妖精
「……最後に、もう一度確認するぞ」
 ディックが散々怒鳴って嗄れた声で言うと、仲間たちはおのおの違った表情でうなずいた。
「まず、アルバーはセディのことは仲間として好きだから、半端な男に任せるぐらいなら自分で面倒を見たい。でも恋愛感情はない、と」
「ああ」
 アルバーが仏頂面でうなずく。
「ヴォルクは、セディに対しては仲間以上の感情はまったくないが、セディとのセックスがあんまりよかったんでできればまたヤりたい」
「む……う」
 ヴォルクが顔を真っ赤にしながら視線を逸らしながらもうなずく。
「エアハルトは、別にセディを好きとかどうとか言う気はないが、セディが自分とヤりたいというなら応えてやらないでもない、ぐらいの気持ち」
「……ええ」
 エアハルトが能面のような無表情の中で熾火のように瞳を燃えさせながらうなずく。
「スヴェンは、とにかくもうなんでもいいから喧嘩せずに無事にことが済んでほしい」
「う、うん、まぁ」
 スヴェンがちらちらと他の面々の顔色をうかがいながらひきつった笑みでうなずく。
「で、俺は、さっきも言ったが。セディとは全員距離を置くべきだと思ってる」
 ディックが全精神力を動員して冷静な口調を強いながら言うと、アルバーがたちまちいきりたって椅子から立ち上がった。
「だっからなんでだよっ! さっきも言ったけど! 俺たちとあいつは仲間なんだぞっ、そーいう風に変に遠慮してて一緒に冒険なんて」
「これもさっきも言ったが、冒険の時に遠慮しろとは誰も言ってない。プライベートで距離を置け、と言ってるんだ。セディも含めて、俺たちには少し頭を冷やす時間が必要だ」
 特にお前にはな、と本当は言いたかったのだが口にはしないディック。
「あいつの倫理観が生い立ちのせいでどれだけズレてるかは、何度も説明しただろう」
「……それは……」
 ぐ、と言葉に詰まるアルバー。ふ、とディックは小さく息をついた。
 現在ディックたちは冒険者ギルドで部屋を借り、ギルド内会議を行っていた。あのまま迷宮に潜れば全滅必至! と危惧したディックが必死にフォロー策を考えた結果だ。
 全員飽きるまで怒鳴り合わせてから、効果的なタイミングを狙ってセディシュの生い立ち(五年間肉奴隷をやっていたということ)を告げて衝撃を走らせ。その隙に冷静な顔で話をまとめようとしたわけだ。
 それでも強固に抵抗する人間はいるわけで。
「っけどな! だったら俺らがそれ直していってやりゃいいだろっ、そーいう風に距離置いたらあいつが……なんつーか……可哀想じゃんかよ!」
 ディックはまた小さく息を吐き、これだけアレなことやられてあいつを可哀想とか言えるお前の頭は相当おめでたくできてるらしいな、という内心の刺々しい言葉を飲み込み、答える。
「直していくために一時的に距離を置け、と言ってるんだ。あいつの倫理観のズレは相当に強固だ。パラダイムそのものが違っていると言ってもいい。倫理観の是正はあいつに世界の崩壊のような衝撃を与えるかもしれない。そういう相手に近づきすぎると、こっちが飲み込まれるんだ。ある程度の距離を置きつつ、理性を用いて冷静に対処する。カウンセリングの鉄則だ」
「け、けどっ!」
「ギルドモットーその5を忘れたわけじゃないだろう。プライベートと冒険はきちんと分ける。プライベートでメンバーとどんなことがあったとしても、冒険ではいつも通りに動いてくれなきゃ困る。そのためにはトラブルのあった人間とある程度距離を置いてお互い冷静になることがベストな方策なんだ」
「だ、だけどさぁ!」
「ついでに言うと、ギルドモットーその10は『みんな仲良く、できるだけ喧嘩せず何事も穏便に』だ。少なくとも今の状態が望ましくないのはわかるだろ?」
 お前でもな、と付け加えたいところだが当然そんなことは口にしない。アルバーは顔を真っ赤にして歯軋りをしていたが、最後には思いきり顔をしかめつつも「……わかったよっ!」と叫んだ。
「全員、いいな? 俺たちは全員プライベートではセディと距離を置く。これからしばらくあいつは一人部屋にする。無視や嫌がらせは絶対禁止だし無理に避ける必要もないが、自分から特にアプローチはしないこと」
 全員、悲喜こもごもな表情を浮かべながらもうなずく。
「よし。……それじゃ、そろそろ迷宮に潜る準備をするか。セディとセスが待ちくたびれてるだろうしな」
 話をしている間セディとセスは待合室(ギルド長のいる受付前)で待たせていたのだ。たぶんピリピリした空気にギルド長も胃を痛くしているだろう。
 ディックは立ち上がり、部屋の扉を開けた。エトリアではいつもそうであるように、起きた時からすでに高い朝の光が眩しかった。

 磁軸でB6Fに下り、隊列を組んで歩き出しながらも、空気は重かった。アルバーはへそを曲げていますと言わんばかりの顔でそっぽを向いているし、セスは殺気立った視線を周囲の全員に向けてきている(特にセディシュ)。ヴォルクは顔を白黒させたりぶつぶつ独り言を言ったりと微妙に挙動不審だし、ディック自身その空気に神経がささくれ立っているのを感じる。
 一人セディシュはいつも通りにきょとんとした顔で、アルバーのあとについて歩いていた。こいつ俺らがもめてることどこまでわかってんだ、とイライラが湧き上がるのを感じた。
 今日はレベル上げも一段落したので(なにせ第二階層に入るや一気に魔物が強くなりまくったので装備の強化やレベル上げが急務だと判断したのだ)、少しずつ進めていた探索を、B7Fやそれより下へと一気に進める予定だった。
