双子と魔物たちはいつも
 グランバニアは山国である。
 より正確に言えば、山と森の国と言えるだろう。グラン大陸を大きく横切ったグテル山脈に周囲を囲まれ、ガーミア海に続くアニシェ川、アニセス湖に面した平野に広がる大森林。その中にグランバニアの城は建っているのだ。
 城下町をモンスターの驚異から人々を守るために丸ごと城の中に作ってしまったという風変わりな城で、その尋常でなく大きい城壁と城砦の中に、他の国の城下町と同様、宿屋、商家、各種施設、民家等がすっぽりと収まっている。
 だが、本来なら交易の中心地となり拡大していかざるをえない定めを負った城下町が城の中に収まってそれで問題がないというのにはそれなりのわけがある。
 グランバニアの主要な産業は林業と鉱業。樵と坑夫がグランバニアの働き手の中心だ。
 彼らの切り出した、あるいは掘り出した木材、鉄鉱石、金銀宝石の類は全ていったん国家が買い付けて、国内外へ放出することになっている。農耕に向かないグランバニアの土地で国民の食糧をまかなうには、国家の管理による貿易が必要であると代々のグランバニア王は考えたのだ(グラン大陸南部の大平野には広大な農地が広がっており、そこも一応グランバニア領であることは確かなのだが、そことグランバニア城の間にはグテル山脈が横たわっており、同じ国の国民であるという意識は薄い。現宰相オジロンは代官を派遣して徴税、食糧の輸送などを命じているのだが、どちらもなおざりである。そして現在のグランバニアにはそれを咎められるほどの国力がないのだ)。
 それならば海から程近い国家の中心地、グランバニア城はますますもって交易の中心となるのではないか、と思われがちだが、そう簡単にはいかない。
 グランバニアの国民はみな王家に影響されてか、勤倹尚武の気風が強い不羈の民である。代々の王家もそれをむしろ奨励したせいもあり、独立独歩はもはやグランバニアの国民性となっている。
 そのため、グランバニア国民の多くは王家に対してといえどやすやすと膝を折ることを潔しとしない。納税や労働を厭いはしないものの、あくまで対等な関係を求めるのだ。
 よってほとんどのグランバニア貿易担当官の主な仕事は、国民の仕事場所に出向き、国民と折衝交渉を行うことである。グランバニア城は居住性を最重視して建てられており、海からも川からも山からも中途半端に遠い場所にある。城を経由させるよりも直接港に、あるいは港から運んだ方がはるかに安上がりなのだ。
 というわけで交易とも産業とも縁が薄いグランバニア王城に住まうものは、王国官僚(グランバニアは官僚制を採用しており、貴族というものは存在しない。王家として認められるのも王から三親等以内のみ。そしてその家族だけが王宮に住まうことが許されている)と軍人、王家に強い忠誠心を抱く者、あとは施療院の患者ぐらいのもの。街と呼べる人口ではない。
 そのくらいなら巨大な城砦の中に、すっぽり収まってしまうのだった。
 先々代国王パパスは国民と対等な関係を築きながら、尊敬と信頼を受けることのできた稀有な人物だった。パパス王が王座についていた頃は、南方領からすら納税が途絶えたことはない。王城にも人が多く集まり、城砦から人が溢れそうになったほどだ。
 しかしパパス王が王座を退き、オジロンが国家を取りまとめるようになると、王城からは少しずつ人の姿が消えていった。オジロンはパパス王の弟で、経済に明るい能吏であったが果断の人ではない。やや自信過小気味で人と接するに気後れしがち、めったに王城の外に出ようとしないとあっては尚武の性を持つグランバニア国民から信頼されるわけもなく、今や王城に残っているのは必要最低限の官僚と軍人と患者ぐらいのものであった。
 国に反乱するわけではない。自分たちは自分たちで勝手にやる、という態度を示したのだ。
 形式ではなく実質、立場より個人の資質を重んじることを山の民の気質とするのなら、グランバニアはまこと、山国であった。

