a model student secret's observed by cat
「……おい、渉。いい加減、勘弁してくれても、よくないか」
「はぁ〜? 聞こえんなァ〜! っつーかな、一週間ずーっと心配かけまくっといて、周囲にやな空気撒き散らしまくっといて、んで結局なんだかんだで仲直りしたーなんつー展開を、一日遊びにつきあわせるくらいで許してやるっつってんだから俺ら相当優しいと思うぞ。クラスの他の奴らとかお土産だけでいいなんて言ってくれてんだぜ? ここはクラスメイトの慈悲に随喜の涙を流すとこじゃね?」
「あのな……確かに、申し訳ないとは思ったし、詫びのためにできる限りのことはするとは言ったけど! これは……普通に考えて、できる限りのことじゃないだろ!」
 そう言って閃はばさっ、と衣装をはためかせる。房飾りがやたら多くついた、宝塚よりさらに派手な奇妙な軍服だ。――そういった、方向性は違えど外連味たっぷりな衣装を、閃はもう一時間近く次から次へと着せ替えさせられている。
 園亞と仲直りしたのち、学校で、迷惑をかけた渉たちに詫びた時に、許す条件として出された、『一日遊びにつきあえ』という誘い。ためらいがなくなったわけではないが、笑ってそう言って許してくれる相手がいることが嬉しくないわけでもなく、照れくさい気持ちで出かけた自分たちが連れてこられたのが、ここ――コスプレショップだったのだ。
 この店は店内でコスプレ衣装の試着、及び写真撮影もさせてくれるとかで、この一時間ずっと閃は、普通に着て街を歩くことなんて考えること自体どうかしてるというか、恥ずかしくて逃げ出したくなるような衣装を次から次へと着せられ、写真を撮られている。それがクラスメイトたちへの土産になるんだそうで、それを聞いた時閃は思わずクラスメイトたちの正気を疑った。
 さらに頭の痛いことには。
「別にそこまで嫌がることでもねぇだろうが。どの服も、珍妙じゃああるが、お前にそれなりに似合ってるしよ」
「でっすよねー煌さん! どのコスも俺なりに閃に似合うものをって厳選した奴なんスよ! そーでなきゃ写真の撮り甲斐もないっスからね!」
「おう、小坊主、てめぇのそういう審美眼はそれなりのもんだと認めてやるぜ」
「………煌〜っ………」
 恨めしさを込めて睨む閃に、煌はにやっ、と楽しげに笑う。実際、煌は昨日からひどく機嫌がよかった。渉の前に姿を表して会話を交わしている時点で、普段人間と話すのを面倒くさがる煌にしては相当機嫌がいいことはわかるが、のみならず表情や素振りから『今自分は機嫌がいい』とこれ以上なく伝わってくる。
 たぶんそれは、昨日自分が、二週間前の園亞誘拐事件の時からずっと延び延びになっていた、『休暇を取って朝から晩まで一日中自分を煌に喰わせる』という約束を履行したためだろう。正直閃としては昨日のことはあんまり思い出したくないのだが、そのおかげで煌は今日おそろしく機嫌がよく、渉につきあって遊んでいる時の隙をカバーするという、割に合わない役割に全力を尽くしてくれていた。
 普段なら取るに足らない人間相手に手間を取らされると煌はそれなりに不機嫌になるのだが、今日はそんな気配が一切ない。……もしかすると自分が妙な格好をしているのが煌としても面白いのではないか、という考えは、この際考えないでおくとして。
 と、更衣室のカーテンがしゃっと開いて、中から園亞が出てくる。――ちなみに、園亞もフリルとレースのやたらついた、派手というかあんまりこんな服着てる人いなさそうというかなドレスっぽい衣装に身を包んでいた。
「園亞……」
「わ、閃くん似合うー! やっぱり閃くん背筋がしゅっとしてるから、そーいうぴしっとした服似合うよねー!」
「だろ? だろ? 昔懐かしのベル薔薇衣装はなんのかんので需要あるよなー! んで、四物はそれとツーショットできるよーにお姫様ドレス、と。頭までやっちゃうとちょっと濃すぎるから、お遊びならこんくらいのが妥当だろ?」
「うん! 前にこういうドレス着た時って、すんごいお腹締めつけなきゃならなかったしかつらもつけなきゃだったから大変だったもん!」
「え、なに、お前こーいうおっフラ〜ンスって感じのドレスなんて着たことあんの?」
「うん、前にお母さんの友達の娘って子たちと遊んだ時に、マリーアントワネットのドレス着てみたいって話になって、それ聞いたお母さんたちが乗り気になったんで、仕立て屋さんに頼んでそういうドレス着させてもらったことがあったの。小学生の頃の話だからもう着られないとは思うけど、まだ家の衣裳部屋にあると思うよ?」
「うおー、マジかー……思わぬところで思い知らされるブルジョワのかほり」
「? ……えっと、閃くん……この格好、どう、かな? えっと……ちょっとは、似合ってたり、する?」
 恥ずかしそうに頬を染めながら、くるっと一回転して見せる園亞に、閃は内心深く嘆息しつつ、「似合ってるよ」と短く告げた。正直もう十回以上繰り返しているやり取りなので、言葉をつくろう気力があまり残っていない。
 だが園亞はそんなぶっきらぼうな言葉を向けられたにもかかわらず、ぱぁっと顔を明るくして、ふふふっと嬉しそうに笑って鏡をのぞき込んだりしている。それももう十回以上繰り返していることなのに、だ。……なんというか、女の子って、いろんな意味で底知れない。
「おーい二人とも、並んだ並んだ。写真撮るぞー」
「あ、うんっ!」
「…………ああ」
 そしてさらにこの写真を撮る時が恥ずかしいのだ。渉は一人での写真も撮るが、閃と園亞二人での写真を撮る方が圧倒的に多い。そしてそのたびにあれやこれやとポーズを要求され、園亞がいる以上その言葉になかなか逆らうこともできず、ひたすらにみょうちきりんな写真が量産されていく羽目になるのだ。正直、その写真をクラスの人間みんなに見られるのだと思うと、今から気が重くてしょうがない。
 ―――けれど。
「ね、ね、閃くん、次この服着てみないっ?」
 こんな風に園亞が満面の笑みで自分と向き合ってくれるのならば。心底楽しげに、嬉しげに自分と話してくれるのならば。
 まぁ収支としてはプラスかな、などと考えてしまう自分が、自分のことながら閃はちょっと信じられなかった。

「ふふっ……そんなことを私に言って、どうするつもりなのかしら?」
 くすくす笑い声を立てては長い尻尾で顔を撫でる猫の姿のツリンに、閃はぶすっとした顔で答える。
「……聞き出したのはお前だろ。俺だって別に話したくて話したわけじゃない」
「そうかしら? あなた自身、自分の感情に戸惑っていて他人に吐き出してすっきりしたがっていたように見えたけれど?」
「…………」
 閃は口を閉じた。正直、この猫と話していると、こっちの感情をなにもかも見透かされているような気がして嫌な気分になってしまう。実際煌に話を聞いた限りでは、術を使わずともある程度相手の感情を察知する妖力を持っているそうだし。
 この一週間の間、ツリンはちょくちょく閃の前に現れ、どうでもいいことを話題に絡んできていた。たいていは園亞が部屋に引き上げた後、園亞の部屋の窓の下で稽古をしているところにだ。本人が言うには園亞の授業≠フ前の暇つぶし、だという(ツリンはどんな生徒に対しても、魔術師としての授業は基本的に夢の中で行うことにしているらしい。ツリンの持つ夢を操る力は、心の奥底に魔≠刻み込むのにこの上なく適しているのだそうだ)。
 まだ閃はツリンの人格を信用しきれてはいないというのに、そしてそれを向こうも承知していることだろうに、猫の姿でニヤニヤ笑いながら絡んでくるツリンは相当いい性格をしていると思うのだが、実際ツリンの人格を見極める機会というのはあるにこしたことはないので、あえて煌には口出しを控えてもらって、できる限り自分自身で真正面から対峙することにしていた。
 刀を振るう閃の数歩後ろには煌が立ち、苛烈な視線でツリンを睨みつけているのだが、ツリンは柳に風と受け流して笑ってみせる。
「まぁ、私としてはあなたが園亞に惚れ込んでくれるのはありがたいけれどね。園亞は愛する相手が自分に優しくしてくれるほど前向きに努力できるタイプの性格だし」
「ほっ……! だからそういうことじゃ……ていうか愛って……そういう、いちいち……」
 思わず顔を赤くしながら言い返すも、どうしても途中で力が抜けてしまう。閃としては自分が園亞に抱いている感情はあくまで感謝と親愛だと思っている。だが園亞が異性として自分を意識しているのは、自他ともに認める朴念仁の閃にもまず疑いようのない話だ。
 そして閃はそういう惚れた腫れたなんてことにはまるっきり縁のなかった人間なので、どうしていいかわからないし、それ以上にどうにも照れくさくて、園亞の気持ちにどう対処すればいいかという話になると、どうしても途方に暮れてしまうのだった。
 だが、今のツリンの言葉の中にふと引っかかるものを感じ、閃は刀を振るう手を止めてツリンに向き直る。
「ツリン。あんた、園亞に前向きに努力してほしいのか?」
「ええ、もちろん。園亞は気持ちが上向きで、向上心が刺激されている状態の方が技術が身に付きやすい、育てやすいタイプの生徒ですもの」
「……すべては園亞に技術を――魔法を身に着けさせるためってわけか。お前は、なんのためにそんなことをしてるんだ。園亞に魔法を身に着けさせて、いったいなにをさせようとしてる」
 きっ、と力を込めて睨みつけるが、ツリンは涼しい顔でくすくすと笑声を返すだけだ。明らかに答えを返す気のない反応に苛立つが、ツリンは古代エジプト文明の黎明期、変容をくり返してきたエジプト神話でバステト女神が猫人の形を取る前から生き続けてきたという大妖怪、腕づくでどうにかなる相手ではない。以前にツリンと何度か会っていたという煌が、『俺とは能力の型が違うが、総合的な妖力としては俺に匹敵する』とまで認めている妖怪なのだ。
 まぁ、その煌が『少なくともあのクソ猫は自分の弟子に妙な真似をしたことは一度もなかったぜ』と明言してくれていたので、煌の力を借りてでもツリンの真意を聞き出そうとすることまではしていないのだが。
「心配することはないわ、未来の正義のヒーローさん。園亞が魔術師として成長することは、間違いなくあなたの助けにもなることでしょうから」
「そういう問題じゃ……!」
「そして私にとっても園亞があなたと一緒にいてくれることは都合がいい。あなたと園亞という二つの命が、場合によってはその後ろの火神も含まれるかもしれないけれど、向き合い刺激を与え合って成長していってくれることはね。それだけ園亞が世界一の魔術師になる日が近づくということなのだから」
「……園亞を世界一の魔術師なんてものにして、どうするつもりだ。少なくとも普通の暮らしをするにはまるで意味のない力だろう」
「それはあなたの剣術も同じことじゃなくて?」
「っ……!」
「まぁ、あなたが今気にしてもまるで意味のないことよ――さて、私はそろそろ園亞のところへ行くとしましょうか。今日も園亞に新しい呪文を教えてあげたいし、ね」
