恋する人形4
「……アリーナ、お前どうだよ、最近クリフトとは?」
 稽古のあとの休憩時間でそんなことを聞くと、アリーナはきょとんと首を傾げた。
「どうって?」
「だからさ……話してみるって言ってただろ?」
「ああ……」
 アリーナは沈んだ顔になった。オレンジ色の長いまつげが頬に影を落とす。
「駄目。わたしがちゃんと話してってどんなに言っても、真っ赤な顔して『私は姫様の忠実な僕です。それ以外の感情など入る余地はありません!』って言うばっかりで。まともな話にすらならないわ」
「そっか……」
 あいつ頑固だからなー。聞かれてるんだから言っちまやいいと思うのに。チャンスだろ、普通に考えて?
「……ユーリルは? マーニャに相手してもらえるようになった?」
「んー……いろいろアプローチはしてんだけどなー……」
 スタンシアラでデートに誘ってみたり、食事当番一緒にやらないかとか聞いてみたり。
 けどみんなうまいことかわされちまう。仲間∴ネ上の感情をちらっとでもおれが見せると、『悪いけどあたし、そんなに暇じゃないのよね』とすっと身を引いてしまう。
『なんでおれじゃ駄目なんだ』っておれは何度も聞いた。『納得できるように話してくれ。おれのどこがそんなに気に入らないんだ』って。
 するといつもマーニャは困ったように笑って、『そんなことを簡単に聞けちゃうようなガキなところよ』って言うんだ。
 ガキ。相手にする価値がない。相手にしていてもつまらない。
 そう言われちゃうとおれとしては、どうしようもなくなっちゃうんだ。どうすればガキじゃなくなれるかなんてわからない。マーニャを諦めるしかないのかな、とか思う。
 だけど、おれは。本当に。マーニャ以上にきれいに見える女なんて、誰一人いないんだ―――
「……わたしじゃ駄目なのかしら」
 ぽそり、とアリーナが言った言葉に、おれは目を見開いた。
「駄目、って?」
「お父様やブライだったら、もっと上手に聞き出せるのかしら。クリフトがなにを思ってるか。なんであんなに辛そうなのか。……ブライに頼んでも、『姫様が気にすることではありませぬ』とか言って相手にしてくれなかったけど」
「………………」
「自分にはできないことを思い知らされるのって、すごく辛くて、苦しいことなのね。どんなに頑張ってもクリフトに言葉が届かなくて……なんていうか……なんていうか……」
「惨め?」
 アリーナはばっと俺を見上げる。まじまじと俺を見上げて、こくこくとうなずく。
「ユーリルも……そういう風に思うことがあるの?」
「そりゃそーだよ、思いまくりだよ。マーニャと話してるとしょっちゅう思うし、クリフトもこっちが言うことまともに耳に入れてくんねーし。すっげぇ……惨めっつーか、虚しいっつーか、自分がバカみてぇに思えてくんだよなー」
「………………」
「こんな思いするくらいならいっそこっちも相手しなきゃいいのかなー、なんて思うけどさ。……それでも、やっぱり……」
「大切だものね、どっちも」
 そう言ってアリーナは苦く笑んだ。おれも共感のこもった苦笑を浮かべる。アリーナが今どんな気持ちか、すげぇよくわかった。本当に惨めで、寂しくて辛いんだけど……どうしても諦められないんだよなー。
「おれたちがこんなに一生懸命あいつらのこと考えてることあいつら知ってるのかな。だとしたらすっげー意地悪だよなー、こっちは本当に必死なのに」
「そうよね。クリフトもマーニャも意地悪よ。わたしたち、自分のできる精一杯で話をしようってしてるのに。……それがまるで意味のないことみたいに扱われるのって、どんなに寂しいか、わかってるのかしら」
「うん……」
 クリフトやマーニャにも言い分はあるんだろう。でもおれには、アリーナの言うことの方がよくわかる。だってそうじゃないか、こっちの精一杯のアプローチをなかったことにされちゃ、おれたちだって寂しいよ。
「……ねぇ。ユーリル、相談なんだけど」
「ん?」
「ちょっとお互いの相手と、話をしてみない?」
「へ?」
 真剣な顔で見つめられ、おれは目をぱちくりさせた。アリーナは稽古の時みたいに真面目な顔で、おれをじっと見ている。
「お互いの相手って……おれがクリフトと、アリーナがマーニャと?」
「うん。違う人になら、もしかしたら案外あっさり話してくれるんじゃないかと思うの。相手の相談に乗る、みたいな感じで。マーニャはわたしには優しいし……」
「そりゃそうかもしれないけど……クリフトとちゃんと話できる自信なんておれないぜ」
