「フェンネル、ナツメグ、クローブに、セージ、タイム、ローズマリー、と……」 マスターはランパートの差し出す買い物メモを見ながら香辛料を次々と(器用に右手だけで)店の袋の中に入れていく。 左手には既にいくつもずっしりとした買い物篭がぶら下がっていた。 「…あのー…あといくつ店を廻れば終わりなんでしょうか……?」 そばに立っていたシフラムが訊ねた。こちらも両手にたっぷりと買い物篭をぶら下げている。 「この店で終わりだな。予定では」 シフラムのホッとした顔を見て、これまたたくさん買い物篭を持ったランパートが笑った。 「シフラムさんってば、そんなにバテたのかよー」 荷物の重さをまったく感じさせない動きで、くるりと回って空を指差してみせる。 「こんなにいい天気なのにさ!」 「やっぱ、ひさしぶりに外出ると気持ちいーな!」 買い物を終えて店の間を歩きつつランパートが嬉しげにいった。ここビーカルダヤ帝国首都の市場は露店が何百メートルも軒先を連ねているというもので、こんな天気のいい日にはどこにいても陽の光を浴びることができる。 「だな。ランパートと二人きりじゃないのがちと残念ではあるが……まあ大勢で歩くというのも悪くない」 「たわけたことをぬかすな! お前らは虜囚なんだぞ、二人だけで外に出すわけがないだろうが!」 ゴーツがわめく。その両手にもどっさり荷物がのっかっている。 ランパートとマスターは、三戦目を勝ち抜いたことにより一週間に一度(監視つきで)外出する許可を得た。そして外出時どこに行くのかとゴーツとシフラムに訊ねられると二人は『買い物』と答えたのだ。 「まったく…こんなに食料品を買いこんで、腐ったらどうする気だ?」 「心配は無用だよ。全員の食事のペースを考えた上での量なんだから。これくらい数日あればぺろりだって」 「む……」 ゴーツは顔をしかめた。 自分たちの食事を自分たちで用意するというところから始まって、いつのまにかランパートとマスターは闘技場の衛視たちの食事まで作るようになっていた。 そしてその食事がゴーツも思わず唸ってしまうほどうまいのだ。 せんたくをしてもらった上に胃袋を押さえられ、衛視たちはすっかり二人に懐柔されてしまった。 「そうですよねー。お二人の作る料理ってほんとにおいしいですもん。どこで習ったんですか?」 「ピノッチアには本来家事もたしなみのひとつだからな。家庭教師を呼んで……俺もちょっと教えたけど。まあこれだけの腕を持ってるピノッチアはそうはいないだろうけどな」 「…大した自信だな」 苦々しげに言うゴーツに、マスターはあっけらかんと笑った。 「俺は腕がいいからな」 ふいにだだだっとすごい勢いでこちらに向かって人影が駆けてきた。 立ち止まってそちらを見つめていると、人影はランパートの目の前で急停止し、真っ赤な顔でぜえぜえ息を荒げながら話しかけてくる。朴訥な顔をした、気のよさそうな青年だ。 「あ…あの…ラ、ランパート君ですよね? ピノッチア・バトルに出てる……」 「うん、そうだよ。あんた誰?」 問われて青年はさらに顔を赤らめた。 「あの…僕、エイジュンって言います。僕…あなたがはじめてピノッチア・バトルに出たとこ見て、なんていうか…すごく…すごくいいなって思って…それで、僕旅してるんですけど、またあなたの姿が見たくってずっとこの街に留まってるんです」 「……そうなの?」 「はい!」 戸惑った風に訊ねるランパートに、エイジュンは力一杯答える。 「それで…その、さっきそこの花屋で買ってきたんですけど。受け取って下さいっ!」 バッ、と差し出されたのはバラにひまわりにカーネーションとまったく統一感がなくやたらと派手派手しい花束だった。 