瑞夢〜ハッサン・4
「くうう〜っ! また新たな土地での戦いが始まるぜ!」
 身体の底からなにか――わくわくした気持ちやぞくぞくするような喜びが湧き上がってくるのに耐えかねて、ハッサンはがつがつと両の拳を打ちつけた。体中の血が浮き立って、とてもじっとしていられない。
 と、ローグがちろりとこちらを見て、いつものように憎まれ口を叩いた。
「お前が脳筋なのはいつものことだが、いつからそこまで変態になった」
「はぁ!? なんだよいきなり人を変態呼ばわりしやがって」
「バトルジャンキーってのは少なくとも俺的には充分変態の範疇だ。わざわざよその土地にまで行って命がけの戦いにわくわくするなんぞマゾにもほどがあるだろが」
「ばっかやろ、こーいう心は男だったら誰でも持ってるもんなんだよ! 知らない土地に行って、知らないもんを見て、強い敵を倒す! そーいうことに興奮しねぇのかよてめぇはっ」
「…………」
 ローグは一瞬ハッサンをじっと見つめてから、げしっとハッサンの向う脛を蹴り飛ばした。
「ってぇっ! てめぇ、いきなり人の脛蹴るのやめろっての!」
「そーいうことが言いてぇなら戦いだなんだと言わずに『冒険心が疼く』ぐらいのことは言いやがれ。言葉知らずにもほどってもんがあるだろが、コミュニケーションってのは相手に伝わらなきゃ意味がねぇんだぞ」
「ぽんぽん人の足だの尻だの蹴り飛ばす奴に言われたくねぇっての!」
「っていうかさーっ、ハッサン、男だったらってなにそれっ! 女の子だってそういう気持ちちゃんと持ってるんだからねっ」
「え、あ、そ、そっか、悪ぃ……」
「まったくだ。伏して詫びろよ、鶏頭モヒカン」
「てめぇに偉そうにされる筋合いはねぇっつーのっ!」
 ローグと足を蹴り合ったり頭をぐしゃぐしゃにしたりとじゃれ合って、バーバラに割って入られて、またローグとやり合って。そんな自分たちをミレーユが微笑みながら見つめている。
 これまでの旅の間でも何度も繰り返した、そして出会ってからそう長い時間が経っているわけでもないのにひどく馴染んだ感じのする、そんなやり取りをしばらく続けてから、自分たちはそろって吹き出した。
 ここはレイドックの北、自らを神の使いと称するゲント族の土地に続く関所で、これからゲント族たちに神の船を貸してもらい、本物の魔王ムドーに戦いを挑もうとしているところだというのに――自分たちの間にあるものはまるで変わっていない。

 上の世界――グランマーズによると夢の世界だということらしい自分たちのいた世界のムドーを倒したあと、自分たちは呪文――ルーラとリレミトを駆使してレイドックまで戻ってきた。最初は上の世界のレイドックへ、そしてすぐに下の世界のレイドックへと。
 ムドーを倒したあとの展開には、ハッサンも正直開いた口がふさがらなかった。ムドーを倒したあと、ラーの鏡の光を浴びせるとムドーは冠をつけた壮年の男へと変わってしまった。そこにまるで計ったかのようなタイミングでソルディ兵士長率いる兵士の一団が到着し、男とシェーラを連れてレイドックに戻っていったのだ。
 そこのあたりもハッサンとしてはなにが起きているのかさっぱりわからなかったというか、まるで男がソルディ兵士長に向けて、それが当然のことであるかのように命令していて、男が実はレイドック王だとかなんとか言われて、正直わけがわからないとしか言いようがなかったわけだが。
 それでもムドーを倒したという結果はレイドックには伝わっていたのだけれども、レイドック王と名乗ったあの人物はそこには帰っていなかった。困惑するハッサンをよそに、バーバラは珍しくなにやら考え込んでいた――と思ったら勇んで告げたのだ。
「わかったわ! あの時王さまは城に来いって言ったわよねっ。あれは別にウソじゃないんだよ。だから、城に行けばいいのよ! ねっ、ローグ。もうわかったでしょ?」
 一瞬ぽかんとしたが、ハッサンもしばらく考えてようやくわかった。レイドック王が来いと言っていた城は、彼が本来いるべき場所である城の方なのだ。まさに天啓が下りたという気分で膝を打ったが、まあハッサンの考えつくようなことはさすがに最初からわかっていたのだろう。ローグはあっさりうなずいてこう言った。
「そうだな。確認も終わったし、さっさと行くとするか」
 なんだよここには単に確認に来ただけなのかよならそう言えよ、という気もしたが、ようやくレイドック王に会えるという事実を前に気分が浮き立っていたハッサンはそれには特に突っ込まなかった。ルーラで下の世界へ移動し、そこからもう一度ルーラでレイドックへ。地底魔城での戦いでバーバラもルーラを覚えていたので、移動をローグだけに任せなくてよくなっていたというのも大きいかもしれない。
 そして下の世界のレイドックで、自分たちはずっと眠っていたレイドック王と王妃が目覚めたことを知った。そして一度(偽王子として振る舞ったという罪で)牢屋に入れられはしたものの、すぐに外に出され、レイドック王に謁見することができたのだ。
「なにやら部下に不手際があったようだが、許してほしい」
 玉座の上で、豪奢な衣服を身にまとった、重厚な雰囲気の壮年の男は顎髭を撫でながら考え深げに言ってきた。
「ふむ、そなたたちか、偽の王子をかたった者は……。確かに我が息子に似ているな。そして――夢のなかでわしを助けてくれた者にも……」
 半ば独り言のように、自分に言い聞かせるように言ってから、身を乗り出して続けた。
「ずばり聞こう! 王妃とともに、ムドーとなったわしの前に現れたのは……そなたたちじゃな?」
 その問いに、ローグは礼儀正しく見ようによってはつつましやかと言っていいほどおとなしく、謁見の間にふさわしい物腰で膝をついて目を伏せながら静かに答えた。
「は。王のお考えの通り、あの夢の世界で陛下の御前に参りましたのは、我々にございます」
 その答えに、レイドック王は目を輝かせて膝を打った。
「おお……やはりっ! するとあれは夢であって夢ではなかったということか。ふーむ……。どうしてあんなことになってしまったんじゃろう」
 それからレイドック王はムドーとなったいきさつを話してくれた。魔王ムドーとの決戦のため、船でムドーの居城へ向かった際に、突然不思議な空間が出現して、気づいたら夢の世界で魔王ムドーになってしまっていたのだという。
「わしをあの悪夢から救ってくれたそなたたちには感謝の言葉もない。もしそなたたちが来てくれなかったらわしはあのまま魔王ムドーとして……夢の世界の住人たちを苦しめ続けていたであろう。心から礼を言うぞ」
 それから王は『少し外の空気を吸ってくる』と(なにやらローグと囁き交わしたあと)一度謁見の間から出ていった。自分たちも自然と退出することになったのだが、ローグは王妃シェーラ(彼女がなぜ上の世界でレイドック王だったのか、ハッサンにはさっぱりわからなかったのだが)をはじめとして、何人かとなにやら話していたようだった(ハッサンには(そばで聞いてはいたのだが)どういう話かよくわからなかったのだが)。そのあと自分たちも外――というか、城の二階の回廊に出て、その人気のない場所で南の空を見つめていたレイドック王と話し合ったのだ。
「来てくれたか。わざわざすまんな」
 レイドック王はやや力なく笑った。ローグがそれに「お気になさらず。私も陛下と余人を交えずお話しできたらと思っておりましたので」と静かな表情と返したのを聞いて、ようやくこの二人の間ではここで話をすると合意が取れていたのだとわかったのだ。
「話というのはほかでもない。魔王ムドーのことだ。そなたたちのおかげで、夢の世界のムドーはもういない。しかしこちらの世界のムドーは日増しに強大な存在へとなっていっているようなのだ。このままにしておけばやがて世界はムドーの手におちてしまうだろう。しかし今ならまだ間に合うはず! お願いじゃ。わしに代わってムドー討伐に行ってもらえないだろうか? 夢と現実、ふたつの世界を行き来できるそなたたちならまやかしにも耐えられるはずじゃ。頼むっ! このとおりじゃ!」
 そうじっとレイドック王に見つめられながらも、ローグは微塵も表情を揺るがせず、落ち着いた表情で答えた。
「つまり、我々だけで魔王ムドーと戦え、と?」
「うむ……」
「世界に冠たる大国レイドックの軍勢をもってしても倒すことのできなかった魔王。それに、我々四人だけで対抗することができる、とお考えなのですか?」
「……うむっ! そなたたちならばできる、とわしは信じておる! そなたたちの目には、ただびととは違う光がある! 選ばれし存在であるそなたたちにならば……いや、そなたたちにしかできぬ、とわしは思うておるぞ!」
「――――」
 ローグは一瞬目を閉じて、息を小さく吸い込んだ――と思うや、いつもの爽やか好青年らしい外面で、にっこり微笑んで答えた。
「陛下。委細承りました。ご下命、身命を賭して果たしてごらんにいれましょう」
 その答えに、レイドック王はまさに喜色満面、という顔で膝を打った。
「そうかっ! そなたたちならきっと引きうけてくれると信じていたぞっ! ところで実は……」
「ムドーの居城に向かうための方法、ですか? 現在レイドックが所有していた船舶は、すべてムドーの力によって海に沈んだとうかがっていますが」
「うむ……この城には……もう船はないんじゃ。じゃが心配はいらんぞ。そなたらはゲント族という民族を知っておるか?」
「はい。レイドック北方の領土に住む、癒しの力を持つといわれる民族ですね?」
「その通り。彼らは神の使いとされ、彼らの神殿には神の船とよばれる船が祭られているのじゃ。神の名を冠されるほどの船ならば、ムドーの力に対抗することもできるはず! ここにわしが書いた紹介状がある。これを見せればきっと船を貸してくれるじゃろう」
「拝領いたします」
 そう言ってローグは、レイドック王の書状をうやうやしく受け取った。
「ゲント族の村はここより北の山の中。北の山に入る関所をそなたたちのために開かせよう。気をつけて行くのじゃぞ」
「はっ」
 そう言って踵を返し、レイドック王から離れるや、自分たちは口々に言った。
「ゲント族の神の船か! なんだかすごいことになってきそうだな!」
「善は急げね。北の関所に向かいましょう!」
「ゲント族って怖い人たちじゃないよね? 神の使いって言ってたもんね」
 そんなどこかうきうきした空気の中、ローグはちっと舌打ちし、ぐるりと自分たちの方を向いて仏頂面で訊ねてきた。
「お前ら、本気であのボケ王の命令を聞く気か?」
『へ?』
 思わずバーバラと声を揃えてそう返すと、ローグはあからさまに不機嫌そうな顔で矢継ぎ早に問いを投げかけてきたのだ。
「お前ら、常識で考えるってことを知らねぇのか。曲がりなりにも一軍を滅ぼすだけの力のある相手に、今の俺たちが正面からぶつかっていって本気で勝てると思ってんのか? そりゃあ俺たちが弱いたぁ言わねぇが、世界有数の大国レイドックの一軍を相手取って戦えるほどじゃねぇだろが。それともお前ら、自分が軍隊とやりあって勝てるほど強ぇとか勘違いできるほど脳味噌あったかいのか?」
「……えっと、つまりよ。お前は俺らに、ここで降りろ、っつってんのか?」
 目をぱちぱちとさせるバーバラの横で、ぽりぽりと頭を掻きながら訊ねると、ローグはさらに不機嫌そうに言ってきた。
「てめぇの去就ぐらいてめぇで決めやがれ。俺は単に国王に命令されたってだけでほいほいたった四人で魔王なんぞと戦う気になってるお前らの頭の程度を疑ってんだよ」
『…………』
 数瞬きょとん、とバーバラと顔を見合わせてから、ハッサンは思わずぷっと吹き出してしまった。
「なんだよ、お前、要するに俺らのこと心配してんのか?」
「……あぁ?」
 ローグは死ぬほど不機嫌な顔でハッサンを睨んできたが、ハッサンは特に気にならなかった。ローグがそんな顔はいつものことだし、こいつと喧嘩するのも別に嫌というわけじゃない。
「てめぇの脳味噌はぬるま湯ゼリーか。俺はお前ら正気か、って聞いてんだよ。曲がりなりにも世界を相手取れるような奴と、たった四人で戦って勝てると思うほどお前ら自信過剰なのか命知らずなのか考えなしなのか、ってな」
「まぁなんでもいいけどよ。じゃあなんで上の世界のムドーとはあっさり戦ったんだよ。あの時だってソルディ兵士長の命令で戦っただろ?」
「あの時も充分お前らの正気は疑ったがな。シェーラって明らかに謎の力を持った相手が一緒に来る以上、少なくともなにかが起きるのは確かだと思った。俺たちが死ぬ可能性もそれなりにあったが、状況を動かすきっかけにはなると思ったからな。その上俺は上の世界では兵士だ、たとえ自殺としか思えない命令でも従わなきゃどうしようもねぇ身分だろが。だがこっちじゃ違う。レイドックの王だろうが誰だろうが命令される筋合いはねぇ身の上だ。だってのになーんにも考えず、頼まれたからってほいほい言うこと聞くのかよ、お前らは」
「……ローグだって言うこと聞いてたじゃん」
「あそこは受けねぇとどうしようもねぇ場面だっただろが。ここはあの国王陛下のお膝元なんだからな。が、かといって言う通りに動く必要はねぇ。仕事として前金を渡されたわけでもなく、言うことを聞かざるを得ない義理があるわけでもない。だってのにほいほい言うこと聞く必要がどこにあんだよ。だから聞いてんだ。お前らは本気で、このままあの陛下の言うことをほいほい聞いて死地に向かうつもりなのか、ってな」
「え、えっと、ええと……」
「ああ。当たり前だろ」
 戸惑うバーバラをよそに、ハッサンはあっさりと答えた。ローグがぎろり、と睨みつけてくるが、気にせず続ける。
「だってよ、本気でまるっきりかなわねぇ相手なら、そもそもお前が王さまのお願い受けるわけねぇだろ。形だけでも受け入れたからには、少なくともやりようによっちゃそれなりに勝ち目がある、ってお前は思ってんだろ?」
「…………はぁ?」
 ローグは一瞬目を見開いてから、すぐにまたひどく不機嫌そうな顔になって吐き捨てるように言った。
「どっからそんな考えが出てくんだ。俺はいつからお前の脳味噌の代わりになった」
「別に代わりにしてるわけじゃねぇけどさ、こっちの世界の魔王ムドーの強さがどんくらいかなんて、はっきり言って俺にゃあさっぱりわかんねぇし。上の世界のムドーよりゃそれなりに強ぇんだろうなってくらいで、そんくらいならやってやれねぇこともねぇだろうと思うしな。んで、俺はお前が、どんな相手に頼まれようがやる気もねぇ依頼を受けたりはしねぇってことくらい知ってるしな」
「…………お前にあっさり見切られるほど底が浅い人間になった覚えはねぇがな」
「なんだよ。違うってのかよ?」
「………………」
 ローグはまた小さく舌打ちをし、バーバラの方に向き直った。
「バーバラ。お前は、本当にいいのか? 魔王ムドーなんて相手と、別になんの義理もない相手に頼まれたからってだけで、命を懸けて戦うなんてことになっても」
「え!? え、えっと……うーんと……。………うん」
 少しうんうん唸って悩んでいたが、バーバラはすぐにこっくりとうなずいた。じっと真剣な顔で見つめるローグに、必死になりながら説明する。
「え、えっとね、あたし、難しいことちゃんとわかってるわけじゃないけど、ハッサンが言ってたみたいに、ローグがやる気のないお願い聞いたりしないっていうのはほんとだと思うんだ。それに、ローグだったら、勝てない相手と戦ったりしないっていうのもほんとだと思うし……そりゃ、あたしは、ローグがなに考えてるかとか、全部ちゃんとわかるわけじゃないけど……ローグがあたしたちを大切にしてくれてるっていうのは、ほんとのほんとに、わかるから。だから、あたしは……ローグたちと一緒に行きたい、です」
 真剣に、必死にそう言い切るバーバラに、ローグは小さくため息をついてから、くしゃりとバーバラの頭を掻き回した。わひゃ、と頭を押さえるバーバラをよそに、ミレーユの方に向き直る。
「ミレーユ。お前はいいのか? ……本当に」
「……ええ。私には私なりに求めるものがある。それはたぶん、ムドーを倒した先にしかないものだと思うの。それに、ムドーと戦って勝ち目がないとも思わないわ。私たちは夢と現、二つの領域にまたがって在るもの。そして、真実を照らし出すものを持っている。ムドーの妖しの力に対抗できるのは、たぶん、世界中でも私たちだけ――これは私たちがすべきことだと思うの。他の人に任せていいことでは、ないのじゃないかしら」
「そうそう! 向こうは世界を征服しようとしてんだ、王さまに頼まれなくたってここはいっちょやるしかねぇだろ!」
「そ、そうだよねっ。あたしたちだって世界の一員なんだし、世界を救おうとするのとか当たり前だしっ」
「そういうこった! 本物のムドーに、俺らの正義の拳ってのを叩き込んでやろうぜ!」
「………………」
 小さくは、と息を吐いてから、ローグはふんと鼻を鳴らしてこちらに背を向けた。
「あ、ロー……」
「やると決まったんだったらとっとと旅の準備をするぞ。ゲント族の村までは道が整ってるから寄り道をしなけりゃ数日で着くが、街の外だってのには変わりねぇんだからな」
 そう言ってすたすたと歩き出すローグに、ハッサンとバーバラは思わず顔を見合わせ、ミレーユとも笑みを交わしあってから、ぷっと吹き出してしまったのだ。