「でも、クリフトはユーリルにはいつも本音を話してたみたいだったわ。わたしには言ってくれないこともユーリルになら言うかもしれない」
 そりゃおれはクリフトがアリーナ好きなこと知ってるから無理に隠そうとしないだけで……つか……。
「おれにとっては嬉しいけど……おれ、たぶん役に立てないと思うぜ」
 おれはクリフトがアリーナを好きだってことを、勝手に告げてしまう気はないのだから。
 だけどアリーナはぷるぷると首を振ってきっとおれを見た。
「やる前から諦めてちゃ駄目よ! わたしも頑張るから、ユーリルも頑張って! わたし、みんなで仲良く旅をしたいって思うの! だから一緒に頑張りましょう?」
「頑張ってすむことならいくらだって頑張るけどさぁ……」
「じゃあやりましょうよ! クリフトもマーニャも、わたしたちと仲良くできるなら、そっちの方がいいと思うに決まってるわ!」
「…………わかった。やれるだけはやってみるよ」
 おれは覚悟を決めた。おせっかいっていう気がしないでもないけど、クリフトにアリーナとちゃんと話をするよう、もう一度言ってみよう。
 人の恋路に口を出すなんてって人には誹られるかもしれないけど。おれ、アリーナの気持ちよくわかっちまうんだもん。相手の気持ちがわからないっていうのは、話してくれないっていうのは、すごく寂しくて、辛い。
 アリーナには笑っていてほしいもんな。こいつは仲間だし、今じゃたぶん一番親しい女友達だし――こいつは笑顔の方が似合うと思うし、さ。

 というわけで、稽古を終えるとおれはクリフトを探し始めた。クリフトは普段アリーナのそばにいるか、さもなきゃ部屋で本読んでるか、旅の途中の雑事を片付けている。基本的に休むということを知らない、おっそろしく真面目なやつだ。
 まー、だからこそあの年で一人前の神官として認められたんだろうけど。クリフトのそーいうとこは実際尊敬できんだけどな。
 で、まぁ、今回の稽古の治療役はミネアだったんで、クリフトはたぶん部屋か台所かのはずだった。
「クリフトー」
 言いながら台所をのぞくと、果たしてクリフトはいた。台所で、保存用の魔法具でもたせておいた卵やら牛乳やらフルーツやらを使って――ケーキを作っている。
 なぜかっつーと、単純な話でアリーナが今朝「そういえば最近ケーキ食べてないなぁ」とか言っていたからだ。このアリーナ馬鹿はそれを聞くや、姫様の午後のおやつにケーキをお出しするため、秘蔵の食料を使ってケーキを焼いているわけ。
 今もぷぅんと甘い、いい匂いが台所中に漂っている。何個作る気なんだろうこいつ、もうすぐ昼ご飯なんだけどオーブンはフル回転中だ。
「なにか?」
 クリフトはちらりとおれの方を見て、そっけなく返した。
「あのさー。今、ちょっと話いいか?」
「……調理をしながらでよろしければ」
 話しながらもクリフトの手はてきぱき動いてクリームを泡立てていく。うまそうだなーと思ったけどおれにまで回ってくるかなーと思うと見通しは暗い。
「いいよ。アリーナのことなんだけど」
「姫様がなにか?」
 手を止めて、いきなり真剣な顔になって聞いてくるクリフト。……なんつーかさー……別にいいけど。
「アリーナにさ、頼まれたんだよな。クリフトの真情を聞いてこいって」
「…………………」
 クリフトは黙り込んで、作業を再開した。無言で手を動かすその姿にはこっちに対する明らかな拒絶が見て取れたけど、おれもそれで引っ込むほど気ぃ弱くない。
「クリフト、お前さ。本当に全然告白する気ねぇの? 向こうがわざわざ聞いてきてるのに?」
「……ありません」
「なんで。向こうだってちょっとやそっとじゃ諦めねぇと思うぞ? あいつ本気でお前の真意知りたがってんだから」
 そのきっかけになったのが俺だってことは言わずにおく。言ったら絶対怒鳴られるもん。
 クリフトは、また手を止めて、小さく息をついた。
「私は、たとえ殺されても自らの胸の内を告白する気はありません。――たとえ姫様のご命令でも」
「……じゃあ、アリーナにはあくまでお前の気持ちがわかんないで辛い思いさせとくってことか?」
 クリフトは小さく息を吐き、うなずいた。
「はい。そうなるでしょう」
「……なんでだよ。お前、アリーナが大切なんだろ? アリーナが苦しいのは、お前だって嫌じゃないのかよ?」
 クリフトは少し笑った。――ひどく暗く、苦しげに。
「あなたは本当に素直な人ですね。――私は、あなたが考えているよりずっと、エゴイストなのですよ」
「…………」
「私の望みはただひとつ。――姫様のそばにいたい。朝も昼も夕も姫様を見ていたい。ただ、それだけなんです」
