君に出会った瞬間の話
 ――彼を一目見た瞬間から、僕は生き始めたのだと思う。

 僕はとても恵まれた環境に生まれ育った。俗にロト三国と呼ばれる、勇者ロトの血を引く竜殺しの勇者アレフの築いた国の一つサマルトリアの王家の第一王位継承者。将来一つの国のトップとなる生まれなのだから、これ以上の身分はなかなかないだろう。
 身分のみならず、愛情面でも僕は恵まれていた。僕の父と母、つまりサマルトリア国王と王妃は王族の例に漏れず政略結婚だったのだけれど、幼い頃に婚約者として引き合わされて以来ずっとお互いを想いあってきたという純情カップルで、ベタベタの万年新婚夫婦。そんな二人の間に生まれた僕が可愛がられないはずはない。
 五歳年下の少しわがままでおしゃまな妹にも僕はとても慕われているし――お兄ちゃんお兄ちゃんって毎日授業を抜け出して僕のところに遊びに来るぐらい――、城で働く人々や兵士たち、城下町の人々からも優しい言葉をかけてもらったことが何度もある。聞いた限りじゃ国民にも人気があるらしい。
 それだけじゃない、生まれ持った素質にも僕は恵まれていた。五歳で僕は古代文字の読み書きが完璧にできたし、八歳で古文書やややこしい書類を趣味で読むようになっていた。十三の歳には家庭教師の人たちと対等以上に論議ができるようになっていたし、最近だと新しい学説を発表したりもしている。
 剣や乗馬も勉強の片手間にやっているだけでたいていの兵士に勝てるぐらいには上達したし、容貌も貴族の女性たちが舞踏会のたびに群がる程度には整っているらしい。次期国王として文句のない人間として誰もに認められている。順風満帆、つまづくところのない人生。誰もがそう言うだろう。
 ――でも、僕は生まれてこの方、一度も幸せだと感じたことがなかった。
 別に自分が不幸だと思っていたわけじゃない。むしろ自分は幸せなのだろうと思っていたし、今も思っている。自分を不幸だと勘違いする間もないほど、僕は産まれた時からいろんなものを与えられ続けてきたのだから。
 ただ、僕は愛してくれる人たちを誰も、愛し返すことができなかった。
 自分でもなぜなのかはわからない。でも、僕は父上に膝の上に抱き上げられるたび、母上にキスされるたび、サリアに――妹に嬉しそうに抱きつかれるたび、にっこり笑いながらもどこか冷めている自分を発見していた。この人たちはなにが楽しくて僕にひっつくんだろう、と。
 家族を、周りの人たちを嫌っているわけじゃない。でもなぜか――どんなに頑張っても大好きだとは思えなかった。こんなに愛してくれてるんだから愛し返さなくちゃ、とどんなに必死になって優しくして、尽くして、自慢に思ってもらえるよう努力しても、頭のどこかで声がする。『でも僕はこの人たちが死んでも心の底から泣くことはないんだ』って。
 だから僕は物心ついた時から自分がいやでいやでしょうがなかった。なんで僕の周りの人たちはこんなに愛してくれているのに、僕だけ愛せないんだろう。
 周りの人に申し訳なくて、愛せない自分も嘘をついてる自分もいやでいやで、でもみんなをがっかりさせたくはなくて演技する。愛しているフリ、理想的な息子の、兄の、王子のフリ、優しい人間のフリを。
 十六歳になった頃には、僕はもう諦めていた。僕はきっと産まれた時から歪んで欠けた人間だったんだ。一生幸福だとは思えなくても、一生誰にも本当のことを言えなくても、一生孤独でも、それはしょうがないことなんだ。
 みんなが僕に幻を見て、幸福になってくれるのなら、僕はその幻を演じ続ければいい。簡単なことじゃないか。
