恋する人形5
 おれは船の上で、ぼーっと海を見ていた。
 海は広くてきれいだけど、本当にどこまでもどこまでもどこまでも続いているんですぐ飽きる。おまけに実をいうとおれは海を見るのはあまり好きじゃない。どこまでも続く海原は、十七年間出ることがかなわなかった緑色の牢獄を思い出すから。
 でも、おれは海を見つめていた。一人ぼーっと物思いにふけるには――あるいはなんにも考えない時には、海を見つめるというのはちょうどいい手遊びになる。
 スタンシアラで天空の兜を手に入れて、今度は天空の盾を手に入れるためにバトランドへ向かう船旅の途中。おれは普段のように稽古もせず、ひたすらにぼーっと海を眺めて過ごしていた。
 考えていたんだ。……アリーナの言葉を。
『わたしは、ユーリルのことが好きよ』
 アリーナはそう言って、少し微笑んで目を潤ませながらじっとおれを見つめた。
 おれはなんて言えばいいのかわからず呆然と見返した。アリーナが、おれのことを、好き?
 わけがわからなかった。おれにとってアリーナは友達だった。純真でおこちゃまで、恋愛感情を誰かに持つなんてことがあるなんて考えてなかった。あるとしたらいつも一番そばにいる、そして一番アリーナを愛してるクリフトに向けてに違いない、と当然のように確信していたんだ。
 それが、なんで。おれのことを好きだなんて言うんだろう。
 おれは呆然としたまま、ひたすらにアリーナのことを見つめていた。返事をすることすらできず。
 アリーナはふいに表情を崩して、泣きそうに顔を歪め――でも必死におれを見つめて、むりやりに口元に笑顔を佩いてみせた。
『ごめんなさい、こんなことを言って』
 ぺこりと頭を下げ、それでも心の底から真剣な口調で。
『――でも、ほんとの気持ちなの』
 そう言ってアリーナは背を向けて、その場から駆け去った。
 ――それから、おれはアリーナと話してない。
 話そうと思わなければ話さないですんじゃうもんなんだな、とおれはしょうもない感慨にふけった。八人も仲間がいればその中の一人と話さなくても、日常生活は普通に送れるものなのだ。
 親しい人間と話せないという、寂しさは別にしても。
 ふぅ、とおれはため息をつく。おれとアリーナの関係がおかしくなったのには全員気づいてるようだったけど、とりあえずおれにどういうことなのか訊ねてきた人はいない。たぶんアリーナの方にいってるか、それともそっとしといてくれてるか、だ。
 アリーナはおれには話しかけない、目も合わさないけど、他の人とは普通に話すし、笑う。まるっきり普段通りに。
 だけど、なんていうか、その顔は普段のアリーナとは少し違った。
 本当に太陽みたいな全開の笑顔でおっそろしく元気に喋りまわるアリーナ。そんないつも見てきたアリーナとは、どことは言えないんだけど、決定的な差異があった。
 切なそう? 違う。寂しそう? そういうわけでもない。苦しそう? きっぱりそう言い切ってしまうのも違う気がする。
 それらとはまったく別なようで同時にそれら全てでもある差異。そんなものをおれは感じていた。
 少なくとも、いい方向に変わったわけじゃないことは、確かだと思う。
 もちろんアリーナをそんな風にしておいて放りっぱなしにしているつもりはない。早くなんらかの返事をしなけりゃならないんだろうとは思う。
 そしておれのする返事は決まっているんだけれど――
「はぁ」
 おれはため息をついた。やっぱりおれは、考え事には向いてない。
「――勇者さん」
「はっ!?」
 深く物思いに沈んでいたおれは、ふいに声をかけられて文字通り飛び上がった。思わずばっと声のした方を向くと、そこには、クリフトがいた。
 おれは思わず唾を飲み込む。クリフトの目が、なんだか怖い――おそろしいほど静かで、落ち着いていて、冷徹って言っていいくらい冷静で――
 そして憎悪に満ちている。
「………クリフト」
 おれはぎゅっと拳を握り締めてあいつの名前を呼んだ。気持ち悪い。なんだか吐き気までする。なんだろうこの感じ、なんだか、すごくいやだ。
 クリフトに好かれてるとは思ってなかった、っていうか嫌われてるとはわかってたけど――殺したいって気持ちがびんびん伝わってくるくらい憎まれるとは、思ってなかったんだ。
 そんな風に思われることは生まれて初めてだけど、なんていうか、すごく、苦しい――
「勇者さん、姫様に愛の告白を受けたとお聞きしたのですが」
「……ああ」
 おれは小さくうなずいた。やっぱりそれか。それ以外ないよな。
