○○があらわれた!
『アガォォォッ!!!』
 ゴウッ! と空気すら焼き尽くす猛炎がゲットごと敵を飲み込んだ。ディラは持ち前の身軽な動きで巧みにかわしている。ドラゴラムで変じたドラゴンの炎は呪文と同様目標を選択できるとはいえ、やはり炎に巻かれるのは気分的に嬉しくないのだろう。
 まだ逃げ出していなかったはぐれメタル三体がまとめて炎に焼かれて消滅したのを見て取り、ユィーナは会心の笑みを浮かべつつぐっと拳を握り締めた。これで経験値30150だ。
 魔物を倒した時の経験値は勇者の力の源であるサークレットに記録されるから、魔力回路を動かす力があれば誰でもわかる。はぐれメタルの経験値は全魔物中で最高と言われている40200。それを四で割って一体につき一人10050。この辺りの魔物の経験値の平均が2000強だということを考えれば、効率は実に四十倍にもなる。
 アレフガルドにも勇者が存在していたのは救いだった。ダーマの神殿が存在していなかったので転職という概念こそなかったものの、勇者たちの戦闘情報の集積、すなわち魔物たちの情報はアレフガルドの書庫にしっかりと記録されていたのだ。
 そしてここ、リムルダールの近辺にはぐれメタルの群生地が存在する、ということを知ったユィーナは、最優先の目的地をリムルダールに定めた。
 そしてリムルダールに到着するや、ダーマに飛んで自分と同様すべての僧侶・魔法使い呪文を覚えたヴェイルを盗賊に再転職させ、ガルナの塔と同じように怒涛のごときレベル上げを開始したのだ。
「……つか……あとどんくらいはぐメタ倒さなきゃなんねーわけ?」
 ドラゴラムを使ってはぐれメタルを全滅させたヴェイルが体を元に戻し、荒い息をつきつつ地面にしゃがみこむ。ドラゴラムによる竜への変化は体力を消費するので常に変化しているというわけにはいかないのだ。
 ご苦労様、と言うべきかどうかしばし迷ったが質問への答えを優先させた。それに自分のような冷たい女が褒めたところでヴェイルは嬉しがったりしないだろうし。
「とりあえずの目標はあと209体というところでしょうか」
『……はぁ!?』
「おいおいちょい待てよ、俺もーすぐみんなのレベルに追いついちまうんだぜ? そりゃ盗賊に戻れたのは嬉しいし、戻ったんならみんなにレベル追いつきたいけどさ、209体って……やりすぎじゃね?」
「ヴェイルももう昔のスピードすっかり取り戻してるし、なにもそこまで上げなくてもいいんじゃない?」
 二人のいつもながらに日和見な言葉に、ユィーナはきっと二人を睨み据えた。
「いいですか、ヴェイルがドラゴラムを覚えたことでメタル戦の効率は一気に層倍しました。これまではせいぜいが一度に一〜二体しか倒せなかったメタル系モンスターが、時には三体、いいえそれ以上すら夢でないほどになったのです。最初にヴェイルがドラゴラムを唱えてから私がピオリムをかければ、逃げていないメタル系モンスターをすべて倒せる炎をほぼ100%の確率で最速で吐くことが可能になります。これがなにを意味するかわかりますか」
「え、え?」
「えーと、ドラゴラムを使える盗賊がいると便利?」
「当たってはいますが正解ではありません。動きの速さが人間の限界にまで達したドラゴラムを使える人間がいる。口笛で時間をおくことなく魔物は呼び出せる。はぐれメタルの群生地が目の前にある。――これすなわち、経験値の稼ぎ時、ということです」
『……はぁ』
「ゾーマがバラモスよりもさらに強い敵であることは明白です。けれどそれ以外に情報がない。つまりこちらの取れる手段としては目下の懸案事項が悪化する可能性が生まれるまで全力でレベル上げをすることのみです。アレフガルドは闇に閉ざされてはいますがゾーマの力で植物は育っていますから食糧危機の心配はない、ゾーマも人間に対し攻勢に出ているわけでもない。精霊神ルビスも封じられてはいるものの巫女に声を伝えられる程度の元気はある。ならば今のうちに上げられるだけレベルを上げておくことが肝要と私は判断したのです。わかりましたか」
『……はい………』
 ヴェイルとディラはうなずいた。よろしい、とユィーナもうなずいて、ゲットの方を向き――
 襲いかかってきたところを即座に鋼の剣で迎撃した。
「あなたは何度私に注意させれば気が済むんですか目が合っただけで誘われていると思い込むのはやめなさいと言ったでしょう何度も何度も!」
「違うっ! ユィーナ、それは違うぞっ! 俺はただユィーナがこっちを向いてくれたからようやくいちゃいちゃしてもいいと許可をくれたのかな、と思っただけだ! 俺だってお前により愛してもらえるように日々努力して進歩しているんだぞっ!」
