Mr.Samurai vs Mr.Karate
「頼もう」
 四物学園高等部空手部主将長元浩司は、中等部三年藤組の出入り口の戸をがらりと開けて、低く、それでいて力を込めて呼ばわった。予想通り、クラス中の視線が一気に自分に集中する。
 成人男性を勘定に入れても並外れて体の大きい浩司は、人の視線を集めるのには慣れている。ゆっくりと教室の中を見回して、目当ての相手を見つけると、のっしのっしと中に入っていった。現在は昼休み、高等部の人間が中等部の教室にいてもなんの問題もないし、そうでなくとも浩司の行動の邪魔ができるような人間は学校の中にはまずいない。
 目当ての相手――日本刀をベルトに吊り下げているのだ、嫌でもわかる――は、自分に近寄ってくる浩司に向けた視線をゆっくりと動かし、浩司が目の前に立つ数瞬前にごくさりげない動きで立ち上がって、静かな声で問うた。
「なにか、御用ですか」
 簡潔な問いに、浩司も簡潔に答える。
「手合わせを願いたい」
 教室の中が一気にざわめいた。特に目当ての相手――草薙閃の向かいに座っている男子などは、「うおぉすっげぇぇぇ! 手合わせだってよこの現代に、マジで! すっげぇさっすが閃、普通じゃねーことがどかどかやってくるー!」とすさまじく盛り上がって騒いでいたが、草薙はあくまで落ち着いた表情で訊ねてくる。
「理由をお聞きしても?」
「お前が武術家として相当な腕を持つと聞いたからだ。それ以外に理由はない」
「……どこで聞かれたかは存じませんが、俺は武術家としては半人前というのもおこがましい身。無手での立ち合いは得手ではありません。あなたを満足させられるかどうかは」
「得物はお前の好きなものを使ってかまわん。お前の全力をもって俺と試合ってもらおう」
 草薙がわずかに目を細める。それからそれまでと変わらぬ静かな声で訊ねてきた。
「念のためお訊ねしたいのですが、剣道三倍段の式はむろん、ご存知ですね」
「当然だ」
 浩司の言葉に小さくうなずき、草薙はす、と傍らの(目の前に浩司ですらぎょっとするほどでかいお重を積み上げている)少女に目を向けた。
「園亞。少し、時間をもらってもいいか」
「へ? え、私の?」
「……この人ともし試合うとしたら、武道場なりどこなりまで移動しなくちゃならないだろうし、そうしたら園亞にもついてきてもらわなくちゃならなくなる。俺の今の最優先の仕事は、園亞の護衛なんだから」
「え、あ、そっか! うん、いいよ、わかった! 一緒に行くね! ちょっと待ってて、今お弁当の残り食べちゃうから」
「……ゆっくり食べてていいから」
 すさまじい勢いでお重を空にし始める少女(これが四物コンツェルン総帥の一人娘、四物園亞なのだろうが、想像とのあまりの違いに浩司は一瞬引いた)をよそに、草薙はまたこちらに視線を向けて訊ねてきた。
「勝敗を決める方法は?」
「時間無制限、一本勝負」
「一本勝負……審判は誰が?」
「うちの副主将に声をかけてある」
「なるほど」
 軽くうなずく草薙から予想していた声が発されなかったことに、浩司はわずかに眉を寄せた。
「うちの身内が審判だということになるが、いいのか」
「はい」
「…………」
 浩司はさらに眉を寄せる。もちろん審判を頼むぐらいなのだから、四物学園空手部副主将を務める友人の公平さは心から信頼しているが、それを知らない草薙が微塵も文句をつけないことに少しばかり訝る気持ちがあった。
 だが、そんなことを問うてみても始まらない。勝負を受け容れてくれたのだから、と小さくうなずき、草薙に向け言った。
「では、武道場へ来てもらおうか」
「はい。――ただ、俺たちには少し時間をいただけないでしょうか」
「時間?」
「試合の間、俺の代役をする奴を連れてこなくてはならないので」
「え? 代役って……なんの? っていうか、誰?」
「……試合中はそっちに集中するから、園亞の護衛をする奴がいるだろう。俺たちは基本いつも二人で園亞の護衛をしてるじゃないか」
 草薙の言葉にその場が少しばかりざわめく。草薙以外に四物の護衛をしている人間がいるなど聞いたことがなかったからだろうが、当の四物本人も「えぇ……? 誰? そんな人いたっけ?」と眉を寄せて首を傾げている。
「…………いるんだよ。園亞も毎日のように会ってる人だから。……とにかく、そういうわけなので、武道場へは後から向かわせていただきますので。場所は知っていますから」
「えぇ? 無理だろ。だって閃めっちゃ方向音痴じゃん。これまででも何度も校舎ん中で迷ったことあんじゃん」
「っ、場所はちゃんと知ってるんだ! 校舎内の見取り図も持ってるしっ」
「見取り図持ってても迷うじゃん。一人だと。心配すんなよ、俺もちゃんとついてってやるから!」
「えー? 私も一緒に行くのに?」
「四物は校舎内でも道間違えるじゃん。粗忽だし」
「むーっ、私だって普通に歩いてればたいていは間違えないで行けるんだからね!」
「フツーは毎日通ってる校舎で迷う可能性とかねーから。可能性がある時点で普通じゃねーから」
「……っ、別に、俺は……そのくらい、本当に、一人で……」
「いーじゃん、無理すんなって。頼ってもいい時は頼っとくのが人間関係をうまく回すコツだぜ? そのくらい任せろって、俺たち友達じゃん?」
「だからっ、別に、俺はそんな、友達とかならなくていいって……!」
 そんなことを真っ赤になりながら言う姿は、当たり前の、恥ずかしがり屋の中学生となにも変わらない、子供っぽいものだ。いまさらのようにこんな相手に勝負を挑むみっともなさが身に沁みて、浩司は思わず唇を噛んだが、結局「では、武道場で」とだけ告げて彼らに背を向けた。
 自分は賽を投げてしまったのだ、今さらどうこう言ってもしょうがない。それに、彼が本当に護衛の役目を果たしているならば、少なくとも自分の関わることができる範囲には、彼しか自分の目的にかなう相手はいないのだから。

 武道場で道着に着替えて待つことしばし、開けっ放しにした扉から草薙が入ってきた。礼儀正しく腰に日本刀を下げた制服姿のまま、礼儀正しく神棚に向け一礼して入ってくる姿はいかにも武に慣れ親しんだ人間だと思わせてくれる。
 そのあとから、きょときょとと周囲を物珍しげに見回しつつも同様に一礼して入ってくるのは四物。そしてその後ろからは――と観察して、思わず浩司は仰天した。
 後ろから入ってきたのは身長二mを軽く超える巨漢だった。それだというのに身体はびっくりするほどしなやかというか均整が取れていて、動きにも無駄がなく、映画で見るボディガードのように、地味な黒のスーツとサングラスに身を包んでいる――が、その状態ですら浩司はその男の発する気迫に気圧されてしまう。
 いや、気迫を発しているというのとは違うかもしれない。その男は、どちらかというと気だるげな足取りで、すたすたと道場の中に入ってきて草薙に言われて面倒くさげに礼をしているような奴なのだから、気迫をまとっていると言うにはあまりに間延びしすぎている。
 だが、それでもその男の発している気配というか、圧力は圧倒的だった。その桁外れの巨体のせいか、サングラスの下からのぞく部分だけでもはっきりとわかる驚くほど整った顔立ちのせいか、その男のなんとも形容しがたい、それこそ太陽のような人の目を惹きつける雰囲気のせいか、ただそこにいるだけでこちらを問答無用で押し潰してくるような気配が感じられる。
 そのあとからどやどやと(おそらくは草薙のクラスメイトであろう)生徒が何人も入ってくるに至り、自分の脇に控えていてくれた副主将が眉をひそめて注意の声を上げようとしたが、浩司はその腕を押さえて首を振った。自分の目的からするならば、この程度の観衆で技に乱れが出るようではそれこそお話にならないのだ。
「……そのスーツの方が、お前の代役か」
「はい」
 草薙は音を立てない歩き方で自分と対面するように立った。四物はその後ろに立とうとするが、スーツの男に引っ張られて神棚と対面するような位置に腰を下ろす。他の観衆たちも、それぞれ邪魔にならないような場所に座り込んだ。
 つまり、もはや、邪魔をするものはなにもない。
「……準備はいい、ようだな」
「はい」
 うなずいて、草薙は線の上に立つ。浩司もそれの相対する位置にある線の上に立つ。
 と、その時浩司はようやく草薙が剣道用の袱紗を背負っていることに気がついた。重みが感じられないことからすると、それは実際に剣道用の竹刀の入った袱紗なのだろう。思わず顔をしかめ、威圧するように言葉を発した。
「わざわざ竹刀を用意するということは、俺には竹刀で充分だ、ということか」
「……はい。あらゆる意味で」
「その言葉、試合が終わったあとでも言えるかな」
 低く告げて、浩司はちらり、と副主将を見やる。副主将はうなずいて、さっと手を挙げて鋭く叫んだ。
「勝負一本、はじめっ!」
 浩司は素早く構える。本来なら高校生の競技空手で、試合だというのに面や拳サポーターをつけないことなどありえない。だがそれを言うなら相手が剣道だということ自体ありえないし、相手が竹刀を使っているというのにこちらが面をつけないというのもありえない話だ。普通ならこんな試合を申し込もうものなら、教師はもちろん止めるし相手だって受けはしないだろう。
 だが、浩司は、草薙は受けるのではないか、と心のどこかで思っていた。本当に、日常的に、日本刀を振るう人間ならば。そして実際に今、自分の試合申し込みを受けて自分と戦おうとしてくれている。ならば、自分のやることはひとつしかない。相手をぎっ、と睨みつけつつ、間合いを計って飛びかかる隙をうかがう――
 が、草薙の動きは、浩司には予想外と言うしかない代物だった。竹刀を構えた草薙は、無造作としか見えない動きで素早く間合いを詰め、ひゅっと腹めがけて竹刀を振るってきたのだ。
「っ!?」
 突然の動きに不意を衝かれながらも竹刀を防ごうと腕で受けようとする――が、それこそ向こうの思う壺だったらしかった。浩司が両腕を下げるや、ふいっと、最初からそうする予定だったと言わんばかりの速さで竹刀が跳ね上がり、浩司の目ですら捉えきれない動きですぱあぁん! と浩司の頭を打ったのだ。
