おせんたく
「せんたく、だと?」
「うん。せんたく」
 にかっ、と微笑まれてゴーツは顔をしかめた。
「…馬鹿馬鹿しい。洗濯が必要なら係の者がいるだろう」
「でもさー、せんたくするとこ見てみたけどさ、その係の人ってぜんっぜんやる気なさそうだったぜ? あれじゃ汚れ落ちないよ。ついでに他の人の分もやってあげるからさ、オレにせんたくさしてよ」
 ゴーツはますます渋面になる。
「虜囚剣闘士には余計な自由を与えるなという規則だ」
「だが剣闘士には己の戦いをより有利に導く権利が認められているだろう」
 マスターが口を挟み、ゴーツは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「…それとこれとどういう関係がある」
「大ありだ! よく考えてみろ、戦いにおいてはごく些細な変化が大きくコンディションに影響するんだぞ? いざ戦いというときに肌触りの悪い服や臭い服を着ていてみろ! どれだけ意気を阻喪すると思う!」
 両腕を振りまわしオーバーアクションで演説するマスター。
「それだけじゃない。ピノッチアっていうのはデリケートなんだぞ? 普段から清潔な衣服を着て、こまめに身繕いしてこそよい体調を維持できるんだ。もし衣服をせんたくさせなかったせいでランパートが負けたら、あんた責任取ってくれるのか?」
 びしっとゴーツに指を突きつけて言いつのる。
「なにより! ピノッチア・バトルは全国民の注目の的だ! そんなところに見栄えの悪い奴を出していいのか? いや、よくない! それぞれ自分の秘蔵っ子をこれでもかとばかりに磨き上げてこその晴れ舞台だ! 俺のランパートはどんなぼろを着てても素材の良さは隠しようもなく輝いてるけどな!」
「マスター……」
 ランパートに袖を引っ張られ、マスターはこほんと咳払いして語調を緩め言った。
「ま、第一だ。たかがせんたく、ここはどーんと広い心で許してやってくれてもいいんじゃないかと思うんだが?」
「………」
 ゴーツはちっと舌打ちした。
「勝手にしろ。…ただし、一度自分からやると言ったんだ。もう2度と係の者に洗濯してもらえることはないと思え」
「うん、いいよ、それで。サンキュ」
 笑うランパートに、人の悪い笑みを返す。
「…それに、他の人間の分もやると言ったな? 実際に見てみたら、後悔するぞ」

「うわーっ、臭っ! すげえ量!」
 ランパートは鼻を押さえてあおぐような仕草をした。
 せんたく場では、1m以上ある洗い桶に山盛りせんたくものが積まれていた。
 シフラムが面目なさげに頭をかく。
「すいません、警備兵は男ばかりなもんで。持ちまわりでせんたくしてはいるんですがとてもおっつかなくって。どうしても溜まっちゃうんですよね…」
「ったく、しょーがねぇなー。よっしゃ、いっちょ気合い入れていくか!」
 ランパートはぱんっと手の平を打ち鳴らす。
 シフラムは苦笑しつつ頬をかいたが、次の瞬間仰天した。
「んじゃ、これ外に出すか。マスター、そっち持って」
「よし」
 洗い桶に手をかける二人を見て、慌てて話しかける。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。まさか、外でせんたくするつもりですか?」
「そーだよ。せんたくなんて外でやんなきゃつまんないじゃん。今日いい天気だしさー」
 あっけらかんと答えるランパートに呆れるシフラム。
「いや、つまるつまらんの問題じゃなくって……ここはコロシアムですよ? 外って、道端でせんたくするつもりですか?」
「違うよ、汚れちゃうじゃん、んなことしたら。闘技場の中でやんだよ」
「な…それはいくらなんでも……」
 言いかかるシフラムを、マスターががしっと止めに入った。
「まあ待てよシフラム君。ここは一つオレたちのせんたくっぷりを見物していてはくれないかな?」
「いや、せんたくっぷりとか、そういうことじゃなくて……」
「まあ、見てろって。絶対納得するから」
「はあ……」
 マスターににかっ、と自信たっぷりに笑いかけられて、シフラムは困ったように顎をかいた。