 こういうことがあったので一瞬今日はやめようかとも思ったが(そもそもセディシュのことを一段落つけてから探索を進めるべきかという思考も以前よりないわけではなかったのだが、そういうことで探索を遅らせるなぞごめんだったし、それにその問題に対する逃避からもついつい探索は別口のように進めてしまったのだ)、全員に今日から本格的に探索を進めると言ってしまっている。ギルド内のトラブルで予定を遅らせているとメンバーに認識させるのはまずい。予定通り、東の通路を一気に進むぞ、とディックは全員に最初に告げた。
 それに対する反応ははかばかしくはなかったが、反対意見は出なかった。全員揃って磁軸前の扉を開け、またすぐ目の前にある(といっても百mくらいの空間はあるのだが)扉を開ける。ある程度の広い部屋に出た。
 すでにこの部屋のFOEは全滅させているので、東側の扉からその先の通路へ進む。西側の扉の先はすでに探索していた。東側の通路もある程度進んでみてはいたのだが、これは長いな、当たりだな、と勘が働いたので先に西側の通路から調べておいたのだ。
 途中から未探索エリアに入ったので、いつも通りのやり方で進む。すなわち、百m進んで1マス進むごとに左右を確認し必要なら線を引く、というようにせこせこマッピングしつつ警戒しつつの進行だ。
 ある程度進むごとに出てくるウーズだのハチだのナマケモノだのをさくさく倒しながら通路を進む。扉を開けると至近距離にFOEの球体があって反射的に固まったが、とりあえず部屋の中をマッピングしてから突っ込んでみたらジャイアントモアだったのでいつも通りにアザステ医術防御からさっくりと倒す。
 さらに進み、長い通路をしばしえんえんと歩いて採集ができそうな場所を見つけて、そこは行き止まりだったので長い通路を戻ってもう一方の通路をえんえんと進み、扉を開ける。そこはまたある程度広い部屋で、FOEの球体がいくつもあったのでとりあえず避けてマッピングしてから突っ込み、倒す。最後の一体を倒してその背後に扉を発見し、先へと進む。
 この間全員、まったく無言。
 なんというか空気が重いにもほどがあるだろうという感じだったが、ディックとしてはむしろあれ? という感じだった。なんで喋らないでお互い声もかけ合わないで、こうも普通に戦えるんだろう。
 ディックとしては最初から今回の探索は捨てるつもりでかかっていた。今回はチームワークががたがただろうから、戦闘もダメダメですぐ帰ることになるだろう。普段より五割増しぐらいで慎重に探索しつつ、人間関係のリハビリを進めよう、と。
 が、なぜか別に困らない。全員それぞれの役割が完璧にわかっているかのように、的確に行動し効率よく敵の息の根を止めていく。声をかけ合わなくとも、それぞれの攻撃のタイミングも手に取るようにわかってしまった。声を掛け合わなくても歩調は揃っているし、ディックがマッピングを行っている間は全員(無言で仏頂面なのに)立ち止まって待ってくれている。
 奇妙な気分だった。数時間前までさんざん口喧嘩した相手だというのに、相手が次どう動くかというのがなんとなくこうかな、と感じ取れてしまう。そしてそれに対し自分がどう動くかもわかってしまう。
 どう動くべきか、ではなく考えるより先に体が動く。当然のように。まるで自分たちがひとつの動作機構になったように。
 これはもしかして、自分たちがチームとして完成されてきたということなのだろうか。そう思うと面映いような、むず痒いような気分ではあったが、それとこの気まずい空気はまるっきりの別物だ。
 そんな微妙に重い空気の中で、自分たちは無言のままがしがし敵を倒し、マッピングしながらさくさく探索を進め、無言のまま回復やら連携やらを行って、あっさりとB7Fへの階段を見つけてしまった。なんでこう無駄に効率よく進むんだ、と舌打ちしたくなる。これではリハビリのしようがない。
「……どうする?」
 階段の前、振り返って確認する。ここは問いかけておかなければどうにもならない。
 アルバーはぐ、となにかに耐えるように奥歯を噛み締めつつも、じっとディックを睨むように見つめてくる。ヴォルクはなにかを考えるように眉を寄せながら、じっと階段を見つめる。セスは苦虫を十匹まとめて噛み潰したように顔をしかめつつ、わずかにうつむいて階段を睨んでいる。
 そして、セディシュはいつも通りの(こいつは一体ペースを崩すということがあるんだろうか)きょとんとした顔で首を傾げ、言った。
「ディック。TPは?」
「そこそこ」
「みんなは?」
「俺はあんま使ってねーし」
「俺もそこそこ、だな」
「……余裕」
 全員微妙に顔を逸らしていたりしつつ返した言葉に、セディシュはこっくりとうなずく。
「なら、行ってみればいいと、思う」
 ディックはふ、と息を吐いて全員を見回す。微妙に視線が合っていないのが何人かいるが、それでも一応全員、意思は通じ合っているらしい。
 ならば、ためらう理由は、とりあえずない。ない以上足踏みしていては、探索では命取りになる。
「……よし、行くか。隊列組んで行くぞ。まず間違いなくFOE出るからな」
「――おう」
「……ああ」
「……当たり前のこと言わないでよ」
「うん」
 それぞれの返答にもう一度ごく小さく息をつき、ディックは階段に足を踏み入れた。

「……もうちょっとスヴェンのレベル上げをするべきかもしれないな」
「むぐ、っぐ。なんでだよ」