 言うやツリンはすぅっ、と影の中に溶け消える。妖怪たちの間では門≠ニ呼ばれる、それぞれ決まった出入り口から異空間に入って移動することで瞬時に居場所を変える、長距離転移能力だ。ツリンは影≠ニいう、どこにでもあるものを出入り口にできるらしい。使い手はそう多くない強力な妖力だが、ツリンはそういう使い手の多くない強力な力≠いくつも持っているのだそうだ。
「……本当に、なにを考えているんだ、あいつ」
「あんなクソ猫のことなんざ考えるだけ時間の無駄だ。あいつぁ実際馬鹿みてぇにできのいい頭を持ってるからな、自分の目的のために他人をいいように操ろうとするなんざ朝飯前だろうが」
「……でも、『しょせんは猫』だっていうのか?」
「おおよ。気まぐれで面倒くさがり屋で当てにならねぇ。腹を探ったところでなんにも考えてねぇってこともそれなりにあるからな。相手にしねぇのが一番だ。邪魔になったら殺せばいいだけだろ」
「そう簡単に殺せる相手じゃないんだろ? それに……曲がりなりにも園亞の師匠をほいほい殺すわけにもいかないし」
 そう言うと、煌はふふん、と楽しげに、面白がるような表情で鼻を鳴らした。
「……なんだよ」
「いや、別に?」

「集まれ皆の衆! ガチ喧嘩してクラス内に嫌な空気を撒き散らしまくった出来上がりかけカップル、草薙閃くんと四物園亞さんの詫び入れの品、コスプレ写真配布のお時間だぜっ!」
「おい、渉っ! 配布ってなんだ配布って! 見せるだけじゃなかったのかっ!」
「はっはー、甘い甘い。お前と四物のラブラブコスプレ写真はクラス全員の端末に配るに決まってんじゃん。場合によってはネットに上げて世界中に発信するのもアリだよな?」
「やめろ馬鹿そんなことしたら真面目に怒るぞっ!」
「おー、園亞ー、なにこの写真ラブラブじゃーん、もうしっかりちゃっかり仲直りしちゃってんだ?」
「え? えー、えへへー、うーんラブラブってわけじゃないけどー、なんとか仲直りできたかなー、って感じ。みんな、ほんとにありがとね!」
「いやいやー、どういたしましてのココロよー。俺も気合入れてコスプレネタ考えた甲斐があるってもんだぜ」
「だからやめろって言ってるだろそういうのはーっ!」
 月曜日、朝。そんな調子で三年藤組は騒がしかった。閃としては自分たちのことなど放っておいてくれてかまわないというか、騒いでる奴ら自身それぞれやることが山ほどあってこんなことで騒ぐ暇などないだろうと思うのだが、なぜか全員大いに面白がって喚き騒ぐ。正直勘弁してほしかった。園亞がそれを喜んでいるというのが、正直まったく信じられない。
 と、ホームルームまであと五分という時間になって、教室の扉が二、三度軽くノックされ、がらりと開く。扉の向こうに立っていたのは、端正な顔立ちをした十代後半ぐらいの、四物学園の制服を着た男子だった。とたん、教室中がさっきまでとは違った風にざわめく。
「生徒会長……」
「久賀生徒会長だ」
 生徒会長――つまり、生徒の中から選挙で選ばれた生徒たちの代表、ということか。この学校の選挙は十月ごろに行われるそうだから、当然閃は生徒会長の顔など見知ってはいないのだが、その久賀というらしい生徒会長は、生徒の代表に似つかわしい堂々とした態度で声を張り上げた。
「四物さん。ちょっと、いいかな」
 教室中がまたどよめく中、園亞はきょとんと首を傾げつつ、とことこと久賀に歩み寄って声をかける。
「はい。えーと、なんのご用でしょうか?」
「すまないけれど、少し話したいことがあるんだ。今日の放課後、時間をもらえないかな」
「え、はい。今日は部活ミーティングだけですし、大丈夫ですけど……?」
「そうか、よかった。ありがとう。放課後を楽しみにしているよ」
 そう言って久賀は爽やかに笑い、踵を返す。その姿が見えなくなるまで(教室の外に出てまで確認して)黙りこくっていたクラスメイトたちは、姿が見えなくなるや大きくどよめいた。
「ちょ、ちょ、ちょ―――っ!! ちょっとなによ園亞、あんた久賀センパイとなんかあったわけ!?」
「え、う、ううん、さっきのが初対面のはずだけど……」
「それにしちゃやけに親しげだったじゃん! え、なにこれ、生徒会長が四物家の財産を狙って動き出したとか、そういうこと!? 逆玉フラグ!?」
「なに言っちゃってんのもうっ、久賀センパイはそーいう人じゃないし! ていうか、マジでどーいうこと!? どーいうことどーいうことよ!」
「あー、生徒会長ってこれまで女子を一人でお呼び出しとか絶対しなかったもんねー。お呼び出しされることはよくあったっぽいけど」
「そーなのよ、いっつも紳士っていうか如才ないっていうか、女の子にはすっごい優しいんだけど誤解する隙も与えてくれなかったのに、なに、今回の!?」
「マジ園亞狙いって感じじゃん! ちょっとなにマジで、草薙くんどーすんのどーすんのこれー!?」
「……どうすんの、って」
 なんでクラスメイトたちが騒いでいるかさっぱりわからない閃は眉を寄せたが、渉が割り込むように閃の近くにやって来て耳打ちする。
「あのさー、閃、なんか全然わけわかんねーって顔してるから教えとくけどさ。まずな、あの久賀生徒会長って、イケメンの上に成績優秀スポーツ万能誰にでも優しく物腰爽やか、ってーんでわりとうちのガッコじゃ身近なアイドル的なキャラ付けなわけよ。生徒会長が学園のアイドルって古典的っつーか王道すぎっつーかアリだけどフツーしねーよなって感じだとは思うんだけどさ、まぁ実際にそういう奴がいる体験とかレアだし俺的には別にいんだけど」
「………アイドル? いや、それよりなんというか、言ってる意味がよくわからないんだが」
「まぁ気にすんな。重要なのはだ、そのローカルアイドル系生徒会長はさ、女子にもお優しいっつーか紳士っつーかで、でも誰かとつきあうとかそういうのは一切なくて、そこがまたアイドル的な扱い受ける理由になったりしてたわけ。こういう風に女子をわざわざ名指しでお呼び出しとか、マジでこれまで一回もなかったわけよ。だからみんな、っつか女子連中が騒いでるわけ。面白がってんの半分、身近なアイドルが誰かの手に渡るんじゃないかっつー嫉妬半分、って感じでさー」
「…………」
 ――これまで一度も女子を呼び出したことのない生徒会長が、突然、まるで面識のない相手である園亞を呼び出した。
 閃はく、と軽く唇を噛み、渉に向き直り、頭を下げた。
「渉。悪いけど、その生徒会長のプロフィールや、人間関係の情報あったら売ってくれないか」
「お? お、おうっ、任せとけ!」

「………僕は、二人きりで話をするつもりだったんだけどな」
 校舎裏で、そう言って苦笑する久賀に、閃は堂々と園亞の隣で答えた。
「お話の邪魔はしません。置物かなにかだと思って気にしないでいただければ」
「さすがに、君は置物と思うには存在感がありすぎるかな。彼女とのプライベートな話だから、できれば席を外してもらえると嬉しいんだけど?」
 笑顔で、だが明確な拒否の感情を漂わせながら言う久賀に、閃もきっぱり首を振る。
「俺は園亞の護衛なので。安全保障上の観点から、彼女を一人きりにすることは絶対に看過できません」
「僕が一緒にいる、ということで安心してはもらえないのかい?」
「あなたについて安心できるだけの根拠のある情報を持っていませんので」
 切り口上で話しているつもりはないが、かなり身も蓋もなく聞こえることは事実だろう。相手が気分を害してもやむなし、というつもりで話しているので当然ではあるが。
 渉に聞いたところによると、久賀生徒会長はなかなか人望のある人間ではあるらしい。生徒会長としての業務をしっかりこなすことはもちろん、自発的に生徒間でわかりにくいところを教え合う勉強会を開催したり、他校との交流や賓客の接待のような場で起きたトラブルを見事に解決したり、体育祭で所属する組を優勝に導いたり、と華やかな活躍を挙げれば枚挙に暇がないのだと言う。
 ただ、渉は、あくまで個人的な感想だがと前置きしながら、こんなことも言っていた。
「なんつーかさー、なんっかうさんくさいんだよな、久賀生徒会長って。基本現実の生徒会長ってのはさ、折衝役だったり雑用係だったり、あんまいい目見れない仕事じゃん? それをわざわざやるって奴はさ、普通内申のためだったり将来のキャリア作りのためだったりみたいなガリ勉タイプか、イベント大好きお祭り大好きってタイプか、そうでなきゃあんま現実見えてないタイプだったりするわけよ。まぁ最後のタイプってたいていすぐ馬脚表すから選挙で選ばれることって普通ないと思うけど」
「そうなのか」
「うん。だけど久賀生徒会長って、なんつーか……本気で、フィクションの生徒会長みたいな万能っぷりなんだよな。成績優秀スポーツ万能容姿端麗、って。で、生徒会の仕事もなんでもかんでもうまくこなしちゃって、いっつも爽やかで優しくて、けっこーガチで狙ってたり粘着してる女子とかいんだけどみんな上手にかわしちゃって、そのくせ男子にも親切で押さえるとこ押さえてるもんだから嫌われない、みたいな感じでさ。なんつーか……できすぎてる感じ、っつの?」
「演じてるってことか?」
「や、いくらガッコだって社会生活やってんだからたいていの奴はキャラっつーか、ペルソナ? 演じてるとこあんだろーけどさ、あの人のはなんつーか……リアルじゃない、っつーか。なにやるにしてもフィクションぽいっつーか、全然真実味が感じられねーんだよな。まぁあくまで俺の個人的な印象だから外れてても責任は持てねーけど」
 ただ、自分は久賀生徒会長と相対するなら、絶対に気を緩めるつもりにはなれない。そう付け加えた渉の顔は真剣だった。
 もちろんそれはあくまで渉の印象にすぎない――が、閃は渉の情報収集能力には一定の信を置いていた。これまで接してきた限りでは、渉は人脈や状況判断能力ももちろんだが、なにより情報を嗅ぎ分ける嗅覚に優れている。彼がそこまで言う相手に、無警戒で接する気にはなれなかった。
 久賀は小さく苦笑したが、すぐに気を取り直したように園亞に向き直る。爽やかな微笑みを浮かべ、穏やかな声で問いかけてきた。
「四物さん。お願いというか、質問なんだけれど。……生徒会役員になってくれるつもり、ないかな」
「えぇ!?」
 ぽかんと口を開けて驚きを表す園亞に、久賀は優しげな声で言葉を重ねる。
「前々から、四物さんに生徒会役員になってもらえたらいいな、とは思ってたんだ。まず、やっぱり四物さんはこの学園の理事長のご息女だから、学園中どころかその外にまで名前が知られているよね? もちろん名前が知られているということにはいい面も悪い面もあるけれど、少なくとも生徒会の活動においてはプラスに働く場合が多いと思うんだ。生徒会の交渉の際には、学校の外部でも内部でも、さしてクレーマーと変わらないような相手とやり合うようなことだってある。そういう時に、名前が知られていること、相手が自分の影響力を慮ってくれること、っていうのは大きなアドバンテージになりうるんだよ」