 さて、王城からどんどん人が去っていったと言っても、すでに言ったように残っていた人間は何人もいるわけである。
 残された彼らは当然王家に強い忠誠心を抱く者たちであったが、そのほとんどは年配の人間だった。パパス王の治世の下黄金時代を味わった者たちである。つまり、彼らの忠誠心はただ一人、パパス王に向けられていたのだ。
 パパス王の息子というだけで生まれてから十八年をほとんど王国の外で過ごしてきたアディムが王となることに、誰も文句を言わなかったのもそのため。それだけパパスが偉大な人物だったとも言えるのだが、パパスのいない二十年近くの間大過なく王国を運営してきたオジロンに対して酷にすぎるとも言える。
 だが、そんなことを考える人間はほぼ皆無だった。オジロン本人ですらアディムと会うまではパパスに、アディムと出会ってからはアディムにきちんと王国を受け渡すことだけを考えていたのだから当然といえば当然かもしれない。
 そんな中、王国を放り出す王になど王の資格なし、と憤り、オジロンの政務能力を高く買ってオジロンを王であらせ続けようとしたのが(その中で自分がうまい汁を吸おうと考えたのも確かにしろ)グランバニア城に魔物を引き入れた大臣なのだが、それはさておき。
 王城に残った民の間には、共通した二つの希望があった。
 一つはアディム王。パパスの息子アディムがいつか帰還し、自分たちの主となってくれること。
 もう一つはセデル王子とルビア王女。アディム王の残したこの兄妹が、自分たちの主となってくれること。
 その希望は日一日と強まり、この当年とってわずか六歳の双子の兄妹に、王国を背負わせようとする者たちは、サンチョの努力にもかかわらず消えることがなかった。
 ――しかしこの双子は、そんな期待に応えなくてはならないと思うほど愚かではなかった。
 友達がそばにいてくれたからである。
 彼らの父、アディムが残したモンスターたちが。

「セデルさまー! ルビアさまー、どちらにいらっしゃるんですかー!」
 サンチョが巨体を揺らしながらグランバニアの城下町を駆ける。もはや日常の一部となった光景に、数少ない城下町商家の面々は顔を見合わせて苦笑した。
「サンチョさま、今日はいったいなにがあったんですか?」
 城下町唯一の宿屋の女将が店先で笑いながら訊ねると、サンチョは泣きそうになりながら訴える。
「おやつを召し上がったあと、ちょっと目を離したらもうお姿をお消しになってしまって! おかみさん、セデルさまとルビアさまがどちらに行かれたか見ていないかね!?」
「ええ、見ましたよ。お二人で楽しげに笑いあいながら城門の方へ駆けていかれました。その仕草ときたら本当に天使のよう! セデルさまもルビアさまも本当にお可愛らしくお育ちになられたこと!」
 にこにこ笑いながら言う女将。普段ならサンチョもセデルとルビアに対する褒め言葉を聞くと、胸を張るか涙を流しながらセデルとルビアがパパス及び両親に似ていかに可愛らしく、優しく、聡明かをひとくさり演説するのだが、今の状況ではそれどころではない。
「城門!? やっぱり! お二人とも、外に行かれてしまったんだ!」
「まさか。お二人とも以前お二人きりで城の外に抜け出されてみんなに心配をかけてから、もう無断で城壁の外には出ないとお約束なされたじゃありませんか」
 女将の言葉も耳に入らないように、サンチョは目を血走らせ巨体を震わせて、叫ぶように言葉を発する。
「魔物たちがいないと思ったら案の定! あいつらがお二人をそそのかしたに決まってる!」
「ええ?」
 女将は困惑した。アディム王が連れていた魔物たちに対する国民の感情は様々だ。が、その数があまりに大量でバラエティに富み、どの魔物も怯えも脅かしもせずごく当然という顔をして街を歩いているので、城内の大半の人間はもはや慣れてしまっている。
