「はやくん。それ取って」 「あ、この醤油か?」 「そう、それ」 ごく当たり前のようにあれそれで通じている赤月'sに、天野は笑った。 「二人とも具体的に言わなくても通じ合えちゃうんだ。すごいね」 「べ、べっつに大したこっちゃねーよ!」 「怒らなくてもいいじゃない。従兄妹同士息が合ってるっていうのはいいことでしょ?」 「そ、そりゃそーだけどよー……」 ぶちぶち言いながら隼人はレタスを剥いた。現在は合宿の食事を製作中である。 メンバーは隼人・巴・リョーマ・天野。腕前はほとんどプロ並みの天野に、岐阜にいた頃から主婦業を担当していた巴がいるのだ。当然隼人とリョーマは雑用くらいしかやることがない。 みるみるうちにできていくうまそうな料理に、隼人は思わず唾を飲み込む。合宿に入ってからうまい食事というのを食っていなかったが、今日の夕食は満足できるものが食えそうだ。 「……いくら料理がうまそうだからってよだれ料理の中にこぼさないでよ」 「んだとリョーマっ! てめぇこそつまみ食いした拍子に唾つけるんじゃねぇぞっ!」 んっとにムカつく奴っ、といつもながらの感想を抱いて睨み合う――そこに、手塚部長を上回るかと思うほどの迫力のある声がした。 「……二人とも。台所で喧嘩するんだったら、出てってくれない?」 『…………スンマセン』 即座に背筋を正して頭を下げる。天野は食べ物を粗末にしたりするととんでもない迫力で怒るのだ。そういう時の天野には、たぶん手塚部長だって勝てないと思う。 「ほらほら、はやくんもリョーマくんも早くレタスと豆腐ちぎってよ! テニス部員全員の食事作るんだからね!」 「へいへい、わかってるよっ」 「……しょうがないね」 二人とも無言で作業を再開した。隼人もリョーマもこういう場面でこの二人に逆らっちゃならないということは、よっく理解していたのだ。 「うめぇっ! すっげぇ、こんなうまいメシ初めて食べたぜっ!」 堀尾が叫ぶ。勝郎と水野も大きくうなずいた。 「すごくおいしいよ。お母さんの作ったのよりおいしいかも」 「こんなのどうやって作ったの?」 「ふっふっふ、そーだろそーだろ、うめーだろー」 隼人はほくそ笑んだ。別に自分が作ったものではないのだが、従妹と親友が作ったものを褒められるのは、やっぱり嬉しい。 ちなみにメニューはごはんにわかめと油揚げの味噌汁にかつおのレモンソテー、肉じゃがに豆腐と野菜のサラダの手作りごまドレッシングがけ、それと牛乳。与えられた材料をフルに活用した上味も栄養も大変よろしいという、文句のつけようのない主婦っぷりである。 「え! 嘘っ、これ隼人が作ったのかっ!?」 「ちげーよ! 巴と騎一が作ったの! 二人ともすっげー料理うまいんだぜ」 周囲からも感嘆の声が響いてくる。三年の席の方から声がかかった。 「すっげーうまいよ、きーくんモエりん! 俺感動しちゃった!」 「うん、ホントだね。俺も見習わなくっちゃなぁ」 「なんだか久々にうまいものを食ったって気がするよ。ありがとな二人とも」 「以前のデータよりさらに腕を上げているな。二人とも本当に大したものだ」 「うん、すごいね。二人ともいつでもお嫁にいけるよ。僕が保証する」 「……俺、さすがにお嫁にはちょっと……」 苦笑する天野の視線の先では、桃城と海堂が箸を争わせておかずを奪い合っている。サラダとかつおのソテーは大皿に盛られているのだ。 「てめぇマムシっ、俺のおかず取るんじゃねぇ!」 「てめぇのじゃねぇだろ!」 「これは俺のダブルスパートナーが作った食事なんだぜ。だから俺のだ!」 「むちゃくちゃ言ってんじゃねぇ、馬鹿かてめぇは!」 そんな様子を見ながら「えへへ」などと嬉しそうにしている天野。なにが嬉しいんだかさっぱりわからなかったがまぁ怒ってないんだからいいか、と思うことにした。 「しっかし、天野が料理上手らしいってのは噂で聞いてたけどよ。赤月妹までこんなに料理がうまいとは思ってなかったぜ」 「言えてる言えてる。普段が女とは思えねえくらいガサツだもんな!」 「荒井先輩池田先輩……そうですか、そーいうこと言うなら食べないでもいいですよ。ガサツな女の作った料理なんか食べたくないでしょ?」 「あ、嘘嘘っ、すっげーうまいって!」 「あ、ああ、お前にも女の子らしいとこがあったんだなって感心して……あ」 「……二人とも、明日練習に付き合ってくださいねぇ……なんだか私すっごい力が湧いてきちゃった感じなんで」 「……荒井、池田。赤月に謝れ」 ふいに手塚部長が重々しく言い、荒井と池田は硬直した。 「て……手塚部長?」 「これだけの料理をおいしく作ってくれたのだ、赤月も必死になって頑張ってくれたのだろう。それに大して感謝するどころか馬鹿にするとは言語道断だ。