な防護対策をし続ける、という負担を背負い続けられるとは思えん。本人たちの意思がそうであったとしても、その負荷のせいで術式の制御を失敗する可能性の方が高い」
「お前が卵を護るっつー選択は?」
「ま、そういう手はある。俺がそれに専念することになったとしても、お前やセオたちがいれば、小娘二人に負ける可能性はほぼ皆無だしな。だが……この小娘どもは、お前が喧嘩を売る価値のある代物じゃないぞ」
「は?」
「生物としての在りようが、通常の理から外れている。異端審問官だなんだというような、役職やらの付加による性質の変異を考えに入れたとしてもだ。この小娘どもは、命というより、半ば自然現象の在り方に近くなってしまっている。要するに、だ。この小娘ども、今は考えるどころか、感じる力もろくにないぞ」
『……………』
 その無残なやり口に、仲間たちはあるいは眉をひそめ、あるいは大きく音を立てて舌打ちをする。特にフォルデは心底忌々しく思ったようで、拳で思いきり胸を叩き、荒れ狂う激情をなだめていた。
「……クソどもがろくでもねぇことしかしやがらねぇってのはわかっちゃいたが。てめぇに従う連中もこの扱いってか。笑わせてくれるぜ」
「ロン。この子たちは、ラーミアを解放すれば元に戻れるのか?」
「元を知らんから完全な確信、とまではいかんが。この塔という場≠ノ、自らを捧げる前の状態は取り戻せるんじゃないか。塔の中で見た呪術刻印やらなんやらの術式を見た限りでは。まぁすぐに、とはいかんかもしれないが、エルフの寿命からすれば大して時間は必要ないだろう。そもそもエルフの王族は基本的に不老だしな、こいつらも力の度合いからして、その程度には格の高い代物だというのはわかるし」
「なら、とっととラーミアの封印を解いて、この子たちを自由にしてやろう。みんな、いいな?」
「あ、は、はいっ」
「うんっ!」
「チッ……しゃあねぇな、それしかねぇか」
「承知した」
 仲間それぞれから諾の答えが発されたのち、自分たちは急ぎ気味にオーブを台座に捧げた。最初は置くべき場所が定められていたりはしないかと逡巡もしたが、どこを調べてもそれらしき仕掛けも術式も存在しない、とフォルデとロンが断言してくれたので、普通に手に入れた順に時計回りでと場所を定めたのち、オーブを次々置くべき場所へと置いていく。
 六つのオーブを捧げ終えるやいなや、オーブはぼうっ、と内側から柔らかい光を放ち始めた。そして同時に、かた、かたかた、と中央に鎮座する巨大な卵が揺れ、音を発し始める。
 慌てて自分たちが卵の前へと集まると、二人の巫女が再度、詠うような声を上げ始めた。
「私たち」
「私たち」
「この日をどんなに」
「この日をどんなに」
『待ち望んでいたことでしょう』
 詠いながら巫女たちは、卵の前で祈るように身を伏せたのち、静々と立ち上がり、自分たちに向けて大きく卵を指し示してみせる。自らの存在意義を高らかに歌い上げるように。
「さあ祈りましょう」
「さあ祈りましょう」
「時は来たれり」
「今こそ目覚める時」
『大空はお前の物。舞い上がれ空高く!』
 その言葉が放たれた瞬間、卵に大きく亀裂が入った。びし、びしびし、とその亀裂は見る間に広がり、分厚い殻を砕いて、中にいたものを解放する。
『ピィィィィ………!』
 笛の名手が吹き鳴らす目覚めの曲のように、鮮烈で軽やかで美しく、それでいて強烈な存在感を伴った響き。小鳥の鳴き声のように甲高かったが、それでも聞く者に神聖な力が満ちていると感じさせずにはおかない神威を有している。
 そんな誕生の鳴き声を高らかに歌いながら、不死鳥ラーミアは現世に再誕した。嘴、翼、足、すべてが眩く輝く金色。形はしいて言えば鷹に近かったが、それよりもはるかに力強く、大きさ相応の、いやそれ以上の生命力を周囲に発散している。
 そう、ラーミアは、卵同様に、とてつもなく大きな鳥だった。全長は少なくとも二十丈以上、卵の大きさをとうに越している。そんな鳥が、おもむろに翼を広げ、それを大きくはためかせて、空の上へと飛び立った。
 普通の人間なら風圧でまともに立っていることもできない、ほどの風が生じてしかるべきだっただろう。普通ならば。
 だが、ラーミアの翼はまったくと言っていいほど風を起こさなかった。静かに、そして力強く翼をはためかせて空を舞い、雪の降らない範囲内で軽く空を舞ったのち、ふわりと、まるで綿毛かなにかのように風も音も立てないまま、自分たちの目の前に着地して、身体同様黄金に輝く瞳でこちらを見下ろしてくる。
「伝説の不死鳥、ラーミアは蘇りました」
「ラーミアは神のしもべ。心正しき者だけが、その背に乗ることが許されるのです」
「さぁ、ラーミアがあなた方を待っています」
「外に出てごらんなさい」
「え、外って……ラーミア、目の前にいるのに?」
「ラーミアに乗って外に出ろ、という意味なんじゃないか?」
「あ、そ、そっか。えっと……いいの? ラーミア。いきなり乗って」
 レウが真面目な顔でそう問いかけると、ラーミアはクェェ、と甲高くも力強い鳴き声を返してきた。それにやはり真面目な顔でうなずきを返し、レウはこちらを振り向いて呼びかける。
「いいみたいだからさ。みんな、乗ろうぜっ!」
「お前が仕切ってんじゃねぇっつの。……誰が先に乗る?」
「ここはやはりセオじゃないか? 普通に考えて」
「えっ……」