 もともと住んでいる人間全員が顔見知り、というような街だ。基本的に細かいことにはこだわらないグランバニアの国民性にアディム王を神聖視する感情も手伝って、町民たちは魔物たちを隣人として受け入れた。声をかければほとんどの魔物は愛想よく挨拶を返してくるし(なにを言っているかわからない魔物も多いにしろ)、困っている時に助けられたことのある人間もけっこういる。なにより彼らがアディム王の残した双子をモンスターなりのやり方で慈しんでいるのは誰の目にも明らかなことだったので、サンチョの言い分はどうにもピンと来ないものだったのだ。
 が、サンチョは女将の視線など気にも留めず暴走する。
「少しばかり強いと思ってなんということを。今日という今日は坊っちゃんに代わってとっちめてやる!」
 顔を真っ赤にしてそう言い切ると、サンチョは呆気に取られた女将の視線を無視して城門の方に走り去った。

 サンチョの予想は半分あたりで半分はずれだった。
 セデルとルビアは二人で城砦の外には出た。が、城壁の外には出ていない。
 城砦と城壁の間の狭いスペースから、ドラゴラムで竜に変化したドラきちに城の上の庭園に運ばれたのだ。セデルとルビアはこういう魔物の手を借りた裏道を何の気なしに使うことがある。生まれた時から使っているので二人としては別におかしなことをしているつもりはないのだが、サンチョたち召使にしてみれば思いもつかぬ方法なのだ。
 で、なぜ二人がわざわざ揃って(この二人はほとんどの時間二人一緒なのだが)外に出てきたかというと、二人は城の外から帰ってきたピエールたちを出迎えたかったのである。
「……それじゃ、今回もお父さんたちの手がかり、なかったんだね」
 通行の邪魔にならないようにと城の横側から屋上庭園に乗り込みつつ、肩を落としてセデルが言った。
「……うむ」
「ごめんね、セデル、ルビア」
「わしらも懸命に探したんじゃがのう……」
「みんなのせいじゃないです。みんな頑張ってくれたって、わたしわかるもの」
 悄然としおたれる魔物たちに、ルビアは健気に首を振る。
 アディムの残した魔物たちは、北の塔でアディムが行方不明になってから、各地に散ってアディムを探してくれていた。人の住む街には行けないものの、魔物たちにしか行けない場所に行き、動物や魔物相手に聞き込みをする。
 もっとも、魔物たちのほとんどは邪悪な意思に支配されていてこちらを襲ってくることも多いし、最近うろついている魔物たちもどんどん強くなっているので迂闊な真似はできないのだが。ただじっと待っているなど、アディムと一緒にいた彼らにはとてもできなかったのだ。
 グランバニアに残ってセデルとルビアを守る魔物たちが半分、世界中に散ってアディムを探す魔物たちが半分。彼らは半年ごとに交代し、待ち合わせ場所を決めておきメッキーのルーラで回収されグランバニアに戻ってくる。
 今日は半年振りに全ての魔物が揃う日、というので城に残っていた魔物たちも迎えに城の外にやってきた、というわけだ。
 あからさまにはしないものの、がっかり、しょんぼりという顔をする双子に、魔物たちはしゅーんとしてしまった。魔物たちは性格も信条も様々だが、アディムに対する絶対的な信頼と愛情、そしてセデルとルビアが可愛くてならないということでは共通している。
 だがそんな顔をしているのは数秒だった。セデルはいつまでも落ちこんでいられるような性格はしていない、いつでも前向きは根っからの性分である。いきなり顔を上げると元気に言った。
「ね、みんな。ボクたち一生懸命剣も呪文も練習してね、半年前よりずっと強くなったんだよ!」
「へー、そうなんだ! ホントに? どのくらい?」
「えっとね、すっごく! このくらい!」
 言って小さな体で精一杯両手を広げてみせる。
「ホントかよ、オイ。フカシだったらけつっぺたひっぱたくぞ、コラ」
「……メッキー、セデル叩いたら、俺、許さない!」
「ンだと? やるかコラスミス。俺とお前が戦ったらぜってー俺が勝つぞ」
「喧嘩は駄目ですー! 喧嘩したら俺はじけますよ!」
「セデルちゃん、ルビアちゃん。ボクにだけこっそり、どんなことができるようになったか教えてくれない?」
「あ、こらホイミン、抜け駆けしたら叩っ斬るぞ!」
