草薙閃を初めて見た時、四物学園三年藤組十六番、時田渉は正直ぶっ飛んだ。どっひゃーと思った。
だって刀だ。ポン刀だ。全力で銃刀法違反な戦闘武器だ。袈裟に包んではあったがあからさまに竹刀や木刀とは違うことがわかるほどずっしりと重そうな、どこのロープレから持ち出してきたんだと言いたくなるような代物だ。
そんなものを腰に下げた、それこそ侍! とでも言いたくなるようなぱっと目を惹く雰囲気の美少年がつっめたーい瞳でこちらを見ている。
今にも暴れだすんじゃね、こいつ? と言いたくなるような雰囲気をたたえた美少年に、クラスは残らず震え上がったと思う。こいつぁとんでもねぇ奴がやってきた、と。
「え、ええと、じゃあ、自己紹介を……」
担任のやべっちが震える声で言うのに、そいつは落ち着き払った声で答えた。
「草薙、閃です」
それだけ言ってまたこちらを睨みつけてくる。
ひぇー、マジやべぇかも、と思いつつも、渉はドキドキしていた。面白くなってきた! と思った。そうだ、だって自分は、いつだってこんなサイコーに面白いものを探し求めていたのだから。
「今日うちのクラスに転校生来るらしいぜー」
「へー、編入生? 編入試験なんて受ける奴いたんだ」
「それがさぁ、なんでも……」
耳に囁かれたのは、転校生が理事長のお声がかりで編入してきた奴だということ。
へー、と少し驚きはしたもののそれだけだった。クラスに理事長の娘であり世界に冠たる大財閥四物コンツェルンのご令嬢がいるのは知っていたが、彼女――四物園亞は(めちゃくちゃドジではあったものの)普通の女子だったから、ほとんど意識に上らなかったので。
でもそれでも親戚筋の不良でも来るのかな、と少し楽しみになった。転校生は自由で楽でなんでもできて、その分なにをすればいいのかわからない退屈な学校生活に対するちょっとしたスパイスだ。不良だったらこんな学園にやってきた空気読めなさをからかってやろ、と思っていた。
が、この相手は。
冷たい瞳でクラス中を睥睨する草薙。思わず背筋がゾクゾクとした。触れれば切れそうな殺気を撒き散らすあからさまに危険物な存在。こいつのこと、もっと知りたい。
なのでやべっちが「あ、じゃあ、その……みんな、質問あるかー?」と聞いてきた時勢いよく手を上げた。
「え、と。なんだ、時田?」
「はいっ、草薙くんはいくつですかー?」
まずは基本情報からだ。草薙はこちらに視線すら向けず即答した。
「十五」
「誕生日はいつですかー?」
「四月十五日」
「趣味はなんですかー?」
これには答えるのにわずかに間があった。
「……家事、とか」
家事?
たぶんみんなえぇ? って感じだったと思う。わりと普通なようで微妙に普通じゃない趣味だ。料理とかいうならともかく。しかもこいつが言うとまたなんというか、変というかそぐわない感じがする。
「……草薙くんはここの前、どこの学校に通ってたんですかー?」
気を取り直して訊ねてみると、この問いにもわずかに間があった。
「……前に学校に通っていたのは、北川小学校」
「へ?」
小学校? どういうことだ? 頭を疑問でいっぱいにしながら質問する。
「えーとでも、草薙くんは十五歳なのに、どーして? 別に小学校卒業してから学校に通ってないってわけじゃ」
「小学校卒業からじゃない。小四になってしばらくしてからずっと学校には通っていない」
「え」
思わず目を見開くと、氷のような目でちろっとこちらを睨んでから、すぐに視線を外して言った。
「詳しくは、言いたくない」
「…………」
そうストレートにこられると、こちらも強くは言えない。だが好奇心は否が応でも高まっていた。こいつ本気で謎っぽい。本気でヤバそうだ。
だからこそ、気になってしょうがない。
「じゃあ別の質問! 草薙くんは、なんでそんな日本刀なんて持ってるんですか!?」
周囲から『スゲェ!』『時田、勇者だ!』と囁くのが聞こえてくる。ま、ま、と笑顔で制しつつ(渉は基本お調子者だ)草薙を笑顔のまま見つめてやった。
が、草薙は微塵も揺るがず即答した。
「仕事に必要だからだ」
『………………』
「えと。仕事って?」
「悪いけど、部外者に話すわけにはいかない」
『……………』
なんだそりゃ!? 部外者ってナニ!?
不可解な発言にますます静まり返ったクラスの中で、渉は一人気合を入れてまた手を上げる。
「じゃあじゃあっ、りじちょーのお声がかりで転校してきたってことですけど、園亞さんとはどーいうご関係ですかっ」
「こ、こら時田っ」
今度の質問にも、答えるのにわずかに間があった。
「護衛と護衛対象だ」
『………………』
一瞬の沈黙ののち、ざわざわっとクラス中がざわめいた。護衛って!? 護衛対象って四物が!?