『ぱーたぱたままっ、ぱたぱたままっ、ぱたぱたぱたっぱ〜♪』
 ランパートとマスターは、シフラムに見張られる中、鼻歌を歌いながらせんたくを始めた。
 まず仕分け。
 山と積まれたせんたくものを、色、形、素材、柄があるかないか――そういうことで分類し、地べたに小山にして積み上げていく。
 汚れるのではないかと聞いたが、
「後で洗うからいいんだよ」
 と言われて納得した。
 それから洗い桶の掃除。
「うわ、この桶ぬるぬるしてるよ。まずはこれの掃除から始めなくちゃだめだなー」
 ということで、水場から長々とホースを引っ張ってきて、勢いよく水を叩きつけた。
「ごっしごしーの、ごっしごし♪」
 水を流している中にひとかけだけ石鹸をつけて、たわしでごしごし洗う。
 あっという間にぬらぬらが取れて、日の光を反射してきらめくようになった。
「よっし、洗うぞー!」
 ようやく本格的なせんたくの開始。
 小分けにした山を、小さいものからじゅんじゅんに洗っていく。
 手際がいい。石鹸がみるみるうちに泡立って洗い桶の中で白い山を作り、その中につけられたせんたくものはランパートの手であっという間に白さを取り戻していく。
 もんで、叩いて、しごいて、しぼって。そんな数手の手順で触るのもためらわれたものが人間の衣服に変わる。
 魔法みたいだ。
 そんな子供じみた感想を抱いたことに、シフラムは一人顔を赤らめた。
 マスターはもう一個の洗い桶に水を張り、汚れの落ちたせんたくもののすすぎを担当している。
 汚れを吸って見る間に汚れた水を、二人はざっとその場の脇に捨てた。
「ちょ…ちょっと! 舞台に水捨てないで下さいよ!」
「だーいじょうぶだって! 試合の日まであと四日あるだろ? すぐ乾くって!」
 それにとどまらず、マスターはコロシアムの端から端まで紐を張った。そしてそこにせんたくものを次から次へと干していく。
「こっ…ここに干すんですかー!?」
「あったりまえだろー? 他に干すとこないじゃん!」
 太陽光を受けて、風に白くなったせんたくものがはためく。さっきまでほとんど汚物だったものとはとても思えない。
「ぱーたぱたままっ、ぱったぱたぱぱっ、ぱーたぱたぱたっぱ〜♪」
 既に二人は鼻歌ではなく大声で歌っていた。
 ばたばたっ、と音を立てて階段から警備兵の一人が上がってきた。
「なっ……なんの騒ぎだこれはーっ!」
「せんたくっ!」
 激昂して怒鳴り散らしかけた警備兵に、ランパートがにかっと笑いかけた。警備兵は毒気を抜かれて立ちすくむ。
「せ、せんたく……?」
「あんたもやんないか?」
 ランパートにせんたくものを見せられ、ひるむ警備兵。
「な、なにをバカな……」
「水が気っ持ちいいぜー!」
 そう言ってランパートはまた笑う。
 その笑顔は本当に心の底から嬉しげで、楽しげで、なぜか心をドキッとさせるものがあって、笑いかけられたシフラム達は立ち尽くしてしまった。
 歌につられてか、他の警備兵もわらわらとせんたくをしている回りにやってきた。
 やめさせようとした者もいたが、ランパートのひどく嬉しげな笑みに気圧されてなにもできなくなってしまう。
 ランパートは相変わらず楽しげにせんたくをしている。その姿は本当に気持ちよさそうで、楽しそうだ。
「………」
 シフラムは、大きく息を吸いこんで、つかつかとランパートに近寄った。
「ん?」
 周囲の驚いたような視線の中、ちょっと小首を傾げてみせるランパートに言ってみる。
「あの…俺も、やってみたいんですけど……いいですか?」
「もっちろん! じゃ、手伝ってよ!」
 にかっと笑うランパートに小さく笑みを返し、せんたくものを手に取る。
 だってなんだか本当に気持ちよさそうだったのだ。なんだかひどく楽しそうに見えた。今までこんな楽しそうな人見たことない――いや、ずっと昔にしか見たことがない気がした。
 せんたくものを、ランパートのように洗ってみる。
 石鹸の泡につけて、ごしごしごし。もんで叩いてしごいてしぼって。
「ぱーたぱたぱたっ、ぱたぱたっ、ぱたぱたぱたっぱ〜」
 しかし…なんだか、これは楽しい。
 なんでかわからないけど、本当に楽しい。せんたくものを調子よく洗っていると、不思議に夢中になれる。
 こんなになにかに熱中したのって、何かを心の底から楽しいと思ったのって、一体いつぐらいぶりだろう?
 ――子供の頃は、もっと毎日がこんなふうだったよな?
 なんてことを思った。自然に笑みが漏れてくる。
「ぱーたぱたままっ、ぱたぱたぱぱっ、ぱーたぱたぱたっぱ〜♪」