 どんな罵倒を受けるかと奥歯を噛み締め――
「なぜ、お受けしないのか聞かせていただけますか」
 まったく表情を変えないまま放たれたクリフトの言葉に仰天した。
「……っお前……なんでそんなこと言うわけ!?」
「なぜ、といいますと?」
「だってお前アリーナが好きなんだろ!? 好きな相手が他の奴好きだって聞いて、どうしてそいつに告白受けろなんて言えるんだよ!?」
「……私は姫様を敬愛してはいますが私的な感情を抱いているわけではないと――」
「お前な! こんな時までそんな言い訳するつもりかよ!? ショックじゃないのかよアリーナが自分以外の奴好きになって! 悔しいんだろおれのこと憎たらしいんだろ、だったらなんでそれをぶつけねぇんだよ!? こんな時ぐらいしっかり本気になって真正面から向き合ってぶつかってみりゃいいだろうがっ!」
 怒鳴って荒い息をつく。――クリフトの目に浮かぶ憎悪が一気に殺気にまで高まる。でもだけど、おれだって腹が立ってるんだ。
 こいつがどこまでも、おれとまともに向き合わないから。
「――本気ですよ、この上なく」
「え?」
「本気であなたに姫様のお気持ちを受け止めろと言っているんです。私は」
 クリフトが思いっきり殺気のこもった目で、だけど静かにおれを見つめながら言った。おれはわけがわからなくて聞き返す。
「――なんで? なんでそんなこと言うんだよ? お前アリーナが好きなんだろ? アリーナが他の男のものになるの嫌じゃないのかよ?」
「あなたは、そう思うんですね」
 ひどく冷静な、冷たい声。けれど目には苛烈な殺意を乗せておれを見る。
「誰だってそうじゃないのか? 好きな奴が他の男のものになるなんて誰だって嫌だよ」
「私は、そんなことを考えることが最初から許されていないのですよ」
「―――なんだよ、それっ………」
 こいつは。本当に、こいつは。
「……アリーナが姫でお前がその臣下だから?」
「そうです」
「自分とは身分が違うから? 結ばれっこないから自分の想いは押し隠しておけばそばにいられるって?」
「―――そうです」
「だからアリーナが好きで勇者ってことで結婚してもおかしくない相手のおれとの仲を取り持ってやろうって?」
「そうです」
 おれはなんだかひどく泣きたい気持ちで、クリフトの胸倉をつかみ上げて怒鳴った。
「嘘つけよ、このバカヤロウッ!」
「嘘など私は――」
「本当は嫌なんだろ? 嫌で嫌でムカついてしょうがないんだろ? 正直に言ってみろよこのヘタレ神官!」
「ヘッ……っ、あなたには関係が――」
「もう半年近くずーっと一緒にいて無関係って言い張る気か!? お前はアリーナ以外見てなくってもおれはお前もしっかり見てるんだよこのカボチャ頭! 少なくともおれにとってはお前は全然無関係じゃねぇんだっ!」
「………っ………、誰も頼んではいません! 私の気持ちなど放っておけばいいでしょう、あなたにはどうでもいいことでしょう!?」
「どうでもよくないって言ってんのがまだわかんないのかよ頭脳みその代わりに馬の糞でも詰まってんのか! 今すぐぶっ殺してやりたいって目でおれ見といて白々しいこと言ってんじゃねぇっ!」
 いつの間にかクリフトもおれの胸倉をつかみ上げていた。至近距離で相手の目を睨みつけながら怒鳴りあう。
「言えよはっきり! アリーナにもおれにも! アリーナが好きで、大好きで、自分のものにしたくて、だからアリーナに好きだって言われたおれが憎らしくてしかたないんだって!」
「言ってどうなるというんです! ただ私が姫様に近づけなくなるだけじゃないですか!」
「じゃあ言わなけりゃ遠ざけられなくてすむのか!? 好きな相手が自分じゃない奴とキスしてセックスしてガキ作って自分と全然関係ないとこで幸せになってくの指咥えて黙って見てられるってのかよ、おれのことぶっ殺したくてたまんないって顔で見てたお前が!」
「……だからってっ……だからって! 言ったら……言ってしまったらすべてが終わってしまうんですよ!? 姫様が私を愛することはないとわかっている、それなら今のままでいたいと思ってなにが悪いんですか! 少しでも……少しでも長くそばにいられれば私はそれで……!」
「はっ! そばにいられればそれでいい? 笑わせるぜ、いっつもめちゃくちゃ物欲しそうな顔でアリーナのこと見てやがるくせに! キスして押し倒して自分のものにしたいって思ってるくせに言う根性もねぇのかよ、この童貞包茎ふにゃチン野郎!」
「………っ!」
 バキッ。
 クリフトの全力パンチをあえて受け、おれは切れた唇を舐めてにやりと笑った。上等だ。
