前回の冒険での経験点は、
・最大の障害がファイターレベル9の人間。
・倒した敵の合計レベルは9。
 なので、
・アーヴィンド……4540(戦闘中に一ゾロ)
・ヴィオ……4530
・フェイク……1040(戦闘中に一ゾロ)
 となりました。
 成長は、
・アーヴィンド:プリースト6→7。
・ヴィオ:シャーマン5→6。
 以上です。
候子は山村で聖女と話す
『聖女の素性調査?』
 ヴィオとフェイクが声を揃えて返した言葉に、アーヴィンドは小さくうなずいた。
「そうなんだ。フェイクには魔術的な調査を、ヴィオには精霊使いとしての視点からの調査をしてくれないか、ということだった。もちろん僕も同行するけれど、司祭としての見地に立った意見を述べるための人材としては、僕よりもはるかに学識の深い、経験豊富な司祭の方々がいらっしゃる関係上、あまり役に立てないだろうと思う」
「んー、っていうかさー」
 きょとん、と首を傾げ、ヴィオは不思議そうに言う。
「聖女って、誰のこと?」
「え……」
 アーヴィンドは一瞬ぽかんとしてから、すぐに気を取り直して説明を始める。この数日というもの、神殿内はその聖女の話題で持ちきりだったので、世間の人々は全員聖女の噂について熟知しているような気分になっていたが、もちろんそんなわけはないのだ。
「ええと、ね。氏素性としては、オランから馬車で数日かかるほどの距離にある山間の小村の小作農家の娘さん、ということになるかな」
「その人が聖女なの? っていうか、聖女ってなに?」
「ううん、はっきりとした定義があるわけじゃないんだけれど。基本的には、光の神々に対する篤い信仰によって幾多の人々を救った女性を聖女と呼ぶことが多いね。……ただ、今回の場合はそういうものとは少し様相が異なるんだ」
「そうなの?」
「うん。神殿が聖女と認知するより以前から、その女性は小村で聖女として扱われてきたんだそうだよ。なんでも、呪文を使わずにあらゆる怪我や病気を治してしまえるんだそうだ」
「え! 呪文使わないで怪我治せるの!?」
 仰天したヴィオに、アーヴィンドは深くうなずきを返す。これは仰天するのも当たり前だろう。
 怪我や病気を治せること自体は、珍しいことでもなんでもない。神聖魔法の使える司祭なら誰でも癒し≠フ呪文は使えるし、熟達すれば病気治療≠フ呪文によって病を治すこともできるようになる。神聖魔法でなくとも、女性の精霊使いならば治癒≠竍健康回復≠使えるだけの技量があれば可能だ。
 だが、それらはどれも魔法だ。魔法としての理に乗っ取り、あるいは神に祈りを届けるために、あるいは精霊に呼びかけるために、魔法語によって呪文を唱えねばならない。
 呪文の詠唱なしでどんな怪我や病気も治すことができる――それが本当ならば、これはもはや奇跡と呼ぶべきものだろう。さして教育水準の高くないらしいその農村が、自分たちの村に聖女が生まれた、と沸き立つのも当然と言えば当然だ。
 だが、神殿が――本来聖女と呼ばれるべき人々を生み出す組織とされている神殿が、それをただ素直に受け容れることはできないのだろうことも、アーヴィンドはよくわかっていた。
「それだけじゃなく……その女性は、日に何十人もの怪我人を癒すことができるんだそうだ。普通の人間ならありえないよね、そんなこと? どんなに熟達した術者だとしても、精神力がもたずに倒れてしまう」
「うんうん、そうだよな。その聖女って女の人、なんでそんなことできるの?」
「……それがわからないから、オランの神殿それぞれが代表者を出して、その聖女と呼ばれる女性を詳しく調べよう、ということになったんだ。それで僕たちにも、冒険者のパーティとして声がかかったんだよ」
「へー……他には冒険者の人たち、連れてかないの?」
「僕が知っている限りでは、連れていかないらしいよ。ファリス神殿の責任者の方は、『調査だというのに信頼できない者たちを連れて行っても意味がない』とおっしゃっていたけれど。僕たちが選ばれたのは、フェイクやヴィオが魔術師や精霊使いとして高い能力を持っていることももちろんだけど、たぶん、僕――というより僕の地位を、調査団の責任者の方が信用したせいだと思う」
「? ちいをしんよーって、なんで? どんなちいにいる奴だって、嘘つく時は嘘つくだろ?」
「うん……そうなんだけれど」
 侯爵家の子息という高貴な身分≠フ人間は、小作農家の娘という下賤な$g分の聖女の化けの皮を剥がす時には嘘はつかないだろう、と考えていることを露骨にほのめかしてきたファリス神殿の責任者の顔を思い出して、アーヴィンドはため息をついた。正直、そんな理由で見こまれる筋合いはないとも思うのだが。
「……ほとんどの神殿の方々は、その聖女≠ニいう女性を、すごくうさんくさく思っていらっしゃるんだ」
「へ? なんで?」
「普通に考えて、精神力を消耗させることもなく、呪文も使わずに怪我や病を治せるというのはありえないことだから。それぞれの代表者の方々と顔を合わせたけれど、みなさん大なり小なりその女性が詐欺行為を働いているんじゃないかって思ってるみたいだった」
「さぎ……」
「嘘、インチキ、イカサマ――要するに周りの人を騙しているんじゃないか、ってことだね。だから最初からなんとしても嘘を見破ってやろうと気合を入れていらっしゃる。最初からそういう偏見の目で見ていては、かえって真実から遠ざかることになるのじゃないかと思うんだけれどね……」
「えっと……アーヴはどう思ってるの?」
「僕は……そうだな。なぜそんなことができるのか、単純に知りたい、っていうのが正直なところかな。とりあえず思いつくのは魔法の品物の力を借りているか神の加護を得ているかというところだけど、魔法の品物なら普通は自分の力ではない品物を使っているということがわかってしまう。それをどうごまかしているのか好奇心をそそられるし、もし神の加護を得ているというのだったら、その女性はまさに奇跡の体現者と言うにふさわしいわけだからね。曲がりなりにも司祭の端くれとして、自身の信仰を見つめ直すためにもぜひとも話を聞いてみたい。……それに、聖女と呼ばれる側に立つ心境についても、興味が湧くし……」
「ふーん……なんか、よくわかんないけどさ。要するに、なんかよくわかんないことができる人がいるから、なんでそんなことができるのか調べてみようってことなんだよな?」
「うん、そうだね。まさにそういうことだと思う」
 アーヴィンドがうなずくと、ヴィオはうーんとちょっと腕を組んで考えてから、うんと大きくうなずいた。
「そーだな。なんでなのか、俺もちょっと知りたいし。俺もアーヴについてくよ」
「ありがとう……助かるよ。もしかしたら不快な思いをさせてしまうかもしれないんだけれど……」
「いーよそんなの、冒険なんだから嬉しいことばっかりじゃないの当たり前じゃん」
「そう言ってもらえるのはありがたいけれど……同行している相手に不快な思いをさせられるのは、やっぱり嫌なんじゃないかと思って」
「え、そう? 嫌な気持ちになる時って、一緒にいる奴のせいでも敵になってる奴のせいでも一緒じゃない? そりゃ、敵じゃなかったら殺せはしないだろうけどさ、一発かますのは同じだし」
「……できれば、同行している相手を攻撃するのはやめてもらえると助かるな……フェイクは、どう?」
「そうだな。俺も好奇心をそそられないでもない。わざわざ調べに行くことでもないと放置していたが、報酬が出るというなら問題はない、俺もついていかせてもらう」
「うん……ありがとう。どんな謎が隠されているのか……正直、不安な気持ちはあるけれどね」
「でも気になる、知りたい、面白そうだ、とも思ってるんだろう?」
「……わかる?」
「ま、お前はわりとわかりやすい性格してるからな」
 フェイクの言葉に、思わず苦笑する。確かにそうかもしれない。自分は基本的に目的意識の変化というものがないし、身内の人間に対して感情を装うことも下手くそだ。フェイクにしてみれば相当わかりやすい部類に入る人間だろう。
 まぁ、それでもかまわない。自分にできること、本当にしたいと思うことは、他人をごまかさなくても得られるものなのだから。

「……ふぅ」
 アーヴィンドはさんさんと照りつける陽射しに自然と浮かぶ額の汗を拭った。オランの外に出る冒険は久しぶりなせいもあるのだろうが、薄片鎧をまといながらの道行きはどうにも暑くてしょうがない。額のみならず、鎧下の下に着けた肌着も、汗でじっとり湿っているのが感じられる。
 目的地であるモーレンの村は、オランから馬車で数日移動してさらにしばらく山地を歩かなくてはたどり着けない。だが野外を歩いた経験の少ないアーヴィンドでも、以前ヴィオに野外活動の訓練をつけてもらったおかげもあり、暑さ込みでもひどく辛い道行きというわけではなかった。道は歩きやすく、よく人が行き来してることがわかる。山そのものも、林業に使われているのだろう森も、そこかしこに人の手が入っていることがわかるなだらかなものだった。
 だが同行している司祭たちの多くは、ほとんど都市から出ない生活をしているのだろう、半日歩いただけで青息吐息という状態の人がほとんどだった。マイリーの司祭の方は、やはり戦神に仕える方々だけあって、さほど疲れた様子は見せていなかったが。
「ふーっ、けっこー暑いね。この鎖帷子着て街の外に出るのって、もしかして初めてだっけ?」
 すぐ後ろからそんな風に話しかけてきたヴィオに、アーヴィンドはくすっと笑い声を漏らす。「なになに、どしたの」と顔をのぞき込んでくるのに、「いや、大したことじゃないんだけど、ヴィオも僕と同じことを考えてたんだなって」と答えると、ヴィオはにかっと朗らかな笑顔を見せてくれた。
「そっか! 一緒だなっ」
「うん、そうだね、一緒だ」
「こらお前ら、いちゃいちゃしてねぇでとっとと準備しろ。そろそろ司祭さん方も復活してきたようだぜ」
「はーいっ」
「いっ……」
 いちゃいちゃと言われるようなことはしていない、と反論したくなったが(そもそも今は昼なのでヴィオは男性体だったし)、確かにいつまでも話しているわけにはいかない。自分たちは野外活動の経験を買われて先導役を勤めている。フェイクは最後尾で脱落する人が出ないように警戒する役だ。今は山に入ってから数度目の休憩時間だったのだが、このままの調子では途中で野宿することにもなりかねない。司祭の方々に無理を強いない程度に、足を速める必要があった。
「……じゃあ、さっきまでと同じで、ヴィオが先頭でそのあとを僕が追う、っていう形でいいかな?」
「うん! 地図だともう少し歩かなきゃだし、早めに出発しよー!」
「そうだね。……みなさん、そろそろ出発してもよろしいですか?」
「ふぅっ……よくなくとも出発せねば、今日中にたどり着けぬのだろうがっ!」
「……はい。おそらくは、もう少し急いだ方がよろしいかと」
「ちっ……やむをえんか……くそっ、なぜ私がこのような田舎までっ……」
 そうぶつぶつ言いながら立ち上がったのは、ファリス神殿の司祭ロドリゴだった。彼はファリス神殿では、派閥としては神殿長のそれに属する。ただ、アノスの本神殿から派遣されたというわけではないのだが、やや教条主義に陥りがちなところがあり、自身の価値観にそぐわないものを頭から軽蔑してかかるところがある。基本的に教条重視の神殿長からはそれなりに重用されているものの、アーヴィンドから見るとどうにも考え方やら言動やらに馴染まないものがあるのは確かだった。
 そもそもこの『聖女£イ査隊』の発足を提案したのが彼なのだが、アーヴィンドの視点から見ると、彼の目的意識はやや神殿内の地位向上に偏っている気がするのだ。神殿内のあちらこちらで自身の神殿内の地位を盤石にしようとしている、という噂を何度も聞いたし、彼が没落貴族の家柄だというのも、彼が神聖魔法を使えないのもそういった視点を強めてしまう。
 もちろんそれが一方的な見方だというのは理解しているので、その視点からのみ彼を評価するつもりはないのだが。
「……まぁ、日も落ちかけている。少しは急いだ方がよいでしょうな」
「さほど深い山というわけではないですが……道が入り組んでいて時間を取られてしまっていますから」
 などと話しながら他の司祭たちも腰を上げる。基本的にこの調査隊は五大神の司祭が責任者となり、補佐として神官が何人か付くという形になっている。それに護衛役兼参考意見提唱者として自分たち三人の、総勢二十人強という大所帯だ。本来なら護衛役としては自分たちだけでは数が少なすぎるのだが、そもそも補佐役としての神官たちの半ば以上は神官戦士だ。元来神殿というものは、俗世とは隔絶している分自衛のための力も自分たちで用意するのが当たり前な存在だったこともあり、こういった構成に落ち着いたのだろう。