「今のところスヴェンの採集スキルでレベル10になってるのは伐採だけだろう。で、六階磁軸近くのポイントで採集できるもので高額なのは、採取と採掘、特に採掘で採れるものだ。この先も採掘は重要な採集スキルらしいし。これからも確実に武器防具は高くなっていくんだ、金は貯められる時に貯めておいた方がいい」
「はは、確かに。俺もできるだけ頑張るよ」
「そうですね。確かにスヴェンさんはうちのギルドで一番の稼ぎ頭なんですし。僕はレベル上げしてもらっても低いですけど」
「愚痴らないでよ。しょうがないじゃんエアハルト弱いんだから」
「む……僕だってレベル上げしてもらえればそれなりの働きしてみせますよ」
「だが、とりあえずの探索は俺たちがするべきだろうな。今のところ医術防御のおかげで防御はほぼ問題ないのだし」
 TPが切れたせいで早めに戻ってきて夕食を取りながら交わされる会話。一見問題発覚以前と同様の会話のように思えるが、どこか微妙にぎこちなさを感じているのはディックだけではないだろう。
 とりあえず探索は問題なくこなせている。ギルド会議でも当然のように普通に会話できるし、お互い当然のようにチームワークを発揮できる。
 だがプライベートについてはまるで没交渉になっていた。探索に必要なこと以外で会話がまるでない。アルバーは探索以外の時間は食事と睡眠以外稽古しかしていない。ヴォルクは読書か書き物。エアハルトはなぜか執政院に通っている(妙だな、と思いはするものの、ギルドメンバーを疑うのもこの状況ではまずい、と婉曲な探りしか入れていない)。セスは未だに全員と視線を合わせようとしない(怒りはまだ冷めていないらしい)。スヴェンは別の意味で視線が合わない(なぜこうもビビリなのだろう)。
 以前も探索の時間が長かったせいでそれ以外の時間はもう飯、風呂、寝る、ぐらいしかできなかったが、それでもたまに時間の余裕のある時には何人かで酒場に行ったり一緒に買い物に行ったりはしていた(ディックはギルドの用事を優先していたのでまず参加できなかったが)。いつも笑顔のアルバーが基本仏頂面になったのも、ヴォルクが出会った頃よりもさらに殻に閉じこもりがちになったのも、エアハルトが以前より刺々しくなったのも、セスが怒っているのもスヴェンがビビっているのも、なんというかいちいち神経を磨耗させる。
 ただ一人変わらないのは、セディシュだけだ。
 会議の間も、会議が終わり全員無言に戻りむっつりと食事を行っている間も、セディシュはただ一心不乱に食事に集中している。いつも通りの真剣な顔で。周囲の様子などまったく気にする様子もなく。
 いつも通りに一番最初に自分の分(今日は鶏の照り焼き・豆腐の田楽・ひじきサラダ・筑前煮・モロヘイヤと長芋の味噌汁)を食べ終えて、厳かに両手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
「……おそまつさま。味はどうだった?」
 その問いに、セディシュはやはりいつも通りに重々しくうなずいて言う。
「すごく、おいしかった。今日も」
「……そりゃ、どうも」
 もう食事を共にするようになって一ヵ月半も過ぎようかという頃だというのに、セディシュは真剣勝負のように食事を取るのをやめない。やめさせるべき習慣というわけでもないが、どうしてこうも自分のペースを変えないでいられるのか。自分の料理にだって慣れてくる頃だろうし、周囲の空気にだって気付かないわけじゃないだろうに。
 ほんっとに、なんでこんな奴拾っちまったんだろう。何度も繰り返した慨嘆を、さらにもう一度繰り返す。ギルドメンバーに普通に一般常識を期待する自分は決して間違ってはいないはずだ。
 お茶を啜っているセディシュを、恨みがましく見つめながら考える。こいつ、本気でギルドから放逐できないかな。ギルド内に不和を撒き散らしたってことで。ああでも無理だろうな、アルバーがぎゃあぎゃあ騒ぎ立てるに決まってる。あいつけっこうギルド内の空気に影響大きいからな。他の奴らもいい顔はしないだろうし。セスは喜ぶかもしれないけど。っとに、どいつもこいつもどうしてああもあっさり男に篭絡されるんだよ、一般常識で考えておかしいだろ。いや、そりゃ男ってのはちょっと可愛かったら食ってもいいかな、と思っちまう生き物だってのは承知してるが。
 でもな、実際こいつ、現在のギルドには欠かせない戦力だしな……こいつの代わりにエアハルト入れても明らかに戦力は落ちるだろうし。防御は医術防御でほぼ完璧だからパラディンって使いどころないんだよな……。縛りをローコストで使えるってのも大きいし。
 結局、現状維持しかないわけか。どっちをどうつついても状況が悪化しそうで。あああ、ほんっとーに、なんでこんな奴拾っちまったんだろうなぁ。
 そんな我ながら陰陰滅滅とした視線に気付きもせず、セディシュはお茶を啜り終えた。

 ディックは、ベッドに寝転がりつつ、医学書を読みながら明日からの探索計画を今日の会議を元に脳内で修正する、という作業を行っていた。なんでそんなことができるんだ、と人に驚かれたことがあるが、思考の分割は慣れれば決して難しい作業ではない。少なくとも、ディックには。
 こうして一人で探索計画を考えている時が一番心が安らぐ。最近のレベル上げのせいで宿代がお高くなった分部屋の質も向上しているため、フェイタスのメンバーは基本的に全員一人部屋になっているというのが個人的にはありがたい。ギルドマスターとしては二人部屋ならまだ話すきっかけがつかめるかもというような思考も働くが、一人の人間としては宿で休む時くらい心安らかにぐてぐてしたいのだ。