 胸を突き刺す子供っぽい罪悪感や、誰も本当の僕を知っている人間はいないなんて甘えた孤独なんて、知らないフリをすればいい。するべきだ。――しなくちゃいけないんだ。
 そう思いながら成人の儀――政治に参画できるようになる儀式を待ちながら、ひたすら勉学に打ち込んでいた十六歳の春、事件は起こった。

「――大神官ハーゴン!?」
「馬鹿な、魔法大国ムーンブルクが滅ぼされたなど……!」
「すぐさま挙兵し、ムーンブルクを救うべきだ! ロト三国の血の盟約により……」
「いやローレシアがどう出るかをまず見るべきだ。手薄になったところを突かれでもしたら……」
 居並ぶ大臣たちはもう大騒ぎ。父上も真っ青になってうろたえている。
 あーあ、まあ精霊暦ですら百年以上こんなことなかったんだもんなー。なんのかんの言いつつ平和だったのに、いきなり世界が滅亡するかもしれないなんて言われて平気な方がおかしいか。
 でもやることは決まってるんだから騒いだところでどうなるもんでもないだろうに。おかしい人の代表である僕は、するすると謁見の間の中央に進み出て父上に向き直った。
「父上、僕が行きます」
 きっぱりそう言うと、周囲がさーっと静まり返った。
「サ……サウマリルト」
 サウマリルトというのは僕の名前だ。
「モンスターを操る以上、敵は魔の眷属と考えて間違いありません。古来より真の魔を討つことがかなうのは、勇者の血を引く存在のみ。父上、僕をハーゴンを討つための旅にお出しください」
「う……し、しかし……!」
「考えている暇はないかと思います。至急ローレシアの大使に連絡を取り、血の盟約に従って人を――ロレイソム王子が適当でしょうが、ハーゴン討伐のために派遣していただきましょう。そしてローレシアと足並みを揃えてムーンブルクに調査隊を派遣し、政府機関の生き残りと連絡を」
 ロレイソム王子というのはローレシアの王子の名前だ。僕より二歳年上の十八歳だと聞いていた。
「同時に城や村々の防備を固め、襲撃に備えましょう。予備役の人間を呼び戻せばかなりの範囲に人をやれるはずです。――ムーンブルクを落とした以上そうそう城や街を落とすことはできないでしょうが」
「しかし、サウマリルト! お前はこの国の王子だ、我が息子だ! そのお前が危険な目に遭うことがわかっていて、どうして送り出せようか!」
 僕は内心ため息をついた。父上は家族を愛するよい人間ではあるけど、よい為政者ではないなあ。
「他の人間を向かわせるよりはるかに安全なはずです。僕には勇者の血を引くものとして精霊ルビスさまの加護が与えられていますから――それに王家の人間たるものには、有事に危険の矢面に立つ義務があると思います。それがたまたま僕の番だっただけです。僕は国民に顔向けのできないような王子でいたくはありません」
「だが、だが……」
 僕はにっこりと、優しく笑って父上を見つめた。
「僕のお願いを聞いては下さいませんか、父上」
「うむむむ……」
 父上はそれからもしばらく唸っていたが、結局僕の言葉を聞き入れてくれた。まあ、他に方法がないもんね。
 大臣たちにはさすが勇者のお血筋だとか言われて感動されたみたいだけど、僕は別にたいしたことを言ったわけじゃないと思う。すべきことを、期待されてることを、いつも通りにやっただけだもの。
 死ぬかもしれない、もう蘇れない永遠の死が訪れるかもしれない――というのは確かだけど、僕は別に怖いとは思わなかった。
 実感がないせいかもしれない。あるいは――早く死にたいと、思っているせいかも。

「サウマリルト、どうか……どうか無事に帰ってきてね」
「はい、約束します、母上」
