決戦・後編〜エピローグ
 深々と剣がランパートの体に突き刺さり、ランパートはぐっと唇を噛み締めた。
「……っ、のぉっ!」
 思いきりトンファーを振り回して――隙ができないように振りはコンパクトなものだったが――ヴェーダに攻撃する。ヴェーダはとん、と後方に跳んでそれをかわした。
 ヴェーダとの間に間合いができる。ランパートは荒い息をついてヴェーダを睨んだ。
 大丈夫、神炉に傷はついてない。ピノッチアには痛覚がない、神炉さえ無事なら、そして体が壊れてさえいなければどんな傷を負っても平然と動くことができる。
 だが――今のは、ぎりぎりでかわさなければ、間違いなく神炉を貫いていた。
 ヴェーダは薄い微笑みを浮かべながらこちらを観察するように見ていた。ランパートはぎりっと奥歯を噛み締める。笑ってんなよ、馬鹿野郎。
 ランパートはヴェーダが嫌いだった。あの無表情も強さもピノッチアを次々と壊すところも。
 ただ戦うためだけに作られた人形。そんな彼を見ていると、ピノッチアが本当にただの人形のように思えてきてしまう。嬉しいとか悲しいとか――人間になりたい、とかそういう感情を抱く存在ではない、ただ命令に従うだけの人形に。
 そしてそんな戦うことしかできないヴェーダが、あまりに哀れに思えて――
「――だから、俺はお前なんかには負けらんないだよこんちくしょう!」
 ランパートはだっと間合いを詰めた。ヴェーダは即座に絶妙の足運びでランパートの攻撃しにくい間合いを取りながら神速の突きを繰り出してくる。
 だがランパートはそれを紙一重で避けた。そしてさらに間合いを詰め、体勢を低くしながら足の関節を狙って突く――
 しかしその前にヴェーダは剣の軌道を変更させてきた。首を狙われている、と判断したランパートは転がってかわす。悔しいがヴェーダの攻撃の速さは自分を上回る。余裕をもって間合いを取るなんてことはできなかった。
 ヴェーダは即座に追い討ちをかけてくる。シュン、シュン、と短い音を立てながら突き専用ではない広刃の直刀で神速の突きを繰り出すヴェーダを睨みながら、ランパートは必死に攻撃をかわした。
 観衆からわっと歓声が上がる。こういう派手な動きは観衆に受けるのだ。普通ならここで少しサービスしているところ――だが今のランパートにはそんな余裕はない。懸命に転がりながら回転の動きと手の力を使って跳ねるように起き上がり間合いを取った。
 ヴェーダはにぃ、と笑みを深くし、ぎゅいっと一気に間合いを詰めて、しかもトンファーでは攻撃しにくい絶妙の間合いでこちらに斬りつけてくる。ランパートはぐっと奥歯を噛み締めながら、その苛烈で鋭利な攻撃を受けさばいた。
 ヴェーダの攻撃速度は徐々に上昇していた。さっきより今、今より次の一撃の方が少しずつだけど速くなっている。
 攻撃の速さに対応しきれなくなるまであと少し――
 その事実を頭のどこかが悟ったのを感じ、ランパートはぐっとトンファーを握り締めた。

「ララティ、急いで! もうあんまり時間がないわ!」
「わかってるよぉレディ! でも、こいつら、しつっこい……!」
