前回の冒険での経験点は、
・最大の障害がファイターレベル5の人間。
・倒した敵の合計レベルは8。
 なので、
・アーヴィンド……2526
・ヴィオ……2526
・フェイク……1026
 となりました。
 成長は、
・アーヴィンド:知力+1、セージ3→4。
・ヴィオ:ファイター4→5。
 以上です。
候子は騎士に跪かれる
「……っぷはーっ、稽古のあとの冷やした果汁ってすっげーうまいなっ!」
「そうだね……冷やしたお茶もおいしいよ。こんな贅沢、してもいいのかなって気はするけれど……」
 苦笑しつつ(野垂れ死にの恐怖を一度味わったせいだろうか、金を浪費するということにかなり強い恐怖感を覚えてしまうのだ)、喉を優しく潤す冷たい香草茶をありがたく味わう。冷たい果汁も香草茶も、自分たちが特に頼んで店の氷室で冷やしておいてもらったもので、通常のものの十倍以上の金額はするのだが、最近少しずつ懐が潤ってきていることもあり、一度試した後の暑い中稽古した後に味わう冷たい飲み物の魅力には、正直なかなか勝てそうになかった。
「でも、どーしてこんなに冷え冷えの飲み物とかできんだろ? 最近けっこー暑くなってきてるのにさ」
「それは、この店特製の氷室のおかげだろうね。この店にはかなりしっかりした水道が通っているんだけど、そこから流れる水をためておくと同時に小さな水車を作って、それに扇を取りつけてるんだ。水で濡らした布で包んだ大きな壺をそれで扇いで、中に入っているものを冷やす、っていうことみたいだよ。僕たちの果汁や香草茶は、あらかじめ作っておいたものを筒の中に入れて密封し、その壺に入っている水の中に浮かせているわけだけど、それでもこれだけ冷やすことができるんだって」
「へ? なんで濡らした布で包んだ壺扇ぐと、中に入ってるの冷えるの?」
「うーん、中に入ってるものっていうか、濡れているものを扇ぐと冷えるんだけど。濡れた服を着ていると体が冷えるのと同じで……数十年前ある賢者が発見した仕組みなんだけど、なぜなのかは完全にはわかっていないんだよね。雷のように、精霊力が複合して起きる現象のひとつなんじゃないかって言われているけれど。水と風が複合した結果、氷が生まれるのではないかって仮説はあるんだけれど、氷の精霊はもともとちゃんと存在しているんだから、精霊力の複合でそれが起きるっていうのもおかしな話だし……」
 そんな益体もないことを話しながら、アーヴィンドとヴィオは昼食前の一服を楽しんだ。自分たちは基本的に毎朝陽が昇る頃に起き出して体力づくりをし、軽く汗を流したあとファリス神殿の鍛錬所の端を借りて稽古、店に戻って一服し昼食をとったのち、一緒に湯屋を使って、それからはファリス神殿に戻って修業や奉仕活動を行ったり、あるいは魔術師ギルドに向かって勉強をしたり、ヴィオの場合は街を歩いたり街の外に出たりして精霊と結びつく力を鍛えたり、という日々を送っている。
 もちろんファリス信者ではないヴィオが神殿の鍛錬所を使うなど本来ならばあってはならないことなのだが、治安上の問題も考えると他に稽古ができる場所を思いつかなかったため、現在教化を行っているところであると言葉を尽くして説得し(嘘ではなく、できるだけ機会を見てファリスの教えを伝えてはいるのだが、成果はまったく上がっていない。アーヴィンド自身ヴィオの心にファリスの教えを押しつけていいのかと躊躇するところがあるせいでもあるのだろうが)、なんとか事なきを得ている。ファリス神殿の司祭の方々にはむろん眉を顰められてはいるのだが、アールダメン候家をはばかってか、幸い咎められはしていないため、申し訳なく思いつつもここ数週間は鍛錬所を使わせ続けてもらっていた。
 ちなみに魔術師ギルドに向かう頻度はファリス神殿に向かう頻度よりかなり低かった。父に入学料、授業料を払ってもらっている身で申し訳ないとは思うのだが、父にとってははした金ではあるし、なによりアーヴィンドの師である首席導師バレンは多忙を極めているため、正魔術師の資格を得た今は自力での学習が基本となる。アーヴィンドにとって魔術師と賢者の修業は主として知的好奇心と、世界の構造を深く知るのは人として当然であるという義務感、それに冒険に知識と魔術を少しでも役立てたいという気持ちから発したものであるため、フェイクという自分よりはるかに高い学識と魔術の実力の持ち主が仲間にいる今、自分しか持っていない司祭としての能力をより高めたい、とつい思ってしまうのだった。
 個人的な感情で言うならば、いまだヴィオと一緒に湯を使うのは(ヴィオは昼の間はどこからどう見ても少年だと(実際にその証を見せられもしたし)わかってはいるのだが)、気恥ずかしい気持ちを拭えなくはあった。最初に出会った印象が少女であり、それからも時に少年として時に少女として共に冒険を重ねたヴィオは、かけがえのない仲間であることに違いはないのだが、どちらの性を持つ人間か未だに確定しかねている部分があるのだ。同年代の友人自体アーヴィンドにはほぼ皆無だったこともあり(貴族としてつきあいのある相手はもちろんいるのだが、アーヴィンドは生来同性には嫉妬を、異性には友情より先に恋情を抱かれてしまう少年だった)、まったく新しい形の人間関係を結んでいる相手として捉えているので、普段つきあうのには問題はないのだが。
 そんなことを頭の端で考えながらお喋りしていると、突然ばーん、と店の扉が押し開けられ、店内にずかずかと人が、それも鎧をまとい、盾を背負い、長剣を腰に差した男性が入ってきた。
 その鎧に刻まれた紋章に、アーヴィンドは思わず目を見開く。あれは、車輪の騎士団――オラン最大最強の騎士団の紋章だ。つまり彼はそこに属する騎士なのだろうが、見たところ年の頃はざっと十七、八と、かなり若い時分に叙勲された部類であるように思えた。
 だがどちらにせよ、そんな存在が冒険者の店に入ってくるというのはおそろしく珍しいことだ。もちろん騎士団の人間も飲み食いはするだろうが、たとえ下級騎士であろうと支配階級に属する彼らが、わざわざ荒くれ者やならず者(と、世間には思われており、そしてそれは間違いとは言い切れない)の集まる冒険者の店で飲み食いすることはまずありえない。騎士団が冒険者の店に依頼をすることもないではないだろうが、その場合も目立たないように小者を遣わせたり、無駄な摩擦を避けるよう世慣れた年長の騎士が遣わされるのが普通だろう。どちらにせよ、この騎士はこの店にはあまりにそぐわない。
 だがその騎士は店中から注視されているのに気づいているのかいないのか、その意志の強そうな太い眉を寄せ、短く刈った黒髪を揺らしつつ店中をじろじろと見回す。そしてアーヴィンドと目が合った、と思うや顔を輝かせ、ずかずかとすさまじい勢いでこちらに向けて闊歩してきた。
 えっ、なんで僕に、と驚くと同時に、これは実家関係のことに違いないといううんざりとした気分と、この騎士に見覚えはないが彼がどういう人脈を持っているかわからない、なんとか問題なく対処しなくてはならないという気概を同時に感じ、素早く頭を回転させ始める――が、それよりも早く騎士は間合いを詰め、喜色を満面に浮かべてアーヴィンドに抱きついてきた。
「なっ……!?」
「やはり、貴公はここにいたか! 会いたかったぞ!」
 一瞬の動揺から立ち直り、これはまた呪いの影響を受けた人かと(今でもときおり街の中でも抱きつかれてくることがあるため、対処方法はよくわかっているのだ)、とりあえず平心≠フ呪文を唱えかけたが、騎士はすぐに顔中に笑顔を浮かべたまま、さっと腕を放して正面から拳を突き出してきた。
「さぁ、手合わせをしようではないか!」
「………は?」
 きょとんとするしかないアーヴィンドに、騎士は意外そうな顔すらして言ってくる。
「なにをそんな顔をしている。貴公もわかっているのだろう? 我らは互いに、武人として得がたき邂逅をしたのだと」
「………は?」
「隠さずともわかっている、この俺もそうだからな。あの一瞬、街歩きの中でふと目が合ったあの一瞬で、血が沸き立ち、身が震えた。心の底から確信したぞ、この者こそが武人として俺の終生の好敵となるのだとな……! さぁ、外に出ろ。そして剣を交えようではないか! 我らは武人として、戦わずにはいられぬ定めなのだから………!」
「………………」
 しばしぽかんとしながら相手を見つめてしまったが、アーヴィンドはなんとか自力で正気を取り戻した。つまり、この騎士は、いったいどういうわけだか自分の中に武人として戦うに値するものを認めてくれてしまったらしい。アーヴィンドの方としてはそんなことを言われても困るというか、この騎士と目が合ったことなど記憶の片隅にも存在していないのだが、さすがにそれをそのまま言うわけにもいかない。
 なので、できるだけ婉曲に断ろうとしてみた。
「騎士さま。私のようなものをそこまで見込んでくださるのは嬉しいのですが、私では少々あなたのお相手をするには力不足かと存じます」
 とりあえず彼は自分の顔も氏素性も、つまり自分がアールダメン候子であることを(幸いにも)まるで知らないようだったので、へりくだった言葉遣いで言ってみたが、騎士はまったく聞き入れる気配もなく上気した首をぶんぶんと振った。
「なにを言う! 俺にはわかっている、一見女子供のようにか弱く見えても、お前には熟練の戦士の魂があるとな……! 幾度も実戦を経験した闘士の志は、隠そうとしても隠しきれるものではない!」
「いえ、ですから……。実戦の経験がないとは申しませんし、戦士の心得がないとも申しませんが、私の本来の役目は癒し手なのですよ」
「は?」
「つまり、神官としての役割です。末席ながら、ファリスの神官位をいただいております」
 仮にではあるが、アールダメン候子としての地位を一時的に返上した際に与えられてはいるので、嘘をついてはいない。本来神殿は俗世の権力とは独立しているものだが、アールダメン候家の長子を神殿組織の中に組み込むのは軋轢を避けるという意味では言うまでもなく歓迎できない。だが、一時的とはいえ俗世の地位を返上し、熱心に奉仕活動を行い神学を学び、実際に神聖魔法を行使できる者に神官位を与えないのは神に仕える者としてどうか、と(すったもんだの議論の末)、神殿の施設をある程度利用できるという認可としての意味も含め、神官位を授与していただくこととなったのだ(もちろんオランの神殿においての仮の身分に過ぎず、ファーズの神殿に届けられている身分としてはあくまで神学生なのだが)。
 アーヴィンドの言葉に騎士は大きく眉を寄せなにやら考えていたが、やがて大きくうなずいて笑顔で言う。
