前回の冒険での経験点は、
・最大の障害がプリーストレベルレベル7の人間(ジーデンの説得の過程は互いのプリースト技能レベル+精神力ボーナスによる対抗判定を何度かくり返したものとしています)。
・倒した敵の合計レベルは25。
・デック、ジャル、ヴィアト、カルは冒険に参加したキャラクターとみなします。
 なので、
・アーヴィンド……3535
・ヴィオ……3555(戦闘中に一ゾロ二回)
・フェイク……1035
 となりました。
 全員前回の冒険の経験点による成長はありません。
候子は辻で魔剣を癒す
『辻斬り?』
 昼時、ファリス神殿での鍛錬から帰って来て、カウンターに着くや『古代王国への扉』亭の主人であるランドに言われた言葉に、アーヴィンドとヴィオは揃って目を瞬かせた。
「ああ。お前さんらにも一応知らせとこうと思ってな」
 自分たちに飲み物を出しながら、そう疲れたように肩をすくめてみせるランドにアーヴィンドとヴィオが顔を見合わせていると、ヴィオがきょとんとした顔で訊ねてくる。
「なーなーアーヴ、辻斬りってなに?」
「えっと……辻斬りというのは、字義的に解釈すると、辻に出る人斬り、っていうことになる、のかな。正直僕も詳しく知っているわけじゃないんだけれど、昔……まだアトン討伐後の治安が回復していない頃に、街の辻……この場合の辻は四辻じゃなくて往来という意味になるんだろうけれど、主に剣の切れ味を試したり腕試しをしたりするために人に斬りかかる犯罪が横行したことがあるんだ」
「え、それって、普通やり返されるんじゃないの?」
 またもきょとんとした顔で言ってくるヴィオに、苦笑して説明を続ける。
「もちろん相手に腕に覚えがあればやり返されるし、それ以前にいきなり人に斬りかかるなんて決してしてはいけないことだよね。だから当然厳しく取り締まられたんだけれど、そんな真似をする人というのはほとんどが相当に腕に覚えのある人だから、普通の衛視では取り締まれないことも多くて……」
「人? って、辻斬りって人間ばっかだったの?」
「そういうわけでは……ないと思うけれど、人間が多かったのは確かじゃないかな。普通辻斬りなんて真似をするような存在は、殺すことに酔っているか武器に魅入られているか、どちらかだと思うから。強靭な精神力を持つ職人気質のドワーフや、そもそもが武器を取っての戦いには向いていないエルフやグラスランナーはあんまりそういうことはしないんじゃないかと……」
「あー、話を続けていいか?」
 ランドに疲れたように言われ、アーヴィンドははっと我に返った。顔を赤らめながら、小さく頭を下げる。
「申し訳ありません……どうぞ、続きを」
「ああ……まぁ、辻斬りってのはそういうもんかもしれんが、腕に覚えのある戦士ばかりを狙っててな。お前さんらも狙われる可能性はあると思うんで、知らせとこうと思ったんだ」
「僕たちが? ……そうでしょうか?」
 正直、アーヴィンドとしては事あるごとに自分がいかに未熟か思い知らされてばかりな気がするのだが。
「ああ、お前さんたちは冒険者になってからまだ二月やそこらしか経ってないってのに、腕利きって言っていいほどの実力を身に着けてる。まぁ、お前らが受けた魔獣の呪いのせいではあるにしろ、その成長の早さは規格外だからな。辻斬りを引き寄せてもおかしくないと思うぜ?」
「はぁ……」
 あまり実感は湧かないが、とりあえず相槌を打つ。ランドははぁ、と深々息をつき、真剣な顔で自分たちに言った。
「本当に、気をつけてくれよ? その辻斬りってのは、はっきり言ってまともじゃねぇんだ」
「はぁ……辻斬りという時点で、正気の沙汰ではないとは思いますが……」
「そういう段階の話じゃねぇんだよ。その辻斬りはな……襲った相手の、技術を吸い取るんだ」
『………は?』
 二人揃ってぽかんとしてしまったアーヴィンドたちに、ランドは険しい顔で説明する。
「お前らが訓練して、鍛え上げた戦士の技術、あるだろう。それをきれいさっぱり奪い取っちまうんだよ。その辻斬りに襲われた奴はみんな、剣の握り方さえ覚えてないくらいのど素人になっちまうんだ」
『えぇっ!!?』

「僕なりに何人かの人に話を聞いてみたんだけれど……その辻斬りは、本当に技術を奪い取ってしまうみたいなんだ」
 着ていた服やら風呂用具やらを詰めた湯桶を鳴らしながら、湯屋からの帰り道を歩く。『古代王国への扉』亭に来てから(経済的に困窮した期間を除き)毎日のように通っている道なので、もう目をつぶっていても行き帰りできる。
「そーなの? どーやってやってるの、そんなの? そんな魔法とか、呪文とか、ないよな?」
「うん……詳しいことは辻斬りを捕まえないとわからないけれど。斬られた人たちがその状態を治そうと奮闘した結果わかったのは、それはどうやら呪いのせいらしい、っていうことなんだ。辻斬りに斬られた人の中には、高名な騎士や貴族もいて、そういう人があちらこちらの高名な司祭や魔術師の方を呼んだ結果出た結論なんだけれど」
「呪い……」
 ヴィオはきょとん、とした顔で首を傾げる。その額にかかった濡れた髪を、ハザード河を渡る夜風がすぅっと持ち上げた。まだ宵の口、季節が初夏ということもあり気温自体は昼の日差しの名残を残して不快な温さを保っていたが、河を渡る風はここに来た始めの頃と変わらず、涼しく心地よい。
「呪いって、どんな? 呪いって、なんでそんなことできるの?」
「ええとね。呪いにはいくつか種類があって、魔物が生理として備えているものと、暗黒司祭が呪文として使うものと、人の意志……というか、だいたい怨念の類なんだけれど、それが世界に歪みを及ぼしているものとがあるんだけれど、そのどれもが通常では考えられない効果を持っているんだ。暗黒司祭の使う呪いの呪文なんかは、肉体そのものを変容させてしまったり、運命に介入したり、なんてことを当然のようにやるからね」
「ふーん……じゃあ、本当に技を奪っちゃっても全然おかしくないんだ」
「うん……確かに、おかしいというわけではないけれど、それでもやっぱりとんでもなく珍しい呪いには間違いないよ。人の経験によって積み上げた技術というのは、その人のある意味もっとも確かな力だからね。それを奪い取ってしまうなんて、普通じゃ考えられない。場合によっては祭器かもしれない、っていうくらい珍しい呪いだよ。……そして、決して許してはいけない呪いだ、と思う」
 ハザード河から離れ、路地に入る。『古代王国への扉』亭のある通りはここからしばらく歩いた先になる。大通りに出れば酒場や食堂の明るい光と人の声で街路が満ちているが、住宅の多いこの辺りはこの時間でももう人通りがほとんどない。もう少し歩けば『古代王国への扉』亭のある、酒場などがいくつも集まっている通りに出るのだが。
 アーヴィンドの言葉に、ヴィオはこっくりと真剣な顔でうなずいた。
「そうだよなー。せっかく頑張って鍛えた技を全部盗まれちゃうなんて、絶対やだもんな」
「うん。賞金がかかるのも当然だと思うよ。辻斬りをやっている人間がなにを目的としてやっているのかはともかく、騎士団の中枢を狙われでもしたら最悪国が傾きかねないし、冒険者たちを狙われても治安の維持に悪影響が出るのは避けられない。どんなつもりで辻斬りなんてことをしてるのかは知らないけれど、できるだけ早急に片付けなくちゃならない案件だと思う」
「そっかー。それでこーいう作戦考えたんだ?」
 にかりん、と笑ってみせる(今は少女の)ヴィオに、アーヴィンドは小さく苦笑を返す。
「作戦、というほどのものじゃ……単に万が一の時の安全確保と、犯人を確実に捕えられるようにするための、単なる保険だよ。フェイクさんが宿に顔を出さなかったら無理だったし……ただせっかく前情報を手に入れたのに、万が一ということがあった時の対策を考えておかないのはおかしいと思っただけで」
「そっかー。でも、アーヴの作戦だったらきっとうまくいくよ! 頑張って、辻斬り捕まえようなっ!」
「そうだね……」
 ただ、アーヴィンドとしては本当に、そんなにちょうどよく辻斬りが現れるとは思っていないのだが。
 話を聞いた限りでは(辻斬りなのだから当然と言えば当然なのだが)、辻斬りが盗み取る技術は戦士としてのものばかりらしい。自分たちは二人とも戦士としての心得があるのは事実だが、どちらもまだ修業中の身、自分たちよりも強い戦士などはっきり言ってごろごろいるだろう。そんな二人をわざわざ狙う価値があるとは、辻斬りも思わないのではないだろうか。
 だがそれでも、万一の時のために用心をしておくのは悪いことではないはずだ。そううなずいて、路地の先へと歩を進める――
 と、ヴィオがばっ、とアーヴィンドの前に手を突き出した。
「? ヴィ……っ!」
 問いかけかけて、はっとした。ヴィオのこの真剣な横顔は、危険を察知した時のものだ。野生の中で生き、呼吸するように野伏としての技術を鍛え上げてきたヴィオは、危険を察知する能力においてアーヴィンドとは比べ物にならない高性能を誇っている。
 慌てて湯桶を体の前に持ってきて、身構える。裏道とはいえ、治安の良さでは大陸でも有数と言われるオランの街で、ヴィオがここまではっきりと危険を感じるということは。街中で追剥というのは考えにくい、自分の素性を知っている人間の誘拐という線はありうるがそれでも街中でやってのけようというのは大胆不敵に過ぎる。まさか、これは、ありえないと思っていたことだけれど――
 ずいっ、と現れた人影に、アーヴィンドは一瞬息を呑む。そこに立っていたのは、傷だらけの板金鎧をまとった見るからに屈強な戦士だった。板金鎧からのぞくわずかな肌にすら傷の跡が見て取れる、いかにも数えきれないほどの実戦を経験してきたであろう戦士。
 そしてそんな男が、手に、剥き身の大剣を持っている。本来なら片手ではとても持てないような代物だろうに、軽々と。
 一瞬、アーヴィンドは硬直した。その男の発している気配に、見事に圧倒されてしまったのだ。
 一見ごく無造作に進める歩の姿勢を見ても、この男が恐ろしいほどの腕利きだというのはよくわかる。それがこちらにはっきりと殺気を向けてきているのだ。見るからにごつごつとした顔に浮かべられている表情からはまったく感情が感じられないが、それでもアーヴィンドですら感じ取れるほどの卓越した技術の持ち主が向ける殺気は、アーヴィンドの全身を貫いて麻痺させるほどの迫力があった。
 だが、ヴィオがじり、とすり足で移動する音を聞いて、我に返る。この状況はどう考えても、辻斬りに襲われているとしか言いようがない。まさか万が一にもそんなことは起こらないだろうと思っていたが、男の撒き散らす殺気といい、剥き身の見るからに邪悪な気配を漂わせた大剣といい、そうとしか考えられない。ならばその万が一の時に備えた手を使うべき時だ!
