「うああぁあぁ駄目だわけわかんねーっ、テストは明日だってのにー!」
「なぁなぁアーヴィンドくんっ、ここどーなってんの!? ぜんっぜわかんねーんだけど、ぜんっぜ!」
「うん、まぁとりあえずちょっと落ち着いたらいいんじゃないかな?」
 年が明けた一月、勇者科は大騒ぎだった。それは魔王が攻めてきたからでも大災害が起きたからでもなくて。
「普通の勉強なんていまさらわかるかー! 速水会長のバカヤロー!」
 まぁ、いつものごとく速水会長の思いつきのせいだった。


「しっかし、みんなすっげー慌ててるよなー」
 頭の後ろで腕を組みながら完全に他人事の口調でヴィオが言う。アーヴィンドは力なく苦笑した。
「そうだね……速水会長の思いつきはいつも突然ではあるんだけど……」
 速水が『今日から一週間を、FBG週間にする!』と全校生徒を集めて宣言したのは一週間前のことだった。
「僕たちに相談もせず始めるからどんなことかと思ったら……『普通の勉強も頑張ろう週間』だったとは……」
「しかも一週間後普通科と一緒に同じ内容のテストして、赤点取ったら普通科勇者科問わずで地獄の罰ゲームだっつーんだもんなー。そりゃみんな慌てるよなー」
「一応罰ゲームは訓練にもなるからとか普通科と勇者科の連帯を強めるためとか名目は立ってるけど絶対速水会長楽しんでるよね……」
「そーだなー。普通科に勉強教わりに行ってる奴らとかは増えたみたいだけど」
「そういう点では成功ではあるんだろうね……というか、ヴィオ。君は勉強しなくていいのかい? 君だって取ってるのは戦士科と精霊魔法科だろう。普通の勉強には縁がない場所じゃないか」
 そう訊ねるとヴィオはにっかー、といつもの笑顔で答えた。
「だって俺最初っから赤点取る気だもん。普通の勉強するよか地獄でも罰ゲームの方がずっと楽しいじゃん!」
「……そう」
 それもどうかなぁ、と思いつつも常に他人の行動については本人の意思を優先するアーヴィンドはうなずくしかなかった。


 放課後。中等部の校舎をゆっくりと通り過ぎる。
「だーっ、なんだこれわっけわかんねー! リシェルー、これどーなってんだよ!?」
「あんたこんなのもわかんないわけ、なっさけないわねー。さっき教えたでしょ、オームの法則忘れたの?」
「あ、そっか……じゃーこっちは? 『昔、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとに出でて遊びけるを……』」
「ちょ、あんたなんで物理と古文一緒に勉強すんのよ!? んな宇宙語あたしに聞かないでよねっ!」
「あー、これ二十三段の冒頭じゃん。要するにこれは男が幼馴染の女を嫁にしようとしてのあれこれやそのあとのなんじゃかんじゃを書いてあるんだよ」
「なんだよ、ランパートよく知ってんな、お前が取ってるの戦士科がメインだろ?」
「マスターになー。ピノッチアはバランスよく育てないと育成効率が落ちる! とかってさー、いろんな技とか知識とか身に着けさせられたからなー……」
「……168年、ピュトナの戦……」
「ちょっと閃、一人淡々と教科書読んでるんじゃないわよ!」
「普通勉強っていうのは黙ってやるもんだろう!?」
「ま、まぁまぁ、姉さんも草薙先輩も、落ち着いて……」
 仲良く騒ぎつつ勉強を進めている生徒たちを、横目で眺めつつ先へと向かう。ヴィオが感心したように言った。
「こーいうのをくらくをともにする、とかゆーのか?」
「……ある意味では、そうなんだろうけど……」
 この学校でやることじゃないよなあ、と思ってしまうのはなぜだろう。


 高等部校舎へ向かう途中でグラウンドを通った。普段は放課後はいつも様々な部活がひしめいているグラウンドも、この一週間というもの閑散としている。
「部活も全部休みなんだよなー、速水会長の威力はすごいよなー。でも練習が遅れるー、とかって思わないのかなー部活やってる人たち?」
「部活は全部シーズンオフの時期を選んだって言ってたから、そこらへんは大丈夫だろうけど……」
 そういう細かいところで人を気遣うから、あの人はなんだかんだで人に嫌われないのだ。怒鳴られ怒られ喧嘩を売られながらも、なんのかんの言いつつ生徒みんなに慕われて任期を終えようとしている。
 自分も、なんのかんの言いつつあの人を慕っているわけだし。
 だが、慕っていてもやっぱりあの人のやり方には苦労させられまくるのだが。
 はぁ、とため息をつきつつ足を早めると、テニス部部室のそばを通った時部員たちの声が聞こえてしまった。
「……でもなー、勇者科普通科合同なだけよかったよな。もし勇者科だけなんてことになったら、ぜってー八千穂先輩荒れまくるもんな」
「ああ……憂さ晴らしの弾丸スマッシュで何人の犠牲者が出るか、想像しただけで恐ろしいぜ……あの人のスマッシュって本気で魔物殺せるからな……」
 深刻な声音で話し合う声に、アーヴィンドは苦笑しつつため息をつく。
 後輩というのは、どこも大変らしい。


