ラーミア〜竜の女王〜バラモス――3
「それじゃさっそく、出発しよっか! ラーミアの翼なら、バラモスの城まであっというまに行けるよな?」
『いやいやいや、待て待て待て』
「さすがにそういうわけにもいかないだろ……ここの城の人たちも、俺たちに話すことはそれなりにありそうだったし。それを放置して出発するってのはいくらなんでも」
「つーかな、曲がりなりにも敵の大将とやり合おうってのに、魔法力やらなんやらを半端に減らした状態で向かうわけにもいかねぇだろ。消耗品は十二分に用意しちゃあいるが、念のため再確認して、足りないものがあれば補充する、っつぅ手順は踏んどいた方がいいに決まってる。一晩休んで、魔法力を回復しとくのも、それなりに大事だろうしな」
「それにだ、レイアムランドからラーミアの翼でこっちに来てしまったということは、今現在魔船はレイアムランドの息も凍りつくような冷たい海岸に放りっぱなしなんだぞ? あれはポルトガからの借り物なんだ、ほっぽっておくわけにもいくまい。というか、むしろ返却の手続きを取るべきかもしれんな。さすがに新世界にまで魔船を持っていくのは無理があるだろうし……これからこちらの世界で移動する時には、ラーミアの翼を使った方が早いだろうし。なにより魔船はバラモスを倒すのに必要だから、という理由で借りているものなんだしな、一応魔王征伐が終われば返すのが筋だろう」
「えっ! あ、そーか、そーだよなっ!? どーしよ、俺魔船の中の荷物とか全然整理してないっ!」
「だから普段から整理整頓を心がけろって言ってるだろ……でも、魔船にいろいろ残してあるものがあるのは俺も変わらないな。食材なんかも、貯蔵庫に入れっぱなしにしておくわけにはいかないだろうし。どう始末をつけるか……いや、もう、今夜で全部食いきっちゃうか? 買い出しした直後ってわけでもないし、五人全員いればあのくらいいけるだろ」
「ま、ラーミアがいる以上、今夜はこの城に泊るのが一番よさそうだから、食材はこの城の料理番に預けた方がいいのかもしれんが……こんなところに閉じこもっている奴らの食文化がそこまで発展している気もせんし、自分たちで料理した方がうまいものが食えそうだな。厨房の設備も、魔道具が完備されている魔船の方が上だろうし。せっかくだから、魔船でお別れの宴会といくか。そうなると、むしろ買い出しに行っていくつか足りないものを買い込むべきかもしれんな」
「そうだな。んじゃ、レイアムランドからポルトガまで転移して、ポルトガで買い出しするか……いやポルトガまで魔船で行っちまうと、手続きやらなんやらめんどくさそうだし、ポルトガまで魔船飛ばすのは、飯食って後片付けしてからのがいいか。午後いっぱい使やあ、宴会の準備には十二分だろ」
『いや、その……できれば、この城にも一人か二人……かなうならば、勇者である者たちくらいは残していてくれないかね? この城の者たちも、気持ちが落ち着いたならば、光の玉を託す勇者たちと話がしたいと思うのではないかと、私としては考えるのだがね』
「えー、でも宴会すんのに俺たちだけ手伝いしないとかダメだろ! せっかくの宴会なんだから、みんなできょーりょくして準備して、みんなでおいしく食べないとだしさ!」
『ううん……それではせめて、午前いっぱいくらいは勇者である二人はこの城に残っていてもらう、ということではどうかね? 他の仲間たちは、宴会と後片付けや手続きなどが終わったあとに、勇者たちと一緒に城に戻ってきてもらう、ということで。私としても、この城以外の街などで勇者のそばに控えるというのは不安があるし、ルビスさまをお救いするまではできるだけ勇者と離れたくないのだが……どうだろう?』
「うーん……どーする、みんな?」
「……ま、いいんじゃねぇか。お前らがいいんなら。ラーミアが人目を引きたくねぇって思うのはまぁ、当たり前のこったろーし」
「それに、譲歩する気がある相手に、居丈高に要求を突きつける、というのもあまりやりたくはないしな。なぁフォルデ?」
「……なんだその目、喧嘩売ってんのか、引く気がある相手をいたぶるなんざクソッタレがやることだっつーのは世界のどこでも当たり前のこったろーがっ!」
「はいはい、落ち着けフォルデ、ロンもからかうな! ……ま、それに、この城で情報収集をしておいてもらえるというのは、俺たちとしても助かるしな。現状で有用な情報がそうそう出てくるとも思えないが、手に入れられる情報は手に入れておいてもらった方が、問題が起きにくい」
 そんなわけで、話し合いの結果、この竜の女王の城に残ることになったセオとレウは――
「とりあえず、城ん中になにがあるか探検してみよーよ! なんかすっげー宝物とかあるかもしんないしさっ!」
 というレウの主張に従って、城の中を隅から隅まで探ってみることになったのだった。

 隣を歩くレウは、ふんふんと楽しげに鼻歌を歌っている。その心から今の状況を楽しんでいる、という心持ちにはとても及ばなかったろうが、セオも現状を楽しんでいるのは確かだった。なにせ、魔法帝国時代から存在する、世界のはぐれ者たちが集まる城だ。どれだけ貴重な資料があるか、セオなどには正直想像もつかない。
 ただ、今現在、城に住まう人々は一人の例外もなく、竜の女王の死を悼み、悲しんでいることだろう。歴史などについて、ありったけの質問をぶつけて聞きほじる、というわけにもいくまい。相手の迷惑にならないよう、気分を損ねないよう、聞くべきことだけを的確に聞き出す。正直そんな離れ業が自分にできるとは思わなかったが、少しでもマシになるよう努めたい、とは思っていた。
 城内は左右対称の構造になっているようだった。政を行う政庁、ないし王族の住居として使われている城にはよくある構造だ。竜の女王の居室の入り口を横目に通路を歩いていくと、東西に二つ池が配置してある広間へとたどり着いた。
 そこをさらに通り過ぎていくと、すぐに外に出ることができるようになっているようで、どうやらこの城は規模はおそろしく大きいものの、構造自体はさほど複雑なものでもないんだな、とセオは理解する。セオとしては資料室か書庫のような場所に目星がつけられれば、と思って歩いていたのだが、ここまで見てきた限りではそのような場所は見当たらなかった、と思う。
「なんかさー、宝物らしい宝物とかねーんだなっ。神さまみたいな人のお城なんだから、なんかもっとすっげー宝物とかあったりすんのかと思ってたっ」
「神に近い存在の方からしてみれば、『すごい宝物』なんてものは、いくらでも作り出せるから、わざわざ秘蔵しておくべきものではない、ってこと、なのかもね。本来、与えられる側じゃなく、与える側の存在、なわけだし。そもそも、世界を助けるため、に死力を尽くしていた方が、宝物なんかを集める、ために労力を割く、っていうのもおかしな、話だし……」
