練習試合、ご褒美、兄弟関係
「明日の聖ルドルフとの練習試合は、組み合わせは以上の通りでいく」
『はい!』
 竜崎の言葉に、青学レギュラーメンバーたちは声を揃えて応えた。

「……はー。明日はシングルスかー」
 天野がため息をついてそう言うのに、桃城が眉を上げた。
「なんだよ。気が進まねぇのか? 久々のシングルスだぜ? マムシは一人だけダブルスだけどなー、ししっ」
「シングルスが嫌っていうんじゃないんですけど……勝てるかなぁって思って。ここんとこランキング戦以外はダブルスばっかだったし……やっぱ出るからには勝ちたいですもん」
「バーカ、今からんなこと言っててどーすんだよ。ったくテメーは自分のこととなるとすぐ弱気になんだから」
「う……ご、ごめんなさい……」
「謝んなっての。しょーがねーなー、明日勝ったらメシおごってやっから」
「え!? ホ、ホントですか!?」
「あー。けどマックな。俺金ねーんだから」
「いいです! マックだって桃先輩におごってもらえるんなら俺絶対勝ちますよ!」
「おー、その意気その意気」
 疲れたように隣でため息をつくリョーマを尻目に、天野はうきうきと考えていた。
 マックで桃先輩におごってもらうとなると、買ったものだけじゃ足りないよな。だって桃先輩すごい食べるし。今月ピンチだって言ってたし。
 なんかこっそり作ってもってっちゃおうかな。食事用のと甘いの、両方作って。それほど大きくないやつなら、たぶんそんなに目立たないし。
 なに作ろうかなっ、ハンバーガーに合わせてパン系かな!? などとうきうきと考える天野の心はすでに試合後に飛んでいたが、それでもテニスプレイヤーとしてしっかり誓っていた。
 明日は絶対勝つ。

「あ、桃先輩!」
「よう、天野! はよっ」
「おはようございます! 今日の試合絶対勝ちましょうねっ」
「たりめーだ」
 にやりと笑う桃城に、嬉しくなってにこにこと言う。
「勝ったらおごりですもんね! 気合入ってますよ、俺!」
 すると、桃城がとたんに申し訳なさそうに眉を寄せた。
「あー……そのことなんだが、な」
「はい……?」
 なにか悪いことを言われるんだろうか。ドキドキしながら見上げると、桃城はぱんっと手を合わせ拝むように頭を下げる。
「悪ぃ。俺、今日行けねぇわ」
「え……」
 目を見開くと、桃城は頭を下げながら早口で続けた。
「今日ウチ焼肉食いに行くことになってよー、早く帰ってこいっつわれてんだ。それに俺も久々の焼肉だから腹空かして帰りてーし……今回はパスさせてくれ、頼む。この埋め合わせは必ずすっから!」
「…………わかりました、気にしないでください。俺もうちの方で用事ありましたし。焼肉、いっぱい食べてきてくださいね」
「そっか? 悪ぃな、マジで」
「いえ……」
 天野の言葉に気にしていないと本気で思ったのか、桃城は元気な顔になって去っていく。それを笑顔で見送ってから、天野ははあぁぁぁと深いため息をついた。
 がっかりだ。
 楽しみにしてたのに。今日も五時起きで自分の弁当に加えて軽食も作ってきたのに。
 かなり気合入れた、自信作だったのに。
 はああぁぁぁと再度深いため息をついた天野の背筋を、つぃっと指が撫で下ろした。
「ひ!」
「どうしたんだい、天野? 落ち込んでいるようだけど」
「ふ……不二先輩っ! なにするんですかいきなりー!」
 そう、天野の背中を撫で下ろしたのは不二だった。感情のうかがい知れないいつもの笑顔でこちらをじっと見ている。
「……様子、見にきてくれたんですか?」
「うん、まぁね。本当はもう引退した人間が何度も出てくるのは目障りだろうと思うんだけど」
「そんな!」
「今日の対戦相手はルドルフだからね……裕太はあいつも来ると言っていた。なんとしても大勝ちしてもらって、裕太をあいつから引き離さなくちゃならないからね……」
「…………? あ、そうか、弟さんがいるから気になったんですね!」
「うん、そういうことだね。だから今日は頑張ってよ、天野。大変なことはいろいろあるだろうけど、それをプレイに影響させちゃ駄目だ」
「はい!」
 元気よく返事をして、天野はアップをするため駆け出した。
 そうだ、気持ちを切り替えなきゃ。桃先輩のおごりがパーになったって、勝負がなくなったわけじゃないんだから! やるからには絶対勝つ、それが青学レギュラーの使命だぞ!
