play the piano happily
 ターン………。タラリラリラレララララリラリララララターンタタリラリラターンタリラリラリラ………。
 四物学園中等部三年蔦組八幡恵美理は、音楽室で一人、ひたすらに何度も同じ曲をくり返していた。ピアノの鍵盤の上で飽きるほど繰り返した指運びを、また同じようにくり返す。
 次のコンクールの課題曲である子犬のワルツ≠ヘ、おそろしく有名な曲だ。幼稚園の頃に一部を練習したのから始まって、練習の一環としても、発表会やコンクールでも、これまでに何回も完璧に弾きこなすまで練習してきている。当然とうに暗譜しているし、課題曲として発表された直後であろうとも完璧に弾いてみせる自信はあった。
 だが、それでも足りない。四物学園には音楽科がない。将来ピアニストになろうとしている恵美理は、高等学校はなんとしても音楽学校、ないし音楽科に進まなければならなかった。だからこそコンクールではできる限りいい成績を取らねばならない。将来的にも、進学のためにも。
 だからこそ万全を期し、用心の上にも用心を重ねて、完璧の上を目指して練習をくり返す。音楽家を目指す者に求められるのは、日々のひたすらな練習を積み上げた上に築かれる完璧な演奏だ。感情を乗せた演奏だのなんだの、そんなものは音大に合格して、優秀な成績を取り、完璧なレールを敷いてからどうとでもできる代物にすぎない。
 練習。練習。練習。練習。練習練習練習練習練習練習………!
 唐突に、びゅおんっ、という音が聞こえ、恵美理は思わずびくりとした。指が止まる。思わず小さく舌打ちしたが、そうせざるをえないほど今の音は強烈な印象をもって恵美理の耳に響いたのだ。
 空気を斬り裂く音、だと思った。だがその鋭さ、鮮烈さには、恵美理の心を惹きつけるなにかがあった。音楽家を志す恵美理ならではの感性に訴えかけるほどの、凛とした閃きが感じられたのだ。
 立ち上がって、窓のそばに歩み寄る。今の音はこちらから聞こえた。四物学園の音楽室には一応、恵美理の求めるレベルにはまるで達していないが、防音が施されている。それを貫くほどの鮮烈な音なのだから、相当に大きなものが立てた音なのだろう――
 そんなことを思いながら窓の外を見て、絶句した。四物学園の音楽室は一階にあり、こちらの窓は裏庭に通じている。そこで、一人の少年――襟章からすると、恵美理と同じ三年の生徒が、刀を振り回していたのだ。
 一瞬仰天しかけて、すぐに思いだした。藤組の、四物コンツェルン総帥の娘である四物園亞を護るため、日本刀を腰に差したボディガードが転校してきたと噂で聞いた。つまり彼はそのボディガードなのだろう。そのくらいは想像がつく、けれど――
 なんだろう、この少年は。なんでこんなに、きれいに刀を振り回すのだろう。
 まるで舞踏のように、ひとつの美術作品のように、妙なる音楽のように鮮やかに、少年は刀を振り回してみせる。凛とした表情で前を見据え、ブレやズレがまるでない完成された動きで。
 なんで、こんなに――
 そんな思いで溢れそうになりながら、恵美理は昼休みが終わるまでひたすらに、じっと少年を見つめ続けた。

「園亞、今日は部活がないんだったよな?」
「うんっ! 体育館がワックスかけるんで使えないから! もともと今日はミーティングだけだったしね!」
「……それで、今日はどうする? まっすぐ帰る、っていうことでいいのか?」
「えーっと、そうだねー……」
「おいおいお二人さん、なに言ってんだよ。俺たちをいくつだと思ってんだ?」
「え? えっとえっと、いくつだっけ?」
「……俺が十五、園亞とお前が十四だろ。っていうか、帰る時どうするか決めるのになんで年が関係あるんだよ」
「あーったくしょーがねーなぁ閃ってばもー。俺たち中三だろ? 青春真っ盛りな年頃だろ? だったらたまの空いた時間くらい遊ばなくてどーすんだよ! 青春の日々に遊ばねーなんぞ野村芳兵衛どころか後白河法皇も有罪判決下すってもんだぜ!」
「え、そうなのっ!? ……えっと、のむらよしべえさんとごしらかわほうおうさんって、誰だっけ?」
「……野村芳兵衛は明治時代の教育者で、後白河法皇は平安時代末期に天皇だった人だよ。五代に渡って院政を敷いた。授業で習っただろ、少なくとも後白河法皇の方は」
「え、えー? そうだっけ? うーん……私、会ったことのない人の名前ってすぐ忘れちゃうんだよね……」
「まぁ忘れたとこで日常生活には全然影響ないから心配すんなって。地歴のテストはひどいことになるだろーけど」
 いつも通りに話しかけてくる渉をいなしつつ、閃と園亞は正門へと向かった。おそらくはもう四物家のリムジンは正門前で自分たちを待っているだろう。園亞にはあまり自覚はないようだが、園亞は構成員の何割かが妖怪である犯罪組織白蛇≠ノつけ狙われているのだ、たとえ今は常に自分たちがそばにいるとはいえ、基本的に学校が終わったら即座に家に戻る、というのが基本行動として定められている。
 ……まぁ、雇い主である園亞の父親から、『安全が害されるという明確な危険性がなければ園亞の意志を最優先するように』とお達しが出ているので、犯罪組織に狙われているにもかかわらず、園亞は毎日のように日が暮れるまで部活動に打ち込むし、寄り道もさほど咎められはしないのだが。最近は白蛇≠フ連中にもあまり動きはないし(その分情報は集めにくくなっているらしいが)。
 それでも閃としては、園亞にはできる限り危険を避けてほしいと思っている。何度も自分の仕事に巻き込んでおきながら言えたことではないが、園亞のような子が、命を奪い合う場に立つなんてことは、正直もうたくさんなのだ。
 ――ふと、視線を感じた。閃は手で園亞を制し、周囲の様子を探る。
 視線の主はすぐに見つかった。玄関から少し奥に入る、音楽室やらなにやらが並んでいる棟に入る曲がり角の前。そこに立っている女子だ。じっとこちらを――園亞ではなく、閃を、まるで果し合いでも申し込んできそうな苛烈な視線で見つめている。
「……渉。あの女子が誰か、知ってるか」
「へ? うぉ、音楽室の主、八幡女史じゃん! なに、閃、お前あの人になんかしたわけ?」
「そんな覚えはない、けど。というか、そもそも会うのもこれが初めてだし……」
「あー、まぁあの人めったに自分の城から出てこないもんなー」
「……どういう人なんだ? 音楽室の主、とか言ってたけど」
「んー、まぁ、要するに、進路選択の問題なんだけどさ……」
 小声で、できるだけ聞かれないように話しながらも足を止めずに玄関へと向かう。相手に警戒されたくなかったし、そもそもただ睨まれているだけで足を止める必要もないだろうと思ったからなのだが、その八幡という女子は閃たちが自分を気にせず玄関へ向かっているのに仰天したようだった。愕然と目を見開いて、思わずと言ったように声を上げる。
「ちょっと!」
 閃は足を止めて、振り向いた。少なくとも今の声は、自分に対して向けられたものだ。
「なにか?」
「……あなたにちょっと聞きたいことがあるの。ついてきてちょうだい」
「すいませんが、俺は今仕事中なので。園亞の意志に沿わない寄り道をするわけにはいきません」
「寄り道……!?」
 一瞬ぎらり、と瞳を光らせてこちらを睨んでくる――が、八幡はすぐに荒くなった呼吸を整え、落ち着いた顔を作ってこちらを見た。……作っている≠ニいうのは、睫毛の先がわずかに震えているので、彼女は感情を抑えているんだろうな、と思ったからなのだが。
「時間は取らせないわ。すぐに済む。ついてきてちょうだい」
「ですから」
「同じことを何度も言わせないでもらえるかしら。――ついてきて」
「俺も同じことを何度も言わせないでほしいんですが、できません」
 ぎっ、と今度は遠慮会釈なく殺気を込めてこちらを睨む少女に、閃は無言で視線を返した。閃も別に女の子に喧嘩を売りたいわけではないが、これは課された仕事だ、なんとしても全うしないわけにはいかない。衣食住の世話になっている相手に借りを返せないなんぞごめんだ。……ただでさえ、園亞には今のところ借り分が多いというのに。
 それに、閃はたとえ相手が護るべき相手の中でも特にか弱い女の子だろうと、一方的な物言いに唯々諾々と従うのは好きではなかった。なんというか、ものすごく負けたような気分になるせいで、そして閃はどんな相手だろうと負けるのは大嫌いなのだった。
「……ねぇねぇ、閃くん。もしかして八幡さん、なにか困ったことがあるんじゃないの?」
「え」
「っ、なにを」
「困ったことがあるんだったら、素直にそう言ったら閃くん助けてくれるよー。だって、すごく優しいもん!」
「べっ、別にそういうわけじゃ……」
「え、違うの?」
 目を大きく見開かれて見つめられ、閃は言葉に詰まった。むぐりと息を呑み込み、視線を逸らしそうになるのを堪えて、ぎゅうっと眉根を寄せてから八幡に向き直る。
「……今は園亞の護衛中ですから、他の仕事を受けるわけにはいきませんが。もしなにか困ったことがあるんでしたら、言ってくださっても、かまいません。助けられるかどうかはわかりませんけど」
「えー、閃くんすっごく優しいから、絶対助けてくれるよー!」
「いや、だから本当にできるかどうかはわからないから! 俺ははっきり言ってそんな大した力の持ち主じゃないし」
「もー、閃くんってば、頭いいけど自分のことあんまりわかってないよね。閃くんは絶対、自分がどんなに困ってても、困ってる人を助けようって頑張っちゃう人だよ!」
「だっ、だから、別に、俺は、そういう……そりゃ、助けられる人にはなりたいと思ってるけど、今の俺はそんな大した人間じゃないし……」
「おおー、さすがだな閃、その落として上げるテクニック! 大昔の女郎からネット社会のツンデレまで、連綿と続く落としのテクニックを自然のうちに体得しているとは……!」
「なんだそれ誰が女郎だ気色悪いこと言うなっ!」
 そんな風に騒いでいると、八幡はダン! と大きく足を踏み鳴らし、自分たちの視線を集めてから苛立ちに満ちた顔で言う。
「いいから、ついてきて、ちょうだい」
 そう震える声で、渾身の力を込めて呪うように告げてから、くるりとこちらに背を向けて歩いていく。閃は唐突な、というかやっぱりこちらの意志を無視したやり方に眉根を寄せたが、園亞はあっさり「はーい!」と答えて後を追う。思わずぎゅっと眉を寄せたが、園亞が行くと言うなら自分もついていかないわけにはいかない、といつものポジションに陣取って歩き始めた。
 そしてその横を当然のような顔で歩き出す渉に、思わずいつものように突っ込んでしまう。
「なんでお前がついてくるんだ」
「えー、いいじゃん、八幡女子も他の人間がついてきちゃ駄目だとは一言も言ってなかったし。っつーかさ、少なくとも普通の学校の日常生活内のトラブルなら、ぶっちゃけ俺お前らより処理能力高いと思うよ?」
 うぐ、と知らず言葉に詰まる。確かに普通の学校生活≠ニいうものに対する知識が圧倒的に少ない自分と、根本的にトラブルの処理能力というものが欠如している園亞では、その手の能力においては渉の相手にもならないと自覚していた。
