救援要請
 カーキ色のやたらポケットのいっぱいついた緩めの上下を身に着けたランパートは、両手の小さいトンファーでどんどんと相手を追いつめていた。
 観客席が興奮にどよめいて、歓声を上げる。相手は――この闘技場でも五本の指に入るほどの腕の持ち主だという話だったが、ランパートが矢継ぎ早に繰り出す攻撃に対応しきれず、ずっ、ずっと後ろに下がっていく。
 ほとんど舞を舞っているように流麗なランパートの動きが、次第次第に激しさを増してきた。相手の苦し紛れの攻撃を軽く受け流し、微妙に体から外した攻撃を流れるような動作で打ち込む、そのテンポがどんどん速くなっている。
 相手がどんどんと後ろに下がり、あと数歩で壁にぶつかるというところまで来た瞬間、ランパートはざっと相手の懐に踏み込んだ。相手が武器を当てることができないほど接近して、相手の体を手と足で軽く押す――としか見えないやり方で宙に投げる。
 大きく宙に浮いた相手が落ちてくるまでのほんの一瞬の間に大きく跳び下がり、舞うように一回転して――手に持ったトンファーを投げた。トンファーは手持ち武器とは思えぬ速さで飛び、相手の服をコロシアムの壁に縫い止めて突き刺さる。トンファーの先には刃物が仕込んであったのだ。
 壁に縫い止められ動けなくなった相手に、縫い止められた時に落とした相手自身の武器を宙返りのように回転しながら拾い突きつける。観客席がわあっと沸いた。コロシアム中に勝負の終わりを告げる銅鑼の音が響く。
『ランパート! ランパート! ランパート!』
 観客席が大きく揺れて何度もランパートの名前を叫ぶ。ランパートは自分の入ってきたゲートの方を向いて、輝くような笑顔を見せた。