「え、あ、はい……」
「四物さんにしてみれば虎ならぬ親の威を借るように思えてしまうかもしれないけれど、交渉の際に使える縁故をありったけ使う、っていうのは当然、というよりむしろ交渉の場に立つ者としての責務だと思うんだ。理不尽に威圧して相手に言うことを聞かせるのじゃなく、お互いにとって一番いい結果を模索する中で、スムーズに話を進めるために縁故を利用する、っていうバランス感覚を磨くためにも、生徒会の活動は君にとっていい予行演習になってくれると思う」
「はぁ……えっと、はい」
「もちろん、こんなことは四物さん自身の人柄が優れているからこそ言えることなんだけどね。僕はこれまでに四物さんの学園生活の話を数えきれないほど漏れ聞いてきたと自負しているけれど、そこから判断する限り、四物さんは指導者……というか、統率者の側に立つべき人材だと思うんだ。君は周囲の人間関係を和ませる、潤滑油としてとても高い能力を持っていると思う。その力を一番効果的に使えるのは、行動や心構えが周囲に及ぼす影響が一番大きい、統率者――学生ならば、生徒会だと思うんだ。どうだろう、どうか生徒会役員になってもらえないかな」
「えっと………」
 園亞は小さく眉を寄せた、困り顔になって首を傾げる。たぶんだが、どう答えればいいのかわからなくなったのだろう。園亞は優れた直観を持つ分、理詰めで話をされると頭がわりとあっさりキャパオーバーを迎える傾向がある。
 なので、閃は園亞の耳元に、小さく囁いた。
「園亞の好きなように答えたらいい。問題が起きたら、俺がなんとかするから」
「閃くん……」
 園亞は大きく目を見開いてこちらを見つめ、心底嬉しげな笑顔で「うんっ!」とうなずくと、久賀に向き直る。
「えっと……すいません、生徒会長。私、生徒会役員にはなりません」
 そう言って頭を下げる園亞に、久賀は「そうか……」とわずかに眉をひそめてから、笑顔になって問う。
「できれば、理由を聞かせてもらえるかな?」
「えっと……私、閃くんと、えっと閃くんっていうのはこの草薙閃くんのことなんですけど、彼と一緒に頑張って修業して戦って、いずれは閃くんの隣に立てるような正義のヒロインになる、って決めたんです。だから、生徒会役員とかやってる時間、あんまりないかな、って」
「ちょ……っ!」
 だからその正義のヒロインっていうのはやめてくれと! と叫びそうになったが、園亞はあくまで真剣な面持ちで久賀を見つめているので、少なくともここで口出しすることじゃないと判断して口を閉じる。正直いてもたってもいられないくらい恥ずかしかったが、この交渉をこじれさせるのは閃としても本意ではない。……痣の中で煌がニヤニヤ笑ってくる気配が伝わってくるのは、心底苛立たしかったが。
 久賀は口元を微笑ませたまま少し困ったように眉を寄せてから、すぐに表情を元に戻してうなずいた。
「わかった。時間を取らせてすまなかったね。……ただ、僕としてもそうそうすぐに諦められはしないんだ。君が生徒会役員として得難い人材だ、っていう僕の判断が間違っているとは思わないし。なので、君の時間がある時にでもまた何度か話をさせてもらいたいんだけれど、それは許してくれるかな? 話している中で君がその気になってくれるのを心の中で期待しているだけだから、あくまでただのお喋りだと思ってくれていいし、君の邪魔にならないように注意させてもらうから」
「あ、えと、はい。お喋りするだけだったら……」
「ありがとう、四物さん。……それじゃあ、また」
 言って背を向ける久賀に、閃は低く、そして鋭く声をかけた。
「すいません、久賀生徒会長。ひとつお聞きしたいことがあるんですが」
「なんだい?」
 首だけ振り向いて訊ねる久賀に、閃は声の調子を崩さぬまま問う。
「あなたは、なぜ今、園亞にそんな話をしに来たんですか。もう一学期も終わりに近づいていて、あなたの任期も残りわずかだという今、わざわざそんな話を持ちかける理由は?」
「単に、僕の後任となる生徒会役員に、優れた人材を紹介しておきたいと思っただけさ。君という護衛ができた以上、学校内外の安全対策についても心配がいらなくなったしね」
 笑ってそう言って前に向き直り、久賀はすたすたとその場を立ち去る。それをわずかに眉を寄せながら見送っていると、園亞がおずおずと首を傾げながら問うてきた。
「えっと……閃くん。なんだか、閃くんって、生徒会長のこと、嫌いっぽい感じだけど……なんでか、聞いてもいい?」
 声と顔は遠慮がちなのに、なぜか心なしかわくわくした雰囲気を漂わせつつそう訪ねてくる園亞に怪訝な顔をしつつ、素直に答える。
「嫌いというか、警戒すべき相手だと分かったからな。気を抜かないで相手してるだけだ」
「警戒って……どういう、こと?」
「たぶんだけど。彼の目的は園亞じゃなくて、俺だから」
「………えぇぇえ!!?」
 仰天した顔で叫ぶ園亞に閃もつられて驚き、慌てて口をふさぎかけていや非常時でもないのに女の子にそんな乱暴なやり方はと躊躇している間に、園亞は仰天した顔のまま立ち直って小声で聞いてきた。
「ど、どういうこと………?」
 閃もまたつられて小声で返す。実際、こんなことを学校内で大声で喚き散らす気はない。
「園亞が目的にしては、あいつの視線……っていうか、意識かな。ちょっとおかしいと思ったんだ」
「えと……よ、よくわかんないんだけど……」
「あいつは俺をまともに見ようとしなかった。そのくらい俺を意図的に無視してるのに、あいつは俺を強く意識していた。本人は多分意識してないと思うけど、殺気に近いものがぶつかってくるのを感じたんだ。なのに、あいつは最初から最後まで園亞に対して、園亞についての話しかしなかった。こういう場合、まず相手は、園亞と話すって行為を隠れ蓑に、俺に近づくことが目的と考えて間違いない」
「え、え、それ、つまりそれって……」
「ああ。少なくとも妖怪と関わりがあると考えていいと思う」
 言うやすてぺん、と園亞が突然転びかける。慌てて手を貸して支えるが、こちらを上目遣いで見上げる園亞は心底混乱した面持ちだった。
「え、え? え、どういうこと? えと、ごめん閃くん、なにがどうなってそうなるのか私よく……」
「……前に言っただろう。俺は妖怪に狙われる力の持ち主だ、って」
 当然ながら、周囲に人の気配が存在しないのを確認した上での台詞だ。場所も窓のない側の校舎の裏、周囲には物置と建物、と視線の通らない場所なので、唇を読まれる心配もしなくてすむ。
「え、え? えーっ、とー……」
「おい……まさか忘れたわけじゃないよな? 俺の血肉を喰らうと妖怪は力を得る、って説明しただろ? 第一初対面の時も園亞自身いきなり噛みついてきただろ」
「あ、あー! そうだったそうだった思い出した! ごめん閃くん、私閃くんがそんな力持ってるのすっこーんって頭から抜けてた!」
「……いいけどな、別に……あとあんまりでかい声出さないでくれ」
「う、ご、ごめん……だって閃くんは妖怪に狙われてても狙われてなくても正義のヒーローやると思うし、閃くんがすっごいいい匂いするのはいつものことだからわりと慣れちゃったっていうか……あ、でも感じなくなったってわけじゃないんだよ!? 閃くんのそばにいるだけでふわーってとろけちゃうくらい気持ちよくなっちゃうのは全然変わらないから! ただおいしい空気みたいにいつもそばにいる感じになったってだけで!」
「そっ……れは、わかったから。あんまりでかい声出さないでくれ、って」
 答える声が少し揺れたのは、園亞の現状認識の甘さに対する感慨によるものでも(園亞にそういう能力が欠けているのははっきり言って今更だ)、園亞が最初から自分に好意的だったのは百夜妖玉の妖怪に対するフェロモンのせいではないかという疑念でもなく(それもなくはないだろうと冷静に考えて思うのだが、性格からして基本誰に対しても園亞は好意的に接するだろうと確信できてしまう)、必死に訴えてくる園亞の言葉に――
『『すっごいいい匂いするのはいつものことだから』。『ふわーってとろけちゃうくらい気持ちよくなっちゃうのは全然変わらないから』。『おいしい空気みたいにいつもそばにいる感じになったってだけで』……』
『煌っ、くり返すないちいちっ!』
『へいよ』
 くっく、と脳裏に伝わってくる煌の笑い声に顔をしかめながらも、閃は無視するふりをすることしかできなかった。園亞の言葉に、羞恥にか他の感情にか、とにかく体がカッと熱くなってしまったのは間違いのない事実だったので。

「さぁ――こっちへおいでなさい、坊や」
「はい―――」
 統弘は、脳がくらくらするほど甘い声に体の奥まで浸されながら、主の前へといざり出た。
 この人こそが自分の支配者。自分の主人。自分を道具として好きなように扱ってくれる人。
 この体が震えるほど美しい人に道具として粗雑に扱ってもらえるという事実に、統弘はぞくぞくっ、と陶酔感に浸りきった体を震わせた。
「私の言いつけは、ちゃんと守ったかしら?」
「はい……目的の相手に、おっしゃられた通りに、話しかけて僕のことを印象付けました……」
「それだけ?」
「これからもいつでも話しかけられるという、言質も取りました……これからは、毎日でも話しかけられます……」
「そう――」
 びゅおんっ。空を斬り裂いて、巨大な針が統弘を突き倒した。
 床に叩きつけられ、押さえつけられ、統弘の体は反射的に痛みに震える。それを巨大な針が――先端が針の形をした生物の巨大な足、それも虫の足が統弘の立場を思い知らせるように床に擦りつけて抑える。
「馬鹿ねぇ、あなたは。私を喜ばせようとして、その程度のことしかできなかったの?」
「ああ……すいません、申し訳ありません……」
「せめて自分の家に招くことができるようにはなれるものと思っていたのに。あなたのような無能な人間でもその程度のことはできるだろうと思ったのに……それすらも過大評価だったなんて。あなたは本当に、能無しで、愚かで、頭が悪い、生きてる価値もないような人間ねぇ……」
「あああああ………申し訳ありません、本当に申し訳ありません、どうか、どうかお許しを……ご慈悲を……」
 ひゅんっ、しゅぱっ、ぴしゅっ。足が鋭い音を立てて宙を舞い、統弘の服を、胸を、体を斬り裂く。痛みが走り、血がじんわりと滲み出た。
 息が荒くなり、腰の奥が熱くなる。自分がなにをどうやっても勝てない圧倒的な強者に弄ばれている事実に、脳髄が痺れる。自分はこの方の前では、愚かで醜い最低の羽虫にも劣る存在なのだと、心身と魂に刻み込まれていくことに陶酔する。
「さぁ、口をお開けなさい。醜く愚かで哀れなあなたが少しでも使える下僕になるよう、鞭となる薬を施してあげる」
「ああ……ありがとうございます、このような愚かな下僕にご慈悲を下さること、心より感謝いたします……」