 クリフトは笑顔で言う。その笑みは、ひどく歪んだ、寂しげなものだったけれど。
「姫様に告白してしまえば、主によからぬ想いを抱いていることが知られれば。姫様のそばにはいられなくなる。姫様に近づけなくなる。――それを避けるためならば、私はなんでもするでしょう」
 クリフトは淡々と、そしてきっぱりと告げる。その表情からは容赦ないまでの本気が窺えた。こいつは、真面目で神の教えってのを金科玉条にして生きている本気でどこの聖人だって行動しやがる人間のくせして、アリーナのそばにいるためなら本当に、人殺しでもなんでもするだろうとわかる。
 おれは、なんて言えばいいのかわからなくなった。納得してないはずだった、言ってやりたいことが山ほどあるはずだった。それは今でも変わらないのに。
 この凄絶なまでの覚悟の前では、どんな言葉も色褪せて思える。
「……想いを告げないままそばにいることの方が、辛くないか?」
「――もう、慣れましたから」
「いつかたまんなくなって言っちゃう時が来るかもしれないぜ? それならいっそ、とか思わねぇ?」
「そんなことがあれば、私はその前に自分を殺します」
「……っああもう!」
 おれはがしがしと髪の毛をかき回した。おれはこの時初めて、この自分と同年代の神官がたまらなく可哀想だと思った。切ないくらい馬鹿な、この男が。
 そして、それと同じくらい、もしかしたらそれ以上にたまんないくらい、こいつに腹が立っていた。
「どうしてそうなるかなお前は! アリーナがお前を好きになってくれて身分もなんも乗り越えちゃう可能性とか考えないわけ!?」
「――そのようなことは、ありえません」
「どうしてそう決めちゃうんだよ! 好きだって思うならそいつと一緒に幸せになろうって、なりたいって思うもんだろ!? どーしてあっさりその気持ち諦めちゃえるわけ!?」
「私は姫様という方を知っているだけです。物心ついたころから共に時間を過ごさせていただいてきましたが、あの方が私を見てくださったことはない。おそらくこれから先もずっと私を見てくださることはないでしょう。私にはわかっているんです、私は姫様にはふさわしくないということが」
「―――バカかっ! お前なぁ、言う前から自分で勝手に決めんなよ! なんだかんだ言ってるけどなぁ、要するに、お前に勇気がないってただそれだけじゃないのか!?」
「――――――」
 クリフトの顔からすとん、と表情が消えて、おれははっとした。きゅっと唇を噛み締めて、のろのろと言う。
「……ごめん。言いすぎた」
「………いえ」
「だけど……やっぱりおれにはおれの言ったことが間違ってるとは思えないよ」
 おれはきっと顔を上げてクリフトを見つめ言う。そりゃいろんなしがらみもあるだろう、相手に拒絶されてそばにいられなくなったらって思う気持ちもわかる。だけど。
 おれだってお前らが大切なんだよ。お前らが幸せになってくれたら嬉しいって思うんだよ。
「告白したらそばにいられないって決まったわけでもないし、告白が断られるって決まったわけでもないだろ。……勇気出して賭けてみて、うまくいけばよし、うまくいかなければいかないでまた新しい関係を二人で築いていこうって――そういう風には考えられないか?」
 クリフトは、おれの言った言葉を最後まで聞いて、それからふっと笑った。静かに、寂しげに顔を歪めた笑みを。
「――あなたは、いい人ですね」
「―――は?」
「あなたの言う通りです。私には勇気がないんです。ただ――それだけなんですよ」
 そう言ってクリフトはケーキ作りを再開する。
 おれはそれをしばらく眺めて、肩を落とし、アリーナのところへ向かった。クリフトの気持ちを変えさせることはできなかった、と言わなければならない。
 ――力が及ばないという思いは、何度味わっても、慣れるもんでも嬉しいもんでも気持ちいいもんでもない。

「アリーナ……」
「え!?」
 なんだかぼうっとしたようにふらふらと廊下を歩いていたアリーナに声をかけると、アリーナは飛び上がらんばかりに驚いてこっちを見た。
「ユ、ユ、ユーリル!?」
「………? どした、なんかあったのか?」
 あまりに不審なその動きにそう訊ねると、アリーナは顔を真っ赤にしてぶるぶるぶるっと首を振った。
「ううんっ! なんでもないのっ、ホントに全然なんでもっ!」
「……あんま、そうは見えねぇけど?」
 おれが眉を寄せてそう言うと、アリーナはぶんぶか首を振って怒ったように怒鳴る。その顔は相変わらず真っ赤だ――なんだこれ?