「あー、それもそっかー。やっぱセオにーちゃん、頭いーなっ」
「そ、そんなことはない、と思うけれど……」
 などと喋りながら出口へ向かって歩いていくと、おもむろにその出口――大手門にあたるだろう門が、ぎぃっと音を立てて開いた。そしてその門を開けたとおぼしき一人の女性――一見したところでは、エルフにしか見えない女性が、のろのろとした足取りで城内に入ってくるのと、見事に鉢合わせる、というか互いの視線がぶつかり合う。
 その女性の顔にさっと警戒の色が走ったが、すぐにその色は弱まった。自分たちがさっき竜の女王を見送った勇者である、と認識できたのだろう。軽く頭を下げて隣を過ぎ行こうとする――そんな女性を、レウはあっけらかんとした笑顔で呼び止めた。
「あ、なーなーねーちゃんさー! 今暇? ちょっと話しても大丈夫?」
「っ……」
「……暇というわけではありませんが、差し迫った用があるわけでもありません。勇者さまがなにかお聞きになりたいということでしたら、お伺いいたしましょう」
 礼儀正しく一礼して、その女性はこちらに向き直る。そちらに向け、レウはうーんと考え込んでから、元気いっぱいに話し始めた。
「んーと、そーだな。まず聞きたいんだけどさ。ねーちゃんって、エルフ?」
「……ええ、一応は。かつては白の森≠ノ住まっていました」
「しろのもり……あー、世界樹があるっていう森か! セオにーちゃんたちが以前行ったっていう! ……んだったらさ、なんでこのお城に来たの?」
「私は……かつて、罪を犯したのです。同胞を……森の姉妹たる相手を、故意に傷つけ……その結果、森を追放されました」
「ふーん……んじゃさ、森を出たあと、すぐこのお城に来たの? どっかでこのお城のこと知ってたの?」
「森を追放される時に、女王から教えていただきました。森を追放されたエルフや、神に見放された神使が、身を寄せ合う地がある、と。山を越えるのには難儀しましたが、途中からは女王陛下の張った結界に取り込まれ、導いていただきましたので、なんとか……」
「ふーん……その頃はまだ、竜の女王さまって元気だったんだ」
「そうですね……もう千年ほど前の話になるでしょうか。あの頃は本当に、女王陛下もお元気でいらして……私にお優しい言葉をかけてくださって……ああ、お懐かしい……」
 目頭を押さえるエルフの女性に、セオはおずおずと声をかけた。
「あ、あの、すいません。お話を遮って、申し訳ないんですけど、ひとつ、質問しても、よろしいでしょうか」
「……はい。なんでしょうか」
「あの、失礼な質問でしたら、本当に、申し訳ありません。一般的なエルフの方の寿命というのは、千年ほどだとお聞きしたんですが、それほどの時間が過ぎても、あなたがそんなにお元気なのは、なにか理由があるんでしょうか。竜の女王さまが、御力を分けてくださった、とか」
 エルフの女性は一瞬大きく目を見開いたものの、すぐにふっと笑って目尻の涙をぬぐった。
「さすが勇者さま、智謀のほども冴えていらっしゃるのですね。ラーミアに選ばれ、女王陛下に認められた、真の勇者でいらっしゃるのですから、当然のことなのかもしれませんが」
「それは。つまり……」
「はい。私は当年とって、千八百歳ほどになります。通常のエルフならば、とうに土に返っていることでしょう。私がこれほどに生きながらえているのは、間違いなく女王陛下の御力に他なりません」
「…………」
「女王陛下は、力の制御と、循環に長けていらっしゃいました。具体的に言うと、この城に住まう配下の者たちの中で、ご自身と共にとこしえに在り続けることを望んだ者たちの中に、自らの神にも等しい力を流し込まれたのです。そしてそれを循環させることで常に力の鮮度を保ち、配下の者たちには女王陛下と同じだけの寿命を、女王陛下には少しでも健康を維持するための生命を強化する力を、得ることができるようにされたのです」
「それは……つまり。あなた方は……」
 セオが口にする前に、エルフの女性はきっぱりと、力を込めてうなずいてみせた。
「はい。この城に未だ残る者たちは、一人残らず女王陛下と身命を共にする者。本来ありえざる長きの寿命を得ることができますが、女王陛下が亡くなられた時は共に滅びるが定め。……私たちが体に残された生命力を使い果たし、死出の旅に出るまでは、まだいくぶんかの時がかかるでしょうが、おそらくは数日のうちに、全員が死に絶えることでしょう」
「――――」
「えっ……ね、ねーちゃんたち、死んじゃうのっ!?」
 レウが仰天して叫ぶが、エルフの女性はあくまで穏やかに、そして冷静に首を振る。
「死ぬといっても、私たちはみな、もう充分以上に生きた身です。女王陛下のお体を少しでも安んじるため、種の本来の寿命をはるかに超えて、永の命を与えられてきた者たち。私たちはもう生きすぎるほどに生きたのです、女王陛下が儚くなられた今となっては、陛下に殉ずることがなによりの幸せと感じております。それほどに、我々は長い時を生きてきたのですよ」
「で、でも……でもさ……!」
「……それに。もはや、我々が生き延びたところで、明るい先行きなどは残されておりますまい」
「え……」
「我らは竜の女王陛下の臣下。今天におわします方々からすれば、これまで主をはばかって潰すことのできなかった目障りな羽虫です。ひそやかに、よしんばルビスさまがこの世界にお戻りになったとしても突き止めることなどできぬように、闇に紛れて我らをいたぶり殺すような真似も平然としてくるはず。こちらもそのような輩と同じ天を戴きたくはありません。このまま女王陛下に殉ずることが、なにより正しい死に方なのです」
「そんな奴ら、俺がやっつけたげるよ! 神さまたちのいやがらせなんか、全部俺がなんとかしたげるからさ! そんな……そんな当たり前みたいに死んじゃうなんて、そんなの……」
 涙目になって必死に言い募るレウに、エルフの女性は驚いたように目を瞬かせてから、小さく微笑んでまた首を振った。
「ありがとうございます。お優しい方ですね、あなたは……勇者と呼ばれる方は、みなさまそのようにお優しくていらっしゃるのでしょうか。そんな方に対し、言葉選びを間違えてしまったこと、心よりお詫びさせていただきます」
「お詫びとか、そんな……そーいうこといってんじゃ、なくてさぁ……!」
「ですけれど、どうか……どうか、私たちのわがままを、お許しになってはくださいませんか。私たちは、今この時にこそ逝きたいのです。女王陛下が亡くなったあとに続いて逝きたいのです。女王陛下の死出の旅のお供がしたいのです。私たちはみな、この世界に生きる場所を失い、女王陛下に救われた者たちばかり。この世のどこにも行き場をなくし彷徨っていた私たちに、女王陛下は手を差し伸べてくださった。それがどれだけありがたかったか、嬉しかったか、くだくだしく言うまでもなくおわかりいただけますでしょう?」