「っつーか……ま、謎の転校生が学校内に潜む闇を次々暴いてくってのは基本だけどさ、もう八幡女子に手をつけるたぁねー……いやはや、さっすが閃、この手の話の王道とお約束を突っ走ってるねー」
「なんだそれ……というか、お前あの人のことを知ってるんだよな? どういう人なんだ、あの人」
「いや、だっからさ、音楽室の主だって。あの人音楽学校に進学希望してるんだけど、やっぱ普通の中学から音楽学校に進学するのはそれなりに大変みたいでさ、いっつも音楽室にこもってピアノの練習しては、キリキリして周りに当たり散らしてるわけ」
「音楽学校……?」
「うん、実際コンクールとかに何度も出てるらしいぜ? らしいっつーか、調べたから確かなんだけどさ。音楽学校に合格できる、って評価されるだけの腕は持ってるらしい。んでまぁ、この学校が音楽学校を目指す人間に優しくない、っていうんでいっつも苛々したりキリキリしたりしてんだよ」
「……優しくないのか?」
「や、そりゃまぁ音楽系の学校と比べられたらどうかってことだったら困るけどさ、普通の学校にしてはできる限りのフォローはしてると思うぜ、公平に見て。音楽の先生って何人かいるけど、そん中でもプロになるのに失敗した、ぐらいの人がついて指導してるらしいし。ピアノ教室にも通ってるみたいだけどさ。どっちかっつーと、彼女のはあれだろ、受験ノイローゼ」
「受験ノイローゼ……」
「今時どうかとは思うけどねー、そーいう単語。まーうちがかなりのんびりしたガッコだからなのかもしれんけど、そん中であの女史は一人異彩放ってるっつーか、太古の昔のお受験ママみてーに、必死に自分追いつめてキリキリして周りに当たり散らしてるわけ。普通に暮らしてる限りじゃめんどくさい奴だよな、ま、個人的には嫌いじゃないけど」
「……どうでもいいけど、曲がりなりにも先輩なんだからもう少し敬意を払った方がいいんじゃないか? 後輩に奴呼ばわりされたら普通の人は怒るだろ」
「……へっ?」
「え?」
「……閃。彼女俺たちと同じ中三なんだけど。三年蔦組出席番号四十一番、八幡恵美理さん」
「…………!」
「あーららー、いーのかなー、女の子の年齢そんな風に上に間違えちゃってー、これ本人が聞いたらどー思うかなー」
「っ、別に悪意があって間違えたわけじゃっ」
「いやー、これは悪意がない方が問題じゃね? しかも誰にも年聞かなかったってことは、見かけで完全に相手が自分より年上だって思い込んでたってことだろ?」
「だ、からっ」
 と、八幡がふいに足を止め、扉を開いた。『音楽室』と札の出ているその部屋の入り口で、八幡はじろりとこちらを睨み回して言う。
「入って」
「………ああ」
 聞こえているのかいないのか、少なくともできるだけ声は抑えて会話していたつもりだが、とドキドキしながら中に入る。中は音楽の授業で何度も見ていた通り、きれいに片づけられていた。巨大なグランドピアノがでんと中央を占拠し、その前に備えつけの机と椅子が並べられている。
「座って」
「……わかった」
 とりあえず言われるままに(警戒はしながらも)椅子に座る。八幡はそんな自分たちを真正面から見据えて、言った。
「今から弾く音を聞いて、感想を言って」
「………? かまわないけど……俺は専門家じゃない。役に立てるようなことは言えないぞ」
「いいから。役に立つレベルのことを言えるなんて期待してないわ。……そうでもしないと気が晴れないから仕方ないでしょ」
「え?」
 小声で早口に言い放った言葉を、閃は聞きそこねた。が、八幡はそれを無視して、ピアノの前に座り、指を走らせ始める。
 ターン………。タラリラリラレララララリラリララララターンタタリラリラターンタリラリラリラ………。
 素早く八幡が指を動かすごとに、音がピアノから発される。こういう風にピアノを弾くのをただ聞いている、というのは閃にしてみればほとんど初めての経験だったかもしれない。
 奏でられているのは、きれいな曲だった。確かこれは有名な曲だったと思う、曲名は覚えていないけど――などと考えている閃をよそに、八幡は忙しく指を動かして曲を奏でていき、最後にタンッ、と大きな音を立てて弾き終える。
 園亞と渉がぱちぱちと拍手を始めたので、そういうものか、と慌てて拍手をする――が、八幡はぎろりとこちらを睨んできた。
「自然に出たわけでもない拍手なんていらないわ。それより、あなたに聞きたいことがあるの」
「……俺に? さっきも言ったけど、役に立てるようなことは言えないぞ」
「いいから! 早く言いなさい、音楽に微塵も関心がないような人間でも、感想を言うことくらいはできるでしょう!」
 尊大な物言いだな、と閃はまた眉根を寄せたが、まあ実際自分は音楽を聞かされても素直な感想を言うことくらいしかできないのだから仕方がない。ちょっと考えてから、真正面から八幡を見て告げた。
「練習不足だと思った」
「………っ!?」
「ちょっ!」
「えー!? 八幡さん、あんなに上手だったのに!?」
 騒然とする他の面々に、え、他の奴らはこう思わなかったのか、と内心ドキドキしながらも、できるだけ正直に言葉を紡ぐ(嘘を言っても自分の場合すぐに顔に出るとわかっているので、嘘を言わずにすむ時はできるだけ言わないようにしているのだ)。
「上手、というか……中学三年生の音楽家の技術の平均がどれくらいかは知らないけど、少なくとも人に聞かせるレベルには達してないんじゃないかと思った。あからさまな失敗はなかったけど、音のバランスが悪いっていうか……聞いていてあんまりいい気持ちはしなかったし」
「え、や……あのさ、聞かせるレベルって、もしかしてプロレベルってことか? 普通学生でそのレベルに達してる奴ってあんまいないんじゃね?」
「普通がどういうものかは俺は知らないけど。少なくとも誰か、指導役でもない相手に音を聞かせるんだったら、今の自分にできる十全を果たした、っていうくらいに弾きこなせるようになってからの方がいいと思う。自分で自分の能力に確信が持てるようになってからじゃないと、実践の場で他人に影響を与えるのは難しいと思うから。……もちろん、俺は音楽の実践の場っていうのがどういうものか知らないから、俺の言葉をいちいち気にする必要はないと思うけど……」
「…………っ!」
 八幡はすさまじい形相でだん! と音楽室の床を蹴ると、こちらをぎっ、と睨みつけてから足早に音楽室を出て行ってしまった。閃はふぅ、と小さくため息をつく。怒らせたくはなかったのだが、自分の会話処理能力ではこれが限界だった。
「やー……まさか、こーいう展開になるとは思わなかったわ。閃って意外と音楽に厳しい……っつーか、技術に厳しいのか? まぁなんか含蓄のあることは言ってくれるだろうと思ってたけど」
「……なんだそれ。人を随筆家みたいに言うな」
「へ、なんで随筆家?」
「え……いや、だって、名言の類を言う奴ってたいてい随筆家じゃないか」
「へー……まぁそうかもしんないけど……っつか、随筆家って呼び方もずいぶん時代がかってるよなー」
「いいだろ、別に。……園亞、じゃあ、もう帰るってことでいいのか?」
「へ、え!? う、うん……えっと……」
 園亞は少し眉を寄せて考えるように首を傾げると、うんとうなずいて決死の表情で閃に向き直った。
「閃くん! これから、カラオケ行こう!」
「え……園亞が行きたいって言うなら、それはもちろん、いいけど」
「お、歌いに行っちゃう? 行っちゃうのか? こりゃお供がお一人ってのはもったいない、何人か誘わないわけにはいかねぇなったくもう!」
「なんでだ。俺たちがカラオケボックスに行くだけでなんでそういう反応が出てくる」
「え、だって閃が歌っちゃうんだぜ? エニイタイム日本刀持ち歩いてるサムライボーイがカラオケで歌っちゃうんだぜ? そりゃーどんな歌が出てくるか気になるのが人情ってもんでしょうよ」
「お前な……」
「ま、俺としては四物の心境もちょっと気になるけどね。なんでこの展開でカラオケなのかなー、とかいろいろ」
「え? えっと、その、だって……」
 口ごもる園亞に、閃ははっとして真剣な顔になった。園亞がなにか気になることがあったのだとしたら、聞いておかないわけにはいかない。
「園亞……なにか、気になることでもあったのか? 俺でよければ、できる限り対処するけど……」
「う。うー、だって、えっと、あの……別に、そんな大変な話じゃないんだけど……」
 少し悩んでから、園亞は恥ずかしそうにうつむきながら、正直に告げた。
「だって、閃くんが音楽にうるさい人だったら、私も少しくらいは歌練習しとかなきゃじゃない? それで、できれば、教えてもらえないかなぁって。私、音楽ってあんまり得意じゃないから……ほんとは、こんなことわざわざ言うことじゃないから、考えは秘密にしておいてこっそりお願いしようって思ったんだけど……」
「……いや、だから、園亞。俺は音楽に詳しいわけじゃ、全然まったくこれっぽっちも、ないから」

「っ……! ………っ! …………っ………!!」
 恵美理は内心の苛立ちを必死に抑えながら、ずんずんと床を蹴りつつ歩いた。本当はこんなことくらいじゃ足りない、あの日本刀野郎を八つ裂きにして塵すら残らないくらいに燃やし尽くしてやりたいところだったが、音楽家を目指す自分がそんな下衆な仕事をするわけにはいかない。
 腹が立つ。腹が立つ腹が立つ腹が立つ。なんで、あんなことを、なんであんな奴に。あんな奴にあんなことを言われる筋合いはない、音楽のことなんてなんにもわかっていなさそうな、スコアも読めなければソルフェージュのいろはも知らなさそうな奴に、なんであんなことを。
 恵美理はただ、練習のプレッシャーを少しでも晴らすために、気分転換がしたいだけだったのに。音楽家を目指す人間として、ストレスを少しでも軽くするために、この学校では珍しく、美しい≠ニ思えるものを創り上げた相手と少し話をしてみようと思っただけだったのに。あんな風に舞ってみせる人間に、美辞麗句を尽くして褒められれば、少しは心地よく練習ができるだろうという、ただそれだけだったのに。
 ひどい、なんて無残な、悪逆非道にもほどがある。音楽家を目指す自分を気遣うぐらいのことが、目障りに、邪魔にならないように繊細に取り扱うぐらいのことが、どうしてこの世界の連中はできないのか。無能、無能、無能無能無能。馬鹿で愚かで存在する価値なんてない、醜くて邪魔で不快で苛立たしくて――
「………っ………!!!」
 だんっ、とまた思いきり床を蹴って、はぁはぁ、と息をつく。――そして、自分のこういう感情こそが、他の人にしてみればそれこそこの上なく醜く不快な代物だと、恵美理は知っているのだ。
 周りの人間が、自分のことを鬱陶しい人間だと思っているのはわかっている。邪魔だと、消えてほしいと思っているのも知っている。音楽学校を受験するから、と周りに気を遣わせようという考え方それ自体が思い上がりで、周りの人間はそれを不快だと感じているのだということくらい、もう、とうにわかってしまっている。