 薙刀を振り回して後方から飛んでくる矢を落としつつ、レディとララティーナは走った。これでも隠れながら慎重に進んできたのだが、さすがに皇帝の部屋にここまで近くなると強行突破以外方法がないほど兵士たちがひしめいている。
 そう、ララティーナたちはビーカルダヤ帝国皇帝に会いに行こうとしていたのだ。そのために、今日のその瞬間のために、ランパートとマスターはこれまで戦ってきたのだから。
 当代皇帝は蒲柳の質、後宮で花や鳥を愛で暮らしており、政治向きのことはほとんど臣下に任せきりだと聞く。だが、そんな臣下の言うままに許可を与える名ばかりの皇帝でも、ビーカルダヤ憲法1のVにしっかり書かれているのだ。『皇帝陛下のご意思は最高議会の決定に優先する』――と。
 つまり皇帝がブレイクアップ≠廃止すると言えば、その日からブレイクアップ≠ヘ廃止されるのだ。
 皇帝に噂を流すため侍女をたらしこみ(ランパートの魅力で)、出入りの造園業者にランパートの試合を見せた。皇帝もランパートの噂は知っているはず。
 そして試合を見せた。あの王子様ルックのランパートが戦う様を。
 あと、一押し。
 そのためにレディとララティーナは呼ばれたのだ。
 衛兵を速攻で叩きのめし、扉の鍵をあらかじめ手に入れておいた合鍵で開け、二人は中に飛び込んで中から扉を閉めた。レディが鍵をいじって開かなくし、中にいる皇帝に歩み寄る――ここの扉さえ封じてしまえばあとはもう出入り口は地上6mの窓しかない。
 軽く息を整えて、声をかける――
「皇帝陛下、お話があります」
 その言葉に豪奢な椅子に座っていた男は身じろぎもしなかったが、隣に控えていた小男はばっとこちらの方を向いた。その顔には驚愕の表情が貼り付けられている。
 レディは静かに、嘆息した。
「やっぱりあなただったのね――不肖の兄弟子、リトル・マスター」

 ぶぉん! と音を立ててヴェーダが攻撃を繰り出してくる――ランパートはぎりぎりでそれを受けた。速い。おまけに力も強い。
 さっきからまともに攻撃できていないことをランパートはしっかりわかっていた。向こうの攻撃を防御するのがやっとで、隙を見出すことができなかったのだ。
 そして――防いでいるだけでは勝てないことを、ランパートはよくわかっている。マスターにはとにかく時間を稼げ、と言われてはいたが――
 こいつにだけは、負けたくない!
 ランパートはヴェーダが剣を引くタイミングに合わせて踏み込んだ。観衆の歓声がぐわっと盛り上がる。観衆はこれまでの防戦一方なランパートに、必死に声援を送ってきていたのだ。
 少しでも、変えられたかな。
 その想いが力になる。いろんなものを与えてくれる。心に勇気と闘志を。踏み込みに速さを、振り下ろしに鋭さを。そして――
 向こうがまだ攻撃速度を上げてこないうちに、目の慣れてきた攻撃の合間をぬってこちらの攻撃を叩き込む冷静さと姑息さを!
 ヴェーダは即座に近寄ってきたランパートの首を狙って剣を振る――だがその速度なら対応できる!
 ランパートはすっと体を沈めつつ踏み込み、ヴェーダの顔にトンファーの一撃を叩き込んでいた。

 わぁっ!