 セオは一瞬戸惑ったが、考えてみれば案を出した人間がまず最初に危険性を確かめるのはごく当たり前の話だ。「わかりました」とうなずいて、前に進み出る。
 ラーミアは穏やかなような、獲物を前にして襲いかかる寸前のような、獣や鳥がそうであるように、心の内がまるで読み取れない淡々とした瞳でこちらを見つめてくる。それをじっと見つめ返し、できる限り落ち着いた声で訊ねた。
「ラーミアさま。俺たちを乗せて、魔王の城まで運んで、いただけますか?」
「……なんでさまづけ?」
「さぁ。単に初対面だから礼儀正しくしなきゃって思っただけじゃないか?」
「……クエェェ」
「あ、返事した!」
「返事なのかよ、あれ。単になんとなく鳴いただけじゃねーのか? 見た感じ、単にくそでけぇ鳥にしか見えねぇぞ、こいつ」
 自分の後ろでにぎやかに喋っている仲間たちに反応する余裕もなく、セオは「……では、失礼します」と一礼して、ラーミアの背へと乗り込んだ。なにせ全長二十丈以上、普通なら立った状態のラーミアへは梯子を用意しなくてはとても登れなかったろうが、今の自分たちはとうに人でなし、軽く床を蹴ればそのくらいまで飛び上がることはたやすい。
 できるだけ静かに着地したつもりではあったが、ラーミアの背中はセオの予想よりはるかに優しく、柔らかく着地するセオの体を受け止めてくれた。今ではほとんど毎日暖かい布団で眠ることができている自分ではあるが、この柔らかさ、優しさ、暖かさは、正直これまで体験したことがないほど、ふんわりとセオの体を包み込んでくれる。まるで抱きしめられているかのようだ、と思わず背筋が震え、セオは思わず目を閉じた。
「え、セオにーちゃん、なんで目閉じてんの? 眠いの?」
「……と、いうか。これは……」
「……おい。おいコラセオっ!! てめぇなに珍妙な面してやがんだっ、状況考えろや状況っ!! 気っ色悪ぃからだっらしねぇ面して目ぇ閉じてんじゃねぇ、気っ色悪ぃんだよっ!! とっとと起きて目ぇ開けて状況報告しやがれやこのタコッ!!」
「ぁっ……ご、ごめ、んなさ……」
「あっ、フォルデお前なにえらそーに自分勝手なこと言ってんだよー! セオにーちゃん別に変な顔とかしてねーだろ! ほわほわしてて可愛かったじゃん! なーラグ兄っ!」
「………いや………セオの顔がどうとかいうことは、とりあえず置いておこう、レウ」
「え? なんで?」
「置いておこう! それとほわほわしててとか、そういう形容をするのもやめておこう! セオが嫌な気持ちになるかもしれないだろう!?」
「え、セオにーちゃん、やな気持ちになる?」
「え、俺は……特にそういう気持ちには、ならないけど……?」
「ほらー!」
「えっ……と、あの……みなさんも、ラーミアの……」
「乗ってもかまわないのか、セオ? 君がこれまで見たことがないほど気持ちよさそうな顔をしていたから、ラーミアの背に乗るのが相当特別な行為であるというのはしっかり理解できてしまったわけだが」
「おい!!」
「あ、は、はいっ。えと、ラーミアの意思が、ちゃんと俺に、わかってるわけじゃ、ないですけどっ、嫌だったらそういう、反応する、と思うのでっ、乗っていいんじゃないか、と思いますっ」
「やったぁ! じゃー次俺なっ、早く乗りたくてうずうずしてたんだーっ♪」
「おいてめっ……クソっ、このバカガキっ……!」
「さて、俺も行くか。正直、俺もあの顔を見た後では期待で身体が疼いてしかたない」
「おいっ……! ……っ。………っ………くそっ」
 レウに続き、他の仲間たちも次々床を蹴って、ラーミアの背に飛び込んでくる。ラーミアの背をふんわりと覆う羽は、そのことごとくを優しく受け止めて、仲間たち全員を半ば羽にうずもれるように抱き留めてくれた。
「うぉ………!?」
「これ、は………」
「っ……、っ………!」
「ふわぁー……やわらけー……すんげーあったかくて、きっもちぃー……」
 仲間たちが蕩けそうな顔で目を閉じるのを、セオは嬉しい気持ちと共に見守った。ついさっき出会ったばかりで、仲間たちに先んじて背に乗ったといってもほんのわずかな差でしかないのだが、それでもセオはラーミアに好感を抱いてしまっていた。自分にとってなにより大切な仲間たちが、ラーミアの羽の感触に心を蕩かされている姿というのは、セオからしてみればこの上なく心を和まされる光景だったのだ。
 羽毛に包まれて蕩かされることしばし。セオはいつまでもこの場所にいてはラーミアにも巫女たちにも迷惑なのではないか、と気づき、慌ててラーミアに問いかけた。
「あの、すいません、ラーミアさま。厚かましいお願いで恐縮、なんですが……そろそろ、出発していただいても、よろしいでしょうか……?」
「クエェェ」
 軽やかな鳴き声。それが返ってくるのとほぼ同時に、ラーミアはその両翼をはばたかせた。風を立てることもなく、自分たちに風圧をまともに感じさせることすらなく、ふわりと滑るように宙へ舞い上がる。
「……………!」
「―――! わぁっ!」
 レウが我に返って歓声を上げる。それは、まさに歓声を上げるにふさわしい光景だった。
 ラーミアは塔の上を、風が舞うよりしなやかに踊り、豪雪が吹き荒れる空間にはみ出すことすらしないまま、あっという間に空高くまで上り詰めた。塔の上の、雲に空いた穴から雲の上まで躍り出て、そのまま高空を飛び滑る。