「なんでもないったらないの! 細かいこと気にするなんて男らしくないわよ!」
「細かいか?」
「細かいわよっ! それよりなにか用っ!?」
 アリーナは顔を真っ赤にしながらこっちを睨む――なんなんだ、なに怒ってんだアリーナの奴?
「……クリフトのことなんだけど。やっぱ、考え変えさせられなかった。ごめん」
 そう言っておれは頭を下げた。とりあえずきっちり言うことは言っとかねぇと。
 そう言うとアリーナは一瞬ぽかんとしたように口を開けて、それから苦笑した。
「そっか」
「うん……ごめんな、やっぱおれじゃ駄目だった」
「そんな、いいわよ。わたしだって……マーニャにちゃんと話聞くことできなかったし。うまく……誤魔化されちゃって」
 そう言ってまた顔を赤くする。……なんかマーニャにされたのか? キスとかハグとかぐらいなら天然なアリーナはあっさりスルーしちまうと思うんだが。
「誤魔化されたって、どうやって?」
「―――っ、ひ、秘密っ! じゃあねユーリル、またご飯の時に!」
 そう言って顔を真っ赤にして、アリーナは駆け去っていく。残されたおれはちょっと呆然として呟くしかなかった。
「……なんだぁ……?」

 それからしばらくというもの。おれはアリーナに、あからさまに避けられていた。
 稽古しようぜっつってもわたしもう済ませちゃったからとか言うし、掃除一緒にやろうぜっつってもわたしクリフトに呼ばれてるからとか言うし。メシ食うときも徹底的に視線を合わそうとしない。
 なんで避けるんだよ、と聞いてみると避けてなんかいないわよ! とか怒鳴られた挙句逃げられるし。周りの人に聞いてみても変だとはみんな言っていたがなんで避けてるのかは誰も知らなかったし。
 いや、ただ一人、マーニャはなんか知ってたぽかった。くすくす笑いながら「秘密〜v」とか言って。やっぱり予想通りアリーナに問い詰められてなんか言ったってことなんだろう。
 なにを言ったんだ、と問い詰めるとマーニャはにっこり笑って。
「気になる?」
 とか言うので、おれはからかわれてるような気分になって仏頂面でうなずき。
「ああ」
「ふふーん、いい傾向ねー。おねーさんは応援してるわよん」
「はぁ?」
 わけがわからず素っ頓狂な声を上げるおれに、マーニャは笑顔で言った。
「あんたもちゃんと気づきなさい。なにが一番自分の幸せかってことに。自分の思いだけでいっぱいいっぱいになっちゃってたら、足元に咲いてる可憐な花を見逃しちゃうことになるかもしれないわよん」
 おれはマーニャがなにを言ってるのかよくわからなかった。わからなかったけど。
 なんだか、ものすごく不本意なことを言われてる気がして、ぶっきらぼうに言った。
「おれは、なにが自分の幸せかくらい自分で決めるよ」
 そう言うとマーニャは、おれが好きだと言った時みたいに少し寂しそうに笑って。
「ガキね、本当に」
 そう言ってひらひらと手を振って去っていった。
 ……結局、なにがどうなってるのかはよくわからなかったけど。
 マーニャがなにかアリーナに仕掛けたっぽいのはわかったので、おれはそれからしばらくアリーナを追い回していた。アリーナがなに言われたのかわかったら、マーニャの気持ちが少しでもわかるんじゃないかと思って。
 それに単純に、アリーナがなんでそんなにうろたえてんのか気になったし。
 追い回すっつってもクリフトがまたむくれるとアレなんで、普段よりよく稽古に誘うとか、そんくらいだけど。――それでも、アリーナは徹頭徹尾俺から必死こいて逃げ回っていた。

「ユーリル……」
 モンバーバラで、一番人気のパノンっていう芸人を一日貸し出してもらうよう話をつけて。おれたちはとりあえず今日はこの街に泊まって、明日スタンシアラへルーラしようと決めて。
 今日は歌と踊りの町というモンバーバラの観光と、マーニャとミネアは世話になった人への挨拶回りをしようってことになってそれぞれ別行動――を取ろうと宿の部屋を出たとたん。
 アリーナが少し頬を染めながら、おずおずとおれに話しかけてきた。
「……アリーナ」
 どうした? と視線で訊ねると、アリーナは頬を紅潮させながら、おれを見上げてくる。