「ファンからの花束とプレゼント持ってきました〜。またすごい量ですよ」
「そこに置いといてくれ。あとで返事の手紙書くから紙とペンを頼む」
「……それから、また貴族の方々から自分おかかえの剣闘士にならないかと誘いが来ているぞ。またすごい顔ぶれだ。ヴォーダン伯ディディット卿、スメルヴァ伯アントゥーン卿、フォトリゥーナ伯ヴィザンチ卿……」
「みんな手紙なんだろ? じゃ、プレゼントと一緒に置いといてくれ」
「また全部に断りの返事を書くのか?」
「丁重に、な」
 虜囚剣闘士としては最高級の、貴族とファンからのプレゼントで具合よくしつらえた部屋。
 その中で試合を終えたばかりのランパートとマスターはくつろいで、ゴーツとシフラムの話を聞いていた。ランパートはまだバトルコスチュームのままだ。
「こんなにたくさんのプレゼントに全部返事を書くなんて、相変わらずマメですねえ」
「ファンを大切にするのはスターの基本だろ?」
「そのくせ貴族の方々からのオファーはことごとく断る。……まったく、型破りな奴らだ」
「受けるメリットよりデメリットの方が大きいから断ってるだけさ。第一俺たちは誰かに飼われるのは嫌いだし」
 虜囚剣闘士の世界に二人が足を踏み入れてから数ヶ月。ランパートは一躍闘技場のスター選手になっていた。
 どの試合でも圧倒的な強さを見せ、観客を楽しませるパフォーマンスに満ちた勝ち方をする。その造形や立ち振る舞いの美しさ(にマスターのバトルコスチュームの魅力もプラスされていたらしいが)、明るい性格を感じさせる笑顔なども加わって、多くのブレイクアップ<tァンを魅了した。
 当初ランパートが観客に嫌われる原因となった『対戦相手を壊さない』という点も名前が売れてくると逆にプラスに働き、『ポリシーがある感じでかっこいい』とファンを惹きつける一因となり、最近ではピノッチアを壊さない剣闘士も増え始めている。
 今やランパートは壊さずの<宴塔pートという二つ名を与えられ、最後の試合を任されることもあるようになり、なのに驕ったところがなくファンにも優しいところがまたファンを増やし、一説では闘技場に来る八割はランパートを見に来ているとまで言われるほどにまでなった。
 プレゼントを部屋の隅に積み重ねながら、シフラムが嬉しげに言った。
「本当にランパートくん、見事にスターになっちゃいましたよね……なんか僕まで嬉しくなっちゃいます。すごい人の担当になったなぁって」
「そーだろそーだろ。まあランパートの魅力からすれば当然の話だけどな〜♪ むろん俺の売り込み戦略も多大な効果を上げていることは疑いようもないが!」
「マスター……いっつも思うけどさー、よくそんなに堂々と自慢話ができるよなぁ。言ってて恥ずかしくなんないわけ?」
「なるわけないだろう。俺は常に疑いようもない事実だけを口にしているんだからな!」
「こいつ、いつものことながらうぬぼれおって……」
「それよりも、この衣装の感想をまだ聞いてなかったな! どうだ二人とも、この衣装を見てどう思う!」
『………………』
 シフラムとゴーツは思わず無言で引きつった顔を見合わせた。毎回毎回試合のたび、マスターは新しいコスチュームを作ってその感想を求めてくるのだ。
 笑顔の聞いて聞いて光線に耐え切れず、シフラムがのろのろと口を開けた。
「……その服は、どういう服なんですか?」
 よくぞ聞いてくれました! とばかりにマスターが笑みを深くする。
「今回はミリタリールックだ! 銃とか持たせたいのは山々だが、銃火器は駄目って決まってるからな」
「みりたりー……」
「いとけない少年がミリタリー……恐怖の対象である戦闘用の服を着る。子供が背伸びしているような可愛らしい感覚を与えると同時にちょっぴり危険な香りも漂わせた微妙に倒錯的なこの構図! どうだ、辛抱たまらんほどにプリキューだろう!」
『………………』
 脱力した顔を見合わせるゴーツとシフラム。ランパートはすでに我関せず、という顔だ。
 かなりのダメージをくらいながらも、シフラムは気を取り直して別の話題を持ち出した。
「と、とにかく! 次はチャンピオンとの対戦ですね! みんな楽しみにしてるんですよ!」
 シフラムがそう言ったとたん、マスターとランパートの動きがぴたりと止まった。マスターはひどく厳しい顔になり、ランパートはきゅっと唇を噛んで悔しそうな顔になる。
 シフラムが何かまずいことを言ってしまっただろうかと、慌てて二人を見た。マスターがゆっくりと口を開く。
「……チャンピオンとの対戦日が、決まったのか?」
「い、いえ、そういうことじゃないんですけど、ここまで上りつめたらあとはチャンピオンとの対戦しか残ってないでしょう? もうすぐそのカードが組まれるんじゃないかって噂されてて……あの無敗のチャンピオンに土をつけられるのはランパートくんしかいないって何度も話題になったんですよ」
「……そうか」
 黙りこんで下を向いてしまった二人に、シフラムは慌てて残りのプレゼントを一気に床に置き、もう置き終わっていたゴーツと一緒に部屋の出口に向かった。
「そ、それじゃあ! 次の試合も頑張ってくださいね!」
「……ああ」
「……うん、サンキュ」
 最後の挨拶にも元気のない返事しか返ってこないことにこれはただごとではないと思ったシフラムは、扉を閉めるのもそこそこに部屋を出た。
 廊下を歩きながら、ゴーツに話しかける。
「お二人とも、なんだか急に元気がなくなっちゃいましたよね。何か僕、悪いこと言ったでしょうか」
 ゴーツはふん、と鼻を鳴らした。
「簡単だろうが。あいつらはな、チャンピオンに勝つ自信がないのでびくびくしていたのだ。負けるかもしれないとな」
 シフラムは思っても見なかった答えに驚いて、はあー、と息をついた。
「はあー……あのお二人でも、やっぱりチャンピオンには自信がなくなっちゃうんですねー」
「……負けてしまえばいいのだ」
 ぼそっと口にされ、シフラムはよく聞き取れず聞き返した。
「は? ゴーツさん、今なんて言いました?」
「なんでもない。行くぞ」
 先に立って歩きながら、ゴーツは口の中で何度も呟いていた。
「……負けてしまえばいい。あんな可愛らしいピノッチアなど、負けてしまえばいい。負けてしまえば……」

 部屋に二人残されて、マスターとランパートは顔を見合わせた。ランパートがマスターに寄りかかりながら、小さく呟く。
「……本当に、俺じゃ勝てないのかな」
「勝てない」
 マスターはきっぱり首を振った。
「そりゃ、あいつめちゃくちゃ強かったけどさ。俺だって強いぜ。やってみなきゃ勝ち負けなんてわかんないよ」
「お前はもちろん強いさ。……だが、あいつの強さは質が違う。説明しただろう。……あいつは本当に戦うためだけに作られたピノッチアなんだ」