 雲の穴が瞬時に見えなくなったことからも、ラーミアが恐ろしいほどの速さで飛んでいるのはよくわかった。だが自分たちの体には、さして風圧がかかってはいない。これもラーミアの有する恩寵なのか、顔や体に当たるのは、むしろ柔らかく優しい風のみだ。そんな暖かさすら感じる風を浴びながら、自分たちは雪吹き荒れる地のはるか高空を、どこまでも続いているようだった雪を落とす雲の上を、ひたすらに続く雲の絨毯の上を、夜空に輝く月と星のすぐ近くを、暖かな羽にうずもれながら飛んでいく。
 どこまでも続くようだった雲は、あっという間に後方に流れ去った。ラーミアは翼を休めることなく、どんどんと前へと進み、空を翔けて新しい景色を連れてくる。
 海を越え、最初に見えたのは中央に広い砂漠を有する大きな島だった。ランシールだ。広い砂漠の周りに点在する街と港が、それこそ豆粒のように見える。
 そしてその小さな大陸が目に入るや、東の空に明かりがさすのが目に入った。どこまでも続く海の彼方に、太陽がゆっくりと顔を出し、海を、大地を、空を、茜色に染めるのだ。光に照らされ、ランシールの周りの澄んだ海が、目もあやに虹色の輝きを放つ。空も紺色の天幕が取り去られるように、少しずつ眩しい空色へと変わっていく――
 そのあまりに鮮やかな絶景に、セオは思わず一筋の涙を流した。仲間たちもそれぞれに、言葉もなくこの見事な風景に見入っている。こんな光景は、たぶんきっと、それこそ神々でもなければ目にできるものではあるまい。眩しい光が降り注ぐ中、ラーミアは悠々と、その進路を北に向けた。
 ネクロゴンドやアリアハンを彼方に望みながら、バハラタ、ダーマ、アッサラームと、ラーミアはその翼をはばたかせて空を翔け、一時で自分たちが何日、何週間、何ヶ月とかけて越えてきた道のりを踏破する。桁外れに巨大な世界樹の森も、ラーミアの翼にかかればあっという間に越えられた。大陸をさして時間のかからぬうちに縦断し、森を越え、河を越え、山を越え――
 そして唐突に、ラーミアはその翼の羽ばたきを緩めた。速度を落とし、高度を落とし、ゆっくり円の軌道を描きながら、見定めた着地点に降りていこうとする。
 突然の動きに驚きながらも、セオは小さく息を呑んで、自分たちの向かう先にある事態への心構えをした。ラーミアが降りていこうとしているのは、ドリガルフォーマ地方。ネウリュアロ河とネアルデュカ河に挟まれた、強剛たる深山エーストルグ山脈にその半ばを占められた土地。その中心、エーストルグ山脈に囲まれた中央へと、ラーミアは向かっているように見えた。
 天から眺めてみれば、そこは山に囲まれた盆地だった。丘陵地と森林地帯に覆われながらも、人が住まうことが不可能なほどの極地、というようには見受けられない。
 そして、その土地の中央には大きな城が座していた。巨大な石から直接削り出して作ったように見える石造りの城だ。今まで人の手が入ったことがないはずの、エーストルグ山脈の真ん中に座する城。ラーミアは、そこに向かっているように見えたのだった。

 ラーミアが着地したのは、城の二階、宙に張り出した巨大なバルコニーだった。全長二十丈以上の大きさを誇るラーミアでさえも、らくらく着地することができるほど、そのバルコニーは巨大だったのだ。
 というか、この城はいちいちがおそろしく巨大にできている。一階ごとの高さは軽く数十丈、扉の高さもそれにほぼ同じで、幅もやはり数十丈。窓はそれよりは小さいもののそれでも二十丈四方程度の大きさはあり、バルコニーの窓からのぞくことができる室内の調度もそれ相応に大きい。巨人、それもおそろしく身体の大きな者のための城としか思えない場所だったのだ。
 それでいて調度や壁や柱に施された細工は、どれも人の目から見てすらもひどく細かく、精緻を極めたと言っても過言ではないほどで、巨人のような生物が作り上げたとはとても思えない。だが人の手ではここまで巨大な建造物を造り上げられるとも思えない。ここはいったいどういう場所なんだ、と仲間たちと顔を見合わせるも、ラーミアは着地したバルコニーの上でひょいと腰を下ろし、待機姿勢に入ったようだった。
「……要するに、最初からここに連れてきたかったわけか? この鳥は」
「ふん、もったいぶりやがるぜ……クッソでけぇ城だが、城の中にはそこそこ人の気配がありやがんな……」
「俺たち、というかラーミアに気がついていないわけはないが……とりあえず騒ぎが起きた様子もなければ、敵意がぶつけられる様子もなし、と……つまり、この城の面々とラーミアとは顔見知り、か少なくとも事情を知った間柄ではあるわけか」
「あー、でも気持ちよかったぁー……空から見た景色とかもすんげー眺めよかったし気持ちよかったしさ、羽毛とかもふっかふかだったし! ラーミアって乗ってるだけで気持ちいいんだなっ! さっすが神の鳥、だっけ? って言われてるだけあるぜ!」
 ラーミアから次々飛び降りて、そんな言葉を交わし合う(ラーミアの上に乗ったままでは気持ちよすぎて真剣な話し合いがまともにできない、と全員思ったのだろう)。とりあえず周囲を眺めまわし、いくつかある出入口(そのどれもが異常なまでに巨大だ)から城の中に入るべきかと話し合っていると、ふいにぱからっぱからっ、と軽やかな音が響いて、バルコニーの巨大な扉のひとつがぎぎぃっ、と軋みながら左右に開く。
 その向こうに立っていたのは、馬だった。誰も乗っていない裸馬。一瞬ぽかんとしてからはっとして慌てて身構えたセオたちに、その馬は、深々と息をついたのち、静々と、そして深々と馬の頭を下げてみせた。