 そして自分たちは今、ゲント族の村に向かう道の途中にいる。これまでに何度か魔物の襲撃はあったが、どいつもさして強くはなかった。たいていはこれまでに出会ったことのある敵だったし、余裕をもって対処ができる程度の相手ばかりだ。
 自分たちはたいてい、馬車の周りを歩きながらそれぞれ会話をかわしているのだが、この旅の間の話題はもっぱらゲント族とその船に関してだった。ゲント族という人々がどういう相手なのか、詳しく知っている人は誰もいなかったし、首尾よくいけば命を預ける船になるのだ、どんな船なのか気になるのは当然だろう。
「ゲントの村……関所の兵士はレイドック城のずっと北だと言っていたな」
「神の使いゲント族……どんな人たちなのかしら」
「関所の兵士さんは気難しいって言ってたよね。あたしちょっと心配だな……でも、神の船っていったいどんな船かな……。それはちょっと楽しみ!」
「ま、神とまで名付けるような船だ、それなりの由緒はあるだろうさ。実際に神さまからもらった船だってこともありえるしな」
「え……ええっ!? 神さまって、あの神さまに? 本当にそんなことってあるの?」
「ゲント族の神ってのがどんな代物なのかにもよるがな。基本的に、この世界の神さまってのは地方によって全然違う。たとえばサンマリーノで崇められてるのは海の神だし、レイドックでは職業神やら豊穣の神やらいろんな神を習合させたものが教会でひとつの神≠ニして扱われている。俺の故郷……ライフコッドみたいに山の精霊が神さまだったりするところもあるしな」
「え? ええと……それってつまり、どういうこと?」
「神さまってものが本当にいるかどうかってのは、その神さま次第ってことだ。少なくともライフコッドで、俺は山の精霊さまがターニアに乗り移るところを見たしな」
「え……ええぇーっ!? ほ、ホントにっ!? そんなことってあるのっ!?」
「あるから俺がこうして旅に出てるんだろが。俺が旅に出たのはその精霊さまにお告げを受けたから、ってのが一番大きな理由なんだからな」
「へぇー……」
「……って、本当かよ!? そんな話全然聞いたことなかったぜ?」
「お前らも聞いてきたりしなかっただろが。ま、他にもいろいろ理由はあるけどな……っ、と」
「どうした」
「見えてきたぞ。あれがゲントの村だろう」
『おぉっ!?』
 ハッサンはバーバラと声を揃えてローグの指差した先を見つめてしまった。まだずいぶんと距離があるにもかかわらず、見上げるほどの高さを持った山脈を背後に抱いた丘陵地帯。そこに豊かな森を作っている木々に溶け込むようにして、明らかに人の手による村落があった。
 ちょうど昼時だからだろう、あちらこちらから炊事場のものらしき白煙が立ち昇っている。山間、というかちょうど盛り上がった丘と丘の間にひっそりと作られたその村は、その白煙といい、周囲の地形を利用して外敵を防いでいるところといい、入り口の垣根といい、に広がる畑や牧場といい、一見したところどこにでもある村のように見えた。
 が、近づくにつれ、これはちょっとそういうものとは違うぞ、という気がしてきた。まず単純に広さが違う。山間にあるのだから決して土地をいくらでも使えるわけではないだろうに、ひどく作りが広々としているように思える。少し観察して、つまりこれは丘を切り開いて土地を作ったのだ、と気づいて仰天した。
 のみならず、雰囲気が普通の村とはまるで違った。空気がひどくしんとしているというか、人の気配は感じられるのにあまり生活感がない。神殿というほどではないが、自然と声を抑えてしまうような、なんというか神聖な雰囲気がある。それは家々に象られたいかにも宗教的な装飾のせいかもしれなかったし、村の奥にどんと控えている巨大な神殿のせいかもしれなかったが、ハッサンにはどうも村の中を歩いている村人のせいのような気がした。
 見たところはごく普通の村人で、神官のような格好をしているというわけでもないのに、彼らの周囲の空気はひどく静かだった。動き方のせいか、声のせいか、それはよくわからなかったが、彼らは全員が高僧かなにかのような、ミレーユやグランマーズの雰囲気にも似た一種独特な気配を身にまとっている。
 村に入り、入り口近くの宿屋に馬車を預けて、久々のまともな場所での食事に舌鼓を打ってから、村を歩き回ってそんなことを言うと、ローグは小さく肩をすくめてこう答えた。
「お前にしちゃ的を得たことを言うな。実際、この村の人々はそういう代物でもあるらしいからな」
「へ、そういう代物って?」
「お前がさっき言っただろが、高僧かなにか≠セよ。この村に生まれた人間――ゲント族は、どいつも物心つく前から僧としての修業を受けるらしい。そもそもがゲントが一族として確立した理由からして、神代の昔に、ゲントの神に、自らに仕えるよう使命を与えられたせいってのが一番でかいくらいだから、ゲントの民が自分たちを神の使いとの名乗るのにゃあそれなりの由緒ってのがあるんだ」
「へ? なんだよローグ、お前そこらへんのこと知ってたのかよ? それなら俺たちが放してる時に教えてくれたってよかったのによ」
「は? 人の知識をタダで教えてもらうのが当たり前なんぞと考えてるんだったら一度寺子屋からやり直せ。人が身に着けた価値ある知識ってのは、基本代償を払ってしかるべきもんなんだよ」
「え、だって今話してるじゃ……」
「これは単に俺が今気が向いただけだ。俺が持ってるもんをどう使うか、なんぞ基本俺の自由だろが」
「はいはい……ったく、お前はほんっとに、どこ行ってもへそ曲がりだよなぁ」
「当たり前だ。……とにかく、ゲント族ははるか古に神から与えられた我に仕えよ≠チつう使命を、後生大事に今も守り続けている。そのせいかどうかは知らんが、一族揃って強い癒しの力を持ってるらしくてな。一族すべてが癒しの力を持てるってことは、一族の血にそれだけの力が宿ってるってことでもあるだろうが、教育を受けた者全員にそれだけの精神性を持たせるだけのノウハウが確立されてるってことでもある。つまり、ゲント族ってのはどいつもこいつも、他の土地じゃ高僧と呼ばれるだけの高徳の持ち主なんだとさ。ま、聞いた話だけどな」
「そうね。ゲントは一族すべてが強い癒しの力と、僧と呼ばれるに足るだけの戦力を持っているから、過去に周囲の国々からどれだけの干渉を受けようとすべて跳ね返してこれたのだと聞いているわ」
「へぇ……すげぇなぁ。ゲントってすごいところなんだな」
「そうだよねぇ。住んでる人たちの顔つきも違うしね。みーんな、頭よさそうだよ」
 そんなことを話しながら、(神の船≠ノついての責任者がどこにいるかわからなかったので、とりあえず)お参りも兼ねて村の奥の大きな神殿に向かうが、神殿の中に入ることはできなかった。
「ここは我がゲントの神の船をまつる聖なる神殿。長老さまの許しなき者を通すわけにはいかぬ。どうかお引き取りを!」
 そう居丈高に剣突を喰わせられて、ハッサンも思わず鼻白んだが、ローグはにっこり微笑んで、「そうですか。では出直してまいります」と素直に引き下がった。その裏で内心相当むかっ腹を立てているだろうことはハッサンにも想像がついたが、ハッサンも正直腹を立てていたのでいちいち指摘はしない。
「なんだ、チェッ! 入れてくれないのかよ」
「ここにはお参りできないのかなあ」
「お参りは向こうの別殿でするんじゃないか。もともと由緒正しい神殿ってのは、本殿の中身を見せたりはしないもんだ」
「お前んなこと言ってるけどよ、顔があからさまに不機嫌だぞ?」
「は? 阿呆かお前。そんなもんを見抜けるのはお前らぐらいのもんだ。この程度のことで俺が外面にひびを入れるわけがねぇだろが」
 神殿の階段を下りながらそんなことを口々に言っていると、ふいにミレーユが言った。
「……でも、神の船は、この中に祭られているのね。間違いなく」
『…………』
「……だな。なんとかして、っつーかなんとしてでも貸してもらわなきゃならねぇよな! ムドーを倒すには、船が絶対に必要なんだからよ!」
「そもそも居城に向かうための足も準備できない身で魔王を倒そうだなんだって抜かしてる時点で、相当正気の沙汰じゃねぇがな」
「もー、ローグってばまたそーいうこと言う! いいでしょ、ローグだって絶対ムドー倒すつもりなんだから、前向きなこと言おうよ! 神の船を貸してもらえればムドー倒しにいけるんだし、そんなひどい問題じゃないじゃない!」
「ふん……まぁ、一理はあるか。ま、それならとっとと武器防具屋を巡っていい出物がないか調べつつ、長老について情報収集といくか」
「へ? 長老って……誰?」
「さっき番人してる奴が言ってただろが。長老の許しがあれば入っていい、なんぞと。ゲント族≠ニ言うからには血縁による共同体体制を取ってるんだろう、だったら普通に考えて当主か長老が最高責任者だろうと想像はつく。ま、それが必ずしも最高権力者だとは限らんが、あの番兵の口ぶりからすると、少なくとも長老はそれなりに権力も持ってるんだろうな」
「へぇ〜……長老ってどんな人なんだろうね?」
「さあ。会ったことがないからさっぱりわからんが、交渉をするからには相手のことを知らなきゃどうにもならんからな。そこらへんも含め、情報収集しようってこった」
 と、いうわけで、一度武器防具屋が並んでいる通りまでやってきたのだが(なんでもここで売っている品物はみんな神の祝福を受けたもので、間違った使い方をすると天罰が下るような代物らしい)、そこで聞けた情報は大したものではなかった。
 普通商店をやっている人間というのは、客の財布の紐を軽くするためにも人好きがするというか、少しはお喋りになるものだが、この村ではそういう人間もどこか僧侶じみているというか、他の村人たちと同様、落ち着いていて物静かで、粛々と自分の義務を果たすことを喜びとするようなタイプばかりで(その上よそ者に自分たちの長老のことを話す警戒心もあるだろうとローグは言っていた)、噂話にはほとんど乗ってこず、長老に関して聞けた話といえばチャモロというすごい力を持った孫がいて、それをすごく可愛がっているということくらいだったのだ。
「チャモロだって。変わった名前だねー」
「どんな力を持った方なのかしらね」
「長老の血を引く者か。すごそうな感じがするよな」
「優秀な人間の血を引く、イコール優秀ってわきゃあねぇのが普通だが。ゲント族の血脈ってもんがどれほどのもんかってなぁ、まだデータがないからなんとも言えねぇな。……俺の爽やかスマイルが本来の効果を発揮しねぇとは、ゲント族、なかなか面白がらせてくれるじゃねぇか」
「えー、ほんとに面白がってるぅ? なんか不機嫌な顔してない?」
「苛つくは苛ついてんだから不機嫌な顔にもなる。が、ああいう自分たちは浄いところに住んでいる人間でござい、と抜かしてるような涼しい顔の連中を見てると、全員そこから叩き落として汚泥の中で俺に忠誠を誓わせたくなるだろが。そういう時、障害は高ければ高いほど張り合いがあるからな」
「お前、当たり前の顔して最低な台詞吐くなぁ。まぁ、お前らしいっちゃらしいけどさ」
 などと言いつつ、自分たちは教えてもらった長老の家へと向かった。その途中でも、粛々とした仕草で歩くゲントの人々や、怪我や病気を治してもらったと満面に喜びの笑みをたたえるよそから来た人々と出くわす。村を歩きながらも何度も話題に上ったことだが、このゲントの村というのは、本当に並大抵ではないところなのだというのがよくわかる光景だ。
 長老の家だという、思ったよりも小ぢんまりしたつくりの屋敷の前の門番に、レイドック王からの使いの者だと訪いを告げる。門番はじっ、と厳しい目で自分たちを見てから、「入っても構わぬが、粗相のないようにな」と言って門を開いてくれた。
 木製の、古びたというか使い込んだ風合いの扉を抜けると、そこにはいくつものタペストリーで彩られた部屋が広がっていた。タペストリーは神話について描かれたものらしく、美術品としてというより信仰の証を形にしたような静謐な雰囲気が漂っている。
 それは部屋自体にも言えることで、この家は玄関というものがなく、扉を開けるといきなり居間が広がっているのだが、そこに置かれている家具ひとつとっても、タペストリーとの調和についても、すべてが落ち着いた色合いと形を持っていて、部屋の中の空気を自然と静かなものにしていた。
 それだけなら古い屋敷ならばたいていそんなものではあるのだが、部屋中すみずみまで見事なまでに掃除が行き届いていることや、人が住んでいる場所なのは明らかなのに生活感というか、空気の乱れがほとんど感じられないほど薄いことから、人の住む家というよりも神殿かなにかのような、自然と人の背筋を伸ばすもののように感じられる。
 そして、その居間の奥、机の前に、どっしりと腰かけていた老人。年の頃は六十を超えているだろうに、がっしりとした体躯と鷲のような視線の鋭さを併せ持っている、白髪に顎鬚をたくわえた、おそらくは長老だろう男は、ハッサンたちが扉をくぐるや、機先を制するように重々しい声で告げた。
「見たところ、旅の者とお見受けするが。――このわしに、なにか用かな」
 その鋭い目と迫力のある声に、ハッサンは一瞬気圧されてしまったのだが、ローグはみじんも表情を変えることなく、恭しさすら感じる仕草で深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります。ゲント族の長老殿とお見受けいたしますが?」
「ふむ。だとしたら、どうだというのかね?」
「レイドック王の名代として、書状を預かって参りました」
「ふむ。では、その用とやらを聞かせてもらおうか」
「は。まずは、こちらを……」
 長老は机のこちら側から差し出された書状を厳かに受け取り、さっと視線を走らせる――や、目を見開いた。
「なんと! レイドック王がついに目覚められたのかっ!」
「はい。シェーラ王妃も同様に目覚められたよしにて」
「ふむふむ。それで王はそなたたちに、我が神の船を貸してあげてくれと……。はて? おかしなことがあるものじゃのう。たしか城には船があったはずじゃが……」
「いや、それは」
 説明しようとするや、ぎゅむうっ、と全力で足を踏まれて慌てて口を閉じる。それなりに痛かったが、ローグがこちらを見もせずに全力笑顔を長老に向けているのだから邪魔するわけにはいかない。
「それはまあ、よいとしよう。じゃがたとえ王の頼みでも、ゲントでもないそなたたちにおいそれと船を貸すわけにはいかぬ。無駄足をさせて悪かったな。気をつけて帰るのじゃぞ」
「え!? ちょ、そんな――」
「なっ、なんだよ! レイドック王の頼みでも聞いてくれないってのか!?」
 思わず叫ぶ、や腹に強烈な肘打ちが入れられる。思わず咳き込むが、その肘の持ち主であるローグは、そんな自分を無視してにっこり笑顔で長老に告げた。
「承知いたしました。一度出直してまいります」
「…………」
 長老はそんなローグの声が聞こえないかのように、瞑目して座している。ゲントの村の椅子は、円形のものに背もたれをつけた大きなもので、その上で胡坐をかけるくらい安定したものなのだが、ハッサンはその椅子をがたがた揺らしてやりたい気になった。魔王ムドーを倒すために必要だってのに、しかもレイドック王直々の頼みだってのに、なに考えていやがんだこのジジイ、と言ってやりたい気分だ。
「困ったわね……」
「このおじいちゃん、王の頼みをさらっと流しちゃったよ〜」
 そんな風にミレーユとバーバラが囁き交わしているのも気にせず、ローグはすい、と(椅子も勧められず、立ったまま話をしていたので)踵を返しかける――と、自分たちの背後の扉が、ぎぃ、とかすかな音を立てながら開いた。
「ただいま戻りました」
 そう落ち着いた声で告げて、自分たちがまるでいないものであるかのようにすたすたと歩を進め、長老のそばまでやってきたのは、まだ成人もしていないのではないかという年頃の少年だった。ゲント族の法衣なのか、黄色を基本にした頭に二本角の立った衣をまとい、黒縁の眼鏡をかけている。
 その少年を見るや、長老は明らかに相好を崩し、身を乗り出すようにして声をかけた。
「チャモロか。で、どうじゃった?」
「はい。おじいさまのおっしゃることにまちがいはありませんでした」
「うん。そうじゃろう、そうじゃろう」
 さっきまでとはまるで違う好々爺然とした顔で鬚を撫でる長老に驚きながらも(爺馬鹿ってやつか、と首を傾げてしまった)こいつが長老の孫っていうチャモロか、とつい好奇心に満ちた目で少年を見つめる。少年はいかにも頭とできのよさそうな顔をしたお坊ちゃまで、真面目な顔つきで長老になにやら報告している。
 と、その顔がふいにこちらを向いて、訝しげに眉をひそめた。
「ところで、おじいさま。この人たちは?」
「それがな。レイドック王の書状を持って、わしらの神の船を借りたいと……」
「そ、それで神の船をこの人たちに貸すのですか!?」
「心配せずともよいぞ。はっきり断ってやったわ」
 嬉しげに呵呵大笑する長老に、チャモロはあからさまにほっとした顔になり、自分たちに向け物静かな口調で「そういうわけです。どうかお引き取りください」と告げ、前を通り過ぎていこうとする――や、その動きが止まった。
「うっ!」
 呻くような声を上げて、完全にしばし体が硬直する。なんだなんだ、と混乱する自分たち同様、それを数瞬ぽかんとした顔で見てから、おずおずと長老が声をかけた。
「ど どうしたのじゃ、チャモロ?」
「この人たちに船を貸すことにしましょう。私も共に行きます」
「………はぁっ!!?」
 思わず叫ぶ――や、ローグの肘がまたもずごっと入った。今度はかなりいいところだったので数秒悶絶するハッサンをよそに、長老とチャモロは真剣な顔で会話を交わす。
「ど どうしたのじゃ、突然?」
「今……神の声が……」
「す、するとこの者たちが、伝説の勇者だと……!?」
「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。しかし、神に授かりし船の封印を解くことがどんな結果をもたらすのか……。この先世界はどうなっていくのかを、この目で確かめたいと思います」
「ふむっ! よくぞ申した! 近頃日増しにお前のチカラが強くなっているのも神のおぼしめしかもしれん。ゆけ! わが孫よ! 今こそ封印をとく時じゃ!」
 もはや半ば瞳を潤みかからせながら叫んだ長老に重々しくうなずき返し、チャモロはすたすたと自分たちの前までやってくると、淡々とした口調で告げた。
「みなさん行きましょう。村の奥の神の船の神殿へ」
 言うやチャモロは、すいと自分たちの脇を通り抜けてまた扉を開け、屋敷の外へと出ていく。ハッサンはしばしぽかんとしてしまったが、すぐに気を取り直して気合を入れ直した。
「なにがどうなったのかよくわからないが、とりあえず船をかしてくれるみたいだな。よし! あいつについて行ってみようぜ!」
 またもずむっ、とみぞおちに肘が入ったが、今度は一応予測して腹筋に力を入れていたので大した痛みはなかった。ローグはちらりとミレーユ、バーバラと視線を交わし、小さな声で声も交わしてから、長老の前まで歩み寄る。
「それでは、長老殿。お孫さんをお借りしますが、よろしいのですね?」
「うむ。これも我らが神のおぼしめしでしょう。チャモロをどうか、頼みましたぞ」
「……は」
 言うや踵を返して外に出ていくローグを、慌ててハッサンたちも追った。チャモロは門の前のところで待っていてくれたようで、無言のまま自分たちを先導して歩き出す。
 先刻と同じように村の奥の神殿に着くが、万人の反応はさっきとはまるで違った。
「ややっ、これは……チャモロさま! なんと! いよいよ神の船の封印をとかれるのですか!? わかりました。さあ、どうぞ神殿へ」
 うやうやしく言って道を空けてくれる門番をよそに、チャモロは「さあ、行きましょう」と中へ入っていく。ハッサンたちも続き足を踏み入れる――や、仰天した。
 そこはおそろしく広い空間になっていた。神殿の大きさからしてかなり広いだろうとは思っていたが、予想していたものよりさらに桁違いに広い。
 神殿が丘に埋まるようにして建っていたのはわかっていたが、どうやら神殿の本殿はそのほとんどが丘を掘って作った空間で、しかもそのすべてを神の船のための空間として使っているらしい。いくつもの神聖な気配を漂わせる紋様が刻まれた壁と、柱と、天井がえんえんと続く空間の中央に、思わず仰天するほど大きく、美しい船が浮いている。
 浮いている、と言っても基本的には意匠が施された木製のタラップと、神殿の土台から突き出したいくつもの梁、と言うべきか大引きと言うべきか判断に迷うが、ともかく木製の枠組みで支えられてはいるのだが、それにしたって尋常ではない。心ならずも大工仕事には心得のあるハッサンは、たったこれだけの梁でこれだけの巨大な船を支えるなぞ不可能だ、と嫌でもわかった。どうしたって梁に負担がかかりすぎてしまう。
 それなのに見たところ、梁はひびどころか軋みすらなくこの大きな船を支えきっている。もしやこれは本当に神さまやらなにやらの力が働いているのかも、と思わずまじまじと光を照り返して黄金色に光っているようにすら見える船を見つめてしまった。
 タラップの前で待ち受けている人々に、「この日のために私たちは一日も休むことなく手入れをしていたのです……」「時は来ました。我らがゲントの神の船がいよいよ出航するのですね……!」と感極まったような声をかけられながら、船の上へと上っていく。そこには堂々とした大きさの帆柱と、行儀よく畳まれた光り輝く帆が待っていた。
「これが神の船……!? すっごーい!」
「ふえ〜……こりゃ、すっげぇなぁ」
 船の建材ひとつとっても、ちょっとやそっとではお目にかかれないような見事な代物だというのに、それがこれ以上ない技術で、というよりは建材が自ら望んでこの形になった、とでもいうように、歪みや軋みが微塵もない、ごく自然な形で船の形を造っている。光り輝く帆といい、船を支える梁といい、これは本当に神さまが創ったと言われてもうなずける。
「いったいこの船は、どのくらいの間ここに封印されていたんだろうな……」
「――みなさん。こちらへ」
 チャモロの声が響く。チャモロは船の舳先側に据えられた操舵輪を握る男の横に立ち、じっと前を見ている。まるで神殿の壁を通り抜けて、魔王の居城の姿が見えるかのように、凛とした立ち姿で。
「封印を解けば、この船は一気に川を下って海に出るでしょう。そしてまっすぐに魔王ムドーの城へと向かうはずです――準備はいいですか?」
 すっ、とわずかに視線を移され、ローグは無言のまま小さくうなずいた。それにチャモロもうなずきを返す。
「わかりました。では私もあなたがたにお供して、神の船を目覚めさせましょう」
 そして、チャモロは静かに目を閉じた。そしてハッサンがこれまで聞いたどんな神父の声よりも堂に入った、静かで落ち着いているのに腹の底に響く声で、ゆっくりと祈りはじめる。
「我、ゲントの民にして古より神に仕えるものなり。神よ。偉大なる神よ。今ここに、授かりし神の封印を解き放ち、我に力を……。アーレサンドウ・マーキャ・ネーハイ・キサント・ベシテ・パラキレ・ベニベニ・パラキレ……」
 チャモロの声が隠隠と響く中、タラップがゆっくりと下げられた。と思うや、船を支える梁の四方の、ハッサンはてっきり装飾だとしか思っていなかった中央に丸い穴の開いた柱から、光の柱が立った。
『……………!』
 光の柱は、大地の底とこの船とを繋いでくれているようだった。梁が当たり前のように柱の部分で船から離れていっても船は小揺るぎもせず、どんどんと下へ、神殿のはるか下、ごつごつした岩肌をむき出しにした穴の下へと沈んでいく。
 ふと、潮の香りに気づいた。ゲントは確かに海からさほど離れてはいなかったが、なぜ突然に――と思う暇もなく、船はずうん、となにかに受け止められるようにして止まる。
 慌てて船端へと駆け寄ってのぞき見るハッサンたちの目の前で、船はおそろしく巨大なネットと、進水台――と言うには大掛かりすぎるが、巨大な木製の、しかも湿った空気の中にあるのに微塵も腐った様子のない仕組みに受け止められた。そしてそのまま台を傾けられ、その勢いのまま滑り降り――ざぱぁっ、と大きく水を跳ね返しながら着水する。
 そして、そのまま、前へ――。漂ってくる潮の匂いが強くなり、ぶわぁっと風が顔に吹きつけてくる。そして眩しい太陽の光に顔を照らされて、ようやくハッサンは、分厚い岩盤が取り除かれでもしたように、目の前にちょうどこの船が出られる程度の出入り口が作られているのに気がついた。
「…………っ!!! わーっ、わーっ、わーっ、わーっ……すっご―――いっ!!!」
「うおお……っ、すげぇなっ! 向こうから風が吹いてるのに、なんでこんなにまっすぐ進めるんだ!?」
「タッキング、ってわけでもねぇだろうからな……これはつまり、神さまのご加護、ってやつなんだろうよ」
 自分たちと同じように真正面を見つめていたローグが、ちらりとチャモロに目をやる。チャモロは真正面からの風を受けながら、微動だにせず祈りの言葉を唱え続けていた。
 祈りの言葉が唱えらえるごとに、船は着実に前へと進む。ぶおぅっ! という大きな音を立てて、帆がひとりでに下り、逆風だというのに背後から風を受けているように大きく広がって、外へと――大海原へと出ていく。
 きらめく光と、風と、潮の匂いと、弾ける海水――歓声を上げる自分たちの中で、チャモロは一人、しめやかに、と言っていい挙措で祈祷を終えた。

