賭けるのはコインだけ

「新しい仲間がずいぶん増えたなぁ……」
 モンスターじいさんのところで名簿を確認して、アディムが言った。
 エルヘブンで魔法のじゅうたんを手に入れ、世界のあちこちを、特に今まで人の訪れたことのないような地をビアンカの手がかりを求めて歩き回るようになってから早数ヶ月。確かに仲間は以前の倍近くに増えていた。
 性格も能力も様々だが、そのほとんどはグランバニアでモンスターじいさんに面倒を見られつつ暮らしている。そして交代でアディムと共に旅に出て、レベルを上げて戻ってくるのだ。
「だんだん全員に目が行き届かなくなっとるんじゃないか? この前コドランが寂しがっとったぞ」
「コドランはもうレベルが限界まで上がってしまったから連れて行くわけにはいかないんですけど……そうですね、グランバニアにも毎日戻るというわけにはいかないし、みんなには寂しい思いをさせちゃってるかなぁ」
 困ったように微笑むアディムに、モンスターじいさんはくっくっと笑った。
「まあ、お前の仲間たちはお前と一緒にいたいという気持ちのために邪悪な意思を振り切れたわけだからのう。たまにはみんなと一緒の時間を過ごしてやったらどうじゃ?」
「そうですね……もう少ししたら、グランバニアに帰って休みを取ろうかな。セデルとルビアもグランバニアの人たちの顔を見たいだろうし……二人と遊んであげたいし」
 ったくこの親バカが、とモンスターじいさんは内心苦笑するが、双子を知っているモンスターじいさんにはその気持ちは理解できなくもないのでなにも言わない。
「じゃあおみやげが必要ですよね。みんなの武器も新調してあげたいし、少しまとまったお金がいるな」
 ほ、とモンスターじいさんは歯の抜けた口をOの字に開ける。
「お主、あれをやるつもりかの?」
 アディムは微笑みを返した。
「はい、あれをやるつもりです」

「セデル。ルビア。ソロ。スラりん。ピエール。ベホマン。ゴレムス。そろそろ行くよ」
「はーい!」
「モンスターじいさん、さようなら。また来ますね」
 アディムがモンスターじいさんと話している間、イナッツと話したり遊んだりしていた双子と魔物たちはぞろぞろとアディムのあとについてモンスターじいさんの住処を出た。
 ここはオラクルベリーの町。近くまで来たので新しく仲間にした魔物をモンスターじいさんに預けるべく寄った。
 空間を超越する魔力を持つモンスターじいさんにとって、空間的な距離は意味を成さない。モンスターたちは間違いなくグランバニアにまで届けられたことだろう。
 時は夕方、方々の店先からは美味しそうな匂いが漂い始めている。不夜城オラクルベリーの真の活動時間が始まる、逢魔が刻。それは酔客や破落戸、スリかっぱらいなどの出回る時間との境目でもあった。
 あちこちから店への盛大な呼びかけ(『そこ行くお兄さん、いい娘いるよ! 寄ってかない?』だの『ねえお兄さん、あたしと一緒にお酒呑んでいいことしましょうよぉ』だのいう声を聞いて教育上よくないとアディムは眉をひそめた。モンスターじいさんのオラクルベリーの住処はオラクルベリーでも最もどぎつい歓楽街のど真ん中にあるのでその程度で済んでよかったと思うべきなのかもしれないが)を受けつつ、アディムは足早に歩を進めた。迷いのない、真っ直ぐな足取りである。
「今日はこの街に泊まっていいかい?」
 セデルたちに確認すると、セデルたちは揃ってうなずいた。
「ボクたちもそのつもりだったよ。もうすぐ夜だもんね」
「わざわざ他の街に行く必要もなし、至極当然な考えかと」
「それで、宿に行く前に少しだけ寄っていきたいところがあるんだけど」
「どこですか?」
「カジノ」
 あっさりとしたその答えに、セデルは顔を輝かせルビアはあからさまに顔をしかめた。
「カジノ行くんだ! お父さん、ボクスライムレースやっていい?」
「……なんでカジノ行くの? この前行った時はお父さんなにもしてなかったじゃない」
 セデルとルビアは以前にも一度アディムに連れられてオラクルベリーのカジノに来たことがあった。その時はアディムは二人にお小遣いとして少量のコインを与え遊んでおいでと送り出したのだが、セデルはあっという間にスライムレースで全額すったーと明るく戻ってきたし、ルビアはスロットのけたたましい音に気分が悪くなってきたので早々に退散したのである。
 アディムは苦笑すると、足を止めてルビアに頭を下げた。
「ごめんね、ルビア。ルビアがカジノをあまり好きじゃないのはわかってるけど、ちょっとカジノに行く用事ができてしまったんだ。できるだけすぐ済ませるから、ちょっとだけ我慢していてくれないか」
「………うん」
 ルビアはこくんとうなずく。その素直な仕草にああっ、なんていじらしいんだーっ! とアディムはルビアを抱きしめたくなったが、以前街の真ん中でルビアを抱きしめて恥ずかしがらせてしまったことがあったのでルビアの気持ちを思い必死に耐える。
 セデルが不思議そうな表情を浮かべて首を傾げた。
「カジノに用事って、なに?」
「ちょっとね。まあすぐに終わると思うから」
「ふうん……?」
 よくわからない、という顔のセデルに、セデルが生まれる前からアディムと付き合っているスラりんとピエールが声をかけた。
「心配することないよ。アディムがすぐ終わるって言ったら、ホントにすぐ終わるから」
「カジノにおいてのアディムの勘が間違うことはない。信頼して待つことだ」
「………うん」
 ぴんときたような顔はしていなかったが、セデルはうなずいた。