 セディシュに対する対策をなにか練るべきではないか、と主張する思考もあるのだが、このとりあえず探索に支障がなくて、かつ問題が個人の感情という本人ですら処理しがたい部分にあり、どうすりゃ解決できるのかさっぱりめどの立たない状況では、ついついそれより探索を進める方向に思考を働かせてしまう。問題を先送りにすることが事態の硬直化を招くとわかってはいても。
 境遇には同情するし(その同情せざるを得ないという壮絶な過去もディックにとっては気鬱の原因になる。見捨てることにどうしても罪悪感を抱いてしまうからだ)、責任は誘いに乗った方にもあるとは思う(セディシュは無理強いは決してしないだろう)。だがそれでもセディシュに関わるいちいちが面倒くさくて鬱陶しくて、正直セディシュに関することはもう考えたくない、というのがディックの本音だったのだ。
 そしてそういう自分に罪悪感を抱いてしまったりもするので、意識的にセディシュに関することは脳内で極力封印して、とりあえずの明日のことだけを考えるようにして。ディックはすらすらと医学書を読み進めた。
「……なんでこんなことまでしなきゃならないんだかな」
 ふと口をついて出た言葉に、ディックは発作的にどん、と胸を叩いた。今更だ。自分はあの時あの選択肢を選んだのだ。ならば、やり通さなければならない。こんなところでつまづいていては、周囲の反対を振り切ってエトリアにやってきた意味がない。世界樹の迷宮くらい踏破せずに、帰れるものか。
 なにを考えてるんだ俺は、と首を振る。無駄なことだ。非効率的な思考をディックは嫌う。人生に無駄遣いしている暇はない。とりあえず今はこの医学書を読みきろう、と再び顔を本に近づけた時、こんこん、と部屋の扉がノックされた。
 不吉な予感がした。だが、無視などという低俗な手段を取るわけにもいかない。ディックはベッドから下り、立ち上がり、医学書と眼鏡をサイドテーブルに置いてのろのろと歩いて扉を開けた。
 予想通り、扉の前にきょとんとした顔で立っていたのはセディシュだ。
「……なにか、用か」
 話したくないなー、と思いながら問うと、セディシュはわずかに首を傾げて言った。
「ディック。一緒に、寝てくれない?」
「………………」
 一応予想の範囲内ではあったものの、やはりその問題発言に思わず頭をくらりとさせながらディックは問い返す。
「なんでだ」
 セディシュはまた考えるように小さく首を傾げ、ディックを見上げ言った。
「なんとなく」
「………………」
 そーだろーなお前は基本なんも考えてないもんななんも考えてないまま問題ぱかぱか作りだすもんな、と一瞬虚ろな目になってから、続けて訊ねてみる。
「もし俺が断ったら、どうする気だ」
「アルバーのところに行って、頼む」
 ディックはわずかに目を見開いた。ということは、もしかして。
「……俺のところに最初に聞きに来たのか?」
「うん」
 こっくり。
「なんでだ」
「なんとなく」
 また『なんとなく』か。
 はー、とため息をついて、ディックは扉を大きく開けた。ぶっちゃけかなり嫌だが、こいつを説得する手間を考えただけでどっと疲れるし、他の奴らのところにこの誘いをかけられても困る。
 別に自分が最初でちょっと嬉しかったなどとは微塵も思わないが。まったく全然少しも。
「好きにしろ」
 セディシュはその言葉にわずかに首を傾げてから、こっくりと、珍しく少しためらいがちにうなずき、部屋の中に入ってきた。
 その様子をじっと見ている人間がいることに、ディックは気付かないまま扉を閉じた。

 セディシュはゆっくり中に入ってきて、「好きな方で寝てろ」とベッドを指したディックが椅子に腰かけると、眉を寄せた。
「ディックは、寝ないの?」
「ああ」
「なんで?」
「他にやることがある」
「やることって?」
 しつこいなこいつ、と眉を寄せつつディックは答える。
「この医学書を読んじまいたいし。明日からの探索計画も練り直したいからな」
「……それが終わったら、寝る?」
「……まぁ、たぶん」
「じゃあ、俺も、それまで起きてる」
 ディックは眉間の皺を深くする。
「なんでそうなるんだ。明日も五時チェックアウトなんだぞ、とっとと寝ろ」
「寝れない」
「は?」
「寝ようとしても、寝れない」
 ディックは今度ははっきりと顔をしかめた。セディシュにしてはかなり珍しい言葉だ。今まで同室になった経験からすると、セディシュはベッドに入ったらいちにのさん、で眠ってしまう方だと思っていたのに。
「……なにか寝苦しい理由でもあるのか? 胸が苦しいとか、体が重いとか」
 正直気が重かったが、それでも医者として健康を損なっている人間は見過ごせない。そう訊ねると、セディシュはわずかに顔をしかめるようにして(実は相当に珍しい表情だ)首を傾げ、数秒停止してから答えた。
「声が」
「……声?」
「うん。声が、聞こえる」
「どんな声だ」
「いろいろ。俺を罰してください、とか。俺は変態です、とか。そういうこと、いろいろ……うるさくて、よく眠れない。最近はそれ、わりと静かだったんだけど。最近、また大きくなってきて」
「は」
 ディックは一瞬ぽかんとして、それからざっと顔から血の気が引いた。被害的なニュアンスをともなった幻聴。それはまさしく、神経症――統合失調症(精神分裂病)のサインではないか?