 武力を誇示することで、聖女≠威嚇しようとする意図もあるのかもしれない、と考えもしたが。
 全員が立ち上がるのを確認してから、ヴィオは前に向き直り歩を進める。ヴィオは自分たちより少し先を歩き、道をこのまま歩いて問題なく先へ進めるかどうかを確かめては自分たちの元に戻ってくる、という行為を繰り返してくれている。地図が間違っていなければ、自分たちの足であと一時間も歩けば村にたどり着けるはずだった。
 と、ふいにヴィオが足を止め、小さく首を傾げる。歩み寄って小さく「どうかした?」と訊ねると、眉を寄せて小さく答えた。
「なんか、さっき、木々の向こうに人影が見えたような気がしたんだけど……あ!」
 言われて視線を向けた先に、アーヴィンドも人影を見つけて目を見開く。女性らしい体つきをしたその人影は、木々の間から迷いのない足取りでこちらへ近づいてくる。とりあえず身構えて相手がやってくるのを待っていると、相手は自分たちのすぐ目の前まで歩み寄り、にっこり、というよりはにこにこっ、と朗らかな笑みを浮かべて自分たちに話しかけてきた。
「あの、オランからいらっしゃった司祭さまたちって、みなさんですよね?」
「……そうですね、我々はモーレン村で聖女と呼ばれている女性の能力について調査するためうかがわせていただいた調査団ですので、他にオランからやってくる司祭の方々がいなければ、あなたがおっしゃっているのは我々のことだと思います」
「ふふっ、いやですね。聖女だなんてそんな、偉い司祭さまたちがわざわざ調べに来るほど大したものじゃないんですけど」
「失礼。あなたは聖女と呼ばれている女性のお知り合いかなにかなのですかな? それもずいぶんと親しい間柄とお見受けしましたが」
 つかつかと歩み寄り、笑顔でそう話しかけるロドリゴに、女性(といってもアーヴィンドとほとんど変わらないくらいの年だろう)はくすくすっと笑い声を立てて答える。
「親しいっていうか、そうですねぇ。まぁ長いつきあいですからよく知ってはいますけど」
「ふむ、ではよろしければあなたから見たその聖女≠ニ呼ばれる方のことを教えてはいただけませんかな? できればお会いする前にその人となり程度は知っておきたいと思いますのでな」
「それはもちろんかまいませんけど、私の口から説明するより私とお喋りなり一緒に仕事なりした方が早くありませんか? もう『会う前に』人となりを知る、っていうことが不可能になってしまってますし」
「………は?」
 目を見開く自分たちの前で、よく陽に焼け、女性らしく豊満な体つきをしているが足腰やら肩やらはひどくしっかりしている、いかにも農村の女性という雰囲気のその女性は、自分たちにころころと笑いかけながらざっかけない仕草で頭を下げた。
「はじめまして。私、フィリマって言います。周りの村の人たちからは、なんでか聖女なんて呼ばれてます」
『…………!』

「まったく、話にならんっ!」
 だんっ、と苛立たしげに机をたたくロドリゴに、自分たちの世話役として村長がつけてくれた村の女性はびくっと震えた。『街の偉い司祭さまが怒っている』ということ自体に怯えていることが伝わってくるその仕草に、アーヴィンドはロドリゴに気づかれないように、微笑みながらさりげなく退出を促した。こういった農村の人々の思考は、アールダメン候子としての勉強に励んでいた時期に何度も触れてそれなりに知っているつもりでいるが、少なくとも今彼女たちがロドリゴのそばにいてはどちらにもいい結果をもたらさない。
「あの田舎娘が、聖女だと!? まったく農民どもというのはどいつもこいつも教養のかけらもないっ! あのような粗野で品のない芋掘り娘を崇めるなど、神への冒涜もはなはだしい! この村の神官はいったいなにをやっておるのだっ!」
「……モーレン村にはマーファですら祠しかないことは、すでにご存じのはずですが?」
「だからといって許されることではなかろうがっ!」
 だんっ、とまた机をたたいて、はぁはぁと息を荒げる。やれやれ、とアーヴィンドは小さく肩をすくめた。アーヴィンドとしては、そんな一番最初の資料の中に書かれていることを忘れているというのはあなたが冷静でない証拠ですよ、と内省を促すつもりで言ったのだが。
 ただ、ロドリゴがこれだけ荒れている理由はわかっている。自信満々で乗り込んできておきながら、聖女≠フ能力の謎を解き明かすことができなかったというのが一番の原因だろう。
 調査団は、フィリマの先導で村にやってくるや、さっそくフィリマの力を見せてくれるよう迫った。形の上では頼むような形になってはいたものの、あの勢いと高飛車さでは相手にとっては命令されているようなものだろうと、アーヴィンドなりになだめようと試みたのだが、フィリマは笑顔を崩さずあっさりと、『いいですけど、私の力って、怪我も病気もない状況だと見せようがないですよ』と言ってのけた。
 ならば軽く傷を作るから癒してみせてくれと言えば、『自分でわざと作った傷は治せないんです』と流し、村の女性たちの先頭に立って楽しげにあれこれとこちらの世話を焼く。その笑顔は裏のない朗らかなものであったが、一般的な司祭が考えるような『聖女らしい雰囲気』からはほど遠く、ごく普通の農村の女性という第一印象に違わないものだった。
 この時は、おそらく調査団の面々の大半は、単に話が大きくなっただけなのだろう、とかフィリマが嘘やごまかしや詐術を用いているのだろう、と考えていたと思う。だが、フィリマたちが自分たちのために夕飯の準備をしてくれていた時、子供が川で足を切った、助けてくれ、と男が駆け込んでくるや、フィリマの表情は一変した。
 女性とは思えない俊足で走り出したフィリマは、慌てて後を追った自分たちが追いついた頃には、すでに川辺でぐったりと倒れる少年のところにたどり着いていた。そして、自分たちの目の前で、目を閉じて少年の傷に手をかざしたのだ。
 それは確かに、奇跡と呼ぶにふさわしい神威を持った光景だった。ごく普通の農村の女性という雰囲気だったフィリマの顔が、表情が、かざした指が、圧倒的なまでの神々しさに満ち、ふわりと蒼い光に輝く。陽が暮れてどんどんと暗くなる山野を背景に、その青い光は皓々と輝き、少年を包み込み――次の瞬間消えた、と思ったら少年は健康体に戻っていたのだ。
 ロドリゴをはじめとした司祭たちは当然愕然としたが、フィリマは別に大したことをしたという顔もせず、笑って元気になった少年の頭を撫でてから『お父さんたちに心配をかけちゃ駄目でしょう』と怒ってみせた。その顔は、さっきまでのごく普通の農村の女性の顔、そのものだった。
 自分たちの学識に自身を持っていたのだろうロドリゴや、ラーダの司祭たちもあの光景がなんだったのかまるでわからなかった。直観≠フ呪文すら用いたのだが、ラーダ神は応えてくれなかったという。おそらくは事態を直観するに至るほどの情報を自分たちがまだ手に入れていないということなのだろう、と言っていた。
 マーファの司祭たちはその神威に打たれ、フィリマにいろいろと話しかけていた。マイリーの司祭やチャ・ザの司祭はそれぞれ難しい顔で唸っていた。つまり、調査団はフィリマの奇跡とも思える業がどういうものか、なんとも理屈をつけることができなかった、というわけだ。
「あのようなくだらん詐術で聖女を名乗ろうとは、厚かましいにもほどがある! 神の教えひとつそらんじることのできぬ分際で! 神殿の権威に堂々と泥を塗られたも同じだ! あのようなっ……神殿を馬鹿にするのもいい加減にしろというのだっ!」
 唸り、喚き、フィリマの奇跡を口を極めて罵り続けるロドリゴに、アーヴィンドは無言のまましばし待った。こうも頭に血が昇っていては話のしようがない。こういったちょっとしたことで激昂する地位と名誉を兼ね備えた男性、という代物にはこれまでの人生で何度も出会ってきていたので、興奮して罵っている時の汚い言葉に耐えるぐらいはさして苦でもなかった。
 と、こんこん、と軽く部屋の扉がノックされ、フェイクが顔を出した。小さく視線を動かして自分を呼ぶのにうなずいて、アーヴィンドはロドリゴに一礼する。
「申し訳ありません、ロドリゴ司祭。私の仲間がなにやら用があるとのことですので、しばし席を外させていただきます」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……ふん、好きにしたまえ」
 ロドリゴの答えに小さくうなずいて、アーヴィンドは部屋を出た。フェイクはくいっと顎をしゃくり、自分たちに貸し与えられた小屋(おそらくは自分たちのためにわざわざ建てたのだろう、まだ新しい木の香りがする小屋だ)を出て、もうすっかり陽が暮れた村から、わずかに森の中へ入ったところの空き地へと自分をいざなう。
 そこには予測していた通り、ヴィオが待っていた。自分を見て笑顔になって手を振ってくるのに、アーヴィンドも笑って手を振り返す。
 空き地で三人揃って向き合って、最初に口を開いたのはフェイクだった。
「お前ら、あれ≠ェなんだったかわかったか?」
「うーん、俺はよくわかんなかった。っていうか、不思議な感じだったよね。あんな風に光り出す治癒魔法、初めて見た」
「そうだね。というか……あれは魔法だったのかな? フィリマさんは、あの時確かになにも呪文を唱えていなかった。目を閉じて念じただけで、かざした手が光り出したと思ったらまるでなにもなかったかのように傷が癒えていたんだ。少なくとも普通の魔法ではない、と思うんだけれど」
「まぁ、な。だが、彼女のあの力に、魔法が関係しているのはおそらく確かだと思うぞ」
「え? ……それは、なぜ?」
「俺は彼女が光り出す寸前に、魔法感知≠フ呪文を唱えたんだ。で、彼女の身体からは魔法の反応があった。身体のどこもかしこもから反応があったんで、彼女のあの奇跡そのものが魔法なのかどうかはわからなかったんだがな」
「なるほど……」
「で、そのあとに嘘感知≠フ呪文をかけてフィリマに軽く話を聞いてみたんだが、彼女自身自分がなんであんな力が使えるのかはわからないらしいぜ。あの力が使えるようになったのは一年ほど前で、それまではこの村でごくごく普通の農夫の娘として暮らしてきた、と。そして今もそれ以外のものになったつもりはない、と。周りの村の人々には自分を聖女≠ニ呼んで崇め奉る奴もいるが、自分はただ自分にできることで周りの役に立つ、という農村なら当たり前のことをしているだけで、あの力があってもなくてもそれは変わらない……と、そういう言い分みたいだな」
「そうか……」
 アーヴィンドは少し考えて、ヴィオに向き直った。
「ヴィオ。ヴィオの目から見て、どうだった? 彼女の奇跡には精霊の力が関わっていると思うかい?」
「え? うーん、ちゃんとよくわかってるわけじゃないけど……違うんじゃない? あの人が光り出してる時、精霊が騒いだり反応したりって雰囲気、全然しなかったもん」
「……そうか。やっぱり」
「そんな言葉が出てくるってことは、お前、あの女の力の素がなにか見当ついてるのか?」
「見当がついているというほどじゃなくて、単なる予想みたいなものなんだけれどね。もしかしたら、彼女の力は、マーファの神聖魔法によるものじゃないかと思うんだ」
 アーヴィンドの言葉に、ヴィオは首を傾げ、フェイクは小さく眉を寄せて疑問を表す。アーヴィンドは小さくうなずいて、説明を始めた。
「もちろん通常の神聖魔法だと思っているわけじゃない。呪文の詠唱がない以上、不可思議な力が働いていることは間違いない。でも、彼女の振る舞いと、奇跡を起こした時の神々しさ。そして、さっきのフェイクの言葉で、彼女が高位のマーファの司祭に値するだけの人格を持っているということは間違いないと思うんだ」
「……ファリスの司祭だってのにマーファの司祭のことがわかるのか?」
「これでも司祭の端くれとして、光の神々の教義は神学論争をできるくらいには勉強したし、修業時代には、よく他の神々の神殿にも参拝して、司祭や神官の方々の人格にも触れたからね。人格を類型化するというのはあまり褒められたことではないけれど、一応これでも司祭だから、その神に仕える者の人格がどういうものか、っていうところは推し量ることができたんだ」
「ふぅん……で、あの女はマーファの高司祭っぽい人格だとお前は思ったわけか」