「おお〜……すっげぇなぁ、サンマリーノからレイドックに来る時に乗った、定期便とは速さも揺れも大違いだぜ」
 船端から海面を眺めつつ、笑みながら言ったハッサンに、隣で同様に海を眺めているローグは肩をすくめた。
「確かにな。もう呪文を唱えてるわけでもねぇのに、普通の船よりはるかに速いし、揺れも少ない。神の船ってのは伊達じゃねぇってこったろうな。ま、それでもバーバラは耐えきれなかったようだがな」
「はは、まぁ船に乗るの初めてっていうんじゃ仕方ねぇよ」
 笑いつつもちらりと船室の方へと目をやる。船室は基本的に余っているため(なにせ乗っているのは自分たちとチャモロと船長だけなのだ。普通の船なら考えられないが、これもまた神の船の力ということなのだろう)、自分たちは基本的にいい部屋をもらっていたのだが、バーバラはその中でも一番酔いにくい、甲板の下にある(船酔いについてはできるだけ船の中心部分にある部屋の方がいいのだ)、ガラス窓のついた部屋をもらったのだが、それでもやはり船出から数時間で見事に酔ってしまったようで、今は船室で休んでいた。
 今はミレーユが付き添ってくれている。ハッサンは一人じゃ大変だろう、と何度か代わろうかと申し出たのだが、『女の子が苦しんでいるところを見ようなんて紳士のすることとは言えないわよ』とにっこり微笑まれてかわされてしまった。ミレーユは優しい上によく気のつく女だから、自分たちの中でも看病には一番向いているだろが、一人でつきっきりになっているのはさすがにつらいだろう。やっぱりもう一度代わるか聞いてこようか、と船端から身を起こしかけたところに、がすっと肘を入れられた。
「おおおぉぉおぉお………! おっまえなぁ、肘入れるにしてももう少しマシなタイミングでやれよ! 気を抜いたところに急所に一撃って、これ俺じゃなかったらマジで危ないぞ!」
「阿呆か。この俺がその程度のこと考えないとでも? 人を見てやってるに決まってんだろが。そもそもデリカシーのない男ってなぁな、そんくらいやられたってなんにも文句言えねぇんだよ」
「へ? でりか……?」
「時間をおけば少しはミレーユの言葉が理解できるかとかすかな期待があったんだが、まぁ予想通り無駄だったから説明してやる。――お前、男にゲロ吐くところ見られたい女がいるとでも思ってんのか?」
「………へ?」
 ハッサンは思いっきりきょとんとして目を瞬かせた。ローグの言っている意味がわからない。
「いや、見られたいもなにも……ゲロなんて、気持ち悪い時には誰だって吐くだろ? なんで女とかそういう」
「てめぇの鈍感さと無骨さは、特定の趣味の人間にはありがたがられるかもしんねぇが、少なくとも普通の神経持ってる女には死ぬほど腹立たしいだろーな。いいか、女ってのはな、基本的に人にみっともないとこ見られたくはないもんだ。そういう気持ちの強さは男とは比べ物にならねぇ。男はせいぜい格好悪いとか恥ずかしいぐらいですむが、女ってのは基本的に人には常にきれいな自分を見せていたいって人種だ、ゲロ吐くところを不特定多数に見られるなんぞ、女として、あるいは人として否定された気分になるんだよ」
「え……えぇ!? なんだよそりゃ、いくらなんでもそんなわけ」
「納得できないならあとでミレーユに聞いてみろ。……まぁ実際今俺たちは一緒に旅を、しかも戦いの旅をしてるわけだからな、ある程度はお互いの、そういう他人に見せたくない、汚い部分にも踏み込める準備はしておくべきだし、踏み込まなけりゃならない時もある」
「だ、だったら」
「が、それはそういう部分にもほいほい踏み込んでいいってこっちゃねぇ。踏み込まれた方は死ぬほどいたたまれない、恥ずかしい気分になるし、デリケートな奴にはそういうのが取り返しのつかない心の傷になることもある。もちろん命懸けて戦ってんだ、そんなもんいちいち気にしてられない時もあるが、少なくとも今は手段を選べる時だし、選ぶべき時だ。まだバーバラは旅の仲間に入って短い、旅の苦しみってのを理解してもねぇだろう。そういう時にゲロだのなんだの自分の汚いところを見られたら、死ぬほど苦しいし、悲しいし、辛い気分になるだろうくらいには、あいつは普通の女の子なんだからな」
「…………はぁ…………」
「……なんだその返事は。納得できてねぇなら体に直接刻み込んでやろうか?」
「や、それはいいけどよ。ローグ、お前って……すげぇなぁ」
「は?」
 ローグはきゅっと鬱陶しげに眉を寄せるが、ハッサンは特に気にならなかった。なにしろハッサンは、もしかしたら旅に出て初めてというくらい、心底ローグに感心していたのだ。
「いや、お前だって男なのによ。そういう風に、女心に……ハイリョ、っつーのか? ちゃんと、当たり前みてーに優しくしてやれるのってすげぇなぁって思ってよ。大したもんだぜ、マジで。俺はそういうの全然駄目で、女の子と話す時なんかにはいっつも相手怒らせちまってたからなぁ」
「………阿呆か、俺には年の近い妹がいんだぞ。乙女心を理解もできねぇで生活できるか」
「いやいや、それだってやっぱり大したもんだぜ。そうだよなぁ、女の子なんだから気を遣ってやらなきゃならねぇよな、うん。ありがとよ、助かったぜ、ローグ」
「………ふん」
 苛立たしげに鼻を鳴らすローグの背中をばんばんと叩く。ハッサンとしては感謝の心を示したつもりだったのだが、もしかしたら痛い目に遭わせたのでは、とやってから気がついたが、案に相違してローグは不機嫌そうに鼻を鳴らしただけで文句は言わなかったし手も出さなかった。
 照れてんのかな、とこっそりにやっと笑うと、「なに笑ってやがんだ」と即座に肘が飛んでくる。構えていたおかげでうまく受け止めることができたが、その後の追い打ちをかけるような膝蹴りには対応しきれなかった。かろうじて腹筋に力を入れて耐えるが、それでも数瞬息が詰まる。
 ふん、と面倒くさそうに鼻を鳴らしてからローグは視線を海へと戻したが、ハッサンはその後ろで、できるだけ気づかれないようににやにやとした。こいつもなんだかんだで俺たちに慣れてきてるよなぁ、と思うとついつい口が笑ってしまったのだ。
 と、あることに気づいて手を打つ。
「お、そうだ! チャモロ!」
「チャモロ?」
 ハッサンの視線を追うようにして、ローグがチャモロの方を向く。チャモロは船出の時からまるで微動だにせず、操舵輪を動かす船長の後ろで船の行く先を見つめていた。なにやら口の中で祈りの言葉を唱えているようでもある。ハッサンとしてはせっかく仲間になったのだから少し喋ってみたかったのだが、邪魔をしてしまうのも気が引けて、つい遠巻きにしてしまったのだ。それにものすごい速さで進む神の船と、そこから見える景色につい気を惹かれてしまったりもしたし。
 ともあれハッサンは、チャモロを目線で差しながら笑顔を浮かべた。
「あいつ、ゲントの民で長老の孫なんだから、癒しの力とか持ってんだよな! それだったらあいつに船酔い治してもらやあ……」
「……………」
 ローグはじっ、とハッサンを見つめてから、軽い口調で答えた。
「まぁ、船酔い自体は治せるだろうが、今は船の上だからな。普通に考えて治ってもまた酔うだろ、だったら治すだけ魔力の無駄になるんじゃねぇか? とりあえず命に関わるってわけでもねぇんだし」
「あー、そっかー……そうだな。じゃあ……」
「まあ、いい口実ではあるからな。ちょっとばかりあいつに声をかけてくるか」
 すい、と身を起こすローグに、思わず目をぱちぱちとさせる。
「口実って……なんだそりゃ? あいつになんか話したいことでもあったのか?」
「別に? ただまぁ、俺はあいつの最初の態度を忘れてねぇからな」
「は……? 最初の態度?」
「神殿に入れないのは、まぁいいとしても、だ。偉そうにでかい態度で剣突を喰わせるわ、神の船を貸してくださいとこちらが頭を下げているというのに微塵も考慮することなく貸さないと結論するのはまだしもそれをあからさまに、まるでこちらが悪者であるかのような素振りであからさまに表すわ。しまいには『そ、それで神の船をこの人たちに貸すのですか!?』『心配せずともよいぞ。はっきり断ってやったわ』『そういうわけです。どうかお引き取りください』だぞ。向こうにとっちゃそれだけこちらが侵略者かなにかのように見えたってことなんだろうと理解はできるが、こっちが腹を立てるのも向こうは覚悟の上、というより腹を立てさせてやろうとやったことのようだし、なら向こうが神さまとやらから神託があったってだけで掌を返してきた以上、それなりの報復をしても文句はねぇってこったよな?」
「……はぁ!?」
 ハッサンは仰天して慌ててローグの行く手を塞いだが、ローグは平然とした顔でふんと鼻で笑ってみせる。
「なにやってんだ筋肉ダルマ。人が新しい仲間とコミュニケーションを試みようってのに、邪魔する気か?」
「いやいやいやちょっと待て! お前さっきなんか、報復するとか言ってなかったか!?」
「言ったがどうした。報復してなにか悪いことでも? お前もゲント族の頑迷固陋っぷりには腹を立ててただろが」
「いや確かにムカついてたけどよ! だからってなにも報復だなんぞという方向にいかんでも! せっかくの新しいパーティメンバーだってのに、いきなり溝ができたらどうすんだ!」
「なに抜かしてやがるこの脳筋モヒカンが。俺は新しいパーティメンバーとコミュニケーションを試みようとしてるとさっき言っただろが」
「え? いや、確かにんなこと言ってたけどよ」
「思うところを正直にぶっちゃけるとすると、だ。唐突に仲間に入る、と抜かしてついてきた奴を、その日からいきなり仲間だと思えるか? 絶対的な信頼を相手に渡して、背中を預けることができるか?」
「は? ……いや、そりゃそう簡単にはいかねぇのかもしれねぇけどよ、向こうが仲間になるっつってんだから……」
「お前はそんな風に納得できるのかもしれねぇが、俺は無理だ。俺は常識人だからな、信頼関係を結ぶのにそれなりの時間がかかるんだよ」
「はぁ? じょうしきじん〜? ぐぶっ」
「だってのに、いきなりほんのちょっと前まで見知らぬ人間だった相手に背中を預けてムドーを倒さなけりゃなんねぇんだぞ? 戸惑いだのなんだのを少しは解消しねぇとどうにもなんねぇだろが」
 そ−いうのは会話の中でいきなり相手に膝を入れてくる奴の台詞じゃねぇぞ、と思いながらもハッサンはなにも言えなかった。かなりいいところに入ってしまったようで、息がつまって喋れない。
「少なくとも、お互いが抱いてるわだかまりやなんかを解消しなけりゃ、一緒に戦ったって意味がねぇ。少なくとも、俺はな。まぁそもそも世界を征服しようとしてる魔王を倒そうってのに、ぽっと出の人間をほいほい仲間に入れなけりゃなんねぇってのがそもそも正気を疑うところではあるんだが……ま、それは言ってもしょうがねぇ。とにかく、少しでもわだかまりやらなにやらを解消するために話をしてくるだけだ、邪魔すんじゃねぇぞ」
「ぢょ……ま……」
 手を伸ばすハッサンなど気にもせず、ローグはすたすたとチャモロに近づいて声をかけた。いつもの爽やか好青年スマイルで。
「チャモロ。ちょっといいか」
「………はい。あなたは……」
「ああ、まだろくに自己紹介もしてないうちに船出しちまったもんな。俺はローグ。少しお前と話がしたくてさ。邪魔の入らない場所に行かないか?」
「……はい、私はかまいませんが……どのようなお話でしょうか?」
「これから、少なくともムドーを倒すまでは仲間なんだから、少しでも俺たちの間の溝を埋めたいって思ったんだよ。そうしなけりゃまともに背中を預けることもできないだろ? お互いにお互いのことを知りたいなってさ」
「……わかりました。おつきあいいたしましょう」
 言ってチャモロはローグについて歩いていってしまう。ハッサンは待て待て待て、と手を伸ばすが、二人はあっという間に船室の方に向かい姿を消してしまった。

