前回の冒険での経験点は、
・最大の障害がシーフレベル9のグラスランナー。
・倒した敵の合計レベルは9。
 なので、
・アーヴィンド……4540(戦闘中に一ゾロ)
・ヴィオ……4530
・フェイク……1030
 となりました。
 成長は、
・アーヴィンド:セージ5→6。
・ヴィオ:レンジャー4→5。
 以上です。
候子は遺跡で暗黒司祭と対話する
「アールダメン……候子? それが冒険者になっていると?」
「おう、知らねぇのかあんちゃん? 長ったらしい名前のお貴族さまなんだがよ……なんでも魔獣に呪いをかけられて、冒険者にならざるをえなかったんだとよ」
「しかも、侯爵さま≠フご子息≠セってのに、でかい手柄をいくつも立ててんだよこれが。劇場に出た幽霊を退治したり、貴族のお嬢さんを襲った首なし騎士を倒したり、魔剣を使った辻斬りを討ち取ったり、村を襲った死人どもの群れを撃退したりってな」
「それは大したものだ……だが、それは本人ではなく、その候子に仕える従者たちが優秀だ、ということはないのかな? 候子ともなれば、冒険者にならざるをえない理由があったとしても、命の危険を冒さざるをえないところに一人で赴くなどということは周りが許すまい」
「んなこたぁねぇよ、そいつが女を手籠めにしようとした貴族と決闘騒ぎ起こしたことがあったんだけどよ、万座の聴衆の前で決闘相手を見事叩きのめしたって話だし……」
「それに、村を死人どもが襲ったって時に、至高神さまの魔法を使って死人をやっつけたところを、神殿に新しく赴任してきた神官さまが詳しく教えてくださったしよ」
「ほう………」
 ルドルフ・ルンゲンハーゲンは、にやり、と口元に笑みが浮かぶのを自覚しながら問いかけた。
「その話、詳しく教えてもらえるかな?」

「たっだいまーっ!」
 がらんがらん、と扉の鐘を鳴らしながら、ヴィオが開けた『古代王国への扉』を、アーヴィンドは連れと一緒にくぐった。店主のランドが視線を向けて肩をすくめ、いつもの冷やした果汁と香草茶を出してくれる。
 そしてその横に、ことんと温かい香草茶が置かれた。
「ありがとーっ、ランドさんっ!」
「いつもありがとうございます」
「……別に金は出してもらってるんだから、礼なんぞ言わないでいい。それよりやってほしいことってのは、ないではないけどな」
 そう言ってちらりと自分の横に座った小さい人影――ルク≠ノ視線をやる。ルク――そう自分が名付けた、少し前まで自分を殺そうとしていた元暗殺者のグラスランナーは、その視線に気づいているのかいないのか、いつもと変わらぬ無表情のまま、ちびちびと(外はまさに夏真っ盛りなのにもかかわらず)温かい香草茶を飲んだ。
 ルクを仲間――というか、救うために全力を尽くすべき相手としてアーヴィンドが呪をかけてから、一週間ほどが経っていたが、その間ルクは、特に問題も起こさず平和に日常生活を送っていた。最初は何度気絶から復帰しても即座にアーヴィンドを殺そうとしてきたので(そして使命≠フ魔法による激痛によって即座に気絶してきたので)、説得というか現在の状況を教え込むのに手間はかかったが、状況を理解したのちは素直に自分たちと一緒に真っ当な冒険者としての日常生活を送ってくれている。
 ……内心でどう考えているのかは定かではないが。
 正直、ルクは常に無言無表情で、自分がこうしてくれと言ったことは素直にやってくれるものの(ヴィオなどが頼んだことは無視する。アーヴィンドが改めて頼むとやってくれる)、心を開かれている感じはまったくしない。それも当然と言えば当然だ、魔法で無理やり心を通わせるよう強制されて、誰が素直に心を通わせられるというのだろう。
 だが、それでも自分は彼に――ルクに、あのまま誰にも心を開くことなく、喜びも愛情も実感することなく、命令と殺意しかない世界で死んでほしくはなかった。だからアーヴィンドは常にどこに行くにもルクを伴うようにし、ファリス神殿での稽古にも参加させ、賢者の学院では自習を多めにしてルクと一緒に彼が興味を持てるようなことを勉強するようにし、礼法や神学の勉強の際にもルクと一緒に交流を心掛けながら行い、それ以外の時間も常に一緒にいてあれこれ話しかけ世話を焼いた。それが自分の義務だとも思ったし、同時にやりたいことでもあったのだ。なんとしてもルクを救いたい、と感じたのは紛れもない自分の心なのだから。
 だがそれでも、なにをしても言っても、ルクは無言無表情を崩さず、ろくに反応を返しもしない。少しばかりめげもするし情けなくもなる。ヴィオにも迷惑をかけてしまっているというのに、とちらりとルクの反対側のヴィオを見やると、にっこーっと満面の笑顔が返ってきた。
 思わず顔を赤らめながらも、そこから隠しようもなく伝わってくる全幅の信頼と共に在ることの喜びに、気力が一気に充填されていくのを感じる。うん、そうだ、僕のやっていることは間違っていない。そう心と体が力づけられるのに、我ながら単純な奴だなとおかしくなった。
 だが、当然ながら、ルクと一緒に生活することを、間違っていないと思っている人ばかりというわけではない。
 同じ店の冒険者仲間の人たちは、ルクが元暗殺者だということを知らないし、フェイクというこれ以上ないほど優秀な盗賊がいながら、新しく盗賊を仲間に入れたことを不思議に思うことはあっても怪しみはしない。そこまで他の冒険者の事情に首を突っ込むのは冒険者の仁義に反する、という暗黙の了解があるからだ。
 だがランドは自分がかつてルクに命を狙われていた事情を知っているし、そんな相手を更生させようとしている自分を危ぶんでもいる。そして元とはいえ暗殺者が自分の店に住んでいることを迷惑に思ってもいる(ありがたいことに、はっきりそう言われた)。
 そして、自分たちの仲間であるフェイクも、ルクを更生させるという行為の価値を決して高くは見積もっていない。むしろやる必要のないことと言い切り、殺してしまった方がいいとも言っている。それが冒険の中でどんな不協和音を呼び寄せるかと考えると、確かに自分のやっていることは冒険者として正しくはないのだろう。
 だが、冒険者として間違っているとも思わない。なにより冒険者は自分の道は自分で定めるのが絶対の不文律だ。そして自分はこの道を進みたいと願っている、ならば迷う必要はないだろう。
 まぁ、両親に事情を話した時(曲がりなりにも護衛までつけてもらったのだ、話さないわけにはいかない)口論になり、売り言葉に買い言葉で自分のために雇ってくれた傭兵やフェイクに建て替えてもらった情報料をすべて自分で払う羽目になり、これまでの貯金が吹っ飛んだ上に借金を負う羽目になってしまったことは、もちろん嬉しくないことではあるのだが(自分とルクの生活費についても共有資金から借金する形で、ヴィオと同額だけ立て替えさせてもらっている。借金しているのにヴィオと同額など贅沢ではと遠慮したのだが、『一緒にいるのに同じことできないのとかつまんない』と言われて降参した)。
「ヴィオは、昼食のあとは街の外に出て精霊たちの声を聴くんだったよね?」
「うん! 最近街の外に出てなかったしなー、精霊使いとしてはできるだけいろんな精霊の声を聴くよう心掛けないとだし」
「うん、頑張って。……それじゃあルク、午後は僕と一緒に部屋で勉強をしようか。学院で資料はしっかり集めてきたし」
「…………」
 ルクはうなずきも表情を変えもせず、無言で香草茶をすすっている。だが無視されているのではない、彼の視線はしっかり自分に向けられている。
 ならばこちらとしても、できる限り真摯に真正面から彼と向き合う他あるまい。それが自分の義務で、目下一番の自身で勝ち得た課題でもあるのだから。
「じゃあ、とりあえずは昼食だね。ルクはなににする?」
「…………」
「俺はねー、魚のフライとミネストローネ、あとは丸パンと鳥の煮込み!」
「それじゃあ僕は、ベーコンとトマトのサンドイッチと……それから茸と海老のスープを。ルクは……」
「…………」
「……僕と同じものでいいかな? ランドさん、以上で」
 また肩をすくめながら、ランドは厨房に入っていく。ルクは万事この調子で、なにを聞いてもなにを言っても、こちらに視線を向けてはいるのにまともな反応すらしないので、会話をすることすら非常に難しい。だがそれでも、アーヴィンドはできる限りルクに言葉を投げかけ、ルクの意志を読み取ろうとしてきた。ルクの心がどれだけ荒んでいるか、しかと理解できるとは言わないが、少なくとも一緒にいる時間をできる限り心地よくしなければ心を開いてもらうことなど夢のまた夢だ。
 ヴィオが緊張しきっていた自分の心を自然体で解してくれたように。フェイクが時に自分をからかいいじめながらも、ごく当然のように自分をそばで見守り続け、自分に存在を受け容れさせてくれたように。あるいは――
 考えかけて、アーヴィンドは小さく首を振った。自分にそんな風に考えられることを、あの人は望まないに違いない。

「そーいえばさー、フェイク最近店に来てないね。ちょっと前は毎日俺たちと一緒にいたような気がすんだけど」
 夕食を一緒に取りながら首を傾げて問うたヴィオに、アーヴィンドも首を傾げて問い返す。
「そうかな? ルクと一緒に暮らすようになってから、あまり顔を見ていない気がするよ?」
 ちなみにルクは現在自分とヴィオが一緒に寝泊まりしている部屋で一緒に寝泊まりしている。できる限り目を離しておきたくない、一緒の時間をできる限り多く作りたいと考えたせいでもあるが、グラスランナーであるルクの身体が自分とヴィオと比べても格段に小さく、同じベッドで寝ても大して支障がないのでそれなら部屋の代金を節約したい、という即物的な理由もあった(現在のところルクの生活費・雑費はすべてアーヴィンドが支払っているので)。
「んー、まぁあんまり堂々とは一緒にいなかったけどさ、気配を消して店の別のところでご飯食べてる、とか。ちょっと前まではずっとそんな感じだったよ」
「そうなの? よく気づいたね、ヴィオ」
「んー、まぁ俺、しょっちゅう周りの精霊力を感じ取る練習してるから、その時うまい具合に気づいたんだ。気配消してるだけで変装とかしてたわけでもなかったし」
「それでも充分大したものだと思うよ。……でも、そういう風にフェイクが僕たちを見守っていてくれたってことはたぶん心配してくれていたってことだろうから、今はもう大丈夫だと考えてくれたのかな?」
「そーかなー? どーだろ、俺よくわかんないや」
 そう言葉を交わす自分たちを気に留めた風もなく、ルクは無言のまま夕食を口に運んでいる。常に無言無表情無反応の彼だが、食事を取る時は意外と尋常だ。無反応なのは変わりないのだが、もぐもぐもぐもぐと何度も料理を噛み締め、飲み下すその様は普通に料理を味わっているようにしか見えない。おいしいかどうかを問うた時に、反応が返ってきたことはないのだが。
 と、自分たちの定席であるテーブルの隣から、礼儀正しい声がかけられた。
「失礼。あなた方は今、フェイクがどうこうとおっしゃっていたが……それはもしや、月の主<tェイク殿のことでよろしいのかな?」
「え……」
 そちらを見やり、礼儀を失しない範囲内で上から下まで素早く観察する。突然のことだったし、(おそらくは一般人にはフェイクより有名であり、かつアブガヒードの呪いによって否が応でも区別のつく)アーヴィンドではなくフェイクについて反応したことに対する不審の念もあったし、それに今は他者からの意図的な接近に警戒せざるをえない状況だ。申し訳ない気持ちがないではないが、できる限り冷静かつ細密に観察する。
 その男は、旅の冒険者に見えた。この店は冒険者の店で、冒険者以外が立ち寄ることはまずないのだから当然ではあるのだが。
 体の要所要所を護る、長距離移動に適した型の板金鎧に、腰には長剣。背中には盾を背負い、鎧の上には外衣を羽織っている。いかにも戦士、と言われるべき姿、と見えた。
 だが、内心アーヴィンドは首を傾げる。戦士と言い切ってしまうには、男の雰囲気はどこか異質に思えた。
 その男はどこか浮世離れした気配をまとっていた。それは年齢が分かりにくい顔立ちと体つきのせいかもしれなかったし(人の年齢を当てるのは得意な方であるアーヴィンドでも、二十代後半よりは上だろう、ぐらいしかわからない)、顔に浮かべている満面の楽し気な笑顔のせいかもしれなかったが、少なくとも粗暴と呼ばれるような雰囲気は、彼からは微塵も感じない。
 そして首には光十字――交差した二本の棒、すなわち差し込んでくる光を表すファリスの聖印を下げている。一瞬神官戦士なのかとも思ったし、その浮世離れした気配は神官に似つかわしいものと言えなくもない気もしたのだが、曲がりなりにもファリスの神官として日々神殿に通っている身からすると、そのどこか謎めいた、悪く言えば人がましさをあまり感じない雰囲気は、ファリスの神官という存在の気配からは遠いと言わざるをえない。
 総評するなら、謎の男。そんな男が、にこにこと楽しげな笑顔を浮かべながら自分に話しかけてくる。
「あなた方はもしや、フェイク殿のお仲間でいらっしゃるのかな? これは驚いた、フェイク殿がまた新たに仲間を作られるとは、正直思っていませんでしたもので」
「……フェイクのお知り合いですか?」
「昔から彼のことはよく存じ上げておりますよ。……よろしければ、席をご一緒しても?」
「………ええと、ヴィオ、ルク、いいかな?」
「ん? いーよっ」
「…………」
 ルクからはやはり反応が返ってこない。思わず苦笑しながら「どうぞ、ご遠慮なく」と会釈すると、男は笑みを深め、「では、お言葉に甘えて」と皿を持ってこちらのテーブルに移ってくる。皿の上には酒のつまみになる程度のものしか載っていなかったようだが、男は世慣れた仕草で給仕を呼び止め、酒と料理を頼んだ。
 だが、当然のような顔で「エールを四つ、それとこの店で一番上等な料理を大皿で四人分」などと注文したので、アーヴィンドは慌てた。
「いえ、あの、申し訳ありませんが、私たちの分まで注文していただくわけには……それに私たちは酒類はたしなみませんので」
「おお、これは失礼。だがせめて一献受けていただくわけにはまいりませんかな? この喜ばしい出会いに、私としては盃を捧げずにはいられない心持ちですので。もちろん、無理にとは申せませんが……できれば、私のせめてもの心尽くしを受け取っていただきたい」
 そう言われるとこちらとしても断りづらい。給仕が注文を受け、十数えるほども待たないうちにエールのたっぷり入ったジョッキをどんどんどんと置いていく。男が優雅な仕草でそれを取り上げ、軽やかに会釈して、「この出会いに」と盃を掲げたのに、アーヴィンドは小さくため息をついて同じように盃を掲げ、同じようにエールに口をつけた。
 これが初めてというわけではないが、アーヴィンドとしてはやはり基本的に酒の類はおしなべて好まない。神官として酒に酔うことが戒律上好ましくないということもあるが、それ以上に酒の味も、酒によってもたらされる酩酊感もどうにも好きになれないのだ。酒というものが持つ喉を焼く感触がどうにも好きになれなかったし、頭と体を好き好んで鈍らせるという行為にどうにも楽しさより馬鹿馬鹿しさを感じてしまう。
 宴の時など酒に酔うことを楽しみたい気分の時もないではないが、今は少なくとも宴というわけではない。一息にジョッキを乾してしまった男を横目に、一口二口飲んでジョッキを下ろした。ヴィオは酒は『嫌いではないが果汁とかの方が好き』だそうで、同様に一口二口飲んでジョッキを下ろし、ルクに至ってはそもそもジョッキを手に取ってすらいない。どころか男に視線を向けてもいないようだったので、アーヴィンドは小さく息を吐いて男に頭を下げた。
「不調法な者ばかりで、申し訳ありません」
「いやいや、お気になさらず。突然押しかけて厚かましく同席したのはこちらの方だ、警戒されるのも当然だと思っておりますよ。ただ私としても、是非ともあなた方とお近づきになりたく思ったものでね。どうかご容赦願いたい」
「いえ……あの、あなたはフェイクとは、どういう……?」
「はは、彼の方は私のことなど覚えてもいないでしょう。昔、私の方が一方的に彼を見知り置く機会があったにすぎません。彼が昔言葉に呪いをかけられたという話を聞き、彼に興味を持ったことがあったというだけのことです」
「興味……ですか」
「ええ。どれだけの苦難の元にこの強剛な人格が形作られたのか、とね。心が惹かれたのですよ」
「……なるほど」
「あなたも至高神の信者でいらっしゃる?」
「え……はい。そうですが……どうしておわかりに? 聖印は見えないところに着けているのに」
「いや、半ばは鎌をかけたにすぎません。あなたの首筋に鎖が見えましたので、冒険者が首からかけているものといえば普通は聖印ですからな。そしてあなたは見るからに誠実で謹厳実直なお人柄だ。となれば普通に考えてファリス信者であろう、と考えただけなのですよ」
「そうですか……頭のいい方ですね。観察力も推理力も鋭い」
「いやいや。あなたも充分以上に聡明な方でしょうに? あなたほどの若さで神官位と正魔術師としての位を両立させるなど、そうそうできることではありませんよ」
「えっ……あ。発動体、ですか」
 アーヴィンドは最近ずっと、フェイクに貸してもらった発動体の指輪をつけっぱなしにしていた。借りっぱなしというのは申し訳ないと何度も返すか料金を払うかする、と言っているのだが、そのたびに『お前がいざという時に魔術を使えた方が全員の生存率が上がるから渡してるんだ。金を払うってんなら売ってやってもいいが、そんな自己満足のために金を使うのは、必要なものを揃えた上で、金が余ってきてからにしろ』と言い負かされてしまうのだ。
「その通り。私もそれなりに長く冒険者をやっておりますからな、発動体の指輪と普通の指輪の見分けくらいはつきます。まぁ、あとはこれもカマかけですな。あなたの喋り方や仕草からして、おそらくは良家のご子息だった方であろう、というのはわかりました。で、そんな方が冒険者となっているのなら、魔術なり信仰なりによっぽど入れ込んでいた、というのが理由のひとつではあるだろう、と。魔術の発動体を身に着けているなら正魔術師ではあるだろうが、なんとなくあなたの礼儀正しさには神官らしい雰囲気が感じられたのでね。まぁ外れる可能性も高かったですが、外れても話の種にはなるだろう、と……がっかりさせたなら申し訳ない」
「いえ、そんなことは。正直、少し驚きました。鮮やかな推理というものは、やはり人を惹きつけるものですね……ですが、あなたも、とおっしゃっていましたが、ぶしつけを承知で申し上げさせていただくと、あなたは至高神の信者としてはずいぶん珍しいお人柄をしていらっしゃるように思うのですが」
 候子として叩き込まれた教育に基づき、笑顔を顔に浮かべ少し首を傾げてそう言うと、男はくすりと笑って肩をすくめた。
「そうですか? これでも至高神に関する神学についてはそれなりに学んでいるのですがね。……たとえば有名な説として、新王国歴四百十五年にファーズで発表された、ジュリアス司祭の善悪二元論否定説がありますでしょう?」
「あ……ええ、私も読みました。写本がこちらの神殿にもありましたから……ただ、あれは……」
