私の両目を閉じてください

「ふっ!」
 アルバーはハヤブサ駆けで最後の一人を斬り裂き、すたりと地面に着地した。脳天を断ち割られたモリビトは、血を流しもせず悲鳴も上げず、木を切ったような感触だけ手に残してばったりとその場に倒れる。
「よし、じゃあ剥ぐか」
「おう」
 ディックの言葉にうなずいて、モリビトたちの死体にめいめいとりつく。素材として使えそうな着ている服を剥ぎ、武器を奪い運びやすいよう砕く。通貨になっているのかもとディックが言っていた、堅い石のかけらや墨の塊ももちろん。
 最初は人の形をしたものを殺し、身ぐるみを剥ぐという作業が、自分の嫌悪していた山賊の類を思わせてげっそりしたものだが、今はもう慣れた。大爆炎の術式で殺し、ハヤブサ駆けで殺し、鞭で殺し弓で殺し杖で殺し。人の形をしたものに出会うやなんのためらいもなく殺し、奪う、そういう作業に、もうとうに。
 今までの魔物を倒すのとなにも変わらない、さくさくと効率的にこなすべき作業。現れる端から殺し、奪う。今までと実際、なにも変わらない探索行だ。
 ふと、向こう側で頭を断ち割られ、人のものとは違う内蔵を露出し、傷口からだらだら血とも樹液ともつかないものを垂れ流しながら絶命しているグリンドルイドの身包みを剥いでいるセディシュと目が合った。
 一瞬びくりとするアルバーを見て、セディシュはどうしたの? とでも言いたげに首を傾げる。いつもの淡々とした無表情で。これまでと微塵も変った様子もなく、今の状態が別にどうということもない、とでもいうように。
 アルバーはしばしじっとセディシュを見つめ、すっと目を逸らした。いつまでもセディシュを見つめていたら、叫び出してしまいそうだったからだ。

「……とりあえず、B20FのFOEを全部倒して地図を埋めよう。それで様子を見る。それまでには守護鳥とやらも出てくるはずだ」
「全部倒すのかよ? めんどくさくね?」
「だがそれがベストの方策だ。あのフロアはFOEしか出てこない、つまり全部倒してしまえば楽に探索ができる。ボス敵との戦闘中に乱入されても面倒だろう?」
「確かにな……メンバーは?」
「長期戦になるからな……俺、セディ、アルバー、セス、クレイトフというところだろう。次の探索でとりあえず全滅させられると目星がつくところまでもっていきたい」
「ふーん……ま、いいけど。レアドロップとか、どーすんの」
「新しく出てきた奴らのレア条件は2ターン以内に撃破、だ。長期戦用のパーティじゃ正直厳しいな。物理に弱い奴の方なら可能だろうが……むろん、全滅させるまでにはきっちり取っておくつもりではあるが、とりあえず今回は見送る予定だ」
「ほいほーいっと。じゃ、これで解散?」
「そうだな……それでいいだろう。それぞれ英気を養ってからいつも通り食堂に集合、ということで解散」
 めいめい立ち上がり、部屋を出ていく。それをアルバーは、ただ座って見送った。
 ディックがセディシュに目配せをして、セディシュがそれにこくんとうなずき連れ立って部屋を出ていく。それをただ、じっと、たぶん焦げつくような視線で。
 完全に仲間たちの姿が消えてから、アルバーは顔を覆った。そして、嗚咽を漏らす。
「……っくしょう……なにやってんだよ、俺はっ……!」
 アルバーは今まで、『やりたくないこと』というものをやったことがなかった。それはもちろんやらなくてはならないけれど気の進まないこと、気後れすることはあったにせよ、『これはしちゃいけない』とアルバーが本気で思うことは、一度もやったことがなかった。
 自分は世界一の剣士になりたかった。強くてカッコいい最強の、一番の人間になりたかった。そのための道をまっすぐ進んできたつもりだった。
 なのに、けれど、自分のいましていることは。
「……っくしょう……」
「あなたは、苦しんでいる、のね」
「っ!?」
 唐突に響いた声に、アルバーはばっと声のした方を向いた。そこにいたのは紫色の髪をお下げにした、真っ黒くボロいマントを身につけた幼女――カースメーカーのレヴェジンニだった。
「おまっ……いつからっ」
「最初から、いた、けれど?」
「嘘つけっ、気配なんて全然」
「気付かれ、ないように、していたもの。人間は、気付き、たくないもの、には気付け、ないものよ」
「…………」
 どう答えればいいかわからないままに奥歯を噛み締めながらレヴェジンニを見つめる。レヴェジンニは静かな無表情でこちらを見つめてきていた。
 アルバーは自分が気圧されていることに気づき拳を握り締める。もうすでに両手に余る回数一緒に潜っているというのに、アルバーはレヴェジンニがどういう少女なのかよくわからない。レヴェジンニはいつも無表情で、戦闘時もただじっと後列で防御しながら戦闘が終わるのを待っているのがほとんどなのだからそれも当然だ。スキルを使っているところなど、三点縛りでのレアドロップ狙いの時に封じを使っているところぐらいしか見たことがない。
 なのでなにを言い出すかわからない。こんな小さな女の子にと思いながらも、レヴェジンニの静かな無表情には迫力があった。同じ無表情でも、セディシュとはまるで違う。
「……っ」
 ぎゅ、と掌に爪を立てる。自分はもう、そんなことを思っていい人間じゃないのに。