「っ……」
「女王陛下が亡くなった今となってはもう、我々には生きる喜びも、生きなくてはならない理由もないのです。みな充分以上に長く生き、苦しみも悲しみも充分以上に見せられた。そして生きる喜びも、充分以上に味わうことができたのです」
「でも、だからって、さぁ……!」
「私たちの生は、もう終わっているのです。寿命としても、やるべきことを為し終えたという点でも。あとはそれに沿うよう、正しく始末をつけるのみ。……それに実際、なにをどうしようとも我々は数日後には死ぬのです。この世から消滅するのです。我々の魂は老いさらばえ、今か今かと消滅する時を待っているのです。燃え尽きた薪をどういじくろうとも、灰となって崩れ落ちる未来からは逃れ得ぬように、我々が死ぬこともなにをどうしても避け得ぬ未来なのです。それならば、最後の時を心静かに、人生のこれまでの記憶を思い返しながら、敬愛するお方のことを想いながら、穏やかに消えていく幸福を選ばせてはいただけませんか、勇者殿」
「―――………っ」

 それからセオとレウは、何人もの城の住人たちに話を聞いたが、そのことごとくが同じ反応だった。自分たちはもう充分生きた。残る望みは女王陛下の死に殉じたいという想いのみ。もう自分たちの死は避け得ない。最後の時を心穏やかに過ごしたい。誰もがそう答え、その思考を当然のものとして受け容れているように見えた。
 それがゆえに、レウは可哀想なほどに打ち沈んでしまった。城の探検を始めた時のうきうきとした表情は見る影もなく、落ち込みきった顔つきでうつむいてしまっている。
 セオはどうしよう、どうすればいいんだろう、と懸命に考えながらも、自分などがなにをしても、なにを言っても、逆効果になる結果しか思い至れず、なにもできないままレウの手を引いて、ラーミアのところへと戻ってきていた。落ち込みきった面持ちでラーミアの羽毛に顔をうずめたレウはあっさりと眠りに落ちてしまい、ラーミアの指示のもと沈みそうなほど柔らかいラーミアの羽根の上で寝かせてもらっていた。
 自分の翼の上で眠りこけるレウを柔らかい眼差しで見つめながら、ラーミアはセオの、なぜこんなにレウが落ち込んでしまったかという原因の説明を聞いていたが、聞き終えたあとには『そうか……』とわずかに頭を揺らしたのち、こう告げた。
『だが、君はその事実を聞いても、さして衝撃を受けなかったらしいね』
「あ……はい」
 セオはうなずく。確かに、セオにとっては城の人たちの言葉は、決して不快なものではない――というより、ごく受け入れやすいものだった。
「人がどうその命を終えるか、という命題については、いろんな人が、いろんな見解を述べていますが……俺の見解を、述べさせてもらうなら、『その人の命なのだから、その人の好きに使うべき』という考えが、大前提としてあります。たとえ、どれほど他人にとって価値ある死であろうとも、その人本人が納得することができないのなら、その死には絶望が残る。逆に言えば、たとえどれだけ他人が避難しようとも、その人本人にとってその生の終わりが納得のいくものであるのなら、その死は決して、不幸ではない。少なくとも、当人にとっては。……わざわざ口にするほど、大した話でもないですけれど……」
『いや、私はぜひ君の話が聞きたいな。主の復活を託す勇者の言葉なのだ、どんなにささいなことでも耳を傾けたく思うよ』
「えと、その、はい。お耳汚しだとは思いますけれど……俺から見ると、この城の人々は、決して不幸な終わりを迎えている、ようには見えません。自分たちの人生に満足しているか、どうかはともかく、自身の命の終わりを納得して、受け容れているように、見えました。死を受け容れる、というのは……消滅を、自分のなにもかもがなくなってしまうことを拒否せず、それでいいのだと心の底から納得することは、決して安易にできることではありません。死する者が、自身の終わりに際して、そんな想いを抱くことができるのなら、俺には、それは、とても真っ当な終わり方だ、と感じられたんです」
『君にとっての真っ当でない終わり方というのはどんなものなのかな?』
「………、俺がかつて、迎えた死です」
『……ほう?』
「俺はかつて、父に……勇者オルテガに、殺されました。自身の、義兄を殺した、罪の報いとして。俺はその時、終わりを迎えることを拒み、死に物狂いで抵抗、しました。他者を自分の意志で殺した俺が、その報いを受けることを、命を奪われることを拒んだんです。それは、とても、この上なく傲慢で、不遜なことだと、俺は、そう思うんです」
『ふぅむ……』
「そして、それでも、俺は殺された。死に物狂いで抗っても果たせず、圧倒的な力の前に殺された。それは……意に反して、命を奪われるということは……本当に無残で、惨めで、嘆きと苦痛に満ちた終わりです」
 そして自分は、それを知っていながら、他者に、魔物に、それを押しつけ続けている。その事実が、セオの心を責め苛む無残さが、はっきり教えてくれるのだ。
 自分は、いつか、その報いを受けるだろうと。
「……だから、俺は、思うんです。そんなものがない死は、満足した終わりを迎えることができる生は、この上なく得難く、尊ばれるものじゃないか、って。そんなものを得た人たちに、俺が言えることなんて、なにもないだろう、って……」
『なるほど……では、勇者レウの振る舞いは、君の目から見ればさぞ無駄なことをしているように見えるのだろうね?』
「え? なんで、ですか?」
 思わず目を見開いて、心底からの驚きを表す。ラーミアはちょっと首を傾げて、こちらも驚いたように心話を返した。
『いや、だって、君はこの城の者たちが迎える終わりをよしとしているのだろう? それを悲しみ、憤る勇者レウの振る舞いは、君からすれば馬鹿馬鹿しい限りなのではないのかね?』
「そんなことは、ないです。だって、レウの心は……ひたむきに、出会った相手が、終わりを迎えるのを、悲しむ心は……今まさに終わろうと、している人たちにも伝わって、この上なく心を慰めてくれる、だろうって思いますから」
『…………』
「俺なんかの、考えよりも。死にゆく人に、なにもできない俺なんかよりも。その死を悲しみ、悼み、抗えないかと必死になる、レウの行動の方が、どれだけ死にゆく人の助けになるか、わかりません。満足した終わりを迎えた人たち、の心も、決して揺らがないわけでは、ないと思うんです。時には、自分たちがみな終わってしまうことを、消え去ってしまうことを、悲しくも、寂しくも、やりきれなくも思う時は、あるはず。そんな時に、自分たちの死を悲しんで、くれる人が隣にいるというのは……それこそ、天の恵みのように思えるはずです」