 頭を虫の足が固定する。体中の動きが封じられる。そうして統弘の主は、すい、と身を乗り出し、統弘の口の上に爪を伸ばした。
 血のように赤いその爪から、つぅっ、と朱い糸が落ちてくる。統弘の口の中へ伸びたその血の糸は、統弘の体を、頭を、魂を支配し下僕にふさわしいものに創り変える。
 ああ、と統弘は口を開けたまま小さく呻いた。自分がこの方の下僕でいられることに、愚かで醜く哀れな存在であることに、心底からの法悦を覚えたのだ。

「やぁ、おはよう、四物さん。草薙くんも、おはよう」
「あ、おはようございますー」
「……おはようございます」
「今日は昼食を一緒に取れるかな? 僕としては昨日からそれを楽しみにしてきたんだけど」
「え、えっとー……はい、今日は大丈夫ですけど……」
「そうか、じゃあ生徒会室に来てくれるかな? 今度はちゃんと僕たち以外は席を外してくれるように頼んであるから」
「えっ、そんなこと別に気にしなくていいのに。他の生徒会役員さんも、生徒会長さんと一緒にご飯食べたいんじゃないんですか?」
「はは、そうかもしれないけど、今は僕は四物さんを口説いている最中だからね。できるだけ邪魔が入らないようにしたいんだ」
「え、えーと、あ、ありがとうございます……?」
「ははは! 四物さんは、本当に純真な子だね。やっぱり僕としては、ぜひとも生徒会に入ってもらいたいな」
「え、えぇっとぉ………」
 朗らかに話しかける久賀生徒会長と園亞とのやり取りを、閃はかなり冷たい視線で眺めた。この一週間、彼は毎日こんな調子で朝っぱらから園亞に話しかけてくるのだ。
 別にそれが迷惑だというわけではない。というか正確に言うなら、久賀生徒会長はこちらの迷惑にならないラインを冷静に見切り、そのぎりぎりより少し前、という辺りで行動するつもりのようなのだ。なのでプレッシャーは感じるものの、迷惑だとはっきり言ってしまうとこちらが悪者にされるだろう程度のことしか彼はやってこない。
 当然だが、彼をかなり警戒している閃としては相当仕事が増えてはいる――が、閃としては文句を言う気はさらさらなかった。園亞に少しでも借りを返したい閃としては護衛の仕事が忙しくなるのは嫌ではないし、そもそも彼は閃に近づくために園亞にちょっかいをかけている可能性が高いのだ。悪を倒すヒーロー(予定)としては、自分のせいで無辜の市民に危害を加えられるなぞ断じて受け容れられる話ではない。
 しばらく話したあと(当然ながら肉体的接触はゼロに抑えた)、久賀生徒会長は立ち去った。が、自分たちには先刻と変わらず好奇心に満ちた視線が投げかけられてくる。
 そういった視線には慣れているとはいえ、学校という特殊社会においてどう振る舞うかいまだに定めきれていない閃は、とりあえず威圧的な視線で周囲を眺め回して視線の主を追い払おうとしたが、園亞にこつん、と頭を叩かれた。
「もー、閃くん、顔怖いよ? 閃くんはただでさえ顔つきがきりっとしてるんだから、そんな顔してちゃみんなに怖がられちゃうってば」
「……別に怖がられても問題ないだろ。俺はもともと友達を作るつもりなんてないんだし……」
「? だってクラスのみんなとはもう友達でしょ?」
「べっ、別に友達ってわけじゃ。向こうが話しかけてくるんだからちゃんと返すようにしてるだけで」
「えー、でも、時田くんとは仲良く話してるよね?」
「だっ、だから単に向こうが何度も何度も話しかけてくるから! ちゃんと答えないといちいちしつこいし!」
 などと話している間にも、周りから視線が飛んでくる気配に閃は内心歯噛みする。しかもその視線が好奇心というより生暖かいと形容した方がよさそうな気配なのがまたどう反応すればわからなくなるというかなんというか。
 そんな二人に、渉が片手を上げながら近寄ってきた。いつものごとく面白がるように目をきらめかせている渉に、やれやれと思わず息をつく。
「おーっす、はよーっ、閃、四物! なんか今日も生徒会長にちょっかいかけられてたみたいじゃん?」
「おはよー、時田くん」
「……おはよう。お前、見てたのか?」
「まー、のんびり登校しながらなー。なんか生徒会長ここんとこずっと四物にちょっかいかけっぱなしだよなー。どうですか彼氏として、憤懣やるかたなかったりしますか実のところ」
「お前な、自分でも信じてないようなことを聞くな」
「や、けっこーマジだぜ? 閃的に生徒会長がなに考えてっかとかは最優先で気にしてんだろーけどさ、それはそれとして四物にちょっかいかけられんのとかは面白くねーだろーなーって真面目に思うもん」
「それは……まぁ、護衛として護衛対象に迷惑かけてるのは嬉しくない話ではあるけど……」
「へ、なにそれ。え、なに、生徒会長が四物にちょっかいかけてんのって閃のせいなの? え、なに、そーいう展開考えなくはなかったけどマジ腐ってる系の展開!?」
「え? ……あっ! あ、いや違うんだ、それはその、嘘っていうか冗談っていうか、そういうことが言いたかったんじゃなくて!」
「えー……この閃の取り乱しよう、えー……マジそっちの展開……? うわやべぇ、これは普通に面白がってる状況じゃなくなってきたんじゃ……」
 慌てて弁解する閃に目を白黒させている渉に、園亞が笑って言う。園亞にしては珍しく、しごく落ち着いた面持ちだ。
「あはは、違うよー、時田くん。閃くんが目当てっていうのは本当みたいなんだけど、そーいう系の話じゃなくて。えっと、なんか、閃くんが秘密にしてることの関係で閃くんに近づいてきたみたいなの」
「へ? ……そーなん、閃?」
「……まぁ……そういうことに、なるのか」
 園亞の珍しく適切な(隠すべきところを隠している、という点で)物言いにやや口ごもりながらもうなずくと、渉は「ふーん……」と目を眇めてから、ひとつうなずいて言う。
「よし、んじゃその話、俺が広めてやろっか?」
「は? 広めるって……」
「だから、学校中に。学校新聞に書くような話じゃねーけどさ、ウチの新聞部ってけっこーしっかり活動してっから、どのクラスにもたいてい一人は部員いるし、情報網もしっかりしてんだぜ? そいつらに、閃の仕事の方に生徒会長がちょっかいかけてる、的な話を広めさせてやろっか、っつってんの」
「っ! なに言ってるんだお前は! 馬鹿なことを考えてるんじゃないっ!」
 閃は思わず大声で怒鳴る。渉もむ、と口をひん曲げたが、それでも負けずに言い返してくる。
「そういう言い方はねーだろ。新聞部っつーより単純に俺の人脈使うだけなんだから公私混同ってわけでもねーし。それに生徒会長が閃が秘密にしてることの関係で四物にちょっかいかけてるってのはマジなんだろ? だったら別に嘘つくわけでもねーじゃん、今の俺の手持ちの情報じゃそういう風に見える、ってことを知り合いに話すだけなんだから」
「そういう問題じゃない! 向こうがなにをしてくるかわからないだろ!? まだ向こうはこっちの対応を手探りしてる最中なんだ、そんな時にお前があいつの築いた評判に傷をつけるような真似をしたら実際に手を出してくる可能性だって……!」
「……ふーん。お前がそこまでマジになるようなことをする相手なわけか。だったらなおさら退けないね。学校っつー俺の人生のフィールド内で、そーいうこと≠ノ手を出す奴がいるんだったら、俺としても黙って見てるわけにはいかねーんだよ」
「なっ……」
 渉は苛烈、とすら言ってよさそうな意志の込められた目でこちらを見つめ、言葉をぶつけてくる。その意志の強さに、意思を込める言葉から感じ取れるきっぱりとした覚悟に、閃は思わず動揺した。
「ぶっちゃけ、俺は閃がいろいろ俺らに隠し事してんのは知ってるし、気にもなってるけどな。なんでもかんでも聞きほじって迷惑かけるうっとーしー民間人になりたくねーから自重してるし、気も使ってるわけよ。まーこんなことはっきり言うのもあれだけど、お前が学校内でちっとでも気ぃ抜けるようになれたらいーなー、とか思いつついろいろやってるわけだし?」
「っ………」
「だってのにいきなり現れて、横からお前の事情に首突っ込むなんて奴、放置する選択肢なんざあるわきゃねーだろ。ガッコにはガッコの、民間人には民間人のルールってもんがあんだよ。それに反した奴を俺たちなりのやり方で止める。民間人なりの仁義ってやつさ。悪いけど俺にも意地ってのがあんだ、ここは退けねーぜ、閃」
「〜〜〜〜っ…………」
 閃はぐっと言葉に詰まり、言いたいこと言うべきことを必死に頭の中で探して、空回りする頭に蹴りを入れて全力で知性を働かせ、告げた。
「……わかった。なら、俺が生徒会長と今日、話をつけてくる」
「………えっ?」
「え、閃くん………?」
「それなら文句ないだろう。きっちり方をつけて、あの生徒会長がこれ以上俺たちの周りをうろつかないようにしてくる」
 きっぱり言い切ると、園亞は大きく目を見開き、渉はわたわたと手を振り慌てふためく。
「や、文句っつか、んな、そんなんいいの? お前自分なりの考えあって生徒会長放置してたんだろ? その予定が狂っちゃうんじゃねぇの?」
「まぁな。……ただ、確かに、一般人の社会の中にこっちの世界のことを持ち込ませるなんてのは俺としても許せることじゃないからな。俺としてもできるだけ早く止めたいとは思ってたんだ。ただ、そのための証拠固め……というか、向こうの首根っこをつかめるようにできる限り情報を集めてた。だけどそんなことをしてる間に被害が出ちまったらどうしようもないしな」
「っ……んな、んなことだったら俺お前の邪魔したことになんじゃん! ならはっきり言えよ、俺すぐやめるし! 俺がお前の邪魔しちまったら本末転倒じゃん!」
「お前はすぐに止められる程度の覚悟で『民間人の仁義』なんぞと言い出したのか」
 じろりと睨んでやると、渉はうぐっと言葉に詰まり、もじもじしながら「そういうわけじゃ……」だの「そりゃ、その時は本気でそうしようって思ったからだけどさ……」などと呟く。それに閃は小さくうなずいた。
「そうだろう。民間人に仁義があるんなら、こっちの人間にもこっちの人間の覚悟があるんだ。ごく当たり前に暮らしてる人はこっちの世界には絶対に巻き込まない。それがわかってない奴は体を張ってでも条理ってやつを叩き込む。俺たちにとっては、そんなもん当然以前の話なんだからな」
「…………」
 なぜかしゅん、としてしまった渉に、閃は眉を寄せながらも告げる。
「だから、悪いけど、ちょっと手を貸してくれないか。生徒会長が生徒会長になる前――学園の有名人になる前のことを調べてたんだが、詳しいことを知っている人になかなか行き当たれなくてな。できればお前の手は借りたくなかったんだが、今日中に方をつけるためにはお前の力を貸してもらうしかないんだ」
「っっっ! まっかしとけ、新聞部の部長に当たってありったけ情報引き出してきてやるよっ!」