 ピノッチア・バトルブレイクアップ♀J催当初から無敗のチャンピオン――ビーカルダヤ帝国皇帝の所有するピノッチア、ヴェーダ。虜囚剣闘士になってすぐ、二人は彼の試合を見に行った。
 というか、基本的に二人はどんな試合も見るようにしていたのだ。大体めぼしい選手はマスターがすでに虜囚剣闘士になる前から試合を見ていたが、やはり直接戦う者も相手の戦い方を知っていたほうがいいに決まっている。
 その日のヴェーダの相手は下級貴族の所有する中堅辺りの相手。下手に大貴族所有の優秀なピノッチアと対戦して、宮廷内に不和の種を蒔くのはよろしくないということでだいぶ前からヴェーダはだいぶ格下の相手としか対戦できなくなっているらしい。
 試合が始まり――次の瞬間、終わった。
 見ている者のほとんどには、ただヴェーダが一瞬消えたと思ったら相手が倒れていたとしか見えなかっただろう。一部の熱狂的なファンはそれでも大騒ぎしたが、何が起きたかさっぱりわからないのでは今一つ盛り上がりに欠け、観客席からの反応は芳しいものではなかった。
 だがランパートは、ヴェーダから目を逸らせなくなっていた。美しいとも可愛いとも呼べない、表情のない無機質な顔。黒の髪に感情の感じられない灰色の瞳。その姿を、硬直してじっと見つめるしかできなかった。
「……『始め』の声がかかった瞬間神炉≠ノ一撃。見えたか?」
「…………」
「どんな相手も一瞬で殺してしまうから、ついた二つ名が瞬殺の<買Fーダ。そのせいで大貴族のピノッチアとは戦わないし、最後の試合から動いたことはないが試合が盛り上がることもない。……だが、間違いなく、強い」
「…………俺、あいつ、嫌いだ」
 ランパートは自分自身の細い体をぎゅっと抱きしめて、呟いた。
「俺、あいつ嫌いだ。あいつなんかに、負けたくない……」
「ランパート……」

「普通ピノッチアというのは人と同じ存在として作るものだ。どの人形師も、体も心もできるだけ人間に近づけようと、そう考えてピノッチアを作り、育てる。俺もそうだ。――だが、あいつは……ヴェーダは違う」
「…………」
「あいつは存在の全てが戦うために作られている。体も、頭も、心すら戦うためにしか働かない。戦うのに効率のいい体のつくり、何を見ても戦うのにどう使うか、どう殺すか考える頭。戦いに不必要なことは一切感じない、自分の力を増す昂揚感と冷静さだけの心。――そういう風に、作ってあるんだ」
「……戦うことしかできない代わりに戦うことにかけては誰にも負けない。本当に戦うためだけの人形――って言ってたな、マスター」
「覚えてたか」
 マスターはちょっと笑って、ランパートの頭を撫でた。
「じゃあ、俺がなんでお前はヴェーダに勝てないって言ったかも覚えてるだろ」
「……ピノッチアの能力を決めるのは作った人形師の腕と育て方。腕が同等なら育て方で、それも同等ならどの分野に重点を置いているかで勝敗が決まる」
「ピノッチアの育て方に必要なのは何だって言ったか、覚えてるか?」
「……愛情と、バランス感覚」
「そう。たっぷりの愛情を注ぎながら、ピノッチアの持てる能力をいかに偏りなく伸ばすかというところに育て方のセンスが見える。ピノッチアは能力が偏ると育成効率ががたりと落ちる。だから能力は満遍なく伸ばさなければならない。そして、あいつ――ヴェーダは戦うために作られたピノッチアだ。それ以外の能力は最初からカットされている。逆に言えば、戦う能力だけをただひたすらに伸ばせるわけだ」
「でも! 俺だって以前より強くなってるし……」
「だがヴェーダはそのさらに先を行っている。他のことについてはあいつはお前の足元にも及ばないが、戦闘能力の育成効率ではお前はあいつに絶対に勝てないんだ、理屈から言って。腕が俺より格段に落ちる奴が作ったとか言うなら別だが、あいつを作った奴はそれなりにいい腕の持ち主だ。俺には及ばないにしてもな。その使い方には疑問を感じるが、とにかく育て方を間違うようなバカはしていない――愛情の有無はともかくとして」
「…………」
 黙りこんでしまったランパートの頭をぽんぽんと叩きながら、マスターは真剣な顔で言った。
「だから、あいつとまともに戦っちゃ駄目なんだ」
「でも……じゃあどうするんだよ。もうすぐあいつとの試合が組まれるだろうって言ってたぞ」
「おいおいランパート。この俺がその対策を考えていないとでも思ってるのか?」
 ここでようやくマスターは、いつもどおり自信たっぷりににやりと笑った。
「お前とあいつとの対戦の日に、勝負をかける」
「…………!」
「万一の時に備えて、一応助けも呼んだしな」
「助け?」
「ああ。この世で俺の次に頼りになる奴さ」

 その頃、ビーカルダヤ帝国国境関所で、一人の少女ピノッチアを連れた女性と衛兵とが押し問答していた。
「……だから、通行証に書いてある通りだって言ってるじゃないの」
「馬鹿を言うな! レディ≠ネんぞとふざけおって。ピノッチアの所有者で女なら、誰でもレディだろうが!」
 その言葉に、女性はふふんと笑った。
「私はただのレディ≠諱Bどうしても呼びたければ、ザ・レディ≠ニでも呼んで。本名なんてものはもうとうに忘れてしまったわ」

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