 たららたらっら、たららたらっら、たららたらったーららららーらっ♪
 スロットマシーンの騒音、終わりにさしかかったステージの演劇、格闘場の歓声の合間からかすかに聞こえるバックミュージック。前に来た時と少しも変わらないカジノの喧騒。
 そんな中をアディムは真っ直ぐ子供と仲間たちを引き連れてコイン管理所に向かった。
「アディムという名ですが」
 コイン管理所の係員であるバニーの女性は、記憶珠の端末に名前を入力して検索する。
「アディムさん、アディムさん、と。まあ、八年以上前からのお客さん? ずいぶん若い頃からカジノに出入りしていらっしゃったのねぇ。いけない人v」
 普通ならカジノの係員は客に対する口の利き方を徹底的に仕込まれているはずだが、この女性は入ってから日が浅いようだった。それとも単に図太いのかもしれない。やる気なさげにぼうっとしていたのに、アディムの顔を見たとたん急にイキイキとして秋波を飛ばしてくる。
 だがアディムは流し目にも胸を強調する仕草にも眉一つ動かさず、落ち着いた口調で言う。
「全額引き出したいんです」
「全額ね……って、ちょっと、あなた。全額って2057枚全部? 使っちゃうの?」
 係員の女性は驚愕した。2057枚といったらゴールドにして四万千百四十ゴールド。中規模の商人や中級官僚の年収にも匹敵する額である。そりゃオラクルベリーの大商人たちの中にはそんな額など毛ほどにも感じない者たちは大勢いるだろうが、いかにも旅人という感じの質素な服を着て魔物と子供をつれたこの若者にとっては、相当な額だろうと女性は思ったのだが。
 しかしアディムはあっさりうなずいて、女性の言葉を肯定する。
「はい。全部使うんです」
「はあ……思い切ったものねぇ……」
 女性はやれやれと肩をすくめると、上目遣いでアディムを見上げた。
「全部すっちゃっても気を落としちゃダメよ。あたしもうすぐ上がりなの。負けたらあたしのとこに来たら一杯おごってあげるわよv」
「ありがとうございます。そうならないように、祈っていてくださいね」
 そう言ってにっこりと微笑む――その精悍でいながら芸術的とさえ言える美しい顔立ちに、暖かさや優しさ、自分がこの数年見かけたことのないような誠実さを感じ、女性は陶然としてしまった。彼の微笑みは、子供っぽさと男らしさが絶妙な配分で混ぜ合わされ、女の心も体も震わせ蕩かしてしまうのである。
 アディムはコインを受け取ると、子供たちと魔物たちを引き連れて真っ直ぐスロットの方へ向かった。スロットはただコインを入れてレバーを引けばいいだけなので、簡単そうに見えて初心者が多く挑戦するものの、そのほとんどは元さえ取れずに沈んでいくカジノの稼ぎ頭である。
 だがアディムの向かったのはスロットコーナーの一番奥、100コインスロットだった。セデルも、騒音に顔をしかめていたルビアも、驚きに口を開ける。
「お父さん、100コインスロットするの?」
「そうだよ」
 子供たちにアディムは優しく微笑む。
「でも、大丈夫? コインすぐなくなっちゃわない?」
「まあ、見ていなさい」
 アディムは仲間たちと共に、巨大な100コインスロットの前に立った。係員が飛んできて、100コインスロットをやられるんですか、と丁寧に聞き、うなずくと素早くマシンの横に飛んでいって待機する。100コインスロットは外れたときもでかいが当たった時のコインの数もものすごいため、万一の時のためにコインを集める役割の人間が必要なのだ。
 コインが尽きたのかその辺りをうろうろしていた人間の中から、周りにギャラリーが集まり始めた。100コインスロットと名称はあっさりだが、動く金の量は半端ではない。最低でも一回2000ゴールド、普通の働き手には月収に匹敵する額である。大商人ならともかく、大して金を持っていそうにも見えない旅人が100コインスロットに挑戦するのは、どうしても注目を集めてしまうらしい。
「なんだかいっぱい集まってきたなー」
「……お父さん、頑張って!」
「頑張ってー!」
 子供たちの声援に微笑みを返し、アディムはじっとスロットを見つめると、100コインだけ入れてレバーを引いた。
 ……結果は外れ。
 ため息のような声がギャラリーの間から漏れる。
 次も100コインだけ入れて外れ。次も同じ。その次も同じ――と、みるみるうちに残り1000コインにまで減ってしまった。
「あの若いの、思い切ったもんだがやっぱりそううまくはいかんよなあ」
「素人だな。他のリールにも賭けてれば当たった時もあったのによ。世の中そう甘くねえってこった」
 ひそひそと交わされる囁きに、セデルとルビアは不安そうな顔になる。
「お父さん……」
「大丈夫かな?」
「心配ないって」
 スラりんがぴょこんとルビアの肩に飛び上がって言う。
「なんで?」
「だって、アディム、まだ余裕たっぷりだもん」
 言われてアディムを見つめると、アディムはじっと静かな眼差しでスロットの絵柄を見つめている。完全にドラムが動きを止めたのを確認して、小さく呟いた。
「―――きた」
 え? と周囲が怪訝に思う暇もなく、アディムは一気に最高額の900コインを投入してレバーを引く。周囲からまた呆れたようなため息が漏れた。
「馬鹿でえ、あの優男。一気に残りコインを使い切っちまった」
「いや、そうとも言えんぞ。今回でどれか揃うかも……」
「あ、おい見ろよ。スイカが二つ……」
「……三つ」
「………四つ!?」
「おいおいおい、まさか………」
 ぱーっぱらっぱっぱっぱっぱーっぱらっぱっぱっぱっぱっぱっぱっぱっぱっぱっぱ―――、ダダダダン!
 うおーっ、とギャラリーが、係員が沸いた。
 大当たり。スイカ五つの1000倍。一つのリールにつき300コイン賭けていたので、なんと出てきたのは三十万枚という数のとんでもない量のコインである。専用パックでは受けきれず、こぼれるコインを係員が必死に拾った。
 ゴールドにして六百万ゴールド。庶民では一生かかっても稼げないような大金だ。自分のものではないというのに、見ていた者の中には興奮のあまり卒倒する者もいた。
「おい兄ちゃん、あんためちゃくちゃ運いいなぁ!」
「こんな馬鹿当たり初めて見たぜ……すげえ、すげえ、凄すぎる!」
「ちょっと恵んでくれ! な! いいだろ!?」
 背中を叩いたりしがみついたりするギャラリーに笑顔を返して追い払いつつ、アディムはさらにスロットを続けた。また100コインだけ賭けては外れる、というやり方である。
「兄ちゃん、兄ちゃん! もうやめた方がいいって!」
「お兄さん、そんなに儲かったんだから、景品と交換してきた方がいいよ? 幸運はそんなに続かないんだから」
 周囲のギャラリーはそう喚くが、アディムは気にせずスロットを続け、ある一瞬、またきらりと目を輝かせて900コイン賭けた。
「………まさか」
 そのまさか。
 今回もスイカが五つ揃い、三十万枚という大量のコインが吐き出されたのである。魔法でコイン倉庫と空間的に繋がっていなければ、マシン内からコインが尽きてしまったことだろう。
 その後、さらに三十万枚を一回当て、百倍の三万枚も数回当て、合計で百万枚を軽く超える量を稼いで、アディムはスロットをやめた。係員からパックを受け取る。道具袋のように空間が歪んでいる袋でなければ、重い上に非常にかさばったろうが、幸いそういう苦労はない。
 周囲のギャラリーも係員も、もはや呆然として声も出ない。セデルとルビアもちょっと呆然としていたが、アディムにぽん、と肩を叩かれて我に返った。
「わ………お父さん………すごい、すっごーいっ!! 百万枚も当てちゃったー! すごーいっ!」
「……元手を五百倍にしちゃったの? ……お父さん、すごい………」
 口々に言う双子にアディムは微笑んで頭を撫でる。
「ありがとう。お前たちがいてくれたから、お父さん頑張れたよ」
「……そう? えへへへ」
 嬉しそうに笑うセデル。ルビアも微笑んだ。
「さて、僕は景品交換所に行ってくるけど、セデルはスライムレースをやってくるかい?」
「あ、うん! ボクやりたい!」
「コインどのくらいいる?」
「何枚でもいいよ」
「それじゃ、今日は頑張って応援してくれたから特別に千枚」
「うわー、ありがとう!」
 そんな会話を交わしつつ遠ざかっていくアディムたちを、ギャラリーは呆然と見送った。中の一人がぽそりと言う。
「子供の小遣いに千枚……二万ゴールドかよ……」
「……俺の年収より高え」