 二人が姿を見せたのは、夕飯の準備をする少し前だった。その時には、チャモロはひどく泣きはらしたであろう真っ赤な目で、うっくうっく、と何度もしゃくり上げている状態にまでなってしまっていたが。
「おい、ローグ……お前、なにやったんだよ?」
「大したことはしてねぇよ。二人っきりになれる場所でちょっとばかしヤキを入れただけだ。セクハラとか」
「セクハラぁ!?」
 そうだ、こいつライフコッドで男相手にボランティアと称してあれやらこれやらやってやがった奴だった、と目をむくハッサンに、ローグは即座に膝を入れる。
「ぐぶっ……」
「セクハラごときで騒いでんじゃねぇよ。大したことはしてねぇっつってんだろが。服を脱がしてもねぇし犯してもねぇ」
「おか……ってお前なっ、そこまでいったらマジで犯罪だっつぅの! お前なっ、あいつ泣いちまってんじゃねぇかっ、仕返しするならするでもうちっと考えやがれっ」
「確かにな。もう少しきちんと相手を知ってからにすべきだった。俺としたことが、まさに一生の不覚だ」
「……珍しく素直じゃねぇか」
「素直にもなる。あいつ――チャモロ、最初の生意気っぷりからしてさぞ可愛くない奴なんだろうと思っていたんだが」
「は……?」
「これが、セクハラしてみたら意外と反応が可愛くてな。うっかり想定以上にいろんなことをやってしまいそうになって。下手をすれば椿の花を落としちまいかねないところだった。俺としたことが、まったく……」
「……椿の花? ? ?」
 言っていることがさっぱりわからず首を傾げるハッサンに、ローグは小さく肩をすくめてからさらりと言った。
「心配しなくても、フォローはしっかりしておく」
「お? おう」
 そこらへんは別に心配してはいなかったのだが、それからムドーの城のある島に着くまでの数日間、実際にローグはなにくれとなくチャモロに話しかけて、チャモロの側の警戒心やらなにやらをきっちり解いたようだった。自分も一緒にいることが多かったので、そこらへんはよくわかったのだ。

