前回の冒険での経験点は、
・最大の障害が冒険者レベル7のソーサラー(モーリッツ・オイゲン)。
・倒した敵の合計レベルは31(オイゲンの家に突入した際にヴィオたちはスケルトン・ウォリアー三体と交戦しています)。
・デックたち四人は冒険に参加したキャラクターとみなします。
 なので、
・アーヴィンド……3541(麻痺の指輪の抵抗時に一ゾロ)
・ヴィオ……3531
・フェイク……1031
 となりました。
 成長は、
・アーヴィンド:セージ2→3。
・ヴィオ:ファイター3→4、レンジャー2→3。
 以上です。
候子は劇場で幽霊を見る
 アーヴィンドは出納帳と、目の前に出されたガメル銀貨を見比べ、深々と息をついた。
 何度見ても残り38ガメル。何度見ても残り38ガメル。何度見ても残り38ガメル……!
 はぁぁぁ、と深く深く息をつく。どうしよう。どうすればいいんだろう。前回デックたちの依頼を受けてから一週間。その間、先輩冒険者たちから聞いた心得を自分なりに全力で活かしてみた。あちらこちらの冒険者の店に顔を出し、なんでもいいから仕事をくださいと拝み倒さんばかりの勢いで懇願した。
 が、成果はまったくなし。どの店も、「悪いがうちの店にゃあ今あんたに任せられるような仕事はないねぇ」というようなことを言うばかりで、仕事をまったく与えてはくれない。本当になにかに呪われているんじゃという勢いだった。この一週間懸命にオラン中を足を棒にして歩き回ったが、収入は一ガメルも入っていない。
 前回の依頼で得た報酬はあっという間に減っていった。自分は勘違いしていたのだが、確かに切り詰めれば一日の生活費は10ガメルですむ。が、宿代はまた別なのだ。宿に泊まっている限り、一日30ガメルをきっちり払わねばならないのだ!
 必死に自分たちの泊まっている冒険者の店『古代王国への扉』亭の主人ランドと交渉し、一週間この宿に泊まり続けるのなら宿代を一週間で150ガメルにまけてやってもいい、という言葉を引き出した。勇んで飛びついて一週間必死に冒険者の店を回って――結果は仕事も収入もまったく皆無、というわけだ。
 うううううと残金38ガメルを見つめながら唸る。どうしよう。本当にどうすればいいんだろう。このままでは明日、金が払えずに自分たちは宿を追い出されてしまう。
 しかもこれではもはや明日の食事を取る代金さえおぼつかない。飢え死にするか、装備を売るかの二択だ。けれど装備を売るというのは、もはや冒険者としての生を捨てることを意味する。ああ、本当に、どうすれば。
 いや駄目だ、とアーヴィンドは隣で自分の残金8ガメルをわかっているのかいないのか微妙な顔で見つめるヴィオを見て自分を戒める。そんなことを言っていては駄目だ。自分の命は自分だけのものではない、ヴィオの命を守るための命でもあるのだ。彼(今は朝なので)のことを考えないまま思考の放棄をするなど、ファリス神にもプリチャード家の始祖にも、あの人にも申し訳が立たない。
 よし、せめて日銭を稼げるような仕事がないか港に行ってこよう、とうなずいて立ち上がる。先輩冒険者たちに教わりはしたものの、できるならば冒険者として糧を得たいと最後まで選ばなかった選択肢だ。港では常に商人たちが荷の揚げ降ろしを行っている、荷役は常に入用なはず。
 と、その立ち上がった頭を、上からぽふっと叩かれた。
「え……あ、フェイクさん!」
「あ、フェイク! どしたの、今日は?」
「よう。お前ら今日もしけた面してるな」
 うぐっ、と痛いところを突かれて黙り込む。自分が正直見るに耐えない顔をしているのは自覚している。この一週間一度も湯屋に行っていない上、生きるための仕事にきりきり舞いになっている形相など、見ていて楽しいものであるはずがない。
 こういう生活を続けている人間がこの世には山ほどいる、というのは知っているが、知っているだけだったのだということをつくづく思い知らされた。貧乏というのは、本当に、心がすさむ。
「ふん……なんだその金。もしかして、お前らの残りの所持金全部、とか言うか?」
「うっ……はい」
「そーなんだよなー。もー金ねーから明日から宿に泊まれねーしメシも食えねーんだって。そんでどーしよーかなーって、アーヴと相談してたとこ」
 ふん、とフェイクは鼻を鳴らしてみせる。というか、これは鼻で笑われたという方が正しいような、と身構えるアーヴィンドに、あっさりと言った。
「それならそこらの道歩いてる金持ってそうな奴にアーヴィンドがお金をくださいお願いしますと涙ながらに頼んでみせたらどうだ」
「そ、んなことっ! ……できません」
「それが嫌なら冒険者の店の主人に、体を差し出すから仕事をくださいと言ってみればいい。さもなければ実家に泣きつくか、お前の親父さんが寄付金をたんまり弾んでる神殿やら魔術師ギルドやらに泣きつくか、な」
「そんなこと、できませんよ……できないとわかっていておっしゃっているのでは」
「できなきゃ飢え死にするんだよ、お坊ちゃま」
 ぎろり、とフェイクが底冷えのする目でこちらを睨む。そのかつて実戦の時に見せたような眼光の鋭さに、悔しいが一瞬息が詰まった。
「お前は仕事が来ないって嘆いてるがな、どの店の親父も仕事をよこさないのは、お前らに合った仕事がないってのももちろんだが、お前のその腹の据わらなさを見抜かれてるせいも大いにあると思うぜ。飢えたことも雨風に晒されたこともない侯爵家のお坊ちゃんが道楽でやってる冒険者なんてもんに、そうそう金と命を預けられる酔狂な奴がいると思うか」
「っ……」
「仕立てのいい服を着て、艶のある肌で、金がないから仕事をくれろと言う。普通の庶民は、そりゃあむっともするだろうさ。なりふりかまわないと生きていけないなんて状況になったことがないから意地を張れる。要するにお前は、まだ甘やかされてるまんまなんだよ」
「……っ」
 アーヴィンドは一瞬絶句して、数秒必死に言葉を探し、効果的に反論しようと試みて、うまい言葉を思いつかないことに顔をうつむけそうになったが、その時ひょいと横から手が伸ばされて自分の手を握ったので、はっとして顔を上げた。手の主であるヴィオは、いつも通り子供のような瞳で、大丈夫? とでも言いたげに自分を見上げている。
 一瞬胸が詰まったが、その溢れそうになる感情を全力で消化し胸に落ち着けて、大丈夫だよという気持ちを込めて微笑み返した。ヴィオがにぱっと安心したような微笑みを浮かべるのにさらに力づけられ、静かに顔を上げてフェイクに向き直る。
「確かに、僕は甘やかされています。仕事を、手段を選ぶ理由があるのは選ぶ余裕があるからだと言われると、確かに反論のしようはありません。ですが、ならばこそ、選ぶ余裕があるだけの価値のあることを為さねばならない、と僕は思います。甘やかされた僕が、ただ生きるためだけの生を送るようになってしまっては、それは堕落といわざるをえないものでしょう。甘やかされた分を引け目に感ずるのではなく、その分を世界に対して返していくのが、ファリスの御心にも、人の道にも適うことだと思います」
「ふん……お前さんはまったく、生まれついての貴族みたいな奴だな」
「……今は、その言葉に見合うだけの価値のあることをできてはいませんけれど」
 くくっ、とフェイクは喉の奥で声を鳴らして笑った。
「それでどこまでいけるか知らんが、ま、せいぜい頑張んな――と、それはともかく、お前さんに手紙だ」
「手紙?」
 差し出された上質の封筒を受け取って、その封蝋に押された紋章に思わず固まる。そこに押されていたのはプリチャード家の紋章――すなわち、この手紙は。
「父上から、ですか……?」
「そういうこと。そろそろ一週間に一度の顔見せが近づいてるだろうが」
「う……」
 思わずわずかだが顔をしかめてしまった。冒険者になる時に約束した、貴族としての教養や実務能力訓練の授業を受けるための一時帰省。父や母には申し訳ないとは思うが、最初から嬉しかったことはないのだが、今回は特になにもこんな時に、とつい思ってしまう。