 しまった――と思うも、その言葉を口にすることも浩司にはできなかった。竹刀の動きは、思ったよりもはるかに速く、重く、頭を打つと同時に浩司の意識を見事に刈り取ってしまったからだ。

「はー……なんつーかもー、さっすが閃! としか言いようねー結果だなー」
 渉がにやにやしながら腹をつっつくのに、閃はため息で答えた。
「なんだよ、それ」
「いやー、だってさー。空手部主将の長元浩司っつったらさー、校内でも有数の武闘派で通ってんだぜ? 選抜大会でもいいとこまで行ったしさ、そこでの負けも勢いが余って相手を怪我させちまったせいで、本当の実力は全国レベルだ、とか聞くし。そんな人に試合申し込まれて、あっさり受けるのもすげーけど、あっさり一撃で倒すとかもーマジでラノベの主人公〜って感じだよ」
「なんだよラノベって……」
「いいじゃん、褒めてんだから気にすんなって。しかもその上あの黒服サングラスの兄さんっ! あんな人まで呼びつけられるとかマジ普通じゃねーよな! 体がでかいのもそうだけど、あの人サングラス取ったら絶対すげー美形だろ!? マジで尋常じゃなく、芸能人でも絶対いねーってレベルの! っつーか男であんなビビるくらいの美形とか俺メディア込みで初めて見たっ! あんな人材まで隠し持ってるとか……かーっ、やっぱすげーなー、閃はっ!」
 普通なら皮肉かと受け取るところだが、渉のきらきらと輝く瞳から伝わってくる賞賛は、そういった裏を読むのが馬鹿馬鹿しくなるぐらいにまっすぐだ。だからこそ気が重くなるというのもあるのだが、とりあえず閃は小さくため息をついて首を振った。
「そんなの、別に俺がすごいわけじゃないだろ。俺がたまたまそういう環境にいたっていうだけなんだから」
「いやいや長元先輩を一撃で気絶させるとかはマジ閃のやったことじゃん。っつーかいっくら面つけてなくたって、竹刀で一撃必倒! とかマジできんだなー! あんな風にきれいに人が倒れるのをまさかこの目で見れるとは……!」
「あれは……今回たまたまきれいに入ったっていうだけだよ。単に運がよかっただけだ。あの人、かなりタフそうだったし」
「へぇ、タフだとかタフじゃないとか、やっぱ関係してくるんだ?」
「まぁ……俺がやったのは要するに、フェイントをかけて防御を崩してから脳を揺らしたってだけだし。相手の肉体的なタフさでやっぱり変わってくるよ。運が悪くても絶対に死なない程度の力でやったから、攻撃の入り加減によっては気絶もさせられない、って可能性もかなりあったし……」
「ふんふん、なるほどねーっ」
「……おい、渉。なにをメモってるんだ、お前」
「え? いやいや、やっぱ新聞部として学年一の武闘派と謎の転校生ボディガードの戦いの結果は記事にすべきかと」
「お前な……記事にするなとは言わないけど、その前に許可を取れよな……」
 は、と息を吐く閃に、一緒に教室へ戻る道を歩いていた園亞が不思議そうに首を傾げる。
「ねぇねぇ閃くん、どうして閃くん、さっきからなんか落ち込んでるの?」
「……、落ち込んでるように、見えるか?」
「うん。なんか悪いことしちゃったー、みたいな顔してる。長元先輩と試合するの、嫌だったの?」
 いつもながらに直球を投げてくる園亞に、閃はまた小さく息をついた。本当に、園亞は、いつも自分の痛いところを見事に衝いてくる。
「別に、嫌だったわけじゃない。曲がりなりにも武を極めんとする者として、強そうな相手と戦いたいという気持ちはわかるし、空手と剣術っていう異種格闘技にもほどがある戦いを挑んでくるくらいなんだから、相手の人もたぶん俺みたいに、死にもの狂いで強くなりたいと思って、そのためならなんでもやる覚悟でいるんだろうし、そんな相手に手加減するのはひどく無礼なことだと思うしな」
「そーなの?」
「ああ」
「なら、なんで落ち込んでるの?」
「………。ああいう風に、相手を本気で無力化するための戦いなんて、普通に生きてる限りまずしないですむだろうし、しないにこしたことはないよなって思っただけだ」
「ふぅん……?」
「やー、太古の昔からくり返し議論されてる話だよなー、命の奪い合いとルールのあるスポーツ武道の違い。ま、個人的には武の精神ってのを武道に注入して命懸けの戦いの心得を武道に活かせるようにすりゃーいい話じゃんって思うけど」
「……けっこう、含蓄のあることを言うな」
 閃は少しばかり感心して渉を見やった。そんなことが簡単にできるとは思わないし、自分の考えたこととは少しばかりずれてはいるが、武術の心得のない者が言う台詞にしては的を得ている。
 すると渉は少しばかりうろたえ、照れくさそうに頭をぽりぽり掻きつつあっさり言った。
「や、単に格闘漫画とかラノベとか読んでてそーなるだろーって思っただけなんだけどさ」
「……そうなのか」
 格闘漫画ってそういうことも書いているのか? というか、さっきも言ってたけどラノベってなんなんだろう。
「まぁ閃もいろんな経験積んで、いろいろ思うところはあるんだろーけどさ、勘弁してやれよ。長元先輩だって、たぶんいろいろ考えて、決死の想いで試合挑んできたんだろーからさ」
「……ああ」
 それはわかっている。よくわかっている。確かにそうだと思う――けれど、それでもやはり思ってしまうのだ。
『なにも、あなたは、本気で命の奪い合いをする必要なんてないだろうに』と。

「……まだやる気か?」
「ああ……悪いけど、もう少し続けさせてくれ」
 浩司の言葉に、友人であり信頼する副主将でもある柏木は肩をすくめ、ポケットから出した鍵を放り投げてきた。
「戸締りはきっちりやっとけよ。あと電気とかもちゃんと始末しとけよな」
「悪いな」
「別にいいけどな、もう慣れたし。……っつかな、高三の主将が毎度毎度一番遅くまで練習してるっての、正直どーかと思うぜ俺は。もう大会も終わった時期だってのに」
「ああ、そうだな」
「…………。とにかく、あんま無理すんなよ」
 それだけ言って、とうに制服に着替えていた柏木は、傍らに置いた鞄をひょいと肩にかけ武道場の外へと出て行く。もちろん出る時の神棚への礼は忘れずに。
 浩司はそれを見もせずに、ひたすらに打ち込みを続けていた。四物学園の空手部では打ち込みの際は主に巻き藁を使っている。何度も何度も、空気を裂く音が聞こえるほどの勢いで巻き藁を打った。
「……っ、……っ、……っふぅっ!」
 拳、肘、足の甲、踵。本来なら禁じ手である技も使って全力で巻き藁に力を叩きつける。本来なら巻き藁はそんな使い方をするものではない。空手は、少なくとも現代の空手道は、人を倒すものではなく技を鍛えるもの。真髄が受けだということだけでもそれがわかるが、打ち込めば打ち込むほどに、鍛えれば鍛えるほどに、根本が自らの心身を鍛えるためのものだと嫌でもわかる。
 けれど、自分はそれは嫌だった。それでは満足できなかった。だからこそ自身を鍛え、試合でも本気で戦うつもりで相手と向き合った。そして、武術を実際に実戦で使っているという噂を聞いた三歳年下の財閥令嬢のボディガードに戦いを挑み――
 一撃で、言い訳のしようがないほどあっさりと負けた。
「――くそっ!」
 がすっ、と回し蹴りを巻き藁に叩き込み、荒い息をつく。腹立たしい。死ぬほど腹立たしい。かなわなかった事実が。これまで鍛えてきた技術がまるで役に立たなかったことが。なにより、自分ならば実戦でも戦えると、自分はただ競技空手をやっているだけの連中より使える≠ニ思い込んでいた自分の自惚れが。
 骨を折らんばかりの力で握り締めた拳を、額につけてうつむく。結局、自分も本物と比べれば、強いわけでもなんでもないただの雑魚でしかなかったのか。これまでの修練は、まるで意味のないことだったのか。実戦には、本当の戦いには、自分の力など、まるで意味のないことだったのか。
 ――そんなこと、認めてたまるか。
 ぎっ、と巻き藁を睨みつけ、打ち込みを再開する。そんな言い訳で歩みを止めてなるものか。今日負けたならば明日勝つ。明日勝てなければ明後日勝つ。それでも勝てなければまた次の日に。そんなことが言えるようになるためには、日々休むことなく、死にもの狂いで鍛錬を続けなければならないのだ。全力で、骨身を削って積み重ねるべきものを積み重ねて、それでようやくスタートラインに立てるのだから。
「せっ!」
 言いながらさらに巻き藁に拳を打ち込む――と、ふいに気配を感じて顔を上げた。誰かが入ってきたのか、もう下校時刻はとうに過ぎているというのに誰が、そんな疑問を感じて反射的に顔を上げただけだったが、目に入ってきたものに思わず固まる。
 そこにいたのは、狼だった。いや単にでかい犬なのかもしれなかったが、狼と思ってもおかしくないほどにでかい、おそらくはイヌ科の四足歩行動物だった。
 非常口と繋がっている更衣室から、悠然と武道場に入ってきたその狼は、声も上げずにゆっくりとこちらに向かい近づいてくる。そのいきなりの光景に混乱し(武道場は二階だというのに、しかも更衣室の戸締りはきちんとしていったはずなのにどこから入ってきたのかだのそれ以前になんで狼が現代の東京都にだのと考えて)、一瞬棒立ちになるが、すぐにはっと我に返って身構えた。こんなでかい動物が襲いかかってきたら急所を一噛みされただけで致命的な怪我になりかねない。
 狼はそんな自分に向かい、ぐるるっ、と小さく鳴き声を立てて、間合いを測るように円を描きながら自分に近づいてきた。浩司もぎっと狼を睨み据えながらず、ずとすり足で間合いを測る。下手をすれば食い殺されるかもしれない、という恐怖が現実にそこにあるという状況に、浩司の息は自然と荒くなり、汗が額から噴き出た。
 だが、それでも。浩司は、自分の唇の両端が吊り上るのを感じていた。この恐ろしさこそが本物の戦いなのだとするならば、むしろこの獣が今自分の目の前に現れてくれたことに自分は歓呼の声で応えたい。
 こいつは俺の敵。倒すべき敵。全力でこの力を振るい、打ち倒していい相手だ!