「九龍くーん、ここ教えてー?」
「はいはーいっと。ああ、ここは微分法の平均値定理を使うんだよ。[f(b) - f(a)]/(b - a)=f'(x)で、この時[f(b) - f(a)]/(b - a)はx = a のところと x = b のところを結んだ線分の傾きだから」
「……お前勇者科の、しかも盗賊科のくせしてなんでそんな問題すらすら解けんだよ」
「おー? フォルっちー、嫉妬かな〜?」
「誰がだっ! つか、フツーありえねぇだろ、毎日戦闘技術やら潜入技術やら学んどいてなんで普通科の問題が解けんだっつーの」
「ああ、だって俺の場合勉強は欠かせないスキルだもん。数学ちゃんと上げとかないと遺跡の中で鍵開けちゃんとできないしー」
「どーいう理屈だっ! ……な、ならこの問題もわかんのかよ」
「どれどれー? ……あ、これ無理」
「な! なんでだよっ」
「だってこれ物理だもん。投げる武器って作る手間がかかるから俺あんま使わないからさ、物理ってほとんど上げてないんだよなー」
「なんっ、じゃそりゃあぁぁ!!」
 あちこちの教室の中からそんな風にぎゃあぎゃあ喚く声が聞こえてくるが、アーヴィンドはため息をひとつつくだけでスルーして足を進めた。だってここから行く場所でもたぶん。
「どーいうことだっ、速水ぃっ!」
 ああ、やっぱり似たような騒ぎがあるし。


「どーいうことだっ、速水ぃっ!」
 生徒会室、会長席に座って優雅に紅茶を楽しんでいる速水の前で、机をばんばん叩いているのは勇者部部長ロレイソムだった。
「どーいうことだって聞いてんだろーが! まともに答えやがれ!」
「どういうこともなにも。当たり前でしょ? 勇者部部長だろうがテストで赤点取れば罰ゲームは確定、晒し者けってーいv そんなの初めからわかってたんじゃないの?」
「っ、それくらいのことは俺だってわかってんだよ! けどな、お前のいつもの悪ふざけにしたってテスト中は勇者部のガード役もテスト受けなきゃ駄目ってのはやりすぎだろ! 不意の襲撃があった時どうすんだよ!」
 怒鳴るロレイソムの左右には、いつものように副部長サウマリルトとマリアが控えている。サウマリルトは苦笑気味に、マリアは思いつめた表情で。
 それに対峙するのは速水と舞、それに鞠絵だ。セオは現在さっきまでの自分同様に資料室に篭もっているのだろう。まぁ喋るのはほとんど速水なので他に誰がいようと同じことだろうが。
「んもう、ロレくんたらわがままだなー。テストっていうのは全生徒がいっせいに受けるものでしょ? 不正があったら困るじゃないv」
「阿呆か! 普通のガッコならそれでいいだろーけどなぁ、俺らはちっとでも隙を見せたら魔王どもに襲われる生活してんだぞっ! 最近はただでさえ魔王どもの気配に妙な動きがあんだっ、んな中でガードもなしにおべんきょーなんぞ自殺行為だってわかんねーのかよっ!」
「速水会長。あなたのことは信頼しているつもりです。けれどこれはいくらなんでも無茶だわ。なにを考えているのか知らないけれど、常識で考えてありえないのではないの?」
「いやー、常識で考えたら魔王に対抗する勇者を育成する学園ってのにそもそも無理がなくない?」
『速水(会長)!』
「まぁまぁ二人ともそんなに怒らないでお茶でも飲んで♪ あ、このポットに入ってる分は僕たちのだから自分で淹れてね。茶葉代は一パック分、カップとポット使用料と水道代はタダにしたげる」
「速水てめぇ、マジいっぺん殺すぞっ!!」
「あっはっは、できっこないのわかってるくせにー」
「上等だ試してみっか、会長殺しの勇者部部長ってことで黒歴史になんのも悪くねぇよなぁ……」
 うわぁロレイソム部長完全に目が据わってる、と思いながらアーヴィンドは速水に近づき、囁いた。
「会長……」
「んー? どしたの、アーヴィンくん?」
「ご命令の、悪魔召喚呪術式の資料、持ってきました」


