前回の冒険での経験点は、
・最大の障害がモンスターレベル10のドッペルゲンガー。
・倒した敵の合計レベルは10。
 なので、
・アーヴィンド&ヴィオ……5033
・フェイク……1033
 となりました。
 成長は、
・アーヴィンド:プリースト1→3、セージ1→2。
・ヴィオ:シャーマン1→3、ファイター1→2。
 以上です。
候子は友と冒険に出る
 アーヴィンドは胸を高鳴らせながらフェイクのあとについて歩いた。とうとうこの日がやってきたのだ。冒険者の店――冒険者たちのたまり場へ向かう日が。
 アブガヒードに呪いをかけられてから一週間。その間はそれこそてんやわんやの大騒ぎだった。
転移≠フ呪文でフェイクと一緒にオランの自宅へ戻ってきて、フェイクと一緒にことの顛末を告げると、アーヴィンドの父アールダメン候ヒューバートはひっくり返って泡を吹き、母ローレッタは気絶した。容赦ない現実を受け容れることができなかったらしい。
 フェイクをさんざん罵って、泣き叫び喚き呻き貴族としての礼節も何もかも忘れるほどに荒れ狂ったあと、父母は冒険者になる以外に呪いを解く方法はないのか侯爵家の総力を挙げて調べさせ始めた。それも秘密裏に。
 だがどれだけ賢者の学院の書庫をひっくり返しても、フェイクの説明以上の資料は見つからなかった。そもそもアブガヒードの存在自体が古代王国時代ですら秘匿されていたのだ、今の時代にそうそう資料が見つかるはずがない。
 渋々フェイクの説明を受け容れたあとは、腕の立つ護衛を雇おう、などと言い始めた。フェイクに対する信頼は今回の一件で底割れてしまったらしい。
 それをどうにかアーヴィンドの必死の誠意をこめた説得と、フェイクの雇用関係と冒険者としての仲間関係の違いについての説明とで屈服させ、今までのように自宅に居住、候子としての教育も継続させるという両親の主張を基本的に冒険者の店にて居住、週に一度の帰宅時に候子としての授業を集中して受ける、一週間の間は出された課題に従って自習、というところまで譲歩させるのに一週間かかった。
 ともあれ、家庭教師やらうるさがたの親戚やらへの挨拶回りも課題の受け取りも済ませ、冒険者としての準備も整え。今こうしてヴィオと共に、フェイクに連れられて冒険者の店に向かっているところなわけである。
 ヴィオと会うのは一週間ぶりなわけだが(その間ヴィオは本格的に冒険に出る準備をしていたらしい。近々冒険に出ることは決めていたもののヴィオの住む村ではその準備だけで一苦労なのだとか)、ヴィオは変わっていなかった。新品の革鎧に身を包み、ぴかぴかの槍と弓を持ってはいるものの、やはり印象としては新米冒険者というよりやんちゃ坊主のようだ。
坊主≠ニいうのがヴィオの第一印象が野生的な少女のものであるアーヴィンドとしてはなかなか受け容れがたいところではあるのだが。
 ふぅ、と小さくため息をつくと、それに気付いたのか楽しげに周囲を眺めていたヴィオがこちらを向いた。
「どしたの、アーヴ?」
 アーヴィンドはその親しげな話し方に照れくさい思いを抱きながら(アールダメン候子であるアーヴィンドの周りにはそういう風に親しげに話しかけてくる同年代の人間はいなかったのだ)、慌てて首を振る。
「なんでもないよ、ヴィオ。……街の様子、そんなに面白い?」
 ヴィオはにかっと輝くような笑顔で答える。
「うん! 俺まち≠チて初めて見たもん! すっげー人多いし、石造りの建物ばっかだし、いろんなもんがあってすっごい面白い! アーヴは?」
「え、僕?」
 問われて、初めてアーヴィンドは周囲を注意深く見回してみた。冒険者の店に続くオランの街並み。石畳の道の上に並ぶ露店、山脈のように幾棟も続く住宅、その周囲を駆け回る子供たちや労働者。他の貴族の邸宅へ向かう時などに馬車の中から何度も見た光景ではある、が。
「そうだね、面白いよ」
 アーヴィンドは微笑んでそう言っていた。ヴィオが「なー!」と嬉しげに笑い返す。その笑顔がなんだかひどく嬉しかった。
 何度も見た。けれど今はそれだけではなく、ちゃんとそばまで寄って、手で触れ、話すことができる。馬車の中から何度も見て焦がれてきたものたちと、同じ世界に自分はいるのだと思うと自然胸が躍った。
 そしてそれを友人(と、言っていいものなのかどうか少し迷うところはあるのだが)と共有しているのだと思うと、アーヴィンドの胸はまるで恋愛詩の初めての恋をした少女のように高鳴るのだ。
「どーでもいいが、あんまりきょろきょろしてると巾着切りに狙われるぞ」
 ふいに話しかけてきた先頭のフェイクに、アーヴィンドは慌てて前を向いた。確かにそういうものなのだと話は聞いている。
「巾着切りってなに?」
「財布やら懐中のもんをすれ違いざまに相手に気付かれないようにして盗む盗賊のこと」
「へー、すっごー! そんなことできる奴いるんだ!」
「街には一山いくらでいるな。他にも強盗、置き引き、かっぱらい、夜盗……」
「やはり冒険者の店の周囲は治安があまりよくないのでしょうか」
 話に割り込むと、フェイクは肩をすくめた。
「いや、これから行く『古代王国への扉』亭の辺りはそんなでもない。いくつか通りを挟んだ隣が常闇通りだからお上品とはお世辞にも言えないがな。ま、適度に裏街道に足突っ込んでるかな、ぐらいだ」
 そういうのを治安がよくないというのではないだろうか、と思いつつもアーヴィンドはスキップまで始めたヴィオの隣を歩く。時刻は夕方の四時、春の心地よい風が少しずつ涼しくなってくる刻限だ。ヴィオが少年から少女に変わる時間が近づいてきているのだと思うとなぜか少しばかり落ち着かない気分になったが、ともかく置いていかれないようにと周囲を注意深く観察しつつ歩を進めた。