「そう、その善悪二元論に対する批判言説自体がまた善悪二元論を呈してしまっている。なので現在では有名ではあれど贅説としてまともに取り上げられることはほとんどない。だが、私はあの説には取り上げるに足るものがあると思っているのですよ」
「……と、いうと? 詳しくお聞かせ願えますか?」
「そう、まず彼が否定せんとしたのは、善悪二元論という論説ではなく――」
 アーヴィンドは、いつの間にか男との会話に熱中してしまっていた。男は神殿の神官たちよりもはるかに学識が高く、議論の仕方も知っている。高い知性、そして世間知を感じさせる言葉遣いと立ち振る舞いは話していて心地よく、神学をここまで深く詳しく、時には趣味的な話も交えて語り合える相手というのは今までいなかったせいもあり、自然と話に夢中になってしまい、まだお互いに自己紹介もしていないということに気づいた時には、すでに小半時ほども時間が過ぎてしまっていた。
「あ……申し訳ありません、名乗りもしないうちにこのような長話を。私はアーヴィンド・クラーク・リズレイ・プリチャードと申します。こちらは仲間の、ヴィオとルクです」
「これはどうもご丁寧に。私はルドルフ・ルンゲンハーゲンと申します。以後お見知りおきを願います」
「はい、こちらこそ。……長話をしてしまってごめんね、ヴィオ、ルク。二人にはつまらない話だろうから、部屋に戻ってくれていてもいいんだよ?」
 二人を無視するように会話を楽しんでしまったことに申し訳なさを感じつつそう頭を下げたのだが、ルクは無言無表情でこちらを見やるだけで反応を示さず、ヴィオも珍しくあまり表情を動かさないまま首を振る。
「いーよ、アーヴ話したいんだろ? 待ってるから、満足するまで話してて」
「え……いや、さすがにそれは悪いよ」
「いーって。部屋で待ってる方が落ち着かないし。ここにいる」
「でも……」
「……もしや、私のことを警戒しておられるのですかな?」
 ルドルフが唐突に笑顔でそう問う。驚いてヴィオを見つめるアーヴィンドをよそに、ヴィオは小さく肩をすくめて、あっさりうなずいた。
「うん」
「ヴィオ! そういうことを真正面からはっきり言うのは礼儀としてさすがに……」
「んー、でもなんか、この人には嘘つく方が厄介そうな気がして。全然知らない人なのに突然話しかけてきて怪しいっていうのもあるんだけど、この人、なんか、すごく危ない感じするから」
「ヴィオ……!」
「ルクもそう思ってるみたいだし。だからたぶんこの人本当に危ないんだろーなーって」
「え」
 言われて慌ててルクを注視すると、ルクは無言無表情のままじっとルドルフを見つめている。いつもと変わらないように見えるけど、と言いかけて、はっとした。ルクが自分以外に視線を向けるというのは、もしかしたらこれが初めてかもしれないというくらい珍しいことだ。
 というかヴィオが普段はルクのことを話題にすることすらほとんどないのに、そこまでルクのことを理解していたのかと思うと自分の至らなさに正直落ち込むが、それでもヴィオとルクが揃ってルドルフをひどく警戒していることは理解できる。二人の勘の鋭さは自分などとは比べ物にならないのはよく知っている――が、ルドルフがそこまで怪しい危険な人物だという評価は、アーヴィンドには筋違いとしか思えないのだが――
 三人を見比べるアーヴィンドに軽く微笑みかけてから、ルドルフはくすくす笑いながらヴィオたちに向き直る。そしてときおりくすくす笑いを漏らしながら、笑顔でヴィオたちに訊ねた。
「私はそんなに怪しい人物に見えるのかな? 一応私なりに、社会的な礼儀というものは守っているつもりなのだが」
「しゃかいてきなれーぎがどーとかはよくわかんないけどさ。あんたが向き合ってる時に気抜いたら、首落とされるかもしれないってくらい危ない奴なのはわかるよ」
「私としては今のところそのような気持ちは毛頭ないのだがね。私はただアーヴィンド殿と会話を楽しんでいたにすぎないのに、なぜそのように疑われるのかな?」
「疑いっていうか、そういう奴じゃん、あんた。今のところそういう気持ちになってないってだけで、そういう気持ちになったら俺たちが気抜いた隙に首落としたり心臓抉ったりするだろ、当たり前みたいな顔で」
「ヴィオ………!!」
 アーヴィンドは困り果ててヴィオの名を呼んだが、ヴィオもルクもあくまでルドルフから視線を逸らそうとしない。くすくす笑っていたルドルフは、耐えられないというように喉の奥から笑声を漏らし、机に突っ伏しそうな勢いで笑い転げた。
「……申し訳ありません、仲間が無礼なことを……」
「いや、気にしなくていい。くくっ……彼女についてはほとんど噂らしい噂はなかったが……なるほど、君の仲間というだけのことはあるな。獣じみた勘のよさだ」
「え……」
 一瞬なにを言っているのかわからず瞬かせた視線の先で、ルドルフはにやにやという感じの笑顔を浮かべながら、聖印を手に取った。
 そしてくるり、と縦にひねる。どうやらその聖印は二つの聖印の型を張り合わせたもののようだった。ぐるりと回転し、二つに割れる。
 そして、そこに見えたのは、悪鬼の彫刻だった。聖印を張り合わせて外からは見えないようにしてある場所に、悪鬼、魔神、そして殺し合う人々の姿が彫り込まれているのだ。
 アーヴィンドは思わず息を呑む。かつて神学を学んだ際に、その神≠ノははっきり決まった聖印がないと教わった。ただ神学の教本には載っていない、師からのこぼれ話のような形で教わったのだ。その神≠ヘ、至高神の聖印に偽装する形で、邪悪なる聖印を持ち歩くことを好むと。至高神を、そしてその信徒を嘲弄するために、至高の聖なる印を穢すことを好むのだと――
 愕然とするアーヴィンドの前で、ルドルフはにっこりと、優雅とすら言ってよさそうな笑顔で一礼した。
「改めて名乗ろう。私の名はルドルフ・ルンゲンハーゲン――偉大なるファラリスにお仕えする、暗黒神の司祭だよ」

 数瞬の絶句ののち、アーヴィンドは小さく呼吸を整え、改めて椅子に座り直してルドルフと向き合った。ルドルフはくすくす笑いながら問うてくる。
「ここに暗黒神の司祭がいるぞ! と叫んで、この店の冒険者全員で袋叩きにしないのかね? この店の冒険者全員ならば私を叩き殺すのも容易だろうに」
「……、あなたが頭がいい人間だというのは、これまでお話しした中でよくわかっています。そんな人間が無意味に危険を冒すとは考えられません。脱出経路はすでに用意してあるでしょうし――それに、ここに来た目的を果たさなければ、かえって危険なことになると考えました。わざわざ危険を冒すだけの価値があることのために、あなたはわざわざこんなところまでいらしたのでしょうから」
「ふふ、さすが、君は頭がいい。アールダメン候子として生まれながら、神の声を聞き冒険者となっただけのことはある」
「……まさか、とは思うのですが。あなたの目的は、僕ですか?」
「その通り。君の噂を聞いてね、会ってみたくなったのだよ。オランでも有数の大貴族、その上建国から続く譜代の家臣である名門貴族の子息が、魔獣に呪いをかけられて冒険者に、というのはなかなか尋常でない人生だと感じたのでね。君のことを詳しく調べ、その仕上げとして君に会いに来たのだよ」
「なんのために?」
 きっ、と真正面からルドルフを見つめながら問うと、ルドルフはにっこりと胡散臭いほどの笑顔を浮かべて答えた。
「好奇心。それのみさ」
「……そのためにわざわざ、暗黒司祭として糾弾され命すら奪われるような危険を冒すと? 失礼ながら、裏を勘ぐらずにはいられないようなご発言ですね」
「ふふ、まぁたいていの奴らはそうだろうが、私にとってはそれなりに切実な話なのだよ? 私にしてみれば信仰をより深めんとする希求に他ならないのだからね」
「好奇心が暗黒神の御心にかなう感情だという話は聞いたことがないのですが」
「然り。我が神ファラリスの御心は信者の感情の形に囚われるほど小さくはない。我が神の御心にかなうはすべての欲望――つまり、私の知りたい≠ニいう好奇心もまた欲望のひとつ。それが心に浮かんだならば突き詰めるのが偉大なるファラリスの声を聞いた者の使命。私は純粋な信仰の探究者なのでね、自らのうちに湧き上がる欲望と真摯に向き合うのはごく当たり前のことなのだよ」
「命を賭け札にしても? あまり分のいい交換条件とは思えませんが」
「君は信仰をより深めんとする時、交換条件がどうこうなどと費用対効果を考えるのかね? 偉大なる神の御心を垣間見んと欲するならば、身命賭けて魂懸けて打ち込むのが当然なのじゃないか? ……まぁ簡単に死を迎えるようなことがあっては信仰を深めることもできんので、万一の時のために備えて用心するのは神の御心にもかなうことだろうがね。実際、私はこういうことをもう二十年近く繰り返しているのでね、いざという時の対策は十重二十重にしてある。それこそ今ここで君が『お前は暗黒司祭だ』と叫んでも、どうとでもできるくらいの用心をね」
「…………」
 じっと見つめるアーヴィンドの視線の先で、ルドルフはさりげない動きで割られた聖印を元の至高神の偽装聖印に戻す。その動きは店の中にいる自分たち以外の人間の死角になっていた、というより彼が席についてからの表情も動きも自分たち以外の人間からはすべて死角に入っていただろう。その上この声の出し方――他に声を逸らさず、自分たちだけに聞こえるように発声している。盗賊のような技術だが、貴族や神官など、高い対人会話技術を持つ者の中にはこういった技を持つ者もいた。
 ともあれ、彼はごく自然に、当たり前のような顔でそういうことができる人物ではあるのだ。確かにいざという時の備えは万全そうではあった。
「二十年、とおっしゃいましたが。オランに二十年も居を構えていた――というわけでもなさそうですね、先ほどのあなたのおっしゃりようからすると」
「その通り。私はファンドリアに生まれ、十五の年を迎えてからすぐに布教に旅立ち、二十歳を越した頃に我が神ファラリスへの自分なりの信仰の形というものを悟った。そののち二十年、私はこの大陸中を行脚し信仰を深めてきたのさ。時には呪われた島に、時には混沌の大地に流離い、その先々で自分の欲望に打ち込み――今では私なりに、自分の信仰というものを鍛え上げることができたと思っている」
「……そうですか」
 暗黒司祭が信仰を鍛え上げるなどとははっきり言って不穏な気配しか感じないが、確かに十五の年から数えると二十年を軽く超える年数を信仰に捧げて流離ってきたのだ、それは普通に考えて信仰も鍛え上げられるだろう、おそらく相当の力の持ち主のはずだ。彼の気配もその推測を裏付けている。戦いになった時どう戦うか、とアーヴィンドはルドルフと向き合いながら考えを練った。それとは関係なしに「つまりこの人は今四十と少しなのか、全然そう見えないな」という思考もよぎったりはしたが。
「それで……私と話をして、それであなたの好奇心は満足したと?」
「ふむ、そうだな。まぁある程度君という人間を理解できたと思いはするが。正直、この程度ではいささか物足りんな。君がどのように信仰に打ち込んでいるか、はそれなりに理解できたとは思うが」
「…………」
 確かに、先程までの会話で自分の神学についての知識と理解度はおおむね察せられただろう。先程までの会話における神学論争では、普通の神官では知らないような論文の話がいくつも出てきたし、それを下敷きにした上でのより高度な議論も幾度も交わされた。思い上がった言い草かとも思うのだが、一般的な神官では理解できない段階の議論ではあっただろうから。
 しかし、暗黒司祭でありながらそれほど高度な至高神の神学論争ができる、というのも実際普通ではない。おそらくは至高神の神官という素性が彼の擬装であるせいなのだろうが、たとえ擬装でもあれだけの議論を交わせるというのなら、実際にファリスの神学を深く学ばなければ不可能だろう。事によると、ファリスの神殿で修業したことすらあるのかもしれない――いずれにしてもそれは、至高神の神官や司祭の信仰や論説を打ち破るために、ではあるのだろうが。
 この相手には一瞬でも気が抜けない、と真正面から向き合いながら、アーヴィンドは言葉を投げかける。
「あなたは私のなにを知り、そしてそれからどうしようとおっしゃるのですか? 私は候子の地位を返上し、今は一介の冒険者にすぎない身なのですが」
「別に君から金や人的資源を引き出そうとは思っていないさ。そのようなものは、私の独力でもいくらでも用意できる」
「……っ」
「私が知りたいのは、君の心だ。他の誰でもない君の、本当の心だよ。魔獣に呪いをかけられ、冒険者として生きる君の中に、どのような感情が渦巻き、なにを憎み、なにを呪い、なにを拒絶しているのか――そういう心、さ」
「…………」
 なにを愛するか、ではなくなにを憎むか、である辺りが暗黒司祭らしいことこの上ない、と思いながらも、きっとルドルフを見据える。相手は自分の欲望のためならばどんなことでも行いうる相手だ、どんな行動に出られても対処できるようにしなければ、と頭の中で懸命に対策を練りながら。
「ならば、あなたは、その目的のためになにをする、と?」
「ふむ、そうだな――まぁとりあえず、一度共に冒険に出たいな」
「………は?」

「で、お前、それにうなずいちまったわけか」
「うん………ごめん、本当に」
 アーヴィンドたちの部屋のベッドに腰かけているフェイクに、アーヴィンドは床に座ったまま深々と頭を下げる。ヴィオもルクも床に座っているので、フェイクに説教されているかのような体勢だった――いや、実際説教されてしかるべき失敗を自分たちは犯したのだが。
「冒険っつっても、どこに行くつもりなんだ。冒険者の店を通した依頼ってわけでもないんだろ?」
「うん……墜ちた都市≠フ中に、彼以外誰にも知られていない遺跡がある、って。パダで冒険者として暮らしていた頃に見つけたものらしいんだけど、そこに行こうと言われたんだ。未盗掘の遺跡だから、実入りも大きいだろう、自分の取り分はその四割でいい、って」
「ふん……ま、確かに遺跡の情報を手にしてる奴が最低でも五割持っていくのが普通だから、譲歩してるのは確かだな。だがそいつは何年前の話だ? 遺跡の位置にもよるが、ことによっちゃそいつが他の場所うろついてる間に人が入ってるって可能性もあるぜ」
「入り口は崩れて土で埋もれている上に、古代語魔術で擬装を施してあるから見つかる可能師は極めて低い、とは言っていたよ。もし盗掘されていたんだとしたら、墜ちた都市≠行き当たりばったりに探索しよう、その時は逆にこちらが報酬を払う、って」
「ふぅん……なるほどな。あと一応聞いておくが、その遺跡を見つけた時の仲間はどうなったんだ?」
「……全員死んでいる、とは言っていたね。その遺跡を見つけて、もう余力が残っていないからって引き上げを決めた後、帰りに宝の分配で揉めて、殺し合いになった、と。生き残ったのは自分一人だ、と言っていたよ」
「ふむ」
 フェイクは少し考えてから、ベッドに深く腰掛け直し、自分たちを見下ろす格好で告げる。
「話に筋は通ってるし、悪い話だとも思わない。受けてもいいだろう、とは思う――その話を持ってきたのが暗黒司祭じゃなければな」
「うん……そうだよね」
「お前にしちゃ珍しいな、そんな話をあっさり了承するとは。そこまでそいつは口がうまかったのか?」
「口がうまい、というか……僕なりにそんな話に簡単には乗れない、と反駁したつもりではあるんだけど。その……」
「なんだよ。はっきり言ってみろ」
「……向こうの言葉が、僕の、致命的な弱点というか感傷的な部分というか……そういうものを突いてきたんだ。暗黒司祭と真正面から、それも平和的に共に冒険をするなどという形で向き合うことができるなどという経験は今回以外にはまずできないだろう。それを見逃してしまうのか。それではあなたを冒険者という道に導いた、『あの方』もがっかりなさるだろう……と」
「なんだそりゃ」
 フェイクに眉をひそめられながら、もはや合わせる顔もないという心境でうつむく。本当に申し訳なく、恥ずかしく、自分の愚かしさに呆れてしょうがない。
「……お前が冒険者になった理由の『あの方』とやらを、そいつが知っていたってのか?」
「……いや、そうじゃないんだ。彼は、僕のことをとてもよく調べていて……僕が呪いをかけられる前から冒険者になりたがっていたことも知っていて。アールダメン候子である僕がそんな気持ちになるのは、誰かに影響を受けたせいなんじゃないか、と見込みをつけていたみたいで。それで……」
「カマかけられて、あっさり乗せられたわけか。向こうはお前のそこらへんの事情をはっきりわかってるわけでもねぇのに」
「うん……お互い、神の名に懸けての誓いまで行ってしまって……」
「アーヴ、あの時すっげーカッカしてよなー。今までにあんなアーヴ見たことないってくらい」
 ヴィオにまでそう補足されて、アーヴィンドとしては「本当にごめん……」と言いながら深々と頭を下げるしかできない。我がことながら、自分以外の口からあの人のことが、それも嘲弄するような形で出てきたことが、あれほど頭に血を上らせるとは思っていなかった。
「ふん……で?」
「え」
「その『あの方』ってのは誰なんだ。俺は今までお前の口から、いやお前の両親の口からも、そんな奴の話聞いたことがねぇんだが?」
「え、と……その……」
「言いたくねぇってか。だが、今回は明らかにお前のミスだ。暗黒司祭と冒険、それも墜ちた都市≠ナ、なんぞってのは言っちまえば炎晶石いくつも抱えながら油の中泳ぐみてぇなもんだ。それなのに詳しい事情が説明されねぇってのは、どう考えてもおかしいと思うが?」
「……ごめん。それはわかってるんだけど、言えない。言ったら、フェイクの身に……いや、フェイク自身を傷つけるっていうのはほぼ不可能だけど、その周りにいる人たちも含めて……危険が降りかかると思うから。もちろん、僕や、ヴィオについても」
「………なんだそりゃ」
「ごめん、本当に申し訳ないとは思うんだけど、これは言えない。言ってしまったら、まずこのままオランで暮らしていくことはできないだろうし、暗殺者を四六時中警戒しなくてはならなくなるかもしれない。そのくらい、秘中の秘に当たることなんだ」
 アーヴィンドはきっと顔を上げ、心の底から真剣に真正面から言い放つ。実際、それは微塵も嘘偽りのない事実なのだ。
 あの人のことは、人には言えない。本来なら自分もさっさと忘れておくべきことなのだ。国家の安寧と、人心の安定のために。
 だが、それでも自分はあの人のことを忘れることはできない。あの人との思い出は、強烈で、鮮烈で――今の自分を形作る大きな要素のひとつでもあるのだから。
「ふむ」
 フェイクは肩をすくめ、じっとこちらを見つめてくる。自分よりもはるかに人生経験を積んできた男の視線にこちらの心を見通されているような気分になるが、それにもどうか好きに見定めてくれ、という気持ちで真正面から向き合った。
 しばしの後、フェイクはふん、と鼻を鳴らして視線を逸らした。
「ヴィオ。お前はいいのか。お前にも詳しい説明されなかったんだろ?」
「え? うん。そりゃまー気にならなくもないけどさ、アーヴが本気の本気で知ったら俺たちの身が危ないって思ってるのはわかるからさ。アーヴに心配させてまで知りたいってわけでもないし」
「アーヴィンドが冒険者になった理由ってのを、詳しく聞きたいとは思わないのか?」