「つまり、神官戦士というやつだな!」
「……いえ、それは間違いではないのですが、私がより精力を傾注して鍛錬しているのは神聖魔法の力の方であり、戦士としての技術はどちらかというと余技に属するものでして……」
「なにを言う、俺にはわかっているぞ、お前には俺と同じ、気高き武人の魂があると! さぁ、いざ! いざ剣を交えようではないか!」
 瞳をきらきらと輝かせ、本気で今にも剣を抜きかねない騎士に、アーヴィンドは正直頭を抱えたくなった。駄目だ、この人、話が通じない。人の話が耳に入らない型の人物だ。どうしようこの人、と眉を寄せ必死に頭を回転させていると、ずっと横で黙って果汁を飲んでいたヴィオが、飲み終えたマグをことんとカウンターに置き、首を傾げた。
「なーなーアーヴ。なんで、この人と戦っちゃだめなの?」
「は!?」
 愕然としたが、ヴィオはむしろ不思議そうに聞いてくる。
「要するにこの人、腕試ししたいってことだろ? なんでしちゃだめなの? いろんな人と戦うの、いい勉強になるってフェイク言ってたぜ?」
「おお、いいことを言うではないか見知らぬ少年よ! さ、いざ、いざ!」
「いや……だからね、ヴィオ、そういうことじゃなくて……」
 少し本当に頭を抱えてしまったが、すぐに立ち直って説明する。そういう問題ではないのだ。
「だから、僕は、この騎士殿の相手になるほど戦士としての実力があるとは思えないし……なにより、無益な戦いをしたくはないんだよ」
「無益だと!?」
「いえ、無益というのは語弊があるかもしれませんが……あなたのおっしゃる剣を交えるというのは、武人として尋常の勝負をする、ということですよね?」
「むろん!」
「となれば当然武器を使って、命懸けの勝負をすることになります。私の武器は槌鉾ですからできるだけ致命的な打撃を与えないようにすることはできますが、それでも万一の事故というものは起こりえますし、剣であればそのような手加減をすることもできませんからより命を失う危険が大きくなります。怪我程度ならば私が傷を癒すこともできますが、命を失ってしまえばもはやどうにもなりません」
「し、しかし! 武人たるもの、いつ命を失おうとも」
「そして車輪の騎士団の一員である騎士さまを立ち合いで殺したとなれば、当然私は騎士団の名誉にかけても罰を受けさせられることになるでしょうし、そうでなくとも騎士団の名誉に傷がつきましょう。そのような状況で勝つことに全力を注ぐことは、私にはできません。だというのに剣を交えたところで、意味や価値があるでしょうか。むしろむやみに剣を振るったと、騎士さまと騎士団の名誉にも傷がつくのではないかと思うのですが」
「ぬ、ぐぐぐっ……」
 言葉に詰まって、騎士は固まる。アーヴィンドとしてはできるだけ反論のしようのないように説得したつもりだ。ヴィオはわかっているのだかわかっていないのだか、きょとんとした顔をして首を傾げているが、騎士にはやはり騎士としての名誉を絡めた説得は効いたらしく、ぬぐぐと顔を赤くして奥歯を噛みしめこちらを睨んでいる。なんとかこれで退いてくれれば、と店中の視線が集中しているのを意識しつつ微笑んでその視線を見返していると、また店の扉がぎぃ、と開いた。
「……バーンハード、ここにいたか。探したぞ」
 中に入ってきたのは、これまた騎士だった。同じように腰には長剣を下げているが、盾と鎧はつけていない。それでも身に着けているものの質から支配階級、おそらくは貴族の出身であろうことは知れたし、なにより柄頭に車輪の騎士団の紋章をつけている。年の頃はバーンハードと呼びかけられた目の前の騎士同様十七、八だが、その整えられた金髪と翠の瞳、しなやかな物腰は、人品卑しからぬ殿方とか、貴公子とか称されるであろうバーンハードとは違う品のよさがあった。
 が、そういうものとはまた別に、アーヴィンドはわずかに眉を寄せてしまっていた。どこかでこの騎士と似た人間を見たことがある気がする。そう、あれは確か、父に連れられてルーデル伯爵家の晩餐会に招待された時に――
 そして、この騎士もおそらく自分の顔と、氏素性を承知しているようだった。自分を見るや明らかに驚きの表情を眼に浮かべるも、それを一瞬で消し、わずかに目礼してくる。それに対しこちらも目礼することで、お互いここでは自分の氏素性については話さないでおこう、という暗黙の了解を受け容れた。
 バーンハードはその一瞬の視線の交錯に気づかなかったようで、むっとした顔になり怒鳴るように言い返す。
「レオンス、俺は探してくれなぞとは言っていないぞ。今俺は騎士団の勤務時間ではないのだから、お前に探される理由はないはずだ」
「剣だけならわかるが、鎧と盾まで身に着けて街中にくり出しておいてなにを言う。お前がまたぞろなにやら問題を起こしたのではと心配になるのが当たり前だろうが」
 言ってつかつかと自分たちの前に立ち、礼儀正しく一礼した。
「この馬鹿者が迷惑をかけた。私は車輪の騎士団ソメール隊所属、レオンス・デルヴァンクール。これは同じくソメール隊所属、バーンハード・トワイニング」
「馬鹿者とはなんだ! その上なぜお前が俺の自己紹介をする! それとこれとはなんだ!」
「これまでの経験上当然のことを言ったまでだ。実際なにを話していたにせよ、まだ自己紹介もしていなかったようではないか、戯け者」
「ぬぐぐっ……」
「……ファリス神官、アーヴィンドと申します」
「俺、ヴィオ! よろしくなっ、バーンハードとレオンス……って長いから、バーンとレオって呼んでいい?」
「むっ、少年、貴様騎士たるものを愛称で呼ぼうとなど」
「ご随意に。……守るべき民に迷惑をかけておきながら偉そうなことが言えた義理か、愚か者」
「むぐぐっ……め、迷惑などをかけたわけではないっ! ただ俺は、この俺の武人としての魂を震わせた者に尋常の立ち合いを申し込んで」
「それが迷惑だというのだ、馬鹿者。曲がりなりにも騎士団の紋章を背負った人間がやることか。隊長にどれだけ叱られると思っている」
「あのような腰抜けにどれだけ叱られようとっ……」
「お前を騎士団に推薦してくださった、エルスバーグ卿の恥にもなるんだぞ」
「ぬぐっ……お師、さまの……」
 言葉に詰まったバーンハードに、レオンスはその品のいい顔立ちに皮肉っぽい表情を浮かべ、畳みかけるように言う。
「そもそも俺との勝負でもいまだ負け越している分際で、武人だのなんだのほざけた義理か。一人前の武人を名乗りたいのなら、お前が腰抜けだと抜かした隊長の取り巻きとの勝負でせめて勝ち越せるようになってから言うことだな」
「ぬ、ぐ、むぐぐっ……」
 バーンハードはもはや言葉の返しようもなくなったようで、真っ赤になって固まってしまう。そこにレオンスはとどめの一言を放った。
「それがお前の温かい頭にも理解できたなら、とっとと宿舎に戻って鎧と盾を置いてこい。そんな車輪の騎士団の騎士ですと宣伝しているような格好でこれ以上醜態をさらすな」
「…………」
 しょぼん、とあからさまにしょぼくれて店の外へと出ていこうとするバーンハードに、アーヴィンドは思わず声をかけた。あまりにしょんぼりしていたので、つい哀れになったのだ。
「トワイニングさま。お勤め、どうぞ頑張ってくださいませ」
「! うむっ!」
 声をかけるや、満面の笑みになってバーンハードはずんずんと店を出ていく。その後ろ姿を苦笑しながら見送ると、レオンスは改めてアーヴィンドに向き直り深く礼をした。
「改めて名乗らせていただきます、私はセルレア男爵家子息にして車輪の騎士団ソメール隊所属騎士、レオンス・デルヴァンクールと申します。同僚がご迷惑をおかけしたようで、改めてお詫びさせていただきます。アールダメン候子、アーヴィンド・リズレイ・クラーク・プリチャードさま」
「やはりセルレア男爵家の方でしたか。あなたのお父上とは以前お会いしたことがございます。ですが、今の私は一時的にとはいえ候子の位を返上した身。どうぞ、市井の一冒険者としてお扱いください」
「は……。しかし、アーヴィンド殿が呪いをかけられたということは聞き及んでおりましたが、よもや本当にこのような呪いを受けられていたとは。ただの噂、と正直話半分に聞いておりましたが、これでは呪いを解かねばと思われて当然でしょうな」
「恐れ入ります……」
 と、そこにヴィオが不思議そうな顔で訊ねてきた。
「なーなーアーヴ、レオもだけどさ、二人って知り合い……ってわけでもないみたいだけどさ、なのになんでそんなにお互いのことにくわしーの? あとさ、レオさ、さっきまでふつーに話してたのに、なんでいきなり丁寧語になってんの?」
 本来ならば冒険者――平民より下の、ならず者とされる階級の人間が騎士に対して遣う言葉としては、無礼討ちされかねないほど雑駁な代物だったが、幸いレオンスは良識豊かな人間だったようで、わずかに苦笑してアーヴィンドに目配せを送ってから、落ち着いた声で説明に入ってくれる。
「単純な話だ。私はもともとアーヴィンド殿のことを存じ上げていたのだよ。そのご身分も、魔獣に呪いをかけられたというご事情も、さらに言うならお顔立ちも冒険者としての定宿がこの店だということも。だが、私のあの同輩――バーンはたわけたことにそのことを知らない、というよりは気づかなかった。アーヴィンド殿のご事情について私に最初に教えてきたのはあの男だというのにな。なので、少なくともこの場では知らせぬままにおく方が騒ぎにならずにすむだろうと――アーヴィンド殿もそちらの方をお望みのようであったし、演技をさせてもらうことにしたのだよ。アーヴィンド殿にも、君にも無礼なことだったとは思うが、どうかご容赦いただきたい」
「ふーん……? 俺は別にいーけど。アーヴも、それでいーんだよな?」
「うん、そちらの方がずっと助かるよ。感謝いたします、デルヴァンクール卿」
「どうぞレオンスと、名でお呼びください。本来ならば名で呼び合うなどかなわぬ身分の方だとは重々承知しておりますが、今は市井の一冒険者として扱われることを望まれるということでしたら、せめてその間だけでも友人としておつきあいいただきたいのです」
「お心遣い、重ね重ね感謝いたします。では、レオンス殿。トワイニング卿のことについて、少しお訊ねしてもよろしいでしょうか?」
「は。奴は私の車輪の騎士団での同輩でして……私が入団した三ヶ月あとに入団してきたのです。トワイニング家というのは、ご存じかどうかわかりませんが、家柄自体はいわば騎士の家系の中でも末席に近い家でして。その中でも、奴はいずれオランの国王陛下に仕えるのだと、忠誠心と剣の腕を育てていったようです」
