衣装に着替えた二人を見て、桃城はぶーっと吹き出した。 「おまっ……お前ら、ハマりすぎ!」 ぎゃっはっは、とまったく遠慮なく大笑いする桃城の前で、二人――リョーマと天野は暗い顔を見合わせる。 「……リョーマ君、似合うよ、可愛い、そのカッコ……」 「……アンタに言われたくない」 二人の今の格好は、ひらひらのプリーツスカートに胸元にリボン。つまりは青春学園女子制服――セーラー服だったのだ。 ことの始めは、青春学園学園祭、男子テニス部はなにをやるかという説明からだった。 「うちは毎年、焼きそばの屋台を出すことになってる。この手の模擬店系は部活それぞれに伝統があっからな、かち合うことはねぇから安心していい」 三年が引退したあとに、部長に就任した桃城がミーティングで一年に向けて説明する。 「どのくらいはけるかとか機材どこに頼めばいいかとかは資料があるからそれを使う。けど一年も来年は仕切ってもらうことになんだから、きっちり手順覚えとけよ。担当発表するから、先輩について勉強するよーに」 『はい!』 「あ、それと天野と越前はその前にやることがあるから、練習終わったら部室残れ」 「え? あ、はい」 「ウィーッス」 というわけでその日の練習を終えて着替えたあと、天野とリョーマは部室に残ったのだが。 いきなりぽん、と目の前にセーラー服を出されて困惑の表情になった。 「……なんですか、これ?」 「それが衣装だから」 「は?」 わけがわからない天野に、桃城はにやりと笑んだ。 「お前ら学園祭当日、それ着て呼び込みやれ」 『………………』 「え――――っ!?」 「……ヤダ」 それぞれ拒否の反応を示す二人だが、桃城は悪役っぽい笑みを崩さなかった。 「ヤダじゃねーよ、もう決まってんだ。やんなかったら一ヶ月試合出場禁止な。これ竜崎のバーサンも了承済みだから」 「え、えー!? だって、そんな、なんで!?」 「これはテニス部の伝統なんだよ。一年のうちまだチビで女装してもそんな変じゃない奴にセーラー服着せて呼び込みやらせんの。俺たちが一年のときだってやったんだからな、お前らだけいやたぁ言わせねぇ」 「……桃先輩もやったんですか?」 おそるおそる聞いた天野に、桃城は肩をすくめて笑ってみせる。 「いや、俺ぁこの頃にはもーかなりでかかったからよ」 「ずるーいっ!」 「……ヤダ」 「いやっつおうがなにしようが決まっちまったもんはしょうがねぇだろ」 「だいたい、なんで俺たちなんですか! 他にもちっちゃい奴ならいるでしょ!?」 「いや、今年は一年レギュラーが二人ともチビだからよ。レギュラーが女装して呼び込みすりゃテニス部のこと知ってる奴なら寄ってくんじゃねーかって」 「……ヒドイ……好きでチビなわけじゃないのに……」 「……ヤダ」 一人は涙ぐみ、一人は無表情のうちに不機嫌を滲ませていやいやと首を振る青学一年レギュラー二人に、桃城は笑ってぽんぽんと頭を叩いてやった。 「ま、そんなに気にすんなよ。これも経験だ経験。度胸つける練習だとでも思っとけよ」 「そんなぁ……」 「………ヤダ………」 しかし二人がどう頑強に抵抗しようと、やはり体育会系部活で先輩は絶対。その上拒否したら一ヶ月試合に出れないという切り札もあり、二人は心底気が進まないながらも、女装を受け容れることになったのだった。 そして今日は学園祭当日。二人とも着慣れない女子の制服に手間どることを見越して、早めに集まっている。 で、桃城や海棠や、手先の器用な部員たちなどに手伝われながら、身づくろいをして女子の制服に着替え、かつらをかぶり―― 「ダメですよやっぱ、無理です、変ですよう」 半泣きになって抵抗する天野を、桃城と海棠が引きずる。 