 いやもちろんそうと決まったわけではない。脳腫瘍の可能性もあるし、確定させるには専門医の診断が必要だ。だがその可能性は、考えてみれば著しく高い。人権を蹂躙されてきた五年間もの時間。普通に考えればトラウマになるどころの騒ぎではないだろう。人格崩壊にすら陥りかねない状況だ。きちんとしたメンタルケアは必須。なぜ最初に話を聞いた時にそう考えなかったのか。
 いやだってこいつはいつだって平気な顔をして(平気な顔をしていることと平気なことは違うのに)。
 いつもあんまり図太くマイペースを貫いているから(そのマイペースが傷つけられた末の逃避でないと誰に言えるだろう)。
 いつもしっかり自分たちを守って、戦力になってくれているから、当然のように強い奴だと、しぶとい頑丈な奴だと、認識して―――
 かぁっ、とディックの頭に血が上った。悔しい。なんでこれまで見過ごしてきたんだ。冗談じゃない。神経科は専門外だが、それだって研修を受けたことはある。ギルドメンバーから病人なんぞ、プライドにかけても出してたまるか。たとえこいつが問題をどれだけ起こしていようと、それとこれとは話が別だ。
 病人を見捨てない。そんなものは医者として当然以前の話だ。たとえ相手を自分がどう思っていようと関係ない。こいつの行為や倫理観のせいでどれだけギルド内が混乱しようとも、それと医者としての治療行為は無関係だ。よってセディシュの病気は治療されねばならない。
 そう脳内で胸の焦げつくような感情を言語化すると、ディックはセディシュに笑顔を向けた。研修の時何人もの女子供の警戒を削いできた必殺の笑顔だ。
「なぁ、セディ。お前、ケフトで診察を受けてみる気はないか?」
 セディシュはまたわずかに首を傾げる。
「診察?」
「ああ。お前のその声というのは、病気なんじゃないかと思うんだ。俺でも診断できないことはないが、やはり専門医の方がいいに決まってるしな。しばらくスヴェンのレベル上げを重点的に行うと決まったことでもあるし、時間の余裕もあるだろう。明日にでも、どうだ?」
 セディシュはいつものわかってるんだかわかってないんだかさっぱりわからないきょとんとした顔つきでじっとディックを見た。そして言った。
「俺、いらなくなった?」
「……は?」
 一瞬、意味がわからなかった。眉をひそめて聞き返すと、セディシュはいつもの無表情で淡々と繰り返す。
「俺、いらなくなった?」
「いらないってなんだ。ギルドメンバーとしての要不要を聞いてるのか?」
「ううん、ディックに」
「……どういう意味だ?」
 苛立って睨むように見ると、セディシュは無表情のままその視線を見返して訥々と言う。
「俺がいらないって、ディックが思ったら言ってほしいな、って思って」
「だからいらないってどういう意味だ。お前は自分がギルドの戦力になってる自覚がないのか?」
「戦力になってても、いらないものは、いらないと思う」
「だからなんだそのいらないってのは。お前の自我は他人に必要だと思われなきゃ保てないほど希薄なのか」
 思わず言葉を尖らせると、セディシュはまたきょとんと首を傾げ、言う。
「いらないは、いらない。ディックが俺のこと、邪魔だなとか、相手するの面倒だなとか、飽きたなとか、そう思ったら言ってほしい、ってこと。そうしたら、俺は早く、消えられるから」
「は……?」
 一瞬の混乱。そのあと背筋にぞっ、と冷たいものが走った。
 セディシュはいつもの赤ん坊のような瞳でこちらをじっと見つめてくる。その揺らぎのない、恐ろしいほど正気に思える視線。そのまま、セディシュは言ったのだ。
 ディックが自分は不要だと思ったら、自分は消えると。
「待て……ちょっと待て。消えるというのはどういう意味だ、セディ?」
「消えるは、消える。ディックの目の前から消えて、もう二度と顔を見ることもないようにする」
「エトリアから出るってことか? いや、だからってなんでその基準が俺なんだ。別に俺はお前を所有してるわけでもなんでもないんだぞ?」
 セディシュはまたきょとん、と首を傾げた。いつも通りの動作。表情もいつもと変わらない。それがひどく心臓を冷やす。
「だって、くれたのは、ディックだから」
「……なんだって?」
「俺に、来るかって、言ってくれたのは、ディックだから」
 ディックは最高速で記憶を検索した。そうだ、確かにこいつと出会った時、自分はそう言ってこいつに手を差し出した。だけど。
「だからって、俺はお前を所有物にしたわけじゃないだろう。俺はお前を、仲間として扱っていたつもりだ。お前はそうじゃなかったとでも言うのか?」
「うん? ううん。でも、俺に来てもいい≠チて、許可? を与えてくれたのはディック。だから、ディックが来るな≠チて思ったら、俺はここにいちゃいけない。でしょ?」
「だからなんでそうなるんだ! お前には自分の意思がないのか、俺が死ねと言えば死ぬとでも!?」
「うん」
 冷静に、と言い聞かせる暇もなくかあっと頭に血が上って叫んだ、常識的に考えれば医者の道義に外れた言葉に、セディシュはこっくりうなずいた。
「………は………?」
「ディックが死ねって言ったら、死ぬ」
「な」
 ディックの頭から、ざっと血の気が引いた。
 セディシュの顔は、いつも通りだった。赤ん坊のようなきょとんとした無表情。微塵も揺らぎのない視線。まるでごく当たり前の常識を口にしているような。思わず体を震わせながら、ディックは問う。
「な……んで、そんな」
「? なんでって?」
