『うーっ! みーっ!』
 揃って笑顔で海に来た喜びを表す生徒たちに、アーヴィンドは思わずため息をついた。
「どーしたんだ、アーヴ? 海、嫌いか?」
 クラスメイトでルームメイトでこの数ヶ月ですでに親友と言っていいくらいまでの関係になった相手、ヴィオにアーヴィンドは力ない笑みを浮かべる。
「いや、そうじゃなくて、海自体は別に嫌いじゃないんだけど……」
「泳げないのか?」
「泳げるよ。ただ、臨海学校っていうのがね……」
「士翼号サブマリンモード、はっしーん!」
「うおぉぉっ、ユィーナっ、ユィーナはどこだっ、水着姿のユィーナを出せーそして即座に押し倒させろ!」
「セデル、ルビア……! なんて可愛いんだ、可愛らしい水着に身を包み波打ち際で遊ぶその姿はまさに浜辺に降り立った天使……! デジカメデジカメ!」
「……いろいろ、大変そうだなぁって思って」
 ははは、と力なく笑うと、ヴィオもにっかんと笑って言った。
「そんなのいつものことじゃんか。臨海学校だろうとなんだろーと変わんないよ」
「……そうだね。確かにその通りだね……」
 アーヴィンドはまたも力なくうなずいた。幼稚舎から大学院まで、自由参加とはいえどほぼ全校生徒が出席する臨海学校だろうがなんだろうが、自分がフォロー役やら残務処理やらに右往左往するのはいつも通りなのだ。


『チキチキ、臨海学校恒例スイカ割りバトルロイヤル〜!』
『うおぉおぉぉおぉっ!』
 生徒たちから上がる雄たけびに、アーヴィンドは思わずびくりとした。『毎年それ相応に盛り上がる』と速水生徒会長が言っていたから覚悟はしていたものの、このテンションは予想以上だ。
『知らない人はほとんどいないと思うけど一応改めてルールの説明! 参加する選手には頭に体格に応じた大きさのスイカが括りつけられます! で、お互いにそのスイカを割り合って、最後まで残ってた選手の優勝! 優勝した人にははな〜んとっ、超高級学食レストロ・グランでの食べ放題券をプレゼントぉっ!』
『おおぉおぉぉおっ!』
「……でも、そこも箕輪先生たちが作ってるんだよね……」
「いいじゃん。盛り上がってるし」
 拡声器で怒鳴る速水生徒会長の前に立ち並ぶ選手たちはどれも武闘派だ。食べ放題と言われて盛り上がるのはやはりこの手の体育会系男子たちだろう。
『知力体力度胸に技術、勘と運とセンス全部活用して優勝をもぎ取ってくださいねっ! 救護班もばっちり待機させてますから安心して思いきり命懸けで戦ってください!』
「僕はなんで救護班じゃないんだろう……ていうか学校行事で命懸けって」
「いいじゃん。面白そーだし」
 あっけらかんと答えるヴィオの頭にも自分の頭にもすでにスイカは装備されている。この学園の中では二人とも小柄なほうなので、スイカは小さめの小玉スイカ。武器は武器屋で最も安い武器といわれる『檜の棒』が一本ずつだ。
 会長のごり押しと親友の誘いに打ち勝てず参加を許諾してしまったことを、ムキムキの戦士風の生徒たちがふんふんとバンプアップをしているのを見ながら(ついでに今の自分の間抜けな姿を想像して)ついつい後悔してしまうアーヴィンドだった。
「さてっ、それではカウントダウーン! ごー、よーん、さーん、にーっ……」
 周囲の選手たちが殺気立つ。
「いーちっ、ゼロッ。スタートッ!」
 びゅごっ、と隣から振り下ろされた棒を、アーヴィンドとヴィオは辛くも避けた。動きの速さにはこれでも一応自信があるのだ。
「ふっふっふ、少しは心得があるようだが、無駄な抵抗は怪我の元だぞ?」
「そうそう、坊やたちはとっととリタイアしちまった方がいいんじゃないか?」
 少しムッとして半ば不意打ちじみた攻撃を放ってきた戦士風の男たちを睨みつける。自分たちごときですらかわせてしまうような攻撃しかできない相手に、こんなことを言われても素直には受け取れない。
 二人で檜の棒を構えると、男たちはにやにやと近寄ってきて――
「せやっ!」
 後ろからの攻撃に一瞬で頭のスイカを砕かれた。
「おぉ〜」
「なっ!」
「遅い遅い遅い遅いっ!」
 にっと笑うのは中等部武術部のエースの一人ランパートだ。入学式の日に人形店で働いていた彼は(保護者の店なのだとか)、まだ中等部だというのに戦いの腕はすでに達人級だと評判なのだ。
「なっ、てめっ……」
「これバトルロイヤルだぜー? 油断大敵っ!」
 笑顔で走り抜けるランパート。アーヴィンドは目をぱちくりさせた。なんで自分たちには攻撃しなかったのだろう?