「そうだね。一見単純素朴な農村の女性に見えるけど、地位や権力に物怖じをしない、というよりむしろ価値を感じていない、重きを置かない。自身の心身を、当然のように、あるがままに生き、周囲を愛することに使う。僕には彼女の人生は、すでにそれ自体がマーファに仕える神官の修業のように思えるんだ。……それに、あの光……」
「光が?」
「あの光には、確かに神の気配と呼ぶべきものがあった。僕ではおそらくは光の神々のもので、ファリスではない、ということぐらいしかわからなかったけれどね」
「え、わかんのそんなこと!? アーヴすげーっ」
「曲がりなりにも司祭や神官と呼ばれる者なら誰にでもわかるさ。……神聖魔法を使える司祭や神官なら、ね」
「え、でも他の司祭の人たちや神官の人たち、ちゃんとわかってなかったっぽいじゃん」
「それはたぶん、神の力だということがわかっても、なぜ呪文の詠唱もなしに神の奇跡が起こせるのか、ということがさっぱりわからなかったからだと思うよ。そもそもこの調査隊の目的は、そうして聖女≠ニ呼ばれる者の奇跡の謎を解明することなわけだし。神の力だ、とわかってもそれはあくまで主観的、感覚的なものにしかすぎないわけだし。……ただ、ある程度の推測はできると思うけれど」
「というと?」
「フェイクが魔法の力を感知してくれたよね? 体全体から魔法の力が感知されるというのは、普通に考えてただ事じゃない。それこそ魔法生物かなにかという疑いを抱きかねない事態だ。でも彼女が魔法生物でないのはほぼ確実だ。そうだよね、ヴィオ?」
「うん、生命の精霊の感じも、精神の精霊の感じもしたし」
「うん。そして彼女が魔法の道具を持っている様子もない。となれば、考えられるのは、彼女が魔法をかけられているということくらいなんだ」
「魔法を、かけられてる?」
「そう。彼女が行使する奇跡が魔法だとしても、彼女は魔法の代償となる魔力を支払っていない。これまでに一日に何十人という患者を看た経験があるそうだし、それに傍から見ていても彼女には少しも疲れた様子がなかった。つまり、少なくとも彼女は尋常な方法で魔法を使っているわけではない。彼女自身に神聖魔法を使う能力があるかないかはおいておくとしても……たぶん、なにか相当に強力な魔法の道具が関わっていると思う。まぁ神器という可能性もあるけど、さすがにそうそう神器なんてものは出てこないだろうし」
「ふむ……まぁ、そんなところだろうな」
 仮説にうなずきを返すフェイクに、アーヴィンドは少し話すかどうか迷ってから、口を開いた。
「ただ、なんとなくなんだけれど……彼女は、高位のマーファの司祭の転生した魂を持っているんじゃないか、と思っているよ」
「ほう? そりゃまた、ずいぶん唐突な話だな」
「うん、だから本当になんとなくの話でしかないんだけれど」
「ふぅん……なにか理由があるのか?」
「理由、というか。彼女の、自身の力の受け容れ方が、どうも年齢とそぐわないような気がするんだ」
「ほう……」
「普通、どんなによくできた人でも、彼女くらい――僕とさして変わるわけでもない程度の年齢の者の人格には、どうしても円熟味というものが欠ける。自分と他者の違いに思い悩んだり、自分の未熟さに落ち込んだり、どうしてもらちもないことをあれこれくよくよと思い悩んでしまうんだ」
「ふぅん。実体験からか?」
「まぁ……ね。ヴィオはあまり、そういう感じはしないけれど……」
「え、なにがなにが? 俺の話? ごめん話長くて途中からあんま聞いてなかった!」
「……ま、こいつはこいつで自分の未熟さに落ち込んでたりはするからな。あの女にはそういう未熟さ≠ェなかった、ってことか」
「うん。だから転生≠フ魔法なり魔法の道具なりを使って、高位司祭が転生した魂の持ち主なんじゃないかって。彼女の力の不可思議な部分も、それに関係しているような気がするんだ。……ただ、具体的にどう関係しているのか、ということは予測すらできていないんだけれどね」
「まぁ、俺もなにか考えついてるわけじゃないしな、そう気にするな」
「うん! 俺もフィリマさんの力がどんなものなのか、さっぱりわかんねーもん!」
「はは……ありがとう、フェイク、ヴィオ」
「しかし……となると、この調査隊はこれからどうなるんだ? なにもわからなかった、ってことで尻尾を巻いて帰るのか?」
「少なくともしばらくはこの村に滞在すると思うよ。その間にフィリマさんの力をなんとか解明しようとすると思う。少なくともロドリゴ司祭はそのつもりだし、他の司祭の方々も彼女の力がなんなのか、というのは気になっていると思うしね」
「ふむ。ま、俺らとしてもその方向で動くことになりそうだな。わざわざこんなところまで来て成果なく帰るというのも面白くないし、俺らの働きで真実とやらがつかめるなら特別報酬も出そうだ」
「とくべつほーしゅー! それって特別な報酬ってやつなのか!?」
「はいはい、そうだよ特別特別」
「はは……ええとね、ヴィオ。特別報酬というのは……」
 ヴィオに報酬に伴う金の流れを(そしてそのついでに経済学のさわりも少し)説明しつつ、アーヴィンドは内心でフェイクの言葉にうなずいていた。司祭としても、賢者としても、単純な好奇心としても、フィリマのあの力がなんなのかは気になる。フィリマの迷惑にならないように配慮しながら、できる限り調査に注力したいところだ。
 ……それに、特別報酬というのも、実際魅力的ではあるのだし(この前の冒険でほぼ貯金を使い果たしてしまったため、現金を得られる機会は非常にありがたいのだ)。

「おはようございます、フィリマさん」
「おはようございます、ええと……アーヴィンドさんとヴィオさん、でしたっけ?」
「あ、覚えててくれたんだ! すごいね、最初に一回みんなと一緒に自己紹介しただけなのに」
「いえいえ、最近いろんな人と会うことが増えたから気をつけているだけですよ」
 翌日、早朝。井戸で水汲みをしているフィリマと村の女性(そして、マーファの神官である女性たち)が喋っている中に、アーヴィンドとヴィオは顔を出した。
 こちらは相手に対する敵意はないのだし、相手は自分たちが自身を調べるためにやってきたことを知っている。となれば、調査のためには、彼女に気を許してもらうためにも、できる限り一緒にいるためにも、彼女の仕事を手伝うのが一番効率がいい。
 そう昨夜相談して結論付けたことをフィリマに伝えると、フィリマは小さく笑った。
「手伝うって、そんな、人に手伝われるほど大した仕事はしていませんよ、私?」
「まぁ、僕たちも農作業には素人なので、大した手伝いはできないでしょうが……一応これでも冒険者の端くれですから、力仕事の類なら役に立てると思います。男手が必要なお仕事というのも、あるのではないかと思いまして」
 フィリマがまだ子供のころに両親を亡くし、村の人々に育てられてきたこと、今では両親の残した家で一人で生活していることは、昨日すでに聞いている。
「俺たち、けっこう力強いよ? 狩りとかも得意だし!」
 満面の笑顔でそう言うヴィオに、フィリマはまた少し笑い、うなずいて「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいますね?」と楽しげに言って、周囲の女性たちと顔を見合わせまたくすくすと笑った。
「………? どうか、しましたか?」
「いえ、アーヴィンド神官。大したことではないのですけれど」
「もしかしたら、って話したことが、本当になったなぁ、って」
「? というと?」
「いえね、大地母神さまの神官さんたちが、おっしゃったんですよ! もしフィリマちゃんの仕事やらなにやらを手伝おうとする人が他の神さまの神官さんたちの中にいるとしたら、それはあなたたちだけだろうって!」
「私たちは大地母神の神官として、普段から農作業の類にもそれなりに親しんでいますけれど、他の神官の方々はそうもいかないでしょう? そもそもそんなことを思いつきもしないだろうと話していたのです。それで他に誰か手伝おう、なんて考えてくださる方がいたら、それは襲われた女中のために決闘を申し込んだアーヴィンド神官ぐらいだろう、とも」
「……いえ、あれはどちらかというと個人的な感情からやってしまったことですし、褒められるべきことではないと思うのですが……」
 そんな風に答えつつも、アーヴィンドは内心少し驚いていた。あの話が、世事に疎い印象のあるマーファの神官の方々にも広まっていたとは。やはり自分の候子としての名のせいだろうか、と思うと正直嬉しくない話ではあるのだが。
「なーなー、俺らのやる仕事ってどんなの? できることならなんでもやるよ?」
「そうですねぇ、それじゃあ畑の柵を直してもらおうかしら。刺さっている柵を掘り出して、壊れたところを直してまた元のところに戻しておいてほしいのですけれど……あ、それから家の壁も直してもらおうかしら。それと薪割りをお願いできます? あと裏庭の草むしりもやってもらっていいかしら」
 だが、フィリマは当然のようにそんな屈託など忖度せず、次から次へと仕事を言い渡す。アーヴィンドは内心うっ、と怖気づくものを感じたが(こういった家事雑事の類は修業時代でもほとんど経験がなかったので)、いまさらやめたなどと言えるわけがなく、ヴィオと一緒に「承知しました」「わかったー!」と返事をして、言われた通り畑の柵を直しに向かったのだった。

「ふぅ……」
 もういくつめだったか覚えてもいない雑草を引き抜いて積み上げている場所に放り、アーヴィンドは立ち上がって伸びをした。ずっと中腰で作業をしていたので、さすがに腰が痛い。
「なーアーヴー、そっち終わった? 俺そろそろ自分の分終わるんだけど」
「……ごめん、たぶんまだ少しかかると思う。ごめんね、何度も足手まといになって……」
「ぜんぜんいーよっ! 仲間はそれぞれの得意不得意を助け合うもんなんだろ? アーヴそう教えてくれたじゃん」
「……そうだね。ありがとう……僕なりに、もう少し頑張るよ」
 そんな風に声を掛け合いながら作業を進めつつ、自分の周りの家事労働をしてくれていた人々を思い出し、内心で感謝と尊敬の念を込めて祈りを捧げる。正直家事労働というものがこれほど重労働だとは思わなかった。普段の稽古とは別の疲労感がある。なんというかどこまでやっても終わりが見えないというのが正直辛い。
 だがだからといって投げ出すようなつもりは断じてないので、これも至高神が自分に与えてくれた試練だ、と気合を入れてまた草むしりを再開する――と、自分たちを呼ばわる声が聞こえた。フィリマの声だ。
「アーヴィンドさーん、ヴィオさーん。そろそろ休憩しましょう、お茶淹れましたから」
「え……いえ、まだ僕は自分の分担の半分ほどしか終わっていませんし……」
「気にしない気にしない。こういう仕事っていうのは基本的に毎日やらなきゃならない終わりのない仕事なんですから、必要なのは強い意志よりも妥協と惰性ですよ」
「だせ……それは、いくらなんでも。惰性で仕事をしているようでは、怠惰という悪徳に陥ることにも……」
「ふふ、そうですか? 私は惰性って、それほど悪いものではないと思っていますけれど」
「え?」
「自分の体に行動が習慣づいている、仕事が自分の心身に沁み込んでいるってことでしょう? 新しい発見はなくても、日々の暮らしがそんな風に自分の身に沁みついているっていうのは、自分の心身を大地に着けてくれると思うんですけれど」
「……それは……」
「まぁとにかく、せっかくお茶を淹れたんですから早く来てくださいな。お茶といっても裏庭の畑で育てている香草茶ですけれど、冷めてしまったらもったいないでしょう?」
「それは……そうですが。……わかりました、すぐうかがいます」
「おー、お茶だお茶だー! ありがとな、フィリマさんっ」
「ふふ、どういたしまして」
 笑顔でフィリマと言葉を交わすヴィオに、こっそり尊敬の視線を向ける。ヴィオのこういう、当然のように相手の好意を受け容れられるところは、アーヴィンドには正直眩しく思えた。自分はまだまだこういう虚心な心構えが未熟だ、と思いつつ、ヴィオとフィリマの後に続く。
 てっきり家の中に招き入れられるのかと思っていたら、案内されたのは畑だった。もうマーファの神官の方々も戻ったようで、自分たち以外に人気はない。
「あの……フィリマさん? お茶というのは……」
「ふふ、ここです、ここ」
 笑って指差されたのは、畑の前の地面に置いてある盆だった。そこには確かにお茶のポットが湯気を上げ、カップが三つ並べられている――が、冒険時の野営ならともかく、客人をもてなすためのものであるお茶の入った盆を地面にじかに置くという行為にアーヴィンドは仰天した。はっきり言って、短気な貴族相手にやったら無礼討ちされかねない行為だ。