「サウマリルト……体に気をつけてな。お前は体が丈夫ではないのだから」
「はい、気をつけます、父上」
「やー! お兄ちゃん、やっぱり行っちゃやー! サリアと一緒にいてー!」
「サリア……大丈夫だよ、お兄ちゃんは絶対に帰ってくるから。お前や父上母上、それからサマルトリアのみんなのために、世界を守ってくるからね」
 見送りの際は本当に大変だった。家族のみならず兵士や城下町の人々まで集まって大泣きするんだもん。僕って本当に慕われてるんだなあ。――いたたまれない。
 何人かついていくって聞かなかった兵士がいたけど、その人たちも目を見て諄々と諭してあげたら泣きながら顔を真っ赤にしてうなずいてくれた。
 さて、旅立った僕はまず勇者の泉に向かった。サマルトリアのしきたりで――といってもそのしきたりに従う必要ができたのは僕が初めてだと思うけど、王家の旅立つ者にはそこに向かうことが義務付けられているのだ。まあ、人の手による祝福だから、大した効果はないと思うけど、気は心だし。
 途中魔物はなぜか一匹も出なかった。おかしいな、と僕は思っていた。魔を統べるものが現れたのなら、街の外は魔物でいっぱいになると思っていたんだけど。
 とにかく、無事巡礼を済ませると、僕はローレシアに向かった。ロレイソム王子と合流するためだ。
 もう出発してしまっているかもしれないけど、ローレシアに面目を立てるためにも顔ぐらいは出しておかないとね。
 城下町の宿屋で汗を流してから城に向かい、ロト三国の紋章――スプレッドラーミアと、サマルトリア王家の紋章の入った指輪でサマルトリアの王子だと証明し、ローレシア王に謁見がかなった。
「そうですか、ロレイソム王子はすでに……」
「うむ。サマルトリアへと向かいましたぞ」
 ローレシア王はひざまづいている僕の体をじろじろ舐めるように見ながらそう言った。口元がなんだかいやらしくにやついている。
 まいったなあ、この人変なこと考えてるんじゃないだろうか。周りの兵士たちからも、首筋がぞわぞわするような視線が時々飛んでくるし。
 ロト三国というのは、実は他の国の人が思っているほど仲良くはない。そりゃ、近いし、親戚筋だし、王家の人々の誕生日ごとに使者を送ったりはするけど、実は互いに警戒しあっている。
 特に武の国ローレシアはその度重なる軍備の拡張から他国に対する侵略の意図があるのではないかと言われていて、僕は人質にされるのを恐れて子供の頃からローレシアには入国させてもらったこともない(サリアもムーンブルクの王女もそれは同じだと思う)。これが生まれて初めての来訪になるわけだ。
 なのになぜ今回ローレシアをあっさり訪れたかというと、血の盟約≠ニ呼ばれるロト三国間の誓いのため。詳しいことは省くけど要するに世界の危機には協力して立ち上がれっていうもので、これはロト三国王家にとってはもう全てに優先する至上命令なんだ。
 小さい頃から繰り返し聞かされてるせいもあるだろうけど、それ以上に本当に血の中にそういう命令が織り込まれてるんだと思う。父上が僕を止めようとしたのは、自分が行かなければならないんじゃないかって思ってたせいだな、きっと。
 それはさておき。とにかく、僕はローレシアに来るのは初めてなわけだ。当然王や兵士(もちろん王子も)に会うのも初めてだ。
 だから僕の顔とか体つきとかに免疫がないんだろう。僕の容姿って、一部の男には妙に受けるらしいから。
 こんな時に妙な考えを起こす人がそうそういるとも思えないけど、一応念のため行き違いにならないようしばらくこちらへとどまったらどうかというローレシア王の勧めを断ってさっさと出立した。本気で襲われでもしたら国交上ちょっと困るしね。