「さあ、着いたよ。ここがムドーの島だ!」
 船長がそう高らかに告げる中、自分たちは息を詰めるようにしてはるか高みを見つめていた。この島は、まさに魔王の居城というにふさわしい――というより、魔王の居城でしかありえない代物だと否が応でも理解できてしまったからだ。
 まず、この島にやってくるまでだ。この神の船は神の加護というやつか、恐ろしいほど速い船足と安定した船体を持っているのだが、かなたにこの島が見え始めた、と思うや急に船足が落ち、船体が大きく揺れ始めた。
 波が荒れ、風が吹きすさび、急に空に雲がかかって曇天、というよりは今にも嵐になりそうな暗雲が立ち込めて、実際これは嵐なのではないかと思うほどの波と風と揺れに、バーバラならずとも酔いそうになったほどだ。そんな中、迷わずにムドーの島を目指すことができたのは、船長の腕と、ローグの無駄に自信に溢れた態度の賜物だろう(こいつのそういう無駄に偉そうなところも、たまには役に立つのだと初めて知った)。
 そして嵐を抜けた先にあったのは、天を突くかと思うほど高々とそびえる険しい山と、それを異様なほどの濃度で取り巻く瘴気を持った島だった。面積としてはすさまじく大きなものではないにしろ、その異様な威容、島の広さでは支えきれないだろうはずの峻峰には、ここが人の世界ではないことをはっきり思い知らせるものがあった。
 だが、そんなものにおじけてはいられない。自分たちは魔王を倒すためにここに来たのだ。ハッサンががつがつと拳を打ちつけると、ミレーユがちゃり、と破邪の剣の鞘を鳴らす。ローグが背の刃のブーメランと腰の破邪の剣の在り処を確かめ、チャモロがゲントの杖というらしい、まるで生きているかのように生き生きとした緑を生やした杖を構え、告げる。
「……では、行きましょうか」
「待ってっ! ……あたしは、ここに残るわ」
 そう突然声を上げたのはバーバラだった。ハッサンは仰天し、ほとんどバーバラに詰め寄るようにして言う。
「ど どうしてっ!? せっかくここまで来たのに」
「無理強いはよくないわ。誰かが船に残っていたほうがいいかもしれないし……」
 ミレーユにそう言われ、ハッサンははっとした。そうだ、相手は魔王ムドーだ。世界を征服しようとしているおそるべき相手。そんな相手と戦おうというのに、無理強いをしてもどうしようもない。
 たぶんバーバラには、一緒に来れないなにかはっきりとした理由があるのだろう。うなずくハッサンの視線の先で、バーバラはミレーユたちと話を進めていた。
「じゃあ、バーバラ、留守番をお願いね」
「うんっ! ……、わがまま言って、ごめんね」
「いや」
「あっ、そうだ。あたしの荷物を袋に入れて持っていく?」
「ああ」
「じゃあ入れておくね」
 言ってローグの差し出す袋に荷物を入れていくバーバラを見つめるローグに近寄り、小さく囁く。
「緊張して、お腹でも痛くなったのかな。無理させないで、俺たちだけで行ってやろうぜ」
「…………本気で、正気の沙汰じゃねぇな」
「は? なにが?」
「ムドーを倒すってやってきた、たった五人の軍勢のうちの一人が、なんの理由だかも言わないまま自分は行かないなんぞと言い出して、それがあっさり通っちまうってこの状況が、だよ」
 ハッサンはむっと口を尖らせる。こいつ、へそ曲がりにもほどがあるだろうに。
「なんだよ、だったらお前はバーバラを無理やりにでも連れて行った方がいいと思うのかよ?」
「んなわけねぇだろ。無理強いしても意味はねぇってのはその通りだし、バーバラにはたぶん、絶対に行けない理由ってのがあるんだろう、とも思う。……ただ、心底正気の沙汰じゃねぇと思うだけだ」
 無愛想な口調で言い捨てるローグは、袋に荷物を入れたバーバラの前へと向かった。そして静かな表情で、淡々と告げる。
「じゃあな、バーバラ。気をつけろよ。いくら神の船がここまで魔物を寄せつけなかったといっても、お前に危険がないっていう保証はないんだからな。危ないと思ったらすぐにルーラで逃げていいからな」
「うん……わがまま言って、本当にごめんね」
「いいのよバーバラ。わかっているから」
「なにか事情があるのかもしれませんが気になさらずに」
「おうよ。オレたちにまかせておきな!」
 口々に言う自分たちに、バーバラはにこっと笑った。その笑顔がなんというか、ひどく切羽詰まったもののように感じられて首をひねる――だが、なにか言うより早く、ローグがバーバラに小さくうなずいてから踵を返したのだ。
「――行くぞ」
「どうか、お気をつけて」
「おう! ……っ、くわー! 今までで一番大きな武者震いがするぜ!」
 そうばしばしと顔を叩いて船長に応えつつ、ハッサンは島の頂点を見上げた。おそらくはあの、天の暗雲の中心点にあると思われる場所。あそこに、魔王ムドーがいるのだ。

「おらぁっ!」
 ハッサンは鋼の剣を振り回すようにしてマッドロンに叩き込んだ。それがとどめになって、マッドロンはグゴゲオオォオ、と背筋をぞっとさせるような悲鳴を上げて溶けていく。
 ハッサンのみならず、全員がふぅ、と息をつく。マッドロンは防御力自体は大したことはなく、全員で殴り倒せばあっという間に倒せるのだが、なにしろこちらを即死させる呪文、ザキを唱えてくる。これまでにも何度か戦いながらいきなり仲間が倒れてしまったことがあり、そのつどこんなこともあろうかとカジノでいくつも手に入れていた世界樹の葉でなんとかなりはしたのだが、それでもどんどん世界樹の葉が減っている――のみならずこれまで仲間が死ぬという状況を体験したことがなかったハッサンとしては、どうにも心臓に悪い相手のように思えてしまうのだ。
「やれやれ……いいかげん、こいつが出てくるのは勘弁してほしいぜ。ムドーの城まで、あとどれだけあるんだか」
「そうね……ムドーの城まで、なかなかつかないわね」
「けどまぁ、邪悪な気配がどんどん強くなっているからな。こりゃ、ムドーが近い証拠だぜ!」
「そうですね。ムドーの邪悪な力に、呑み込まれないようにしなければ……」
 真面目な顔で言うチャモロの背中を、笑顔でばんばんと叩く。
「おいおい、あんまり固くなるなよチャモロ。そんなにカチコチじゃ、ムドーとやり合う前に折れちまうぜ?」
「なに抜かしてやがる、どんな硬さがベストかなんぞ人によって違うんだよ。人にアドバイスする前に頭の上の蝿を追いやがれ」
「へいへい、そりゃ悪うございました」
「まぁなんにせよ、チャモロのゲントの杖での遅滞のない回復のおかげで、マッドロンをのぞけばほとんど敵に苦戦せずに進められてるからな。あとどれくらいかわからねぇが、よろしく頼むぞ、チャモロ。もちろん、ミレーユもだ。いざという時の速攻回復、当てにしてるからな」
「あ、は、はいっ」
「ええ、任せて」
 優しげな笑みを浮かべるローグに、ミレーユはこんな時でも淑やかな笑顔を返し、チャモロは少しばかり顔を赤らめながらも大きくうなずく。ハッサンはびしっ、とこめかみに青筋を立てつつ、ローグにヘッドロックを極めてやった。
「おい、ローグ、お前な、なんでそこで俺だけハブるんだよ。絶対ぇ悪意があんだろ、悪意が」
 当然即座に肘と頭突きと踵が飛んでくるが、どれもしっかり警戒していたハッサンはあっさり受け流して鼻で笑ってやる。や、ヘッドロックをしている手の指の間に刺すように指を突き立てて、激痛を与えるという小技を使ってきた。
「でぇっ!」
「悪意だなんだの問題じゃねーんだよ。てめぇは微塵も褒めてなかろうがこんな風に図に乗る性格してんだぞ、ちっとでも褒めたらどんだけ調子に乗るか目に見えてるから意識して気遣わねぇようにしてんだよ。俺の深謀遠慮に伏して感謝を捧げやがれ」
「絶対ぇ嘘だろそれっ! ってぇ〜……んっとにてめぇは。俺にはどんな無茶してもいいと思ってやがんだろ?」
「その無駄にいいガタイの有効活用だろが。てめぇに新たな道を開いてやったんだ、これも伏して感謝していいぞ?」
「どーしてそーなんだよっ! たくっ」
 ハッサンがぶすっとしてみせると、ミレーユがくすくすと優雅な笑い声を立て、チャモロもつられたように小さく笑い声を立てる。ローグはふん、と偉そうに鼻を鳴らしてみせただけだが、これがこいつなりの愉快の表現なのはそれなりに長いこと一緒に旅をしているハッサンはよく知っていた。
 まぁ、チャモロもミレーユもいい具合に肩の力が抜けたみたいでよかった、と笑って立ち上がる。実際、ムドーの居城、というよりそこに向かうまでの道筋でしかないのだろうこのダンジョンは、かなりに大変な代物だったのだ。
 まず、山のはるか下に大きく開いていた、たぶんムドーの居城に通じるだろうと思われる洞窟の中に入るや、溶岩地帯が出迎えてきた。行く先のどこもかしこも溶岩が埋めていて、溶岩地帯を通らなければ先へは進めないようになっていたのだ。なんとか溶岩を避けて通れないかとあれこれやってみたもののうまくいかず、結局できる限りの防御をして急いで通りすぎては回復する、というやり方で無理やり突破した。
 数階の溶岩地帯を過ぎると、打って変わって、冷たい池やらなにやらの広がる階層にたどり着いた。涼しい、というよりさっきまでが暑すぎた分寒いくらいで、そんな中襲いくる魔物たちはさっきの溶岩地帯と比べても相当に強く、毎回全力で戦わなければならない羽目になった。
 そんな中、なによりの助けになったのはチャモロのゲントの杖だ。この杖は強い癒しの力を持つそうで、戦いの中強い意志をもって掲げることで、べホイミと同程度傷を癒すことができるのだという。魔法力を使わずに、自分たちを瀕死の状態から一気に完調まで持っていくことができる道具がどれほど貴重か、考えるまでもないだろう。自分も初めて使ってもらった時は仰天しながらゲント族の力のすごさに感動すら覚えたものだ。
 実際、それを抜きにしてもチャモロはよくやっていた。実戦経験はさほど積んではいないというが、動きも度胸も、とてもそんなレベルとは思えない。バーバラから貸してもらったモーニングスターを振り回して魔物を薙ぎ払っていく動作は実際堂に入っていて、しっかり訓練を積んでいる人間だということが嫌でもわかった。
「やるなぁ、チャモロ。ここまで頼もしいとは思ってなかったぜ」
「ありがとうございます。私もゲントの長老の孫として、いずれ来たる戦いのため、常に自身を鍛えておりましたので」
「へぇ、ゲントの神さまってのは、自分の一族にいつか戦う日が来るって教えてたのか?」
「はい。我らがゲントの神は、いずれは我が一族は勇者の供となり、神の戦士として戦う日が来る、とお教えくださっていたのです。同時に、その日に備え、自身を鍛え、勇者の助けとなれるようにせよ、とも」
「へ? 勇者? ……そういや、なんかそんなこと言ってたよな」
「つまり、チャモロ。あなたも、長老さまも、神の船を貸してくださった方はみんな、あなたが勇者の供として戦う日が来たから、と船を貸してくださった、ということ?」
「はい。……もちろん断言はできませんが、神のお告げがあった以上、その可能性は高いのでは、と思っています」
「はぁぁ? 勇者って……誰だよ。そんなもん、俺たちゃ見たことも聞いたこともないぜ」
「いいえ。みなさんはすでにお会いして……いる、のでは、ないかと、思う、のです。もちろん、その……断言は、できないのですが」
「どうした、チャモロ? そんな風に顔を赤くして俺の方を見て。そうかそんなに俺に可愛がってほしいのか、ならば容赦なく」
「い、いえっ、そういうわけではっ! ないですっ、本当にないですからっ、そんな風に近寄ってこないでくださっ……」
「おらっ、子供をからかってんじゃねぇよ、お前はっ」
 そんな風な会話を交わしたこともあったほどだ。もちろんまだ成熟した大人というわけではないにしろ、チャモロは大人でもそうはいないような戦闘力と、明晰な思考力、そして賢明さを持っている。勇者というのがなんなのか、誰なのか、そもそも本当にそんなものがいるのかは知らないが、なんであれ自分たちに助けをくれるというなら大歓迎だし、ここまで大きな戦力になってくれるというのなら正直頼んででも勇者ということにしてほしいくらいだ。
 奴隷兵士、ヒートギズモ、人食い箱、腐った死体、エビルポット。マッドロンの他にもまだまだ出てくる手ごわい魔物たちを、次々薙ぎ倒して先へ進む。ときおり現れる、魔物に殺されたものであろう人間の死体に会うたびに手を合わせながら、先へと進む。階段を上り、橋で川を渡り、さらに階段を上って、先へ、先へ――
 と、彼方から、きらり、と明らかに人の手によるものではない輝きがきらめいた。自分たちはランタンの明かりと洞窟の中に群生するヒカリゴケの光でここまでの道を進んできたのだが、そういう光とは明らかに違う、空のある空間の光が輝いたのだ。
「おい、ありゃあ……」
「慌てんじゃねぇ。どっちにしろ進んできゃああそこに着くんだぞ。慌てて進もうとして魔物に襲われてお陀仏、なんざ笑える話どころの騒ぎじゃねぇだろが」
「う……そうだな。気を緩めねぇでいこうぜ」
「当然だ」
 などと会話を交わしつつ、一歩一歩先へと進んでいく。古ぼけた階段を一歩一歩先へと上り、光がのぞく場所へ少しずつ、前へ前へと進み――
「おお………!」
 たどり着いたのは、森だった。すでに陽は落ちており、木陰からのぞく夜空には銀の星々が瞬いている。暗雲は消えたのか、と思ったが、それは勘違いだった。視線を大きくずらすと、自分たちの真上以外にはいまだに黒い雲が居座っているのがわかる。
「……ここの上だけ晴れてるのか……?」
「これは……なぜ、こんなことが……」
 考え深げに眉根を寄せながら、チャモロが一歩先へと進んだ。その方向は崖下にあるせいか、木々が途切れて広場のようになっており――中央に、明らかに人の手による焚き火の跡が見えた。
 チャモロがこちらを振り向いて、真剣な顔で告げる。――それに、一瞬違和感を覚える。ここでこの言葉を告げるのは、こいつじゃなかったはずなのに=B
「不思議なことですが、ここには聖なる力を感じます。今日はここでひと休みすることにしましょう」
 そんなことを感じる理由など、どこにもないはずなのに。