「コキコキッ、カタタタ(踊っている)」
「クルックー、クックック」
「グルルン、グルォン」
「ガウガウ、ゴロロロ……」
「……………………」
 と、大騒ぎを始めた魔物たちの間に、ふいにトーンと石畳を叩く音が響いた。ピエールが剣の鞘で軽く石畳を叩いたのだ。
 なんとなく静まり返ってピエールを見る魔物たち&双子に、ピエールは落ち着いた声で言う。
「では、セデル。久方ぶりに稽古をつけてさしあげよう。この半年でどれだけ進歩したか、私に見せていただきたい」
「うんっ!」
 元気にうなずくと、みんながさっと散って観戦状態になるのを待ってからセデルは剣を抜いた。自分の身の丈並みに大きい剣を、この少年は器用に振り回すのだ。
 ピエールも剣を抜き、正眼に構える。それをじっと見つめてから、セデルはピエールに斬りかかった。
「えーいっ!」
 気合を発しつつ真正面から切り下ろす。その速さ、力、共に成人した兵士に勝るとも劣らない。
 が、ピエールは斬り下ろされる剣を横から自分の剣で軽く押し、流れを逸らす。セデルの剣はピエールの脇の石畳を叩いた。
 セデルはむうっと頬を膨らませると、さらに剣を振るった。右から払い、方向を転じて左から、動きが止まったところを狙って突き。ピエールから習ったスライムナイト流剣術の基礎だ。スライムナイト流剣術は小さい者が大きい者と対峙したとき最も有効となるので、力で打ち砕く剛の剣、グランバニアの剣術よりセデルに合っている。
 しかしピエールは右からの攻撃を剣を使って跳ね上げ、左からの攻撃を盾で止め、突きをあっさり受け流した。この間ピエールの体は最初の位置から少しも動いていない。
「セデル坊っちゃん、頑張りや!」
「ファイトだよセデル、もういっちょ!」
「うん!」
 声援に元気にうなずいて、下からすくい上げるように一撃を放つ――ピエールなら慣れていないだろうから不意をうてるんじゃないかとセデルなりに考えた一撃は、ピエールにすうっと間合いを外して避けられた。
 と同時に、ピエールは攻撃に転じた。予備動作なしにひゅっと間合いを詰め、セデルの額にぴたりと剣を突きつける。
 思わず動きが止まるセデルに、ピエールは冷静な口調で告げる。
「確かに半年前からいくぶん成長はされているが――まだまだだな」
「うー……」
 セデルは悔しそうにうなだれた。ピエールは魔物たちの中でも最強と目される一人で、グランバニアの兵士たちが束になってもピエールに傷一つつけることができないほどの腕の持ち主だ。
 だがその分自分にも他人にも厳しい。そんなピエールに魔物たちから次々と非難の声が飛んだ。
「ピエールったら、ひどいよ! セデルはまだちっちゃいんだよ!」
「この年でこんなに立派に剣を振るってるってだけで大したもんじゃねぇか。もーちっと優しくしてやれ!」
「確かにこの年にしては大したものだ。が、敵は年齢を考慮してはくれない。セデルとルビアはアディムたちを自分たちの手で探し出そうというのが目的なのだ、大人と戦っても勝てる程度の腕は身につけておかねば最悪命を落としかねん」
「う……それはそうかもしれんけんども……」
 あくまで冷静に正論を言うピエールに、魔物たちはうなだれる。が、その中でスラりんだけは跳び上がって反論した。
「おいらたちが一緒なら平気だよ。ザオラルしてあげられるし、守ってあげられるじゃないか」
「それはそうだが、二人も成長せねばならない。経験値の取得は絶対に必要だ」
「二人は馬車の中に入ってればいいじゃないか。おいらたちが外に出て戦えば」
「パトリシアはアディム以外には頭を垂れようとしないのを忘れたのか?」
「あ、そうか……」
 スラりんもうなだれる。
 成長の最良の教師は実戦だ。これは実戦の緊張感だのなにが起こるかわからない実戦の怖さだのという問題ではあんまりない。
 どんな相手であれ、敵を実戦で打ち倒すと、俗に経験値と呼ばれるエネルギーが打ち倒した、及びそれに協力した者の体に入る。それにより通常の訓練による力量向上とは比べ物にならない速さで能力を向上させることができるのだ。