 食欲をそそる香りがどこからか漂ってくる。食事時にはまだ早いだろうに、と首を傾げていると、その香りは歩を進めるごとに強くなってくるのに気がついた。
 もしや、と思いついた時には、もうアーヴィンドはその通りに立っていた。宿屋や食堂がいくつも立ち並び、武器屋や雑貨店が入り混じり、武器や鎧を身に着けた人々が闊歩する通り――冒険者の町に。
 どきどきと胸をときめかせながらヴィオと並んでフェイクのあとにぴったりついて歩く。なんだかひどく注目されている気がした。逞しい戦士やら、細身の盗賊風やら、魔術師風の杖を持った中年やら、そういう人々が目を見開いてこちらを見つめている。
「なー、なんか俺ら見られてない?」
 ヴィオが周囲の人にも聞こえるほど大きな声で言う。アーヴィンドは慌てたが、フェイクは少しも取り乱さず軽くうなずいた。
「まぁ、俺がここらに来るのは久しぶりだからな。おまけにいかにも新米ってガキを二人も連れてりゃ視線もくるさ」
「へ? なんで俺らを連れてると視線がくるの?」
「だからな、俺は腕利きだから、一緒に仕事しないかとか持ちかけてくる奴らがけっこういるんだが。俺はもうパーティを組んで冒険する気がなかったからそういうのは全部断ってたし、弟子入りさせてくれとかいう奴にも会わないようここいらに寄るのも避けてた。だから俺になにがあったんだ、って目で見てくるわけさ」
「ふーん……」
「……ま、見られてるのはそれだけじゃないだろうけどな」
「へ?」
「ほれ、着いたぞ。ここが今日からお前らの住処になる――」
 ぐいっと扉を押し開けながらフェイクはどこか笑みを含んだ声で言う。
「『古代王国の扉』亭だ」
 どきどきする胸を押さえながら中に入ったとたん、店中の人間の視線が自分たちに集中した。
 え、なんで!? とおののきつつも、見苦しい真似はしないように、落ち着いて落ち着いて、と自分に言い聞かせながらフェイクについてカウンターへ向かう。『冒険者の店』に入るのは初めてだったが、『古代王国の扉』亭は想像していた冒険者の店そのままの構造をしていた。
 広々とした酒場とその中央のカウンター、二階に続く階段の向こうには冒険者たちの泊まる部屋が並んでいるのだろう。酒場には何人もの歴戦の雰囲気をまとった冒険者たちが飲んだくれており、カウンターの中ではバーテンダーや料理人が忙しげに立ち働いている。
 だが、今その店中の人間の視線が、なぜか自分たちに集中しているのだ。
 針を落とす音が聞こえそうな、と形容されるだろう沈黙の中、アーヴィンドたち三人はカウンターへ向かい、まじまじとこちらを見つめる主人らしき中年の男と向きあった。フェイクが気軽な調子で男に言う。
「ランド、こいつらが話してた二人。アーヴィンドとヴィオだ」
 まじまじとこちらを見つめる男――ランドに、アーヴィンドは緊張しながらも頭を下げる。
「アーヴィンドと申します。以後お見知りおきを」
 家名まで名乗らないのはフェイクの忠告に従った結果だ。自分の身を守れる程度の腕もないうちに侯爵家の人間だと名乗って歩くのは誘拐してくれといっているも同然だ、というフェイクの言葉をもっともだと思ったから。
「俺、ヴィオ! よろしくなっ、おじさん!」
 元気だがやや礼儀に外れた挨拶。アーヴィンドは注意すべきか迷ったが、その前にランドが目をぱちぱちさせつつも言葉をかけてきた。
「……お前さんたちが、フェイクの連れ?」
「はい。至らぬ点も多々あるかと存じますが、なにとぞご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます」
「もーしあげまっす!」
 再び、今度は揃って頭を下げると、ランドはがりがりと頭を掻き、それから深々とため息をついた。
「……なるほど、こりゃフェイクが俺に相談しに来るわけだ……」
「納得したか?」
「ああ、心底な」
 なんの話なのだろう。不審に思いつつも、頭を四十五度下げたまま待つ。ランドは苦笑して言ってきた。
「頭を上げてくれよ、坊ちゃん。あんたがいいとこのお人なんだろうってのはわかるが、そんな調子じゃ冒険者なんぞやっとれんぞ。冒険者ってのは要はならず者の集まりなんだからな」
「は……い」
 冒険者というのはならず者の集まり。何度も言われてきたことではあったが、まさか冒険者の店の主人がそんなことを言うとは思わなかったので、アーヴィンドは思わず目をぱちくりさせた。
 ランドは立ち上がり、ぱんぱん、と手を打って静まり返った酒場中の注目を集め、口を開く。
「紹介しとく。こっちの美少年がアーヴィンド、こっちの坊主がヴィオだ。ヴィオには性別転換の呪い、アーヴィンドには誘惑の呪いがかかってる」
 ざわ、と冒険者たちがざわめく。それにかまわずランドは続けた。
「つまり、誘われてるとかそーいう勘違いすんなってことだ。それとこの二人は今日からフェイクの仲間だ。手ぇ出したらフェイクにぶっ殺されると思え」
 ざわめきがどよめきになる。視線が自分たちに集中するのを感じて緊張したが、それでも取り乱さぬようにと身体に叩き込まれた礼儀作法に則ってゆっくりと頭を下げ、それからにっこりと、できる限り優しく微笑みかけた。
「ご紹介にあずかりました、アーヴィンドと申します。以後見知りおいて下さると光栄です」
『…………』
 しばしの沈黙。それから、酒場中がどよめいた。
『うおぉぉおぉぉおぉおっ!!!』
 え、なんでここで歓声、と思わず一瞬引いたが、それよりも早く冒険者たちがわっと集まってきた。
「よろしくな坊主! 俺はこの店一番の戦士、ガンドだ。なにか困ったことがあったらいつでも俺に言えよ?」
「よろしくねボク、私は精霊使いのアルデリカ。女っていうものを知りたかったらいつでも声かけて?」