 とりあえず全員で周囲の様子を探ってみて、確認できたことがあった。
聖なる力≠ニやらが働いているのはこの広場と、その周囲ぐらいだということ。本来なら崖の下を野営場所に選ぶなど言語道断なのだが、落石などの心配はない、とチャモロが主張するので、それを信じてこの広場で野営をすることにした。
 そして、ここから少し行った崖の下――というか、その断崖絶壁の下にある階段を上っていった先に魔王ムドーの居城らしきものが見える、ということ。もちろんそこがムドーの居城だという確信はないのだが、これだけ堂々と、しかも禍々しさを感じさせるつくりの城を複数作る意味があるとは思えない。一応、休んだ後に周囲を見回って、他に城がないか確認することにはなったが、ハッサンとしてはあれはムドーの居城で間違いない、と考えていた。
 そして、最後にひとつ、ひどく奇妙なことが確認できてしまった。
 ハッサンは、いつか――ずっと前にも、ここに来たことがあるような気がしてしょうがない、ということ。なぜかはさっぱりわからないのだが、ハッサンは以前にここに来たような気がする。のみならず、ここで一度野営をしたことがあるような気がするのだ。この木陰を歩き、ここにある薪を拾って火を作り、ここで『この広場には聖なる力が働いているから、落石の心配はない』と誰かに言われ――なにもかもが、かつて、いつか、経験したような気が、する。
 なぜ? なぜそんなことを? と考えながらも、自分たちはてきぱきと火を作って、野営の当番を決め、順番に眠りに就いた。ハッサンは一番遅く寝る順番になることが多いのだが(いびきがひどいのだそうだ)、今日は珍しく自分が一番傷を負っているのだから、と諭され一番早く眠った。いつか、どこかで、こんな体験をしたことがある、そんな考えに取りつかれながら、夢の中へと。
 ――木の上を走っている。ハッサンは、身の動き自体はさほど素早いわけでもないのだが、武闘家として長い修行を続けてきた賜物か、身軽さ自体は相当なものだとローグにもいつも褒められていた。あの世間知らずの王子さまはいつも褒め言葉にてらいがない。あの爽やかな笑顔で無心に褒められると、育ちの悪い(なにせ港町の大工の息子だ)ハッサンはどうにもくすぐったくなってしまうのだが、まぁ悪い気はしなかった。
 これまでずっと一緒に旅を続けてきて、ハッサンなりに王子の――いや、ローグの人格には信を置いていたのだから。
 木の枝を次々と飛び移り、高い崖の上から崖下へと、わずかな足がかりをうまく使って一瞬で飛び降り、そこに身を起こしていた二人の仲間に声をかける。
「おっ! 二人とも、もう起きてたか!」
 そしてその声に、ローグはいつものように優しい笑顔を
「悪いか。俺はもともと眠りが浅い質なんだ」
「―――え」

 ―――――え?

「なんだ。そんなにぼけっと、なにを見ている。俺が見惚れるに値する男なのは言われなくともわかってるから言う必要はないぞ」
「え………あ………」
 ハッサンはようやくはっとした。深い眠りから覚めた時のように手足の先が少し痺れているのを感じ、なにを寝ぼけてたんだ俺は、と慌てて周囲を見回す。
 そこにいるのは、三人の仲間たち。レイドックの兵士として戦っていた頃からずっと一緒にいた相棒、ローグ。この下の世界での姿を手に入れるのを手伝ってくれた女性、ミレーユ。そして、数日前仲間に入ったばかりの、ゲント族の長老の孫、チャモロ――
「あ、あ……悪ぃ悪ぃ。ちょっとばかし、その……寝ぼけちまってたな」
「軽業師みてぇな真似しながら寝ぼけるとは器用な奴だな。足を踏み外して首の骨を折る前に状況を考えることを覚えやがれ」
「へいへい、わかってるよ。……ちょっとまわりを見てきたが、やっぱムドーの居城はあの城に間違いなさそうだぜ。他にろくな建造物なかったし、あったとしてもあの城を引き立てるために造られたような代物ばかりだったしな」
「そうですか。やはり……」
「………しかし……」
「どうしたのですか? なにか気になることでも?」
 半ば以上独り言のつもりで、口の中だけで呟いた言葉に問いを投げかけられ、ハッサンは一瞬慌てた。だが、チャモロがあくまで真摯な、真面目な表情でこちらを見ているのを知り、慌てて笑顔を作って答える。
「いや、大したことじゃねぇんだけどよ。ずっと前にもこんなことが、あった、ような……」
「はい……?」
 ハッサンはかぶりを振ってローグの方を向いた。夢だ、ただの夢。ただ、寝ぼけから覚めることができなかった、だけの――
「考えててもしょうがないや。さて、そろそろ行かないか? もう充分に休んだだろ」
「そうね。こうしてても始まらないわ」
「そうですね。そのためにあなた方は、今までずいぶん長い旅をしてきたことでしょうから」
 ざわり、とまた心身を走る違和感。なんだ、なんなんだこれは。本来の道をなぞりながらも微妙に轍がずれているような違和感が体を走る。ただの夢、そのはずなのに、なにかが、まるで重石のように自分の体にまといついて離れない。
 そんなもの、目を覚ませばすぐに消えてしまう、儚い夢でしかないはずなのに。
 ハッサンはまたかぶりを振った。なんにせよ、自分の今すべきことはひとつだ。――そのはずだ。
「行くぜローグ! 相手は魔王ムドーだ! 死んだ気で戦おうぜ!」
 そう(半ば自分に)檄を飛ばし、森が開けた先に張り出している崖へと向かう。全員が起きたらまずそこへ向かおう、とミレーユが主張したのだ。この先どうすればムドーの居城に行けるのか、という案も特になかったので、全員その言葉にうなずいた。ローグはいつものごとく、『敵の居城にどう行けばたどり着けるか、なんてことも知らねぇで倒しに向かうとは、本気で正気の沙汰じゃねぇな』などと偉そうに愚痴っていたけれども。
 ただ、一応状況を読んでか、そんな気勢を削ぐ言葉を投げかけたのは自分だけにだったようだが。
 宙に張り出した崖から下を見下ろす。そこには、先刻も見たように、階段がえんえんと連なっていた。そこから視線を上へ向かいなぞっていくと、ようやくムドーの居城らしきものがでんとそびえているのが見える。
 途中には幾重にも見張り塔が張り巡らされているようだが、人の気配も魔物の気配も感じない。あるのは、ただ、暗闇だけだ。空にときおり閃く雷が、不吉な色に大地を染めるのが唯一の明かりと言えるだろう。
 いや、違う。ムドーの居城だけはその暗闇の中で、ひどく赤々と輝いている。以前見た時とまるで変わらず――いや、違う、なにを考えているんだ、自分は――
 と、自分の前に立った人の気配に、驚いて顔を上げる。そこに立っていたのはローグだった。いつものごとく偉そうな、態度のでかい、根性のひねていそうな面構えだ。
「な……なんだよ」
「別に。――ただ、ひとつ聞きたかっただけだ」
「なんだよ。言いたいことがあるなら言えよな、お前らしくもねぇ」
「そうだな。お言葉に甘えて、聞かせてもらおう」
「お……おう」
 ローグは自分の真正面に立って、ひどく真剣な顔で、言葉を投げつけてきた。もしかしたら、こいつが自分の前でこんな顔をするのは初めてかもしれない、と思うほど、硬く、鋭く、殺意と見まごうほどにくっきりとした感情を持って――
「――お前は、その夢とその現実、どちらが自分にとって真実だと、どういう理由で思うんだ?」
「………は?」
「それだけ聞いておきたかった。こんな機会は、もうないだろうからな」
 それだけ言ってローグは崖の先端の辺りに立っているミレーユのところへと向かう。ハッサンはぽかんとしながら、その背中を追った。なんなんだ? なにが言いたかったんだ、あいつ?
 さっぱり意味がわからない――けれど、あれがあいつにとってひどく大事なことだというのは嫌でもわかる。そうでなけりゃ、あんな斬りつけるような気迫でものを訊ねてきたりするわけがない。なぜ? なんであんなことが、そこまで?
 ローグは崖の先端にミレーユと向かい合って立ち、なにやら話している。ローグの声は聞こえなかったが、ミレーユの、まるで祈りを捧げる時のように隠隠とした声はなぜかはっきりと聞こえた。
「いよいよですね……。この笛を吹けば私たちは魔王ムドーの城に運ばれてゆくでしょう。そう。あの時のように……。さあ、吹くわよ」
 笛? と思わず眉根を寄せながらミレーユを見ると、ミレーユの手の中には確かに、黄金色に光り輝くオカリナがあった。だが、魔王ムドーの城に運ばれてゆく? そんな話、自分は一度だって聞いたことがない。ローグだってそのはず――
 だがローグの顔には微塵も驚きが浮かんでいなかった。ローグは聞いていたのか? ならなぜ教えてくれなかった? いやそれ以前に、なぜミレーユは自分たちに教えてくれなかったのだ? なによりもそれよりも――
 なぜ、自分の胸には、『そんなことわかりきっている』とでもいうような、当然のことを言われた時と同じ程度の感情しか起こらないのだ?
 ミレーユが高々と黄金色のオカリナを放り投げた。オカリナはそこが定位置だとでもいうように、ミレーユの手の中に戻ってくる。ミレーユが吹き口に口をつけて笛を吹く。どこか物悲しい音が響き渡る。
 そしてそれらすべてにハッサンは、『いつかどこかで感じたことがある』と感情を湧き上がらせ――
 ばっさばっさ、と聞こえてくる、巨大な鳥の羽音のような音に、ふと空を見上げて、固まった。――空から、黄金色の竜が下りてくる。
 巨大な竜だった。竜というものがどれだけ強い力を持つ者か、噂だけならばハッサンも聞いている。しかもこの竜の大きさは特大だ、下手をすればレイドックの城門並みの大きさはあっただろう。そんなものをどうやって倒せばいいのかと、一瞬戦士の本能が途方に暮れ――
 同時に心が安堵していた。この竜がやってきてくれたことに。この竜は自分たちの味方だと、ミレーユが呼んでくれた自分たちの味方だと、心が勝手に受け容れていたのだ。
 ぶおおおぉぉぅっ、とこちらが吹き飛びそうな勢いで羽根をばたつかせながら、竜が崖の前でホバリングする。そしてそれに、ミレーユはためらうことなく飛び乗った。ローグもそれに続き、ハッサンもそれを追った。チャモロはしばしぽかんとしていたが、ローグが「来い! チャモロ!」と呼ばわると、半ば反射的にだろうが大地を蹴って竜の背に飛び乗る。
 そして――竜は、空を舞った。
「うおおおぉぉおぉおぉぉっ!!?」
 竜は自分たち四人を乗せてもびくともせず(ついでに言うなら背中も充分広かったし、それどころか背中は鱗しかないはずなのにしっかり手をかけることができた)、大空を見事に舞った。大地から空へ、空から天へ。天のあちらからこちらへと、ぐるぐると回転するように。高く、低く、近く、遠く――
「あ、あのぉぉぉっ!! お聞きしたいのですがっ、このっ、竜は、いったいいぃぃいぃぃ!!?」
 チャモロが吹きすさぶ風に顔をすごい形に歪めながらも必死に問う。それに対しローグは、こちらはいつも通りの声音と表情で鋭く答えた。
「知らん! だが今は聞くな! ミレーユはたぶん、今トランス状態に陥ってる!」
 トランス状態? なんなんだそれは、とハッサンとしては聞きたいところだったが、チャモロはそれを聞くやはっとして、必死に竜の背につかまることに専念し始めたので、今聞くのは相当やばいことなんだろう、と空気を読んで口を閉じた。それに、この竜の背中につかまっているというのは、それだけで相当の難行だ、はっきり言って口を開ける余裕なんぞほとんどない!
 上へ。下へ。右へ。左へ。前から後ろから、何度も何度も回転し――黄金の竜は、ムドーの居城へと近づいていった。