 次の目的地はリリザの街だ。ロレイソム王子の方も僕を探しているはず、それならどこに行くにも一度は通るリリザで王子を探せばいいと思ったんだ。
 まあそんなこと考えるくらいならあらかじめ待ち合わせ場所を決めておけばいいと思うんだけど、ローレシアもサマルトリアも相手に格下と思われないよう自分から申し入れはしなかったんだ。弱気になっていると思われたくなかったんだろうな。
 それで迷惑するのは僕たちなんだけど……まあ、大した手間じゃないからいいけどね。
 リリザの街は街道の交差点だ。ローレシア、サマルトリアの二国間を結ぶ街道の中間点。
 一応ローレシアに属してはいるけれど、事実上の自治都市だ。貿易の中心点としての財力はちょっとしたもの。
 僕はリリザの一番目立つ宿に部屋を取ると、街中の宿屋と街入り口の検問所に連絡して、スプレッドラーミアの入ったものを持った男が来たら知らせてくれるように頼んだ。あとはロレイソム王子が網にかかるのを待つだけ。
 ロレイソム王子と出会うまでは酒場を回って情報収集をすることにした。一応城下町を歩き回ったことは何度もあるから、そう目立ちはしないはず。スプレッドラーミアを知っている人にはすぐロト三国にゆかりの人間だってわかっちゃうけどね。
 だけど、僕はやっぱり思っていたよりずっと世間知らずだったみたいだ。トラブルに巻き込まれてしまったのだ。
 昼ごはん時、僕が宿屋一階の酒場で集めた情報を整理していると、横合いから声がかけられた。
「なにをぶつぶつ言ってんだよ、ボク?」
 僕は首をかしげて声の方を見た。柄の悪い、乱杭歯のいかにもチンピラという感じの人が二、三人隣のテーブルで酒を飲みながらこっちを見ている。
「うるさかったですか? すいません」
 僕が微笑んで言うと、男の人たちは一瞬息を呑んだ。そして顔を見合わせてなにやら意思を通じ合わせると、にやっと笑い立ち上がって僕を取り囲む。
「おいボク? うるさくした詫びによ、俺たちに酌してくれねえか」
「そのあと俺たちと一緒にいいとこ行こうぜ。俺たちいい店知ってんだよ」
「俺たちの溜まり場この街にあるからよ。店に行ったあとはそこで朝までたっぷりつきあってもらうぜ」
 ………うーん。
 これってもしかして、因縁をつけられているというやつなんだろうか。それとも貞操の危機というやつ?
 どちらにしても嬉しくないなぁ。
「お誘いありがとうございます、でも僕は少し考えたいことがあるので……」
「んだとコラ! 俺たちの誘いを断るってのか、アァ!?」
「ナマ言ってんじゃねぇぞこのガキが」
「なんならここで今すぐ犯したろうか、アァン!?」
 うわぁ、柄悪い。酔ってるのかなぁ、昼間から。
「ちょっと来いや、オラ!」
 ぐい、と手を引っ張られて引きずられる。抵抗しようとしたが、力は男たちの方が強かった。
「あの、放していただけませんか?」
「誰が放すかボケェ、いいからさっさと来いや!」
「カマ掘るぞ、こんガキャア」
 男たちは全員顔を真っ赤にして、嬉しげに楽しげに喚きながら僕を取り囲み腕を引っ張る。本気で酔ってほとんど理性が吹っ飛んでいるらしい。
 あー、これはしょうがないかな、と僕は見切りをつけた。どんなにひどく犯されるにしろ、まさか殺されはしないだろう。怪我は呪文で治せるし、ここは素直に従った方がよさそうだ。
 しかし、初体験に夢を抱いてたわけじゃないけど……しょっぱなから強姦の輪姦とはヘビーだなぁ。
 などと僕が思った瞬間、僕を引っ張っていた男が吹っ飛んだ。
(―――え?)