 経験値がそれぞれに設定された臨界点を突破すると(そこに至るまでの距離は教会で知ることができる)、飛躍的に能力が向上するのだ。これを俗に、レベルが上がると言う。
 そして、本来なら戦闘の前面に立ち、命をかけて戦わねば手に入らない経験値が、アディムの使っていた馬車の中にいると外で同じように旅している者が戦って手に入れたのと同じだけの量を手に入れることができるのだ。
 これを利用してレベルを上げた者は魔物たちの中にも何人もいる。なぜこの馬車にそんな力があるのかは誰も知らない。
 ちなみにこの馬車は世に出回る道具袋と同じく空間が歪んでいるらしく、どんなに大きな魔物が中に入っても絶対に壊れないのだ。重さも加算されない。
 牽く馬であるパトリシアも尋常一様な馬ではない。通常二頭で牽く馬車を一頭で牽きながら、山をも乗り越えるだけの力。幾年を経ても少しも衰えを感じさせない、とんでもない馬なのだ。
 こんな代物を手に入れられるオラクル屋は只者じゃない、と馬車のことを知っている者はみな口を揃えて言う。
 とにかくパトリシアが馬車を牽こうとしない今(セデルとルビアにはなついているが、言うことはなかなか聞いてくれない)、馬車を利用した安全なレベル上げはできないのだ。
 うつむいたセデルと、それを不安そうに見守るルビア。しばしその場に流れる気まずい雰囲気を、マーリンが咳払いで破った。
「それはさておき、セデルさまルビアさま。魔法のお勉強は欠かさなかったでしょうな?」
「あ、うん! ボクね、マホトーンの呪文、二回に一回は霧が出るようになったよ!」
 あっさり顔を上げて元気よく言うセデルに、魔物たちのみならずルビアも内心胸を撫で下ろす。ルビアはセデルに続き、微笑みを浮かべて言った。
「わたしはヒャドの呪文が、長い呪文を唱えればほとんど成功するようになりました」
「ほう、それは素晴らしい!」
「二人とも頑張ったんだな。凄いんだな」
「やるじゃねぇかセデル、ルビア。俺っち感動して涙出てくらあ!」
 みんなして双子を褒めちぎる魔物たち。単純に甘いのとはまた違う風に、魔物たちはセデルとルビアが可愛くて、褒めたりいい子いい子したくてたまらないのである。
 ピエールがわずかにスライム部分を震わせて(人間なら口元をほころばせる、に相当するような仕草だ)、双子に言った。
「では、その努力の成果を見せていただきましょうか。お二人とも順に魔法を使うところを見せていただきたい」
「これ、ピエール! いくらお前でも魔法の勉強に口を出すことは許さんぞ!」
 魔法に対する知識と技術は魔物たちの中でも随一、それを買われて双子の魔法の先生となっているマーリンが顔色を変えて怒鳴ると、ピエールはすっと頭を下げた。
「それは失礼をいたした。だが、卿も同じことを言うつもりだったのだろう?」
「……まったく、しょうがないのう。セデルさま、ルビアさま。我らに見せていただけますかな?」
「うんっ!」
「……はい」
「じゃ、ルビアからね! ルビアの方がいっぱい呪文の勉強してたから!」
「……いいの?」
「だって、さっきはボクがやったじゃないか。順番だよ」
「うん……お兄ちゃん」
 ルビアははにかむような笑みを見せると、場所を空けた魔物たちの真ん中に進み出て、宙に向けて杖を振り回し、呪文を唱える。
「酷寒の大地に吹き荒れし凛々たる冷風よ。大地の底に横たわりし凍れる魂よ。我が声に従いてその身を刃となし、我が敵を貫け。……ヒャド!」
 ルビアが呪文を唱えると、杖の先からルビアの体の半分ぐらいの大きさはある氷の刃が飛び出して、宙に舞った。それはすぐに宙空に溶け消えてしまったが、魔物たちはやんやの喝采を浴びせる。
 次はセデルの番だ。セデルは張り切った表情でマーリンの前に立つと、気合を入れた声を発する。
「魔法魔法、封じ込めー! マホトーン!」
 その元気な声に従って、セデルの指先からどわっと紫色の霧が噴き出す。魔物たちはおおおとどよめいた。