 しかも今回はろくに湯屋にも行っていない。一応自習はしていたが、やはり身が入っていたかというと怪しいので授業もいつも通りとはいかないだろうし。こういう風にちゃんと両親に申し訳ない気持ちで会わなければならないというのは、なんとも身の置き所のないことだなぁ、などと思いながら封を開き、手紙を読み進める――が、思わず眉間に皺を寄せてしまった。
「なになに? なんて書いてあんの?」
「……観劇の誘いなんだ。授業のあとで、僕が好きだった劇団の、新劇場の杮落としがあるから行かないか、って」
 そしてその誘いの文章の背後からこれを機に貴族としての生活に戻らないか、という意図がぷんぷんと匂ってくる。もしかしたら自分の現状を配下を使って探っているのかもしれない。そんな意図に従う気持ちはまるで起きないが、自分の贔屓の劇団の杮落としを観てみたい、という素直な気持ちはなくもなかった。
 だが顔を合わせた時に誘えばいいのに、これをわざわざ手紙にしてフェイクに持たせるというのは、どういう意図があってのものなのか。
「へー。なーなー、かんげき、ってなに?」
「えぇと、劇を見ること。知らない? 演劇。吟遊詩人の歌う詩みたいな物語を、衣装を着た役者たちが演じるんだ」
「へー。面白いの?」
「好みにもよるけど、僕は嫌いじゃないかな」
「ふーん。こけらおとし、ってなに?」
「劇場……劇をやる建物を新しく建てたり、改築してから初めて行う興行……劇をお金を払った人たちに見せる連日の催し、かな。記念になるわけだから、劇団……劇をやってお金を得てる人たちも、思いきり気合を入れて派手にやることが多いんだ」
「へえぇー。おもしろそー! なんか見てみたいな!」
 目を輝かせるヴィオに少し苦笑して、それからはっと気づき、しばらく考えてからよし、と決意してアーヴィンドは訊ねた。
「だったら、一緒に来てみる?」
「へ? なにに?」
「杮落としの観劇に。僕の両親が選んだ席になるだろうけれど、その前に昼食は出るだろうし、終わった後にも夕食に連れて行ってもらえると思う」
「え! いーのっ!?」
「もちろん、そうでなければ誘わないよ。この手紙には、仲間を連れていってはいけない、とは書いていないし。たぶん、向こうもある程度それを予期してるんじゃないかな」
「ほんとっ!? わーいうれしーなっ、かんげきだかんげきだーっ!」
「あの……でも。僕の両親のせいで、不快な思いをすることがあるかもしれないよ? 僕の両親は、僕に冒険者を辞めさせたがっているから」
「そんなの気にしないってー。俺、アーヴのおとーさんとおかーさんがなに言っても、アーヴと一緒にいるもん」
「え……」
「……いて、いいんだよね?」
 じっとこちらを見上げ訊ねられ、アーヴィンドは思わずこくこくとうなずいた。
「う、うん! いていいというか、その、いてほしいな」
「そっか! よかったっ」
「……若いっていいねぇとか言うところか? ここは」

 がらがらがらがら、と四輪馬車の車輪が音を立てる。プリチャード家所有の馬車には当然ながら用途に応じた格があるが、これはその中でもそれなりに格の高い、二頭立ての四輪馬車だった。四人乗りのこの馬車は、主に移動の快適性に重点が置かれ、室内には柔らかなクッション、車輪にも揺れない工夫が施されているので、オランのような石畳を敷いてある道を走る時にはほとんど座っているだけで快適に目的地まで運んでいってくれる。
「アーヴィンド、その服の着心地はどうだ? 先週採寸させた寸法だが、ぴったりのようでなによりだ」
「アーヴィンド、チョコレートはどうかしら? あなたの好きな銘柄を取り寄せたの」
 馬車の中でにこにこと笑顔(押し出し満点の)を浮かべながらずいっと近付いてくる両親に、アーヴィンドは内心ため息をつきながらにっこり微笑んでみせた。
「ありがとうございます、父上、母上。ですが、そうお気をお遣いにならないでください。僕は今でも充分快適ですから」
 もちろん裏の意味としては冒険者としての暮らしをつつがなく行えていますよ、という意味を含ませている。両親共にそれに気づいているだろう。たとえ実際にはまったくつつがなくなかろうとも、そう言い張るだけの隙のない態度を見せていれば、向こうはその言葉を前提に行動するしかない。
 事実としては、三着の着替えを何度も洗濯して着回している身なので新品の絹で織り上げられた衣装は肌に心地よかったし、以前はよく食べていたチョコレートも今の自分には相当な高級品なので(なにせそこの銘柄は本場ラムリアース産だ)懐かしくはあったが、それを正直に表すわけにはいかない。そんなことをすれば『そんな生活をしているなんて許すわけにはいかない!』と満面の笑顔でねじ込んでこられるだろう。
 そのためになけなしの金をはたいて(ヴィオと一緒に)湯屋にも行って体を磨き上げもしたし、服も洗濯したてのものを身につけ、自分にできる限りの努力を払って身奇麗にしてきたのだから。ヴィオにまで身奇麗にするよう頼んだのだ、隙を見せるわけには絶対にいかない。
 ヴィオには本当に申し訳ないけれど、とちらりと隣に座るヴィオの様子をうかがう。ヴィオは物珍しげに車内やどんどんと過ぎていく街の景色を見つめていた。
 一緒にアールダメン候邸までついてきてもらい、両親に挨拶をしてもらい、昼食を一緒に取り自分が授業を受けている間は屋敷の中を見物してもらい。それだけでもつきあわせてしまって申し訳ないと思っているのに(感想を訊ねた時は、メシもうまいし珍しーもん見れるし楽しいよ! と言ってくれたけれども。挨拶の時も食事の時も、侯爵夫妻に対しても使用人に対しても変わらないその開けっぴろげな態度に、不興を覚えた者もいただろうが好意を持ってくれた使用人もけっこういたようだ)。
 彼女(夜になったので)にも一緒に劇場に来てもらうということで、貴族の基準にしてはかなり動きやすいドレスを着てもらっているが(劇場での観劇は貴族同士の社交の場としての面も強い)、ヴィオにしてみれば今までに味わったことのないような苦行ではないだろうか。両親は半ばヴィオを無視して話しているし、このあとも貴族の社交という面倒極まりないものに(むろん極力防ぐつもりではあるが)つきあわせなくてはならないし。
 そんな心配の感情が視線に表れたのか、ひょい、とヴィオはこちらを向いた、かと思うとにこっと元気に微笑んでみせる。その顔にはヴィオがこの経験を珍かなものとして楽しんでいることが現れており、アーヴィンドはほっとして微笑み返した。ああ、やっぱり、ヴィオはどこへ行ってもヴィオのままだ。
「……アーヴィンド! 今日の演目は『魔法戦士の英雄譚』なのだ、お前の好きな演目のひとつだったな!」
「アーヴィンド、もちろん今日もいつもの一番いい席を取らせましたからね、一緒に楽しみましょうね?」
「……はい、父上、母上。わざわざお気遣いいただいて申し訳ありません」
 二人の勢いに気圧されながらも微笑んでみせる。この二人がヴィオに自分が親しくすることを警戒しているのだろうな、というのはわかっていた。ヴィオを屋敷に連れて行った際にもあからさまに渋い顔をされたし(敵情視察ということなのだろう、断られはしなかったけれども)。
 けれど、だからといってヴィオから引き離されるのは承服しがたかった。ヴィオは仲間で、共に命を預ける相手なのだ。今の自分が属する場所は、両親たちの膝の下ではなく、ヴィオの隣なのだから。
 がらがらっ、と音を立てて馬車が止まった。窓から外をのぞき、目的の劇場――センティナ劇場であることを確認し、従者が扉を開けたあとに最初に降りて、ヴィオを馬車から降ろすべく手を伸ばす。