きちんと謝罪をしろ」 「う……す、すみません……わ、悪かったな赤月」 「い、いえっ! いいです別に、気にしてないですから!」 そんな寸劇を見て手塚部長がこんなことで怒るなんて珍しいなーと思いながらも隼人の手は止まらない。こんなうまいメシを食っているのに途中でやめられるか。 だから、その声に応えたのもほとんど無意識だった。 「隼人。それ取って」 「ああ。ほれ」 「ん」 リョーマに醤油を渡す。天野たち(巴たちミクスド女子は別テーブル)が目を丸くする。なに驚いてんだ? と思いつつも、かつおのソテーに箸を伸ばす。……皿が遠くて届かない。 「リョーマ」 「ん」 「サンキュ」 リョーマが引き寄せてくれた皿からソテーを取り、口に運ぶ。わずかに酸味の利いた魚の旨みが口に広がった。 ばくばく食べている横から、堀尾がおそるおそる聞いてくる。 「あ……あのさ、隼人、越前」 「なんだよ?」 「なに」 「お前ら……いつから夫婦になったの?」 ぶはっ。思わず隼人は飯粒を吹き出した。 「………はぁ!? 堀尾お前正気でもの言ってんのか!?」 「……馬鹿じゃないの」 「あ、あ、あ、違う! ただなんつーか、ほとんど夫婦みたいにあれそれでツーカーで通じ合ってるから、いつの間にそんなに仲良くなったのかなって……!」 思わず隼人はリョーマの顔を見た。リョーマも少し驚いたような顔でこちらの方を見る。しばし無言でお互いの顔を見つめあった。 仲良く、なったんだろうか。自分たちは。 前と変わらずに喧嘩はするし、ぶつかり合うし、今でもすっげームカつく奴だと思ってる。それは全然変わってないはずなのに。 だけど。もしそう思われてるんだとしたら。 『……ちょっと、嬉しい、かな………』 頭の中で小さくそう呟いた時、リョーマが思いきり顔をしかめ、ふいとそっぽを向いた。 なんだ? と思っていると、天野が笑って隼人に耳打ちする。 「照れちゃったんだよ、きっと。隼人くんがすごく素直に嬉しそうな顔するから」 「は……はぁ!? 俺は別にんな顔してねーよっ!」 「照れなくてもいいのに。俺にはすごく嬉しそうな顔に見えたよ?」 「バカ言ってんじゃねぇっ!」 ふんっ、と自分もリョーマからそっぽを向いて食事を再開する。なんでこんなこと言われるんだ、俺たちは別にそんな仲良くなんかないってのに。 でも、そっぽを向いたリョーマの耳がちょっと赤かったのは、なんだか不思議に照れくさい感興を隼人の中に呼び起こしたのだった。 「……っはっ!」 隼人は全力でのサーブをリョーマのコートに打ち込んだ。だがリョーマはそれをあっさりと受け、返す。 『んのやろ……!』 あームカつくっ、と思いながら隼人はリョーマがライン際に打ち込んだ球に追いつき、逆サイドに打つ。リョーマもその球に追いついて返す。しばらく激しいラリーが続いた。 合宿の練習は厳しかった。だが、そのおかげで自分が日一日と成長していくのがわかる。超中学生級の腕を持つ先輩たちとの試合を頻繁に行えるのも嬉しいところだ。 だが、その中でも一番頻繁に試合を行っているのは――家でもしょっちゅう勝負している、リョーマだった。 「……っせ!」 「くっ!」 足元に打ち込まれたボールを必死に打ち返す。この四ヶ月毎日のように一緒に打っていたのだ、どんなに打ちにくかろうがあいつの打つ球の返し方ぐらいわかる。 向こうだってこっちの手は全部わかってるんだろう。でも、それでも勝負は必ずつく。 そしてつくからには、絶対負けられない――そう気合を入れてボールを追う。 そしてそのうちに、だんだん頭の中が真っ白になってくる。勝ってやるとかいいショット打たれて悔しいとか、そういう感情が抜け落ちていく。 世界がどんどん狭くなり――いや、広がっているのかもしれない、よくわからない。ただわかるのは目の前にリョーマがいて、自分とリョーマが一緒にテニスをしているっていうだけ。 世界にいるのは自分と、目の前のリョーマ、ただ二人。自分がどんどん世界に溶けていく――リョーマと一緒に。 リョーマがまるで手塚ゾーンかと思うほど、ボールを自分のところへと吸い寄せていく。隼人も同様に、リョーマの打つボールを次々と自分のところへと吸い寄せた。 もっと。もっともっと。 もっとはるか、誰も届かないほどの高みへ。 隼人はひゅっと飛び上がって、上空から打ち下ろすようなサーブを放つ―― そのサーブがリョーマの足元に着弾し、そのまま横の地面を走り抜けていった――そう思った瞬間、ピーッ! とどでかい音で笛が鳴った。 「越前! 赤月! そこまでだよ!」 はっと我に返った隼人とリョーマは、思わずへたへたとその場に座り込む。我に返ったとたん急激な疲労が体にのしかかってきたのだ。 