四物はにこにこしながら否定せずに草薙の方を見ている。これはマジなのかっ、と拳を握り締めつつ立ち上がって聞いた。
「じゃあじゃあっ! 理事長から護衛の仕事頼まれたってこと? 年変わんないのに? つか仕事って秘密なんじゃなかったの? なんでそんな仕事やってんの、つかどこでなったの?」
矢継ぎ早に投げつけた質問に、それまで特に視点を定めずクラス全体を見渡していた草薙は渉の方を見た。ぎっ! と音がしそうなほどの痛烈な殺気をこめて。
ぞくっ、と背筋が冷えた渉に、草薙は殺気をぶつけながらも淡々と答える。
「最初の質問の答えはYES。次の質問の答えはだからなんだ、としか答えられない。それ以上の仕事の質問に関しては……悪いけど、答えるわけにはいかない」
ひぇぇこっえー、と冷や汗を拭きながら渉は笑ってみせた。本気で刀を突きつけられているような気分にさせられる殺気だ。だがそれでも笑い、質問を続ける。これはもう意地だ。
「じゃあさじゃあさっ、もーっと俺らが仲良くなってから質問したら答えてくれるってことー?」
ぎんっ!
クラス中が軒並み震え上がるほどの殺気が草薙から発された。渉も思わず笑顔が凍った。それだけのとんでもない、同い年の男が発しているとは思えないほどの苛烈な殺気がそこにあった。
氷よりも冷たいのに、こちらを焼き尽くすほど熱い瞳で、歯軋りをしながら草薙は一言一言こぼすように呟く。
「冗談、じゃ、ない」
それこそ呪うように暗い声で。
「そんなこと、絶対に考えるな。俺となにか関係≠作ろうなんて、間違っても思ったりするな」
深く、どこか苦しげなため息をつき。
「―――命が惜しければ」
そう吐き出すように言ってから、草薙はやべっちの方に顔を向け「先生。席に着いてもいいですか」と訊ね、「あ、ああ……じゃあ、そこの席を」と指差された空席にすたすたと向かって座った。
いまさらどっと流れてきた冷や汗を拭きながら、渉は深く息をつく。マジで殺されるかと思った。本気でビビった。
だけど、ますますもってはっきりした。あいつは、草薙閃は普通の奴じゃない。すごい%zなんだ。
ぶるっ、と体が自然に武者震いをする。たまらなく心が浮き立っている。出会うべき存在にようやく出会えた、そう体の底が確信していた。
こっそり草薙の方を向く。草薙の席は渉の隣の隣、後ろの戸すぐ脇。草薙は淡々と授業の準備をしていたが、その横顔にこっそり銃で撃つ真似をしてみたりしつつ。
覚悟しろよ、草薙。絶対仲良し≠ノなってやるからな! とちょっとハードボイルドっぽくにやりと笑ってみた。
渉は昔から、すごい≠烽フに憧れていた。
すごい°ュいでも、すごい<Jッコいいでも、すごい≠゚ちゃくちゃでもすごい∴ォいでもなんでもいい。とにかく、『普通』の枠に入らない存在。それこそ漫画やらなにやらの主人公のような、とんでもない存在を実際に見ることはできないかと切望していた。
そう言うと親はいつも「お前はハルヒか」(なんでも渉が生まれる前に放送していたアニメらしい)と笑うのだが、そういうのじゃない。自分が非日常を味わいたい、というわけじゃないのだ。ただ、漫画の主人公のような、本当にすごい=A本物が世界のどこかには存在していてほしいと思うのだ。だってそうじゃなかったら、世界はあんまりつまらなさすぎる。
別に自分がそうなりたいわけじゃない。ただ、世界のどこかにはいてほしいのだ。これまでの渉の人生で見てきたような、顔を見て少し話を聞いただけで、学校の成績もそこそこでしかないガキにあっさり精神構造見抜かれる程度じゃない奴が。
政治家も作家も芸能人も、どいつもこいつも渉にはただのバカにしか見えなかった。バカじゃなくてもそれほど大した奴だとは思えなかった。なんでこんな奴らがもてはやされているんだろう、という思いは、やがてもしかしてこの世にはこの程度のやつしかいないんじゃないか? という危惧に変わった。
テレビに出てくるようなんじゃない、本物のすごい%z。『すごい』と問答無用で思わせてくれるような、尊敬せずにはいられないような人間。常人を圧倒するに足る人間。それがフィクションの中にしか存在しないんだとしたら、どうしたって人間に絶望せずにはいられない。人間というのは、この程度の存在なのか、と。
それはいくらなんでもちょっと悲しい。生まれてから十五年足らず、まだ人生に絶望するには早すぎる。だから渉は、すごい%zを、見上げて憧れるだけの価値のある奴をこっそりと探していたのだ。
そして、それが今目の前に現れている。
英語の授業で音読をしながら、渉はこっそり草薙を盗み見た。一緒になって普通に音読をしながらも、草薙の腰には当然のように刀が据えられている。
あれ、マジに使えんのかな、とわくわくと渉は考えた。そうでなきゃ普通持ち歩かないだろう。あれを使って戦うんだろうか。襲ってくる敵と? うっひょーすげぇマジで漫画みたいじゃん。
