「なんだ、二年と一年のペアかよ」 氷帝ダブルス1、向日岳人はふふんと鼻で笑いつつそう言った。 「んだと?」 桃城がぎろり、と向日を睨む。他校の生徒とはいえ一年上だというのもおかまいなしだ。 「青学の菊丸とかいうのがアクロバティックテニスやるっていうから手本見せてやろうと思ってたのによ。あっさり敵前逃亡か。雑魚ペアが代役っていうんじゃ、黄金ペアとやらの実力っつーのもたかが知れたもんだな」 「てめぇ……誰が雑魚ペアだと?」 マジでキレる五秒前、という感じの顔で向日を睨みつける桃城。向日は気にした風もなく、ラケットをお手玉のごとく器用に弄びながら軽口を叩く。 「ダブルス暦ろくにない二年と名前もほとんど聞いたことない一年なんてもろ雑魚じゃん。頭悪ぃな、お前」 「岳人、その辺にしとき。口で負けてカッカきてたんで負けたなんていちゃもんつけられてもおもろないやろ」 「あ、それもそっか。口でも実力でも完膚なきまでに叩きのめしちまったらちょっと可哀想だし?」 くすくすと顔を近づけて笑いあう相手のペアに、桃城はかぁっと頭に血が上った。 「てめぇらっ……」 「あのっ!」 だが、くってかかるより一瞬早く、隣の小さなパートナーがまだ完全には声変わりしていない声で叫んだ。 「あのっ、俺は試合に出たのも数年ぶりだしっ、リョーマくんとかと比べたらテニスの腕も全然大したことないしっ、なんて言われても構いませんけどっ!」 ほとんど泣きが入ってるんじゃないかと思うくらい必死な声に、桃城は思わず隣のパートナー――天野を見つめる。 「でもっ、桃先輩はホントに、ホントにすごいんですからっ! そういう風に舐めてかかったりしたら、絶対っ、絶対大火傷しますからねっ!」 少しだけ潤みがかった目できっと氷帝ペアを睨む天野。当然迫力などは微塵もないが、そのつついたら泣きそうな雰囲気にかえって馬鹿にするのもはばかられたのか、氷帝ペアは戸惑ったような顔を見合わせた。 ちょっと呆気にとられて天野を見つめていた桃城は、すぐにふふんと笑って天野の髪をくしゃくしゃにした。 「ターコ、てめぇもきっちり俺たちと同じ練習こなしてきてんだろうが。おめー自身一人でもずいぶん練習積んできたんだろ? だったら胸張ってやがれ!」 「………! はいっ!」 天野はひどく嬉しそうに笑った。 「……頭に血の上りかけた桃城を見事に抑えたな。さすがは天野」 眼鏡を押し上げつつ言う乾に、不二がいつものごとく笑みを浮かべながら相槌を打つ。 「意識してやっているわけではないだろうけどね。あの二人ならではのコミュニケーション方法、というところかな?」 「……どっちにしろ、あんなもんでアイツのペースを崩せるわけないっスよ」 「天野を信頼してるんだな、越前」 大石の嬉しげな一言に、リョーマはきっぱり首を振った。 「別に。ただ、知ってるだけっス」 「青学天野、トゥサーブ!」 審判の声に、天野は緊張で乱れ気味になる呼気を必死に整えながら二、三度ボールをバウンドさせた。そしてスパァン! といい音を立ててフラットサーブを放つ。 氷帝の忍足侑士がフォアでリターンし、それをさらに桃城が強烈なスマッシュで返した。前衛の向日の守備範囲から大きく外れた場所でバウンドしたスマッシュは、そのままコートの外へと高く飛んでいく―― そのボールに、ラケットが追いついた。 『出たっ! 向日先輩の月面宙返り!』 外野からそんな声が響く。 向日が驚異的な身軽さでもって、空中でほとんど宙返りするような体勢になりながらボールに追いつき返したのだ。 「0-15!」 審判の声。 動けなかった天野と桃城に、向日はふふん、と笑ってみせる。 「なんだありゃ……あの飛び方、ほとんど曲芸だぞ!?」 「なんか……中国雑技団みたいな人ですね……」 思わず言葉を漏らす桃城と天野。 アクロバティックさのみに限って言えば、確かに向日は菊丸を上回っていた。 「ゲーム0-3、氷帝忍足トゥサーブ!」 「……桃がだいぶ苛立ってきてるね」 不二が笑顔のままぼそりと言う。乾もうなずいた。 「どんなに強烈なスマッシュを放とうがあのアクロバティックプレイで返されてしまう。