「心配すんなって、変じゃねぇよ。似合ってるって」 「変ですってばー! 絶対変な目で見られますー!」 「……いまさらぐだぐだ言ってんじゃねぇ、男らしくねぇぞ」 「女装はそもそも男らしくないですー!」 その脇でいつも通りの無表情の仮面を被ったリョーマがのろのろ歩いている。表に出しては取り乱してはいないが、その足取りはとっても遅かった。 部室を出て、一二年の部員が勢揃いする前に、天野とリョーマは放り出される。身をすくめる二人に、部員全員の視線が集中した。 『……………』 重い沈黙に天野はもう泣く寸前だったが、その前にうおおおと部員たちがどよめいた。 思わずびくりとする二人。だが部員たちは気にもしなかった。 「すげぇ! 女の子だ! 本気で女の子に見える!」 「ひぇーマジかよ……こうもハマるとは思ってなかったぜ」 「ヒューヒュー、似合うぜ越前ーっ!」 どうやら受けているらしい、と感じとった二人は、微妙な顔を見合わせた。冷たい目で見られるよりはいいが、喜ばれてもやっぱり嬉しくない。 「よっし、それじゃ準備するぞ! 天野、越前、その服汚すなよ!」 天野とリョーマはそれぞれにため息をつき、設営を見守った。これから一日、試練の時が続くのだ。 「こちらテニス部特製焼きそばでーす! みなさん一度食べに来てくださーい!」 「……さーい」 大きな声で呼び込みをする天野と、それに適当に追従するリョーマ。 だが天野ははっきり言って恥ずかしくてしょうがなかった。スカートはスースーするし、いつ中を見られるかと思うと落ち着かないし、胸のリボンがどうにも痛い。みんなが自分を笑ってる気がする。 だがこんな仕事でもテニス部部員として自分に任された仕事だ、しっかりこなさなきゃ、と心の中で半泣きになりつつも、必死に頑張っていたのである。 「おー、やってるやってる!」 「あ……菊丸先輩! 大石先輩に、不二先輩も!」 「久しぶりだな、天野、越前」 「元気にしてたみたいだね……その格好、似合ってるよ」 うっ、と天野は律儀にショックを受けて一歩退いた。 「不二先輩……もしかして俺たちをいぢめたいんですか……?」 「もしかして喧嘩売ってんすか?」 「まさか。可愛いなぁと思ってね。そのスカートの下にはちゃんと女ものの下着穿いてるの?」 「穿いてません穿いてるわけないじゃないですかってギャー! スカートめくらないでください菊丸先輩!」 「こら、英二! 不二もからかうなよ、自分たちも通ってきた道だろう?」 「……へ? そうなんですか?」 きょとんとする天野に、不二と菊丸は笑った。 「そうだよ。僕たちが一年の時は、僕と英二と、手塚が女装やったんだ」 「へー……って手塚部長が!?」 あの規律とテニスの鬼、手塚が女装。想像できず天野は目をパチパチさせた。 「ああ……一年の時は手塚それほど大きくなかったんだよ。それに普段なにかと目立つ手塚に嫌がらせをしてやろうって気持ちもあったんだろうな」 「ああ、それならわかるかも……でもどんな格好だったんですか手塚先輩の女装って」 「おや、僕たちには興味なし?」 「え、いえ、そうじゃなくて、不二先輩も英二先輩も一年の時はきっと可愛かっただろうなって思うから自然な感じがして」 「むー、そういう言われ方ってなんか複雑だにゃ〜。俺ってこんなに男らしいのに」 「誰が?」 「くらぁおチビっ、そーいうこと言ってると写真撮るぞ!」 「……それは勘弁」 「あはは、でも僕たちが撮らなくても最後には絶対写真撮られるけどね。後輩たちに残すために」 「……マジですか!?」 「マジマジ。竜崎先生に渡されて門外不出になるけど、しっかり残るらしいよ〜」 さんざん不安にさせておきながら、菊丸たちは今年の焼きそばの出来栄えはどうかなーなどと言いつつ屋台に向かった。