そんな奴が自分たちの学校で授業を受けている、というシチュエーションにも渉はかなり興奮した。そういうギャップ的な面白さは漫画の基本のひとつだ。しかも今回はタイミングよく、草薙の列に訳が回ってくる。この現代に蘇った侍! 的風貌の少年が、どんな顔をして英語を訳してくれるのか。
と、コババ(小林のババア、略してコババ)が唐突に甲高い声を上げた。
「ミスター・クサナギ! なんであなたはノートを取っていないのですか!? 真面目に授業を受けなさい!」
うっわこのババアバカか? と思わず草薙の顔を盗み見る。コババが草薙をやたら意識しているのには気づいていたが(たぶん理事長お声がかりの転校生だからだろう、この性格も顔も悪いお局様はあの人のいい四物を『理事長の娘だからといって教師に贔屓されると思ったら大間違いですよ!』と目の敵にするような勘違いババアなのだ)、ポン刀下げてる奴に喧嘩売るほど頭が悪いとは思っていなかった。
草薙は、その秀麗な眉をわずかに寄せ、静かな動作で顔を上げ、コババをす、と見つめた。うおおカッケェ、と思わず目を輝かせてしまう。こいつ本当にいちいち動作が絵になるっていうか、それこそ絵に描いたようなってくらい様になる。
「なんで、ノートを取っていないのが真面目に授業を受けていないことになるんですか?」
「………! 当たり前でしょう、そんなことは!」
「少なくとも俺には、少しも当たり前じゃありません」
初対面の怒っている大人相手に、一歩も退かない、どころか明らかに格上って感じのやり取り。いいじゃんいいじゃんそうでなきゃ。それでこそすごい%zというものだ。
が、そういうことがまったくわかっていないコババは、見苦しくも口から唾を飛ばしけたたましい声できゃんきゃん喚き立てた。
「なら、今から言う文章を英訳しなさい! まず充分なお金を貯めないといけないので、私が実際にそのヨーロッパ旅行に行くのには時間がかかるでしょう=I」
このババア、と思わず顔をしかめる。渉は英語がわりと得意なのでわかるが、これは中三レベルの英語じゃない。しかもぶっつけで英訳って、しかも口頭で答えろって。普通なら生徒いびりになってるとこだ。
が、草薙は少し考えてから、ごくあっさりと言った。
「……It will be a long time before I can actually go on that trip to Europe because I must save up enough money first.=v
うおお、と教室がどよめく。コババがひきつけを起こしたような顔で息を荒げながら「今日は自習にします!」と叫んで教室の外へと逃げ出していく。
うわーっと渉の体中に喜びが満ちる。そうだ、やっぱりそうじゃなくっちゃ! すごい%zはこの程度のバカな大人になんぞ拘泥されないのだ! あっさり蹴散らして自分の好きなように突き進んでしまえるのだ!
やっぱり、絶対仲良し≠ノなってやる! という気持ちを込めて、コババが出ていくや渉はまっさきに草薙の席へ駆け寄り「すっげぇじゃん草薙! お前英語までできるわけ!?」と陽気に話しかけた。
「転校生に更衣室案内してやろーと思ってさー。まだ場所知らないだろ?」
そう明るく話しかけた渉に、草薙は警戒と、潜在的敵意でもって接してきた。こっち見る時は常に睨んでるし、さりげなく名前呼びしてもスルーされるし。四物を本気で守ろうとしているのがわかったのは収穫だったが、更衣室に案内する途中話してたら突然四物を引っ張ってどこかへ行ってしまうし。なかなかこちらと打ち解けてくれる気はなさそうだ。
が、渉はまるでめげていなかった。そのくらいでなきゃ張り合いがない、勝負はまだまだこれからだ、なんとしても仲良くなってやる。
とりあえず更衣室の前で待って、やってきた草薙を笑顔で出迎え、その引き締まった体にうおう実戦派っぽい筋肉、と気圧されつつも更衣室の使い方をあれこれと説明してやった。草薙はしかめっ面を崩さなかったが、こちらに対し無関心でいられていないのは確か。上等かつ結構だ、愛の対義語は憎悪ではなく無関心なのだから。
二時間目の体育は体力測定。さぁどんな運動能力を発揮してくれるか、と全力でわくわくしながら、草薙をぐいぐいとグラウンドへと引っ張った。女子のたまっているところから、四物が目を輝かせて駆け寄ってくる。
「あっ、閃くーんっ!」
「園亞……体育、ってことだけど。なにをするんだ?」
「うっわーなになに俺の言葉完全スルー? 俺が体力測定だって何度も何度も説明してやったじゃーん」
馴れ馴れしく肩を抱いてやろうとすると、ぱんっとさりげなく振り払われた。その仕草もいちいち様になっているのがこんにゃろうという気分にさせられる。
「ま、心配すんなよ閃、体育のトヨタは悪い奴じゃないから」
「……豊田っていう名前なのか」
「いんや、本名は蜷川功治。三十一歳独身男」
「……じゃあ、なんでトヨタなんだ」
「あいつすっげー車マニアなんだよ。いくつも車持っててさ、それで登校してくんだけどさ、どの車も絶対トヨタの車なんだよ。だからトヨタ」
「……ふぅん……」
わずかに目を瞬かせるのに、お、ちょっと興味引くのに成功? と勢いづいてさらに喋る。