 が、ヴィオはそんなことにまるで気づきもせず、ひょいとスカートを持ち上げてぴょんと地面に飛び降りた。一瞬仰天したが、すぐにふふっと笑う。そう、これが彼女の流儀なのだ。彼女はただひたすらに庇護されるようなか弱い女性では、まったくもってない。
 できるだけ煩わしい挨拶を避け、さりげなく足早に案内人に先導され席へと向かう(何度か挨拶はしなければならなかったけれども)。アールダメン候家という家名の力と、落とした金と、あとはこれまでにも贔屓にしてきたというせいもあるのだろうか、自分たちはいつも通りの特等の個室へと案内された。舞台から見て右上、舞台を眼下に望むそれなりに見やすい席だ。
 一番前に侯爵が、その隣に侯爵夫人が。そのさらに隣に自分が、そのさらに隣にヴィオが座る。もともとこの個室は五人入れるので、人数に問題はなかった。
「ヴィオ、劇の間は喋ったり大きな音を立てては駄目だよ。役者の台詞や音楽が聞こえなくなってしまうから。あと、ご不浄に行きたい時はそっと立って、扉の外の案内人の方に案内してもらって」
「そっか、わかった! なーなー、この……ちょこれーと、だっけ? 食っていいの? なんかうまそー!」
「はは……うん、もちろん。好きなだけどうぞ」
「わーい!」
 嬉しげに叫んで頬張り始めるヴィオについ笑んで、アーヴィンドも隣でチョコレートを口に入れた。懐かしい銘柄の懐かしい味。甘く、苦く、オレンジピールの深い香りがする。
 それはもちろん舌に馴染んだ、『おいしい』と認識できる味ではあったけれど。
 ちらり、とまたヴィオを見る。ヴィオは楽しそうな顔をしながらいろいろなものを味わっている。侯爵家の美食も、特別扱いも、衣服その他の贅沢も、『珍しい体験』として。
 うん、とうなずき、思わず微笑む。たとえ日雇い労働に出なければ明日の宿も食事もおぼつかない身だとしても、ヴィオがいる限り自分は微塵も揺らがずにすむ。これまで自分が受けてきた候子としての扱いは、決して当然のものではないのだと、今も思えている。
 なので、アーヴィンドは舞台へと目を向けた。かつて候子であった、一冒険者としての目で。

「……『おお、愛らしきおのこよ、なれはなにを望む?』」
「『我が望むは英雄の道! 我は焦がれ、願う、英雄として魔女を打ち滅ぼさんことを!』」
 背筋を伸ばし、肘掛に肘を置き、アーヴィンドは劇を楽しんでいた。劇を観るのは好きだ。基本的に英雄譚をはじめとする物語を好むせいもあるのだが、そうでなくとも質の高い演劇というのは楽しむに値する娯楽だ。時には美しい女性を、時には力強い男を、時には弱い人間を醜い存在を、舞台上に見事に描き出すその様は確かに、人の心を動かすものがある。
 舞台上では三人の、それぞれに美しい女優が男の子にしか見えない役者と掛け合いを行っていた。台詞を高らかに謳い上げる女優たち(化粧でわかりにくくはあるが、たぶん以前からいる女優たちだ)も見事だったが、アーヴィンドはそれよりも男の子役に注目していた。
『魔法戦士の英雄譚』はひどく長い作品で、すべて一度に上演するとぶっ続けでやっても一週間以上かかるのだが、今回はその中の一掌編、『子供となった魔法戦士』だ。これは基本的に番外的なもので、全編上演の時は省略されることも多いのだが、今回の杮落としで演目として選ばれたのはやはり、魔法戦士が子供となった状態の役者のせいだろう。
「『美しく、心優しき女子たちよ、力なき我に力を与えたまえ、どうかどうか、我に魔女を滅ぼす刃を握る力を!』」
 この役者を見るのは初めてだが、実際驚くべき役者だった。見事な声量、巧みな演技、視線にすら明らかな力が篭もり周囲を圧する。なにより、動作の一つ一つに華があり、ぱっと目を引くのだ。
 年の頃は十歳にもならない子供に見えるのに、この役者ぶり。遠目ではわからないが、おそらくはグラスランナーなのだろう、と思った。それなりに格式の高いこの劇団で、亜人を劇団に入れるというのはそれなりに危険性のある賭けだと思うのだが、確かに賭けるだけのことはある役者だ、と思った。
 舞台上で繰り広げられる劇に埋没し、堪能する――と、ふいに隣でさっきから妙に思えるほど静かだったヴィオが、身じろいで口を開いた。
「アーヴ……」
「どうしたの、ヴィオ」
 小さな声で、と身振りで示しつつ問い返すと、ヴィオは慌てたように口の上に手を当てて、もごもごと言う。
「なんかさ、変なんだ。あっちの方から、〝死せるもの〟の感じがする」
「え」
〝死せるもの〟。暗黒神や魔術によって創られたものをはじめとする、死したのちにも動き続ける生命なき生命。光の神の信徒として、いやそれ以前に人として、弔わずにはいられない生命持つ者の敵。それが、こんなところに? なぜ?
 アーヴィンドは思わずささっと周囲を見回してから、小さく訊ねる。
「ヴィオ……それは、具体的にどの辺りから発されてるかわかる?」
「うんと、あんまりはっきりとはわかんないんだけど、舞台の方から出てる、っぽいんだけど……」
 ヴィオが口ごもる――とたん、わぁっと悲鳴が上がった。
 はっ、と舞台の上の方を見る。そこでは、斬り合いが始まっていた。いや、一人が一人を一方的に斬ろうとしているだけだから斬殺未遂か。女優の一人が、男の子役の役者にどこに持っていたのか鋭い短剣で斬りかかっている。
 男の子役の役者は驚くべき鋭い動きで懸命にそれをかわしているが(実際練達の密偵と言ってもおかしくないほどの動きだった)、斬りかかっている女優の方はその数段上をいく。ばっ、ずばっ、と閃光が翻るたびに衣装が斬られ舞い散った。
 当然他の女優たちは悲鳴を上げて逃げ惑う。観客たちもわぁわぁと騒ぎながら我先に逃げ出そうとしていた。
 く、と唇を噛んでとにかく舞台へ向かおうと扉へ向きかけた時、聞き慣れた声が聞こえた。
「〝空気よ変じよ、眠りの雲に〟」
 言うやぼふっ、と戦っている役者たちの周りの空気が一瞬紫色になった、と思うや両者ともにばったりと倒れる。はっ、と声の方を見るより早く、風のように軽やかに人影が個室から舞台へと飛び降りた。
「フェイクさん……」
 この個室は三階相当なのだが(一階分の高さも相当なものだ)、そこから魔法も使わず飛び降りて傷を負った様子もない。相変わらず驚異的な身軽さだ。
 フェイクは警戒しつつも素早い足取りで歩み寄り、女優から短剣を奪おうとする――や、その体からぷわり、と白い人影が抜け出る。それを見て、思わず叫んでしまった。
「スペクター!」
 俗に幽霊と呼ばれる存在の中でももっとも厄介な存在。幽体のまま自由自在に移動でき、憑依すれば生前の技能もほぼ自由に使える。おまけに幽体のまま魔法を使うこともできる。これを滅ぼすには高司祭の〝死霊払い〟や最高司祭の〝魂救済〟、ないし精神的な効果を与える魔法を使うしかない。
 以前に読んだホーントに対する記述を脳内に蘇らせつつスペクター――二十代半ばの盗賊風の男に見えた――を息を呑んで見つめる。ばっ、と身構えるフェイクに対し、スペクターはすぅっと溶け消えるように姿を消す。それを見てフェイクが構えを解くのに、アーヴィンドは慌ててヴィオに声をかけた。
「行こう!」
「うんっ!」
「ま、待ちなさいアーヴィンド! どこへ行こうというのだ!」
 おそらく腰が抜けたのだろう、席から立ち上がりもしないまま叫ぶ父に(そして貴族の女性らしく礼儀正しく気絶した母に)、小さく息を吐いて、言う。
「事態の収拾を行ってきます」
 そして、父の返事を聞かないままヴィオと一緒に駆け出した。

「どういうことだ、これは!」
 舞台裏に近付くや、聞こえたのは(自分の記憶が正しければ)この劇場の支配人の声だった。甲高い声できんきんと、こういう場合商人がするであろう金勘定を並べ立てる。
「芝居は中止! 観客は入場料を返せと大騒ぎ! 杮落としということで招いた方々もお怒りだ! 大損害だぞ、この責任誰が取ってくれるのだ、えぇ!?」
『…………』