忍足の方も着実にそのフォローをして、桃城の苦手なコースにボールを集めている。あれではあいつも頭にくるだろう」 「天野が精神的にフォローしてくれればいいんだが……」 「きーくんもまだそんなに場慣れしてないしね……」 悔しげに言う黄金ペア。自分たちが出られていれば、という気持ちがどうしても抑えきれないのだろう。 「……そろそろ出るかな」 「え、なにが出るって?」 河村に聞かれ、リョーマは肩をすくめた。 「別に。ただ、あいつがこのまま終わったりはしないでしょ」 「っの!」 桃城が足下に放たれたサーブを辛うじてロブで返すが、向日はそれをも大きく跳躍して上がりばなを捕らえた。 そして桃城の真後ろにスマッシュを放つ。それは天野が素早く拾って返したものの、打ち頃の球にしかならず、忍足にストレートで返されてしまった。 「ゲーム0-4、チェンジコート!」 「くそっ!」 桃城は思わず地団駄を踏んだ。悔しい。ひどく腹立たしい。 1ゲームも取れないうちにすでに4ゲーム取られてしまっている。このままじゃまずいということはわかっているが打開策は思いつかない。 それがどうしようもなく腹立たしく、桃城はラケットをぎゅっと握り締めた。 「桃先輩……」 苛立ちを周囲に撒き散らしつつずかずか反対側のコートに向かう桃城に、おずおずと話しかける天野。 「ああ?」 不機嫌丸出しの顔でぎろりと睨まれ、びくんと体をすくませるが、泣きそうな顔になりながらも桃城の顔から目を逸らさずに言った。 「ごめんなさいっ!」 そしてぺこんと頭を下げる。 「………あ?」 桃城はきょとんとした。天野がなんでこんなことを言うのかわからなかったからだ。 「おい、お前なに謝ってんだよ」 「だって、さっき俺が相手の球拾えなかったから。だから、桃先輩、怒ってるんでしょ?」 「…………」 その牧歌的というか、場違いというか、お前テニスの試合舐めてんのかと言いたくなるようなお子ちゃまな発想に、桃城は怒るべきか吹き出すべきか迷った。なんというか、全身全霊をかけて、ミスもヘマも乗り越えて戦うものであろうテニスの試合において、ちょっとしたミスをして相手が怒ってるんじゃないかとそんな泣きそうな顔で謝るというのは、なんだかズレているような気がする。 だが天野はそんな桃城の戸惑いに気づきもせず、顔を上げて潤む瞳で桃城を見つめて言う。 「でも、俺、もうミスしませんから。いや、絶対とは言いきれませんけど、それでも拾える球は全部拾いますから。だから桃先輩、その、えっと、なんていうか……」 いったん混乱したように頭を抱えたが、すぐにぽんと手を打って顔を上げ、なぜかひどく嬉しそうな笑顔で桃城に言う。 「一緒に頑張りましょう!」 「………………」 桃城はしばし呆気に取られていたが、やがてぷっと吹き出した。きょとんとする天野の頭をぽんぽんと叩き、笑いをこらえながら言う。 「わーかった、わかったよ。確かにお前の言う通り頑張んなきゃなんねーよな。余計なこと考えてる場合じゃねーよ。悔しけりゃ相手とボールにそれぶつけねぇとな」 「…………?」 首を傾げる天野に、桃城は不敵に笑って言う。 「ガンガン攻めて一気に取り返すぞ。ヘマすんなよ!」 「…………! はいっ!」 天野はひどく嬉しげに笑った。 「……桃城が冷静になった、ようだな」 「それでいてテンションがいい意味で上がってきている。天野にはパートナーを精神的に支える力があるようだね」 「……桃先輩は、単純っスから」 「え?」 リョーマの冷たい一言に、青学レギュラーたちの視線がリョーマに集まる。 「どういうことだ、越前?」 「あいつ、一見流されやすく見えるけど、実際はなにがあっても自分のペース崩さないから。桃先輩みたいなタイプは、あいつのペースに飲み込まれてあいつの思い通りに動かされるだろーなって」 「……なんだかそういう風な言い方すると、天野がすごく悪人に聞こえるね……」 「ま、とりあえず結果オーライで、いいんじゃない?」 天野のサーブ。天野は二、三度ボールをバウンドさせると、空いたスペースめがけ強烈なサーブを放つ。 