「でさ、トヨタってその趣味こっちに押しつけてくるっつーか、なんでもかんでも車に例えんだよ! 『どうしたー気合入れろートヨタのエンジンは中古車でもこの程度でへばったりせんぞー』とかさっ! 中三の体車と一緒にすんなっつの、俺らまだまだ育ち盛りだっつーのに、なぁ!」
「えー、育ち盛りだっていうなら元気に動くのが普通じゃない? ほら、子供は風の子! みたいな感じで」
「おーい、この人また無茶なこと言い出してますよー。中三はまだ体出来上がってねーんだから車にさせるみてーな無理は禁物っつーのがお約束だろーが」
などと四物と喋りつつ草薙の様子をうかがったのだが、草薙はわずかに眉を寄せながら話を聞いているだけだ。うーむ、空振りか、と思いつつも、草薙が初めて示した興味のようなものが少しばかり気になった。こいつ、教師になんかトラウマでもあんのかな。そーいや、小四から学校行ってないとか言ってたけど。
「おーし、男子、集まれ―。体力測定やるぞー」
「お、来たぜトヨタ。よっしゃ、じゃー行きますかっ」
「…………」
「閃くんっ、頑張ってねっ。私応援してるからっ」
「いや、体力測定に応援もなにもないだろ……」
トヨタの前に整列させられて出席を取られる際に、さすがにトヨタは草薙の持っているポン刀に難色を示した。まぁ、良識のある教師なら問題視はするだろう。
「お前が四物の護衛だっていう話は聞いているが……こんな場所で白昼堂々襲ってくるような人間がいるわけないだろう」
「可能性はゼロじゃありません」
なだめるような口調で言うトヨタに、草薙はあくまで真剣な、それこそ抜き身の剣を向けているような鋭さを秘めた口調で淡々と言う。周囲の奴らは緊迫した状況に冷や汗を流しているようだったが、渉としてはむしろわくわくしていた。
「第一、そんなものを腰に差しながら体力測定なんて受けたら、正確なデータが測れんだろう。お前は少なくとも現在はこの学校の生徒なんだから」
「俺が刀を身から離すことはありえません。だから刀を持ちながら測定しても問題はないはずです。どんな場所、どんな状況だろうと俺は刀を離しません。そんなのは猛獣の檻の中で身を投げ出すようなものだ」
草薙の口調は変わらず、淡々としているが壮烈だ。トヨタも難渋したのだろう、少し厳しい声で言った。
「お前の常識ではそうかもしれんがな。少なくともここではそれは非常識なんだ。そんなものを持ち歩きながら授業を受けられたら、他の奴らが委縮してまともな記録が出せなくなる」
その言葉にも草薙は、視線を逸らさずトヨタを睨むように見つめたまま答える。
「では、この授業の間退席しています。……その方が、きっとどちらにとってもいいはずだ」
(あれ)
ふと、渉は目をそばだてた。草薙の表情は変わらない。口調も変わらない。あくまで淡々としながらも鋭い、すごい$l間のものなのに、今なぜかなんとなく、少し寂しそうな雰囲気っぽかった、気がする。
おそらくトヨタも気づいたのだろう、わずかに眉を上げたのち、ふぅ、とため息をついた。それからぐるりと自分たち藤組男子全員を見回し、声を張り上げる。
「よし、お前ら! 草薙が日本刀を持ったまま授業を受けてもいいと思う奴、挙手!」
「……はぁっ!?」
草薙が素っ頓狂な、と言ってもいい感じの声を上げる。だがトヨタは平然と、堂々と声を張り上げ言った。
「お前らにとっても草薙は転校してきたばかりの奴で、お互いのこともよくわからんだろう。が! いい関係を築くために必要なのはお互いを尊重する気持ちだ! ここはひとつ大人になって、どーんと広い心で草薙を許してやってはくれんか、なぁ!」
「ちょ……なにを、というか俺は別に許してほしいわけではっ」
当然、渉はばっと手を挙げて「はいはいはーい」と自己アピールした。
「俺サンセーしまーっす! っつーかぜひとも持ったまんまで受けてほしい!」
「お、言うな、時田!」
「だってさー、マジでポン刀持った相手と一緒に授業受けれるなんてフツーできねーもん! それに現代の侍がポン刀持ちながらどんだけ動けるのかとか興味あるし―」
「俺は別に侍というわけじゃ……」
草薙は明らかに戸惑った顔でもごもごと言っていたが、渉がおどけて言った言葉で明らかに周囲の空気は和んだ。笑いが漏れ、「まー確かに面白ぇかもなー」「刀持ちながらどんだけ走れるのかとか興味あるよな」などという声も聞こえてくる。
「ようし、じゃあ時田の意見に賛成という奴、挙手!」
ばっ、と大部分の生徒が手を挙げた。残りも周囲が挙げているのを見ると、おずおずと手を挙げてくる。
「ようし、では全員一致で草薙の想いを受け容れてやることに決定! いい生徒を持って先生は幸せだぞ!」
「蜷川センセーそれなんかちげーこと言ってるよーに聞こえるよー」
「細かいことは気にするな! よし、それじゃあ体力測定の組み分けを発表する! 一番から九番は……」