「勇者セオ・レイリンバートルのご一行とお見受けいたします。ようこそ、この大地で最も天界に近い、竜の女王陛下の居城へ」
「竜の……」
「女王、陛下?」
 思わず戸惑った声が漏れ、視線が行き交う。ロンは険しい顔で一心に目の前を睨み据えており、賢者の力を用いてこの状況についての情報を引き出そうとしてくれているのが言わずとも知れた。
 ならば自分も自分なりに、少しでも情報を引き出さなければ、とセオは前に進み出て、その馬に告げる。
「お出迎えいただき、ありがとうございます。突然のご訪問を、お詫びさせてください。俺はおっしゃる通り、勇者の称号を与えられている者の一人、セオ・レイリンバートルです。……お訊ねしたいことが、いくつかあるのですが、うかがってもよろしいでしょうか」
「どうぞご遠慮なさらず、と申し上げたいところではあるのですが、申し訳ありません、どうか今は急ぎ私の後へついてきていただけないでしょうか。まず、女王陛下とお会いいただいて、陛下のお話をお聞き願いたいのです」
「なっ……」
「それって……」
 仲間たちが反射的にざわめくが、すぐにその声も落ち着く。この喋る馬の声音に、それこそ王城の侍従のごとき慇懃な口調でさえも隠しきれぬ、強烈な焦りと狼狽する心を感じ取ったからだろう。
 なので、セオは即座にうなずいた。
「承知いたしました。陛下はどちらに?」
「寝所にいらっしゃいます。こちらへ」
 言うや踵を返して、その馬はやたらめったら広々とした城内を全力で駆け出す。自分たちも急ぎ足でその後へ続いた。
 というか、フォルデやレウなどはあまりに足の速さに余裕がありすぎて、馬を追い越し気味だったので、馬に『抱き上げて走ってやる』と言うべきか言うまいかだいぶ迷っている顔をしていたが、そんな会話に費やす時間と精神の余裕がこの馬にないのを察したのだろう、二人ともなにも言わず馬のすぐ後ろについて城内を走ることに決めたようだった。
 この異常なまでに広い城からするとごく近い部屋のひとつなのだろうが、それでも香が一つまみ燃え尽きる程度の時間が過ぎたのち、馬は目的の場所にたどり着いたようで、足を止める。これまで見てきた巨大な扉の中でもひときわ大きい、差し渡し五十丈に達するほど巨大な扉の前で、馬はかんかん、と蹄を打ち鳴らし、叫んだ。
「開門! 開門! 竜の女王陛下に、今代の勇者が謁見に参られました!」
 その叫び声が響くと同時に、扉はぎ、ぎぎぎぎぃっ、と轟くような音を立てながら、左右に開き、部屋の中の様子をさらけ出す。とたん、セオは思わず息を呑んだ。部屋の中、中央に伏しているのは、まさしく竜――それも、これまで見てきたどの竜種よりも大きい、体長三十丈を超すほどの巨大な竜だった。それが、薄い垂れ絹によって囲われた巨大な寝台の上で、荒い息をついている。
 息の激しさ、そして同時にその力なさから、その竜がそれこそ今にも命を失いそうなほどの苦痛に、必死に耐えているのだと分かった。けれど、寝台に伏すことなく、懸命に身体に力を籠め、しゃんと顔を上げてこちらを見つめている。鋭いというには力がなく、神々しいというには威厳のない、けれど切実さに満ちた、必死にこちらに縋りついてくるような真剣な眼差しで。
 どう声をかけるべきか、そもそも声をかけるべきなのかどうか迷い、考えて、とりあえず深々と一礼して声をかけられるのを待った。自分がああだこうだと無駄口を叩いても、竜の女王を消耗させるばかりだろう。彼女がなにを言いたいのかはわからないが、とにかく今自分に求められているのは話を聞くことだ、と思ったのだ。
 竜の女王は深々と息を吐き、吸って、ゆっくりと口を開いた。その喉の奥からぼぉぅ、と炎をときおりこぼしながら、セオと仲間たちに語りかける。
「………勇者よ。私は竜の女王。精霊神ルビスさまに代わり、この世界を護り、預かっていた神の使い、です――」
「はい」
「私に残された時間は……力は、多くはありません。私に訊ねたいことがいくつもあるという者もいるでしょうが、それはどうか、私が消えたのち、城の者にお聞きください。私には、なんとしても、あなたに、あなたたちに、伝えなくてはならないことが、あるのです」
「はい」
「……あなた方には、詫びなくてはなりません。世界を預かりながら、力が及ばぬばかりに、魔族をはびこらせ、あなた方人間を、戦禍に巻き込んでしまったことを」
「……詫びる必要は、ないと、思います。同じ世界に生きるのならば、世界が、戦火に晒されれば、戦禍に巻き込まれるのは、ごく当たり前、なんじゃないかな、って。繋がった世界にいるのに、他の人に戦いを、押しつけ続けられるわけがない、ですし……押しつけたい、とも、思わない、ですし。少なくとも、今のあなたのように、戦い続けて疲れきった方を、また戦わせようとは、俺たちは、思いません」
 セオの子供じみた言い振りに、竜の女王はひそやかな笑い声を立てた。口の中でぼぅぼぅと炎が踊る。その笑い声は思いのほか楽しげで、竜の女王が(驚くべきことに)セオとの会話を心から楽しんでいることが、否応なく理解できてしまった。
「あ、の……女王、陛下」
「申し訳ありません、残された時間はもう、多くはありません。言うべきこと、伝えるべきことだけを、先にお話しさせてください」
「あ、は、はいっ」
「――あなた方には、魔王と戦う勇気はありますか?」
「え?」
 思わずきょとんとしてしまったセオに、竜の女王は重ねて問い、命じる。