「ふへぇ、近くで見るとまた格別……すげぇなさすがフェイクさん、どっから連れてきたんスかこんな奴?」
「おい、それより挨拶だろうが。よろしくなアーヴィンド、これから楽しくやろうぜ?」
 次から次へと話しかけられ、頭が少しばかり混乱してきたが、それでもこれから一つ屋根の下で暮らす人間たちに悪印象を与えるのはよろしくない。アーヴィンドは何度も頭を下げ、「よろしくお願いします」と笑顔を浮かべた。
「そういうわけで、今日は俺のおごりだ。存分にやってくれ」
 フェイクの言葉にうおぉ、とまた歓声が上がり何人もの冒険者たちがカウンターに駆け寄る。アーヴィンドとヴィオはぐいぐいと引っ張られ冒険者たちの山の真ん中まで引っ張っていかれた。
 どんどんどん、とジョッキが目の前に並べられる。ヴィオが目をきょるんと丸めて訊ねた。
「これ、飲んでいいの?」
「おう、お前さんイケる口か? よっしゃよっしゃ、どんどんいけ」
「ヴィオ、あんまりお酒を飲みすぎるのは……」
「ん〜? 坊やは飲まんのか〜? まぁ坊ちゃんには実際きつい味だがなぁ」
 馬鹿にするような台詞に思わずムッとして、相手の逞しい戦士を一瞬睨む。すぐ失礼だったと慌てて頭を下げたが、なぜかヒュゥ、と口笛を吹かれた。
「うひょ、色っぺぇ〜。美人に睨まれるっつーのも乙なもんだな」
「……は?」
「いやいやなんでも。で、飲むのか飲まんのか? まぁ坊やにはキツいだろうから無理強いはしねぇがな」
 周囲の冒険者たちはニヤニヤしながらこちらを見ている。これは通過儀礼だ、とアーヴィンドは少しばかりムッとした頭の中で考えた。無駄とわかっている困難に挑むことで、一人前か否かを定める原始的な資格審査。
 今日から自分は名実共に冒険者となった。ならば危険を承知で戦うのは当然のこと。アーヴィンドはぐ、と腹に力を入れて、「いただきます」とジョッキを手に取りぐ、ぐ、ぐ、と傾けて一息に杯を乾した。
『おお〜!!』
「いい飲みっぷりじゃねぇか坊主! ほれ、もう一杯いけ!」
「んぐー、ぷはっ! これ、おいしーなっ!」
「おー、こっちの坊主もなかなかやるな。ランド、おかわり持ってこい!」
 まだ飲まされるのか!? とエールの舌を刺す苦さと刺激に顔をしかめていたアーヴィンドは顔を引きつらせたが、もはや後には引けない。悲愴な顔で覚悟を決めて、きっと運ばれてくるジョッキを見つめた。
「すっげぇ色っぺぇ〜。あの必死に気を張ってますっつー禁欲的な顔、崩してみたくなるよな〜」
「そっちの趣味はねぇけど、あれくらいなら一度お相手願いたいねぇ。誘惑の呪いっつってたけど、半端ねぇ色気だぜ」
「可愛いねぇ、意地を張るあたり男の子じゃないか。あたしゃちょっとばかし誘ってきたくなっちまったよ」
 そんな会話がそこかしこで繰り広げられていることなど、気付きもせず。

「ん、んん……」
「んうー。魚の煮付けに細切り揚げ芋ぉ……」
 ごろごろと懐いてくるなにか温かいもの。すりついてくる肌の感触が心地よく、アーヴィンドはまどろみの中でそれを抱きしめ返した。温かく、大きく、柔らかく……はないこの感触には、覚えが。
「うわっ!」
 自分に抱きついているのがヴィオだ、と気付いた瞬間アーヴィンドは飛び起きて寝床から転がるようにして落ち、即座にずっきーんと頭に響く激痛にへたり込んだ。これは噂に聞く二日酔いというものだろうか? 猛烈な吐き気と鈍痛とだるさに喘ぐ。昨日はいつ寝床に入ったのだろう、しかもなんでヴィオと同じベッドに?
 まったく記憶がないことに思わず顔面蒼白になっていると、ヴィオがむくりと身を起こした。
「んむぅ。どしたの、アーヴ?」
「……ヴィオ、君は……っつっ、平気? 二日酔い、とか」
「あー、うんへいきへいきー。俺酒好きだから」
「お酒が好きなことと強さの間には相関関係はない気がするけど……あいたた」
「だいじょぶ、アーヴ? んー、俺が女な時だったら状態回復≠ナ……ダメか、もーちょい精霊うまく使えるよーにならないと」
「……もうちょい≠ナ大丈夫なの?」
「うん。快癒≠ワでは使えるようになったー。なんかさ、呪いの効果なのかな? 俺この前の冒険で急にどかんと腕が上がっちゃってさー。急にコツがつかめちゃったっていうか。アーヴはどう?」
「僕は……」
 この一週間忙しくて自分の腕が上がったかの確認などしていなかった。だが、本当に大きく腕が上がったとしたらどうだろう? 自らの能力を確認しなければ作戦の立てようもない。
 数度深呼吸し、ファリスに祈りを捧げる。自らの精神が絶対律の端にゆっくりと接続するのを感じた。祈りを捧げる時はいつもそうであるように、心が凪ぎ、体中に行き渡る神の恵みを魂が感得していく。
「我が神ファリスよ、あなたのしもべに導きの光を与えたまえ。混迷の闇の中に至高なる輝きを。道に迷いしあなたの子たちに、標となりし灯火を=v
 自らの心身が世界と同調していくのがわかる。世界に満ち満ちる神の力。それに調和し、祈り願い、力を、恵みを求める。そうすれば初めてファリスの声を聞いた時と同じように、口が勝手に呪文を唱えてくれる。
「我が神ファリスよ、我が身体を侵しし毒より我を解放したまえ。神の癒しの御力をここに。我の心身を歪めしものを、その光をもって消し去りたまえ!=v
 とたん、すっと頭が軽くなるのを感じた。頭痛もだるさも吐き気も、そのすべてがきれいに消え去る。
「わ……」
 数秒絶句して。
「できた! できたよ、解毒≠フ魔法! 今までどんなに祈っても癒し≠竍平静≠ェ精一杯だったのに!」
「わー、アーヴ、よかったねー!」
 抑えようとしてもあふれ出る感激に思わずヴィオと手を繋いで小躍りすると、ヴィオは笑顔で一緒に躍ってくれた。それがまたひどく嬉しくて、わーわー言いながら部屋の中をぐるぐる回ってしまった。