 歓声が今までにないほど高まる。その熱狂ぶりは狂騒的と言ってもいいほどだ。
 そんな声を遠くに聞きながら、レディとララティーナとリトル・マスター、そして皇帝は対峙していた。
 皇帝は蒲柳の質という噂通り、ほっそりとして頼りなげな感じの青年だった。こちらを向こうとはせず、ただひたすらに眼下の舞台で戦うヴェーダとランパートを見ている。
 ふと、ララティーナは皇帝の隣にもうひとつ席があるのに気がついた。皇帝のものよりは地味だが金のかかっていそうな椅子。そこに皇帝よりはいくぶん骨太な青年が座って、舞台を見ている。
 誰だろう――そう思っている間に、レディとリトル・マスターは舌戦を開始していた。
「師匠に破門された人形師がこんなところで参謀の真似事? やめておきなさいよ似合ってないから。あなたまだ人形師が世界を征服するなんて世迷言言ってるの?」
「ふん、人形師の地位を向上させようという気概もない職人風情がなにを抜かす。ヴェーダを見るがいい、あの私の最高傑作を。あれこそが真のピノッチアの形。創り手に絶対的に従う人形にして最強の兵士。私ならあれと同じものをいくつでも作り出すことができる」
「どうだかね。ピノッチアの真の姿がどんなものかなんてあなたみたいな二流職人に語ってもしょうがないけれど、少なくとも最強の兵士を量産するにはひとつひとつ手作りで創り出すピノッチアは手間がかかりすぎると思うけど?」
「誰が二流だっ! わしはピノッチアを量産する方法を開発した! いずれはこのビーカルダヤ帝国は世界を支配するほどの不死の軍団を擁することになるのだぞ!」
「笑わせないでくれる、なにが不死の軍団よ。寿命はないけれどピノッチアは人と同じように壊れ死んでしまうのに――なにより、ピノッチアをそんなことに使うなんて馬鹿の考え休むに似たりとしか言いようがないわ」
「き……貴様ぁッ!」
「静まれ」
 皇帝がふいに言葉を発し、二人は口を閉じた。皇帝は視線を舞台に固定したまま告げる。
「余はこの試合を心行くまで観戦したいと望む。邪魔をするならば兵を呼ぶぞ」
「おおお許しを、皇帝陛下。このような愚昧の輩に御前を汚させるわけには参りませぬ、すぐに我が配下の者たちに排除を――」
「なぜ、この試合に限って観戦したいと思うのですか?」
 レディの静かな声が響いた。
「あなたはこれまでブレイクアップ≠ノは興味を示さなかったはず。お抱えのピノッチア、ヴェーダの試合もろくに見なかったほどなのに。なぜ、この試合はそこまで?」
 この時初めて皇帝は、レディの方をちらりと見た。すぐに舞台に視線を戻したが。
「……余は、あのようなピノッチアを初めて見た」
「ランパートのことですか?」
「容貌はあどけなく、少年の面持ちをたたえ、それでいて物語の勇者のように美しく――そして強い。ピノッチアにもあのような者がいるのかと思った」
「それが本来のピノッチアの姿です」
「しかし余はそこな男が創り出したさして美しくも可愛らしくもないヴェーダしか知らぬ。だからピノッチア同士が戦う遊戯などに興味はなかった。だが――」
 眼下をうっとりと見下ろし、息をつき。
「あのような美しいピノッチアが、まことに美しく戦う――その姿を見て、この世にこのようなすばらしいものがあったのかと思った。だからこそ、この試合を最後まで見ることを望む」
「…………」
「そちたちはなにを求めて余に会いに来たのだ」
「……ブレイクアップ≠フ廃止を。少なくとも破壊の禁止を。ピノッチアを美しいと言うならば、あなたにもわかるはずです。ピノッチアが、子供の形を映した心持つ人形が、人の身勝手な楽しみのために壊されてよいものではないと」
「貴様ッ、なにを……」
「黙っておれ。……確かに思うな。こちらの客人にもそう言われた」
 そう言って皇帝は隣の青年を示す。