 もしかして助けてくれたのかな、と思いつつ周囲を見回した。


 周囲はすでに戦場だった。檜の棒が飛び、舞い、乱れ飛ぶ。スイカが弾け、ついでに剛力のあまりにか頭も弾ける人もいた。
 そういう人には即座に救護班を呼ばなくてはならないが、強烈な攻撃が乱舞する戦場の中に救護班を連れてきて怪我をさせるわけにはいかない。つまり応急処置だけして運ばなくてはならないわけで、さして力の強いわけでもないアーヴィンドは息が荒くなった。
「ふぅっ!」
 滑るような動きで滝川が周囲のスイカを次々破壊していく。学園最強の戦術能力者と謳われる彼は、こういう乱戦にはぴったりの存在だろう。
「食費が浮く! 食費が浮く! 食費が浮く! 食費が浮く!」
 血走った目で棒を振るう兄一。技量としては最高のものではないが、その飢えた獣のような動きは極めて効率よくスイカを破壊していた。
『ほーれほれほれ早く敵倒さねぇと出てきちまうぞぉ? 公衆の面前で出てくっぞぉ?』
「嫌な脅しするな! のっ、はぁっ!」
 中等部武術部に属していながら、むしろ魔物に対するフェロモン(というか食欲を刺激するらしい)体質で有名な草薙閃も必死の思いが通じたのかいい勝負をしている。
「はっ! やっ、ていっ!」
 驚異的なまでに磨き抜かれた技術と勢いで次々スイカを割っていくのは紫のターバンの――
「って陛下……じゃない理事長っ! なんであなたが参加してるんですかっ!」
 思わず叫ぶと、アディムは真剣な顔でこちらに向き直り言った。
「ルビアがね、『レストロ・グランのフルーツタルトってすごくおいしいんだって。一度行ってみたいな』って言っていたんだよ……」
「王族なんだからいつでも食べに行けるでしょう!」
「いや、うちは家計を預かっているビアンカがしまり屋でね……子供たちのお小遣いは月五十ゴールドだし僕のお小遣いだって五百ゴールドだ。子供たちへのプレゼント代は確保しておきたいし……だからなんとしても食べ放題券をもらってルビアにフルーツタルトをご馳走してやるんだ……!」
「……そうですか……」
 頭が痛い、と思いながらアーヴィンドはぱっくり頭が割れた選手をずりずりと引きずって運んだ。今の自分の技術では死者蘇生などとても手が届かない。
「ほうほう」


 だんだん選手の数が少なくなってきた。そしてアーヴィンドとヴィオは揃って脱落した。
 まぁ自分はまともに大会には参加していなかったし、自分たちがここまで生き残れたのも弱かったから後回しにされただけなのだろうとわかっていたからアーヴィンドはさして腹は立たなかったもののヴィオはいくぶん悔しそうだった。
「くそー、魔法使っていいんならもーちょっと頑張れたのにっ!」
「このルールだと魔法使えるんなら圧倒的有利だからね……仕方ないよ」
 それよりも自分は終わったあとのことを考えなければならない。浜辺に広がるスイカの残骸は生徒たちみんなで食べることになっているが(回収班がすでに半ば以上回収している)、他にも細かい掃除の手配やら回復した負傷者への対処やら今後のスケジュールやら考えることはいっぱいあるのだ。
 そして大会の決着もそろそろ着こうとしていた。大方の予想通り最後まで残ったのは滝川とアディムだ。去年に開かれた武道会でも最後まで勝ち残ったという二人は、満座の注目の中睨みあった。
「去年の借り……返させてもらうぜ、理事長」
「悪いけど……僕は愛する子供たちのために、負けられないんだよ」
 そして始まる目にも止まらぬ速度での攻防。砂浜を飛び回り、棒を舞い踊らせ、この学園でも最強と目される二人は超高度な戦いを繰り広げた。
 めったに見られない技の饗宴に、アーヴィンドは思わず拳を握り締める。やはり曲がりなりにも勇者を目指す存在として、凄まじい戦いというのは感嘆の念を禁じえない。
 まともに目で追うことすらできなくなっている二人の戦いは浜辺中を駆け巡りながら続く。ギャラリーも息を呑んでそれを見守る――