「すごいすごーい! セデルもルビアも本当に頑張ったんだね!」
「お二人とも、お見事! このマーリン感服仕りました!」
「坊もお嬢もやるやんけ! わいホンマ感動や〜!」
「えへへっ、みんな、ボクたち、すごい? 頑張った?」
 うんうんとうなずく魔物たち。セデルとルビアは顔を見合わせて快心の笑みを浮かべた。
「でもさー、マーリン。前から思ってたけどなんでボクとルビアで教え方が全然違うの?」
 マーリンはそう問われ、思わず笑みを浮かべる。ルビアに古来からの呪文学にのっとった伝統的呪文教育を、セデルにセオリーを無視した気合が勝負の呪文教育を施したのはマーリンの考えだった。
「呪文というのは、魂の素質だと言うのはお話しましたな?」
「うん。どんな呪文が使えるか使えないかっていうのはその人が生まれた時から決まっていて、どんなに頑張っても人それぞれの決まった呪文以外は使えないんだって」
「そうです。呪文の勉強など少しもしなくとも経験値を溜めてレベルが上がっていけば呪文は自然に覚えていけるし、どんなに勉強しようともその素質のない人間には呪文は使えませぬ。まあ素質のあるなしはある程度まで教会や呪文知識のある者などにより見破れますゆえそのような無駄なことはまず起こりませぬが。とにかく呪文とは基本的に素質が全て、どの呪文が使えるようになりどの呪文が一生使えないかということがわからぬのに画一的な呪文教育を施すことは断固として避けねばなりませぬ」
「ねえ、かくいつてきってどういう意味?」
「ええ、その、つまりみんな同じ、という意味です。呪文による魔力の動き、効果は同じでもそこに至るまでの内的過程が個人によりまったく違うということが呪文ではありえるのです。よって呪文はことに人それぞれ、合ったやり方で勉強せねばなりませぬ。呪文の勉強は基本的に、いかに呪文という未知の感覚をつかみ、制御するかということに対する勉強なのですから。まあ、むろんレベルを上げることなく習得可能な呪文を習得したり未知の呪文を習得したりという勉強もありますが」
「うーん、難しくってよくわかんないや」
「そ……そうですか……」
 力を入れた解説をあっさりすかされ、がっくりとうなだれるマーリンの肩を魔物たちがぽんと叩く。
「……ねえ、みんな。わたしたち、頑張った?」
 黙っていたルビアがふいに口を開いたので、魔物たちはばっとルビアに注目した。
「うん、すごく頑張ったと思うよ」
「じゃあ……あのね、ご褒美、くれる?」
 ルビアの言葉に魔物たちはこっそり顔を見合わせて微笑んだ。こういう時に双子が求めるご褒美というのはいつも決まっているのだ。
「どんなご褒美け?」
 セデルとルビアは顔を見合わせて、声を揃えた。
『お父さんとお母さんの話をして』

「アディムはなー。よくわからん奴だったよ」
 口火を切ったのはいつもの通りメッキーだ。
「よくわからないの?」
「俺はあいつと会った頃、とにかく食うこと、殺すことしか考えてなかった。邪悪な意思ってのに支配されてたんだな。だからいつも通り仲間と、山道を歩いてたあいつになんにも考えず襲い掛かっていったんだ」
「それで? お父さんはどうしたの?」
「あいつは……そうだなぁ、戦ったんだけど……それまで俺が戦ったどんな奴とも違う戦い方だった。普通に戦ってるように見えるだけなのに、なんか……」
「なんか?」
 ここでドラきちが割り込む。これもいつものこと。
「アディムっちゅー奴はな、えらい器のでかい奴やったんや」
「器のでかい?」
「せや。なんちゅうたらええねんやろな、俺らの邪悪な意思に支配された心も魂も、丸ごと包みこんでくれるっちゅうか。俺らのなんもかんもをぽーんと受け容れて、解放してくれる。そんな広さがあったなぁ」
 それを言うと普段通りに魔物たちがてんでにアディムについて喋り始める。
「なんていうか、澄んだ空気のような方でしたよ。そばにいると心も体もきれいになっていくような。心身を浄化するような、そういう不思議な雰囲気がありましたね」