 アーヴィンドはすっと手を上げ、小さく、けれど鋭く告げる。
「ゲーレ!」
 言うや手にしゅるり、と冷たいものが触れた。アーヴィンドは即座にそれをそれなりの力を込めてぎゅっと捻る。
 が、それを見計らっていたかのように男も動いていた。地面を蹴る強烈な音が響いているのに、まるで滑るようにこちらに近づいてくる。
 だが、それにめがけヴィオが湯桶を投げつける方が早かった。的確な狙いで、かつ強烈な力で投げつけられた湯桶を、男は眉を動かしもせず一瞬で斬り捨てる。
 そしてそのまま間合いを詰め、ヴィオに全力で斬りかかった――が、ヴィオも相手がそう動くのは最初から承知していたのだろう、大きく飛び退いてかわす。聞いた限りでは、辻斬りは相当な腕の持ち主のようだったので(騎士隊長級の腕の持ち主ですら斬られているという話を聞いていたのだ)、もし辻斬りに出会った時はまずは防御に徹する、と作戦を決めていたのだ。
 そしてそれからの行動も、きちんと作戦で決めてある。
 ゲーレがしゅうるるる、とまるで鳴き声のような音を立てた。蛇は普通鳴き声を立てないが、威嚇のためなどで喉から音を出すことはできる。そして、この音が意味するのは、彼の主が呪文を唱えた、ということなのだ。
 ゲーレの眼前の空間が、ぼんやりと光る。その人間大ほどの大きさの光は、一瞬きらめきを発したと思うと、しゅっとばかりに凝集して人の姿を取った。
「……ったく、人が珍しく楽しく飲んでたってのに……無粋な真似をしやがるぜ」
「ごめん……でも、正直、俺たちだけでは勝てるかおぼつかなくて」
「ふん……まぁいいさ、後でアルダイン産のワインでも一瓶おごれよ」
「……できればお手柔らかにお願いするよ」
 アルダインはオランでも有数のワインの名産地というだけあって、種類も値段も非常に多様性に富んでいる。高い物を頼まれれば今のアーヴィンドの貯金など一瞬で消え去ってしまうだろう。
 だが、転移してきた人――月の主<tェイクはにやりと笑って、しゃっと武器を抜きつつ言ってのけた。
「ま、安いワイン一杯ですむ相手だってことを祈るんだな」
 言って、まったく空気の抵抗が感じられない、滑るような動きで辻斬りと向かい合う。突然現れた相手に辻斬りは警戒したように大剣をフェイクに向けていたが、フェイクはそんな相手ににやりと笑ってみせた。
「さぁて、辻斬り君よ。どういう理由でこんな真似しやがったのかは知らねぇが、これも浮世の義理ってやつでね。悪いが、倒させてもらうぜ」
「―――ォッ!」
 低く、爆発するような強さで叫んで、だっと辻斬りは地面を蹴る。その速さ、勢い、力強さと技術、すでに一級品の段階を脱しているだろう。
 だが、フェイクはそれこそ盗賊としてはフォーセリア有数といっていいほどの腕の持ち主だ。「っと!」などと叫びながらも流麗さすら感じる動きで連撃を次々かわしてのけ、小さく舌打ちまでしてみせる。
「ったく、大した腕だな。しかもその大剣、相当強力な魔法がかかってやがる、か。こりゃあちょっとばかし高めのもんをおごってもらわなきゃなんねぇか……!」
 言いながら素早く武器――月光の刃≠ニ呼ばれる強力な魔法の品を振るう。武器としても強力無比な性能を誇る小剣だが、魔法の発動体としても使えるという魔力を持つ。のみならず、フェイクの強力無比な古代語魔法を、さらに強化することさえできるのだ。
「雷よ、光と風よ、我が声に応え出でよ、万能なるマナにて我が敵を捕らえる束縛の網へと変われ!=v
 古代語魔法の中でも対個人用としては最強と目されている束縛攻撃呪文、電撃の網=Bそれが唱えられ、辻斬りの周囲に雷の網が現れた。これは相手を継続的に雷で攻撃し続けるのみならず、相手の行動を強烈なまでに制限する能力も持つ。これが唱えられた以上、まずフェイクの負けはない。
 さらにそれに続くように、アーヴィンドは気弾≠フ呪文を、ヴィオは数歩後ろに退いて光の精霊≠フ呪文を唱える。回避不能な呪文は、次々に辻斬りへと激突し、大きく傷を作った。
 アーヴィンドの考えた作戦が見事にはまった形だった。もし万一辻斬りと出会ったならば、まずはアーヴィンドとヴィオはゲーレに合図してフェイクに転移してきてもらう。そのため外出時には常にゲーレと一緒に行動することになっていたのだが、それが見事に図に当たった。ここまでの腕の持ち主となれば、フェイクほどの体術の持ち主でなければ対抗できないだろう。フェイクは戦士でこそないが、回避能力については世界有数の戦士であろうとも当てるのが難しかろうと言えるほどなのだ。
 そして自分たちは後方から呪文での攻撃と援護に専念する。辻斬りは戦士らしいと聞いたからまずこれで封殺できるだろうと考えたのだが、実際辻斬りは大きく傷ついたようだった。あとは電撃の網≠ェ辻斬りを気絶させるのを待てばいい――
 というように展開されていたアーヴィンドの思考は、次の瞬間硬直した。
「―――ォゥォォォォォッ!!!」
 辻斬りが大きく剣を振るった――と思ったら、次の瞬間、電撃の網≠ェ見事に斬り裂かれたのだ。
「な!?」
「っ……!」
「うわっ!」
 そしてそのまま一気に間合いを詰め、フェイクに斬りかかる。フェイクは警戒しつつも、先程と同じ滑るような動きで回避しようとする――が、その動きが一瞬止まった。驚愕を絵に描いたような表情で、辻斬りの持っている紅に光る刃とその赤黒く光る刀身を見つめ、口を開く。
「まさか、その剣、アブガヒードの――」
 そして、その一瞬は、これほどの戦士を前にしてみれば致命的だった。辻斬りの刃はばっさりと、装備していた魔法の軽革鎧ごとフェイクを斬り裂いたのだ。
「っ………!」
 愕然とした顔のまま、フェイクはがくり、とその場に倒れる。フェイクほどの実力者が討ち取られたということにアーヴィンドは一瞬恐慌状態に陥りかかるが、そんなことになっている暇はない! と必死に自身を叱咤して癒し≠フ呪文を唱え始める。
 辻斬りはフェイクを一刀の下に討ち取ったのち、すいとまたまるで隙のない構えを取る。一瞬呆然としたヴィオも、きっと相手を睨みつけて呪文を唱え始めた――
 が、次の瞬間に起こった変化は劇的で、アーヴィンドもヴィオも一瞬呪文の詠唱が止まりかけた。辻斬りの体についた、自分たちの呪文でできた傷が、一瞬で、それこそ癒し≠フ呪文をかけられたように見る間に塞がったのだ。誰に治療の呪文をかけられたわけでもないのに。
 そして、辻斬りはこちらと向き合い、自分たちの呪文が完成する前に斬りかかってくる――
 と思いきや、その勢いは一瞬で止まった。不自然なほど瞬時にその足と体が停止し、くるりとこちらに背を向けて、脱兎の勢いで逃げ出していく。
 ヴィオは戦乙女の槍≠フ呪文を唱え終えたが、その一瞬前に辻斬りは呪文の射程距離から離脱してしまっていた。ぐっと唇を噛み締めつつ、ヴィオは呪文を停止させて、精霊を解放し魔力の消費を防ぐ。
 アーヴィンドは予定通りに癒し≠フ呪文をフェイクにかけたが、フェイクは目こそ開けたものの、老人のような動きでのろのろと手を目の前に持ってきたきり、少しも動こうとしない。
「フェイクさん……大丈夫、ですか」
 おそるおそる(うっかりと、敬語で)話しかけたアーヴィンドに、フェイクはのろのろと、感情の感じられない表情を向け、告げた。
「……盗られた」
「え?」
「俺の盗賊の技術を……あの剣に、盗られた」
『!』
 アーヴィンドもヴィオも、揃って目を見開いた。まさか。それは。――あってはならないことが、起きてしまったということではないか。

 隠し通路からフェイクの隠れ家の一つ(フェイクは自分専用の隠れ家をいくつも持っているのだそうだ)に入り込み、ろくに歩けないほど脱力しているフェイクを寝室に運び込む。部屋に置いてある家具はどれも豪奢さは微塵もないが質のいいもので、フェイクの人となりが偲ばれたが、ここのところ訪れる人がいなかったのか少し埃が積もっているのに思わずアーヴィンドは眉を寄せた。
 ベッドに寝かせて、服を緩めて体を楽にし、改めて容体を確かめる。見たところ、病気らしい様子はない。怪我はもう治したし、鎧も修復を終えている(魔法の鎧――特に革鎧の中には、強烈な攻撃に斬り裂かれても自動的に元の姿に戻るという保存の魔法がかかっているものもあるのだそうだ)。ただ、体力がどん底に近いというか、すさまじく疲労している、というように見えた。
「実際、疲れて、るからな」
「フェイク……あまり、喋らない方が」
「いや……お前らに、伝えとかなきゃ、ならんことが、ある……」
 ベッドに横たわったまま、フェイクがこちらを向く。その顔は(蒼白ではあったが)強い意志が感じられ、アーヴィンドもヴィオも否応なしに姿勢を正さざるをえなかった。
「あの、辻斬りの、男が、持っていた、魔剣……あれは、普通の、魔剣じゃない」
「と、いうと?」
「あれは……アブガヒードが、創った、もんだ」
『!』
 思わずヴィオと揃って目を見開く。アブガヒード――アーヴィンドとヴィオに呪いをかけた、古代王国の天才魔術師を素体として創られた魔獣。付与魔術によって創り出した強力な魔法の道具によって、争いの狂気が助長されることをなによりの快楽とする名もなき狂気の神の暗黒司祭。アーヴィンドも一度しか会ったことはないが、それでも尋常な相手ではないのは十二分に伝わってきた――そいつが、あの魔剣を?
