ミクロコスモス

「……アキホ。ブシドー。十六歳。性別女性。この書類に書いてあることに、間違いはないよな?」
「は」
 アキホという名らしい少女(といっても胸が絶壁に近いほどなく目つきも悪いので男と言っても通じそうな雰囲気の持ち主だが)は、小さくうなずいてぎっとこちらを睨んできた。実際堂に入ったガンつけだ。
「我々のギルドの応募に応えてくれた理由と、なんで冒険者になったのかについて教えてくれるか?」
「は。拙者、物心つきし頃より故郷にて剣を振るっておりましたのですが、つい先日父が道場を手放すことになりまして。これよりはそれぞれの心の望むままに剣を振るえと申し渡されたのです」
「ふむ」
「ですが拙者はまだ皆伝はおろか切紙すら与えられておらぬ弱輩の身。まずは実際に剣を振るい修行を積むことが肝要と思い、世に名高い世界樹の迷宮ならばその機会に欠くことはあるまいとエトリアにやって参りました。そこで最初に入った冒険者ギルドにて、ギルド長の方に拙者を受け容れてくださるギルドはないかと相談したところ、貴所を紹介されまして、参上した次第です」
「なるほど……」
 ディックは数秒考えるように(という振りをして)首を傾げ、テーブルを挟んで左右のソファに並んでいる仲間たちに訊ねた。
「お前らはどう思う?」
「どー思うって……入れてもいいかってことか?」
「そういうあんたはどうなのよ」
「というかそういうことは本人の前で言うことじゃないんじゃないかと思うんだけど……」
「なんのために全員雁首揃えて面接してると思ってるんだ、彼女にだって自分が俺たちにどう判断されたか知っておく権利はあるだろ。で、俺としては入れてもいいとは思う……が、彼女の方に俺たちの状況を説明してからじゃないとフェアじゃないだろうな」
『…………』
 その言葉に、ギルドメンバーのうち数人が気まずげに黙りこみ、セスが思いっきり顔をしかめた。アキホがわずかに怪訝そうに眉をひそめるのに、アキホのすぐ右隣に座っていたクレイトフがへらりんと笑いつつしゃらんと楽器をかき鳴らし話しかける。
「アキホちゃんって言ったっけ? 可愛い名前だねー。あ、もちろん君自身も可愛いけど」
「え、は、は!?」
「クレイトフ。からかうな」
「そーいうのセクハラだってわかんないわけ」
 顔を見る間に朱に染めるアキホに(そういう顔をすると一気に雰囲気が幼くなる)、何人かがクレイトフへ教育的指導を申し渡したが、クレイトフはへらへらした笑みを崩さないまままーまーとこちらを手でなだめて喋り続けた。
「えっとねー、アキホちゃん。実を言うとうちのギルドって現在第三層探索中の、今んとこ名実ともにエトリアナンバーワンってー感じのギルドなんだけどさ」
「……は。ギルド長よりお話はうかがっております」
「そ? じゃーこれも聞いてるかな。うちのギルドってさー、すんごいホモ率が高いんだよ」
「……は?」
「おいこらクレイトフっ誰がホモだ!」
「人聞きの悪い上に事実無根なことを言うなっ、俺に同性愛の趣味はない!」
「ヤることをヤってる時点でそう言うのは無理がある気がするけど……」
 アルバーとヴォルクがわめき、エアハルトが顔をしかめ、スヴェンが苦笑しながら軽く突っ込む。セスがそいつらをぎっと睨みつけつつ、アキホに向き直って真剣な顔で言った。
「クレイトフの言ってることは本当よ。このギルドはどいつもこいつもホモばっかなの。このギルドに入ったら誰と誰がヤったのヤらないのって話を当たり前のよーに聞かされるわ、女なのに見ても全然その気にならないだのなんだの言われるわ、もー告訴もののセクハラを日常的にされることになるわよ」
「だ、だから女ってこと知ってからはセスの前ではそーいう話しないよーにしてんじゃん……」
 弱弱しいアルバーの主張はセスの殺気をこめた一睨みの前に撃沈した。セスはアキホを見つめつつ、真摯な表情で告げる。
「いいの? それでも。女としてのプライドとか自信とか、そーいうものを根こそぎ壊されても」
「……ですが、貴方がたはエトリアでも随一のギルドと呼ばれるだけの実力を持っていらっしゃるのでしょう?」
「……それは、まぁ」
「ならば、拙者に不満はありません。道を極めんとする者の心の在りようが常人と異なるのは当然のこと。もし拙者の拙い剣技を必要としていただけるならば、ぜひともこちらのギルドでお世話になりたく存じます」
「………!」
 真剣な顔で言うアキホに、セスが目を見開く。
「い、いいの!? 本当にいいの!? 拠点でホモが毎日のよーにヤってるギルドで!?」
「かまいません。拙者の故郷では武を志す者には衆道はたしなみのようなものでしたし……」
「シュドーってなんだ? 手で動かすってこと?」
「俺もよくは知らんが、位の高い戦士が自分に仕える少年に、その……」
「手を出すことです。早い話が少年愛、ホモですね」
 ぼそぼそ話し合うギルド男性陣をよそに、セスはがっしとアキホの手を握った。この気の強い意地っ張りの少女が、思わずといったように感涙に咽んでいる。
「ありがとう……っ! まさかホントに、本当にこのギルドに女の子が入ってくれるなんて……!」
「は……あの、ということは、拙者をギルドに加えていただけるのですか?」
「入れてもいいよねっ」
 ぎ、とセスが睨みつけてくるのに、ディックは苦笑しつつ肩をすくめた。
「俺としてはなにも問題はない。ブシドーを募集していたんだしな。性格的にも問題になるようなことはなさそうだし」
「俺もいいんじゃねーかとおも」
「あんたには最初から聞いてない」
「え゛……」
「あんたに反抗する権利あると思ってんの」
 ぎっ、と睨まれてアルバーはしおしおと小さくなりつつ「はいすいません……」と首を振った。やはり自分より年下の少女に気付かないうちにセクハラしまくっていたことに、さしものアルバーも罪悪感を抱いたらしい。
「俺もかまわないよん。てゆーか嬉しいし。可愛い女の子が増えるのは大歓迎!」
「え、あ、あの、は!?」
「だからセクハラだっつってんでしょ。射るわよ」
「おっと、くわばらくわばら」
「他にも、文句のある奴はいないな?」
 そう言って他の面々を見回しつつ、ディックはこっそりとセディシュに注意を向けていた。ディックはセディシュのクレイトフを入れた時の反応をいろいろ考えて、セディシュにとって新しい仲間を加えるという行為はストレスなのではないか、と仮説を立てていたのだ。
 ストレスには必ず原因となるものがある。あのなんでもかんでも当然のように受け容れてしまうセディシュがストレスを感じるということは、その原因が彼の心理を読み解く重要な鍵になる可能性が高い。そうみていたディックは医者の目で注意深くセディシュを観察した。
 セディシュの反応は、クレイトフを入れた時と変わらなかった。黙ったまま、じーっとアキホとディックを等分に見比べている。その表情に感情は感じられない。
「セディ、なにか言いたいことでも?」
「…………」
 そう振ってみてもセディシュは答えず、ただひたすらに自分とアキホを見比べている。アキホが戸惑ったような顔をしても、セスが睨んでも、セディシュは無言無表情でただその見比べを続けた。
 と、クレイトフがあはは、と笑う。
「セデちゃーん、なにもそんなに難しく考えることないんだよー」
「…………」
 クレイトフの言葉に、セディシュは初めて反応した。わずかに目を見開いてクレイトフの方を見る。
 ディックは思わずむっとして、それからいやいやとその反応を打ち消した。別に自分の言葉では反応しなかったのにクレイトフの言葉には反応したからって、腹を立てる必要はないだろう。
「なにも最初っから即長い間戦ってきた仲間! って思わなくたっていーんだからさ。喧嘩はしない方がいいけど。そーいう、なんつーの、絆? みたいなもんはこれから一緒に冒険して戦って、そーいう中で手に入れてくもんだからさ。これからアキホちゃんは少なくとも当分は俺らと一緒にいることになるんだから。だよね?」
「え、あの、はっ」
 急に話を振られてしゃちほこばって礼をするアキホを、セディシュはじっと見つめた。その顔はさっきと変わらない無表情だったが、その視線には妙な気迫が感じられる。真剣な顔でその視線を受け止めるアキホをしばらく見つめ、ふいに視線をディックの方に向けてじっと見つめること数秒、改めてアキホの方に向き直り、セディシュはぺこりと頭を下げた。
