番外編・新次郎士官学校にて
 海軍兵学校2号生、北島要は教官の言った言葉にあんぐりと口を開けた。
「……本気ですか?」
「ああ、大いに本気だ」
 教官もずいぶんと渋っちい顔でこちらを見ている。その斜め後ろには、瞳を夢やら希望やらそういうものでいっぱいにした背の低い少年がきらきらと輝く顔でこっちを見ていた。
「……彼を俺が面倒見るんですか? 同室にして?」
「ああ」
 北島はとりあえず口を閉じ、訝しげな目で教官を見る。新入生を――この背の低さ、顔の幼さ、瞳の輝き、どれをとっても新入生そのものだ――教官がわざわざ同じ生徒に面倒を見てやれと言うなんて前代未聞だ。少なくとも北島は聞いたことがない。
 なにより4号生――新入生は大部屋に押し込まれるのが普通だ。成績優秀者を二人部屋にするような特権的措置は、最低でも2号生になってからのはずである。
 北島のそういう思考を感じ取ったのか、教官は声を潜めて北島に耳打ちした。
「……彼は、な。卒業後の配属先も決まっている人間でな。極めて重要な人材ゆえくれぐれも大事のないようにと、上の方から厳に命令されておるんだ」
「あー、あーあーあーあーわかりました」
 北島はおざなりにうなずいた。つまり、彼は偉いさんの息子、ということなのだろう。自分の子が勝手に一念発起して兵学校を受験し、合格してしまったので泡を食って安全な任地に向かわせ、兵学校でもおかしなことがないよう圧力をかけてきたというわけだ。
「つまり、俺は彼が同じ生徒にいじめられたりすることのないよう見張り、勉学その他において助けてやればいいわけですね?」
「ま……そういうことだな。お前にしか頼めんのだ、こういうことは」
 ぽん、と肩を叩かれて北島は嘆息した。確かに自分はこういう頼みごとに向いているだろう。要領がよく、顔が広い。1号生にも顔が利くし、成績も優秀だ。要領がいいから教官に逆らうこともない――
 面倒をかけられたくないと思っての行動のせいで、こんな面倒を背負い込むことになるとは。
 北島は去っていく教官を見てもう一度嘆息し、こちらをきらきらした瞳で見ながら直立不動で待っているその新入生に声をかけた。
「……で? お前さん、名前は?」
 その新入生は、予想通りの男にしては高い声で答え、びしりと敬礼した。
「はいっ、大河新次郎です! 今後ともよろしくお願いします、先輩!」

「……で、こっちが風呂。入浴時間は夕食後、一九○○〜二○○○の一時間。全員がその時間に入るから食堂と同じで芋洗いになるけどな。こっちが一階の便所で……」
 ふんふんとこくこくうなずきながら自分のあとをついて回る大河に、北島はさらに嘆息した。お子様かこいつは。
 実際とても十五歳には見えない少年ではあった。背丈は五尺ぎりぎり、体重も制限を越えているかかなり怪しい。胸囲も肺活量も本当に規定を超えているのか疑いたくなるほど、小さく子供っぽい少年である。
 おまけに顔も男らしいというには程遠い。丸っこくて可愛らしいとすら形容できそうな童顔で、ちょっとつつけば泣き出してしまうのではないかと思うような頼りない雰囲気がある。
 こりゃこいついじめられるぞ、と北島はもう一度嘆息した。
「おう、北島。なんだその坊やは」
 のっそりと姿を現したのは、1号生の中でもかなりの実力者、小見山先輩だった。北島に目をかけていろいろと世話をしてくれるのはいいのだが、困ったことにこの人は後輩で遊ぶのが大好きなのだ。
「ぼ、ぼくは坊やじゃありません!」
 言うなり噛みついてきた一年坊に、小見山先輩は笑う。
「元気のいい坊やだ。名前は?」
「あ、はい! 新4号生の、大河新次郎と申します!」
 北島は顔を押さえたくなった。小見山先輩はこういう気の強いが礼儀正しい後輩を、いじめて泣かせるのが大のお気に入りなのだ。
「ふんふん、大河新次郎な。覚えておいてやろう。俺は1号生の小見山雄二だ。しっかり勉強するんだぞ?」
「あ。ありがとうございます……」
 大河は頭を下げて、去っていく小見山先輩を見送りながら首を傾げた。その仕草がまたなんとも子供っぽく、あどけない。
 北島は今度こそ深々とため息をついて、大河を再び案内し始めた。