「んー……うん。やっぱそれなりに気にはなるけどさ。どんな理由があるにしろ、アーヴは今ここにいて、俺たちと一緒にいっしょーけんめー冒険者やってくれてんだし。それ以外のなんやかやは、まーついでかな、って」
「…………」
 けろっとした顔でそう言ってのけるヴィオに、こっそり感謝の念を込めて小さく頭を下げる。すでに(アーヴィンド自身が訊ねた答えとして)聞いていたことではあったのだが、それでも何度聞いても、この当たり前のように与えられる信頼は、心底嬉しく、ありがたい。
「ふん。ルク、お前はどうだ」
「え」
 アーヴィンドは思わず小さく声を漏らしてしまう。フェイクがここでルクに声をかけるとは思わなかったし、ルクが返事をするとも思えなかった――のだが、ルクは小さく口を開けて、ぼそり、と聞こえない程度の声で小さく呟く。
「え……えっ、ごめん、今なんて……」
 思わずルクに勢い込んで詰め寄ったが、ルクは数瞬こちらを見やってから、ふいと視線を逸らしてしまう。え、え、とおろおろしてしまうアーヴィンドに、フェイクは小さく笑って肩をすくめた。
「まともな言葉は言ってねぇよ。単になんか言いかけてやめただけだ」
「え……」
「ま、ルクにとってもお前は気になる奴だ、ってことは再確認できたわな。少なくとも、お前が危険な相手と一緒に危険な場所に行くのを、放置しておくつもりはなさそうだ」
「…………」
 どう答えるべきか戸惑いながらルクを見る。ルクは無言無表情のまま、こちらを見ようともしない。たとえ呪いのせいであれ、他者に関心を持ってくれるならば、自分としては嬉しくはあるのだが――この反応は、正直どう受け取るべきかいまひとつよくわからない。
「ともあれ、だ。どれだけ危険を冒すことになっても、お前としては一度神の名に懸けて誓った以上、言を違えるわけにはいかないっつうんだろ」
「………うん」
「ならしょうがねぇ。全員一致だ。危険を承知で、その冒険とやらに乗るしかねぇな」
「……いいの?」
「ま、嬉しくはねぇがな。墜ちた都市≠フ未盗掘の遺跡なんつう、俺としても気が抜けない場所の遺跡探索に、いつ後ろから斬りつけられるかもわからねぇ、それも相当な腕利きの暗黒司祭を連れて行くだなんぞ、その冒険で死ぬつもりでもなけりゃやらねぇだろうしな」
「そうだね……本当に、ごめ」
「だが、完全に未盗掘の遺跡ってのは、俺としてもそれなりに心が惹かれる。折よくってわけでもないが、俺と張り合えるぐらいの腕の盗賊も新しく加入したことだしな」
「あ……」
「厄介な依頼人の同行する遺跡探索って依頼は、長年冒険者をやってりゃそれなりに出てくる。それと同じっちゃ同じこった。お前らはそういう依頼は未経験だろう? せいぜいいい経験にするんだな。一緒に歩いてる奴を思いきり警戒しながら、周りにも気を配って生き残れ」
「………うん。ありがとう、フェイク。ヴィオも……ルクも」
「どーいたしましてっ」
「…………」
 フェイクは肩をすくめ、ヴィオは笑顔で言葉を返し、ルクは無言でこちらを見やってからふいと視線を逸らす。仲間たちに心から感謝を捧げながら、アーヴィンドは心中で誓っていた。
 自分は彼が、ルドルフが遺跡探索の、自分たちの人生の邪魔をしないよう全力を尽くす。断じてあの男に仲間たちを害させるようなことはしない。
 そのために、自分ができることは――

「……つまり、あなたは聖王国アノスにてファリスの教えを学ばれた、と?」
「ああ。どうせ教えを学ぶならば、本場で学ぶにこしたことはないだろう? 元より私はアレクラスト大陸中をさまよっていた流浪の身、アノスにまで足を運ぶ程度はさして苦でもない。本来の目的にも合致している、尻込みする気持ちはなかったな」
「自らの信仰を鍛えるため、ですか。しかし、あなたの本来の素性が知られれば、聖王国ではそれこそ命がなかったはず。それを承知しながら、あえて聖王国を選ぶほど、あなたは切羽詰まった境遇におられたと?」
「まぁ、そう言えなくもないが……そもそも私は聖王国の連中の察知能力をさほど高くは見積もっていなかった。人伝に聞いた聖王国の国政や、国民性、それからファーズの本神殿で修業した連中とじかに接して得た情報から鑑みてね。神学生としてしばし滞在する間くらいどうとでもごまかせると思ったのさ。その見込みが事実であるか否かについては、今ここにいる私がなによりの証明だろう? ……それに信仰を鍛えようという時に、命を惜しむというのは神に対する冒涜ではないのかな、アーヴィンドくん?」
「少なくとも、私の信ずる神は、信仰のために命を捨てよとは教えておられません。むしろ信仰を命を捨てるという形で他者に顕示しようという驕慢こそを厳しく戒めておられます」
「ふむ、なるほど。だがアノスの聖王が、かつてアトン事変の際に聖戦≠発動させてオランに攻め込み、何百何千という信者たちの命を無駄に捨てさせたことは疑問の余地なく事実だと思うが? オランの歴史書にもはっきり載っているだろう、アノスの歴史書には思いきり粉飾してことの正誤がほとんどわからないようにして記されているがね」
「……どれだけ高い信仰を持とうが、しょせん人間は人間にすぎません。その行いを教義という共通理念にまで敷衍するのは、思い上がりというものではないですか?」
「ほほう、アノスの聖王の行いをきっぱり過ちと断ずるか。ファーズの連中が知ったらやかましくがなり立てることだろうな……ま、私も当時の聖王の過ちには、これっぱかりも弁護する気が起きんがね」
「――少し話がずれてはいませんか、ルドルフ殿。少なくともファリスの信者の過ちをどれだけ積み上げたところで、私という人間のなにかを証明できたことにはならないと思いますが?」
「ふふ、然り然り。それでは今度はこちらから聞こうか――」
 遺跡の中をゆっくりと歩きながら、何百何千という文言を投げかけ合う。相手から言葉を引き出し、思考を読み取り、感情を察知する。少しでも隙があれば厳しく追求し、できる限り相手の失策を誘い――そんな言葉を使った決闘を全力で行いながら、少しでも相手のことを知ろうとする。
 曲がりなりにも古代遺跡の中を歩いているというのに魔物の警戒などまるでせずに討論を行うなど、冒険者としてあるまじきことだとはアーヴィンドも思う。仲間たちは揃って自分たちの話になど耳も貸さずに、罠を調べ周囲を警戒しいつ現れるかもしれぬ魔物に備え、と的確に冒険者としての責務を全うしている(ルクもフェイクに指示されるまでもなく的確に警戒しながら罠を調べ出したのは少し驚きだった)。
 だが、これもアーヴィンドなりに、自分のできることを懸命に考えた結果なのだ。アーヴィンドは盗賊としての技術は習得していないし、危険を察知する勘働きもフェイクやヴィオと比べて鈍い。ならば今回自分にできること――暗黒司祭ルドルフの心を、できる限り自分に惹きつけることで遺跡探索の安全性を高める。それがアーヴィンドの考えだった。
 ルドルフはもともと自分に対し興味を持ってわざわざこんな話を持ち掛けてきたのだから、自分が話しかけて乗ってこないということはあるまい。そして、彼の興味を引き続けることができれば、ルドルフが突然自分たちに襲いかかってくる可能性が低くなる。
 もちろん彼がこちらを最初から罠にかけるつもりかもしれないという可能性は考えた。だがこの遺跡の入り口を覆っていた土は(そこにヴィオの精霊魔法で穴を開けて入ってきたのだが)本当に数年数十年単位の時間堆積していたはずだとヴィオもフェイクも断言したし、遺跡内部にも同じくらいの間誰も入っていないだろうこともまず間違いない、とも言った。となると、普通に考えて、あらかじめ罠を張った計画犯罪より、欲望のままに面白がって自分たちにちょっかいをかける、という快楽犯罪の方が可能性は高くなる。
 もちろん嘘感知≠竍邪悪感知≠ネどを使って推測を確かめるという考えもあったのだが、なぜ暗黒神の司祭が至高神の神殿に出入りできたのか、という話が出た時に、ルドルフはにっこり笑って、「その手の魔法をごまかす品ぐらい持っている」と言ってのけたのだ。実際に見せることは(どこにあるか知られたら対策されてしまうだろう、とのことで)さすがにしてくれなかったものの、許可を得て邪悪感知≠かけた時、まったく反応がなかったことからも、実際にその類の品を持っている可能性は高い。
 ともあれ、現在の状況で自分にできる一番マシなことは、ルドルフと会話して気持ちを惹きつけ続けることというのは間違いないだろう。ならば、そのためには、アーヴィンドを言葉で打ち負かし堕落させる可能性を垣間見させながら、アーヴィンドの本心を率直に、かつ魅惑的に告げ続けなくてはならない。
 至高神の教えにもある『真実ほど強固な言葉はない』という言葉は、ほぼどんな時にも通用すると思うし、おそらくはルドルフは自分よりはるかに嘘をつくことに慣れているだろう。そんな相手に生半可な嘘をついては興を醒めさせてしまうはずだ。
 そして、暗黒司祭にとってなによりも魅惑的なのは、至高神の神官のような善を成すことを良しとする人間を堕落させることのはず。ならば自分は真正面からルドルフに打ち負かすつもりで論戦を挑み、状況に応じて自分の弱みを開示するだけでいい。あとは自分が信仰を強く保ち続けられるかどうかだ。そんな思いでアーヴィンドは、ルドルフと会話し続けている、のだが――
「――ファラリスが善神であるという考え方は、あまりに乱暴でしょう」
「そうかな? ファラリスはなにも信者たちに悪を為せとおっしゃられているわけではない。あくまで信者たち、心弱き人間たちの欲するところが悪となってしまっているがゆえ信者たちが悪を行うことが多いだけだ。ファラリスを信ずる者が心より善を為したいと思うのならば、我が神ファラリスはそれに大いなる加護をお与えになるだろう。それは間違いのない事実だ」
「そういった善なるファラリス信者、という存在についてはこれまでも論じられてこなかったわけではありません。ですが、それらすべてにおいて、『存在したとしても極めて危うい』と結論が出されています。人間の心には常に善と悪双方が存在します、いかな善人でも、それこそ至高の聖人であろうともです。それなのに禁忌の存在しない人間が、常に善を為し続けると確言するのはあまりに不合理であると思うのですが」
「君は人間というものの可能性を信じないのかね? 無為自然、在るがままに在りながら人を愛し人を護る、そういう人間は存在しえないと?」
「存在しえないとは言いません。ただ、そういった者もなんらかのきっかけで悪を為すというのはそれこそごく自然なことだというだけです。繰り返しますが、人の心には常に善と悪双方が存在するのです。あなたは以前善悪二元論を否定する言説を話されていたので言い換えましょうか、人を愛することも憎むことも、護ることも傷つけることもどちらも為し得るのが人というものです。それを法で縛り、道徳で締めつけることで、できる限り善を為し続けさせようとするのが至高神、いいえ光の神の教えです。それなのに法と道徳に縛られぬ者が、当然のように善を為し続けられると考えるのは、それこそ生ある者の在るがままの姿を否定することではないでしょうか」
「……ふふ、確かに。ま、実際のところ、私自身はファラリスが善神だとは欠片も思っていないしな」
「……だと思いました。あなたのこれまでのおっしゃりようからして」
「ふふ。だがアーヴィンドくん、君の言いようからすると光の神の教えとやらは常に信者に不自然と不自由を強い続けるものである、ということになるな? そのような教えを後生大事に守って、果たして幸福は得られるのかね?」
「そうですね……幸福というものは、教えを守る守らない、といったこととはまったく別の問題だ、とは考えられませんか? その者の幸福はその者の歩んでいる人生の形に応じ、偶然に、それこそ敵と遭遇する時のように出くわすものなのだ、と。神の教えというのはいかに生きるかを示す道しるべ、教えを受けた者に『自分の進む道は自分にとって正しい』と納得させるための手助けをするものです。もちろん『正しいことがなにか知らない者』に広めることで世界に道徳観念を広める、という作用もありますが。……ともあれ、正しいからといって幸福だとは限らない。それは残念ですが、ごく当たり前なことだと、私は考えます」
「ほほう……なるほどなるほど。では聞くが、君にとって正しい神の教えとは――」
 遺跡の中をうろつきまわりながら、話はあちらこちらに転がり、行きつ戻りつを繰り返す。その中で交わした言葉の中から、充実感と快楽にも似たものが浮き上がってくる。
 早い話、ルドルフとの話は楽しかった。ファラリスの司祭だということはわかっているのだが、それでも彼の言葉は明哲であり、それを培う理性は透徹している。お互いの知性と知識をぶつけ合いながら、双方の思索が高みへと向かう感覚は快い。
 止揚というのは議論する際誰もが目指すべきものであるはずなのに、このように自然と心がその形を取れることはファリス神殿の経験ではかつてなかった。それはもちろんファリス神殿内では、議論の相手がたいてい自分に対して敵意を抱いているというせいもあるのだろうが、それ以上に単純に、ルドルフの見識と知性に深みがあるというのが一番の理由だったろう。彼は(もちろん暗黒司祭であるのだからその心根は正しいものではないのだろうけれども)、深みのある人生経験とそれを活かすだけの柔軟さを持っている。
「……つまり、少なくとも私にとっては、神はいわば自らの心を映す鏡なのです。自分の弱さ、愚かさ、醜さを映し出してくれる向き合うべき道の導き手。その正しさを疑うことはありませんが、それが万人にとっても正しいと言うつもりもありません。神々の教えは光の神々の間ですらそれぞれ違う、すなわち神々ですら正しいと考える道はそれぞれ違うということに他ならない。ならば人が受け容れられる程度の考えを、唯一絶対の正解として万人に敷衍するような態度は、思い上がり以外の何物でもないと思います」
「ふむ、至高神信仰の本拠地ファーズの神殿でくだをまいている神官連中に聞かせてやりたい台詞だな」
「私としては暗黒神の信者たちにも真剣に考えてほしい話なのですが。強制的な布教と神の教えの押しつけによりどれだけの人の生を捻じ曲げたかについては、ファリス神殿にも資料がありますよ」
「なるほど。だがそれは自衛のためと考えることはできないかね? 暗黒神に対する信仰は現在のアレクラスト大陸では迫害される。大っぴらに信仰を謳うことも、隣人に教えを説くことも、命を奪われかねない危険がある。そんな中でファラリスの神官としてすべきことを模索する中で、自らを護りながら信仰と真摯に向き合う、そのための方法としてやむなくそういった手段を取ったとは思えないかね?」
「……それが真に真摯なものであるならば考慮もしましょう。ですが少なくとも私が資料から読み取れたのは、自らの欲望を制御できず、暗黒神の加護という大義名分を心理的な後ろ盾に、欲望を思うがままにぶちまけて、周囲に迷惑をかけ倒しながら自滅する、そういった存在ばかりでした。もちろん至高神の神殿に残された資料ですから偏見に満ちた知見であることは確かでしょうが、少なくとも資料に残された暗黒神信仰の布教の結果の多くが、布教された側する側を問わず、不幸を拡大生産するものであることは、失われた命の数と経済状況の悪化という数字によって、ある程度証立てられてしまっていると考えられないでしょうか。私のこの意見がとんでもない間違いだというのならば、正確で客体的な数字に勝る公正な資料によって、ぜひとも反証をお願いしたいのですが」
「ふふ、面白いなそれは。数字によって不幸の証明をするというのは信仰者には珍しい考え方だ。しかしながら、鴉が黒いという定説を覆すためには、何千何万という鴉の中に、ただ一羽白い鴉がいればよい、とも言える。善なるファラリス信者が一人でも存在したならば、ファラリス信仰そのものが悪徳だという考え方は成立しなくなるのではないかね?」
「私はファラリス信仰の根本的な善悪について述べるつもりはありません。私はファラリスの声を聞いたことがなく、ファラリス信者と面と向かって話をしたのもあなたが初めてだからです。しかしファラリスを信ずる人が社会と接する際には法を犯すことがほぼ常態である、ということは客観的な資料によって証明されています。私はファリス神殿のもののみならず、王国の事件調書も調べてそう結論付けました。ファラリス信仰の性質そのものはどうであれ、これまでに生まれた信者がそれほどの確率で法を犯し不幸を撒き散らすのならば、社会秩序を護る立場の人間としては法律で信仰を規制するのは自然な思考だと思いますが?」
「社会秩序を護る人間としてはそうだろう。ただ私が知りたいのは、君がどう思うかだよ。君自身はファラリスの信仰の根本的な善悪について、どう思うのかね? 正確にどう考えられるか、ということではなく、君の感情がファラリスをどう捉えているのか知りたいのさ」
「っ……感情、と言われましても。先ほども申しました通り私はあなた以外のファラリス信者を知らず――」
「そう、私というファラリス司祭と出会った今、君はファラリス信仰をどのようなものだと感じている? それを私は聞きたい。心からそう願うのさ」
「っ………」
「さぁ、教えて――」
「お前ら、いい加減ちょっと黙れ」
 フェイクが低く抑えた声で告げ、自分たちは目を瞬かせてそちらを振り向いた。ルクと並んで先頭に立っていたフェイクが、鬱陶しげな表情でこちらを睥睨している。
「遺跡に入ってから休まずえんえんべらべらべらべら、気が散るったらありゃしねぇんだよ。罠の探索は神経使うんだ、一緒に遺跡探索するんならその辺りは気ぃ使いやがれ」
「ご、ごめん……」
「ふむ、それは失礼した。だがあなたほどの盗賊ならば、我々の会話など意識の外に締め出して探索に集中できるのではないかな?」
「暗黒神の司祭が一緒にいるんでなけりゃそうできたかもしれねぇがな」
 面倒くさげにそうフェイクが吐き捨てると、ルドルフはぷっと噴き出した。心底楽しげにくつくつ笑いながら、肩をすくめて何度もうなずく。
「なるほど、それは確かに。まったくもって反論のしようがない。……それでは、少し休憩しないかね? 遺跡に入ってからもう二時間は経っている、そろそろ集中も切れてくる頃だと思うのだが」
「……俺はかまわんが。お前らは?」
「俺もいーよ」
「僕もかまわないよ……というか、その間中ほとんど会話を楽しんでしまったんだから、どうこう言える筋合いじゃないよね、ごめん。ルクも、ヴィオも悪かったね。気に障っただろう?」
「………………」
「んー、俺は別にいーけど。アーヴにとっては大事なことだったんだろ?」
「……そうだね。たぶん……いや、間違いなく」
「ん、だったらいーよ。でもフェイクの迷惑になるのは駄目だかんな?」
「うっ……う、うん。心掛けるよ」
 そんな会話をしている自分たちを見て、ルドルフはまたくつくつと笑った。
「いや、可愛らしいな。年若い青少年が年相応に思い悩みながら青春の難事を乗り越えんとする様は、実に見ていて心地よい。そうは思わんかね、フェイク殿?」
「思わなくもねぇがお前とそういう会話をする気はまったくねぇよ」
「それは残念。嫌われてしまったか」
「好き嫌いを言ってほしいんならまず冒険の障害じゃなくなってから改めて顔見せやがれ。俺は仕事の障害と楽しく口を利き合うほど酔狂じゃねぇ」