 おれはずっと、本当にずっと――お前にめちゃくちゃムカついてたんだ。
 どごっ。おれのボディブローを受けてクリフトは息を詰めた。おれは笑みを止めない。
「童貞にしちゃいいパンチすんじゃん。ああ、シコシコマスばっかかいてるから手首強いってか?」
「……っうるさい……っ!」
 ばぎっ。クリフトはもう一発おれを殴った。おれも殴り返す。
「いい子ぶってんじゃねぇよ早漏! そばにいたいだなんだっつっといて要は自分に惚れさせる自信がねーからだろっこの甲斐性なし!」
「あなたにっ……あなたなんかに言われる筋合いはない! 私がどれだけ辛い思いをして姫様への想いに耐えてきたかも知らない、あなたなんかに……っ!」
「笑わせんな、結局お前は耐えてる自分に酔ってるだけじゃねーか自己陶酔ヤロー! どんなに辛い思いして想おうが相手に伝わらなきゃなんの意味もねぇんだ! 自己完結してんじゃねぇよヘタレ!」
「あなたなんかにわからない、わかりっこない! そんなに真っ直ぐで、力強くて、眩しくて、姫様に愛されてるあなたなんかには……!」
「バカヤロウッ、好きな人に好きって言われない辛さ知ってるから言ってんだよボケバカっ!」
 お互い何発もいいのをもらって、ふらふらになりながらもまだ殴りあう。相手を思いきり睨みつけ、怒りと敵意をぶつけ合う。
 クリフトの顔が風船みたいに膨れ上がってきた頃、バッシャーン! と冷たい水をかけられた。
「いい加減にしなっ! 喧嘩すんのも殴りあうのもいいけど、やること忘れんじゃないわよ! ユーリル、あんたは洗濯当番、クリフトは掃除当番でしょっ!」
 おれたちは目をぱちくりさせて水をかけた相手――マーニャを見た。マーニャはきれいな目をぎゅっと吊り上げておれたちを睨んでいる。その熱い視線に思わず背筋がぞくぞくした。
「いや、マーニャこれはさ――」
「言い訳すんじゃないわよバカ。あたしは最初っから見てたんだからね。あんたらがクソ恥ずかしいこと叫びあうのも」
 げ。マジ?
 ぎっとおれたちを睨みながらつけつけとそう言ったマーニャは、ふいにふっと視線を和らげて笑う。
「ほら、手当てしてあげるから。こっちきなさいよ」
『………………』
 おれたちは顔を見合わせて、のろのろとマーニャに近寄った。マーニャの後ろからミネアがぱたぱた近づいてくる。手にはタオルを持っていた。
「もう、ユーリルもクリフトさんも。なにをやっているんですか」
 タオルをおれたちの頭に放る。おれはごしごしと頭を拭いた。
「ほら、服脱いで。ここにも水、ついてるわよ」
 マーニャが軽く笑っておれの顔を指す。マーニャがやったんだろーと思いつつも、おれは黙って服を脱いで体を拭いた。
「……マーニャとまともに話したの、久しぶりな気がする」
 おれが思わずぽつりと言うと、マーニャがまた笑う。
「そりゃ、あんた最近色ボケててまともに話もできなかったからねー。アリーナに告白されて青春しちゃってたんでしょ?」
「そうじゃなくて。それよりもっと前から。……おれが話しかけてもすぐ逃げたじゃん」
 そう言うとマーニャは一瞬顔を歪めて、それからまたすぐ笑顔になっておれの背中を叩く。
「あんたが見当違いな思い込みしてたからよ。ガキの思い込みに付き合うほどおねーさんは暇じゃないの」
「……なんだよそれ」
「ま、あんたはちゃんと青春しなさいよ。年相応の子とね。アリーナ、いい子じゃない。可愛いし」
 ――一瞬、脳味噌が沸騰した。
「――マーニャ。あんた、おれにアリーナをあてがおうとか思ってんのか?」
 震える声でそう問うと、マーニャは一瞬びくりとして、それからまた笑う。――なんで笑えるんだ、こんな時に。
「別にそーいうわけじゃないけどねー。見当違いの思い込みしてるガキに正しい道示してあげるのもおねーさんの仕事かなってちょっとおせっか――」
 がしっと、おれはマーニャの肩をつかんだ。全力で。マーニャが顔をしかめる。
「放してよ。痛いわ」
「お前、おれを舐めてるのか?」
「―――別に」
「おれ、何度も言ったよな。お前が好きだって。おれをちゃんと見てくれって!」
「……放してって言ってるでしょ!」
「ふざけんなよ。おれはお前が好きなんだ。なのに――なんで惚れた女に女世話されなきゃなんないんだよ!」
「放してっ! 痛い……っ」
「答えろよ!」
 おれは完全に頭に血を上らせて、マーニャをぐいっと引っ張り――ごつんと頭に落とされた拳に、目から星を出した。
「ってぇーっ!」
「女性に乱暴をするものではない」