 大河は同室の人間としては上等と言っていい部類だった。消灯の時間は守るし、朝は自分で勝手に起きる。自分が寝坊しかけた時など、わざわざ起こしてくれる親切っぷりだ。
 彼は遅くなるまでほとんど部屋に帰ってこなかった。なぜかと疑問に思ってあとをつけてみると、自習室や裏庭で自主鍛錬をしているらしい。
 一年坊には授業だけでもずいぶんきついことだろうに、と北島は内心かなり感心した。彼は背後に圧力をかけられるようなコネはあるにしろ、自力でこの兵学校に合格できるだけの才覚と向上心は持ち合わせているらしい。
 聞いた話では、成績も学年で五本の指に入るほど優秀らしい。事実、教練や体技の授業で息を荒げながらも、懸命に教官の指示を的確にこなす姿を教室の窓から何度か見かけた。
 大したもんだな。体はまだまだ餓鬼なのに。
 部屋の中では(向こうは色々と話しかけてくるのだが)つかずはなれずの先輩をやりながらも、北島は大河への感情がそんな風に変わっていくのを感じた。
 だが、北島の情報網に引っかかってきたところによると、大河は同級生の中では敬遠、敵視される傾向があるらしい。大河だけ別部屋だったり教官に特別に目をかけられていたりするのが、やはりどうにも同級生たちは気に入らないようだった。
 ときおり落ち込んだ風を見せる大河に知らないふりをしながらも――少し心が痛んだが、ここでこちらにべったり頼ってこられると動きにくくなるのだ――北島は注意深く自らの情報網から情報を収集していた。

「――お前の同室の後輩、裏庭の外れに呼び出されたぜ」
 教練を終えた夕刻、そう囁いてきた同級生に頭を下げて、北島は走った。おそらくは呼び出したのは同級生だろう。それなら先輩の威光を振りかざせばなんとでもなるはずだった。
 裏庭に走りこみ、周囲を見渡す。そう簡単に見つかる場所にはいないだろうとわかってはいるが――
「うああっ!」
 ――大河の声がした。痛みに耐える時の叫び声だ。
 遅かったか、と思いつつ北島は声のした方に走る。藪で外からは視線の通らないようになっている空き地に、大河と私刑者たちはいた。
 ――思ってもみない人と一緒に。
「小見山先輩……!」
 小見山先輩と何人かの先輩たち、そしてそれと同数の一年坊たち。大河は先輩たちに押さえつけられて、一年坊たちに頬を張られている。
 ぐっと唇を噛み、北島はその全員を睨みまわした。
「どういうことです、これは。先輩が私刑を助長するなんて、教官が知ったら大問題ですよ」
「なぁに、私刑なんてそんな大げさなもんじゃないさ。ただ俺たちは、大河とこいつらが仲違いしてるっていうから、先輩として仲裁してやろうと思ってな」
 にやにやと言う小見山先輩。他の先輩たちもにやにやと笑っている。
「それがどうして大河を押さえつけて頬を張ることになるんです」
「いやな、大河があんまり自分は悪くないと強情を張るもんだからな。先輩に対しての礼儀もあまりになってないし、反省を促す意味もこめて一年坊主たちと拳で語り合わせてやろうと、な」
 北島は嘆息した。誰が聞いても言いがかりだ。要するに小見山先輩は、一年坊たちにかこつけて自分が大河の泣く顔を楽しみたかっただけなのだろう。
 事実大河は必死に堪えてはいるものの、目がじんわりと潤んでいる。相当やられたのだろう。
 この手のことはよくあることといえばそうだし、先輩に逆らったとしてもいいことはないし、放っておいてお互いになかったことにするのが一番穏便なのは確かなのだが――
「――それは私刑以外のなにものでもないですね」
 小見山先輩がぴくりと眉をうごめかした。この先輩は自分に従う者は可愛がるが、逆らう者には容赦がない。
「北島……お前、俺とやりあう気か?」
「それもしょうがないですね。――やりたくはないですが、見ちまった以上放っとくわけにもいきませんし?」
 苦笑する北島に、小見山先輩はゆっくりと立ち上がる。
「――いいだろう。ちっと痛めつけてやるか」
「―――やめろ!」
 北島が飛び込んできた時からほとんど固まって北島を見つめていた大河が、暴れ出した。
「北島先輩は関係ないだろう! やるならぼくだけをやれ!」
「黙ってろ、こいつ!」
 ビシッ、と思いきり頬を張られたが、大河の動きは止まらない。にやにやしながらこちらに近寄ってくる小見山先輩に、腹の底から怒鳴った。
「やめろって言ってるだろ! 聞こえないのか!?」
「やかましい一年坊! 先輩に逆らったんだ、こいつもお前と同罪だろうが。一蓮托生ってやつだ」
「そんな……」
 驚愕の目でこちらを見つめる大河に、北島は(苦笑気味ではあったものの)笑いかけてやった。こいつは本当に、とことん純な奴らしい。
 裏にどんなコネがあるにしろ。そんな奴のためなら、殴られるのもたまには悪くないだろう。
 小見山先輩が近づいてきて、拳を振り上げ――
「や、め……ろおぉぉぉ―――っ!」
 バンッ! と大きな音がして、大河を押さえつけていた先輩たちが吹っ飛んだ。身長六尺近い大男たちが、五尺と少しの少年に跳ね飛ばされたのだ。
 大河はだだっと呆気にとられた小見山先輩に駆け寄り、すっと懐に入るとぽんっと投げ飛ばす。合気の技だ。
 ずってんどうと地面に転がり、呆然と大河を見上げる小見山先輩に、大河はきっと、そのひどく潤んだ大きな瞳で睨んで叫んだ。
「ぼくが気に入らないっていうならいくらでもかかってこい、相手してやる。けど! 僕の友達や、親しい人を傷つけるような真似をしたら、絶対に許さないぞっ!」
 子供っぽい童顔で、けれどすさまじい迫力をこめて言ったその言葉に、周囲はしんと静まり返った。
 ――言い終わると、大河はふらっと地面に倒れこんだ。さんざん殴られたあとに激しく動いたので頭がくらっとしたらしい。
「しっかりしろ、大河!」
 支えてやると、大河はふらふらになりながらもにっと微笑んだ。その童顔で、可愛らしく。
「先輩、先輩を傷つけさせたり、絶対しませんからね………」
 北島は思わず苦笑した。
 ――参ったな、こいつは。