 なぜか一気に顔を輝かせ、駆け出す渉を怪訝な目で見送りながら、首を傾げる。なんで力を借りたいと頼んだだけであんな反応が返ってくるのだ。
 黙って自分たちのそんなやり取りを見つめていた園亞はくすくすっと笑い声を立てて笑み崩れる。なぜなのかはさっぱりわからないが、心底嬉しそうに。
「……なんで園亞がそんな風に笑うんだ?」
「え? うーん、まぁ私が喜ぶことじゃないのかもしれないけど。男の子の友情って女の子の友情とはまた違う感じでいいなぁ、とか閃くん時田くんとほんとに仲良くなったなぁ、とかそんなこと考えてたらなんか嬉しくなっちゃって」
「っ、友情とか仲良しとか、そういうわけじゃない。単に学校内での情報集めはあいつに頼むのが一番いいと思っただけだ」
「うん、そうだよね」
 にこにこ笑っている園亞に、本当にそういうわけじゃないのだと反論したい気持ちはまだあったものの、とりあえず口を閉じて園亞の前に立って歩き出した。なんというか、なにを言ってもにこにこ笑顔でうなずかれそうな気がしてしまったし、それに久賀生徒会長に早く『今日お宅にお邪魔していいですか』と訊ねる用事ができてしまったからだ。

「……、きれいなお家ですね」
「そうかい? そう言ってくれると嬉しいな」
 久賀生徒会長はにっこり微笑んで、先に立って家の鍵を開ける。東京郊外とはいえ住宅街の中とは思えないほどに大きい、古民家風の造りの要所要所に雰囲気を壊さない形で新しい住宅建築が取り込まれているその建物は、実際閃の審美眼からして見事なものに見えたからそう言ったのだが、まぁ素直に受け取られてはいないだろう。
 正直、園亞を連れて来たくはなかったんだけどな、と思いつつ、いつも通り自分の右後ろに立っている園亞をちらりと見る。閃の要望としては園亞を煌に護ってもらった上で自分が久賀生徒会長の家に突入したかったのだが、それはさすがに煌からも園亞からも文句をつけられたのだ。
「一緒に連れてきゃいいだろ。実際、役に立つだけの技持ってんだからよ」
「うんっ。閃くん、私絶対……きっと……たぶんだけど、役に立つよ? 閃くんがすっごいのはわかってるけど、私だって捨てたもんじゃないんだから!」
 そう言い張る二人に反論できず、一緒に(実際閃の言い分としては『久賀生徒会長のお家で生徒会の件についてじっくり話し合わせていただきたい』ということだったので園亞を置いていくのは不自然と言えば不自然なのだが)久賀生徒会長の家までやってくることになったのだが。もちろんSPの方々には連絡を入れ、『学園の生徒会長の家に向かって生徒会についての話をする』と周知した上で警護してもらっている。
 久賀生徒会長は早めに学園を出て電車で自宅に向かうとのことだったので、自分たちは送迎車で教えてもらった久賀生徒会長の自宅へ向かうこととなった。実際、警護上の観点から言うと電車を使うという選択肢はまずないと言っていい(園亞にとっては友達と一緒に電車に乗れないというのは寂しいだろうと思うのだが、やむを得ない場合は護衛を増員して対処しているらしい)。
 そして久賀生徒会長の自宅の最寄り駅で待ち合わせて、今自宅に入ろうとしているわけだが。今回、久賀生徒会長ははっきり要求してきた。
『できれば、余人を交えずに話がしたいんだ。草薙くんは当校の生徒でもあるわけだから譲歩するにしても、他の護衛の方々には遠慮してもらいたいな』
 つまり、はっきりと煌を封じてきたわけだ。煌には影に潜む妖力があるが、ちゃんと隠れるためには煌と同程度の大きさの影が必要になるので、もはや夏が始まっているこの季節、この時間においては使いにくい。まぁ閃が狙いである以上、煌の素性は知らない方がおかしいようなものだろうが、少しばかり厄介な事態にはなった。
 これでますます向こうの目的は閃であることがはっきりしたわけだが、やるべきことは変わらない。得た情報を活かしつつ、襲ってくる相手を叩きのめすだけだ。久賀生徒会長が家の扉を開け、「どうぞ?」とにっこり笑うのに、「お先にどうぞ。護衛という立場上、できるだけ扉の開け閉めは自分でやるようにしているので」と返し、「そうかい? それじゃあお先に」と言って中に入る久賀生徒会長の後を追い、扉を開けて園亞をすぐ後ろに従えつつ中に入る。
 ――とたん、全身が総毛だった。
 ばたん、と背後で閉じた扉をほとんど意識することもなく、素早く刀を抜いて斬りかかりかける。が、それは果たせなかった。すでに閃の足元は、蜘蛛の糸、それも何重にも張り重ねられた巣の糸へと変わっていたからだ。
「え……わ、きゃっ」
 背後で園亞が唐突に三和土から変わった足元の蜘蛛の巣に、あっという間に絡め取られて動けなくなる。閃も似たようなものだった。一歩を踏み出すより先に足が沈み、巣に腰が、上半身が捕えられる。
 妖糸により動きを封じる妖術――それも尋常な力ではない。この手の術を心得ている妖怪はかなりに多いが、普通はどんなものを媒介にするにしろ、一度当てただけでは動きを鈍らせるだけなのだ。それが一瞬で、術が発動したとたんに動きを完全に封じられた。
 それも普通の糸を吐きかけるという発動方法でなく、家の扉を閉じたとたんに周囲が異空間に代わり、足場が見渡す限り続く暗闇の中の蜘蛛の巣へと変じた。これは――どう考えても。
「家の中を、隠れ里と化していたのか………!」
「う、ふ――その通り」
 すい、す、す、と蜘蛛の巣の上を滑るように動き、巨大な蜘蛛がこちらへ近づいてくる。甲殻類じみた黒光りする長細い八本の足に、それが生えている頭部とその後ろの二回りは巨大な腹部。それらは黒と黄色の縞模様で彩られ、ほとんど一寸先すら見えないような暗闇の中で、光を発しないままぼんやりと薄く輝いている。
 そして、頭部の上には、ぞっとするほど美しい女の上半身が据えられていた。濡れ濡れと黒く、腰の下まで伸びる長い髪。生まれてから一度も陽の光を浴びたことがないような白い肌。そして闇の中でぬらりと光る、生血のように鮮やかに朱い唇。
 そのこの世ならぬ美貌、この世に在らざるべき異形にして常世に在るべき華をまともに見て、閃は一瞬気が遠くなるも、必死に頭を振って意識を取り戻す。今自分の背には園亞がいるのだ。自分が命を落とすことは彼女を殺すことと同義なのだ。なんとしても絶対に、生き延びないわけにはいかない。
 そうして、改めてぎっ、と気迫を込めて女の顔を睨みつけた。
「アラクネ――いや、絡新婦、か」
「ふふ、ハーフ、というところかしら。アラクネの腹から生まれた子が遺した血が、長い時を経て場所を移し、極東の島国で絡新婦の血と混じり合って私が生まれたの。日本の鎖国が終わってからの生まれだから、妖怪としてはさほど年を経ているわけではないわ」
「……そのわりに、ずいぶんと強力な隠れ里を創っている。ここまで巨大な蜘蛛の巣なんて、話にも聞いたことがない」
 隠れ里――妖怪、ないしは想いそのものが創る、この世ならぬ場所。通常の世界とは位相を異にする、最低でも村規模、大きいものになると大きな島や山並みひとつほどにもなる異世界。多くは多数の妖怪が隠れ住み、昔と変わらぬ生活を送るのに使っていると閃は聞いていた。
 だが、これは明らかに個人用だ。暗闇の中の蜘蛛の巣なんて、使う相手を限定するにもほどがある。しかも住宅街に普通に建っている家の中、だなんて多数の妖怪が出入りすればこの上なく目立つ場所だ。
 しかし、それにもかかわらずこの隠れ里の掟≠ヘ強烈だ。隠れ里の多くには、掟≠ニ呼ばれる世界の法則が存在する。妖怪の持つ妖術や妖力、あるいは不可思議な法則が、隠れ里という世界全体に原理原則として行き渡っているのだ。
 そして、おそらくこの隠れ里の掟≠ヘ、この蜘蛛の巣だろう。足を踏み入れた者を一瞬で絡め取り、動きを封じてしまう蜘蛛の糸。
掟≠ヘ普通に妖術として使われるよりも、強制力がぐっと低くなるのが普通だと聞いていた。だが自分たちを絡め取ったこの糸は、ほとんど抵抗する余地も与えずに自分たちの動きを縛った。ここまで強力な掟≠持つ隠れ里を個人で使うには、莫大な妖力が必要となるはず。年経た強力な妖怪であろうとも、持てる妖力の大半を使い果たしてしまうはずだ。ならばこの糸さえなんとかすれば、方はつくと考えていい。
 が、絡新婦はころころと美しく笑ってみせる。おかしくてたまらないというように笑い声を立てながら、誘うように腕を広げた。
「探りを入れる必要などなくってよ。私にとってはあなたに隠すものなどなにもないもの。さぁ――ごらんなさい?」
 とたん、すとん、と上空から蜘蛛の糸が落ちてくる。その先端には糸で何重にもぐるぐる巻きにされたもの――いつの間にやら姿を消した、久賀生徒会長が吊るされていた。やはり魅入られていたのか、と唇を噛む――よりも早く、さらにすとんすとんすとん、と何本もの糸が真黒の上空より落ちてくる。
 すとんすとんすとんすとん。十を超え、百を超え、千にも届かんと思われるほどの糸と、吊るされた人が落ちる。絡新婦の発する昏い輝きに照らされたその人々は、全員男で、首元には血を吸われたと思しき穴が二つ開き――何割かは、明らかにこの時代のものではない姿をしていた。
「………! まさか、これは………!」
「ふふ、うふふふ。そう、そうよ、その通り! 百歳を超える年月、私はこの地で男たちを捕えてきた。母の腹を食い破って生まれ、まずは父を、それから村の男たちを。ゆっくりゆっくり、誰にも気づかれないように――まず心を捕え、体を捕え、そして魂を捕えてきたの。妖術で心を弄った上で、時間をかけて、私の体と技とでもはや逃れようもないほどに支配して。そうしたらこの巣に招き入れて、私と共にこの巣を支える一助となってもらうの。その後は少しでも命を永らえてもらえるよう、命を費やす力を思いきり低めてあげるのよ。そうすれば私の人形、兼非常食、兼巣の力の供給装置として半永久的に生き永らえられるでしょう?」
 うふふふ、あははは、と軽やかに、楽しげに笑ってみせる絡新婦の前で、閃はざぁっと血の気を引かせていた。こいつは――本物だ。百年以上人間から命を吸い上げ続け、力を増してきた大妖怪だ。このやり方ならば確かに隠れ里を支えるために必要な妖力は一気に安上がりになる。のみならずこうして他の妖怪たちの目から逃れ、命を喰らい続けてきたということはそれだけ力も技も磨き続けてきたということだ。こいつはたぶん、恐ろしく、強い。
(だが――だからといって、諦める理由にはならない)
 ぐ、と奥歯を噛み締め、毅然と顔を上げ絡新婦を睨みつけ問いかける。今は少しでも情報を得る必要があった。
「百年巣に引きこもっているわりには、情報通のようじゃないか。どこからどうやって俺の情報を得たんだ」
「ふふ、外の情報を探る方法くらいいくつも持ち合わせているもの。百夜妖玉――古より幾度も世に生まれてきた妖しに力を与える身魂についても、祖となる妖怪たちの知識をいくぶん受け継いでいる私はようく知っているしね?」
「っ………」
