愛は無残とも思えるほどに
「……新次郎、明日の夜、僕の家に来ないか?」
「………え?」
「一緒に夕食を取って……どうせなら泊まりにくるといい。こちらからの方がシアターには近いだろう?」
「………………は、はい…………」

 昨日の別れ際昴にそんな誘いを受けた新次郎は、朝もはよから悩みまくっていた。
「す、昴さん………どうしたんだろう、急に家に来いなんて……なにか、大切な話でもあるのかな? し、しかも、と、泊まりに来いだなんて………! ま、まさか、まさかな! そんな、昴さんが誘ってるだなんてことは……うああなにを考えてるんだ大河新次郎! お前はサムライだろ、日本男児らしく誠実に、謹厳実直に!」
 ……などとこの辺りをエンドレスで思考はループしまくっている。
「おっはよー、新次郎! 今日も寒いねー!」
 ジェミニに勢いよく背中を叩かれ、はっ! と背筋を伸ばす新次郎。
「いや駄目だっ! そんな、そんな、不純なーっ!」
「……新次郎、どうしたの?」
 訝しげな視線をぶつけられ、ようやく新次郎はジェミニに気づいた。
「あ、お、おはようジェミニっ! 今日もいい天気だねっ!」
「今日曇りだけど……」
「う………うん」
 はぁ、とがっくりとうなだれる新次郎に、ジェミニは心配そうに訊ねる。
「新次郎大丈夫? なにか悩み事でもあるの?」
「悩み事っていうか……今日昴さんの家に泊まりにおいでって誘われたんだけど……」
 思考に気を取られているとはいえあっさり話してしまうあたり、新次郎には大神から連綿と受け継がれる『女で墓穴堀り』の血が流れている。
 だがジェミニは嫉妬の欠片も見せず、へーっと笑顔を浮かべた。
「いいなー! 昴さんの部屋ってボクまだ一回も行ったことないんだよねー! ボクも泊まりに行っていいか昴さんに聞いていい?」
「え! ……う、うん………いい、けどさ」
 新次郎はショックを受けたものの、それ以外なにも言えずうなだれる。
 お泊りが。昴さんの部屋で、二人っきりのお泊りが。
 でも、ジェミニ嬉しそうだし。それなのに来るななんて言えないし。第一、へ、変に勘ぐられちゃったりしたら、昴さんに迷惑が……いや、ぼくは別にかまわないけど……
 はぁ、とため息をついて結局ジェミニを止められない新次郎には、間違いなく大神から『女には逆らえない年中無休女難』の血も流れている。