 でも、自分は苦しいのだ。苦しくて苦しくてたまらないのだ。毎日毎日厳しい練習が続いて、叫び出したくて逃げ出したくてたまらなくて、でもそんなことをすれば周りにすぐに敵視されると、軽蔑されるとわかっていて、だから必死に練習に打ち込むしかどうしようもなくて、でも練習していられれば幸せだと言い切れるほど自分は音楽好きな人間ではなくて、ただ音楽に才能があるとわかって『音楽家なんてカッコいい』ぐらいの気持ちで音楽学校を受験するなんぞと言ってしまったただの凡人で、でもそんなことを言ってしまえば自分がこれまでやってきたこと、積み上げてきたものはすべて一瞬で水泡に帰してしまうと知っていて――
「っ……っ………っ…………!!!」
 本当に、もう、今すぐ世界が滅びてしまえばいいのに。
 ひたすらに何度も、手を傷つけないように、音楽家を目指す人間としての保身のために、受け身が取れるよう心掛けながら、何度も何度も足を床に叩きつける。そんな自分がたまらなく醜く、しょうもなく、存在する価値もないように思えて、でもこれまで必死で頑張ってきた自分がそんな風に扱われるのはたまらなく腹立たしくて。エゴと、憎悪と、高慢と傲慢と。そんな自分も、周りも、世界も、本当にもうもうもう、頼むからきれいさっぱり消えてくれれば、と。
「――あなたが消える必要なんて、ないのよ?」
 ふいに発された声に、恵美理はびくっとした。なんだ、今の声は。遠くから、彼方からかけられたのではないかと思うほど小さいのに、耳のすぐそばで囁かれたようにはっきりと聞こえた。
「あなたは、正しいわ。あなたは本当に頑張っているんですもの。自分にできることをそんな風に必死に頑張っているあなたは、本当に素晴らしい女の子だわ」
 恵美理は何度も息を呑み込み、声の出どころを探し始めた。一瞬自分が本当に狂ってしまって幻聴を聞き出したのかと思ったが、この声はとてもそういう類の代物とは思えないほどはっきり、くっきり恵美理の耳に響いた。音楽家志望なのだ、肉声なのかどうかくらい聞けばわかる。
「あなたは頑張っている。あなたは偉い。そんなあなたをないがしろにする周りの方こそ、咎められてしかるべきよ。あなたは本当に、素敵な、可愛らしい、きれいな女の子なんだから」
 それに、この声からは、敵意がまるで感じられなかった。自分に対する気遣いと、優しさが感じられた。気遣わなければならないから仕方なく気遣うのではなく、自分を本当に心底大切なものと考えてくれているような。自分を優しいものでくるみ込もうとしてくれているような。自分に対する善意だけでできているような、優しく、暖かい声。
 ああ――自分は。ずっと、本当にずっと、こういう声に飢えていた。
 すぐ本当の気持ちが透けて見えるような浅はかなやり方ではなくて。恵美理にも本当に自分に優しくしようとしてくれているのだ、と思わせてくれる声に。
 たとえ本当は自分を利用しようとしているのだとしても、かまわない。最後まで騙しきってくれるなら利用してくれていい。自分を甘やかして、優しくして、心地よい世界に浸らせてくれるなら。
 そのくらい自分は、毎日毎日苦しくて苦しくて、たまらなかったのだから。頼むから誰かに助けてほしい、と必死に、死にそうになりながら願っていたのだから。
「あなたは本当に、偉くて、優しくて、素晴らしい子よ。あなたには優しくされる価値がある。あなたは本来、もっと優しくされて、労わられて、甘やかされるべき人間なんだから――」
 だから、恵美理は、足元が少しずつ怪しくなってきているのを自覚しながらも、声の下へと向かった。自分にしてほしいと思うことをしてくれる、声の主に出会うために。

「……ひとつーにーなるぅーっ!」
 見事に歌いきって、ひゅーひゅーやんややんやと周囲から歓声を浴びる渉を、閃は半眼で見つめた。その視線に気づいているのだろう渉は、自分の隣に戻ってくるとばしばしとこちらの背中を叩いて笑う。
「なんだよ閃、見てないでお前も歌えって! これはもうある意味お前のための歓迎会みたいなもんなんだしさ!」
「もうこの学校に転入してきて一ヶ月以上経つのに歓迎会もないだろ……っていうかだな。本当に、なんでこんなに人数がいるんだ?」
 渉が言った『何人か誘う』というのはあまりに過少にすぎる言い方だ。渉が集めた人数は一クラス分を軽く越えていて、当然ながらカラオケボックス一つ分には入りきらず、いくつもの部屋に分かれて入ることになったのだ。もちろん園亞の隣はキープしてあるが、全員に自分の歌声を聞いてもらわなきゃならない、とのことでその部屋のひとつひとつを回って一曲ずつ歌わなければならず、正直かなり疲れた。
 そもそも閃は歌謡曲なんて全然知らないから歌えない、と主張したのだが、どの部屋の面々にも知らないならノリで合わせろだの勢いで歌えだの歌はソウルだだのわけのわからないことを言われ、ついつい勢いに流されて何度もろくに知らない曲をぶっつけ本番で歌わされることになったのだ。園亞とのデュエットまでやらされたことすらあり、正直閃としてはもう頼むから勘弁してくれ、という気持ちだったのだ。
「ま、それだけ閃と仲良くしたいって奴が多いってことだって。よ、にくいねこの人気者っ!」
「なにを馬鹿なことを……」
「馬鹿なことじゃないってー。草薙くんってやっぱカッコいいしさ、体育の授業とかでも活躍してるし、話してみたいって子多いんだよ?」
「まーそーいうやたら女にモテるとこはぶっちゃけムカつくけどな、プロのボディガードなのに学生とかって珍しいし、やっぱ話してみてぇなとか思うのって当然じゃね?」
「っつーか一度うちの部に体験入部しにこねぇ? 俺たちと一緒に全国大会を目指そうぜ!」
「こぉら、歓迎会だってのに部活の勧誘とかすんなってーの!」
「そーだそーだ抜け駆けすんな」
 大声で歌っている生徒をよそに、他の面々は楽しげに自分に話しかけてくるので、閃はひどくいたたまれない気持ちになりながらも話しかけてきた奴らにやっとこすっとこ返事を返す。そのほとんどが「うん……」「いや……」という一言二言の返事でしかなかったのだが、相手は楽しげに笑ってうんうんとうなずいてくれる。
 こっそり渉に「なんで俺ろくに返事返せてないのにみんな楽しそうなんだ?」と聞くと、渉は笑って「いやだってそりゃー真っ赤になりながらおずおずと『こんな答え方でいいのかな?』って感じに返事してくる美少年に悪い印象を抱く奴はあんまいないだろ」と返されてしまった。
「え……お、俺、真っ赤になってるか……?」
「うんうん、なってるなってる。なんかすんげー恥ずかしそうだっつーのが見た目からビンビン伝わってくるぜー」
「そうそう、草薙くんってこんなに可愛かったんだー、って気づいちゃったもん、あたしたちとしてもなんか……ほら、ねぇ?」
「………………」
 なんとも言い難い気分になって、閃はぷいっと視線を逸らした。これはある意味負けたことになるんじゃないか、とも思うのだが、どういう風に言い返すのが正しいのかわからないし、そもそも勝負しているのかどうかもわからないし、とにかくなんとも恥ずかしくて身の置き所がなくて真正面からクラスメイトたちの顔が見られなかったのだ。
「うっわやだもー、草薙くんってばカワイーっ!」
「うんうん、園亞の気持ちわかっちゃうわー。こりゃときめくわー。ちょっかいかけたくなっちゃうわー」
「そっ……! 園亞の気持ち、って、あのな」
「おーいいいのか四物ー、お前の彼氏が女子にちょっかいかけられてんぞー」
「かっ……!」
「うーん、ちょっと複雑だけど、閃くんがみんなと仲良くするのはいいことだと思うし、閃くんがリラックスしてるの見るのは嬉しいし……うーんでもやっぱり複雑だよー。こういう時どうすればいいんだろー、閃くん知ってる?」
「しっ……なんで俺に、っていうかその、複雑とかなんとか、そういうのをなんで、当たり前みたいに……」
「え? だって私が閃くんのこと好きなのは閃くんだって知ってるでしょ? 複雑な気持ちになるのって当たり前じゃないの?」
「なっ………」
 かぁっ、と思わず顔が熱くなるが、園亞はあくまできょとんとした顔でじっとこちらの方を見てくる。どう反応すればいいのか、どうするのが正しいのかわからなくて、目を逸らしたりおずおずと園亞の方を向いたりをくり返していると、なぜか周囲からブーイングが飛んだ。
「みんなでカラオケしてる時に彼氏彼女で見つめ合うとか場の雰囲気壊すからよくないと思いまーす!」
「思いまーす!」
「かっ、だから別に、俺たちはそういう」
「彼氏彼女じゃなかったらそれはそれで鬱陶しいよねー」
「うんうん、爆発しろって感じだよ、普通に」
「ばっ、爆発しろって、なんで」
「っていうかさー、もしかしてあんたらって二人の時もこんな風? 閃くんがこの調子じゃ進展とかカイムなんじゃないの?」
「しっ……!」
「え? なんで?」
「え、ちょ、なに!? あんたらこんな風でもちゃっかり進展とかしてんの!?」
「なにそれずりぃありえんマジ爆発しろ!」
「その進展というのはいつ! どのように行われたものなのでしょうかっ、彼女の四物さん!」
「…………っ! 園亞、ちょっと!」
 ぐいっと園亞を引っ張って、つかつかと部屋を出て行く。「え、わ、わー」などと慌てたように言っている園亞には申し訳ないとは思うが、正直この部屋でずっと肴にされ続けるのは耐えられなかった。
 背後からかけられるひゅーひゅーというはやし立てる声にぐっと奥歯を噛みしめつつも、フロアの隅までやってきて、深々と息をついて園亞に向き直る。
「ごめん、園亞。強引に連れ出したりして……? どうしたんだ、園亞。なにか妙なことでも?」
「え、わ、ううん、別にっ? えへへ、単にちょっと、その、どきどき、しただけ」
「? ドキドキ……、っ! ごめん、いきなり失礼なことをっ」
 部屋からずっと園亞の手を握っていたことに気づき、すっ飛ぶように慌ててもぎ離す。園亞は「あ、いいよー、そんなの」と笑ってくれたが、閃の方は少しもよくない。
 だって自分は園亞のヒロインになってもいいか、という問いに否と答えた人間だ。正義のヒーローになるために人生を捧げると誓った身だ。そんな奴が女の子に、自分に、その、好意らしきものを抱いてくれているのだろう女の子に、接触したり好意を示したりするのは、あまりに不誠実だと思うのだ。
 だが園亞のボディガードをやっている関係上、どうしたってある程度接触しなければならないというのがまた厄介なのだが、とにかく一度深呼吸をして雑念を頭から振り払って園亞に向き直る。クラスメイトから逃げたかったというのが部屋から出てきた一番の理由ではあるのだが、園亞に聞きたいことがあったのも確かなのだ。
「園亞……ちょっと、聞いてもいいか?」
「うん。なに?」
「俺たちにピアノを聞かせてきた、あの……八幡、だっけ? あの子のことなんだけど」
「……うん。八幡さんが?」
「園亞は、彼女の弾いたピアノを聞いてどう思ったんだ?」
 ちょっと困った顔をしていた園亞は、閃の問いにきょとんとした顔になった。
「え? うまいな、とか、きれいだな、とか思ったけど。……閃くんはそう思わなかったんだよね?」