「ふふ、伊達と酔狂は人生の愉しみだというのに。では仕方ない、一人にやつきつつ青少年たちを眺めながら休みを取るとするかな」
「…………」
 そういういかがわしいとも取れるような言い方はやめてほしい、と思ったのだが、アーヴィンドは結局無言で休む態勢に入った(言ったところでルドルフがやめてくれるとは思えない)。干し肉を噛み潰しながら水袋の水を口に含み、ゆっくりと飲んで水分と栄養補給をする。
 ヴィオもフェイクも、ルクも無言のまま同じように休憩の体勢に入る。ルドルフも口元ににやにやした笑みを浮かべながら、同じように立ったまま休みの姿勢を取る。
 その姿はいかにも歴戦の冒険者、という雰囲気の堂に入ったものだったが、本当に一人でじろじろと口元をにやつかせながらこっちを見ているので落ち着かない。黙っていると妙なことを言われる気がして、機をうかがうのをやめて早々にフェイクたちに話を振った。
「フェイク。ルク。調べてみた感じ、どう? 少なくとも、これまでろくに罠はなかった、っていう印象だけど」
「まぁな。これまで見た限りじゃ、普通の魔術師の研究施設らしい構造にはなってるんだが、これまで通ってきた部屋はそもそもどこもがらんどうで、調べるべき物がなんにもなかったからな。それでも隠し扉の類と、壁と床と扉に罠がないかはきっちり調べておいたが、どこにもそれらしいもんはない。たぶんこれまでの部屋は通廊というか、研究所を管理するための入り口側の通路みたいなもんなんだろ」
「……そこに調べるべき物がなにもないということは、この研究所はそもそも古代王国時代に引き払われてしまっているということになるのかな」
「さてな……この遺跡、そもそもどういう形で見つけたんだ、依頼人さん?」
「パダの冒険者の定番さ。行き当たりばったりに墜ちた都市≠歩き回った結果見つけただけだ。一見したところでは土で埋もれていて遺跡もなにもないように思えたのだが、そのパーティの野伏が不自然な感じがすると言い出して、精霊使いに穴を開けてもらって入ってみたところ、本当に遺跡があった、というわけさ。その時はもう余力がなかったので、魔術師に幻覚≠フ呪文で擬装を施してもらって帰途に就き――その途中で分け前を巡って口論になり殺し合いになった、というわけだ」
「…………」
「ふふ、一応言っておくが、私は別に殺人教唆を行ったわけでも進んで殺し合いに参加したわけでもないぞ? ただ自らの欲望のままに暴走する愚かで哀れな連中を、丹念に観察し、自分の身に災禍が降りかかってきたら自衛しただけだ。それを人として間違っていた、と君は主張するかね?」
「……間違っていた、とは申しません。ただ、正しさを云々するならば――」
「だから黙れっつってんだろ。休憩の間くらい休ませろ」
「えっ……」
「ふふ、これは失礼」
「……おいアーヴィンド、なんだその顔は。もしかしてお前、こんな会話すらも休む邪魔になるなんて、こいつはもしかしてものすごく柔なんじゃないか、とか思ってんのか?」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
「言っとくが、面倒くせぇことをああだこうだと喋り合うのを、休憩の時間に持ち込まれたくないって思うのはごく一般的な感覚だからな。……それに、この通廊を通り抜ければ、盗賊の働きどころが巡ってきそうなんだ。休む時くらいきっちり休ませろ」
「えっ……あ、の。……つまり、この遺跡は、まだ完全に引き払われたわけじゃない、とフェイクは考えるんだね?」
「引き払われたというか、たぶんこのがらんどうの通廊は偽装だ。研究所を引き払ったふりをして、周りの目をごまかしながら研究を続けたんだろ。後ろめたい研究だったのか、危険な研究だったのか、同業者に研究を奪われるのを警戒したのかは知らんがな」
「へー、フェイクすっげー。どこでそんなことわかったの?」
「わかったというか、経験からくる勘だな。俺も伊達に百年近く冒険者をしてるわけじゃねぇんだ。……この勘が当たってたら、たぶんそれなりに敵はやっかいな相手になるはずだぜ」
 にやり、と笑んだフェイクの顔は、まさに手強い遺跡に臨む歴戦の冒険者そのもので、アーヴィンドはごくりと唾を呑み込んだ。……それとは別に、心の中で『哲学的な会話ってそんなに負担になるものかな(むしろ休息を彩る味付けになるんじゃないか?)』などと考えてしまっていたけれども。

「……本当にこんな隠し扉があったんだ……!」
「うおー、すげー! よく幻覚の上から隠し扉の鍵開けられたね!」
「言っただろう? 音の反響の違いですぐわかるって」
「いや、だけど扉の上に幻覚を重ねられたら普通はわからないよ。本当に、さすがだね、フェイク」
「…………」
「え……、ええと、ルクも、お疲れさま。大変だったね」
 自分の方をじっと見つめてきたルクに、なにを求めているのかわからずそうねぎらうと、ルクはそれからしばし自分の方を見つめた後、ふいと目を逸らしてまたフェイクと並んで先頭に立つ。怒らせたんだろうか、いやでもたとえルクもわかっていたとしても言ってくれないことにはこちらも反応のしようがないし、としばし唸る。
 けれど実際の話、フェイクを褒めそやすのは仕方ないと思うのだ。一度休憩してからすぐ、少し先に進んだ部屋で、遺跡は行き止まりになっていた。戸惑う自分たちをよそに、フェイクは素早く隠し扉を探り当てたものの、それはアーヴィンドたちの目から見るとどこからどう見ても別の部分と変わらない壁でしかなかった。どうやらこの遺跡の主は、隠し扉の上にさらに幻覚の呪文をかけて擬装していたようで、フェイクはその上から隠し扉を手先の感覚だけで丹念に調べ、罠と鍵を解除してみせたのだ。
 それでも自分たちには壁にしか見えなかったのだが、思いきって壁に当たるつもりで進んでみると、壁を通り抜けて新たな部屋へと入り込めた。扉と連動して発動する罠のみならず、入ってすぐのところに落とし穴があり、そこには酸の池が貯められているなどという罠も仕掛けられていたけれども、それすらもフェイクは察知して自分たちを安全に誘導して見せたのだ。そのすさまじいばかりの技の冴えには、正直感嘆しか覚えなかった。
「いや、まったく大したものだ。私はこれでもそれなりの数の盗賊を知っていると自負しているが、その誰よりもあなたの腕はすさまじい。伊達に百年近くも冒険者を続けているわけではないな」
「……別に百年ずっと第一線でやってたってわけでもねぇがな。だが、そんな台詞が出てくるってことは、やっぱりそれなりに俺のことも調べてたわけだ」
「ふふ、まぁその筋では月の主<tェイクといえば伝説級の盗賊として有名だしな。それがアールダメン候子の面倒を見てやっているという噂もそれなりに聞いたので、話のとっかかりにもなるかと思ったのさ」
「正確な腕のほども知りたかったんだろう? 実力行使に出た時の安全性確認のためにな」
「さて、そこらへんはご想像にお任せするとしよう。……ふむ、この遺跡がまだ生きていたというのは、事実だったようだな」
「え?」
「気配が近づいてくる。……魔法生物だか死せる者≠セかは知らんが、おそらくは襲ってくるぞ」
 言いながらしゃりん、と剣を抜くルドルフから、刹那の間をおいてフェイクとヴィオが武器を構える。ルクはすでに両の手で短剣を抜き放っており、完全に警戒態勢だ。それを確認し、アーヴィンドも槌鉾と盾を構えた。自分の気配を察する力はたかが知れているが、仲間たちのそういった力は信頼できる。
 戦闘態勢に入ってから少し、ルドルフの言葉通りに、通路の曲がり角の向こうからどすんどすんと大きな音をたてて屍肉によって形作られたゴーレムが現れた。一般的な屍肉魔人形と違い、体のあちらこちらが腐乱している――だが、それは劣化ではなく、おそらくは強化だった。このゴーレムの制作者は、アンデッドを強化する手法を用いてゴーレムを改造している。
 そこまで読み取ったアーヴィンドは、間合いに入った瞬間に気弾≠放つため精神を集中させながら、同行者全員に叫ぶ。
「注意して! あのゴーレムはたぶん、普通のゴーレムより強い! 体液が毒や酸の効能を持ってる可能性もあるから攻撃は入れ込みすぎないで!」
「うんっ!」
「……了解」
「…………」
「ふふ。承知仕った!」
 それぞれの返答を返しながら、それぞれの速さで敵を迎撃すべく突っ込む。フェイクは(合図を受けた通り)その場にとどまって電撃の網≠フ呪文を唱えたので、アーヴィンドも安心して一発気弾≠放った後は前衛の面々をいつでも治療できるように身構える。真っ先に突っ込んだルクの後ろから放ったその一発は、ルクの頭上を通り抜けてゴーレムに激突し、腐肉を貫いてぶしゅっ、と腐汁を撒き散らさせた。
 ルクは疾風のような身のこなしで華麗にそれを避ける。その動きはフェイクに匹敵するほど、精密で速く隙がない。速さだけなら圧倒的に上回っているだろう。共同生活の中で共に鍛錬を重ねた際に見てきてはいるが、その動きには天賦の才能と、それ以上に過酷な生活の中で労苦の中積み上げ、骨の髄まで叩き込んだ暗殺者としての鍛錬が感じられる。
 自分の気弾≠ノ続いてヴィオが突撃した。槍の穂先が電撃の網≠ナ動きの鈍ったゴーレムの身体を深々と貫く。相当強烈な打撃になったことは見て取れたが、攻撃に集中していたヴィオは噴き出した腐汁をかわしきれなかった。身体にかかった腐汁は、鎧を焼きはしなかったが、ヴィオの身体に染みついて肌を灼き、おそらくは血まで滲み透り、ヴィオの喉からげほっ、と血を吐かせた。――毒だ。
「ヴィっ……!」
 叫びかかるも、そんなことをする暇があるなら治療をしろ! と自分に言い聞かせ、ヴィオに向け癒し≠フ呪文を唱えかかる。その間にルドルフはゴーレムに斬りかかり、大きくその体を斬り裂く。その動きは堂に入っていた、というより驚くほど力強く鋭敏だった。騎士隊長をやっていたと言われても納得できただろうほど、戦士としての技の冴えと膂力が見事に噛み合っている。
 そして飛び散る腐汁をさっとかわし、ルドルフはゴーレムから視線を逸らさぬまま鋭く叫んだ。
「ヴィオの毒は私が癒す! アーヴィンドはそのまま傷の治療を!」
「っ……!」
 突然の言葉に一瞬硬直しながらも、アーヴィンドは途切れさせずに癒し≠フ呪文を唱え続ける。このゴーレムの毒は継続的に効果を発揮するらしく、両腕の大振りの攻撃をルクが軽々とかわしている間も、隙をついて槍を突こうとするヴィオの口からは、げほっ、げほっ、と血が噴き出ていた。
 ルクが雷光の動きでゴーレムの腹に双短剣をねじ込み、フェイクが月光の刃で腕を斬り裂き、そこでようやく癒し≠フ呪文は発動した。神の御力によって見る間に傷は癒されるものの、呪文に抵抗するように生命の力が削がれているのが感じられ、毒の強烈さを否応なしに理解させられる。
 そんな中、ルドルフは呪文を唱えた。
「我が神ファラリスよ、この者に加護を。この者は我が欲望の糧、我が命の価値のひとつ。この妙なる生命を蝕む無粋なる邪魔者を、排除したまわんことを――=v
 暗黒語。暗黒神に捧げられる、光の神の司祭が使う神聖語とは正反対の忌まわしき呪いの言葉。
 だが、それを、暗黒司祭が祈りを捧げるところを生まれて初めて見聞きしたアーヴィンドは、驚きで一瞬目をみはった。
 美しい。それが最初に脳裏に浮かんできた言葉だった。戦いの中、敵の攻撃から巧みに間合いを取りながら、早口で捧げられた祈りなのに、その祈りを捧げる姿は驚くほどに完成させられていたのだ。
 凛とした、威厳のある、品格が漂う。そういった言葉によって表されるような美しさではあったが、それだけでは充分ではない。いうなれば、その姿は祈りを捧げる姿勢として恐ろしく正しかったのだ。何千何万何十万、もしかしたらそれ以上の回数、真摯に懸命に神と、信仰と向き合ってきた者の、鍛え上げられた姿がそこにあった。自分の向かうべき先、目指すべき姿がそこにあると、信仰者の端くれとして感じてしまうほどに。
 そしてその祈りは当然のように効果を発揮し、青息吐息だったヴィオの身体は浄化され、活力を取り戻した。ゴーレムの振り回した両腕を軽く避けて、鋭く槍を突き刺し、直後に素早く飛びのき身構える。
 だが、幸いにしてその警戒は無用に終わった。体をさんざん斬り裂かれた上にヴィオの力で思いきり突き刺された槍で顔が吹き飛ぶや、ゴーレムは力を失ってぐずぐずとその場に腐れ落ちたのだ。
「っしゃー! 勝った勝った!」
「こら、喜んでねぇで戦いが終わったらすぐ周囲の警戒に入れ。……怪我は大丈夫か?」
「怪我? うん平気! フェイクのおかげで攻撃避けるの楽だったし、アーヴのおかげで傷治ったし! それにこのおじさんも毒消してくれたし!」
「ふふ、おじさんとはひどいな。これまで遺跡を共に探検してきたというのに、いまだに十把一絡げの扱いしかしてくれないのかね?」
「んー、だっておじさん、やっぱりいつこっちに斬りかかってきてもおかしくない奴だし。そういう奴仲間扱いするのおかしいかな、って」
「…………」
 会話を交わしているヴィオとルドルフを見ながら、アーヴィンドは静かに深呼吸を繰り返して衝撃を呑み下していた。暗黒司祭とはいえ、二十年もの時間信仰を鍛え続けてきたのだから、自分が美しいと感じるのも当然だ、と自分を納得させようとしていたのだ。
 だが、それでもやはり、心中から湧き出る疑問と好奇心を抑えることはできなかった。暗黒神への信仰が欲望に支配された愚者を創り出すのに向いた信仰であることは疑いがない。なのに彼の信仰に対する姿勢は、どこでここまで磨かれたのか、と。

「……たぶんだが、この扉の向こうがこの遺跡の最後の部屋だな」
 古代王国の様式としても装飾過多な扉を前に、フェイクは軽く肩をすくめた。
「そういうことも、経験でわかるもの?」
「まぁな。いくつも屋敷の構造を知ってれば、初めて見た屋敷でもだいたいの構造が分かるだろ。それと同じだ」
「なるほど……」
「それになにより、ここまで無駄に立派な扉を重要な部屋――自分の部屋だの研究室だの、自分の一番大事にしてる場所以外に使う奴が、人の死体や生体をいじくり回す研究なんぞしねぇよ。自分の大事なものが世界のなにより重要だ、なんぞと心の底から思い込めるほど自意識過剰だから他人を好きなだけおもちゃにできるんだよ」
「………なるほど」
 それは偏見なのでは、と言いたくもなったが、フェイクの言葉にはある種の説得力が感じられた。実際にそういった経験を何度も積んできたからこその発言なのだろう。
「これまで見てきた部屋には、それなりに金になる財物やら研究資料やらもあったが、あくまでそれなり程度だった。これだけゴーレムだの改造ゾンビだのを貯蔵してたやつが有してる財宝としちゃあ、そいつはちょっと不自然だからな。たぶん、この部屋に大切なもんは全部隠してるんだろ」
「そうだね」
 この部屋の前に来るまでには、見つけた財物の数からすると不自然なほどの数、この遺跡の主だった相手が造ったと思しき魔物と遭遇した。普通に考えれば、それに相応するだけの宝がここには隠されていると考えていいはずだ。
「……が、この扉を開けるには、ちっと手間取りそうでな」
「え、それは……高度な罠が仕掛けられているとか、そういう意味で?」
「まぁな。正直、俺も解除できるとは確言できないくらいの代物だ。はっきり言って偏執狂的なものを感じるくらいな」
「わー、フェイクがそこまで言うってことは、ほんとにすごいんだねー」
「……でも、挑戦はするんだよね?」
「まぁな。だが、安全に解除するには、俺だけの力じゃ不足だ」
「僕たちになにか力になれることがあるなら」
「いや、お前らじゃなくてな。――ルク、お前も力を貸せ」
 集中した周囲の視線に、ルクはわずかに目を見開いたように見えた。無表情ながらも、わずかに身じろぎをしてみせる。おそらく、普段感情の波打つことがないルクの動揺が、そういった形で現れたのだろうと察しはついた。
「この手の仕事なら、お前は俺と張るくらいの腕を持ってる。調べてみたとこ、この罠はいくつもの仕掛けが連鎖して発動する仕組みらしくてな。それを防ぐためには一個一個発動を止める細工をしてくしかないんだが、それを一人でやるにはさすがに骨だ。たぶん解除に数時間はかかるしな」
「それはすごいな……解除のことをまるで考えていないみたいだね」
「実際そうなんだろ、部屋には透視の類もできないくらい厳重に魔法防御がほどこしてあるが、転移の扉なんかは作れただろうしな。とにかく、頭がおかしいくらいの面倒な罠なんだ、盗賊が俺一人なら諦めてなんとかするが、二人いるなら、それも同じくらいの腕なら協力してやった方が成功確率が上がるに決まってる」
「――――」
「俺が指示を出す。お前は俺と機を合わせて一緒に解除をする。できるか」
「――――」
 ルクは一瞬素早く周囲を見回してから、はっとしたようにアーヴィンドの方を見て、それからまるで救いを求めるようにじっとアーヴィンドの方を見つめてくる。たぶん『判断する』ということを求められて、混乱し、動転し、狼狽しているのだろうことは理解できた。
 だから、アーヴィンドはじっとルクを見返して、こう告げた。
「ルク。君が、自分がこれまで積み上げてきたものに、自信があるのなら――自分は今ここで『できる』と言えるだけのことをしてきたと思うなら、やってみるといい」
「…………――――」
 ルクは数瞬目をぱちぱちと瞬かせ、また素早く周囲を見回し、またアーヴィンドを見て、また周囲を見回し――それから、フェイクの方を見て、小さく口を動かした。
 なにを言ったのかはアーヴィンドにはまるで聞こえなかったのだが、フェイクは「よし」とうなずいて、扉の前に並んで立つ。
「どこに仕掛けがあるかは横で見てたんだからわかるな? そう、そこだ。お前はそっちから左に向けて探って止めてってのを繰り返してけ。俺はここから右に向かって同じことをする」
「―――………」
 ルクはやはり返事をしなかったが、小さくうなずいた仕草が見えたような気がした。
 ――それから、少なくとも一時間。ずっと扉と向き合っていたフェイクとルクは、示し合わせたように顔を上げて、ふ、と息をついた。
「どうかした? 大丈夫?」
「なんかあった?」
 自分たちが口速に訊ねると、フェイクは小さくかぶりを振る。
「一応、目処は立った。なんとかできる部分はあらかたなんとかした、がな」
「なにか問題が?」
「いや……最後の部分が、振り子を使った面倒くさい仕掛けでな。振り子を止めれば即座に罠が発動する、振り子を止めなければ扉を開けた時に振り子の動きがぶれて罠が発動するってクソ厄介な仕掛けになってやがる」
「え、扉の中に……振り子が?」
「扉の中じゃねぇ、仕掛けの先にあるんだよ。……ともあれ、これをなんとかする手はないではないが、これまでとは違う型の集中力がいるんでな。ちっと、休憩を入れる」
「そう、か……わかった、ゆっくり休んで」
 アーヴィンドの目から見ると、フェイクたちはどこかをのぞき込むでもなく扉のあちらこちらを触っているようにしか見えなかったのだが、それで振り子の存在をよく感知できた、というかそもそもなにをどうやって罠を解除していけたのかさっぱりわからない。ただとにかくひたすらに達人の技に感嘆するしかなかったため、さっきまで同様息が詰まるような思いで、少しでも気を休めてくれるよう黙して願うしかない。
 だがフェイクは、大きく息をついて扉から離れ、ごろんと床に寝転がったかと思うと、唐突に言葉を投げかけてきた。