 気持ちの切り替えのうまさ、不屈の根性、そういうものもテニスプレイヤーには重要な能力だ。
 そして、天野はその精神力においても、高いレベルの能力を持っているのだ。

 結果は、四対一で青学の勝利だった。
 天野のシングルス1は6−3で勝利。相手は二年だったが、前回戦った時はレギュラーではない人間で、天野の粘りにわりとあっさり屈してしまった。
 リョーマのシングルス2は裕太が相手だったが、6−4で勝利した。裕太も前回の戦いより力をつけていたが、リョーマの成長速度はその上をいっている。
 桃城のシングルス3も桃城が取り、金田とのダブルス1は取られたものの、海堂のダブルス2は無事取ることができた。
 快勝といえるが、竜崎からはまだまだ三年の抜けた穴を埋めるにはまだまだ力不足だと説教があった。
 天野はその言葉をごく真摯に受け取り、よりいっそうの練習を自分に誓ったのだが――

「………………はぁ」
 天野はため息をついた。帰り道の途中で近所の公園に寄り道したのだ。
 桃城は当然のようにさっさと帰ってしまった。勝利の焼肉だー、とか嬉しそうに言いながら。
 勝ったのはめでたいことなのだが、そうなるとよけいにこの作ってきた料理が物悲しい。めちゃくちゃ嬉しそうだった桃城を見ていると、桃城におごられるのを楽しみにしていた自分が、世界で一番馬鹿みたいに思えてくる。
「どうしよう、これ………」
 デキはいいと思うのだが、家に持って帰っても歓迎はされまい。ただでさえ普段から母親の料理をたっぷりと食べて舌が肥えている人間ばかりだ。どうせなら喜んで食べてくれる人間にあげたい――一生懸命作ったんだから。
 そういう意味でも桃城に食べてほしいなと思ったのだが――
「……頑張ったんだけどなぁ」
 はぁ、と深いため息をついていると―――
「…………はぁ」
 そんな声が聞こえた。別の人間のため息だ。
 え? と思って周囲を見る。すると数m先のベンチに、一人の中学生が座っているのが見えた。
 それも、今日戦った聖ルドルフの制服だ。
「不二、裕太さん………」
「え? あ………」
 裕太もこちらに気がついたようで、ちょっと驚いたように目を見開いた。しばらく見つめあったあと、なんとなくお互い頭を下げる。
 どうしよう。天野は思っていた。他校の人間だし、別に話したこともない顔を知っているというだけの人だし、このまま別れてしまってもいいのだが。
 彼にちょっと興味があった。不二先輩の弟さん。都大会も今日の練習試合もリョーマに負けた相手。だがどちらの時もしっかりリョーマに食らいついていっていた。
「……なにか落ち込むことがあったんですか?」
 なんとなく、聞いてみた。
「……別に。関係ねーだろ」
 ちょっと眉を上げて、予想通りの返事。
「関係ないって言われちゃうと、そうなんですけど………ここ、いいですか?」
 ベンチの隣を指し示して聞く。
「……別に、俺のベンチじゃねーし」
「どうも………」
 裕太の隣に座り、裕太の方を向きながら言ってみた。
「俺、今日ちょっと落ち込むことがあって……」
「はァ? お前勝ってたじゃねーか」
 あ、ちゃんと自分を認識してくれていたんだ。確認して少しほっとした。
「そうなんですけど、昨日先輩が今日の試合で勝ったらおごってくれるって言ってたのに、駄目になっちゃったからがっかりしちゃって。それで真っ直ぐ家に帰りたくなくて落ち込んでたんです」
「……なんだよそりゃ。食い意地張った奴だな」
 裕太はおかしそうにちょっと笑った。あ、笑った、と天野も嬉しくなって小さく笑う。
「それで、もしよかったら、他校で適度に他人な不二裕太さんに話を聞いてもらえたら嬉しいなーって思って」
「フルネームで呼ぶなよ。苗字か名前かどっちかにしろ」
「あ、じゃあ、裕太さんって呼んでいいですか?」
「別にかまわねぇよ。……それがなんで俺の落ち込みと関係があんだよ?」
「え、いえ、ですから。俺ばっか話すのは申し訳ないから先に裕太さんの話も聞こうと思って」