笑って話を勧めるトヨタを草薙はひどく戸惑ったような顔で見つめていたが、すかさず渉が駆け寄って「よかったじゃん、閃っ」とぽんと肩を叩いて笑ってやると、戸惑った顔のままおずおずとうなずいたので、お、意外と可愛げあるじゃんなどと思ってやった。
――そしてその後の体力測定で、まさにすごい≠ニいうに値するとんでもない記録を叩き出されて仰天した(刀差しながら五十m走六秒切るとかハンドボール投げで七十メートル越えとか走り幅跳び六mとか何事かと思った)。
昼休み。四物学園は中高一貫教育なので、昼飯は弁当か学食か購買だ。ちなみに渉は今日は弁当。
なので、当然真っ先に草薙の席に飛びつくように向かって、「なぁなぁ閃、一緒に飯食おうぜー!」と懐いてやった。草薙はまたひどく戸惑った顔をして、まず四物に確認を取る。
「園亞……この、時田が、俺と一緒に昼食を食べたいって言ってるんだけど」
「なんだよー、渉って呼んでいいって、俺だって名前呼び捨てしてんだし―」
「……、一緒に昼食取ってもいいと思うか?」
四物はきょとんとした顔で草薙と自分を見比べてから、にこっと笑って「もちろん、いいよっ!」とうなずいた。よし、さすが四物、お前はいつもいい奴だ。すさまじくドジで天然だけど。
「時田くんとご飯って初めてだよねー。普段時田くん新聞部の方で食べてるじゃない」
「ん? そりゃまぁ、今日は閃と友好を深めようと思ってさ! 俺らもーダチだしー」
「……いつから友達になったんだ」
「初めて会った時から決めてました! オトモダチになってくださいっ!」
「え……あ、の」
「あははー、時田くんそれ友達になる時に使う台詞じゃないよー。閃くんすごいねー、こんなに早く友達作っちゃって」
「だ、だからっ、俺は友達を作るつもりは」
「ま、ま、いいから飯食おうぜ。四物の弁当、マジですげーんだから」
「は? すごいって……」
「えへへ、そう言われると照れちゃうなー。あ、閃くん、そんなに期待しないでね、……よいしょっと」
言いながら、机の脇の巨大なアウトドアバッグから、四物は弁当を取りだした。草薙の口がぱかっ、と開く。
そりゃそうだろう、なにせそれは、高級感あふれる風呂敷で包まれた、五段重ねのお重だったのだから(しかもやたらデカイ)。
「……それ、弁当か?」
「うん、そーだよっ」
「……何人分?」
「え? 閃くんの分のお弁当、岸部さん渡してくれなかったの!?」
「いや、あの、そういう意味じゃなくて、その……」
女の子にこんなこと言うに言えない、と書いてある草薙の顔を見て、渉はくっくっくと笑った。草薙を肘でつついて囁く。
「言っとくけど、四物ってこれ毎日一人で食うぜ」
「!?」
「こいつってさ、すんげードジとかすんげー物忘れ激しいとかいろいろある意味すごいとこはあんだけどさ、特にこのとんでもねー食欲にはどんな奴でも度肝を抜かれるね。うちの体育会系OBだってこいつにゃ勝てねーんだから。しかも別にちっとも太ってねーっつーのがすげーよな。女子もここまでやられたらもう微笑ましく自分とは別の生物だと思って見守るしかねーってカンジなんだよなー」
「…………」
「じゃ、いっただっきまーっす!」
「……いただきます」
「いただきまーっす!」
四物がお手拭きを貸してくれたので軽く手を拭ってから、食事にかかる。四物の弁当はいつもながらすさまじくうまそうだが、今回はそれより草薙の弁当だ、とこっそりのぞきこみ、目を瞠る。量は常識的だが、内容がほとんど四物のものと同じだ。
「なぁ、もしかして閃と四物ってさ、一緒に住んでんの?」
「…………」
「うんっ、そーだよっ! 閃くん私の隣の部屋にいるんだっ」
「へー……ってことは、マジで二十四時間体制で護衛してんだ。若いのにすげぇなー」
そう軽く探りを入れてやると、草薙はわずかに表情を冷たくして言ってくる。
「当然の義務を果たしてるだけだ」
「当然のってすげーなー、お前ってなんか特別な背景でも持って」
「悪いけど、それ以上お前に言う気はない」
きっぱりと言われてさすがに少々むっとしたが、ここはあえて軽く流してさらに探りを入れる。
「やー、けどさー、護衛とかそーいう話聞くとやっぱ四物も四物コンツェルンのご令嬢だったんだーっつー気がすんな。普段はただのスーパードジっ子なのに」
「もー、だから私お嬢様じゃないっていうのにー。そりゃ、少しはドジかもしれないけどさっ」
「少しはぁ? お前自分をそー過小評価すんのどうかと思うぜー」
「……四物コンツェルン?」
草薙がわずかに眉をひそめるのに、渉は思わず目を見開いて訊ねてしまった。
「え、おい閃、お前まさか雇い主の詳しい素性知らないわけじゃねーだろ?」
「い、やその」
「んーと……閃くん、どーだっけ? 知らないんだっけ? 私を助けてくれたのをお父さんがスカウトしてくれたのは覚えてるんだけど」
「スカウト? ……じゃーマジで詳しく知らない、とか?」
「……その……」
顔を真っ赤にして黙りこむ草薙に、渉は思わず笑顔になってしまった。いやもうこの野郎こんなにあっさり弱いとこ見せやがって面白いじゃないか! 性格や状況のギャップは漫画の面白さの基本だよな!