「ならば……」
「だが、それだけでは届かぬ」
 レディは眉をひそめる。
「届かない……?」
「余の心に、よ。余はあのたまらなく美しい戦いを一秒でも長く見続けたいと望む――同じように我が国民も思っておるはずだ。その機会を逃すことを歓迎するとは思えぬ。確かに壊してしまうのはもったいないとは思うが――あの戦いが命を懸けた真剣勝負だからこそあそこまで激しく美しいのもまた事実であろう」
「それは……」
「余はピノッチアを人とは思ってこなかった。その心を、あの美しいピノッチアに――ランパートに変えられかけておる。そこな人形師はランパートが勝つことは万に一つもないと言うた。その通りなのであろう――だが、余は奇跡が見たい。ランパートが余の心を全て変えるには、奇跡が起こらねば足りぬのだ。それがたとえ勝利とは直接関係のないことだとしても――余は、あのピノッチアに、変えられたいのだ……」
 なにか言おうとするレディを制し、皇帝は試合に見入る。
「わかったのならば黙っておれ。――余はこの試合、一秒たりともよそに気を移すことはしたくない」

 ヴェーダの顔は笑っていた。怒りと歓喜の入り混じった笑いだ。
 マスターが言っていた、ヴェーダにも感情はある、戦いに有用な感情ならば。兵士としてのテンションを上げる怒りや戦いに対する喜び、けれどそれらは決して戦士の冷静さを崩すことはない、と。
 そうなんだろう、と思う。この苛烈な攻撃には感情が感じられる。いびつな、ひとの形をしているだけの、人とは違う生きていないものの感情が――
 だから、こいつを、自分は――
「負かしてやりたいんだっ……!」
 叫びながら息を吐いて、攻撃を受け流す動きから円運動でヴェーダに攻撃を返す。ヴェーダは一分の見切りでそれを避ける。
 ヴェーダにはまったくと言っていいほど隙がないが、それでもフェイントと攻撃を取り混ぜた動きにできるわずかな揺らぎを捉えてトンファーを振り下ろすと、ヴェーダは即座にこちらの隙をついて攻撃をしてくる――どんどん速く。
 観衆が熱狂的に騒いでいるのが遠くに聞こえた。だがランパートにはヴェーダしか見えていなかった。おそらくはヴェーダにもランパートしか見えていないだろう。相手の一挙手一投足、どころか瞬きひとつにまで神経を集中して対処する。
 攻撃し、さばき、さばかれ、受け、避け、回り、打ち、放ち、放たれ、武器と武器を噛ませあい――
 ヴェーダのどんどんと上がってくる攻撃速度に全身の神経を集中して対応しつつ、攻撃を放つ――大丈夫だ、自分にはできる。俺はマスターの作ってくれたピノッチアなんだから。
 ヴェーダがランパートですら目にも止まらぬほどの速さで剣を振り下ろしてきた。かろうじてそれを受け、同時にもう片方のトンファーで腹を狙う。ヴェーダは回転してかわした。
 そしてその回転の動きを利用して剣も回転させランパートの神炉を狙う。ランパートはぎりぎりで体を引いてそれをかわし、ヴェーダが剣を戻す前に踏み込んで攻撃する――
 その瞬間、つるりと舞台が滑った。
 もちろん平衡感覚の優れたランパートは一瞬でバランスを取る――だがその一瞬だけで、ヴェーダには十分だった。神速の突きを、かわしようがないタイミングで、今度こそ神炉を狙って繰り出す――
 その一瞬に、ランパートはいろいろなことを考えた。
 ――ああ、俺、死ぬのかな。普通なら壊れるって言うとこだけど、マスターは俺も生きてるって言ってくれたもんな。
 ――やだなぁ、こいつに負けたくない。こんな可哀想な奴が勝ってしまうのは、あんまりひどすぎる。
 ――どうしよう、マスターに必ず帰ってくるって約束したのに――
「ランパートぉぉぉぉぉ――――――――っ!!!!」
 マスター………………!!!
 俺、マスターと、一緒に生きていたいよ……………!!!!