「よろしく」
「は、はっ!」
 深々と頭を下げるアキホ。それに応えるように礼を深くするセディシュ。その様子を眉間に皺を寄せつつしばらく観察し、クレイトフの方をちらりと見て心得顔で微笑まれてから、ディックは全員に確認を取った。
「よし、じゃあアキホにギルドに加入してもらうってことで、いいな?」
「おうっ」
「かまわん」
「わかりました」
「問題はないよ」
「よっし、決まりだ。アキホちゃん、これからよろしくね♪」
「はっ!」
 頬を紅潮させつつクレイトフの言葉に応え頭を下げるアキホに、こんな素直な子をうちのよーなギルドに入れていいもんかな、という罪悪感をわずかに感じたが、『ブシドー急募!』という応募を出してからものの数分でやってきた相手だ、いまさら逃がすわけにはいかない。
「よし、ならアキホ、これを読んでくれ。うちのギルドのギルドモットーと注意事項が書いてある。うちのギルドは郊外に屋敷を借りてるんだが、共同生活をする以上ある程度のルールは守ってもらわないとならないからな」
「はっ」
「それが終わったらさっそくボス戦だ。といっても相手はスノードリフトだからそう緊張することはないぞ、ヴォルクの術式があれば楽に勝てる」
「は……は?」
「お前さー、本気でレベル1の新人スノドリにぶつける気かよ? 無茶だろそれ」
「ハイリスクハイリターン、だ。さっさとレベル上げができるならそれにこしたことはない。そのあとクエストのため第一階層をえんえん歩くわけだし、初心者のレベル上げにはもってこいだろう」
「……エドゥの宝、でしたっけ。怪しげな話ですよね」
「怪しげだろうが問題はないさ。俺たちの目的は宝じゃない、クエストと経験値だ」
 というかそもそも第二階層の磁軸からクエストのため第一階層に上がったらスノードリフトが復活していたため、どうせならレベル1からボス級の奴の経験値を得て一気にレベルが上がるところが見たい、という気持ちのためにブシドーをわざわざ急募したのだから(当然そんなことは口にはしないが)。
 エアハルトのレベル上げも兼ねてはいるが。そろそろ『高潔な聖騎士に憧れて……』をクリアしてしまいたい。『冒険者の魂に安らぎあれ』ももちろん。どうせだからそのついでにレアドロップを狙いたいのでブシドーを入れたようなものだ。むろんブシドーがどんなもんなのか見て育ててみたい、という知的好奇心もあったが。
「……よし、問題はないな。なら行くぞ、俺とエアハルトが前衛で、ヴォルクとクレイトフとアキホが後衛だ」
 しばし議論が交わされたが、無事説得を終えてディックは立ち上がった。他の面々も次々と立ち上がる。久々の本格的な探索になるエアハルトはわずかに緊張した面持ちだが、こいつだって実戦経験は数えきれないほどなのだ、特に問題はないだろう。
「あんま無理すんなよー。第一階層ならだいじょーぶだとは思うけどさ」
「無理はしないさ」
 そもそも無理をするという状況になる可能性自体考えられない。今回はあくまで、クエストと低レベルの奴らのレベル上げの一挙両得が目的なのだから。

「………ただいま………」
「うお、ディック、なんだそのよれよれっぷり! つか、お前らみんなズタボロだぞ、なにがあったんだ!?」
 庭で稽古をしていたアルバーが仰天した声を出す。おそらくは屋敷中に響いたのだろう、他の留守番をしていた面子もわらわらと寄ってきた。そして揃って目を瞠る。
「どうしたんだい、ずいぶん手ひどくやられてるみたいだけど」
「第一階層にそんな強いのがいたわけ?」
「……大丈夫?」
「いや悪い……荷物置きに来ただけだ。話はとりあえず宿屋行って、休んでからにさせてくれ」
「いや、それはいーけどさ。大丈夫なんか? 怪我治してからの方がいんじゃね?」
「いや、もうTP尽きかけだから……」
「え、マジ?」
「……素材はここに置いておく。あとは頼んだ」
「すいません、正直もう限界なので……」
「とりあえず寝てから話すっからさ……」
「では、のちほど……」
 アキホは初戦だからということもあるのだろう、必死に意地を張って背中をしゃんとさせているが、疲労の色は明らかだ。他の面々も疲れた辛いと顔に書いてある。それはまぁ何度も何度も死んでは蘇らせられを繰り返してはそうもなるだろうが。
 とにかく、ディックたちは素材と荷物を置いて身軽になって長鳴鶏の宿へと向かった。宿代はかかるが、今から泉まで行く手間を考えれば数百エン程度損をした方がマシだ。

「……途中までは順調だったんだがな」
 朝の五時に宿から出て、軽く飯を食ってから、ディックたちは屋敷に戻って居間に全員集合してもらい報告を行った。できる限り情報を共有させておくのは冒険者ギルドとして当然の心得だ。
「途中というか、あのゴーレムとかいうデカブツと戦うまでは、まぁ順調と言ってよかったのは確かか。長距離の探索で疲れはしたが」
「ゴーレム? なにそれ? 新しい魔物か?」
「そうです。岩だか鉄だか、そんな材質でできてる巨人ですね」
「岩か鉄……そんなのどうやって倒すわけ? 属性攻撃使うの?」
「確かに属性攻撃はそれなりに効いたんだけどねー。なんか属性の防御力をアップしてくる特殊能力があるんだよ、あいつ」
「げ! マジで!?」
「それでよく倒せたね……」
「……正直、全滅を覚悟した」
「おいおい……」
「しかもゴーレムは後衛めがけ強力な攻撃を放ってくることが多くてな。基本一発喰らえば即死ってレベルの。俺はリザレクションと回復と五ターンごとの医術防御であっという間にTPが切れて」
「俺がアムリタ使ってTP回復してたけど、もーこれジリ貧じゃね? って感じだったしなー」
「……どうやって勝ったの、あんたら」
 そのセスの問いかけに、クレイトフはにやりんと笑ってぽんと恥ずかしげに黙りこくっているアキホの肩を叩いた。
「そりゃー、アキホちゃんの即死技で。首討ち、って言ったっけ?」
「……は」
「すーごかったぜー、ありゃ。ゴーレムの方はまだ全然元気! って感じなのにさ、スパーン! って音が聞こえたくらい見事に首斬り落としちゃって。ブシドーの戦いって初めて見たけど、もうお見事! って思わず拍手しちったぜ俺」
「ク、クレイトフ殿っ」
 アキホは真っ赤になってクレイトフをほとんど筋者のような目つきで睨むが、クレイトフは気にも留めずへらへらとアキホに笑いかける。実際、こうも照れ隠しというのがあからさまだとどんなに目つきがすごかろうがさして怖いとは思えない。
「確かにな。見事なものだった。ブシドーの剣術とは大したものだな、アキホ」
「そうですね、助かりました。ほとんど命の恩人と言ってもいいくらいですよね」
「い、いえっ、拙者はまだまだ未熟でしてっ、うまくいったのは本当にまぐれのようなものですしっ」
「まぐれいーじゃん、その運を引き寄せたのはお前だろ? 胸張れって!」
「そうね。たまにはいいこと言うのね、あんたも」
「あーっ、なんだよセスっ、人のことアホみたいに」
「みたいじゃなくてあたしはあんたのこと心底バカでアホだと思ってるから」
「んっだとこのっ」
「ほらほら二人とも、落ち着いて。……とにかく、お疲れさま、みんな」
「……お疲れさま。ありがとう、みんな」
 ぺこりと頭を下げるセディシュに、珍しく空気が和んで居間の中に笑い声が響いた。ふ、とディックも小さく笑みをこぼす。一仕事終えた幸福に、心身が緩みほぐれていた。
「それじゃあ、全員揃っていることだし、採集の前に今日のメンバーの発表を……」
「あ、ちょっと待った」
 ひょい、とアルバーが手を上げる。アルバーがわざわざ手を上げて意見を言うとは、と珍しいものを見た気分になりながら「なんだ、アルバー」と聞くと、アルバーは思いのほか真剣な顔で言ってきた。
「前々から言おうと思ってたんだけどさ、今日、探索休憩しね?」
「……え?」
「あ、それいーね! 俺もそろそろ言おうと思ってたんだよー、このギルドって俺が入ってからもずーっと休みなしで毎日毎日探索しっぱなしなんだもーん」
 クレイトフがはいはーいと自己主張しながら笑顔で便乗する。ヴォルクがやや戸惑ったような顔で二人に向かい訊ねた。
「休憩というのは、今日は迷宮に潜らないでおこうということか?」
「そ。英気を養おーってわけ」