「しゃーねーなー、じゃー教えてやろう! お前さ、四葉銀行知ってる?」
「そりゃ……知ってるにきまってるだろ。日本でも有数の大きな銀行だし」
「丸川書店は? 新聞とか小説とか漫画とかいろいろ発行してるとこ」
「知ってるけど……」
「トディーは? 放送とか音楽とかあとコンピュータとかいろいろあるけど」
「知ってる、けど……」
「それ全部統括してるのが四物コンツェルンなんだよ」
「……はぁっ!?」
目をまん丸くして絶叫する草薙に、渉はにやにやと言ってやる。
「不勉強だなー、閃。これだけじゃなくてな、他にも山のよーにでかい会社とかグループとか経営してる日本有数の巨大財閥、それが四物コンツェルンで、こいつの親父さんが頭張ってるとこなわけ。こいつこう見えて世界でも有数ってくらいのお金持ちのお嬢さまなんだぜ」
「だからー、私お嬢さまってわけじゃないって言ってるのにー」
などと言いながらも四物はぱくぱくとおいしそうに弁当を食べる。その横で、草薙は呆然としていた。そりゃまーとりあえず金持ち? くらいの認識しかなかった相手が、世界でも有数の金持ちだと知ったらショックはでかかろう。自分も初めて知った時はめちゃくちゃ驚いた。
にやにやしながらなにか言ってやろうとしたが、草薙は一瞬ちらりと四物を見てから、さっと表情を厳しい――というか、凛としたものに変えて渉を見た。そして静かに、かつ堂々と言う。
「……少なくとも、俺にとってはそれは大して関係のないことだ。俺が自分にできる限りの力を使って園亞を守るのには、変わりないんだからな」
『…………』
「ひゅーひゅー閃っカッコいー! なにそれ、ある意味プロポーズ?」
「は……はぁっ!? お前、一体なに言ってっ」
「うわーすごーい草薙くん、男らしー」
「なんかちょっと乙女として言われてみたいよねーあーいう台詞」
「草薙、お前そこまで四物のことを……うおーある意味すげー」
「や、やだもーわーもーなんかもー、えへへ、でもすっごく嬉しいな、ありがと、閃くん」
「だ、だから俺は別にそういう意味で言ったんじゃないってのにーっ!」
放課後。渉の属する新聞部はわりと活発に活動している部で、学校行事等が一面に持ってこられるのはもちろんだが、いわゆるゴシップ的な記事やらも三面辺り、あるいはひそかに号外として配られたりする。もちろん転校生紹介というのも紙面を賑やかすひとつの記事だ。
なので一応部に顔を出して転校生について取材すると言っておいてから、渉は体育館へと向かった。部活に向かう四物の護衛をする、と聞いていたので、そこに草薙がいるのはわかっていたのだ。
さっそく体育館に入り、きょろきょろと周囲を見回す。が、草薙らしき人影は見当たらなかった。あれ? と前後左右上下をもう一度確認し、ぎょっとする。
草薙は体育館の二階に立っていた。しかも、ポン刀を構えて。なにかきらきら光っているような、と思ったら、それは光を反射して輝く日本刀だったのだ。
どっしぇー、と思わず固まった。いやそりゃもちろん草薙の持ってる日本刀は本物なんだろうなぁと思ってはいたが、実際に見るとまた迫力が違う。
草薙が、その日本刀をしゅん、と振る。一瞬斬られた、と前に立っているわけでもない渉が思ってしまうほどの気迫と速さで。
ざっ、ざっ、と体育館のコンクリートの上を滑るように草薙は走る。少しも腰の位置を動かさないまま、型というものがきちんとできているのだろう、目にも止まらぬほど速く、そして『きれいだ』と思ってしまうほどの動きで。
渉はごくり、と唾を呑み込んだ。体と頭を完全に硬直させたまま。
すごい=B疑いなくそう思える動き。本物だ、と確信できる技。本来なら歓声を上げていいはずなのに、渉は固まったまま動けなかった。
確かに草薙は本物だ。渉のような素人にも間違いなく実戦を経験しているとわかってしまうほどに。
それはつまり、草薙はたぶん、あの刀で本当に人を斬ったことがある、ということだ、とようやく気づいて、体が一気に固まるほどざっと冷えたのだ。
「……!? ちょ、ちょっと! そこの二階のあなた! なにしてるのっ!」
バスケ部のコーチが声を上げた。その声は明らかに震えている。そりゃあ普通は現代日本の体育館でポン刀振り回してる奴がいればビビりまくるだろう。
草薙はいつものようにわずかに眉を寄せながら、きっぱり言った。
「稽古です」
「け、稽古って! あなた、そんな、そんなもの振り回して銃刀法違反じゃないのっ」
「許可は得てます。なんでしたら許可証お見せしましょうか」
「そ、そういう問題じゃなくてっ。あなた、なんでこんなところでそんなことやってるのっ」
「……護衛対象がバスケ部にいるので。少しでも稽古をやっておこうと」
「ご、護衛対象って、誰!」
「あ、はーい、私でーっす」
「四物さん……!? ああ、あなた四物コンツェルンのご令嬢だったわね……だ、だけどだからって部活やってる横で日本刀で稽古なんてしていいわけないでしょう! 練習に集中できないじゃない!」
「え、そーですか? 私別に気にならないですけど」
「私はすごく気になるの。……稽古したいっていうなら、真剣じゃなくてもいいでしょ。木刀なり竹刀なり使いなさい。そうじゃないと怖くてしょうがないわ」