「昴さん! 今日新次郎がお部屋に泊まりに行くんですってね! ボクも一緒に行っていいですか?」
『…………………』
 朝の全員集まった楽屋で言われ、周囲の人間の視線が集まる。
 新次郎はなぜかはわからないなりに、すーっと背筋が冷えるのを感じた。危険を感じた時と同じ感触だ。
 なにか……なにか、猛烈にまずい予感がする!
 昴がにっこり微笑んでこちらを向いた。
「大河から聞いたのかい?」
「はい! 新次郎が考え事してるみたいだったから聞いたら話してくれましたよ?」
「ふぅん……」
 昴は優雅に扇を口元に当てる。その仕草――
『す、昴さん、なんか、怒ってる……?』
 びくびくしている新次郎の前で、星組たちは笑いさざめく。
「なんだ昴、新次郎と部屋デートか? 積極的だねぇ」
「うふふ、いつものことですけど昴さんと大河さんは本当に仲がいいですね」
「しんじろー、すばるのうちに行くのか? おいしいもの食べるのか?」
「……あんまりうるさいことを言いたくはないけれど、大河くん……昴とひとつの部屋で寝るのかしら?」
「は、はぁ………」
「ふぅん……」
 にやにやするサジータ、にこにこするダイアナ、にかにかと笑って新次郎になつくリカ、考えるように眉間に皺を寄せるラチェット。
 ジェミニは昴を窺うように、そろそろと上目遣いで見上げた。
「駄目ですか………?」
「待ちなさい。女性が男性と、その……ひとつ屋根の下で泊まるというのは、星組の風紀上問題があるわ。昴は……昴なわけだし」
 ジェミニに待ったをかけるラチェット――そこにサジータが笑いながら言ってきた。
「かったいなぁラチェットは。そんなに言うんならみんなで泊まりに行けばいいじゃないか」
「え?」
「星組全員集まってのパジャマパーティ! それなら坊やも変な気を起こすこともできないだろ?」
「そうね……」
「わぁ、楽しそう! やりましょうよ昴さん!」
「本当に……私そんなの初めてです」
「わーい、ぱじゃまぱーてぃぱじゃまぱーてぃ! うまいもの出るのかっ?」
 考え深げに首を傾げるラチェット、楽しげなジェミニダイアナリカに、新次郎は焦っていた。
 パジャマパーティ。確かにそれは楽しそうだが、昴と二人っきりの、お泊りが。
 いや、それは最初からジェミニが声をかけてきた時から潰えていたにしろ、パジャマパーティとかいうことになったら、昴さんとろくに話すこともできないまま終わってしまいそうな気が……リカを向かい入れる時の合宿でも、女の子ばかりの中でぼく一人だけちょっと疎外されてたし………。
 どうしようどうしようと焦る新次郎に、ラチェットは当然その心境に気づきもせず声をかけてくる。
「私は構わないと思うけど……大河くんは?」
「え!? いや、ぼくは………」
 新次郎自身の気持ちとしては、当然昴と二人っきりがいい。
 でも、そんなこと恥ずかしくて言えないし。でもでも、昴さんの部屋にお泊りなんて初めてだし。でもでもでも、星組隊長として星組の和を乱すのはよくないし――っていうか怖くて逆らえないし………。
 頭の中を全開でぐるぐるさせて、でも時間切れでみんなに嫌われる選択肢を避けねばという星組隊長の心得が新次郎をわずかに動かした。制限時間ぎりぎりで新次郎は「はぁ、まぁ………」と、力なくうなずく。
 その言葉に、星組の面々は(うち一人は人が悪そうに)楽しげに笑った。
「決まりだね! じゃあ、練習が終わったらホールで待ち合わせて――」
「すまないが、みんな。今日は遠慮してくれないか」
 ふいに放たれた昴の一言に、周囲はしんっと静まり返った。
「え……昴さん、みんなを泊めるの嫌なんですか?」
 ジェミニがうるうる瞳で言うと、昴は微笑んで首を振る。
「そういうわけじゃない。ただ今回は、大河に対するお礼だからね」
『お礼?』
 新次郎も思わず声を合わせる。……ぼく、昴さんに最近なにかしてあげたっけ………?
「大河は一昨日演技に必要な資料を探すのを手伝ってくれたからね。ずいぶん助かったから、お礼に夕食をご馳走しようと思ったんだ」
「あ………」
 新次郎は目を見開いた。確かに自分は一昨日昴の言った演技の資料を探すため紐育中の本屋を探し回った。昴のために(というか星組隊員なら誰にでも)パシリをするのはすでに新次郎にとっては日常なので忘れていたが。
 そうか、これはお礼だったのか! なーんだ、とちょっとほっとして、ちょっと残念な気持ちになる新次郎。
「うーん……それじゃあ邪魔するの悪いですよね……」
「そうですね……パジャマパーティは別の機会にしましょうか」
「えー、パーティしないのか? ゴハンは?」
「あたしが代わりにおごってやるよ。……うまいことやったな、昴?」
「さてね」
 にっこりと微笑む昴に、新次郎はにこっと微笑みを返した。昴さんと二人っきりで食事、さらにお泊り……それはやっぱり、めちゃくちゃ嬉しい。
 だから素直に喜んでおこう、と心に決めて、新次郎は昴が楽屋を出て行くのを見送った。

「聞いたよ大河く〜ん、昴の部屋に泊まるんだって?」
「サニーさん……」
 とりあえず仕事が一段楽した頃、サニーが新次郎の前に現れた。いつも通りの胡散臭い笑みを標準装備だ。
「……サニーさん、仕事はいいんですか………?」
「まぁまぁ、いいじゃないか。ボクとしても大切な星組隊長が隊員とどれだけ仲良くなるかは重要事項なわけだし〜」
 いつもの胡散臭い笑みのまま言うサニーに、新次郎はとりあえずため息をついた。
「……言って起きますけど、ただのお礼ですよ、昴さんの。演技の参考にする資料を探すの手伝ってくれたからってだけで……」
「おいおいおいおい、なにを言ってるんだ大河くん。そんな理由で他の隊員たちの同席を拒むわけないだろう?」
 がっし! と新次郎の肩を抱きながら、『そんなことじゃいかんよキミィ』とでも言いたげな表情で首を振るサニー。
「え……」
「いいかい? 昴はわざわざ君に、君一人に来てほしい、それも泊まりにって言ってくれたんだろう? これはもうOKを出したも同然じゃないか」
「お、オーケーって……?」
「だから……」
 ぼそぼそ、と耳打ちするサニー。新次郎の顔がぼんっ! と赤くなった。
「な、な、な、な、なに言ってるんですかサニーさんっ!」
「向こうもその気なんだろう? 答えてあげるのも男らしさだと思うよ〜?」
「そ、そ、そ、そ、そんなのわからないじゃないですかっ! ただのお礼だったらどうするんですかー!」
「そんなのありえないよ。みんなの誘いを断って君一人を泊めるんだ。ここはひとつ、男になるしかないだろう大河くん!」
 それじゃお仕事頑張ってね〜、と言いたいことだけ言って軽やかに去っていくサニーをぼんやりと見つめつつ、新次郎は思った。
 ……本当にそうだったら、どうしよう。
 そう考えてすぐカーッと頭に血が上り、新次郎はその場にしゃがみこんだ。
 ……熱が出そうだ。