「たぶん、だが。アブガヒードは、あの魔剣にかかっていた呪いを、さらに強化して、魔剣の中に、取り込んだんだろう。あいつは、そういう、本来魔法によるものじゃない力を、自身の創る道具の力と一部とするような、とんでもない付与魔術を使えるんだ……」
「……そんな、ことが……?」
「六百年間、魔法の腕を磨いてきたってのは、嘘でも冗談でも、ない。あいつの技術は、すでに、人間の段階を、脱している……技術だけなら、魔神王だの、神だの、そういう代物に匹敵するんじゃないかってくらい、とんでもないんだ……」
「…………」
 思わずごくり、と唾を呑み込む。フェイクがここまで言うということ、それ自体がアブガヒードの力のほどを示している。つまり、アブガヒードは、古代王国の魔法王すら凌駕する力を手に入れている、ということに他ならない。
「そして、あいつは、その手に入れた技術で、好き放題に魔法の道具を創り出している……技術の鍛錬も、兼ねてな。たぶん、あの魔剣にかかった呪いに、創作意欲を、掻き立てられたんだろう……神に匹敵する技術に、魔獣のとんでもない魔力を使って、その呪いをいじった結果、あのくそったれな魔剣が生まれた、ってわけだ……」
「………、その呪いを解く方法は、なにか、わかる?」
「は。知るかよ、そんなもん……少なくとも、普通の方法で解ける呪いじゃねぇってのは、確かだけどな。あいつは、自分の創った道具の力が、十全に発揮されることを好む……呪い除去≠ヌころか、魔法完全解除≠セろうが解けないように、細工をしてるに、決まってる……」
「……もしかして、以前にも、こういったことが?」
「あきあきするほどな。俺は、アブガヒードの呪いを解く協力をしてた関係上、何度も、アブガヒードとぶつかったから……まぁ、俺の行動も、あいつにしてみりゃ狂気の助長ってんで、真正面からぶつかることは、なかったが。それでも、あいつの実力のほどはわかったさ……俺がどれだけあがこうが、あいつにとっては、掌の上、だってのもな」
「……フェイク」
 フェイクは浅い呼吸をくりかえしながら、きっとこちらを睨むように見て言う。その姿には鬼気迫るものがあった――つまり、それだけフェイクにとって、アブガヒードの力というのは絶対的なものなのだと、自然と知れた。
「言って、おく。お前たちは、運よく、あいつの被害を、まぬがれたんだ。もうこれ以上、あいつに……少なくとも、あの戦士に関わるのは、やめておけ。天災みたいなもんだと、割り切って、あいつの被害を受け流すことを、考えるんだ」
「…………」
 アーヴィンドは数度、深呼吸をした。それからちらりとヴィオを見やる。
 ヴィオはアーヴィンドを見返して、こくり、とうなずいてくれた。その真剣な面持ち、力強い首肯、それらが自分に彼女(今は少女の姿なので)の意志を伝えてくれる。
 自分も一緒だと。一緒に自分たちの意志を貫こうと。
 だから、アーヴィンドはもう一度深呼吸をしてから、首を振った。
「申し訳ないけれど、その要望は聞けない」
「……なに?」
「僕たちは、なんとしてもあの剣の呪いを解いて、フェイクに、そして他の技術を盗まれた人たちに力を返したい。だから、あの戦士に関わるなと言われても、聞けない」
「なにを……お前ら。状況が、わかってるのか」
「わかってるよっ。フェイクや、他のいろんな人たちが、俺たちに呪いをかけた奴のせいでひどい目に遭ってるんだろっ。そんなの、放っとけるわけないじゃん。俺たちがやったことじゃないけど、それでもなんかヤだし、それにフェイクが盗賊の技盗まれたなんてことになってたら、ぜったいぜったい放ってなんておけない」
 澄んだ声でそう主張するヴィオに、フェイクはベッドに横たわったまま忌々しげに顔を歪めてみせる。
「なにを、抜かしてやがる、ひよっこが。お前、俺が負けたの、見てなかったのか。俺でも勝てない奴に、お前らが、どうやって勝つって」
「フェイクが負けたのはうっかり魔剣がアブガヒードのだってわかってうろたえたからじゃん。あんな風に大失敗しなけりゃ、少なくとも五分ぐらいではあったと思うぜ」
「……だからって、お前らが勝てる確率が上がるわけじゃねぇだろ」
「そうだね。だから、勝てる方法を探す」
「なに……?」
 眉を寄せ、体を起こそうとするフェイクを制しながら、アーヴィンドは決意を込めて言う。
「これからあの魔剣の来歴を調べて、能力を調べて、呪いを解く方法を考える。魔剣に元からかかっていた呪いを下敷きにしている以上、アブガヒードの手が加わっているとしても魔剣の本来の呪いを解けば少なくとも力が揺るぎはするはずだ。それを調べて、フェイクに伝えに来るから、その時は遠慮なく審査してほしい」
「……お前、俺を試験官にしようってのか」
「少なくとも、アブガヒードとその手口について今一番詳しいのはフェイクだろう。フェイクが文句なしと太鼓判を押せるような作戦なら、まず間違いはないと思えるからね」
「もしかしたらフェイクに協力とか頼むかもしんないよな? 古代語魔法とかの技は盗られてないんだろ?」
「それは……そうだが」
「そうだね。だから、フェイク。今はできるだけゆっくり休んで、体力を回復しておいてほしい。僕たちは一度『古代王国への扉』亭に戻って、フェイクの面倒を看てくれる人を頼んでくる」
「……は? お前、本気で言って……」
「少なくとも今密偵の類が一番入り込みにくい紹介先ではあると思う。冒険者の中にも病人の面倒を看るのが得意な相手の一人や二人ぐらいいるはずだ。その人に払う報酬は全員で分割することになるけど、かまわない?」
「それは別にいいがな、お前ら、本気で言ってるのか、それ」
「本気に決まってるだろう。そうでなければこんなことは言わない。……念のために割符みたいなものでも作っておこうか。それと合言葉かな。時間の余裕があればここまで案内してきたいところだけど、僕たちもしなければならないことがあるから来れるかどうかは」
「……信用できる家政婦の当てぐらいある。……これに書いてある場所に住んでる、この女にこれを渡せ。盗賊ギルドに保護されてる女だ、俺の頼みなら聞くだろう」
「わかった。なにか他にやっておくことは?」
「いや、ない」
「うん。それじゃあ、また来るから」
 言ってくるりとフェイクに背を向ける。と、そこにフェイクから低く声がかけられた。
「――頑張れよ。アーヴィンド、ヴィオ」
「……うん」
「あったりまえじゃん!」

 フェイクに紹介された家政婦にフェイクの書いた手紙を渡したのち、『古代王国への扉』亭に帰って、ランドに事情を話す。ランドは当然仰天したが、自分たちがなんとか呪いを解いてみせる、と言うと驚いたように目を見開いてから頑張れよ、と笑ってくれた。
 自分たちの部屋に入って、扉を閉じる――とたん、アーヴィンドはくたくたっ、とその場で膝を折ってしまった。
「わ! 大丈夫か、アーヴ?」
「……ごめん。ずっと、気を張っていたものだから」
 苦笑しながら、ヴィオに手を取ってもらってベッドに座り直す。普段なら少女に手を取ってもらうなんてはしたない、と恥ずかしくなってしまっていただろうが、今はそんな余裕はなかった。
「気を張るって、なんで?」
「……緊張していたんだよ。僕の内心を、見抜かれて、止められるのじゃないか、って。大見得を切っておきながらこんなことを考えるなんて恥ずべきことだとわかってはいるけれど……正直、不安で、仕方なかったから」
「不安って?」
 きょとんとするヴィオに、また苦笑する。ヴィオはこんな情けない気持ちなど感じないだろうと思うと忸怩たる気分になったりもするが、それでもアーヴィンドは、どんな情けない気持ちだろうとヴィオには隠し事などしたくないし、する気にもなれなかった。
「僕たちは、冒険を始めてからずっと、フェイクに助けられてきただろう? 情けないことに。僕たちがやってきたのは、保護者つきの冒険だったんだ、ずっと。もちろんフェイクにそういうつもりがない、というのは聞いているけれど、それでも僕は、ずっとフェイクに面倒を見られているような気がしてしょうがなかった。やっぱり僕たちとは桁違いに強い人だから、そういう人におんぶにだっこで冒険者をしているような、情けない気持ちがどこかにあったんだ」
「そうなんだ……」
「うん。でも、今回は違う。本当にフェイクのいない――フェイクを頼りにすることができない初めての冒険だ。だから正直、緊張して、不安で、ドキドキしてる。本当に僕にできるのか、僕たちだけであの恐ろしく腕の立つ辻斬りをなんとかできるのか、って。……ごめんね、情けないことを言って」
 苦笑しながらそう本音を漏らすと、ヴィオはぶんぶんと真剣な顔で首を振った。
「情けなくないよ。俺だってそうだもん。気持ちわかるよ」
「……そう?」
「うん、当たり前だよそんなの。俺だって一人で狩りに出た時はすごいドキドキしたし、不安だった。失敗した時の情けない気持ちなんて、味わわないですむならその方が絶対いいし」
「失敗を乗り越えて正しい道を選ぶ、っていうのも重要だ、とは思うけれどね……僕も正直、失敗したいとは思わない」
「だよな。だからドキドキすんの、わかる。でも、俺は平気だ、って思うんだ」
「平気……って?」
 ヴィオは真剣な顔でこちらを見て、きっぱりと告げる。
「だって、アーヴがいるから。俺とおんなじように不安だったり、緊張したり、ドキドキしたりしてるアーヴがいるから」
「………ヴィオ」
「アーヴは絶対逃げ出したりしないだろ? だから俺も絶対逃げ出さない。力合わせて頑張るぞ、って思う。……アーヴも、俺と一緒にいたら、そういう風に、思ってくれる?」
 真正面からこちらを見て言い切るヴィオに、アーヴィンドは顔を熱くしながらも、心の底から真剣にうなずいた。大切な仲間のこんな真摯な想いに応えられないなんて、人としてあまりに情けないこと、絶対にしたくない。
「うん。僕も、ヴィオがいるから頑張ろう、って思える。……一緒にやろう、ヴィオ。二人だったら、きっとなんとかなる、って信じられるから」
「おうっ!」
 元気に拳を振り上げるヴィオに、照れくさくなりながらも微笑む。というか、いまさら自分と同い年の少女(今は)に、密室で二人っきりという状況下であんなことを言ってしまったという事実が猛烈に気恥ずかしくなってきたが、今ははっきり言ってそんなことをどうこう言っている場合ではない。
「まずは、計画を立てよう。フェイクにも言ったけど、重要なのはまず、あの辻斬りが持っていた剣を調べることだと思うんだ」