 ガウゥッ! とひときわ大きな鳴き声で唸るや、狼は浩司に飛びかかってきた。速い、目ではとても追いきれない。だがそれは熟練者を相手にする時ならいつも感じていることだ、今に始まったことじゃない。
「シッ!」
 呼気音とともに鋭く放ったローキックが、カウンター気味に狼の鼻先に決まる。「ギャンッ!」という悲鳴と共に狼は数歩飛び退り、今度は大きく跳んで浩司の頭めがけ飛びかかってくる。
「くぅっ!」
 空手にそんな攻撃を捌く技術があるわけはないが、それでも必死に腰を落として狼の顔を叩き落とす。狼が武道場の床に転がったのを見るや、「うおぉっ!」と雄たけびを上げつつ追撃をかけた。
 頭を砕かんばかりの勢いでひたすらに踏みつけ、内臓のある辺りを蹴り上げる。空手においては禁じられている攻撃だ、浩司が慣れているわけもなかったが、それでもこの狼をもう立たせるわけにはいかない、と狂騒的な焦りのような感情に急き立てられて、ひたすら力任せに蹴り、踏みつけた。身長は180pを軽く超え、体重などは100s近い巨体の全筋力をこの狼を倒すために駆使する。
 格闘すること数十秒、もしくは数分。場合によってはもっと短かったかもしれないが、ひたすらに衝動のままに荒れ狂うことしばし、狼は顔を潰された姿で動かなくなっていた。
 ぜ、ぜっと荒い息をつき、目をぎらぎらと輝かせながら狼の体を探る。体温はさして変わらない熱さを持って感じられたが、呼吸や心拍が感じられないのを確認し、浩司は思わず膝をついて歓声を上げていた。
「ァッ―――――アーッ―――――イャァア―――――――ッ!!!」
 半ばは言葉にならない蛮声だったが、それでもこの歓喜、抑えきれるわけがない。相手は狼、獣とはいえ、明らかに自分を殺そうと向かってきた敵を、鍛えた身体で打ち倒すことができた、この喜びはもう、至福だのなんだの言うのも馬鹿馬鹿しいほどの、圧倒的としか言いようのない充実感だった。あれだけ叩きのめされた自分にもこうして殺し合いで相手の息の根を止められるだけのあると実感できたのだ、もはやこの絶頂感はどうにも止めようがない。
 ――と、そこに低い声がかかった。
「よい気迫だ。いつの世にもやはり、武を志す者はいるものだな」
「っ!?」
 反射的にそちらの方を振り向いて構える――が、内心ではまたも仰天していた。そこにいたのはまたも狼だったからだ。さっきの狼を一回り大きくしたような、驚くべき巨体の。
 さっきの狼も肉食獣らしく獰猛な凛々しさとでも言うべきものはあったが、今度の狼はそれとはまた違う美しさがあった。人の持てるものではないような――いや、相手はもともと人ではないのだが、どこかこの世のものとは思えないような、常世じみた雰囲気をまとっている。
 それがこちらの方を向いて、さっきと同じ、低くて渋い男らしい声で言ってくるのだ。
「我が分け身を素手で倒すとは、なかなかの腕と言ってよい。だというのに先程の荒れよう……どうやらお前の身近にはよほどの腕の持ち主がいるとみえる」
「………………」
 ぺらぺらと当然のように喋り倒す狼に、浩司はぽかんとするしかなかった。狼が人間の言葉を喋るなぞとは想像したこともなかったし、その上さっきまでの自分の様子を見ていたとは。まるで気配なんてなかったのに。分け身ってさっきの狼か。なんなんだ一体、こいつはなにを言いたいんだ。
「………聞きたい、んだが」
「なんだ」
「あんたは、何者だ?」
 喋り続けていた狼の言葉が途切れた隙にそんな問いをねじ込むと、狼は笑うように(いや、実際に笑っていたのかもしれない。狼の笑顔なんて考えたこともなかったが)喉を鳴らした。
「武を志す者を守護する神、三峯宮の狼」
「………は………?」
 数瞬ぽかんとしてから、はっとする。三峯宮。覚えている。宮城県にあるその宮は、神の使いとして狼を祭っていたはず。聞いた話でしかないが、腕に覚えがある奴を懲らしめてやるつもりで家にやってきて、返り討ちにされたので祠を立ててもらって霊験を与えたとかいう話があったはずだ。
 それがなぜこんなところに――というか、自分の前に現れた、そのやり方は、まるで………
「……もしや、俺に助力を与えるために、さっきの狼を……?」
「ほう、なかなか察しがいいな。我は今、霊験を与えるに値する者を探して日本中を旅しているところでな。やはり以前とは時代が変わってしまったのか、そんな者はそうそういないが………まれに、お主のような相手にたどり着く」
 口をわずかに開けてまた喉を鳴らす狼に、ごくりと唾を呑み込む。たぶん笑顔であるだろうその顔は、人から見ればかなりに恐ろしいものではあったが、それ以前に。
「……俺に、霊験を与えてくれる、と?」
 明らかに人でない者が人の言葉を喋る、という状況を恐ろしく感じないでもなかったが、それ以上に自分の武術に霊的な助力が与えられるかもしれない、という事実に飛びつかずにはいられなかった。他の人間から見たら馬鹿馬鹿しい限りかもしれなかったが、浩司はかつて方々の神社仏閣にお参りに行ったことがある。神頼みでもなんでもやらなければやっていられないほど、自分の先の見えない状況に苦しんでいたこともあったのだ。
 そんな自分に、本当に霊験を与えてくれるというのなら。
「うむ……我が分け身を倒したことだしな。資格としては充分だ。お前は、霊験が与えられるならば、どんな加護を望む?」
 その問いに、一秒も迷わず浩司はきっぱりと答えた。
「敵を。微塵の容赦なく倒すことのできる相手を。俺が死力を尽くしてようやく倒せるような、そんな恐ろしく強い相手を」
 その言葉に、狼はくっくっく、と狼の顔で笑い声を立てた。
「やはりな。この時代、武を志す者はみな同じことを願うものとみえる」
「…………」
「よかろう。お主に加護を与えよう。容赦せず倒すことのできる、恐ろしく強い相手が次から次へとお前の前へ訪れることだろう」
「……感謝する」
「ふ……まぁ、お主にはそれより先によい稽古相手が必要になるやもしれんがな」
「そんなもの……」
「まぁ、気が向いたら……そうじゃな、この近くならば……ここに行ってみるがよい。わしが以前世話になった男がいるところでな、そこではなにやら、今の時代に合った鍛え方をしているらしいぞ?」
 そう言って後ろ足で立ち上がり、武道場の端に置かれているホワイトボードの上にさらさらと書かれた(狼の前足でどうやってサインペンを持ったのだろうと思わず眉を寄せてしまった)文章を見て、浩司は思わず眉をひそめてしまった。そこには住所やら研究所名やらが書かれており、つまりここが狼の言う稽古相手というか、トレーニングをするための研究所なのだろうというのはわかるのだが(このご時世、スポーツ医学を研究している機関がトレーニング法のモニターを募集するために研究所に選手を招くのはさして珍しくない)、研究所名が正直、うさんくささの塊のような名前だったのだ。
 なにせ、『薔薇十字研究所』などという小説かなにかに出てきそうな名前なのだから。

「……またか」
「あん? なんだよ、またかって」
「ほら、これ。見てみろよ」
「あぁん? ……『ローズ・クルセイダー東京杉並区にて活動中との情報あり』だぁ? んっだそりゃ、あのエセ科学者ども性懲りもなくまたこっちに来やがったのかよ」
「………? ねぇねぇ、閃くん、煌さん。ローズ・クルセイダーってなに?」
「う」
 日課の掲示板チェックで得た情報をいつものように煌と話している時に園亞に質問され、閃は思わず固まった。しまった、なにやってるんだ、園亞がそばにいたんじゃないか。
 閃は基本的に、起きている間はいついかなる時も園亞のそばにいるが、やはり人間である以上気を抜いてしまうならない時はある(用を足すとき、眠る時、稽古の時も稽古に集中しているので含まれるだろう)。そういう時はやはり煌に頼らざるをえない。
 煌は睡眠を必要としない。のみならず、食事も必要としないから用を足す必要もない。さらに風呂に入る必要もないから(どんな状況でも清潔でいられるという妖力を持っているのだ。炎を調節して汚れを焼いているのだとか)、休むことなく警護に集中できる。しかも心身ともに恐ろしくタフ、とこの上なく頼りになるボディガードなのだ。その上、物心ついた時から護られてきたせいか、『煌を出している時には気を抜いてもいい』という思考が働いているのも否定できない。
 だが、だからといって、園亞がいる時に賞金稼ぎ用のサイトをのぞいてしまうとは。いつも風呂上がり、ストレッチをしたあとにチェックするのが習慣になっているとはいえ(ストレッチをしている時に園亞が部屋に入ってきたのだ。園亞は基本的にノックをしない、そしてボディガードをしている以上閃としてはそれに文句を言う気はない)。最近俺はたるんでる、と閃は心底反省した。
「……なんでもない。大したことじゃないんだ。気にしないでくれ」
「えー? なんか、閃くん、すっごく大したことだー、みたいな顔してるけど……」
「うっ」
「あ、でも、知られちゃまずいことだー、みたいな顔もしてるもんね。私が聞いちゃいけないことだったんだよね。ごめんね、聞かなかったことにしとくから!」
「うぅっ……」
 自分が嘘をつくのが下手なのは承知しているが、そこまで見抜かれるほどとは。いや、そこまで見抜かれるまでに心理的な距離が近くなってしまっていることを警戒するべきか。しかし曲がりなりにも妖怪と戦う人間である自分が、魔法を使えるとはいえ精神的には超一般人である自分に園亞に、内心を見抜かれた上に気を遣われるというのはなんとも……
「いーじゃねーか。教えてやれよ」
「っ、煌っ!?」
「こいつも一応妖怪と何度も戦ってんだろ。んで、生き残ってる。本来なら賞金稼ぎが助手として申請してもおかしくねぇだろうがよ」
「ふざけるな、園亞は」
「ま、お前がそうしたくねぇってんなら別にいいが、ある程度の事情説明はしとくべきじゃねぇか? これまでに何度も世話になってんだ、これからも世話になる可能性がないとは言えねぇだろ」
「っ………」
 それは、確かにそう、なのだが。
 ちらり、と園亞の顔をうかがう。園亞は目をきらきらさせて、えっ私に事情教えてくれるの? わぁい嬉しいあっでも閃くんは教えるの嫌なのかも、でもでもすごく教えてほしいな、でもだけど閃くんが嫌なんだったら、とあからさまにドキドキしている顔でこちらの様子をうかがっている。