「もちろん探索サボる気はねーけどさ、やっぱ毎日毎日四六時中潜りっぱなしってのはなんつーか、不健康じゃねーかなって。日付の感覚とか自分が日にどんくらい眠ってんのかとかわかんなくなるしさ」
「……ふむ」
「僕はほとんど潜ってないので体力余ってるんですけど」
「エアりんはそーでも、ディッたんはほとんど四六時中潜りっぱなしだもん。疲れ溜まってんじゃない?」
「別に、そういうわけでも……世界樹の迷宮に潜っている間は睡眠時間は必要なくなるわけだし」
「それでもちょっとずつ街にいる分の疲れは溜まってるだろ。……っつかさ、毎日毎日ぎりぎり限界まで潜ってんだぜ、たまにはなんつーか、リフレッシュの時間必要じゃん」
「確かに、それはそうだが」
「別に誰かと競争してるわけじゃないっつったのお前だろ。ならたまには休んだっていーじゃんか。せっかく家もできたんだしさ、お前らだって全滅しかけたとこなんだから気分転換の時間あったほーがいいだろ?」
「………む」
 ディックはわずかに眉間に皺を寄せて考えた。確かに、アルバーの言うことには筋が通っている。自分は大学、ことに二年になった時から毎日毎日ほとんど四六時中忙しいのが日常だったのでさして気にはならなかったが、普通の人間には確かにたまには休みが必要だ。ギルドを立ち上げてからざっと二ヶ月、その間ろくに休みがないというのは確かに問題がある(肉体的疲労は存在しないとはいえ)。
 ディックの感情としてはどうせ疲れないんだからさっさと探索を進めたい、と感じてはいるがギルドのメンバーにまでそれを押しつけるわけにはいかない。ギルドのメンバーはそれぞれ別個の人間だ、自分の道具ではない。
 なので、ディックは感情を理性で抑えつけて笑顔を作った。
「そうだな。たまには休みを作るか」
「おっ、そーこなくっちゃ!」
「よっしゃあ、休みだ休みっ」
「……ふむ。確かにこれまでの研究を本格的にまとめる時間はほしいところだな……」
「休み、ですか……僕はそれほどほしいわけでもないですけど、まぁたまにはあった方がいいでしょうね」
「そうだな、俺もほとんど早朝一番の採集以外には働いてないけど、一日まるまるお休みってのはやっぱり気分が違うよね。……どうだいセス、軍資金はそれなりにあるし、久しぶりにお兄ちゃんと遊びにでも」
「じょーだん。ホモの兄貴と歩いてたらあたしまでホモに思われちゃうじゃない」
「セ、セス、あのだね、お兄ちゃんは別にそういう、そのあの」
「休み……拙者としては、来たばかりでそのようなものをいただくのは申し訳ない気がするのですが……」
「気にすることないってー。アキホちゃんは今回のMVPなんだからさっ。あ、それならさ、セスちゃんアキホちゃんにエトリア案内してあげたら? 女の子同士、ショッピングとかしてみたりさ」
「え、ですがしかし」
「……あたしじゃ不満?」
「え……あの」
「あたしじゃ嫌ってことなら、はっきりそう言ってよ。……いいなら、案内するけど」
「いえっ! あ、あのでは、ご一緒させてくださいますか?」
「……いーけど。面白くなくても怒んないでよ」
「いえっ、そんな!」
「うんうん仲良し仲良し、いい感じだね〜v ちなみに俺はたぶん一日中ベルダ広場で弾き語りしてるから、気が向いたら聞きに来てねっ」
「お前、それは休みといっていいのか?」
「俺歌歌ったり楽器弾いたりするのが一番楽しいからさー。久しぶりにフツーの歌一日中歌ってられんのが一番の気分転換っつーことで」
「あ、あのでは、セス殿がよろしければ、ぜひ……」
「ま……いーけどね」
「……なーなーセディシュ、どーせならさ、俺らも一緒に出かけね?」
「……どこへ?」
「どこへっつーか、まーその、ただ街ぶらつくんでもいーしさ、いろいろ……」
「……わかった」
「っし! じゃーさ、このあと二人で……」
「ふーん、二人で出かけるんですか。デートのつもりですか?」
「なっ、エアハルトてめぇ聞いてたのかっ!? べ、別にんなわけねーじゃんっ、俺とセディシュは男同士」
「なら僕がご一緒してもいいですよね。別にデートでもなんでもない、仲間同士で出かけるだけですもんね」
「む……ぐ」
「はは……若者は元気だなぁ。俺はどうしようかな……」
「……ディックは?」
 ふいにこちらを向いて、セディシュが訊ねてきた。なにが聞きたいかはわかっていたが、あえて感情を表情に表さず問い返す。
「なにがだ?」
「休み、なにするの?」
「……久しぶりに、溜まってる本でも読むさ。休日ってのは本来のんびりするためのものだろう?」
「ふーん……」
 セディシュはわずかに首を傾げてから、こっくりとうなずいて言った。
「わかった」
 含みがありそうな雰囲気ぷんぷんの言葉だったが、ディックはあえて「そうか」とあっさり流した。感情的に巻き添えになるのを防ぐために、患者とは親しくなりつつも一定の距離を守るのがカウンセリングの鉄則だ。
 それに自分はこいつを治したいとは思っているしそのためなら全力を振り絞るつもりではあるが、こいつと男共のあれやこれやに巻き込まれる気はないしホモ呼ばわりされるのもごめんなのだから。
 そんなごく当たり前の事実を心の中で再確認して、妙に気分が沈むのを、ディックはあえて無視した。そんな感情は存在する必要がない。

 アルバーはぶちぶち言いながら部屋に戻ってきた。アルバーは剣の稽古をしていたので、着ていたのは麻の半袖シャツ一枚と短パンだけ。これで街に行くのはどうかと思うとスヴェンに言われたので、鎧姿だったエアハルトが普段着に着替えている間に自分も着替えようと思ったのだ。
「ったくよー、エアハルトのやろー、邪魔しやがって。せっかく俺が二人っきりでセディシュと遊びに行こーって決めたのによ。先にセディシュ誘ったの俺だぞ、横入りすんなっての!」
 第一今日は、そりゃ確かに男同士だしデートではないが、自分がセディシュを楽しませてやろうと思ったのだ。いつも世話になっているから(こちらも世話しているが)、肉奴隷だったらしい(それがどういうものかいまひとつアルバーはぴんときていなかった。なんだかエロい生活送ってきたんだなーとは思っているが)セディシュに遊びというものを教えてやろうと。
 アルバーだって街の遊びに詳しいというわけじゃないが、セディシュのようなもの知らずよりはずっと楽しませてやれる。仲間としてそのくらいの親切したっていいはずだ。
 ……そりゃ、途中でうまいことそういう雰囲気に持っていって、一発か二発か三発ぐらいヤれたらなー、とは思っているが。
 この前、クレイトフと一緒にいるところを見てカッとして、ちょっと無理やりっぽい感じでヤってしまってから。アルバーはなんとなく、セディシュとヤるのを自粛してしまっていた。出すものを出して頭が冷えると、馴らさないでヤるとか偉そうな口調でさせろとか言うのは、やっぱりよくなかったよなー、と考えたのだ(血は出てなかったけど)。
 だがセディシュに謝ってもきょとんとした顔で「なにが?」と返されてしまうし。それでよけいに妙な罪悪感を感じてしまったりして。腹の底がひどく冷えるような感じがして。なんでなのかは、わからないけれども。
 だからついつい押し倒すのに気が引けてしまって、この数日間自分はセディシュとヤっていなかった。まぁ探索が一気に忙しくなったので(蟻の巣穴の中を女王蟻を倒すためひたすら突撃したり)、それでもさして不都合はなかったのだが、さすがにそろそろ溜まってくる。
 なので今日セディシュを楽しませてやって、そのお返しというわけでじゃないけど、いい雰囲気に持っていってヤれないかなー、と思っているのだ。休日申請も、三分の一……か、半分くらいはそういう気持ちのせいもあったりした。
「なんにせよ、今日は気合入れっぞ!」
 ぐっと拳を握り締めてさっさと着替えを始め、はっとしてしまった。こういう服で、いいのかな。
 着ようと思っていた服は麻のシャツとズボン。というかこれまで服装を気にするということをしたことがないアルバーはそれ以外の服は(防寒着以外)持っていない。着心地すらほとんど気にしていなかったのだ、服を買う時は以前の服が破れた時に一番安いのを買う時だけだった。
 だが。こうして改めて誰かと一緒に外出するという状況になって。もしかしていつもいつも同じ一番安い服というのは、恥ずかしいんじゃないかと気付いてしまったのだ。