『……それだけ理解していながらも、君はあえて、勇者レウに同調しようとはしないのだね』
「あえて、というか……心の底から、強くそう思ってもいないのに、同調するなんて、すごく、すごく、相手に対して失礼なこと、ですよね? そんな風に同調されたところで、レウも、この城の方々も、不快に思うだけのように、思えるんですけど」
『……確かに。その通りだ。しかし……思っていたよりも、君はずっと頑固で、厳格な考え方をしているのだね』
「え……そう、でしょうか……?」
『私はそう思うよ。頑固で厳格で、人がどう言おうと自分の想いは決して曲げない。他人を尊びながらも、それを自身の行動に影響させることはない。それほどに強固な意志を持っているのも、史上最多の人数を仲間にできる勇者として生まれついた理由のひとつなのかもしれないな』
「そう………でしょうか」
 セオはその言葉をくり返す。自分に他者より優れたところがあるとは思えない。これまで出会った他の勇者たちも、みなことごとく自分などよりはるかに優れた人たちばかりだった。
 それなのに自分が三人もの仲間に勇者の力を与えることができているのは、セオにしてみれば、自分が世界に詐欺を仕掛けてしまったような、自分だけが天に贔屓されてしまったような、そんな想いをしばしば抱く理由のひとつだった。
『……しかし、勇者レウは大丈夫なのかな。こうも落ち込んでいては、城の者たちとの話し合いどころか、今日の宴会……そして、明日の魔王征伐にも影響があるのでは?』
「大丈夫です」
 セオは首を振って、きっぱりとうなずく。そのセオには珍しい決然とした態度に、ラーミアは少し驚いたようだった。
『なぜ、そう思うのかな? 勇者レウはまだ子供だ。子供の心というのは、基本的にはみな稚く柔らかい。勇者である以上、普通の子供たちほどに弱いとは私も思わないが……傷つき立ち上がれなくなってしまう可能性も、それなりにあるとは思わないのかな?』
「思いません。レウは、自分の力で立ち上がって、前に進める子だ、と俺は思ってます。まだ若いことへの、気遣いとか、心配りとか、そういうものはちゃんとしなくちゃって思いますけど、その心の強さを見くびる必要はない、って考えて、いるので」
『ふむ……』
「レウは、辛い時は苦しい、誰か助けてくれと、周りに素直に伝えることができる子です。世界をも背負える強さがありながら、苦しさを和らげる手助けをしてくれるよう、周りに願うことができる子なんです。そんな子に、レウに、『大丈夫か』って気遣うのはいいと思いますけど、『この子はもう立てないかもしれない』なんて見損なうのは、間違っている、と思うんです」
『なるほど……。君がそういう風に心の底から信じてくれるから、勇者レウも心を強く保ち続けることができているのかもしれないね』
「えっ? そ、そう、でしょうか? レウは、俺がいなくても、強い心を持っているのは、変わらない……と、思うんです、けど?」
『それはもちろん、強い心は持っているんだろうけれど、心を強く保ち続けるというのはまた別の問題さ。勇者といえど人間なのだから、調子のいい悪いはある。その調子が悪い時に過ちを犯してしまったせいで、勇者としての力を失う者も多い。つまり勇者にとって、できる限り心を強く保ち続けることは、勇者であり続けるための必要条件だと私は思っている』
「……はい。そう、ですね」
『勇者セオ、君は自分の弱さを今心の中で責めたけれど、『心を強く保つ』というのは『常に強気でいる』こととは違うよ。むしろ、葦のようにしなやかに、力を込めて風に立ち向かうことなく、なにもかもを受け流しながらも自分の芯は変えない、そういう在り方の方が結果的に『勇者であり続ける』ことがたやすいことも多い』
「え……」
『勇者レウは、基本的に強気ではあるけれど、その分壁にぶつかりやすいように私には思える。力を込めて壁にぶつかれば、それだけ激しく跳ね返るのが道理。くじけることもないとはいえないだろう、とね。けれど、そんな時に、君がいてくれれば……世界のあらゆる不条理に打ちのめされながらも、顔を上げて天を仰ぐ君がそばにいてくれれば……『この優しい人を護らなければ』と、『落ち込んでなんていられない』と奮い立つこともあろうというものさ』
「あ、の……」
『そして君の勇者レウに向けられる気持ちが、深い信頼と広い優しさが、勇者レウの心を慰め、また前を向くだけの元気を与えてくれることもしばしばであろうことは、想像に難くない。そして勇者レウはその強い心でもって、できる限り君を不条理から護り、戦おうとするだろう。互いに心の強さを与え続けるような関係……君たちの勇者の力がお互いの力を相乗させているのには、そういった心の相性のせいもあるのかもしれないね』
「……あ、の。俺は、レウに、心の強さを、与えることなんて、できていない、と……俺は、年上なのに、レウに教えられて、ばかりですし……力を与えることが、できているのは……ラグさんとか、ロンさんとか、フォルデさんとかの、おかげ、で……」
「んなわけねーからぁっ! セオにーちゃんがいねーと、俺ぜったいぜったい強くとかなれなかったからぁっ!」
 唐突にがばっと顔を上げ、喚きたてたレウに、セオは思わず目をぱちくりさせた。
「……レウ、話に加わってきて、大丈夫、なの?」
「……へ? 起きてたのか、じゃなくて?」
「えと、少し前から起きてたのは、呼吸の長さで、わかってた、から。なのに、話に加わってこない、っていうのは、黙っていたかったり、話に加わりたくなかったり、するんだろうなぁ、って……」
「うぐぐぅ……」
 しばしレウはまたラーミアの羽毛に埋もれたものの、すぐにばっと体を起こして、さっきのように、少年特有の甲高い声で喚く。
「そ、れはそれとしてさぁっ。なんでセオにーちゃん、自分のこと、俺を強くしてくれてない、とか思っちゃうわけ!? そりゃロンとかフォルデとかラグ兄とかも、それなりに俺のこと強くしてくれてると思うけどさぁっ。いっちばん俺を強くしてくれてんのは、ぶっちぎりでセオにーちゃんなんだかんなっ!」
「えっ……」
「セオにーちゃんがケンキョなのはいつものことだけどさーっ。これ、俺としちゃぜってー譲れない話だかんなっ! 俺に強くなる元気をくれたのも、どう強くなってけばいーかってやり方を教えてくれたのも、ぜんぶぜんぶセオにーちゃんが最初なんだからっ!」
「えと、でも……あの。それは、たまたま、最初に俺がレウと話をした、ってだけで。実際のところは、大したことが、できたわけじゃ……」
「ちっげーからっ! 最初も今も、ずーっと俺に元気とかくれてる一番はセオにーちゃんだからっ! 俺が自分のこと自分で言ってんだからちゃんと信じてくれよな、もー!」
「う、うん……」