 閃は一度小さく、だが深く息をついて、園亞に向き直った。
「……園亞。これから、いくつか教えたいことがあるんだけど」
「え、あ、うんっ」
「これは本来なら一般人には完全に部外秘にしておくべきことなんだ。妖怪や、妖怪と戦う人間――賞金稼ぎと公的に認められてる人間しか知るべきじゃないことだ。場合によっては記憶の消去が必要になることだってある。だから、俺以外の人間には絶対に、このことは話さないようにしてほしい」
「うんっ、じゃないか、はいっ」
 大丈夫かな、と一瞬思って、すぐに首を振る。大丈夫じゃないのはわかりきっている。園亞の性格の粗忽さは一般人のレベルをはるかに超えているのだし。ただ、それでも、これを知っておくのが園亞の命を救うのに、ある程度は役に立つ、と思ったから。
「まず……俺が賞金稼ぎだっていうのは知ってるよな? 三十年以上前に起きた妖怪の大戦争で妖怪が生まれやすくなって、それまで妖怪に任せきりにしてた悪い妖怪への対処を公的にも行うようになって、その一環として犯罪行為を行った妖怪を倒した者に妖怪・人間を問わず高額の賞金を与えるようになった。ただし、きちんと賞金稼ぎとして登録した人間でなければそのほとんどを賞金稼ぎの登録まで取り上げられちゃうんだけど。あと、賞金稼ぎとして登録することで、ある種の犯罪行為がある程度まで免責されたりもする。妖怪との戦いで手近にある物を無断で使って壊したり、周囲にあるものを巻き添えにしても許されたりするんだ。……ここまで、わかってるよな?」
「うん? うん」
「……で、賞金稼ぎになると、専用の機械が配布されるんだ。もの自体は普通の、インターネット閲覧に特化した携帯電話なんだけど、それは基本的に賞金稼ぎ用の情報サイトなとかを閲覧するために使う。そこには、これこれの妖怪がこんな悪いことをした、これこれの悪い妖怪がこの辺りにやってきた、っていう情報が書いてあるんだ」
「へえぇ……はいてくだね!」
「……ハイテクっていうか、昔から普通にある技術だけど……そこに書いてある情報は玉石混交だけど、ネットワーク――妖怪同士の個人的な相互扶助機関の情報も書きこまれたりするから、侮れない」
「? ネットワークって、賞金稼ぎやってる人たちとは違うの?」
「違うっていうか……えっとな、まず妖怪たちは、いい妖怪も悪い妖怪も、人間の間に紛れて生きていくためにネットワークって呼ばれるものを作ってたんだ。生まれたての妖怪に人間のふりをして生きていく方法を教えたり、有益な情報を知らせあったり、厄介ごとに協力してあたったりする相互扶助機関。で、その中に、いい妖怪の集まったネットワークは、人間たちを害したり、妖怪たちを害したりする妖怪を倒す、っていう仕事もあったんだ。妖怪にはまず妖怪でなけりゃ対処できないし、周囲を害する奴は早めにどうにかしておかないと、人間と共存する妖怪にしてみればすごく迷惑だからな。正体が明かされそうになるとか、自分たちにも危険が及ぶ可能性があるわけだから」
「うん」
「……で、新しく、各国政府で賞金稼ぎっていう仕組みが作られて。悪い妖怪を倒せば金が出るっていうことになったんだけど、それまで悪い妖怪たちを倒してた奴らが全員賞金稼ぎになったっていうわけじゃないんだ」
「え、そうなの? どうして?」
「まず……賞金稼ぎになるためには、試験もあるけど自分の戸籍やら身体情報やらを把握される上に、賞金稼ぎの規約を守るっていう誓約≠しなくちゃならない。これには妖具……妖術を使える道具を使ってのものも含まれるから、破ったら呪いが降りかかるんだ。その上場所が探知されるから、どんな奴にとっても非常にまずいことになる。それが嫌だっていう奴もいるし、妖怪っていうのは組織に組み込まれるのを嫌う奴が多いから、政府に管理されるなんてごめんだって思う奴も多いんだ。まぁ、賞金稼ぎが厄介ごとに巻き込まれた時に場所を知らせることで機関がフォローに入ることもできるから、決して面倒なだけの仕組みではないんだけど」
「へえぇ……」
「だから、賞金稼ぎの機関とネットワークは微妙な関係というか、互いにつかず離れずの関係で、情報がスムーズに行き来しなかったりすることもある。ただ、悪い妖怪の情報なんかは、わりとこういう風な掲示板とかに流されることが多いんだ。そこは情報の正誤が必ずしも求められないっていうか、『こんな話を聞いた』ってだけだから、間違ってても責任取る必要はないし」
「そっかぁ……」
「で……『ローズ・クルセイダー』について、なんだけど」
「あ、うんうんっ! すごい名前だよねそれ。薔薇十字軍、って意味?」
「まぁ……そういう意味になるのかな。その名前はなんていうか、キリスト教的なものに対する嘲弄……馬鹿にするような気持ちっていうのが大きいんだろうけど」
「へぇ……?」
「えっと、な。ローズ・クルセイダーっていうのは、悪い妖怪が集まったネットワークなんだ」
「え、そうなのっ!?」
「ああ。悪のネットワークの中では派手に活動してる方で、歴史もそれなりに長い。『ザ・ビースト』みたいに桁外れにでかくはないけど……ローズ・クルセイダーは妖科学者のネットワークだから、活動規模が大きくなりやすいんだ」
「え……よーかがくしゃ……?」
「妖科学者……妖しの科学を研究する連中。フィクションに出てくるような、マッドサイエンティストたちの使う科学って言ったらわかりやすいかな。歯車とかをやたら組み合わせて作ったものが現代科学でも及ばないような働きをしたりする、怪しげな科学……その妖怪の持つ妖力がなければ働かないような科学なんだ」
「あ、うんうんうん、わかる! ふらんけんしゅたいんの映画とかに出てくるようなやつのことでしょ?」
「ようなっていうか、元締めはそのフランケンシュタイン博士らしいんだけど……ともかくそいつらは、本拠はヨーロッパなんだけど、何度も日本にやってきて悪さをしでかしてる。元締めが殺しても殺してもすぐ蘇ってくるような奴だからな、対処が難しいんだ」
「え! そんなことできるのっ、その人……じゃない、妖怪さん! なんかホントに不死身って感じだねぇ……」
「……そこらへんはまた今度教えるけど。とにかく、そういう奴らが何人か東京杉並区にやってきて活動してるっていう情報が入ったんだ。園亞も、怪しい奴に……一見いい人そうに見えてもよく知らない奴についていったりしないよう、気をつけてくれよな」
「はーいっ! 大丈夫だよ閃くん、私だって子供じゃないんだから!」
「…………」
 中学生は世間的には立派な子供だと言われるだろうが、それ以前に園亞の警戒心は小学生より当てにできないと閃は思ったのだが、あえて口にすることはしなかった。自分がいつもそばにいるのだからまずそんな相手に騙されるなんてことはないし、そもそも今の説明は実際にローズ・クルセイダーの連中を相手にした時にぐだぐだと説明するのを省くためのものなのだから。

「はよーっ、閃っ!」
 勢いよく背中を叩かれそうになるのをすいとかわして、閃はじろりと渉を睨んだ。
「何度も何度も言ってるだろうが。ボディガードの最中に後ろから近付いてくるなんて、本当なら腕を折られてもおかしくないんだぞ」
「えー、けど閃は近づいてきたのが俺だってわかってただろ? だったらただの愛情の確認行為だって、大丈夫大丈夫」
「だから、いつもいつも大丈夫なわけじゃないんだって言ってるだろ。そもそも愛情がどこにあるんだよ」
「愛を目に見える形にしようなんて、あまりにも無粋にすぎるぜ? 俺たちが愛し合ってるのは他ならぬ俺たちが知ってるんだから気にすることねーだろ」
「だから妙なことを言うなって言ってるだろ! 俺は、本気で、心の底から言うけど、別にお前のことを愛してるわけじゃないからな!」
「あはは、閃くんと時田くんってほんと、仲良くなったよねー」
「っ……」
「だっろー? 俺たちもうマジ親友だし、マブだし!」
「だから違うって言ってるだろ!」
 最近では登校中、毎日のようにくり返されている一幕を演じたあと、閃は少し考えて(もちろん園亞のボディガードとしてポジションをキープしつつ)渉に耳打ちした。
「渉……お前、新聞部だって言ってたよな」
「お? おうよ! 自分で言うのもなんだけど、学校内の情報ならまずウチが手に入れられないネタはないね!」
「……じゃあ、それを見込んで頼むけど。昨日の……剣道部の、長元先輩の情報、っていうか昨日の俺との試合の後なにかあの人が妙なことしてなかったか、調べてくれないか?」
「お? おお? うっわー、マジで? 閃が俺に頼みごと? なになに、嬉しいじゃんよー」
 笑みを満面に上らせる渉に、閃は顔をしかめて言い放つ。
「嫌なら別にいいけど」
「なーんだよ、んなわけないに決まってんじゃーん。了解了解、長元先輩のネタな。新聞部の情報網駆使してばっちりゲットしてきてやるって」
「……頼む」
「頼まれたっ!」
 ビシ! と敬礼してみせてから、渉は「じゃーお先にっ!」と走り去っていく。ふ、と息をつく閃に、園亞は不思議そうな顔で声をかけてきた。
「ねぇねぇ、閃くん。長元先輩に、なにかあったの?」
「なにか、っていうか……経験上、昨日みたいに叩きのめされた奴って、ひどく落ち込んで、荒れるから。あの人を叩きのめしたのは俺なんだし、落ち込んでるならフォローしとかないとなって。ただ、俺があの人のことを嗅ぎまわると、あの人の心を乱す原因になりかねないから……」
「それで情報通の時田くんに、かぁ。へぇ〜、そっかぁ。そうなんだ……えへへっ」
「? 俺は、そんなに妙なことを言ったか?」
 園亞の顔が、なんだかやけに嬉しげに笑んでいる。にこにこにまにまと笑いながら、ぽんぽんと閃の背中を叩いてみせたりすらする。
「ううんっ、嬉しいなー、ってっ」
「……? なにが」
「だってさ、閃くん、以前だったら絶対に時田くんに頼ったりしなかっただろうなー、って。関わっちゃいけないとか考えて、絶対自分一人でやろうとしてただろうなーって」
「!」
「なんていうかさ、えへへ、それだけ閃くんがこの学校に馴染んでくれたってことだろうなーって思ったら、嬉しいなー、って!」
 楽しげに笑いかけてから、軽やかな足取りで園亞は校舎に入っていく。それを追いながら、閃は愕然とした自分の心の中を探っていた。
 馴染んだ? 本当に? 自分が、一般人の集まる学校≠ニいう場所に?