「魔王と戦う勇気はありますか? ないのならば、どうかはっきりそうお告げなさい」
「………あの………ごめんなさい。俺が、なにか、勘違いをしているのかも、しれないんですけど………」
「有体に、己の思うところをお告げなさい。それがいかなる言葉でも、私は怒りも責めもしません」
「は、はい。……あの、魔王と戦うのに、勇気って、必要ですか?」
「え?」
 竜の女王は目を瞬かせた。竜がそんなことをするとは思わなかった、と一瞬好奇の念が沸き立ちそうになるのを抑え、できる限り礼儀正しく目を逸らしながら思うところを告げる。
「魔王というのが、どれくらいの強さを持つものか、俺もはっきりわかってるわけじゃ、ないですし、もちろん今の俺たちでも、まるでかなわない可能性も、それなりにある、とは思います、けど。少なくとも、俺たちがこれまでに出会った神々の僕である方々は、魔王のことを『対処可能な障害』、あるいは『問題とする必要のない代物』と、みなしているようでした。そして、俺たちが言動や、身体の動かし方や、身体の仕組みを観察した限りでは、神々の僕である方々と、俺たちがまともに戦ったならば、俺たちが負ける可能性は、ごく低い、と思えたんです。それならば、魔王と戦うことになったとしても、俺たちが致命的な失敗を犯さなければ、まず勝てる、ということに、なります、よね?」
「ま……まぁ、それはそうかもしれませんが……」
「それに、もし魔王が俺たちよりも、圧倒的に強く、俺たちの力では、なにをどうしても絶対に勝てない、という相手だったとしても、俺たちは魔王のところへ向かいますし、魔王がなにをどうしても世界を滅ぼそう、と考えているのならば、戦うことになる、わけですから。やっぱり勇気は、必要にはならない、と思うん、ですけど。なんとかして勝ちを拾うための準備とか、いざという時に逃げ出せるような戦術眼とか、手段とかは、必要になる、と思いますけど……」
「……………」
 竜の女王はしばらく黙り込んだのち、「ふふっ」と、また楽しげに笑った。その声は優しく柔らかく、またもセオを瞠目させずにはおかなかったが、竜の女王はすぐにまた、真剣な声音で言葉を続ける。
「あなたがどのような方か、ある程度理解できたように思います。ラーミアを復活させ、その背に乗ってこの地までやってきたこと。私の目に映るあなた方の魂の色。問答に対する答えから見える、あなたの心。それらの事実をもって、私はあなたを、魔王と戦う勇者として認めます」
「え……あ、はい。ありがとう、ございます……」
「勇者セオ。手を」
「え? あ、はい……」
 言われるままに差し出した掌に向けて、竜の女王は深々と息を吸い込んだのち、咆哮――というにはあまりに力なくひそやかな声を上げる。どこか音楽的にすら感じられるその声が止むやいなや、セオの掌の上に、唐突に、光≠ェ満ちた。
「―――!」
 それは球体であるように見える、光の凝集体だった。眩しく激しい、目を開けているのも難しく感じるほどの強烈な光だというのに、なぜか目を刺す痛みは感じられない。この光をどれほど見つめても、おそらく目を傷めることはないだろう。そんな確信すら抱かせる、不思議に優しい光の塊だ。
「―――この光の玉で、あなた方が、平和を取り戻すことを、祈ります。生まれ出る、私の、子の、ためにも―――」
 突然に力を大きく失った竜の女王の声に、セオは慌てて顔を上げる。が、同時に、なにをどうしようとももはや手遅れなのだ、という事実を悟るに至った。
 竜の女王は、静かに優しく微笑みながら、光の中へ溶け消えていく。光の玉が発する輝きと、同一化するように、呑み込まれるように、体そのものが無に帰っていくのだ。三十丈を超える巨体が、光と化し、何処へか、何処にか、消えていく。
 それをセオは一瞬じっと、溢れそうな感情を必死に抑えて見つめ、それから深々と頭を下げた。感謝と哀惜の念を、ありったけ込めて。もう少し話がしたかった、という想いと共に。
 その礼を竜の女王は、どのように受け取ったのか。唐突に光の玉から輝きが失せた、と思うや手の中から唐突に存在が消え失せる。同時に、竜の女王の身体も、跡形もなく消えていた。
 ――寝台の上に、たった今生まれ出たようにほかほかと湯気の立つ、巨大な卵をひとつ残して。

「……結局、なんだったんだ。あの竜はよ」
 竜の女王のいた寝台の後ろに控えていた、女王の臣下らしき、馬をはじめとした喋る獣や、エルフの姿をした人々は、竜の女王が消え去るや、喉も嗄れよとばかりに泣き叫び始めた。泣き崩れ、慟哭し、わんわんと声を上げて泣き喚く人々に、あれこれこちらの都合で聞きほじるのはさすがに気が引けて、とりあえず落ち着くまで待とうということになり、ラーミアのいるバルコニーまで戻ってきたのだが。
 その途端フォルデが困惑しきった面持ちで告げてきた言葉に、セオは思わず眉を寄せてしまった。なんだったんだ、と聞かれると、セオとしても明瞭な答えが返しにくい。
 だが、基本的に不確かな推測しかできない中でも、それなりに確度の高い情報をまとめることならばできる。推測でしかないことを説明するという思い上がった行為に怖気づく心を叱咤して、セオはフォルデに向き直った。
「……おそらく、あの方は、サヴァンさんの言っていた、最強種≠ニ呼ばれる、本当の竜種、なんだと思います」
「え……ああ、サドンデス、っつーか神竜のことを説明する時に言ってやがった、あれか」