「あの……フィリマさん」
「もうすぐ夏ですからねぇ。そんな季節はやっぱり畑でお茶にするのが一番気持ちいいですもの」
「え……は、はぁ……」
「おー、このお茶いい匂いっ!」
「ふふ、粗茶ですが、どうぞ召し上がれ」
「はぁ……では」
 言ってお茶を口に含む――や、アーヴィンドは目を見開いた。すっきりとした香気が口から鼻に抜けていく。これは、風に薫る香りと同じ――
「あ、これ畑の匂いだ! 畑の前に置いてたからくっついたの?」
「お茶そのものの匂いでもあるけれどね。畑の前で飲んでいるせいもあるのよ」
 畑を渡る風が外から、お茶の香気が内からアーヴィンドの全身を通り抜けていく。心身を浄化していくような爽やかな香り。一瞬の酩酊すら感じるような心地よさが全身を満たす。
「おかわりはいかが?」
 笑ってポットを持ち上げてくれるフィリマに、「……では、もう一杯」とうなずいてお茶を注いでもらう。その一見無造作な、けれど優しい動作に、笑顔に、心が自然と柔らかくなる。その間も吹き渡る風は心地よく薫り、自分の額の汗を冷やし、涼やかで爽やかな心地よさを作り出す。これは、確かに、ここでお茶にしなければ味わえない心地だ。
 一見作法も何もないざっかけないやり方だが、フィリマは確かに自分たちをこの時、この場所に合ったやり方でもてなしてくれている。それをようやく悟って、自然と頭が下がった。
「申し訳ありません、フィリマさん」
「あら、なにがかしら?」
「最初、貴方のやり方を不作法だと思ったことをお詫びします。あなたの作法は、確かに、作法の本来の形であるもてなしの心に満ちている」
「ふふ、別にそんな大したことじゃありませんよ。この季節に、私が一番好きなやり方でお茶にしているだけ」
 小さく笑ってから、フィリマはわずかに首を傾げて告げる。
「でも、私ちょっと驚きました。あなたたちがすごく真面目に働いてくれるから」
「? そうですか? 大してお役には立てていないと思うんですが」
「いえいえ、思ったよりずいぶん助かっていますよ。というか、だって、あなた方は私の使う力を調べるためにわざわざ私の手伝いをしようと言ってくださったんでしょう? それを正直に教えてくださったことも、ちょっとびっくりしたんですけどね」
「…………」
「なので、そんな風に真面目に仕事をしてくださるのがちょっと不思議で、驚いたんです。まぁ、話してみて、あなたたちがすごく真面目だからどんな仕事も骨惜しみせずに働いてくれているだけなんだろうなぁ、ってわかったんですけどね」
「……別にすごく真面目と言われるほどのことではないと思いますが……人として、一度受けた仕事は全力で果たすのが当然ではないかと」
「そうかしら? そんな風にいつも全力で頑張っていたら、疲れてしまいません? 手を抜くところで抜いておかないと、下手をしたら潰れてしまいますよ」
「……そう、でしょうか。僕は正直、いつも自分の力の足りなさ、努力の足りなさに悔しがってばかりなのですが」
「ふふ、あなたは欲張りな方なんですね。もっと頑張れば、もっと強ければ、もっと賢ければ『すべてがうまくいく』という風に思うのは、ありがちといえばありがちなことですけれど……たぶん、それは思い上がりなんじゃないかと思うんですよ」
「思い上がり……ですか」
「ええ。だって神さまだって、お互いが争うことを止められなかったんですよ? なのに人間みたいなちっぽけな生き物がそれよりうまくやれるなんて思うのは、思い上がりなんじゃないかと思うんですよ。私たちにできるのは、自分にできることを精いっぱいやるだけ。うまくやろう、なんて欲をかかずに、せいぜいが『なにもしないより、少しでもましにしよう』ぐらいの気持ちでいた方が、気持ちも、周りも楽なんじゃないかなって……まぁ、私がそう思っているだけなんですけどね。すいませんね、押しつけがましいことを」
「いえ……」
 穏やかな口調。柔らかい声。人を圧するのではなく、心地よい気持ちにさせながら、心に言葉が染み通る。相手を優しい感情で満たしながら、至らないところを自覚させる――本当に、マーファの高司祭ならではという印象を与える話術だ。アーヴィンドは常に自分の至らないところと真摯に向き合っているつもりではあるが、それとはまた別の視点から、自然に自身の至らなさを受け容れさせてくれる。
「……でも、頑張って働いてくださってるのに申し訳ないんですけれど……私、本当になんで自分があんな魔法みたいな力が使えるのか、まるでわからないんですよ。なので、あなたのお仲間さんに言ったこと以上のことは言いようがなくて」
「いえ……それは最初から、こちらも承知の上のことでしたし」
「そーそー。俺らは単に、フィリマさんと一緒にいた方がなんかわかることあるかも? ぐらいの気持ちでやってるだけだから!」
「ヴィオ……」
「ふふ、そうなんですか。じゃあこちらも遠慮なくお仕事頼んじゃおうかしら?」
「……ええ、どうぞご遠慮なさらず」
 まだこれでも遠慮していた方だったのか、とこっそり戦慄しながらもアーヴィンドがうなずき、ヴィオが真似をするように笑顔でこっくりうなずき、フィリマがくすくすと笑い声を立てる。心地よい風味の香草茶が、ますます心を和ませてくれる風味に変わった気がした――が、そんな空気は突然、容赦なく破られた。
「フィリマちゃん! フィリマちゃん! 大変だよっ!」
「うちの子が! うちの子が大変なんだよっ、頼むから助けとくれ!」
 そうどやどやと叫びながら押し寄せてくる村の中年の婦人たちに、アーヴィンドは一瞬気圧されたがフィリマは微塵もそんな様子を見せずに素早く立ち上がり、婦人たちに向き直った。
「ネヤさん、ロッカくんがどうかしたんですか?」
「ああフィリマちゃん、大変なんだよ……!」
「うちの子が! ロッカが……! 山の中で仲間と遊んでる時に、怪物が出たって言うんだよ! それで、あの子、仲間を逃がすために自分だけ囮になったって言うんだ! お願いだよフィリマちゃん、うちの子を助けとくれ……! 頼むから!」
「失礼」
 口を出すのも悪いかと思ったが、アーヴィンドはあえて前に進み出て口を挟んだ。もし自分の想像が正しければ、このままではフィリマにも村人たちにとってもよくない結果を招く。
「フィリマさんには、戦士としての心得があるんですか? そうでなくとも、司祭としてのものだとしても、攻撃魔法が使えるんですか?」
「は? きゅ、急になんだいっ、そんなことどうでも」
「どうでもよくはありません。もし彼女に戦いの経験がなく、戦う能力も持っていないのに怪物との戦いで彼女を頼るのならば、あなた方はうら若い女性を一人で怪物の前に押しやることになるんですよ」
「そ、れはっ……!」
「アーヴィンドさん、いいんですよ別に私は――」
「フィリマさん自身にとってはかまわないことでも、この方たちにとってよくありません。自分たちとは違う力を持っているから戦いを、命の危険を押しつけてもいいと考えているのならば、それは相手を生贄として捧げてもいいと思っていることに他なりません。それは怯懦であり、傲慢です。私は至高神の一神官にすぎませんが、いかなる光の神もそんなことはお許しにならないだろうと断言できます」
『…………』
「なにより。他に頼るべき相手がいないならまだしも、ここにはそういった仕事の本職がいるのです。ならば戦いの経験がない女性よりも先に、そちらに頼むのが普通の考え方というものでは?」
『は………?』
 しーんと静まり返った場の空気が、疑問の声でわずかに歪む。それに対し、アーヴィンドは毅然とそれを真正面から受け止めながら堂々と告げた。
「我々は冒険者です。報酬の話はあとでするとして、まずは怪物がどのような姿形をしていたかということと、ロッカくんが仲間たちと別れた場所、その時の状況等を、この周辺の地形と合わせてお教え願えますか?」

 ヴィオが身をかがめ、地面に目を近づける。森の中の腐葉土は柔らかい、というより脆く、動物どころか風ですら崩れてしまうのだが、ヴィオは真剣な目で崩れた腐葉土を観察し、小さくうなずいて自分たちに告げた。
「足跡はまだこっちに続いてる。でもどんどん新しくなってきてる。これはせいぜい三十分くらい前のものだと思う」
「そうか。よし、このまま進もう。少し急いだ方がいいかもしれないね」
「うーん、とりあえず人型の足跡はこの辺りにはないみたいなんだけど……」
「相手はワイトだ。ワイトが動物を襲うっていう例は確認されていないけど、あれは場合によっては天井知らずに数が増える死せる者≠セからね。ロッカくんを襲ったワイト以外の個体がいるという可能性もありえるからね」
「だからこそ進む調子を変えない方がいいだろう。急いで進んで不意討ちされたら元も子もねぇ。もともとそれなりに早足で進んできてるんだ、今調子を変えたら感覚が狂う」
「……そうですね。フィリマさん、申し訳ないですがこのまま進むということでよろしいですか?」
「え、はい、大丈夫ですけれど……」
「? なにか?」
「いえ、やっぱり本職の冒険者の方は違うな、って思っただけですよ。私じゃあこんな風にてきぱきことを進められなかっただろうな、って」
「え、そ、そうですか? 自分ではまだまだだとしか思えないんですが」
 けれど、他人にそんな風に評されるというのは、それなりに自分も冒険者が板についてきたのではないかと思えて素直に嬉しい。
 自分たちは、まず怪物を見たというロッカ少年の友人たちから話を聞いてから、怪物が出現したというところへ向かった。怪物たちの話を聞いたところ、その怪物はワイトなのではないかと思われたのだ。
 生きとし生ける者の精神力を啜り、自身と同じワイトと化す死せる者≠フ中でも厄介さでは相当な代物。攻撃の受け方にもよるが、一発攻撃を受けただけで命を奪われ、ワイトと化しかねない相手だ。
 ただ、攻撃を避けるだけの能力さえあればすさまじい強敵、というわけではない。そしてフェイクはもちろんだが、今のヴィオならば運が悪くなければワイトの攻撃を捌ききるだけの能力は持っている。自分ですら問題なく能力を発揮しきれば避けることができるだろう(常に能力を発揮しきるのが難しいのが実戦というものではあるのだが)。
 なので別れて探すという手も考えたのだが、万一ということもあるし、なによりヴィオがロッカ少年のものとおぼしき足跡を発見できたので、全員でそれを追うことに決めた。――それにフィリマが加わってきたというのが、アーヴィンドとしては少々困惑するところではあったが。
「ロッカという子は私も知っています。知っている子が大変になっている時に、助けたいと思うのは当然でしょう? ロッカ君が怪我をしている可能性だってあるんですから、私が一緒に行った方がいいはずです」
 論争している時間がもったいないし、実際にフィリマの治癒能力は心強いので一緒に来てもらい、念のためにも神官の方々にも連絡して村でも警戒態勢を取ってもらった。かなりの早足で足跡を探っていったのだが、フィリマは遅れずにしっかりついてきてくれ、さして時間もかからずこうして間近まで近づくことができたのだ。
「どんどん近づいてる。すごく新しいよ、たぶん走ってる。追っかけてる方の足跡は見当たらないけど」
「恐怖に駆られていたのかな……とにかく、先に進もう」
 そんな言葉を交わしつつ先へと歩を進めていくと、アーヴィンドたちは大きな樹が枝を大きく張り出している、森の広場のようなところへと出くわした。森の中に時々ある、一本の樹が大きすぎるせいで周囲から光と栄養を奪い取ってしまい、他の植物が育たずに広場になってしまうという場所なのだが、ヴィオは迷わずに足を進め、大きな樹の前に立って告げた。
「ロッカ、だっけ? 降りてきなよ、ワイトってやつはこの辺にはいないから!」
 しばしの沈黙の後、枝ががさっ、と揺れて十歳前後だろう年頃の少年が姿を表す。泣いていたのだろうか、目の端に涙の残る少年は、おずおずとこちらを見やり、少しずつ警戒を解いたようで、のろのろと樹から下り、こちらを見やった。
「……本当に、もうあの怪物、いないの?」
「うん。それに出てきたとしても、三体や四体なら簡単に倒せるしね。俺たち冒険者だから」
「…………」
「ロッカくん!」
「あっ……フィリマねーちゃん!」
「よかった……心配したわ。お母さんも半狂乱になって心配してるのよ。怪我とかしてない?」
「う……う、う、うわぁぁ〜んっ!」