「……俺は音楽には詳しくないって言っただろ。きれいな音だっていう感じはしたけど、音楽としてどうかなんて俺にはわからないよ。俺はただ、彼女からは自信が感じられないって思っただけだ」
「え、自信?」
「ああ。どんな技術でも、自分で満足がいくまで修練をくり返した者からは、それなりの自信が感じられるものだ。自分にはできる、やれる、っていう地に足の着いた自信。それが彼女からは感じられなかった。そういう技は、どんな分野のものでも、ふわふわと頼りなくて芯が通っていない。俺は彼女のピアノを聞いてそう思った」
「ふわー……すごいね、閃くん。私、そんなの全然わからなかったよ」
「……一応、自分なりに自信が持てるまで毎日刀を振り回してるからな。だから、っていうわけでもないんだけど……」
「けど?」
「渉が、彼女は受験ノイローゼだ、って言ってただろう」
「うん。言ってたね」
「そういう相手に……ああいう風に、真正面から自分の技の未熟さを指摘するのは、相手を無駄に苦しめることになる、っていうのはわかるんだ」
「え、そうなの?」
「ああ……経験上。自分の技に自信が持てなくて、自分がどこにも進めないような気分になってる時に、ああいう風に自分でもわかっていることを言われたら、暴発してたんじゃないかと思う。悪いことをしたな、とは思うんだけど……どうすればいいのか、正直わからなくて」
 眉を寄せて小さくため息をつく。一ヶ月の学園生活でそれなりに慣れてきてはいるが、やはり今でも普通の$l生を送っている普通の£学生というのは、閃にしてみれば異世界人めいた隔絶感がある。どう言えばちゃんとこちらの考えていることが伝わるのか、どうすれば相手を傷つけずにすむのか。非常事態ならばともかく、こういった日常生活で問題なく交流を行うというのは、どうにも苦手意識がある。
「……閃くんは、八幡さんを、助けたいの?」
「ああ……そうだな。そう、なるんだろうな」
 義務感、というのとは少し違う。人類愛のような感情ともまったく関係がない。ただ、閃は、本当に困っている相手を助けないというのは、自分の進むべき道から逸れているという気がして、どうにもいてもたってもいられない気分になってしまうのだ。この困っている人を助けて、元通りちゃんと自分の力で歩けるようにしなければ、自分という存在が間違っていると言われたような気になってしまう。
 そして、閃は負けるのが大嫌いで、一度決めたことを貫き通せないというのはそれこそ人生でも最大級の負けだと感じているのだ。
 園亞は閃のその言葉を聞いてしばらく難しい顔で考え込んでいたが、うん、と意を決した表情でうなずいた。
「そうだよね。閃くんはそういう人だもんね。わかった、私もめいっぱい頑張って手伝う!」
「え!? 手伝う、って……いや、別に俺はあの子を助けるって決めたわけじゃ」
「え? 助けないの?」
「いや……その。助けない、というか……できることを、したいって、思うだけで………」
「それって、八幡さんを助けるために、いっぱい頑張るってことだよね?」
「う……それは、その。そう、だけど……」
 我ながら男らしくないと思う(だが護衛対象として現在最優先に護るべき相手である園亞に、自分の個人的な感情で他の人間を助ける、と言い切るのはさすがに問題がある)発言に、園亞はなぜか、にこっと笑った。
「だったら、私も一緒に頑張らせてよ。閃くんが頑張るのと一緒に、私も頑張りたいもん」
「いや、だけど、それは」
「閃くんは正義のヒーローになるんでしょ? だったら、閃くんが他の女の子助けたからって嫉妬してる暇なんてないもん。閃くんと一緒に人助けする正義のヒロインになるんだったら、一緒に頑張って人助けしないと」
「っ………! っの、それは、だなっ………!」
『正義のヒロインなんてものに園亞がなる必要はない』とも『迷惑だ』とも『俺の力になろうと思うならどうかなにもせずに平穏な人生を送ってくれ』とも、口にすることはできなかった。それが正しいのはわかっているのに――いや、違う。正しくはない。園亞は自分の意志で、自分がこれからどう生きるかを決めたのだ。園亞の意志も、覚悟も、一緒に行動して何度も助けられて、よくわかっている。他人がどうこう言える問題ではない。
 ただ、その意志のきっかけになったのが、自分への好意だろう、という事実が。自分を好きになったから、園亞は正義のヒロインになろうと思ったのだろう、という想いが、どうしても閃を混乱させ、困惑させ、おどおどと逃げ惑いたくさせ、どう反応すればいいかわからなくて腰を据わらなくさせ、照れくさくてしょうがなくて、まともに園亞の顔を見れなくさせるのだ。
 しかも、嫉妬とか。そういう風な気持ちを表されると、園亞の気持ちが、少なくとも大部分は疑いようもなく恋愛感情だということを突きつけられ、ますますもってどうすればいいかわからなくなる。
 口をぱくぱくさせていると、園亞はにこにこっと、いつもと同じ明るく朗らかに笑って言う。
「大丈夫だよ、閃くん。二人一緒だったら、ぜったいなんとかなるから!」
「………………」
 ますますもってどう返せばいいかわからなくて、閃は固まって、じっと園亞を見ることしかできなかった。

「………どうすりゃいいんだろうなぁ………」
「なにが」
 ベッドに突っ伏しながら言うと、床に寝転がっていた煌が、ごくあっさりとした調子で返す。
「だから……園亞だよ。なんていうか……このままじゃ、なんていうか……まずいだろ?」
「どこが」
「だって……駄目だろ、このままじゃ。園亞の気持ちに……その、なんていうか……ちゃんと向き合わないままなし崩しになってるようじゃ、あの子に申し訳なさすぎるよ、いくらなんでも」
「ふぅん?」
 こちらを向いてにやりと笑ってみせる煌に、閃はむぐ、とわずかに言葉に詰まる。……煌が言いたいことは、たぶんわかってはいた。
「そりゃ……俺は、もう、園亞の、ヒロインになりたいっていう要望を断ってるわけだから……それで終わりっていえば、そうなんだろう、けどさ……」
「気持ち的に、もう断ったから、ってきっぱり割り切ることができなくなってきた、と」
「っ! そういうわけじゃ!」
「ほほお。じゃあ一応割り切ることはできるにしろ、それがどうにも気が進まなくなってきた、とかか? ま、どっちにしろ、お前が園亞につれなくしたくなくなってきた、ってことなんだろうが」
「ぐ……それは、その。そうだけど……」
 心底渋々ながらも、閃はうなずいた。ほとんど生まれた時から一緒にいた相手だ、どうごまかそうと自分がどんなことを考えているかくらい知られていることはわかっていた。
「そのくせしぶとくあの子を巻き込んじゃいけない、だの自分と関わりのないところで幸せになってほしい、だの考えて、なんとか園亞から逃げ出せないかって考えてるけど、今は護衛の仕事請けてるから一緒にいなけりゃならん、ってんで悶々としてるんだろ?」
「悶々とか言うな! そりゃ……うじうじ考えてばっかりで、男らしくない、とは思うけどさ……」
「いや考えてるわけじゃねぇだろ。単に悶々としてるだけだろ、童貞らしく」
「だ、だから童貞とかそういうこと言うなってばっ! っていうか、中学生なのに非童貞だったりしたらそっちの方が問題だろ、条例違反なんだから!」
「童貞なんざさっさと捨てとくにこしたことはねぇっての。ま、素直に言いたいことも言えず悶々としてるお前はお前で嫌いじゃねぇから、いいんだけどよ、俺は」
「なにがいいんだよ……っていうかな! 俺は」
「要するに、お前が悶々としてんのは単にお前の気持ちの問題だからだろ? 実際の行動をどうするかじゃなくて。それはもう決まってんだから。単にお前の中で園亞をどう扱うか決められなくて、据わりが悪くて落ち着かないだけだろ?」
「………うう。そう、だけどさ……」
「ま、俺としてはそんなもんどっちでもいいからな。園亞を自分の女にしちまっても、護衛の仕事ぶっちぎってここおん出て白蛇の連中皆殺しにする方向で解決しても、どっちでも全然問題ないし」
「だっ、だから女とかそういうこと言うなってのにっ。俺は絶対、絶対、そういう、その、ふしだらなことなんてしないからなっ」
 煌は床に寝転がったまま、くっくっと笑い声を立てる。その顔から心底面白がっているのが知れて、閃は顔を熱くしながらも唇を尖らせた。
「なんだよ。煌、これまでは俺に女の子が近づいてきたらすぐ威嚇してたくせに……」
「そりゃ、お前の方が女にびくついてたからな。俺としてもつまらん女にお前が寝取られるなんぞごめんだし。けど、前にも言ったと思うが、お前と一緒に戦えるだけの力があって、一緒に強くなろうって向上心があって、お前のことが一途に好きな女なんだぞ、あいつぁ。で、お前の方もまんざらでもないとくりゃ、俺の方も素直にあいつを認めるのが筋だろうが? 俺個人としても、あいつはま、嫌いじゃねぇしな」
「うー………」
 またごろん、とベッドの上に転がって、枕にぐりぐりと顔を押しつける。なんというか、本当になんともしようがない気分だった。
「まー好きなだけ悶々としてろや。こんなもん、いつまでに決めなきゃなんねぇってほど大した問題じゃねぇし。性欲と理性と羞恥心やらなんやらで悶々としてる肉は、なかなかいい味だしな」
「お前いっつもそれだよな……、?」
 ばっ、と閃は体を起こして耳を澄ませる。今、窓が開く音が聞こえた気がした。
 もちろん今は初夏だから夜に窓を開けてもおかしなことはまったくない、だが今の音は園亞の部屋から聞こえた。園亞は普段いつも窓を開けっぱなしにしている。自分が園亞の部屋を出た時もそうだった。なのに、わざわざ窓を開ける音がした、ということは。
 枕元の刀を手にしてベッドから飛び降り、園亞の部屋へと駆ける。煌も自分の隣に立って、周囲の危険を確認しながらついてきた。
 素早く数度ノックをし、返事がないのを確認する。
「園亞、ごめん。開けるぞ」
 早口で確認を取ってから、扉を開けて中に入る。園亞の部屋は一個人が使う部屋とは思えないほど広いのだが、普段園亞は寝室に使っている一角で生活している。だがそこにも、周囲のどこを見渡しても彼女の姿はない。
 心臓が冷たい手でつかまれたように震えるのを自覚しながら、閃は素早く室内の探索に取りかかった。争った形跡はない、まだベッドの上には体温が残っている。園亞がさっきまでここにいたという証拠だ。そして、寝室そばの窓が大きく開かれており、その縁に、土の上を歩いていたらしきかすかな汚れがついていた。
「………これ、って」
「こっから侵入した、ってこったろうな。……クソ、なんで気づかなかったんだ。っつーか、この俺がここまで近くに寄られて気づかないなんぞ……いや、これは、そういう妖力の持ち主ってことか? 侵入に……いや、普通の侵入に限定される程度だったらまず気づくか、それ以上の……この条件の部屋に侵入することに特化した妖力ってことか……」
 ぶつぶつとひとりごちている煌をよそに、閃はぐ、と奥歯を噛みしめながら窓の外を見る。おそらくはこの窓から出て行ってさして時間は経っていない、しかもこの部屋は二階にある、それだけ移動には時間を食うはずだから追えるはずだ、と思った――のだが。