「あの……ね、あの……」
 アリーナらしからぬ歯切れの悪さ。だが、おれは黙ってアリーナが言葉を発するのを待つ。
 アリーナはそれでもしばらくうーうー唸りながら逡巡していたが、やがてきっと俺を見つめて怒鳴るように言った。
「あ、あのっ、わたしと、一緒にこの街回らないっ!?」
「………へ?」
 おれはきょとんとした。おれはてっきり、なんでしばらくおれを避けてたのかとか、マーニャになに言われたのかとか、そういうことを言うもんだと思ってたんだ。
 おれのその反応に、アリーナはしゅーんとしおたれて、泣きそうな顔で言う。
「………いや………?」
「いや……嫌じゃないけど」
 おれはちょっと驚きつつも、その申し出を頭の中で考えていた。アリーナが新しい街に着いた時一緒に回ろうと言ってくるのは珍しいことじゃない。でも、ここ一週間ぐらいずっとおれを避けてたのに、なんで?
 ……なんか、話がある、ってことなのか、な。
 おれはそう考えて、にっと笑ってうなずいてやった。
「いいぜ。一緒に行こう」
「ほんとにっ!?」
 とたんにたまらなく嬉しそうな笑顔になるアリーナに、おれは笑いかけてやる。うん、アリーナはやっぱりこういう顔の方がいい。
「クリフトやブライさんになんやかや言われる前にさっさと出発しちゃおうぜ。せっかくのにぎやかな街なんだ、楽しく回った方がいいに決まってるもんな」
「うんっ! 急ぎましょ!」
 満面の笑顔でアリーナはおれを引っ張る。おれも引っ張るなよーとか言いながら駆け出した。
 せっかくの街なんだ、どうせだから気の合う奴と、楽しいことをいっぱいしよう。

「ん! おいっしい! こんなお菓子初めて食べたわ!」
「ん、ホントホント。カスタードの揚げ菓子なんて初めて食ったぜ。外側カリカリなのに中トロトロ。激ウマ」
 おれたちは露店で買った菓子をぱくつきながら、モンバーバラの街を歩いた。それまでにも果物やらボッカディージョとかいう揚げたサンドイッチみたいのとかいろいろ食ってたけど。基本的に食い気優先のおれたちは、新しい街を一緒に歩くとどうしても食べ歩きになる。
「モンバーバラっておいしいお店が多いのねー。果物もおいしいし。ユーリル、そっちの飲み物どんな味? ちょっとちょうだい」
「おう、じゃ交換っこな。ほれ」
「うん」
 お互い持っていた飲み物を交換して、ストローで飲む。アリーナの顔が満面の笑顔になって、「おいっしー!」と叫んだ。
 やっぱこいつと街歩くと楽しいな。話が合うし、見るところも同じだ。ノリも一緒だし。クリフトとかだとご飯が入らなくなりますよとか説教されるし、マーニャとだと――「お子様ねー」って、馬鹿にされるし。
 思い出して少し嫌な気分になったおれの顔をアリーナは不思議そうにのぞきこんでいたが、ふいにカッと顔を赤らめて「あっ!」と叫んだ。
「? どうしたんだよ」
「あ、あの……ユーリル。えっと……あの、もしかして……間接……」
「? 関節がどうしたって?」
「う……なんでもなーいっ!」
 叫んでアリーナは駆け出す。なんだなんだと思いつつもおれはあとを追った。アリーナは少し先で人ごみに行き会って足を止めている。
 おれはそれに追いついて、どうしたのか聞こうと口を開いたがその前にアリーナは叫んだ。
「ね、見て、ユーリル! あれ!」
 言われてアリーナの指差す方を見てみると、そこには派手な化粧をした道化師風の奴らがビラを撒いてるのが見える。この人ごみはそのせいか。
 偶然こっちに飛んできたビラを一枚掴まえて読んでみる。
「……伝説の踊り子の復活……マーニャ・バレンスエラ嬢一日限りの公演……?」
「マーニャが劇場で踊るの!?」
 アリーナが目をきらきらさせながらビラを奪い取る。おれはかなり驚いていた。
 たった数刻でよくそこまでとんとん拍子に話が進んだもんだって思いと。マーニャがよく承知したな、って思いで。
 だってマーニャは、踊りについてはめちゃくちゃわがまま……っていうかプロ意識が強いのに。いきなり頼まれてはいそうですかって答えるとは思えなかったんだけど。
 でも、実際、好奇心をそそられる話なのも確かだった。マーニャは劇場で踊る時、どんな顔を見せるんだろう?