 警備兵のほとんどを巻き込んで、時ならぬ大せんたく会になってしまった舞台からマスターはそっと離れた。
 と、物陰からゴーツがそれを見ているのが目に入り、さりげなく横に並ぶ。
「――よう」
 ゴーツはマスターを一瞥して、すぐに視線を戻した。
 マスターも気にせず話しつづける。
「いいだろ、あいつ」
「………」
「あれが本来のピノッチア″の姿なんだぜ」
「………」
「誰もが必ず通ってきて、いつしか忘れてしまった思い出の結晶。なくしてしまったとても綺麗なものを持っているひとがた。純粋(ピュア)″を思い起こさせる、時の止まったカタチ――」
「………」
「永遠の子供。それがピノッチアなんだ。本人が望むと望まないとに関わらず――」
「………フン」
 そう言い捨てるとゴーツはその場を立ち去った。
 マスターは小さく肩をすくめる。
「強情だなあ、あのオッサンも」

「対戦相手が、決まったとよ」
 その日の晩、少しは広くなった部屋で食事をしながらマスターが言った。
「へー、早いじゃん。まだ前の試合から二日しか経ってないのに」
 ランパートはちょっと感心したように言った。ちなみに、こっちは食事はしていない。
「この前みたいに一度戦ってすぐ次の日また試合ってほうが度が外れてるんだよ」
 ピノッチア・バトルが行われるのは週に一度の休日。ただ、月末だけは土曜日にもバトルを行い、試合の組み合わせによっては二日連続で戦う事もあるのである。二人のこの前の戦いは正にそんな感じだった。
「で、どんな奴?」
「データがないんだ。お前との戦いが初陣だそうだ。ただ、ピノッチア・バトルでは古参の貴族の所有だと言うから、弱いわけではないだろうな」
「ふーん……」
 ランパートがよくわからない、というように首を傾げた。
「じゃあ作戦もなし?」
「そうだな、基本的にはお前の判断に任せることになる。油断するなよ」
「誰に言ってんだって」
 マスターは小さく笑った。
「ま、な。普段通りのお前であれば、勝てる奴はそういない。…さて、ひとつちょっとしたパフォーマンスの案があるんだが……」
「ところでさ、マスター。その食事、まずくない?」
 問われてマスターは顔をしかめた。
「まずい。明日は食事だな」
「オッケ。まっかしといてよ、腕によりをかけてうまいの作ってやるから」
「……ありがとな、ランパート」
 そう言ってマスターはランパートの頭を撫でた。