「剣の腕……ですか」
「はい。奴の剣の腕は、十八という年に比すればかなりのものです。天才とは間違っても申せませんが。それでも、トワイニング家の当主が人脈を必死に活用し、エルスバーグ卿のところへ弟子入りさせ、いずれは騎士団や近衛隊にという夢を抱くには十分でした」
「エルスバーグ卿、とおっしゃいますと……今では老齢に差しかかりながら、いまだオラン有数の剣技を誇るといわれる、かつて車輪の騎士団の騎士団長も務められた、あの……?」
「は、さようです。あの方は特に後進の指導に熱心な方で、何人もの弟子を取っておられますが、バーンハードはその中でもなかなかに可愛がっていただいたようでして、奴もエルスバーグ卿を心より慕っております。……ただ、武人としての心の持ち方などの教育をしっかり受けたのはよいのですが、それ以外のところがおそろしくおろそかになっているのが奴の困ったところでして」
「なるほど……先ほどのお申し出も、あくまで純粋に剣の技を極めんがゆえの、真摯なお心から発されたものだということですね」
「むしろ子供の駄々に近いようなものではありますが、好意的に見ればそうも見ることができましょう。常識というものをどこかに忘れてきたような振る舞いをお見せしてさぞご迷惑かとは存じますが、なにとぞご寛恕いただきたく……」
「いえ、もとより大事にするつもりはありませんでしたから。……レオンス殿は、トワイニング卿と仲がよろしくていらっしゃるのですね」
「騎士団に入ってきた頃からの腐れ縁ですので。奴が起こす面倒の後始末には慣れております。……まぁ、その分私も奴に借りを作ることもありますがね」
「と、おっしゃいますと?」
 レオンスはにこりと笑い、すっとひざまずいて、アーヴィンドの手を取って微笑んだ。
「あなたのように魅力的な方と心を交わす時間のためならば、それがいかにわずかな時間であろうと、奴に借りを作るのも厭いはしません、ということですよ」
「………は?」
「はっ!」
 アーヴィンドに返事をされてから、レオンスははっと我に返ったように立ち上がる。半ば顔を呆然とした形に歪めながら、小さく首を振って頭を下げた。
「いや、申し訳ありません。大変失礼をいたしました。我ながら情けない話なのですが……どうやら、アーヴィンド殿の呪いに酔って、数瞬状況を忘れてしまったようでして。あなたの呪いの力は理解していたつもりでしたが……まさか、いつの間にやらご婦人を相手にするような心持ちにさせられていたとは。まこと、面目次第もございません」
「……いえ……お気になさらず」
 自分の呪いがそういう働き方をするとは思ってもいなかったアーヴィンドは、今度からはそういう方面にも気をつけなければならないのか、と思うと頭がくらくらしたが、自分の呪いということになれば責めようもない。というかこの人は騎士の務めを果たしながらご婦人の手を取って口説くような性質の人なんだな、と(実際ご婦人方にはさぞ人気が出るだろう整った顔立ちをしてはいるが)頭を痛くさせつつも、貴族の技術として叩き込まれた演技力を発揮してにっこり微笑んでみせる。
「騎士団のお勤めはさぞ大変で、責任も重くていらっしゃるでしょう。どうぞ道を踏み外されることなく、立派な騎士へとおなりくださいね」
「は、ありがとうございます。……それではまた、いずれ」
 一礼したレオンスが店から出ていくのを見届けてから、アーヴィンドはふぅ、と息をついた。店にいた他の冒険者たちもほとんどが息をついたようだった。冒険者の店に騎士団の騎士が堂々と入ってくるというのは、それだけ通常ありえないことなのだからある意味当然だろう。
 が、アーヴィンドの隣に座っているヴィオは、きょとんと首を傾げて、ごく当たり前のことを話す口調で言った。
「なーなーアーヴー。さっきからアーヴとレオってどんな話してたの? 俺、なんかよくわかんなかったんだけど」
「……いや、大した話をしていたわけじゃないんだけどね……」
 アーヴィンドは脱力しかけたのを苦笑で流し、一緒に昼食を頼んでからヴィオに向き直って順々に説明を始めた。ヴィオは頭が悪いわけでは決してないのだが(むしろ理解力や判断力はかなり高く、緊急時の勘働きなどはアーヴィンドとは比べ物にならないほど鋭いのだが)、とにかく育った村以外の常識を知らないので、書物を読むことを基本とする学問的な知識や思考に馴染みがなく、敬語をはじめとする貴族的な言い回しなどはほとんど頭が理解を拒否しているようなところがあったため、こういう風にアーヴィンドが説明をすることはこの一か月半の間で数えきれないほどあったし、アーヴィンドとしてもそれはけして不快なことではなかった。
 アーヴィンドとしては、そんな風に昼食のついでにのんびり説明していればいいくらいさっき自分の身に降りかかったことは瑣末事だったのだ。なぜバーンハードが自分のような別に筋骨隆々というわけでもない(もちろんそれなりに鍛えているつもりではあるが、体つきとしては引き締まっているという表現の方が正しいもので、服を着込めば華奢な雰囲気すらあるような体なのだ)相手に、武人としてそこまで思い入れるものを感じたのかはさっぱりわからなかったものの。

 ――なのでまさか三日後に再び店にやってこられるとは思ってもみなかった。
「まったく、アーヴィンド! 貴様、せっかくファリス神に仕える神官なのだからもっと気合を入れて剣の技を鍛えようという気はないのか!?」
「いえ、私の武器は基本的に槌鉾ですし……それに、できるならば自分に向いた能力を伸ばしたいと思いますので……」
「だからこそ剣技を鍛えるのではないか! なにせお前は、俺の生涯の好敵となる男なのだからな! 気高き武人の魂が、抑えようとしてもにじみ出ているぞ!」
 ぐいっとジョッキに入ったエールを乾し、わっはっはと笑うバーンハードに、アーヴィンドはため息をついた。さっきからずっとこの調子で、機嫌がいいのはいいのだが、いい加減うんざりするような気持ちが湧いてきてしまっている。ファリス神に仕える神官として、感心できないことだとは思いつつも。
 アーヴィンドたちがちょうど夕食を食べているところに、剣は持っているものの鎧と盾は着けていない平服姿で現れた時は正直仰天した。だがバーンハードの方は自分がおかしなことをしているとはまるで思っていないようで、ずかずかとアーヴィンドたちのテーブルまでやってくると、「おう、アーヴィンド! 久しいな! せっかく会えたのだ、共に酒を酌み交わそうではないか!」と高らかに言い、同じテーブルについて酒と料理を頼み、それからずっと自分に三日前と同じ調子で話しかけ続けている。
 しかも、だ。
「なるほど、君は日々そのような稽古をしているわけか。しかし、自分よりも腕が落ちる相手としか稽古ができないとは、少々物足りなくはないか? 毎回同じ相手というのも飽きるような気がするのだが」
「んー、そーなんだけどさー、神殿の人たちってアーヴ以外みーんな俺のこと半分無視しててさー。稽古しよーよっつってもぶがいしゃだからだめ、みたいなこと言ってしてくんないの。前みたいにフェイクとしたいな、とも思うんだけどここんとこ全然相手してくんないしさー」
「なるほど、では今度一度お相手願えるかな? 少なくとも私は騎士としてそれなりの腕は持っていると思うのだが」
「え、ホント!? するする、絶対するー!」
 にこやかにヴィオと話す(そして、こちらの話にまったく入ってこない)レオンスにかなり強い疑問の視線を送ったのだが、レオンスはそれに気づいているのかいないのか(たぶん気づいてしらばっくれているのだろう)、にっこり笑顔を返してからまたヴィオの方に向き直る。その様子に、抑えよう抑えようとしてもどうにも苛立ちが湧いてきてしまった。
 正直、アーヴィンドとしてはレオンスはバーンハードを抑える立場にいてくれると思っていたのだ。それがしれっとした顔で一緒に店に現れて、同じテーブルにつき、ヴィオにばかり話しかけている。正直心づもりを量りかねていたし、周囲の冒険者たち(ひいては騎士とは正反対の立場にいる荒くれ者たち)から好奇の視線が飛んでくるのに気づいていないはずがないのに当然のように無視しているのも、どうにも疑念を抱かずにはいられなかった。
「聞いているのか、アーヴィンド! だいたいお前はだな、自らを過小評価しすぎる! お前は俺の見込んだ男だぞ、闘志を燃やし、一心に剣の道を歩めば、俺に伍するほどの腕を持つことは間違いないっ!」
「……はあ」
「なにがはあ、だ、まったく気合が足りんぞアーヴィンド! うちの腰抜け隊長のような声を出すな!」
「……隊長殿を腰抜け呼ばわりとは、また穏やかではありませんね」
「本当に腰抜けなのだから仕方があるまい。稽古を申し込んでも『私はもう年だからな……』などと抜かして逃げる、隊長会議でも押しが弱いせいでうちの隊に下りる予算は少なくなる、まったくそれでも騎士か! と言いたくなるな!」
「はあ……」
「はあ、ではないだろう! まったく、曲がりなりにも騎士の名家カトラル家の嫡子ともあろうものが……」
「え」
 ぐいぐいエールを空けながら、ときおりだんだんとジョッキをテーブルに叩きつけ叫ぶバーンハードの話を、聞き流したいという欲求と戦いながら聞いていたアーヴィンドは、はっとした。
「あの……トワイニングさま。先日うかがったお話では、トワイニングさまたちの所属する隊は、ソメール隊、とうかがったように思うのですが……」
「む? ああ、そうだ。なんだ、お前、知らんのか? 騎士隊の名前というものは、確かに基本的にはその時の隊長の姓をつけるのが一般的だが、前隊長の功績に比して現隊長の功績がきわめて低い場合などには、現隊長が前隊長を超えるまで、隊の名前を変えずにおくことができるのだぞ。もちろん現隊長にその意思があれば、ではあるが、あのような腰抜け隊長では本人が嫌がろうともソメール隊の名を変えるわけにはいかなかっただろうな!」
「………。その隊長さまのお名前は、なんとおっしゃるのでしょうか?」
 訊ねると、バーンハードはあからさまにむっとした顔になった。
「なんだ、アーヴィンド。貴様、あのような腰抜けに興味があるのか?」
「……いえ……私はたまたまカトラル家の方々と面識を得る機会がありましたものですから、私の存じているカトラル家の嫡子でいらっしゃる方と、トワイニングさまがお話しくださった方の印象の違いが、少々気になりまして」
「む? 印象の違いだと? また妙なことを……。彼奴がもともとは勇敢な人間だったとでも言う気か?」