 泣きだすロッカを、フィリマはそっと胸に抱きしめてぽんぽんと背中を叩いてやる。その優しげな仕草は、いかにも大地母神の高司祭を思わせる、柔らかでありながら力強いものだった。
 泣きじゃくるロッカがある程度落ち着くのを待って、アーヴィンドはロッカに訊ねる。ぜひにも彼には聞いておきたいことがあるのだ。
「ロッカくん。ちょっと、いいかな」
「う、ぅっ……にーちゃんは……村に来た冒険者、だっけ?」
「うん。君にぜひ聞いておきたいことがあるんだ」
「ぅ……なに?」
「君の出会った怪物は、土気色の肌をした、手足の先端だけが腐った人型、ということでいいんだよね?」
「う……うん。あ、あと着てる服も腐ってる感じだったけど」
「そいつは一体だけだった? 他に似たような奴は見なかった?」
「うん。あいつだけだったよ」
「そいつは君の後を追ってきたんだよね?」
「うん……と、思うけど。ちゃんと見てたわけじゃないから……でも、最初に石投げて引き寄せたら、こっちの方に寄ってきたよ?」
「そうか……ありがとう。それから、君の身を挺して友達を護ろうとする勇気は尊敬に値すると思うけれど、怪物が現れた時にはまず自分の身を護ることを第一に考えるようにね。君のおかげで助けられた子もいるかもしれないけれど、君が助けられなかったら君の大切な人達が泣くことになるんだから」
「う……はーい……」
 ぶすっとした顔になるロッカに苦笑していると、ふいに小さく袖を引かれた。振り向いた先にいたフェイクが、小さく顔を寄せて小声で問う。
「おい。お前、もしかしてワイトが村を襲う可能性を気にしてるのか?」
「……うん。ワイトの足跡が途中からなくなっていた、けれどワイトの残骸が残っていない以上ワイトが殺された可能性は低い。ワイトの知性は人間並みだからね、ロッカくんに追いつけないと判断したら、逃げて行った子供たちを追おうと考える可能性はそれなりにあるんじゃないかと思って」
「まぁ……確かにな。まぁ神官連中を村に残しておいた以上、ワイト一体でそこまで大事にはなってねぇだろうとは思うが……ま、戻れるならとっとと戻った方がいいか。おい、お二人さん。悪いがこれから少し早足で村に戻るぜ。ついていけないようだったらさっさと言ってくれ、速さを落とすからな」
「あ、うん!」
「わかりました。ロッカ、ちゃんと歩ける?」
「うん! 俺、村じゃ一番足早いし!」
 などと自分たちが会話を交わしている中、ヴィオは一人、小さく眉をひそめて村の方を見ていた。その深刻というほどではないが確かな緊張を感じさせる表情に、怪訝さを感じて問いかける。
「ヴィオ……どうかしたの? なにか気がついたことでもあった?」
「ううん……そういうわけじゃないんだけど。なんか……山の、気配が」
「山の気配?」
 言われてヴィオが見ている方へと視線を向けるが、普段と違う気配らしきものは感じ取れない。不思議に思い、問いを重ねようとするが、それよりも早くヴィオは真剣な顔でこちらを向いた。
「早く村へ戻ろう。その方が、いいと思う」
「あ、うん」
 言われてうなずき、素早く隊列を組んで歩き出す。村を出てもう三時間は経っている、村へ戻った頃には陽が落ちかけているだろう。そんなことを考えた時、ふとなぜか、背筋が冷えるのを感じた。

「……なんだ?」
 村への帰路。辺りの空間がどんどんと夕闇に侵されていく中、後方を歩いていたフェイクがふいにそんな声を上げて目をそばめた。
「? フェイク、どうかした?」
「……村の方の気配が、妙だぞ。悲鳴やら、争う音やらが聞こえる」
「え!?」
 言われて慌てて村の方を見る、がまだ村の灯りも見えていないというのになにかわかるわけもない。小さく奥歯を噛み締め、フェイクに頼んだ。
「ゲーレを先行させてくれる?」
「わかった。……少し急ぐとしようぜ、ちょっとばかり尋常じゃない雰囲気だ」
 フェイクの言葉にうなずいて、フィリマとロッカに向き直る。
「少し急げますか? もしかしたら分秒を争う事態になっているかもしれないので」
「わかりました、私の方は大丈夫です」
「う、うん、わかった」
「すいません、よろしくお願いします。……ヴィオ、先導頼んだよ」
「まかしてっ」
 大きくうなずいて、ヴィオはやや早足でどんどんと歩を進める。それに続きアーヴィンドも足を速めた。持っているランタンの明かりはちらついたが、この状況下でそんなことを気にしている余裕はない。
 歩を進めるにつれ、フェイクの言っていた通りに悲鳴や争う音が聞こえ始めた。赤々とたかれたかがり火の下から、おそらくは男の野太い悲鳴が周囲に響き渡っている。剣が交わされる激しい音や、閃く影が戦いの激しさを表していた。
 焦る気持ちを必死に落ち着けて、とにかく状況が見て取れる場所まで全員で足を進める。状況が理解できないうちに別れ別れになってしまっては致命的な状況を招きかねない。
 森を抜け、山道を過ぎ、ほの暗いながらも人間の生活圏たる村を眺め渡せる場所まで近づき――アーヴィンドは思わず絶句した。
 ワイトだ。ワイトの群れが、村を襲っている。
 赤々と焚かれたかがり火をものともせず、ワイトが次から次へと村に押し寄せていく。土気色の身体をゾンビとは比べ物にならないほど俊敏に動かし、うじゅるうじゅると腐汁の滴り落ちる爪を振るって、村の護り手――見たところ神官戦士の方々のようだったが、彼らに痛打を与えていく。一撃を喰らうごとに神官戦士たちは顔色が悪くなり、中には大きく振り回した爪の一撃を喰らってくずおれる者もいる。かがり火を灯しているのはたいていが神官か、神官見習いの人々のようだったが、中には村の人間らしき者もおり、押し寄せる怪物の恐怖に耐えかねて逃げ出す者もいる――つまり、一言で言えば、戦場だ。
「………! 父ちゃん、母ちゃんっ!」
「ヴィオ! その子を止めて!」
「あ、うんっ!」
 ヴィオに押さえ込まれたロッカ少年を、慌ててアーヴィンドも一緒に押さえ込み身を伏せる。フェイクがフィリマに指示して同様に身を伏せるのを確認してから、ワイトたちの様子をうかがい、こちらに気づいた様子がないのを見て取ってようやく息をついた。
「……ロッカくん。声を出さないで。暴れたちもしないでね。もしワイトたちに気づかれたら、不意討ちができなくなる。村の人たちを助けられる可能性が低くなるんだからね」
 真剣な表情での説得に、ロッカは顔面蒼白になりながらもこくこくとうなずく。それにうなずきを返して、アーヴィンドは仲間たちに小声で問うた。
「僕の見たところ、ワイトたちは三十体強。一方向から散発的、というか統制されないまま攻めてきているように見えるけど、二人はどう思う?」
「へ? そうなんじゃないの? ってか、それ以外のどういう風に見えるの?」
「俺も同様に見える――が、ここは一応気にしておくところなんだよ、ヴィオ。ワイトってのは、自然発生でも生まれるが、ワイトに精神力を吸い取られたせいでも生まれる。あれだけの数だ、たぶん他の村がワイトに襲われて呑み込まれたのはほぼ確実だ――だが、それだけの被害が出るとなると、もうひとつのろくでもない可能性ってのが出てくるんだよ。不死の騎士≠チてのが出てきたんじゃないか、ってな」
「え……不死の騎士=H なに、それ?」
「相当厄介な死せる者≠セよ。見かけは大型の両手剣と甲冑を着込んだ騎士だが、中に実体はない。兜の奥で赤い目が光ってる以外はな。で、こいつは単純に殴り合っても相当に強い奴ではあるんだが、さらに厄介なことに、視線で――相手を見るだけで精神力を奪うことができるんだよ。そして精神力を奪い尽くされた奴はワイトになる。普通ならこんな普通の山の中に出てくる奴じゃないんだが……」
「ワイトがここまでの数まで増えているとなると、不死の騎士≠ェ出てきたという可能性も無視できないものになるんだよ。そして不死の騎士¢且閧セとするならば、僕たちは――たとえフェイクがいたとしても、万全の態勢で相手取らなければ危うい」
「不意討ちで視線で魔力を削られてワイトに、なんてこともないとは言えないからな。これからはできるだけ魔法を使うなよ、使う時は魔晶石から引き出せ」
「あ、うん、それはいいけど。……結局、これからどうするの?」
 言われてアーヴィンドとフェイクは顔を見合わせ、視線と言葉を小声で交わしながら素早く相談する。お互いある程度相手の思考や戦術には慣れている、相談はさくさくと進み、結論が出た。
「まず、ヴィオにはフィリマさんとロッカくんを野伏の技で隠してほしいんだ。ワイトも不死の騎士≠煌エ覚はそこまで鋭くない、ヴィオの技なら騙される可能性が高い。不用意にこの辺をうろついて、不死の騎士≠フ視線を浴びせられたら、ロッカくんはたぶん一撃でワイトと化せられてしまうからね」
「その間に俺らは攻めてきてるワイトをなんとかする。まず俺がアーヴィンドを村まで瞬間移動≠ナ飛ばし、神官たちの援護をしつつ聖なる光≠ナできる限りワイトどもを殲滅する。壁がいればそう難しい仕事じゃない」
「そして不死の騎士≠ェ出てきたら、村にいる神官戦士たちと協力して二正面作戦を行う。つまり、こちらに相対している不死の騎士≠フ後方からフェイクとヴィオで不意を討ってほしいんだ。そうすれば勝率はぐんと上がる」
「もし擬装の最中に不死の騎士≠ンたいな大物が出てきた時は、全員でとっとと逃げることになるがな。なにか問題はあるか?」
「んー……ううん、大丈夫だと思う。ロッカ、フィリマ、二人はどう? できる?」
「っ……それしたら、父ちゃんと母ちゃん、助けられる?」
「うまくいけばな」
「僕は、被害を出さずに生き残っている全員を助けられる可能性が一番高い策だと思う」
「……なら、やる」
「よし。フィリマさん、あんたはどうだ?」
「私は戦いには素人ですもの、文句なんて言えません。……ただ」
「ただ?」
「あなたたちは、それで大丈夫なんですか? ひどい目に遭ったりしないんですか?」
『…………』
 フィリマの問いに、アーヴィンドたちはしばし顔を見合わせてから、笑顔になってうなずいた。
「心配しないでください、フィリマさん」
「だいじょぶだいじょぶ! なんとかするって!」
「ま、俺としては一番マシなやり方だと思う、と言っておくぜ」
 そう、自分たちは勝率を上げるための小細工や戦術はできる限り行使したつもりだが、それでも危険がなくなるわけではない。――それを承知で、全力でやってのけるのが、冒険者というものなのだ。

「マナよ、万物の力の根源よ、我が声に応え一時摂理を曲げよ! 無限の空間を一足に、無窮の時間を一瞬に、我が友を運ぶ手をここに!=v
 フェイクの呪文の詠唱が終わると同時に、アーヴィンドの視界が切り替わる。さっきまで森の中にいたのが、一瞬で村の防護柵の向こう、戦う神官戦士たちの背後へと飛んでいた。
 それを確認するより早く、アーヴィンドも呪文の詠唱を始める。
「我が神ファリスよ。偉大なる太陽神よ。その清らなる光をここに来たらしめたまえ。我が祈りを力に、力を光に変え、世界をその偉大なる御力もて変革させたまえ!=v
 何度も使った聖なる光≠フ呪文。それが戦う神官戦士たちの背後で炸裂する。呪文を唱えながら周囲の様子を確認したが、神官戦士たちを援護している司祭らしき人はマーファとマイリーの司祭だけだった。それに内心舌打ちしながらも、こまめに動き回りながらできる限り大勢の敵を巻き込んで聖なる光≠唱え続けた。
「我が神ファリスよ。偉大なる太陽神よ。その清らなる光をここに来たらしめたまえ。我が祈りを力に、力を光に変え、世界をその偉大なる御力もて変革させたまえ!=v
 前回所持金をほぼ全額魔晶石に変えたので、魔晶石はふんだんにある。同じ祈りの言葉を何度も重ねて、できる限り多くのワイトを聖なる光≠ナ焼いた。
 どれだけ呪文を唱え続けただろうか、手持ちの魔晶石が尽きかけてきた頃、周囲からワイトの蠢く姿は消えた。残っているのは動かなくなったワイトの体と、改めてこちらに向き直り驚きの表情を浮かべる神官戦士たちと、ワイトの攻撃を喰らったのだろう、倒れ伏しぴくりとも動かない神官戦士の亡骸のみ。
 犠牲が出てしまったことに、一度深く嘆息する。村人に被害が出るよりはマシと言えばそうだろうが、それでもやはり戦いで犠牲が出るのはアーヴィンドとしては悔しく、悲しい。
「アーヴィンド殿……あなた、一体どこから?」
「いや、それより……どこに行ってらしたのです、村が滅びそうになっているこの時に――」
「お静かに! まだ気を抜かないでください。これから不死の騎士≠ェ現れる可能性が残っています」