「……ったく、元気で暢気でけっこうなことだな」
「! フェイクさん」
 いつの間にか扉のところで苦笑していたフェイクに、慌ててヴィオの手を放す。確かにこんなことで浮かれるなんてあまりに子供じみている。感動を共有できる人がいるというのは嬉しいけど、怖いものだな、と心の中で反省した。
「あー、フェイク。おっはよー。どーかしたの?」
「仕事、手に入れてきたぜ」
「え!? ……早いですね」
 パーティ結成の次の日に仕事が入るとは早手回しにもほどがあるのでは、と疑問の意をこめてフェイクを見ると、フェイクはまた苦笑して肩をすくめた。
「ま、これは俺の勝負の報酬みたいなもんだからな、運がいいと思っておいてくれ」
「? 勝負の報酬、ですか?」
「そ。俺がやめろっつったのに血迷った馬鹿から詫び代わりに奪い取った報酬」
「? はぁ……」
「うわー、冒険者としてのはつしごとだなっ! どんな仕事、どんな仕事?」
 うきうきとした口調で訊ねるヴィオ。アーヴィンドも顔を引き締めてフェイクを見る。どんな仕事であれ全力を尽くすつもりなのは言うまでもない。
 フェイクはにやりと笑って言った。
「ゴブリン退治さ」

「竜殺しへの道程もまずはゴブリン退治から≠チていうのは誰が言った言葉だったっけ……」
「ん? アーヴー、なんか言った?」
「ううん、大したことじゃない」
 アーヴィンドは隣を歩くヴィオに首を振った。ヴィオは「そ?」と首を傾げ、また空を見上げて鼻歌を歌い始める。
「ヴィオ、あんまり気を抜いちゃ駄目だよ。ここは街の外、いつ怪物の類が出るかも」
「えー、でも街道じゃん。人の造った道にはそーいうのあんまり出てこないって、婆ちゃん言ってたよ?」
「それはそうだけど……」
「あー、でも天気よくてよかったよねー」
 ヴィオは実感のこもった口調でしみじみと口にする。急な場面転換に戸惑いながらもアーヴィンドはうなずいた。
「そうだね……雨だと行程が遅れるし」
「ていうかさー、今春の初めじゃん? 雨多いじゃん? 雨具はあるけどさー、それでも雨全部防げるわけでもないじゃん」
「……うん」
「で、濡れるじゃん? 服とか下着とか武器とかもさ。そーすると手入れとかなんやらでさ、もっ、すっごい手間が増えるんだよ! 風吹くと寒いし!」
『もっ』のところに思いきり力をこめて言ったヴィオに、アーヴィンドは思わず吹き出してしまったが、こっくりとうなずく。
「そうだろうね」
「あー、笑ってるな? 言っとくけど、一日中歩いて疲れたあとにそーいう手間暇かけるめんどくささって半端じゃないんだからなー! 天幕があるわけでもないから、寝る時も木の枝から落ちる雫とかでなかなか寝れないしさー、火は熾しにくいしさー」
「うん……」
 これまでの人生で野外活動というものをあまりしてこなかったアーヴィンドの答えはどうしても曖昧なものになってしまった。というかアーヴィンドは建物の外で眠るという経験をしたことがない。知識として野営はどのような場所ですべきかということぐらいは頭に入っているのだが、ヴィオの言葉がいまひとつピンとこないのはどうしようもなかった。
「だから晴れてよかった! フェイクがいないのはさびしーけど――でもフェイク、なんで一緒に来なかったんだろ? 仲間なのにさ」
「……仲間といっても、僕たちとフェイクさんじゃ力の差がありすぎるからね。ゴブリン退治ぐらいじゃ自分の出る幕はないと思っても当然だろうし、それに、言ってただろう? このくらいの冒険なら僕たちだけでこなして当然だって」
 フェイクの持ってきた依頼。ホープ村というオランから東へ三日ほど歩いたところにある村に、ゴブリンが出るので退治してほしいという依頼。
 フェイクはそれを自分たち二人に任せると言った。受けるかどうか、受けたならどう戦うか、情報収集から戦術立案まで、すべて自分たちに任せると。このくらいの依頼を自力で達成できないようなら冒険者としては目はないと。
 ゴブリンの数は確認されているだけなら四体。確かに自分たちでも戦術次第で打ち破れそうな数だ(一応一人前、という程度の戦士でも一対一ならゴブリンより強いのだから)。もちろんそれ以上の数がいる可能性もあるわけだが、アーヴィンドとヴィオは相談の結果依頼を受けると決めた。
 実際これは『このくらい』呼ばわりされてしまうような依頼だ。もちろん命の危険はあるが、そのくらい乗り越えずに冒険者などやっていられないだろう。ゴブリン四体。そのくらい自分たちだけの力でなんとかしてみせる。
 そう決めて食事を準備して二人でオランの街を出発したのが、今朝、というより昼頃のことだ。そろそろ陽が暮れようとしている『自由人の街道』を東に向かい歩きながら、アーヴィンドとヴィオはお喋りのような会話を続ける。
「ゴブリンって四体っていったよな。そんくらいなららくしょーだよな!」
「真正面から戦うのはどうかと思うよ。それは、確かに僕たちでも真正面からの一対一ならゴブリンくらい倒せると思うけど。ホブゴブリンや精霊使い種、王種がいる可能性だってあるんだから。万が一にも失敗しないように慎重に作戦を立てないと」
「んー……そだな! 命は大事にしないとだもんな!」
「そういうこと」
「で、ほぶごぶりんとかせいれいつかいしゅとかって、なに?」
 知ってるから流したんじゃなかったのか、と転びそうになりながらも、アーヴィンドは出発前に魔術師ギルドで調べてきたことを説明する。
「ホブゴブリンっていうのはゴブリンと近似関係にあるんだけど、人間と同じくらいの体格で力も強いんだ。精霊使い種と王種はゴブリンの上位種で、精霊使いとしての能力と王や戦士としての能力が高い。どれも僕ら二人だけじゃ少し厳しい相手だよ」