「け、けどっ、外出ったってセディシュと、あとエアハルトと、一緒に遊び行くだけだし! 別にデートでもなんでもねーし!」
 そう必死に自分に言い聞かせても、一度意識してしまったらもう止まらない。もしかしてセディシュに、ダサいとか、しょぼいとか服買う金もないのかとか思われちまったらどーしよおぉぉ! とアルバーはしばしベッドの上でのたうちまわった。
 だが実際服を着なければ外出はできないわけで。そしてアルバーの持っている服はどうあがいても麻のシャツとズボンだけなわけで。うぐぐぐーと煩悶しながらも、予定通り麻のシャツとズボンを着て待ち合わせ場所の玄関先へと向かった。
「……あ」
 アルバーは思わず目を見開いた。セディシュの服が、いつもと違う。
 ここのところ基本迷宮に潜りっぱなしだったし、その間は鎧だし、鎧を脱いでる時はいつもの革ベルトとファーつきの上着とトゲつきズボンという格好だったのに、今のセディシュは印象からして全然違う。
 薄手の大き目のなんだかやけに軽い素材の水色の上着をだぼっという感じに着て、その下は白地に目のさめるようなぱっと明るい青色で文字と絵を染め出したTシャツ。下半身は膝のちょっと下ぐらいまでの長さで荒く切ったっぽい感じのGパンっぽいような違うような、という生地の中途半端な長さのズボンを明るい色のベルトで締め、足元は黒色のズボンと似た生地で作られた紐なしの靴。胸元には銀のロケットなんかつけちゃって、なんというかその。
「アルバー」
 玄関先の石段に腰かけて空を見ていたセディシュがこちらに近づき、立ち上がる。とととっ、と音を立てながらこちらに近づき、頭ひとつ分近く下から顔を見上げ、にこっと、ごく軽く、セディシュの『ちょっと嬉しい』を表す表情で笑って言った。
「待ってた」
「…………っ!!」
 アルバーは思わずばっ、と思いきり顔を逸らして口元を押さえた。なんだなんだセディシュの奴、あんなカッコしちゃって俺見上げてにこっ、てなんだそれ、待ってたって俺のこと待ってたのかよなんだもーちくしょー……
「かわいー……」
「? 誰が?」
「はっ!」
 アルバーは我に返ってばっとセディシュの方を向き、首と両手をぶんぶん振って必死に否定の意を表した。
「いっいや違うっ、なんでもねーんだっ! 別にお前のこと可愛いとかそんなこと全然思ってねーしっ、マジでホンットになんにもそーいうことは」
「そう?」
「そーだそーなんだよ! って……」
 おいちょっと待てよけどこいつがせっかくオシャレしてきたってのになんにも言わねーっつーのもアレじゃね? 男として一言言ってやるくらい別におかしくないよな、うんおかしくない。
「セ、セディシュっ」
「なに?」
「そ、その服、わりとにあ」
「あ、セディシュさん、普段と違う服ですね。似合ってますよ、可愛いです」
「んなっ!」
 狙ってるのかと思えるほどのタイミングで玄関から現れて言ってきたのはエアハルトだ。線の入った白長袖シャツに茶色のズボンとベルト、というわりとかっちりとした印象の服装。だが端整な顔立ちのエアハルトにはその服はかなり似合っていたし、少なくとも自分よりはちゃんとした服という感じがするのは確かだ。
 セディシュはエアハルトの言葉に、目をぱちぱちさせてから少し首を傾げて言った。
「そう?」
「ええ、そう思いますよ。普段のも似合ってるとは思いますけど、たまには違う格好するのも気分が変わりますよね」
「うん? そう、かも。ありがとう」
「いえ……」
 わずかに照れたように目を逸らして、こちらが悔しげな視線で睨んでいるのに気付いたのだろう、エアハルトはにっこりと笑って聞いてきやがった。
「なにか?」
「……っでもねーよっ!」
「あ、そうだ。アルバー、さっきなに言おうと」
「なんでもねーって言ってんだろっ!」
「……そう?」
「ううううー」
 どこか気遣わしげにも見える澄んだ瞳で見つめられ、アルバーは立ちながら煩悶して身をよじった。こんなことが言いたいんじゃないのに、今日は本当にこいつを楽しませてやろうと思って誘ったのに。
「お、みんなお揃いだな。お待たせ」
「へっ!?」
 にこにこ笑いながら玄関から出てきたのはスヴェンだった。黒い革のジャケットに胸元のわりと開いているワイン色のシャツ、黒っぽいズボンと胸元に銀のペンダントという格好で。
 アルバーは思わずぽかんとした。今までスヴェンは採集係のヘタレなにーちゃん、というイメージしかなかったのに、なんだこのおしゃれっぷり。しかも、悔しいがなんというかその、似合ってるじゃないか。すごく着慣れてる感じがして、悔しいが一瞬カッコいいとか思ってしまった。
「……なんでスヴェンさんが?」
「っ、そーだよ、なんでスヴェンが!」
「一緒に行っても、いいかって。だから、いいと思う、って」
『……は?』
「セディシュに一緒に行ってもいいかって聞いたら、君らに聞かなきゃいいかどうかわからないけど、たぶんいいって言うと思う、って言うからさ。まさか嫌とは言わないだろうと思って準備してきた」
「っ、いやけどな!」
「デートでもなんでもないんだろ? なら俺が一緒に行ってもいいってことになるじゃないか」
「う、ぐ、けど」
「せっかくセディシュも俺に合わせてコーディネートしたんだし、別にかまわないだろ?」
「え……って」
「……セディシュさんの服を選んだのは、スヴェンさんなんですか?」
「まぁね。似合ってるだろ?」
『…………』
 悔しい。これは悔しい。似合ってると本気で思ったから、それを選んだのが別の男というのがすごく悔しい。
 けどいまさら脱げとは言えないしー、とまた煩悶していると、セディシュがじっとこちらを見て、困ったような、どこか切なげな顔で首を傾げて言ってきた。
「……いや?」
「……うぐぐぐー」
 結局その表情の圧力に耐えられず、アルバーはエアハルトとスヴェン付きでセディシュと街に出かけることになったのだった。

「……わかりやすい奴」
 ディックは部屋の窓から玄関先を見下ろして苦笑した。なにをやっているんだか、と言いたい気持ちはあるが、言い争いにまでは発展しなかったようなので気にしないことにした。スヴェンが一緒なら、たぶん周囲に迷惑をかける状態までにはならなくてすむだろう。
 もう今屋敷に残ってるのは俺とヴォルクだけか、と考えつつ、ディックは医学書の新しい頁をめくった。

「………うまい………」
「おいしい、ですね」
「そうか? ならよかった。ここの店、わりと俺のお気に入りなんだ」
 笑顔で言うスヴェンに、なんというか男っぷりの違いを見せつけられたようでアルバーはぐーっと悔しくなったが、なんとか不機嫌な顔をするのは堪えた。
 とりあえず街に出てきて、どこに行くかということになって。アルバーとエアハルトとスヴェンの意見は真っ向から分かれた。アルバーは武器屋巡りをしよう、と言ったのだがエアハルトは劇場をのぞいてみるのはどうだろう、と言いスヴェンは面白い小間物屋があるからとりあえずそこまでのんびり散歩でも、と言う。
 アルバーにはどちらも面白そうとは思われなかったし、セディシュだって興味なさそうだと思ったので断固自分の主張を通す気だったのだが、スヴェンが「とりあえず歩きながら考えないか?」とか言って。エアハルトも「そうですね」なんてあっさり賛成して、セディシュまでこっくりうなずくし。
 そんで歩きながらどこ行くか決めようと話してると、「あ、あそこの店面白い料理売ってるんだよ、歩きながら食べられるしちょっと買っていこうか」とか少し先の店を指差してスヴェンが言って、うっかり気になってそっちに行っちゃって、料理買ったら「俺の言ってた小間物屋はあと通りひとつふたつ先なんだけど、アルバーとエアハルトのはどこにあるんだ?」とか言われちゃって。
 アルバーはそもそもシリカ商店以外の商店がどこにあるかなんて知らなかったし、エアハルトの劇場はベルダ広場まで戻らなきゃならないしで、じゃあとりあえずその小間物屋に行ってみようか、という流れになって、ようやくアルバーは気付いたのだ。
(まずい! なんかスヴェンの思い通りの流れだ!)
 なぜかごく自然にスヴェンの思い通りになってる気がする。なんだこの巧みさは、六歳しか違わないのになんでこうもリードがうまいんだ。こいつもしかして只者じゃなかったりするのか!?