「あ、そーだよな。フェイクに言ってたよな、あの魔剣に元からくっついてた呪いを解けばなんとかなるかもしんないって」
「うん、ああいう物品についている呪いは、普通は自然発生的なものだから解き方が存在するのが普通なんだ。それを解く方法を見つけるのがまず第一だと思う」
「そーだな。で、解き方が見つかったらどうしよう? 辻斬りがどこにいるかとか調べた方がいいよな?」
「うん、だからできるだけ早くあの辻斬りの身元を調べたいんだ。少なくともあれは生きている人間だった。それもあれほどの腕なら、たぶん冒険者の店を回れば知っている人がいると思う。まずはランドさんからだね。作戦を立て終わったら聞いてみよう」
「うん、そうしよ。でも、身元が分かっても、あの辻斬り、もうこれまでいたとこからはいなくなっちゃってるんじゃないのかな? だって、あいつあからさまに変な感じしたし」
「そうだね……精神的に明らかに尋常な状態ではなかったと思う。調べた身元から聞き込みをしていくことになると思うけど……どこに潜んでいるんだろうね。もし完全に狂気に支配されているんだとしたら、日中はどこかに隠れ潜んで夜になったら行動を開始するんだと思うんだけど」
「狂気かぁ……アブガヒードとおんなじなのかな?」
「……少なくとも名もなき狂気の神の加護を受けているのは間違いないと思う。あの辻斬りは、フェイクのかけた電撃の網≠フ呪文を剣で斬ってのけたんだ。普通の人間にできることじゃない、魔獣や幻獣だってそうそうできることじゃないと思うんだ」
「そっかー、神さまの加護受けてないとそんなことできないもんねー」
「伝説、と呼ばれるほどの力を持っていたり、業績を残したりした者に、そういった力が生まれる、という例は聞いたことがあるんだけれどね。あの辻斬りは、恐ろしい腕の持ち主ではあったけれど、太刀筋を見る限り、技術自体はフェイクに勝るものではなかっただろう? 神の加護を受けているからこそそういった力に目覚めた、と考える方が普通だと思うんだ。ただ、そういった人を超えた力は、人の身では無制限に振るうのは難しいらしいんだけれど」
「へー、そうなんだ?」
「本来なら伝説上のものでしかない力だから、普通なら確かなことは言えないんだろうけれどね。でも、これはバレン師からうかがった話だから、確かだと思う。バレン師はそういった、人が人を超えた力を発揮するところを、実際にご覧になったことがあるそうだから」
「へー、すごいな! その力発揮した人って、誰?」
「……オラン魔術師ギルドの最高導師、マナ・ライというお方だよ」
 正直あまりに偉大な存在なので、名を口にするだけでもアーヴィンドは一瞬畏怖を感じてしまったのだが、ヴィオは当然ながらまったく気にせず好奇心に満ちた顔で訊ねてくる。
「へー、魔術師ギルドで一番偉い人って、アーヴの師匠のバレンって人じゃなかったんだー」
「なんというか……現在の最高責任者と呼ぶべき実務をこなす人はバレン師で間違いないんだけれどね。マナ・ライ師はそういったものとは桁が違う、というか。オランの、そしてラムリアースをのぞくすべての魔術師ギルドの創設者と呼ぶべき方で、魔術師の地位をそれまでとは比べ物にならないほど向上させた方で……そして、人を超えた力を持つ方なんだ。少なくともオランの魔術師ギルドにおいては、最高導師の名は永遠にマナ・ライ師のものとする、と国王陛下から認可を受けるほどに評価されてもいるんだよ」
「? その人って、もう死んじゃったの?」
「………いや………」
 一瞬口ごもってから、アーヴィンドは決意して口を開く。あまり軽々しく言っていいことではないが(少なくとも所構わず口にしては誤解を招く恐れもある)、ヴィオならば問題はないはずだ。
「生きている、という言葉本来の意味からは外れるかもしれないけれど。少なくとも、まだ精神は生きていらっしゃる」
「? どーいうこと?」
「古代王国の魔術の秘伝……なのか、もしかしたらマナ・ライ師が創り出された魔術なのかもしれない、とも言われているんだけれど。マナ・ライ師はご自身の死に際して、肉体を捨てることを選ばれたんだ。純粋な精神体となって、通常の生物とは異なる位階の存在となられることを選択されたんだよ」
「………え? それって、死霊になったとか、そういうんじゃなくて?」
「違う。純粋精神体転化≠ニいう、通常の人間の技術では扱いえない呪文を使って、精神体――肉体に縛られない、純粋な精神だけの生命へと変わられたんだ。死霊のように不死の精霊力によって生きるのではなく、生命体でありながら肉体に依存しない……いわば、現世に在る神々の在りようと同じ、魂の力によってのみ存在する生命体へと、ね」
「え……えー!? それって、それって、神さまになったってこと!?」
「いや、さすがに神と同じような力を振るえる、というわけじゃないよ。でも、通常の手段によって傷つけられることは絶対にないし、飢えも渇きもしなければ睡眠も必要がない。意識だけで、行こうと思えば世界のどこにでも自由に、それどころか異界にすら行くことができる。精神的な能力も人間の時よりはるかに高くなっているそうだ。まさに人を超えた存在になられたのだ、とバレン師はおっしゃっていたよ。マナ・ライ師と会話することが許されている賢者の塔の最上部は、少なくとも高導師にならなければ入ることもできないから、聞いた話でしかないけれどね」
「ふわぁ……」
「……話が逸れたね。ええと、とにかくそのマナ・ライ師が、あの辻斬りがやったような意志の力だけで強力な拘束の呪文を完全に打ち破る、といったことをしているところをバレン師はごらんになったことがあるそうなんだ。そしてその際、強力な神の加護や、世界を成り立たせている力の祝福、数えきれないほどの強い人の想いを背負った人間などは、そういった人を超えた力を発揮することができる、とお教えいただいたそうだよ」
「ふーん……ってことは、あの辻斬りにしたって、そんなにほいほい使える力ってわけじゃないんだよな、呪文ぶった斬るのとか、そういうの」
「そうだね。だから、あまり警戒しすぎるのもよくないと思う。呪文がかかればこちらの勝ち、という戦術は通用しないんだ、とは考えておくべきだろうけれど」
 話が戻って内心ほっとしながらアーヴィンドはうなずく。マナ・ライ師は本当にあまりに偉大すぎる存在だから、今のアーヴィンドとしてはつい敬して遠ざけるべき存在、と考えてしまうのだ。少なくとも、自分はすでにマナ・ライ師とまともに相対できるだけの価値のある存在だ、と思えるほどアーヴィンドは自身を過信していない。
「……とにかく。魔剣についての調査による呪いを解く方法の発見と、身元の特定から始める聞き込み調査による居場所の特定、どちらも並行して進めるべきだ、と思うんだけれど……」
 アーヴィンドは言いかけて、逡巡した。正直、これが言うべき――言っていいことなのかわからない。冒険者としての誇りを持っているならば、言えないことなのかもしれない。
 だがそれでもアーヴィンドの倫理観からすれば正しいことを、気合を入れて口にした。
「僕は……この詳しい事情を、国府に奏上すべきだと思う」
「? こくふにそーじょーって、どういう意味?」
「……王宮とか、衛兵の人々とか……捜査権限を持つ組織に、情報を渡すべきだと思うんだ。こういった捜査は、人海戦術で行うのが一番効率がいい。辻斬りの被害をこれ以上広げないためには、情報をそういった組織に渡して、捜査を進めてもらうのが最適なんじゃないかと思うんだ」
 ヴィオはきょとんとした顔をした。不思議そうに訊ねてくる。
「じゃあさ、俺たちはそれからどうすんの? その人たちに任せちゃうの?」
「……いや。個人の能力でその人たちにどれだけ及ぶことができるかはわからないけれど、僕たちなりに、独力でそういった調査を行ってもいいと思うんだ。そして、その際に得た情報も逐一組織に報告した上で、独自の判断で動きたい、と僕は思っている。曲がりなりにも一度襲われたんだ、向こうがどんなことを考えて辻斬りをしているかはわからないけれど、もう一度僕たちを襲う可能性もないわけじゃない。僕たちなりに調査をして、辻斬りを捕えられないかやってみたいんだ。……自分たちの力だけで、辻斬りを捕えるのと比べると、得られる報酬も少なくなるだろうし、単に面倒事を増やすだけなのかもしれないけれど……」
 一度深呼吸をしてから、できるだけヴィオを真正面から見つめて言う。
「僕は、そうしたい」
 自分の言い分があまりに都合のいいことはわかっている。一方的だし、ヴィオの利点をまるっきり考えていない。でも、アーヴィンドは、冒険者というのは、自分の意志で、自分の責任で、正しいと思うことを貫き通せる者のことだと、そう
「うん、じゃーそーしよっか」
「えっ」
「? なんで驚くの?」
 きょとんとした顔で見つめられて、アーヴィンドは慌てた。視線を逸らしたくなるのを必死に堪えて、ぽつぽつと呟くように言う。
「その、なんて、いうか……ヴィオにしてみれば、なんの得もないことなんじゃないか、と思ったものだから……」
「? なんで? そしきの人たちに任せちゃうっていうんだったらやだけどさ、俺たちも調べるんだよね? そっちの方が被害少なくなるっていうんだったら、そうするの当たり前じゃん」
「………当たり、前」
「うん。当たり前」
 アーヴィンドは羞恥にカッ、と顔が熱くなるのを感じた。なにを勘違いしていたのだろう、自分は。ヴィオにはヴィオの倫理観と常識がある。それはもちろんアーヴィンドと違うものではあるけれども、その一番重要なところは、魂の向いている方向は、自分と同じだと――並んで進んでいってくれる相手だと、これまでに何度も教えてもらっていたはずなのに。
 ひどく申し訳ない気分になりながら、頭を下げた。
「ごめんね、ヴィオ。失礼なことを言って」
「? どーいたしましてっ」
「……改めて、頼むよ。一緒に頑張ろう。あの辻斬りを無事、捕えるために」
「うんっ!」

 ぱたん、と本を閉じて、ため息をつく。あの魔剣の素性が、どうしてもわからない。
 オランの賢者の学院の蔵書量はアレクラスト大陸でも有数、おそらくは随一と言っていいほどのものだろうに、あの辻斬りの持っていた魔剣の情報が書いてある書が見つからない。アーヴィンドは主にあの時見た形から調べているのだが、どれだけ調べてもそれらしい魔剣が見つからないのだ。