「セディシュ、のことを、考えている?」
「っ! なんでっ」
「ギルドに入って、からずっとあなた、たちのことを見て、いたから。そのくらいは、わかるわ」
「…………」
 あくまで無表情のままとつとつと言葉を紡ぐレヴェジンニを、きっとアルバーは睨む。気圧されているのを悟られないように必死に虚勢を張った。今の自分の心の中なんて、絶対誰にも見られたくない。
「あなたが苦しんで、いるのは。自分が、虐殺を行って、いるという、事実に? それとも、そんな状況でも、胸を焦がす、嫉妬の、感情に?」
「っ……関係ねーだろっ!」
「そう? 本当に、関係、ない?」
 あくまでじっとこちらを見つめながら、淡々とした口調でレヴェジンニは言う。少しセディシュに似た口調で。今でも焦がれる、あいつに似た口調で。
「……っ……わかってるよ。こんなんじゃ、駄目だってのは」
 耐えられず、うつむいて口早に話し出す。レヴェジンニはただ静かにそれを聞いた。
「パーティ組んで、マジで迷宮探索やってんだから、落ち込んでる暇なんてねーし、一度やるって決めたんだから貫かなきゃだし、自分のやれることちゃんとやんなきゃって思う、思うけど……」
「苦しい、の?」
「……っ」
 あくまで静かな、感情の感じられない声。問い詰められているわけではないが、自分の正直な感情を出さなければ太刀打ちできないような、心を圧迫する声。
「……苦しいよ。一度やるって決めたけど、今でもやめる気ねーけど……逃げ出したいって、どっかで思ってる」
 ディックが自分たちに虐殺かギルドを抜けるかの選択を迫ってきた時、自分は先に進むことを――虐殺を選んだ。ディックの言葉が正しいかどうかもわからないし、まだ本当に戦になると決まったわけじゃないと思ったし、なにより逃げたくないと思ったのだ。こんな中途半端で、なにもわからないままでやめたくない。迷宮の謎を解けば、少なくともそれは解消されるだろうし、と自分なりに真剣に考えて決めたのだ。
 そして、セディシュは、きっと、ギルドに残るだろうと思ったから。
「セディシュの、ために、決めたの?」
「違う……違うけど、俺の、勝手な気持ちん中には……たぶん、そういうのもあった」
 セディシュがその行為をどう思うかはわからなかった。そもそもセディシュの考えや思いなんてものを、自分がちゃんとわかったことなんて一度もなかっただろうが。
 ただ、自分は嫌だったのだ。セディシュに、セディシュ一人に人を殺させるなんて死んでも嫌だと思った。
 それが独りよがりなわがままだということは、わかっていたけれど。
「それでも、苦しい、のね」
「……だって、間違ってるだろ、こんなの」
 モリビトは人間じゃない、そう決めてしまって魔物と同じように殺すこともきっとできた。だけど自分の中でそれは違う、と声がする。話し合いができる存在を魔物と同じように殺して、経験値を得て。それで強くなっても、自分はきっと、それを誇れない。
「間違ってるって思うのに……慣れてんだ、俺」
「慣れ、る?」
「モリビト魔物とおんなじよーに殺して、山賊みてーに身包み剥いで、死体放りっぱなしにして。そーいうのが、当たり前になってんだ。作業なんだ」
 人、なのに。人だと思える相手なのに。それを殺して身包みを剥ぐなんて、自分がずっと嫌悪してきた輩と同じなのに。
 そんなことを自分は、当たり前のように、日常的な作業としてやっている。それに気づいた時、心底ぞっとした。
「俺……わがままだってわかってるけど、自分勝手だって思うけど! もう嫌だ、なんか嫌だ。このまま殺して、殺して、殺し続けて……それが自分でも心の底から当たり前だって思っちまったら、もう俺、本当に、人じゃなくなっちまうって、そう、思って……」
「でも、やり通す、つもりなの?」
「……うん」
 頭をぐしゃぐしゃかき回しながら、奥歯を噛み締めながら、そううなずく。そうだ、もう決めていることなのだ。
「俺だけのことじゃないから。だから、どんなにへこたれたくなったって、絶対、退けないって、決めたんだ」
「セディシュが、いる、から?」
「……他のみんなも、だよ」
 一番がセディシュなのは、否めないけれど。
「他のみんな放って自分だけケツまくるなんて死んでも嫌だ。みんなが手ぇ汚すなら、俺だって汚す。一番前で、一番多く殺して、みんなの負担軽くする。そのくらいの気合で、やってやるって、決めたんだ」
「……そう」
「独りよがりで、自己満足だってのはわかってるよ。けど、それでもやるって。俺は世界一の剣士になるって決めたんだからって。みんなをらくらく守ってやれるくらいの、最強の、一番の男になるって決めたんだからって」
 ここで退いたら、絶対に自分は一生自分を誇れないと。そう、自分に言い聞かせて。
「人じゃ、なくなっちまったとしても、って」
「……そう……」
 歪んだ顔で言い放った決意に、レヴェジンニは小さくうなずいて、それから無表情を崩さず言った。
「他の、人の気持ちは、知ってる?」
「……へ」
「他の、人の、気持ち。モリ、ビトの虐殺を、なぜ、行う、のか」
「や……ちゃんと聞いてみたことは、ないけど」
「聞いて、みなさい。言葉に、出さなければ、あなたがそんな、ことを考えていることも、伝わらない。あなたが、大事に、思っている人、ならばきっと、あなたの心を、知りたいと、思ってくれる、はず」