 まさか。そんなわけが。信じられないし信じたくない。自分がそんな、少しでもミスをすれば大量の巻き添えを出すことになる場所に馴染むなんて。自分はそこまで腑抜けていると? こんなに、あっさりと。これまでのことがまるでなかったかのように――
 ぐ、と閃は胸の前で拳を握りしめた。あの時の、心臓が削られたような衝撃を、自分は忘れてしまったというのだろうか。それは、本当に、目の前が真っ暗になるほどの。
『辛気くせぇことをぐちぐち考えてんじゃねぇよ』
(……煌……)
『使えるもんは使うのが当たり前だろうが。その程度でなんであれを忘れただなんだって話になる。お前も少しは賞金稼ぎらしくなったってことじゃねぇのか?』
(賞金稼ぎらしく、って……)
『公私の使い分けをきっちりやる、ってことさ』
(…………)
 閃は口ごもり、足を早めた。それが賞金稼ぎらしいことかどうかはともかくとして、それは確かに今の自分にはありがたい言葉ではあったのだが、自分の目指すところに沿っているのかどうか、閃にはどちらの意味でも確信が持てなかったからだ。

「……な、閃」
 昼休み。新聞部の部室に行ってくると教室を出て行った渉が、いつの間にか戻ってきてそそくさと近寄り、耳打ちしてきた。
「長元先輩についてのネタなんだけど……ちょっと、顔貸してくれるか?」
 閃はわずかに眉をひそめたものの、「わかった」とうなずいて立ち上がった。ちょうど園亞も食事が終わったところだし、タイミングとしてはちょうどいい。
「園亞、悪いんだけど……」
「ううん、そんなのいいったら。一緒に行けばいいんだよね?」
「……助かる」
 護衛対象にこういう気を遣われるというのは忸怩たる感情を覚えないでもないのだが、それよりも今は長元先輩についての話が気になった。彼がなにかをやらかしたとしたら、その責任の大半は自分にあるだろうということもあるが、それ以上に武を志す者として彼を放っておきたくない、と思ったからだ。
 武道場で向き合った時の彼の目は、昔の自分を思い出させた。強くなりたくてたまらなかったけれど、どうすれば強くなれるのかという道が見えずに苦しんでいた自分と。
 だから彼を放っておきたくない。できるなら、力になってやりたい。あの頃の自分に、煌やいろんな人が手を貸してくれたように。
 そんな(閃が正義のヒーロー(予定)だからという理由もあるにしても)我ながらセンチメンタルに過ぎるよな、と自嘲してしまうような感傷的な気分で園亞の右隣のポジションをキープしつつ渉についていったのだが、そんな気分は渉が告げた一言で吹っ飛んだ。
「家に……帰ってない?」
「そーらしいんだよな。長元先輩の親友で、家の道場の門下生でもある柏木先輩……空手部の副部長な、から聞き出したからマジな話だと思う」
 渉自身珍しく真剣な顔で、屋上前という人の来ない場所でこそこそ小さな声で言ってくる。
「空手部の練習が終わって、長元先輩が一番最後まで残ってたのはわかってるっていうか、柏木先輩が見たらしいんだよ。あと、学校の守衛さんも七時前くらいに長元先輩らしいでかい生徒が学校を出てったのを覚えてる……んだけど、そっから先の足取りが全然わかんないって。長元先輩の家ってすんげー固くって、んで長元先輩は門限も破ったことないし遅くなるだけでも連絡怠ったことなかった人だから、家の人……っつーか、長元先輩のお母さんがすげぇ心配してるのを柏木先輩が聞いたらしくって」
「連絡の類は、まったくないんだな。誘拐犯のような奴からも」
「うん。まー、あんなでかい人わざわざ誘拐するような奴もいねーだろうけどさ……家に連絡もなしで帰らない、ってのは学校一の謹厳実直男、長元先輩のキャラじゃねーかな、ってさ」
「確かにな……学校を出たあとの足取りは、全然つかめていないんだな?」
「ああ、全然。っつっても警察に連絡したわけじゃないし、柏木先輩たちが個人的に聞いて回った限りじゃ、ってことだけど」
「……わかった。ありがとう、助かった」
「お? もしかして、閃出動? プロの仕事で快刀乱麻を断ったりしちゃう?」
「なにを言ってるんだお前は。……調べられることを調べるだけだ」
「おおおー、いいなー、すげぇなー。俺もついてってもいい?」
「駄目だ」
「えー、いーじゃんいーじゃん。プロの仕事人の技見てみてーんだよー、邪魔とかしねーからさー」
「護衛対象が二人になるだろ。今の俺の能力じゃ、二人の人間を護りきるのは絶対に無理だ。そういう仕事を受けてるならともかく、個人的に動いてるだけなのに他の奴に出てきてもらうわけにはいかないからな」
 そう言うと渉は驚いたように目をぱちぱちとさせて、それから満面の笑みを浮かべてうなずいた。
「よっしゃ、了解っ!」
「……? ああ……。……なんで、お前そんなに嬉しそうなんだ?」
「え? やー、だってさー。俺もお前の中できっちり護る相手の中に含まれてんだなーって思うとさー、そこまで仲良くなれたか! ってちょっと感動っつーか」
「! それはっ、そういうわけじゃないっ! 一般人と一緒にいる時は全力でそいつを護るのが当然の心得」
「や、いーっていーって、お前の気持ちはよーくわかったからさ! サンキュサンキュ、愛してるぜっ、この愛はいつか倍にして返すからなっ!」
 ビッ、と敬礼の真似をしてみせつつ、楽しげに笑って階段を下りていく渉を見送り、ふ、と小さく息をつく。と、園亞がきょとんとした顔で聞いてきた。
「ねぇねぇ閃くん、調べられることって、なにをどう調べるの?」
「ああ、それは……。……園亞、事後承諾のような形になって悪いとは思うが、ついてきてもらっていいのか? これは園亞にしてみればなんの関係もない話だぞ」
「もーっ、閃くんってばみずくさいなぁ。そんなのいちいち気にすることないよー。私たちともだち……うーん、じゃなくてー、ソウルメイト……っていうのもなんか違うなぁ、えっとー……そうだえっと、微妙なカンケイ、ってやつなんだから!」
「……は?」
「えーと、ともかく、いちいち謝ったり気にしたりしなくっていいってこと! 私だっていっつも閃くんに助けてもらってるんだから、おあいこだよ!」
「…………」
 そういう問題ではないだろう。閃が園亞を護るのは仕事だが(もちろんヒーロー(予定)の義務というのもあるが)、園亞が閃につきあうのは強制されたわけでもなんでもない。園亞にしてみれば無駄に時間を遣わされたと怒ってもいいところだ。本来なら借りとして、なんとしても返さなくてはならない、そう思う。
 なのに、それをそのまま口に出すのは、なぜだかひどくみっともない気がした。園亞のくれたものを足蹴にする行為のように感じた。相手のくれた気持ちを借りだ貸しだと枠にはめてしまうのは、ひどく……
 閃は首を振って、小さくうなずき、ぶっきらぼうに「ありがとう」とだけ言って園亞の右隣をキープしたまま歩き出した。今はそんなことを考えている場合ではないはずだ。
 かといって、どういう時だったら考えてもいいのかは、閃にはどうにも考えつかなかったのだが。

 武道場の前に立ち、閃はわずかに眉をひそめた。当たり前と言えば当たり前だが、武道場の鍵は閉まっている。
「? 閃くん、武道場に入るの? 職員室から鍵もらってくる?」
「いや……内密の捜査ってことにしておきたいし、悪いけど勝手に開けよう。……園亞、ちょっとそっち向いててくれ」
「あ、うん、わかった」
 素直に向こう側を向く園亞に、あっさり納得されるくらい園亞の前で何度もこれをやっているんだな、と内心こっそりため息をつきたくなったりもしたのだが、とにかくいつも通りに強い羞恥と申し訳なさを感じながらズボンを下ろした。この学園の武道場の前には小部屋があってよそから視線が入らないからできたことだ。炎の熱が体の中を駆け巡ったのち、二mを越える体躯と人を問答無用で魅了する顔立ちを持った美丈夫がいつものように姿を現す。
 あからさまに面倒そうな顔をしてはいるが、自分を止める気はないようで(煌は自分が生まれた時から自分とつきあってきた上で、自分を(生贄兼食料兼)相棒だと言ってくれているのだ)、いつものように園亞を護ることができるポジションにつく。それを確認してから、自分は腹に着けている(腹巻のように服の下にしまっているのでたいていの人には服を脱ぎでもしなければ気づかれないが。人間相手なら防護効果も期待できる)小物入れから鍵開けの道具を取り出した。
「え、えっ? 閃くん、それなに?」
「鍵開けの道具」
「え、えー、鍵開けって、えー? 閃くんそういうのもできちゃうの?」
「俺が開けられるのはごく簡単な鍵だけだけどな」
 家宅侵入をするには正直心もとない――が、この程度の鍵ならば充分に役立つ技術だ。ほどなく武道場の鍵は無事開いた。
「うわぁ……すごいねぇ……」
「煌に比べたら全然大したことないけどな……」
 昨日と同じように一礼して中に入る。軽く中を見渡してから、本格的に探索に入った。部室の中を徹底的にひっくり返してから、なにか手がかりになるものがないか畳の裏まで調べる。
「ねぇねぇ、閃くん……」
「なんだ」
「なんでそんなところまで調べるの? えっと、長元先輩がどうしたのかの手がかりを探してるのはわかるんだけど……」
「俺は長元先輩という人がどうなったのかまるで知らない。というより、そもそもあの人のこと自体まるで知らない」
「うん……」
「だから、少しでも判断材料になるものを探してるんだ。なんでもいいから、あの人のデータになるものを。あの人のことを知るためならあの人と親しい人に聞いた方がいいんだろうが、今回はあの人の巻き込まれたトラブルの手がかりを探すのが主だからな。ここにそのかけらでもある可能性はある、と思って」
「え、え? なんで?」
「単に足取りを追ってるだけだよ。道場に残っているところまでは人の目があるから、トラブルに巻き込まれた可能性があるならここからだろう、って」
「なるほどぉ……」
 などと喋りながら目を皿のようにして道場を歩き回る。調べながら朝稽古をしている可能性もあるな、と思いついてしまい、だったらこんなに調べても無意味じゃないか(掃除をしたんだったら手がかりはほとんど残らないだろう)、と羞恥と情けなさに歯噛みしたりもしたのだが、とりあえず調べられるだけ調べておこうと周囲を精査する。
 と、目の端にきらりとなにか光ったものを見つけ、歩み寄ってそっと見つめてみた。
「……煌」
「おう」
「ちょっと……見てくれないか。これ、俺はたぶん、獣の毛なんじゃないかと思うんだけど……」
「ほう?」
 園亞と一緒に寄ってきた煌は、かがみこんでじろじろと閃の指差した毛を見つめ、うなずく。
「そうだな。こりゃ、たぶん狼の毛じゃねぇか? まぁ、俺は獣上がりじゃねぇしはっきりしたこたぁ言えねぇが」
「狼? そんなものがここに来たってことは……」
「ま、お前の想像通りだろうな」
「………。どういう系統の奴だろう」
「さぁな。とりあえずBHSSのぞいてみろよ。ネットワークからの情報が上がってきてたらお慰み、ってやつだ」
「そうだな……」