しかも両手でなければ抱え込めないくらい大きい。 「…………」 沈黙が降りた。エイジュンはうつむいて花束を差し出したまま固まっている。 一分ほど沈黙が続いた後に、ゴーツが苛立たしげに言った。 「お前な。どこの誰だか知らんが、プレゼントするなら少しは状況を見てやってくれ。両手にこれだけ荷物を抱えているんだ、そんなでかい花束が持てるわけないだろう」 「え…っ」 言われて初めてランパートが荷物を抱えていることに気づいたらしく、エイジュンはさーっと青くなった。 「す…すいませんすいません! 僕…気づかなくて…返してきます!」 「あ、ちょっと待ってよ!」 ランパートに呼びとめられ、駆け出しかかっていたエイジュンはおずおずと振り向いた。 「返すなんてもったいないって。それ、オレにくれるんだろ? だったらさ、悪いんだけど、それ闘技場まで持ってきてくんないかな?」 「え…?」 「きれーだもん。くれるんならオレ、それ欲しいな」 そう言うとランパートは本気でか? と言いたそうなゴーツにもかまわずにこっと笑った。 エイジュンはしばし茫然としていたが、はっと気づくと顔を真っ赤にして猛然とうなずく。 「…はい! はい! 喜んで! どんなことがあっても持っていきます!」 「ありがとう」 そう言ってまたにこっと笑う。 エイジュンも顔をくしゃくしゃにして泣き笑いに笑い、ぺこっと頭を下げるともと来た方向へと駆け出した。 「…どうだ、ランパート、初めてファンの人間に会った気持ちは?」 「え…今の人って、オレのファンなの?」 マスターは軽く笑った。 「そうだよ。花束を渡そうとするわ、旅してるのにもう2週間近くこの街に留まってるっていうわ、どう考えても相当そうだろ?」 「へえ…」 ランパートは今ひとつピンときていない顔で首を傾げていたが、やがてニッと笑った。 「なんか、よくわかんないけど。オレのこと好きって言うんなら、嬉しいな」 「そっか」 マスターは軽く微笑んだ後、にやりと笑みを深めてみせる。 「まあ、お前ならもうファンの百人や二百人できてたって全然おかしくないけどな。なんといっても可愛さはとびきりだし。これまでそんな奴が出てこなかったのが不思議なくらいだ」 「自信たっぷりに言いおって……」 苦々しげに言うゴーツ。 シフラムが懐柔するような笑顔を浮かべて言う。 「まあ、ランパート君は三戦とも派手に、しかも余裕で勝ち抜いてるわけですし。けっこう噂になってるみたいですよ、客の間でも。次には六番目か七番目の試合を任されるんじゃっていう話も出ているくらいで」 「なんだよ、その六番目とか七番目とかって」 ゴーツがまた苦虫を噛み潰したような顔になった。 「まだそんなことも覚えとらんのか。ピノッチア・バトルは一日に十試合が行われる。新人たちの試合から始まって、強い者ほど後の試合になるんだ。四戦目で六、七試合目っていうのは異例のことだぞ。…まだ決まったわけじゃないから、なんとも言えんがな」 「ふーん…」 ランパートはさほど興味がないというように首を揺らしていたが、ふいに笑った。 「じゃオレさっさと勝ちあがって、早いとこ最後に試合ができるようになんないとな」 「………」 思わずゴーツとシフラムが絶句した時、通りの少し先から悲鳴が上がった。 「喧嘩かっ!?」 ゴーツとシフラムがはっとする。彼らは衛視なのだから、街中でいざこざがあれば止めなければならない立場にある。しかし、両手に荷物を抱えたこの状況ではどうにも動きが取れない。 「先行くぜ、マスター!」 「待て、俺も行く!」 「あ、コラ!」 ランパートとマスターの行動は素早かった。