 しかもこの料理なんか謎な感じだけどやけにうまいし。焼いた米の飯で味付けした肉とか野菜とかをはさんでいるというサンドイッチin米みたいな謎料理なのに、やけにうまい。ちくしょーんなろーてめーもしかして下調べとかしてたのかっ!? と睨みつつアルバーはばくばくと謎料理を食った。
「ん? セディシュ、あんまり食べてないみたいだけど。おいしくない?」
 は、とアルバーは慌ててセディシュの方を見る。言われてみればセディシュは謎料理をほとんど食べていない。
 スヴェンが微笑んで問うた言葉に、セディシュはどこか困ったような、なんと言っていいかよくわからない、と顔に書いてある感じの顔でスヴェンを見上げ、首を振る。
「おいしい、んだろうと思う。けど、よく、わからない」
「……わからない?」
「うん。なんか、わからない。どういうものなのか」
 こっちの方こそどういう意味の言葉なのかわからない。アルバーは眉をひそめたが、スヴェンは笑顔でぽんぽんとセディシュの頭を叩く。
「はは、セディシュはディックの作るご飯の方がいいか」
「……うん」
 困ったような顔のままこっくりうなずくセディシュに、スヴェンはまたぽんぽんと頭を叩いてから笑った。
「そんなに困った顔、しなくていいよ」
「……俺、困った顔、してる?」
「うん……わりとね」
「そっか。じゃあ、しないように、頑張る」
「いや、無理しなくていいから。自然にしてていいから」
「……そう?」
「うん、そう」
 にこにこと言われた言葉に、セディシュはきょとんとした顔で首を傾げ、それからわずかに頬を緩めてこくんとうなずいた。
「わかった」
 アルバーはむっ、と顔をしかめた。なんだそりゃ。なんなんだそのちょっと通じ合っちゃってるムード。最初に誘ったのは俺なんだぞっ! という腹立ちがむくむくと湧いてくる。
「なーセディシュっ、こっち来いよー。俺と小間物屋まで競争しね?」
「? なんで?」
「うぐっ、なんで、って」
「だって、四人で歩いてるのに、二人だけで競争したら、ばらばらになる」
「そ、そりゃそうなんだけど……うぐぐぐー」
 ダメだ! このままじゃどーやっても空回りっぱなしだ! なんとかバンカイしなけりゃバンカイバンカイー、と悶えていると、スヴェンがくすりと笑った。
「競争するもなにも、もう目の前だよ、小間物屋」
「あ……」
 言われて初めてアルバーは気付いた。目の前に小さく看板を出しているのは確かに小間物屋だ。普段小間物屋なんて入らないからよくはわからないが、玻璃をはめ込んだ張り出し窓の向こうには確かに装飾品やらなにやらこまごましたものが並べられている。
「さ、入ろう。入れば面白い店って言った意味がわかるから」
 にこにこ笑顔で背中を押すスヴェンに、くっそー店内ではぜってーうまいことバンカイしてやるー、と唸りつつアルバーはセディシュとエアハルトと並んで中に入った。

 二冊目の医学書を半分ほどまで読み終えて、ディックは立ち上がり軽く伸びをした。読書をしている時は一定時間ごとに休憩を取らなければならない。そんな知識は内科の医者として持っていて当然、いやそれ以前の一般常識の段階だ。
 軽く体を動かしてふ、と息をつき、なんとなく周囲を見回す。
「……静かだな」
 言ってからはっと口を押さえる。なにを言ってるんだ俺は、そんなことは別にわざわざ言うべきことでもなんでもない、やかましい奴らが全員出かけてるんだから当然のことじゃないか。
 だが、思わず口から出てしまうほどその印象は深くしっかりとディックに根付いていた。静寂。世界に自分ただ一人しかいないような無音の世界。
 馬鹿馬鹿しい、と舌打ちする。なんでそんなことを気にするんだ、まるで俺が静かで寂しいだの物足りないだの考えてるようじゃないか。もともと俺は静寂を愛する人間なんだ、三ヶ月も前ならこんな時間の方がごく当たり前だったってのに。
 つまり、今はそれが当たり前ではない状態なのだ、という認識に至り、ディックは顔をしかめた。冒険者になってからプライベートな時間を確保することは難しかったし(宿に泊まっていた間はもちろん屋敷を借りるようになってからもなにかことが起きるたびに自分は駆り出されるのだ)、一人の時間を作る余裕も必要性もないほどやるべきことは多かった。休んでいる暇など、自分にはなかったのだ。
「……別に、焦っているわけじゃないさ」
 誰かに指摘されたような気分になって、口に出して反論を言ってみる。そう、自分はけして焦ってはいない。ただすべきことを速やかに成しているだけだ。
 誰より先に迷宮の謎を解かなければならない、と思っているわけではない。それは、人に先んじるに越したことはないだろうが。今のところ自分たちは他のどのギルドよりも先に、かつ確実にミッションと迷宮探索をこなしている。――下の階に到達するや、正直おかしいだろうと思うくらいの早さで追ってくる他のギルドを警戒していないわけではないが。
 他の人間はともかく、自分の基本的な行動理念は、『そうしなければならないから』にすぎない。それと少しばかりの知的好奇心。自分がなぜここにいるのか。周囲の反対を押し切って、医院から飛び出さねばならなかった、その理由の根源。自分がなぜ世界樹の迷宮を踏破しなければならないのか、というその単純な問いへの答えに対する。
 それが身勝手のそしりを受けかねないことは知っている。だからこそ責任はきちんと取る。仲間に対する責任、エトリアに対する責任、世界に対する責任を。仲間を死なせないよう全力を尽くすし、傷はきっちりと治すし――
「…………」
 思考のついでにセディシュの治療のことを連想してしまい、ディックは眉を寄せた。はっきり言って、セディシュの治療は順調とはとてもいえない状況だ。パラダイムそのもののズレを埋める困難さをひしひしと実感している。そんなこちらの心境など気にも留めず(どころかこちらがなにをしようとしているのか知っているのかすら疑わしい)、セディシュはギルド男性陣と毎日のよーにセックスしやがるし。
 だが、それでも。
「放っておく気は、ないからな……」
 一度決めたことだし、なによりそうするべきだと思うのだ。自分は医者で、あいつの仲間でもある。あいつの人生を背負えるほど自分が偉いと思っているわけではないが、あいつがきちんと自分の人生を生きられるようになるための助けの手ぐらいは、差し伸べてやりたいと思うから。
「……まぁ、縁があって同じギルドになったんだし。迷宮を踏破するまでぐらいはな」
 そういつものように一人結論を出して、そう悪くない気分になり、ディックは鼻歌を歌いながら読書に戻った。クレイトフの言った言葉を聞いてからいつも心の下にある奇妙なわだかまりを忘れることには、もう慣れてしまっていたので。
 自分の脳内にちらりとよぎった論理的指摘も、それと同様に忘れたままに終わった。――この時は。

「……うわ」
「…………」
「ちょ……おい、スヴェン! ここって、もしかして……」
 アルバーは穏当な言葉を探したが、他に言いようがないのでストレートに(顔を赤くしつつ)訊ねた。
「大人のおもちゃ屋……って、やつ?」
 店内に当然のように並ぶ潤滑油やら浣腸やらなんかやらしい感じの道具やらからはどー考えてもその答えしか思いつかなかったのだが、スヴェンは笑顔で軽く首を振った。
「違うよ。単にエロくさい小間物屋ってだけ」
「だ、だってどー見たってさ。その……ヤる時使うやつとか、並んでるし……」
「だから違うって。避妊具や潤滑油や浣腸なんて今時薬屋にだって並んでるだろ? 大人のおもちゃ屋なら必須の、張り型とかロープとか蝋燭とか、等身大人形とか筒とかないし。ここは単に、そういうエロくさい雰囲気の小物とかファッションとかを楽しむ店なんだよ」
「どーいう違いがあんだよそれ……」
 ぶつぶつ言いながらアルバーは改めて店内を見渡す。確かにスヴェンの言ったようなものはないが、だからってこれは普通の小間物屋じゃーないだろう。なんというかどれもこれもエロいというか、男や女のアレやらソレやらを模したような、あるいはそういう時に使いそうな小物ばかりだ。
 セディシュとヤってなかったら興奮でうっかり息を荒げてたかもしんねー、やっぱ童貞は早めに捨てとくに越したことはねーな、と様々な意味(男相手の経験と女慣れは違うだろうとかそもそもそういう思考の方向がとか)でアレなことを考えながら視線を巡らせ、はっとした。セディシュがなにやらじーっと小物のひとつを見つめている。
 素早くその小物がどんなものか確認する。それは革の首輪のようにアルバーには見えた。なぜか内側に柔らかい毛皮が植えつけられ、表側からは細く頑丈そうな鎖が伸びている。なにやら姓名と生年月日を書く場所が空けてある小さな金属板とセットになっているようだった。
「……ほしいの?」
「…………」
 動物とか飼ってねーのに、と思いつつ訊ねてみると、セディシュは眉をひそめて首を傾げた。これはたぶん『よくわかんない』ってことだよな、とアルバーは一人うなずきつつも、自身も首を傾げる。動物飼ってないのになんで首輪とか名札とかが気になるんだろ。デザインが気に入ったとか? けど使わないもん持っててもしょーがねーと思うんだけど。いつも着けてる似たようなのは、ちょーかーってのだから違うんだろうし。
 そこではっとした。セディシュがあれが気になるってんなら、ここで俺がさりげなくプレゼントとかしてやったらぐっとポイントアップじゃね!?