むろんのことまたも向日が軽やかに舞い、きついコースにボールを返す――だが、天野は素早く走り寄って食らいつき、ボールを逆サイドに返した。 向日はそのボールにも飛びつき、さらに逆サイドに返す。だがそれも天野は拾った。そして当然のように逆サイドに返す。 お互いどんなきついコースにも食らいつき、きついコースにリターンする。そんな強烈なラリーが始まっていた。 「……天野のエンジンがかかってきたな」 「桃のもね」 ゲームは2-4まで進んでいた。今までどんな球もそのアクロバティックプレイで返していた向日の動きが、徐々に精彩を欠き始めたのだ。 天野の瞬発力はかなりの高レベルにあり、自分の守備範囲に帰ってきた球なら正反対の位置にあってもかなりの高確率で返すことができる。向日がどんなに上下左右に守備範囲を広げていたとしても、そうそうひけを取るものではない。 向日は見せつけるように無駄の大きいアクロバティックな動きをしていたツケが出て体力を大きく消耗してきているようだった。もともと向日のプレイスタイルは長期戦には向かない。息が荒くなり、体もややふらついてきている。 それに対し天野はようやく体が温まってきたというところだ。走り込みが練習の基本である天野の体力は青学レギュラーたちの中でもトップレベル、この程度で疲労するほどやわではない。 となれば、このラリー、どちらが有利かはおのずとわかる。 向日がミスを連発し始め、桃城のスマッシュが決まるようになってきた。そうなれば桃城は調子に乗ってさらにガンガン攻め始める。桃城は調子に乗れば乗るほど実力を発揮するタイプ、攻める桃城にフォローする天野、青学の二人は凄まじい勢いで追い上げ始めた。 桃城のサーブ。挑発するように忍足めがけボディ・ショットを放つ。忍足は素早く体勢を整え打ち返すが、適度に高く緩やかに上がったその球は桃城にとっては絶好球だった。 「おらぁっ!」 一気に前に出て、必殺のダンクスマッシュを放つ――その球は忍足の眼前に突き刺さり、大きく飛び跳ねようとするが、そこを忍足は大きく体を回転させて叩いた。 「!」 ボールは桃城の真後ろにビシッ! と突き刺さった。思わず固まる桃城(と天野)。 「……あれ……不二先輩の技……ですよね?」 側に寄ってきて戸惑ったように言う天野。 「ああ……間違いねぇ。ヒグマ落とし……あいつパクりやがったな……!」 「いやパクりかどうかは聞いてみないとわかんないと思いますけど」 「不二先輩のと同じ効果があるとしたら、普通のスマッシュはおろか俺のダンクスマッシュも全部無効化されちまう……くそ、いったいどうすりゃ……」 「うーん……」 天野はちょっと考え込んで、すぐにうんとうなずいた。 「それじゃあ、相手のいないところに相手が反応できないくらい速い球を打ち込むしかないですよ!」 「……そりゃそううまくいきゃ問題はねぇけどよ……」 そんなことが簡単にできればテニスは苦労しない。 だが天野はにこにこっと笑って言う。 「大丈夫ですよ! 桃先輩ならできます! それに、これはダブルスです。桃先輩がスマッシュ真後ろに打ち返された時は俺が拾います! だから、二人でガンガン攻めて、頑張っていきましょう!」 言ってから、はっとなにかに気づいたような顔をして口に手を当てる。 「あの……俺なんかがこんなこと言っちゃって、生意気でしたか?」 「…………ったく」 桃城は苦笑して天野の頭をくしゃくしゃにした。 「お前なぁ、曲がりなりにも俺とペア組んでんだから、そーいう卑屈なトコ直せよな。自分が間違ったこと言ってねぇって思うんだったらきっちり胸張ってろ!」 「は、はいっ!」 照れくさそうに、だが嬉しげに笑う天野。桃城はにっと笑い返して、くいとラケットを上向けた。 「これでもな、信頼してんだぞ。きっちり応えなきゃ承知しねーぞ!」 「………! はいっ!」 桃城が放ったスマッシュを、忍足がヒグマ落としで真後ろに返す。だがそこにはすでに天野が走りこんでいた。 ロブを打つ。向日は疲労のために反応できない。忍足が下がって返した。 