「ねぇ、ユーリル、見に行きましょうよ! マーニャの踊り久しぶりに見てみたいわ!」
「そうだな。いっぺん戻ってみんな誘ってみるか」
 何の気なしにそう言うと、アリーナは少し困ったような顔をした。
「? どうかしたか?」
「……ユーリル。あのね……」
「うん?」
「……今日は、二人だけじゃ、駄目?」
「は?」
 おれは思わずぽかーんと口を開けていた。
「……駄目?」
「駄目っていうか……」
 いっつもみんなで仲良く一緒にが大好きなアリーナが、そんなことを言うとは思ってなかったんだが。
 でもまだ話らしい話はしてないし(思わず思いっきり街歩きを楽しんでしまった)。そこで話したいってことなのかもな。
 おれはそう納得して、うなずいた。
「わかった。いいぜ、二人で行こう」
「……よかった」
 アリーナは少し恥ずかしそうに、でもとても柔らかく笑った。おれの心臓が、思わずどきりと音を立てる。
 ――アリーナのその笑顔が、今まで見たことないぐらい大人びて見えたからだ。

「…………!」
『マーニャ! マーニャ!』という怒号と歓声が鳴り響く中、おれはほとんど硬直してステージの上で踊るマーニャを見つめていた。
 マーニャが踊っている――おれの前で踊る時に何度か使っていた鳴子を鳴らしながら、熱く、激しい音楽に合わせて。
 次から次へと変化する拍子。鳴子を鳴らしながら細く繊細な指先がしなやかに舞う。踵やつま先を床に打ちつけて高らかな音を鳴らしながら、マーニャの伸びやかな肢体が踊る。音楽よりもさらに熱く、激しく――そして、美しく。
(きれいだ)
 おれは少し泣きそうになった。情けない話だけど。
(マーニャは――本当に、世界一きれいだ)
 マーニャを抱かせてもらった時のことを思い出す。始めっから終わりまでおれは翻弄されっぱなしだったけど――あの時、生まれて初めて女の人を、心からきれいだって思ったんだ。
「すごい! マーニャすごいわね、ユーリル!」
 横でアリーナが上げている歓声も、ほとんど耳に入らなかった。ただおれは、マーニャをじっと見つめていた。
 ああ、おれ、マーニャが本当に好きだ。意地悪で、酒飲みで、態度がでかくてわがままで、でも気風がよくて、誰よりも優しくて人生に対して真剣なマーニャが。
 ほんとにすきだ………。
 じわ、と涙が盛り上がってきて、おれははっとして目をぱちぱちさせた。こんなとこアリーナに見られたらかっこ悪い。
 だけど、アリーナは、おれの泣きそうになっているところを見ていたけど、笑わなかった。その代わりに、すごく、すごく真剣な顔でおれを見つめて、言った。
「ユーリル、マーニャのことが、好きなの?」
 おれはひどく恥ずかしくなったけど、それ自体は隠してることでもなんでもない。だからマーニャの踊りを見ながら、ちょっとだけぶっきらぼうに答えた。
「ああ」
「そう」
 アリーナは静かにうなずいて、それからじっとおれを見つめ――今まで見たこともないような、切なそうな顔でちょっと笑って、言った。
「わたしは、ユーリルのことが好きよ」
 おれは仰天して――一瞬マーニャのことを忘れてアリーナをまじまじと見つめてしまった。アリーナの顔は少し微笑んではいたけれど、瞳が潤んでいて、これ以上ないくらい真剣だった。
 おれはなんと言えばいいかわからず、ただ呆然とアリーナを見つめた。だっておれは、そんなこと、これっぽっちも考えてやしなかったんだ。
 周囲の歓声がいよいよ高くなった。マーニャのダンスは今やクライマックスを迎えようとしていた。

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