「おいお前ら、遺跡に入って来た時からべちゃくちゃ喋ってた、あの話の続きしろ」
「え、えぇ!? どうしたの、急に!?」
 予想外の言葉にアーヴィンドは慌てたが、フェイクはふんと鼻を鳴らし肩をすくめ、ごくあっさりと言ってのけた。
「単に話のオチまで聞かねぇと落ち着かねぇってだけのことさ。俺にとっちゃどうでもいいというか、そんなことぺちゃくちゃしゃべくってる余裕があるなら他にやることがあるだろうって思っちまうような話だが、それでも話に一応のオチがつくまで聞かないとこっちとしちゃあ収まりが悪い。これから全力で集中しなけりゃならねぇって時に、そういうどうでもいいことで気を散らせたくねぇ。とっとと話のオチまで終わらせちまってくれ」
「そ、れは……申し訳なかった、けれど」
 アーヴィンドはちらりとルドルフの方を見る。ルドルフはにっこり笑って(胡散臭さすら感じてしまうほどの満面の笑顔だ)うなずいてみせた。話を続けることに異論はない、ということなのだろう。
 だが、どうしたものか。話のオチまでと言われたものの、自分たちの話には終わりなどというものはそもそも存在しないのだ。互いに神に対する想いと論説をぶつけ合い、それをよりよき形に磨き上げようとしているだけなのだから、続けようと思えばそれこそいつまででも続けられる。
 だがフェイクとしてはもちろんそんな話をさせようとしているのではないだろう。集中力を削ぐのではなく、充溢させるためには、きちんと整った形で自分たちの会話が終わることが望ましい。ならばさっきまでの話をどういう風に繋げていくべきか。
 数瞬考えて、アーヴィンドはうん、とうなずいた。
「ルドルフ殿。お願いしたいのですが、あなたのこれまでの人生をどう生きてきたかを、語っていただけませんか」
「ほう?」
 目を開いてみせるルドルフを、真正面から見据えて告げる。
「私はこれまであなたと言葉を交わし、あなたというファラリス信者がなにをどう考えるのか、少しは理解できたつもりです。けれど、当然ながらあなたという人を理解するにも、ファラリスという神と信者のことを理解するにも、それだけではあまりに足りない。私がこののちファラリス信仰というものをどう考えるかすら、それだけでは定められない。そのせめてもの一助とするには、あなたがこれまでの人生を、どう信仰に打ち込んできたかを教えていただくのが、一番よいと思うのです」
「ほう……」
「今回の冒険をきちんと最後まで終わらせるためには、あなたの協力が不可欠なのです。どうか、力を貸していただけませんでしょうか」
 そう言って深々と頭を下げる。自分なりに、できる限りの誠意を込めて。自分の進む先にある一つの形とすら思わせてくれた、信仰者としての先達に敬意をこめて。
 その言葉と姿をどう受け取ったのか、ルドルフはしばし沈思したのち、小さくうなずいてくれたようだった。
「よかろう。私としても、君が私をいかなる存在と思い定めるか、知らぬままでは収まりが悪い」
「……ありがとう、ございます」
 さらに深々と頭を下げるアーヴィンドを、ルドルフは笑ってみせた。
「ふふ、君としてはあくまで正しく振舞った結果ということなのだろうが、ファリス神官がファラリス神官に頭を下げるというのは、それがいかなる理由であれあまり外聞はよくないぞ? むろん賢い君はそんなことを吹聴しはしないだろうが、私はそれこそ君が頭を下げた隙に、その首を落とそうとしかねない人間なのだからね」
「……そうであろうとも、自分の頼みを聞いてくれた相手に礼を尽くさないというのは、それこそ私の至高神の教えに反します。それに、あなたが突然私の首を落とそうとしようとも、私にはそれを防いでくれる仲間がいるのですから、問題になるとは思いません」
「なるほど……それは、結構なことだ。まったくもって、結構この上ない」
 そう言ってルドルフは楽しげにくくっ、と喉を鳴らす。彼なりに自分の答えを評価してくれたのだろうことは、なんとなくわかった。

「……私は、ファンドリアのファラリス神殿の高司祭の息子として生まれた」
 壁に背を預け、静かな口調で語り始めたルドルフの言葉に、アーヴィンドはわずかに目を見開く。その動きに込められた思考を感じ取ったのだろう、ルドルフは楽しげに笑いながら言葉を重ねる。
「ファラリスの司祭が子を成すというのがおかしいかな? だがファラリス信者といえど、人を愛することはできる。我が神ファラリスはすべての欲望を肯定しておられるのだからな。私は愛し合う夫妻の息子として生まれ、ときおり感情に任せて殴りつけられはするものの、まぁ愛情と言っていいだろうものを注がれて育った。両親は私が十一の時に盛大に大喧嘩して、離婚したがな」
「…………」
「だから私は幼い頃からファラリス神殿――むろん、今ではファンドリアでもファラリス信仰は表向きには禁じられているので、地方の村落の隠し神殿ではあったが――に通い、アレクラストでも今では数少ない、日常の中に当然のようにファラリスの教えが存在する環境で生まれ育った。ファラリスの聖句が子守唄で、ファラリスの聖典が絵本代わり。一日に一時間はファラリスの説教を受ける。そういう世界が、私にとってはごく当たり前のことだったのだよ」
「…………」
「だから私は当然のようにファラリス信者になり、十二の時に神の声を聞いた。それからもファラリス神殿に伝わる修行を受け、どんどん信仰を強めていった。戦士の修行も受け、才能を示し、五十年に一度の逸材と誉めそやされた」
 それはそうだろう、とアーヴィンドも思う。彼の神聖魔法の実力も、戦士としての腕前も、豊かな才能の上に築き上げられてしかるべき代物だ。五十年に一度の逸材というのは、たぶん誇張でもなんでもない。
「だが、いつしか私の心の中にはある疑問が兆していた。周囲のファラリス信者たちの行動についてだ」
「……と、いうと?」
「つまり私は周囲のファラリス信者たちの行動が、心から信ずる神に仕える同志たちの行動が、本当に正しいのか――正確には本当にファラリスの御心に叶うことなのか? と考えてしまったのだよ」
「…………!」
 アーヴィンドは言葉を失った。半ば呆然としさえした。
 すべての欲望を肯定するファラリス信者。いかなる悪徳も彼らの前では当然の振る舞いとなる。その事実を、ルドルフ自身何度も論争の中で口にしてきた。
 そんな彼らの中でもおそらくは随一とすら言っていいだろう、長い時間の中鍛え上げられた、恐ろしいほどに高い信仰を持っている彼が、そんなことを口にするとは。
 そんなことが――ありえるのか?
「ファラリスはすべての欲望を肯定なされる。それはわかっていた。その教えに従えば他の信者たちの、騙し、犯し、殺し、苦しめる行為も肯定されねばならない。それもわかっていた」
 ルドルフは楽しげに笑みながら、言葉を続ける。その面白がるような姿に、けれどなぜか、アーヴィンドはまるで欺瞞を感じない。
「けれど私にはそういうことが嫌だった。我慢ならなかった。周囲の人間が騙し、犯し、殺し、苦しめることが生理的に耐えられず、それを見ているのが苦しくてしょうがなかったのだよ」
「それは……あなたが、善良だった、ということでは」
 なんと言っていいかわからずそう言ったアーヴィンドに、ルドルフは笑って首を振った。
「善良な<tァラリス信者など存在しないよ。君自身そんなようなことを言っていただろう? 私は単に世間知らずで、愛が豊かだっただけだ」
「……愛、ですか?」
 ファラリス信者には似つかわしくない言葉に、思わず眉をひそめる。だが、同時に、『この男には似合う』とも、アーヴィンドは心のどこかで感じてしまっていた。
「そう、愛だ。私はファラリスの教えを心から信じていて、ファラリスの教えが世界に広まれば世界の人々はみな幸せになれると考えていた。神殿でもそう教えていたからな。だからそうして人が騙され犯され殺され苦しめられるのを見て、考えてしまったのだよ。どうしてこの者たちは救われずに死んでいかねばならないのか」
「…………」
「ファラリスの教えに従わないものだから、という思考が一般的だろう。事実私の父は私が問いかけるとそう答えた。だがファラリス信者は同じファラリス信者に対しても、騙し、陥れ、地位から蹴落とそうとする。同じ神を信じる兄弟であるのにだ。私にはそのような行為がどうしても、ファラリスの御心にかなうものだとは思えなかった。ただ衝動のままに生きるのでは獣同然ではないかと思った。共に愛し合い、尊敬しあい、神の教えを民に説いて神の御力をときおり示しつつ信仰を高めあうように生きるべきではないのかと思ってしまったのだ。大真面目にな」
 今思うと赤面の至りだが、とルドルフはつるりと顔を撫でる。
「私は神殿を出た。自らの信仰のために。ファンドリアを出て、世界を巡った。オーファン、ラムリアース、西部諸国。ロマール、エレミア、オラン。聖なる王国アノスにすら赴き、ファリス神殿で修業を受けさえした」
 アーヴィンドは、受けた衝撃を必死に呑み下そうと、半ば呆然としながら考えた。既に知っていたことではあるが、その旅の熾烈さを思い、真正面から向き合うと、体が自然と震えてしまう。
「……さぞ、大変だったことでしょうね」
 そんなつまらない言葉に、ルドルフは笑ってうなずいた。
「もちろん、大変だったとも。最初の頃は馬鹿正直にファラリスの聖印を下げ、どこででも我はファラリス信者と公言して回っていたからな。石は投げられるわ、冒険者に追われるわ。ひとつの村が丸ごと私を狩ろうとしてきたこともある」
「……あなたの信仰は、それでも揺らがなかったのですか?」
「揺らいだとも」
 ルドルフはあっさりと、そう答えてみせる。
「私は世間知らずな子供だったからな。世間の厳しさ、ファラリス信者に向けられる視線の冷たさ、世界の理不尽さに幾度も幾度も、何夜も何夜もファラリスに問いかけたよ。我が神ファラリスよ、あなたはなぜ世界をこのような状態にしておくのですか、とな。当然祈ったからといって救いの手が差し伸べられることはなく、世界の理不尽さも変わらなかったが」
「……それでもあなたは、信仰を捨てなかったのですね」
「ああ。君にもわかっているだろう? 信仰を捨てるというのはたやすいことではない。自分の魂の核を捨てることだ。最愛の恋人を自らの手で殺すも同じ。私にはそんなことはできなかったし、意地になっているところもあった。これは我が神ファラリスが私に与えた試練だ。耐えて信仰を鍛えるのだ、とな」
「…………」
 アーヴィンドは沈黙した。そういう思考は、とてもよく理解できる。
「それに、ファラリスの愛を感じることもあったからな。飢えている時に、パンを恵んでくれた女性がいた。ファラリス神官だと告げた時に、私が邪悪には見えないからと庇ってくれた少年がいた。ファラリスを信じる同志に巡り会えたこともあった。世界の厳しさを感じることよりは、はるかに少なかったとはいえ」
「…………」
「何度も信仰を揺らがせながら、世界の理不尽さに苦しみながら。いつしか私は冒険者として生きながら、自らの信仰と対峙していた。時には自らの仕える神の名を明かし、時には偽って。ファラリスの教えについてずっと考えていたのだ」
「答えは……出ましたか?」
「とりあえず」
 飄々とした口調での答えに、アーヴィンドは思わず勢い込んで問う。
「どのような答えを、得られたと?」
「すべて正しい」
 笑顔でそう答えたルドルフに、アーヴィンドは一瞬呆気に取られた。
「………は?」
「私はファラリスの教えをこう解釈したのだよ。……ファラリスの教えはすべての欲望の肯定。それはすなわち、あるがままの自分を認めるということではないか、とな」
「あるがままの自分を……認める」
「そう。自らの醜さ、弱さ、汚らわしさ、それらをすべて認め、それでいいのだと、それも自分なのだと受け容れてやること。それがファラリスの教えの真髄なのではないか。――この考えに思い至った時、私は思わず涙を流し震えた。なんと愛に満ちた教えか、と」
「愛……」
 ファラリス信者にはもっとも似つかわしくないと思われているであろう言葉。けれど――やはり、この司祭にはとても似合っているようにアーヴィンドには思えた。
「そう、愛だ。自らを愛し、他者を、世界を愛する教えだ。ファラリスの信仰を真に体得したものには、法も社会も必要ない。融通無碍、その境地。自らを愛することはひいては他者を愛することに繋がり、それは世界を愛することに繋がる。己というものは他者との、世界との関わりの中に在るものであるからだ。自らの感情のままに振る舞い、呼吸するように世界を尊重し愛する。それが真のファラリス信者というものではないかと思った」
「…………」
「もちろんこのような考え方が異端だということは知っている。ファラリスの教えは欲望を肯定する。騙し、犯し、殺し、苦しめたいと思えばそのようにせよと教える――けれど、私はそれもまた間違っていないのだと思えるようになった」
「………それは」
 アーヴィンドには、やはりそんなことはとうてい認められるものではない。だがルドルフは微笑みながら続ける。
「ファラリスは汝の欲することを成せ≠ニ教える。すべてを肯定するのだ。人の醜さも弱さも汚らわしさも。弱かろうが醜かろうがそれでいいのだと教えてくれる。あるがままの自分を肯定することを教えてくれる。だから、ある者が衝動のままに振舞いたいと思うなら、それも正しいのだ。それが心の底からの、真摯な思いであれば」
「……けれど、そうして虐げられる者たちの権利はどうなるのですか? その者たちの心は? その者たちが尊重されずに苦しむことを、あなたの神は肯定すると言うのですか?」
「我が神ファラリスはすべてを肯定なされるのだよ。すべてを愛する。尊重されずに苦しみ、力がほしいと願う者も、思いのままに振る舞い他者を傷つけずにはいられない愚かで哀れな魂も、すべてを愛される。すべての心を愛されるがゆえにそれらすべてに祝福を与えるのだ」
「……ですが」
「勘違いをしてはいけないぞ、アーヴィンドくん。人を騙し、犯し、殺し、苦しめるのはファラリスではない。神はこの世界を去られた。教えでもない。悪行を行うのは人だ。そしてその弱く醜い人を、ファラリスは心より愛される。それだけのことだ」
「…………」
「まぁ、私はそういう場面に出会ったらたいてい仲裁するがね。世界のすべてを愛するファラリスを信ずるからこそ、無益な争いで神の愛物が傷つけあう様は見たくない」
 そう言ってウインクするルドルフは、こんな言い方をするのも妙かもしれないが、完全に真っ当に見えた。
「……たいてい、というのは?」
「気が向かなかったら助けないからさ。私はファラリスの教えに従いなによりもまず自分と神を愛する。自分の心を損なうようなことがあっては、本末転倒だからね」
「……自己中心的な考え方ですね」
「そうとも。けれど、自らを中心におかずしてどうやって人生を生きろというのかね?」
「…………」
 アーヴィンドは考えた。自らの信仰と、知恵と知識とを最大限に回転させてルドルフの言葉を考える。
 ファリス神殿で学んだ教えは言語道断だと叫んでいる。だが――アーヴィンドの理性と信仰は、ルドルフの言葉に一理を認めた。
「……あなたのおっしゃることは、理解できないでもありません。正しいとも、思えませんが」
「そうだろうとも。君のそのような心も、ファラリスの教えに照らしてみれば正しいのだよ」
 アーヴィンドは再び唖然とした。
「本気ですか?」
「もちろん。あくまで教えを押し進めれば、の話だがね。ファラリスはすべてを肯定なされる。だからファラリスの教えに対し反発する心、批判する心も肯定されるべきだろう? 相手を愛し、相手の意思と多様性を尊重し自分の選択を尊重するのと同様に相手の選択を尊重するのがファラリスの教えだ。そうなるだろう?」
「それは……そうですが……」
 アーヴィンドは混乱した。それではまるでファリスの教えではないか。
「だから、私は別に世界すべてがファラリス信者になれとはもう思っていない」
「……えぇ!?」
 アーヴィンドは仰天した。まともな司祭とは思えない言葉だ。司祭とは自らの神を心より信じその教えが広まることを願う存在であるのに――
「ファラリスの教えはすべての肯定。あるがままをファラリスは愛される。だから無理に世界をファラリスの教えに染める必要はないし、世界すべてが我はファラリス信者というのは少々生きにくい。ファラリスの教えは真に体得されなければ社会に反するものだからね。それに実際、いろんな人間がいた方が世界は面白くなるだろう?」
「……ファラリスは神話の時代、自らの陣営に与しない中立神にも刺客を差し向けたと聞いていますが」
「ああ、それはな」
 ルドルフは苦笑する風だった。
「そこらへんが我が神ファラリスの困ったところだ。頭ではわかっているのに、現実と向き合うとなによりもその場の衝動を最優先させてしまう。自らと自らに与するものを深く愛するからこそ、敵対するものに対する憎しみも熱く深い。理想家で夢想家の、まったく困ったかわいこちゃんなのだよ」
「な……」
 アーヴィンドは呆然とする余り、ぽかっと口を開けた。
「ルドルフ殿、それは、いくらなんでも……曲がりなりにも司祭が、自らの信じる神に対して……」
「そうおかしなことでもないだろう。信仰とは神を愛することなのだから」
「だからといって……そのような言い草は司祭の口にすることとは思えません。あまりに、なんというか、思い上がった言葉なのでは……」
「そうか? なぜ?」
「なぜ、って、まるで自らの信じる神を欠点だらけの恋人のように――」
「事実、そのようなものではあるからな」
「な……」
「アーヴィンド、君は自らの信じる神が真に完全な存在だと思っているのか?」
 真摯な口調での問いかけ。本来ならすぐにうなずくべきところだっただろう、だがアーヴィンドは固まった。彼の知性と理性とこれまで向き合い積み上げてきた信仰が、それをさせなかったのだ。
「そう、始原の巨人が死したことで生まれた、フォーセリアの神は完全ではない。世界を創っている最中に相争って滅ぼしあってしまうような方々だ。君にも覚えがあるだろう、神の教えを現実に適用しようとするたびに感じる教えの瑕を。ファリスならなおのことだ、ファリスの教えではゴブリンやダークエルフのような妖魔には存在すら許されない。永遠に救われることのないような存在を認める、そんな教えが十全なのか君ならば考えたことがあるはず」
「………それは」
「神すら完全ではない。だから教えも完全なものではない。我らが完全な存在でないのと同じように。君の神ファリスの教えは杓子定規で息が詰まる、我が神ファラリスの教えは自由すぎてすぐ暴走者を生み出す」
「……あなたは、そう考えていながらなぜ、教えが必ずしも正しいものでないことを知りながらなぜ、そこまで高い信仰を保ち続けられるのですか?」
 それは、アーヴィンドなりに、これまでの人生で何度も悩みぶつかってきた壁だった。フォーセリアにおいては、神も、当然ながらその教えも、決して完全なものではない。それを正しいもの≠ニして、教え伝え体得して、本当にいいのか。それが正しい姿なのか。
 この男はなぜ悩まないのだろう。迷わないのだろう? 心から絶えず湧き上がる信仰と、教えに対して感じてしまう疑問との相克を、どうやって解決しているのだろう?