「普通に追っても無理そうだぜ」
「……まさか、門=H」
「さもなきゃ飛べる奴がいたか、だな。まぁ、まだ真夜中ってわけじゃねぇんだ、普通に考えれば門≠セろうけどよ」
 閃はぐ、と奥歯を噛み締める。門から門へと高速転移する妖力や、空を飛ぶ妖力を持っている奴がいるとなると、普通に痕跡を追うやり方では見つけることさえできない。このままでは、このままでは、園亞が。絶対に護ると約束した相手が、本当に――
 と、ふいに、にゃぁん、というか細い鳴き声が聞こえた。
「! ……ツリン、か」
 四物家の飼い猫である小さな猫だ。園亞に特に懐いているせいもあり、園亞の部屋の扉には猫用の出入り口もついているから、今この部屋に入ってきてもなんの不思議もない、のだが。
 ツリンはもう一度にゃぁん、と小さく鳴くと、ひょいと園亞の机の上に飛び上がった。そしてそこでまるで置物のように座り込み、じっとこちらを見つめてくる。
「………なんだ? はっきり言うけど、今お前をかまっている時間は……」
 が、閃がそう言い終わる前に煌は机を調べ出した。次々引き出しを開け、ほとんどひっくり返すようにして中を探る。
「ちょ、煌? なにを」
「……あったぜ。クソどもが、こんなもん用意すんならもうちっとわかりやすい場所に置いとけってんだ」
「! それは」
 煌が取り出したのは一通の手紙、らしきものだった。開いて一読してから、放り出すようにして自分に渡す。
「………これは」
『草薙閃へ。今夜十二時、四物学園屋上まで一人でやってこい。やってこなければ四物園亞の命はない』
「脅迫状、ってやつだろうよ。今時手書きたぁアナクロだが……筆跡を特定するような余裕を与えるつもりはない、って意図の現れでもあるんだろうな。ま、この状況で素性の特定ができたところで大して意味はねぇけどよ」
「…………」
 閃はすぅ、と小さく息を吸い込んで、煌に向き直った。
「煌」
「断る……と、言いてぇとこではあるんだがな」
 肩をすくめる煌に、決死の思いを込めて言う。実際、これは、自分のみならず煌にとっても危険な賭けなのだ。
「まず、園亞の身柄を押さえているのが本当にこいつらなのか、ってところから調べなくちゃならないんだ。少なくとも最初は、相手の言うことを聞いたふりをするべきだと思う」
「で? 俺はお前から離れるとろくに力が使えねぇどころか命すら危うくなるんだが、それでも離れて待ってろ、って?」
「少なくとも最初は、絶対に見えないところにいるべきだって、思う」
「見えないところ、ねぇ……俺を体の中に入れといても、わかる奴にはわかる、ってのは覚えてんだよな?」
「……ああ」
 煌は線の体の中に隠れることができる。が、それは外から感知できないということではない。妖怪としての特殊な感知能力を持つ連中の中には、感知できる連中が何人もいる。だから一人で来いと言われた以上、自分の体の中に隠れていくことはできない――が、だ。
「だけど、煌の力は妖怪としてのものだけじゃないだろ」
「……ふん?」
「戦闘技術も、戦術眼も、俺は一度も煌に勝てたことない。たとえ力の大半を封じられた状態でも、そこらへんの妖怪相手なら真正面から戦っても勝てるはずだって、思う」
「………で?」
「だから……」
 閃は小さく息を吸い込んでから、告げた。この台詞が相手にどれだけ迷惑をかけるのか、しなくてもいい苦労を強要することになるか、冒さなくてもいい命の危険を冒すことになるか、承知しながら。
「だから、煌。いざという時が来たら、俺をどうか、助けに来てほしいんだ」
 そう言って深々と頭を下げる。そしてそのまま動きを止め、煌の返事を待った。
 これがどんなに傲慢な台詞か、閃はよくわかっているつもりだった。煌に自分はもうこれ以上はないというほどに世話になっている。ほとんど生まれた時からずっと、自分を、のみならず自分の周りの人々までも護ってきてくれたのだ。
 そして、煌がどれほど強い力を持っていようと、負ける時には負ける。似たような実例を何度も見てきているのだ、そのくらいのことは自分にもわかる。そして、この場合、負けることは命を失うこととほぼ同義だ。たとえ妖怪が死してもいずれ蘇る命を持っていようと、死は大きく力を減衰させる事象には違いないし、下手をすれば二度と復活できない消滅に陥る危険性もある。
 それをあえて行え、と自分は言っているのだ。これまでずっと世話になってきて、これからも世話になりっぱなしだろう相手に。
 本当に自分は何様だ、と言いながら自分で思うような言葉ではある――が。
 それでも。もし自分が煌だったら。自分を『生贄兼食料兼相棒』と扱ってきてくれた、無二の相手だったならば。こんな、相手が『頼むから誰かに助けてほしい』と思っている時に、なりふりかまわず『助けてくれ』と言われないのは、それこそ侮辱ではないか、と――
「俺はぶっちゃけ、園亞をそこまで助けたいと思ってるわけじゃねぇ」
「……うん」
「それなりに気に入っちゃいるが、それとお前の命のどっちかっつわれたら、天秤にかけるまでもなくお前の方が重い。お前の命はほぼ俺の命でもあるわけだからな、当然っちゃ当然だが」
「うん、わかってる……」
「よし。それがわかってんなら、後は好きにやれ」
 ぱぁん、と軽く尻を叩かれて、閃は小さくたたらを踏んだ。
「………煌」
「なんだ、その顔? お前だってわかってんだろうが。お前は、俺のなんだ?」
「……生贄兼、食料兼、相棒、だよな」
「おうよ。だからお前がどうしてもやりてぇことがあるってんなら、助けるなんぞ当たり前だろが。……ま、その分の報酬はもらうけどな」
「う……食事の時間延長、か?」
「っつーか今度の休日朝から晩までずーっとお前のこと喰わせろ」
「……ひへぇっ!? な、ちょ、んな、だって、園亞の護衛……」
「雇い主に休日申請しろ。もう一ヶ月以上ずっと休みなしで働いてんだ、休日くらいもらってもいいだろ。マジで命懸けて戦うんだ、そんくらいの報酬なきゃやる気出ねぇと思わねぇか?」
「う……うう……ううぅうぅう………」
 閃はがっくりと膝をついた。そんな場合ではないとわかってはいるが、できるなら次の休日が来なければいいのに、なんぞと無体なことを考えずにはいられず、この状況でもそんなことを考えてしまう自分がどうにも情けなかったのだ。

「――来たぞ。白蛇=v
 四物学園屋上、闇の中で蠢く気配に向けて、閃はそう言い放った。腰の刀に手をかけて、いつでも抜ける状態で。
『くくっ……本当に火神連れていやがらねぇ。笑えるぜ、こいつたかだか人間の女のために命捨てる気でいやがる』
『そういう奴だから人質がよぉく効くんだよなぁ……毎度毎度ひっかかってくれてごくろうさんなこったなぁ、ケケッ』
 闇の中から返ってくる嘲りの声に、自分の言葉を否定するものがなかったことに、知らず小さく息を吐く。
「やっぱり白蛇≠ゥ。園亞を誘拐するついでに、俺を手に入れようと色気を出したわけか」
『カカカッ、色気? その程度のものであるものか。我らの構成員を何体も倒した貴様らを、このまま放っておいては我々の面子は丸潰れよ! なんとしても貴様を喰らい、力を得て旧き火神≠討つ! そのためにこんな協力者を捕まえてきたのだからなァ!』
「協力者……?」
 小さく眉をひそめる――が、次の瞬間閃は愕然と目を見開いてしまった。闇の中からこつ、こつと足音を立ててこちらに歩いてきたのは、今日少し話して怒らせてしまった少女――八幡だったからだ。
「……っ、お前ら、これは……っ」
『クククッ、貴様には本当に人質がよく効くとみえる。この女は貴様のことを心底恨んでおったからなァ、術の効きもよかったと高女は喜んでおったわ!』
「高女……?」
『知らぬか、賞金稼ぎ。それだけ妖怪に無知でよく妖怪と対峙できるものよ』
『高女ってなァ鳥山石燕の『画図百鬼夜行』にもある下半身を長く伸ばした女の妖怪よ。嫉妬に狂った女が女郎屋の二階をのぞいて女を驚かすだのなんだの言われてるが、要は『二階に入る』妖力と『女の嫉妬を力と化す』妖力を持ってると考えときゃあいい』
『そして、お前らをずっと監視してた俺たちは、今日その女を見つけた。お前への嫉妬に狂いかけているその女を、な』
『だから高女は、その女の中に入り込んだ。憎いお前を殺せるなら、どうなってもいいと思ってるその女から力を得て、お前たちの根城に侵入するためにな!』
『さァどうするよ賞金稼ぎ、その女を殺せるもんなら殺してみやがれェ!』
 ぐ、と閃は奥歯を噛む。あれだけの会話で、そこまで自分を恨んだのかと思うと、もう少しまともに話すことができていたならと悔やむ気持ちがある。同時に、なんでそこまでと訝る気持ちもある。
 だが、どちらにせよ、こうして戦いの場に出てきた以上、自分のできることはひとつ。すっと刀を抜き、正眼に構えた。
『へェ!? 笑わせてくれんなァ、人間を助けるだなんだと言っといてこうもあっさり殺す気になるか!』
『しょせんその程度の小物だということか、くくく、よくまぁそれでこちらのことをああだこうだと言えたものだ』
 闇の中から自分を野次る声が聞こえる。だが、そんなものは閃にははっきり言ってどうでもよかった。
 自分にできることは、刀を振るうことだけ。自分の想いを伝えられる一番いい方法は、こうして刀を交わすことなのだから。
『―――ぃィッ!!』
 明らかに人間離れした速度で八幡が突っ込んでくる。中に入り込んだということは、おそらくは憑依の妖術の類だろう。どうやら高女とやらは、憑依した相手の嫉妬の感情をエネルギー源に憑依対象の力を増すことができるらしい。
 だが、それでも、煌には遠く及ばない。
「―――ッ!」
 全力で振るった刀を、八幡は避けそこねた。脳に閃の刀が入るぎりぎりに、びゅおんっと人間外の速度で腕が飛んできて受け止めようとするのを、素早く退いて回避する。
『――本当に、殺そうとしたわね』
「戦いの場に出てきた以上、それは覚悟しなきゃいけないことだろう」
 半ば高女、半ば八幡の心情だろう、二重になった声が八幡の口から漏れる。それに閃は気迫を込めて睨みつけながらの言葉で答えた。
『あんたは、そんなに、あたしが憎いの。生かしておけないほど憎いというの』
「同じことの繰り返しになるが、戦いの場に出てきた以上それは覚悟しなきゃいけないことだ」
『なによ。なによなによなによなによ。あたしは悪くない。あたしは間違ってない。あたしはおかしなことなんてしてない! なんでそんなに責められなきゃいけないの、なんでそんなにひどいことされなきゃいけないの、なんでなんでなんでなんで! なんであたしを助けてくれないの、なんであたしを甘やかしてくれないの、なんであたしにもっと優しくしてくれないのよ!!』
 絶叫と共に八幡の腕が閃き、鋭く伸びた爪で閃の喉を狙ってくる。それを刀で受けようとすると、さっと腕を引いて憎悪の視線を投げかけてくる。その視線には、心底からの怒りと、憎しみが感じられた。――それも当然だろう、ある意味、そのために閃は八幡を打ち倒そうとしているのだから。