「それのどこらへんが進歩なんですか言ってみなさい速やかに、というか私がいつあなたを愛したというんですかそんな事実は微塵もありません!」
「なにを言うんだユィーナ俺たちは昨日も愛を交わしあったばかりじゃないか! 俺の剛直を受け容れて上げてくれた喘ぎ声を俺はしっかりと覚えて」
 ディラのハイパーコンボとユィーナの鋼の剣の十三度の殴打がゲットを打ちのめす。ゲットは鼻から血を噴き出しながら倒れた。
 ユィーナははぁはぁと息をつきながらゲットを睨みつける。なんで。なんでこの男はこんなことを言うのだ。
 自分は。自分は自分は。恋愛なんてしていい人種ではないのに。恋人なんて存在は持ってはならないのに。
 どうしてこの男は、いつもいつも、全力の感情をぶつけてくるのだろう。
 ヴェイルがひっくり返っているゲットに近づいて助け起こす。
「……ったく、お前も毎度毎度懲りないっつーかなんつーか……大丈夫か?」
「ふっ、俺のみなぎるユィーナへの愛はいくら血が流れようとエニイタイムバーニング中さ……」
「はいはい……それはいーから、立てるか?」
「ユィーナが投げキッスのひとつでもくれれば俺は即座にパワー全開で」
「だから、それはいーから。立てねーんだったらとっとと回復しろよ……ったく、動くなよ。体よ、魂の器よ、命持つものよ――=v
「っ!」
 ばっ、とユィーナは輝き始めたヴェイルの手を止めた。
「え?」
「………?」
「あらー、どーしたのユィーナ?」
「…………っ!」
 ユィーナは一瞬固まってからカッと顔を赤らめた。なにを。なにをやっているんだ自分は。
 ゲットがこうして自分たちに殴り倒される時、ゲットはたいてい自力で復活して回復してきた。ガルナの塔でゲットはすでにベホマは覚えていたし、そう手間なことではない。
 だから今回も自分で回復するだろうと思っていた。もちろん、だからといってヴェイルが回復して悪いことはない。ヴェイルはこれまでも何度か、こういう時にゲットを助け起こしたり回復したりしてきた。最近はゲットの回復力がとみに増加してきたのでそういうこともなくなってきたけれども。それはヴェイルの仲間に対する庇護欲から来るものだろう、決して悪いものではない。だからヴェイルがゲットを回復して悪いことなど少しもない――それはわかっているのに。
 今一瞬、ユィーナは『嫌だ』と思ってしまった。
『自分がゲットにつけた傷を、自分じゃない人間が癒すのは嫌だ』――そんな馬鹿馬鹿しいことを、一瞬思ってしまったのだ。
「なんだよ、どうかしたのか、ユィーナ?」
 ヴェイルが聞いてくる。ゲットがじっと静かな瞳で自分を見つめる。ユィーナはかーっと頭にどんどん血が上るのがわかった。
 なにか言わなきゃ、なにか、なにか――自分でも明晰だと自負している頭脳を必死に回転させるが、思考は空転して言語機能は過負荷がかかったように動かない。なにをやっているんだなにをなにを――こんなの自分じゃない、自分はこんなこと思ったりするはずがないのに――
「……っきゃ!」
 ディラの叫び声が聞こえる。反射的にそちらを振り向くと、自分たちから離れた場所にいたディラが大きく飛び上がるのが見えた。――ダースリカントの群れが、ディラを襲っている。
 ディラはダースリカントに取り巻かれて袋叩きにされかかっていたが、宙に飛び上がって囲みを脱し、各個撃破を試みはじめた。左肩に爪が突き刺さったのか、服が切り裂かれて血が噴き出している。腹からも。
 ヴェイルが慌ててベホマの呪文を唱えなおし始める、ゲットがダースリカントの方へと突撃する。
 そして、ユィーナは――
 一瞬遅れて、イオナズンの呪文を唱え始めた。
「大気、大地、炎。三つの元素は集まりて、極小を壊し、極大を破する。原初の混沌より生まれし始原の光よ、三位の力によりて生まれ出でてすべてを飲み込め!=v
 圧倒的なエネルギーの奔流。ダースリカントはすべてそれに飲み込まれて消滅した。魔物の特性通りに、さぁっと体が崩れて跡形もなく消え去る。
 ディラがはーっ、と深々と息をついた。
「はー、失敗したー……修羅場っぽくなってたからって遠くから覗き見を楽しもうなんて考えるんじゃなかったわー」
「てめぇそんなこと考えてたのかよ!」
「自業自得だな」
「なーによその言い草ー、あんたみたいな色ボケに言われたかないわよ」
「色ボケだと? そんな言葉で片付けるな。俺は全身全霊をユィーナへの愛に捧げているんだ」
「それが色ボケ以外のなんだっつーのよ」
「ほらほら喧嘩すんなよ。どっちも今回復してやるから。ユィーナも手伝ってくれよー」
「………………」
「……ユィーナ?」
「………え」
 問われて、ユィーナはようやく自分が硬直していることに気がついた。
 自分は、さっき、なにを。
 なにを、していたのだ?