「お前……生きたいと、思ったこと、ないのか?」
「ある」
「ならなんで!」
「でも、俺が生きたいって思うのは、ディックや、みんなが、いるからだから。ディックが俺をいらないとか、死ねって言ったら、消えるし、死ぬ」
「だからなんでそうなるんだ! 俺は、みんなだってお前を所有物だなんて思ってないんだぞ! 仲間だって思ってるんだぞ!? 仲間に言われたぐらいでどうしてそんな気になるんだ!」
「仲間だから」
「は……?」
「俺のこと、仲間だって思って、大切にしてくれるから。その人たちが俺をいらないとか、死ねとか思ったら、その通りにしたい。みんな、大好きだから」
「………な………」
 いつも通りの声と表情。いつもと変わらない淡々とした口調。本気だ。こいつは本気で言っている。考えてみればこいつは、うまく思考を言い表せないことはあっても、嘘や冗談を言ったことは一度としてない。
 だけど、それは、つまり。
「お前は……自分のことを、なんだと思ってるんだ」
「? 俺は、俺」
「そういうことじゃなくて! お前は物じゃないんだぞ。飽きたから取り替えられるおもちゃじゃない! 人間なんだぞ!? なのになんで」
 言いかけて、ディックの口は止まった。
 セディシュは、ずっと、おもちゃだったのだ。飽きたら捨てられるのが当然の、おもちゃだった。
 肉奴隷。その言葉のインパクトが強烈で、正確には認識していなかった。十歳からの、五年間。自我の成長過程。その間ずっと、自分の人格に価値を置かれず、ただ身体を弄ぶおもちゃとして扱われてきた。そんな状況で、人格崩壊が当然の状況で、そもそも普通≠フ人格が育つと考える方が、おかしいのではないのか?
「俺は、物じゃないかもしれないけど。でも、ディックやみんなが死ねって言ったら、死ぬよ」
「……セディ」
「邪魔だとか、面倒だとか、飽きたとか思われたら、消える。俺、ディックやみんなが嫌な思いするの、嫌だし」
「セディ……っ」
 違う、それは違う、全然違う。根っこのところがそもそも間違っている。自分のことを大切にできない人間に他人が大切にできるわけがない。
 そんな常識的な反論はできなかった。言うべきだ、と考える思考もディックの中にはあった、だけど口には出せない。出したくない。
 以前なら当たり前のように言っていたかもしれない。正論を振りかざして理解しろ、と放り捨てていた可能性の方が高い。カウンセリングでもそういった手法もそれはそれとして認められている。
 けれど、今は嫌だ。どれだけ理論的に正しかろうと、頭の中で考えたことと実際の経験とはまるで違う。戦うと覚悟をしていたつもりでも自分はビビった。リスクとして計算していたつもりでも仲間が死んでショックを受けた。全滅しないように考えていたつもりでも全滅を避けられなかった。
 その時のことを油断していたがゆえの自業自得、と切り捨てられるのは嫌だ。冗談じゃない。それが正しいのはわかっている、だがあの瞬間の、世界が終わる絶望は、自分にとっては絶対に、それが正しいから、なんぞという理由でただのミスとして片付けることなどできない。
 セディシュは、自我を形成する五年間、ずっと大切にされてこなかった。なのに、当たり前のように人を大切にしている。仲間を大好きだと言って、体を張って守って、要望をかなえようとして。――面倒くさいと、鬱陶しいと思ってしまった自分にも、当然のように。
 そんなこいつに、なにを言えばいいんだろう。
 こいつを否定したくない。だけどこのままじゃ嫌だ。そうだ嫌なんだ。俺はこいつが自分を大切にしないのは嫌なんだ。このままのこいつじゃ嫌なんだ。
 正直こいつの人生なんて重すぎて背負えない。これからもトラブルを起こすこいつを面倒くさいと思ってしまうと思う。だけどそれでも、俺は。初めて出会った時嫌悪感を抱きつつも手を差し伸べてしまったように。
 今のこいつを、放っておきたくない。
 じわ、と瞳が熱くなったことに仰天し、ぐっと唇を噛んで涙がこぼれるのを堪える。冗談じゃない、泣くところなんて見せてたまるか。
 きゅっと唇を引き結んでセディシュを見つめると、セディシュもじっとこちらを見返してくる。眉を寄せ、物言いたげに口を開けた、いうなれば『心配そう』な顔で。
 ディックは少し無理をして苦笑の表情を作った。こいつに心配されるというのは、妙な気分だ。
「一緒に、寝るか?」
 セディシュはきょとんとした顔をした。
「いいの?」
「お前から言い出したんだろ」
「……うん。ありがとう」
 ぺこり、と礼をするセディシュの頭を軽く撫でる。セディシュは驚いたように目を見開いたが、やがてにこ、と口元を笑ませた。笑顔は本当に可愛いよな、こいつ。苦笑したままそう思う。
 一緒にベッドに入ると、セディシュはじっとディックを見つめてくる。初めてあった時とまったく変わらない赤ん坊のような目で。
「……なんだ?」
「ディック。する?」
「……もしかしてお前、最初からそういうつもりだったのか」
 低く言うと、ぷるぷると頑是ない仕草で首を振る。
「違う。でも、そういうことになったら嬉しい、と思ってた」
「あのな」
「なんだか最近、みんな、寂しそうだったし」
「……寂しそう?」
「うん。苦しそう? とか、辛そう。とか、そんな感じ」
「…………」
 こいつなりに雰囲気が変なのを感じ取っていたんだな、とディックはわずかに眉を寄せた。ということは、自分たちがプライベートでセディシュとの係わり合いを避けていたのにも気付いていたのか?