「その相手になにもしていないのに優しくしてくれるなんて相手は親だけだ。さもなければ下心があるかだ。本当になんの下心もなく優しくしてくれる他人なんて、この世にはいない」
『うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさい! あたしはこんなに頑張ってるのに、毎日毎日必死に耐えてるのに、なんで、なんでよ!? あたしはもっと優しくされて、甘やかされて、幸せになっていいはずでしょ!?』
「周囲に幸せになることを許される人間なんてそんなにほいほい存在しているわけがない。たいていの人間は努力している人間には妬みを、努力しない人間には蔑みを、自分より幸せな人間にはなんとかして引きずりおろしてやりたいという憎悪を、自分より不幸な人間には歪んだ優越感をもって接するのが普通だ。あんたがどんなに苦しんでいたって、他の人間にはまったくもってどうでもいいことでしかない」
『うるさい、黙れ、死ね、死んでしまえ!』
 襲いくる爪を刀で威嚇し、退かせる。死角に潜り込もうとする八幡と常に真正面から向き合いながら言葉をぶつけ合う。歪んだ形相の八幡の心の中に斬り込める言葉を必死に探しながら、明らかに人間のものではない爪を相手を傷つけないように防ぐ。やっかいな仕事だ――だが、できないことではないし、自分にこの状況で無理だと泣き言を言う権利なんぞかけらもない。
「――それを、あんたはわかっているはずだ」
『――――』
 言葉をかけた瞬間、八幡の動きが一瞬だけ止まる。今だ、と見切り、ここを先途と畳みかけた。
「あんたはわかっているはずだ。誰かの前で、聞いてもらおうと必死になってピアノを弾いたあんたなら。不安なのに、誰かに聞いて評価してもらいたいと思うほど必死に練習を積み重ねてきたあんたなら」
『……あんた、あたしの、ピアノ、練習不足だって、言った、くせに』
「言った。実際に練習不足だと思ったからな。……だけど、あんたが必死に練習してきたことくらい、言われないでもわかるさ」
『……なん、で』
「聞けばわかる。人に聞かせられるだけの音を目指して必死に地道な訓練を積み重ねてきたんだってことくらいはな。――だから、あんたにはこんなところで、そんな妖怪に憑りつかれてる暇はないはずだろう。あんたはまだまだ成長できるんだ、完成までにはまだまだ間があるんだ、自分にできるありったけをぶつけたと心の底から言うためには、まだまだできることがいっぱいあるんだから」
『そん、なの。あたし、いらない。あたしは、ただ。褒めてほしくて、評価してほしくて、みんなにちやほやしてほしくって――』
「……あんたがどんな性格をしてるのか、会って間もない俺は知らない。だけど、あんたがそれだけで満足できる性格だとは思えない。だってそうじゃなけりゃ、あそこまで頑張って日々の練習を積み重ねられるわけがない。褒められたいっていうなら、あんたはたぶん、誰よりも、自分で自分を褒めたいと思ってるはずだ。自分で自分のことを、よくやったと心の底から評価したくて毎日練習してきたはずだ。裏技を使って評価されるのでも、周囲をごまかして騙してみんなにちやほやされるのでも、絶対にあんたは満足できない。自分のありったけの力を注ぎ込んで、それをみんなに褒めて、評価されたいと思ってるはずだ」
『……っけど! あたしは、もう疲れた! もう頑張れない! もう、あたしには、少しの余力も』
「そんな奴が、俺にあんな顔で気持ちぶつけてくるわけないだろ。あんたの中には、まだ力がある。ぶつけどころを探してるエネルギーがある。あんたはそれをぶつけるところを知ってるし、全力で力をぶつけて褒められた時の喜びも知ってるはずだ」
『でも……!』
 ずい、と一歩近づいて、間近から顔を見つめ、告げる。
「もし、それでも、一人で頑張るのが辛くなったら。俺が、何度でも、『お前は頑張っている』って教えてやるから」
『ぁ―――ぁあ………』
 八幡はくたり、とその場に倒れ込み――その口から、歪んだ影のようなものが飛び出ていくのが見えた。八幡自身の意志で、妖術を打ち破ったのだろう――憑りついた相手に妖力を与えるほど強力な術なら、術の根本――対象の魂を縛る力そのものはさほど強くないと踏んだのだが、やはり正解だったようだ。八幡の抱えているストレスをなんとかするために、あらかじめ台詞を考えていたのが(もちろん考えていた時は正気の八幡に言うつもりだったのだが)功を奏した。
 とにかく、八幡を解放することはできた、と思わず息をつく――や、ずばっ、と閃の背中を鋭い爪が斬り裂いた。
「っ……!」
『クククッ……お見事お見事、力業で憑依の妖術を打ち破るたぁ、高女の術が大した力持っちゃいねぇとはいえよく頑張った。なぁ?』
『ケケッ……だが、これで終わりだなんぞと勘違いしてねェだろうなァ? 高女の役目はあくまで四物財閥の娘を屋敷からさらうこと、その他は単に余興でしかねェんだよ』
 ぐ、と奥歯を噛みしめて激痛に耐える。血が噴き出しているが、背骨は傷ついていない、致命的な損傷にはほど遠い。
 そしてもちろん、そんなたわけた勘違いなどしているはずもない。実を言うとさっきの瞬間攻撃されることはある程度予測していたのだが防げなかった。自分の実力がまだまだ不足していることを、こういう時には特に強く実感させられる。
『そもそも、お前にはこちらに逆らう権利なんぞないことを教えてやる。――見てみろ!』
「っ………、園亞」
 闇の中から、体を乱暴に縄で柱に縛りつけられた園亞が浮かび上がる。園亞の運動神経では飛び降りたら怪我をするような高さに柱を持ち上げているのだ。
『さァて、お利口なお前さんなら、お前がちっとでも逆らったらこの娘の命はないってことくれェわかるよなァ?』
「……逆らわなかったところで、お前たちは園亞を殺すつもりだろう」
『いいや? この娘は俺たちの上から『できれば』誘拐するよう命令されてるだけさ。お前を――百夜妖玉を『できれば』人間を人質にして殺せ、っつわれてるのと同じようにな?』
『四物財閥との取引材料として使うつもりらしい、だのなんだの噂は聞いてるが、とにかくあまり傷つけるな、とは命令されてる。だから、なァ? わかるだろォ? お前がこっちの言うことをきちんと聞いていれば、このお嬢ちゃんは無事に生きて親のところに戻れるかもしれねェわけだ?』
『だが、あんまりオイタするなら……やっちまうかもしれねェなァ? こいつをどうしても生かしとかなけりゃならねェ理由もねェわけだし?』
『さァて……どうするよ、賞金稼ぎさんよォ?』
 闇の中から声が少しずつ近づいてくる。閃は思わず唇を噛んだ。こいつらの目的は、一番対処がしにくいところにある上、こいつら自身の性根がチンピラ同様なので交渉もしにくい。本来なら上の方は園亞に生きていてほしかったとしても、その場の勢いで殺してしまう可能性もある。そんな危険を冒すわけにはいかない――が、このままやられてしまうわけにもいかない。
 自分にはこんなところで死ぬことは許されていない。しかも、園亞は今誘拐されようとしているのだ、それを放置して死ぬなど責任放棄もはなはだしい。
 だが、自分が今襲いくる妖怪に実力でもって対処して、それを自分たちの力では打ち負かせないと考えれば、妖怪たちは即座に園亞の命を人質に取るだろう。その時、自分は、相手にどう答えるのか。答えればいいのか。
 こういう時、自分はこれまでいつも、煌の圧倒的な実力に頼ってきた。だが今煌は自分のそばを離れている。同じ場所で時を重ねればいつかは来るだろうと思っていた危機が、実際に訪れている。ここに来るまでに自分なりに見つけた見張り等の場所はもちろん(携帯で)煌に知らせているが、それでも自分から離れた煌はその圧倒的な妖力を駆使できないのだ。できるだけ急いで、かつ見つからないように自分を追ってきてくれていると思うが――今はまだ、ここにたどりついてはいない。
 どうする。どうする。どうすれば。焦燥感に満たされていく心を少しでも落ち着けようと深呼吸をくりかえしながら、園亞の方を見やる。
 ――と。園亞がきっ! と、頑張ってなにかを伝えようとしています! と書いてある顔でこちらを見ているのと目が合った。
 え、と一瞬困惑する。なにかを伝えようとしているのはわかるのだが、なにを伝えたいのかがさっぱりわからない。自分たちはアイコンタクトで瞬時に理解しあえるほど長年一緒にいたわけではないのだ。というか、そもそも、園亞はなぜ、そんなに意識がはっきりしているのなら――
 と思った瞬間、園亞の姿がふっと消えた。
 そして次の瞬間自分の後ろに姿を表す。にこにこっ、と笑いかけてくる顔を見て、もしかしてさっきのアイコンタクトは今から瞬間移動するよ、という証だったのかと気づく――が、そう思うのと同時にこの状況はそんなのんきなことを言っている場合ではないことにも気づいた。
『なっ……な……きさっ……殺せぇぇぇぇぇ!』
 叫び声が響く直前に、全力で急いで倒れ込んでいる八幡を担ぎ、もう片方の手で園亞の手を引いて走り出す。幸い妖怪たちが攻撃妖術をぶつけてくる直前に屋上の扉を閉めて校舎に逃げ込むことができた。だが当然安堵している暇はない、八幡を担いだまま園亞に「ついてきてくれ!」と叫び、全速力で(八幡を担いだままなので当然速度は下がったが、幸い八幡の体重はごく軽く、結果的に園亞の走る速度とそう変わらなかった)階段を駆け下りていく。
「閃くんっ、大丈夫!?」
「は!? なにが!」
「さっき斬られてたとこ! 私、治そうか!?」
「それはあとでいい! 今は距離を稼いで……というか、煌を探さないと! できれば八幡さんを見つからないところへ運びたいけど……たぶんそんな余裕はないし……!」
 そんなことを駆け下りつつ喋っている間にも、妖怪たちは迫ってきている。『待ちやがれェ!』などと叫んで放たれた攻撃妖術が、さっきまで自分のいた場所の床を焼いた。
「園亞の方こそ大丈夫なのか! なにか妙なことはされなかったか!?」
「え、うん、えっと、たぶん大丈夫! なんかね、私、窓から八幡さんが入ってきたから、これはおかしいなんとかしなきゃ、って後を追ったらふわっておかしな場所に連れ込まれちゃって、そこでなんか突然眠くなって、気がついたら縛られてたの! でも私のこと見張ってる妖怪たちは気づいてないみたいだったから、これはいざという時まで眠ったふりしとくとこだなって思って、閃くんと目が合ったのにタイミング合わせて瞬間移動の魔法使ったんだ!」
「……眠く……?」
 つまり、誘眠の術を使われたということだろうか。確かにあれは普通わずか数分で目が覚めてしまう術だが、さっきの妖怪たちの反応からすると園亞が起きていたのは完全に予想外だったはず。誘眠の術をかけただけでそう思い込むのはあまりに片手落ちな気が――などと考えて、いや今はそんなことを考えてる暇はない、と首を振った。
 閃と園亞は必死に階段を駆け下りる。校舎のこの部分は確か四階建てだったはず。それから右に向かえば昇降口が――いや、左か? どっちだった!? うわ、まずい、しまった、自分の方向音痴がこんな時に足を引っ張ろうとは……!