「…………」
「独りよがりだと、思うなら。相手に気持ちを、伝えなさい。だってあなたは、一人じゃ、ないの、だから」
 そう言うと、レヴェジンニはすいと立ち上がり食堂を出ていく。アルバーははっとして、叫んだ。
「レヴェジンニ!」
「……なに、かしら?」
 振り向くレヴェジンニに、言葉を突きつける。
「お前は?」
「……私?」
「お前は、なんで、モリビトを殺すの、手伝うんだ?」
「……そう、ね」
 レヴェジンニは珍しく、小さく小首を傾げた。そのまま数秒静止してから、こちらに向き直って答える。
「先に進む、べきだと思う、から」
「……そう、か」
「始まったものは、終わらせなくてはならない、から。死ぬ時には、知って、納得して、死にたいと、思うから。流れ出した水は、止め、られない。ならば、私は、知りたい。自分が、人が、世界が、なぜここに、在るのか」
 そう言って、すいとレヴェジンニはこちらに背を向け、食堂を出ていった。珍しく、少し足早に。

「なぜモリビトたちを殺しても、先に進むと決めたか、ですか……?」
 庭で稽古をしていたアキホに訊ねると、アキホは少し困ったように眉を寄せた。アルバーはこくりと、真剣な顔でうなずく。
「ああ。聞きたいんだ。みんながなんで、人を殺しても先に進むって決めたのか」
「……そう、ですか」
 アキホは小さくうつむいてから、顔を上げこちらを見つめながら口を開いた。
「拙者は、最初、人であろうと斬ることはできる、と思いました」
「……そう、なのか」
「はい。そもそも剣術とはそういうものですから。どう取り繕おうと、突き詰めれば人殺しの技でしかない代物です。拙者はそれを極めるためにこれまで生きてきた者。ですから行く手を阻むものが人であろうと、斬れる、と思いました」
「そうか……」
「はい。……ただ、怖い、とも思いました」
「……怖い?」
「ええ……拙者は、それまで人を斬ったことがありませんでした。人を斬った時自分はどうなるのか、どう変わるのか。怖気づく気持ちがあったことは、否定できません」
「そう、か。……でも、先に進むって決めたんだな」
「はい。……あまり褒められた理由でではありませんが」
「……どんな理由だよ?」
 アキホは小さく苦笑し、照れくさそうに(そんな顔を初めて見たので少し驚いた)言った。
「一人だけ、置いていかれたくなかったので」
「……へ?」
「拙者は新参者ですが、それでも、それだからこそと言うべきでしょうか、みなさんに置いていかれるのは嫌だ、と思ったのです。一人だけ脱落したくなかった。この人たちについていきたいと……それが一人前の剣術使いとは言えぬ考え方と承知しながらも、思ってしまったのです」
「…………」
「後れを取ってはならぬ、とただがむしゃらに刀を振るい、今はもう人を斬る感触にも慣れました。なれば、ためらう必要がどこにありましょう。人であろうと魔物であろうと、敵であることにも命であることにも変わりはなし。行く手を阻み、我らを害さんとする者は、ただ斬って捨てるのみ。そう心に決めております」
 きっと顔を上げこちらを見つめるアキホの瞳には、ためらいも迷いもなかった。
 ……気負いや、強がりはあるかもしれなかったが。

「……あなたがそんなことを聞いてくるとは思いませんでした」
 玄関で靴を履き替えていたエアハルトは、アルバーの問いに驚いたような顔でそう言った。
「なんだよ。そんなにおかしいかよ」
「正直に言えば。……でもまぁ、それだけ今の状況が歪んでいる、ということなのかもしれませんね」
 苦く笑んだエアハルトに、少しむっとしながらも、アルバーは重ねて問う。
「お前はどうなんだ、エアハルト。アキホは、一人だけ置いていかれたくないからって言ってたけど」
「アキホさんはそんなことを? あの人らしいと言えば、そうなのかもしれませんね。……僕の場合は、ただ……」
 わずかに口ごもってから、きっと顔を上げて、普段より高飛車にエアハルトは言い放った。
「僕にとっては、人殺しはさほどの禁忌でもありませんでした」
「……そうなのか」
「ええ。僕は騎士を目指していた人間ですから。騎士というのは、畢竟戦争のために存在する人間です。敵を――人を殺し、領土を奪うのが存在意義。なので、モリビトをせん滅する、という事態そのものにはさして抵抗感を覚えませんでした」
「え、けど、お前ディックが言った時」
「あれは単に、あきらかにおかしいと思ったので。僕は疑問に思ったことは突っ込まずにはいられない性格なんですよ。だから今も、そのおかしい点を是正しようと僕なりにやっているつもりです」
「ぜせい……?」
「執政院の中を、ちょっと。……まぁ、ほとんど甲斐のないまま終わりそうですけど。どう考えても長に泳がされてるとしか思えない状態ですし」
「そう、なのか」
「ええ……そんなこんなで、おかしいと思うことを調べるためにも、迷宮を制覇するためにも、人を殺そうとも先に進むと決めることにさほどの時間はいりませんでした。……ただ」
「ただ?」
 エアハルトは少し困ったように笑って、続ける。