 景品交換所はパニックだった。なにせ百万というとんでもない数のコインを稼いだ客が現れたのである。
 ゴールドに換算すると二千万ゴールド。もはや国家予算に匹敵する額だ。むろん景品はコインをゴールドに換算した額より安めのものを用意しているわけだが、それでも元手はそれなりにかかっている。
 特に景品の中でも高額商品になると、カジノと専属契約を結んでいるゴールド好きの妖精たちから高い金を払って特注で仕入れているものが多くなるため(そういう景品は普通の人間にはとても手が出ないため見せ景品として置いてあるのだ)、店としてもそれを取られることはかなりの痛手である。景品を切らさないためにまた仕入れなくてはならないからだ。
 しかも、この客は――
「グリンガムの鞭を一本。メタルキングの剣を四本。キラーピアスを十個。世界樹の葉を二十枚。エルフの飲み薬を二十五個」
 合計五十七万七千五百コイン。千百五十五万ゴールド。
「……燻製肉を六十kg。野菜の詰め合わせを二十個。指輪全種、一個ずつ。首飾り全種、一個ずつ。腕輪と耳飾りも同じく。その服とあの服と、お菓子全種と、それから……」
 その高額景品を大量に交換した上で、安価な景品も大量に交換していくのである。
「お父さーん、ボクスライムレースで大穴当てたよ! 四千枚!」
「すごいな、セデル。なにか好きなものと交換したらどうだい?」
「うん! えっとね、えっとね……あ、ボクチョコレートほしいな!」
 のどかに会話する親子の前で、大量の景品が道具袋に詰められていく。景品交換所の在庫に強烈な打撃を与えて、しかもまだ数万枚の余裕があるのだ。
 支配人はもはや真っ白な灰になって、諦めきった薄笑いを浮かべながらその光景を見つめていた。

「すごいなー、お父さんって! ボクあんなにたくさんのコインが出てきたの初めて見たよ!」
 セデルは父親に右手を引かれながらご満悦である。隣を歩いていた(スライムの跳躍を歩行と言うならば、だが)ピエールがくすりと笑い声を立てた。
「アディムはカジノには天性の勘を持っているのだ。私がパーティに加入した当初からアディムは幾度かカジノを訪れたが、その度に大量のコインを稼いでパーティの装備に貢献していた」
「それでお父さんもピエールもスラりんもメタルキングの剣を持ってるんだね。他にもカジノの景品を装備してる仲間はいっぱいいるし」
 感心するセデルの反対側で父親に左手を引かれながら、ルビアはふわあとあくびをした。
「大丈夫かい、ルビア?」
「……え、わたしは大丈夫です。眠くないです、眠くない……」
 と言いながらも首がこっくりこっくり揺れている。アディムは足を止めると、ルビアをそっとおんぶして、行きつけの宿屋に向かった。
 ここはオラクルベリーでは中くらいの宿だが、値段のわりに食事もサービスも良好で、部屋もよく掃除されていてベッドが気持ちいい、というのでヘンリーと旅をしていた頃からずっと愛用している宿なのだ。
「いらっしゃーい!」
 宿屋の主人の元気のいい声を浴びながら、アディムは玄関をくぐった。
「八人。できるだけ部屋数は少なく」