 などと歯噛みしながらも閃たちは一階まで無事降りることができた。だが後ろからはどんどんと妖怪たちの叫び声が迫っている。右か、左か、と一瞬迷う――その隙に、ぶわり、と目の前の空間が歪んで新手の妖怪が顔を出した。
「っ……園亞、下がっててくれ、できるだけ早く片付け……え」
「早く! 閃くん、こっちだよ!」
 と思ったら新手の妖怪はぱったりとその場に倒れて寝息を立てだす。閃は数瞬園亞について走りながら呆然としてしまったが、すぐに思い出した。
「そうか……園亞の、呪文」
「うんっ! 距離があんまり離れてないからたぶん効くと思った通りっ!」
 にっこー、と満面の笑顔になる園亞に、閃は内心うぐぅ、と唸っていた。なんというか、もしかして、園亞の呪文というのは、自分が刀を振るうよりもよほど強力なのではないか……? もちろん園亞が自身の身を護れる力を身に着けているのはけっこうなことには違いないのだが、呪文を唱える様子も見せずちらっと相手を見た次の瞬間には眠っている、なんてところを見ると、なんだか園亞を守る必要ってないんじゃないかというか、もしかして自分が守られる側なんじゃないかというか、そういうことを考えたらなんとなく妙に気抜けが………
 いや今はそんなことを言っている場合ではない! と首を振り、園亞の後ろをいつでも庇えるように身構えながら走る―――が。
「……行き止まり」
「え!? あれっ、嘘っ!? 昇降口ってこっちの通路じゃなかったっけ!?」
 方向音痴の自分に負けず劣らず、園亞も校内ではよく迷う。それはもちろんこの四物学園の敷地が広く構造が複雑なせいもあるのだが、それ以上に園亞が粗忽、かつ一分前にあったことも忘れるような健忘能力を誇っているせいだ。
 それを忘れていた自分に心底腹立ちを覚えながらも、閃は八幡を床に下ろした。それからすらり、と鞘に収めていた刀を抜く。
「え、あの、閃くん……?」
「園亞。八幡さんと自分を、この校舎の外に運べるか」
「え、え!? あ、あの、えっと……わ、わかんない、私以外の人間を転移させるって、やったことないから……!」
「……そうか」
 深く息をついて、できるだけ園亞を庇えるように前に立つ。――そのすぐ後に、妖怪たちは現れた。
『シュルルルルゥ……手間をかけさせてくれるなァ……』
『こりゃあ念入りに、できる限り苦しめて殺さなけりゃ割に合わねェよなァ……』
『女を護ってるつもりかァ? 心配すんな、お前を思う存分痛めつけた後、お前の目の前で殺してやるからなァ……』
 蛇人、鬼、河童、影人。おそらくは前衛と後衛がきっちり分かれているチーム編成なのだろう。厄介なことに。
 蛇の姿を持つ妖怪は精神操作系の妖術を持っていることが多いし、影の姿を持つ妖怪の多くは捕獲系を主な攻撃手段にしている。そうして動きを封じられたところを鬼の剛腕や河童の水撃で攻撃されてはひとたまりもない。
 どうする。どうすれば園亞たちを安全に逃がせる。必死に頭を回転させて、考える――
『まさか……四物財閥の娘が妖怪だったとは思わなかったぜェ。そのおかげでさんざん走り回らされちまった』
 ――のは、蛇人妖怪のそんな台詞で吹っ飛んだ。
「なにを……言ってるんだ?」
『あァン? お前、一緒にいて気づいてなかったのかよ? 四物財閥の娘は妖怪なんだよ。人間じゃねェんだ。じゃなきゃ俺の誘眠の術がこうもあっさり解けるわけがねェ』
「だって、誘眠の術はもともと数分で解けてしまうもので」
『俺のは特別製なんだよ。人間だの動物だの、普通の生物なら数日は絶対になにしても解けねェ。術破りだのなんだの、それなりの解き方をしなきゃァな。だってのにこうもあっさり解けるなんざ、妖怪だとしか考えられねェだろうが』
『ッつぅか、その気で見りゃあすぐわかる。すっかり人間だと思い込んじまってたが、それなりの目で見りゃあ妖怪の気を放ってることなんざ丸わかりだぜ』
『クッソ、あらかじめ知っときゃあそれなりの出方ってもんがあったのによ。妖力も妖術もあっさり使いこなしやがって。面倒だが、四物の娘は少なくとも気絶に追い込まなきゃあなんねェな』
 河童が手の中に水を湧き出させる。数瞬の忘我からはっと立ち直り、妖術が発動する前に霧散させようと突撃しかけるのを、鬼が防ごうと動き――
 その次の瞬間、妖怪たちは全員揃ってぱったりと倒れた。
「………は………?」
 聞き耳を立てる。生きてはいる。呼吸音を感じる。これは、もしかして、眠っている……?
「……園亞?」
「え? ううん、私じゃないけど……あ、そっか、こういう時に使うものだよね、ああいう呪文って……」
 園亞じゃないとしたら、一体誰だ。思わずぐっと眉を寄せたが、今はそんなことを考えている時間はない。急いで外に出て、逃げ切るか、煌と合流して――
 と思った瞬間、生まれた直後からずっと感じてきた熱気を感じ取り、心底安堵して思わず笑む。
「おう。なんとか生きてたか」
「………ああ。おかげさまで」
 廊下の向こうから歩いてきた煌は、自分ににやり、と笑いかけ――即座に炎の巨人の姿になって妖怪たちをのぞきこんだ。
「さぁて……俺の贄をいたぶってくれた礼を、どう返してやろうか。腕をもぎ取るか、体を断ち割るか、首を折り取って炎で焼くか?」
「……なんでもいいけど、火事は起こすなよ、頼むから」

「は? 園亞が妖怪? そんなもん、最初から気づいてたっつーの」
 八幡を家まで(こっそりと)送り届け、四物の屋敷に帰ってきて、とりあえず休んで明日また話そう、と言って部屋に戻るや、ほとんど問い詰めるような勢いで質問をぶつけた閃に、煌はごくあっさりと答えた。
「さ、最初から……って」
「俺を誰だと思ってんだ、日本神話が生まれるより古くから生きてる火神だぞ? 相手の気を視る力ぐらい持ってるっつーの。お前も知ってんだろーが、そんくらい。っつーか、あそこまでとんでもない魔法の素質持ってる奴が人間なわけねーだろーが。少なくともこんなあっさり生まれてくるこたぁ普通ねーだろ。妖怪としても常識外れなレベルなんだ、たぶんこの家の血には相当とんでもない呪文使いだった妖怪の血が混ざってるんだろうよ」
「だ、だけど! ならどうして俺に教えてくれなかったんだ!? それをもっと早く教えてもらってたら」
「なんか変わったか?」
「っ………」
「お前の行動。やったこと、言ったこと。これからやること、しなきゃなんねぇこと。なんか変わるか?」
 問われて言葉に詰まり、数瞬考えてから、激情を抑えるように息を吐きつつ首を振る。
「……いや。変わらない。たとえ俺が園亞が妖怪だってことを知ってても、俺は同じことを言ったし、したと思う。これからも、それを変えるつもりはない」
「だろうが」
「だけど、俺の気持ちは変わる」
「………ふゥん?」
 面白そうにこちらを見てくる煌を、閃は真正面から見つめてきっぱり言い放つ。
「園亞が妖怪だって知って、俺は勝手にこれまで園亞に抱いてた気持ちが裏切られたような気持ちになったし、これから園亞と向き合う時の気持ちにもやっぱり違いが出てくる。たとえ行動が変わらなくても、気持ちが大きく変わってる以上、相手に与える印象も自分が受け取る印象も大きく変わるはずだ」
「へェ、妖怪差別ってか? お前がそういう奴だとは思わなかったぜー」
「茶化すな。人間と妖怪は違う≠チて、当たり前のことを言っているだけだ」
「ま、そりゃ確かに」
「だから、もうこんなことはするな」
「こんなこと、ってぇと?」
「とぼけるな。意図的に隠してたんだろう、面白がるためか他のどんな理由があるかは知らないけど。――そういうことは、もうやめろ。少なくとも、一緒に行動する相手が妖怪か人間かってことくらい言ってくれ」
「へいへい。悪うございました、っと。……で?」
「……いつも通りに、外で護衛を頼む」
「へいよ。ま、愚痴る相手がほしくなったら呼びな」
 そう言って煌はひょいと立ち上がりテラスに出て、カーテンを閉めた。テラスまでの距離程度なら自分との接続は切れず、煌は妖力妖術を十全に発揮することができる。
 ――そして、その離れていられる距離の限界を恨めしく思うほど、今自分が一人になりたがっていることも、煌はよくわかっているのだろう。
 ベッドに突っ伏して、深く深く息をつく。そう、変わらない。自分のやること、すべきことはこれからも変わらない。たとえ園亞が人間の親から生まれた妖怪だったとしても、護衛対象に変わりはないし、彼女の『ヒロインになる』という言葉を拒否し続けることも変わらない。
 でも。―――でも。
 園亞は隣の部屋だ。泣き声を上げれば気づかれる。だから閃は、ひたすら声を殺して、感情を呑み込むように呻き声を上げ続けた。

「………ふぅ」
 園亞は深々と息をついて、ベッドに腰を下ろす。部屋のシャワーで体の汗を流して、とりあえず体はすっきりした――けれど、心の方はそうもいかない。
 閃の様子が、帰る時、あきらかにおかしかった。なんというか、自分と距離を取っていた。ここのところはすごく自分に気を許した感じになってきてくれてたのに。
 それも前みたいに、困りながらも距離を取る、っていうんじゃなくて。はっきりきっぱり、強い意志をもって距離を取っていたのだ。これ以上園亞に近づくことを受け容れないと、無言のうちに主張していた。
 それって。やっぱり。……私が、妖怪だ、って言われたから、だよね。
 ふぅ、ともう一度ため息をつく。あの妖怪さんはそう言ってたけど。本当に園亞は妖怪なんだろうか? だって、お父さんもお母さんも(たぶん)人間だし。普通に人間の食べるもの食べて、普通に人間としておっきくなってきたんだし。そりゃ魔法使いではあるけど、魔法使いって普通人間だと思うし。妖怪って言われるほど自分が変わっているとは、園亞にはどうしても思えない。
「ほんと、なんで私が妖怪ってことになるんだろー……」
「教えてあげましょうか?」
「っ!?」
 唐突に部屋の中に響いた女性の声に、園亞は驚いて周りを見回した。辺りには誰もいない。いるのは、いつの間にかベッドの上に座って、珍しくぴんと背筋を伸ばしているツリンだけ。
「ツリン……入ってきてたんだ。ね、ツリン、さっき部屋の中に誰か」
「さっきあなたに話しかけたのは私よ、園亞。あなたはこの声を何度も聞いているはずだけど?」
「っ―――」
 園亞は思わず硬直する。それは。それは、まさか。
 でもそうだ、確かにこの声は何度も聞いている。どこか、自分でも覚えていないようなどこか、まだ自分が自分でなかったころのような記憶の定かでないどこか、まだ世界が形を成していない時のような、薄暗く、ぼんやりとした――
「こうして正面から話すのは初めてね、園亞。だからはじめましてと言わせていただくわ。あなたの魔法の師匠にしてかつてバステト女神の従者だった者――ツリンよ」