「百の夜に生きる妖しすべての力を玉としたと称されるほどのその身魂。その血肉を秘術を用いて玉と成し、自らの内に取り込めば、どんな妖しであろうとも妖力を数十倍、数百倍にも高めることができる。太古より百夜妖玉を巡って相争った妖怪たちの話は、数は少ないけれど伝説にすらなっているわ。百夜妖玉を喰らって神にも匹敵する力を手に入れた妖怪の話も知っているし、ね」
「………っ」
 知られていた、か。すでに覚悟していたことではあるが。
 閃の体質である百夜妖玉は、そのまま喰らった場合その妖怪の生命力を増す力を与えるだけだが、特殊な方法で生きたまま血肉を生成し玉とした場合、喰らった妖怪の妖力そのものを激烈なまでに高めることができるのだという。その情報を閃は賞金稼ぎの機関の中の、いわば上司に当たる人間から教えてもらったのだが、基本的にどんなことでもよく知っている煌ですらその事実は知らなかった。
 つまりそれほど秘されている情報だということなのだが、逆に言えばそれを知っている妖怪は、人間の命を大事にしようという意識がないならば、まず間違いなく自分を殺そうとするだろう。人間に友好的な妖怪ですら、より多くの人間の命を護るために自分を殺して力を得ようとするかもしれない。そこまで圧倒的な力を自分の身魂は妖怪に与えうるのだ。
 なので当然ながらできる限り隠してきたその情報を知られている。情報収集能力も桁違い、ということか。ぎり、と閃は奥歯を噛み締め、必死に対応策を考えつつ時間稼ぎに声を上げる。
「久賀生徒会長も、その情報収集のための手駒のひとつ、というわけか」
「ふふ、それもあるけれど、この巣を維持するためには家を維持しなくてはならないからよ。しもべとした人間を、周囲の人間に気づかれないように社会的な生活をさせ、厳しく自身を鍛えることで得た生命力を吸い上げる。そうやって私はこれまで敵に気づかれずに生きてきたの」
「……あの人は、もうお前の奴隷と化していると?」
「もちろん。私の術と身体をたっぷり身魂に沁み込ませ、人として高い能力を与える代わりに私に従い命を捧げることをなによりの快楽とするようになった私の可愛いお人形。これからも私のために働いてもらうわ?」
「両親や、親しい人間も巻き込んでいるのか」
「まさか? 私の存在を知られないためには、私のことを知っている人間が少ないにこしたことはないもの。両親は海外だし、個人的に親しい人間は作らないよう命じてあるし。万一不意討ちで訊ねてこられても、扉を開けなければ人間だろうが妖怪だろうが巣の中には入れないし気づけないけれどね。私はとてもとても用心深く、周囲に悟られないよう気を配りながら、少しずつ獲物を捕らえて、血を啜ってきたのよ――だけど」
 そこまで唄うように言って、にぃ、と嗜虐的な、そして半ば恍惚とした、人ではありえないような狂気をうかがわせるような笑みを、楽しげに唇の両端を上げ形作る。そんな妖怪の笑顔には慣れているつもりだったが、それでもぞっと背筋が冷えた。
「それも、もう終わり。あなたの玉を喰い尽くせば、私は純粋に実力でどんな妖しにも手が出せない存在になる。だからあなたのことを、ずっとずっと待っていたのよ、私は――ねぇ、坊や? 私のために、あなたの身魂を捧げてくれないかしら?」
「っ……」
 一瞬、頭がくらりとする。魅了の妖術だ、と一瞬で理解し、素早く舌を血が出るほどに噛んで意識を取り戻す。そしてぎっ、と全身の力を込めて絡新婦を睨みつけ、低く告げた。
「断る。俺の血肉は、お前なんぞに与えられる代物じゃないんだ」
「あら、残念」
 くすくす、と笑って絡新婦はするするとこちらに近づいてくる。おそらく、元よりこちらを魅了して言うことを聞かせるつもりはなかったのだろう。その手の術は、かける相手に対する害意を術者が明確にしていた場合、一気に有効度が落ちる。
 それに――糸でがんじがらめにされている以上、向こうにしてみれば生かすも殺すも自由自在、と考えているのだろうから。
「ふふ、わかっているわよ――あなたは今、どうやって真なる迦具土を呼び出すか、考えているのでしょう?」
「…………」
「でもね、私は知っているの。あなたの相棒は今、あなたの体に刻まれたよりどころ≠ノ封じられている。あなたはよりどころ≠むき出しにしなければ、相棒を呼び出すことはできない。それなら封じたままにしておく方法はいくらでもあるわ」
「…………」
「まぁ、真なる迦具土が相手では、私の巣の糸は焼き切られてしまうでしょうからね。影やらなにやらに隠れてそばにいる可能性も考えて、妖術やらなにやらであらかじめ探査したのだけれど。素直によりどころ≠ノ封じてくれて助かったわ」
「…………」
「ああ、そちらの魔女が前に使った、あなたの衣服を転移させてよりどころ≠むき出しにする、という方法なら使えないわよ。あなたの体はもう余すところなく糸に絡みつかれているのだもの。服は視認できないし、それ以上に服がなくなっても糸が覆いとなってよりどころ≠封じる。……詰み、ということではないかしら?」
「…………」
 絡新婦が楽しげに紡ぐ言葉を無視し、閃は一心に絡新婦を睨みつける。絡新婦はまたころころと笑い声を立てて、開いた口の中からぎらり、と輝く牙をのぞかせた。
「さて、それでは、まず一度眠ってもらおうかしら。あなたには少しずつ少しずつ絶望を教えてあげなくてはならないけれど、そのためには体に少し細工をしなくてはね。心配しないで、目覚めた時にはあなたはもう私に逆らう気概などなくなっているでしょうから――」
 告げて閃の間近に立ち、少しずつ体を傾けて牙を閃の喉笛に突き立てようとする絡新婦――それの視線が閃の顔を通り過ぎた時、閃はにっ、と会心の笑みを浮かべた。
「……っ? なにっ!?」
 ぼんっ、と小さな爆発音が響く。閃の体を護っている制服が、唐突かつ一気に燃え上がったのだ。
 爆発的に広がった炎は閃の身体をも包み込む――が、閃の体には傷一つつかなかった。よりどころ≠フ中にいる煌の力だ。日本で生きていた人類種が初めて手に入れた火に対する恐怖や崇敬の想いから生まれたという、日本神話の火の神迦具土よりもはるかに古くから生き続けている火妖たる煌は、どんな高温や炎でも傷つかないのみならず、触れている者に対してもその妖力を影響させることができるのだ。
 ほとんど爆破に近い勢いで広がった炎は、閃の身に着けた服を焼き、絡みついた糸を焼き――よりどころ≠、露出させた。
 瞬間、ずおっ、と身体の中から燃え上るように熱いものが噴き出ていく。尻の痣の形をした徴≠ゥら、自分と繋がった烈火の命が周囲の空気を焼き払いながら現出し、形を成す。
 見慣れた自分でなければ人間にはあまりに苛烈だろう炎の凄艶。それを不意討ちで見せられ、思わずといったように呆然とする絡新婦――それめがけ、閃は一足に飛んだ。
 小さな世界を覆い尽くしている蜘蛛の巣を焼き焦がしている炎を足場に、宙へと舞って間合いを詰め、腰の刀を抜く。小爆発で鞘が焦げてはいたが、愛用の刀はこれまで何度も練習したままに鞘走り、目指すところ――絡新婦の目へと突き立った。
「…………っ!!! ぎゃっ……ぎゃあぁぁあぁぁっ!!!」
 絶叫し大きく腕を振り回し、絡新婦は指から糸を発する。だがそれが飛んでくることを予期していた閃は、飛びついた絡新婦の身体を足場に、半ば宙返りのような動きで飛び退ってかわした。そこに蜘蛛の巣を焼き払いながら飛んできた煌が、閃が落ちる前に左腕で受け止め、抱え込む。
 同時に右の剛腕で絡新婦も吹き飛ばせそうな一撃を放つが、絡新婦はかろうじて鍵爪で打ち払う。――そこに、さらに閃は追い打ちをかけ、もう一方の目に刀を突き立てた。
 足の踏ん張りの効かない状態での一撃だ、さして深いものにはならなかったが、それでもここしばらくずっと練習していただけあって、絡新婦の目玉を使えないくらいには大きく斬り裂く。絡新婦は絶叫し、幾度も何発も糸を放ってくるが、両目の使えなくなった状態で放たれた糸はほとんどが避ける必要もないほどあさっての方向に飛んでいき、何発かこちらに向かってきたものも煌がその巧みな機動で宙を舞ってかわす。
 糸を避けながら煌が右腕を振り下ろし、それを打ち払えば閃が刀を突き刺し、ということを数瞬のうちに何度も繰り返し――
 ぼっ、と絡新婦の体に蒼い炎が点いた。数瞬のうちに幾度も眼窩に刀を突き立てられ、じわじわと弱らされていった百歳を超える絡新婦は、妖怪としての命を失い、無に還ったのだ。
 彼女への想いがこの世に在るならばまた復活してくるのだろうが――おそらくは、少なくとも閃が現役の内は、蘇ってくることはないだろう。大妖ならば蘇えるにはそれだけの想いの量が必要になるし、『何度でも蘇える』ことが妖怪としての根本に刻まれてでもいない限り、殺されても殺されてもすぐ蘇ってくることのできる妖怪なぞ普通はいない。
 ――と、同時にぼっ、と吊るされていた男たちの体に炎が点く。仮死状態のまま生き永らえていた男たちが、そのまま炎で葬られようとしているのだ。絡新婦の力によって生命を保たされていたのが、あるべき状態に還っていっているのだろう。
 などと少しばかり感慨に浸っていた閃は、はっとした。一人だけ、吊るされた男たちの中で炎が点いていない男がいる。気絶しているようだが――しかしそもそも、この蜘蛛の巣の隠れ里を支える人柱にされていた者たちがほとんど解放されるということは、それは。
「煌っ! 久賀先輩と園亞を……!」
「あぁん? なんであんな雑魚妖怪に操られてお前らにつきまとったボケ野郎を助けてやらにゃあならねぇんだよ」
「そういうこと言ってる場合じゃっ……! っ、貸しにしてくれていいからっ! 頼む……!」
「……ま、いいか。練習してたのがうまくいって、そこそこ気分いいしな」
 言いながら宙を飛び、薄れていく蜘蛛の糸の中に右手を突っ込んで首元を爪の先に引っかける煌に、なにもそんな助け方をしなくても、と一瞬思ってから叫ぶ。
「煌っ、園亞も……!」
「あーったく、妖怪だってわかってからもいちいち過保護な奴だな。ぶっちゃけ園亞はお前よりよっぽど生存能力高ぇぞ?」
「っ、それはわかってるけどっ……!」
「そもそも、必要ねぇだろんなもん。おら、見てみろよ」
「え……」
 閃が視線を向ける、と同時にぴしり、と目の前の空間に、なにもないところにはっきり目に見える亀裂が入った。妖力を供給していた者たちが死に絶えたことで、隠れ里が崩壊するのだ。知識としてはあったが体験するのは初めてな事象に、思わず緊張に身を固くする――も、次々入った亀裂はあっという間に大きくなり、闇も、空間も、世界も、覚悟を決めるより圧倒的に早く、音もなく砕け散った。
 そしてそれと同時に一瞬で、世界がありうべきものと反転した。
「まったく……あなたたちはなんというか、本当に粗忽ね。男というのは大なり小なりそういうものだというのは知っているけれど、女性と一緒にいる時くらいデリカシーというものを持つ、というくらいの心構えもないの?」