 その言葉は、勇者部部長パーティにひどく劇的な効果をもたらした。マリアは驚きに目を見張り、サウマリルトはため息をついて肩をすくめ、ロレイソムはすぅっと視線を鋭くして速水を睨みつけたのだ。
「速水てめぇ、やっぱそーいうこと考えてやがったんだな」
「わぉ、僕の気持ちがあらかじめわかってるなんて、ロレくん僕と通じ合ってるぅv もうツーカーの仲?」
「キモいこと言うな! ……おい、サマ」
「うん」
 サウマリルトがこちらを見つめ、小さく呪を唱える。それからしばし考えるように目を閉じるのに、目を開けるやロレイソムが問いを発した。
「確定か?」
「うん」
「お前の見立てる勝算は?」
「犠牲を平常戦闘、つまり二割未満に抑えて勝つ、っていうことなら一割以下。人道的観点から見ればどうかと思う作戦ではあるね。……最終的な勝率は九割以上だけど」
「…………」
 ぎ、とロレイソムが歴戦の勇士でも震え上がるような眼差しで速水を睨んだ。速水はいつものぽややんとした笑顔でそれを見返す。
「なにを企んでやがる、速水」
「んー? べっつに企んでなんかいないってーv」
「なにか情報つかんでやがるのか」
「んー、君たちがつかんでる以上のネタは持ってないと思うよ? ただ僕はそこからいろいろ推測しただけ。君の優秀な副部長さんなら簡単に予測できる話なんじゃないの?」
 ちろりとロレイソムがサウマリルトを見る。サウマリルトは苦笑して肩をすくめてみせた。ロレイソムは視線を速水に戻す。
「勝算は」
「誰に言ってるの?」
「犠牲者へのフォローも万全なんだろうな」
「だから誰に言ってるのって。何年同じガッコで轡を並べてきたわけ? オトモダチでしょー、僕たち」
「よく言うぜ」
 ロレイソムはわずかに苦笑して、くるりとこちらに背を向けた。
「帰るぞ、サマ、マリア」
「うん」
「ロレイス……いいの!? 確認もしていないのに」
「いーんだよ。……速水」
「はーい?」
「今回はとりあえず踊らされてやる。だが、次はどうなるかわかんねぇぞ」
「それは重畳」
「ヘマしたら殺す。それから今度同じやり口したら殴る」
「……了解。いい男だねー、ロレくんは」
「誰に言ってやがる」
 ふん、と小さく鼻を鳴らして、ロレイソムは副部長たちと小声で話しつつ生徒会室を出ていった。


 ふ、と小さく息をついてアーヴィンドは資料を速水の机の上に並べる。
 と、実はずーっと一緒についてきていたヴィオが首を傾げた。
「なー、みんななんの話してたんだ? 俺全然わかんないんだけど」
「ごめん、僕もよくわからないんだ」
「んー、アーヴィンくんも着実に汚い大人の階段上ってきてるねv」
「冗談でもやめてください」
 そう、わからない。速水はなにも言ってくれないのだから。
 だからこれはこちらが勝手に速水に下された命令やらちょっと頑張れば手に入る情報やらから推測しただけだ。速水の思考をあくまで健全な人間のものと仮定して。
 だから本当は間違っているのかもしれないけれども。
『速水は、全力でこの学園の生徒たちを鍛えようとしている』
 その思考は、頭から離れない。


 そして、いつも通りに速水の思い通りになった。
 テストの一時間目に玉鱗魔王をはじめとする魔王が数体襲来。見張り役が公務員しかいなかったこともあり一時混乱状態に陥ったが、生徒たちは速やかに秩序を回復し反撃に移り、結果ほどなくして魔王は倒された。その時の普通科と勇者科の心の通じ合いっぷり、勢いに乗りっぷりは異常なほどだったという。そりゃーテストが潰れるのだ、「しょうがないよなぁ魔王が来たんだもんなぁ!」とキラキラ笑顔で戦闘に入りもするだろう。
 だから、このことはまだ誰も知らない。
 極秘裏に生徒会が魔王召喚部という弱小クラブに悪魔を召喚する方法を記した書物を与え(与えたというか、手に入れるように仕向けたというか。なので生徒会が関与した証拠は全然残っていない)、悪魔を召喚させてそれをきっかけに魔王を呼び寄せる作戦だったのだとは、まだ誰も知らない。速水も自分たちに口で教えてくれたわけではないのだから。
 けれど今はそれでいい、とアーヴィンドは思う。ちゃんと話してはくれない、騙まし討ちのようなやり方だ、等々不審に思う点はいろいろあるけれど。
 とりあえず、信頼できる人だと思う。今は、ただそれだけでいい。


 ちなみに速水は魔王撃退後、当然のようにテストを再開させ、落第点を取った者には公約通り罰ゲームを執行した。「鬼ー!」「悪魔ー!」と罵られながら。
 罰ゲームで先頭に立って赤点組のリーダー(ということに自然に決まっていた)ロレイソムをいびっている姿を見ていると、「やっぱりこの人ただ趣味で動いてるような気が……」とくよくよ悩みはしてしまうのだけれど。

戻る   次へ
『そのほか』topへ