「なんだそりゃ」
 裕太はぷっと吹き出した。リラックスした、楽しげな笑いだ。
「お前、変な奴だな。……いいよ、聞いてやるよ、話せよ」
「はぁ……といっても、大して話すこと残ってないんですけどね」
 というわけで天野は朝五時起きで軽食を作ってきたのにそれを食べてもらえず悲しかったことを話した。
「軽食ってなんだよ?」
「あ、かぼちゃのフォカッチャと、洋ナシのタルトですけど」
「はァ!? お前が作ったの!?」
 裕太は仰天した。天野は認識していないが、料理らしい料理というものを気軽に作れる男子中学生というのは稀有な存在だ。
「えぇ、そうですけど……?」
「その料理どうしたの?」
「持ってますけど……あ、食べます?」
「え……」
「ちょっと待っててくださいねー」
 天野はにこにこ笑いながらバッグから真空パックに入った二皿の料理を取り出し、ベンチに置いた。
 裕太はごくりと唾を飲み込んで料理を見た。かぼちゃのフォカッチャはほくほくしたかぼちゃがいい香りを放つ自信の一品、洋ナシのタルトは定番な分作り慣れ、つやつやと見た目も見事な一品だ。
 天野は持ってきていた包丁でさっくりと二つを切り分け、にっこり微笑んだ。
「よろしければ、どうぞ」
「………………」
 裕太はごくり、とまた唾を飲み込み、ちらりと天野の顔を見てから、フォカッチャの方に手を伸ばした。そっとつかんではくりと口の中に入れた瞬間、目を見張る。
「うまっ! マジうめぇ!」
「えへへー。そうですか、よかったー」
 天野はにこにこと微笑んだ。何度味わっても自分の作った料理をうまいと言われるのは至福の瞬間だ。
 数口でフォカッチャを食べきり、裕太は急いたように言う。
「な、タルトも食っていい?」
「どうぞどうぞ」
「うまっ! すげっ! 姉貴のラズベリーパイと同じぐらいうめぇっ!」
「ありがとうございますー」
 どれ、僕も、と天野は自作の料理に手を伸ばした。
 両方とも食べてみて、うなずく。うん、やっぱりいい出来だ。
 やっぱりおいしそうに食べてくれる人と一緒に食べた方がずっとおいしいよなー、とにこにこしていると、あっという間に数切れ食べた裕太があ、と気がついたように言ってきた。
「わ、悪かったな俺ばっか食っちまって。お前も食いたかったんだろ?」
「いえっ、俺は他の人がおいしく食べてくれる方が嬉しいですから。裕太さんに食べてもらえて、すごく嬉しいですよ」
 にこっと笑って言うと、裕太は感激したような目で天野を見つめて言う。
「お前、いい奴だな………同じ一年青学レギュラーなのに、越前とはえらい違いだ」
「あはは……リョーマくんはそりゃ性格善人とは言い難いですけど、悪い子じゃないんですよ?」
「それはわかってっよ。だからこそよけいに腹が立つっつーか……兄貴にもおんなじこと言えるけど」
「お兄さん……って、不二先輩ですよね」
「ああ」
 ぶすっと言う。天野は首を傾げた。
「目標はどうせなら悪い人よりいい人の方がいいと思いますけど……」
「そーいうこと言ってんじゃねぇって! 第一兄貴のどこがいい人なんだよ!」
「はぁ……」
 天野は不二兄の顔を頭に思い浮かべた。確かにあの先輩は、にこにこいつも笑顔だが妙に人の悪いところがある。自分に敵対する人間には容赦がないし。
「そーですねー、不二先輩って時々ちょっと怖いですよね」
 そう言うと裕太は目を見張った。
「……お前、兄貴に騙されてねぇのか?」
「え?」
「いや、だって、兄貴のこと悪く言って反論されねぇの、初めてだから……」
「いや、俺も不二先輩のこといい先輩だとは思ってますよ? でも兄弟だとまた違うでしょうし、ホントに時々ちょっと怖い……っていうか、迫力負けしちゃう時があるから」
「………お前って、すげぇな………」
「え!? いや別に、そんなことないですよ!」
 自分のことをすごいとは一度も思ったことのない天野が慌てて手を顔の前で振る。だが裕太はなんだかしみじみとした口調で語った。