 もしかすると、あの魔剣はアブガヒードが魔力を付与する時に鍛え直して形が変わっているのかもしれない。そうなるともうお手上げだ。アーヴィンドは鍛冶については詳しくない。あの夜にちらりと見た魔剣の形だけで、どこを変えどこを変えなかったのかを調べるというのは無理だ。
 今、ヴィオは冒険者の店を回ってあの辻斬りの氏素性を調べている。もちろん国府に情報を流してはいるのだが、そちらの方も調査は遅々として進まないらしい。ここ数日は辻斬りの被害に遭ったという人もなく、もしや外国に逃亡してしまったのではという意見すら出始めているそうだ。
 被害が出ないのはもちろん、いいことではあるのだが、アーヴィンドはどうしたってあの辻斬りをこのまま逃がすわけにはいかない。なにがなんでもフェイクから奪った力を取り戻さなくてはならないのだ。フェイクは自分たちを護ってくれたがために技を奪われたのだ、仲間としては責任を果たさないわけには――いや、それだけではない。あの芸術品のようにすら感じられたフェイクの身のこなしが、何十年もかけて完成された美しい技術が、たかが魔獣の呪いのために奪われてしまうなんてことは、曲がりなりにも冒険者を志す者として絶対に我慢が出来ないのだから。
 だが、そのために自分たちが取り組んでいることはどうにも成果が上がらない――となると、どうしても焦らざるをえない。日に一度はヴィオとフェイクの様子を見に行っているが、まともに彼の顔を見ることすら辛くなってきた。このままではいけないとわかっているのだが、それでもどうすればいいかという打開案は思いつかない。
 もう一度深々と息をついていると、ふいに声をかけられた。
「アーヴィンド。煮詰まっているようだな」
「! これは……バレン師」
 向き直って一礼する。今自分はアールダメン候子としての身分を一時的に剥奪した身だし、そうでなくともバレン師は自分の魔術と学問の師に当たる方だ。最大限の敬意を払うべき、とできる限りきちんとした礼をしたのだが、バレンは苦笑して首を振った。
「ああ、楽にしてくれていい。私は礼儀をどうこう言えるほどの育ちはしていないのだから、そこまできちんとした礼などしなくていい、といつも言っているだろう」
「いえ、これはあくまで自分の心得を守っているだけですから。礼を尽くすべき相手にはできる限り礼にかなったやり方で向き合う、という規範の通り行動しているだけのこと、どうかお気になさらず」
「そう言われて気にしないでいられるほど私も無神経ではないのだがな。……辻斬りの魔剣について調べているそうだが?」
「はい……襲われた時に見た魔剣の形をできる限り正確に思い出して調査に当たっているつもりなのですが、どうにも手応えがなく……」
「ふむ」
 バレンは少し考えるように首を傾げてからアーヴィンドのそばに歩み寄り、書棚から一冊の書を抜き出してアーヴィンドに渡した。
「これは?」
「魔剣の形から調べて手応えがないのならば、呪いから調べてみるという手もあるぞ」
「呪い……ですが、あの魔剣にもとはどのような呪いがかかっていたのか、正確なところは私は知らないのです」
「これは経験上言うのだが。調査というものは、絶対に正確なことだけを調べようと思うと、手持ちの情報だけでは足りないという事態に陥ることがよくある」
「……それは」
「むろん完全に正確な情報が手に入るにこしたことはないが。現実問題、そういった情報が簡単に手に入ることは少ない。そういった時は不正確な部分が混ざろうとも、なんとか当たりをつけて情報を収集するしかない」
「ですが、それでは……」
「そうだな。もちろん正確な情報を得た時のようには、簡単にことが進まないことが多くなる。だが、現実の問題というのは、完全に準備ができている時にのみやってきてくれるほど優しくはない」
「それは……そう、ですが」
「人生というのはたいていの場合、準備不足の連続だ。常に手持ちの札で勝利を得る癖をつけておくのは、悪いことではないと思うぞ」
「………はい。ありがとうございます、バレン師」
 バレンは気にしなくていい、というように手を振って書庫を出ていく。アーヴィンドはふぅ、と息をついてぱらぱらと渡された書をめくった。
 そこに書いてあるのは、魔剣にかけられた呪いにまつわる伝承のまとめだった。

「アーヴーっ!」
「ヴィオ! ごめん、待たせてしまったかな」
「ううん、約束の時間ぴったしぐらいだと思うよ。もともと俺が早めに来る約束だったじゃん」
「そうだね……ありがとう。冒険者の店はどうだった?」
「うーん、今日もあんま大した話聞けなかった。もうランドさんから聞いた冒険者の店は全部回ったと思うんだけど……」
「オランには傭兵ギルドの類はないから、戦士が生活の基となるものを手に入れるには冒険者の店しかないと思ったんだけど、当てが外れたかな……」
 そんなことを話しつつ、アーヴィンドとヴィオは賢者の学院から連れ立って歩き出す。フェイクが襲われた次の日から、これはもう日課になっていた。ヴィオに賢者の学院までやってきてもらい、一緒に夜の街の警邏を行うのだ。待ち合わせる時間は日暮れ少し前くらいで、陽が早めに暮れた時に一人で夜道を歩くようなことがないように、ヴィオには早めにやってきてもらうことになっている。
 辻斬りに対する対処方法はまだ考えついていないのだが、もし万一自分たちに狙いをつけていた時のためにどちらも夜道や人通りのない道は一人では歩かないことに決めていたということもあり、調査のための時間を納得できる程度取るとどうしても帰り道は夜道になってしまう関係上、宿に帰るついでに警邏ぐらいはやっても悪くはないだろう、と二人で相談して決めたのだ。
「なーなー、アーヴの方はどうだった? なんかわかったことある?」
「うーん……正直、僕の方も芳しくないかな。どれだけ調べてもあの魔剣の素性が特定できなくて……バレン師に視点を変えてみたらどうか、って呪いのかかった魔剣の伝承とかを記した書を読ませていただいたんだけど、やっぱり特定はできなかったし……」
 そんなことを話しながら夜道を歩く。自分たちなりに周囲を警戒しながら歩いているため、どうしてもゆっくりとした歩調になってしまうが、できるだけ人通りのない道を選んで歩いているため、他人に迷惑をかけるようなことはない。
 魔術師ギルドは街の西端、古代王国への扉£烽ヘ街の東端あたりにあるため、行き帰りするためにはほとんど街を東西に突っ切らなくてはならない。その間に王城やらなにやらがあり、基本的に夜間も衛兵が詰めて厳しく見張りを行っているのだが、自分たちは北端を大きく回って、スラムにぎりぎり入らないくらいの道を通ることにしていた。辻斬りがいくら狂気に取りつかれていようと、人間の状況判断力を持っているなら王城近辺には出てこないだろう、と考えたからだ。
 人通りのない、明かりも空の月と星ぐらいしかない、そんな道をゆっくりと歩く。いつの間にか、ヴィオも自分も口を閉じていた。辻斬りを引き寄せるためというのもなくはないが、どちらかというとこのあたりであまり騒ぎたてたくない、という気持ちの方が強かった。スラムで騒いで注目を集めるというのは、自分たちの立場からすると敵意を集めることに等しい、と以前ヴィアトとカルに教えてもらっていたからだ。
 二人無言で、夜の暗い道を、ただ歩く。ほとんど闇の中を歩いているような気分だったが、気にはならなかった。ここ数日ですっかり慣れたし、それにこういうのはある意味冒険者らしいような気もしたのだ。先の見えない、自分の周りもろくに見えない中で、自分なりの考えと勘働きで道を探す。そうか、なるほど、バレン師が言いたかったのは、やっぱりこういうことなんだな―――
「アーヴ」
 アーヴィンドははっ、と我に返ってヴィオの方をちらりと見た。ヴィオはひどく厳しい顔になって、曲がり角の向こうを見ている。
 まさか、と思うより早く、曲がり角からぬぅっと男が姿を表した。間違いない――あの辻斬りだ。
 抜身の魔剣をぬぅっとかざし、ゆっくりとこちらに向けて歩いてくる――のを見るより早く、自分たちは即座に後ろを向いて逃げ出していた。
 辻斬りは一瞬も間を空けず、石畳を踏み鳴らして追いすがってくる。これは、やはり自分たちに狙いをつけているのだ、それ以外考えようがない。ヴィオと走りながら目を見かわして、小さくうなずく。
 アーヴィンドたちは一応こういう時に辻斬りと出会った時どうするかはすでに決めてあった。根本的な対処方法まではわからないものの、自分たちの手持ちの能力でなんとか辻斬りを無力化する方法も何度も模索したのだ。
 その結果、自分たちの力ではどうしたって分が悪いことを何度も再認識させられたが、それでも一番有効だと思われる方法ぐらいは考えついた。先行するヴィオのあとを追って、ひたすらに走る。そのすぐあとを辻斬りが追ってくる。
 幸い思った通り、足の速さは自分たちの方がわずかに勝っている。息が荒くなってくるまで全力で、人がいない方へと走り、走り――曲がり角を曲がったところで即座に足を止めた。
 そしてアーヴィンドはすぐに呪文を唱える。普段あまり使わない呪文ではあるが、必死に口を動かしながら精神を集中させた。
「万能なるマナよ、この地にしばし闇の帳を下ろせ! 天の光も地の光も、すべてを呑み込みつくすべし!=v
 古代語魔法の闇≠フ呪文。直系二十歩強の円という広範囲を光を通さない暗黒で覆うその呪文を、ぎりぎり自分たちが入らない場所にかける。その一瞬の間に、ヴィオは武器――普段は使わない、弓を取り出して片手に持つ。
 辻斬りがこの呪文にどう対処するか不安だったが、幸い呪文を消し去るようなこともなく(やはりフェイクの呪文を剣で斬ったのは神の加護によるものだったようだ)、罠を警戒してだろう、わずかに足を緩めてくれた。その一瞬の隙に、アーヴィンドはもうひとつの呪文をかける。
「我が神ファリスよ! そのいと尊き御力を、しばし我らに貸し与えたまえ! そのまばゆき祝福でもって、我らの手が向かうべき道を指示さんことを!=v
祝福≠フ呪文。自分を中心にした広範囲の中で、術者の選んだ十人までの人間の戦う力をわずかに増幅させる呪文だ。本来ならかけるべき呪文はまだまだあるのだが、アーヴィンドの使える術で今回の作戦に一番役立ちそうな呪文がこれだったのだ。
祝福≠受けるや、ヴィオは闇の中に踏み込んだ。アーヴィンドからも姿が見えなくなる。――そして、その闇の中で、高く澄んだ、どこか唄うような声がした。
「大地の精霊ノームよ! その手を我が声に委ねよ! 拳を力に変えて、我が敵を討ち果たせ!=v