荷物を抱えていることをまったく感じさせない動きで騒ぎのあった場所へ走る。 ゴーツとシフラムも慌てて後を追った。 「す、すいません、ちょっと、よそ見を、していたものですから……」 「よそ見だと? 貴様俺を誰だと思っている? 代々オピュヌス領を預かってきたアルンデル家の当主ヴィダイ・ルダ・アルンデルだぞ?」 筋骨隆々としたいかにも屈強な大男が、青年の襟首を高々と引き上げている。喋っているのはその後ろにいる、これまた筋肉の塊のような大男だった。自分で言っているとおリ貴族の家柄らしく、身につけているものはかなりの高級品ばかりだ。 野次馬がザワザワと遠巻きに見守る視線をたっぷり意識しながら居丈高に言い放つ。 「貴様ごときが俺の体に触れるというのはおこがましいというのがわかっとらんようだな。ガルド!」 「は」 青年を吊り上げている大男が短く答えた。 「やれ」 ガルドはうなずくと、青年をより高く吊り上げ、ひょいと空中へ放り投げた。青年はまったく受け身を取れず、頭から落下―― しようとしたところで、受け止められた。 「何やってんだよっ!」 キッと二人を睨みつける黄玉色の瞳。 ランパートだ。 「ランパート、君……?」 「エイジュンさん、大丈夫?」 吊り下げられていた青年――エイジュンはフラフラしながら呟く。 「ごめんなさい……花束が……」 彼の持っていた花束は、地面に落ちてぐしゃぐしゃになっていた。 「…」 ランパートはすうっ、と小さく息を吸いこむとエイジュンをちゃんと座らせ、立ち上がった。 じっと大男二人を睨み言う。 「なんで、こんなことしたんだよ」 「小僧。貴様、この俺に文句をつける気か?」 「答えろよ。なんでこんなことしたんだよ」 ランパートは強い視線でヴィダィを睨みつけている。 ヴィダイはふん、と鼻を鳴らすと嘲るように言った。 「そこの愚か者が俺にぶつかってきたのだ。身の程知らずの愚民に罰を与えるのは当然だろう」 「……何言ってんだ、このヤロ――っ!」 叫ぶと同時にぐっと力の入ったランパートの体を、マスターが負ぶさるようにして抑えた。その両手には、ランパートの置いていった荷物までぶらさがっている。 「マスター!?」 「オピュヌス伯アルンデル卿ヴィダイ・ルダ・アルンデル。戦いに憧れる筋トレマニアがこんなところで戦えない憂さ晴らしか?」 冷静なマスターの口調にヴィダイの額に青筋が走った。 「……貴様……この俺を侮辱する気か?」 「事実だろ。侮辱する気もありありだがね」 「……いい度胸だな」 ヴィダイが青筋を浮かべたまま口の端を吊り上げた。元の顔がごついので、かなりの迫力だ。 「どこの誰か知らんがな。平民が俺に逆らってこの国で生きていけると思うのか?」 「別にこの国で一生生きていくつもりはないよ。それに俺とこっちのランパートは虜囚剣闘士だ。虜囚剣闘士は勝ち続ける限りその身分を損なうことは誰にもできないんだぜ。たとえ皇帝だってな」 その言葉を聞いて、ヴィダイが面白そうに片眉を上げた。 「ほう…その赤毛の小僧は、ピノッチアか?」 「そうだよっ!」 ランパートは今にも噛みつきそうにしてヴィダイに怒鳴る。 「面白い。ならばその小僧とこのガルド、戦わせてみようではないか。勝ち続ける限り、とぬかしたな? このガルドに敗北の味を味合わせてもらうがいい」 「このガルド…って…」 ランパートが一瞬怒りを忘れてきょとんとした顔になった。 「そのでっかい人、ピノッチアなのか?」 ピノッチアはもともと貴族の愛玩物として作られたものだ。当然美しく、可愛らしいのが必須条件になってくる。 下は赤ん坊からあるが上はどんなにいっても18歳までである。