「え……」
「そ、その不死の騎士≠ニはどういう――」
 と、慌てたように口にしていた司祭が、突然ばったりとその場に倒れた。はっと振り向く――その視線の先に立っていたのは、赤錆の浮いた大型の両手剣と甲冑を装備した騎士だ。
 面頬を下ろし、どこからも肌を出していないその姿は、外見だけなら騎士と見えないこともない。だが、アーヴィンドは一見して確信していた。こいつは不死の騎士≠セ。気配で、纏う空気で、否が応でも知れる。こいつは、生きている存在ではない。死せる者=\―それも、村のひとつやふたつは簡単に滅ぼしてしまえる代物だ。
「魔力の残り少ない方は撤退してください! 腕に自信のない方も! こいつは視線で生ける者の魔力を奪い、ワイトと化す力がある! 下手をすれば弱い竜にも匹敵しかねない相手です、それと戦える自信がないのならすぐに下がって!」
「なっ……!」
「し、しかし! 下がれと言われても、ここで下がっては村人たちが……あなた一人でそのような強敵と戦えるわけではないのでしょう!?」
「ええ、僕一人ではとても戦える相手ではありませんが――」
 アーヴィンドがそこまで言うのと同時に、不死の騎士≠フ周囲にじゃっ! という音と共に眩しく光る網が現れた。その網は不死の騎士≠フ動きを完全に封じるほどの力はないものの、手足に絡みつき不死の騎士≠フ体を焼きながら動きを大きく鈍らせる。
 そこに村中に響き渡るような雄たけびを上げながら、アーヴィンドよりもわずかに背の低い少女が突撃してきた。少女――ヴィオが持つ月光を跳ね返して輝く銀製の槍は、動きの鈍った不死の騎士≠フ甲冑をみごと貫く。
不死の騎士≠ヘ背筋のぞっとするような、声とも呼べない呻きを上げて両手剣を振るうが、フェイクによってかけられたのだろう電撃の網≠ノよって動きを縛られた攻撃は、本来の達人に匹敵するという斬撃よりはるかに鈍くなっていた。ヴィオはたやすくそれを飛び退いてかわし、相手の隙を狙って再び槍を振るう。
 その間にアーヴィンドは大急ぎでヴィオの背後に回り、呪文を唱えていた。アーヴィンドの手から今日何度も唱えた呪文の輝きがほとばしり、不死の騎士≠焼くと同時に目をくらます。
 さすがに不死の騎士≠ルど高位の死せる者≠ニなるとなかなか効果を完全に発揮することはできないが、聖なる光≠フ不浄を焼く力は確実に敵の負の生命力を削ぐ。さらに抵抗力を貫けば、ただでさえ電撃の網≠ノよって鈍った剣戟を、視力を封じることでさらに鈍らせられるというおまけつきだ。
 そのうちにフェイクも前に出てきて、神官戦士たちの中からも腕に覚えがある者が不死の騎士≠ヨの攻撃に参加し始め、戦うこと数十秒、ようやく不死の騎士≠ヘ動かなくなった。
 ふぅ、と小さく息をついて汗を拭う。とりあえず、策はうまくいったと言っていいだろう。アーヴィンドが参加してからはワイトとの戦いでの犠牲も出ていない。不死の騎士≠フ視線を不意討ちで喰らって倒れた者はいるものの。
 だからといって、戦いで犠牲になった者が少なくなるわけではないのだが。そんな思考がよぎり、アーヴィンドは深く息をついた。ワイトとの戦いで、すでに数人の犠牲が出ている。そして不死の騎士≠ニの戦いでさらに一人。神官戦士は半分近くまで数を減らしてしまっているし、司祭の方にも一人被害が出ている。はっきり言って、快勝とはとても言えない状況だ。
「……改めて、状況をうかがってもいいでしょうか。私はさっき、行方不明だった少年を保護して、村に戻ってきたところなのですが……このワイトの群れは、いつ頃襲ってきたのですか?」
「いや……襲ってきたのはついさっき、陽が落ちる少し前です」
「狩りに出た村人が襲われて……死にもの狂いで村に逃げ延びてきまして。我々はその状況を重く見て、探索隊を結成し、司祭の方々も含めてこの怪物の探索に出ようとしていたところを、この怪物たちの団体に襲われたのです。必死に全員で陣を築いて、戦っていたところ、アーヴィンド神官が突然防護柵の中に現れて、呪文を……」
「そうですか……」
 つまり、なぜ突然こんな数のワイトが、不死の騎士≠ノ率いられて現れたかは、さっぱりわからない、ということになるわけだが。
「……ロドリゴ司祭は、どちらに?」
 そう問うと、神官戦士たちはそれぞれ忌々しげな顔になって吐き捨てるように告げた。
「あの方は、怪物が現れるや、とっとと逃げ出して小屋の中に逃げ込まれましたよ」
「あれこれと言い訳は並べられてましたがね。よくもまぁこの状況であれだけ言い訳が出てくるもんだと、そこだけはある意味感心しましたが」
「まぁ、神聖魔法もろくに使えない方が戦いの場にいても迷惑だというのも確かですがね」
「……そうですか」
 まぁ、実際、間違った行動というわけではない。素人が戦いの場にいても邪魔にしかならないというのは確かだからだ。ただ、それを見ていた人々から、司祭というものへの信頼が失われるのも間違いないことだろうが。
「……とりあえず、亡くなった方の埋葬を――」
 そうアーヴィンドが口を開く――や、神官戦士の一人がばたり、と倒れた。
『っ!?』
「っ、あそこ!」
 騒然とする空気の中、ヴィオは真剣な顔で身構え、槍を突き出す。槍で指された先は、もはやすっかり陽が落ちたせいで、黒々とした暗闇にしか見えない森の中だったが、それでもアーヴィンドにすら感じ取れた。尋常でない気配、殺気、死≠ノ満ちた空気とでも呼ぶべきものが。
 ず、と森の中から赤錆の浮いた甲冑が現れる。慌ててアーヴィンドたちは武器を構える――が、その後から続々現れたものに思わず一瞬腕が落ちた。
 その不死の騎士≠フ後に続いて現れたのは、同じ不死の騎士≠セった。それも一体ではなく、数体。四、五体に達するほどの不死の騎士≠ェ現れて、続々視線を自分たちに浴びせかける。
 アーヴィンドはフェイクに魔法抵抗≠すでにかけてもらっていたためそこまで深刻な被害はなかったが、それでもごっそりと精神力を奪われ思わず膝をつきかける。他の視線を浴びせられた面々は、これまでにも魔力を奪われていたこともあり、次々ばたばたと倒れていった。
 く、と思わず唇を噛む。正直、まずい。数が多すぎる。一体ならばフェイクの電撃の網≠ナ動きを縛ることで対抗できたが、ここまでの数相手ではそれも難しい。前線を支えられなくなって戦線が決壊する。しかも今の視線で戦士たちの数がぐんと減った。このままでは、本当に、全滅する。
 だが、なんとかしなければ。なんとか活路を見出さなければ。そうしなければ、自分たちの背後には、護られるべき人々が必死に神に祈っているのだから―――!
 ――と、ふいに、青い光が輝いた。
 はっとそちらを向いた時、見えたのはまだ少女とも言えそうな年齢の女性だった。長い茶髪を一本お下げに結い、農村の人間らしいしっかりした足腰を動かして、一歩ずつしっかりと大地を踏みしめながらこちらに歩いてくる。
 その表情は神々しい、というより人の持てるものではない、という気さえするほど神威に満ちたものだった。青い光に包まれたその女性――フィリマは、ゆっくりと手を動かし、口を開く。
「―――――――――――――――=v
 それは、呪文の詠唱と言うより、歌のように感じられた。祭りの日の礼拝の時、神殿に何百人もの人間が集まって歌う聖歌のような。かと思えば、農村の収穫の時に謡われる祝い歌のような。一瞬一瞬でその様相を変えながら、神聖さと生命の力強さを同時に感じさせる歌だ。
 その歌が移り変わるごとに、青い光がふわりふわりと舞い散っていく。周囲の人々にまとわりついては散り、他の人に流れては散り。荘厳さすら感じる美しい光の饗宴が巻き起こる。
 そして、その光が、フィリマの歌と同時に動きを止めていた不死の騎士≠スちに触れるや、騎士たちはさっきまでの暴虐が嘘だったかのように、ごくあっさりとがしゃり、とその場にくずおれた。甲冑をひっくり返した時のように崩れ落ちた鎧兜からは、もうそれが力を失っているのがはっきりと伝わってくる。
 そして、その青い光は、倒れた神官戦士や司祭たちにも触れ、全身を包み込んで輝いた、かと思うと消え去った。だがそれで終わりではなく、フィリマの歌が響くごとに、蛍のようにフィリマの纏う輝きから別れ出た光が、何度も何度も神官戦士たちを、のみならずワイトたちすらも包み込む。
 フィリマの歌の調子が高まり、青い光はどんどんと力強く輝く。フィリマがふいに目を閉じ、歌声が最高潮にまで力を増して――とたん、弾けるようにすべての光が消えた。
 同時に、ふらっ、とフィリマが体をふらつかせ倒れかかるのを慌てて支える。フィリマは完全に意識を失っているようで、アーヴィンドが体に触れても反応がなかった。小さく息をつき、とりあえず気付けを、と精神力譲渡≠フ呪文を詠唱しかける――や、背後から絶叫が上がった。
「なっ……! ば、ば、馬鹿な……!」
「そ……蘇生、だと!? 馬鹿な……こんな、一瞬で何人も……!」
「う……ぅう、ん………」
 その声に、アーヴィンドは仰天して振り向く。そこには、さっきまでワイトやら不死の騎士≠竄轤ノ精神力を吸われて倒れていた者たちが――それどころか、ワイトとしてさきまで蠢いていた者たちすらも、のろのろと目を開け、確かな生気を持った手を、周囲に伸ばしているという光景が広がっていた。
 馬鹿な。いくらなんでもこれは。最高位の司祭ならば確かに蘇生≠フ呪文は使えるが、儀式を行わない単純な呪文だけでも一度に一人、死体等の死者にゆかりのあるものに触れながら唱える呪文だったはず。それをこんな風に、光を飛ばしながら何人も同時に蘇生するとは――のみならず、ワイトなどに精神力を奪われて倒れた者は、最高司祭級の人間のみが使える魂救済≠フ呪文で、穢れた魂を浄化しなくては蘇生も不可能なはず。しかもワイトと化した者たちは、死んでからそれなりに時間が経っているだろうに、死体があるとはいえ蘇生の可能性も激減しているだろうに、それすらまとめて、などとは……ここまでの、まさに奇跡と呼ぶべき行為を、いったい、どうやって――
 と数瞬必死に頭を回転させる――と、ふいに背後から伸ばされた指が、アーヴィンドの目じりを拭う。わずかに水が散って、それでようやくアーヴィンドは自分が泣いていたのだということに気がついた。
「だいじょぶ? アーヴ」
「っ……ヴィオ……」
 背後から手を伸ばしてきた(今は少女の姿の)ヴィオは、にっかりと笑ってぽんぽんとアーヴィンドの頭を軽く撫でた。
「っ、ヴィオ……これは、少し、恥ずかしいよ」
「えー、そう? うーん、でもちょっとくらい我慢してくんない? 俺、落ち込んでる相手の慰め方って他にあんま知らないからさー」
「おち……」
 言われて、アーヴィンドははっとする。そうか。自分は落ち込んでいる――というか、衝撃を受けていたのだ。必死に自分のできることをやったのに、力叶わず何人もの人の命が失われたという事実に。そして、その命が圧倒的な神威を伴って救われた奇跡に。
 冷静さを保って分析していたつもりだったのに、心はひたすらに、歓喜の声を上げていたのだ。『よかった』『命が救われてよかった』と。奇跡が起きたことをひたすらに神に感謝し、『神様、ありがとうございます』と、まるで子供のような祈りを捧げていたのだ。
 それがなんだか無性に恥ずかしく思え、自然と顔が熱くなる。だがヴィオはあくまで当たり前のように、にこにこ笑って自分の頭を撫でる。それになんと応えてよいかわからず、アーヴィンドはひたすらに顔を赤らめた。
「……おい。そろそろ現実的な話をしていいか?」
「っっっっ! は、はいっ、なにっ!?」
 呆れた声をかけてきたフェイクにアーヴィンドは取り乱しきった声で答えるが、フェイクは呆れた表情で肩をすくめただけでなにも言わず話を進める。それをありがたく思う気持ちもあるが、同時にひどく恥ずかしく思う気持ちもあるので、アーヴィンドは顔を真っ赤にして必死に拳を握りしめた。
「とりあえず、死んだ奴は本気で、ワイトたちも含めて全員蘇ったみたいだが。その女は大丈夫なのか? あんな奇跡起こして、身体の方は」
「っ……その、とりあえず、僕が見たところでは体に支障はないようだけど。魂についてまでとなると、なんとも言えないな……」
「だいじょぶじゃない? 生命の精霊も精神の精霊も元気っぽいし。寝たら元気になるんじゃないかな?」
「……まぁ、それならそれでいいが。それよりも、だ。俺はさっき、この女の体にまとわりつく、青い糸みたいなものを見た」
「え……青い、糸?」
「そんなの俺、全然見えなかったけどなー?」