「ふーん。二人だけじゃなかったら?」
「うーん、僕たちと同程度の力量でも魔術師やら戦士やら盗賊やらが揃った偏りのない五、六人のパーティならたぶんなんとか」
「フェイクがいたら?」
「それは、全然問題にはならないよ。フェイクさんがいたらそれこそあっという間だ」
「そっかー。……あ」
「どうしたの?」
 ヴィオが空を見上げて小さく舌打ちをするのを見て訊ねると、ヴィオは難しい顔で言った。
「うろこ雲だ。……やだな、夜から雨になりそう」

「すいません、どうかベッドを貸して、少し眠らせていただけませんか」
 ホープ村に着いて最初にアーヴィンドが言ったのは、その一言だった。
 ホープ村への道は、アーヴィンドとしては苦行の一言に尽きた。別に道が険しかったわけでも怪物の類が出たわけでもないのだが、道行の間雨はずっと降り止まなかった。それだけでも不快だというのに、長距離を歩いたことがなかったアーヴィンドはマメをつくり潰して歩くのも辛くなってきてしまうし(ヴィオがカラスビシャクの球茎をすり潰して作ったという薬を貼ってくれた。このくらいで神の御力を借りるのは、と意地を張って癒し≠フ呪文は使わなかった)、湿った土の上に毛布だけで寝るという行為が思った以上に睡眠欲を削ぎ、加えてそぼ降る雨のせいでろくろく眠れず暖も取れず(一応交代で見張りをしていたのでよけいに)、四六時中鎧を着込んでいるという事態に肩はどんどん重くなり(一度用心のため鎧を着たまま眠ろうとしてひどい目に遭った)、ほとんどふらふらになりながら村までやってきたのだ。
 なので村に着くなり睡眠を要求するのは当然といえば当然なのだが、冒険者としてはふさわしくないのは確かだろう。たっぷり睡眠をとって消え入りたくなるような思いで起きてきたアーヴィンドに対する村人の視線は冷たかった。
 かと思いきやそうでもなかった。というか妙に熱かった。村の道を歩いているだけで娘たちにくすくす笑いながら見られたりするし、青年たちも自分を見ると顔を赤らめて凝視してくる。さすがに年のいった人々はそのようなことはなかったが、じろじろと見られることは変わらずアーヴィンドは内心首を傾げた。
「ゴブリンについて詳しい話をお伺いしたいのですが……」
 村の集会所で村長をじっと見つめて言うと、村長はやたらと咳払いを繰り返してから話し始めた。
「ゴブリンが出ると言いましたが、実はまだ大した被害が出ているというわけではないのです。この村の近くにある遺跡の中に陣取って、ときおり畑やら家やらから食料を奪い取っていくという程度でして」
「ですが、それがいつ豹変するかはわからないことでは?」
「その通りで。ゴブリンの数は確認できているだけで四体、これがどこまで増えるものかもわかりません。そこで早いうちに冒険者の方々に依頼して退治してもらおうと思ったのですが……」
 村長はじろじろとアーヴィンドたちを眺め回す。
「失礼ですが……あなた方で、大丈夫ですか?」
 いきなり信用されていない。まぁ最初がああでは当然だが、と思いつつもアーヴィンドは誠実に対応しようと口を開く。
「ゴブリンの四体程度ならば我々二人だけでなんとかなるかと思います。もちろんゴブリンが予想以上に多ければその限りではありませんが、たとえ王種や精霊使い種がいたとしても逃げ帰ってくる程度のことはしてみせます。もちろんすべて倒せなければ報酬はいただきませんし無償で護衛もさせていただきますので、それから改めて冒険者を雇いなおすなりなんなりなさればよいのではと思うのですが」
「だが、無駄に手を出してゴブリンどもを怒らせたらどうする気だ? 村に攻め込まれでもしたらあんたらだけの被害ではすまなくなるんだぞ」
 神経質そうな男が言う。アーヴィンドはその男の方を向いてにこりと微笑んでみせた。
 礼法の授業を思い出す。人と接する時は優雅に、品よく、そして有無をいわさぬように。
「そうならぬよう全力を尽くします。そして万一そうなった場合は死力を賭してでも被害が出るのを防ぎましょう。……ぶしつけなようですが、冒険者を雇うと決めた時点でその危険はあるのです。そして我々は冒険者の集まる都市オランの老舗『古代王国の扉』亭の主人がまず無事使命をこなせるであろうと判断して送り出した者たちである、ということをどうぞお考えください」
 きっぱり言い放つと、男は顔を赤らめてむにゃむにゃ言いながら黙り込んでしまった。アーヴィンドは奇妙に思いながらもまた村長の方を向いて続ける。
「そして我々自身も自分たちだけの力でこの依頼を達成できると考えております。そのためにはできるだけ多くの情報が必要なのですが……」

「僕ばっかり喋っちゃってごめん、ヴィオ」
「へ? なんで?」
 森の中を歩きながらアーヴィンドが言うと、ヴィオはきょとんと首を傾げた。アーヴィンドは困りつつも(ヴィオにそういう顔をされると男女どちらの対応をしたものか対処に困る。仲間を男女で区別するのはよくないと思いつつも)、説明した。
「君だってきっと依頼人の人たちに聞きたいこととか話したいこととか、この機会に実地で訓練したいこととかあっただろうに、僕ばかり喋っちゃって悪かったな、って」
「…………」
 ヴィオはしばしまじまじとアーヴィンドを見つめ、それからぶっと吹き出した。
「……? なにかおかしいこと言った?」
「んーんっ、嬉しくなっただけっ! アーヴ、いい奴だなっ! なんか一人前に扱われてる感じするっ」
「それは当たり前だよ。だって僕とヴィオは、同等の仲間じゃないか」
 にこにこと言うヴィオにそう応えると、ヴィオはまたまじまじとアーヴィンドを見つめ、にっかーっと満面の笑みを浮かべた。
「うんっ! どーとー、どーとー!」