「それでも、モリビトを――人を殺すその時は、気持ちが悪いと思わずにはいられませんでしたけど。今も変わらずに。人を殺していることそれ自体にも、冒険者なのに騎士と同じことをしているという気色悪さにもね」
「……そっか」
 アルバーは、こくりとうなずいた。エアハルトの感じ方すべてにぴんときた、というわけではない。だが、それでも、エアハルトが自分なりに自分のできることをしている、という自負には、確かなものがある、と思ったのだ。

「なんでそんなことあんたに言わなきゃなんないわけ」
 裏庭で弓の練習をしていたセスに訊ねると、セスは仏頂面でそう返してきた。セスがいまだ、自分を全力で嫌っているという態度を崩さないことにわずかにめげたが、ここでくじけてはならじと真剣に頭を下げる。
「頼むよ。聞きたいんだ」
「なんで」
「えっと、みんなの気持ちを知って……そんで、俺の気持ちも知ってほしい、っつーか……」
「あたし別にあんたの気持ちなんて知りたくないし」
「うぐ……そー言わないでさっ! 頼むよ、この通り!」
「うっさいな。他当たれば? あたしは少なくとも言う義理なんて全然感じないし」
「……っ……頼むよっ!」
「っちょっ!」
 がばっ、とその場に土下座すると、セスは仰天したような声を出してわずかに身を退いた。アルバーはかまわず、額を地面に擦りつけるようにして懇願する。
「頼むっ! 話聞いてくれ、そんで話してくれっ! 俺には、すっげー大事なことなんだっ! だからっ」
「ちょっ……あーもーっ、わかったからっ、頭上げてよっ! こんなとこ誰かに見られたらどーするわけっ!? もうっ、恥ずかしいなっ……」
 地面から顔を上げてきっと見つめるアルバーに、セスは仏頂面を赤くしつつ、微妙に目を逸らしながらぼそりと答えた。
「別に大した理由があったわけじゃないけど。中途半端とか、嫌だったし」
「中途半端……」
「人みたいな生き物を殺すのが嫌だからって、とっとと逃げ出すなんて、なんか負けたみたいな感じするじゃん。そんなのごめんだし。確かに初めの頃はちょっとやだなって思ったけど……もう、慣れたし」
「慣れるのが嫌だ、とか思わなかったか?」
「え」
 少し不意を突かれたような顔になってから、きっとこちらを睨んで怒鳴る。
「うるっさいな! そんなねぇ、そんな……そんなこと考えてたら狩りなんてできないでしょ!? やらなくちゃならないって決まってるんだから、うるさいこと言わないでよ!」
「俺は慣れたくねぇって思った。慣れちまったら、話し合いができる奴を殺して、奪うことに慣れてそれが当たり前になっちまったら、もう本当に人じゃなくなっちまうんじゃねぇかって」
「うるさいっ、つってんでしょっ! あたしにはね……あたしには、そんなの、関係ないもんっ!」
 怒鳴りつけてこちらに背を向け、駆け去るセスを「セス!」と名前を呼んで追いかけ、ずい、と現れた人影に行く手を遮られた。アルバーはその人影を見て、思わず呟く。
「スヴェン……」
「うちの妹の心を乱さないでくれないか、アルバー」
 きろり、とこちらを睨むスヴェンの瞳には、確かな怒りが炯炯と宿っている。アルバーはきっとスヴェンを睨み返し怒鳴った。
「乱すとか、そんなんじゃねぇよ! 俺はただっ」
「『襲ってくる敵を殺すことが本当に正しいのか?』……そんな問いかけにどうやったらうちの妹が心を乱さずにいられると思うんだ。そんな問いを心に抱いてしまって、戦闘中に一瞬でもためらったりしてみろ。こっちが殺されることになるんだぞ」
「………っ!」
「剣士のくせにそのくらいのことも理解してないのか、お前は。お前が仲間の足を引っ張るってことはな、仲間が死ぬってことなんだぞ。本当にそんなこともわからないのか」
「……っ俺は! けどっ、わかんねーんだもん! このまま進んで、殺して、モリビト本気でせん滅させちまって、それがホントに正しいっつか、ちゃんとしたことなのかって」
「わかる必要がどこにある」
「え」
「敵を殺すのが正しいかどうかなんて、わかる必要がどこにある」
「スヴェ――」
 こちらを見つめるスヴェンの視線には苛立ちと腹立ちとがはちきれそうに詰まっている。こいつのこんな目見るの初めてだ、とアルバーはわずかに気圧された。
「俺たちは冒険者だ。聖人じゃない。冒険者はそもそも人の入らないところに分け入って宝を奪ってくるのが仕事だ。正しいだのなんだのって言えた立場じゃないだろ。俺たちのやることが正しいかどうかなんて解釈は後世の学者にでも任せればいい」
「……っ、けどっ! 俺はそんなのやだって思ったんだよ! 自分が、自分のやることが、少なくともちゃんとしてるって思いながら戦いたいって思ったんだ! 山賊とかみてーな、人殺して奪うみてーな感じのこと、フツーにやってていいのかって、思ったんだよ!」
「それのどこが悪い」
「……え」
「山賊みたいに人を殺して奪う、それのどこが悪い。敵を襲って殺して奪う、それはずっと俺たちがやってきたことじゃないのか?」
 スヴェンの言葉は視線と同様、斬りつけるように鋭い。ぐ、と奥歯を噛み締めてから、アルバーは怒鳴った。
「っけど! それは人じゃ、話し合える相手じゃ」
「モリビトだって、もう違う。敵意を、殺意を持ってこっちを襲ってくる相手だ。そんなものに話し合いを持ちかける気か? 命を危険に晒して? そうしたいなら止めないが、一人でやってくれ。こっちにとばっちりがくるのはごめんだ」