 とたん、がずっ! という音と「うわぁっ!」「っ!」と短い悲鳴が視線の先で上がった。


 滝川とアディムが、揃って砂浜に転がっている。転んだのか、と信じられない思いで見ていると、滝川が勢いよく立ち上がった。
「ってぇな! 誰だよこんなとこに棒突き出した奴っ!」
「誰かねまったく! なんてことをするんだまさおくん!」
「え、えぇっ、僕じゃないよぉ!」
「……しんのすけ、てめぇかぁっ!」
 吠えた滝川の視線の先に立っていた、自分と同年代の少年はくるりと背を向けた。
「そうともいう」
「……しんのすけくん、君はどうしてこんなことをしたんだい? 場合によっては僕も考えがあるんだけれど」
 鬼気すら漂わせながら立ち上がるアディム。だがその少年は二人の視線をさらっと受け流してお? と首を傾げた。
「風間くん、なんで?」
「僕に聞くなぁっ!」
「風間くんわからないって。んもう嫌になるわねぇ、最近の子はこうじょうしんがなくて」
『お前(君)が言うな!』
 そのすっとぼけた言動にアーヴィンドは戦慄した。まさか、彼が学園一の問題児、野原しんのすけ!?
 相手の攻撃を受け流す能力は天才的と言われながらも、常に周囲のペースを破壊し問題を拡大させる。「面白い奴だよー」と速水会長から聞いてはいたものの機会がなくて会うことはなかったが、こんなところで。確か入学式で女の子に声をかけていたような気がする顔だが定かではない。
「あっ、てめスイカ……! さては俺らを共倒れさせようって気だな!? いつから狙ってやがった!?」
 しんのすけの頭には確かに括りつけられたスイカがあった。
「お? ほうほう、そうか、共倒れを狙えばいいのか。オラそんな卑怯なこと考えたことなかったゾ、さすが滝川先輩、手段を選びませんなぁ」
「あっ……つかなんだその言い草ー!」
「……ともあれ君もライバルなら、倒すのみだ!」
 だっとアディムが大地を蹴る。だがしんのすけはするすると滑らかな動きで寝転がるようにして倒れ、アディムの攻撃をかわした。
「くっ」
「あ、りじちょー、スイカに傷発見」
「えっ!?」
 慌てて一瞬足を止める。そしてその一瞬で勝負はついていた。
 滝川が隙を逃さずアディムに飛びかかり、しんのすけが絶妙のタイミングでごろごろと転がって障害物になり、それをお互いかわそうとしたアディムと滝川は、頭上のスイカをぶつけ合うことになり――
 凄まじい勢いで衝突した二人のスイカは木っ端微塵になっていた。
『勝負ありっ! 優勝、高等部1-C野原しんのすけ!』
 速水の宣言に、敗者の二人はがっくりとうなだれ、しんのすけはお? という顔をしたあと「わーっはっはっは!」とポーズをつけて笑った。


「……ふぅ」
 スイカ割り大会の後始末を終えて、少し泳いできなよと自由時間を与えられしばし。アーヴィンドは泳ぎ疲れて浜辺に上がっていた。
 泳ぎが不得意なわけでも嫌いなわけでもなかったが、さすがに何時間もぶっ続けで泳げるほど不屈の体力は持ち合わせていない。ヴィオはまだまだ元気に泳いでいたが、自分には体力の限界というものがある。
 箕輪から臨海学校の食事を任されたらしいライが開いている浜茶屋で休憩しようか、と歩き出すと、ふと妙な一団を見つけた。
 元気が有り余っていそうな男たちの群れ。先頭に立っているのは確か遺跡研究会の葉佩九龍。後ろにぞろぞろくっついている男たちの中には勇者部のエースの一人、ユーリルやロボ研のエースの一人大河新次郎がいる。
 他にも男子生徒ばかり十人近く。なんなのだろう、と気になったアーヴィンドは、こっそりあとをつけることにした。
「……ここからだよ。双眼鏡は一分1ゴールド、ピントばっちりの望遠鏡は一分3ゴールド。100%見つからない視野も狭まらない特殊眼鏡は一分10ゴールド!」
「望遠鏡くれっ!」
「俺は双眼鏡!」