 僕が目をぱちくりさせている間に横にいた男も吹っ飛ぶ。
「な、な、なんだてめぇはっ! ぶ、ぶ、ぶっ殺すぞ!」
 僕のうしろにいた男がナイフを取り出して喚く。ひゅっと音がして拳が僕のすぐそばを通り抜け、男を殴り倒した。
 もしかしなくても僕を助けてくれたのか、と僕は拳の主に向き直り――

 ―――――全身が、粟立った。

 六尺を軽く超える長身に鎧をまとい、剣を下げ盾を背負っている。全体に蒼を基調にした服を着て、頭には紺碧色のヘルメット。ヘルメットの下から黒い艶やかな髪の毛がわずかにのぞいていた。
 服の上からでもはっきりわかる、逞しい筋肉によろわれた身体。腕も足も僕の倍近く太い。でも筋肉ダルマとかいうのじゃなくて、全体の印象はしなやかだ。若武者。サーベルタイガー。そういう凛々しくて、でも獰猛な名前がよく似合う。
 顔もすごく男らしくてかっこよかった。きりりとした太い眉の下に輝く美しい蒼い瞳はくるんとしていて可愛げがあり、それでいて意志の強さを感じさせて鋭い。すっと通った鼻筋はきれいで、よく日焼けしているのに艶のある肌がよく見えた。大きすぎず小さすぎない薄桃色の唇は一文字に引き結ばれ、彼の感情の苛烈さを感じさせる。
 ――だが、それより、なによりも。
(ああ)
 ―――嬉しくて、泣きたい。
(この人だ。この人に会うために、僕は生まれてきたんだ)
 体中が歓喜の声を上げている。理屈より先に、魂が納得していた。
 この人が、自分の存在理由だと。
 僕はしばし呆然として、それから顔が勝手に笑みを形作った。
「逢いたかった」
 口から勝手に言葉が飛び出る。そう、僕はこの人に会いたかった。
 僕の愛せる人、僕の幸福のすべて。僕がこの世にいてもいい理由。
「探していました……あなたのことを。僕はずっとずっと、あなたに逢いたかった……」
 彼が口を開けて歯をむき出した。白く輝くその歯を見て、なんてきれいなんだろう、と僕はうっとりとする――
 ――そして次の瞬間、目から星が飛び出た。
「いったーっ!」
「探したのはこっちの方なんだよサマルトリアの王子……じっとしてりゃあいいものをうろちょろうろちょろ動き回りやがって……!」
 まだ目をちかちかさせながら(遅まきながら頭に拳骨を落とされたのだと気がついた)爆発寸前の火山みたいな口調で言葉を紡ぐ彼を見る。あ、スプレッドラーミア。それにこの台詞……もしかして?
「……もしかして君って、ローレシアの王子?」
「気づいとらんかったんかい!」
 ゴツン!
「いったーい!」
「なにが『いったーい!』だ、女かてめーはっ! ナヨナヨした顔しやがって、てめえそれでもロトの血引いてんのかっ!」
「引いてるけど、それでも痛いのは痛いんだもん……」
「『もん』とか言うな! 涙目になるな! 男だろうがてめーは! しゃきっとしろしゃきっと!」
「あーっ、男だからってしっかりしなくちゃいけないとかいうのは時代遅れだよ。サマルトリアでは国を守るために兵に志願する女性もいるくらいなんだよ?」
「理屈こねんじゃねえこのガキ! 俺はてめえみたいな奴が一番嫌いなんだ! 覚悟はいいな……この三週間振り回されまくった礼を数倍にして返してやるぜ……!」
「いたたた、痛い、頭痛い、ぐりぐりしないで、痛い痛い!」
 頭に逞しい拳でぐりぐり攻撃をされながら僕は考えていた。そうか、彼はローレシアの王子だったのか。うわぁすごいラッキー。これからしばらく、場合によっては数年単位で一緒にいられるなんて。
 でも『一番嫌い』かー……どんなに嫌われても僕は彼のことが好きだけど、やっぱりへこむなあ。僕はもう彼のことが好きで好きで、話しながら顔が笑えて笑えてしょうがないくらいなのに。
 まあいいや。先は長いんだし、これから少しずつ好きになってもらえば。うわ、好きだなんて好きだなんて恥ずかしい。彼が少しでも僕のことを好きになってくれたらどうしよう!? 嬉しすぎて死んじゃうかも。
 しばらく僕の頭をぐりぐりして、ローレシアの王子――ロレイソムはぶすっとした顔で手を放し言った。
「で。確認しとくが、お前もハーゴン討伐のために城を出たんだな?」
「うん、もちろん!」
「世界を救うために命を張る覚悟なんだろうな。泣き言も言わず、弱音を吐かず、なんとしてもやり遂げる気持ちがあるんだろうな?」
「うーん、命をチップにするって考え方にはあんまり賛成できないけど。泣き言や弱音は時々言うかもしれないけど。でもなんとしてもやり遂げるって気持ちはあるよ」
 ロレイソムはしばらく疑惑の目で僕を見ていたけど、やがてため息をついて言った。
「わかった。とりあえず、他にいないんじゃ仕方がねえ。お前を仲間にしてやるから、キリキリ働けよ」
 …………! 仲間! 仲間だって! 彼が、僕のことを仲間だって!