 微笑みながら新次郎と一緒にホテルまでの道を歩く昴。その様子はまったくいつも通りで、普段と変わった風など少しも見せない。
 やっぱりサニーさんの勘違いかな、いやでもやっぱり、などと千々に乱れる新次郎の心。それに気づいた風も見せず昴はホテル内に新次郎を案内する。
 何度か訪れてはいるが、それでもやはりこのやたらめったら高級感の漂う昴の部屋というかホテルには慣れない。内心はドキドキモンモンしつつも少し背筋を伸ばしてホテルフロントを通りすぎた。
 昴の部屋の中に心臓を高鳴らせながら招き入れられると、昴に微笑みながら言われる。
「新次郎。先に食事にするかい? それともお風呂?」
「あ、あ、あのあのっ、しょ、食事でお願いしますっ!」
 うわーまるで夫婦みたいな会話だー! と思って一気に体温を上げつつ答えた新次郎に、昴はにっこり笑ってうなずく。
「そう。じゃあ電話しよう」
 おそらくはフロントに「九条だ。ああ、例のものを」などと電話する昴を見ながら、もはやドキドキを必死に抑える新次郎は汗で濡れた拳を握り締めた。
(……昴さんがどういうつもりなのかはともかくとして、昴さんと二人っきりで食事なんて久しぶりなんだ! 楽しまなくっちゃ!)
 そんな風に一人気合を入れる――ほどなくして運ばれてきた料理に新次郎は目を丸くした。
「……これ、中華料理ですか?」
「そう、水餃子。白米も用意させたよ。他の料理も少しはあるけれど、まずは水餃子を味わってもらいたいな。新次郎は食べたことがないだろう?」
「はい!」
 自分をそんな風に気遣ってくれることが嬉しくて、新次郎は大きな鍋の中で茹でられている水餃子を一個すくって口の中に入れ噛み締める―――が。
「………っ辛―――――――ッ!!!」
 火を吐きそうな辛さに思わず脇に置いてあった水を一気飲みした。それでもまだ収まりきらない辛さに、涙目になりながら昴に問う。
「昴さん……これって、こんなに辛い料理なんですか………?」
「いや? 本来は全然」
「………は?」
 呆気に取られる新次郎に、昴はにっこりと、扇を口に当てた、優雅かつとてつもなく不穏な笑みを浮かべて新次郎を見た。
「僕が今朝料理人に言っておいたんだ。激辛にするようにってね」
「え……ええ――――!」
 ひどいなんでそんなぼくなにか悪いことしましたかっ、と言い募ろうとした新次郎は、昴の微笑みにうっとつまった。この微笑みは―――
「す……昴さん、怒ってるんですか?」
「どう思う?」
 にっこり笑って扇を開く。鉄をも切り裂く特性の鉄扇のきらめきに、新次郎はぞーっと背筋に冷たいものが走った。
 めちゃくちゃ……とまではいかないまでも、ちょっと、かなり、怒ってるかも。
「な、な、なんで………」
 怒ってるんですか、という言葉にできない思いを汲み取って、昴はまた微笑む。なんだかこめかみの辺りがちょっとひくひくしてる感じの笑みで。
「……新次郎。僕は君に、最初なんと言った?」
「え………」
「僕は、君に、名指しで、泊まりにおいでと言ったんだぞ?」
「は、はい………」
「それが、なんで。星組全員で泊まりにくることになるんだ? 僕は、部屋に人を招くのは、好きではないと言ったはずだが?」
「―――あ!」
 知っていた。それは知っていた。
 部屋に人を招くのは好きではないが君ならいい、という言い方で言われて有頂天になっていたのであまり印象に残っていなかったが―――
 昴はプライベートに人を踏み込ませることは嫌いなのだ。
「……ごめんなさい……」
 思わずうつむくと、少し寂しそうな声でこう言われた。
「――僕は、君と二人っきりで食事がしたかったんだがな」
「え!」
 勢いよく顔を上げた新次郎に、昴はこの上なく優雅な笑みを浮かべてこう言った。
「そういうわけで、その水餃子は全部君一人で食べてくれ。僕からのささやかなプレゼントだよ」
「う………! わ……わかりました………」
 うわーん、と内心泣きながらも、新次郎は水餃子をまたひとつ口に頬張った。