「はい。サヴァンさんは、『システム≠ヘ竜を、世界で最強の種族であり、爬虫類の体と炎や氷の吐息を持つ生物であり、雌雄の別がありながら単性生殖も可能で、恐ろしく繁殖力が低く、同時に能力の劣る劣等種を作ることは比較的たやすい種、として創り出した』って、言って、ましたよね。神竜≠焉Aその本当の、竜族である、と。あの方は、神ではない、んでしょうけれど、『本当の竜族』であり……精霊神ルビスの去ったこの地を、ルビス神の命を守って、守護し続けていた方、ということになるんじゃないか、と思い、ます」
「は………? なんだその、『精霊神ルビスの去ったこの地』ってなぁ。ルビスってあれだろ、女神の一人だろ? アリアハンの教会に像があったぜ。あと、なんか神どもの話の時に、ちょくちょく出てたしよ」
「はい……そう、なんですけど。竜の女王陛下が、ご自分のことを、『精霊神ルビスさまに代わり、この世界を護り、預かっていた神の使い』って言って、ましたよね?」
「…………」
「あ、うん! そーだな、言ってた言ってた! え、あれって、嘘じゃないよな? え、じゃあ、ルビスって神さま、もうこの世界にいないの?」
「いない、とまでは言い切ることはできない、けれど。天界――神々が住まう場所にはいない、というのは、事実かもしれない、と思ったんだ。アリアハンはルビス信仰の本家本元っていうせいもあって、信頼性の高い資料がいくつも、王城や教会の書庫に残されているんだけど……」
「あ……そーなの?」
「うん。その中のいくつか――たとえば『精霊賛歌三』の百八十頁八行目や、『精霊真歴』の三百二十四頁十七行目とかに、『精霊神ルビスが他の神々と袂を分かち、天界を去った』という伝説も存在することが記されているんだ。もちろん、あくまでそういった伝説もあるというだけで、それが真実であるとはっきりしているわけじゃないんだけど……サヴァンさんは、サマンオサで、こうも言っていたよね? 『かつて神竜に対抗しえた最大の要素である力ある神はもう当時の天界にはいない』って」
「え……い、言ってたっけ?」
「うん。神竜の力が暴走した時の状況を、話してた時に、言っていた。俺はその『力ある神』は、たぶん精霊神ルビスなんだろうな、って思ったんだ」
「えぇぇ! な、なんで!?」
 レウだけでなく、ラグとフォルデも揃って驚きを示してこちらを見つめてくる。そんな顔をされるほど大した話ではないのに、と気恥ずかしく申し訳なく思いながらも、セオは説明を続ける。仲間たちも実際には理解しているだろう事実なのだ、できる限り明瞭に、簡潔に伝えて、話を早く進ませなければならない。
「えっと、その『力ある神』が天界を去ったのは、『古代帝国の消滅の際のごたごた』による、ってサヴァンさんは、言ってましたよね? そうなると、素直に考えて、一番の有力候補になる神は、精霊神ルビス、だと思うんです。ルビスは、古代帝国の消滅を決めた神々に逆らい、神となった際に一度封印したラーミアをオーブによって再誕させ、幽閉されたガイアに願い出て人に神器を与え、できる限りの心正しき人を救い上げて、ラーミアによって別天地へと運んだ、という伝承が残っていますから」
「へっ……」
「そ、そーなのっ!?」
「あ……確かにそういえば、そんな話聞いたことあるよ! いや、言われるまで全然結びつけて考えてなかったけど……」
「その別天地がどこか、という点については、どの資料も記述があいまいで。俺はアリアハンの勇者としての権利を与えられていたので、現存するすべてのルビスに関する資料を見分できた、とほぼ断言してもいいと思ってるん、ですけど……それでも、どの資料を見ても、まともに記録としては残されていない、のは確かでした。つまりルビス神は神々と袂を分かったのち、救った人々と共に、その『別天地』に向かったがために、まともな資料が残されていない、というのが一番可能性の高い推測、だと思うんです」
「それは俺も確かだろうとは思う。だが、疑問に感じもしたな。精霊神ルビスは天界を去ったというのに、なぜ信仰が残っているのか、と。今の人類は古代帝国の人類の血を受け継いではいない。ルビス神に感謝する筋合いがあるわけでもない。それなのに、神々は賢者からそれなりに正しく事実を伝えさせて、資料として残させている。推測が事実なら、ルビス神をはばかる必要ももうどこにもないだろうに、なぜ天界を去った神への信仰をわざわざ残させたのか、とな」
「あ……」
「あ、そーだよな! それもそーだよ! なんでなのっ、セオにーちゃん!」
「推測、にしかならないけれど……たぶん、少しでもルビス神に対して、好意を獲得するため、なんじゃないかと思うんだ」
「好意……?」
「はい。今世界に存在する神々にとって、『人類からの信仰心』というものは、決して必要なものじゃないんです。不可欠なものでも、是非とも獲得したいものでもない。あればあったで役に立つかな、ぐらいのものでしかない、んじゃないかな、って」
「へ……へ?」
「え、なにそれ、どーいうこと!?」
「……なるほどな。言われてみればその通りだ」
「え、ロン、なんでわかったのっ!?」