「……っ……」
「いいか、アルバー。俺たちの手はもう汚れてるんだ。人も、そうでないものも、山ほど殺してるんだ。いまさら一人だけきれいなところにいるような面をするな」
「……っけどっ……!」
 そういうんじゃない。自分が言いたいのは、そういうことじゃない。自分だって決めたのだ、モリビトを、人を殺すと。だから自分の手が汚れていることぐらいとうに知っている。
 ただ、自分は。今の自分が、本当に――
「スヴェンは――どうなんだよっ!」
「なに?」
「スヴェンはどう思ってるんだ。どうして人殺してでも進むって決めたんだよ。きれいとか汚いとか正しいとか間違ってるとか、そんなんじゃなくてっ」
 そう、人から見てどうか、ということではなくて。ただ、自分自身で。
「そういう風に決めたこと、自分で誇れんのかっ!?」
「…………」
 スヴェンはすっと、表情を消した。
 そうだ、つまり、そういうことなのだ。自分は自分を、誇りたかった。他の奴から見てどうとかではなく、自分で自分を、自分にできることはやってきたと、そう思いたかったのだ。
 だから、今の自分を仲間たちから見てどう思うかと、大切だと思う人間たちから見て、誇れるような点のある人間かと、そう、訊ねたくて。
 そうきっと見つめるアルバーに、スヴェンは吐き捨てるように答えた。
「……誇りなんてものは、俺の人生には必要じゃない」
「え」
「人生なんてものはな、八割が惰性からできてるんだ。生まれちまったから生きる、生きなきゃならなくなっちまったから金を稼ぐ、金を稼がなきゃならなくなっちまったから働く。みんなそんな風に惰性で生きてるんだ、そんな生に、誇りなんてものは少しも必要じゃない」
「け、けどっ! お前だって、冒険者になろうって思ったんだろ!? ただ、生まれたからそのまんま生きるんじゃなくて、自分ですげーって思えることがしたいって、そう思ったから冒険者に」
「は、まさか。だったら採集役なんて大人しくやってるわけないだろうが。生きるために金を稼がなきゃならないから、仕方なく冒険者になっただけだ」
「だ、けどっ」
「お前勘違いしてないか。俺たちは英雄でも勇者様でもない。選ばれたお方みたいに仰々しい出会いがあったわけでもなんでもない、ただ街の酒場で出会ってなんとなくギルドを結成しただけの間柄だ。たかだか数ヶ月のつきあいでなにもかも知ったような顔をされるのは迷惑だ。それに」
 はっ、と蔑むような表情で鼻を鳴らし。
「自分が特別な、選ばれた人間ででもあるかのような顔をされるのもな。お前はただちょっと運がよかっただけの剣士にすぎない。戦を止められるだの、世界を変えられるだの、そんな大それた望みを抱くのはやめることだな。分不相応すぎて、見ていて鬱陶しい」
「…………」
「それだけだ。二度と俺の妹に馬鹿なちょっかいをかけるなよ」
 そう言って、スヴェンはこちらに背を向けた。

「相当こっぴどくやられたようだな」
「お茶淹れたげるから、ちょっと寄ってきなよー」
 食堂からヴォルクとクレイトフに声をかけられ、アルバーは言われるままにふらふらと食堂に入った。ヴォルクがひょいと椅子を引いてくれ、クレイトフがにこにこ笑顔でお茶を淹れてくれる。
「……二人とも、聞いてたのか?」
「聞こえたんだ。お前らがどれだけ大きな声でやりあってたと思ってる」
「ま、聞き耳立ててたのは確かだけどね。はい、お茶」
「ありがと……」
 差し出された温かい緑茶を啜る。はぁ、と思わず息が漏れた。
「……言っておくが、さっきのはお前も悪いぞ。年下の少女に、自分の不安を押しつけるなぞ、兄としては怒って当然だろうが」
「まぁ、あれはスヴェン自身の不安を突かれちまったってのもあると思うけど。……なに? アルバー、みんなにモリビト殺しの動機聞いて回ってんの?」
「ああ……うん……」
 アルバーは頭をゆっくりと動かしながらうなずく。のろのろと二人の方を向き、訊ねた。
「ヴォルクと、クレイトフは? なんで……モリビトを殺してでも、先に進むって、決めたんだ?」
「…………」
「……ふむ。そうだな……」
 ヴォルクは手の中の湯飲みをゆっくりと乾し、ふ、と息を吐いてから答える。
「俺は、世界樹の迷宮の謎を解きたい、と思った。もっとこの迷宮のことを知りたい、と。ディックの言葉が真実なら、この迷宮には世界の根幹に関わる謎がある。俺は、知らないままでいいことなどこの世にはないと、そう信じている……が」
 一瞬目を閉じてから、静かに続けた。
「だからといってそんなことが人を殺す理由にも、これまで何度も繰り返されてきた愚かしい諍いの原因になる理由にもなりはしない。だから、俺の理由はただ……俺がそう生きたいから、というだけにしかすぎないんだろう。真実を知るために、他者を犠牲にしてもいい。俺がそう思っている、ということなんだろうな」
「……本当にそう思ってるわけじゃない、みたいに聞こえる」
「っ、そういうわけじゃない。ただ……自分でも、理由を完全に言葉に言い表すことができない、というだけだ」
「? どういう……」