「いや……あのな、俺さ、ガキの頃はまだしもさ、中学上がって――俺も最初は青学だったんだけど、そうなると兄貴の弟としか見てもらえねぇことが多くてさ」
「あぁ……いやですよね、そういうのは」
「ああ、どいつもこいつも不二弟不二弟って。同級生までそうなんだぜ? やってらんねーっつーの!」
「それはひどいですね……」
「だろ、だろ? しかもこの兄貴がやったら過保護だしよ。友達づきあいにまで口出してくんだぞ! 俺は赤ん坊じゃねーっつの! 人のことガキ扱いしやがって……!」
「はー、なるほどー」
「……今日も試合で勝てなかったら家に寄れって賭けもちかけてくるし……勝つ自信がないのかって言われて乗っちまう俺も俺だけどさ……」
「え、それじゃ、早く帰った方がいいんじゃ」
「わーってるよ! わーってるけど素直に帰りたくねーの! いっつもアイツには負けっぱなしで、悔しいじゃねーかよ……」
 天野はふぅむ、と考えこんだ。天野は普段兄弟相手に(天野には姉が一人、妹が一人いるのだが)そういう感情を抱くことがないのでピンとこないが、それでも母親に料理で勝てなくて悔しい思いをすることはある。そういう時、誰かにあいづちを打ってもらうだけでずいぶん楽になったものだ。
「わかりました。俺でよければいくらでもつきあいますよ。俺の作った料理、おいしいって言ってくれたお返しです」
 どん、と胸を叩いてみせると、裕太は少しばかり目を潤ませて天野を見た。
「お前……マジ、いい奴……」
「そんな、大げさですって」
「んなことねぇって! あのさ、お前のこと騎一って呼んでいい?」
「いいですよ。名前覚えててくれたんですね!」
「うん。越前とは全然違うけど面白ぇ一年レギュラーってなんか覚えてたんだ」
「うわ、ありがとうございますー」
「な、もう一切れ食っていいか?」
「どうぞどうぞ、いくらでも!」
 ……そんな調子でフォカッチャとタルトを食べながら二人で一時間ほど楽しくお喋りして、別れた。
 裕太は楽しげに「これで兄貴と戦う意欲が湧いてきたぜ、サンキュな」と言っていた。天野も「よかったですね! 俺も手ぶらで家に帰れて嬉しいです、ありがとうございました!」と返した。

「……っていうことがあったんだよ」
「ふーん」
 昼ご飯を食べながらの天野の言葉に、リョーマは無愛想に返した。
「初めて話したけど、いい感じの人だったな、裕太さん。今度一緒にケーキ食べに行く約束したんだ」
「ふーん」
 お前らは女の子か、と突っ込みを入れたい気もしたが、リョーマは天野に突っ込みを入れる愚を充分わきまえている。それだけ言って牛乳を啜った。
「……へぇ、そうなんだ、今度ケーキ食べに行くんだ」
「ひ! あ……不二先輩!」
 突然後ろから声をかけられて飛び上がらんばかりに驚いた天野に、不二はにっこり微笑み賭けた。
「やぁ、天野、越前」
「こ……こんにちは!」
「ウィーッス」
「あの、昨日裕太さんと会ったんですよ、いろいろ話して持ってきた料理食べてもらって……」
「ああ、聞いているよ。――『すげぇうまい料理食わせてもらったんだよ、いい奴だよな』って嬉しそうに言ってたからね」
「は、はぁ……」
 天野は小さく震えた。不二の迫力がなんだかすごい。こっちに強烈なプレッシャーを放ってくる。
「君が料理を食べさせてくれたおかげで裕太は僕の用意していた餌付け――いや、もてなしになかなか乗ってきてくれなくてね。一時間も遅れて帰ってきた上に少ししかいてくれなかったんだ」
「は、はい………?」
「――天野、ちょっと話をしてもいいかい?」
 天野は「あの、不二先輩、ちょっと? どうしたんですか、あの、怖いんですけどー!」などと叫びつつ不二に引きずっていくことになった。それをリョーマは、一応友人として、合掌して見送ってやったのだった。

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