「なんでと言われると、俺が頭がいいからとしか言いようがないんだが。まぁ解説してやるとだ、そもそも信仰心なんてものは、俺たちが知った神々の役割……世界の状況を調整し、混沌から世界を護る結界を守護するという仕事に対して、なんの役にも立たないだろうってことだ。大地の神ガイアは信仰心を加工できる能力があるから別だとしてもだ、ガイア同様に信仰心が目減りした神の話をそうそう聞かないということは、同様の能力を持っている神もめったにいないんだろう。となると、別にわざわざ信仰心を獲得しよう、なんぞと考えたりはしないだろう? 俺たちの見知った神々の性質からすると」
「……確かに」
「そうなると、人類の信仰心なんてものは、ほとんどの神々にしてみればせいぜいが、いくぶん自尊心を満足させる種にするか、人間たちを思い通りに動かすための一助とするか、ぐらいの役にしか立たない。それなら別に、ルビス神に対する信仰を残しておいても不都合はないだろう。むしろルビス神に少しでも媚を売れる道具として使えるならいくらでも使いたい、と考えるはずだ。力ある神が天界に戻ってきてくれることの利の方が圧倒的に大きいからな」
「なる、ほどね……となると、竜の女王陛下の言っていたことは、掛け値なしの真実だってことになるわけか。救い上げた人々と共に別天地に向かったルビス神から、この世界を護る役目を受け継いだ神の使い。神々ではなく、失われそうな人々の命を救い上げたルビス神に従う者だから、人々の命も惜しむし、魔王を放置するわけにはいかないとも考えるわけだ……そして長年そんな風に戦い続けて、力を失いきって命を落とすことになってしまった、と……」
『…………』
 ラグの言葉に、全員が揃って沈黙する。黙祷というわけではないが、世界の、人間たちのために戦い続け、命を落とした相手に対し、全員それぞれに悼まずにはいられない気持ちがあったのだろう。フォルデもぎりっと音が鳴るほど奥歯を噛み締めながら、虚空を睨みつけ、フォルデなりの祈りの言葉を心の中で呟いているようだった。
「……なら、竜の女王陛下が渡してきた……光の、玉? だっけ。にも、なにか意味があるのかな。見た感じ、女王陛下の遺体が消えると同時に、セオの手の中から消えたみたいだったけど」
「そうだな……さっきちょっと探ってみたんだが。あれはどうやら、『本当の竜族』の無二の宝物、という位置づけらしい。光をもたらし邪を祓い、闇を照らして切り開く、とかなんとか。要するに、対魔族、対魔王用の魔道具と考えれば、だいたい間違いはないだろう」
「対魔王用の……? バラモスと戦う時に使えってことか?」
「さて、どうだろうな。というのもな、光の玉というのは闇を切り開くという文言通り、闇に極めてゆかりの深い魔族用に特化した代物らしい。魔族というのは混沌から生じ混沌に帰る、本来なら類別の極めて難しい代物だが、魔王に従っている魔族は、その魔王の特色にある程度染まるようになっているそうだ。俺たちが魔物として類別する魔族は、そういう魔王の色に染められた魔族なわけだな。で、この世界での類別された魔族の情報を見てみる限り……」
「闇に特化してる気配はねぇ、ってことか。……なら、あの竜、なんでこんなものよこしやがったんだ?」
「んー、もしかして、バラモスを倒した後に出てくる新しい魔王用なのかも! そいつが闇にとっか? してたりすんじゃねーかな?」
 レウが考えながら、それでも元気に言った言葉に、その場の空気は一瞬、凍った。
「……え……」
「……確かに。そういう展開もありえる、か。考えてみたら、魔王が一体だけで仲間もいない、なんて別に決まってるわけじゃないしな」
「ちょ……おい、待てよ! んじゃ、もしかして魔王ってのはうじゃうじゃいてもおかしくねぇってのか? バラモスは前座だったりすんのか? んっだその前振りなしの無茶振りみてーな……!」
「いや……でも、確かにそうだ。魔王バラモスが、敵軍の尖兵だっていう可能性はそれなりにあるよ。これから戦う相手に、わざわざ手の内を明かす馬鹿はいない。バラモスが尖兵だっていうんなら、自軍の強さを最大限に誇張するために、一戦した後は無反応を貫いて相手を威圧する、っていう手は確かにある。まぁ、魔族に人間と同じような、戦の理屈が通用するかどうかは知らないけど……」
「…………」
「……おい、セオ。お前、またなんか持ちネタ隠してんだろ」
「ぇっ……! ぁ、のっ」
「謝んなくていーし言い訳もいらねーから、とっとと持ちネタ明かしとけ! 別に推測でも当て推量でも妄想でもいーから! どうせお前が考えるってこたぁそれなりに筋の通った話なんだろーが、別に外れてても文句言わねーからとりあえず言うだけ言ってみろ!」
 フォルデに叱られ、ラグに見つめられ、ロンに微笑まれ、レウに期待にきらきら輝く瞳で見つめられ。セオは怖気づき黙り込もうとする心を叱咤して、口を開いた。仲間たちが聞きたいと思うのならば、自分に思考を隠すことなど許されない。
「ぁっ、の……最後の鍵の祠、での、こと、なんですけど」
「おう。……ぉう? あそこでなにがあったってんだよ」
「あの、古を語り伝える者、さんが……封じられた扉の向こうの声が、こう、言ってましたよね。『イシス砂漠の南、ネクロゴンドの山奥にギアガの大穴ありき。すべての災いはその穴より出ずるものなり』って」
「あーっと……あ! うん、言ってた言ってた! ちゃんと帳面に書いてある!」
「うん、偉いね、レウ。……それでその、ギアガの大穴≠ニいうのがなんなのか、あれこれ考えたことが、あったんです」
「ほう……」