 全身全霊をこめた叫びが闘技場に響いた――そう思った瞬間、ランパートの体から強烈な光が立ち上った。
 ヴェーダはぴたりと動きを止め、距離を取る。おそらくは様子を見るつもりなのだろう。
 ゴーツとシフラムが隣で騒いだ。
「おい………おい! なんなんだ、なにが起こってるんだ!?」
「ランパートくんが光って……あれは……いったい!?」
 マスターは、ただひたすらに、じっと光り輝くランパートの姿を見つめていた。
「………ランパート」
 光が収まった時――そこにいたのは、ランパートでありながらランパートではなかった。
 ランパートは大人になっていた――二十歳前後の。服はさっきまで着ていた服と同じなのに、サイズは大きくなった体にぴったりになっている。
 そしてなにより――
「あれ……もしかして……」
「……人間ではないのか!?」
 そう、ランパートは人間になっていた。人そのもの、血が流れ息をして体温のある生き物――人間に。
「……ランパート……」
 ヴェーダは無表情になって攻撃を再開する。だが、ランパートの動きの速さも力強さも、ヴェーダを大きく上回っていた。
 ずだんっ! とヴェーダの攻撃に合わせて踏み込み、がしぃん! とトンファーがひらめいた、と思った次の瞬間――
 ヴェーダは大きく吹っ飛んで動きを止めた。
「………………!」
「マスターさん、ランパートくんが!」
「………………ッ!!!」
 マスターはだっと駆け出した。ゴーツとシフラムが後ろで止めている声が聞こえたが、そんなものはどうだっていい。
 飛ぶようにして階段を駆け上がり、呆然としている衛兵の合間をぬってランパートに近づく。早く、早くあいつのところへ行かなけりゃ。
「ランパートっ………!!」
 大きくなったランパートは、こちらを見て、にこり、とあどけなく笑った。体が大きくなってもその笑顔は変わらない。
 がしっ、と思いきりランパートを抱きしめたマスターを軽く抱き返し、支えられながらランパートはすっくと立って狂乱の大騒ぎになっている闘技場に向け叫んだ。
「みんな! 聞いてくれ!」
 その言葉にみるみるうちに観衆が静まり返る。ランパートは小さく微笑んで、静かに語り出した。
「みんな。わかるか? 俺、人間になったんだ。ピノッチアから。
 俺、ずっと人間になりたいって思っててさ。その願いがようやくかなったんだ。
 これは、ここにいるマスターが、俺のご主人様が、俺のことをすごく深く愛して、大切にしてくれたからだと思う。
 ――俺、このブレイクアップ≠チていうの、好きじゃない。ピノッチアは生きた人形なんだってマスター言ってた。その生きてるものを、当たり前みたいに殺す、この仕組みが好きじゃない。
 みんな、お願いだよ。ピノッチアは生きてるんだ。こうして俺みたいに人間になれる可能性を秘めてるんだ。いっぱいの気持ちと心があれば。
 だから、ピノッチアを壊すっていうのは、人を殺すのと同じことだってこと、ちゃんと知ってほしい。考えてほしいんだ。心を持つものを殺すことが、どういうことか。
 人形を作る時、人形に接する時、どんな風にするのが一番いいことなのか、ちゃんと、考えてほしい。
 そうすれば、人をちゃんと大切にする方法も、わかると思うから――」
 そう微笑んで――ランパートはそのままがっくりとくずおれた。
 観衆が大騒ぎになるのを無視して、マスターはランパートを抱えて走った。ランパートの体がまた輝きだしている――今度はなにが起こるのか。
 どうなってもいい、どんなランパートになってもいいから。
 俺のそばにいてくれ、ランパート。
 そばにいて、お前が笑ってくれるなら、笑って過ごせる人生を送れるなら。俺は、どんなことでもするんだから。

「――行くのか」
 そう静かに言ったゴーツに、マスターとランパートは笑った。
「ああ。いつまでもこの国にいるわけにもいかないしな」
「ブレイクアップ≠ヘちゃんとピノッチアを壊すの禁止になったし。俺、有名人になっちゃったから動きにくいしさ。それになにより、俺がまた人間になれる方法を、ちゃんと探さなくちゃいけないし」
 そう、ランパートはピノッチアに戻っていた。人間になれたのは本当に一時のことで、またすぐピノッチアに戻ってしまったのだ。