 閃は胸ポケットからBHF(賞金稼ぎ用の情報端末)を取り出し(制服を改造して固定できるようにしてある)、BHSS――賞金稼ぎ用の情報サイトをのぞく。ここに上がってくる情報は大量かつ雑多だが、地域やらなにやら条件を絞ることである程度情報を探りやすくすることはできた。
「………、…………。……、これか?」
「なんかあったか?」
「『三峯宮の狼が東京近郊をうろつき中との情報あり』……三峯宮の狼って、日本の神の一柱だよな?」
「ああ、あいつか。逸話のせいで狼のイメージを与えられたからだろうが、毎度毎度腰の軽い奴だ」
「知り合いか?」
「ま、ちっとだけな。武芸者が好きで、あっちこっちの武芸好きに霊験を与えて回ってる暇な奴なんだが……いまだに頭の中身が近世以前から進歩してねぇ」
「……時代にそぐわない、ってことか」
 古い妖怪の中には現代社会の状態を受け容れられず、山奥やら聖域やらで昔ながらの暮らしをしている者もいる。そういう相手は総じて現代社会の常識にうとい者が多い。電化製品を使えないのはもちろんのこと、貨幣経済やら科学知識やらの常識もまるで知らないという相手に、驚かされたことも何度かあった。
「……そいつに、連絡取れるか」
「まぁ、元締めの方からネットワークに連絡してなんとか、ってとこだろうな。俺はネットワークに所属してねえから時間がかかる」
「だよな……とりあえずやってみてくれるか。人間相手じゃ信用してくれないってこともあるだろうし」
「まぁ、あいつの場合、そういう心配は」
「無用。武を志す者には、我はおおむね寛容だ」
 唐突に出現した気配に、閃はばっと身構える。さっきまでなにもいなかったと確言できる神棚の下に、ちょこんと人間大ほどの大きさをした見事な毛並みの狼(少なくとも、犬には見えない)が座っていた。
 煌も反射的に身構えてから、すぐにその構えを解く。その様子を見て、確かにさっきまでそこには誰もいなかったこと(門≠ネりなんなりを使って移動してきたのだろう)、相手は敵ではないこと、そしておそらくは彼が三峯宮の狼であることを悟り、閃も構えを解いた。
「……お初にお目にかかります。草薙閃、と申します」
「うむ……む? むおぉぉぉ……なんと、こ、この妙なる香りは……」
「おい、痩せ狼。てめぇがどんだけ飢えてんのかは知らねぇが、こいつは俺の生贄兼食料兼相棒だ。食いつきでもしたらその首引きちぎるぞ」
「む……むぅぅ、相も変わらずしわい奴……これほどのかぐわしい香を嗅がせながら味見もさせてもらえんとは……いや、それよりもこの者は何者だ? こう言ってはなんだが、曲がりなりにも神として崇められている我に、ここまでうまそうだと思わせる人間など生まれてこの方会ったことはないぞ」
「人間社会に出てこようってんならちったぁ情報を仕入れやがれ。こいつは俺の生贄兼食料兼相棒だっつっただろうが、俺はこいつが生まれてこの方ずっとこいつに取りついてんだよ。ぶっちゃけよっぽど情報にうとい奴じゃなきゃ全国誰でもまともな妖怪の間ならこいつには手ぇ出すなって知られてるぞ」
「むむぅ……げんだいしゃかいというやつはまったく、よろず面倒事ばかりだな……」
 閃は無言で煌たちの話が終わるのを待った。相手は古いタイプの妖怪、その上神として崇められている身分だ。そういう相手に人間が偉そうな態度を取るのは喧嘩を売っているのも同然、できるだけ下手に出ながら真摯な態度で協力を求めるしかない。
 実際そこらへんの加減がわからず、喧嘩になってしまったことも以前は一再ならずあったのだ。もともと閃の百夜妖玉という体質は、人間社会に紛れてまっとうに生きていこうという妖怪には迷惑この上ない代物。妖怪の性格性質に関係なく、うっかり誘惑に負ければ閃を食べようとせずにはいられなくさせてしまうほどの蠱惑的な匂いを漂わせているのだ。
 人間の姿をしている妖怪に強制的に正体を現させるほど我を忘れさせるわけではないが、我を忘れて飛びかかってくる相手に煌が一発入れて正気に返らせるというようなことはこれまでも何度もあった。園亞の家にしばらく住むことが決まった時には、この辺りのネットワークには賞金稼ぎの元締めの方から話を通した上で、出向いて直接頭を下げている。
 ただでさえたいていのまっとうな妖怪には迷惑がられる自分としては(体質もそうだし、日本でも最強レベルの妖怪を連れていることもそうだし、それが賞金稼ぎを(極力自分の独力で始末できるようにしながら)やっているということもそうだ)、これ以上まっとうな妖怪に敵視されるようなことは避けたかったのだ。
「……で。いつから聞いてた。門の中から聞いてたのか?」
「うむ。昨日声をかけた男の様子はどうかと少しばかりのぞいてみたところ、我の話をしているようだったのでな」
「! ………」
 閃はすばやく煌に目配せをした。門=\―妖怪それぞれに定められた出口の間を、異空間に入って通常とは桁違いの速度で移動する妖力を持っているのはほとんどが相当に力のある妖怪で、異空間の中から外の様子をのぞくというのはさらに強い妖力の持ち主でなければできないことだ。それだけの力のある妖怪に、人間が事情を聞き立てるなど失礼だろうと思ったからなのだが、煌は面倒くさそうな顔をして、ぐいっと閃を前に押し出し、自分は園亞の警護に戻った。
「っ! 煌っ」
「おい、痩せ狼。こいつがその話について、聞きたいことがあるんだとよ」
「む? なんだ、言うてみろ」
「っ、それ、は、ですね」
 一瞬どうするか考えたが、すぐに真剣な顔で狼に向き直る。こうなったらもう聞くしかない。そもそも閃は、何度も失敗してできるだけ改善しようとはしているが、考えるより前に体と口が動いてしまう質なのだ。
「三峯宮の狼どの」
「ふむ?」
「お聞きしたいのですが。あなたは、昨日、この道場で、この学校の生徒に声をおかけになりましたか?」
「む? うむ。霊験を与えてやることを約束し、修業相手を紹介してやったな」
「……稽古相手? とおっしゃいますと?」
「いや、久々にこの辺りに出てきて、厄介ごとに巻き込まれた時に助けられた妖しがな。今の時代に合った鍛え方を研究しているとかで、見どころのある若者を見つけたら教えてくれというのでな。昨日の男はなかなか筋がよいと思うたので……」
 一瞬ちりり、と嫌な感覚が神経を焦がした。煌と目を合わせるより早く、きっ、と狼を見つめて訊ねる。
「できれば、その方の住所と名前をお聞かせ願えませんか?」
「かまわんぞ。住所はほれ、このような場所で……名前はなんというたかな、横文字の……本人の名前は覚えておらぬのだが、研究所の名は確か、『薔薇十字研究所』とやら言う……」
「っ……!」
 ばっ、と煌を見る。自分の必死の形相を読み取ったか、煌はは、と一瞬深く息をつくと、つかつかと狼に歩み寄りがづん、と頭を殴った(人間の状態でも天井外れの怪力を持つ煌が殴ったのだ、たとえ妖怪でもそうとう痛かっただろう)。
「ぶわっ……! な、なにをするか!」
「うるせえ、このボケ。面倒なことしやがって。今度会ったら泣くまで殴るからな」
「煌! それよりも、早く!」
「へいへい。……あー、園亞はどうすんだ。連れてくのか?」
「……っ……それしか、ないだろっ。……頼めるか」
「へいよ。まーこの場合それが一番手っ取り早いだろ。さくっと行ってさくっと片付けて帰ってこようぜ。一応元締めには連絡しとけよ、後始末が必要になんだろ」
「え、えっと……なんの話?」
 自分の名前を呼ばれたからだろう、ずっとにこにこしながら自分たちを見ていたのにおずおずと声をかけてきた園亞に、閃は深々と頭を下げた。
「悪い、園亞。本当に、本当に申し訳ないんだけど……少し、一緒に学校外に外出してくれないか。授業にも、間に合わせるよう全力で努力する、としか言えないんだけど……一刻を争う可能性が高いんだ」
「え? うん、いいけど。どこに行くの?」
 いつものごとくさらっと言われて、閃はありがたいような申し訳ないようなどうにも身の置き所のない気分で息をついてから、きっと顔を上げて目的地を告げた。

「うっわあぁぁあぁぁぁぁぁっ! はっやぁぁああぁぁいっ!」
 音が高速で後ろに流れるほどの速さで空を飛びながら、園亞は叫ぶ。その姿に、閃はこっそり感心した。よくびっくりできる余裕があるものだ。閃がはじめてこれをやられた時は、正直(煌が今より加減してくれていたにもかかわらず)死にそうな思いをしたものだが。
 実際、閃と園亞を両腕にひっつかんで、一瞬で人間の目の届かない高高度まで飛んでそこから亜音速で移動するなど、無茶もはなはだしい。煌は万一のことがあっても充分対応できる速度で移動していると言うのだが、高空を制服のまま亜音速で吹っ飛ばすなど、普通にやったらまず間違いなく死ぬ。
 だが煌にはそれができる妖力があり(本気を出せば超音速の速さで飛ぶこともできるのだ)、その超高速機動をきちんと制御できるだけの能力もある。なにより、少しでも遅れれば長元先輩がそれだけ死に近づく可能性が高いのだ、そのくらいの冒険せずしてどうする。
 三峯宮の狼から聞いた住所の近くまで来たのだろう、煌は高高度でぴたりと飛行を止めると、今度は真下へ一気に飛ぶ。すさまじい速度で迫りくる地面にさすがに驚いたらしく「うひぇぁぁぁ」などと園亞は悲鳴を上げたが、人目につかないための力はほとんど持っていない煌の場合、真昼間に妖怪の姿をあらわにするなら、そんな風に常人の目で追えないレベルの速さで動くしかない。それでも本来なら元締めはじめ方々からお叱りを受けるべきところだ――が、閃はそういった事情をすべて知りながらも煌に頼んだのだ。
『俺たちをこの住所に書いてあるところまでできるだけ早く連れて行ってくれ。それから俺が長元先輩をなんとかするのを邪魔させないようにしてくれ』
 ――閃の想像が当たっているならば、今の長元先輩ときちんと向き合ってやれるのは自分しかいないのだから。
 目的のビルの屋上に妖怪の姿で降り立つ――その寸前に煌は人間の姿へと変わり、閃と園亞を抱えたまま着地する。煌の妖怪としての姿はごうごうと燃え盛る炎の巨人だ、触れた相手に炎で傷つかない≠ニいう加護を与えることもできるのでこちらが火傷することはないが、人前に出られる姿でないことは間違いない。
 煌に抱えられて飛んだのは一分にも満たない間のことでしかなかったが、それでも頭の芯がぐらりと揺れる――が、小さく頭を振って無理やり心身をしゃんとさせた。今はのんびり休んでいられる時間はない。
「園亞……大丈夫か? ついてこられるか? 少しでも無理そうならちゃんと言ってくれ」
「え、あ、大丈夫! 私別にそんな疲れて……わ、あ、れ?」
 飛び上がってみせようとして逆にへたり込んでしまう園亞に、煌は肩をすくめた。
「しゃーねぇ。運んでいくか」
「ごめん。頼む、煌」
「あいよ。……久々にお前が恥も外聞もなく俺に頼んできたんだ、その程度のお願いサービスしてやるさ」