屋台にいる部員たちが挨拶をしている。 「……リョーマくん。逃げちゃダメかな」 「俺が逃げたあとにして」 「はーっ、暑ぅ……!」 天野は屋台の裏でスカートをめくってばたばたと風を送った。無地のトランクスがちらちらと見える。 朝なら恥ずかしくてそんなこととてもできなかっただろうが、もう学園祭も午後、ずっと女装して呼び込みしていた天野はすっかり慣れてしまった。恥ずかしいとかいう感覚は一切なく、もはやスカートも青学ジャージとさして変わらない。 「お、天野、休憩か?」 屋台から出てきた桃城が、天野に言った。 「あ、はい! 桃先輩もですか?」 「そーそ。いや疲れたわ、水野にどうすりゃいいかは教わったけどよ、普段料理なんてしねーからよ」 「え、でも焼きそばを鉄板の上でかき回すだけなんですよね?」 「てめぇコラ先輩に逆らう気か? 黙って感心しとけ」 「あ、はい、すいませんっ!」 頭を下げる天野に、桃城は吹き出す。 「お前なー、冗談に決まってんだろこんなもん。もー半年近くダブルス組んでんのに、んっとに慣れねー奴だなー」 「す、すいません……」 「謝んなくていいって。……一緒に学園祭回るか?」 「え?」 天野はばっと顔を上げて、大きく目を見開いた。 「い、いいんですか? 本当に?」 「よくなかったら誘わねぇって。ここんとこお前と練習もできなかったしな、たまにゃいいだろ」 「じゃ、じゃ……ご一緒させてくださいっ!」 「はいよ。んなに緊張するなよ、ダブルスのパートナー相手に」 「あはは……」 天野は苦笑して、頭をかいた。 「あ、それから、その服は脱ぐなよ、また着せるの面倒だからな」 「はい」 「……素直に返事すんなよ……」 というわけで、天野はセーラー服を着たまま桃城について学園祭を回ることになった。 桃城の案内で模擬店をいくつも回り、屋台ものの料理をつまみながらうろうろ歩く。 「どうだ、サッカー部のたこ焼きはわりといけるだろ」 「あ、はい。ちょっと粉っぽいけど、おいしいです」 「はは、そりゃ素人が作ったんだからしょうがねぇって。お前ならもっとうまく焼けるか?」 「はいっ! 料理だったらまかせといてください、うちにはたこ焼き器もありますよ!」 「おいおい……ははっ、じゃ、今度食わせてもらうか」 「はい!」 そんな先輩後輩の仲むつまじい光景に、後ろからおずおずと声がかかった。 「おい、桃……」 「ん? なんだ佐川に西野じゃねぇか」 「桃先輩のクラスメイトですか?」 「ああ。なんだ、どうしたんだよ」 聞く桃城を、二人のクラスメイトはじっとりとした目で見つめた。 「お前……彼女いないっつったじゃねぇかよ」 「………は?」 「隠すなてめぇ! 抜け駆けしやがったな! ちくしょう、男の友情は地に落ちたーっ!」 唖然とする二人の前で荒れ狂うクラスメイトたち。どうやらかつらをつけてスカートを穿いている天野を、女の子だと思い込んでいるらしい。 「……お前ら、ちゃんと目ついてるか?」 「ついてるから怒ってんだろーがーっ! ちくしょうどこで口説いた! 後輩か、後輩だなっ? 先輩に憧れてるんですって近づいてきたコをだまくらかしたのかっ! いいよな運動できる奴はっ!」 「いや、後輩は後輩だけどよ」 「あの」 天野が、おずおずと口を開いた。 『ん? なんだいっ?』 クラスメイトたちが声を揃える。女の子だと信じ込んでいるせいか、やたらと愛想がいい。 「あの……自分と桃先輩、どんな風に見えました?」 その言葉に、クラスメイトたちは顔を見合わせた。 「どんな風、って?」 「その……つりあい、取れてました?」 