「………ツリン」
 予期、というよりは期待していた声に、小さくほ、と安堵の息をつく。園亞は大丈夫だと言ったが、それでもやはり不安だったのだ。『園亞からツリンへ向けての救援要請』に、彼女が応えようとするかどうかは。
「ツリン、じゃないでしょうに。あなた、以前すでに園亞とこのことについて話し合っていたでしょう? それで園亞に、『閃くんがそうしようって思うなら、止められないけど……うぅ、やっぱり恥ずかしいよぅ』って言われていたでしょうが。それをもう忘れてしまったわけ? まったくこれだから男という連中は」
「っ……ぅ」
 一瞬ぽかんとしてから、我に返って思わずうつむく。そう、すでに園亞とも話し合っていたのだ。敵の不意討ちで行動不能になった時に備え、服に火薬を仕込み、足の指先などでスイッチを押せば瞬時に服を燃やせるようにした仕掛けについては。
 当然ながら、服を燃やすということは、すなわち素っ裸になるということで。さらに言うなら、基本閃は荷物をなかなか持ち歩けない関係上、ほとんどの場合燃やした後着替える服を素っ裸で調達しなければならないわけで。
 その事態を想像の段階で相当恥ずかしがっていた園亞は、今も必死に顔をうつむけて真っ赤になっていた。さっきまで体に絡みついていた蜘蛛の糸はきれいに消え去り、呪文の力でか虚空に浮き上がっていたが、猫の姿のツリンの後ろに隠れて、こちらを決して見ようとはしない。
「………園亞。できれば、その、渡しておいたものを返してくれるとありがたいんだが……」
「むりー……だって閃くんの着替えの袋とか、見るだけで恥ずかしいもんー!」
「いや……だから、園亞の鞄をそのまま渡してくれれば、俺が勝手に取り出すから」
「むりー! だってその鞄の中私の着替えも入ってるし! それに閃くん、今、その……は、はだかなんでしょ? それに近づくとか、私の鞄開けてもらうとか、絶対無理だってば、できないよぉ……」
「ハァ……。まったく、男という連中は、本当に。こんな連中の書いた絵図面の通りに園亞を助けに来なければならなかったなんて、馬鹿馬鹿しくて泣けてくるわ。それでも、園亞の心からの救援要請である以上、来ないわけにもいかないし……」
 しっかり自分の考えが見通されていたのか、と閃は一瞬言葉に詰まる。閃としては、うまくいけばツリンの心が少しでも知れるかも、という程度の考えで園亞に頼んだ話なのだが。
 久賀生徒会長が妖怪に支配されているのは明らかだった。だがどこまで自発的なものかがわからない分、支配している妖怪の氏素性も知れないため、閃は久賀生徒会長の過去を調べ、現在の状況を調べ、どうにかその妖怪の手がかりをつかもうとすると同時に、服の奥に火薬を仕込んだり空中で戦わざるをえなくなった時のための煌と協力しての戦い方の訓練をしたり(園亞を護って戦う以上、どんな事態にも備えてできることは全部しておこうと思ったのだ)、と戦術面での準備にも励んだ。
 そしてその中に、園亞が困った状況下に陥った時には、ツリンに助けを求めさせる、という指示も含まれていたのだ。園亞が最近考えたことを他者(知っている相手ならば視認している必要すらなく、相当遠くまで一瞬で)に伝える呪文を習得したと言っていたので、それを使って。
 万一の時には瞬間移動で逃げるよう言い含めてもいたが、園亞はたぶん逃げたがらないだろうし、それならあの怪しげながらも絶大な妖力を持つ妖怪に助けを求めさせる方がマシかと思ったのだ。――そして、助けを求めた時の結果をもって、ツリンの園亞に対する心を量ることができると思った。助けに来ようともしない相手ならば、園亞にツリンを見限らせることができるかもしれないと(園亞の性格上無理な気はしたが一応)思ったのだ。
 そして、実際に園亞に助けを求められるや、ツリンはこうしてやってきた。馬鹿馬鹿しいと思っていようとも。……少なくとも、ツリンは今は、園亞の心身を護るためにできるだけのことをする気はあるのだろう。
「っつかな、こいつ、これまでも何度もお前らの回りうろちょろしてたぜ」
「え……」
「ちょっと……火神」
「お前らが本気で危ない時には助けに入るつもりだったんだろ。実際、園亞が妖怪だってことをお前らが知った時にも助けに入ってみたいだしな」
「あ……あの時の!」
 自分たちを追い込んだ妖怪たちが、襲いかかってこようという瞬間眠りこけたというあの謎の事態。あれは、ツリンによるものだったのか。
「まぁ、こいつぁなにかっちゃいちいち理屈並べ立てる面倒くせぇ上に鬱陶しいクソ雌猫だが、基本的には主には忠実だし人間好きだからな。人間が妖怪に殺されそうになってたらとりあえず止めに入るぐらいには」
「火神……あなたね、生まれも育ちも日本のくせに、日本文化の常識程度のたしなみもないの?」
「あぁ? ……ああ、言葉にせずに黙って匂わすってやつか。知るかそんなん面倒くせぇ、そもそも俺が生まれた頃にゃ日本文化なんぞまだ影も形もなかったんだからな」
「………ハァ、まったく。とにかく……さっさと服を着なさい、正義のヒーロー見習いさん。隠れ里の崩壊の瞬間に結界に引きずり込んだけれど、現実ではもうこの家は崩壊しているでしょうからね。猥褻物陳列罪で検挙されたいというなら別だけど」
「……やっぱり、久賀生徒会長の家は潰れてるのか」
「隠れ里と半ば一体化していた家ですもの、当然でしょう。それに、家のことを心配するより、彼の心身について心配する方が先じゃなくて? 身も心も妖怪に支配されながら、隠れ里を維持するために全身全霊で鍛錬を積まされていたのよ?」
「そう、だな……」
「……閃くん、着替え、まだ………?」
「っ、悪い、すぐ着替えるからっ!」

 部活を終えた園亞と一緒に、陽が落ちかけた校舎を出る。その後に、渉がつきまといながら、ブーイングするかのごとき勢いでしつこく声をかけてくる。この一日、渉はずっとこんな調子だった。
「なーなー、ヒントくらい教えてくれてもよくねー?」
「駄目だ」
「でもさー、もーどーしても気になって勉強手につかねーんだよ! 元から普通に一緒に学生やってた奴がさ、アンタッチャブルの向こうに行っちまって口封じされたんだぜ? 気になんない方が嘘だろ!」
「……だから、別に口封じされたわけじゃないって言ってるだろ」
「じゃーどこ行ったんだよ久賀生徒会長はっ。お前が話つけてくるって言った次の日からいきなり休学とか、フツーに考えてMIBに消されたとか考えらんねーじゃんっ」
「だからなんだそのMIBって……とにかく、殺したわけじゃない。ただ、彼の方がまだ一般人の社会に戻れる状態じゃないだけだ。心身が復調したら、ちゃんと戻ってくる」
「うー……わかったよとりあえずはそれでいいってことにしとくよ。けどこの『いい』ってのはお前のこと信用したぞ、って意味の『いい』だかんな! あんまりないがしろにしてるとマジ切れるかんな!」
「ああ。肝に銘じておく」
 そううなずくと、渉はちょっと唇を尖らせてから「ったくもー、これだから閃はなー」などと言いながら背を向け、自分たちと別れて歩き出した。背を向けながらひらひらと手を振ったので、別れのあいさつを済ませたつもりらしい。
「……当然だな。幻滅されるのも」
 口の中で小さくそう呟くと、横を歩いていた園亞が「そうかなぁ?」と首を傾げる。
「……、聞こえてたのか」
「うん、ちょっとだけど。時田くんは、どっちかっていうと、閃くんが真面目に答えたのに簡単にほだされる自分が悔しかったんじゃないかって思うな、私。男の子って、そういう風なプライドっていうか面子っていうか、大事なんでしょ?」
「俺は、別に大事にしてるつもりは……」
 そう言いかけて、自分の正義のヒーローになるという誓いも大枠で見るとそれに当てはまるのかもしれないと思い至り、閃はぶすっとした顔になって黙り込む。園亞はそれにくすくすと笑い、運転手の開けたドアからいつもの登下校用の車に乗り込んだ。
 その後に続いて自分が乗り込むや、ドアは閉められ、すぐに滑るように車は発車する。そうしてどこからも人の目も耳も届かないようになってから、ようやく園亞は口にした。
「でも……生徒会長、あ、もう生徒会長じゃないんだけど、大丈夫かな。もう閃くんの伝手で施設に入ってるんだよね?」
「ああ、賞金稼ぎの規約に乗ってるくらい、協会は妖怪の妖術やらなにやらで被害を受けた人間に保護を重視してるからな。まぁ基本的に協会は国連直属の国際機関なんだから、当たり前と言えば当たり前だけど」
 淡々とした口調で答えると、園亞は「そうだよねー」とどこか物思わしげな風情でうなずく。……それだけ、園亞にとっても妖怪によって心身を深く損なわれた人間と出会ったのは衝撃だったのだろう。
 生徒会長――元四物学園生徒会長久賀統弘は、妖怪から解放されても、そのまま日常生活に戻っていくことはできなかった。家が壊れたというだけでなく、久賀は心身をあの絡新婦によって強く支配され、支配されることに強烈な中毒性のある快楽を覚えていた。そういった、妖怪に魅入られた人間というものは、閃もこれまでに何人か見たことがある。
 明らかに我を失った様子で、絡新婦を自分たちが倒したことを告げても信じようとせず、のみならずそのようなことを言うのは不遜だとこちらに飛びかかってきたりもしたので、やむを得ず気絶させたのち施設に強制移送したのだ。柔術の心得というのは、こういう時に非常に役に立つ。
 久賀はこれから施設で長いリハビリに耐えていかねばならない。妖怪の毒と快楽への禁断症状、妖怪に歪められた精神の治療。長い時間をかけてそんな苦しい試練を乗り越えていかなければならないのだ。久賀のご両親には施設の方から説明してもらえるようにはなっているが、久賀の人生において大いなる損失であることは違えようもない。
 正直、『助けられた』とか、『間に合った』などと言うことはとてもできないけれど。
「……園亞。悪いんだが、次の休日、数時間時間をもらえないか?」
「うん、いいよ。久賀先輩の様子見に行くんでしょ?」
「……それは、そうなんだけど。よくわかったな」
「わかるよー、閃くんのことだもん!」
 そう言ってにっこーっと笑った園亞と、真正面から向き合うのがなんとなく気が引けて、目を逸らして肩をすくめる閃の心の中に、笑い声が響いた。
『ま、お前は実際読みやすい性格してるからなー』
(煌うるさい)
『ったく、嬉しそうにしやがって。せいぜい色ボケしねぇように気をつけろよ?』
(だから、そういうのじゃ、ないから)
 そう心の中で言い返しながらも、実際妙に安らいだ気分になってしまっているのは確かなことで。
 たるまないように気をつけなくちゃな、と自分に言い聞かせながら、にこにこ笑っている園亞から視線を逸らして窓の外を見る。空はひどく近く、夏という季節が――そして、閃には数年ぶりになる、夏休みが迫っていることが、否が応でも感じ取れた。