 言うや園亞をひょいと左手で抱き上げる。閃がしゃりん、と日本刀を抜いたのを確認してから、無造作にがづん! と屋上のドアを蹴り開け(鍵はかかっていただろうが、よほど厳重なドアでもなければたとえ人間の姿であろうと煌の一撃に耐えるのは難しい)、自身の体で園亞を庇うようにしながらビルの中に入る。閃もできるだけ壁やら何やらに体を隠すようにしながらあとに続いた。
 三峯宮の狼の話からすると、このビルはまるまるひとつがローズ・クルセイダーの研究所になっているらしい。とにかくしらみつぶしに探して、相手に対応される前に殲滅するしかない。もちろん元締めの方に連絡はしてあるが、逃げ出されでもしたら厄介なことこの上ない。
 音を殺すよりも、危険に対応できる余裕を残しつつできるだけ速く移動することを眼目として動く。妖怪の姿に戻った煌が扉を蹴り倒しては中を探って移動し、蹴り倒しては探って移動しというのをくり返して、大した成果もなく一階降りる――や、広いスペースに出て反射的に身構えた。
「閃。いるぞ」
「……ああ。わかってる」
『ほほう。こちらが準備しているのを、感知するだけの能力はあるということか』
『これはいい実験材料が手に入りましたな、ドクトル』
『うむ。昨日手に入れた素体のとりあえずのテストに』
 ボゴォゥッ! という音と共に圧倒的な熱が爆発し、奥の壁に張られていた強化ガラス、のみならず周囲の壁や機材も含め、その奥の妖怪たちごと蒸散させた。煌の妖術は通常ありえる物質ならば簡単に蒸発させてしまうほどの威力を持つのはよく知っている、そのくらいは当然――なのだが。
「おい煌っ、ここは室内だぞ! 火事になるのわかっててやってるだろ!」
「あぁ? たりめーだろんななぁ、せっかくの室内戦、思いっきり巻き添え出して火事起こしまくるのが筋だろうがよ」
 煌は火神という性のせいか、機会があればできるだけ火事を起こそうとする迷惑この上ない性質がある。もちろんやろうと思えばどれだけひどい火事になろうと一瞬で炎を中和できる妖術(なんでも核爆弾の爆発すら抑え込めるらしい)を持っているせいなのだとわかってはいるが。
「だからって、他に被害者の人たちいるかもしれないし、改造された人を元に戻すのに必要な機材とかあるかもしれないだろ! 頼むからっ……」
「へいへい、今回は冗談だっての。久々にお前が倒したい相手を倒すのに協力してくれ、なんぞと頼まれたんだしな。食事時間一時間延長くらいで手を打っといてやるよ」
「……ありがと」
 冗談でもやっぱり食事時間延長はするのか、と思いながらもぱちん、と指を鳴らして燃え盛る炎をあっさりと消し止めてくれたので、とりあえず礼を言う。が、煌は(まだ目を回し気味な園亞を担ぎながらも)ふふんと笑い、顎をしゃくった。
「んなこと言う暇があるなら前を向きやがれ。お前のお客さんが登場だぜ」
「…………」
 閃は刀を構えた。ちょうどスペース(ここは戦闘力試験のための場所だったようだった)に出されるところだったのだろう、筋肉がひどく大きく膨れ上がり、もはや半ば人でないようにしか見えない姿をした巨漢が、ずん、ずんとこちらに歩み寄ってくる。
 その顔はもちろんだったが、なにより足の運びで一発でわかった。彼が、長元先輩だ。
「……煌。状態は?」
「心配しなくても妖気はまとわされてねぇよ。単に薬ぶち込まれて体弄られてるだけだろ。毒やら何やら体に悪影響を与えるもんを抜いちまえばなんとかなる」
「なんとか、できるか」
「ま、食事時間二時間延長で手を打つぜ?」
「ありがとう……頼む」
 ず、と前に一歩踏み出す。くるりと刀を返し、峰打ちのための構えを取る。どれほどの耐久力を持っているかはわからないが、その程度の改造しか施されていないなら人間からさほど逸脱した能力は持っていないはず。煌は基本的に手加減が苦手だ。人間の状態でやり合ったとしても、打ち所が悪ければ一撃死ということにもなりかねない。
 つまり、ここは、自分がなんとしても長元先輩を無力化するしかない。
「グ……ウ、ゥゥ、ルゥゥゥ……」
 唸り声を上げ、はちきれそうな筋肉を震わせながらこちらに近寄ってくる長元先輩と、数mの間を空けながら対峙する――が、閃が踏み込もうとするぎりぎりに長元先輩が地面を蹴った。
「!」
「グルグァァッ!」
 本来なら飛びかかってくる相手など一番始末のしやすい相手ではあっただろうが、閃はさっと身を退いて飛び込みをかわした。ここまでの巨体だと、単純に打ち落とそうとしては体重込みのエネルギーに自分の方が押し潰される。
 長元先輩はずんっ、と床に着地すると、即座にこちらに向かい構えて狂ったように突きやら蹴りやらを打ち放ってきた。その力、速さ、確かに人間レベルではない。爪やらなにやらが生えていないのが不思議なほどだ。――が。
「……ふっ」
 呼気を腹の底から打ち出しながら、閃は深く踏み込んでひゅっ、と一刀を振るった。昨日の試合と同じように、拳を繰り出しながらも一瞬長元先輩の目がその動きを追う。
 その拳をぱんっ、と刀の峰で捌きながら、その捌いた動きを円運動で返して、長元先輩の頭を打つ。昨日と違い、本気の力で、急所を狙って、だ。
「ガッ……」
 長元先輩は一瞬ぐらり、とよろめくが、耐久力も当然改造されているのだろう、さらに雄たけびを上げて打ち込んでくる。それを捌いて、フェイントをかけて、頭に一撃。捌いて、フェイントをかけて、一撃――
 型としては、その繰り返し。長元先輩も自分がその型に嵌められていることはわかっているのだろう、幾度も雄たけびを上げ、必死に何度もムキになったように打ち込んでくる。
 だが、届かない。構えというのはもともと防御の型を示すものだが、その中でも防御重視の下段に構えて、ひたすらに受け流し、囮の一撃を振るって、相手の体勢が崩れた、気が逸れた、防御ができなくなったところにすかさず急所狙いの一撃。その決まりきった手順を崩すことができていない。
 当然だ。それは自分が何千何万何億回と練習し、実戦で使ってきた型なのだから。
 煌を相手にして何度も練習させてもらい、敵の妖怪に、こちらを殺し、食うために襲ってくる連中を叩きのめすために、殺すために、本当に命懸けで使ってきた型。相手がどう動き、どう襲ってくるか、全身全霊をもって見極めなければ、捌かなければ、一撃でこちらが殺されかねない相手に使ってきた手順。脊髄反射より速く、相手の動きを想定し、身体をそれにミスを極力少なくして対応させる、その程度のことできなければ自分はとうに死んでいた。
 少しばかり人間外まで強化された程度の相手に、それを破られては、これまでの五年間、血を吐きながら戦ってきた意味がない。
「――ふっ!」
 体勢を崩した相手に、踏み込んで、打ち込む――それを何十度も繰り返した末に、長元先輩は倒れた。
「……遅かったな」
「……できるだけ気絶狙いでやったからな。相手の筋肉が鎧になる程度に強化されてたのはわかったから、頭に衝撃を与えて脳を揺らして気絶させるのが一番いいと思って」
「いつもみてーに脳に直接刀ぶち込みゃもーちょい楽に殺せたんじゃねーの?」
「殺す必要がどこにあるんだよ」
「ふん……ま、確かにな」
 にや、と笑ってこちらに歩み寄り、長元先輩の体に手を触れ、身体の様子を見た上で薬を抜き始める煌の横顔を見ながら、閃は煌があえて言わなかったのだろう一言を想像し、小さく息をついた。
『向こうはこちらを殺す気で来ているんだろうに』、『こいつには殺す必要もないってわけか』、『手加減した状態で勝てる、なんぞと甘く見て不覚を取るってことにならなきゃいいがな』。そんな言葉は、自分でもいくらでも想像できる。その言葉の正しさも、自分自身よくわかっている。
 だが、それでも、人を殺したことがないわけじゃまるでないけれども、殺さないための努力ができる以上、それに全力を揮わないなんてことは、正義のヒーロー(予定)がうんぬん以前に、人として許されないと思うのだ。

「……へぇー、それじゃあその……薔薇十字の人たち、全員逃がさずにすんだんだー」
「ああ……一応元締めとかに連絡はしといたけど、人命尊重のためとはいえ無理言って先に突入させてもらったからな。ほっとした」
 校門から校舎に向けて歩きながら、園亞とそんな会話を交わす。昨日はなんとかぎりぎりで昼休みの時間内に戻ってこれたはいいものの、亜音速での行き帰りに園亞はかなりグロッキーで、会話を交わす元気があまり残っていなさそうだったので、昨日のことを話すのがここまで遅れてしまったのだ。
 護衛対象に負担をかけてしまったことは反省しなくては、と強く思うのだが、あの状況では他に選択肢はなかっただろう、ということも変わらずに思うので、閃としては眉間に皺が寄ってしまうところではあった。
 三峯宮の狼については煌がきっちりと話をつけてくれたそうなので、閃としてはとりあえず安心していた。もうあの人は特異点ではないし、その周囲に敵が集まってくるようなこともない――
 と、後ろから誰かの気配が近づいてくる、と考える前に、閃はばっと園亞を後ろにかばって刀に手をかけつつ構えた。もちろん場合によっては刀を抜くつもりだったのだが、近づいてくる相手の姿を見て、刀に手はかけたままながらもある程度警戒を解く。
「……長元先輩」
「すまんな。ちょっと、いいか」
 昨日薬物を体から抜いて、やってきていた公的機関に預けた長元先輩は、思いのほか元気そうだった。どうやら入院は昨日一日ですんだらしい。内心かなりほっとしながらも、表面上はあくまで厳しい顔で長元先輩を見つめつつ言う。
「もうすぐ授業が始まる時間ですので、手短にしていただければ」
「む……まぁ、確かにそう時間がかかることでもないしな」
 長元先輩は軽く頭を掻いて、じっと閃を見下ろし、告げる。
「草薙。一ヶ月後に、また試合をしてはくれないか?」
「………え?」
「俺がお前に現段階で遠く及ばないのはよくわかった。お前の技には、驚くべき深みがある。俺の動きを全部読み切って、焦らず攻撃を捌いて打ち込んでくる冷静さがある。それはたぶん、それだけの場数を踏んだからだろう、というのはよくわかった」
「…………」
「だが、俺も今のままで終わる気はない。全力で修練に打ち込み、少しでも強くなってからまたお前に挑みたい。お前が強い相手だからこそ、全力で自らを高め、そして勝ちたい。だから、頼む」
「…………」
 深々と頭を下げる長元先輩に、こっそり嘆息してから心の中で閃は囁いた。
『煌。お前、また記憶妙に弄っただろ』
『いや、別に? あらかたの記憶はきっちり消したぜ? ただ単に、お前と戦った時の記憶はイメージとして残しといただけで』
『……ったく……』
 仕事上の見地から言うならば、それは迷惑な行為でしかない。できるなら彼には自分のことはすべて忘れて、閃たちと関わらずに生きていってもらった方がいいのだ。彼の身の安全からも、心身の健康からも、そちらの方がいいに決まってる。
 ただ、武を志す者としての、感情的な側面から言うならば。
「……わかりました。では、一ヶ月後に」
「……ああ! 感謝する!」
 勢いよく顔を上げ、満面の笑みでうなずいて、また頭を下げてくる長元先輩に一礼し、園亞を連れて歩き出す。と、園亞につんつんと左腕をつつかれた。
「なんだ、園亞?」