 ツリンは、ついさっきまで自分の飼い猫だった子猫は、そう人間の言葉を放って軽く尻尾を振ってみせた。

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キャラクター・データ
草薙閃(くさなぎせん)
CP総計:230+65(未使用CP15)
体:14 敏:17 知:14 生:14(45+100+45+45=235CP)
基本移動力:7.75+1.625 基本致傷力:1D/2D よけ/受け/止め:8/13/- 防護点:なし
特徴:カリスマ1LV(5CP)、我慢強い(10CP)、戦闘即応(15CP)、容貌/美しい(15CP)、意志の強さ2LV(8CP)、直情(−10CP)、誓い/悪い妖怪をすべて倒す(−15CP)、名誉重視/ヒーローの名誉(−15CP)、不幸(−10CP)、性格傾向/負けず嫌い(−2CP)、方向音痴(−3CP)、ワカリやすい(−5CP)
癖:普段は仏頂面だけど実は泣き虫で怖がり、実は友達がほしい、貸しも借りも必ず返す、口癖「俺は悪を倒すヒーロー(予定)なんだぞっ!」、実は暗いところが怖い(−5CP)
技能:刀22(32CP)、空手17(4CP)、準備/刀17(0.5CP)、柔道16(2CP)、ランニング13(2CP)、投げ、脱出15(1CPずつ2CP)、忍び16(1CP)、登攀15(0.5CP)、自転車、水泳16(0.5CPずつ1CP)、軽業16(2CP)、コンピュータ操作14(1CP)、追跡13(1CP)、探索、応急処置、学業13(0.5CPずつ1.5CP)、生存/都市、調査、追跡、英語、鍵開け、家事12(0.5CPずつ2.5CP)、戦術12(1CP)
妖力:百夜妖玉(特殊な背景25CP、命+意識回復+1ターン1点の再生+超タフネス+疲れ知らず(他人に影響+40%、自分には効果がない−40%、人間には無効−20%、肉体ないし体液を摂取させなければ効果がない−20%、オフにできない−10%、丸ごと食うことで永久にその力を自分のものにできる(命のみ丸ごと食べないと効果がない)±0%、合計−50%)88CP、フェロモン(性別問わず+100%、人間には無効−20%、オフにできない−30%、意思判定に失敗すると相手はこちらを食おうとしてくる−50%、合計±0%)25CP、敵/悪の妖怪すべて/たいてい(国家レベル/ほぼいつもと同等とみなす)−120CP。合計18CP)

旧き火神・真なる迦具土・煌(こう)
CP総計:3005(未使用CP2)
体:410(人間時50) 敏:24 知:20 生:20/410(追加体力、追加HPはパートナーと離れると無効−20%。250+275+175+175+156=1031)
基本移動力:11+2.125 基本致傷力:42D/44D(人間時5D+2/8D−1) よけ/受け/止め:13/18/- 防護点:20(パートナーと離れると無効−20%。64CP)
人間に対する態度:獲物(−15CP) 基本セット:通常(100CP)
特徴:パートナー(200CPの人間、45CP)、美声(10CP)、カリスマ3LV(15CP)、好色(−15CP)、気まぐれ(−5CP)、直情(−10CP)、トリックスター(−15CP)、好奇心1LV(−5CP)、誓い/パートナーを自分の全てをかけて守り通す(−5CP)、お祭り好き(−5CP)、放火魔(−5CP)、誓い/友人は見捨てない(−5CP)
癖:パートナーをからかう、なんのかんの言いつつパートナーの言うことは聞く、派手好き、喧嘩は基本的に大好きだが面倒くさい喧嘩は嫌い、パートナーから力をもらう際にセクハラする(−5CP)
技能:空手25(8CP)、ランニング17(0.5CP)、性的魅力30(0.5CP)、飛行22(0.5CP)、軽業、歌唱、手品、すり、投げ21(0.5CPずつ2.5CP)、外交20(1CP)、英語、中国語、仏語、アラビア語、露語、地域知識/日本・富士山近辺、探索、礼儀作法、調理19(0.5CPずつ5CP)、戦術、動植物知識18(1CPずつ2CP)、言いくるめ、調査、鍵開け、尋問、追跡、家事、読唇術、生存/森林18(0.5CPずつ4CP)、毒物、歴史、嘘発見、医師、催眠術、診断17(0.5CPずつ4CP)、手術、呼吸法16(0.5CPずつ1CP)
外見の印象:畏怖すべき美(20CP) 変身:人間変身(瞬間+20%、パートナーと離れると無効−20%、合計±0%。15CP)
妖力:炎の体20LV(120CP)、無敵/熱(他人に影響+40%、140CP)、衣装(TPOに応じて変えられる、10CP)、超反射神経(パートナーと離れると無効−20%、48CP)、攻撃回数増加1LV(妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、合計−50%。25CP)、加速(妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、疲労5点−25%、合計−75%。25CP)、鉤爪3LV(非実体にも影響+20%、妖怪時のみ−30%、合計−10%。36CP)、飛行(妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、合計−50%。20CP)、高速飛行5LV(瞬間停止可能+30%、妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、合計−20%。80CP)、高速適応5LV(妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、合計−50%。13CP)、無言の会話(妖力を持たない相手にも伝えられる+100%、人間にも伝えられる+100%、よりどころの中からでも使える+100%、パートナーのみ心の中で会話できる+25%、パートナーと離れると無効−20%、合計+305%。21CP)、闇視(パートナーと離れると無効−20%、20CP)、オーラ視覚3LV(35CP)、飲食不要(パートナーの精気が代替物、10CP)、睡眠不要(パートナーと離れると無効−20%、16CP)、巨大化34LV(妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると無効−20%、疲労五点−25%、合計−75%。85CP)、無生物会話(30CP)、影潜み1LV(パートナーと離れると無効−20%、8CP)、清潔(パートナーから離れると無効−20%、4CP)、庇う(パートナーのみ-75%、5CP)
妖術:閃煌烈火50-24(エネルギー=熱属性、瞬間+20%、扇形3LV+30%、気絶攻撃+10%、目標選択+80%、妖怪時のみ−30%、パートナーと離れると使用不能−20%、手加減無用−10%、合計+80%。540+8CP)、闇造り1-18(瞬間+20%、範囲拡大16LV+320%、持続時間延長12LV+360%、合計+700%。16+2CP)、炎中和50-24(瞬間+20%、パートナーと離れると使用不能−20%、合計±0%。100+8CP)、炎変形20-24(瞬間+20%、パートナーと離れると使用不能−20%、合計±0%。60+8CP)、治癒20-20(病気治療できる+10%、毒浄化できる+40%、瞬間+20%、パートナーから離れると使用不能−20%、合計+50%。90+8CP)、閃光10-18(本人には無効+20%、瞬間+20%、パートナーから離れると使用不能−20%、合計+20%。48+2CP)、幻光1-18(瞬間+20%、範囲拡大16LV+320%、持続時間延長12LV+360%、合計700%。8+2CP)、火消しの風1-18(瞬間+20%、範囲拡大16LV+320%、持続時間延長12LV+360%、合計700%。16+2CP)、感情知覚10-18(パートナーから離れると使用不能−20%。16+2CP)、思考探知10-18(パートナーから離れると使用不能−20%。32+2CP)、記憶操作10-18(パートナーから離れると使用不能−20%。40+2CP)
弱点:よりどころ/閃の尻の痣(別の価値観を持つ生き物、一週間に一回触れねばならない、その中に姿を隠せるが痣が隠されると出られない。−30CP)
人間の顔:容貌/人外の美形(35CP)

四物園亞(よもつそのあ)
CP総計:622(未使用CP13点)
体:11 敏:13 知:10(呪文使用時のみ23) 生:12/62(10+30+200+20+25=265CP)
基本移動力:6.25+1.25 基本致傷力:1D−1/1D+1 よけ/受け/止め:6/-/- 防護点:5(バリア型−5%、−8で狙える胸元の痣の部分には防護点がない−10%、合計−15%。17CP)
人間に対する態度:善良(−30CP) 基本セット:機械に対して透明でない(80CP)
特徴:意志の強さ1LV(4CP)、カリスマ1LV(5CP)、後援者/両親の会社(きわめて強力な組織(国際的大企業四物コンツェルン)/まれ、13CP。敵/某闇会社/まれ、−10CPと足手まとい/25CPのお目付け役/知人関係/まれ、−3CPとで相殺)、朴訥(−10CP)、正直(−5CP)、好奇心(−10CP)、そそっかしい(−15CP)、健忘症(−15CP)、誠実(−10CP)
癖:自分は普通だと思っている天然、口癖「え、えっとえっと、なんだっけ?」、口癖「私だってそのくらいできるんだから」、胃袋が異空間に繋がっているとしか思えないほど食う、超ドジっ子属性(−5CP)
技能:バスケットボール13(2CP)、学業10(1CP)、軽業11(1CP)、投げ10(0.5CP)、水泳12(0.5CP)、ランニング10(1CP)
呪文:間抜け、眩惑、誘眠、体力賦与、生命力賦与、体力回復、小治癒、盾、韋駄天、集団誘眠、念動、浮揚、瞬間回避、水探知、水浄化、水作成、水破壊、脱水、他者移動、霜、冷凍、凍傷、鉱物探知、方向探知、毒見、腐敗、殺菌、療治、解毒、覚醒31(1CPずつ30CP)、大治癒、倍速、飛行、高速飛行、瞬間移動、瞬間解毒、接合、瞬間接合、再生、瞬間再生30(1CPずつ10CP)
外見の印象:人間そっくり(20CP) 変身:なし
妖力:魔法の素質10LV(180CP)、追加疲労点30LV(90CP)
妖術:なし
弱点:行為衝動/悪い妖怪に襲われている人間がいたらその人間を全力で助けずにはいられない(−15CP)、腹ぺこ2LV(−15CP)、依存/マナ(一ヶ月ごと。−5CP)
人間の顔:普通の中学三年生、容貌/魅力的(5CP)、身元/正規の戸籍(15CP)、財産/貧乏(15CP)、我が家/古い屋敷(15CP)