「そこの女優! お前が幽霊を持ち込んだのか、えぇ、どうしてくれるのだこの損害をっ」
「そ、そんな、あたしそんなことはなにも知りませんよっ」
「じゃあそこのグラスランナー! お前か、お前に原因があるのか、えぇ!? 幽霊に狙われるということはそれだけの理由があるわけだからなっ」
「……そんなこと言われても知らないよ」
 明らかにむっとした仏頂面でグラスランナーの役者は答える。近くで見るとわかるが、そのグラスランナーは女優だった。グラスランナーは男も子供のように声が高いが、女性は特に澄んだ声音をしているものなのに(三週間の冒険者生活で学んだ知識だ)、よく男の子の声が演じられたものだと少し感心した。
「どうだかなぁ!? まったく、これだから氏素性も知れぬグラスランナーなどを雇い入れるなと言ったというのに、えぇ、どうしてくれるのだ団長っ」
「も、申し訳……」
「団長は関係ないでしょ!? そもそもあたしはあの幽霊となんにも関係ないって言ってるじゃない!」
「口答えする気か!?」
 騒ぎがますます高まろうとする中、アーヴィンドはすっ、と(ヴィオと一緒に)その中へ進み出た。
「失礼。少し、よろしいでしょうか」
「んん? 関係者以外は立ち入り禁……っ、あなたは、プリチャード家の若様ですか、いやこのようなところにわざわざお越しいただき申し訳ありません、今後あのようなことがないよう取り計らっておりますので、はい」
 自分の顔を見るなり揉み手を始めた支配人を、内心深く息をつきつつじっ、と静かに見つめる。これまでの人生で叩き込まれてきた冷静、かつ威厳に満ち(ているよう努力し)た視線で。
「具体的には、どのような方策を採られているのですか」
「え、いえいやそれはその、原因となった役者に責任をですねはい、きちんと取らせようと」
「役者の方々が原因だという、はっきりとした証拠なり理屈なりがあるのですか」
「え、いえいやその、ですが幽霊はこの者たちにとり憑いたり斬りかかったりしたわけですから、はい」
「俗にいう幽霊、すなわちホーントは、どれも生前になんらかの未練があるために生まれたもの。きちんとその未練を解消しなければ、いつまた出てきてもおかしくありません。推測でことを行って足れりとするのは、責任者として恥ずべき行いだと思いますが?」
「い……いえそのいやそのしかしですが」
「高司祭が〝死霊払い〟を使えば払うことはできます――ですが、それも居場所がわかっていればの話です。あのホーントはスペクターと呼ばれる、幽体のまま自在に移動することができる存在。まず居場所を突き止めなければなりませんし、そのためには彼がどんな未練を抱いているのか、知ることが第一でしょう」
「は……その、ごもっともで……」
 小さくなってみせる支配人。内心では貴族の若造が、と腹を立てているのだろう。なのでこれから言うことも、ファリス神の説く道に反してはいないにしろ、けして感心できることではない。
 が、アーヴィンドはじ、と変わらぬ視線を支配人にぶつけ(るよう努力し)ながら訊ねた。
「この一件の調査。私に任せていただけませんか?」
「は……? い、いやしかし若様、そのようなことは若様のような方が行われることでは」
「ご存知ではないでしょうか、私は今冒険者として修行を積んでいる身なのです。一冒険者として依頼を受ける、という形ならば、アールダメン候家に関わりなくことを済ませることもできるでしょう」
「いやその、しかしですが……」
「私一人の力では無理ですが。先ほど幽霊を止めたハーフエルフの盗賊の方は、僕の仲間です。仲間たちの力を借りれば、たとえ未練を突き止めることができずともあのスペクターを止めることができる目途は立っています。それに疑問がおありなら、『古代王国の扉』邸のご主人に問い合わせていただいてもかまいません」
「……む、ぅ……」
「それとも、私自身が信用ならないと、そうお考えでしょうか」
 じ、と見つめると、「いやいやいやいや!」と支配人は勢いよく首を振り、揉み手をしながら笑顔でぺこぺこと頭を下げてきた。
「それではあの、お言葉に甘えまして、ご依頼をさせていただく……ということでよろしいでしょうか?」
 ふ、と小さく息をつく。それから深々と礼をした。
「ありがとうございます」
「いえいえいえ若様にそのようなことをされては! ええと、ではその、報酬……のようなものは、お支払いした方がよろしい、のですかね……?」
 一瞬大きく見開いてしまった目を無理やり通常時に戻し、静かに訊ねる。
「あなたの常識では、冒険者に依頼する際に無報酬でも問題がない、となっておられるのでしょうか?」
「いえいえいえそんなことはまったくその! あの、ではですね、報酬はいかほどお支払いすれば……?」
 一瞬言葉に詰まってから、できるだけいつも通りの口調で告げる。
「あなたは我々に、どれだけの報酬を支払う価値があると思われますか?」
「え! で、ではその、ええとその……い、一万ガメルほど、では……?」
「…………!」
 一瞬固まってから、ゆっくりとうなずく。静かに、穏やかに、威厳を持って見られるように。
「けっこうです、ではそれで。契約書は必要ですか?」
「い、いいえいいえ! 若様のことはようく存じておりますゆえ、はい」
「では、仕事を請けさせていただきます。いくつかご協力願えますか? まず、この劇団関係者の方々を何人か呼んでいただきたいのですが。団長の方、会計の方、憑依された女優の方と狙われた女優の方、そしてできればこの劇場の建築に携わっている方。この方はできれば最初から最後まで深く関わっている方をお願いします。そして、この劇場が建っている場所の歴史というか、以前なにがあったかについて詳しくご存知の方が劇団内にいらっしゃいましたら呼んでいただけると。他の方々でも、なにかご存知の方や、おっしゃりたいことがある方はおいでくださってかまいませんので」
「は、はいはいすぐにもはい! おいっ、部屋を用意しろ、もちろん最上質のだ、お茶とお菓子も忘れるな!」
「いえ! わざわざ手間をおかけする気はありません、盗み聞きができない部屋を一室用意していただければけっこうです。どうか、おかまいなく」
「は、はい、あのはい、ええ。ではその、私は準備がありますので、はい」
 言ってにこやかに後ずさりして去っていく支配人が見えなくなり、遠巻きに見ていた役者たちが次々と散っていくのを見て、はあぁぁぁ、とアーヴィンドは深々と息をついた。さっき交渉が終わるまでは黙って見守っていてほしい、と頼んだヴィオがくいくいと服の裾を引っ張るのに、微笑んで「もういいよ」と言うやきらきら瞳を輝かせながら飛びつかれた。
「なーなーアーヴっ、いちまんガメルってほんとにいちまんっ!? すげーなっすげーなっ、いちまんあったら好きなもんなんでも食えるし風呂屋にも毎日行けるよなっ!?」
「そうだね……正直、最初に聞いた時は驚いたけれど。まだまだ駆け出しの僕たちにそんな大金を払ってもらっていいのか、と思うと申し訳なく思いもするんだけど……今回では、フェイクさんも相当に働いてもらうから、そのくらいの報酬がないと割りに合わないと思うんだ」
 なにせフェイクは大陸でも有数の大盗賊にして魔術師なのだから。
「ほう? 今回は俺に『働いてもら』いたいわけか?」
 いつの間にか当然のように背後からかけられたフェイクの声に、振り向いてできるだけ落ち着いた表情を作りながら答える。
「はい。あのスペクターは盗賊に見えました。どれだけ記録が残っているかはわかりませんが、身元を調べる一番の早道は盗賊ギルドに頼ることです」
「ふぅん、盗賊ギルドに頼りたいから手近にいる盗賊の俺に頼る、と。だったら別に俺じゃなくてもいいんじゃないか? そこらの冒険者の店で盗賊雇えばいいだろう。成功報酬でも2000ガメルも約束すれば動く奴はそれなりにいるだろう?」