「ギアガの大穴、という名の事物については、俺は今まで一度も、書で読んだことも、口伝に聞いたことも、ありません。もちろん俺が、勉強不足なせいなだけ、という可能性も大いにあります、けど……もし単純に、そもそも『人の知識の中に存在していないもの』だとしたらどうなるだろう、って考えたんです」
「……それで?」
「ネクロゴンドの山奥、という情報だけだと、ことによると人跡未踏の地、という可能性もありますが、イシス砂漠の南、という情報が加わると、この世の人間が誰一人知らない、というのはいささか、無理がある、と思うんです。場所的に、どんな山奥に位置するとしても、ネクロゴンド王国からの航路から、大きく外れた場所には、なりえません。航路開拓の際には、鷹の目を使える盗賊が同道する、のが常識的なやり方ですし、イシス王国の方に近ければ、イシス王国の盗賊たちがやはり、その場所を捉えるはず。となれば、残された可能性は、『ごく最近発生した』か、『ずっと隠されていた』か、どちらかだと思う、んです」
「なるほど……」
「すべての災い、というのが単なる、神話的な誇張表現だったとしても、少なくともなんらかの災いを発生させた、ないし関連している、と考えるのが妥当。となると、真っ先に考えつくのは、魔王の誕生です。現在のところ、魔王バラモスが、いついかなる理由で発生したのかについては、まったく調べられていません。魔族の一員なわけですから、理由もなく唐突に生まれることもある、でしょうから、それも当然ではありますけど。ただ、もし、ギアガの大穴≠ェ、魔王に関わっているのだとしたら。太古の昔から災厄を生ずるものとして、神々に類する存在に封じられて、いたのだとしたら。いくつか仮説が立てられる、と思ったんです」
「仮説、とは?」
「もし、ギアガの大穴が、魔王を生じる穴だとしたならば。それはつまり、混沌に通じる、ないしは深いゆかりを持つ穴だ、ということになりますよね? それを、神々に類する方たちが、座視しておくとは思えません。最低でも封印し、人に見られることが、ないようにはするでしょうし、できることなら、この世から消滅させよう、とするはず。たとえ現在、魔王を調整もせずに放置、しているとはいえ、混沌そのものが世界に現出することは、神々にとっては悪夢、そのものなはず。なにがなんでも全力で、対策を取らずにはいられないはず、なんです。でも、俺たちが聞き知った情報の中では、神々がそんな大仕事をしている気配、というのはなかった」
「…………」
「もちろんその大仕事をすでに終えている、という可能性はありますが、それなら魔王バラモスが現れたことにまるで頓着していない、というのはおかしい。対策を取った穴から現れた、というなら仕事がきちんと終えられていなかった、ということで大騒ぎになる、はずですし……突然穴が開通して現れた、というなら予想だにしなかった事実に大慌て、になるのが普通ではないか、と。けれど、そんな気配はまるでなかった。もちろん、神々なりの理屈で俺たちにそういうところをまるで見せなかった、というだけかもしれませんし、そもそもバラモスがギアガの大穴を通って現出した、と証拠立てられたわけでもないので、状況を断定などとてもできない、ですけど……」
「……つまり、結論は?」
 静かに問うロンに、セオは小さくうなずいて答える。あくまで仮説に仮説を重ねた上での、頼りない結論になってしまうのが申し訳ないのだが。
「一番確からしい結論は、『精霊神ルビスが開けて、この世界に残した穴を、魔王が流用した』ということになるではないか、と。そしてそれならば、『ギアガの大穴は魔王たちの巣窟に繋がっている』、そして『精霊神ルビスの旅立った新天地が、魔王に征服されている』のでは、と。つまり、『他の神々から群を抜いて、それこそギアガの大穴の基となった代物を創ってからすでに千五百年が経過しているのに、他の神々ではどうしても大穴を抹消することができないほどに、隔絶して力の強い神だったルビスを倒すか、動きを封じるかできるほどの力を持った魔王が、ギアガの大穴の向こうに存在する』のかもしれない、と――あくまで推論を重ねた上での仮設で、事実だという裏付けはなにもない、当てにならない代物でしかない、んですけど」
『………………』
 仲間たちがそれぞれ、目を見開いて黙り込む。やはり自分の見苦しく無理のある論理構築では、聞く価値のある話などできなかったか、と小さく嘆息する――や、突然ひどく深みのある、不思議に音楽的な、けれどとても優しい声がテラスに響いた。
『なるほど、見事だ。君は心根だけでなく、勇者と呼ばれる価値のあるだけの考える頭も有しているのだね』
「っ!?」
「誰だ!」
「え、や、誰って。この場合、一人……一羽? しか、いなくね……?」
『その通りだよ、勇者レウ。本来ならもう少し黙っているつもりだったのだけれど……ここまで先を見通すことができているのなら、今言葉を紡いでも、結果は変わるまい』
 そう言って、人間数十人を軽々運べるだろうほどの巨体には似つかわしくない、軽々とした動きで立ち上がり、身じろぎをしてこちらに向き直った彼――神鳥ラーミアは、セオたちの方へと向き直り、告げる。
『改めて、初めまして、勇者セオ、勇者レウ、戦士ラグ、賢者ロン、盗賊フォルデ。私はラーミア――精霊神ルビスの、翼たるべき鳥さ』
 そう言って、ラーミアはくるっく、と小鳥のように喉の奥で甲高く鳴いた。

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