 真剣な顔でそう問うたアーヴィンドに、ルドルフは笑った。
「欠点も含めて丸ごと愛するのが、真の愛というものだろう?」
「………………」
 アーヴィンドは一瞬絶句して、それから額を押さえた。真の愛。司祭ならば普通に使う台詞だが。
「……神に欠点を認めて、それでも信じる、と?」
「その通り。人の生きる信条、教え、そのようなものに十全なものはない。我らが完全な存在ではないからだ。だが、だからこそ自らの信じるものを選択する意義というものが生まれる。絶対的に正しいことが存在しない理不尽な世界の中で、混沌とし完全も十全もありえない欠けた世界の中で、なにを信じ、愛するのか。その選択の重み。尊さ。大きさ」
「…………」
「神の教えというものは、ひっきょうその選択に道しるべを示すためにある」
「……………………」
 アーヴィンドは頭を押さえて、考えた。当たり前の司祭ならば、ありえない言葉。考えられない思考。けれど、彼が費やした思索と、その苦しみぬいた末に得たであろうその結論は――間違いなく、自分と同じものだ。
 自分の言葉を聞いて作った話などではない。そんな薄っぺらさなど微塵も感じない。これは間違いなく、彼が長い年月をかけ考え抜いた末に得た唯一無二の真実だ。これまで至高神の神殿で、誰と論争しようとも、問答しようとも、共感を得られるどころか、受け容れられることさえなかった自分なりの真実――それを、暗黒神の司祭が語っている。
 その事実に、アーヴィンドは――
「わ! アーヴ、どーしたの!?」
「っ……ごめん。ちょっと……」
 アーヴィンドは顔を押さえ、身を震わせた。瞳からこぼれる涙を、隠しようもなく溢れる感情を、できるだけつつましく抑え込む。
 それでも自分の中に感情が湧きたつのは抑えようがない。これは、言うなれば――『自分は一人ではない』というのが一番近い気持ちだった。
 冒険を共にする仲間ともまた違う、信仰という自分が世界に向き合い、戦い続ける力で指針となるものと、自分がどう共に在るかという人生観よりも深いだろうものを共有する人間がいた。それが暗黒神の司祭であろうとも――いや、暗黒神の司祭であるからこそ、胸に沸く歓喜は、たまらなく熱い。
「……ルドルフ殿」
「うむ、なにかね?」
「私は、やはり、ファラリス信仰を正しい存在と断ずることはできません。社会においてはむしろ害となるだろう、という認識も変わっていません。これからも暗黒神の信者たちは、社会に不幸を拡大するでしょうし、私はそれに行き会えばためらわず断罪の刃を振るうでしょう。それが必ずしも正義ではないことを知りながら」
「うむ。……それで?」
 これから自分が言うことなどすべてお見通しであるかのような、こちらを愛でるべき玩具であるかのように楽しげな眼差しで笑むルドルフに、思わず小さく笑みを漏らしながら、正面から告げる。自分はこれを心の底から告げられることが、たぶんとてつもなく嬉しいのだ。
「それでも、これがファリスの御心にかなうことなのかどうかはわかりませんが、私はあなたを心から尊敬します。その人生を、艱難と戦い積み上げてきた辛苦を、あなたが心の中に形作り続けてきた徳を、どんな宝より価値あるものとだと信じ、受け容れます。……今の私にとってファラリス信仰は、あなたという人は、そういう存在なのです」
 ヴィオはよくわからない、というように首を傾げる。フェイクは(おそらくなこの考え方の危険さを正しく察し)ため息をつく。ルクはまるで無反応を崩さず、こちらに視線を向けたまま小揺るぎもしない。
 けれど、ルドルフは、自分がこの言葉を届けたいと思った人は、莞爾と笑い、うなずいた。
「そうか。――ありがとう」
 それだけの言葉が、自分にとってどれだけの重みがあるか、たぶんこの人は理解してくれているのだろう。

「………よし。開いたぞ」
 言ってフェイクは深々と息をつき、額の汗を拭う。ルクも表情は変えないながらも、ゆるゆると息を吐き出してわずかに脱力した。
「お疲れさま、二人とも。とりあえず少し休んで……」
「いや、とっとと中に入ろう。この遺跡の傾向からして、ことによると遺跡の主がこの奥でまだ生きてるってことも考えられる」
「………! まさか、それは生命亡き者の王≠ェいると?」
「いや、それに変ずる呪文は古代王国の死霊魔術でも最高峰だ。この遺跡に出てきた魔物の格からして、そこまでの魔術を使えるとは思えん。俺はマミーじゃないかと思ってる。主君級の方のな」
「マミー……」
 古代語の儀式に則り、肉体をミイラ化させて保存して変じた死せる者≠セ。主君級は古代の王家や貴族などが墳墓で不死の生命として永遠の眠りについているもので、通常のマミーを従える力を持つ。
 必ずしもすべてが古代王国期の産物であるとは定義づけられていないのだが(少なくともアーヴィンドの知識ではそうだ)、そもそもの技術が古代王国期に生まれたことは間違いないだろうし、古代王国の魔術師が主君級のマミーになっていたとしてもおかしくはない。だが古代王国の魔術師、それも曲がりなりにも墜ちた都市に研究施設を構えられる人間が、死後ただの主君級マミーになってそれで終わり、となることをよしとするとは思えない。
 そういったことを口にすると、フェイクは得たりとばかりにうなずいた。
「ああ。俺も普通の主君級マミーではないと思う。ただ、魔術師としての格からして、生命亡き者の王°奄フ代物になることができないのもほぼ間違いない。だから俺としては、たぶん主君級のマミーを強化したような代物だと思う。魔術師としての技量は、俺と同じか少し上というところだと思うからな」
「そんなところまでわかるの? なんというか、さすがだね……」
「まぁ、百年近く冒険者をやってりゃ、遺跡の質で主の魔術師のだいたいの技量は読めるようになってくる。魔術の知識がそれなりにあればの話だけどな。ともあれ、最後の部屋を解放した以上、遺跡の生きてる主をあんまり長々と放置したくはないわけだ」
「そうだね……」
「となると、こちらの取るべき手段としては、ある程度支援魔法をかけて突貫するのが常道だろうな。呪文二つ程度ならかけても問題はないはずだ。火炎武器=A魔法抵抗=Aあと司祭の呪文として祝福≠ニ……私が前衛に対炎防護≠かけてもいいが」
 口を挟んできたルドルフに、アーヴィンドは少し考える。
「……あと、前衛に盾≠フ呪文もかけておきませんか? マミーの呪い……損傷を回復することができなくなる呪いは触れることで発動しますから。フェイクに負担はかかるけど、魔晶石は俺たちが負担してもいいし……」
「いらん。その程度の魔晶石くらい自腹で買える。……それより作戦は、基本的には正面から叩きのめすってことでいいんだな?」
「うん、フェイクとルクが主の棺を開けて、マミーが出てきたらフェイクとルクとヴィオが炎を付与された武器で、主君級を優先して叩き潰しながら、俺たちが後方から傷を癒しつつ聖なる光≠ひたすら唱えて死せる者≠スちを焼いていく形がいいと思う。普通に考えてそれなりに従者となるマミーも数がいるはずだからね。ヴィオは場合によっては炎の矢≠唱えられるように、最初は松明を持って戦いになったらすぐ床に放り出して。明かりは後ろで俺がランタンを持っているから。場合によってはフェイクが対炎防護≠当てにして前衛を巻き込んで火球≠唱える手もあると思う。……棺に罠があったら、また呪文をかけ直す必要があるけれど……」
「……盾≠ヘ戦いに入ってからでいいだろ。雑魚が押し寄せてくるかもしれない以上、後ろのお前らも白兵戦に巻き込まれる可能性があるからな、状況を見て前衛だけか全員にかけるか決める。場合によっては能力増強≠先にかけるかもしれん。ヴィオ、今支配してるのは風の精霊でいいんだな?」
「え? うん」
「なら俺らの予想通りに、棺の中に古代王国の魔術師が変化した奴が眠ってたなら……そうだな、もし俺が一瞬大きく剣を掲げて合図したら、全力で沈黙≠フ呪文をかけてそいつを黙らせろ。合図がなければ、白兵戦で方をつける方向で行け。相手がどれだけ魔法に対する抵抗力があるか次第で行動を変える」
「うん、わかった!」
「……そこまで見抜けるものなの?」
「お前もどんな生物がどういう性質があって、どれくらいの力や耐久力があるかって知識はいくつも持ってるし、何種類も魔物を見てきただろ。動き、身体の特徴、気配、他にも数えきれない敵の要素の、共通してる部分違う部分、そういうのを頭に入れておけばそれなりに見当はつく。まぁもちろんそれなりに経験はいるがな」
「なるほど……」
「ルク、お前は……」
「……ルク。フェイクが合図した敵を、全力で倒してくれるかい? 敵の攻撃に当たったら呪いをかけられる可能性が高いから、あまり突っ込みすぎないことだけ注意して」
「…………」
 ルクはこちらを見つめたまま、やはり小揺るぎもしない。だがたぶんだが、自分の言った言葉は伝わっただろうとアーヴィンドは思った。わずかな時間とはいえこれまで共同生活をしてきて、ルクが『誰かを倒せ』『誰かと戦え』という言葉には気迫を込めて応えることは知れている。
 それぞれが顔を見合わせてうなずきを交わすと、まずフェイクが呪文を唱え始めた。火炎武器=Aそれから魔法抵抗≠ニ続けた機に合わせ、アーヴィンドは祝福≠、ルドルフは前衛に対炎防護≠フ呪文をかける。
 それに合わせヴィオが開けた扉の向こうへと、自分たちは全員で進み入った。フェイクの予想していた通り、ここは玄室として扱われている部屋のようで、最奥に棺が据えられ、その周囲は贅を尽くした宝飾品、家具、魔術具などで飾り付けられて眩しいほどだ。
 それに目もくれず、最奥の棺へと、フェイクとルクは足早に歩を進め、軽く周囲を点検した後でそっと棺を開ける。自分たちは少し間を開けてそれを見守った。
 ――とたん、フェイクとルクは飛びのいた。
 棺の中から包帯に包まれた黒い腕がぬっ、と突き出てくる。ず、ぬぬ、とまるで不定形生物が蠢くように、人の身体をしているのにどこか人外じみた動きで棺の上にその人影――体中に包帯を巻きつけた死体は立ち上がった。
 その死体は明らかに副葬品としては多すぎる数の宝飾品を身に着け、動きが素早いわけでは決してないのに、滑るような動きで腕を動かし、上位古代語の呪文を唱え始める。フェイクは大きく舌打ちし、一瞬大きく抜いた剣を掲げた。――主君級のマミーだ。
 その、達人が一刹那の間に行うわずかな動作よりもさらに速く、ルクはマミーに斬りかかった。目にもとまらぬ速さで両の短剣を抜くと、短剣からぼう、と炎が噴き出る。右と左双方から刃が奔り、まさに閃光と言うべき速さで主君級マミーを斬り裂いた。
 ぼぼうっ! という音を立て、マミーの乾燥した身体が燃え上がる。小さな短剣にどれだけの勢いが乗っていたのか、ルクの斬った相手の喉部分がきれいに吹き飛び、ごろり、と床に頭が落ちる。
 まさか一撃で終わったのか、とアーヴィンドは一瞬唖然としたが、フェイクが掲げた剣を振り回しながら脇目もふらず呪文を唱え続けているのを見て、まさか、と思いながら中断しかけた呪文を再開する。そして残念ながら、その予想は当たった。
 落ちたマミーの首がふわり、と浮き上がり、離れたマミーの身体の上に着地した。ルクが一瞬戸惑ったように硬直する。これまでずっと人を相手にしてきたルクとしてはこんな相手は想定外でしかなかったのだろうが、その一瞬の隙をついてマミーの手がルクの身体へと伸ばされた。
「……出でよ雷、糸となり網となりて我が敵を捕らえよ!=v
 だがそれより一瞬早くフェイクの呪文が完成し、じゃっ、と音を立てて生まれ出た雷の網がマミーの身体を縛る。アーヴィンドも聖なる光≠フ呪文を炸裂させ、ヴィオも沈黙≠フ呪文を唱えた。
 だが、そのどちらも完全な効果を発揮することはできなかった。マミーは雷の網に縛されながらも流れるように呪文を唱え、魔術を発動させる。
「万能なるマナにてすべては支配されるものなり。生者の血肉もその理に抗われず。世界よ変じよ、硬直せよ生者、肉は石に血は砂に、我が命じるまま滅びを迎えるべし!=v
 呪文の発動と同時に体の中を不快な衝撃が走り抜け、アーヴィンドは一瞬硬直する。だが呪文が発動されるとみて反射的に体内の魔力を活性化させようとしたのが功を奏したのか、アーヴィンドの硬直は一瞬で済んだ。
 だが、硬直から回復してさらに呪文を唱えようとしたアーヴィンドの耳に、ごとり、と重い物が置かれるような音が聞こえる。そちらに目を走らせて、アーヴィンドは絶句した。――さっきまで呪文を唱えていたヴィオが、石になってその場に立っていたのだ。
「ヴィ………!」
 マミーの行動はそれだけでは終わらなかった。指にはめた指輪のひとつをぎらりと輝かせると、がたん! と音を立てて部屋の左右の壁が開き、そこから通常のマミーが大量に表れたのだ。その数、目算で少なくとも二十以上。侵入者に従者となるマミーに対応させぬよう仕掛けていた罠なのだ、と頭のどこかが理解する。
 アーヴィンドは呆然とヴィオを見つめる。ヴィオは完全に石となっていた。古代語魔法の中でも最高位に次ぐ階梯の呪文、石化≠セ。雷の網に縛されながら、魔法抵抗≠フ呪文も意に介さず、マミーはヴィオを石化してみせたのだ。
 そんな。そんな、ことが。わかっているありえることだ当然覚悟しておかなくてはならないことだった。でも、自分は。自分は――
「腑抜けるな!」
 脳の真芯を、思いきり叩かれた気がした。物理的な圧力すら感じるほど、人の心を圧する声が部屋の中に響く。
 ルドルフだった。ルドルフは一言そう叫んだだけで、こちらに目もくれず呪文を唱え始める。アーヴィンドはぽかんとするものの、目前にマミーが迫っていたことに気づいてはっと盾を構えた。
 そうだ、腑抜けている場合ではない。ヴィオは確かに石になったが、それはもうどうにもならない状態というわけではない。高位の司祭ならば全快≠ナ元の肉体に戻すことができる。遺跡の中から石となった者を街まで連れて行くのは骨だろうが、フェイクの転移≠フ呪文があればその問題は解決するのだ。なんとしても、なんとしてもこの戦いを切り抜け、ヴィオを高位の司祭がいる街まで連れて行かなければ――!
 押し寄せるマミーの攻撃を小盾を構えて必死にかわす。そのすべてをかわしきることはできなかったが、それでもなんとか勢いを殺し、鎧の分厚い部分に当てて攻撃を防ぎきることはできた。マミーの腕が当たるたびに体にはおそらくはマミーの呪いだろう不快な衝撃が走ったが、今のアーヴィンドにはその程度素人に殴られた程度の圧力しか感じない。気迫で振り払いながら、また呪文を唱えた。
「我が神ファリスよ、その御力を、聖なる光をここに……!=v
 マミーと格闘戦をしながらの短い呪文だったが、その祈りはマミーたちにははっきり効果を現した。それより数瞬早く唱えられたルドルフの聖なる光≠ニ共に、押し寄せたマミーの身体をことごとく、清らなる光で灼き滅ぼす。
 そしてその時にはルクとフェイクも主君級マミーに追い打ちをかけていた。ルクの両手の短剣が大きく敵の体を斬り裂いて奥まで炎を流し込み、電撃の網≠ノよってすでに動きに制限をかけられているところに、フェイクが刃の網≠フ呪文をかけてさらに動きを封じる。
 マミーは黒くしなびた口を大きく開き、苦痛を訴えているのかおぞましい絶叫を上げながら、それでも古代王国の魔術師にふさわしい恐るべき呪文を唱え始めた。
「万能なるマナよ、我に支配されしものよ、その在るべき姿を思い出せ……! そは死、命奪うもの、生きとし生けるものの鼓動を止める死誘う雲――=v
 まさか、死の雲≠フ呪文か、とアーヴィンドは一瞬血の気を引かせる。最高位の魔術師のみが使える致死性の毒雲を発生させる呪文。おそらくは全員が効果範囲内に入っているだろう。本来なら乱戦で使える呪文ではないが、使い手が死せる者≠ネら問題はない。どうする、どう対抗手段を打てば――
 と大急ぎで回転しようとする頭に、不思議にしめやかに、祈りの言葉が響いた。
「我が神ファラリスよ――その御力を示したまえ。烏羽玉の闇司りし暗黒神の、輝かしき光をここに来たらしめたまえ。光も闇も、死も生も、すべて同じであることを我が前に指し示したまえ。すべて同じである中の、我が欲望にて、我が祈りにて、愛しき者を助け、仇する者を滅ぼす、この上なく身勝手で残酷たる、優しき選別を行うことを許したまえ――=v
 唱え終わったのは、ルドルフがわずかに数瞬早かった。掲げた剣から眩しい、そしてアーヴィンドの目にも清らかと感じられる青白い光が、周囲の穢れを灼き払い、消し飛ばしていく。
 ルクの刃と魔法によって積み重ねられた打撃は、主君級マミーの虚ろなる命を消し飛ばすに十分なほどだったのだろう。ヴィオを石化させたマミーは、体中を焼かれ、断末魔の絶叫を上げながら倒れ伏し、灰へと――本来あるべき姿へと戻っていった。