「……わかりました。申し訳ありませんでした、今日は自粛します」
「え、なんで? 閃くん稽古したいんでしょ?」
「……俺は、木刀やら竹刀やらは持ってないから」
「剣道部で借りてきたら? うち剣道部あるよ? ……確か、剣道場あったような気がするから」
「いや。園亞を護衛してる最中に、そんなことで離れるわけにはいかない」
「え、でも……うーん。あの、コーチ、ちょっと剣道部まで行ってきていいですか? 閃くんも稽古したいと思うし、もうぱっと行ってぱぱっと帰ってきちゃいますから!」
「はいはい、好きなだけ行きなさい、ゆっくり行ってきていいから……というか、今日は私がまともに練習できそうにないわ……」
「? じゃー行ってきまーす! 行こっ、閃くん!」
「いや、だけど……いいのか? 練習中に」
「うんっ、いーよっ。今ちょうど個人練習だったしっ」
「……ごめん」
「いいってばっ。ほらほら、早く行こーよっ……あ、ちょっと待ってね、すぐそっちまで上がるからっ」
たたっと四物は体育館の二階へあがる階段へと走る。草薙は一瞬逡巡してから、階段の出口へと走った。そして二人揃って二階の出口から体育館を出ていく。
それをしばし固まりながら見つめてから、はっとして渉は走り出した。
なにやってんだもう俺は、ただ草薙が日本刀振り回してたくらいで、むしろ喜ぶところじゃないかここは、草薙が本物だって確信できたんだから。
そう自分に言い聞かせつつ草薙たちを追って人気のない放課後の廊下を走りながらも、手のこわばりは取れなかった。真剣。振るえば人が簡単に殺せる代物。そういうものを、あいつは、明らかに扱い慣れていた。
ぎゅ、と奥歯を噛みしめる。ずっと望んでいたことのはずなのに、なぜか、自分は今こんなにもあいつが。
「……ふぅん。じゃあ、閃くんはずっと、煌さんに体を提供してきたんだねー」
ふいに聞こえてきた四物の声に、びくっとして思わず身を隠す。こっそり角の向こうをのぞいてみると、草薙と四物が喋りながら歩いているのが見えた。ごくり、と思わず唾を呑みこんで様子をうかがう。
「体を提供、って……そういう言い方は、どうかと思うけど、とにかく……ほとんど俺の生まれた頃から、そういうことを俺たちは続けてるんだ。俺は煌に自分の体を食わせて、煌に力を与えて、煌はその力で俺を守る、っていうことを」
「でも、食べられるのって痛くないの? それにどこも食べられてる感じしないけど」
「食べるって言っても、少し摂取すれば事足りるから。少しだけ噛みついて、肉や血を、それこそ小指の先にも満たないぐらい食べればいいんだ」
「ふぅん……煌さんって、閃くんのことすっごく好きなんだねー。閃くんが生まれた時から続けてるんでしょ?」
「……うん。本当に、あいつには感謝してる。最初は、呪いを弾くための手段でしかなかったとしても」
「え、呪い?」
「うん……俺たちが生まれる前、二十世紀と二十一世紀の間辺りに、煌たちみたいな奴らの戦争があったんだって。いわゆる、黙示録みたいな……いわゆるキリスト教の神、一神教の唯一神に対する想いが凝集してできた世界最大の……それ≠ェ世界中の人間を滅ぼそうとしてきて、世界中のそれたちがそれ≠ニ戦ったんだって」
「え……神様? なんで神様が人滅ぼすの? それになんで神様が妖怪……?」
「それの名前は口に出さない方がいい。……それ≠ヘ想いの凝集だから。神に対する祈りとか、願いとか、そういうものも確かに想いだろう? 一般的に人が考える神とはまた違うかもしれないけど、神という名前のそれ≠ヘそれなりにいるんだ。多神教とかの神は一柱ごとに対する想いが軽くなるせいか、けっこう腰が軽かったりするよ」
「へー、そーなんだー」
「……とにかく、その神は世界最強だった。なにせ世界最大の宗教の信者すべての想いの結集だったから。だから戦いも熾烈を極めて、多神教の神なんかは何柱も滅ぼされたりしたんだって。特殊な方法を用いて二度と復活できないよう消し去ったそうなんだけど……煌は、その神に呪いを受けたんだ」
「え、煌さんも戦ったの、その時?」
「ああ。煌は戦うの好きだし、自分の力に自信持ってたから最前線で戦ったんだって。で、その神にこてんぱんに負けて、呪いを受けたんだ。衰弱の呪い。存在がどんどん消滅していく、っていう呪いを」
「え! それすごく大変じゃない!」
「そう、大変なんだ。煌は何年も必死にそれに抗ったけど、耐えられずに消滅してしまいそうになった。そんな時――赤ん坊の俺を、百夜妖玉を見つけたんだって」
「ひゃくやようぎょく……って、閃くんのたいしつ、だよね」
「そう、血肉を食らったそれ≠ノ力を与える体質。俺の血肉を食らうことで煌は呪いに対抗した。そして存在そのものを俺を守る、そのためだけに存在するように組み換えていったんだ。世界中のそれ≠ゥら、俺を守るために。どんな奴にも負けないように。俺との間にわざわざ妖的な繋がりまでつけて」
「そーなんだー……」