「フェイクさんほどに頼れる人材も、信頼できる人材も見つけるのは困難です。それに、もし未練となるものが見つからなければ、スペクターを力づくで滅ぼさなくてはなりません。あのスペクターは驚くべき体術を持っていました、それをなんとか封じるのにはフェイクさんの戦力が必要不可欠です。スペクターとして戦おうとした場合にも、フェイクさんなら〝精神力奪取〟で精神力に打撃を与えられますし」
「ふん……確かに、あれがまだスペクターだったらそうなるがな」
 ちろり、と暗緑色の瞳でこちらを見やり。
「なんで俺が働かなきゃならない」
「………っ、働きに相応した報酬が出ます。貴方にとっては小遣い稼ぎぐらいにしかならないかもしれませんが、労働を行い報酬を得るのは正しいことのはずです。それに、杮落としをしたばかりのこの劇場と劇団から暗い影を払拭することができる。向こうから感謝され、新たな商売の繋がりを作るのは、悪いことでは」
「だからって、なんで俺が働かなきゃならないんだ?」
「…………っ」
 アーヴィンドは唇を噛む。そう言われてしまうと、こちらとしてはなんとも言いようがない。実際一万ガメル程度フェイクにとっては大した金ではないだろうし、劇場と劇団に対する繋がりにしてもそうだ。いくつも顧客を持っているだろうフェイクにしてみればさして魅力はない。
 だが。けれど、それでもなんとか、フェイクの力を借りなければ。自分はまだ未熟だ。ヴィオもまだ駆け出しだ。自らの未熟さには血を吐きそうな悔しさを覚えるけれど、今の自分では、自分たちでは足りない。
 候子としての地位を使いながら冒険者としての仕事を請けるなど本来なら筋違いもいいところだろうし、お遊び冒険者として非難されてもしょうがない行いだとも思う。ファリスの信徒として恥ずべき高慢と傲慢だと思う。だが、けれどそれでも、自分は自分なりに、自分の意思で生きたいと、他者に媚びず迷惑もかけずに自分にできることをしたいと、そのためにはこの生き方が一番正しいと、考えて――
 うつむきながら拳を握り締めていると、ふと、きょとんとした声がした。
「なーなー、アーヴー」
「……なに? ヴィオ」
「あのさー。アーヴさー。なんでフェイクが一緒に仕事してくれない、って思うの?」
「………は?」
「だってさー、フェイク、俺たちの仲間だよ? そりゃ相談しなかったのは悪いけどさ、フェイクも幽霊止めたし、ちゃんと謝れば一緒にやってくれるに決まってんじゃん」
「………え」
 呆然とヴィオを見つめると、その背後でフェイクがぷっ、と吹き出した。
「言われたな、おい」
「え………あの」
「まぁ、そういうことだ。俺はお前の腹が据わらないと言ったがな、それはこういう意味でもあるんだよ。俺は、最初にこう言ったはずだ。『俺も仲間に加えてもらおうか』ってな。俺はお前のお目付け役でも教師役でも護衛でもない、一緒に冒険をする、パーティの一員だ」
「あの……それは」
「お前は冒険者になってからの三週間、ずっと肩に力を入れまくっていた。きちんとしよう正しくしようこうあるべきだこうすべきだ――ってな。冒険者ってのは義務で冒険をやってるわけじゃない、自分で冒険したい、と思うからやってる奴らだろ。蔑まれる覚えもないが、そんなにすごい存在でもない。他のまっとうに生きてる奴らと同じ、それぞれのやれる、やりたいことをやってるだけの奴だ」
「…………」
「そんなもんになったからって、そう気合を入れまくる必要もない。仁義はあるが、規律があるわけじゃないんだ。助けを求めたからといって助けが与えられるわけじゃないというのは当然呑みこんでおかなきゃならないが、だからって助けを求めて悪いって法はない。ぶっちゃけ、明日の宿代もないってんなら俺に金を貸してくれって言えばよかっただろうが? 次に仕事が入った時に最優先で返してくれりゃ、それでいいんだからな」
「………でも」
「お前は自分が侯爵家の人間だということを妙に引け目に思ってるところがあるが、それもおかしな話だろうが。貧民層に生まれたのがそいつのせいじゃないように、侯爵家に生まれたのだってお前のせいじゃない。仁義やら規則やら、守るとこを守ってるならなに利用するのも当たり前ってのが冒険者だ。お前が生まれを利用して冒険者としての仕事を得て、なにが悪い? 使える縁故は使うもんだ」
「だ、だけどフェイクさんは、飢えたこともない侯爵家の人間が冒険者をしたところでお遊びだっておっしゃったじゃないですか!」
「ああ、そりゃ言った。そういう意味のことはな。今言ったことも含め、お前は冒険者としてきっちり一本芯が立ってるとは言えん」
「…………」
「が、それでなんで悪いんだ?」
 あっさりと言ったフェイクに、アーヴィンドは今度こそぽかんと口を開けた。
「え………な、でも」
「そりゃお前がまだまだ甘ちゃんなのは確かだ。が、まだお前らは実際ろくに仕事してないんだからそれも当たり前だろうが。自分らの未熟さ、甘ちゃんだって事実は自覚して、用心深くしなきゃならんし反省や向上心も必要だろう。が、結局そういう芯なんてもなぁ、何度も冒険して、命懸けて戦って、その中でなんとかかんとか会得してくもんだ。駆け出しが全部わかったような理屈捏ねてたところで若造がなに言ってやがるとしか言われんぞ」
「…………」
「そういう意味で言うならお前なんざできすぎだ。もっと肩の力抜いて気楽にいけ、気楽に。ああそれと教えといてやるが、お前らみたいな駆け出しの仕事ってのはそれでけっこう需要があってな、この仕事がなかったとしても日銭を稼げる仕事ぐらいは明日にでも回してもらえる予定だったから」
「………え」
「お前に飢える恐怖のある生活ってのを味わってもらおうと思ってな、俺がオラン中の冒険者の店に流しといたんだよ、アールダメン候子に仕事回すな、って」
「…………」
 にや、と人の悪い笑みを浮かべてみせるフェイクを呆然と眺める。と、ヴィオがつかつかとフェイクに歩み寄り、ばき、と少し高いところにある顔に拳を入れた。
「ヴィ、ヴィオ!?」
 驚く自分にかまわず、ぎろりとフェイクを睨んできっぱり言う。
「フェイク、アーヴのこといじめすぎ! 仲間なんだから、意地悪すんなバカ!」
「…………」
 殴られたフェイクは苦笑して、頭を下げてみせている。
「そうだな。悪かった」
「ちゃんとアーヴに謝れってば!」
「そうだな。……悪かった、アーヴィンド」
「あ……いえ、その」
「この状況でも敬語か?」
「え」
「さんざん自分に勝手な理屈で意地悪した偉そうな仲間に対して、お前の常識と良識は敬語を使わなきゃならないと教えてるのか?」
「………―――」
 にやりと笑んでみせるフェイクに、一瞬息を詰めてから苦笑する。そしてつかつかと歩み寄ると、ファリスに祈ってからぺちん、と頬を叩いた。
「……ファリスの信徒としていうならば、愛の鞭、だよ。今度からはこういうこと、しないでね……フェイク」
 どきどきしながらも必死にいかめしい顔を作ってそう言うと、フェイクはにっと嬉しげに笑って、「おうよ」と親指を立ててみせた。

「そうですか、わかりました、ありがとうございます。申し訳ありませんが、次の方を呼んでいただけますか」
「え、あら、もう!? そんな候子さま、私もう候子さまとお話しているだけで、胸が、胸が……」
 こちらに潤んだ瞳を近付け大きな胸を谷間を見せつけるように揺らす女優に、内心ため息をつきつつアーヴィンドは鉄壁の笑顔で告げた。
「申し訳ありませんが、どうか、次の方を」
「……はい、わかりましたわ」
 切なげに吐息を吐き出して臀部を揺らしながら部屋を出て行く女優に、またため息をつく。正直ああいう女性とはこれまでに何度か話したことがあるが、どうにも慣れない。道徳的にどうこういうこともあるが、なによりあんなに露骨に胸やらなにやらを晒されては、恥ずかしくなってしまうのだ。表情には出さないが。
「次の人で最後かぁ……けっこー、しょーげんっての集まってきたんじゃない?」