「勇敢、と申し上げるのは正確ではない気はしますが……押しが弱い、という印象はありませんでしたので」
「む……? そうなのか? 我が隊の腰抜け隊長の名前は、デリック・カトラルというのだが……」
「…………」
 アーヴィンドはわずかに眉を寄せた。さっきまでヴィオとにぎやかに喋っていたレオンスが、こちらを注視しているのを感じる。バーンハードも怪訝そうな顔になり、ためらいがちに訊ねてきた。
「アーヴィンド? どうなのだ、知っているのか?」
「……そう、ですね……。お聞きしたいのですが、そのデリック・カトラルさまのお顔立ちと、体つき。普段どのような言動をしてらっしゃるか、お話しいただいてもよろしいですか?」
「む? そうだな、顔はごつごつと角ばって、体も同様で、よく鍛えられているようには見える。顔にはいくつか薄く剣によるものだろう傷があり、身の丈は、そうだな、俺よりも二、三寸高い程度か。言動……はさっきも言ったが惰弱の一言に尽きる。隊長としての勤めはそれなりにこなしてはいるが、稽古の際は他の人間に相手させる、隊長としての押し出しは弱い、とまこと情けない……」
「と、この馬鹿は思ってはいるが、私はカトラル卿の政治力は確かなものだと思っている。目立たず浮きもせず適度な位置を保持し、隊の安全と他の隊との友好関係を両立させる。確かに我が隊に下りてくる予算は他の隊よりは少ないことが多いが、決して隊の運営に支障をきたすほど少なくなることはない。私としては彼は安全を第一のものと考え、それをふまえて隊と隊の間をうまく泳ぎ渡っている、ように思えたのだが……」
「レオンス、貴様なにをたわけたことを言っている! 騎士たる者他国より愛する自らの国を護るために命を懸けて戦うことこそ誉れではないか!」
「ほう? 命を懸けていればそれで誉れ、と? ならば名声に固執し多勢になんの策もなしに正面から当たり、無駄に討死することも誉れ、ということになるが?」
「む……ぐぐぐぐ……! 貴様はいつもいつものらりくらりと言い抜けおって……!」
「馬鹿者。これは正論というのだ。正論に打ち負かされるということは、お前の方が間違っている、ということだぞ? 理解しているか?」
「そ、そ、そのような小難しい話でごまかすなっ!」
「お前の方こそ大声でごまかしているではないか」
 言い合いを始めたバーンハードとレオンスをよそに、アーヴィンドは一人考えていた。
 デリック・カトラル。知っている。一方的な形ではあるが、かなりよく。
 デリックは、以前アーヴィンドがあの人の話を少しでも聞きたくて、あの人にまつわる人々のことを調べていた時に名を聞いた人間の一人だ。あの人が無礼討ちをしかけた時に、それを命懸けで諌めた人間だ、と。
 その事件を詳しく調べ、小者を使ってさまざまな人間に聞きこんでもらった限りでは、デリックは当時はまだ騎士見習いながら、騎士の中では名家と呼ばれる家の出身で、自らの家系とそこに属する人々が為した業績に強烈な自負を持っていた、ということだった。たとえ本来ならばデリック自身無礼討ちにされるような相手だったとしても、殺されることなどありえない、そんな可能性など考えるのも馬鹿馬鹿しい、というように考えていた、と。
 それは世間知らずであるがゆえの傲慢とも取れただろうが、それだけではない、とアーヴィンドは判断していた。ただの傲慢な感情であの人と真正面から相対することができるはずがない。しかも、諌めに入って殺されていない、のみならず無礼討ちを止めることができた、ということはあの人がそれだけの価値と強さをデリックに見出していた、ということだ。もちろん年月を経てそれが変わってしまったという可能性は否定できないが、あの人を止めることができた人間が、あの人の剣を見せられてなお生きていた人間が、騎士隊長になったら押し出しが弱く、のみならず部下との稽古も避ける人間になっている、というのはアーヴィンドにはどうにも考えにくい話だったのだ。
 もちろん、自分などには考えの及ばない事態がデリックに訪れている可能性もあるけれども――
「……申し訳ありません、トワイニングさま。そのカトラル家の嫡子さまは、トワイニングさまの隊の隊長でいらっしゃるのですよね? 次の野外演習がいつ頃か、おわかりになります?」
「む? なぜそのようなことを聞く」
「いえ……まさかとは思いますし、ありえそうにもないことではあるのですが。もしや……万が一にもありえなさそうなことではあるのですが……そのデリックさまが、誰かと入れ替わっていることがあるやもしれぬ、と思いまして」
 当然ながら、バーンハードは仰天した顔になった。
「まさか! なにをたわけたことを言っている! あの腰抜け隊長が」
 と、そこまで言ったところでバーンハードの口は、いつの間にか立ち上がっていたレオンスの手でふさがれた。むーむー! とバーンハードは抗議するが、そちらに鋭い視線を向けて黙らせ、レオンスは小さく、アーヴィンドたちに向けて囁く。
「店の中で話すことでもあるまい。申し訳ないが、君の部屋に案内してはくれないか。少なくともあの月の主≠仲間に持っているのだから、部屋に盗み聞きの仕掛けがあるようなことはあるまい」
「……承知いたしました。ヴィオ、いいよね?」
「ん? うん」
 わかっているのかいないのかよくわからない顔でヴィオはうなずき、揃って食事を急いで腹に詰め込んで、店主のランドに許可を得たのち揃ってアーヴィンドたちのいる部屋へと上がった。壁自体はさして厚いわけでもないので、腕のいい盗賊なら聞き耳は立てられるだろうし、こうして騎士を伴って部屋に上がる、ということ自体盗賊たちの耳目を引きつけてしまうだろうことはわかっていたが、実際かなり緊急性の高い話ではあると思ったので、他に手が思いつかなかったのだ。
 部屋に入るや、レオンスはバーンハードの口をふさいだまま、低く、小さな声で訊ねてきた。
「アーヴィンド殿。つまり、君はどういうことだと考えているんだ?」
「……いつ頃からかはわかりませんが、おそらくは騎士隊長になる以前から、デリックさまは他の人間と入れ替えられているのではないか、と思うのです。おそらくは魔法で変身した人間に。姿を写し取れる魔神にしては、行動が人間的すぎますから」
「なんっ……!」
「騒ぐな、バーン。……確信があるのか?」
「いいえ。確信と呼べるほどはっきりしたものは。ただ、私の知っているデリックさまと、トワイニングさまが語られたデリックさまとでは、どうにも人格に違和感があるのです。私の存じ上げているデリックさまは、たとえ主君であろうとも過ちを犯したならば真正面からそれを正してくるような方でした。もちろん私がデリックさまのことを知ったのはかなりに前ですから、年月を経てご人格が変わられたということもあるだろう、とは思うのですが……それでも、どうにも聞いた話にそぐいません」
「し、しかし……なぜそんなことを!? あの隊長と入れ替わって、いったいどんな得があるというのだ!?」
「それは、はっきりしたことは申せません。他国の間諜という可能性もありますし、デリックさまの立場や人間関係で得られる情報等を個人的に求める人間、という可能性もあります。ただ……デリックさまは、レオンス殿が入隊された時から現在のように腰が引けた方だったのですよね?」
「ああ。十六で入隊した時から、人間的にはまったく変わりがないように感じられた」
「となれば、もし入れ替わっていると仮定して、ですが……相当な長期間別の人間と入れ替わっている、ということになります。となればその動機となるものは、それだけ重大な情報の類ということになる……ソメール隊の隊長というのは、どういった立場の方になるのですか?」
「……車輪の騎士団の中でも下級騎士を多く抱えている隊だ。だが、それは逆に言えば近衛騎士団との距離がきわめて近い隊だということでもある。下級騎士の一番の出世の道は、近衛騎士団に入り、隊長へ、うまくすれば団長へと進むことだからな。……自然、登城の機会も多く、やろうと思えばかなり重大な国家機密でも盗み出せる、とは思うが……アーヴィンド殿、君は本当にそう考えているのか?」
「もちろん、これがまったくの勘違いで、単に年月を経て性格が変わったということもありえます。ただ、曲がりなりにも騎士隊長が隊員に稽古を申し込まれて断る、ということ自体相当におかしな話だと思うのです。私の記憶が正しければ、デリックさまはまだ四十代にもなっていないはず。騎士としては安定期、自分の理想に腕が追いついてくるという頃でしょう。もし稽古をつけなかったのではなく、つけることができなかったからだとしたら、筋が通るのです」
「……つまり、騎士隊長と呼ばれるだけの剣の腕前を、入れ替わった人間が持っていないから、と?」
「もちろん、ただ気が進まなかったから、という理由も考えられますが……ひどくおかしな話だということには、間違いはないかと」
「……確かに。だが、どうする気だ。少なくとも今は奴はソメール隊の隊長だ、うかつに動けばこちらが獄に繋がれる羽目になるぞ」
「容疑を確定する、というだけならばさほど難しくないと思うのです。普通に考えて姿を変えているのは変身≠フ魔術でしょうから、演習等で外出した時に、私が魔力感知≠行えば……あ、の?」
 レオンスとどんどんと話を進めていたアーヴィンドは、自分の顔に向けられた強烈な視線に気づき、そろそろと視線の主の方を向いた。バーンハードが、なぜかひどくぶすっとした仏頂面で、こちらを睨むように見ている。
「あの……トワイニングさま。なにか?」
「……なぜレオンスだけ、名前で呼ぶのだ」
「は……?」
 正直なにを言っているのかよくわからなかったが、バーンハードがすさまじい仏頂面でこちらを睨み続けているので、とりあえず聞かれたことに素直に答えた。
「レオンス殿が、今この時は友として、名を呼ぶようにとおっしゃってくださいましたので……」
「……………………」
 さらにぎゅうっと眉がしかめられる。ええ? なんで? と困っていると、レオンスがふいににっこりと笑んでぽんとバーンハードの肩に手を置いた。
「まったく、仕方のない奴だ。お前は子供か。アーヴィンド殿に名前で呼んでほしいのならば、そう素直に頼めばよかろうに」
「え……?」
「なっ……! そ、そんなわけがあるか! 誇り高い車輪の騎士団の一員たるこの俺が、そんな、子供のようなっ……」
「ならば嫉妬に燃える目で俺を睨むのはやめてもらいたいものだな。お前のふがいなさを当たられても困る。俺も、アーヴィンド殿もな」
「っ………!」