 なぜかアーヴィンドの手を握ってぶんぶんと振り回すヴィオ。アーヴィンドは気恥ずかしかったが、されるがままになっていた。胸のくすぐったいような疼きが、なぜか心地よい。
「じゃ、俺も今度からはどんどん口出すなっ。どーとーだから!」
「うん、そうだね……そろそろ遺跡じゃないかな?」
 半分は照れくさい話題を打ち切るために言った言葉だったが、言ったとたんヴィオはきゅっと唇を引き結び、精神を集中している時の顔をする。どうしたのだろう、と思いつつも黙って待つと、ヴィオはくりっとアーヴィンドの方を向き言った。
「あともーちょっとで遺跡だよ。十分ぐらい歩いたとこ。地図覚えてるから、間違いない」
 よくそんなことがわかるな、と驚いたが、おそらくは野外活動を積んできた経験と勘がそう言っているのだろう、とアーヴィンドは判断してうなずいた。
「わかった。じゃあ、これから先はゆっくり進もうか」
「うん」
 うなずきあってできるだけ足音をひそめながら進む。道は一応できていたのでさして音をたてずにすんだ。
 アーヴィンドが完全装備なら音をたてないわけがなかっただろうが、今現在アーヴィンドは鎧を脱いで身軽になっている。ゴブリン相手ならば戦士としての力よりも、初歩の魔術しか使えないとはいえ古代語魔法の使い手としての能力の方が求められるのではと思ったからだ。
 しばらく進んでいくと、木々の合間から言われていたような遺跡が見えてきた。その前にはゴブリンが一匹、ときおりあくびをしながら見張りをしている。
「よし、一匹だ……作戦1の通りにやろう」
「了解」
 二人で木陰に並び、ぎりぎりと弓弦を引き絞ってゴブリンを狙う。ゴブリンが一匹の場合は二人で狙撃、と打ち合わせしていたのだ。
 野伏の心得のないアーヴィンドは見つかる危険性があったが、その時のためにすぐに拾える場所に魔術師の杖を置いてある。見つかったなら順次眠りの雲≠ナ眠らせていけばいいだけのことだと考えたのだ。
 ぎりぎりまで精神を集中させて狙い、ほぼ同時に二矢が放たれる。ぐさっ、と勢いよく刺さった二本の矢は、見張りのゴブリンを見事仕留めたようだった。ぐらぁ、と倒れるゴブリンに、思わずよし、と拳を握り締める。
 近寄って生死を確認する。息もしていない、瞳孔も開いている、脈もない。無事倒すことができたようだ。
 ヴィオとうなずきあい、一応懐を探ってから(鍵の類がないか調べるためだ)、遺跡に入った。これからが本番だ。

「……ふぅ」
 軽く息をついて、ヴィオと笑いあう。無事仕事を成し遂げた達成感が胸に満ちていた。
「これで遺跡の中は全部見回ったよな?」
「うん。仕事完了、だね」
 うずうずするような胸のざわめきに思わず音高く手を打ち合わせてまた笑いあう。自分たちはやったのだ、と思うと自然笑みがこぼれ出た。
 アーヴィンドはホープ村の遺跡のことをオランで調べてきていた。以前バレン師から聞いたことがあったのだ。ホープ村の遺跡を調べに向かい、結局なにも見つけられず、ゴブリン退治にやってきた冒険者たちに地下の遺跡を発見されたことを。
 なので内部の詳しい地図の記録も閲覧してきた。もはや探索しつくされた遺跡なので鍵もかかっていないし罠もない。盗賊がいないのだから危険性を確かめるためにそのくらいのことは当然調べておいてあるのだ。
 というわけで遺跡中をくまなく調べ、ゴブリンを全員倒した。残りの三匹は同じ部屋で眠っていたので、眠りの雲≠ナより眠りを深くしてから全力で殴ったのだ(もちろんアーヴィンドは愛用のメイスも持ってきている)。
 ゴブリンは本当に四匹しかいなかったようで、遺跡をくまなく探しても他にゴブリンはいなかった。それを確認し、アーヴィンドとヴィオは仕事の達成感に打ち震えているところなわけだ。
「さ、急いでホープ村に戻ろう。村の人に死体を確認してもらわないと」
「持って帰んなくていいかな?」
「ううん……たとえゴブリンでも四体持って帰るのは難しいと思うよ。一応野犬とかに食べられないように遺跡の中にだけ入れておけばいいんじゃないかな?」
「そか、そだな。よーっし、じゃー帰ろっか!」
「うん」
 二人で並んで外に出る。まったく警戒などせずに。
 なので、遺跡の出入り口の扉を開けたとたん、巨大な瞳と目が合ったときには、固まった。
『…………』
 その瞳の持ち主は、陸の鱗を持つ種族特有のきろりとした目をこちらに向け、吠える。
「ギャオォォオンッ!」
 とたん硬直が解けた。ばたん、と全力で扉を閉めて、がつがつと戸を叩く力を必死で抑えながら叫んだ。
「い、い、い、今の見た!?」
 早鐘を打つ心臓に落ち着けと叱咤しながら言うと、ヴィオもこくこくとうなずく。
「み、み、見たっ。なに今の? あれなに? ドラゴン?」
「いや、違う……あの巨大な翼、首の長さ、足の小ささ、あれは……」
 ごくりと唾を飲み込んでから、告げる。
「ワイバーンだ」
「わいばーん……どんな怪物なの?」
「ドラゴンの亜種の幻獣……知能は動物並み、だけど歴戦の戦士でも勝つのは難しいくらい強い。炎は吐かないけど尻尾に猛毒があって、一挙動の間に牙と鉤爪二本と尻尾の四つで同時に攻撃してくる……」
「俺たちで勝てる?」
 アーヴィンドはきっぱりと首を振った。
「無理。まず無理。奇跡が十回ぐらい起こらないと無理。なにも策略立ててない状況じゃまず不可能」
「じゃあ………」
 まじまじとお互いを見つめあう。
「どうしよう?」
「……考えていても仕方ない。待っている間にどこかへ行ってくれるのが一番ありがたいんだけど、どうやら向こうは俺たちを餌に狙い定めたらしいし、いつまでもこうしてたら絶対押し負ける。全力で走って遺跡内の建物に隠れて」
 そこまで言って気付いた。扉を押す力が感じられない。それよりもこのばさっ、ばさっ、という羽音は?