 正直、どうにも納得がいかないというか、そんなわけはないというか、レウがなにか勘違いをしているんじゃないかとしか思えない。だが、レウが嘘をつくわけはないし、少なくともレウの中の顕在意識においてはそう考えている、というのはわかる。レウが自身の心の力を尽くして、自分を大切に想ってくれている、と。
 それは、本当に。いつも、ずっと、絶えず感じ続けていることではあるけれども。本当に――
「――ありがとう、レウ。レウの、その、気持ちは、本当に……嬉しい」
「……えっへへへ。だっろー? 俺、セオにーちゃんのこと大好きだから!」
「う、うん。俺も……レウの、こと、大好き……だよ」
「えっへへへへー……だよなーっ!」
 満面の笑みでそう答えるレウに、心から安堵して頬を緩める。そう、レウは、いつもこんな風に、辛い記憶も苦しい想いも、軽やかに脱ぎ捨てて前を向ける少年なのだ。ムオルで、親がいない中、辛い思いをしてきたというのに。そばにいる先達の勇者が、こうも頼りない自分しかいないというのに。あくまで前を向き、全力で駆けることができる。
 セオにとっては、自分などよりもはるかに、勇者と呼ばれるにふさわしい心の持ち主だと、そう思える相手だったのだ。
『……ふふ。やはり、君たちは相性がいいのだろうね。そばにいることで、お互いに高め合い、護り合うことができる。私にはとても、しっくりと馴染んだ二人のように思えるよ』
「ったりまえじゃん! 俺とセオにーちゃん、すっげー仲良しだもん!」
「ぅ………ぅ、ん」
 ラーミアから飛び降りるや飛び上がって肩を抱かれ、慌ててその体を支えながらも、セオは顔を熱くせずにはいられなかった。本当にレウは、いつもいつも、自分などに真正面から気持ちをぶつけ、優しさを伝えてきてくれるのだ。

 昼食前に迎えに来てくれたロンと一緒に、レイアムランドにルーラで移動。買い出しをしてくれていたラグやフォルデはもう準備を始めていたが、(泣きはらして目を赤くしたレウに気づいて、問い質したフォルデが事情を聞いて激怒するという一幕はあったものの、ラグとロンがなだめてくれたおかげでフォルデもレウも落ち着いて)レウとセオもすぐにそれに加わることができた。
 協力して食事を作ることはそれほどなかったものの、これまで合計千を超えるほどの回数、食事を作ってきた台所。魔王バラモスとの戦いを前に、その最後の一回を迎えて、全員それぞれに思うところがあるようだった。
「……っつか、ぶっちゃけこれから先の人生、こうも毎食毎食用意するなんつーこた、もうねぇだろうからな、俺は」
 宴会の際のフォルデの料理の定番である、カナッペとトマトの詰め物サラダをてきぱき準備しながら、フォルデはふんと鼻を鳴らして肩をすくめた。
「え、なんで? フォルデすっごい料理うまいじゃん。それなのに作んないとか、もったいなくない?」
 新年の宴会の時同様、ひたすらにえんえんと野菜の皮むきをはじめとした下処理をさせられて、息も絶え絶えになっていたレウが、勢い込んで話題に飛びつく。それに対してフォルデはまた鼻を鳴らしながらも、手が止まっているぞと注意をすることもなく、おそらくはあえて軽い調子で答えた。
「てめぇ一人のために毎食毎食自分で飯作る、なんぞ単に飯作るのが趣味、ってやつでもなけりゃやんねーよ。俺は別に飯作るのが大好きってわけでもねーし。自分一人だったら、飯屋なりなんなりで適当に済ませた方が早く安く上がったりもするしな」
「えー……? そりゃ、そうなのかもしんないけど。………なんか………なんかやだ、それ」
「俺の言ったことのなにが嫌だってんだ。人にものを言う時は、きっちり自分の考えてること整理してから言いやがれ」
「うー、だ、だってさぁ、ホントに、なんかやだとしか言いようねーんだもん! なんかさ、フォルデがさ、一人でさ、これからずっと適当に飯準備して生きてくのとか、俺ヤなんだってば!」
「……お前がいっくら嫌だっつってもな――」
「ま、そうとんがるな、フォルデ。いや普段のお前のとんがり具合からすると、むしろ先端に球体がくっついてるだろう、ってくらいに丸い言葉ではあるが」
 ロンも手早く料理を作り進めながら笑顔で二人の間に割って入る。この宴席は今日突然に決まったものなので、前もって仕込みをしておかなければならない料理などは作れないが、ロンの幅広い得意料理の数からすればさして問題にもならないのだろう、声は割って入りながらも手は的確に麻辣牛肉を仕上げていた。
「んっだそりゃ。意味わかんねーっつーの」
「お互い気分よく今日の宴会を楽しみたいという気持ちは同じだということさ。これから先俺たちの人生がどう転ぶにしろ、この船で飯を食うのはたぶん今日が最後になる、というのは本当だろうからな」
「………ふん」
「まぁ……確かに、今日が最後だ、なんて考えると、これから先の人生についても、考えが及んじまうのは確かだけどな。もちろん、魔王バラモスを倒しても、まだ大魔王ゾーマがいるわけだけど」
 ラグが少し苦笑しながら話の輪に入る。料理を作り慣れているという点に関しては、おそらくパーティ随一であろうラグは、もちろん話しながらも手は止まらない。クッベナイエとレンティルスープを同時進行で仕上げるその手さばきは、セオの目から見ても旅を始めた頃よりさらに上達しているように見えた。
「ったりまえだろーが。大魔王とやらがのさばってやがる世界とやらに行って、そっからまたどんだけ長い旅になるかわかんねーんだぞ。今から皮算用してもそれこそ意味ねぇだろ」
「そういう風に言うってことは、お前もバラモスを倒した後の人生については、それなりに考えてたんだな」
「……そりゃ、まぁ」
「え、ホントに!? 俺全然考えてなかったのに! くっそー、フォルデにまた負けたー!」
「だっからてめぇはその『俺になら普通に勝てる』なんぞと舐め腐りやがるのをやめろってんだよ! どんだけ年違うと思ってんだ、俺の方が普通に勝てて当たり前だろーがっ!」
「せっかくだから、みんなの『バラモスを倒した後に想定していた人生』っていうのを聞いてみたいな。大魔王ゾーマの出現で、またいろいろ考え直すことになっただろうから、今聞いても『なるほどな』くらいにしか思わないだろうし……あれこれ思い悩んだ時間の、供養も込めてさ」
「………―――」
 セオは、思わず一瞬料理の手を止めた。アイスクリームを作り終えて、状態保存の呪文フベホローマもかけ終え、カレークリームコロッケに取り掛かっていたところだったので、やや気が抜けてしまっていたのだろう。
 それとも、それほどに衝撃だったのか。――仲間たちから、旅が終わったあとのことについて言及されることが。
 そんなセオの一瞬の硬直に、仲間たちは一瞬注意を向けたようだったが(レウだけはたぶん気づいていない)、特にそのことについては触れることなく話を進める。ほっと息をつくセオに軽やかに笑いかけながら、まずはロンが口火を切った。