ほとんどは子供といえるような年代になっているはずなのだ。 「そうだよ。特注で作らせたらしい。俺もこういう型のピノッチアは初めて見たな。設定年齢は18歳だそうだが」 「驚いたか。貴様らのごときひ弱なピノッチアとは違うのだ。戦うために作られた、俺にふさわしいピノッチアよ」 「……」 ガルドは無言でヴィダイの傍らに佇んでいる。だがその目には殺意が確かに息づいていた。 「怖気づいたか? だがもう遅いぞ、体をバラバラに引き裂いて、その生意気な口から命乞いの悲鳴を上げさせてやるわ」 「誰がっ!」 飛び出そうとするランパートを抑えたマスターは、静かに目を光らせてヴィダイを見た。 「その申し込み受けた。次の試合の日までにカードを組むよう要請してもらおうか」 「…ふん、後悔するぞ」 「ただし、条件がある」 「なに?」 侮るような視線を向けてくるヴィダイに、マスターはふっと笑ってみせた。 「俺たちが勝ったら、俺たちとこのエイジュン君に土下座して謝ってもらおうか。見舞金もつけてな」 「なっ…!?」 「それから、今後一切国民に暴力を振るったり嫌がらせしたりしないと誓うこと。もちろんピノッチアにもな」 ヴィダイは怒りで顔を赤らめ、腰の剣の柄に手をやった。 「貴様ァ…俺を愚弄するか!?」 「いーや、大真面目だよ。悪いことをしたら謝るのは人として当然だが、あんたは人としてまだまだ未熟だからこっちが大人になって条件付にしてやろうって言ってるのさ」 「この…平民が…っ」 「それとも負けるのが怖くて約束できないか? あれだけ自信たっぷりに勝利宣言しておいて」 「……」 ヴィダイは顔を無理やり笑うように歪めると、手を元に戻した。 「いいだろう。こちらが負けるはずもない」 「この場にいる全員が証人だ。約束を破ったらあんたの貴族としての誇りはボロボロになるぜ。負けてもピノッチアに八つ当たりするなよ」 「ああ、約束は守ってやるとも。だが、こちらが勝った時は、俺がじきじきに貴様の体を八つ裂きにしてくれる」 「あんたには無理だと思うけどね」 ヴィダイはふん、と鼻で笑うとガルドを従え踵を返し、立ち去っていった。 完全に姿が見えなくなってから、マスターが軽く息をつく。 「やれやれ」 「エイジュンさん、大丈夫?」 「あ、はい、大丈夫です…すいません、僕のせいで余計な試合をすることに…」 「気にすることないって! あんなひでー奴らエイジュンさんのことがなくたってオレ喧嘩してたよ」 「そうだな。それにこちらとしても好都合だ。これまで築いてきた評判を後押しに、一気に名を売ることができる」 「何を馬鹿なことを言っとるんだ貴様らは!」 怒鳴り声に振り返ってみると、そこに立っていたのはゴーツとシフラムだった。 「おう、遅かったな」 「馬鹿か、お前らは!? アルンデル卿は帝国でも屈指の有力貴族だぞ! しかも戦好きでの喧嘩好きで、忍びで街を歩き回っては引っかかってきた奴に喧嘩を売ることで有名な! あのガルドとかいうピノッチアは自分に有利な格闘戦のカードを組んでもらっては相手を完膚なきまでに叩きのめす壊し屋なんだ! 実力も格闘戦では全ピノッチアの中でニ、三を争うと言われてる! そんな奴と戦おうとしてるんだぞ貴様らは!」 「知ってるよ」 マスターが冷静な声で言う。 絶句したゴーツに、ランパートが明るく言った。 「大丈夫だって! マスターは勝てない戦いにオレを連れてくようなことは絶対しないもん。オレ勝つよ、絶対!」 「…本当に、大丈夫ですか?」 おずおずと訊ねるシフラムに、マスターとランパートは声を合わせた。 『大丈夫!』 「レッドゲート、民間所有ランパート! ホワイトゲート、オピュヌス伯アルンデル卿所有ガルド!」 