返した先は天野の逆サイド。だが天野はそれに余裕を持って追いつき――大きく後ろに振りかぶって、踏み込みながら体を回転させつつ振りぬいた。 まさしく、瞬間。 ビシッと音がして、忍足の逆サイドに凄まじいスピードでボールが突き刺さった。 「出たっ! 天野くんの超速リターン!」 勝郎たちが声を上げる。 天野の持ち技の一つ、超速リターン。それは一定のスピードで向かってきた球を柔軟な体を生かした体全体を使っての円運動の動きで返す技である。河村などの使う波動球の、威力を落としてスピードを上げたようなもので、フォアでしか使えない上にボールに対して準備できるだけの余裕が必要だが、そのスピードに対応できる人間はほとんどいない。 「おまけに手首等にかかる負担も波動球に比べて格段に低い。狙いを絞るのは難しいが、円の動きだからほぼ確実に逆サイドに、それも際どいところから打てば打つほどきついコースに返せる。あの速度の球でそんなことをされたら、対応するのは至難の業だ」 乾がデータブックを見つめながら眼鏡を押し上げて解説を続ける。 「天野の並外れた瞬発力と柔軟な体を生かした、見事な返し技だ。都大会の時より一層磨きがかかっている」 「天野のプレイスタイルはダブルスでのフォロー役に向いているけれど、シングルスでも彼には他の並み居る二、三年を抑えてレギュラーの地位を獲得するだけの力がある」 「ああ。あいつも伊達に青学のダブルス1を任されているわけじゃない」 「油断大敵火がボーボーって感じかにゃ〜?」 天野のリターンと桃のスマッシュで一気に追い上げ、ゲームカウントは4-4となった。再び天野のサーブだ。 ついに追いつかれ、氷帝ペアも顔色を変えている。おそらくはこのゲームなんとか取り返そうと死にもの狂いになってくるだろう。 ここは、落とせない。 よし、とうなずくと、天野はスパァンと気持ちのいい音を立ててサーブを打った―― 天野の打った球は、コートラインぎりぎりに突き刺さり、かつ外側にホップした。 反応できないほど速い球ではない。氷帝ペアも球に反応して取ろうと動いた。 だが、取れなかった。氷帝ペアの目測より、ボールの跳ねる角度が低かったのだ。 「……天野のもう一つの持ち技、逃げるサーブ」 「ラインぎりぎりで、コートの外側に向けてバウンドするボール。おまけに球質の軽いあのボールは、低角度でコートの外に逃げるように向かっていく……」 「あれを取るのって、まず無理だよね。俺打たれた時取れなかったもん」 「でもさでもさ、きーくんボールコントロール俺たちの中じゃ大して上手いわけじゃないじゃん。なんであんなサーブ打てるんだろね?」 「……能天気だからっスよ」 「『なんかよくわかんないけど、できちゃうんですよねー』って言ってたな」 「疲れるから一回の試合で1ゲームしか使えないと言っていたが、あれはどのへんが疲れるのか判然としないな」 サーブ四回でゲームをもぎ取り、残り1ゲーム。 スマッシュを打ち、ヒグマ落としで返され、それをさらに返し――超速リターン、ダンクスマッシュ、ジャックナイフ等々、技がいくつも飛び交い―― ほどなく十個目のゲームが、青学のものとなった。 「桃先輩! やった! 俺たち勝ちましたよっ!」 思わずぴょんこぴょんこ飛び跳ねながら言う天野の尻を、桃城は思いきり叩いた。 「痛っ!」 「とーぜんのこと言ってんじゃねーよっ!」 涙目になる天野に、にっと笑いかける。 「俺たちが出て、負けるはずがねーだろ? 俺とお前が組んでんだからな!」 「あー桃の奴、調子乗ってる〜。あんなえらそーな台詞吐くなんて、十年早いっつーの!」 「まあいいじゃないか、英二。今日のところは勝ったんだし……それに、あの二人は確かに強いよ。息が合ってる。青学にも、俺たち以外にダブルスに本格的に取り組もうって奴らが現れたんだ。いいことじゃないか」 「う〜っ、でもさ、俺たちの方が先輩なのに〜っ……今回だってけっこう危なかったくせにぃ」 騒ぐ菊丸をよそに、コートの中でじゃれあう桃城と天野を見て、リョーマは肩をすくめて呟いた。 「まあまあだね」 |