「俺はそれほど思い悩んでいたわけでもないがな。ぶっちゃけ、平和な時代では半ば無用の長物でありながらも、使おうと思えばいくらでも便利に使える、圧倒的高レベルな賢者であるという現状を活かして、のんびり適当に遊んで暮らそうかと思っていたくらいだ」
「は? なに抜かしこいてんだお前。そんな生活しながらまともに食ってけるわけねーだろ! いい年こいてなに考えてんだ、バッカじゃねぇのか」
「いやいや、これがそれなりになんとかなってしまうんだぞ。まず、基本的に賢者はダーマの所属だ。逆に言えば、ダーマに所属して賢者としての仕事をしている限り、ダーマに保護されることになるのが賢者というものだ」
「……そりゃそうだろうけどよ、ダーマの連中が高レベルな賢者を遊ばせとく理由もねぇだろ。あそこの連中、基本生真面目な奴ばっかじゃねぇか」
「それはそうなんだがな、現在の俺のような、賢者を極めた存在……99レベルが見えているほどの人材ともなると、扱いがいささか違ってくる」
「ああ、そういえばお前一人だけまだレベル99じゃないんだっけ。まぁバラモスの城に乗り込む時に到達するだろう、って見込みだったみたいだけど」
「今は細かい数字はいい。要するに、人知を超えた、空前絶後といってもいいくらいの高レベルであるところが問題になるわけだからな」
「? 問題って? なんかやなこととかあんの?」
「嫌なこと、というかだな。そこまでのレベルの賢者というのは、さすがにダーマでも扱いに困るだろう、という話だ。なにせ、ダーマの賢者すべてを相手取って戦っても勝ててしまう可能性が高いほどの高レベル。基本的には敬して遠ざける扱いをするしかあるまい。まぁ、いざという時に役に立ってもらうために、いつでも呼び出せる手づるは確保しておきたいだろうがな。そのために相応の金を積むくらいのことは、むしろしない方が問題というものだろう」
「おい……まさかその金使って遊びほうけながらダーマに言われるまま尻尾を振るなんつぅ、クソみてぇな生き方するとか抜かす気じゃねぇだろうな?」
「いや? 単にその金をあえて使わないまま出奔し、俺と連絡をつけられずに半狂乱になったり半泣きになったりするお歴々の顔を楽しみたいと思っただけだが。現在の俺の呪文の腕ならば、適当に世界をうろつきまわりつつ気まぐれに腕を売るだけでも、自分一人の食い扶持ぐらいなら充分稼げるだろうからな」
「………お前、なぁ………」
 フォルデがチーズを切る手を止めて、深々とため息をつく。その言い分が正しく事実を告げていることと、そういった人生に文句をつけたいけれど、フォルデの立場からそれを制するとなると、フォルデのあからさまにしたくない心情に触れざるをえないこと――そして、ロンがまるで本気ではないことを察して、ため息をつくことしかできなかったのだろう。
「えー、ロンってばそんな風にだらだら生きてくつもりなわけ? ダーマの人らにあんま迷惑かけちゃ駄目だぜ?」
「……ま、実際にはそうはいかんだろうがな。ダーマにはそれなりに義理があるし、その上あまり関わりたくない相手もいる。下手を打って、そいつにつきまとわれるのはごめんだしな」
「へ? 誰、それ?」
「秘密だ。俺としては、仲間にそいつが関わるのもごめんこうむりたいからな」
「ふーん?」
 レウはよくわからない、という顔で首を傾げるが、セオは曲がりなりにもロンに過去を打ち明けられたことがあるために、その『関わりたくない相手』というのが、大神官の孫娘であるシンフォンインミンであるだろうことは、さすがに想像がついた。できる限り早く自分のことを忘れてほしいと思っている相手に、好悪どちらの念を感じさせるにしろ、自身のことを思い出させるような真似をロンがするはずがない――というのは想像というより事実の想起と言うべきものだっただろうが。
「じゃーロンは、別にダーマの人たちのことおちょくって遊ぶつもりもねーんだよな? 結局、どーいう風に生きるつもりだったわけ?」
「基本的には成り行きまかせ、風まかせ、といったところか。ダーマの顔を潰すつもりはないが、ダーマに隷従するつもりもない。なので、賢者から別の職に転職することも考えていた」
「え、そーなのっ!? ここまでレベル上げてきたのにもったいなくね?」
「ま、もったいないとは思うが、ダーマの立場からすると、賢者という職業を持つ人間を遊ばせておくわけにはいかんだろうしな。そこらへんの面倒を避けるため、と……あと、賢者はその職業上、どうしても『浸食』を受けやすいからな。為すべきことがあるわけでもないのに、その危険性を抱え込みながら生きていくのは面倒だ」
「え、しんしょく、って……普通にやってれば関係ない話だったんじゃねーのっ!?」
「普通というか。常に『悟り』続け、自身の精神を明瞭に保ち続けるというのは、やってみると地味に疲れるしな。それに、Satori-System≠介して繋がっている関係上、神どもやそのしもべどもから人格を『浸食』されるという危険性もある」
「えっ! そ、そーなのっ!?」
「おい待てやそんな話俺らも初耳だぞ。黙ってやがったのかテメェ。どういうことだ」
「おお、お前がそんな風に静かにぶち切れるというのは珍しいな。なかなかそそるものが……などと言っていると殺されかねんので、真面目に話すとな。危険性があるというだけで、俺はこれまで一度もその手の『浸食』を受けたことがなかった。まぁもちろん、万が一にもそんな事態が起こらないよう、念入りに対策はしておいたが。今のところその類の攻撃を神連中が仕掛けてきたことは、一度もない。まぁ向こうは俺たちを味方につけたいというか、うまく動かしたいわけだから、喧嘩を売るような真似をしないようにするのは、当たり前といえば当たり前だが」
「だからって、これから先ずっとねぇってわけじゃねぇだろうが。なんで黙ってやがった」
 フォルデの、低く冷たく、刃のように鋭い声に、レウも気圧されて黙り込んだが、ロンはあくまで涼しい顔で言ってのける。
「まず、言ったところでどうにかできることではないこと。そして、神どもと交渉する機会が生まれうる関係上、そういった余計なことを教えると、雑音になりかねない、と判断したからだな」
「雑音、だ?」
「ああ。向こうにどれだけの交渉達者がいるかわからない以上、隙を見せる機会はできるだけ少ない方がいい。そこに付け込まれて俺たちを追い込む手口を使ってこないとはいえない。で、実際に向こうがなにかをやってきている、という事実が認められない以上、『俺を洗脳してくる『かも』しれない』という事実は、お前たちに心配をかけるだけで、交渉の邪魔になるだけだろう、と俺は思った」
「…………」