「………あれ?」
 アディムは眉を寄せた。昼頃、出立の時刻。全員一つの部屋に集まっている。
 宿は二つ部屋を用意してくれて、それでもベッドが足りなかったので簡易ベッドを出してきて寝たのだが(ゴレムスは本当なら人間の家になど入れないほど大きいのだが、巨大な魔物は仲間になるとある程度まで体長を小さくする特殊能力を会得するようなのだ)、出発前に一つの部屋に集まって今日の予定を話すのはもはや決まりである。
 だが、その前に荷物の整理をしていると、荷物の取り出しやすいところにしまっておいたはずの財布が見つからない。荷物の底までさらって、徹底的に調べてみたがない。道具袋に手を入れて、財布があるか調べてみたがやっぱりない。
「みんな。財布がどこにあるか知らないかい?」
「財布? ボク知らない」
「ゴ、ゴゴ」
「財布が見つからないのか?」
「うん……困ったな、これから出発しようって時に……」
「……お父さん」
 ルビアがアディムの服の裾をくいくいと引っ張り、蒼白になった顔で言う。アディムはルビアがショックを受けていることを感じてショックを受けながらも、優しく聞いた。
「どうしたんだい、ルビア?」
「わたし……お財布持ち出したかもしれない」
「え?」
「わたし、真夜中目が覚めたの。すごく喉が渇いて……それで、なにか飲みたいなって……お金を払って飲み物を作ってもらおうって思って、お父さんの荷物から財布を持ち出したかもしれない。寝ぼけててよく覚えてないんだけど……」
「なるほど……その財布をどうしたか、覚えているかい?」
 ルビアは泣きそうな顔で首を振った。
「部屋に戻ったらすぐ寝ちゃったから……よく覚えてない……」
「そうか。うん、大丈夫。お父さんがすぐ見つけるよ。財布はグランバニアの職人特製の魔法で封をした財布だから僕たち以外の奴にはそう簡単には開けられないし、入っているのはせいぜい二万ゴールドぐらいだし」
「……でもさ、アディム。もうすぐ宿出なきゃいけないんだよ? ここの宿代、どうするの?」
「この街にはゴールド銀行があるだろう。そこから金を引き出せばいい」
「アディム……今日は土曜日だ。今日と明日銀行は休みだぞ」
「…………あ」

「冗談じゃないよっ!」
 宿の女将は、口から泡を飛ばして怒鳴った。
「財布をなくしたから出発を取りやめてもう一泊するだってぇ? しかも宿とお客の荷物を調べさせろ? 馬鹿なこと言うんじゃないよっ、金を払えない奴のためになんでお客さまに嫌な思いをさせなきゃならないんだい! どうせあんたらは最初っから金を払う気なんかなかったんだろう、魂胆は読めてるんだよこの風来坊! 一日一日と逗留を伸ばしてさんざんただ飯を食ってから逃げ出すつもりだろう!」
 女将の剣幕に仲間たちは引き気味だった。特にルビアはもう泣きそうになっている。そんな中、アディムは一人毅然と女将に立ち向かった。
「僕たちはそんなことを考えてはいません。確かに証拠はと言われるとなにもありませんが、宿の中を探して財布が見つかればきちんと宿代はお支払いします。それによしんば財布が見つからなかったとしても月曜日まで待っていただければ銀行から金を引き出してちゃんとお支払いします。ですから客としてお願いします。財布を捜すのに協力していただけませんか」
「馬鹿抜かすんじゃないよっ! そんななりをして銀行に金を預けてるって言われて信じられるもんかい! きちんと金を払ってくれない相手は客じゃないんだよ、この宿無し! 今すぐお上に通報してとっ捕まえてもらってやるから!」
「………お願いします」
 まくしたてていた女将がアディムに澄んだ瞳でじっと見つめられ、一瞬頬を染めて黙り込んだ瞬間、宿の主人が口を開いた。
「まあそう言うもんじゃねえよ。このお人は今まで何度もうちに泊まって、きちんきちんと宿代を納めてくれたんだ。今回に限って金を払わねえ気だったってことはねえだろう」
「……覚えていてくださったんですか」
「おうよ。俺は客の顔は基本的に忘れねえんだ、八年前からほとんど顔が変わらねえ客なんてめったにいるもんじゃねえしな」
「でもねえ、あんた……」
 女将が口を開く。目尻にはまだ朱が残り、勢いはあからさまに減じていた。
「あたしだって好き好んでお客を疑いたいわけじゃないけどさ。宿代はきちんと払ってもらわなきゃ、示しがつかないよ。月曜まで待つっていったって、うちは毎日払いが基本だし……あそこはうちでも一番いい部屋なんだよ? そこをずっと塞がらせとくっていうのも……」
「ふむ」
 主人は鼻を鳴らすと、アディムの顔をのぞきこんだ。
「あんた、月曜日まで待つって言ったな。つまり今日明日中に出発しなきゃいけねえわけじゃねえんだな?」
「……ええ、まあ」
「うん」
 一人うなずき、全員を見渡して言う。
「あんたら、しばらくうちで働く気はないかい?」

