みんなで行こうよ、エジプトへ
『お兄ちゃん(以下略)、おはよう(ございます)v』
「ふえっ!?」
 妹達の声に兄は慌てて飛び起きた。
 ここは兄の住む六畳一間の古アパート。煎餅布団に包まれて心地良い眠りに身を任せていた兄が、上体を起こして声のしたほうを見る。
 そこには彼の十二人の妹達が、狭い玄関にすし詰めになってにっこり微笑みながらこちらを見ていた。
「おはよう、お兄ちゃんv」
「お兄様ったら、今日は旅行の日でしょう? ふふっ、お寝坊さんねv」
「おにいたま、ヒナね、ヒナね、昨日楽しみで眠れなかったの!」
「ったく、遅刻したらどうするつもりなワケ? まだ準備できてないとか言ったら承知しないよ?」
「寝起きの兄チャマ……チェキデス! パシャ!」
 口々に話しかけてくる妹達をしばしあっけに取られて見つめていた兄の拳がふるふると震えてきた。
「あれ、あにぃ震えてるよ? まさかカゼ?」
「まあ、大変ですわ兄君さま! 今わたくしがおでこでお熱を……!」
「兄くん……風邪にはジギタリスの根を刻んで煎じたものがよく効くよ。調合して……あげようか? 一歩間違えるとあの世行きだけれどね……」
 兄のほうから、ぶちっという何かが切れた音がした。
「お前ら人が寝てる間に家に入ってくるんじゃなーいっ! 出てけーっ!」
『きゃーっ!』

「………入っていいぞ」
 パジャマから普段の服に着替え、布団を上げて身だしなみを整えてから兄はそう声をかけた。
 兄の声に、妹達はおずおずと玄関から家の中へ入ってきた。全員あからさまに落ち込んだ顔だ。
 雛子が目を潤ませながら上目遣いで聞いてきた。
「……おにいたま、まだ怒ってる?」
 兄は苦笑して、雛子の頭をポンポンと軽く叩いた。
「怒ってないよ。さっきは大声出したりして、悪かったな」
 そう言われて妹達はようやくホッとした顔になって、微笑んだ。
 兄がさっき怒ったのはなにより寝起きのみっともない自分を妹達に見られるのが猛烈に恥ずかしかったからなのだが、その兄心まで妹達はわかってはいない。
 いかに少女達とはいえ六畳間に十二人+男一人というのはスペース的にかなりキツイものがあるが、それをあえて無視して兄は妹達に尋ねた。
「しかし、なんでこんな朝早くに来たんだ? 出発時間にはまだあるし、第一集合場所は志須田邸だったはずだろう?」
 志須田邸というのは志須田家本家の大邸宅である。屋敷自体の大きさもさることながら敷地の広さもハンパなものではない。実に東京都の1/3とも半分とも言われ、膨大な山林を無意味に所有している。
 兄の言葉に、妹達は照れたように笑った。
「だっておにいちゃまと旅行だと思ったらいてもたってもいられなくって……」
「ついつい時間より早く来ちゃったんですの」
「それでどうせなら皆で一緒に兄上様を迎えに行ったらどうかということになりまして……」
「ねえ、おにいたまぁ。ヒナたちと一緒に行こうよぉ」
 兄ははぁっ、と溜め息をついた。
「お前らな……そんなに旅行前から張り切ってたら終わるまでもたないぞ?」
 亞里亞がこくん、と可愛らしく首を傾げた。
「兄や……亞里亞たちと、一緒に行くの、いや?」
 兄が苦笑して、首を振る。
「お前たちがそこまで早く行きたいって言うなら俺が付き合わなきゃしょうがないだろ?」
 妹達の顔がぱあっと明るくなった。
「それじゃああにぃ、さっそく行こうよ! もう車も準備してあるしさ!」
「え、車って……」
「はやくはやく!」
「あ、こら、ちょっと!」
 むりやり妹達に部屋の外に引っ張られて来て、兄はげっそりとした顔になった。
 古アパートの前の狭い路地に、でーんとどでかい車が鎮座ましましている。長さ5メートル以上ある化物リムジンだった。
 回りでは近所の人たちが遠巻きにしてじろじろと車を見ているが(基本的に貧乏人が集まるアパートの前にいかにも高級な感じの車が乗りつければ普通は珍しがる)、既に何度も妹達がさまざまな高級車で乗りつけているので馴れたのか懲りたのか、ちょっかいを出そうというやつはいない。
 今更だが、帰ってきたらまた噂になってるんだろうなあ、と思うとかなり気が重い兄だった。
 しかしそんなことは本当に今更なので、いやもおうもなく兄は妹達とリムジンに乗りこむ。運転席に座っている男を見て、おやっという顔になった。
「……勝」
 志須田家執事長の息子で、現在同じく志須田家で働いている、兄とは旧知の男である。
「お前なあ、お前がついているんならこういう無茶なこと止めさせろよ」
「無茶だと?」
 勝は厳しい顔で兄を睨みつけた。
「無茶だろ。こんな狭いところにリムジン乗りつけるなんてさ。近所の人からも変な目で見られるじゃないか」
「何が無茶だ。可憐様たちはお前を慕い、一刻も早くお前に会いたいと思えばこそわざわざ俺を頼ってまで車を乗りつけたんだぞ。なんと健気なお心じゃないか」
 そう言ってがっし! と勝は兄の首根っこをつかんだ。
「それをなんだ。貴様という奴は言うに事欠いて近所の人から変な目で見られる″だとぉ? そんなことで花穂様たちの兄が務まると思っとるのかっ!」
「ははは……」
 兄は力なく笑った。勝は妹達をほとんど女神様のように崇め奉っており、妹達が兄にどんな苦労を持ち込もうとちっとも同情してくれない。
 ――まあ、妹達が持ち込む苦労を兄があえて甘受する気でいるのもまた事実なのだが。
「あーっ、勝さんってば、おにいたまいじめちゃだめーっ!」
「はっ、申し訳ありません雛子様っ! 皆様どうぞ車にお乗り下さい、私めがすぐにも志須田邸へお送りいたしますのでっ!」
「はーい」
 全員乗りこむと自動でリムジンの扉が閉まり、滑るように車は走り出す。
 窓は黒く塗られており外から中を見ることができないかわりに中から外を見ることもできないようになっているのだが、妹達はそんなことは全く気にせずにかしましくお喋りを始める。車の中は十二人の妹達が入ってもそれぞれ暴れたり場所を変えたりできるほどの余裕があった。
「ねえお兄様? 私今回の旅行のために新しい水着三十着おろしてきたのよv 楽しみにしていてね……ウフv」
「にいさま、姫の特製お弁当ですのよv 昼はもちろん朝も用意してきましたのv 晩は飛行機のキッチンで温かい料理をご馳走してあげますわv はい、あーんv」
「兄チャマ、旅行中の兄チャマをひとつ残らずチェキしてみせるデス! 覚悟はいいデスか?」
 次から次へと話しかけてくる妹達に苦笑しつつ受け答えしながらも、兄は少しばかり奇妙な気がしていた。ここらへんはただでさえ狭苦しい通りが多く、渋滞も起きがちなのに、さっきからこのリムジンは小揺るぎもせずにスムーズに道を進んでいるのだ。信号か何かで止まることすら一度もない。
 これはやはり勝がよほど運転手としての腕があるってことなのかな、と兄は感心しつつ考えたのだが――それは半分だけしか正解ではない。
 勝の腕がいいのは確かだが、実はリムジンの前後をパトカーで固めさせて道を通る車を脇によけさせ信号すらも完全無視で進んでいるのである。もーほとんどマラソン選手かパレードの山車のノリだ。
 たかだか車の行きかえりに公権力を導入できるほど志須田家の金とコネは余りまくっているということなのだが、これが兄にばれるとまた面倒なことになるのでこれは秘密である。
 やがて車はかなり広いヘリポートに到着した。ここは兄の出迎えが便利なように志須田家が買い上げた場所である(これも兄には秘密)。
 ここでヘリに乗りかえるのかと思いきや、リムジンは既にハッチの開いた飛行船に似た巨大なカーゴのようなものに直接乗りこむ。
 これは志須田家で開発した垂直離着陸の可能な輸送機であり、兄を志須田邸に迎えるのに頻繁に使われるのだが、一回飛ばすたびに数百万、下手すりゃ数千万という金のかかる代物である。
 何はともあれ、リムジンを腹の中に飲みこんだ輸送機はヴヴヴ……と音をたてて、離陸を開始した。