「……言ってしまえば、だ。そう思っているつもりでも、モリビトが焼ける匂いを嗅げばぞっとするし体が震える。魔物と同じ命であり、敵であると理解していながらだ。つまり、俺は完全に自己制御を行えているわけではない、ということだろうな。……腹の立つことに」
「…………。クレイトフは?」
「え、俺? そーだなー……」
 クレイトフはいつものように、笑みを浮かべながら道化て首を傾げてから、言う。
「したいようにするしかないなこりゃ、って思ったからかな」
「……?」
「なんつーかさー……ぶっちゃけ俺は種族だ世界だってシリアスな空気苦手なんだけどさ。けど、それでも人を殺したくないってフツーに思うし、迷宮の謎を解きたいって好奇心やら探究心もある。それにすげぇ英雄譚をものにしたいって功名心もな」
「…………」
「たぶんこういう問題に、絶対正しい答え≠ネんてもんはないんだろう、と俺は思ったんだ。どんな場合でも対応できる答えなんてもんはない、ってな。どんなことでもそーっちゃそーだけど。例えば、できるだけ命を救おうと殺さないよう行動したことがいい結果を生むかもしれないし、モリビトと人間の全面戦争なんてものを巻き起こしちまうかもしれない。結局運次第ってわけだ」
「……だから?」
 クレイトフは小さくうなずく。穏やかだが、その底に確かな真剣さを秘めた顔で。
「みんなそれぞれのしたいようにするしかないんじゃないか、って思った。どちらに進んでもどう転んでもおかしくない。で、俺はどうするか、と自分に聞いてみて、最後まで見届けたい、という気持ちが一番でかかった。だから、ギルドに残ろうって決めたのさ」
「…………」
「アルバーは? こんなことを聞いてきたからには、理由があるんだろ?」
「ああ、うん……」
 アルバーはまたずずっ、と茶を啜ってから、少し呆けたような、と自分でもわかる声音で言った。
「特別じゃないってことは、どうでもいいってこと、なんかな」
「……は?」
「スヴェンがさ、さっき言ったんだ。俺も、俺たちの出会いも、全然特別なものなんかじゃない、って」
「……それが?」
「俺はさ、なんていうか……自分のやってること、間違いって思いたくなかったっつーか……いや、間違っててもいくて、正しいとか間違ってるとかそーいうんじゃなくてさ……俺はさ、俺を、誇りたかったんだよ。そうして生きたいって思って、生きてきたつもりだったんだ。けど、スヴェンにそう言われてさ……俺たち、特別じゃなかったんかなって。主人公じゃなくて、そこらへんの村人Aとかだったんかなって、そしたらもう、どうでもいいんかな、いろいろ、みんな駄目なんかな、って……」
「お前、だいぶ混乱してるな……」
「そうかな……なんか、わかんねーや、いろいろ……」
 ぼやきながら机の上に突っ伏すと、クレイトフが「ふーむ」と息をついて、さらりと告げる。
「今のお前さんに必要な相手は、一人だけだね、こりゃ」
「へ」
「お前にとって、一番特別な相手のとこへ話をしに行ってきな。そしたらそのごちゃごちゃも、すっきりすんでない?」
 そう言ってにかりと笑う顔を、アルバーはぽかんとして見つめた。

「…………、…………」
 アルバーは、ディックの部屋の前で座り込み待っていた。これまで一度もしなかったことだ。
 中からはかすかに、ぎしぎしとベッドの軋む音が、掠れた喘ぎ声が、よがり声が聞こえてくる。それが耳に入るたびにアルバーは血が出るほどに拳を握り締めたが、それでも待ち続けた。確かに、今の自分のごちゃごちゃした心をすっきりさせてくれるのは、セディシュ以外にはいないと思えたからだ。
 セディシュ。自分より頭ひとつ分背の低い、白髪で褐色の肌の少年。
 なんでなのかなんてわからない。いつからなのかもわからない。それでも自分はセディシュが好きだ。
 命を懸けて自分たちの背中を守ってくれる強さにか、自分が満足するまでたっぷり気持ちいいことをしてくれて当然のように微笑んでくれる優しさにか、自分たちのために体を投げ出しながら、なにも求めない寂しさにか。どこに惚れたのかなんてわからない、どこが好きなのかなんて言いきれない。
 好きで、好きで好きで好きで、おかしくなりそうなくらい好きで。大切にしたくて、優しくしたくて、幸せにしたくて。ヤりたくて、独り占めしたくて、自分の方だけ見させたくて。
 これまで山ほど自分勝手に、独りよがりに感情を押しつけて奪ってきた。そんなことが普通だと思ってきた。あいつがどんな気持ちなのかなんて考えもしないで。
 そんな情けない自分じゃあいつのそばにいられないと思った。あいつに誇れるくらいの自分でいたいと思った。そうでなけりゃ、あいつの隣に立つことを自分で許せなかった、納得できなかった。だからあいつと距離を置いたのは、しょうがないことのはずだった。
 だけど、それでも。
「……くそったれ……」
 胸が焼ける。心臓が焦げる。苦しい、悔しい、辛い。なんで、なんで、なんで。なんであいつといるのが俺じゃないんだ。なんで俺じゃ駄目なんだ。俺の方を見てほしい。俺だけを見てくれ。俺が、俺と、俺だけを。
「……どちくしょう……っ!」
 こんな死ぬほど情けない自分しかないのか。俺には。ここまで生きてきた俺には。あいつに誇れない、情けなくて特別じゃない人殺しの自分しかないのか。
 ぼたぼたっ、と瞳から涙がこぼれる。鼻も出てきた。顔をぐしゃぐしゃにして、泣きじゃくる声を必死に殺して、情けない情けないと自分を責めて。