「お食事いかがですかーっ!」
 オラクルベリーの門を入って歩くことしばし。中程度の宿が立ち並ぶ宿場通りに、まだあどけない、元気な声が響いた。
 声の主は明るい金髪に碧の瞳を持った、まだ十歳にもならないいかにもやんちゃそうな少年である。少年は大きくはないが清潔な印象を受ける宿の前に立ち、にこにこしながら声を張り上げていた。
「お食事いかがですかーっ! おいしいですよーっ! 今は、えっと、ランチの……えっと、サービスランチを売り出し中でーす! 食べに来てみてくださーい!」
 少年は呼び込みの台詞を完全には覚えていないのか、時々考えるような素振りをするが、その様子があまりにあっけらかんと子供っぽいので悪い印象はない。それどころか、元気な中にもどこか気品というか、育ちのよさを感じさせる顔立ちと明るい表情、将来の有望さを感じさせる容姿になんだか人目をひきつける雰囲気に、道行く人々は思わず微笑みを浮かべてしまうのだった。
 道行く中年の女商人が足を止めて、少年の顔をのぞきこんだ。
「坊や、いくつ?」
「八歳……ボクはもう坊やじゃないよ!」
 ぷうっと可愛らしく頬を膨らませる仕草に、女の顔は緩んだ。
「あら、それはごめんなさいね。坊やはここの宿の子?」
「ううん、本当はお客なんだけど、財布がなくなっちゃって宿代が払えないから働いてるんだ」
「あらあら」
 苦笑する女に、少年は元気に言った。
「ねえおばさん、ご飯食べてかない? ここのご飯おいしいよ、女将さんはちょっと怖いけど」
「……おばさん?」
 怖い顔を作ってみせると、少年はにこっと笑った。
「おばさん、なんて名前なの?」
「…………アイソラよ」
 女――アイソラは苦笑した。こうまであっけらかんとおばさん呼ばわりされては苦笑するしかない。実際自分はおばさんなのだし。
 が、少年はにこーっと、こっちまでつられて微笑んでしまうような、明るくて惹きこまれる笑みを浮かべて言った。
「アイソラさん、ここでご飯食べてきなよ! ホントにおいしいよ!」
 その笑みに思わず見惚れてしまったアイソラは、反射的に頬を染めつつ(別にこんな年の子供に色っぽいことを考えているわけではないが、可愛らしさというのは時に母性本能の混じったときめきを呼び起こすものがあるのだ)うなずいてしまう。軽食を取ったばかりで腹は減っていなかったのだが。
 が、はっとした時には「いちめいさま、ごあんなーい!」と元気に言われて、店の中に案内されていた。
 ……まあお茶でも飲んでいくか、と休んでいくつもりになったアイソラの目の前に、すっと差し招くような手が差し出された。
「いらっしゃいませ。お席にご案内いたします」
 アイソラは思わず生娘のようにぽうっとなってしまった。ウェイターはちょっといないくらいいい男だった。黒髪黒目の凛々しい顔立ちにびっくりするくらい優しい微笑みを浮かべて、低く心地のいい声で歓迎の言葉を述べる。
 うやうやしく席まで案内され、椅子を引かれて座らされ――「ご注文が決まりましたらお呼び下さい」と囁かれた時には、背筋がぞくりとした。
 思わずメニューの中で一番高いものを頼みそうになってしまって、慌てて我に返る。
 そんなことをアイソラがやっているうちに、また新しいお客が入ってきた。今度は頑固そうな初老の夫婦連れだが、ウェイターの微笑みはその二人の心もとろかしたようで、表情が緩むのが見えた。
 ――当然、セデルとアディムである。下働きの者が最近ばたばたと辞めてしまって困っていたそうで、宿代は労働で払うということでかたがついたのだ。
 セデルが呼び込み、アディムがウェイター。モンスターたちは客に姿を見せるわけにはいかないということで、裏で皿洗いや力仕事をやっている。
 ルビアは帳簿つけを手伝う、と言って女将に帳簿を見せてもらっていた。わずかな時間で帳簿をあらかた見終わると、ルビアは帳簿を開いて言う。
「あの、こことこことここ、間違ってます」
「なんだってぇ?」
 女将は顔をしかめて帳簿を取り上げた。こんな子供に帳簿のなにがわかるもんかね、と女将はからかい半分で帳簿を見せたのだが、横の修正した数字を見てみると、なるほど、そちらの方が正しい。
 呆気にとられる女将に、ルビアはさらにさらさらとペンを走らせた。
「それと、いくつか買うものに重複が。ここをこうして、ここから直接一括して買い付けるようにすれば、7.5%の経費削減になると思うんですけど」
「………はあ」
「サービスと食事にお金をかけるっていうのは間違ってないけど、無駄にお金をかけることはないと思うんです。下働きの人間を大量に雇うよりも、料理とサービスそれぞれに専門の人間を一人か二人雇ってそれぞれの技術に習熟させる方が経費削減と質の向上に役立つんじゃないかな、って」
 口調そのものはあどけないが、内容は辣腕経営者のものである。女将の気がつきもしなかった無駄や経営改革案をなんの気なしに言う、ルビアはこの年で経済感覚はプロ級だった。
 夕方になって泊まり客や食事、酒を求める人が多くなってくると、双子もウェイターの手伝いに入った。アディムはウェイター兼ポーターという忙しい役目を負い、泊り客ににこやかに笑いかけて軽々と荷物を部屋まで持っていく。
 双子も小さな身体でよく働いていた。八歳の幼い体がコマネズミのように動き、あるいは「いらっしゃい!」「おまちどおさま!」とこちらまで元気になるような笑顔を浮かべ、あるいは客に細やかな気遣いをしつつ大人の保護欲をわしづかみにする内気な微笑みを浮かべる。
 微笑ましさにほとんどの人間の顔が緩み、子供たちにチップを弾む。アディムの気を惹きたくて高額なチップを渡す女性も多かった。
 客の何人かは桁外れのチップと引き換えに『朝までつきあって』と誘いをかけてくるが(泊り客の一人なんかは特に露骨だった)そういう客には恥をかかせないようにさりげなくチップを返し女を芯から蕩かすような魅力的な笑みを浮かべて言うのだ。
「申し訳ありませんが、僕は妻と子供を愛しているので」
 そうして『あんた妻子もちなの!?』と何人もの女性客に絶叫されるも、アディムは気にした様子もなく平然と仕事をこなすのだった。