「ねぇねぇ、閃くん。閃くん、なんか、嬉しそうだね」
「……そう、かもな」
 自分が人の役に立てるというのは、もちろん嬉しいことだ。けれど、それとは別に。
「本当なら喜ぶべきじゃないのかもしれないけど……同じ道を進もうとする人が増えるっていうのは、ついつい、どうしてもほっとしちゃうことだなって、思ってさ」
 命懸けの戦いなどしないに越したことはない。殺す殺されるの世界に踏み入る人間が増えるのは歓迎できることじゃない。
 それでも、その戦いを、命懸けの、それなのに相手に殺さないように倒すなんてことをされる経験を経ても、負けたくないと、相手に勝ちたいと、そのためならなんだってやろうと頑張ってくれる相手が自分の他にもいるというのは、なんというか……
「えー、なんで『喜ぶべきじゃない』の?」
「なんで……って」
「そんなの、誰だって嬉しいよー! 仲間が増えたってことだもん!」
 満面の笑顔で、自分まで嬉しげにそう言ってくる園亞に閃は思わず苦笑し、「……ありがと」と告げてまた二人で校舎への道を歩き出した。

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キャラクター・データ
草薙閃(くさなぎせん)
CP総計:230+50(未使用CP20)
体:14 敏:17 知:14 生:13(45+100+45+30=220CP)
基本移動力:7.5+1.5 基本致傷力:1D/2D よけ/受け/止め:8/13/- 防護点:なし
特徴:カリスマ1LV(5CP)、我慢強い(10CP)、戦闘即応(15CP)、容貌/美しい(15CP)、意志の強さ2LV(8CP)、直情(−10CP)、誓い/悪い妖怪をすべて倒す(−15CP)、名誉重視/ヒーローの名誉(−15CP)、不幸(−10CP)、性格傾向/負けず嫌い(−2CP)、方向音痴(−3CP)、ワカリやすい(−5CP)
癖:普段は仏頂面だけど実は泣き虫で怖がり、実は友達がほしい、貸しも借りも必ず返す、口癖「俺は悪を倒すヒーロー(予定)なんだぞっ!」、実は暗いところが怖い(−5CP)
技能:刀22(32CP)、空手17(4CP)、準備/刀17(0.5CP)、柔道16(2CP)、ランニング12(2CP)、投げ、脱出15(1CPずつ2CP)、忍び16(1CP)、登攀15(0.5CP)、自転車、水泳16(0.5CPずつ1CP)、軽業16(2CP)、コンピュータ操作14(1CP)、追跡13(1CP)、探索、応急処置、学業13(0.5CPずつ1.5CP)、生存/都市、調査、追跡、英語、鍵開け、家事12(0.5CPずつ2.5CP)、戦術12(1CP)
妖力:百夜妖玉(特殊な背景25CP、命+意識回復+1ターン1点の再生+超タフネス+疲れ知らず(他人に影響+40%、自分には効果がない−40%、人間には無効−20%、肉体ないし体液を摂取させなければ効果がない−20%、オフにできない−10%、丸ごと食うことで永久にその力を自分のものにできる(命のみ丸ごと食べないと効果がない)±0%、合計−50%)88CP、フェロモン(性別問わず+100%、人間には無効−20%、オフにできない−30%、意思判定に失敗すると相手はこちらを食おうとしてくる−50%、合計±0%)25CP、敵/悪の妖怪すべて/たいてい(国家レベル/ほぼいつもと同等とみなす)−120CP。合計18CP)

旧き火神・真なる迦具土・煌(こう)
CP総計:3005(未使用CP1)
体:410(人間時50) 敏:24 知:20 生:20/410(追加体力、追加HPはパートナーと離れると無効−20%。250+275+175+175+156=1031)
基本移動力:11+2.125 基本致傷力:42D/44D(人間時5D+2/8D−1) よけ/受け/止め:13/18/- 防護点:20(パートナーと離れると無効−20%。64CP)
人間に対する態度:獲物(−15CP) 基本セット:通常(100CP)
特徴:パートナー(200CPの人間、45CP)、美声(10CP)、カリスマ3LV(15CP)、好色(−15CP)、気まぐれ(−5CP)、直情(−10CP)、トリックスター(−15CP)、好奇心1LV(−5CP)、誓い/パートナーを自分の全てをかけて守り通す(−5CP)、お祭り好き(−5CP)、放火魔(−5CP)、誓い/友人は見捨てない(−5CP)
癖:パートナーをからかう、なんのかんの言いつつパートナーの言うことは聞く、派手好き、喧嘩は基本的に大好きだが面倒くさい喧嘩は嫌い、パートナーから力をもらう際にセクハラする(−5CP)
技能:空手25(8CP)、ランニング17(0.5CP)、性的魅力30(0.5CP)、飛行22(0.5CP)、軽業、歌唱、手品、すり、投げ21(0.5CPずつ2.5CP)、外交20(1CP)、英語、中国語、仏語、アラビア語、露語、地域知識/日本・富士山近辺、探索、礼儀作法、調理19(0.5CPずつ5CP)、戦術、動植物知識18(1CPずつ2CP)、言いくるめ、調査、鍵開け、尋問、追跡、家事、読唇術、生存/森林18(0.5CPずつ4CP)、毒物、歴史、嘘発見、医師、催眠術、診断17(0.5CPずつ4CP)、手術、呼吸法16(0.5CPずつ1CP)
外見の印象:畏怖すべき美(20CP) 変身:人間変身(瞬間+20%、パートナーと離れると無効−20%、合計±0%。15CP)
妖力:炎の体20LV(120CP)、無敵/熱(他人に影響+40%、140CP)、衣装(TPOに応じて変えられる、10CP)、超反射神経(パートナーと離れると無効−20%、48CP)、攻撃回数増加1LV(妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、合計−50%。25CP)、加速(妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、疲労5点−25%、合計−75%。25CP)、鉤爪3LV(非実体にも影響+20%、妖怪時のみ−30%、合計−10%。36CP)、飛行(妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、合計−50%。20CP)、高速飛行5LV(瞬間停止可能+30%、妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、合計−20%。80CP)、高速適応5LV(妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、合計−50%。13CP)、無言の会話(妖力を持たない相手にも伝えられる+100%、人間にも伝えられる+100%、よりどころの中からでも使える+100%、パートナーのみ心の中で会話できる+25%、パートナーと離れると無効−20%、合計+305%。21CP)、闇視(パートナーと離れると無効−20%、20CP)、オーラ視覚3LV(35CP)、飲食不要(パートナーの精気が代替物、10CP)、睡眠不要(パートナーと離れると無効−20%、16CP)、巨大化34LV(妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、疲労五点−25%、合計−75%。85CP)、無生物会話(30CP)、影潜み1LV(パートナーと離れると無効−20%、8CP)、清潔(パートナーから離れると無効−20%、4CP)、庇う(パートナーのみ-75%、5CP)
妖術:閃煌烈火50-24(エネルギー=熱属性、瞬間+20%、扇形3LV+30%、気絶攻撃+10%、目標選択+80%、妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると使用不能−20%、手加減無用−10%、合計+80%。540+8CP)、闇造り1-18(瞬間+20%、範囲拡大16LV+320%、持続時間延長12LV+360%、合計+700%。16+2CP)、炎中和50-24(瞬間+20%、パートナーと離れると使用不能−20%、合計±0%。100+8CP)、炎変形20-24(瞬間+20%、パートナーと離れると使用不能−20%、合計±0%。60+8CP)、治癒20-20(病気治療できる+10%、毒浄化できる+40%、瞬間+20%、パートナーから離れると使用不能−20%、合計+50%。90+8CP)、閃光10-18(本人には無効+20%、瞬間+20%、パートナーから離れると使用不能−20%、合計+20%。48+2CP)、幻光1-18(瞬間+20%、範囲拡大16LV+320%、持続時間延長12LV+360%、合計700%。8+2CP)、火消しの風1-18(瞬間+20%、範囲拡大16LV+320%、持続時間延長12LV+360%、合計700%。16+2CP)、感情知覚10-18(パートナーから離れると使用不能−20%。16+2CP)、思考探知10-18(パートナーから離れると使用不能−20%。32+2CP)、記憶操作10-18(パートナーから離れると使用不能−20%。40+2CP)
弱点:よりどころ/閃の尻の痣(別の価値観を持つ生き物、一週間に一回触れねばならない、その中に姿を隠せるが痣が隠されると出られない。−30CP)
人間の顔:容貌/人外の美形(35CP)

四物園亞(よもつそのあ)
CP総計:489?(未使用CP0)
体:11 敏:13 知:10(呪文使用時のみ23) 生:12?(10+30+200+20=240CP)
基本移動力:6.25+1.25 基本致傷力:1D−1/1D+1 よけ/受け/止め:6/-/- 防護点:?
特徴:意志の強さ1LV(4CP)、カリスマ1LV(5CP)、後援者/両親の会社(きわめて強力な組織(国際的大企業四物コンツェルン)/まれ、13CP。敵/某闇会社/まれ、−10CPと足手まとい/25CPのお目付け役/知人関係/まれ、−3CPとで相殺)、魔法の素質10LV(180CP)、追加疲労点30LV(90CP)、朴訥(−10CP)、正直(−5CP)、好奇心(−10CP)、そそっかしい(−15CP)、健忘症(−15CP)、誠実(−10CP)
癖:自分は普通だと思っている天然、口癖「え、えっとえっと、なんだっけ?」、口癖「私だってそのくらいできるんだから」、胃袋が異空間に繋がっているとしか思えないほど食う、超ドジっ子属性(−5CP)
技能:バスケットボール13(2CP)、学業10(1CP)、軽業11(1CP)、投げ10(0.5CP)、水泳12(0.5CP)、ランニング10(1CP)
呪文:間抜け、眩惑、誘眠、体力賦与、生命力賦与、体力回復、小治癒、盾、韋駄天、集団誘眠、念動、浮揚、瞬間回避、水探知、水浄化、水作成、水破壊、脱水、他者移動、霜、冷凍、凍傷、鉱物探知、方向探知、毒見、腐敗、殺菌、療治、解毒31(1CPずつ29CP)、大治癒、倍速、飛行、高速飛行、瞬間移動30(1CPずつ5CP)