 もともと二人はランパートを人間にするために世界を巡っていたらしい。その途中でピノッチアを壊しているこの国にたどりつき、放っちゃおけねぇと救済に乗り出したのだそうだ。
 だから、それが終わればまた旅に出るのは当たり前のことではあるのだが――
「……でも、寂しいです。せっかくブレイクアップ≠ノ新チャンピオンが誕生したのに」
 シフラムが鼻をすする。その隣の青年も、大きくうなずいた。
「僕がブレイクアップ≠フ廃止を働きかけたのは、あなたに心置きなく戦ってもらうためなんですよ。……もっとあなたが見れると思ったのに」
 そう言ったのはエイジュン――ランパートのファンにしてドゥーメディン候国第二王子だった。彼は王族の責務を嫌い世界中を旅していたのだが、ランパートに惚れこんでその願いを聞くべく国に戻ってビーカルダヤ帝国への大使の任を受けたのだ。
「もーいっぱい見せただろ。エイジュンさんもそろそろ年貢の納め時っていうか、真面目に仕事しなよ。……大丈夫、エイジュンさんがピンチの時は、どこにいたって駆けつけるからさ」
「ほ、本当ですか!?」
「ホントホント」
「……さて、それじゃあ行くか。世話になったな」
 そう言って二人は荷物を担ぎ上げる。剣闘士として得たものは全て金に換えてしまったので、二人とも身軽だ。その上この旅立ちを知らせたのはゴーツ、シフラム、エイジュンの三人だけな上夜に出発するため、見送りもこの三人だけ。
 口々にお別れを言うシフラムとエイジュンをよそに、黙りこくっているゴーツを見たマスターはちょっと微笑み、ゴーツの肩をぽんぽんと叩いた。
「じゃあな。元気でやれよ」
「………………」
「そうだ。あのな、ひとつわからなかったことがあるんだが。お前さん、なんであんなにピノッチアを嫌ってたんだ?」
「………………」
 ゴーツは顔をしかめたが、無言で胸元から写真を取り出してマスターたちに見せた。
「……男の子の写真? こりゃまた相当な美少年だな」
「うん、すごいきれい」
「ランパートには当然かなわんが。……これが?」
「……これが三十年前の私だ」
『……えぇ!?』
 全員声を上げてまた写真をのぞきこんだ。写真には絶世の、のつきそうな美少年が笑ってこちらを見ている。その顔は現在のゴーツとは似ても似つかない。
「……私は近所でも評判の可愛らしい子供だった。だが、十代の後半から急速に顔が老けてきて。今ではこの通りのおっさん顔だ。私はそれがずっとコンプレックスだった」
「はぁ……」
「……ピノッチアは永遠に子供だ。そして永遠に美しく可愛らしい。私はそれが――馬鹿なこととは思いつつも、羨ましくて仕方なかった……」
『………………』
 沈黙が下りた。が、すぐにランパートとマスターは(必死に笑いをこらえているシフラムとエイジュンにもかまわず)くすりと笑った。
「なにがおかしい!」
「おかしいっていうんじゃないけど。……いいじゃん、顔が老けたって。ちゃんと年取ってる証拠だよ」
「……だから、年を取りたいなどと私は思っては――」
「永遠っていうのはさ、すごく取り扱いに困るもんなんだよ。時が経っても変わらないっていうのはさ」
「なに……?」
「俺は人間の方がいいな。マスターが年を取れば、俺も年を取る。そういうのがさ」
 笑ってランパートは手を振り、走り出す。マスターもそのあとを追って走り出した。
「おい!」
「だいじょーぶっ! あんた、今でもけっこう可愛いよ! じゃあなみんなっ、またなっ! また会う時まで元気でな!」
 そう笑顔で叫んで、ランパートとマスターは走り去っていく――
 残された三人は呆然とそれを見送っていたが、やがてゴーツが笑んだ。
「……勝手なことを言いおって。人が永遠を求めるのは古来からの性なのだぞ――だからこそ、お前たちピノッチアが存在しているのだろうに」
「……ゴーツさん、けっこう含蓄のあること言いますね」
「……シフラム。お前、私のことをなんだと思っているのだ?」

 マスターとランパートは二人揃って歩いている。特になにも喋らず、まっすぐに。
 ふと、ランパートがマスターを見上げた。
 マスターはランパートを見返し、微笑む。
「……よくやったな、ランパート」
 その言葉にランパートは、本当に子供のように笑んで――
 マスターにがっしと抱きつき、思いきり抱き返された。

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