「つっかれたーっ!」
 セデルは使用人用の屋根裏の小さな部屋のベッドにぼすんと背中から飛び込みながら、楽しげな声を上げた。アディムが微笑んで頭を撫でる。
「お疲れさま」
「でも、楽しかったー! 働くのって楽しいね、お父さん!」
 その根っから陽気な考え方に、アディムは思わず笑みをこぼした。魔物たちは慣れぬ仕事に疲れてすでに寝入っているが(床で。この部屋にはベッドが一つしかないのだ)、我が息子はそんなこと微塵も見せないほどに元気一杯のようだった。
「そうだね。自分の力を生かして働くのはとても楽しいことだ。セデルも大きくなったら毎日働くことになるから、今のうちにいろんな仕事を経験するのもいいと思うよ」
「ボクどんな風に働くのかなぁ?」
「それはセデルが自分でこれから長い時間をかけて決めていくことだよ。どんな仕事をするのかもね」
 セデルはグランバニアの王子なのだから、王宮の仕事、いずれ王となるものの仕事をすることが望まれているのだが、アディムはそのことは言わなかった。アディム自身は王家の存続にさして執着があるわけでもない。グランバニアという王国の性質もあり、セデルが王になることを望んでいないのに王にするくらいなら王家を廃絶した方がずっとマシだ、と考えているのだ。
 セデルは今でさえ重い責任を背負っている。将来まで責任でがんじがらめにするようなことはしたくない。
 ふと、ルビアがベッドに潜らず、うつむいているのを見て、アディムはルビアと視線を合わせた。
「どうしたんだい、ルビア?」
 ルビアは沈んだ声でぽそぽそと言う。
「ごめんなさい……わたしのせいで、今日出発できなくて、みんなを働かせちゃって」
 アディムはつん、とルビアの額をつついた。
「きゃっ」
「何度も言っただろう? 財布を落としたのがルビアかどうかもわからないし、それに宿とは話はついたんだ。宿の人たちも売り上げが普段の1.5倍になったって喜んでくれたし、みんなにもいい経験になったと思うよ。それとも、ルビアは働くの嫌だったのかい?」
「そんなことない!」
 ばっとアディムを見上げて首を振るルビアの頭を、アディムは優しく撫でた。
「じゃあ、もう気にしないこと。いいかい?」
「………うん」
「よし。それじゃあ今日は休みなさい。疲れただろう?」
「はーい」
「……はい」
 双子がベッドの中に潜りこむとアディムはランプを消した(これも魔法の品物で、火を使わずに自在に明かりをつけることができる。この手の品物はそれこそ世界中に普及している)。双子は毛布から顔を出してアディムに訊ねる。
「お父さんは寝ないの?」
「寝るよ。セデルとルビアが眠ったらね」
「わ、じゃあ早く寝なくっちゃ」
「こらこら。お父さんは大人だからお前たちより寝る時間が少なくても大丈夫なんだよ」
「でもー……」
「……お父さん。今日は、一緒に寝てくれない?」
「え?」
 アディムは少し驚いた顔をしてから一瞬世にもだらしなく崩れた顔をして、最後に真面目な顔になってうなずいた。
「いいよ」
 わーい! と喜ぶ双子たち。アディムも嬉しかった。子供たちと一緒に寝るなんてこの前グランバニアに帰った時以来だ。
「お父さん、なにかお話して?」
「そうだなぁ。それじゃあ、今日はカジノに行ったから、お母さんとの新婚旅行でカジノ船に行った時の話をしようか」
「カジノ船って知ってる! アルカパから船でまっすぐ南に行ったところだよね! この前行った!」
「よく覚えてたね、セデル。僕たちはポートセルミから船でまずはアルカパやサンタローズを巡り、それからルドマンさんに教えてもらったカジノ船に向かったんだ……」

「ルビアちゃん、お使いを引き受けてくれないかね」
 翌朝、女将はすっかり柔らかくなった口調でそう言った。ルビアは懸命にテーブルを拭いていた手を休めて、うなずく。
「はい。どこにですか?」
「卸売問屋。いつも月曜日に御用聞きに来るんだけど、用事ができて少し時間を変えてもらわなきゃならなくなったからね。この紙に書いてある時間に来るように言ってちょうだい。道順も紙に一緒に書いておいたから」
 言って紙を渡され、ルビアはこくんとうなずいた。
「はい。行ってきます」
「ルビア、気をつけるんだよ?」
「うん、お父さん」
 言ってルビアは店を出た。急いで行って帰ってまた仕事をするつもりだった。アディムやセデルを放ってはおけない。
 ずいぶんと距離はあったものの、問屋はすぐに見つかった。時刻を伝えると相手は愛想良くうなずいて何気なく言う。
「お嬢ちゃん、可愛いねぇ。年いくつ?」
「…………」
 ルビアはぽっと顔を赤らめてしまった。ルビアは自分の容姿を褒める言葉に慣れていない(グランバニアでは容貌を云々するのはよろしいことではない、という風潮があったので)。
 赤くなった顔で、おずおずとはにかむような微笑みを浮かべると、小さく言った。
「……八歳です。……ありがとう」
 そのいじらしくも可愛らしい微笑みで問屋のおやじを骨抜きにしつつ、ルビアは店を出た。急がなきゃ、と思いつつ足早に歩く。
「そこのお嬢ちゃん」
 いきなり背後、それもすぐそばから声がかかって、ルビアは反射的に足を止め振り向こうとした。
 ――が、視界に広がったのは白いなにか柔らかそうなものだった。え、と混乱した瞬間、ぷうん、となにか匂いがし――ルビアは気を失って、ふらりと倒れこんでしまったのだ。