ランパートは舞台へ進み出た。今日のコスチュームは上半身裸にボクサーパンツ、ブーツに両手にはテーピングという格好である。 「…なんなんですか、アレは?」 「見ればわかるだろ、ボクサースタイルだ。本来なら手にはグローブをはめさせたかったんだが、それをやると両手が自由に使えなくなるからな」 いつもの如くレッドゲートの舞台下で、マスターは嬉しげに解説を始めた。 「今回は格闘戦だからな、小さな体にアンバランスなほど大きいパンツをつけただけという姿で、子供っぽさと元気さを強調したわけだ。あれは実戦的でもあるスタイルなんだぞ、掴むところがないからな。それに加えて生肩、生胸、生腹、生足だ! こういう露出度の高いスタイルはこれ以上いくところがないから善し悪しなんだが、それはそれとしてあの姿の破壊力は殺人的! 一気に名を売る試合として俺も賭けてみたわけだ。ちょっと惜しい気もするが、な。さあ観客よ、ランパートの素肌を堪能しそのあどけない可愛らしさと無邪気な色っぽさに震えるがいい!」 「シフラム、貴様のせいだぞ、聞くなと言っただろうが」 「すいません…」 マスターはひとしきり解説を終えると、息を整えて舞台の中央を見た。 ガルドも舞台の中央に進み出ている。ここから見ても大人と子供ほどの体格差があった。 ゴーツが苦々しげに言う。 「…あれだけの体格差で本当に勝負になるのか?」 マスターがくすっと笑った。 「心配してくれてるのか?」 「馬鹿を言うな! 私はピノッチアが嫌いだと言っただろう!」 「はいはい」 「でも、本当に、体の大きさが違いすぎます…」 マスターは今度はにやっと笑った。いつもの自信たっぷりの笑みだ。 「格闘戦で体の大きい奴が有利な理由は三つある。一つ目はリーチ、二つ目はパワー、これは重さと言いかえることもできるが――そして三つ目はタフさだ」 三本立てた指を一本一本折りながら解説する。 「リーチがあれば相手の攻撃が届かない間合いで戦うことができるし、パワーがありゃ戦闘ほぼすべての局面で有利になる。体が大きければそれだけ耐久力も上がり、しぶとく負けにくくなるわけだが――」 「圧倒的有利じゃないですか」 ちちち、と指を振る。 「有利なことばかりというわけでもない。一つには敏捷性だ。体が大きいということは動かすのに時間がかかるってことだ。あいつの一秒はランパートには十秒にも感じられるだろうよ」 「…そうなんですか?」 「そう。もうひとつには柔軟性。体が大きければ関節にそれだけ負担がかかる。そして最後に小回りのきかなさ。懐に飛びこまれると対処が難しい」 そう言ってマスターは一本指を立てた。 「これらのことから導き出される戦法は?」 「え…と…」 「…関節技か?」 ゴーツのぼそりと言った答えに、マスターは大きくうなずく。 「そう。末端狙いで関節技を仕掛けていけば、簡単に動きを封じることができる。それだけの技量を持ってるからな、ランパートは」 そこまで言うと、マスターはにっこり笑った。 「だが、今回はそういう戦い方はしない」 「…なに?」 「腕を折っちまったりしたら治すのに時間がかかるからな。あいつの主人に負けたら八つ当たりされる可能性が大だし。抵抗できるようにしとかないと、困るだろ?」 「そんな悠長なことを言っていていいのか!?」 「いいんだよ。関節技なしで勝てる方法があるんだから」 マスターはにこにこ笑いながら、腕を組んだ。 「ま、見てろって」 「はじめ!」 掛け声と同時にガルドが仕掛けた。 後ろ回し蹴りから一回転したところに逆に力を加えての回し蹴り。続いて大きく足を上げてのかかと落とし。 そのすべてをランパートは紙一重で避けた。 