 カッ、とバーンハードの顔が赤くなる。えぇ、まさか本当に名前で呼んでもらえないから拗ねてたのか? とあまりの子供っぽさに一瞬呆然としたが、すぐに首を振って、いやいやバーンハードは自分の中に武人としての好敵手たるものを感じてしまっているようだからそれも仕方ないのかも、と考え直し、できるだけ柔らかく微笑んで告げた。
「あの、トワイニングさま。不躾なのを承知で申し上げますが……バーンハードさまと、お名前でお呼びすることをお許し願えますでしょうか?」
「…………! ま、まぁ仕方があるまいな! お前は我がソメール隊の不祥事を暴いてくれるかもしれぬ者なのだし、なにより、我が生涯の好敵と見込んだ相手なのだしな!」
「では、バーンハードさまと……」
「い、いや……む……その、だな。……よ、呼びたければ、バーンと呼んでもいいぞ! 実際、バーンハードという呼び名は長すぎるしな!」
 真っ赤になって顔を背けながら言われ、アーヴィンドは思わず苦笑しつつもうなずいて答える。
「では、そのように。御名を許してくださったこと、心よりお礼申し上げます」
「……む……う、む」
 そっぽを向きながらうなずく(そしてその顔が耳まで赤い)バーンハードに、この人は本当に意地っ張りというか、誇り高いというかな人だなぁ、とまたアーヴィンドは苦笑する。ヴィオだったらこんな風には絶対にならないだろうな、とちらりとヴィオを見ると、ヴィオはわかっているのかいないのか怪しい顔でにっこりと笑いかけてきてくれた。
 それに思わず胸の辺りをほわんとさせながら微笑み返したりしていたので、アーヴィンドは、自分の隣でレオンスがやれやれと言いたげに肩をすくめているのも、自分と同様に呆れの感情によるものだとしか考えることができなかったのだ。

 整然と騎乗した騎士たちが街中の道を進むのを、アーヴィンドは街角からこっそりと見つめた。バーンハードたちから聞いていた通りの時間、聞いていた通りの場所だ。
 騎士隊の周囲からは、少年たちの歓声や町娘たちの熱い視線が山とばかりにぶつけられている。騎士というものがそういうものだというのは理解していたが、それでも質量を感じさせるほどのその声には驚かされた。少なくともここオランでは、騎士団というものは今も変わらず民草の英雄なのだ。
 面頬つきの兜をかぶり、顔を隠して粛々と進む騎士団の列を見つめながら、アーヴィンドは機を計った。ソメール隊が騎士団の列のどの辺りに位置するかはしっかり聞いている。デリックはその先頭に立って馬を進めているということもだ。
「……けどさー、よかったのかな?」
 ふいに一緒に待ってくれていたヴィオがきょとんと口にした言葉に、思わずアーヴィンドの集中は途切れ、騎士団の隊列に向けていた視線を逸らしてヴィオの方へと向けた。
「なにがだい?」
「フェイクに、このこと話さなくて」
「あ……」
 完全に予想外だった言葉に、アーヴィンドは思わず小さく口を開けた。アーヴィンドとしては、フェイクはたまにしか店に来ないため(依頼の際にはどこからともなく現れてくるのだが)連絡のしようがなかったというのがある。そもそもフェイクがどこに住んでいるかということすらアーヴィンドたちは知らないのだ。
 もちろん非常用の連絡先というのはいくつか教えてもらっているのだが、今回は単に少しばかり怪しい騎士隊長の嫌疑を確認するだけなのだから、わざわざフェイクを呼び出すほどのことでもないだろうし。
 ……だがそれはそれとしても、アーヴィンドの頭にはフェイクにこのことを話すという選択肢がほとんど浮かばなかった。それはつまり、フェイクを自分たちの仲間だとまだきちんと認識していないせいなのでは、とアーヴィンドの心はちくちくと理性を責めたてた。
「……そうだね。フェイクさんには申し訳ないことをしてしまった。とりあえずことが片付いたら、早めに連絡をしよう」
「そーだなっ。……あ、来たみたいだぜっ」
「……うん」
 物陰に隠れながら、アーヴィンドは騎士団の隊列の方に視線を戻す。そこには顔をむき出しにして町娘たちの嬌声に笑顔で応えるレオンスがいた。彼がソメール隊の目印になる、と自分から言ってくれたのだ。隊の規律を乱す気か、とバーンハードはがなったが、本当に間諜が入り込んでいるとしたらそれこそ隊の名誉に関わるだろうが、とあっさり言い負かしていた。実際、レオンスのように顔をむき出しにしている騎士は、少なくはあるものの皆無ではないので、そう目立つこともなかっただろう。
 街角に身を隠し、歓声や嬌声で気配を隠しながら、アーヴィンドはフェイクから正式に貸与された発動体の指輪を握ってゆっくりと両手を動かした。魔力感知≠フ効果範囲は視界内、視界に捉えられてさえいれば距離も人ごみも関係ない。
「万能なるマナよ、我が前に姿を現せ。我が目は汝の色を捉える投網とならん!=v
 呪文を唱え終わるや、アーヴィンドの目にマナが集まってくるのが感じられた。アーヴィンドの感覚が切り替わり、マナを知覚する本来ありえざる感覚が脳へと繋がる。
 ソメール隊の先頭に立って馬を歩かせている男を見る――や、アーヴィンドの感覚はマナの確かな存在感を捉えていた。明らかに本来ありえざる量のマナが隊長からは発せられている、やはりこれはどう考えても変身≠フ呪文に違いない。
 ――と思うや、その知覚は十数え終るかどうかという頃に唐突に途切れた。
「……え」
 アーヴィンドは一瞬ぽかんとして、すぐにはっとした。本来魔力感知≠ヘ三分は持続する。それが強制的に終わったということは、魔力解除≠かけられたか、さもなければ。
「……対抗感知=v
 あらかじめかけておくと、自分や自分が身に着けている物品が魔法の道具や呪文で探知された場合、それを感知する呪文。同時に相手が使った呪文や相手の姿形がわかり、さらに呪文が作動してから十数えた頃に相手のかけた呪文は消滅する。
 つまり、自分の存在も、かけた呪文も、つまりはこちらがしようとしていたことがほぼ相手に筒抜けになってしまうということで――
(うかつだった………!)
 その呪文の存在も効果も知っていたくせに、なんという間抜けなことを、と歯噛みしつつも、アーヴィンドは素早くヴィオに囁いた。
「ヴィオ。相手にこっちの存在が知られた」
「え……えぇ!?」
「ばらばらになって逃げよう。うまく逃げられたらフェイクさんに連絡して」
「わ、わかったっ」
 言うやヴィオは即座にこちらに背を向け走り出す。ソメール隊の中から、隊長にほど近い騎士が一騎こちらに向けて周囲の民衆を押しのけてこちらに向かってきていた。アーヴィンドも、自分のうかつさを頭の中で罵りながらも走り出した。
 目立たないために、鎧も武器もつけない平服姿だったため、体は軽い。それにアーヴィンドは足にはかなり自信がある。人に紛れればうまく逃げられる可能性は十二分にある――
 はずだったが、相手の方が上手だった。相手は馬を巧みに操り、できるだけ人ごみに紛れようと走るアーヴィンドを追い、先回りしてきたのだ。
「……そこの者。先ほど、街中で呪文を使ったという話だが、相違ないな」
「…………」
 目の前に馬を止め、剣を突きつけてくる騎士に、アーヴィンドは唇を噛みながらも沈黙した。
「オランでは、街中での治療以外の目的での呪文の使用はよほどの非常時でない限り禁止されている。それを知らぬわけではあるまいな」
「…………」
 有名無実化しているとはいえ(攻撃呪文かなにかでもなければ人に見られるように呪文を使う魔法使いはまずいない)、それはオラン成文法にもある立派な法のひとつだ。
「一緒に来てもらおうか」
「……はい」
 アーヴィンドは奥歯を噛みしめながらもうなずいた。実際、この場ではそれがもっとも正しい方法だとしか思えなかったのだ。

「いい加減白状したらどうなんだ。お前はあそこで、なにをしていた?」
「何度聞かれてもお答えできる言葉は変わりません。私がそれを説明できるのは、法廷においてのみなのです」
 鋭い目つきの騎士らしき男が、取調室の机の向こう側からぎろりとこちらを睨んで訊ねてくるのに、アーヴィンドは微妙に顔をうつむかせながら答える。別に騎士におじけたというわけではないが、できるだけ相手に怯えるような顔を見せておいた方がこの場合はいいだろう、と思ったのだ。
 オランの王城、エイトサークルに備えられている、地下牢脇の取調室。ときおり地下牢の方からぞっとするような悲鳴が聞こえてくるのに、罪を犯した人間にすら地下牢という環境がどれだけ過酷かを思い知らされ、どんなことでも喋ってしまいたくなる。
 だが、デリック・カトラルが誰かと入れ替わっているという事実を信頼できない相手に話していいことがあるとは思えない。今の自分は一介の冒険者であるし、なによりこの騎士はソメール隊の人間だ。デリックの偽物の息がかかっていないという保証はどこにもない。
 アーヴィンドとしては、今はできるだけ時間を稼ぐべきだと考えていた。自分がうかつな真似をしたということを、ヴィオはすぐにフェイクに知らせてくれるだろう。フェイクならば、たとえ王城の地下であろうとも、目撃者を出すより早く自分を助け出してくれるだろう(またもフェイク頼りというのはひどく情けない話だとわかってはいたが)。それになにより、自分が取り調べを受けている間はデリックは逃げ出すわけにはいくまい。自分が間諜だと知っている人間を、しかもアールダメン候子でもある人間を、放っておいてはまずいことになる、と普通の間諜なら思ってくれるはずだ。
 実際には今自分はただの一冒険者として動いているのだが、間諜というのは深読みしていくらの仕事だ。おそらくアールダメン候がなにかつかんでいるかと不安になってくれるだろう。
 だから自分は、虚言感知≠ナも嘘を看破できないように、ひたすら黙秘を続けるのが一番いい、と考えていた。そうすれば少なくとも、時間を稼ぐことができる――
 と、かすかに鐘の音が聞こえた。王城や神殿のような鐘楼のある施設は、たいてい正午のように時間の節目節目に鐘を鳴らす。そうして市民に時間を知らせるのだが、自分と相対していた男はそれを聞き、にやりと笑った。
「時間が来たか」
「………? え」
 言うや男は立ち上がり、すい、と自分に近づいてくる。反射的に椅子を蹴立てて立ち上がり身を退くが、男はかまわずずい、ずいと近づいてきた。
 なんとかうまく間合いを取ろうとするが、ここは狭い取調室、すぐに壁際に追い詰められた。そんなアーヴィンドの姿を、さっきとはまるで違う、どこか下卑た雰囲気の笑顔で笑い、男は小瓶を取り出した。その中には明らかに毒物だとわかる薬品が、たっぷりと入っている。
「悪いが、少しばかり眠ってもらうぜ、候子さま」