 は、とアディムは店内の掃除を終えた瞬間顔を上げる。今、なにか――自分は感じた。間違いなく。虫の知らせ、のようなものを。
 なんだろう、と思って――ルビアが今自分のそばにいないことを思い出した。
「………まさか」
 ちらりと頭をよぎった悪い予感は、壮絶な早さで頭の中全体に広がった。全精神が一つのこと――ルビアを心配する気持ちに塗りつぶされ、体が思わず震え出す。ああ、なんて愚かなんだ自分は、あんな可愛い子をこの治安の悪い町で一人で歩かせるなんて!
 たまらず、叫んだ。
「ソロ!」
 手がないので宿屋の仕事には向かないソロは退屈したように屋根裏部屋で寝ていたのだが、アディムの声に凄まじい速さで階上より降りてきた。
 アディムの前にちょこんと座って言葉を待つソロを、アディムはがっしとつかんで言った。
「ルビアを探してくれ!」
「………ガルゥ」
 ソロはうなずくと軽やかに走り出した。この手のお願いをされたのはこれが初めてではない。アディムは子供たちから目を離していると突発的に子供たちのことが心配でしょうがなくなる時があり、そういう時は魔物たちが子供たちを捜す手伝いをしていたのである。ほとんどの場合二人とも完全に無事だったのだが。
「ちょっと、あんた、どこへ?」
「すいません、子供を助けに行ってきます!」

 ルビアがゆっくりと目を開けると、最初に見えたのは見知らぬ男の顔だった。別に柄が悪いというわけじゃないが、受ける印象はといえばチンピラだった。それも下っ端。
 瞳がびくびくと周囲の様子をうかがうように左右に震え、貧弱な体型の上には顔色の悪い面が乗っている。ナイフをこちらの顔に突きつける手はぶるぶる震え、そのくせ表情は傲慢なのだ。
 ルビアはそういう印象全体を敏感な感覚で感じ取り、なんだか嫌な感じの人、と思った。突きつけられているナイフはほとんど気に留めていない。
「起きたか。おい、お前。この財布を開けろ」
「え?」
 突然の言葉に、ルビアは目を丸くする。が、突き出された財布を見て、思わず叫んだ。
「これ、お父さんの財布! どこでこれを?」
「馬鹿野郎、状況がわかってるのか。お前は俺の命令に従えばいいんだよ!」
 男は叫んでナイフを突きつける。が、ルビアはまったく動じなかった。アディムやセデルに守られているから二人よりは怪我をすることは少ないが、それでも魔物の牙やら爪やらに何度も攻撃されたことのある身である。怪我には慣れていたし、第一こんな貧弱なナイフではほとんどダメージにならないだろう。力も弱そうだし(鍛えたものは岩より硬くタフになるのがこの世界の法則だ)。
「これをどこで手に入れたんですか? 教えてください」
 言って男の顔を睨む。男は少したじろいだが、さすがに八歳の少女に怯えはしなかった。というか一瞬でもびくついてしまったことに腹を立て、ナイフを大きく振り上げる。
「偉そうなこと言ってるとぶっ殺すぞ、このガキ!」
 だがルビアは逃げもせず、むしろ逆に男の方に突っこんだ。
 一歩踏みこんで、パンチパンチパンチ。
 サイドステップして、チョップチョップチョップ!
 たまらず倒れたところにすかさず、キックキックキック!(顔に)
 八歳の少女にぼこぼこに殴られ、男は顔を大きく腫らして泣き出した。見た目はそうは全然見えないが、ルビアは魔物と白兵戦闘をこなしたことも何度もあり、普通の大人よりはよっぽどパワーもスピードも高かったりするのだ。
「なんだよ、なんでお前そんなに強いんだよ、ガキのくせに! 女のくせに! こんなガキなら絶対俺でも勝てると思ったのに!」
 男の相当情けない泣き言になどルビアは耳を貸さなかった。きっと男を睨んで繰り返す。
「どこでその財布を手に入れたんですか?」
 男は震え上がって(もう殴られたくなかったのだろう)喋り出した。声がずいぶん震えている。
「俺は一昨日、お前たちがカジノで大勝ちするの見てあとをつけたんだよ! あれだけ勝ったんなら相当金持ってるんだろうって、財布を落っことすかもしれないって思ったから! でも全然そんな様子なくて、それでも諦めきれなくてこっそり宿に忍びこんだんだ! そしたらお前が財布持って一階に降りてきたから、急いで財布奪い取って逃げたんだよ!」
「…………」
 全然覚えていない。そこまでわたしねぼけてたのかな? ちゃんと覚えてたらもっと早く財布を見つけられたかもしれないのに。
「でもその財布が全然開かなくて! 昨日一日頑張ったけどダメで! それで今朝もしかしたら持ち主なら開けられるかもって思いついて、お前が宿から出てくるのを見て急いで家に帰って麻酔薬用意してお前を連れ去ったんだよ!」
「…………」
 ルビアはじっと男を睨むと、財布を取り上げた。
「ああ!」
「このお財布は返してもらいますから。それから、あなたは泥棒さんなので衛兵さんのところに連れていきます」
 男は泣きそうな顔になった。
「そんな! おい、嘘だろう!? 衛兵のとこになんて連れていかれたら牢屋に入れられちまうよ! 親父にどんな目に合わされるか……」
「ちゃんと、私たちにもお父さんにも謝って反省してください」
「わ、わかった、反省するから、衛兵には……!」
「ダメです。ちゃんと連れていきます」
 男はうきぃっ! と奇妙な悲鳴を上げて、目をひっくり返らせたかと思うとナイフをすさまじい勢いで振り回し始めた。ルビアは余裕をもってそれをかわしていたが、前を見ていた彼女は自分が壁に追い詰められたことに気がつかなかった。
 ナイフをかわそうと後ろに下がると、どん、と背中が壁に触れた。男はほとんど錯乱しつつナイフを振り下ろそうとする。本能的な恐怖を感じてルビアは小さな悲鳴を上げた。
「きゃ……」
 その瞬間、どごーん! と凄まじい音がして、なにかがナイフと自分の間に飛びこんできた。