 見上げるとそこには、厳しい目をした男がいた。
「ライアンさん……」
「頭に血が上るのはわかるが、女性にしてみれば男に乱暴にされるというのは恐ろしいものだということを覚えておけ。……マーニャ殿に言うことは?」
「……ごめんなさい」
「…………」
 頭を下げたおれに、マーニャは複雑そうな顔をして黙っている。おれは泣きそうになった。そんなにおれが嫌なのかよ。
「ミネア殿、治療を」
「あ、はい……」
「……私は、自分で」
「クリフト殿、その口では呪文が唱えにくいでしょう。ここはミネア殿にお任せしてはいかがか?」
「……はい」
 ミネアが呪文を唱えて傷を癒す。クリフトの方が先だった。たぶんそっちのが近かったからだろう。
 しばらく無言で座り込んでいると、ふいにライアンさんが口を開いた。
「これは独り言だが」
「……はぁ?」
「私には、世界の誰より、ただ一人愛した者がいた。いや、いる」
「………はぁ」
 そりゃ、ライアンさんだっていい年なんだからそういう人もいるだろうけど。
「私はその者に会うまで誰かを愛したことがなかった。すべて好きでも嫌いでもない存在でしかなかった。ただ淡々と日々を生き、日々の糧を得るために戦士となり、王宮に上がり、そこで金銭欲と権力欲の亡者共の相手をしてきた。それでいいと思っていた。自分にはその程度が相応だと。――だが、あの者に会って変わった」
「…………」
 なにが言いたいんだろ。
「その者は私に殺されかねない状況だというのにあくまで純真に、屈託なく語りかけてきた。損や得や、そんなものなどまるで関係なく。共に時を過ごすようになって、その者が心より優しく、清らかで、誠実なことを知った。のみならず、その者は強い意志と勇気を持っていた。本来ならば仲間である者たちと戦わねばならぬというのに、その者は負けなかった。仲間たちの方が間違っていると、間違っていることは正さねばならぬと私と共に戦ってくれたのだ」
「…………」
 おれら、のろけられてるのか?
「私はその者に惹かれた。その心を愛おしいと思った。いつまでも共に在りたいと思った。その者にも私を愛してほしいと思った。だが、それを告げることはできなかった。許されないと思っていたからだ」
「……なんで?」
 一応聞いてみよう。
「ひとつにはその者が男であり、もうひとつにはその者が人間ではなかったからだ。ホイミスライムだった」
『――――――!!??』
 おれたち――おれとマーニャとクリフトとミネアは全員絶句した。マジか、それ。
 だがライアンさんはそんなことなど歯牙にもかけず続ける。
「だから言えなかった。言う勇気がなかった。人の道とされるもの、人間の、身分が同じほどの、年齢のつりあった女と愛し合うべきだという思いから抜け出せられなかったからだ。だからずっと、長く共に在ったのに、私はあいつに好きだと告げることすらできなかった」
『………………』
 いや、普通できねぇと思う、それ。
「そして、時が過ぎ――私はなにも告げなかったことを心から後悔した」
「……なんで?」
「その者が死んだからだ。魔物に殺された」
『―――――!』
 一瞬、その場に戦慄が走った。
 ライアンさんは少しも表情を変えず、淡々と続ける。
「私は泣いた。物心ついてから初めて。死ぬほどに後悔した。同種族でないこと、男同士なこと、すべてがあまりに違いすぎること、それはわかりすぎるほどにわかっていたが、それでも。告げたかった、互いに心から愛し合いたかった、自分たちならそれができたはずだのにやらなかったからだ」
「………………」
「だから私は、その者が――ホイミンが生きてくれていると聞き、なんとしても探し出すつもりでいる。たとえ相手が男でも、後ろ指を指されても、年齢が置かれている状況が違っても。心から愛する人と愛し合える未来のためなら、そんなものはなにほどのことでもないと思うからだ」
『………………』
 ライアンさん………。
 やっぱ、この人すげぇや。男として……ちょっと、負けたかも。
「それだけだ」
 ひょいとライアンさんは立ち上がる。マーニャがうつむいたまま立ち上がり、どこかへ駆け去った。ミネアは戸惑いながらもその場を去り、クリフトは呆然とその場に立ち尽くしている。
 おれは、ゆっくりと立ち上がって歩き始めた。探さなくちゃならないと思ったからだ。会って、話さなくちゃって。
 ――アリーナと。

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