「………あなたは、まさか」
「そう、もちろん我らがソメール隊の隊長、デリック・カトラル殿の部下さ。正午の鐘が鳴ったら行動開始、って決まってたんだよ。俺の仕事はあんたを足止めして、時間になったら眠らせてさらってく役。今頃は隊長も手に入れてたネタを全部かき集めて、集合場所に向かってるはずさ」
「最初から……僕を、さらうつもりで……!?」
「もちろん。俺らはロドシス王国の間諜でね、隊長を皮切りに少しずつ入れ替わってオランの情報を得るのが仕事だったのさ。それもそろそろ限界に近づいてきてた時に、あんたが飛び込んできてくれた。まさに飛んで火に入る夏の虫、あんたを手に入れてアールダメン候家から身代金を奪うもよし、人質にしてオランから譲歩を得るもよし、ってな」
「ロドシス王国……!」
 六十年前のアトン戦役で滅びたロドーリル王国、プリシス王国があった土地には、いまだ強力な統一国家が現れていない。いくつもの小王国が興っては滅びる戦国時代がいまだ続いており、落ち延びてきた難民がオランに入国してくることも多いと聞く。
 ロドシス王国はその中でも、オランと距離的に近い国のひとつだ。領土拡大の機会を虎視眈々と狙っており、オランの土地にも色気を出したりもしているらしい。つまり、自分が彼らに捕まるということは――
「っ!」
「っと!」
 だっと男の脇を走り抜けようとしたアーヴィンドを、男はやすやすとつかむ。この男、少なくとも接近戦の技量は自分よりかなりに上だ。
「へへ、そうつれなくするなって……大人しくしてりゃちゃんと可愛がってやるからさ。捕虜生活っつってもそんなひでぇことにはならねぇよ、大人しくしてりゃ、な……」
 なぜか息を荒げながら自分の抵抗を封じ、小瓶を近づけてくる。この色と、匂いはおそらく死に似た眠り=B一口口にすれば十二時間仮死状態になってしまう強力な毒だ。もしそれが効きでもすれば、目が醒めた頃には取り返しのつかない状態になっているに違いない。
 必死に口を閉じたが、相手の男は力も自分より強かった。はぁ、はぁとひどく息を荒げながら、どこか嬉しげに自分の口を無理やり開けて小瓶を傾ける――
 が、その途中でぐらぁ、と体も一緒に傾け、床の上にくずおれる。一瞬ぽかんとしかけたが、すぐにはっとして男の後ろへと顔を向け叫ぶ。
「ヴィオ、フェイクさ……え?」
「期待していた相手でなくて申し訳ない。だが私としても、いとけない少年が悪の手にかかるのを放置しておくわけにもいかなかったものでな」
「しょうもないことを言うな、レオンス! こいつはオランのために体を張って間諜をいぶり出したのだぞ、助けるのは当たり前のことだろうが!」
「レオンス殿……バーンさま……?」
 思わずぽかん、としつつ、揃って(椅子と、アーヴィンド愛用の槌鉾で)男の後頭部を殴り倒したらしいバーンハードとレオンスを見る。
「あ、あの……お二人とも、なぜ、私を……? 私がここにいると、なぜ……?」
 二人はこちらを見てにやり、と笑った。レオンスは槌鉾を渡してくれつつぽんぽんと背中を叩き、バーンハードは胸を張る。
「うちの隊の人間が君を捕えたはわかっていたからな。おそらく、推測が当たったのだろうと見当がついた。となれば、次に打つ手は決まっている」
「お前を捕え、尻に帆かけて逃げ出すに違いない、とな! 隊列を抜け出すのに少しばかり時間がかかってしまったが、間に合ったようでなによりだ!」
 この様子だと自分がアールダメン候子だなんだという辺りは聞いていなかったらしい、とほっとしながらも、アーヴィンドはついおずおずと忠言してしまった。
「で、ですが……騎士団員同士での私闘はご法度のはず。しかも私を助けるということは隊長殿を完全に敵に回すということですし、もしかすると命の危険さえあるわけですから……」
 みなまで言わせず、バーンハードは憤激に顔を赤くしつつ、ふんと鼻を鳴らしてまた胸を張る。
「見損なうな! 騎士たるもの、一度友と認めた相手を見捨てるような恥ずべきことは死んでもせん!」
「まぁ、騎士でなかったとしても、君のように気に入った相手を見捨てるようなことはできなかっただろうがな」
「レ、レオンスっ! 貴様、そのような破廉恥な台詞をこのような状況でっ……!」
「なにが破廉恥だ、ただ彼は命を懸けるに値する男だというだけのことだろう?」
「む……それは、まぁ、その、なんというか……そう、では、あるが……」
「では、とっとと団長閣下のところへ行くぞ。間諜どもが逃げ出すより早くこやつを連れて行かなければ」
「む……うむ、そうだな!」
 言って男を担ぎ上げ、ずかずかと取調室を出て行くバーンハードとレオンスを慌てて追う。アーヴィンドとしては迷惑をかけたくないという気持ちがまずあったのだが、バーンハードとレオンスは相当に自分を見込んでくれているらしい。自分はそんな大した人間ではない、と申し訳ないような気持ちも湧くが、やはりありがたいことには変わりはない。先ほどはそれこそ命の危機になりかねないところを救ってもらったのだから。
 ――が、命の危機はまだ終わったわけではなかった。
「武器を捨ててもらおうか、諸君。法を犯した人間を捕えた同僚を襲って気絶させ、逃亡を幇助する。騎士にあるまじき大罪だぞ?」
 地下牢から城内へと上る階段の前に、デリック・カトラルの姿をした間諜と、騎士の鎧に剣と盾で武装した者たちがざっと二十人、ずらりと並んでいる。
「貴様らっ……なにを言うか! 誇り高きオランの車輪の騎士団に入り込んだ間諜が!」
「……まさか、ここまで我が隊に他国の間諜の手が入り込んでいようとはな……正気か、貴様ら? 大国オランの騎士団員の座を捨てて、小国に通じて少しばかりの利を得たところで、行きつく先は知れているぞ?」
 バーンハードの激昂にも、レオンスの皮肉っぽい声音にも騎士団員たちは反応しない。デリックの姿をした間諜がせせら笑った。
「無駄だ無駄だ。こいつらはとうに俺の薬で俺の命令なら親でも殺す奴隷になっている。俺の合図がなければ普段通りに生活できるようにしてある、死人創り≠改良した秘薬さ。悪いが、毒薬の改良についちゃオランよりもうちの方が進んでる」
「ちっ……」
 レオンスが小さく舌打ちする。このまずいことこの上ない状況から逃れられないのを悟ったのだろう。なにせ、いくらなんでも数が多すぎる。地下牢の道はそう広くはないので押し包まれる心配はないにしても、相手に出入り口を塞がれている上、首領格である間諜は騎士団員たちの一番後ろ、捕えようにもこの騎士団員たちを突破しなくてはどうしようもない。
 が、バーンハードは微塵もためらわず、すらりと剣を抜いてみせた。
「な……バーンさま!?」
「薬で操られているだけの朋友を斬るのは、申し訳なく、口惜しいことこの上ないが……この状況では、是非もない」
 ぎ、と階段の上を睨みつけるバーンハードに、レオンスはやれやれと肩をすくめてみせる。
「おいおい、バーン。お前、状況がわかっているか? こちらはアーヴィンド殿を入れても三人。相手は二十人だぞ?」
「俺は騎士として、このような輩に我が国をいいようにさせておくわけにはいかん。そもそも向こうはこちらを逃がす気ははなからないのだ、ならば戦った方がはるかに生き残る望みがあるだろう」
「……いえ。必ずしも、そうとは限りません」
 決意を込めて一度深呼吸をしてから、アーヴィンドは一歩前へと進み出た。
「デリック殿の姿を借りている方。私は抵抗せずにあなた方の捕虜になります。その代わりに、このお二方の命をお救いください」
「な!?」
「アーヴィンド殿……!」
「……ほう。それはまこと、間違いのないことと考えてよろしいのですかな?」
「はい。――アールダメン候子、アーヴィンド・リズレイ・クラーク・プリチャードの名に懸けて誓います。このお二人の命を助けていただけるならば、私は抵抗せずにあなた方の捕虜となりましょう」
「…………!」
 バーンハードが、愕然、を絵に描いたような顔でぱかっと口を開ける。バーンハードにしてみれば、それこそ青天の霹靂とでも言うべき事実だろう。申し訳なさを感じながら、アーヴィンドは小さく二人に向け頭を下げた。
「お二人とも、巻き込んでしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます。私のことは、どうかお気になさらず。お二人が立派な騎士になられること、お祈り申し上げております」
 そう言って、間諜に向けさらに一歩を踏み出す――
 が、それをさらに一歩前に踏み出した大きな体が遮った。
「……バーン、さま?」
「これまでの非礼の段、どうかご容赦願います、候子殿」
 低く、抑えた声で言ってから、ずいっと前に出て剣を構える。
「せめてもの償いとして、目の前の者どもを斬り倒し、敵首領を捕えて御覧にいれましょう。それまで、しばしお待ちを」
「なっ……」
 思わず絶句したアーヴィンドの横から、レオンスが進み出てやれやれと言いたげに両手を上げて首を振ってみせる。
「お前、正気でものを言っているか? 相手は少なくとも二十人。全員我らが同僚である、車輪の騎士団の精鋭だ。お前が命のひとつやふたつを懸けたところで、勝敗は見えているぞ?」
「だからどうした。勝負に絶対はない。それに」
「それに?」
 バーンハードは一瞬黙ってから、早口で、そして(アーヴィンドは気づかなかったが)耳と顔を赤くしながら言う。
「俺は、断じて、あのような男に友を渡す気はない」
「…………」
 その言葉にレオンスはやれやれ、と首を振り肩をすくめてから、しゃりん、と腰の長剣を抜き、盾と一緒に構えた。
「レオンス殿!」
「ご容赦を、アーヴィンド殿。こいつがこんな口ぶりで馬鹿なことを抜かす時は、俺は無条件で味方をすると決めていますのでね」
「いつそんなことを決めた。俺は許可した覚えはないぞ」
「俺が勝手に決めたことだ、お前の許可を受けるいわれはない。それより、今は一人でも味方が必要な時ではないのか? 一人ではアーヴィンド殿のところまで敵が抜けてきかねんぞ?」
 その言葉にバーンハードはふっと口元に笑みを佩き(苦笑気味ではあったが)、だんっと前へ踏み込んだ。
「ならば、力を借りるぞ、レオ!」
「言われるまでもない!」
 そして、斬り合いが始まった。完全武装の車輪の騎士団同士の壮絶なぶつかり合い。それを間近で見せられ、アーヴィンドは一瞬呆然としてしまった。
 なんでこんなことに? なぜバーンハードは自分の交渉に横から入り込んできたのだ? その上レオンスまで一緒になって、いったいなんでこんなことに?