「それに、万一の時の保険のために、セオとラグにはこの話を教えてあったからな。もちろんルザミをあとにして、セオの身体が回復してからのことだが。もし俺が打った手がすべて効果を発揮せず、あるいは神どもの方がはるかに上手でこてんぱんにやられてしまった場合、俺を何とか助けてくれるだろうただ一人の相手と、それを助けてくれる相手には、いざという時の心構えと助けの手をおねだりしておいたわけだ」
「………チッ」
「えーっ、なんだよそれーっ。俺だって、フォルデだって、ちゃんとセオにーちゃんのこと助けるぜ?」
「……おい。なんで俺も一緒くたなんだよ」
「へ? フォルデ、セオにーちゃんのこと助けねーの?」
「っ……助けるだのなんだのって話じゃねぇっ、てめぇが自分のことだけじゃなく、俺の名前まで一緒に挙げたからなに考えてやがんだこいつって不審に思っただけだっ!」
「ふーん……? それ、なんか変なのか?」
「は……?」
「だってさー、フォルデ仲間じゃん。セオにーちゃんも含めてさ、俺ら全員の仲間じゃん。仲間が大変な時に助けない、なんてことしないだろ、フォルデ。そんなの当たり前の話じゃねーの?」
「っ………」
 きょとんと首を傾げるレウの言葉に、苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んだフォルデを、ロンはいかにも楽しそうな満面の笑顔で眺めまわしたが、声はあくまで涼しげに話を進めてみせた。
「ま、そんなわけで、だ。そこらへんを考えても、魔王征伐を終えたあとには、賢者から転職した方がいいかな、と考えたわけだ。そうすれば、俺はかつて魔王を倒したという経験があるだけの一般人。一から修業をやり直している、そのへんのちょっと使える奴よりなお低いレベルの、素人に毛の生えた程度の戦力しか持ち合わせない輩でしかない。そんな姿で人界を泳ぎ渡るのも、なかなか楽しそうだと思ってな」
「……かつて勇者の仲間だったけど、今はレベルの低い一般人、なんていうのは、あまり安全な生き方をできそうな気がしないんだが?」
「それはそうだが、俺の場合はもう家族も親戚も生きていないしな。護るべき相手、というのはお前たちぐらいしかいない。なので、そういう危険に満ちた生き方をするのも退屈しのぎにはなるんじゃないか、と考えたわけだ。強い力というのは、良くも悪くも人を惹きつけ、惑わすからな。そういういざこざと真正面から向き合うのも、時間と体力の無駄だろう?」
「へー、そーなんだ?」
「……お前の言うこともわかるけど、俺はセオのおまけでとはいえ、身に着けた力を投げ捨てる気にはなれないな。護るのも、戦うのも逃げるのも、力がなければやりようがないというのもひとつの事実だ」
「ま、それも確かだな。……ラグは、ヒュダ殿のところに戻るつもりだったのか?」
「……ああ。貯めた資金の中からある程度の金を分けてもらえたら、現役を引退して、ヒュダ母さんのそばで暮らすつもりだった」
「は? 現役引退してなにすんだよ。ヒュダさんとこって、お前の家だろ? 家に戻って、なんかすることでもあんのか?」
 思いきりしかめていた顔を、一瞬で素直に驚きを表した顔に変え、フォルデが問う。それだけラグの言葉がフォルデにとっては意想外のものだったのだろう。そんなフォルデに、ラグは苦笑して答えた。
「なんかすること、っていうか。俺が傭兵をやっていたのは、主にヒュダ母さんを助けるためだったからな。魔物を倒して貯めた資金から分けてもらえる分だけでも、ヒュダ母さんが安楽に暮らすには十分な額になるだろうし。ヒュダ母さんももう年なんだ、すぐそばにいて見守って助けてあげられる人間が必要だろうからな。それが俺で、別に悪いこともないだろう? 俺たちを動かすために、ヒュダ母さんたちに手を伸ばすような輩から身を護るための手も必要だろうしな」
「そりゃ……まぁ、そうだろうけどよ。……………」
 フォルデは眉を寄せた表情で黙り込む。ラグの言葉に反感というか、いわく言い難い違和感を覚えながらも、それをうまく言葉にできない、という顔だとセオには思えた。
 セオとしては、ラグがそういった生き方を選ぶのはごく自然なことだと思えたし、反感も拒否感もまるで感じなかったのだが、それはパーティ内では少数派のようだった。ロンは鼻を鳴らしてフォルデ同様黙り込み、レウも『うまく意味が呑み込めない』という顔で首を傾げる。
 ラグは苦笑した顔のまま、仲間たちの反応には言及せず、さらりと話を続けてみせた。
「まぁ、セオに俺の助けが必要になれば、いつでも手を貸すつもりではあるけどな。……フォルデは、なにかやりたいこととかあったのか?」
「はっ……? ……や、まぁ、別にねぇっちゃねぇけどよ。旅に出る前は盗賊として名を売って、アリアハンの盗賊ギルドを手中に収めてやる、なんつーことを考えてはいたけどな」
「? 今は考えてねーの?」
「ああ。こんなレベルになっちまったら、そんなもん弱い者いじめ以外の何物でもねぇだろ。ぶっちゃけ盗賊ギルドを支配するなんてぇことはさして苦でもねぇだろうし、世界中の盗賊ギルドを手中に収めて裏の世界の帝王の座に収まる、ってことだって大して苦労もせずにできちまうことだろうと思う。そんなん、周りにクッソ迷惑な上にやる意味が欠片もねぇだろ。裏の世界に帝王がいたところで、クソどもが減るわけでも、クズどもを殺しやすくなるわけでもねぇしな。俺が自分でやるのが一番早ぇんだから」
「そっかー」
「……いや、一応人殺しはできるだけ避けてくれよ? 勇者のパーティがどうこうっていうのはともかくとしても、それこそお前の言う弱い者いじめだし、仲間がむやみに人殺しをしているなんて言われたら、俺としては止めるために全力を尽くさないわけにはいかないからな?」
「弱かろうとなんだろうと、クソクズどもはとっとと消し去るに越したこたねぇだろ。ゴミ掃除とおんなじだ。こまめにやっとかねぇと、すぐに腐って蛆が湧く」
「お前な……」
 ラグは少しばかり自分の様子を気にして意識を向けたが、セオは特に反応を返しはしなかった。それが一番、ラグとフォルデの想いを効率よく伝えることができるだろうからだ。
 フォルデの心を、実際にはラグはとうに感じ取っているはずだ。だからこそ、フォルデが人殺しを公言しても、まるで不快を感じないのだろうから。セオにできるのは、その心の行き交いの邪魔にならないようにすることがせいぜいだろう。
 ラグはセオの方をちらちらと見やり、困惑の面持ちになりながらも、結局フォルデの言葉について咎めることはしようとしない。ので、セオは内心ほっとしていたのだが、フォルデが眉を寄せ、自分を睨み回し始めたのにはセオの方が困惑し、問いかけざるをえなかった。
「あの、なにか……俺が、失礼なことを……?」
「……べっつに。なんでも……」