「うん! うんうんうん、僕頑張るよ、よろしくね!」
「お、おう。……聞くの忘れてたけど、お前の名前は?」
 え? 隣国の、それも親戚筋の国の王子の名前を知らないの? ……世間知らずなのかな?
 そんな考えもちらりと浮かんだけど、それよりも彼が名前を聞いてくれたことが嬉しくて僕はにこにこ笑いながら答える。
「僕の名前はサウマリルト・エシュディ・サマルトリアだよ。サウマリルトが個人名、エシュディは洗礼名ね」
「長えな。俺はサマって呼ぶぜ」
 …………! 彼が……彼が僕にあだ名をつけてくれるなんて………!
「うん! サマって呼んでね!」
 ……そうだ! せっかくだから、僕も彼に僕しか呼ばないあだ名を……!
「あの、あのね。あの……僕も、君のことをロレって呼んでいい? ロレイソムだから」
「……まあ、いいけどよ」
 困惑したような顔で頬をかくロレイソム――ロレ。きっとそんな風に呼ばれたこと、これまで一度もないんだろうな。
 えへへ。ロレ。ローレ。ロレー。僕だけの、彼の名前。
 それが嬉しくてにこにこしていたら、なに笑ってんだと拳骨を落とされた。

 それから、僕たちはとりあえず街の外に出ることにした。実戦で僕の腕がどのくらいか試すんだって。
 でもこの三週間まったく魔物に出くわさなかったわけだし、実戦っていったって難しいんじゃないかな、と僕は内心思ったんだけど、はっきり言ってそんな心配は全然無用だった。
 これがもうあとからあとから出てくるわ出てくるわ。スライム、お化けナメクジ、アイアンアント、ドラキー、幽霊、エトセトラエトセトラ。
 これはやっぱり精霊ルビスさまのお力かなあ、と僕は必死に魔物の相手をしながら思っていた。僕らに経験値を与えるための。
 しかしこれはいくらなんでもやりすぎのような気が。ほとんど十分に一度の割合で魔物の群れが出てくるんだもん、休む暇もありゃしない。ルビスさまのご加護がなければ疲れて動けなくなっていただろう。やっぱりロレと一緒にいるからだな。この旅は彼が主人公なんだ。彼を中心にして物語は回っている。
 ……えへへ、なんだか嬉しい。ロレが主役なんだ。僕はロレの命令に従って動く存在なんだ。
「おら、なにやってんだボケっとすんな!」
 ロレに怒鳴られて、僕は慌てて剣を振り回した。次々と襲いくる魔物の群れに、ロレも必死とは言わないまでもそれなりに真剣に戦っている。
 その激しい剣の動きに、僕は見惚れた。速さや細かい技は僕よりいくぶん上、程度のものだったかもしれない。だが、彼の力は桁外れだった。相手の防御を力で容赦なく打ち破る剛の剣。技巧もへったくれもないその戦い方は、ロレの苛烈な目つきも手伝って、猛る獣のようで、本当に――きれいだった。
 思わずうっとりとロレを見つめる僕を、ロレは睨みつけて怒鳴った。
「なにぼーっとしてやがる、戦いに集中しろっ!」
「はーいっ!」
「はいは伸ばすな!」
 そんな会話も嬉し楽しくてたまらなかったけれど、ロレに見限られるのは絶対に嫌だから僕も戦闘に神経を傾けた。僕の力じゃやっぱり魔物を一撃で倒すことはできなくて、どうしても何発も攻撃を受けてしまう。
 ……つっ、幽霊の拳もろにくらっちゃった。肋骨が二本ほどいったな……アイアンアントの牙が腹を抉った。これは内臓傷ついたかも。
 実戦って初めてだけど……やっぱり痛いなあ。この調子で何発か食らったら死ぬんだろうな。実戦の緊張とかは感じてる暇がなかったけど、実戦の怖さはよくわかった。
 でも僕はぎりぎりまで治療を控えるつもりだった。魔法力は節約しないとね。
 ああ、ロレと少し離れちゃった。すぐにでもロレのところに駆けていきたいけど、魔物たちが壁になっていて果たせない。必死に攻撃するけどそう簡単に倒れるわけがなくて、僕はロレからどうしても離されてしまった。
 ああ、ロレ魔物たちをちぎっては投げちぎっては投げってやってる……僕のことなんかもう意識の外にいっちゃってるんだろうなあ。
 ん………? ! 魔物たちがロレに集中攻撃して……右腕と左足を大きく切り裂いた!