 だがすぐにそんならちもない考えを放り捨て、目の前の戦いに集中した。こうなってしまった以上、なんとかこの三人で血路を切り開くしかない。こちらが相手に勝っているのは、ほぼ自分が治癒の呪文を使えるという一点のみ。魔力の残量を計算に入れて、なんとかうまい機を見計らいつつ呪文をかけなければ。
 その斬り合いは、実に激しく、長かった。バーンハードとレオンスの腕は実際その年にしてはなかなかのものだったが、敵は同等か、下手をすればそれより上手な相手がごろごろいるのだ。通路が狭いせいで一度に二人以上の相手はしなくてすむとはいえ、バーンハードもレオンスも、何度も深い傷を負った。
 そのたびにアーヴィンドは治癒≠フ呪文を唱えるのだが、なにせ相手は二十人、アーヴィンドは魔晶石も持っていない。まだ半分も倒していないうちに、アーヴィンドの魔力はかなり残り少なくなっていた。
 どうしよう、どうすれば、と必死に考えを巡らせるが、現在の状況を打破するような案はどうにも浮かんでこない。ただでさえ未熟な自分には取れる手段が少ないのに、捕えられた時に発動体の呪文を奪われているのでどうにもしようがない。
 助けがほしい。切実にそう思った。ヴィオの、フェイクの助けがあれば。まだなんとか打てる手があるだろうに。
 ヴィオ……! フェイクさん……! どうか……!
 理性はそんな自分の惰弱な心を叱咤していたが、心はひたすらに仲間たちの助けを呼んでいた。そんな都合のいいことが、現実に起きるはずがないだろうに――
「マナの力もて、空気よ変じよ。心に深き眠りを、体に長き休みを。魂に昏睡を与うる、紫紺の雲へと=v
「来たれ、我が友、戦乙女バルキリーよ! 我は今男の勇気をもって戦いに臨まん! その最初の一槍を、我が敵へと投げつけよ!=v
 低く唱えられた上位古代語の呪文に続き、流れるように唱えられる不思議な響きの呪文。それが終わるや、階段を塞いでいる騎士たちの周りの空気が紫に変じた、と同時にばたばたと騎士たちが倒れていき、後方からまばゆく輝く光の槍が飛んだ。その槍は間に並んでいる何人もの障害物を通り抜け、最後尾のデリックの姿をした間諜に突き刺さる。
 間諜は後方へと吹き飛ばされ、げはっ、と血を吐きながら呻いた。
「何者……だっ!?」
「捕まった奴の仲間だよ」
「仲間だよっ!」
 淡々と答えるフェイクの声。嬉しげに答えるヴィオの声。それに思わず、アーヴィンドは涙ぐみそうになった。助けがほしいと思った時に、仲間が助けに来てくれた。できすぎといえばできすぎな話だが、それでも、たまらなく嬉しい。
 その答えを聞くや間諜はすぐに回れ右をして逃げ出したが、すかさずヴィオからまばゆく輝く戦乙女の槍≠フ呪文が飛ぶ。対個人用攻撃呪文としては最強と言われているそれは、間諜を背中から貫き、その場に打ち倒す。
「んー、今度はあんま呪文のかかり、よくなかったかなー。そいつ、けっこう抵抗力高いね」
「俺の昏睡の雲≠ノ抵抗するくらいだからな、当たり前だろ。っつぅか、殺しちゃ駄目なんだからそのくらいでいいんだよ。戦乙女の槍が二発もまともにかかったら、並みの人間なら死んでるぞ」
 後ろから近寄りながらそんなことを言ってくる仲間たちに、アーヴィンドは振り返り、心の底から湧き上がってくる気持ちを抑えて頭を下げた。
「ありがとう……ヴィオ、フェイクさん。二人が助けに来てくれなかったら……僕たち、危なかったよ」
「へ? なに言ってんだよ、そんなの当たり前じゃん! 俺ら仲間なんだから、仲間が危なかったら助けにくるのがフツーだろ?」
「ま、そういうこったな。……で、だ。さっそくで悪ぃんだが、ちっと精神力譲渡≠ナ魔力渡してくれねぇか。今のままだと俺とヴィオ、二人を転移させるのは無理なんでな。まぁ、魔晶石は持ってるが、使わないですむならその方がいいだろ」
「あ、うん……っていうか、どうやって二人はここに……?」
「位置捜索≠ナお前がどこにいるかを調べて、地下牢に囚われたらしいと当たりをつけて瞬間転移≠ナ跳んできた。俺も王城の地下牢に入れられたことぐらいあるからな」
「ああ、なるほど……っていうことは、僕はここに残った方がいいんだよね」
「まぁな。そうでないと俺らが関わったって証拠がねぇだろ。しっかり報酬もぎ取ってこいよ、交渉担当?」
「もう、そういうわけじゃないっていうのに……」
 などと話しながらも、アーヴィンドはフェイクに魔力を与え、二人が転移していくのを見送った。見てみると、牢番らしき人間はいない。間諜たちが席を外させたのかもしれない、と思いながらも、アーヴィンドはバーンハードたちに話しかけた。
「バーンさま、レオンス殿。どうか、騎士団長殿にご連絡お願いできませんでしょうか。王城の地下牢はずいぶんと深い場所にあるのか、幸いこれだけ戦っても人が来る気配がありませんから、うまくすれば気づかれるより早く騎士団長殿を捕まえられるはずです」
「………は」
 バーンハードは小さくうなずいて、走り出す。レオンスは苦笑して、アーヴィンドの方を向いた。
「では、アーヴィンド殿。我々はこれからどういたしましょうか?」
「そうですね……全員縛り上げた上で、重い怪我をしている人から順番に介抱するのがよいかと思います。あまりに怪我が深い人は私が呪文を使いますので。……といっても、私も魔力がそう残っているわけではないですが……」
「委細承知仕りました」
 小さく敬礼をしてから、レオンスは牢番の部屋から次々ロープを出してくる。アーヴィンドもそれを手伝いつつ、素早く視線で騎士たちの傷を確認した。
 ……とりあえず、片付いた――というには、まだこのデリックの姿を借りた男の証言を待たねばならないが。

「事態は、おおむねアーヴィンド殿のご想像の通りだったようです」
 事件の終わった数日後、レオンスが古代王国の扉£烽訪れてそう説明した。
「デリック殿の姿を奪っていた間諜は、ロドシス王国の手の者でした。彼奴はオラン騎士団に入り込み、主に防衛、特に国境近辺に関する情報をロドシスへ送ると同時に、秘薬を用いて手駒をできるだけ増やすのが目的だったようです。いざという時にはその手駒を用いて内部から攪乱を行う――と、いうのは本人もいささか無理があると思っていたようで、限界を感じれば手駒と共にロドシスへと戻り、車輪の騎士団の人間が大量にロドシスに亡命したことを喧伝して人心の混乱を招く、という役割を追っていたようです」
「なるほど……私が手に入ったのは、そのちょうどいい機会だったわけですね」
「左様かと。実際あの洗脳にはかなりの手間と時間がかかるようで、あれだけ大量の人間を洗脳できたのはかなりの幸運だったそうです。……デリック殿は、隊員によほど慕われていたようですね」
「……そうです、ね」
 アーヴィンドは一瞬、改めてデリックに祈りをささげる。あのように入れ替わった以上、デリックが殺されていることは当然予想してはいたが、だからといって尊敬すべき人間が一人失われたという事実のやるせなさが解消されるわけではない。
「ともあれ、あとは政治の問題ということになるでしょう。あの間諜を生かして捕えられたのは幸運だった、と団長も申しておりましたよ。ロドシスにどうとでも因縁をつけて、むしりとることができます」
「………はい」
 わかってはいたが、冒険者になるまで自分も学んできていた政治の世界のえげつなさにアーヴィンドは内心ため息をつく――が、レオンスが続けて差し出した革袋に目を見開いた。
「金貨で二万ガメル分あります、お確かめください。陛下から下賜された報奨金です」
「……陛下から、ですか?」
「ええ。我らが騎士団長は、すべてを陛下へと言上し、みなさんへの報奨金を願い出られましたので」
「…………」
 その言葉の意味をアーヴィンドはしばし考え、うなずいた。おそらくはアールダメン候に借りを作りたくないという気持ちや、口止め料の分も入っていたりするのだろうが(騎士団に他国の間諜が入り込んでいるなど不祥事以外の何物でもない)、こちらを一冒険者として扱い、報酬を払ってくれるというのならこちらが文句をつける筋合いではない。そして実際、冒険者としてもありがたい話ではあるのだ。これで生活費を確保しつつヴィオの鎧(精霊使いも使える、銀製の鎖帷子)を買うだけの資金の余裕ができる。
「ありがたく、受け取らせていただきます。……いいよね、みんな?」
「ん? うんっ! 俺そんな大したことしてないけど、もらえるならもらうっ」
「同じく、ってとこだな。ま、仕事したのは事実だし」
「では」
 レオンスとうなずきを交わしつつ、アーヴィンドは金貨の入った袋を受け取った。ちなみにここは店でも盗聴の危険のない高級な客専用の部屋なので、この話が外に漏れる心配はない。
 話を終え、一緒に立ち上がりながら、アーヴィンドはふと気になったことを訊ねてみた。
「今回の件では、レオンス殿もバーンハードさまもご活躍でしたね。団長閣下からお褒めの言葉をいただいたのでは?」
 その言葉に、レオンスの顔が苦笑に変わった。アーヴィンドは思わず眉を寄せ、訊ねる。
「申し訳ありません。私はなにか、失礼なことを……?」
「いえ、そうではないのです。我々は……確かにお褒めの言葉をいただきましたよ。説教もたっぷりと喰らいましたがね」
「えー、なんで? バーンもレオも頑張ったじゃん」
「騎士団内の問題を解決するのに外部の手を借りるというのがそもそも問題だからね。……まぁ、それはいいとしても、バーンの奴は正直……相当落ち込んでいましたので」
「え……それは、なぜでしょうか?」
「おわかりになりませんか、アールダメン候子殿? あなたに対し、市井の一冒険者に対するかのように雑駁で、ぶしつけで、無礼な口の利き方をした、と奴は地の底に潜りたそうなほど落ち込んでいるのですよ」
「…………」
「まぁ、奴の場合はそれ以外の理由もあるのでしょうが。私と共にこのお役目を仕ったにも関わらず、店に入れず店の前で立ち往生しているくらいですし」