 その真っ最中、唐突に部屋の扉が開いてセディシュが出てきた。
「……ぅ゛え゛」
「……アルバー?」
 首を傾げて近寄ってくるセディシュに、アルバーは「どわわゎゎっ!」と全力で泡を食って後ろに下がり、後頭部を壁にぶつけた。「おおぉぉぉ……!」と苦痛に耐えるも、「……大丈夫?」と顔をのぞかれ「どわぁっ!」とまた頭をのけぞらせ後頭部をぶつける。
 ちくしょーなにやってんだバカすぎるぞ俺っ、と本気で泣きたくなりながらアルバーは呻いた。いくらなんでもカッコつかなさすぎる、こんなところを見せなくてもいいだろどーなってんだよ運命!
 セディシュはいつも通りのきょとんとした顔でこちらを見つめてくる。一瞬視線が合って、ちくしょう、可愛い……と泣きそうになって、うっかり下のものも勃ち上がりかけて、なにやってんだよ俺ぇぇっ! と心の中で絶叫してぐるっと後ろを向いて顔をごしごしと拭く。
「アルバー……?」
「……ごめん。俺さ、お前に、聞きたいことあんだけど、いいか?」
「うん」
 くるり、と再びセディシュの方を向いて、少し目を逸らし加減にしながら言う。セディシュが目の端でこっくりとうなずくのが見えた。
「お前さ……なんで、先に進むって決めたんだ? モリビトたちを、殺さなきゃなんないのに」
 どういう答えが返ってくるか、予測はまるでできなかった。セディシュはモリビトたちを殺すのにためらった様子は見せなかったが、それを言ったらためらいを見せた奴などギルド内にはいない。
 セディシュは少し小首を傾げて(可愛い、とまた胸と股間がずくんとした)、淡々と言った。
「ディックが、そばにいてくれって、言ったから」
「……そっか」
 予測できなかったつもりなのに、どこかで知っていたという気もする答えだった。セディシュは、ディックが、好きなのかもしれない。それは心のどこかで、何度も考え、そのたびに否定してきたことだったからだ。
 ――それでも、その言葉は。望みはないと思い知らされる最終通告は、目の前が暗くなるほどショックだったが。
「そっか……」
「アルバーは?」
「……え」
「アルバーは?」
 セディシュの声は、いつも通り静かだった。表情にも乱れはない。いつも通りの、淡々とした無表情だ。
 だが、それでも、確かにこちらを見て、アルバー自身に問いかけてくる声だった。自分を気にしてくれる言葉だった。胸がきゅぅっとして、泣きそうになってうつむいて、また「アルバー?」と顔をのぞきこまれて、ぶるぶると首を振り渾身の力をこめて笑う。
「なんでもねぇって! 俺は、ただ」
「うん」
「俺は、たださ。俺は……」
「うん」
 言いかけて、頭に浮かぶ言葉に、一瞬アルバーは戦慄した。いまさらだ、恥ずかしげもなく、みっともない、そんな風に自分を罵る言葉も山ほど浮かんだけれど。
 だけど、今の俺にとっては、ほんとにほんとの言葉だ。アルバーはぐっと奥歯を噛み締め、腹に力を込めて、セディシュを見つめ言った。
「セディシュを、守りたかったから」
「え」
「セディシュ一人にだけ手ぇ汚させるなんて、死んでも嫌だったから。セディシュがちょっとでも背負うもん楽になるようにって、お前の分まで手ぇ汚してやりたかったから」
「…………」
「仲間のみんなにもそういうのはあったけど……俺の一番は、お前だから。惚れた奴を、自分にできるありったけで守ってやんなきゃ男じゃねぇって思ったから、だよ」
「…………」
 セディシュはいつも通りのきょとんとした顔でこちらを見ている。まぁ、言われてもどーしよーもねーことだよなこんなの、とアルバーは苦笑し――
 次の瞬間仰天した。セディシュがぼんっ、と顔を真っ赤に染めたからだ。
「へ……えぇっ!?」
「………ぅ」
 セディシュは顔を真っ赤にしたまま、硬直して(そうだ、これは硬直なのだ)こちらを見つめている。そのまるで少女か幼児のような反応に、アルバーは仰天してセディシュの肩をつかんだ。
「どっどどどっ、どーしたんだセディシュっ、お前、なに赤くなってんの!?」
「……わかんない、けど、なんか」
「なんかっ!?」
「……うれ、しくて。………はず、かしい」
 それだけ言ってくるりと背を向け、さーっと駆け去っていくセディシュをアルバーは呆然と見つめた。なんだ、なんだそれ、それじゃまるで、セディシュが俺をっつーか、つまりは。
「……アルバーっ」
 たたたっ、と駆け去ったセディシュが駆け寄ってくる。はっとして向き直り、拳を握り締めつつ勢いこんで訊ねてしまった。
「なっななっ、なんだっ!?」
 セディシュはアルバーのすぐそばまで駆け寄ってきて、背伸びをし、アルバーの耳の中に小さく。
「……あり、がと」
 消えそうなほど小さい、恥ずかしそうな、けれどひどく嬉しそうな声で囁くと、さっきよりも素早くその場を駆け去ってしまう。それをアルバーはさっきと同様呆然としながら見つめる。
 なんだ、なんだありゃ、あれじゃまるで、本当にまるで。
「……脈、アリ……?」
 呟いてからカーッと赤くなってぶるぶると首を振る。いやいやなに考えてんだ俺、調子乗んなあれはただセディシュが『みんな、同着一位』だからで。
 ……けどそれって一番好きは一番好きってことなんじゃねーの?