 アディムは決死の表情でソロのあとを追っていた。頭の中はルビアのことでいっぱいだ。
「ああ、ルビアがさらわれたり変なことされたり傷つけられたりしていませんように……!」
 ぶつぶつ呟きながら必死に走る。ソロは匂いを追って繁華街の裏通りの民家にまでたどりつくと、ここだという気持ちを込めて吠えた。
「ここかっ! ルビア、お父さんが今すぐ行くよっ!」
 アディムは扉を開けようとする――が、その瞬間ピッキーンとアディムの精神に触れるものがあった。
 ルビアに危険が迫っている。虫の知らせとかそういうレベルの問題じゃない、父親としての確信だ。
 体が勝手に疾風のように動いた。凄まじい力がアディムの身体から湧き上がる。アディムは扉を開くことなく突っ走り、粗末な壁を思いきりぶち破った。
 ソロは内心いいのかなぁ、と思いつつあとを追い、驚いた。部屋の中にはルビアと、ルビアにナイフで襲いかかっている男がいて、アディムが男のナイフを自らの体で受けたところだったのだ。
「お父さ……」
 アディムはルビアににっこり微笑むと、男の方に向き直って言った。
「ソロ。ルビアを連れて宿に帰っていなさい」
 ソロは戦慄した。アディムのあの顔はヤバい。マジで切れる五秒前って感じだ。ソロが最初にあの顔を見たのはジャミとゲマに再会した時だが、アディムはセデルとルビアが傷つけられたり傷つけられそうになると実に容易くその顔を見せるのである。
 その顔が見えないルビアはぴょんこぴょんこ飛び跳ねながら言う。
「お父さん、大丈夫? あのね、あの人お父さんのお財布盗んだの。それで鍵が開かないからってわたしをさらってきて……」
「そうか。ルビア、大丈夫だね? 先に帰っていてくれるかい」
「う……うん」
 なんだかよくわからないけれど逆らえないものを感じて、ルビアはソロにまたがった。ソロは速やかに宿屋に向けて走り出したが、キラーパンサーの鋭敏な聴覚はこんな声を聞いた。
「………最低でも十回は殺す」
 それと、その後の断末魔の時のような絶叫。

「よかったねえ、財布が見つかって」
 翌日。女将が朗らかに言った。
 財布の見つかったアディムたちは(あの男の人はどうしたの、とルビアに聞かれてアディムは衛兵に渡したよ? とにっこり笑って答えた。ソロには真実かどうかは判定できなかった)、それでもせっかくだからとその日も宿屋で働いて翌日を迎えたのだ。むろん、宿代はすでにきちんと支払っている。
「そうだ、これ」
 女将が袋をアディムに握らせた。アディムは小さく目を見開く。中身はゴールド金貨だった。
「これは……いただけませんよ、こんな」
「心配しなくても大した額じゃないから受け取っとくれ。この二日の売り上げは大したもんだったからねぇ、それにルビアちゃんにはいろいろアドバイスももらったし」
「またオラクルベリーに来たらうちに泊まれよ。今度来た時はもっといい宿になってるからな」
 揃って微笑まれ、アディムも断り続けるのも無粋と考えたのだろう、うなずいた。
「ありがとうございます。お二人もお元気で」
「おじさん、おばさん、またねー!」
「いろいろとありがとうございました」
 そう挨拶をして、アディムたちはその宿から出発した。歩きながら、セデルが元気に言う。
「よかったね、財布が見つかって!」
「泥棒からお父さんが取り返してくれたのよ」
「でも、ボク宿屋で働けたのは楽しかったな。疲れたけど」
「わたしも。きんちょうしたけど」
「そうだね、二人ともよく頑張った。なにかご褒美をあげようか。ほしいものがあったら言ってごらん?」
 アディムが笑ってそう言うと、双子は戸惑ったような顔を見合わせてしばらくこそこそ相談すると、二人でうなずき、少し恥ずかしそうに言った。
「あのね……」
「わたしたち、お父さんががどんなことが楽しいのか、知りたいな」
 アディムは雷に打たれたように硬直した。セデルとルビアは恥ずかしそうに言う。
「ボクたち、お父さんと遊んでもらってばっかりで、お父さんはどんなことが好きなのかって知らなかったから……」
「教えてくれたら、わたしたち、お父さんと時間がある時に遊んであげられるでしょ」
「………セデル、ルビア〜〜〜〜っ!!」
 アディムは二人を思いきり抱きしめた。
「お、お父さん?」
「苦しいです、お父さん……」
「お前たちはなんていい子なんだっ、こんなにいい子世界のどこにもいないっ! 大好きだ、愛してるーっ!」
 魔物たちは昂ぶるアディムを見ても無言だった。もはやすでに慣れてしまっているのだ。
「お、お父さん、恥ずかしいよ……」
「ああごめん! でもね、セデル、ルビア。僕がどんなことが楽しいかなんて気にすることないんだよ」
「え?」
「だって、僕はお前たちと一緒にいる時が一番楽しいんだから!」
 アディムが言い切ると、双子は照れくさそうに笑って、父親を抱き返した。
「……とりあえず、一度グランバニアに帰ってみんなに顔を見せてこようと思うんだけど。カジノの景品を売り飛ばしてお土産を選ぶんだけど、手伝ってくれるかな?」
 アディムの言葉に、双子は揃ってうなずいた。
「うん!」

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