「普通に見てる分には見えないだろうよ。俺はわざわざ生気感知≠フ呪文使って調べたんだからな」
生気感知≠ニは古代語魔法のひとつで、魔力のみならず精霊力等も含めた無形の力を感知するための呪文だ。魔力感知≠ナは魔力の存在するか否かについてしか検知することができないが、生気感知≠使えば神聖魔法による魔力や精霊の力が働いているか否かも検知し、その種類まで見分けることができるようになる。
「俺の目にはこの女の体に絡みついてる青い糸が伸びて、転がってる死体に繋がったように見えた。しかもなんつぅか、妙なんだが……神聖魔法の魔力と古代語魔法の魔力が入り混じってるように見えたんだ」
「………!! 本当に!?」
「嘘ついてどうするよ。俺もあんなものを見たのは初めてなんだからな。で、その青い糸は、ぐるぐると死体を包み込んだ後にぱぁっと輝いて、この女にまとわりついている糸ごと消え失せた、と俺には見えた。――これについて、なにか心当たりはあるか?」
「心当たり……と、言われても……」
 そんなものについての知識など持ち合わせているわけがない。そもそも神聖魔法の魔力と古代語魔法による魔力というものが混じり合う、なんぞというのははっきり言って前代未聞だ。神の御力による魔法と万物の根源たるマナを魔法語で操ることで生まれる魔法がどうやって――いや、究極的にはその二つは同じものたりえるのかもしれないが、だからといって。古代語魔法と神聖魔法は力の種類が全く違う、それぞれ創り上げる魔法の道具も存在意義からしてまるで違うものでしか――
「………あっ!!! まさか――見つける者≠フ………!!」
「お前も、やっぱりそう思うか」
 重々しくうなずくフェイクの横で、ヴィオはわけがわからないという顔で首を傾げる。
「やっぱりって、どーいうこと? 見つける者≠チて、前にアーヴが話してくれた昔の冒険者パーティだよな?」
「ああ、そうなんだ……もしかしたら、あの話の中に、正解が隠されていたのかもしれない。確かめるには、知識神の司祭の方に、直観≠使ってもらう必要があるだろうけれどね」
 と言いながらも、アーヴィンドは内心、自分たちの考えが正解なのではないかと興奮していた。普通ならあり得ないような奇跡の果てに、ようやく自分たちは謎を解けたのではないかと。
 ――この考えが正しいのなら、フィリマはもはや、奇跡を起こす聖女≠ニは呼ばれなくなってしまうのだろうけれど。

「……それでは、彼の怪我を治せるかどうか、やってみていただけますか?」
 自分たちの宿泊していた小屋の一室で、昨日の戦いで受けた負傷をまだ治しきっていない(この実験のためにあえて怪我を残してくれるよう頼んでおいたのだ)、まだ年若い神官戦士とフィリマが向き合う。その周囲をこの調査行に同行した、それぞれの神の司祭たちが取り囲んでいる。一番前にいるのは知識神ラーダの司祭だ。そして、それとは違った立ち位置――戦士の後ろに、自分たち――アーヴィンドと、ヴィオと、フェイクが立っていた。
 フィリマは戸惑ったように声をかけた自分を見やるが、アーヴィンドは落ち着いた微笑みと声を意識しながら静かに言う。
「あなたの心が赴くままに、行動してください。あなたの心が『こうしたい』と命ずるままに。あなたの心と体は、その方法を身に着けているはずですから」
「………はい………」
 フィリマは小さくうなずいて戦士に歩み寄り、少し困ったように首を傾げてから、小さく呪文を唱える。――神聖語の。
 その少したどたどしい呪文が終わると、戦士の傷はゆっくりと塞がった。傷跡が残っていること、その癒え方の早さから、神殿で一定期間働いている者なら誰でもわかる。神の声を聞いたばかりの神官が唱える、癒し≠フ呪文と同程度の力だと。
 その事実に司祭たちの間からどよめきが上がり、口々に驚きの声が発された。
「これは……なるほど、ごく普通の神官の力と大差ない」
「ええ、確かに。やはりアーヴィンド神官殿の言葉は、間違いなかったようですね」
「いや、まだわかりませんぞ。本当に力を失ったのかどうか改めて確かめてみなくては。ローガン殿、直観≠フ呪文で確認をお願いできますかな?」
「既に確認は終えております。間違いなく、彼女の力は失われている。……なにからなにまでアーヴィンド神官殿の言葉通りだった、というわけですか。知識神の信徒としては、正直不甲斐ない限りですがな」
 それぞれあるいは苦笑気味に、あるいは興奮して言葉を交わす司祭たちの前で、アーヴィンドは小さく息をついていた。――自分たちの推測は、間違ってはいなかった。
 昨晩、フェイクの問いに思い出したのは、アーヴィンドの古代語魔法と学問の師、賢者の学園の首席導師たるバレンの話だった。彼が転生≠フ魔法でこの世に生を受ける前の魂の持ち主、魔精霊アトンをこの世に呼び出してしまった冒険者の一行、見つける者≠フ仲間である、レヤードが転生したことについての。
 レヤードは、精霊都市フリーオンで発見したカストゥールの遺産である魔法の道具、転生≠フ魔力を持つ護符によって転生した。その護符について、バレンが後に調べたことも含めて、自分は教えてもらっていたのだ。
 その護符は、正式名称を聖者転魂の護符≠ニいう。その能力は、まず『転生≠フ呪文が使用できる所持者が死亡した時、転生≠フ呪文を発動させる』ということ。つまり、転生≠フ呪文が使用できる、最高位の司祭以外にはなんの効力も発揮しない護符だったのだ。
 古代語魔法だけでなく、神聖魔法に属する魔力を使用できる古代王国時代の遺産というのは、皆無ではないが非常に貴重だ。いくつかは祭器――最高位の司祭が神の魂を我が身に勧請して創り出すものであり、そしていくつかは古代語魔法と神聖魔法双方の領分にまたがって存在する効能を鍵として開発されたものになる。
 聖者転魂の護符は、まだ古代王国が神聖魔法の使用者たる司祭たちを異端者として迫害する前の時代に創られたものだった。転生≠フ呪文はその性質上、自分自身にかけることはできない。つまり、最高位の司祭が自身を転生させることで最高位の神聖魔法の実力を持つ者を存在させ続ける、という方法は取れないようになっている。
 この護符を作った魔術師たちは、それをなんとかしようと考えた。古代語魔法にも自らの精神を死霊と化して肉体から抜け出る呪文や、心身と魂を死せる者≠ノ変える呪文が存在する。つまり、魂に対して影響を及ぼす技術はそれなりにあるわけだ。その辺りを研究し、最高位の司祭に転生≠フ呪文を使わせたのと同じ効果を発揮させる魔力を護符に持たせた。
 魔法の道具というのは、その多くが条件や状況を限定するほど魔力付与がたやすくなる。最高位の司祭にしか意味がないという強烈な限定のために、製作自体はさして難しくなかったらしい。ゆえにこそか、魔術師たちはそれに満足せず、さらに一歩進んだ効果を得ようと考えた。
転生≠フ呪文は、記憶を取り戻せるかどうかはどうしても運が絡んでくる。そして、記憶を取り戻す前に転生後の心身に害が与えられたならば、転生できずにあっさり死んでしまうという可能性を打ち消すことはできない。
 そこで魔術師たちは、転生する魂に加護を与える、という技術を創り出したのだ。古代王国時代の高位の司祭たちと協力し、転生≠フ呪文の性質を徹底的に研究し、転生する際に儀式を行い、魔力を注ぎ込むことで、魂の転生後、その魂が自身を護れるだけの魔力を自然と行使できるように。そして、転生後の魂の安全を第一に考えて、万一の時には魂の保持する魔力を使用する仕組みも創っていたのだという。――つまり、『万一の時』が来た時には、魂の持っている魔力――神聖魔法の力や、記憶が損壊する可能性も創り出していたということだが。
 ただ、その魔力がどのように働くか、ということについては、バレン師も知らなかった。というより、護符を創り出した魔術師たちすらもよくわかっていなかったようなのだ。なので、自分たちもフィリマがこの護符によって転生してきた魂の持ち主だとはまったく考えなかったのだが、フェイクがあの青い光が古代語魔法と神聖魔法の魔力が混じり合っていると言った時、この可能性を考えついた。あの青い光は、転生前にフィリマの魂に与えられた魔力の発現ではないか、と。
 なので、アーヴィンドはこう告げた。
「いえ、私の言葉通り、というよりは、フェイクの手柄だと思います。生気感知≠ノよってあの奇跡を冷静に観察してくれていなければ、私も、彼も、聖者転魂の護符という可能性を考えつかなかったでしょうから」
「……ふむ。それは、まぁ、そうなのでしょうがな」
「しかし、そうなると、フィリマ殿の魂は古代王国期の最高司祭のもの、ということになるわけですな?」
「推測にしかすぎませんが。あれだけの奇跡を起こすだけの魔力を注ぎ込むほどの儀式など、古代王国期でもなければそうそうあることではありませんし、大地母神の信仰はその性質上権力とは結びつきにくいですし。それに、記録によると、護符を創った魔術師たちは、儀式で強い魔力を注ぎ込むことが、魂が転生するまでの時間を遅らせる可能性があるとも考えていたようですから」
「なるほど……では、彼女……フィリマ殿が起こしたという奇跡は、その古代王国の最高司祭からの借り物で。今は普通の神官と変わらない程度の力しか持っていない、ということになるわけだね?」
「……はい。そうなると思います」
 アーヴィンドの答えに、司祭たちの空気はふっと緩んだ。それぞれの司祭ごとに思惑はあるだろうが、少なくとも山間の小農村に聖女と呼ばれるに値する女性がいることを喜ぶ神殿関係者は少ないだろう。首都の神殿付き司祭としては、いかなる神であれ光の神の信仰の神殿の最高権威は首都の神殿であるべきと考えるのは普通だろうし、権力権威を重んじない大地母神の司祭であろうとも、一人の人間に対して信仰が向けられることは信仰の在り方から言って好ましからざるものだと考えるはず。
 つまり、この結果は神殿関係者としては望ましい結果ということになるのだろう。この村の人々や、周囲の人々からすれば嬉しくはないかもしれないが、ひとつの村が不死の騎士≠フ集団に襲われて壊滅したり、そこで増えたワイトたちに村が襲われたりといった事件が無事解決するのと引き換えならば決して悪い結果というわけではないはずだ。
 そんなことを考えつつも、アーヴィンドはちらりとフィリマの方を見やっていた。フィリマは戸惑ったように自分の手と神官戦士を見比べていたが、アーヴィンドの視線に気づくとにっこりと笑んで頭を下げてくる。
 それに笑みと会釈を返し、アーヴィンドは内心、小さな納得を覚えていた。
 ――なるほど、そういうことか、と。

「なーなー、アーヴー。結局俺たちの仕事って、ちゃんと終わったの?」
「そうなるね。フィリマさんの力の謎も解けたし、怪物に襲われて彷徨っていた子供も見つけたし、不死の騎士≠スちからの襲撃からも村を護ったし。フィリマさんの奇跡で被害も出なかったどころかワイトにされてしまった人々も救われたし。これ以上ない結果だと思うよ」
「そっかー。ならよかったけど」
 村を出立する前、アーヴィンドとヴィオは村長と挨拶をしている司祭の方々から少し離れた場所でそんなことを話していた。もっとも上機嫌で村長と声高に話しているのはロドリゴ司祭だろう。彼にしてみれば聖女問題が満足のいく結果で解決した上に、不死の騎士≠スちの襲撃から村を護ったということで、周囲の村々のある土地を領地とする貴族からそれなりの見返りを得られると思っているはずだからだ。
 アーヴィンドも知っているが、この周辺の土地は(モーレン村ではどちらかというと農業が主ではあったが)林業を主産業とし、かなりの収益を上げている。領主は伯爵位におり、それなりに貴族社会に影響力のある人物だ。金銭的な見返りを得ようとは思っていないだろうが、神殿内の地位向上を目指す人間にしてみれば、彼に貸しを作れるというのはかなりに得になることと言っていいだろう。
 まぁ領主との挨拶(という名を借りた交渉)にはチャ・ザの司祭やアーヴィンドも同行することになっているので、もし彼が甘い考えを抱いているとしたら修正を余儀なくされはするだろうが。ファリス神殿のみならずすべての神官戦士や司祭たちが力を尽くして村を護ったわけだし、なにより人的被害が皆無で済んだのはフィリマの奇跡のおかげだ。アーヴィンド自身はあくまで冒険者として役立ったという立場から交渉に臨むつもりなので(きっちり報酬をもぎ取ってくるつもりなのだ)、彼自身に得になることはあまりないと言ってもいいと思う。