 えぇーなんだだったら好きってことでいいのかっけど惚れてくれてんのかどーかなんてつかえぇどーいうことなんだなんだってんだくそーわからーんっ!
 頭がぐるぐるする。本当はどうなのかわからない。ただ。
「……この前の告白とは、違う感じに、受け取られたよな、今……」
 じゃあ、これからの自分たちの関係も、変わっていくんだろうか。いっていいんだろうか。
「俺は……変えたい。あいつに、俺のこと、好きになってほしい」
 だから、頑張っていいんだろうか。惚れてもらえるように頑張っていいんだろうか。あいつに惚れてもらえるくらいの、自分なりに誇れる自分を、目指していいんだろうか。
「……んなこと悠長に言ってられる場合じゃねー、よな」
 少なくとも自分は、真っ向から本気で、あいつに人生懸けるくらい惚れきってるんだから。走り出した気持ちは、あいつ以外にはもう絶対、止められない。
「……っし! 剣の稽古、すっか!」
 ぶんっ、と腕を振り回してアルバーは走り出した。頭がさっきまでとは比べ物にならないぐらいすっきりしている。
 ここまで来ちまった以上、モリビトとはなんとか勝負をつけないわけにはいかないだろう。だから今自分にできることは、強くなって早く戦いに決着を着けることと。
「……特別に、してやるさ」
 スヴェンが言ったことは事実なんだろう。今の自分たちはたぶん特別な関係なんかじゃない。英雄でも勇者でも選ばれた存在でもない。
 でも、関係を、気持ちを特別にするのは選ばれる&K要なんてないはずだ。自分は、このギルドが好きだ。仲間たちが好きだ。だから、もうこれ以上ないってくらいの特別な絆ってのを結びたい。
 だからそのために頑張る。スゴイ男になってギルドメンバーの間に絆を結ぶ。ただのギルドメンバーを一生ものの仲間にする。
 そのくらいの、自分で自分を誇れるくらいの男になれたら、あいつの、セディシュの隣に立てると、心の底から信じられるから。
「っっしゃぁっ、やるぞーっ!!!」
 アルバーは気合を込めて走り出した。剣の稽古して、セスとスヴェンに謝って、ヴォルクとクレイトフとエアハルトとアキホとレヴェジンニに礼言って。やることは、山ほどあるのだから。

 その数日後、ギルド『フェイタス』はイワオロペネレプを倒し、第四階層を突破した。
 そして、どこまでも果てしなく続く青い空と、灰色の建物の群れの頂点に降り立った。
「すげぇっ……! なんだこれっ!?」
「古代都市……か? しかし……なんだこれは、地下に、地下迷宮になぜ、空が……」
「……わけ、わかんない……」
「……『遺都シンジュク』。はるか古代の都市さ」
 あんなデータが入ってこなければ、俺もみんなと心から驚きを共有できただろうにな。そんなことを思いながら広がる空を見つめていると、「おい、ディック!」と腕を引っ張られた。
「……なんだ。アルバー」
「なに面白くなさそーな顔してんだよ?」
「……別に、そういうわけでは」
「そっか? ならもっと面白そうな顔しろよ。だってさ!」
 アルバーは満面の笑顔で、ばっと両手を広げる。どこまでも広がる都市と空をバックに。
「今、俺たちこーんなにすげーんだぜっ。ワクワクしなきゃ嘘だろ!」
『…………』
「……バカ?」
「もう少しまともな言い方はできんのか」
「なーんだよっ、いーじゃんかよー。お前らだってワクワクすんだろ? だってさ、すっげーじゃん、みんな!」
『…………』
 ぷっ、と思わずディックが吹き出してしまったのをきっかけにして、ヴォルクとセスも笑い出す。なにを笑ってるんだ、と思いながらもなんだかひどくおかしくて笑わずにはいられなかった。
 アルバーも一番大きな声で、朗らかに楽しげに笑う。セディシュは一人きょとんとした顔をしていたが、アルバーがひょい、と頭を撫でると、小さく、そっと、けれど嬉しげに微笑んだ。

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