「まったく、お前たちはなにやってるんだい。試合形式の練習は時間を決めてやるって言っただろうに」 『…………』 はぁはぁと荒い息をつくばかりで自分もリョーマも声も出ない。 ふむ、と竜崎は少し考えるようにして、それから声を上げた。 「菊丸! 大石! ちょっとおいで!」 練習が一段落ついて休んでいるのだろう、ベンチに座っていた菊丸と大石がこちらに走ってくる。 「お前ら、ダブルスで試合をおし」 「え……」 「えぇ!?」 隼人は荒い息の下から、必死に立ち上がって竜崎に講義した。 「なんでっスか!? 俺とリョーマはダブルスなんて都大会以来ろくに――」 「だから練習するんじゃないか。あれからお前さんたちもずいぶん成長した。どんなダブルスに変わってるか、あたしにその変化を見せとくれ」 「うぅ……」 「………いいけど」 ぼそりと言ったリョーマに、思わず目を見開く。 「………リョーマ?」 「言っとくけど、ついてこれなくなったら置いてくから」 「はぁ!? ざけんなコラ、それはこっちの台詞だ!」 即座に睨み合う自分たちに、黄金ペアの二人は苦笑した。 「おいおい、お前ら、そんなで俺たちとちゃんと試合できるのか?」 「言っとくけど手加減しないよ〜? 思いっきり泣かしちゃうもんねっ」 「……冗談」 「俺たちだって負ける気ありませんから!」 きっと黄金ペアの二人を睨むと、二人は余裕たっぷりに笑う。 「……ぜってー笑ってられなくしてやる」 「当然だね」 そう燃え上がる二人を、竜崎は含み笑いをしながら見つめていた。 「ゲーム大石・菊丸ペア!」 審判のコールに、隼人は舌打ちをした。やはり黄金ペアの強さは半端じゃない。まるで背中に目でもついているかのように、相棒の動きを読み、的確に動いている。 それに引き換えこちらはといえば。 「リョーマっ、今のボールはどう見たって俺のだったろーが! 勝手に取ってんじゃねぇ!」 「どこが? 山ザルが取れなさそうだったから俺が取っただけだけど?」 「ぁんだと、コラ!?」 「こーらっ、はやぽんおチビぃ、遊んでると俺ら楽勝しちゃうぞー」 「お前ら、ダブルスっていうのはな、パートナーのことをきちんと信頼して……」 「す、スンマセン」 「……ウィーッス」 隼人とリョーマは渋々配置についた。実際現在のところ自分たち二人は黄金ペアに押されまくっていた。個人技でそう劣るとは思わないが、黄金ペアのコンビネーションは1+1を10にも100にもしているのだ。 自分とリョーマは、それとは比べ物にならないくらい仲が悪いのに。 ――でも、嫌いなわけじゃない。 ちらりとリョーマを見て、勝つ気満々の顔を見て。俺だって負けてたまるか、と隼人はラケットを握り締めた。 試合を進めるにつれて口数が少なくなっていく隼人とリョーマに、竜崎はにやりとした。 「やはり――あいつらは、強いペアになれる」 「きっくまるビーム!」 菊丸のスマッシュを前衛の隼人はさらにスマッシュで返した。それを大石が拾って逆サイドに返す。 心配することはない、そっちにはリョーマがいる。リョーマがロブで大石の逆サイドを突く、それなら自分は大石が返してくるのを狙って返してやればいい。 そんなことを半ば無意識で考えて、軽くステップを踏む。 「あいつらは……」 練習の手を休めていた乾が、思わずといったように呟いた。 「なんなんだ、あれは? 声も掛け合わず、視線も合わせていないのに、まるで打ち合わせているかのように、まるで相手の動きがわかっているかのように動く……まるで……」 「まるで……なんスか?」 「……同調≠セ」 頭の中がどんどん白くなっていく。世界にいるのは自分と、リョーマと――誰だか憶えてないけど、対戦者たち。 スマッシュ。ロブ。ドライブ。ボレー。スライス。次々技が繰り出され、こちらも技を繰り出す。 わかる。世界にあるもの全てが、世界の動き全てが感じ取れる。 だってリョーマと同じ世界を、自分はずっと体験してきたのだから―― 隼人はふわ、と大きく跳んで、天から向こうのコートへとサーブを打ち下ろした。 「!」 「な……」 隼人のサーブは強烈な勢いでコートに突き刺さり、ほとんど弾まないままコートを駆け抜け―― 「さ……39−38……」 そう審判がコールした瞬間、隼人とリョーマはばったりと倒れた。 「……赤月!? 越前!?」 「そうか、二人ともが無我の境地≠使用したための強烈な同調。それがあいつらのコンビネーションの……」 「そ、それより乾先輩、はやくんとリョーマくんを早く運ばないと!」 そんな周囲の騒ぎなど耳に入らないまま、隼人とリョーマはコートに突っ伏していた。 お互い荒い息をつきながら――ただ、相手の鼓動だけを感じて。 |