 だが、しかし。実際ペットがいないのに首輪なんて買ってもしょうがないと思うし。それにセディシュ自身別にすごくほしいというわけでもなさそうだ。たぶん妙に気になっちゃって使わないのを承知で買おうか買うまいか迷っている状態なのだろう。
 ならば、とアルバーはなんかないかなんかないかと周囲を鋭く見回し、これだ! と見つけたものを素早く手に取り差し出した。
「ほら、セディシュ」
「………?」
 きょとん、とした顔で首を傾げつつアルバーの差し出した赤い玻璃の球のペンダントを見るセディシュに、ここが決め所だぞとアルバーはできるだけ爽やかな笑顔で言った。
「セディシュにはこっちのが似合うって!」
 言ってからあ、これってまるでセディシュが首輪つけたいみたいに思ってたみたいに聞こえね? と思ったがまぁこの際細かいことはいい。重要なのは自分がペンダントをプレゼントするということなのだ。
 自分がプレゼントしたものを身につけてもらうというのは男としてやっぱり嬉しいし、その上今回はごく自然にスヴェンが与えたであろう銀のロケットを外させることもできる。別のものをもらったことでほしいと思っていたものから気が逸れるから、セディシュが無駄金を使うこともなくなる(アルバーがそういうタイプなのだ)という一石三鳥のナイス作戦!
 そんなことを内心考えほくそ笑みつつずい、と差し出したペンダントにますます首を傾げるセディシュに、アルバーはにっ、と笑って言う。
「プレゼントすっからさ、着けてみせてくれよ」
「…………」
 セディシュは目をぱちぱちとさせた。う、ガキみてーで可愛い、と思いつつも、必死に爽やかな笑顔を保つ。
「……それ、くれるの?」
「おう」
「なんで?」
「な、なんでって、いやだからほらプレゼントだって。お前にやりたいっつーか、着けてほしいっつーか、そーいう風に思ったからさ!」
「…………」
 セディシュはまた目をぱちぱちとさせた。それからじーっとアルバーを見つめ、首を傾げ、それからにこ、と笑った。セディシュの『ちょっと嬉しい』を表す表情で。
「ありがとう。嬉しい」
「………っ」
 アルバーは口元を押さえ顔を逸らし、やっべ可愛い、としばし鼻の下が伸びるのを隠してから、改めて向き直って笑顔で言った。
「いーんだよこんくらい! 俺がしたいって思っただけだしさ、仲間じゃん、俺ら!」
「……そう?」
「うんうん!」
 こくこくうなずくアルバーに、セディシュはわずかに首を傾げ、それから真剣な顔になって言う。
「俺も、なにか、アルバーにプレゼントする」
「え……」
「……だめ?」
 また首を傾げ、瞳をわずかに翳らせるセディシュに、アルバーはぶんぶんと首を振って答えた。
「いやいやいやっ、そんなことねーって! むしろさ、なんつーかさ、その……すっげー嬉しい!」
 セディシュはまたきょとん、と目を開き、首を傾げる。
「……そう?」
「うんうんうん!」
「……そっか」
 にこ、とセディシュはまた笑う。『ちょっと嬉しい』より『すごく嬉しい』の方に近いんじゃね? ってくらいの、可愛い笑顔で。
「……へへ」
 アルバーは思わずでれんと顔を笑み崩した。なんかさ、なんつーかさ。すっげーいい感じじゃね?
 よし、ここでチューのひとつもかまして、と肩に手を回しかけ、ぼそっと耳元に囁かれてアルバーは文字通り飛び上がった。
「公共の場でそーいうことをするのはやめような」
「……っスヴェンっ……!」
「ギルドの名を落とすような真似は慎んでくださいね。それからもう少し、いやだいぶ恥というものを知ってください」
「エアハルトぉっ……」
 そーだったこいつらも一緒なんだったー、とアルバーはがっくりと肩を落とす。二人っきりだったらぜってー今のでチューぐらいはいけたのにーっ!
 だがそう悔しがりつつも自分のそういう挙動の意味がわかってないっぽい感じできょとん、と首を傾げるセディシュはとっても可愛かったので、なんでスヴェンたちが手を出すまでずっと口を差し挟まなかったのかとか疑問に思いもしないまま、アルバーはでれでれとペンダントを買い与えてやった。
 そしてロケットと一緒に身につけられてちょっとショックを受けた。

 三冊目の本を読み終えて顔を上げ、ディックはふとあれ、と思った。手元に差し込む陽の光の角度が、変わっていない。
 妙だな、と思った。もう相当に分厚い医学書を三冊も読破している。いかにディックが速読技術を身につけていようと、相当に陽が高くなっていていいはずなのに。
 今は何時なのだろう、と懐を探って顔をしかめた。懐中時計は羽目を外しそうな男子組を定刻までに帰らせるように、とスヴェンに貸してしまったんだった。自分は時計がなくともベルダ広場に行って少しばかり視線を左上に動かせば時間がわかるから、と思って。
 確かにそれは正しいのだが、改めて時間を知りたい時の面倒くささをうっかり失念していた。やれやれ、と息をついて立ち上がり、部屋を出て階下に降りる。居間にも食堂にも置時計はある、それで時間を見るつもりだった。
 が、居間にやってきてむ、と顔をしかめた。時計の針が五時から動いていない。ち、ち、と音を立てながらえんえんと同じ場所で足踏みを繰り返している。
 食堂の時計も同じだった。五時で止まったまま。壊れてはいなかったはずなのに、と舌打ちし、少し迷ってからベルダ広場に向かうべく玄関を出た。
 別に時間くらい、普通に時を過ごしていれば陽の高さでわかるだろうし、そのうちにスヴェンたちも戻ってくるだろうし、今すぐ知らなければならないということでもないのだが。なんとなく気になった。ディックは気になったことを検証しないままにはしておけない性分だ。ため息をつきつつも、靴を履いて外に出た。
 太陽を見上げる。その高さからすると時間はだいたい朝の十時というところか。まぁ、そんなところだろうな、と内心少しばかりほっとする。朝の五時に全員が集合して今日一日を自由時間にすると決めて、それから家事をして医学書三冊を読破したのだから、そのくらいの時間は経つだろう。
 ベルダ広場に着いた。まぁ大体の時間はわかっているが、と思いつつちらり、と左上に視線を走らせ――絶句した。
 am5。そこにはそう書いてあったのだ。
 am5? 午前、五時? 馬鹿な、そんなことがあるわけがない。だって陽がもうあんなに高いのに。それは確かにエトリアではいつも午前五時にはもう外は明るかった、改めて太陽の高さを調べることもなかったからエトリアはそもそもそういう立地ということも考えられる、だが天文学的気象学的にどう考えても――
 その時、ふと。脳裏に、飛躍した論理が閃いた。
 一瞬固まってから、ぎこちない笑みを浮かべて首を振る。馬鹿な。そんなことがあるわけがない。どう考えたって、常識的にそんなことがあるわけが。
 だが、それならすべてに説明がついてしまう。最初から、エトリアに来た時から、ずっと頭のどこかで『おかしい』と思っていたことすべてに。
 いつ行っても開いている店、酒場、ギルド。どれだけクエストやミッションを受けるまでに時間をかけてもいっこうにそれを達成しようとする冒険者が出ないこと。なのに新しい素材を売った瞬間に店や施薬院に並ぶ、買っても品切れにならない新しい品々。
 おそろしく安価で提供されるアリアドネの糸という携帯転送システム。自分たちのあとからしか出てこない、そのくせ新しい階層に到達したとたん即座にその階層の隅々まで探索してしまうとしか思えない冒険者たちと、執政院の兵士たち――
 じゃあ、まさか。まさか。まさかまさか、まさかまさかまさかまさか!