 がくり、とロレが大地に膝をつく。そこを狙って、幽霊が攻撃しようとしている……!
 衝撃とか恐怖とかそんなもの感じている暇はなかった。僕は自分の防御なんて考えもせずに呪文を唱える。
「人の心身癒す精霊たちよ、我が言葉と力に従いてかの者の傷疾く癒したまえ!=v
 僕の視線の先でロレが立ち上がった。剣を振り回して攻撃を受け、逆に幽霊を切り裂く。
 ホイミが無事かかったんだ、と僕は心底安堵し――その隙にドラキーに肩を切り裂かれた。痛い……。
 剣を振るってドラキーを倒そうとしていると――目の端で、ロレが――僕の方に、ぐっと腕を突き出して親指を立てた。
 ―――これって………もしかして………
 ありがとうの印だよね。共に戦うものとしての感謝の印……つまりつまり、僕を、少しでも認めてくれた!?
 僕は思わずぶわわっと泣きそうになってしまったけど、戦闘中に泣いてる暇はさすがにない。嬉し涙をこらえて剣を振るう。
 でも、僕は浮かれまくっていた。魔物たちにびしばし攻撃を受けて骨が折れても肉が切り裂かれても気にならなかった。
 う……うっれし――――っ!!

「――そろそろ帰るぞ」
 剣をぴっ、と振って血を払い、荒い息をつきながらロレが言った。もう時刻は夕暮れ、リリザの街からはだいぶ離れてしまっている。
 僕はにこにこしながらうなずいた。あれからも僕は何度もロレを回復したり、ロレの援護をしたりできたんだ。すごく嬉しかった。
 ロレを回復するのに夢中で僕は一度も回復してなくて、骨もあちこち折れてるし傷もズキズキ痛むけど、そんなことはどうでもいいことだった。
 ロレの役に立てたって思えることは、これまでのどんなことよりも嬉しい経験だったのだから。
「リリザの街まで歩いて帰るの?」
 僕がルーラしようか、と言うつもりだったんだけど……ちょっと、魔法力が足りないな。
「いや、けっこう離れたからキメラの翼を使う。この前宝箱から手に入れた」
 うーん、ちょっともったいない気もするけど……まあいいか。
 キメラの翼を取り出すロレに、僕は近寄って――はっと気づいた。
 どこを持てばいいんだろう!?
 キメラの翼は基本的に一つで同行するもの全てを持っていくことができるけど、やっぱりできるだけ近く、接触した方がより運びやすい。つまり僕もロレの身体のどこかに、ふ、ふ、触れた方がいいわけで………
 わわわわわわわ、どうしようどうしようどうしよう!? ロレに触れるなんて、うわあめちゃくちゃドキドキする〜! どこを触ればロレが喜んでくれるかな!?
 僕が顔を真っ赤にしてうろたえていると、ロレは苛立たしげに怒鳴った。
「なにやってんだ、さっさとこっち来い!」
「う、うん!」
「ったく、トロくせえな」
 こっち来い! だなんて……! ロレが僕をそばに呼んでくれるなんて、うわあ……うわあ、すごく嬉しいドキドキするー!