 アーヴィンドはふぅ、と安堵の域をつき、それからきっと顔を上げて、フェイクに石化≠フ呪文を解除してくれるよう頼もうとし――
「さて、アーヴィンドくん。ようやく冒険が終わろうという今、私がなにをしようとしているか、わかるかね?」
 ――背後からかけられたルドルフの声に硬直した。
 アーヴィンドは警戒しながら、ゆっくりとルドルフの方を振り向く。ルドルフは、いかにも楽しげな満面の笑顔で石化したヴィオの隣に立ち、ぽんぽんと肩を叩いてみせた。
「……なにを、なさる、おつもりですか」
「いやなに、君が私に対する警戒をうっかり解いてしまったようなのでね。ここは暗黒神の司祭として、世の民人にファラリスに対する畏怖を周知させるため、ひとつ酷烈たる悪事でも働いてみせるべきかと思ったのだよ」
「……………」
「てめぇ……なにをしようってんだ。気安くそいつに触ってんじゃねぇぞ」
「うむ、そうだな、この石像はヴィオくんなのだから、うかつに触って壊しでもしたならば大変なことになる。――もしそれが、私の目的だと言ったら、君たちはどうするかね?」
「え―――」
「ヴィオくんは現在石像だ。つまり石だ。この程度の大きさの石ならば、気弾≠ぶつければ簡単に壊せるだろう。全壊は無理でも、首に罅を入れて頭を落とすくらいはできると思わないかね?」
「――――!!」
「それとも救出≠フ呪文で彼……まだ彼女にはなっていないようなので彼と呼ぶべきだろうな? と一緒にファラリス神殿まで転移するというのも手かもしれないな? そうなったら君たちにはどうやっても追いようがない。そして復活の目算も立てようがない。石化は死ではない。彼が生きているか死んでいるか、確かめることができないのに蘇生≠フ呪文はかけられない。そうだろう?」
「………………」
「まさか『そんなことをしていいと思っているのか』とか『あなたにそんなことができるはずがない』などとは言うまいね、アーヴィンドくん? あれだけ正しく私を理解してくれた君ならば」
 アーヴィンドは小さく、何度も呼吸を繰り返す。鎧の下の、熱と凍るほどの冷たさがないまぜになった肌に、冷や汗が流れ落ちるのを感じた。言うはずがない。彼を深く、正しく知ったからこそわかる。彼は優れた人品の持ち主であると同時に、信仰者として常に正しくあるべく真摯に自身の心と、信仰と向き合っている人だ。
 つまり、彼はきわめて正しいファラリス信者であり――自らの欲望に、その場の衝動に、できる限り忠実であろうとしている人物だ。それはつまり、彼は『そうすることが自身の心にとって快い』と思ったならば、人殺しだろうとなんだろうと、どれほど残忍非道なことだろうと、鼻歌交じりにやってのける人間である、ということでもある。
「……あなたは、それを、したいと思っているのですか? ヴィオを僕たちから奪うことが、あなたにとって心地よいことだ、と?」
「ふむ、そうだな。少なくとも、君の心を篭絡するのに、彼がいると難易度が上がる、とは思っている。彼の心はまさに天衣無縫、形に囚われぬがゆえに、天然自然のうちに生を単純化し、今自分がすべきことは何かを心得ている。どれだけ口車を弄してもなんの意味もない、そんな相手を誘惑するのは私としても骨だからな」
「僕を……篭絡したい、とおっしゃるのですか。あなたは」
「君は篭絡する対象としてはこの上なく魅力的だからな。オラン建国から代々続く譜代の家柄、封ぜられた領地の立地を活かすことで得た実家の豊かな財貨、冒険者として困難に立ち向かうことで鍛え上げられた肉体と精神。なにより、君は極めて真摯なファリス信者だ。神殿の教えをひたすらに絶対視するのではなく、自身の心より湧き上がる信仰と真正面から対峙し、自身の進む道を定めるよりどころとしようとしている。――そんな誠実で妙妙たる選良を、堕落させてやりたいと思うのは暗黒神の司祭として当然のことではないかね?」
「っ………」
 にやぁ、と楽しげに下衆な笑みを浮かべてみせるルドルフに、思わず唇を噛み締める。おそらくは、これもまた彼の嘘偽りのない本音なのだろう。美しく正しいものにも、醜く賤しいものにも、すべてに等しく価値を認めると言った彼は、この下衆な喜びもまた自身の心のひとつ、と正面から向き合い受け容れているのだろうから。
 ならば自分は、それにどう向き合えばいい。至高神を自身の神とした自分は、正しくないものは存在を認めないという厳格で、時に身勝手さすら感じてしまうほど頑なな教えを自身のよりどころとした自分は、その心とどう戦えば――
 ――ふと、ぽん、と背中を叩かれた気がした。
 え、と目を瞠る自分の中に、柔らかく楽しげな声が響く。自分が冒険に出てからずっと、この数ヶ月ずっと、寝ても覚めても嬉しい時もつらい時も、ずっとそばにいてくれた声だ。
『だいじょぶかー、アーヴー?』
『心配すんなって、きっと大丈夫だよ』
『俺たちが一緒に頑張れば、きっとなんとかなるって!』
 一瞬目を閉じて、想いに耽る。そっくりそのままの言葉を彼(ないし、彼女)が言ったというわけではない。けれど、いかにも言いそうな台詞だと思った。
 そんな言葉が自然と想起されるほど、自分の心には彼(ないし、彼女)の存在が深く刻み込まれている。自分の中に、それほどはっきり感じられるまでに、強く、明瞭に、自分の大切な仲間は存在している――
 そんな考えに至ると、自然と肩の力が抜けた。恐怖に硬直していた心が緩み、きっと大丈夫だと当たり前のように安堵することができた。その想いのままに小さく息を吸って、言葉を紡ぐ。
「ルドルフ殿。あなたは、そんなことはしません」
「……ほう? 私にはそんな悪いことはできない、と盲信してくれるのかね?」
「いいえ。あなたは自身の心がそれを命じたならば、心から楽しげにそういった悪事を、むしろそれよりはるかに残虐非道な真似でさえもしてのけるでしょう。あなたは、僕の狭い知見の範囲内でという但し書きはつきますが、誰より正しくファラリス信者であり、そう在り続けようという努力も怠っていない方ですから」
「それは光栄の至りだな」
「ですが、だからこそ、今この状況でヴィオを殺したり、僕たちの前から連れ去ったりということはあなたはしません。そういったことから得られる喜びよりも、ヴィオを僕たちと共に在らせることによる喜びの方を、あなたは好むでしょうから」
「ほう……君はそこまで私の心を見切った、とそう主張するわけかね?」
「見切ったわけではありません。ただ、これまで見てきたあなたの好みからしてそう考えられるというだけのことです。そして、たぶんあなたはその類の感情を伝える振る舞いに嘘をついてはいない。嘘をつけば、誤魔化せば、自身に対する理解に齟齬が生じることになります。たかだか僕程度を騙すために、そんな念の入った、そして無益な偽装をするとは思えない。あなたは僕に、『自身を正しく理解できるか』という試練を与えたようなものなのだから、その試練の意味をなくすようなやり方はしないはずです」
「……なるほど。道理ではある。だが暗黒神の信者が常に正しい道理の元に振る舞っていると思うのかね?」
「それはわかりませんが、少なくともあなたは、正しい道理の元に振る舞う方が心地よいと考える方だと思いました。だから、というわけではないでしょうが――あなたが、ヴィオを僕たちから取り上げる、なんてもったいないことをするとは思えない。そんな振る舞いはあなたの趣味に合わない。あなたはヴィオと僕たちが共に在ることから生まれる若く幼い感情の行き交いを面白く眺めることはするでしょうが、今の僕程度の、言ってみれば少しばかり頭の働くだけのお坊ちゃんでしかない人間を、入念な準備をして堕落させたがるとは思えないんです」
「…………」
「あなたが僕を堕落させたいと思うなら、もっとやりがいのある、それなりに年を経て思考がある程度がっちり固まってきてからにするはずだ。今の僕ではあまりにあなたの相手として物足りない、そうあなたは考えると思う。だから、あなたは今、ヴィオを殺したり僕たちの前から連れ去るようなことはしないんです」
 真正面からルドルフを見つめてそう言い切る。実際に、絶対なにがあろうともルドルフはそんなことはしない、と確信できていたわけではない。だが、これは『どれだけ正しくルドルフの行動を推察できるか』ではなく、『どれだけルドルフのこちらに害を与えようという気をそらすか』という勝負だ。これまで見てきたルドルフの姿から判断したルドルフの感情を、ルドルフ自身が受け容れやすいような、逆の方針を取る気をなくさせるような、そういう形にして伝えればいい。
 ――それに、『ルドルフはたぶん(少なくとも今は)自分たちに害を与えるような真似はしない』というのは、アーヴィンド自身の正直な感覚でもあったのだ。
 マミーにヴィオが石化され、恐慌状態に陥りかけた自分に、素早く活を入れて正気を取り戻させてくれたのは、たぶん自分たちをここで死なせたくないという彼の感情の発露であったと思うから。
 そんな風にアーヴィンドが結論付けてみせると、ルドルフはじっとアーヴィンドを見つめ、くっくっく、はっはっは、と楽しげに笑ってみせた。顎を掻きながら、口元に笑みを載せ、にやにやと自分を見下ろして言う。
「なるほどなるほど、よくわかった。それが君の私に対する現在の結論というわけか、なるほどな。くくっ、まぁ私をずいぶんと買いかぶっているとは思うが、見当違いではない。まぁ、とりあえず合格としておくか」
「それでは……」
 身を乗り出しかける自分を制し、ルドルフは口元のにやつきを瞬時に抑えた。すっとしめやかな挙措で石化したヴィオに向き直り、静謐さすら感じる声で祈りの言葉を唱え始める。
「我が神ファラリスよ――この者に加護を。自らの想いに常に忠実たるこの若人を、あるべき姿に。感情を恣に現すその心に値する、思うがままに躍動せし肉体を、燃え立つ血肉を、迸る命をここに取り戻させたまえ――=v
 その姿はやはり、アーヴィンドには美しく感じられた。信仰を磨きぬいた末に人がたどり着く一つの形であると感じられるほどに。彼が衝動のままに人を殺すこともしかねない、邪悪と言っても間違いではない人間であると認めた上で、彼が心底信仰と真摯に向き合ってきた人間だと示しているような気がするのだ。
 だから、彼の祈りから生じる奇跡は、これほどまでに強く、胸に迫るほどにしめやかなのだと――
「……んっ? え、あれっ? え、なに、俺、なんか変なことされてた?」
「ヴィオっ!」
 アーヴィンドはたまらずにヴィオに飛びつくように思いきり抱きついた。ヴィオが「わわわ」と慌てて体を支えるのをよそに、子供のようにくりくりと頭を擦りつけて感情を表す。
 よかった。よかった。本当によかった。ヴィオが元に戻って、石から命ある姿に戻って、本当に本当によかった。
 そんな子供のような感情がたまらないほどに溢れ出して、そんな子供じみた真似をせずにはいられないほど胸が切ない。喜びで胸が切なくなることがあるなどとは思わなかったが、そのくらいたまらなくヴィオへの感情で胸がいっぱいになっていたのだ。
 ヴィオはそんな自分を、驚き戸惑いながらも抱きとめてぽんぽんと背中を叩いてなだめ、きょろきょろと周りを見回して、だいたいの事情を察したようだった。一度ぎゅっとアーヴィンドを抱き返してからぽんぽんと背中を叩いて身を離し、ルドルフに向けて首を傾げる。
「えっと、俺がなんかひどいことされて、それをおじさんが治してくれた、ってことでいーんだよな?」
「ふふ、まぁそうだな。細かいところを抜きにすればそういうことになるか」
「そっかー。ありがとう、おじさん。おかげで俺助かりました」
 そう言って深々と頭を下げるヴィオに、ルドルフはくすくす笑う。
「感謝しているというのなら、名前を呼んで仲間扱いしてくれても私はかまわんのだよ?」
「え、俺がかまうよー。なんか、アーヴの反応からして、ほんとに生きるか死ぬかってところを助けられたのかもって思うんだけど、それでもやっぱりおじさん、いつ俺たちのこと殺そうとしてもおかしくない人じゃん。そーいう人を仲間扱いするのやっぱりやだし」
「それはそれは、世知辛い話だな。心を込めて君のために祈ったというのに」
「うん、でも、ほんとにほんとに俺、すっごい感謝してるんだよ? ほんとにありがと、おじさん。おかげでアーヴ本気で泣かせないですんだみたいだし」
「ヴィっ……! ぼ、僕は、別に、そういう……! 確かに、そういう気持ちではあったと思うけど……!」
「なにうろたえてんだお前は。つーかな、ヴィオ。別にこいつに頼らなくても、やろうと思えばたぶん俺でもなんとかできたぞ? お前が石化したのは呪文のせいだし、俺の電撃の網≠フせいで効果は少し弱くなってたしな」
「あ……ああ、やっぱり初手に電撃の網≠唱えたのは呪文対策だったんだね。二つ目の呪文に刃の網≠唱えたところからして、そうなんじゃないかと思ったけど」
「まぁな。あのマミーの魔術の腕は、やっぱり実際に見てみてもせいぜいが俺の一枚上手程度だろうと思ったんだが、死霊魔術って形式内ではともかく、死≠ノ関する呪文については妙な力を発揮しそうだ、となんとなくわかったからな。実際に死の雲≠ネんて呪文唱えようとしやがったし。だからできる限り行動を制限しようとしたのさ。ま、そうでなくとも人間程度の大きさの相手で本気を振り絞らなけりゃ勝てないだろう相手なら、電撃の網≠ヘ固い一手じゃあるからな」
「それでも、やっぱり確実に抵抗できるっていうわけじゃないんだね……もし初手に死の雲≠ェ飛んできたら、ヴィオは死んでいたってことだろうし」
「そうだな。まぁ実際、俺が本気で相手しなきゃならねぇほどの魔法使いとやり合おうってんなら、一歩間違えれば死ぬだろうことを覚悟しなけりゃ戦いようがねぇのさ。俺と同等程度の腕の持ち主だったとしても、俺より早く電撃の網≠唱えられる奴が相応の前衛を揃えて襲ってきたなら、その時点でほとんど詰みだしな」
「んー、まー今回はまだ運がよかった、ってこと? やっぱ俺まだまだ修行が足りないんだなー」
 ヴィオが元気な顔を見せてくれたので気が緩んだのか、自然とにぎやかにお喋りをしてしまう自分たちを、ルクはやはり変わらぬ無表情のまま、無言で見つめてくる。悪いかな、と思いつつもやはりヴィオが無事だった喜びで自然と口が回ってしまっていたのだが、そこにパンパンと手を叩いてルドルフが口を挟んできた。
「諸君、仲間が無事だったことを喜んでいるところに口を挟むのは私としても忸怩たるものはあるのだが、そろそろ手に入れた財宝の品定めといかんかね? それが安物であるならば私が報酬を支払わされかねないので、正直気になっているところなのだがね」
「あ……そ、そうだね、ごめん。ええと、とりあえずざっと見たところだと……」
 アーヴィンドは周囲を見回して、この部屋に安置された宝物の価値を概算する。玄室として扱われていたのだろうこの部屋は、宝飾品、家具、魔術具などで溢れ、そのどれもがきらきらしく贅を尽くした造りになっている。どうやらこの部屋そのものに保存の魔法がかけられていたようで、どれも状態はいい。
 ただあまりに贅を尽くしたと主張しすぎているというか、とにかくひたすらに金をかけることにばかり力を傾注しすぎている感があり、造形そのものはあまり優れているとは言えない。ほとんど宝石や貴金属そのままの価値しかないだろう。魔術具も、見た感じ古代王国の研究施設に時々ある、自身の研究結果を保存するためだけの魔術具ばかりのようで、魔法の道具としてはそこまで価値があるとは言いがたい。
 だが、それでも、ここまで金銀宝石を集めたとなると――
「……だいたい、七、八万ガメルといったところかな。持って帰れない大きさの家具やなんかは除いて、の話だけど」
「え、しちはちまんがめる……? って、ええ!? それってなんか、すっごい大金なんじゃないのっ!?」
「まぁ、確かに、これまでの僕たちの冒険では見たことのない額ではあるね」
 少しばかり苦笑する。実際、アーヴィンドも実家にいた時は『騒ぐほどの額ではない』と考えていただろう金額でも、こうして(広い意味では)額に汗して働いている今では思わず真顔になってしまうくらいの大金だ(なにせ一度は本気でその日の食事を得ることすらできない、というところまでいったのだし)。正直そこまで働いていない自分などがそんな額をもらっていいのだろうか、と申し訳ない気さえしてしまうくらいの。
 だが自分としては、できればきちんと自分の分け前はもらいたい。これだけあれば両親への借金がかなり返せる………! 身勝手を承知で意地を張って冒険者をやっている身で、両親に金を貸してもらっているというのは正直耐えがたい……! 一応フェイクに立て替える形にしてもらっているとはいえ、両親に『仕事の代金が払えず借金をしている』と思われるのはなんとも業腹というか、悔しく憤ろしくてたまらないのだ、正直に言うと!