「あの人は、俺らの悪意を体から抜き取って、消し去ってくれたんだ。魔物の間でも手のつけられない乱暴者と知られた俺がよ、あの人のそばにいると変われるような、そんな気がしちまったんだよなぁ」
「見てるだけで惹かれるような人だったよ。すごく不思議な目をしててな、あの目を見たらひと目で惹きこまれちまった」
「いい男だったわ。あたしは見た瞬間に恋に落ちた。あんなにいい男、今までもこれからも会うことはないでしょうね」
「具体的にどういう風にして仲間になったの?」
 ルビアがこれを聞くと、魔物たちは静まり返る。そしていつも通りに、スラりんがぴょんと前に飛び出てきて笑って言った。
「あのね。アディムと戦った時ね、胸んとこが、ぽっ≠チてしたんだよ」
「ぽっ=H」
「うん。なんだか戦いながら胸のところが暖かくて気持ちよくて、それがどういうものかよくわからなかったけどなんだかアディムのことが気になって気になって。倒されたら、意地とかいじけた気持ちとか悪意とかそういうのが全部抜けちゃって、ただもうこの人についていきたいって思っちゃったんだ」
「へえ……そうなんだ……」
 セデルとルビアはしばし黙って、いつも同様自分たちの父親のことを脳裏に思い浮かべてみる。
「お父さんって、強い?」
「心技体、全てにおいて」
 ピエールが即座に返答する。
「お父さんって、優しい?」
「もちろん。ものすごく優しいよ」
 ベホマンがきっぱり断言する。
「そっかぁ……」
 セデルとルビアは空を見た。空はいつも通りに高く、青い。
「この空の下のどこかにお父さんとお母さんがいるんだよね」
「もちろんですとも」
「……会いたいなぁ………」
「ガルゥ……」
 ソロがすっとセデルとルビアの前に進み出た。セデルとルビアはそのすべらかで暖かい毛皮にもふっと頭を埋める。
「会えるよね?」
「お父さんとお母さんに、会えるよね?」
「会えるさ!」
「ガル、ゴロロ……」
「絶対会えるよ!」
「会えます。必ず」
 口々に言う魔物たちに、にこっと笑ってうなずいて、セデルとルビアはまたソロの毛皮に顔を埋めた。
 魔物たちは無言でその二人を見つめた。この愛しい双子が父と母のことをなによりも強く求めていることは、全員よおくわかっていたのだ。

「セデルさまー! ルビアさまー! どちらにいらっしゃるんですかー!?」
 当然外のどこを探してもセデルもルビアも見つからず、半狂乱になりながら屋上庭園に戻ってきたサンチョの前に、セデルとルビアの乳母であるトォーワが歩いてきて、シッと小さく(しかし鋭く)注意した。
「静かにしてくださいサンチョさま。今お休みになられているんですから」
「え……セデルさまとルビアさまが、お部屋にいらっしゃるのかね!?」
「ええ、眠りこまれたお二人を魔物たちがベッドまで運んできましたんです。ちょうどお昼寝の時間でしたからねぇ、お二人ともぐっすりですよ」
 サンチョはがっくりと肩を落とした。
「ああ、わたしとしたことが……またもや魔物たちに子守の役を取られてしまった……!」
「ああお気持ちわかりますよ。セデルさまもルビアさまも近頃私より魔物たちと一緒に遊ばれる方が多くなって。私みたいなおばさんにはもう用がないってことなんですかねぇ……」
 はぁ、とため息をつくトォーワに、サンチョはさらに深いため息を返した。

 セデルとルビアは別にサンチョやトォーワたちから心が離れているわけではない。二人とも前に変わらず好きだ。
 ただ、魔物たちと一緒にいる方が多くなったのは、魔物たちが応援してくれるからである。
 お父さんとお母さんに会おうと、努力することを。
 城の者たちはみんな、アディムとビアンカを自分たちの手で探し出すと言うといい顔をしない。でも魔物たちは応援してくれる。
 二人はただ、会いたいのだ。
 物心ついた時からずっと追い求めていた――お父さんとお母さんに。

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