「……この、世界は」
 体中からざっと血の気を引かせて呟いて、それからディックは走り出した。調べなければ。調べなければ。自分の考えたことが事実なのかくだらない妄想なのか。証明できるだけの情報を得なければ。
 自分の考えたことが間違っていればいい、などと思いながら走ることは、ディックには初めての経験だった。

「俺はコーヒー。ブラックで」
「僕はミルクティーをお願いします」
「俺、牛乳」
「アイスミルクな。アルバーは?」
「俺もぎゅ……じゃなくて、コーヒーで!」
「無理して大人っぽく振舞おうとしたってガキっぽさをよけいに露呈するだけですよ」
「そんなんじゃねーよ!」
 そりゃ、牛乳なしのコーヒーなんて飲んだことはないが、せっかくだから普段頼まないものを飲んだっていいではないか。別にスヴェンに対する対抗意識で頼んだわけではない。たぶん。
 小間物屋を出たあと、自分たちはのんびり来た時とは別の道を通ってベルダ広場へと戻った。そこでクレイトフのところを冷やかして、シリカ商店をのぞいて、そろそろ腹が減ってきたのでカフェに入り、軽食を食べてから食後のお茶の注文を行ったところ。
 大して待ちもしないうちにお茶が運ばれてきて、アルバーは自分の分を飲みながら(牛乳の入っていないコーヒーはやっぱり苦かった)セディシュの方をぎらぎらとした目で見ながらチャンスをうかがった。なんとか、なんとかこのお出かけの間にちょっとでもいい雰囲気になりたい。このままなにもしないままで終わってなるものか。
 と、セディシュがぴょん、と腰の高い椅子から飛び降りた。
「え、どした、セディシュ?」
「トイレ、行ってくる」
「はい、ごゆっくりどうぞ」
 エアハルトの言葉にこっくりうなずいて、セディシュは店の奥に入っていく。チャンス! と目を輝かせて、アルバーはできるだけさりげなく立ち上がった。
「俺もちょっとトイレ行ってこよっかな〜」
「……どうぞ」
「あまり長居するなよ、恥ずかしいぞ」
「よけいな世話だっつの!」
 べっ、と舌を出してからアルバーはセディシュを追った。残された二人が「あからさまですね」「見てる方が恥ずかしいよな」と苦笑を交しあうのも気付かずに。
 トイレはきれいに掃除されていた。これならちょっとはいい雰囲気に持ち込めるかも、と思いつつ中に入り、すぐセディシュが洗面台の鏡の前でじーっと鏡の中の自分を見ているのに出くわした。
「……セディシュ、なにやってんだ?」
「見てる」
「なにを?」
「もらった、もの」
「ふ、ふーん」
 なんだそっか俺のプレゼント改めて観察しちゃってんのかー、とアルバーは一気にいい気分になった。ささっと周囲を見回し、誰の気配もないのを確認し、できるだけさりげなさを装ってセディシュの方に腕を回す。
「? なに?」
「なぁ、セディシュ……チューしていいか?」
「…………」
 真剣な顔で言った言葉に、セディシュはきょとんとした顔で目をぱちぱちとさせた。え、なにこの反応、フツーこういうこと言ったら一気にそーいう雰囲気になってくるもんじゃね!? と内心慌てるアルバーに、セディシュはずぱっと訊ねる。
「アルバー。したいの?」
「うぐっ」
 なにもそんなにドストレートに聞いてこなくても。
「えと、んー、まぁ、その……うん」
「じゃあ、帰るまで、待って」
「へ?」
「エアハルトとスヴェン、待たせちゃ、駄目だから」
「…………」
 そりゃ、言われてみればその通りなんだけど。他の奴らと一緒に来てるんだからそいつらに迷惑かけるのはよくねーとは思うんだけど。
 なんというか……なんだろう、このあっさりっぷりというか、温度差というか。なんだか、なんだか……面白くない。
 だがセディシュはそんなアルバーの心境など知りもせず、「じゃあ、俺、トイレ行くから」と言って個室の方に入っていく。どうするかしばし考えて、アルバーは結局席の方に戻っていった。約束はきちんと取り付けた、セディシュは約束を破ったりはしないだろう。だけど、なんだか。この前のアルバーの行動とか、さっきまでのいい雰囲気とか、まるで関係ないみたいに言われると。
 なんだか、ものすごく、ものすごーく面白くない。
 神経がイライラし始めるのを感じながらも、アルバーはずかずかと席へ向かう。自分たちの席はトイレの植木を挟んですぐ裏手なので、さして時間はかからない。植木から回り込もうと足を進め――
「好きっていうわけじゃ、ありません」
 そんなエアハルトの声を聞き、思わず足を止め息を潜めた。
「そうなのかい? 俺はてっきり好きなんだと思ってたけど。アルバーに対抗するみたいにしっかり口説いてたじゃないか、セディシュのこと」
「それは……ただ、面白くなかっただけです。あの人が自分以外の人間を見るのが」
「それって好きってことじゃないのかい?」
「そうじゃありません。……なんていうか、そういうんじゃなくて」
 かしゅ、とスプーンでお茶をかき回したような音。アルバーは全神経を耳に集中させて待った。盗み聞きはよくないとは重々承知しているけれど、でもやっぱり気になる。エアハルトが本当に、なんでセディシュに付きまとうのか。
 全力で息を殺しつつ耳を澄ませていると、エアハルトがぽそぽそと、囁くような声で言った。
「……あの人は、僕を仲間だと言ってくれたんです」
「仲間、か」
「はい。大好きだって思うくらい、大切な仲間って。会ってからまだ一ヶ月も経ってないのに。一緒に潜ったのだって数えるほどなのに」
「うん」
「それが……嬉しくて。なんだかすごく嬉しくて。いろいろ不満はあるけど、それでも僕、冒険者やってけるなって思えちゃうくらい嬉しくて」
「そうだね、わかるよ」
「だから……たぶん、だから、あの人が自分以外の人間の方を見るのが、自分以外の人間に抱かれるのがすごく面白くなくて」
「うん……」
「でも、本当はわかってたんです。あの人に言われる前から」
「……なにを?」
「あの人が……セディシュさんが、『みんな、同着一位』なんだって」
「っ―――」
 アルバーは、一瞬息を詰めた。
「あの人にとってはみんな大好きな大切な仲間で、僕も、他の人たちも別に特別っていうわけじゃないんだって。あの人にとってセックスなんておはようのキス程度にしか意味のないもので、だから僕たちに与えただけで。僕自身の人格なんて、別にあの人にはどうでもいいんだって」
「エアハルト、それは違」
「アルバー?」
 背後から聞こえた声に、びくっ、とアルバーは身を震わせ振り向いた。トイレが終わって出てきたのだろう、セディシュがきょとん、とした顔でこちらをじっと見つめている。
「戻らないの? どうか、した?」
 じっと、感情の感じられない、なのにどこか気遣わしげな表情でこちらを見つめてくるセディシュ。それを見ているうちに、カァッと腹の底から熱が昇ってきた。
「ちょっと、来い」
「え?」
「ちょっと来い!」
「……アルバー?」
 アルバーはきょとんとするセディシュの腕を引っ張ってぐいぐい歩き出した。植木の影から出てきて、こちらに視線をやるスヴェンとエアハルトに一方的に告げる。
「俺たち、ちょっと寄ってくとこがあるから、先帰る! 悪いけど勘定立て替えといてくれ、あとで払う!」
「え……アルバー」
「行くぞ、セディシュ」
「……うん?」
 首を傾げるセディシュをアルバーはぐいぐいと引っ張って歩いた。頭に血が上り、煮詰まってくるのを感じる。腹立ちと苛立ちが腹の底で渦巻いている。確かめてやる、絶対に。お前は俺が好きなんだろ。だったらなんで、あんなことエアハルトに言わせんだよ。なんであんな、あんな風に、俺のことなんかどうでもいいとか、その他大勢みたいなこと。
 自分の思考が支離滅裂なのを心のどこかで感じつつも、腹の底から湧き上がる衝動のままにアルバーはセディシュを引っ張った。

「ヴォルク。話があるんだが」
「お前が? ……なんだ」
「――これは技術的に可能か?」
「む? ………。…………!? 馬鹿な! そんな、不可能だ! 人の手で可能なものではない!」
「人の手ではなかったらどうだ。神にも等しい技術力の持ち主だったなら。この世界を構築することすら可能な存在の手によるものだったなら」
「な……」
「そう思う根拠はある。たとえば俺の習得したキュア。最近わかったんだが、あれは治療じゃない。生命状態の定量的な回復だ。原理的には肉体を傷を負う前の状態まで戻す、いうなれば傷のリセットだ。そんな普通ならありえない技術をスキルポイントを振るだけで習得できてしまうようなことが、そもそもありえないだろう?」
「それは……だが、これは、いくらなんでも、ありえん……」
「二週間ごとに復活するFOEとボス敵。人間の肉体では、精神では不可能なことを可能にするスキルという力。いつ行っても同じように開いている店、俺たちだけのために用意されたようなクエストとミッション、空間を転移するという普通ならばありえない技術が当然のように使用されていること、階に下りた瞬間瞬時にその階のすべてを探索しつくしたかのように情報や他ギルドが動くこと。そのすべてがこれで説明がつく」
「………馬鹿な………」
「……『高度に発展した科学技術は、魔術と区別がつかない』」
「……なんだ、それは」
「クラークの第三法則さ……まさか、そんな話を実感する時がこようとは思ってなかったがな」
 そう、本来ならこの世界に、そんな高度な技術が存在するなど考えたこともなかったのだから。

 アルバーはぐいぐいとセディシュを引っ張ったまま、行きつけの連れ込み宿に飛び込んだ。「一部屋、休憩」とぶっきらぼうに告げて、案内を断って部屋に入る。
 そして即座にぐいっ、とセディシュの体を引き寄せた。セディシュはいつものようなきょとんとした顔でこちらを見上げている。そのあまりにもいつも通りな表情に心底イラッとして、セディシュに言葉を叩きつけた。
「セディシュ。ヤらせろよ」
 セディシュは一瞬目を瞬かせたが、すぐに表情を変えないままこっくりとうなずく。
「わかった」
「………っ」
「服、先に脱ぐ? 俺、とりあえず、トイレで中の掃除、してくるけど」
「……っ違うだろ!」
 がんっ。アルバーは苛立ちを抑えきれず、壁を殴りつけた。きょとんとした顔のままこちらを見つめるセディシュをぎっと睨みつけ、胸倉をつかむ勢いで怒鳴る。
「なんでそんな風に当然みてーにうなずくんだよ!? お前俺のことなんだと思ってんだ!? 俺のこと相手のこと全然考えねーで自分勝手なこと言うような奴だって、本気でそう思ってんのかよ!?」
「? アルバーは、アルバー」
「そうじゃ、ねぇだろっ……!」
 アルバーはぎゅっと唇を噛んだ。なんでなんだ、どうしてわからないんだ、俺がこんなに怒ってる理由本気でわかんねぇのかよ!?