「そうだね……あのスペクターに対し見覚えはまったくない、劇団にも問題はまったくない、劇場自体にもおかしな話はまるでない、と全員が口を揃えて証言している。口裏を合わせている様子もないし……これは、フェイクさんの盗賊ギルドの情報を待たないとならなくなってきたかな……」
「え、でも次の人、なんか重要なんじゃなかったっけ?」
「そうだね」
 紙に書かれた最後の名前を読む。グラスランナーらしく、『ニナ』とだけ書かれたその名前。一応フェイクに調べてもらうよう頼んではいるが。
 こんこん、と扉がノックされた。「どうぞ、お入りください」と言うと、ぱーん、とドアを開け放すようにしてグラスランナーの女性(か少女なのか、外見からは判断がつかないのだが)が飛び込んできた。
「こーんにーちはーっ! ニナでーっす! 候子さまっ、私なんでもお話しますからぁ、意地悪しないでくださいねっ、うふv」
 さっきとは明らかに違う声の調子に気圧されながらも、アーヴィンドはヴィオに視線をやった。ヴィオはこっくりとうなずき、〝死せるもの〟の気配がしないことを伝えてくる。アーヴィンドもうなずき返して、す、とニナに椅子を示した。
「どうぞ、座ってください、ニナさん。すいませんが、少しお話をお聞かせくださいね」
「はぁい候子さまっ、ニナなんでも答えちゃいまーっす! 彼氏の数もぉ、ファーストキスの場所もぉ、あっ下着の色はごめんなさいねっ♪」
「……ご心配なさらず。まずお聞きしたいのですが、あなたはあのスペクターに見覚えがありましたか?」
「ありま、せーっん!」
 明るい声で答えてぷるぷると首を振る。その仕草は確かに、けばけばしい印象はあるが可愛らしい少女のものだ。
「あのスペクターはあなたに斬りかかってきたようですが、なにか理由にお心辺りは?」
「ない、でーっす!」
「なるほど。あなたは劇団について、なにか問題があるかどうかご存知ですか?」
「えーっ、ニナ難しいことわかんなーいっ。劇団のみんなは、とってもいい人ですよぉ?」
「……劇場については? 過去にこの場所で亡くなった人のことでもかまいません」
「わーんっ、候子さまぁ、そんな怖いことおっしゃらないでくださぁいっ。亡くなった人とか、そんな、ニナ聞いただけで夜眠れなくなっちゃうっ」
「……そうですか。それと、あなたはあのスペクターに斬りかかられた時、剣閃をすべてかわしてらっしゃいましたね?」
「やーんっ、候子さまぁ、怖いから思い出させないでくださいよぉ~っ。もう必死になって避けてたからぁ、あの時のことって全然覚えてないんですぅ~っ」
「そうですか? 見事な身のこなしでしたが。正直、偶然とはとても思えませんでした。明らかに戦闘訓練、それも盗賊のそれを厳しく積んだものに感じられたのですが」
「そうですかぁ? いっしょうけんめーがんばってよけたからちょっとうれしーなっ、てへっ」
「――今、私の仲間の盗賊が盗賊ギルドに行っているのですが」
「そうなんですかぁ? なんでですかぁ?」
 にこにこ笑顔で明るく言ってのける。その度胸を褒めるべきか、演技力を褒めるべきか。
「あのスペクターの身元の調査のためです。そしてニナさん、あなたについても」
「え~っ、私のことなんてぇ、盗賊ギルドの人たち、知らないと思うなぁっ」
「そうかもしれません。ですが、場合によっては情報が手に入るかもしれません。そして、もうすぐ戻ってくるであろう彼は高度な古代語魔術の使い手です。〝虚言感知〟――どんな見事な嘘も必ず見抜いてしまう呪文も、当然使えます」
「…………」
 その一瞬で、表情が変わった。明るい少女だった顔が、瞬時に虚ろな無表情に。それから海千山千の莫連女といった風情の、苛立たしげで忌々しげなそれへ。
「やっぱりあいつ、〝月の主〟か。アールダメン候子がボンクラだったらと思って耐えてたってのに、さすがにそこまで甘かぁないってことか、くそっ」
「お話していただけますか?」
 じっ、と見つめて言うと、ニナはまだ忌々しげな表情のままふんっ、と鼻を鳴らして答えた。
「ったく、ムカつく坊やだね、生っちょろい口の利き方してんじゃないよ。人を牢屋へぶち込もうって奴が相手に好かれるわきゃないんだから」
「へ? 牢屋へって、なんで?」
 きょとんとするヴィオに、ニナはがつがつがつと床を踏み鳴らす。
「あたしが盗賊だからに決まってんだろ、バカだねあんた。あたしゃあね、昔は相当腕利きの盗賊として方々の家を荒らし回ってた。あの幽霊――ギドはその時の相棒さ。あたしよりもさらに腕利きだったけど、要領が悪くてね、盗みの段取りをつけるのはいつもあたしの仕事だった」
「…………」
「ずいぶん長いこと組んでたけど……あいつはね、どん臭いから、ギルドの殺しの仕事を取りまとめてる奴に目をつけられちまってね。あたしとの二人組を解消して、大金請け負って殺しの仕事を始めるようになった。その頃ちょうどあたしは盗賊の仕事に疲れてきて……この劇場ができる前、あった場所に通うようになったのさ。あいつはそこに、なんでか知らないけどやってきて、なんでか知らないけどあたしを殺そうとした。それであたしは戦って……」
「勝ったの?」
「まさか。向こうが勝手に死んだのさ」
「へ……どーいうこと?」
「そのまんま。あたしと戦って、あたしがもう死にそうになってる時に、唐突に自分の喉を突いたんだよ」
「へ……えー? なんでなんで? ていうか、なんでそのギドさんって、ニナさんのこと殺そうとしたわけ? 相棒だったのに」
「あたしが知るわけないだろ。おおかた幹部の誰やらがあたしが握ってる情報やらなにやらが欲しかったんだろうさ。それともあたしがギルド抜けたがってるのに腹立てたのかね? どっちにしろ、しょうもない理由だろうよ……そんなもんで勝手に殺そうとして。勝手に死んで。ほとぼりが冷めたろうって戻ってきてみたら、幽霊になんてなってやがって、相変わらずこっち殺そうとしてきやがって」
 は、と心底忌々しげに息を吐く。
「いい迷惑だよ。あの馬鹿が」
「…………」
 アーヴィンドは小さく息をついた。もしかしたらと予想はしていた。だが、実際に彼女が盗賊だったとは。そしてあの幽霊の相棒だったとは。
 彼がなぜ彼女を殺そうとしたのか。それはやはり盗賊ギルドから戻ってくるフェイクを待たなければならないだろうが、彼の未練というのはやはり彼女を殺すことなのだろうか。かつて相棒だった相手を、自らの手で。
 なぜ、そんなことを死してのちもなお思い続けていられるのか。そんなことは自分にとっても、おそろしく苦しいことに違いないだろうに、なぜそこまでして―――
 その瞬間頭の中に、なにかが閃いた。
「……すいません、ニナさん」
「なんだい、牢屋じゃなくて斬り捨てにする気にでもなったのかい」
「いいえ。……お聞きしたいんですが、ギドさんというのは、どういう性格の方でしたか? できるだけ詳しくお願いします」
「は?」
 ニナはきょとんとしたが、眉間に皺を寄せながらも話し出す。
「なんでそんなこと聞きたいんだか知らないけど……あいつは、おっそろしいくらいバカだったよ。どん臭くて要領悪くて、盗賊のくせにくそ真面目で。人様からもの盗んで生きてるくせに、盗賊としてちゃんとしなきゃ、ちゃんとやんなきゃってがちがちになって、だからいっつも頭が回らなくなって失敗する。まぁ、腕がいいからなんとかなってたけどね」
「そう、ですか。……それと、ギドさんがあなたを殺そうとしたのは、ギドさんがギルドの暗殺者に引き抜かれてからどのくらいあとですか」
「……五、六年ってとこかねぇ」
「あとひとつ。あなたが通っていたというこの劇場の前にあった建物とは、劇場で間違いありませんね?」
「……ああ。そうだけど。前っていってもあたしはそれからしばらくオランを離れてたから何度建て変わったかは知らないけどね。それがどうしたんだい」