 同時にガガガッ、と強烈な乱打音。吠えるような声がしてびゅおんっ、と剣が空を裂く音が聞こえるが、それが肉を断つ音はまったく聞こえない。
 アーヴィンドたちの考えた作戦は、これだった。完全な闇を創り出し、その中で辻斬りと戦う。闇≠ナ創り出した呪文は人間の視界を完全にふさぐ、見通せるのは闇を見通す力を持つ種族くらいのものだ。だから当然向こうはこちらの姿を捕捉できない――が、ヴィオは闇を完全に見通すことはできなくても、辻斬りがどこにいるか程度はわかるのだ。
 精霊使いはみんな、精霊の働きを感知することで、闇の中をおぼろげながらも見通すことができる。色などはまったくわからないそうだが、この際それは関係ない。
 アーヴィンドが創り出した闇の中で、呪文で攻撃しながらできる限り逃げ回って、石弾≠フ呪文で攻撃する。普通なら石畳が敷かれているオランの街並みで石弾≠フ呪文は使えないが、今回はあらかじめ土の精霊を支配下において、どこでも土の精霊の力を借りる呪文を使えるようにしている。
 辻斬りに、広範囲の闇の中で動き回る小柄な少女の気配を完全に捉えられるほどの常識外れな感知能力があるか、闇を斬り裂いたり闇の中をまとめて薙ぎ払ったりするようなとんでもない能力があったりしなければ、これで詰みと言えるはずだ。――辻斬りの生命力を削りきるまで、ヴィオの精神力と魔晶石が持てば、の話だが。
 一応魔力が尽きた時のために弓は用意しているが、あれほどの技を持つ戦士ならば、たとえ暗闇の中だろうと風切りの音を聞いて身をかわすくらいのことはしてのけるはず。当てるのは難しいだろうと結論していたので、それまでになんとか辻斬りを倒したい、とアーヴィンドたちは思っていた。
 とりあえず、アーヴィンドも続いて闇の中に踏み込む。もちろんアーヴィンドは闇の中を見通すことなどできないので、中でなにが起きているかなどさっぱりわからないのだが、それでも視界が通る場所にいては辻斬りが闇から出てきた時に即座に斬り捨てられる危険がある。戦いでろくに手助けができないというのに、その上足手まといになど断じてなりたくはない。
 ヴィオの澄んだ声と、炸裂音が何度も響く。それからびゅおうっ! と苛烈なまでの勢いで剣を振り回す音も聞こえたが、それが肉を裂く音は一度も聞こえない。たぶん作戦はうまくいっている、とアーヴィンドは汗で冷えた拳を握りしめた。
 あとは辻斬りの頑強さ次第。ヴィオはあそこまでの腕を持った戦士に魔法の力を十全に発揮できるか自信はない、と言っていたが、そのこともきちんと計算に入れて、自分たちの手持ちのありったけをはたいて魔晶石を購入している。あとはなにか、不測の事態が起こらなければ――
 時間にするなら一分以上はあっただろう、息詰まるような時間が過ぎ、どさり、となにか大きなものが倒れる音がした。それからふぅ、と息をつく音がしてから、ヴィオが明るい声で告げてくる。
「アーヴっ、もう大丈夫だよっ。あの辻斬り、ちゃんと倒したから!」
「そうか……お疲れさま、ヴィオ。大殊勲だね」
「えへへー。アーヴが作戦考えてくれたおかげだよっ」
「いや、ヴィオも一緒に作戦を考えてくれたじゃないか。ヴィオの力がなければ絶対に達成できない作戦だったし。本当に、お疲れさま」
「えへへ、うんっ! ……えっと、そろそろこの闇の魔法解除した方がいいよね?」
「そうだね、ちょっと待って。……万能なるマナよ、この地に光の輝きをもたらせ。天の闇も地の闇も、すべてを吹き払うべし=v
 古代語魔法の光≠フ呪文――闇≠フ呪文と対になっており、同じ場所にかければお互いを打ち消し合って消滅する呪文を唱える。十分な余裕をもって唱えたのだから当然だが、ごくあっさりと呪文は発動して、星明かりと月明かりが戻ってきた。自分の数歩先で、ヴィオがこちらを向いてにこにこ笑っているのが見えて、アーヴィンドは心底ほっとした。辻斬りもその数歩先で、ばったりと倒れているのが視界に入ってくる。
 ――と。その体がわずかに動いたような気がして、アーヴィンドは眉を寄せた。
 もう少しよく観察してみよう、と一歩を踏み出す――より早く、辻斬りは立ち上がっていた。いや、立ち上がるというより跳ね起きると同時に、倒れるのではないかという勢いで上体を傾け、その勢いを利用して数歩の間を一気に詰め、剣を振るったのだ。
 背後から、完全に不意を討った攻撃。それは的確にヴィオの背中を大きく斬り裂いた。ヴィオは痛みを感じる暇も奪われたように、顔を驚愕に染めたまま、その場にゆっくりと倒れる。
「――ヴィオっ!!」
 絶叫し、数歩を詰めかける――が、それと同時に目に入ってきた辻斬りの動きに、アーヴィンドは目を見開いた。
 辻斬りの動きは、さっきまでとは違い、少々ぎこちないというか、重たさを感じさせるものだった。それも当然だろう、辻斬りは完全に白目をむいており、どう見ても意識を失っていたからだ。ヴィオが察知した通り、間違いなく意識を失っている。
 が、死んではいない。わずかだが呼吸が感じられる。つまり、これは、おそらくだが、魔剣が――魔剣の呪いがこの辻斬りを動かしているのだ。あの辻斬りは、反応からすると完全に呪いに支配されていたはず。ならば意識がない時にその体を動かすくらいはできてもおかしくない。
 だが、つまり、それは、この辻斬りを倒しても魔剣にとってはなんの意味もない、ということになる。なんとかして呪いを、それも古代王国から生きて魔術の研鑽を続けている恐るべき魔獣の創り出した呪いを解除しなければ魔剣は止まらない。このままでは自分も斬り倒される――のみならず、フェイクに、そしておそらくはヴィオにもかけられた、技術を奪う呪いは解けない。
 アーヴィンドはぐ、と奥歯を噛み締め、立ち上がった。ならば、覚悟を決めるしかない。ここで、自分を襲ってきたこの時に、なんとしてもこの魔剣の呪いを解くしかない。どんな呪いかわかっているわけではないが、それでも、なんとしても!
「魔剣よ!」
 気合を込めて放った言葉に、一瞬辻斬り――そしてそれを支配している魔剣は動きを止めた。わずかに生まれた時間の余裕に、懸命に思考を回転させながら続ける。
「己が生まれた意味を、意義を思い出せ! 創り手がいかにして自身を鍛え、剣と成したかを!」
 呪いを解除する方法は、大きく分けて三つ。呪いを取り除く呪文を使うか、呪いをかけた本人に解いてもらうか、それぞれの呪いにあらかじめ設定された解除方法を執行するか、だ。
 アーヴィンドは三つ目の、あらかじめ個別に設定された方法を探すために連日書庫にこもっていたわけだが、それが見つからなかった以上呪いをかけた本人に解いてもらうしかない。そして、アブガヒードがやってきて呪いを解いてくれる可能性がない以上、呪いの主体となっているのは、もともとの呪いの持ち主――魔剣自体に相違ない。そう考えた末の言葉だったが、幸いその考えはそう外れてもいなかったらしく、辻斬りと魔剣は動きを止めた。
 思わず安堵のため息をつきそうになる自身を叱咤し、きっと魔剣を見つめてさらに続ける。相手の素性もわからない状態で説得するなど無茶もいいところだとわかってはいる、だが他に方法が思いつかなかったし――バレン師からいただいた書を熟読して、魔剣の類にかけられた呪いの伝承には、ある程度の共通項があるように思えたのも事実なのだ。
「なぜ強き体を創るのではなく、強き手によって振るわれる武器を創ったかの理由を知れ! 使い手によって振るわれることで十全の力を発揮するべく自身を鍛えたはず、しかるになにゆえ己が意志で使い手を操るか!」
 呪いのかかった魔剣というものは、どれも使い手を滅ぼし周囲にも害を及ぼすろくでもないにもほどがある道具ではあったが、強力であればあるほど一種共通するものが感じられた。それは、『自身の能力を十全に発揮する』ということだ。
 かけられた呪いが周囲を殺戮するためのものにしろ使用者を滅ぼすためのものにしろ、剣は振るわれて初めて意味を成すもの。鍛え上げられた強力無比なその力を、戦いの中で十全に発揮することが絶対の必要条件として存在しているように思えた。
「使い手なき剣はその力をろくに振るうこともできぬことをなぜ知らぬ、使い手を操っていかにして自身の力を発揮しようという――」
 ざしゅっ。
 内臓が傷つけられたのだろう、ごぼり、とアーヴィンドは口から血を吐き出した。魔剣が疾風と言っていい、さっき辻斬りが振るっていた技には及ばないものの少なくともアーヴィンドでは及びもつかない速度で振るわれたのだ。
 アーヴィンドの言葉を侮辱と受け取ったのか、それとも単に理解できなかったのか。……アーヴィンドの意志が足りなかったのか。とにかく、魔剣はアーヴィンドの声など歯牙にもかけず、その力を振るったのだ。
 負けた、ということか。アーヴィンドはぐ、と奥歯を噛んで、激痛と、瞳からこぼれそうになる涙を堪える。
 駄目だったのか。届かなかったのか。自分は、自分たちは、もうここで終わりなのか。……なにかを成すことも、生み出すことも、ないままに。
 猛烈な勢いで腹に喰い込んだ剣は、鎧を斬り裂いて自分の体に衝撃を与えていた。もう一度攻撃を加えられれば、間違いなく自分は死ぬだろう。ぎゅうっと必死に奥歯を噛み締める。堪えよう堪えようと思いながらも、瞳からぼたぼたと涙がこぼれ落ちた。
 いずれは訪れることを覚悟していたつもりで、少しも覚悟できていなかった自分の人生の終わり。冒険者として生きるならば当然ありえた結末。認めたくないと、そんな終わりは嫌だとどれだけ抵抗しても、やってくる時にはどうしたってやってくる情け容赦のない終末。
 それが、今。
 アーヴィンドは、薄れていく意識の中で、ぐっと魔剣をつかんだ。もう自分にできることはなにもない。やれることはなにもない。あの人に追いつくことはおろか、背中を垣間見ることさえできなかった愚か者の一人として、自分はここで、終わる―――
 ――そう理解してくずおれそうになった瞬間、視界に石畳に倒れ込んだ、ヴィオの姿が目に入ってきた。
 一瞬、硬直する。そして次の瞬間恐怖に震え、その次の瞬間ぐぅっと全力で奥歯を噛み締めた。
 いや、駄目だ。まだ駄目だ。自分はまだ、死力を尽くしていない。できることすべてをやっていない。そんな状況で――全力を尽くしていない状況で死んで、彼女に、彼に、仲間に顔向けできるわけがない!
 必死で、全力で精神を集中させ、呪文を唱える。たとえこれが最後の呪文だとしても、本当に死ぬ最後の瞬間まで、抗い続けなくてなにが冒険者だ!