 気がつくと、自分たちは、城のエントランスらしき場所に立っていた。
「お? ……お? おおぉっ!?」
 仰天して周囲を見渡す。少し離れた場所に、それぞれローグ、ミレーユ、チャモロも立っている。ローグは真剣な表情、ミレーユは静かな表情、チャモロは呆然とした表情とそれぞれ表情は違うが、それ以外に異常はない。とりあえず仲間全員揃ってこの場所に立てたことにほっとして、ハッサンは手を上げた。
「おう、お前ら! お前らもちゃんとここまで来れたみたいだな!」
「ハッサンさん……は、はい……」
「そんなことを抜かしてるってことは、お前ここがどこかきっちり理解してんだろうな?」
「え、いや……よくはわかんねぇけどよ、城の中ってことはムドーの城の中だろ?」
「………ま、素直に考えりゃ、な」
「なんだよ、素直って。……まぁ、一応確認しといてもいいか。ここの扉が外に続いてる扉なんだよな?」
 言いながら近づいて扉を開けようとする――が、開かない。どれだけ押しても引いても、ぴくりとも動かない。まじまじと扉を見つめて、鍵穴がないことに気づいた。
 慌てて周囲の扉を見回すが、それらにはきちんと鍵穴が施されている。ほっとしながらも、それだけこの扉の重要性が増したように思えて、つい睨みつけながらも扉を叩いた。
「だめだ! この扉だけは鍵穴が見えねえ……。これがもしまやかしなら、ムドーと戦ってまやかしを破るしかなさそうだぜ」
「そうですね……では、もしもの時のために、ここに結界を作っておきましょう」
 チャモロは目を閉じて、なにやら祈り始めた。とたん、どこからともなく光が集まってきて、チャモロの眼前で円を成し、眩しく輝く。どうやらそれが結界という代物らしく、チャモロは真面目な顔でローグの方を向き、うなずいてみせた。
「これでなにかあっても、再びこの場所に戻ってこられるはずです」
「ここまで来たら、前に進むしかなさそうね。ローグ、先に行って」
「ああ」
 ローグはあっさりとうなずいて、周囲を見回すと、部屋の右奥に造られている小部屋の方から、注意深く歩を進めていった。扉を調べ、開き、階段を調べ、一歩一歩ゆっくりと上り、そこにあった宝箱を調べ、ひとつひとつ開けていき、と最大限に警戒しているのがわかる。
 ここは魔王の居城なのだから当然だろう――が、どれだけ先に行っても魔物が少しも出てこないというのが気になった。魔王の城なのだから、普通に考えてあとからあとから敵が出てきてしかるべきだろうに。
 自分に喝を入れる意味も込めて、ひそめた声で言う。
「辺りに気をつけろよ。敵さんはどこから襲って来るか、わからないからな!」
「ああ、わかってる」
「気をつけてね。私たちのこと、気づかれていても不思議じゃないんだから」
「というより、気づかれていない方が不思議だろう。あんなでかい竜で直接城の中に乗り込んだんだからな」
「そうですね。今はもしかすると、まだ対応が整っていない、ということなのかもしれませんが……ならば今はとりあえず、どんどん前に進みましょう。向こうに態勢を整えさせてはいけません」
「……そうだな」
「しかし、今までこれほど邪悪な気配は感じたことがありませんね。魔王というのは、これほどの邪悪な力を有しうるものなのですね……」
「そうだな、さすが魔王の城だ。化け物の匂いがぷんぷんするぜ……」
 ひそやかに会話を交わしつつ、先へ先へと進む。最初のエントランスの左奥、大きく開けられた出入り口から廊下へ。廊下の奥の門を潜り抜けて通路へ。その間にも、右側に造られたひどく歪んだ形の格子の隙間から、眩しく輝く雷の光がときおり差し込んでくるが、それ以外は外は一寸先も見えないほどの闇が広がっている。ハッサンの腹時計では、さっきまで休んでいたせいもあり、今は昼前だと告げているのに、だ。
 通路を通り抜けると、広間に出た。四方に大きな柱が調度品のように据えつけられた、かなり大きな広間で、中央に広げられた赤地に金で縫い取りをした豪奢なつくりの絨毯が、自分たちのいる出入り口付近に向けて伸びている――
 などという情景を機械的に処理しつつ部屋の奥を見て、ハッサンは大きく目を見開いた。
「―――ん?」
 一瞬の心身の硬直。それから驚愕が遅れてやってくる。
「おい、あれ、は……!?」
 恐怖、混乱、衝撃、衝撃、衝撃。足は震えながらも勝手に動いていた。一直線にそれ≠ノ駆け寄り、見つめ――耐えきれずに、口が自然と相棒の名を呼んでいた。
「ちょっと来いよ! ローグ!」
 ローグたちが駆け寄ってくる。再びそれ≠フ方を向く。真正面から見るのも衝撃だったが、目を逸らし続けているのも耐えられなかった。
「こ、こ……これは、も、も、もしかして……俺、じゃねえのかっ!?」
「……そう見えるな」
 ハッサンはごくり、と唾を呑み込みながら、それ≠見つめる。どう見ても、それは自分だった。ハッサン自身の肉体、そのものだった。それも、なぜか、灰色に染められた――というより、色が抜かれている。
「けど……動いて、ねえぞ。死んでる……のか?」
 そうひとりごちながら、おそるおそるそれ≠ノ触れる。石のような外観から、硬く指を跳ね返すのではないかと思われたそれ≠フ肌は、ハッサンの指を柔らかく受け止めた。のみならず、触れたその体は温かい。質感も、温感も、今の自分の肉体とほとんど変わらない。少しほっとしたが、それよりもただもう呆然としてそれ≠眺め回した。
「違う、な……。死んだように寝てる、だけだ……。でもよ、どうして俺が……二人も、いるんだ? それも……こんな、ところによ……。ん?」
 ハッサンははっとした。自分の身体を、光が取り巻いている。
 月よりもなお蒼白い、星のような涼やかな輝き。それが自分の周りをぐるぐる取り巻きながらぐるぐると回転し、包み込み、一体化しようとしているかのように自分の身体を巻き込み――
「なんだ、なんだ―――?」
 口にできたのはそんな間抜けな言葉だけだった。それを悔やむ気持ちが一瞬湧き起こったような気もする。なにせ、その一瞬のち、ハッサンの身体は四散したのだから。
『―――――!!!』
 仰天、驚愕、混乱、恐怖。すべてが一瞬のようでいて、永遠のような気分でもあった。ハッサンは光だった。さっき自分を取り巻いていたのと同質の光。
 それは一瞬で世界を駆ける。翔ける。懸ける。夢を知り、現実を知り、世界を知る。すべてが、すべてを、なぜここに在るのか、なんのために在るのか、なぜ在り続けようとするのか、認識し、理解し、自分が向かう先すらも―――
 ―――そして、ハッサンは肉体と激突した。

「ハッサンさん! ハッサンさん、大丈夫ですかっ!?」
 遠くから、声が聞こえる。誰のものだっただろう。必死な声。懸命な声。よく知っているような、まだろくに知らないような、昔からずっと知っていたような。わからない、覚えていない――
「――いつまで寝てやがる気だ。脊髄まで筋肉になったか、とっとと目ぇ覚ましやがれこの総身筋肉モヒカン」
 ばっ! とハッサンは跳ね起きた。そうだ、寝てる場合じゃない、ローグにこのことをきっちり伝えなければ!
「思い出したぞっ! 今全てを思い出したぜ! オレは確かにサンマリーノの大工の息子ハッサンだ! けどそれが嫌で家を飛び出してローグたちと知り合ったんだったよな! それで……。そうだよ! ムドーに戦いを挑んだはいいけどよ……。やつの術にかかってオレは心だけが夢の世界に飛ばされちまったんだ。そこではオレは旅の武闘家で……。ええい、いちいちめんどくせえや! とにかく本物の身体に戻ったらめきめきチカラがわいてくる感じだぜ!」
 一気にまくしたてるハッサンを、チャモロはぽかんと見つめていたが、今はそれを気にしている場合ではない。伝えなくてはならないのだ、ローグに、真実を。
「あのさ、ローグ、俺今までは、自分が夢の世界の住人だって思いたくなくてさ……だってそんなの、いつか消えそうで嫌じゃんか。けど、こうして現実の自分に戻っても、ちゃ〜んとこれまでのこと覚えてるぜ! 夢の俺も消えなかったってわけさ。だからお前も現実の身体を探そうぜ!」
 ばぁん! と気合を入れてローグの肩を叩く――や、その指をつかまれた。同時にぎしっ、と関節が軋む音がする。指関節をとられた、という認識よりも早く、指から全身に賭けて激痛が走った。
「あだだだででだだーっ!!!」
「なにを抜かしてやがるこの鶏頭モヒカン。今そんなことを言ってられる状況か、その小さな頭を使ってよく考えてみやがれ。現実に戻ったてめぇとやらは、その程度の思考能力しかねぇのか、夢の中とやらにいたお前と反応が変わってねぇぞ」
「あだだだだっ、ってぇって! ……ってぇ〜〜……!」
 慌てて手をもぎ離して、指にふうふうと息を吹きかける自分に対し、ローグは微塵も普段と変わらない不機嫌な表情で睨みつけてくる。なんだよちっとくらいは喜んでくれてもいいのによ、と思ったが、まぁこいつがそんな反応したらかえって気色悪いか、と気にしないことにして、笑顔を向けた。
「まあ、そうだな、確かにその前にムドーを倒さなきゃいけねえだろうけどな。さあ行こうぜ!」
「……………ふん」
 鼻を鳴らして、ローグは歩き出す。それについていきながら、ミレーユが「いろいろ思うところがあるだろうけど、今はひたすらムドー打倒のことを考えてね!」とはっぱをかけたり(もしかしてこのこと知ってたのか、さすがミレーユだなと感心した)、チャモロが「今のは……いったい!? 私には、まだ、よく理解できていません……」と困惑の表情で声をかけたりするのを聞くともなしに聞いていると、ふいに「おい」とローグに声をかけられた。
「ん? なんだ?」
「魔物の気配が近寄ってくる。こっから先は、ハッサン、お前が先頭だ」
「お、そうか? あいよっ」
 俺が活躍する時がやってきたか、とがつがつ拳を打ちつけながら前に出る――と、耳元に小さく囁く声があった。
「お前が元に戻れたっていうことについては、祝福しておく。それがお前にとって嬉しいことだってんならな。それと――俺を」
「え?」
 思わずローグの方を向く――と、突然目が合って驚いたのか、目を大きく見開いたローグと視線がぶつかった。数瞬お互い黙って互いの顔を見つめてしまったが、ローグはすぐにぎゅっと顔をしかめて、忌々しげに舌打ちするような顔をしてから、すっと息を吸い込み、無表情になって告げる。
「おめでとう」
「………はぁ」
 きょとんとしてぽりぽりと頬を掻いていると、ローグはすぐまたさっき同様の不機嫌面に戻って、「おらさっさと前行きやがれ」と足を蹴ってくる。なんだってんだ、と思いながらも、「ま、ありがとよ」と笑ってからするりとローグの横を抜けて先頭に立った。それからすぐ自分の背中に向けて、なにやら小さな声で呟かれたような気がしたのだが、

「―――この扉の向こうには、魔王ムドーが待ちかまえてるはずよ」
 塔かと見まごうほど背の高い、忌まわしい装飾のほどこされた建造物。その入り口となるだろう、向き合った竜か蜥蜴のような意匠が施された扉の前に立ち、ミレーユがこちらを向いて静かに告げた。
 いよいよか、とハッサンは炎の爪を撫でた。ついさっき、門番とバリアーまでつけて安置されていた宝箱の中から手に入れた武具だ。これまでに手に入れた、どんな武具よりも鋭く、強く、そしてハッサンの体に馴染む。これをムドーの体に突き立てる時が、ようやくやってきたのだ――以前戦った時から数えると、どれほどになるかわからないほどの時間を経て。
「噂では、ムドーは怪しげな術を使うそうです」
「ムドーの奴め! 今度はこの前のようには行かないぜっ!」
 気合を入れるハッサン、真剣そのものな視線の鋭さを増すチャモロ、そんな二人の前で、ローグは「そうだな」などと淡々とうなずいている。だが、こいつはこれで気合が入っていないというわけではないのだ。
 視線の鋭さ、呼吸の深さ、ひとつひとつがこいつがこの上ない気迫をもってこの一戦に臨んでいることを伝えてくる。こいつは『どんな戦いだろうが負けてたまるか』というつもりで戦っていることだろうが、強敵であればあるほどそういう感情を秘める傾向がある気がする。パーティのリーダーを自認しているせいかもしれないが、こちらの気をうまい具合に抜いてくれるような静かな闘志でもって、勝って当然とでもいうかのような素振りをしてみせるのだ。
 昔っからそこらへんは変わんねぇよなこいつ、と思ってからあれ? と首を傾げる。今から昔、ということは王子時代の話なのだろうと思うのだが、王子時代にそういうところを見た覚えがハッサンはあんまりない。むしろ、世間知らずだった王子時代のローグは、肩に力が入り気味になってしまうところがあったような気がする(実際王子時代から今のこいつ想像するとか無理だよな、ある意味詐欺だ、とこっそり苦笑した)。
 自分はいつこいつのそんなところを見たんだっけ、と首を傾げるが、ミレーユが静かな、そして祈りを捧げる時のような口調でローグに向かい言葉を告げ始めたのに、慌てて姿勢を正した。
「――ついに、ここまで戻ってきましたね。思えばあの日以来、ずいぶん長い夢を見させられた気がします。しかし、夢の世界での経験はけして無駄ではなかったはず! さあ――行きましょう!」
「よし、行くぞ!」
「ええ――では、参りましょう!」
 仲間たちの声にローグは余裕たっぷりにうなずいてみせてから、ゆっくりと扉に手をかけ、開けた。

 ――無、だった。
 どこまでもひたすらに、見渡す限り続いている、無。暗黒すら存在しない、それどころかそれらを視認する目も、感じる体も、心さえ存在しない、絶対的な無。そこに自分はいる。
 なにも存在しない場所。思考も、感情も、夢も、想いも、人生も、なにも。どこまでもどこまでも永遠に続く茫漠たる無。それを自分は――
 あれ、と思った。なんにもない――本当になにもない場所のはずなのに、なんで自分はそれを認識しているんだろう。『無が存在する』なんて思っているんだろう。
 いや確かに『無が存在する』なんて言葉からしておかしいが、自分は確かに無を認識し、感じ、考えている。ここにはなにもないはずなのに――なんで、自分は

 ―――カッ!!!