「ああ、いまさらちょっとした誤解で感情の行き違いを起こされても困るので説明してやるとだな。フォルデは、自分が当然のように人殺しをする、という発言に対し、セオが傷ついたり、衝撃を受けたりするんじゃないかと考えて構えていたわけだ。それでも自分の正直な心の在り方をごまかすのは嫌だという気持ちから、あえてああいう発言をしたわけだな。で、それに対してセオの方は、フォルデが好き好んで簡単に殺人を犯すはずはない、もしそんなことをしたならば、それは本当にやむにやまれぬ事情があったからだ、と当然のように考えるくらいフォルデのことを信頼している。なのでフォルデの発言をまるで気にしなかったわけだ。どんな過激な発言をしようとも、実際にはこの上なく優しい人だ、とフォルデのことを『知って』いるからな」
「っ………」
「? えっと……なにか、俺、誤解とかしちゃって、ました……? なにか、みなさんの足を引っ張るような、ことを……」
「いやいや気にすることなど微塵もないぞ。ただ単に男がその若さに任せて自分を抱きしめる手に噛みついてみたというだけの」
「気っ色悪い言い方してんじゃねぇこのクソ賢者っ!! ちったぁまともな口の利き方できねぇのかっ!」
「俺としては十二分にまともだと考えている。中年男が若い男同士の心の行き交いを愛でてなにが悪い?」
「その抜かしようが気色悪ぃってっ……! だーっ、おいレウ! お前は旅が終わったらどうするつもりだったんだよっ!」
「へっ?」
 レウは不意をつかれた、という顔できょとんとした。そしてなにを言っているのかわからない、という顔のまま首を傾げてみせる。その反応のなさに、ラグとロンは一瞬ひそやかに視線を交わし、フォルデは眉を寄せてぶっきらぼうに告げた。
「なんにも考えてねぇってんならそう言いやがれ。別になんか考えてなきゃいけねぇってわけでもねぇんだしよ」
「あ、そーなのっ? よかったー、ほっとした! なんか考えてなきゃいけない話だったのかなって焦っちゃった!」
 とたん、レウはいつもの元気な笑顔になって安堵の声を漏らす。その声音に、ごまかしようのない真実の感情がひそめられているのを感じ取って、セオは芋を潰す手を止めて、レウと真剣な面持ちと心情で真正面から向き合ってみせた。
「せ、セオにーちゃん、なに?」
「もし……バラモスを倒して、その後、大魔王ゾーマを倒した、後になっても、自分が、なにをするつもりなのか、なにをしたいのか、わからなかったら……俺と一緒に、いれば、いいんじゃないかな。レウはまだ、成人もしていないん、だから……自分の進む道を、決めるには、まだまだ時間の余裕があって、当たり前、だと思うから」
「えっ……いいの!? ホントにっ!? やったぁっ、セオにーちゃん大好きーっ! うん、ぜったいずーっと一緒にいるっ!」
「馬鹿かてめぇ料理してる最中に人に抱きつこうとしてんじゃねぇっ!! まず包丁を置け包丁をっ!!」
「いっだぁっ!! だっ、だから途中でやめたじゃんっ!」
「包丁持ってること忘れて抱きつこうなんてしてる時点で問題外だってんだよっ! っとにてめぇはいつまで経っても家事の腕が上達しねぇな……!」
「わ、悪かったってばぁ……ごめん、セオにーちゃん」
「え、と、あの……俺のことは、気にしなくて、いいけど……包丁を持っている時は、気をつけよう、ね?」
「はぁーい……ごめんなさい……」
 しゅんとしてしまったレウに思わずわたわたするセオに、ラグが苦笑しながら問いかける。
「セオはどうなんだ? 確か、前はダーマの民間支援顧問になることを考えてる、とか言ってたよな」
「あ……はい。なれるかどうか、はまだ、わからないん、ですけど……魔王バラモス、の問題を解決する、ことができたなら、ある程度所属に、ついてもわがままを、言うことができるんじゃ、ないかって……」
「ふぅん……今は? 大魔王ゾーマ、っていう新しい敵が存在することを知って、その考えは変わったかい?」
「えと……変わった、っていうか。これまで、この世界の誰も、行ったことのない場所、に行くことになる、わけですから。なにが起こるか、わからないっていうか、未来がどうなるか、全然予測が、つかないので。大魔王を倒すまで、どれほど長い旅が必要か、もわからない、ですし……今から考えてても、無駄になる可能性、が高いんじゃないかな、って思って……」
 セオの言葉に、ラグがふっ、と優しい笑みを浮かべた。ロンがくすりと笑い声を立て、フォルデがふん、と面白がるように鼻を鳴らす。そしてレウは目を輝かせながら包丁を置いて、ほとんど体当たりするようにセオに向けて突撃してきた。
「そーだよなっ! この先どーなるか、わかんねーもんなっ! 旅はまだまだ続くかもしんねーもんなっ!」
「飯作ってる時にはしゃぐんじゃねぇ! まず包丁を置けたぁ言ったが、包丁置いたら暴れていいっつーことでもねぇんだぞっ!」
「うむうむ、反射で怒鳴り声がさらさら出てくるフォルデがいてくれると、子供のしつけは楽でいいな。ま、フォルデも表に出さないだけで、また新たな未来が開けたことに、心躍らせていることは間違いないだろうが」
「お前もな。俺も正直、まだ旅が続くことに――それも新たな世界での旅が始まることに、わくわくしない気持ちがまったくないっていうと嘘になるし。ま、まずは魔王バラモスをきっちり倒さないと、皮算用にしかならないだろうけど……そこのところは、わかってるよな、みんな?」
「とーぜんじゃんっ!」
「当たり前だろーが」
「むろんのこと」
「………はい」
 手を動かしながら、パーティの仲間たちがそれぞれに、それに混じるようにセオも一緒に、力を込めてうなずいた。そう、目の前のことを片付けるのに必死で、あまり意識はしていなかったけれども――魔王バラモスの問題を解決することで終わりを迎えるはずだった旅は、仲間たちとの旅は、さらにまだまだ続くのだ。

 魔船で楽しく宴会をして(全員が心を浮き立たせ、これからの未来への希望に満ちているようにセオには見えた)、ルーラで魔船ごとポルトガに転移し、ポルトガ王に謁見して、明日バラモスの居城に向かうことを告げたのち、魔船を返却して。竜の女王の城までラーミアの翼で飛んで(竜の女王の城はルーラでは転移できないようになっているので、ラーミアはわざわざ自分たちのルーラに相乗りしてきてくれたようなのだ。さすが神鳥というべきか、そういった能力は豊富らしい)、城の人々とひそやかに言葉を交わしつつ、準備してもらった部屋で眠りについて。
 翌朝、自分たちはラーミアに乗って、魔王バラモスの居城へと向かった。希望に満ちて――向かう先で起こることについて、まるで知らないままに。

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