「だから、出すもの、出したら、すっきりするかな、って思って」
「………なんでそうなる」
「? なんで、って?」
「あのな、人間関係の不和ってのは出すもの出せばうまくいくってもんじゃないんだぞ? そもそもそういう関係をほいほい結ぶことが不和の原因になることの方が多いんだ」
「そうなの?」
「そうだ。お前だって好きな奴が他の奴に寝取られたら面白くないだろう?」
「……別に?」
 きょとん、と首を傾げられてディックは黙った。そうだ、セックスを強いられるのが日常だった人間にこんなことを言ったってどうしようもない。
「……とにかく、今日は寝ろ。なんなら子守唄を歌ってやろうか?」
「こもりうた?」
 きょとん、とまた首を傾げられた。
「……もしかして、知らないのか?」
「うん」
 こっくり。
「……子供を寝かしつける時に歌う唄だよ。ほら、目を閉じて……」
 ディックがそっとまぶたを撫でると、セディシュは素直に目を閉じた。
 低く子守唄を歌いながら、そっと頭を撫でる。セディシュの髪は柔らかくて触り心地がよかった。何度も何度も、できる限り優しく。
 しばらくするとセディシュは寝息を立て始めたが、なんとなくディックはそのまま髪を撫で続けた。唄もそのまま歌い続ける。
 子守唄がなにかも知らない人生、というのはどういうものなのだろう。十歳から肉奴隷だったと言っていたが、それ以前はどんな生活をしていたのか。親は、家族は。なぜ奴隷になったのか、どうやってその生活から抜け出ることができたのか。
 たぶん幸せな人生ではなかったのだろうと予想がついたからなにも聞かなかったが、これからは聞かなければならない。相手を治すためには、まず相手の状況を知らなければどうにもならないのだから。
 こいつの歪みを治そう、とディックは決めた。それはディックにとっては通常の仲間という線引きから一歩踏み込むということだ。
 もう覚悟は決めた。はっきり言って重いし背負いたくないという気持ちはやまやまだが。
「しょうがないよな」
 こいつは自分にとっても、どうやら大切な仲間のようだし。
 ディックはセディシュの可愛らしい寝顔を見ながら、これからのカウンセリング計画と探索計画を平行して練った。

 いつも通り、チェックアウトから四十五分早く食堂に下りると、なぜかそこには自分とセディシュ以外のメンバーが勢揃いしていた。なんだ、と目を見開く間もなく、全員揃ってぎろっ、とこちらを睨む。
「……おはよう」
『…………』
 冷静を装って挨拶をしても、全員こちらを睨むのをやめない。
 一番凄まじい目でこちらを見ていたアルバーが、ぼそりと言った。
「どういうことだよ」
「は?」
「セディシュとプライベートで関わるなっつったのお前だろ!? なんで部屋に誘ってんだよっ!!」
「………はぁ!?」
 ディックは仰天した。いやだってまさかそんなこと考えても、というか見てたのかこいつ、けどでも確かに考えてみたらあの状況はたから見てたらそういうことしたように見えるよななどと思考は千々に乱れる。
「なに考えてんだよっ、ヤったのかてめぇっ」
「アルバー、他の人もいるんだからそんなに大きい声では……で、どうなのかな、ディック?」
「人にああ言っておいて自分だけおいしい目を見ようというのはどうかと思いますが?」
「……説明してもらおうか」
「……変態」
 全員目が怖い。特にセスなど蛆虫を見るような目で見つめてくる。生まれてこの方そんな目で見つめられたことのないディックは、内心相当ショックを受けた。
「黙ってんじゃねーよコラッ!」
「いや、あのな……」
「おはよう」
『……セディ(シュ)!?』
 思わず声を揃えてしまった。セディシュがいつものきょとんとした顔で自分の隣にちょこんと立っている。誰も気付かないままに、食堂に下りて自分たちのそばにやってきていたらしい。
「どうか、したの?」
「いや、あのな。ちょっと待て。ちょっと状況が落ち着くまで」
「……ちょうどいいじゃねぇか。本人に聞いてみりゃいいんだよ」
「は?」
「セディシュ! 俺たち五人の中で、誰が一番好きだ!?」
「え……えぇぇ!?」
 スヴェンが素っ頓狂な声を上げる。ヴォルクが目をむき、エアハルトが一瞬息を呑む。ディックも絶句した。おいおいおいアルバーお前まばらとはいえ人のいる食堂でその問いかけは、そもそもそういう問題じゃないだろ、ていうかただでさえホモギルドとして後ろ指を指されているというのにー!