「どうしたんだ、ユィーナ。どこか怪我したのか? 痛いのか? 腹が減ったのか?」
「怪我するわけねーだろ、攻撃されてねーのに」
「馬鹿者ユィーナは繊細なんだぞっ、空気の流れが肌を切り裂くことだってあるかもしれんだろうがっ!」
「そーいうのは繊細って言わないんじゃないのー? かまいたちが起きれば誰だって肌ぐらい切れるわよ」
 仲間たちがにぎやかに話している。それをユィーナは呆然と見つめた。
 自分の仲間。自分が選び、自分の計画に添ってここまでやってきた仲間。命を預け、預けられる、信頼しあう存在。自分の最優先の、なにをおいても守るべき庇護対象。
 ――だったのに。
 ぶわ、とユィーナは瞳から涙を流し始めた。
「わ!? どうしたんだよユィーナ!?」
「ちょ……どしたのよ、大丈夫?」
「ユィーナっどうしたっどこか痛いのかっ!? 誰かにいじめられたのかっ!? 心配するな俺がそんな奴ら根こそぎぶっ殺して――」
 ユィーナは必死に首を振った。涙は止まらなかった。仲間の優しい言葉、自分を気遣う言葉、自分を大切にしてくれる言葉。それがどんなにありがたいものだったのかユィーナは初めて気がついた。
 ――だって、自分はもうそれに値しないのだと知ってしまったから。
 さっきの一瞬。自分は、ダースリカントの襲撃に気づかなかった。そんなこと普段なら絶対ありえないのに。確実に認知して対処できていたはずなのに。のみならず行動が一瞬遅れた。命をかけた実戦のさなかで、そんなことがあってはならないのに。
 ディラに怪我をさせてしまった。――ディラの命を、無駄な危険にさらした。
 自分の、くだらない――ゲットに対する感情のせいで。
 自分がなによりも唾棄すべきだと考えていたことを、実際にしてしまった。個人的な感情に支配されて、他人の命を危険にさらした。
 死んでもまず生き返ることはできる。けれど100%ではない。だから自分はその確率を少しでも、仲間が死ぬ確率を低くするため、必死に勉強して、どうすれば効率がいいか研究して、レベルを上げてきたはずなのに。
 それを自分から、無駄にした。
「ごめんなさい……」
「どうしたユィーナ、なにを謝る」
「そーだよどーしたんだよ、なに泣いてんだ?」
「ごめんなさい……」
 それなのに――それなのに。
 個人的な感情で人の命を危険にさらしておきながら、自分は。こんな感情なくしてしまいたいと心から思っているのに。
「ごめんなさい………」
 まだ、ゲットのことが、好きなのだ。
「謝ってばっかじゃわかんないって、一体どーしたってのよ?」
「――ごめんなさい。私は、もうあなたたちと旅を続けることはできません」
『は?』
「私は、パーティから抜けます」
『はぁぁぁぁぁぁ!!?』
 絶叫ののち、ゲットが即座に自分を押し倒してきた。
「なぜそんなことを言うんだユィーナっ! 俺とお前はすでに一時すら離れられぬラバーアムールアマントじゃないかっ! 俺たちはなにがあろうと絶対に離れたりはしないと幾度も愛を交したたびに誓い合ったじゃ」
「こんな時まで阿呆言ってんじゃないわよオラオラドララ!」
「げぶふぁっ………?」
 ディラのコンボが決まっても、ゲットは倒れなかった。不思議そうな目でこちらを見つめてくる。
「どうしたんだユィーナ。本当に、なにかあったのか?」
「…………」
「ユィーナ」
 ゲットがそっと自分の頬に触れる。ユィーナはぱしっとその手を振り払った。
 そして、地面に押し倒されたまま、嗚咽を漏らす。
「う……う、う……ううぅ――――っ」
「ユィーナ……」
 ひどく、たまらなく不安そうな、泣きたくなるほど切なげな瞳でこちらに向けて手を伸ばしてくるゲット。ユィーナはそのことごとくを振り払って、嗚咽を漏らし続けた。
「ううう―――っ」
「ユィーナ………」
 自分がたまらなく汚らわしく思えた。あの時から。八年前のあの時から、自分はずっと胸を張れるように、自分で自分を誇れるように努力を重ねてきたというのに。
 ――自分は、ゲットの好意に値しない。
 この期に及んでそれが一番辛い自分が、世界で一番汚らわしいと、ユィーナには思えた。

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