 はっ、と我に返った時、ハッサンの目の前には魔王が立っていた。
 爬虫類のような緑の体色を持ちながら、鱗のない渇いた体。角ばった頭と腕からは、その獰猛さをうかがわせる鋭い角と爪が生えている。亀裂のような目と口の奥には、ひどく不穏な揺らめきを持つ魔物――上の世界で戦ったのと同じ、魔王ムドーだ。
「わっはっはっはっ! ラーの鏡を持っていたとはな! 同じ手は効かぬか……」
「ずいぶんと耳の遅いことだ。上の世界でのお前にも見せてやったというのにな。それでよくまぁ世界を征服するなんぞと大口を叩けたものだ、その恥知らずっぷりにはある意味感動すら覚えるな、死んでも真似したくはないが」
「―――!」
 いつも通りの憎まれ口に、体と心が一気に覚醒する。そうだ、ここは魔王ムドーの居城、魔王の部屋。目の前に立っているのは、自分たちの宿敵魔王ムドー! そしてそれと相対しても微塵も臆さず憎まれ口を叩いているのは、ローグ――自分の相棒だ!
「ふん、虫けらが、吠えよるわ……ラーの鏡があったところで、私が自らの手でお前たちを滅することを防ぐ役には立たんのだぞ?」
「強制終了でぎりぎり威厳を保っている中ボスの分際でたわごとをほざくな。貴様程度の力で俺を殺し尽くせるというならぜひやってもらいたいものだな、世界法則を覆す大発見ができる。まぁ貴様のようなこちらが弱いせいで強者の名を冠されているだけの下衆な屑では、俺を一度倒すことも不可能だろうがな」
「貴様っ……貴様ごとき虫けらが、魔王たるこの私に……」
「笑わせるな、なにが魔王だ。ひとついいことを教えてやろう。俺を誰だと思っている?」
「ふん、貴様など、しょせんその力を半分も取り戻していない、不完全な」
「愚かというもおこがましいな。しょせんはその程度の塵芥か。お前程度の浅知恵で俺を語るなど、自分の底の浅さを最初から露呈しているようなもの、ということだな」
「なっ……貴様、魔王であるこの私に……!」
「なにが魔王だ。思い上がるな、木偶が」
 言いながらローグは、ふん、と鼻で笑い、自分よりもはるかに大きい魔王ムドーを、見下すような視線で見上げ、告げる。
「―――俺は、主人公≠セ」
 ぷっ、と思わず吹き出す。本当にこいつは、こんな時でも変わらない。魔王ムドー相手だということで肩に力を入れていた自分が馬鹿に見えるほどだ。
「お前が主人公だってんなら、相棒の俺を忘れてもらっちゃ困るぜ?」
 ずいっ、と身を進めて自分を親指で指すと、一瞬目を瞬かせるも、すぐにいつも通りの不敵な表情で笑んできた。
「ま、顔も頭も腕もいい主人公の相棒は、足りないものを補うために脳筋になるのはわりと基本だからな。お前でいいってことにしてやるから、きりきり働きやがれよ」
「へいへいっ!」
「……ミレーユ、チャモロ、いけるか?」
「ええ……大丈夫。ムドーを前にして、弱っている場合じゃないものね」
「私も大丈夫です。ゲントの民として、ここで退くわけにはいきません……!」
 ミレーユとチャモロが後方で身構える気配も伝わってくる。背中から伝わってくる仲間の存在にますます気合を入れられながら、ハッサンはじゃっ、と炎の爪を構えた。
「よろしい……。それほどまでに、この私を倒したいというなら――夢よりもはるかに恐ろしい現実というものを見せてやろう。いでよ! わがしもべたち!」
 ムドーが大きく腕を振るや、じゃっ、と音を立て、影から抜け出るようにして両脇に魔物が現れる。カメレオンマンと同型だが、色合いが違う。違う魔物――たぶん、あれより強敵だろうことは容易に想像がついた。
「よっしゃあっ、いくぜぇっ!」
 ハッサンはムドーに爪を突き立てるべく飛び上がろうとする――が、その直前にローグが叫んだ。
「ハッサン! お前は炎の爪を掲げろ! ミレーユはいつも通り、全員にスカラを! チャモロはゲントの杖で回復に専念だ!」
「!?」
 この中では一番の攻撃力を持つ俺に、なんで――などと考える暇もなく、反射的に爪を高く掲げた。や、焼きを入れたての武器のように赤々と輝いている炎の爪が、ぐるるぅっと逆巻いた――と思うや、その先端から巨大な炎の玉が飛び出て、ムドーに向けて突撃する。
「うおっ!?」
「ぐぎゃあぁっ!」
 ムドーが絶叫する。それを庇うように両脇の魔物がムドーに向けて剣を振るいかけたローグに襲いかかるが、ローグは的確にそれを捌き、受け流し、避けられない攻撃は鎧で受け止め、隙を見て逆に一撃を返した。
「ハッサン! 今ムドーに一番ダメージを与えられるのはその爪だ、前線で壁になりながら炎の爪を使いまくれ!」
「……了解っ!」
 自力で爪を揮えないのは少しばかり残念な気がしなくもないが、相手は魔王だ、自分の好きな戦い方だけで勝てれば世話はない。ハッサンはだっと踏み込んで、前線で敵の攻撃を受け止めながら炎の爪を振るい始めた。
「ぐおっ! 図、に……乗る、なアァッ!!」
 ぐおっ、と大きく開かれたムドーの口から、燃え盛る火炎が噴き出す。それは大きく広がって、ハッサンも、逆側から攻撃を仕掛けていたローグも、後方のミレーユとチャモロも、全員を呑み込んでその体を焼く。
「ぐっ……!」
「あぁっ!!」
「う、く、ぁぁあっ!!」
「ミレーユ! チャモロ!」
 今の炎は強烈だった。ミレーユとチャモロには死に繋がりかねない打撃だっただろう。回復すべきか、と一瞬迷う――が、そこにローグの声が飛んだ。
「お前は攻撃に集中しろ! 回復の手が足りなけりゃ俺が道具を使う! 敵を一番早く倒せるのは、お前だ!」
「……っ、了解っ!」
 腹の底から背筋まで痺れさせるような苛烈な声。いつもながら、戦いの時のローグからは罵倒も回りくどい言葉も消え去り、端的で効果的な指示だけが飛んでくる。それはハッサンの体を自然に、しかも心地よく動かして、戦いのリズムを作ってくれた。
 こいつの指示に従っていれば大丈夫、だと。こいつの言う通りに動いて、こいつを助けて、こいつの役に立ちたい、と。
 雑魚敵を次々と焼き殺し、ムドーに攻撃を集中させる。ムドーは何度か影から新しい雑魚を召喚したが、そのたびに炎を飛ばして蹴散らした。ムドーの攻撃はもちろんそれなりに苛烈だったが、スカラで防御力を上げてもらえばプラチナメイルとドラゴンシールドで固めた自分たちにはほとんどダメージがない。何度かルカナンを唱えてくるものの、そのたびにミレーユがスカラを唱え直した。
「でぇ、りゃあっ!」
「ぬぐっ……!」
 気合を込めて飛ばした炎の玉に包みこまれ、ムドーはぐらり、と膝をつく。やったか、と勇みかかるが、ローグは素早く「まだだ!」と叱り飛ばしてきた。
「なぜだ……!? こんな虫けらどもに、この私が、やられてしまうとは……」
 やられた、と言いながらも、確かにムドーの覇気はやられた相手のものではなかった。ぎらり、と殺気の籠った眼が輝き、こちらに闘志を伝えてくる。
「我が名は、ムドー。世界を我ら、魔族のものにするまで……まだ滅びるわけには、ゆかぬ!」
 言うやムドーはずおっ、と音が聞こえるほどの勢いで立ち上がり、眼を鋭く、そして怪しく光らせた。
「ぬおおおー! かっー!」
「…………!?」
 ムドーが気合を炸裂させるや、部屋の中にごおっ、ともやが広がった。この部屋に入ってきた時と同じ、七色の不気味な色合いに輝くもやだ。
 まさかさっきと同じように、と仰天してローグの様子をうかがうが、ローグは真剣な面持ちで首を振った。
「この靄は、効果範囲内でムドーの力を発揮しやすくするものってところだろう。絶対的な力の差を作るわけじゃないが、当然ラーの鏡は役に立たない」
「ほう……よくぞ見破った。それでも、我に立向かう、と?」
「いまさら聞くことか」
「くくくっ………然り!」
 靄に包まれて、ひどく不気味な色に輝くムドーは、空気を揺らして大笑しながら吠えた。ハッサンの身が、びりびりと勝手に痺れてしまうほどの気合いだ。
「さあ、来るがよい! 私の本当の恐ろしさを見せてやろう……」
 台詞の最後は、口から吐き出される息へと変わった。それもただの息ではなく――吐き出された先から空気を凍りつかせていく、零下の息だ。それは一気に周囲を取り巻き、包み込んで、自分たちの身体が焼きつくほどの勢いで温度を下げていく………!
「ぐ……う、がっ……!」
 思わず咳き込んで、口から血が飛び出したのに目をみはる。おそらく、今の一撃で体内のどこかが傷つくほどの勢いで温度を下げられたのだ。内臓のどこかが凍りつきでもしたのかもしれない。そんな状態で、生物は生きてはいられない――
 だが!
 ハッサンはぎっとムドーを睨みつける。自分も伊達や酔狂でここまで来たわけではないのだ。曲がりなりにも世界を救うつもりでここまで来たのだ。この程度でくじけるためにここに来たわけではないのだ!
 こんなところで負けてローグの足手まといになるなんぞ、死んでもごめんだ!
「作戦継続! ただしミレーユは回復メインで! 物理攻撃なら俺たちが壁になってできるだけもたせる!」
「わかったわ!」
「わかりました!」
「あいよぉっ!」
 ハッサンは再び炎の爪を掲げて、炎の玉を噴き出させる。さっきと同様に、炎の玉で包まれたムドーは、「ぎゃおえぇっ」と奇声を上げて炎の玉を振り払う。それは、つまり。
「それだけ、効いてるって、ことだよな!」
「図に、乗るなと、言ったであろうがァッ!」
 バシャアッ! と音が立って、閃光が部屋の中を支配した。ムドーの身体から、稲妻が立ち上ったのだ。
「ぐぅ………っ!」
 前線に出ていたせいで稲妻に直撃されたハッサンは、数瞬呼吸ができなくなって硬直した。強烈な電撃なんぞというものを浴びせられたのはこれが初めてだが、ここまで強烈なものだとは初めて知った。神経のひとつひとつが押さえつけられたように麻痺してしまう衝撃、皮膚を焼き肉を焦がす雷、どれも何度も喰らえば間違いなく、死ぬ。
 だが、それでも。
 ぶおんっ、とハッサンめがけて振り下ろされる爪を、必死にかわして鎧で止める。衝撃で吹き飛ばされ、肉を裂かれながらも、ひたすらに炎の爪を差し上げる。これがローグに下された命令だから。それを果たすのが自分のできる、一番マシなことだから。
 後方からは何度も癒しの波動が飛んでくる。そのたびにみるみる傷が癒され、壁としての耐久力を回復させる。ならばなんとしてでも、全力で、自分の役目を果たすしかないだろう!
「おの、レェッ……!」
 ムドーの瞳が怪しく光る。意識がぱたん、と断絶する。だが苛烈な攻撃にすぐ目を覚まさせられた。すぐに前線に戻って炎の爪を差し上げる。
 眩しい光が目を焼く。無視して気配だけで居場所を察し、そこへ向けて炎の爪を差し上げる。
 何度も何度も炎の玉を喰らっても、ムドーは死なずに苛烈な攻撃を返してくる。これまで戦った魔物とは、耐久力も攻撃力も比べ物にならない。それでも。
「ここで退いたら、仲間に――ローグに、申し訳が立たねぇんでな……!」
 自分の隣で、ローグも必死に攻撃を受け止めている。道具を駆使し、光に目を焼かれながらも打撃と回復をくり返している。そして少しも諦めようとせずに、鋭く指示を飛ばしているのだ。
「チャモロ! しばらく自分に回復集中しろ、お前が倒れたら他も将棋倒しになる! ミレーユは回復が回ってくるまで防御しろ、回復できたら攻撃に回れ!」
 ならば、自分が頑張らずになんとする。ローグを相棒と呼んだのは、嘘でも冗談でも、ない!
「ハッサン!」
 鋭い声に、はっと一瞬そちらに意識を向ける。ローグの鋭い目と視線が合う。――とたん、ハッサンはムドーへ向けて駆けていた。
「むっ!?」
 これまでずっと防御体勢を取っていたからだろう、一瞬ムドーの反応は遅れた。――そしてその一瞬で、ローグは懐に潜り込んでいたのだ。
「―――ふっ!」
 渾身の力を込めて足から胴へと斬り上げる。ローグはあの体つきからは考えられないほど力が強いのだ、ムドーが「がはっ」と苦痛の息を吐いて、また動きが数瞬止まる。
 ――そこに、大きく飛び上がったハッサンの、炎の爪が突き立った。
「がはっ………!?」
 ムドーの身体を突き刺し、斬り裂き、そして中から炎を噴き出させて焼く。むろん攻撃を与えたらすぐに身を退いて体勢を整えたが――ローグがふん、と鼻を鳴らしたのに気づき、ああ、だからこんなことをさせようとしたのか、と遅ればせながら納得した。
 ムドーの体色が闇色へと変わる。力を増すように、と言うよりは水を入れすぎて破裂する寸前の水袋のように。
 ムドーの動きが止まり、表情が止まり、息が止まる。震える声で、数語を吐き出し――
「こ、こ、こんな、はず、では………」
 ――それがムドーの最期の言葉になった。ムドーの体内からまばゆく輝く青白い光が飛び出し、ムドーの身体を打ち砕きながら四散する。ムドーはまるで砂人形のようにあっさりと、その光に打ち崩されて、消滅した。
 ふっ、と息をつく――が、それで終わりではなかった。周囲には白く輝く美しい羽根も舞い、同時にどこからともなく不思議な声が聞こえてくるのだ。
『頑張りましたね、ローグ。あなたたちのおかげでムドーは滅び去りました。さあ、行きなさい。みながあなたたちの帰りを待っていることでしょう―――』
 その瞬間、ハッサンの意識は途切れた。

戻る   次へ
DRAGON QUEST VI topへ