「ううーむ、ここは張り込んで特殊眼鏡!」
 わいわい騒ぐ男子生徒たちをしばし観察し、それでもさっぱりわけがわからないのでアーヴィンドは前に進み出てみた。
「あの……」
『だわぁあああぁぁっ!?』
「おー、高等部生徒会庶務のアーヴィンドくん。いらっしゃーい♪」
 慌て騒ぐ男子生徒の中で、ただ一人九龍は笑顔だ。
「あの……失礼ですけど、なにをしてらっしゃるんですか?」
「いやっ、大したことじゃねぇって、ただちょっとバードウォッチングをなっ!?」
「はぁ……鳥を見るならもう少し開けた場所の方がよいのでは?」
「いやー、そーいうとこじゃ見つかっちゃうかもしんないでしょ?」
「見つかる?」
「葉佩〜っ!」
「いやいや、だってアーヴィンドくんだって男の子なんだから、知る機会は与えられるべきでしょv いっくら『アーヴィンドを清らかな天使のままでいさせてあげよう同盟』が発足されてたりしてもさー」
「……は?」
 今なにか妙な単語が聞こえたような。
「まーまー、話はともかくこの望遠鏡をのぞいてごらんなさいってv」
「……はぁ」
 不審に思いながらも素直に従い望遠鏡をのぞく。
 そして即座にばっと飛び退った。
「なっ、なっ、なっなっなっなっ……」
「お? もしかしてモロ見えしちゃった?」
「も、も、もももももももろ見えって」
「んー、やっぱピントバッチリターゲットロックオンだね! 俺天才!」
「ってってってっ……女の子……」
「ん? 女の裸だって? 当たり前だよー、こっから見えんのは女子更衣室だもんv」
 アーヴィンドは頭がくらぁ、と揺れるのを感じた。


「なにを考えておられるんですか!」
 アーヴィンドの怒りの叫びにも、九龍はまるで動じず口を塞いだ(その間も男子生徒たちはときおり歓声を上げながら覗きを続けている)。
「まーまーまー。落ち着きなって。これも立派な修練なんだよ?」
「……修練?」
「そ。男の燃え上がる姓欲をどこまで女子生徒たちが感知できるかv 女子生徒の身を守る能力を高めるためには重要な修行でしょ?」
 一瞬考えて、すぐに怒鳴る。
「それと性犯罪を冒していることに対する正当性のなさにはなんの関連もないじゃないですかっ!」
「おー、鋭いっ!」
 話にならない、とアーヴィンドは一心に望遠鏡をのぞいているユーリルに叫んだ。
「ユーリル先輩! 勇者部でもエースのあなたが、なんで……」
「俺は勇者である以前に男なんだーっ!」
 絶叫に一瞬引く。ユーリルは勢いを失わないまま喋り続ける。
「だってマーニャがさっ、最近おっぱい触らせてくんねーんだよっ! 以前なら一週間に一度は触らせてくれたし、チューさせてくれたし、一ヶ月に一回だけだけど挿れさせてくれたのにさっ! 試験前だからとか忙しいからとかで伸ばし伸ばしになってさっ。せめてマーニャのおっぱいとか×××とか見て妄想を豊かにさせねーとこの渇きは乗り切れねーんだよーっ!」
『…………』
「ユーリル……てめぇ」
「贅沢言ってんじゃねぇよコラヤらせてくれる女の当てもねぇ俺らへのあてつけかコラァ!」
「しかもマーニャ先生だとぅ!? ざけんじゃねぇぞちょっと勇者だからって調子乗ってんじゃねぇっ!」
「わっ! てめぇら、なにしやがんだっ!」
 喧嘩をおっぱじめた一団に思わず頭痛を覚えながらも、アーヴィンドはなんとか説得を続けようと新次郎の方を見た。
「大河さん! ロボ研の中でも最優秀なあなたともあろう人がなにを考えてるんですかっ!」
「だ、だって……いけないいけないとは思ってるんだけど身体が勝手に望遠鏡の方へ……」
「……そんなのが言い訳になると思ってるんですか……」
「まーまー。アーヴィンドくんだってさっきちょっとだけどのぞいちゃったじゃーん。同類同類」
 九龍の言葉にアーヴィンドは頭を思いきり殴られたような衝撃を受けた。神に仕える身である、勇者を目指している自分が、のぞきという性犯罪を冒してしまった……!