 なのでなんとか自分の分け前をもらいたいという気持ちとその気持ちを浅ましい、欲どしいと糾弾する感情との間で一人葛藤していると、ルドルフがにやりと笑って告げた。
「では、私の取り分は三万ガメルということでかまわんよ」
「え……いや、ざっと見た感じを言っただけだから、詳しく鑑定すればもっといくかもしれないよ? 方々の店に持ち込んでうまく値上げ交渉ができれば、たぶん一万ぐらいは増益が可能だろうし……」
「いや、三万ということでかまわん。その代わり、今ここでその分の財物を分けてほしいのだ」
「え……」
「私としても、いい加減な気持ちでヴィオの命を奪うのなんの、と言い出したわけではないということさ。なんの宝物も得られぬまま、尻に帆を掛けることになる可能性も覚悟していた」
「……それは……」
「あ、やっぱおじさん、俺のこと殺そうともしてたんだ」
「まぁ、ある意味ではそうだな。……そして、このように言説に惑わされず私をあくまで敵とみなす者がいる中で、墜ちた都市%熾狽ゥらパダまでえっちらおっちら戻っていく気にもなれんのさ。ことがあった際にはなにかのはずみでうっかり命を奪われんとも限らんからな」
「まさか、ヴィオはそこまでするほどあなたを嫌っているわけでは……」
「ん? 別に嫌いじゃないけど、場合によっちゃそんくらいするかもってくらいには警戒してるよ?」
「えぇ!?」
「ほれ、そのように本人も言っているだろう。――それに、私はすでに目的を果たしたからな。長居する気はないのさ」
「え……」
 思わず目を見開くアーヴィンドに、ルドルフはにやり、といつもの楽しげな笑みを浮かべた。それこそ、人生が楽しくて楽しくて仕方がない、と大書しているような笑みだ。彼の信仰には合致しているのだろうが、それでもこの年齢でこんな風に人生を楽しめる人がいようとは、アーヴィンドはそれこそ考えてもみなかった。
「私は君という存在を知った。君がなにを憎み、なにを愛するか、なにをもって人生と向き合い、なにに拠って神を信ずるか。その結果、君がこの上なく魅力的な――誘惑し、堕落させれば、それこそファラリスがお喜びになるだろう人材だと知ったのさ」
「なっ……」
 ルドルフはにやぁ、と笑みを怪しげな形に深くする。見た者が、こぞって不審者扱いするだろうほどに。それこそ誘惑者――誠実に生きている人間を悪の道に誘い込む悪魔がいたならば、こんな顔をするだろうようにだ。
「君が言ったように、今の君はまだ青い果実だ。逸ってもぎ取るのはいささかもったいない。だが、君がこのまま正しく大人になり、身も心も熟れた時――その時にこそ私は我が手管を尽くして、君を堕としてさしあげよう。君は誠実で心優しく、それでいて条理を知り、自身の感情に負けぬ強さを持っている。貴き血を引く大家の息子として生まれながら、信仰者として正しく、真摯で、ひたすらにひたむきに人生と、信仰と向き合っている。そのようなファリス信者を自身の配下にできたならば、心より我が神はお喜びになるだろう」
「…………」
 ゆっくり呼吸をしながら、アーヴィンドはじっとルドルフを見つめる。ルドルフはあくまで楽しげに、舐めるような視線で自分を上から下まで眺めまわしてみせた。正直背筋がぞくっとしたが、あくまで目をそらさずに正面から向き合う。それはたやすくはないが、不可能事でもない。――なんといっても、今自分の隣には仲間たちがいてくれるのだから。
「ふふ。まぁ、そんなわけで、未来の獲物とこれ以上仲良くお話するというのもどうかと思うのでね。私はここで失礼させていただきたい。いずれ再会する時を楽しみにさせていただくよ」
「…………」
「今回は本当に楽しいひと時を過ごさせていただいた。ありがとう。心よりお礼申し上げる」
 そう言って一礼する、その姿は誠実な紳士そのもので、アーヴィンドの今までの人生でもそういないほど、真摯に自分と向き合おうとしてくれている人だと実感できるのだけれど――その人は、時が変われば自分を堕とそうとする捕食者になる相手なのだ。
 アーヴィンドはなんと答えるべきかしばし迷い、結局深々と頭を下げた。自身の様々な想いを込めて。信仰者としての尊敬、暗黒司祭に対する警戒――そして冒険の中の危機に、自分を助けてくれた一時の大切な仲間に対する感謝。そういうもろもろを口にすることは、いろんな意味で差し障りがあるだろうから。

「……行っちゃったねー」
「そうだね。行ってしまった」
 部屋を出て行くルドルフを見送りながら、アーヴィンドはヴィオの言葉にこくりとうなずいた。ルドルフは分け前を受け取ると、「では、また」とごくあっさりと振り返りもせずに立ち去ったのだ。それをなんとなくぼんやりと見送っていると、ヴィオにちらりと上目遣いで見上げられ、思わず目を瞬かせる。
「………? どうかした?」
「あのさー。アーヴって、あのおじさん好きだったんだな」
「え………? どういう意味?」
 本気で困惑して眉を寄せると、ヴィオは頭を掻いて、またこちらを上目遣いで見上げてくる。
「どういう意味っていうかさー。大事、っていうのとは違うけど。大切、っていうのもちょっと違うかな。なんていうか……でっかい存在なんだなって思って。アーヴには」
「―――………、そう、だね」
 自分の人生において大きい存在である、というのは間違いない。彼は自分の信仰において、人生観において、そして個人的な趣向において。どの分野でも自分の壁となる相手であり、自分を根底から揺るがす存在であり、そして同時にとてつもなく興味をそそる対象だった。
「僕は……実は、善なるファラリス信者≠ニいうものには、前々から興味があったんだよ」
「そーなの?」
「うん。……僕の、一番好きな英雄譚の主人公の、恋人として出てくる女性がその善なるファラリス信者≠ネんだ。普通では考えられない刺激的な存在だし、正直興味を惹かれて、一時期はそれに関する本をあれこれ読んだり話を聞いたりしたよ。でも……論理的に考えて善なるファラリス信者≠ニいうものは極めて危うい存在だ、という言説に納得がいってしまって。その英雄譚の中でも、その女性は恋人のために無垢な少女を惨殺したりしていたしね。普通に考えて存在しえないものなんだ、と納得して、人生に関わってくることもないだろうと結論付けたはずだったんだけど……」
「あのおじさんが出てきた、ってこと? え、でも別にあのおじさん、善人ってわけじゃないよな?」
「うん、それはそう思う。だけど、少なくとも僕が資料として知っているファラリス信者は、性根が心底腐っているこの上なく自分勝手なエゴイストばかりという印象で、そもそも倫理という概念を認識しているかどうかすら危うく思える人間ばかりだ、と感じられたんだよ。実際に会っていたらまた違ったのかもしれないけれど……それでも、あんな風に大真面目に倫理や善心と向かい合うファラリス信者というのはそうそういないというのは確かだと思うんだ」
「ふーん……」
「それに単純に、信仰者として、彼のようにひたすらに真摯に信仰と、それも社会に迫害されるものと向き合ってきた人間の、鍛え上げられた精神力と信仰に対する姿勢には、敬意を表さずにはいられない。そういうもろもろも含めて……もちろん彼が危険で、衝動に任せていつこちらに害を与えてくるかもしれない存在だというのは理解しているつもりなんだけど、それでもなんというか……彼は僕にとって、無視できない存在なんだと思う。僕の人生において大きい存在、というのは当たっていると思うよ」
「そっかー。でもさー、新しく会った奴を好きになるのは全然いんだけどさ、前から付き合ってた奴もちゃんとかまってやんないと拗ねちゃうよ? 生き物と暮らしてる時の鉄則じゃん」
「え? それは、どういう……」
「ほら、フェイクもさ、ルクもさ、アーヴがあんまりあのおじさんに懐くからちょっとムッとしてたよ。フェイクにとっちゃ、なんかいつの間にか敬語抜けてたってだけでもイラっとくるだろうしさー、フェイクの時はすっごい時間かかったのに。ルクの場合はさ、自分の人生変えられて、相手も人生懸けてこっちにぶつかってきてるって感じで、そっから一週間くらいしか経ってないのに、新しい人と会ったら自分のことあっさりないがしろにされたー、みたいな気持ちになったりしてたと思うし」
「え……えぇ!?」
「………………」
「おい。俺までんな呑気な人生観の巻き添えにすんな」
「え、だってフェイクちょっとそーいう気持ちになったでしょ?」
「阿呆か、百歳近いおっさんをどんだけガキ扱いする気だ」
「年取ったらけっこう大人って子供に戻っちゃうってばーちゃん言ってたけど?」
「……それはまぁそれなりに真理じゃあるがな、俺は別にそこまで腹立ててたわけじゃねぇよ。そもそもがほとんど『こいつあっさりファラリス信者に警戒解いてんじゃねぇよ』みてぇな苛つきだったしな」
「? それって俺の言ったのとそんなに違うかなぁ」
「大きく違うだろっ!」
 フェイクはいつもより語気荒くヴィオに絡み、ルクは無言無表情のままだが微妙にこちらから視線を逸らす。そんな二人の反応がヴィオの言葉がそれなりに図星だったと語っているように思えて、アーヴィンドは思わずぽかんと口を開けた。
 思ってもみなかったことで、想像の埒外で、そもそもフェイクの言うように、本当にすべてがヴィオの言葉通りというわけではないのも確かなのだろうが、なんというか、自分のことが思っているより好かれているような気がして、なんというか――すごく、照れる。
 こっそり顔を押さえてうつむいているアーヴィンドをよそに、フェイクはヴィオに勢い込んで反論している。
「そもそもだ、それを言うならお前だろうが、ヴィオ。アーヴィンドがあのファラリス信者に篭絡されんのを、いつもの脳天気っぷりはどこへやらって勢いで警戒しまくってたのはどういうわけか説明してみやがれ」
「え、だってそれ当たり前じゃん。あのおじさんがいつ敵になるかもしんないのも確かだし、アーヴ殺されんのとか絶対嫌だしさ。それにアーヴが他の人ばっかりかまってたらやきもち焼くしさ。そんなのぜんぜんおかしなことじゃなくない?」
『…………』
 思わず三人揃って無言になってしまう自分たちにヴィオはきょとんと首を傾げてみせたのだが、フェイクがぱんぱん、とおもむろに手を叩いて注目を集めると、気にした風も見せず話を聞く体勢になった。……アーヴィンドとしては、ヴィオの言葉にますます顔が熱くなるのを打ち消すことができなかったので、話題が転換されるならそれに乗らざるをえない。
「とにかく、だ。報酬の話に戻ろうか。俺たちがどれだけこの遺跡から宝物を分捕れるか、ってことだが」
「え……僕の宝物の鑑定、そんなに間違っていた? 目算だけど、そんなにずれていたつもりはなかったんだけれど……」
「いや、確かにお前の目は正確だったさ。持ち運ぶのは人力で、しかも帰路も墜ちた都市≠えっちらおっちら戻らざるをえないって状況下において、どれほどの宝物を計算から外すかってことも含めてな」
「……計算から外した持ち帰れないような宝物を、報酬に換える手段があると?」
「これ、見てみろ」
 腰に着けていたベルトポーチから、フェイクは無造作に薄く着色された袋を二つ取り出す。アーヴィンドは困惑しつつも差し出された袋をじっと見つめたが、しばらく見つめ続けたのちその袋が『なに』かということに気づき、思わず仰天して叫ぶ。
「まさか、これって……無限のバッグ!? それも重量無効型と容積無効型の両方!」
「そういうこった」
 言ってにやり、と笑ってみせるフェイクをアーヴィンドは呆然と見つめていたが、ヴィオがそこになにを言っているのかよくわからない、という顔で口を挟んできた。
「え、どーいうこと? その袋がどーかしたの?」
「……これらの袋の名前は無限のバッグ。古代王国時代に作られた魔法の道具なんだ。片方は重量無効型、中に入れたものの重さを無視できる。少なくとも一般的な程度ならね。もう片方は容積無効型、ざっと二丈弱四方程度の大きさまでのものなら、容積を無視して袋の大きさを変えないまま、個数制限もなく中に入れて運ぶことができる。その代わり重さを無視はできないけれど」
「え、うん。それが?」
「この二つのバッグは組み合わせられる。つまり、二丈弱四方程度の大きさまでのものならば、いくらでも中に入れて運べるんだよ。そして好きな時に取り出せる。……今回なら、普通に考えて持ち運べないから僕が宝物の計算に入れなかったものも、街に持ち帰って売り払える、っていうこと」
「え、そーなの!? うわ、それってすごくない!? フェイクそんなの持ってたんだ! 隠してたの?」
「隠してたってわけじゃねぇが、これまではこの袋を使う機会もなかったし、アーヴィンドがなっかなか俺を『仲間だ』と心の底からは認めてくれなかったからな。身も心も俺を仲間であると当然のこととして受け容れたんなら、俺も隠してた奥の手を少しずつ見せてくつもりだったんだが」
「う……」
 それを言われると、正直痛い。理性ではフェイクを仲間と認めているつもりなのだが、実力的にはるかに上位で、未熟な自分を見守りながらあれこれ導いてくれた人であるため、自分は心のどこかでフェイクをいまだに保護者役として認識している部分があるのは否めないのだ。それで言うなら社会の常識や冒険の常識をひとつひとつ教えていかなければならなかったルクの方が、心情的にはまだ近いかもしれないと思うほどで。フェイクに対しても失礼だし、もっと正面からフェイクに接するよう心掛けてはいるのだが、感情を完全に律するのは未熟者のアーヴィンドにはまだまだ難しい。
「え、それって普段そんなに隠してるの?」
「そこまでじゃないが、これ単純に高いからな。おまけにものを持ち運ぶには便利すぎるから、商人なんかは手に入れる機会があればそれこそ万金を積んでも手に入れようとするだろうし。あんまり言いふらしたくはないのさ、どう転ぶにしても面倒なことになるからな」
「それは、そうだろうね……」
「そんなに高いの、これ?」
「少なくとも二つ合わせて、定価でも二十四万ガメルはするだろうね……」
「うわ、ほんとにめっちゃくちゃ高い! でもすっごい便利だし、仕方ないのかなー」
「まぁな。だから普段は俺としてもわざわざ持ってることを主張したりはしないんだが、今回みてぇにこれがなけりゃ宝物を持って帰れない、みたいな状況なら話は別だ。暗黒司祭があっさり宝物にどれだけ価値があるか調べる前に帰ってってくれたしな」
「え……まさか、少しでも取り分を増やすために黙ってたの!?」
「悪いか? 言っとくが、別に嘘はついてねぇぜ。向こうも俺に宝物をどれだけ持って帰れるか、なんて聞いてこなかったしな」
「そ、れは……そうだろうけど……」
「おまけにこれは、転移呪文が使えるなら、パーティの移動用としても便利に使えるからな。俺以外の全員がこの中に入って、それを荷物として持ちながら転移≠キりゃ、わざわざ呪文を何度もかけなくても呪文一回分の魔力でどこにでも行けるし。……今回の場合なら、あの暗黒司祭が俺たちに付きまとおうとしても、オランに戻ってくるまでにここの宝物根こそぎ持ち帰って全部売っぱらえるだろうな」
「そ、そういうやり方は、いくらなんでもあこぎってものじゃないかな?」
「単純にできる限り利益を出そうとしてるだけだろ。俺は嘘は全然ついてねぇんだし。ちなみに、家具なんかも含めて俺のつてであちこちに適切に売りさばけるなら、たぶん残されたもんだけでも利益は三十万超えるぞ」
「………はっ?」
「だから、利益が三十万超えるって」
「………はっ?」
 言葉が頭の中に入ってこず、ぽかんと口を開けて虚ろな声で幾度も聞き返すアーヴィンドをよそに、ヴィオは隣で歓声を上げて喜んだ。
「え、ほんとにっ!? うわー、すっげー! じゃあそれってもしかして、一人の報酬七万超えるってことになるのっ!?」
「まぁな。まぁここまでの大金なら、ある程度それぞれの報酬から差っ引いて、パーティの共有資金をまとまった額にしておくのも悪くねぇと思うが」
「うーん、そっかー、悩んじゃうなー……こんだけの大金あったら、魔法の武器とか鎧とか買えちゃうかもだし……あ、でもやっぱまずなにより先に、アーヴの借金返さなきゃだね!」
「………うん、ありがとう………」
 礼を言いながらも頭が凍結してまともに動いてくれない。それだけの大金があるのなら、両親への借金(形としてはフェイクからではあるのだが)を即金で返しておつりがくる。というか本当に、借金を返しても充分魔法の装備が買えてしまうほどだ。これまでの冒険者生活では、たまにまとまった金が入ることがあってもすぐあれやこれや厄介事が起きて金が出て行くという展開ばかりで、冒険者というものは基本的に常に貧困と戦っているものだという認識すら覚えていたアーヴィンドとしては、そんな大金がどーんと入ってくることがありえるなど本気で想像の埒外だった。
「ルクにもなんかご褒美みたいなの買ってあげなきゃだよね、今回すごい頑張ってくれたし。やっぱ魔法の装備とかかな? 確か、武器はルクが使えるぐらい軽いやつは、かなり安く手に入るんだよね? フェイクにもご褒美あげたいけど、フェイクはお金で買えるものとかもう全部持ってるからなー。どんなお礼がいい?」
「いっちょまえのこと抜かしてんじゃねぇよ。冒険者始めて一年にもなってないひよっこに、自分の仕事しただけでご褒美よこせとか抜かすほど落ちぶれてねぇわ」
「えー、頑張ってくれたんだからお礼あげようとすんの普通じゃない?」
「そんなもん一緒に冒険やってんだから、助けられる時も助ける時もあるのが当然だろうが。それより、ちゃっちゃとこの部屋にあるもん根こそぎにするぞ。いっくら敵になるもん全部消し飛ばしたからって、墜ちた都市≠ナ長々お喋りなんぞ阿呆のやるこったろ」
「あ、はーい!」
「うん……」
 言われるままに体を動かしているうちに、ようやく頭がまともに働きだす。それだけの大金が入ったのなら、ある程度使うことも大切だけれど、なにか厄介事が起きた時のためにある程度貯金も残しておかなくては。パーティの共有資金をまとまった額にしておくというのはいい考えかもしれない。それぞれから五千か、余裕を見て一万くらい集めておいたら……ああでも、冒険者である以上貯金は基本的に冒険者の店に預けることになるから、預け賃を取られる分預ければ預けるほど損になるのか……それなら共有資金の半分は宝石にして持ち運ぶことにするというのも、いやでも宝石に換えるとなるとどうしてもある程度目減りしてしまうし……。
 ヴィオに勢い余って全額使い果たしたりしてしまわないように言っておかなくちゃ。フェイクには……まぁこの程度の財宝はよく見ているのかな? ルクはやっぱりさっきから全然反応せずにじっと僕の方を見ているけれど、お金の使い方は知っているんだろうか。命を守るためにも、これを機会にある程度の経済感覚を身に着けてもらえるといいんだけど……。
 そんなことを考えながらも、やはりときおりアーヴィンドの心はルドルフへの想いに立ち返ってしまう。彼が告げた言葉、伝えてきた理念は、いまだにくっきり自分の心に残っている。一緒にいたのはせいぜいが一日足らずというところなのに、彼はあらゆる意味で印象的な人だった。特に自分のような信仰者にとっては。
 人に言える出会いではないし、また会うことがあるかもわからないけれど、それでも自分があの人を忘れることはあるまい。いつかまた会えるかもしれない可能性を、内心でこっそり喜びと共に受け容れてしまうのはよくないかな、とも思うのだが、別に構わないのじゃないかな、と楽観的に考える自分も存在している。
 あの人と会うのがいつのことになるにせよ、少なくともヴィオは、その時も自分の隣にいてくれるのじゃないかと思うから。あの人が会いに来るのなら、その時の自分は間違いなく冒険者を続けていることだろうし、それなのにヴィオが隣にいないということはまずありえない、なんてごく当たり前のように考えてしまっている。
 そんな自分を客観的に見てみて、恥ずかしいと思う気もないではないのだが――
「ん? どしたの、アーヴ?」
「……いや、なんでもないよ、ヴィオ」
 目が合うと、いつもヴィオはこんな風に嬉しげに笑んでくれるから。そんな考えは思い上がりだという非難が、それこそ見当違いの代物のように感じられて、疑り深い自分にも、共に在る未来を当然のように信じさせてしまうのだ。

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キャラクター・データ
アーヴィンド・クラーク・リズレイ・プリチャード(人間、男、十五歳)
器用度 12(+2) 敏捷度 20(+3) 知力 23+1(+4) 筋力 15(+2) 生命力 19(+3) 精神力 20(+3)
保有技能 プリースト(ファリス)7、セージ6、ファイター4、ソーサラー2、レンジャー1、ノーブル3
冒険者レベル 6 生命抵抗力 9 精神抵抗力 9
経験点 991 所持金 −38500ガメル+共有財産2420ガメル
武器 ヘビーメイス(必要筋力15) 攻撃力 7 打撃力 20 追加ダメージ 6
ダガー(必要筋力5) 攻撃力 6 打撃力 5 追加ダメージ 6
ロングボウ(必要筋力15) 攻撃力 6 打撃力 20 追加ダメージ 6
スモールシールド 回避力 7
ラメラー・アーマー(必要筋力15) 防御力 25 ダメージ減少 7
魔法 神聖魔法(ファリス)7レベル 魔力 11
古代語魔法2レベル 魔力 6
言語 会話:共通語、東方語、西方語、エルフ語、ドワーフ語、上位古代語、下位古代語
読文:共通語、東方語、西方語、エルフ語、ドワーフ語、上位古代語、下位古代語
マジックアイテム 魔晶石(5点×2、3点×6、2点×7、1点×6)
ヴィオ(人間、性別不詳、十五歳)
器用度 15(+2) 敏捷度 19(+3) 知力 18(+3) 筋力 18(+3) 生命力 21(+3) 精神力 21(+3)
保有技能 シャーマン6、ファイター6、レンジャー5
冒険者レベル 5 生命抵抗力 8 精神抵抗力 8
経験点 4491 所持金 1500ガメル
武器 銀のロングスピア(必要筋力18) 攻撃力 8 打撃力 25 追加ダメージ 9
ロングボウ(必要筋力18) 攻撃力 8 打撃力 23 追加ダメージ 9
なし 回避力 8
銀のチェイン・メイル(必要筋力18) 防御力 24 ダメージ減少 6
魔法 精霊魔法6レベル 魔力 9
言語 会話:共通語、東方語、精霊語
読文:共通語、東方語
マジックアイテム 魔晶石(5点×2、4点×2、3点×5、2点×5)
月の主<tェイク(ハーフエルフ、男、九十歳)
器用度 18(+3) 敏捷度 21(+3) 知力 19(+3) 筋力 10(+1) 生命力 18(+3) 精神力 21(+3)
保有技能 シーフ10、ソーサラー8、レンジャー7、セージ6、バード6
冒険者レベル 10 生命抵抗力 13 精神抵抗力 13
経験点 18971 所持金 財布の中に入ってるだけで10000ガメル程度
武器 月光の刃 攻撃力 16 打撃力 13 追加ダメージ 14
なし 回避力 16
ソフト・レザー+3(必要筋力5) 防御力 5 ダメージ減少 13
魔法 古代語魔法8レベル 魔力 11
呪歌 ヒーリング、レストア・メンタルパワー、チャーム、レクイエム、キュアリオスティ、ノスタルジィ
言語 会話:共通語、東方語、上位古代語、下位古代語、西方語、エルフ語、ドワーフ語、リザードマン語、ケンタウロス語、ゴブリン語、マーマン語、ジャイアント語、ハーピー語
読文:共通語、東方語、上位古代語、下位古代語、西方語、エルフ語、ドワーフ語
ルク(グラスランナー、男、五十一歳)
器用度 24(+4) 敏捷度 28(+4) 知力 18(+3) 筋力 6(+1) 生命力 18(+3) 精神力 24(+4)
保有技能 シーフ9、レンジャー5、セージ2
冒険者レベル 9 生命抵抗力 12 精神抵抗力 13
経験点 0 所持金 なし
武器 銀の高品質ダガー×2 攻撃力 11 打撃力 5 追加ダメージ 10
なし 回避力 13
高品質ソフト・レザー 防御力 7 ダメージ減少 9
言語 会話:共通語、西方語、東方語
読文:共通語、西方語、東方語
ルドルフ・ルンゲンハーゲン(人間、男、四十二歳)
器用度 18(+3) 敏捷度 17(+2) 知力 20(+3) 筋力 18(+3) 生命力 19(+3) 精神力 24(+4)
保有技能 プリースト9、ファイター7、セージ7、レンジャー7
冒険者レベル 9 生命抵抗力 12 精神抵抗力 13
経験点 0 所持金 手持ちは一万ガメル程度
武器 バスタード・ソード+1 攻撃力 10 打撃力 17 追加ダメージ 11
ラージ・シールド+1 回避力 13
プレート・メイル+2 防御力 23 ダメージ減少 11
言語 会話:共通語、西方語、東方語、下位古代語、ゴブリン語、インプ語、ジャイアント語
読文:共通語、西方語、東方語、下位古代語