 ヴィオと一緒におそるおそる上を見上げ、固まった。自分たちのすぐ上に、ワイバーンが飛んでいる。
 ヒョオ、と空気を裂く音を立ててヴィオに鉤爪が襲いかかる。ヴィオは口をあ、の形に開けたまま爪に捕まえられた。ぐい、と持ち上げられて翼が羽ばたき、はるか空へと持ち去られようとする――
 そう理性が認識するより早く、身体が動いた。
「ファリスよ!=v
 全力で突き出した腕から放たれる衝撃。びしり、とひびの入るワイバーンの爪。「このこのこのこの!」とヴィオがめちゃくちゃに暴れて折れた爪の間から滑り降りる。アーヴィンドは卒倒しそうなほどの精神力の消費に、ぐらぁ、と身体を傾けた。
 だが必死に踏みとどまる。ここで倒れている暇はない。冒険者の心得その一、生き延びられれば負けじゃない、だ!
「ヴィオ、走るよ!」
「うん!」
 ワイバーンの身体を避けて向かいの遺跡の扉へ走る。この全力疾走でワイバーンの攻撃範囲から逃れらられば。
 だがワイバーンの飛行速度はアーヴィンドたちの全力疾走よりはるかに早かった。というよりワイバーンの身体を避けながらの移動より直線で動くワイバーンの方が必要な移動距離が少なかったというべきか。
 そしてワイバーンの身体の大きさも計算に入れ忘れていた。ワイバーンの巨大な身体から伸びた首は、予想外の間合いでアーヴィンドの身体に牙を突き立てる。
「ぐぅっ……!」
「アーヴっ!」
 激痛。けれど癒している暇はない。今にも倒れそうなほど血が噴き出して背中が焼き鏝を押し当てられたように熱く頭がぐらぐらと揺れるが、まだ生きている。
 二撃目には耐えられない。早く、早く、逃げなければ。自分が遅れればきっとヴィオにも迷惑が。
 動け足。震えるな手。早く扉を開けて遺跡の中へ。そこまで逃げればワイバーンでももう。
「アーヴっ!」
 遠のく意識を必死に叱咤して扉を開け、中に倒れこむようにしながら振り返る。その瞬間その考えはあまりに甘いものだと理解した。
 ワイバーンはすでに自分たちの目の前までやってきている。獲物を逃がさされたせいか怒りの咆哮を上げながら自分に襲いかかろうとしている。牙に鉤爪、おまけに尻尾を振り上げて。それをヴィオが、硬革鎧しか身につけていないヴィオが、自分の身体で庇おうとしている――!
「ヴィオーっ!」
 血を吐きながら掠れた声で必死に叫ぶ――とたん、ワイバーンの動きが止まった。
『……え?』
 思わず声を揃えてしまった。ワイバーンは襲いかかろうとした格好のまま、完全に硬直している。足も翼も身体も瞳や牙の一本すら、まったく動かない。
『…………』
 呆然と顔を見合わせ、それからアーヴィンドは我に返った。
「ヴィオ! 槍をこいつの目から脳髄に突き刺して! 僕はなんとか頭蓋骨を叩き割れるようやってみるから!」
「え、えーと、よくわかんないけどわかった!」
 それからの作業はファリスの使徒としては反省すべきかもしれない虐殺だった。完全に麻痺したワイバーンを貧弱な武器と力で必死に叩きのめし打ち殺す。悲鳴を上げることもできないまま、ワイバーンはヴィオの槍で脳髄をかき回されて死亡した。瞳孔の反応がないことと呼吸の停止、拍動の停止を確認し、ようやく息をつく。
 とたん、ぐらりときた。
「わ! わー、アーヴ! ちょ、大丈夫、しっかりしてよー!」
 大丈夫だよ。ただちょっと血が流れすぎただけ。そう言う元気もアーヴィンドには残っていなかった。
「あーもうなんでまだ昼なんだよーっ、早く夜になればかー! しっかりしてねっアーヴ、俺が絶対助けてみせるから!」
 もう助けてもらったよ。君が仲間のために命をかけてくれたところ、しっかり見せてもらったもの。
 そう言うだけの元気を取り戻すために、アーヴィンドは最後の精神力を使って自分に癒し≠唱えた。

「……そういうわけで、ホープ村の依頼は完遂。報酬の四百ガメルも受け取りを完了しました」
「ご苦労さん。ま、次の冒険まで体を休めておくこった」
「はい」
『古代王国への扉』亭の店主ランドに頭を下げて、アーヴィンドはヴィオと一緒にテーブルに戻ってくる。そこにはずらりと料理が並べられており、その向こう側にフェイクがにやにや笑いながら座っていた。
「初仕事お疲れさん。さて、無事の帰還を祝って打ち上げといくか」
「……フェイクさん」
「ん? なんだ?」
 笑顔を崩さないフェイクを、アーヴィンドは睨むように見つめて言う。
「最初からそのつもりだったんですか?」
「お前さんはどう思う?」
「質問に対して質問で答えるのは卑怯です」
「お前さんなら簡単に想像できることじゃないか?」
 くくっと笑って言うフェイクに、アーヴィンドは深々とため息をつく。
 そう、簡単に想像できる。なぜ最初からわからなかったのか自分を罵りたくなるほどに。
 自分たちを寄ってくる障害から守る、とフェイクは言った。フェイクほどの人間が前言をたがえるとは思えない。ワイバーンの襲来のような突発事故が起きることも、長年アブガヒードの呪いと付き合っていたフェイクならば簡単に予測できただろう。
 つまり、最初からフェイクはずっとこっそりついてきていたのだ。フェイクほどの腕の持ち主なら自分たちに気付かれないよう後をつけるのはたやすいことだっただろう。そしてゴブリン退治の依頼、さらにはワイバーンという突発事項に自分たちがどれだけ立ち向かえるか試した。そしていよいよ死ぬかも、という時になってぎりぎりで麻痺≠フ呪文で助け舟を出したわけだ。
「これからも同様の真似を続けるおつもりですか」
「バレなきゃその予定だったんだがな。だがまぁバレちまった以上仕方ない。堂々と保護者をやってやることにするさ」