「お帰りなさいませ兄一様、可憐様、花穂様、衛様(以下略)。お久し振りです兄一様。お待ちしておりました」
 リムジンから降りた兄たちを出迎えたのは、燕尾服に蝶ネクタイという古式ゆかしい執事ルックをした初老の男だった。
「滋野さん……」
 兄はちょっと驚いたように男の背後を見、それから男に笑いかけた。
 この男が志須田家の執事長、勝の父親にして事実上志須田家を一手に切り回している滋野である。
 ただ普段とちょっと違うのは、その背後にどでかい銀色のジャンボジェットがそびえ立っていることだった。
 どうやら志須田家が領内に所有している飛行場に、直接乗りつけたらしい。
「もしかして、このまま直接エジプトまで?」
「さようでございます。兄一様はまだご朝食がお済みでないようですが、いったん屋敷の方でお食事を取られますか? 可憐様たちはこのままエジプトまで早めに出発なさるおつもりだそうですが」
 兄は肩をすくめた。
「いいですよ、別に。ここまで引っ張ってこられたんだ、いまさらジタバタしたってしょうがないでしょう」
 滋野さんはにっこり笑った。
「さようでございますか。それでは皆様、ジェットにお乗り下さい。運転は勝がいたしますので」
『はーい!』
 勝の先導で、妹達は次々とジェットに乗りこむ。兄も乗りこみかけて、ふと滋野さんの方を振り向いた。
「すいません、滋野さん。いつも申し訳ないんですが、後のことはお願いします」
 滋野さんはにっこり笑う。
「お任せ下さい。兄一様、どうぞ楽しんでいらして下さい。花穂様たちとご一緒のご旅行など、めったにないことですから」
 兄はちょっと照れたように頭をかいて一礼し、ジェットの中に乗りこんだ。扉が閉まり、ジェットのエンジンが回転し始める。
 滋野さんは素早くリムジンに乗りこんでジェットから遠ざかる。その顔には、笑みが浮かんでいた。


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