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キャラクター・データ
草薙閃(くさなぎせん)
CP総計:240+90(未使用CP5)
体:14 敏:18 知:14 生:14(45+125+45+45=260CP)
基本移動力:8+1.625 基本致傷力:1D/2D−1 よけ/受け/止め:9/17/- 防護点:なし
特徴:カリスマ1LV(5CP)、我慢強い(10CP)、戦闘即応(15CP)、容貌/美しい(15CP)、意志の強さ2LV(8CP)、直情(−10CP)、誓い/悪い妖怪をすべて倒す(−15CP)、名誉重視/ヒーローの名誉(−15CP)、不幸(−10CP)、性格傾向/負けず嫌い(−2CP)、方向音痴(−3CP)、ワカリやすい(−5CP)
癖:普段は仏頂面だけど実は泣き虫で怖がり、実は友達がほしい、貸しも借りも必ず返す、口癖「俺は悪を倒すヒーロー(予定)なんだぞっ!」、実は暗いところが怖い(−5CP)
技能:刀24(40CP)、空手18(4CP)、準備/刀18(0.5CP)、柔道17(2CP)、ランニング13(2CP)、投げ、脱出16(1CPずつ2CP)、忍び17(1CP)、登攀16(0.5CP)、自転車、水泳17(0.5CPずつ1CP)、軽業18(4CP)、コンピュータ操作、学業14(1CPずつ2CP)、追跡、調査13(1CPずつ2CP)、探索、応急処置13(0.5CPずつ1CP)、生存/都市、英語、鍵開け、家事12(0.5CPずつ2CP)、戦術12(1CP)
妖力:百夜妖玉(特殊な背景25CP、命+意識回復+1ターン1点の再生+超タフネス+疲れ知らず(他人に影響+40%、自分には効果がない−40%、人間には無効−20%、肉体ないし体液を摂取させなければ効果がない−20%、オフにできない−10%、丸ごと食うことで永久にその力を自分のものにできる(命のみ丸ごと食べないと効果がない)±0%、合計−50%)88CP、フェロモン(性別問わず+100%、人間には無効−20%、オフにできない−30%、意思判定に失敗すると相手はこちらを食おうとしてくる−50%、合計±0%)25CP、敵/悪の妖怪すべて/たいてい(国家レベル/ほぼいつもと同等とみなす)−120CP。合計18CP)

旧き火神・真なる迦具土・煌(こう)
CP総計:3009(未使用CP0)
体:410(人間時50) 敏:24 知:20 生:20/410(追加体力、追加HPはパートナーと離れると無効−20%。250+275+175+175+156=1031)
基本移動力:11+2.125 基本致傷力:42D/44D(人間時5D+2/8D−1) よけ/受け/止め:13/18/- 防護点:20(パートナーと離れると無効−20%。64CP)
人間に対する態度:獲物(−15CP) 基本セット:通常(100CP)
特徴:パートナー(200CPの人間、45CP)、美声(10CP)、カリスマ3LV(15CP)、好色(−15CP)、気まぐれ(−5CP)、直情(−10CP)、トリックスター(−15CP)、好奇心1LV(−5CP)、誓い/パートナーを自分の全てをかけて守り通す(−5CP)、お祭り好き(−5CP)、放火魔(−5CP)、誓い/友人は見捨てない(−5CP)
癖:パートナーをからかう、なんのかんの言いつつパートナーの言うことは聞く、派手好き、喧嘩は基本的に大好きだが面倒くさい喧嘩は嫌い、パートナーから力をもらう際にセクハラする(−5CP)
技能:空手25(8CP)、ランニング17(0.5CP)、性的魅力30(0.5CP)、飛行22(0.5CP)、軽業、歌唱、手品、すり、投げ21(0.5CPずつ2.5CP)、外交20(1CP)、英語、中国語、仏語、アラビア語、露語、地域知識/日本・富士山近辺、探索、礼儀作法、調理19(0.5CPずつ5CP)、戦術20(4CP)、動植物知識18(1CP)、言いくるめ、調査、鍵開け、尋問、追跡、家事、読唇術、生存/森林、犯罪学18(0.5CPずつ4.5CP)、毒物、歴史、嘘発見、医師、催眠術、診断、鑑識17(0.5CPずつ4.5CP)、手術、呼吸法16(0.5CPずつ1CP)
外見の印象:畏怖すべき美(20CP) 変身:人間変身(瞬間+20%、パートナーと離れると無効−20%、合計±0%。15CP)
妖力:炎の体20LV(120CP)、無敵/熱(他人に影響+40%、140CP)、衣装(TPOに応じて変えられる、10CP)、超反射神経(パートナーと離れると無効−20%、48CP)、攻撃回数増加1LV(妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、合計−50%。25CP)、加速(妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、疲労5点−25%、合計−75%。25CP)、鉤爪3LV(非実体にも影響+20%、妖怪時のみ−30%、合計−10%。36CP)、飛行(妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、合計−50%。20CP)、高速飛行5LV(瞬間停止可能+30%、妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、合計−20%。80CP)、高速適応5LV(妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、合計−50%。13CP)、無言の会話(妖力を持たない相手にも伝えられる+100%、人間にも伝えられる+100%、よりどころの中からでも使える+100%、パートナーのみ心の中で会話できる+25%、パートナーと離れると無効−20%、合計+305%。21CP)、闇視(パートナーと離れると無効−20%、20CP)、オーラ視覚3LV(35CP)、飲食不要(パートナーの精気が代替物、10CP)、睡眠不要(パートナーと離れると無効−20%、16CP)、巨大化34LV(妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、疲労五点−25%、合計−75%。85CP)、無生物会話(30CP)、影潜み1LV(パートナーと離れると無効−20%、8CP)、清潔(パートナーから離れると無効−20%、4CP)、庇う(パートナーのみ-75%、5CP)
妖術:閃煌烈火50-24(エネルギー=熱属性、瞬間+20%、扇形3LV+30%、気絶攻撃+10%、目標選択+80%、妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると使用不能−20%、手加減無用−10%、合計+80%。540+8CP)、闇造り1-18(瞬間+20%、範囲拡大16LV+320%、持続時間延長12LV+360%、合計+700%。16+2CP)、炎中和50-24(瞬間+20%、パートナーと離れると使用不能−20%、合計±0%。100+8CP)、炎変形20-24(瞬間+20%、パートナーと離れると使用不能−20%、合計±0%。60+8CP)、治癒20-20(病気治療できる+10%、毒浄化できる+40%、瞬間+20%、パートナーから離れると使用不能−20%、合計+50%。90+8CP)、閃光10-18(本人には無効+20%、瞬間+20%、パートナーから離れると使用不能−20%、合計+20%。48+2CP)、幻光1-18(瞬間+20%、範囲拡大16LV+320%、持続時間延長12LV+360%、合計700%。8+2CP)、火消しの風1-18(瞬間+20%、範囲拡大16LV+320%、持続時間延長12LV+360%、合計700%。16+2CP)、感情知覚10-18(パートナーから離れると使用不能−20%。16+2CP)、思考探知10-18(パートナーから離れると使用不能−20%。32+2CP)、記憶操作10-18(パートナーから離れると使用不能−20%。40+2CP)
弱点:よりどころ/閃の尻の痣(別の価値観を持つ生き物、一週間に一回触れねばならない、その中に姿を隠せるが痣が隠されると出られない。−30CP)
人間の顔:容貌/人外の美形(35CP)

四物園亞(よもつそのあ)
CP総計:636(未使用CP13点)
体:11 敏:13 知:10(呪文使用時のみ23) 生:12/62(10+30+200+20+25=265CP)
基本移動力:6.25+1.25 基本致傷力:1D−1/1D+1 よけ/受け/止め:6/-/- 防護点:5(バリア型−5%、−8で狙える胸元の痣の部分には防護点がない−10%、合計−15%。17CP)
人間に対する態度:善良(−30CP) 基本セット:機械に対して透明でない(80CP)
特徴:意志の強さ1LV(4CP)、カリスマ1LV(5CP)、後援者/両親の会社(きわめて強力な組織(国際的大企業四物コンツェルン)/まれ、13CP。敵/某闇会社/まれ、−10CPと足手まとい/25CPのお目付け役/知人関係/まれ、−3CPとで相殺)、朴訥(−10CP)、正直(−5CP)、好奇心(−10CP)、そそっかしい(−15CP)、健忘症(−15CP)、誠実(−10CP)
癖:自分は普通だと思っている天然、口癖「え、えっとえっと、なんだっけ?」、口癖「私だってそのくらいできるんだから」、胃袋が異空間に繋がっているとしか思えないほど食う、超ドジっ子属性(−5CP)
技能:バスケットボール13(2CP)、学業10(1CP)、軽業11(1CP)、投げ10(0.5CP)、水泳12(0.5CP)、ランニング10(1CP)
呪文:間抜け、眩惑、誘眠、体力賦与、生命力賦与、体力回復、小治癒、盾、韋駄天、集団誘眠、念動、浮揚、瞬間回避、水探知、水浄化、水作成、水破壊、脱水、他者移動、霜、冷凍、凍傷、鉱物探知、方向探知、毒見、腐敗、殺菌、療治、解毒、覚醒、追跡、敵感知、感情感知、嘘発見、読心、生命感知、他者知覚、思考転送、画牢31(1CPずつ36CP)、大治癒、倍速、飛行、高速飛行、瞬間移動、瞬間解毒、接合、瞬間接合、再生、瞬間再生、精神探査、精神感応、不眠30(1CPずつ10CP)
外見の印象:人間そっくり(20CP) 変身:なし
妖力:魔法の素質10LV(180CP)、追加疲労点30LV(90CP)
妖術:なし
弱点:行為衝動/悪い妖怪に襲われている人間がいたらその人間を全力で助けずにはいられない(−15CP)、腹ぺこ2LV(−15CP)、依存/マナ(一ヶ月ごと。−5CP)
人間の顔:普通の中学三年生、容貌/魅力的(5CP)、身元/正規の戸籍(15CP)、財産/貧乏(15CP)、我が家/古い屋敷(15CP)