「我が神ファリスよ――その恩寵をどうか我が手に! そが光は地の無明を照らす太陽、衆生の苦しみを解き放つ黎明、周囲を、使い手を傷つけるこの刃の呪いを、どうか消し去らんことを………!=v
 ほとんど絶叫するように、死力を振るって魔力を練り上げ呪い除去≠フ呪文を唱える。間違いなく、自分の全力を使い果たすつもりで呪文を唱えた――が。
「……っ」
 呪文は、跳ね返された。単純に自分の力が足りなかったのか、フェイクの言う通り通常の呪文では解除できないようになっているのか。
 魔剣はずるり、と自分の腹から剣を抜き、大きく振り上げる。次の一撃で頭を割るつもりなのだろう。もう魔力は使い果たした、自分にできることはたぶん、もうなにもない。
 それでも。ぼたぼたと涙をこぼしながらも、必死にアーヴィンドは体を動かした。抵抗しないわけにはいかない。あきらめたくない。最後の瞬間まであがいてあがいてあがき続ける。それが、ヴィオのため、フェイクのため、技術を奪われた人々のため、そしてこの呪いに支配された辻斬りと、アブガヒードによって存在を歪められた魔剣のために、自分がただひとつできることだから。
 必死に組み打ちをしかけようと、突撃する――が、魔剣は的確に辻斬りの体を動かしてそれを避け、アーヴィンドの頭頂に、強烈な勢いで自身を振り下ろさせた。同時に世界が暗転し――アーヴィンドはそれからのことはもう覚えていない。

 ――はずだった、のだが。
「……ヴ。アーヴ。アーヴっ」
 自分の耳のそばで、大声で叫んでいる声が聞こえる。同時に自分の体を誰かが揺り動かしているのがわかる。
 なんだろう、これは。どこか懐かしさすら感じるような、暖かい感触。まるで母の手に抱かれているような……いや、アーヴィンドは母の腕に抱かれたことなどろくにないはずだから(アーヴィンドは侯爵家子息として赤ん坊の頃は乳母に育てられたのだから)そんな経験はないはずなのだが、ついそんな感想を抱いてしまうくらい、優しく、柔らかく、暖かい………
「あっ! アーヴ、起きたっ!?」
「え……ヴィ……オぉっ!?」
 ゆっくりと目を開けて状況を認識、すると同時にアーヴィンドは跳ね起きていた。自分がヴィオに膝枕をさせられていた――しかもヴィオはなぜか鎧と鎧下を脱いでおり、基本的な服装が常に薄着である関係上、太腿をじかに枕にしていた――という状況に気づいたからだ。
「よかったぁ……なかなか目覚まさないから、もしかしたら呪文がうまく効かなかったのかと思った」
「え……ぇ、え? あの、その、今っていったいどういう状況……」
「呪いを解いてくれたんだ。お前がな」
「え……」
 声をかけられて、ようやくヴィオの背後に男が立っているのに気がついた。総身を筋肉で鎧った、いかにも歴戦の戦士という雰囲気の、鋭い視線でこちらを見つめているその男は。
「……辻斬りの……?」
「ああ……そうなるな。反論のしようもないのが、正直悔しいが」
 そう言って顔をしかめる男の表情からは、確かに狂気らしきものは感じられない。アーヴィンドは思わず、半ば呆然としながら呟いた。
「呪いを解いた、って……いったい、どうやって」
「ああ……俺も、アブガヒードって言うのか? あの魔獣に聞いた話なんだが。魔剣にもともとかかっていた呪いを解く方法は、『この魔剣と魔剣に操られている人間のために誰かが流した涙を魔剣に触れさせること』だったんだそうでな。その呪いが解ければ、あの魔獣にかけられた呪いも解けるようになってたんだそうだ」
「! アブガヒードに会ったことが!?」
「ああ。一ヶ月前に、オランにやってくる時にな」
 辻斬り――名前はグスカと言うそうだが、彼はもともとロドシス王国の辺りで傭兵をしていたのだそうだ。そこでたまたま冒険者と共に遺跡に潜ることになり、この魔剣を手に入れた。魔剣としての力の強さとは裏腹な入っていた宝箱の新しさや遺跡自体の難易度の低さを訝っていた冒険者もいたそうだが、グスカはこの剣にすっかり魅せられており、手放すつもりなど微塵もなかったのだという。
 そうしてしばらく傭兵を続けていたが、その間にグスカは少しずつ魔剣の呪いに支配されていったらしい。倫理観や常識の薄れから始まって、突発的に『強い奴を斬りたい』という欲望が湧き上がるようになり、一ヶ月前になるともはや完全に魔剣に支配されていたのだそうだ。
「そんな時に、あの魔獣に出会った。自分を連れ出して、自分がこの魔剣の魔力を付与した人間だと正体を明かし、言ったんだ。オランに行けば強い相手と出会える、と」
 魔剣の『強い相手を斬り、その技を奪い取りたい』という欲望に支配されていたグスカは、そのままオランにやってきて、魔剣の情動の命じるままに辻斬りをしていた、というわけだ。
「本当に……申し訳ないことをした。いくら詫びても追いつかないことだろうが、言わせてくれ。本当に、申し訳なかった」
 深々と頭を下げるグスカに、アーヴィンドはまだ呆然とした気分で呟く。
「魔剣のために流した涙、って……もともとかかっていた呪いは、どういうものだったんだろう……」
「あの魔獣が言うには、女を強い戦士に寝取られた鍛冶屋が武器の力でもって戦士に対抗しようと打った剣だったらしい。身骨を砕き、心血を注ぎ、命を削って打った剣だったがゆえに、剣を打ち終えるのとほぼ同時にその鍛冶屋は死んだらしいが。その心が剣に呪いをかけ、殺戮のための力と心を与えながら使用者から能力を奪う魔剣になっていたのを、あの魔獣が鍛え直して斬った相手から技術と精力を奪う魔剣にした、と言っていたな」
「そう、だったん、ですか……」
 詳しい説明を受けて、ようやくアーヴィンドの頭はまともに回り始めた。まずはヴィオに声をかける。
「ヴィオ。君はさっき斬られて倒れていたけれど、傷の方は大丈夫? あと、かけられた呪いも……」
「うん、もーだいじょーぶ! 斬られた時は、なんか戦士の技根こそぎ奪われちゃったみたいでまともに立つこともできなくなってたんだけどさ、呪いが解けたらちゃんと戻ってきたし! アーヴとか俺とかこのおじさんとかの傷治したのも俺だしな!」
「そうか……ありがとう。他の人たちについては、おって調べるとして……グスカさん。あなたは、これからどうなさるおつもりですか?」
「どうなさるもなにも……国府に出頭するしかないだろうな。魔剣の技術を奪う力は、相手を殺したら効果がなくなる関係上、襲った相手は全員生きているはずだから、俺の顔を知っている相手も一人や二人じゃない。魔剣の奇妙な力を使えた頃ならともかく、今となっては逃げ出すのも困難だろうし、逃げるつもりもないしな」
「………いえ。俺は、そうは思いません」
「なに?」
 不審げな声を上げるグスカを真正面から見つめて、アーヴィンドはきっぱりと告げた。この幸運は――自分の前にグスカが現れ襲いかかってきて、最終的にはグスカと魔剣のことを悲しみながら流した涙がたまたま魔剣に触れたなどという普通なら考えられないような幸運はきっと、自分にその選択を行わせるためにファリス神が授けてくださったものだと思うのだ。
「もちろんきちんと調査を行う必要はありますが。少なくとも、あなたがこのままただ囚われ、死罪になることは、俺には正しいことと思えないんです」

「ほれ」
 音が立たないほどそっと卓子に置かれた玻璃の瓶に、アーヴィンドとヴィオは揃って首を傾げた。
「それは……なに?」
「なんか、ワインっぽい感じの色してるけど」
「っぽいんじゃなくて本当にワインなんだよ。アルダイン産の582年ものだぜ」
「! アルダインの582年もの!? まさか……それを、飲む気!?」
「飲む気がなかったらなんでこんなとこに置くんだよ。肴も山ほど準備して、さあこれから飲むぞ、って時だってのによ」
「だって、アルダイン産の582年ものって……いくらなんでも……フェイク、正気!?」
「せっかく秘蔵の酒を出してきてやったってのにずいぶんな口ぶりだな、オイ」
「ご、ごめん。でも……だって!」
「なーなー、アルダイン産の……ごひゃくはちじゅうにねんもの? だったら、なんかまずいことあるの?」
「い、いや、まずいというか……あのね、アルダインがワインの産地だってことは前に教えたよね? その582年もの……新王国歴582年に創られたワインは、その中でもここ数十年で一番の当たり年だって言われてるんだよ。しかも貴族や大商人がこぞって買い占めてしまったから、出回っている数が少ない。保存状態のいいものなら、軽く数万ガメルは超える値段がするって……」
「え! すうまんガメル!? うわーすげー、それ飲んでもいいんだ、フェイクってば太っ腹ー!」
「ふ、と……って」
 思わずがくっと膝を追ったアーヴィンドに、フェイクはにやっと笑って言う。
「ヴィオはさすがの反応だな。アーヴィンド、お前候子さまなんだろうが、たかだか数万ガメルでビビっててどうするよ?」
「いや、今は候子の位を返上している身だし……数万ガメルのワインなんて、たとえ候子だったとしても簡単に飲めるものじゃないし……」
 というか個人的には今はそんなワインを飲ませてもらうよりお金に換えて生活費や装備を整える資金として使いたい、という思いを正直に口にするわけにもいかず言葉を濁していると、フェイクはにやにやした顔のままで言ってのける。
「それに、だ。これは俺なりにお前らに感謝の意を表すために引っ張り出してきた酒なわけだ。俺としては、ああだこうだ言うよりも素直に受け取って飲んでもらえるのが一番嬉しいんだが?」
「う………。………。…………………。……わかったよ。ごめん、ありがとう、フェイク……」
「いや、礼を言う立場なのはこっちだろうが。ま、沈黙の長さだけでもお前がどんだけ逡巡してるかはわかるし、それでも素直にうなずいてくれた分だけ喜ぶとこなのかもしれんがね」
 フェイクはにやにやしたままそう言ったが、アーヴィンドは首を振った。フェイクには、今回も本当に世話になったのだ。
 グスカが正気に戻ったあと、自分たちは(グスカと魔剣に邪悪感知≠フ呪文をかけてせめてもの保証を得たのち)フェイクの部屋へと赴き、盗賊としての技術と元気を取り戻していたフェイクに会って事情を説明した。そして同時に協力を求めたのだ。
 まずは魔剣を精査し、アブガヒードのかけた呪いが本当に解けているか確かめる。と同時にアーヴィンドたちが衛兵詰め所に赴き、自分たちが辻斬りを倒したことを告げ、技術を奪われた人たちがきちんと技術を取り戻しているかどうか確かめてもらう。
 もちろん証拠を出すよう求められたが、魔剣は滅ぼした瞬間砂となって消え失せ、使用者も同様に消滅した、と主張すれば技術を奪うようなとんでもない力を持つ魔剣なのだからそういうこともあるだろう、と受け容れてもらえた。もちろん嘘をついたことをファリスに深く懺悔したが、それでもアーヴィンドは、これはやる価値のあることだと思ったのだ。
 全員の呪いが解けていることがきちんと確認できたのち、アーヴィンドたちはフェイクの部屋に戻り、きちんと状況を説明してから、グスカに頼み込んだのだ。
「どうか、あなたの呪いを解除したことに関して恩を感じている分だけでかまいませんから、できる限り困っている人を助けて差し上げてください」
 と。
 アーヴィンドは、そもそも呪いに影響されたがために犯した犯罪行為を裁くことに疑問を感じずにはいられなかった。もちろん相手にとっては衝撃的なことだったろうし、場合によっては命を失いかねない行為なのだ、すべきでないことには間違いないが、直接人が死んだわけでもない、犯人を見つけ裁かなければいてもたってもいられないような遺族の方々がいるわけでもないのに、呪いをかけられなければ断じて犯さなかっただろう犯罪を、本人のものとして裁くことが正しい方の運用であるとは思えなかったのだ。