「……………」
「わ、落ち込んじゃったか? 悪い悪い。まー男なんだったら誰でもそーいう欲望はあるってことで、なっ? 俺は商売だけど」
『うむっ! 男なら誰しも自らがモテぬ悲しみを背負って生きるものっ! その悲しみを理解できぬ者は男にあらず!』
「!?」
 ぶわっと出てきた黒くもやもやとしている影に、アーヴィンドはびくんとしたが九龍たちは少しも驚きはしなかった。
「今年も来たな、浜辺魔王」


「は、浜辺魔王……?」
『その通り! 我は海で開放的になった女を狙い、敗れ去っていったモテぬ男たちの怨念から生まれた魔王なり!』
 なんだそれは、と呆然とするアーヴィンドをよそに男子生徒たちは盛り上がる。
「待ってたぜっ、浜辺魔王っ! 今年も見せてくれよっ!」
『うむ、任せるがよい!』
 浜辺魔王とやらがもにゅもにゅ呪文を唱えると、ぷわぷわぷわわ、と目の前に幻影が生まれ出る。なんだ、と思って視線をやり、絶句した。そこには女子更衣室の情景がもわもわもわ〜んとピンクの背景をつけながら浮かび上がってきていたのだ。
『おおぉぉおおおぉぉぉぉっ!!!』
「なぁなぁっ、双眼鏡に水着が透けて見える魔法付与してくれるんだよなっ!?」
『むろんだとも。ほうれ〜』
「おおおぉっ、すげぇ本気で水着が透けて見える……っ! うっ、鼻血鼻血」
「うぉぉマーニャいたーっ! おおう久しぶりに見れたぜマーニャのおっぱい……!」
「ああ、体が勝手に裸が見える方へ〜……」
「……なんなんだ、これ……」
「まぁ、この魔王はモテない男からの怨念から生まれた魔王だからねー。男の妄想とか妄念とか性欲とかを食って力をつけるから、こーいう風に妄念に満ちた男どもにとっては救いの神なわけ」
「……曲がりなりにも勇者を育成する学校の生徒が魔王に……」
「まーまー。どーせそろそろ展開が」
「おおおお〜!」
 急に上がった聞き覚えのある声に、アーヴィンドはびくりとした。いつの間にやってきていたのか、しんのすけがおそらくは興奮で顔を赤くしながら立っている。
「しゅっぽー! シュッシュッぽっぽ、しゅっしゅっぽっぽ、ぽっぽー!」
 奇声を上げながら機関車のように腕を回しながらぐるぐる回るしんのすけ。興奮しきっているらしい。落ち着かせようとするより早く、しんのすけは浜辺魔王の背中に突撃した。
『ぶわっ! ば、ばかっ! 術のコントロールがっ……!』
 ぶわ、と幻影が広がって自分たちを取り込む。うわっ、と思って一瞬目を閉じる。そしておそるおそる目を開いた時、そこは女子更衣室だった。


『………………』
 自分と同様に移動してきたのだろう、男子生徒たちと着替えていた女子生徒(含む女教師)の間に沈黙が下りる。浜辺魔王がこそこそと逃げかけながら呟いた。
『やはり妄念を利用して空間を歪めるタイプの術は制御が難しいのう……今度は光を屈折させるやり方でなんとか』
『今年も出たか浜辺魔王ーっ!』
 女子生徒たちがいっせいに叫んで武器を構えたり呪文を唱えたりし始める。男子生徒たちはしばし呆然とその様子を眺めてからはっとして逃走しようとするが、血に飢えた女豹たちの前に次々地面に沈んだ。
「エッチスケベ変態覗き魔レイパーストーカー性犯罪者ーっ!」
「おっ俺そこまではしてな、ぎゃあぁぁぁっ!」
「ユーリル〜? これはどーいうことかしら教えてくれる、と言いつつメラゾーマっ!」
「ぎゃああぁっ! だってマーニャがさせてくんないからせめて裸だけでもと」
「あんたの下半身はその程度の我慢もできんのかベギラゴンっ!」
「新次郎のバカーっ!」
「大河さん……不潔です!」
「や、いや、誤解です違うんですうああぁあごめんなさーいっ!」