「………はぁぁ………」
 新次郎はソファーの上でため息をついた。せっかくのお泊りだというのに、激辛水餃子のダメージのせいで昴とろくに話すこともできなかった。
 もちろん昴がシャワーを浴びている時はたまらなくドキドキしたが、のぞきなんてできるはずがないし。上がってきた昴はもうかっちりしたいつも通りの服を着ていたし。
 新次郎が風呂に入って、さすがに普段のように半裸じゃ失礼だろうと昨日用意しておいたパジャマになっても、昴は大した反応をしてくれなかったし(別に似合うと言われたかったわけではない)。
 それでもドキドキしながら「ぼくはどこで寝れば……?」と聞くと、「毛布を貸してやるからソファーで眠れ。ベッドルームに入ってきたら切り裂くからそのつもりで」と言われてしまった。
「はあぁぁぁぁぁ…………」
 新次郎は深い深いため息をついた。あんまりだ。昴さんと二人っきりのお泊りだって、すごくすごく楽しみにしてドキドキしてたのに。
 せっかくのひとつ屋根の下なのに―――
「……でも、しょうがないよな」
 新次郎はもう一度ため息をつく。自分がちゃんとみんなに断らなかったのが悪いんだから。
 あの時ちゃんと断ってれば、昴さんと今頃、もう少しぐらいはお話できたかもしれないのに。
 はあぁぁぁぁ、ともう一度深いため息をついて、しょうがないやと新次郎は目を閉じた。

 夢を見た。
 昴さんがすごく不思議な色気のあるパジャマ姿で、優しく自分の頭を撫でてくれるのだ。
「ああ言われても寝室に忍んでくるくらいだったら、僕も流されてもいいかと思ったんだがな……」
 そんなよくわからないことを言って、くすっと悪戯っぽい、昴が新次郎に一番よく向けてくれる楽しそうな笑みを浮かべて、すっと顔を近づけてきた。
「―――そんな君には、これぐらいが相応かな、今は」
 ちゅ、と軽くおでこに柔らかいものが触れて、そして去っていく。
 子ども扱いされたのが不満で、でもおでこの感触がなんだか嬉しくて、新次郎はこんなことを言った。
「昴さん、ぼくは昴さんが大好きですよ。だからあんまり意地悪しないでください」
 頭ははっきりとそう言ったはずなのに、口から出たのは「すばるひゃあん、ほふはすばるひゃんららいひゅきれひゅよぉ……(以下略)」というような情けない響きだったのだが。
 昴はなぜか聞き取れたようで、驚いたように新次郎を見て、くすっと優しく笑んで、そっと新次郎の頭を撫でた。
「―――君は本当に、僕の思うがままなのに――いつも僕を驚かせてくれる」
 その笑顔があんまり優しかったので、新次郎は幸せな気分でむにゃむにゃと眠りに落ちた。

 ふわ、とまぶたに柔らかい感触があったので目が覚めた。
「ん………うわああぁぁぁっ!?」
 目を開けたとたん、仰天して飛び退く。目の前には昴の悪戯っぽく微笑んだ顔があったのだ。
「す、す、す、すばすばすば昴さん?」
 昴から目が逸らせない――だが昴はなんの頓着もなくするりとベッドから落ちる。――ベッド?
「あんまり気持ちよさそうに寝てるから起こすのもなんだと思ったけど。そろそろ朝ご飯の時間だと思ってね」
 え、と言われて周囲を窺う。ここは昴の部屋、しかもベッドルーム。キングサイズのベッドに自分は座っている。
 ………つまり、これはまさか、自分は昴さんと同じベッドで寝ていたということなのか!?
「な、なんで!? 昨日ぼくちゃんとソファーで寝ましたよね!?」
「ああ、やっぱりまだ寒いのにソファーで毛布だけというのは可哀想だと思ってね。君が寝ている間に運んだんだ。寒くはなかっただろう?」
「………………」
 そんな。そんな。そんなのって。
 全然覚えてないなんてもったいない! と思うのと、うああぼくは昴さんとひとつベッドで寝てしまったのか、なんてことを! と思うのと、そういえばなにか夢を見たような……と思うのと、さっき昴さんはどうやってぼくを起こしてくれたんだろうと思うのとやらで頭の中はぐるぐるだった。そんな新次郎に、昴はさらりと言う。
「――君の幸せそうな寝顔がすぐそばで見れただけでも、ここに呼んだ価値はあったしね」
「え……」
「さぁ、新次郎、朝食にしようか。プラムの作った料理には負けるけれど、ここの朝食も悪くないよ」
 そんな風ににっこり笑って言われると絶対新次郎は逆らえないので。
「はい……」
 と顔を赤らめて言いつつ、ベッドから這いだしたのだった。

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