 アーヴィンドはまた深々と息をついた。今回の冒険がこの男の手の内で転がされていたようで、非常に面白くない。
 だが自分たちが彼に助けられたのは間違いのない事実だ。もう一度息をついてから、ぺこりと頭を下げた。
「助けてくださってありがとうございます、フェイクさん」
「…………」
 しばしまじまじとアーヴィンドを見つめ、それからフェイクは吹き出した。さすがにムッとした顔になるアーヴィンドに、「悪い悪い」と笑みを堪えながら言う。
「ったく、あんたは本気でお育ちがいいな。これから本気で冒険者やってけるのか心配になってくるぜ」
「……全力を尽くします」
「その言い方がすでにお育ちがいいんだよな……まぁ、あんたが音を上げるまではどこまでも付き合ってやるさ」
「んー? アーヴとフェイク、さっきからなんの話してんだ?」
「なんでもないさ。なぁアーヴィンド?」
「……心配しなくてもあとで話してあげるよ、ヴィオ」
「あ、ずるいぞお前」
「それより、初めての冒険の打ち上げをしませんか。せっかくこれだけ料理を頼んだんですから」
「そーだなっ! 乾杯しよ、乾杯!」
 それぞれジョッキやらカップやらを持って高々と差し上げる。アーヴィンドのカップの中に入っているのは果汁、ヴィオのジョッキの中に入っているのはエール、フェイクのグラスの中に入っているのはワインだ。
「冒険の成功を祝って」
「次の冒険もまた成功に終わることを祈って」
「かんぱーい!」
 かつん、と飲み物を打ち合わせて、アーヴィンドはこっそりファリスに祈った。
 我が神ファリスよ、僕の心をお救いください。フェイクさんに頼らず、ヴィオの心を酌む、一人前の冒険者への道を進めるよう、標をお灯しください。
 周囲からやけに視線が来るなぁ、と思いつつも少しもその理由には思い当たらないまま、アーヴィンドはくいっと果汁を飲んだ。

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キャラクター・データ
アーヴィンド・クラーク・リズレイ・プリチャード(人間、男、十五歳)
器用度 12(+2) 敏捷度 20(+3) 知力 23(+3) 筋力 15(+2) 生命力 19(+3) 精神力 20(+3)
保有技能 プリースト(ファリス)3、セージ2、ファイター1、ソーサラー1、ノーブル3
冒険者レベル 3 生命抵抗力 6 精神抵抗力 6
経験点 1033
武器 ヘビーメイス(必要筋力15) 攻撃力 4 打撃力 20 追加ダメージ 3
ダガー(必要筋力5) 攻撃力 3 打撃力 5 追加ダメージ 3
ロングボウ(必要筋力15) 攻撃力 3 打撃力 20 追加ダメージ 3
スモールシールド 回避力 5
ラメラー・アーマー(必要筋力15) 防御力 25 ダメージ減少 3
魔法 神聖魔法(ファリス)3レベル 魔力 6
古代語魔法1レベル 魔力 4
言語 会話:共通語、東方語、西方語、上位古代語、下位古代語
読文:共通語、東方語、西方語、上位古代語、下位古代語
ヴィオ(人間、性別不詳、十五歳)
器用度 15(+2) 敏捷度 19(+3) 知力 18(+3) 筋力 18(+3) 生命力 21(+3) 精神力 21(+3)
保有技能 シャーマン3、ファイター2、レンジャー1
冒険者レベル 3 生命抵抗力 6 精神抵抗力 6
経験点 33
武器 ロングスピア(必要筋力18) 攻撃力 4 打撃力 23 追加ダメージ 5
ロングボウ(必要筋力18) 攻撃力 4 打撃力 23 追加ダメージ 5
なし 回避力 5
ハード・レザー(必要筋力9) 防御力 9 ダメージ減少 3
魔法 精霊魔法3レベル 魔力 6
言語 会話:共通語、東方語、精霊語
読文:共通語、東方語
月の主<tェイク(ハーフエルフ、男、九十歳)
器用度 18(+3) 敏捷度 21(+3) 知力 19(+3) 筋力 10(+1) 生命力 18(+3) 精神力 21(+3)
保有技能 シーフ10、ソーサラー8、レンジャー7、セージ6、バード6
冒険者レベル 10 生命抵抗力 13 精神抵抗力 13
経験点 3533
武器 月光の刃 攻撃力 16 打撃力 13 追加ダメージ 14
なし 回避力 16
ソフト・レザー+3(必要筋力5) 防御力 5 ダメージ減少 13
魔法 古代語魔法8レベル 魔力 11
呪歌 ヒーリング、レストア・メンタルパワー、チャーム、レクイエム、キュアリオスティ、ノスタルジィ
言語 会話:共通語、東方語、上位古代語、下位古代語、西方語、エルフ語、ドワーフ語、
リザードマン語、ケンタウロス語、ゴブリン語、マーマン語、ジャイアント語、ハーピー語
読文:共通語、東方語、上位古代語、下位古代語、西方語、エルフ語、ドワーフ語
マジックアイテム
割り込みの足環(インタラプト・アンクレット)
知名度 18
魔力付与者 複数
形状 銅色に輝くアンクレット
基本取引価格 五万ガメル
魔力 自分の敏捷度以下ならいつでも割り込みで行動できる。
 フェイクの携帯しているマジックアイテムのひとつです。足にぴったりはまる足環の形状なので服で隠れて他者にはこのアイテムを所持していることがわかりにくくなっています(他にもフェイクはわかりにくい方法でマジックアイテムをいくつも携帯しています)。
 この足環を装着している者は、ラウンドの最初の行動宣言で待機を宣言した場合、自分の敏捷度以下ならばどの行動順でも行動することができます。フェイクの場合は0〜21の範囲でならばいつでも行動を宣言できます。
 つまり最初に待機を宣言しておけば自分の敏捷度以下の相手にならば相手の行動を聞いてからそこに割り込むようにして行動できるわけです。