 ファリスはもちろん法を犯した者には罰を、と教えている。だが同時に、心から償いの気持ちを持っている者に対しては許しを与えよ、とも教えているのだ。そんな相矛盾する教えを、アーヴィンドは自分なりに自分の中で消化して、グスカには償いの機会が与えられるべきだ、と考えた。
 ずっと傭兵として戦場で戦ってきたグスカを『正しい人間である』と考える者はあまりいないだろうが、人の善悪を定める権利を持っている者など通常の世には存在しない、とアーヴィンドは思った。そして、同時に、戦場の中で必死に戦い、戦士として驚異的な技術を身に着けてきた、本来ならば人を護ることのできる力を持つグスカを、こんなことで殺してしまうというのは、あまりに無残で、容赦のない――そして、奇妙な言い方になるが、もったいないことだ、と思ったのだ。
 だからアーヴィンドはグスカに、恩を感じている分だけでも善行を積んでくれるよう頼んだ。そしてフェイクに、グスカの望む場所に瞬間移動≠フ呪文で転移させてくれるようお願いしたのだ。グスカは驚いた顔をしながらも、自分の頼みにうなずいてくれたし、フェイクもあっさりと受け容れてくれた。
 そうしてグスカと別れたのち、国府から辻斬りにかけられていた賞金をもらい(有り金をはたいて魔晶石を買い求めたため正直ありがたくはあったのだが、さすがにそれを受け取るのは(賞金はあくまで辻斬りの首にかけられたものなのだろうから)欲深だと思い自分の分はすべて神殿に喜捨した)、日常が戻ってきた頃、フェイクに『呪いを解いてくれた礼をする』と自宅での食事に招待されたのだ。
 家政婦の方に用意してもらったという食事はどれもおいしそうで、ここのところいつもすきっ腹を抱えている自分には非常に眩しい。アルダインの582年ものにはどうしても気圧されてしまうが、ワインなど久しく飲んでいない身としてはやはり惹かれるものもある。全員のグラスにワインが注がれたのち、それぞれ食前の祈りなりなんなりを唱え、食事は始まった。
「むぐっ、んぐっ! うまっ、この料理、どれもすんげーうまいよっ!」
「そうかい、そりゃ頼んだ甲斐があったってもんだな。……アーヴィンド、お前も好きなだけ食えよ」
「うん、ありがたくいただくよ。………ワインも、やっぱり、ここ数十年で一番とされるだけのことはある味だし」
「えー、そう? なんかこのワイン渋くない? どのへんがそんなにおいしいの?」
「はは……ワインのおいしさっていうのは時期によって種類が違うからね。渋みを味わうっていうのは、慣れていないと難しいだろうから」
「ま、それを承知で出したんだが。お前もこういう味を知っといてもいいからな。まぁ慣れるだけじゃなく年を経るってのも必要ではあるが……せっかくだ、せめてこのチーズを食いながら飲んで味の組み合わせを覚えとけ」
 益体もない会話を楽しみ、料理を味わう。そんな普段ではできない余裕のある晩餐を過ごす。
「そういえば……あの魔剣は、なんであんなに執拗に僕たちを狙ったんだろうね。最初はただの偶然だったとしても、二度目も僕たちを狙っていたようなそぶりをしていたのが少し疑問なんだけれど……一度目の後、しばらく間を空けていたことからも、特定の相手……つまり、僕たちを探していたのじゃないか、って推論が成り立つし」
 そんなことを言うと、フェイクはくくっ、と喉の奥で笑い声を立てた。
「なんだお前、気づいてなかったのか?」
「……フェイクはわかってるの?」
「当たり前だろうが。そんなもん、お前らの呪いが働いた以外にねぇだろ」
「……アブガヒードのかけた呪い同士が反応した、ということ?」
「いや、それよりも障害を呼び寄せる力の方が働いたんじゃねぇか? そっちの呪いはここのところおとなしくしてたからな、これからしばらく、お前らの力量で対処できる範囲を超えた奴らがぞろぞろ現れてくるかもしれねぇぞ?」
「! …………」
 アーヴィンドは思わず目を見開いた。そうだ、自分にかけられた呪いには、そういう力もあったのだ。障害を乗り越えるとその強度に応じて能力を成長させることができる分、普通よりもはるかに高い頻度で強力な障害が訪れる。場合によっては自分たちの力量をはるかに超えた相手が現れるかもしれない――そんな力がある、とフェイクにはすでに教わっていた。
「……そう、思うの?」
「今回のだってその類じゃねぇか。あのグスカって奴と真正面から戦ったら、お前らまず命なかっただろ? そういう風に死力を尽くして戦っても及ばない相手ってのがたまに出てくるんだよ。まぁ、それを乗り越えれば当然その分の力が手に入るわけじゃああるが」
「乗り越えられずに、死ぬ可能性もある、と」
「ま、そういうこったな」
 あっさりと答えるフェイクに、アーヴィンドは思わず深々と息をついた。正直、今回のようなことが何度もあってはそれこそ命がもたない。死力を尽くしても及ばないという感覚など、そう何度も味わいたいものではない。
 が、だからといって冒険者をやめる気にはなれない。そんな気持ちはさらさらない。だって自分は本当に、まだあの人の背中を垣間見ることもできていないのだし、それに。
「う?」
 なに見てるの? と言いたげにヴィオが口いっぱいに料理を頬張りながら首を傾げるのに、「ちゃんとよく噛んで食べようね」と苦笑する。ヴィオはこっくりとうなずいて、もぐもぐと相当な早さで口の中の料理を咀嚼する。
 それを見ながらフェイクはくくっと笑い、自分の方に目配せをしてくる。思わせぶりに、楽しげに、そして親しみを込めて。
 ――この二ヶ月で、これほど自分に近しい存在になったこの仲間たちと、あっさり別れるなんてことは嫌だ、と自分の心が言っているから。
 そんな想いの強固さに我知らず苦笑しながらも、アーヴィンドは新しい料理を口に運んだ。

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キャラクター・データ
アーヴィンド・クラーク・リズレイ・プリチャード(人間、男、十五歳)
器用度 12(+2) 敏捷度 20(+3) 知力 23+1(+4) 筋力 15(+2) 生命力 19(+3) 精神力 20(+3)
保有技能 プリースト(ファリス)6、セージ4、ファイター3、ソーサラー2、レンジャー1、ノーブル3
冒険者レベル 6 生命抵抗力 9 精神抵抗力 9
経験点 4591 所持金 12176ガメル+共有財産2000ガメル
武器 ヘビーメイス(必要筋力15) 攻撃力 6 打撃力 20 追加ダメージ 5
ダガー(必要筋力5) 攻撃力 5 打撃力 5 追加ダメージ 5
ロングボウ(必要筋力15) 攻撃力 5 打撃力 20 追加ダメージ 5
スモールシールド 回避力 6
ラメラー・アーマー(必要筋力15) 防御力 25 ダメージ減少 6
魔法 神聖魔法(ファリス)6レベル 魔力 10
古代語魔法2レベル 魔力 6
言語 会話:共通語、東方語、西方語、ドワーフ語、上位古代語、下位古代語
読文:共通語、東方語、西方語、ドワーフ語、上位古代語、下位古代語
マジックアイテム 魔晶石(5点、3点×4、1点×6)
ヴィオ(人間、性別不詳、十五歳)
器用度 15(+2) 敏捷度 19(+3) 知力 18(+3) 筋力 18(+3) 生命力 21(+3) 精神力 21(+3)
保有技能 シャーマン5、ファイター5、レンジャー4
冒険者レベル 5 生命抵抗力 8 精神抵抗力 8
経験点 6101 所持金 11554ガメル
武器 銀のロングスピア(必要筋力18) 攻撃力 7 打撃力 25 追加ダメージ 8
ロングボウ(必要筋力18) 攻撃力 7 打撃力 23 追加ダメージ 8
なし 回避力 8
銀のチェイン・メイル(必要筋力18) 防御力 24 ダメージ減少 5
魔法 精霊魔法5レベル 魔力 8
言語 会話:共通語、東方語、精霊語
読文:共通語、東方語
月の主<tェイク(ハーフエルフ、男、九十歳)
器用度 18(+3) 敏捷度 21(+3) 知力 19(+3) 筋力 10(+1) 生命力 18(+3) 精神力 21(+3)
保有技能 シーフ10、ソーサラー8、レンジャー7、セージ6、バード6
冒険者レベル 10 生命抵抗力 13 精神抵抗力 13
経験点 12071 所持金 財布の中に入ってるだけで10000ガメル程度
武器 月光の刃 攻撃力 16 打撃力 13 追加ダメージ 14
なし 回避力 16
ソフト・レザー+3(必要筋力5) 防御力 5 ダメージ減少 13
魔法 古代語魔法8レベル 魔力 11
呪歌 ヒーリング、レストア・メンタルパワー、チャーム、レクイエム、キュアリオスティ、ノスタルジィ
言語 会話:共通語、東方語、上位古代語、下位古代語、西方語、エルフ語、ドワーフ語、リザードマン語、ケンタウロス語、ゴブリン語、マーマン語、ジャイアント語、ハーピー語
読文:共通語、東方語、上位古代語、下位古代語、西方語、エルフ語、ドワーフ語
グスカ(人間、男、三十三歳)
器用度 21(+3) 敏捷度 18(+3) 知力 8(+1) 筋力 21(+3) 生命力 20(+3) 精神力 15(+2)
保有技能 ファイター9、レンジャー7、セージ1
冒険者レベル 9 生命抵抗力 12 精神抵抗力 11
経験点 0 所持金 10000ガメル程度
武器 ソウルプランダー 攻撃力 15 打撃力 36 追加ダメージ 15
最高品質ヘビー・クロスボウ(必要筋力21) 攻撃力 12 打撃力 36 追加ダメージ 12
なし 回避力 11
プレート・メイル+1(必要筋力21) 防御力 26 ダメージ減少 10
言語 会話:共通語、東方語
読文:共通語、東方語
マジックアイテム
ソウルプランダー
知名度 20
魔力付与者 狂える魔獣<Aブガヒード
形状 紅に光る刃と赤黒く輝く刀身を持ったミスリル銀製グレートソード(必要筋力は現在21)
基本取引価格 100万ガメル
魔力 攻撃力、追加ダメージに+3。相手に与えた打撃の分だけ生命力と精神力を吸い取る。
 この魔剣は本来呪いのかかった魔剣だったのですが、それにアブガヒードが手を加え、呪いと魔力が組み合って恐るべき変化を遂げた結果、主を次々乗り換えて破滅させる意志ある魔剣となっていました。現在はグスカを主と認め、呪いは消滅しています。
 かつてはこの魔剣は持ち手に合わせて必要筋力が変わる特質があったのですが、現在は21で固定されています。高品質で打撃力に+5され、かつミスリル銀製なので結果的に打撃力は36になります。
 もともとは傷つけた者の血をすすって命と技術を吸い取り、使い手を殺人鬼と化すと同時に使用者を破滅に導く血に飢えた魔剣でした。それにアブガヒードが手を加え、相手の魂――生命力、精神力、技能レベルや記憶まで吸い取って使い手の力と化すとんでもない魔剣だったのですが、現在は相手に与えたダメージだけ生命点を回復させるという能力になっています。
 また、この剣は生命点と同時に使用者の『追加ダメージ』点だけ相手の精神点にダメージを与えることもでき、精神点も同様に回復させます。このダメージは冒険者レベル、ないしモンスター・レベルでしか減らすことができません。
 この魔剣は現在グスカを主と認識しているため、それ以外の人間には使うどころか持つこともできません。グスカの手から離れたとしても、グスカが一声(たとえ心の中でも)呼べば宙を飛んで手の中に納まります(間にある障害物は避けるとはいえ、猛スピードで大剣が飛んでくるのですから注意しなければ怪我人が出るでしょう)。また、グスカには手元から離れたこの剣の現在位置を感覚的に把握することが可能です。
 これはアブガヒードが魔力付与した物品ではありますが、呪いをかけた者のために創り出したものではないため、アブガヒードの呪いがかかった人間を探知することはできません。