 そんなディックの内心の叫びなど当然聞きもせず、セディシュはきょとんとした顔で首を傾げた。
「五人の、中で?」
「そうだ! 俺らの中で誰が一番好きなんだよっ」
「いやアルバーいいかよく聞けよ」
「みんな、同着」
「え」
「みんな、同着一位」
 にこぉ、とセディシュは今にも蕩けそうな、今すぐ死んでもいいくらい幸せで幸せでしょうがないという顔で笑った。その笑顔はやっぱり、思わず撫で回したくなるほど可愛い。
 全員それぞれ大小の息をつく。そうだ、こいつがこーいう奴だから話がよけいにややこしくなっているのだ。こいつにとってセックスというのはスキンシップぐらいの意味だというのを、アルバーはまだわかっていないらしい。
「……わかった。上等だ。やってやろうじゃねぇか」
「え」
 なにを、と思わず問いかける前に、だんっとテーブルを叩いてアルバーは叫んだ。思いっきり本気の、だいぶ据わった目で。
「全員同着一位だっつーんなら勝負だろ。こいつの一番になった奴だけが、こいつとヤれるってことでどうだ!」
「はあぁぁぁっ!?」
 なんだその言い方もう少しまともな言い方が、というかお前その言い方はあれかもはや自分ホモ決定と言っているも同然だぞ、ていうか俺はもう微塵もこいつとヤる気なんてない! と言うより早くセディシュがきょとんとした顔と声で言った。
「なんで?」
 場に、数秒沈黙が降りる。
「なん、でってなぁ、お前が、そのなんだ、ぱかすかヤられるの嫌だろう、って思って」
「なんで?」
「……なんで、って」
「俺、みんなが相手してくれるの、嬉しいけど」
 そう言って不思議そうに、きょとんと首を傾げる。その子供のような仕草に、アルバーは「なっ……」と言いつつ顔を赤らめ、ヴォルクはごくりと唾を飲み込み、エアハルトは唇を引き結び、スヴェンは「えっ」と思いきりうろたえて椅子を揺らした。そして、セスは。
「……不潔」
 がたり、と立ち上がり、弓を構えた。
「ちょ、待て、セスそれは犯罪だ出入り禁止になるっ!」
「不潔不潔不潔不潔っ、お前ら全員死ね―――っ!」
「わ、あぶ、あぶねーって!」

 それで結局どうなったかというと。
「セディシューv あのさっ、今日の探索の帰りにさ、ちっと寄り道しねぇ? 面白い店見っけたんだよー! でさ、そのついでに、宿寄って……な?」
「うん、わか」
「待てそこなにを話してるセディシュをほいほい誘うなと言っただろう!」
「ほいほいじゃねーもーん。お互い一生引き受ける覚悟で言ってんだもんなー、セディシュ?」
「うん? うん」
「……おい、セディシュ。別に、どうしてもというわけじゃないが。探索の帰りに、その、菓子を買ってやってもいいぞ。だがその、まぁその、なんというかその、あのだな、つまりその……してく」
「はいそこやめろなにやってるヴォルクお前男には全然興味がないと言っただろうがっ!」
「きょ、興味はないっ! た、ただ、その、なんというか、セディシュはその……すごく上手にイ、いやなんでもないなんでもないなんでもないっ!」
「? ヴォルク、今日はちょうきょ」
「うわーうわーうわーっ!」
「セディシュさん、よろしければこれを。咲き始めの薔薇です」
「うん? うん、ありがとう」
「いえ。それで……よろしければ今日、一緒に食事でもいかがですか?」
「? 食事は、みんなで一緒に取る」
「いえ、だからその」
「ちょっと待てエアハルトお前その薔薇どこから持ってきたというか対抗心むき出しで誘うのはやめろ!」
「……僕は別に」
「へっへーだ、わかってねーなー。セディシュはストレートに誘った方がずーっと反応いいんだぜー。俺の誘いに乗らなかったことねーもんな、セディシュー?」
「うん? うん」
「だ、だから僕は別にただちょっと気が向いたから誘っただけなんですから!」
「その言い訳が通用するのは二回目までだと思うぞ……しかも気が向いただけにしては頻度が高すぎるだろう」
「あはは……本当にモテるなー、セディシュは。モテすぎるってのも大変だよな?」
「うん……? 別に?」
「……そうか? なら……俺が誘っても、かまわないってことか?」
「なにやってるそここっそりいつの間にか口説いてるんじゃないスヴェン大人としての良識はどうしたぁっ!」
「あ、あははごめん、別に忘れたわけじゃないんだけどなんというかちょっと」
「………不潔」
「ちょ……セ」
「不潔不潔不潔不潔ーっ! あんたら絶対全員殺すーっ!」
「だから矢を射るな矢を!」
 このように、セディシュは『微妙に共有物』的な存在になってしまっている。
 ギルドメンバー男陣は当然のように毎日セディシュにあの手この手で誘いをかけ(お前ら正気かホモでいいのかとディックは考えると落ち込む)、セディシュはそれにほいほい乗る。そしてセディシュを治してやらねば! という使命を背負ってしまったディックは、それを防ぐ戦いに忙殺されてカウンセリングの方はろくに進んでいない。
 セスはしょっちゅうぶち切れて矢を射るし、男共はなにも考えずにほいほい誘いをかけるし、乗るし。お前ら正気に戻れお前らは男同士だぞと言ってやりたい。ていうかギルド外の人間のいるところで誘いをかけるなと懇願したい。
 B8F探索中である現在、エトリアでも有数の冒険者グループとなったギルドフェイタス=Aかなり良識のピンチであった。

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