「よう」
 気安げに手を上げられて、北島は頭を下げた。
 小見山先輩はあのあと全員の口止めやら大河の手当てやら、いろいろと北島を手伝ってくれた。もとより悪い先輩ではないのは承知しているから、別に無視することもない。
「大河、どうだ。あのあと」
「元気ですよ。あんな小さな体で大した体力ですね。一日で腫れを引かせて、元気に鍛錬してますよ」
「うんうん、そうでなきゃあな。鍛錬してるか」
 小見山先輩はやたら嬉しげに何度もうなずき、ぐいっと北島を引き寄せた。
「おい、北島」
「……なんですか?」
「お前、河守会に入れ」
「……なんですか、そりゃ?」
「名前でわからんのか。大河新次郎を見守る会、だ」
「………はあぁ?」
 呆気に取られる北島の前で、小見山はにやにやと言う。
「俺はあの子に惚れたぞ。気が強くって礼儀正しくて可愛らしくて、おまけに腕が立って真っ直ぐだ。あの子がどこまでもあのまま育ってくれたらどんな男になるか、楽しみでならん」
「…………」
「あの時一緒にいた奴らもみんな同じ感想を持ってな。大河があのまま曲がることなく、不埒な奴らにたぶらかされることなく成長できるよう見守る会を作ったんだ。会長は俺だ」
「…………」
「で、だ。その会には同室のお前の協力が必要不可欠でな。そういうわけで、河守会に入れ」
「…………」
 なんだそりゃ! と怒鳴るべきか頭を押さえるべきか判断に迷って北島が視線をさまよわせると、背後から男にしては高い声がした。
「北島先輩!」
「………大河」
 時機がいいのか悪いのか、と思いつつ振り向くと、大河はにこにこしながらこちらに駆け寄ってくる。
「北島先輩、これから自習室に向かわれるんですか? よろしければご一緒に……」
 と、そこで小見山先輩に気づき、少し戸惑った顔をする。
「小見山先輩……」
「ん、どうした。俺の顔がそんなに憎らしいか?」
「………いえ」
 しばらく考えて、大河は首を振った。
「先輩のしたことはよくないことだと思いますけど、反省していただけるならもう恨みません。……ぼく、先輩と仲良くおつきあいさせていただきたいって思ってますから」
「おお、そうかそうか!」
 にこっとあどけない笑みを浮かべた大河に、喜色満面――というかだらしないほどやにさがった笑顔で小見山が大きくうなずく。
「ようし、俺も自習室につきあうぞ。わからんところがあったらいくつでも聞いて来い、教えてやる!」
「え、いいんですか!? ありがとうございます!」
 楽しげに話し合う二人を見ながら、北島はため息をついた。
 ……俺、やっぱり凄まじい面倒に巻き込まれたかもしれん。
 その考えは大当たりで、北島はこれから卒業まで、同室の大河にまつわる仲間やらなにやらに、面倒をかけ続けられることになるのだった。

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