 とか思いながら、僕は顔を真っ赤にしてロレに近寄り、一瞬迷ったものの結局ロレの服の裾をきゅっと握った。えへへ、ロレの服触っちゃった。
 ロレがキメラの翼を天に放り投げる――同時に僕たちも天高く舞い上がった。あくまで魔法的なもので、本当に体が宙に浮いてるわけじゃないけどね。
 とにかく一瞬で僕らはリリザに着いていた。ロレは辺りを見回すと、僕の方を見もせずにまっすぐ宿屋に向けて歩いていく。
 僕もそのあとを追おうとして一歩を踏み出――
 あれ。頭が回る。
 なんだかどんどんふわあーっと体が浮くような感じになってくる。周囲が暗くなってすうっと景色が頭の上に飛んでいく。
 あ、これって僕が倒れようとしてるのかなー、とちらりと思ったのを最後に、僕の思考は途絶えた。

 次に目を開けると、知らない人が僕の顔をのぞきこんでいた。
 誰だろう? と思いつつもとりあえず緩く微笑んでみると、その人はちょっと顔を赤くして、それから後ろを向いて怒鳴った。
「おい! 目を覚ましたぞ!」
 そう言って僕のそばから離れていく。体は重かったけど、それでものろのろと声の先に視線をやると、そこにいたのは――ロレだった。
「…………」
「…………」
 ロレは無言で僕の寝ているベッド(僕はベッドに寝ていたんだ)に近寄り、どすっと脇の椅子に腰を下ろす。僕はどういう状況なんだろう、って必死で考えて、もしかして僕が倒れたからロレが病院かどこかに運んできてくれたんじゃないか、って気がついた。
 おそるおそるロレの様子をうかがうと、ロレは苦虫を噛み潰したような顔をしてこっちを睨んでいる。ううう、怖い。
 それに悲しい。僕、ロレに迷惑かけちゃったんだ。
「………ごめんね」
「………なにが」
「……ロレが、ここに運んできてくれたんでしょう?」
「……ああ」
 ううう。足手まといになっちゃったよう。僕はロレの邪魔にだけはなりたくないって思ってるのに。
「ごめんね……迷惑、かけて」
 僕の顔はたぶん泣きそうだったと思う。ロレはすごく困った顔をして、そっぽを向いて、しばらくしてからもう一度こっちを見て言った。
「お前、なんで自分に回復魔法かけなかったんだ」
「………え」
「俺の怪我よりお前のがよっぽどひでえじゃねえか。だったらどうして俺にばっかり呪文かけて自分にはかけなかったんだよ?」
 あ……そうか、僕にもホイミかければよかったんだ。そうすれば意識を失うことなんてなかっただろうに。僕ってバカ。
 僕は困ったけど、結局正直に言った。
「ロレを回復するのに手一杯で、自分まで手が回らなくて」
「アホか! てめえが死んだら元も子もねえだろうが! 回復役のてめえが潰れたら回復できなくなんだぞ!」
「あ、それは心配ないっていうか、気にすることないよ。どっちみちもう魔法力残ってなかったもん」
「…………」
 ロレは僕を睨んだ。僕は困ってしまったけど、なんでロレが怒っているのかよくわからなくて見返すしかできない。
 ――それに、こんな時でもロレが僕を見てくれるのは、僕がロレを、ロレの瞳を見つめることができるのは、とても嬉しかった。
 やがて、ロレははーっ、と息をついて、仏頂面で言った。
「意地を張り通せる根性だけは、認めてやる」
 え……
 ロレが……
 僕を……
 認めるって、言葉に出してくれた………!
 僕は顔中に笑みが広がるのを感じた。嬉しくて嬉しくて笑みを抑えきれない。
 仲間として……一緒に旅をしてもいいって、認めてくれたってことだよね。
 嬉しい………!
 きっとこれが、僕のこの気持ちが幸せだってことだろうな、って思いながらロレを見ていると、ロレは居心地の悪そうな顔をして立ち上がった。
「いいから寝ろ。寝りゃ魔法力回復すんだろ、自分に回復呪文かけて、明日になったらさっさと出立するぞ」
「うん」
 僕はロレが部屋を出るまでずっと見送って、それから目を閉じた。
 生まれて初めての、泣きたくなるような幸福にうずもれた眠りが訪れるのは、そう遠くなさそうだった。

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