 アルバー自身本当にわかっているわけでもないのにそう勝手に頭に血を昇らせ、ぎっとセディシュを睨んで低く言う。
「お前、俺が好きじゃないのかよ」
「好き、だよ?」
「じゃあなんで……っ、他の奴にヤらせるんだよ!?」
 言ってからはっ、と口を押さえたが、もう遅かった。セディシュはきょとんとした顔でこちらを見ている。かぁっ、と顔が赤くなるのがわかった。
 言うべきじゃなかった、言っちゃいけないって心の隅に蹴りこんで忘れてたのに。でも、そうだ、自分は確かにそう思ってた。自分はセディシュに自分の方だけを見てほしかった、自分が一番好きだと言ってほしかった、だって、自分は。
 だが、セディシュはきょとんとした顔で首を傾げた。
「なんで、って?」
「っ……普通、こんなことヤらせるのは、世界で一番好きな奴一人にだけだろ!?」
「みんな、同着、一位だよ?」
 そう言われるのはわかっていた、前もそう言われた。だけど、でも、わかってるけど、そんな言葉聞きたくなんてなかった。だって、自分は。ずっと気付かない振りをしてきたけど、自分は。
「俺が、お前のこと、好きだって言っても?」
「……え?」
「世界で一番、他の誰よりお前のこと好きだって言っても俺は他の奴らと同着なのかよ!?」
「……そうなの?」
「そうだっつったらお前他の奴と寝るのやめてくれるのか!?」
 胸倉をほとんどつかみ上げんばかりにしながら目の前で怒鳴るアルバーに、セディシュはきょとんと首を傾げた。まるで今の状況が全然特別じゃないみたいに。ごくごく当たり前な、どうでもいいことのように。
「なんで?」
「――――っ!!」
 だんっ、とアルバーはセディシュを押し倒していた。その細い首を、自身の大きな掌で締めつけながら。
 許せない許せない許せない。頭の中がわんわん鳴る。なんで、どうして、なんで。俺のことなんか、俺とのセックスなんか、お前は、どうして。焦げつくほど熱い頭の中で、そんな言葉ばかりが無駄に回転する。
 たがの外れた全力で首を絞められながら、セディシュはかは、と小さく声を漏らしつつ、じっとこちらを見上げていた。こんな状況まるで大したことじゃない、と言っているかのような冷静な無表情で。アルバーが与えた命の危機なんて、別にどうでもいいと言わんばかりの落ち着いた顔で。
 そして掠れた声で、囁いた。
「俺の、こと。殺し、たい?」
「――――――」
「いい、よ。殺して」
 そう囁いて、セディシュは目を閉じた。まるでそれが当然の行動であるかのように。自分の命がどうでもいいものであるかのような静かな表情で。アルバーの身勝手な、むちゃくちゃな感情の押しつけを、当たり前のように受け容れて―――
「………っ!!」
 アルバーはばっ、と全力を振り絞って手をセディシュの首から外し、がんっ、と床を殴った。ぼた、ぼたぼたっ、と瞳から涙がこぼれているのを感じる。だけど、恥ずかしいなんて感じる余裕はなかった。
「違う……違う違う、違うんだ、そうじゃねぇっ! こんなことしたいんじゃねぇんだ、こんなこと言いたいんじゃなくて、俺は、俺はただ……っ!」
「……アルバー?」
 いつも通りのきょとんとした顔、不思議そうな表情、その中にどこか気遣わしげな色が見える。本気で殺されかけたのに。それも身勝手この上ない感情の暴走で。なのに、当然のようにセディシュは自分を、自分たちを気遣うのだ。こちらのどんな勝手な押しつけも、当たり前のように受け容れて。
「ごめん、セディシュ、ごめん、ごめん……」
「アルバー」
 セディシュが膝立ちで近づいて、じっとこちらを見つめ、ぎゅ、とアルバーの頭を抱きしめた。暖かい感触、優しい感触、こいつは当然みたいな顔して俺にそういうものを与えてくれてきたのに。
「ごめんな、セディシュ、ごめん……ごめん……」
「……なにが?」
「俺はな、俺は、ただ、お前が、本当に……」
「……うん?」
 自分にそんなことを言う資格があるのか、と頭のどこかが意地悪く呟いたが、溢れた感情は止まらなかった。口が動いて、言葉を告げる。気付かなかった、無視してきた、そんなことがあるなんて想像すらしなかった一言を。
「お前が、好きなんだよ………」
 その言葉に、セディシュは一瞬沈黙した。

 セディシュはアルバーを連れて、屋敷へと戻ってきていた。アルバーはひどく落ち込んでいるようだったが、夕食までには戻れと言われている、放っておくわけにはいかない。
 玄関で靴を脱いで、中に入る。人の気配がしたので、アルバーを引っ張って食堂へ向かった。
 食堂に入るや、セディシュは目をぱちぱちとさせた。自分たち以外の全員が揃っている。まだ夕食にはずいぶん間があると思ったのだが。
 一番奥の席に座っているディックがこちらを見て、静かに言った。
「遅かったな」
「そう? ごめん」
「とりあえず、そこに座れ。全員に通達しとかなきゃならないことがある」
 なんだろう、通達しなきゃならないことって。セディシュはまた目をぱちぱちとさせたが、言われた通り目の前の席に座った。アルバーも同様に、落ち込んだ顔のまま隣の席に座る。
 ディックとヴォルクが目配せを交わし、ディックが自分たちの方を向いて、どこか張り詰めた口調で言った。
「これから俺たちが言うことは、お前たちにはとても信じられないことかもしれない。だが、それなりの根拠はある。俺たちなりに調査もした。世迷言、と決めつける前に、きちんと俺たちの話を聞いて、考えてみてほしい」
「前置きはいいから、早く言ってよ。どういう話なわけ?」
 ぶっきらぼうに言うセスに、ディックは小さくため息をこぼした。それから一度自分たちを見回して、静かに告げる。
「俺たちは、俺たちが今まで普通に暮らしてきた世界とは違う世界にいる」
『……は?』
「世界樹の迷宮は、いや迷宮がやってるのかどうかすら定かじゃないが、とにかくエトリアに存在するなにかは、俺たちを専用の箱庭――小さな世界に閉じ込めてるんだ」
『……はぁ?』
 いっせいに上がる困惑の声。それを聞くディックの顔は、沈痛で苦しげで、どうしようもなく寂しげに見えた。

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