「つりあい?」 「なんていうか、その……自分と桃先輩じゃ、似合わなかったんじゃないかなって」 『………………』 クラスメイトたちはしばし無言で顔を見合わせたあと、桃城に向けてパンチを放った。桃城は軽くかわすが、それでも怒ったように怒鳴る。 「なにすんだよてめぇら!」 「やかましいっ! こんな可愛い子にここまで思われてる男なんぞもう友達でもなんでもないっ!」 「あの……」 「ああ、心配しなくていいって。うん、悔しいけど似合ってたよ、君と桃城」 「ああ、なんかすげぇ馴染んでた感じだったもん」 その言葉に、天野はぱぁっと、たまらなく嬉しそうに、ほっとしたように微笑んだ。 「よかった……」 クラスメイトたちはまた顔を見合わせて、桃城に蹴りを放った。桃城は今度もあっさりかわし、蹴り返す。 「ちくしょう、てめぇどこの勝ち組だ! テニス部のせいで女子に人気ある上にこんな可愛いガールフレンドまで作りやがって!」 「アホかお前ら、こいつはな」 「ちくしょー覚えてろよ桃城、今度絶対おごらせてやるからな!」 「人の話聞けよお前ら!」 だがクラスメイトたちは全然話を聞かず、覚えてろよーと叫んで去っていってしまった。桃城ははー、とため息をつく。 そこに天野がおずおずと話しかけた。 「ごめんなさい、桃先輩……ガールフレンドのふりしちゃって。迷惑でしたか?」 「いや、迷惑っつーか……なんであんなことしたんだよ」 「……はたから見て、俺と桃先輩ってちゃんとつりあい取れてるかなって、確かめたくなって」 「はぁ?」 桃城は呆れて声を上げた。 「阿呆かてめぇ、同じ中学生でダブルスのパートナーで、つりあいってなんだそりゃ」 「あ、桃先輩自分のことわかってないですね。桃先輩ってすごく人気あるんですよ。男子にも女子にも。俺の周りにも桃先輩に憧れてる奴けっこういますし」 「あのな……」 桃城は顔をしかめた。確かに自分はこの性格とテニス部での活躍のせいで女子にはけっこうモテるし、男子にも好かれることが多いが、そういう天野だって全国で活躍してきたプレイヤーだ。その上ルックスもなかなかだし(女装しても違和感がないくらいには)、性格も優しいし、人気がないはずはない。 いやそういう問題ではなく。自分たちは先輩と後輩ではあるが、対等な存在ではないか。 なのにそんなことを言われるのは、かなり不本意だ。 だが、天野は真剣な顔で言った。 「俺、桃先輩にちゃんと勝てたって思うこと、まだ一回もありませんから」 「は? 待てよ、お前練習の時俺に勝ったことあるじゃねぇか」 「それでも、ちゃんと桃先輩に追いつけたって思えたこと一回もありません。……俺、全国大会も終って、今の目標は桃先輩に勝つことなんです。ちゃんと勝たないと、ダブルスのパートナーとして隣に立てない気がするから」 「…………」 「だから、女子と勘違いされても、つりあってたって、似合ってたって言われたら嬉しいですよ。馴染んでたって言われてすごく嬉しいですよ。俺、桃先輩とずっとコンビ組んでいきたいですから。……それで、いつか越えたいですから」 「………そうか」 「あ、いやその、越えるっていっても、俺の実力じゃいつになるかわかんないですけど、いつかはって、その、思い上がりかもしれないですけど……」 「バーカ」 桃城は笑って、天野の頭をくしゃくしゃにした。天野は思わず固まるが、桃城が笑っているのでつられて笑う。 「今日、帰りに一緒に練習してくか?」 「え!? いいんですか!?」 「おうよ。久々にお前と二人で練習もしてえしな」 「……はいっ!」 嬉しそうに笑う天野。桃城もにっと笑う。 この二人は中学生男子には珍しく、堂々とあからさまに仲良しなのだった。 |