「煌がいなかったら、きっと俺はあっという間に骨まで食われちまってただろう。なのに、あいつは、まだ俺を守ってくれる。それだけじゃなくて、意思を尊重してくれるんだ。俺が死んだらあいつだって生きていられないのに、そういうようにわざわざ体を組み替えたのに、俺が強くなるために戦おうとするのを、ぎりぎりまで止めないで見守ってくれるんだよ。……あいつには、本当に、どれだけ感謝してもし足りない」
「そっかぁ、すごいねー……」
小さな声で喋っているのでよくは聞こえなかったが、なにやら真剣、かつ普通でない話をしているのはなんとなく伝わってきた。そうだ、あいつはそういう奴なんだ。本当にすごい=\―俺たちの世界には本来いない、いてはならない奴なんだ。なんであんな奴がこんなところにいるんだ。俺たちの近くにいられちゃ、困る奴なのに。
(追い出さなくちゃ)
そうだ、追い出さなくちゃ。あいつにここにいられたら困るんだ。邪魔だ、消せ、殺すんだ。そうだ、俺にはそれができる。手の中にあるサバイバルナイフを握りしめ、渉はだっと草薙めがけ走り出した。
と、草薙がくるりとこちらを向いた。と思うやすぱん! と目にも止まらぬ速さで刀を振るい、渉の手を打つ。峰打ちだったが、骨が折れたかと思うような激痛に渉はナイフを落としてのたうち回った。
「……人間使い、じゃないな。魅了でもない。感情操作と暗示、か」
草薙は小さく呟いて、すたすたと渉に歩み寄り、ナイフを拾い上げ、ポケットから取り出した鋼線のようなもので縛り上げていく。ぽかんとしていた四物が、おずおずと訊ねた。
「あ、あの、閃くん、それって時田くん、だよね? なんで時田くんが、ナイフ……」
「妖怪の仕業に決まってる」
草薙はあっさりと言い捨てる。ひどく硬い口調で。
「さっき白蛇≠フ構成員と戦った時からそうじゃないかと思ってた。たぶんこの学校には、すでにあいつらの手が伸びてる。そうじゃなきゃあれほどの大人数をやすやす潜り込ませられるわけはない。あいつらはさして頭がよさそうにも見えなかった、手引きした奴がいるはずだって思った」
「え、そ、そうなの?」
「ああ。もちろん思いすごしの可能性もあるし、こいつを操ったのも単に別の妖怪が俺を喰おうと仕掛けてきただけなのかもしれないけど、どちらにせよやることは変わらない。操った奴を倒し、この学校から悪い妖怪の影響を排除する。――っ、煌」
「――おう」
草薙の顔に必死に食いつこうとばたばた暴れている渉の首を、唐突に草薙の後ろに現れた異常なほどに美しい男がぐいっとつかんだ。その顔にはにやにやと、捕食者の笑みが浮かんでいる。
「煌、こいつの頭の中探ってくれ。あと、記憶処理頼む」
「おう。どこまで消す?」
「……俺についての記憶全部」
「え」
「んー、そりゃちっと時間かかるな。とりあえずこいつ眠らせといて、あとからゆっくりやった方がよくねぇか?」
「……そうだな。じゃあ、絞め落とす」
「おう、頼むわ」
草薙が一瞬こちらを見る。体育の時に見たのと同じ、触れれば切れそうなほど鋭く硬い表情なのに、なぜか寂しげだと、悲しげだと思えてしまう顔。
「……言っただろ。俺と関係≠結ぼうなんて、間違っても思ったりするな、って」
その顔を最後に、渉の意識はすうっと薄れていった。
渉は自室のベッドで、ぼんやりと目を開けた。朝の光が窓から差しこんでくる。
のろのろと居間に下り、母親から自分が昨日気を失って学校から運ばれてきたことを知る。
「お友達にお礼言っときなさい。名前は教えてくれなかったけど、凛とした雰囲気の子だったわよ」
思い当たる節はまるでない。ぼうっとした頭で食事を取り、学校へ向かう。まるで記憶喪失になったような、頭の中に空洞ができているような気持ちで。
校門前までやってくる。周囲には登校してきた生徒がうじゃうじゃいる。その中で、やたらでかいセンチュリーから下りてきた二人組を見るや、ぱぁっと頭の中の霧が晴れた。
「はよーっす、閃っ!」
「っ!?」
ばん、っと背中を叩くと、愕然とした顔でこちらを見返される。その顔ににやりんと笑いかけ、得意のお調子者トークを炸裂させた。
「なーんだよー素っ頓狂な顔しちゃって―。なになに、昨日あんなに喋ったのに忘れちゃった? 俺渉、時田渉。渉って呼んでくれよなって何度も言っただろ?」
「え……な」
「ほらほら早く教室行こうぜ。こんなとこまで来て遅刻とかありえねーじゃん? 今日も一日学生生活頑張りましょー! なっ、四物っ」
「……うんっ、そうだねっ! ほら、閃くん、行こうよっ」
「え、いや待て、ちょっと待ってくれ……おい、煌っ。お前なんで、記憶消したんじゃ……え、あっち関連の記憶だけ!? なんでだっ、こいつと関係なんて結んだらこいつが……たまには友達作ってみるのも面白いだろって、そういう問題じゃっ!」
「ほーらっ、閃っ、早くっ!」
満面の笑顔で手を引っ張ってやる。掌に明らかな刀ダコができているのが伝わってきて、一瞬びくりとはしたが、それでもにかっと笑いかけてやる。
だって俺はこいつと仲良くなりたいんだから。この全力で周囲に壁を作ってる、のわりにやたら隙のでかいこいつと仲良くなるなんて、すっげー面白そうじゃんって思ったんだから。
そう満面の笑顔を作ると、閃は全力で困惑した顔で、それでもおずおずとうなずいてくれたので、渉は嬉しさのあまりっしゃ! とガッツポーズを取ってしまった。