ガルドの眉間にきゅっと皺が寄る。 続いてガルドは踏みこんで手刀を振り下ろした。右に左にと挟みこむように攻撃する。 これも肩を動かしただけで避けられた。 ガルドは目をむき、さらに踏みこんだ。と同時に蹴り、拳、肘を次々とランパートに叩きこむ。 ランパートはその全てをあるいは避け、あるいは受け流した。 観客席がおおっとどよめく。 ガルドは肘打ちから膝蹴り、そして前蹴りへの変化を全て防がれると、スッと後ろに跳び退った。ランパートもそれを追うことなく、自然体の構えで待つ。 「…貴様、強いな」 「まあね。あんたもね」 話しかけてきたガルドに、ランパートはニッと笑ってみせる。 「これほどの強さとは思わなかった。だが、俺は負けるわけにはいかん」 「あのオッサンに怒られるからか? あんなオッサンをよくマスターって呼べるな。オレだったら絶対ヤダ。あんた、あのオッサン好きなの?」 「…別に」 「じゃあなんで一緒にいるんだよ」 ガルドは少しずつ構えを変化させた。手を先に延ばし、体を後ろに傾けてためを作る。 「…お前は、可愛らしい」 「へ?」 ランパートはきょとんとした。 ガルドは噛み締めた歯の間から押し出すように言葉を紡いでいく。 「お前のように可愛らしければ、負けたとしても可愛がってもらえるだろう。愛玩してもらえるだろう。だが、俺はこの体だ。戦うことにしか使うことを許されない体だ。俺の存在意義は戦うことにしかない。だから…」 どんっ、とガルドの体が跳ねた。 「負けるわけにはいかんのだ!」 一気に間合いを詰め、ランパートの体を掴んだ。後は力にものを言わせて無理やり引き寄せ、首根っこを掴んで吊るし上げる。 わああっ、と観客席がまた沸いた。 「たっ、大変ですよ、首締められちゃってますよ!」 「心配することはないよ」 マスターは腕を組んだまま笑う。 「予定通りの展開だ」 ぎしぎしと首を締め上げられながら、ランパートは叫んだ。 「ヘンだよそれ! なんで自分のことそれしかできないとかしちゃいけないとか決めなくちゃいけないんだよ!? マスターが言ってた、俺達は生きてるって、いろんなことを感じることができるんだって! 感じたままに動いていいんだって、それが正しいことなんだって! なのにどうしてそんなつまんないことでなになにしちゃいけないって考えなくちゃいけないんだよ!?」 「…黙れ!」 ガルドは手に力を込めた。ピノッチアは呼吸をしないが、このまま力を入れつづければ首根っこを折ることができるだろう。 ランパートはしばし黙って、また言った。 「もっといいマスター探せよ。自分でさ」 「くどい」 ランパートはまたしばし黙って、言った。 「バカヤロー」 そう言うや首を掴まれたまま体を大きく振った。 なんだ、と思う間もなくガルドの指と指の間にランパートは素早く指を突き立てた。関節に力が入らなくなって手が外れる。 ランパートは振り子のように大きく体を振り上げ、差し上げられた手を支点にして一回転させガルドの首を両足で挟んだ。そして遠心力の勢いを利用して思いきり引き下げ、上体を倒してガルドの足を払う。 この一瞬で、ガルドの体は頭から倒れていた。 「重さというのは武器にもなるが弱点にもなるんだ。動きの鈍さのみならず、投げられた時武器だった重さは全部自分を攻撃する」 マスターは肩をすくめた。 「どんなにタフでも頭蓋への衝撃は吸収できないし、な」 ランパートは立ち上がってガルドの顔を見た。 不意をつかれたせいかまったくの無表情だ。 耳元に口を寄せて囁いた。 「オレ、あんたもよく見ればけっこー可愛いと思うぜ」 ガルドの顔が、わずかにゆるんだ気がした。 |