 と、フィリマが笑顔で自分たちに歩み寄ってきた。司祭たちも含めた一向に対しての挨拶はさっき終えていたので、自分たちに個人的に挨拶に来てくれたのだろう。
「アーヴィンドさん、ヴィオさん。本当に、どうもありがとうございました。あなたたちのおかげでロッカも無事助けられたし村も救われましたし」
「どーいたしましてっ!」
「いえ……我々の力も皆無とは言いませんが、一番大きな助けとなったのは、フィリマさん、あなたのお力だと思います。あなたが起こしてくださった奇跡があったから、本当に一人の命も失われることなく、ことが治まったのですから」
「いいええ、奇跡っていっても、あれで助けられる人数には限りがありますからねぇ。あなたたちが頑張って戦って、ワイトを倒して被害を少なくしてくれたから全員ちゃんと助けられたんですから、やっぱりあなたたちのおかげもありますよ」
「……そうですか」
「でも、なんでこんなところにあんな怪物が現れたんでしょうね? 私が生まれてからもその前も、この山にあんな怪物が現れたなんて話聞いたことありませんでしたけど」
「……不死の騎士≠ヘその発生原因もよくわかっていない怪物ですからね。失われた知識を操る暗黒神の司祭などが村々を襲撃するために創り出した、という可能性もありますが……不死の騎士≠ノ襲われた村の人々の話を聞いてみるに、そのような様子もなかったようですし。……私は、もしかすると自分のせいかもしれない、とも思っていますが」
「え? アーヴィンドさんの?」
「これまで黙っていましたが、実は私と、ヴィオには呪いがかけられているのです」
「え、それはもう知ってますけど」
「…………」
 村に着くなり通りがかった男女にいきなり襲われたということもあり、自分とヴィオに誘惑と性別転換の呪いがかけられていることはすでに村の人々に告げていた。
「その呪いももちろんあるのですが。その呪いは、冒険の中で得たものでしか解かれることがない、という特性があります。そして、その副産物として、冒険の中で通常ならばありえないような危険を招きよせる、という効果も持ち合わせているのです」
「ああ、それでお二人の呪いのせいであの怪物が招き寄せられたんじゃないか、ってことですか?」
「………はい。そうだとしたら、みなさんにはなんとお詫びすればいいかわからないほど、申し訳なく、許されようもないことですが」
 それを承知で自分は、村の人々にはその呪いの側面を口にしなかった。まだ蘇生された人々は体の自由が利かず、起き上がることもできないのにもかかわらず(蘇生された神官戦士や司祭たちは、ワイトにされた村の人々と一緒にモーレン村の人々に面倒を見てもらうよう心づけを渡している。幸い自分たちのために建ててもらった小屋があるので、場所には困らない)。フェイクやヴィオと相談の末、そう決めたのだ。
 それには一応、正当な理由もある。襲われた人々に無駄に憎しみを生じさせるべきではない、というものだ。理不尽な不幸で家族を失い、憎む相手を探しているというならまだしも、全員が命を失うことなく助けられたのだから、憎しみの種を蒔くのは有害な行為以外の何物でもない。
 だが、アーヴィンドの中には、確かに『村の人々に責められたくない』という忌避と怯懦の心も存在した。情けなく、悔しく、何度も懺悔をくり返したが、それでも自分の中には間違いなくその心が今も存在している。
 そのアーヴィンドの情けない真情も当然見抜いていたのだろう、フィリマは笑った。
「別にそれはお二人のせいじゃないでしょう。呪いがどう働くかなんてかけた本人にもわからないんですから、お二人にとってはなおさらでしょう?」
「………はい」
「というか、わざわざそんな風に自分のせいにしたがるなんて馬鹿馬鹿しいですよ。だって本当にあなたのせいじゃないんですから。あなたがなにかやったわけでもないし、なにか企んでいたわけでもないのに自分のせいにするなんて、ある意味不遜だし、面倒くさい考え方じゃないですか?」
「……面倒くさい、ですか?」
「だってそんな気持ちがあったら私たちのお礼を素直に受け取ってもらえないじゃないですか。私たちに気持ちよくお礼を言わせてもらうためにも、そんな面倒くさい考え方はほっぽっちゃってください」
 にこっと嬉しげに笑ってみせるフィリマに、アーヴィンドも思わず口の端に笑みを乗せる。本当に、この人は、人の心を楽にするのがうまい。
「ありがとうございます、フィリマさん。やはりあなたは、高徳の司祭と呼ばれるにふさわしい心をお持ちだ」
「いえいえ、私はただの村娘ですよ。今までも、そしてこれからも」
「――そのために、隠し続けられるんですね? これからも」
 アーヴィンドの問いに、フィリマは少し驚いたような顔になって、それからくすくすと笑った。
「やっぱりあなたには知られちゃってたんですね。いつ頃わかりました?」
「もともと、あなたの言動になんとなくの違和感はあったんですが……確信したのはその後私に笑顔を向けてくださった時ですね」
「え……それの、どこで?」
「あの時のあなたの笑顔は、いつもと同じように、穏やかで優しい、向けられた者の心が自然と安らぐような笑顔でした。そんないつもと変わらない笑顔を向けられるということは、あなたにとって力が失われ、代わりに神聖魔法の技術を得たということはなんの衝撃ももたらさなかったということになる。ですが、曲がりなりにも神の声を聞いた僕からしてみると、それはいくらなんでもありえないだろうと思ったんですよ」
「え、そうなの?」
 きょとんとした顔で口を挟んできたヴィオに、苦笑して答えを返す。
「うん。神聖魔法というのは、神の声を聞かなければ使えない魔法だ。つまり、神聖魔法を使えるとということは、神の御心と心が繋がるという奇跡を体験したということでもある。正直、身の震えるような体験だった。本当に、人生観が変わるような奇跡なんだよ。いかに前世から与えられた魔力で奇跡を起こしていたとしても、神の奇跡を体感しておきながら、平然と笑顔を浮かべられるというのは、僕からしてみればありえないとしか思えなくて」
「へー……フィリマさんとアーヴの性格が違うってだけじゃなくて?」
「性格の違いを考えに入れても、おかしいと思ったんだ。フィリマさんはいわばマーファへの信仰を体現したような心の持ち主だ。それが前世からの恩恵ではなく、自身の心が神と直接繋がるという体験をしたならば、喜びなり感動なり、どうしたって心が揺れ動くはずだ。なのにいつもと同じ笑顔を浮かべられるというのは、『元から神と心を繋げることができた』という証に思えたんだ」
「え、前から繋げられてたらなんかまずいの?」
「まずい、ってことじゃなくて。フィリマさんは、元から神聖魔法を使うことができていたのに、あえて使えないふりをしていたんじゃないか、っていうことなんだ」
「え、そうなの!?」
 ヴィオが驚いた顔でフィリマを見ると、フィリマはくすりと笑ってみせた。
「使えないふりをしていた、というか。使う必要がないんじゃないかな、って思ったんです。私に与えられた魔力を引き出せば、精神力を使わなくても怪我や病気くらいなら簡単に治せたから」
「前世の記憶については、もう蘇っていたんですか?」
「どうでしょう? 自分でもよくわからないんです。なんとなく今の私の生活とはまるで違う記憶が思い浮かぶ時もあるんですけど、意識して思い出そうとしたこともありませんし。まぁ、今では思い出そうとしても思い出せなくなってますけどね」
「……やはり、記憶を生贄にした代わりに、生贄に捧げる魔力を少なくしたんですね?」
「いえ、そこまでちゃんと考えてたわけじゃないですよ。ただ、『力を捧げる代わりに命が救える』ってことはなんとなくわかってましたから、その通りにやっただけです。まぁもうそんな都合のいい奇跡は起こせないんですけどね」
「……具体的には、どのくらいかお聞きしても?」
「そうですねぇ、最高位だった魔力が、蘇生≠ェ限界ってくらいにまで落ちたくらいでしょうか」
「…………」
 それは最高位ではないが、信仰を集めるに足る力だ。
「でも、これからもそんな力は持っていない、というふりを続けるんですね?」
「まぁ、その方が軋轢が少ないですからねぇ。私は、力を失う前も、今も、ただの農村の村娘ですし、これからもそのつもりですから」
 にこっと笑ってみせるフィリマに、アーヴィンドは笑顔を返す。それは嘘や、ごまかしと言われる類のものだったかもしれない――だがそれ以上に、信仰者として共感できる、ごく当たり前の言葉のようにアーヴィンドには思えたのだ。
 ただの村娘も、最高位に近いほどの魔力を持つ司祭も、広い領地を継ぐ候子も、冒険者も、村の勇気ある少年も、神々の前では等しく一人の魂という意味で等価なのだから。

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キャラクター・データ
アーヴィンド・クラーク・リズレイ・プリチャード(人間、男、十五歳)
器用度 12(+2) 敏捷度 20(+3) 知力 23+1(+4) 筋力 15(+2) 生命力 19(+3) 精神力 20(+3)
保有技能 プリースト(ファリス)7、セージ4、ファイター3、ソーサラー2、レンジャー1、ノーブル3
冒険者レベル 6 生命抵抗力 9 精神抵抗力 9
経験点 2131 所持金 0ガメル+共有財産2030ガメル
武器 ヘビーメイス(必要筋力15) 攻撃力 6 打撃力 20 追加ダメージ 5
ダガー(必要筋力5) 攻撃力 5 打撃力 5 追加ダメージ 5
ロングボウ(必要筋力15) 攻撃力 5 打撃力 20 追加ダメージ 5
スモールシールド 回避力 6
ラメラー・アーマー(必要筋力15) 防御力 25 ダメージ減少 7
魔法 神聖魔法(ファリス)7レベル 魔力 11
古代語魔法2レベル 魔力 6
言語 会話:共通語、東方語、西方語、ドワーフ語、上位古代語、下位古代語
読文:共通語、東方語、西方語、ドワーフ語、上位古代語、下位古代語
マジックアイテム 魔晶石(5点×2、3点×4、2点×4、1点×6)
ヴィオ(人間、性別不詳、十五歳)
器用度 15(+2) 敏捷度 19(+3) 知力 18(+3) 筋力 18(+3) 生命力 21(+3) 精神力 21(+3)
保有技能 シャーマン6、ファイター5、レンジャー4
冒険者レベル 5 生命抵抗力 8 精神抵抗力 8
経験点 3631 所持金 0ガメル
武器 銀のロングスピア(必要筋力18) 攻撃力 7 打撃力 25 追加ダメージ 8
ロングボウ(必要筋力18) 攻撃力 7 打撃力 23 追加ダメージ 8
なし 回避力 8
銀のチェイン・メイル(必要筋力18) 防御力 24 ダメージ減少 6
魔法 精霊魔法6レベル 魔力 9
言語 会話:共通語、東方語、精霊語
読文:共通語、東方語
マジックアイテム 魔晶石(5点×2、3点×5、2点×5)
月の主<tェイク(ハーフエルフ、男、九十歳)
器用度 18(+3) 敏捷度 21(+3) 知力 19(+3) 筋力 10(+1) 生命力 18(+3) 精神力 21(+3)
保有技能 シーフ10、ソーサラー8、レンジャー7、セージ6、バード6
冒険者レベル 10 生命抵抗力 13 精神抵抗力 13
経験点 16611 所持金 財布の中に入ってるだけで10000ガメル程度
武器 月光の刃 攻撃力 16 打撃力 13 追加ダメージ 14
なし 回避力 16
ソフト・レザー+3(必要筋力5) 防御力 5 ダメージ減少 13
魔法 古代語魔法8レベル 魔力 11
呪歌 ヒーリング、レストア・メンタルパワー、チャーム、レクイエム、キュアリオスティ、ノスタルジィ
言語 会話:共通語、東方語、上位古代語、下位古代語、西方語、エルフ語、ドワーフ語、リザードマン語、ケンタウロス語、ゴブリン語、マーマン語、ジャイアント語、ハーピー語
読文:共通語、東方語、上位古代語、下位古代語、西方語、エルフ語、ドワーフ語
フィリマ(人間、女、十六歳)
器用度 12(+2) 敏捷度 18(+3) 知力 18(+3) 筋力 10(+1) 生命力 18(+3) 精神力 24(+4)
保有技能 プリースト9、レンジャー1、セージ1
冒険者レベル 9 生命抵抗力 12 精神抵抗力 13
経験点 0 所持金 数十ガメル程度
武器 なし 攻撃力 0 打撃力 0 追加ダメージ 0
なし 回避力 0
なし 防御力 0 ダメージ減少 9
言語 会話:共通語、東方語
読文:共通語、東方語、下位古代語