 すう、はぁ、と数度深呼吸をする。自分の脳裏に閃いた思考を吟味し、検討する。もちろんフェイクにも話し、検討してもらわなければならないけれど。
「ニナさん。僕の考えを、聞いてもらえますか」
「はぁ? なんのだい」
「ギドさんの未練についての。ギドさんは、僕の言うように考える人か、考えていただきたいんです」
「はぁ……まぁ、いいけどねぇ。人にものを頼むってんなら、それなりに」
「未練を晴らすのに協力していただけるなら、たぶんあなたがかつて盗賊だったことを、この劇団の方々に知られないままにしておけると思います」
「――ほぅ。面白い話じゃないか」
「あなたにとって、面白いとは言えないかもしれません。それに、この話が正しいとしたら、あなたの協力がなければギドさんの未練を晴らすことはできません。たぶん、命を懸けて協力してもらうことになると思います」
「………なんだって? あたしに殺されろっていうのかい?」
「いいえ。ただ――」
 そしてアーヴィンドは話した。ヴィオには感心をもって、ニナには驚きと腹立ちと諦観と、心底からの悲嘆をもって受け容れられた考えを。

 暗闇の中、声が響く。
「―――おいで。ギド」
 暗い舞台の上言った言葉は、暗い観客席に、特等個室に、劇場全体に響き渡った。
 すぅ、と空気からにじみ出るようにギドが現れる。暗い瞳、闇に揺れる体。以前見たのと同じ、スペクターだ。
「ケリをつけようじゃないか。あんた、あたしを殺したかったんだろう? その機会をやるよ。その子が体を貸してくれるってさ、ありがたいことだ、命を懸けてくれるってさ、あたしらみたいな街のダニに」
 にこにことヴィオが進み出る。これからスペクターに憑依されようというのに、いつもと変わらぬ明るい笑顔だ。
 ギドは戸惑ったようにニナとヴィオを見比べる。ニナは舞台の中央で短剣を構えた。その身ごなしは、やはり熟練の盗賊のものだ。
「さぁ、おいで。存分にやりあおうじゃないか、昔みたいにさ。一人前の、盗賊として」
 その言葉にびくんとギドは震えた。冷たいのに、どこか熱を感じる瞳でニナを睨み、ヴィオへと小さく頭を下げてから体の中へと入っていく。ヴィオがびくん、と体を震わせた、かと思うや明らかにヴィオとは違う目つきでニナへと向き直った。
「〝マナの力もて、光よ、生まれよ〟」
 フェイクが唱えた〝光〟の古代語魔術によって舞台は明るくなる。暗くしておいたのは万一ギドが光を避けたら、という可能性を鑑みてだったのだが考えすぎだったかもしれない。
 武器はあらかじめヴィオに持っていてもらった果物ナイフ一丁。だがそれでもギドならば確実に命を奪えるに違いない。果物ナイフが魔法の短剣であるかのように見事に構え――たと思うや疾風の速度で踏み込んだ。
 しゃっ、しゃっ。短剣が空気を裂く音。体が空気を割る音。舞台の上、明かりの下、二つの体が見事な技を持って交錯する。
「相変わらずいい腕してるじゃないか! おつむの方は最悪っていうのもおこがましいくらいだってのにさ!」
 高らかにニナは笑ってみせる。だが、実際にはその表情ほど余裕があるわけではない。フェイクがあらかじめ〝潜在能力発揮〟と〝盾〟の呪文をかけておくことによって身体能力と回避力を高めていることでなんとか対等に渡り合えているのだ。
「あんたは本当に要領が悪かったよねぇ、何度迷惑かけられたかわかりゃしない! あたしが一人前の盗賊ならおつむ動かしなって言ってるのにさ、何度も騙されて、いいように使われて! ちゃんとしなきゃってきりきり舞いになって、かえってちゃんとできないで! ほんっとに、半人前どころじゃない、いつまで経っても駆け出し以下の奴だったよ!」
「黙れ……っ!」
 低く、ギドが叫ぶ。ヴィオの体から出ているのにヴィオと違う声に、わずかに身を震わせる。ギドがニナの体に傷をつけた時には即座に〝癒し〟をかけられるように体勢を整えつつ。
「あんたはほんっとうに、馬鹿で能なしだよ! 幹部に目をつけられて、やりたいなんてこれっぽっちも思ってない殺しの仕事になんてついちまって! 要領が悪いにもほどがあるだろう! だってのに必死になって仕事こなすって、馬鹿かいあんた! もう少し周りを見りゃあいいだろうって何度言えばわかるんだ!」
「黙れ……!」
「あんたはほんとに、ほんとに、ほんっとうに、馬鹿で、頭が悪くて、要領も悪くて……!」
 ずばっ! とギドの短剣がニナの肩を斬り裂く。血がばっと飛び散るのに、ギドの視線が一瞬揺らいだ――
 次の瞬間、ニナはギドの腰の辺りにぎゅっと抱きついていた。締めつけるでなく、組み付くでなく、親に抱きつく子供のように、あるいはその逆のように、ぎゅっと。
「……でも、誰よりも頑張り屋で、真面目で、いい子だった。あたしのことを、心から信じてくれてた。あたしの、ただ一人の、最高の相棒だったよ」
 ギドが硬直する。ナイフを握った手が震えた。アーヴィンドは即座に〝癒し〟の呪文を唱える。
「あんたは、あたしをいつも助けてくれてた。本当はあたしの方こそ、あんたに頼ってばっかりだった。それがあたしはわかってたのに、偉そうな口を叩いてた」
「ニ……ナ」
「ごめんね。本当にごめんね。顎で使ってばっかりで、意地悪してばっかりで」
 震える声。濡れる声。腰の辺りの顔が相手の顔を見上げ、ぽろぽろと涙がこぼれるままに、震えるほどの情感を込めて訴えかける。
「あんたのこと、助けられないで、本当に、ごめんねぇっ……!」
「………!」
「あんたは、あたしに助けてほしかったんだよね。人殺しなんて仕事から、救い上げてほしかったんだよね。なのに、あたしは盗賊をやめようなんてしてた。あんたをこの道に誘ったのは、あたしなのに。盗賊を語ったのは、あたしなのに」
「…………」
「ごめんよ、本当にごめんよ。助けられなくて本当にごめんよ。あたし、辛くて逃げ出そうとした。あんたのこと思い出すと辛いから、盗賊って仕事そのものから離れようとしたんだ。だから女優なんて、盗賊とはまるで違うものに憧れたんだ」
「………ニナ」
「ごめんね、ごめんね、本当に、許しておくれね。あたしの力が足りなかった。あたしの強さが足りなかった。あんたが助けを求めてるって気づくだけの頭さえなかったんだ。ごめんね。ごめんね……」
「……ニナ。俺を、許して、くれる、のか」
 ひどく掠れた、虚ろなようで想いに満ちた声に、ニナは泣きじゃくりながらふるふると首を振る。
「なにを言ってるんだい、許してもらうのはこっちの方じゃないか。あんたはこんなに頑張ってたのに。必死だったのに。相棒だってのに、気づきもしないで」
 そして、泣きじゃくりながら、にこっと、優しく柔らかく、愛情に満ちた笑顔をニナは浮かべてみせ――
「あんた、偉いよ。あたしなんかよりずっとずっと偉いよ。本当に、一流の盗賊だよ」
「………ああ」
 掠れたような声をギドが漏らした。と同時に、瞳から一筋、二筋涙がこぼれ落ちた。
 ふわ、と一瞬ギドが輝く。〝死せるもの〟が発するとは思えない、優しく荘厳な光で。
 そして次の瞬間には、がくっ、とヴィオが倒れかかった、と思うや目を明けて、ふぅ、と息をついてからにっこり笑んでみせた。
「ヴィオっ! 大丈夫!? 体にどこか違和感とか不具合とかはない!?」
「だいじょーぶっ! ぜんぜん元気だよーっ!」
 駆け寄る自分に、ぶんぶん手を振るヴィオ。心底ほっとして微笑みかけてから、ニナに向き直り頭を下げる。
「ありがとうございます、ニナさん。本当に、助かりました。このお礼は、きちんと」
「あーあーいーいー礼なんざ、払うもん払ってくれりゃ。あたしゃ女優だからね、演技して金をもらうのはいつものこったよ。まぁ今回は、ちっとばかし命懸けだったけどね」
 鬱陶しげに手を振ってから、ふんと鼻を鳴らして、小さく。
「ほんっとに、馬鹿だよあんたは。あたしみたいな女に、また騙されてさ」