 呆然とその様子を眺め、はっと周囲を見回してみると、九龍としんのすけはいつの間にかすでに逃走していた。浜辺魔王はぼこでこに攻撃されて吊るし上げられている。どうすればいいのかわからず固まっていると、女子たちの視線が自分にも向けられた。
「あーっ、アーヴィンドくん! アーヴィンドくんものぞきしてたの!?」
 きっと睨まれて、アーヴィンドは硬直したものの、はっとしてぐるっと女子たちに背を向けた。
「申し訳ありませんっ、不可抗力とはいえあなた方の肌身を垣間見てしまいました! どのような罰も受けますので、どうか、早く服を……」
『…………』
 しばしの沈黙。それから舌なめずりするような声で囁かれた。
「そうねぇ……不可抗力とはいえ、女の子の肌を見られちゃったんだもん。これは責任取ってもらわないとねぇ?」
「そうそう、生徒会の人なんだし〜。責任は重大だよねぇ?」
「はい、ですからどのような罰でも」
『じゃ、脱いでv』
「………は?」
 ぽかんと口を開けて振り向いたアーヴィンドに、まだ裸同然の格好の女子たちが忍び寄る。
「女の子の肌を見た仕返しにー」
「そっちの裸も見せてくれたっていいよね?」
「な、あの、その、それは風紀上どうかと」
『問答無用ーっ!』
「ぎゃあぁぁぁぁっ!」
 男子生徒たちの『ちくしょー、なんでアーヴィンドだけおいしい目ーっ!』という叫びが聞こえた時、アーヴィンドは心底変われるものなら変わってほしいと思った。


「愛情ラーメンお待ちっ!」
 どん、と目の前に置かれた浜茶屋の特製ラーメンに、アーヴィンドははぁ、とため息をついて塗りのお箸を取り出した。
「どうしたんだよアーヴィンド、元気ねぇな。なんかあったのか?」
「……あはは。まぁね……」
 ライに訊ねられ力なく笑う。正直あのあとのことは思い出したくない。夢に出てきそうだ。
「ま、食えよ。浜茶屋だからって手抜きはしてないつもりだぜ」
「うん……いただくよ」
 ずるる、とラーメンをすする。疲れた身体に熱々のラーメンは普段よりおいしく感じられた。
 時刻はもう陽が沈もうとしている頃合。これから浜辺で花火大会が予定されている。もちろん自分も生徒会庶務としてその準備に立ち働かねばならないのだが、その前に休憩しようとここにやってきたのだ。
 と、海から上がったのだろう、ヴィオがてててとこちらに向かい走ってきた。
「アーヴーっ! なに食ってんのーっ?」
「え、ラーメンだけど……」
「一口、一口!」
 あーん、と口を開けるヴィオに、苦笑しながらラーメンをすすらせてやる。もうすぐ女になる体ではあるのだが、今のヴィオは男なのだから同じ箸を使うくらいおかしなことではないだろう。
「なぁなぁ、早く花火大会行こうぜ! 俺待ち切れないよー!」
「ラーメンを食べ終わるまで待ってくれる? 栄養補給しないと働けない……」
「あ、そーなのか? わかった、待ってる!」
 ひょい、と隣に腰掛けて、ヴィオは楽しげな笑い声を上げた。
「なーなー、花火大会どんなんだろーな! 俺すっげー楽しみ!」
「そうだね。科学部が作った打ち上げ花火がメインらしいけど、市販の花火も楽しめるようになってるし」
「うー、ワクワクするー! ……あ、見て! 夕陽が水平線に沈んでく!」
「あ……ほんとだ」
 アーヴィンドはラーメンをすする手を止めて、夕陽を見つめた。そのたまらない美しい景色。海でなければ、夏でなければ見られないその景色。
 ああ、夏休みなんだな、と思い、心に湧き上がる遠足前の子供のような興奮に少し笑った。

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