「店の前にいらっしゃるのですね」
 言うや、アーヴィンドはすたすたと歩を進め部屋を出た。ヴィオもとことことついてくる。フェイクとレオンスは、どちらも肩をすくめながらも一緒についてきた。
 店の中を通り抜け、扉を開ける。そこにはバーンハードがうつむいたままじっと固まっていた。
「バーンさま」
「っ………! アールダメン候子殿下……!」
 バーンハードはばっとマントをはためかせ、顔をうつむかせたままその場にひざまずき、大声で話しだした。
「先日はご無礼の数々、まことに申し訳ありませんでしたっ! 将来はアールダメン候家を継がれる方に対し、非礼というもおこがましい言動の数々、まことにお詫びのしようもございませんが、どうか、なにとぞ、なにとぞ……!」
「……バーンさま」
「いえ、そのような! どうかトワイニングと呼び捨てになさってくださいませ! 本来の身分からすれば某は殿下のおそばにも寄れぬ……」
「バーンさま。あなたは、私を友と呼んでくださいましたね」
 かぁっと、バーンハードの顔が耳まで真っ赤に染まる。ひどく小さなか細い声で、「お許しください……」という声が返ってきた。
「あなたにとって、私は、もはや友になる価値のない人間となったと、そういうことなのでしょうか?」
「いえ、そのような! しかし……その、身分が……」
「私は現在アールダメン候子としての身分を返上した人間です。それでも?」
「は、いや、しかし……その……」
 言葉がしどろもどろになってきたバーンハードに、アーヴィンドは内心小さくため息をついて、すっとバーンハードの前にしゃがみこみ、ぎゅっと手を握った。
「…………!!!」
「バーンさま。私はあなたに命を救われました。それに対する恩義は命でしか返せるものではありません」
「は……しか、し」
「そして、私は自らの力で、あなたの命をいくぶんかお救いしたと自認しております。傷ついたあなたに、治癒≠フ呪文をかけることで」
「……は……」
「我々は、互いに互いの全力を尽くし、命を救いあった。そういう存在を、友と――戦友と呼ぶのではないでしょうか?」
「…………」
「……あなたがお嫌だというのならば、私には引き留めることはできません。けれど、私は、それでもあなたを友と信じます。あの時、私を渡せば命が助かるという時でさえ、私を友と呼んでくれたあなたを信じているからです。それだけは……どうか」
「アーヴィンド殿っ!」
 バーンハードは大声で叫ぶや、アーヴィンドの手を取った。そして高く差し上げ、貴人に対する時のように、手の甲に唇を落とす。
「……私の忠誠は、車輪の騎士団の一員として、どこまでも陛下のみにあります」
 うつむき、顔どころか全身真っ赤にしながら、ぼそぼそと、だがしっかりした声で告げる。
「ですが、それでも、私はあなたに危機があれば駆けつけましょう。あなたを友と呼び――あなたに信じられている、人間として」
 アーヴィンドは少しあっけにとられたが、すぐににこり、と笑って言った。
「はい」
「……おさらばっ!」
 叫ぶように言ってバーンハードは立ち上がり、身を翻して駆け去っていく。それをレオンスが苦笑しつつ、一礼してから追っていく。それを目で追いながら(当然周囲からは好奇の視線が浴びせられまくっているが、アーヴィンドもこの二ヶ月弱ですっかりその手の視線には慣れきっている)、小さく呟いた。
「騎士っていっても、いろいろな人がいるだろうけど。ああいう風に、自分の騎士道に忠実な人間っていうのは、今ではたぶん、すごく珍しいんだろうな」
「そーなの?」
「うん……あくまで僕の印象でしかないけどね。貴人に対する敬意とか、そういうものを頑固に守り続ける人間っていうのは、今どき相当……」
「あいつの場合は、騎士道とかそういうのとはまた別じゃねぇか? お前に対する行動」
「え?」
 思わずフェイクの方を向くと、フェイクは肩をすくめつつあっさり答える。
「あいつと最初に会った時、お前がなにをしたってわけでもねぇのに、生涯の好敵って見込まれちまったんだろ? しかも武術の」
「ええ……はい」
「そりゃ、あいつに呪いがかかったせいに決まってんだろ」
「………は?」
「だから、呪い。あいつに呪いがかかって、お前に発情して、したはいいもののあいつにとっては男に発情するなんて思考の埒外にあるから、その惹かれる感情を生涯の好敵に対するものって位置づけてなんとか納得したんだろ。お前にやたらめったらまとわりついてきたのもそのせいに決まってんだろが」
「…………えぇぇ…………」
「なーなー、それって、バーン本人は知らないのかな?」
「んー、たぶんだが、知ってんじゃねぇか? あのレオンスとかいう奴は気づいてるみてぇだったからな。身分知っちまった後なら教えるだろ。自分のためにも、バーンってやつのためにもな」
「……そう、ですね」
 アーヴィンドは小さくため息をついて、バーンハードの去っていった方向を見つめた。彼の心にどれだけ呪いが影響したのかはわからない。助けに来たのも呪いのせいかもしれない、けれど。
『俺は、断じて、あのような男に友を渡す気はない』
 そう告げたバーンハードのことを信じるという気持ちには、嘘はないのだから、自分はそれを貫き通せばいい。そう小さくうなずいて、アーヴィンドは店の中へと入っていった。

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キャラクター・データ
アーヴィンド・クラーク・リズレイ・プリチャード(人間、男、十五歳)
器用度 12(+2) 敏捷度 20(+3) 知力 23+1(+4) 筋力 15(+2) 生命力 19(+3) 精神力 20(+3)
保有技能 プリースト(ファリス)6、セージ4、ファイター3、ソーサラー1、レンジャー1、ノーブル3
冒険者レベル 6 生命抵抗力 9 精神抵抗力 9
経験点 402 所持金 4076ガメル
武器 ヘビーメイス(必要筋力15) 攻撃力 6 打撃力 20 追加ダメージ 5
ダガー(必要筋力5) 攻撃力 5 打撃力 5 追加ダメージ 5
ロングボウ(必要筋力15) 攻撃力 5 打撃力 20 追加ダメージ 5
スモールシールド 回避力 6
ラメラー・アーマー(必要筋力15) 防御力 25 ダメージ減少 6
魔法 神聖魔法(ファリス)6レベル 魔力 10
古代語魔法1レベル 魔力 5
言語 会話:共通語、東方語、西方語、ドワーフ語、上位古代語、下位古代語
読文:共通語、東方語、西方語、ドワーフ語、上位古代語、下位古代語
マジックアイテム 魔晶石(5点、3点×2、1点×4)
ヴィオ(人間、性別不詳、十五歳)
器用度 15(+2) 敏捷度 19(+3) 知力 18(+3) 筋力 18(+3) 生命力 21(+3) 精神力 21(+3)
保有技能 シャーマン5、ファイター5、レンジャー3
冒険者レベル 5 生命抵抗力 8 精神抵抗力 8
経験点 1402 所持金 7304ガメル
武器 銀のロングスピア(必要筋力18) 攻撃力 7 打撃力 25 追加ダメージ 8
ロングボウ(必要筋力18) 攻撃力 7 打撃力 23 追加ダメージ 8
なし 回避力 8
ハード・レザー(必要筋力9) 防御力 9 ダメージ減少 5
魔法 精霊魔法5レベル 魔力 8
言語 会話:共通語、東方語、精霊語
読文:共通語、東方語
月の主<tェイク(ハーフエルフ、男、九十歳)
器用度 18(+3) 敏捷度 21(+3) 知力 19(+3) 筋力 10(+1) 生命力 18(+3) 精神力 21(+3)
保有技能 シーフ10、ソーサラー8、レンジャー7、セージ6、バード6
冒険者レベル 10 生命抵抗力 13 精神抵抗力 13
経験点 9892 所持金 財布の中に入ってるだけで10000ガメル程度
武器 月光の刃 攻撃力 16 打撃力 13 追加ダメージ 14
なし 回避力 16
ソフト・レザー+3(必要筋力5) 防御力 5 ダメージ減少 13
魔法 古代語魔法8レベル 魔力 11
呪歌 ヒーリング、レストア・メンタルパワー、チャーム、レクイエム、キュアリオスティ、ノスタルジィ
言語 会話:共通語、東方語、上位古代語、下位古代語、西方語、エルフ語、ドワーフ語、リザードマン語、ケンタウロス語、ゴブリン語、マーマン語、ジャイアント語、ハーピー語
読文:共通語、東方語、上位古代語、下位古代語、西方語、エルフ語、ドワーフ語
バーンハード・トワイニング(人間、男、十八歳)
器用度 18(+3) 敏捷度 16(+2) 知力 10(+1) 筋力 19(+3) 生命力 20(+3) 精神力 14(+2)
保有技能 ファイター4、レンジャー2、セージ1
冒険者レベル 4 生命抵抗力 7 精神抵抗力 6
経験点 1000 所持金 1000ガメル弱
武器 バスタード・ソード(必要筋力17) 攻撃力 6 打撃力 17 追加ダメージ 7
ラージ・ラウンド・シールド 回避力 7
プレート・メイル(必要筋力19) 防御力 24 ダメージ減少 4
言語 会話:共通語、東方語
読文:共通語、東方語
レオンス・デルヴァンクール(人間、男、十九歳)
器用度 16(+2) 敏捷度 18(+3) 知力 16(+2) 筋力 17(+2) 生命力 16(+2) 精神力 14(+2)
保有技能 ファイター4、セージ3、ノーブル3
冒険者レベル 4 生命抵抗力 6 精神抵抗力 6
経験点 0 所持金 5000ガメル強
武器 バスタード・ソード(必要筋力17) 攻撃力 5 打撃力 17 追加ダメージ 6
ラージ・ラウンド・シールド 回避力 8
プレート・メイル(必要筋力17) 防御力 22 ダメージ減少 4
言語 会話:共通語、東方語、下位古代語
読文:共通語、東方語、下位古代語、西方語