「レッドゲート、民間所有ランパート! ホワイトゲート、アルトバーグ伯ニムパス卿所有アーチボルト!」
 名を呼ばれてランパートは舞台の中央に進み出た。
 今日のランパートのコスチュームは鮮やかな紺色の分厚い綿生地で仕立てられた半袖半ズボン。シャツには胸ポッケが二つと、なぜか肩にワッペン。首に巻いたスカーフが微妙に子供っぽい。
「…なんなんですか、あの格好?」
「ボーイスカウトの制服だ」
「は? …ボ?」
 マスターは抑えながらも得意げにゆるむ口元を隠しきれずにやっと笑ってみせた。
「俺の国にあった少年野外活動訓練組織だよ。組織の中で一人訓練に励む少年のストイックな色気。規律によって抑圧された奔放さがふとした時に見せるエロチシズム! それが今回のコンセプトだ」
「はあ…」
「どうだ? ん? 可愛いだろ?」
「いや、その、可愛いですけど……」
「だっろぉぉ? やっぱ誰が見てもわかるんだよなぁぁっ!」
「あの…」
 口を差し挟めないシフラムの肩に、ゴーツが手を置いた。
「気にするな。馬鹿だ」
「はあ……」
 シフラムは苦笑するしかない。それでも、顔を引き締めて舞台を見た。
「ランパート君の相手は今度は年下みたいですね」
 アーチボルトと呼ばれたピノッチアは、まだ十歳にも満たないような男の子だった。紫色の髪の下に、華奢な造りの顔が見える。
「ピノッチアの能力は見かけの年齢では決まらない」
 いきなり真面目顔になってマスターが言う。
「ついでに言うと外見的な体格でもな。無関係とは言わないが、要は刻み込まれた経験だ」
「は、はあ……じゃあ、あの相手の子がものすごく強いって可能性も……?」
「もちろんある」
 司会が合図をして、舞台上の二人は武器を構える。今回のランパートの武器はまた棍。相手アーチボルトの武器は短剣だった。
「はじめっ!」
 その声と同時にアーチボルトが動いた。目にも止まらぬ、というほどのスピードでランパートに突っ込んでくる。
 ランパートがひょいと身をかわすとそのままランパートの脇を通りぬけ、距離をとってから振り向く。やいなや再びランパートにむけて突っ込んでくる。
「なるほど、そういう作戦できたか……」
 マスターは顔をしかめ呟いた。
「えっ、えっ? 作戦って?」
「体の小ささを逆手に取ったな。短剣の体ごとの突き、その一点のみに攻撃は集中してる。そのかわり速度はとんでもなく速いし勢いも攻撃力もある。軌道の読まれやすさから来る攻撃されやすさは初速の速さと体の小ささでカバーする気なんだろう。居合いと同じだな」
「じゃ、じゃあ、ランパート君負けちゃうんですか!?」
 ほとんど悲鳴を上げるようにするシフラムに、ゴーツは苦虫を噛み潰しマスターは苦笑する。
「いや。あの程度の速さでランパートが防御を崩すことはないよ。ただ…俺の授けた作戦が、ちょっとばかしそーいう戦法とは相性が悪いんだよな。さて、あいつはどうするか…」

 ランパートはアーチボルトの何回目かの突進をかわすと、ちょっと考えた。
 そしてにやりと笑い、再びアーチボルトが突進してくるのに合わせて棍を宙に放り投げた。
「!?」
 一瞬驚きでアーチボルトの動きが止まったが、すぐに突進を再開する。
 ランパートはそれにタイミングを合わせてひょいと逆立ちをした。
「!」
 驚くが初速のついた体は急には止まれない。ランパートの背中に突進するが、その短剣を持った腕が止まった。ランパートの脚に挟まれたのだ、と思うやいなやランパートの体が回転してアーチボルトは宙に投げられていた。
 そしてすぐにランパートも宙に跳ぶ。顔を硬直させて体をきりもみ状に回転させるアーチボルトの関節を空中で両手両足を使ってキメ動きを封じた。そして体を回転させてアーチボルトを下にして着地し、さらに回って体勢を入れ替えアーチボルトを上に押し上げる――
 そこに棍が降ってきた。
 ゴン、と鈍い音をたてアーチボルトの頭に激突し、意識を失わせる。
 この間わずか1、2秒。
 ……うわぁぁぁっ!
 何が起こったかわからなかったが、一瞬の複雑な動きを読み取ったのだろう、観客席が沸いた。
 マスターはゲート脇で苦笑しつつ呟いた。
「そうきたか。あいつもけっこうメチャクチャやるもんだ」
「あの、いま、何が……」
 おずおずと訊ねるシフラムにマスターは笑った。
「いや、なに。俺は関節から投げて空中殺法で派手にきめろ、って言ったんだがあいつは順序を逆にして投げてから空中で関節をキメたんだ。しかもとどめを落ちてきた武器でするとはね……」
 マスターはそう言って、ゴーツにからかうような視線を向けた。
「どうだい。しかもあれであいつせんたくも料理もできるんだぜ」
 ゴーツは苦虫を数匹まとめて噛み潰したような顔でランパートを凝視していたが、やがて「フン」と言って目をそらした。


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