 そうこぼした時の顔は、あくまで勝気に上向いていた。――瞳は、まだ涙に濡れているのに。

「それでは、仕事の成功を祝って」
『乾杯!』
 カップとジョッキとグラスを打ちつけあう。果汁とエールとワインをそれぞれに口に運ぶ。勝利の美酒を堪能し、それぞれに笑顔を交わした。
「しかし、まぁ今回はアーヴィンドの手柄だったな。ニナって女の話からスペクターの未練と行動原理、あっさり解いちまったんだから」
「たまたま、性格が似ていたっていうだけのこと、だよ。それに、似ていたのは未熟なところだけだから、あまり褒められたことではないし」
 フェイクの言葉に苦笑する。実際、あれを自分の手柄と言うのは赤面ものだ。
 自分はただ、ギドに共感しただけなのだ。要領の悪い自分、駄目な自分、愚かな自分。真面目すぎると罵られる自分。そんな自分が仲間を殺せと命じられ、果たせなくて自殺しても死にきれないとしたら、どんな未練があるのか。
 そう考えたら、『仲間に許してほしい』『褒めてほしい』『認めてほしい』『謝ってほしい』という、惰弱極まりない想いしか思いつかなかっただけなのだから。
「でもさー、ニナばーちゃんすげかったよな! あの年でマジで斬りあいするしさっ、せりふとかもーすっげかったもん!」
「ヴィオ……ニナばーちゃんという呼び方は、ちょっと」
「へ、なんで? だってもう九十八なんだから、ばーちゃんじゃん」
 そう、ニナの年齢は九十八歳だった。なにせグラスランナーなので外見は幼いままというか若々しいままというかだったのだが(でも実は肌の手入れに腐心しているらしいのだが)。第一線から退いたのが八十年前、十八というのだから、フェイクが冒険者として活動を始めるより前になるのだ(だからフェイクも気づかなかったし、盗賊ギルドでも気づいている人間は誰もいなかったらしい)。
「でも……本当に、すごかったよね」
 自分の言った言葉を核に、どんどん話を膨らませ、感情を膨らませ、ギドを昇天させるための命懸けの劇を演じてみせたニナ。彼女は間違いなく、あの劇場で看板を張るにふさわしい女優だ。
「うんっ! ニナばーちゃんも無事女優続けられるみたいだし、よかったよかった!」
「そうだね。劇団の人たち、みんな警告を守ってくれたみたいだし」
 関係者の人々には『あのスペクターはグラスランナーを殺したくてしょうがない異常殺人者だ、ニナの協力で殺したと思わせて昇天させる、なので巻き添えを食いたくなければ決して舞台には近寄らないように』と言い含めたのだ(もちろんあとで嘘をついたことを深く懺悔した)。ひどい言い分だとは思うが、ニナが無事女優を続けるためならばギドも許してくれると思ったのだ。
「まぁ、実際大した女優だな、あいつは。ギドと一緒に見た劇が忘れられずに、いつかギドが観にきてくれるよう女優を目指し、ギドが死んだあとはアレクラスト中を流れて演技をして回り、ほとぼりが冷めたと思って帰ってきたら相棒は幽霊となって待っていた、か……なかなか激動の人生だな」
「そうだね……そう素直には表現していなかったけど」
「でもさでもさっ。今回の報酬、すっげーよなっ! ニナばーちゃんと分けてもさ、今までとは桁、違うもんっ」
「……うん。確かにね」
 ニナにも協力してもらった、むしろ協力が不可欠だったということで報酬を四人割りにしても、一人2500ガメル。一ヶ月以上それなりの暮らしができる、それどころか二人分合わせればヴィオの金属鎧(銀製鎖帷子)の値段すら払えてしまおうかというほどの大金だ。生活ができなくなるから買わないけれど。
「……ま、めでたしめでたしだな。俺もこれからは言動に気をつけるとするか」
「え?」
「先に死なれたあと、化けて出てきて褒めないと殺す、なんて迫られるのは勘弁だからな」
「………ごめん、なさい………」
 にっこり笑顔でそう言ってのけるフェイクにアーヴィンドは思わず撃沈し、ヴィオに「だいじょーぶだよアーヴ、俺が褒めたげるから」と笑顔で慰められてとどめを喰らった。

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キャラクター・データ
アーヴィンド・クラーク・リズレイ・プリチャード(人間、男、十五歳)
器用度 12(+2) 敏捷度 20(+3) 知力 23(+3) 筋力 15(+2) 生命力 19(+3) 精神力 20(+3)
保有技能 プリースト(ファリス)5、セージ3、ファイター2、ソーサラー1、レンジャー1、ノーブル3
冒険者レベル 5 生命抵抗力 8 精神抵抗力 8
経験点 2230 所持金 38ガメル
武器 ヘビーメイス(必要筋力15) 攻撃力 5 打撃力 20 追加ダメージ 4
ダガー(必要筋力5) 攻撃力 4 打撃力 5 追加ダメージ 4
ロングボウ(必要筋力15) 攻撃力 4 打撃力 20 追加ダメージ 4
スモールシールド 回避力 5
ラメラー・アーマー(必要筋力15) 防御力 25 ダメージ減少 5
魔法 神聖魔法(ファリス)5レベル 魔力 8
古代語魔法1レベル 魔力 4
言語 会話:共通語、東方語、西方語、ドワーフ語、上位古代語、下位古代語
読文:共通語、東方語、西方語、上位古代語、下位古代語
ヴィオ(人間、性別不詳、十五歳)
器用度 15(+2) 敏捷度 19(+3) 知力 18(+3) 筋力 18(+3) 生命力 21(+3) 精神力 21(+3)
保有技能 シャーマン4、ファイター4、レンジャー3
冒険者レベル 4 生命抵抗力 7 精神抵抗力 7
経験点 220 所持金 8ガメル
武器 ロングスピア(必要筋力18) 攻撃力 6 打撃力 23 追加ダメージ 7
ロングボウ(必要筋力18) 攻撃力 6 打撃力 23 追加ダメージ 7
なし 回避力 7
ハード・レザー(必要筋力9) 防御力 9 ダメージ減少 4
魔法 精霊魔法4レベル 魔力 7
言語 会話:共通語、東方語、精霊語
読文:共通語、東方語
〝月の主〟フェイク(ハーフエルフ、男、九十歳)
器用度 18(+3) 敏捷度 21(+3) 知力 19(+3) 筋力 10(+1) 生命力 18(+3) 精神力 21(+3)
保有技能 シーフ10、ソーサラー8、レンジャー7、セージ6、バード6
冒険者レベル 10 生命抵抗力 13 精神抵抗力 13
経験点 6710 所持金 財布の中に入ってるだけで10000ガメル程度
武器 月光の刃 攻撃力 16 打撃力 13 追加ダメージ 14
なし 回避力 16
ソフト・レザー+3(必要筋力5) 防御力 5 ダメージ減少 13
魔法 古代語魔法8レベル 魔力 11
呪歌 ヒーリング、レストア・メンタルパワー、チャーム、レクイエム、キュアリオスティ、ノスタルジィ
言語 会話:共通語、東方語、上位古代語、下位古代語、西方語、エルフ語、ドワーフ語、リザードマン語、ケンタウロス語、ゴブリン語、マーマン語、ジャイアント語、ハーピー語
読文:共通語、東方語、上位古代語、下位古代語、西方語、エルフ語、ドワーフ語
ニナ(グラスランナー、女、九十八歳)
器用度 19(+3) 敏捷度 24(+4) 知力 18(+3) 筋力 3(+0) 生命力 13(+2) 精神力 28(+4)
保有技能 シーフ5、バード5、セージ4、レンジャー3、アクトレス8
冒険者レベル 5 生命抵抗力 7 精神抵抗力 9
経験点 0 所持金 5000ガメル程度
武器 銀のダガー(必要筋力2) 攻撃力 8 打撃力 5 追加ダメージ 5
なし 回避力 9
ソフト・レザー(必要筋力2) 防御力 7 ダメージ減少 5
呪歌 ララバイ、レクイエム、サモン・スモール・アニマル、チャーム、キュアリオスティ
言語 会話:共通語、東方語、西方語、エルフ語、ドワーフ語、ケンタウロス語、ジャイアント語、下位古代語、マーマン語
読文:共通語、東方語、西方語、下位古代語