雷鳴と稲妻

『ATLUS』
『世界樹の迷宮』
『深き樹海に総ては沈んだ…。』
『罪なき者は、偽りの大地に残され 罪持つ者は、樹海の底に溺れ 罪深き者は、緑の闇に姿を消した。』
『人の子が失ったのは大いなる力 新世界が失ったのは母なる大地』
『真実は失われた大地と共に 深淵の玉座でただ一人 呪われた王だけが知っている。』
『Load Game』

 ――目を開くと、自分たちは宿屋の糸目の前に立っていた。
 いつも通りの変わらない顔。毎回ほとんど記帳――セーブしかしに来ないのに笑顔を変えず崩さない糸目。それがこちらを向いて、口を開いた。
「随分とおつかれのようですが、大丈夫ですか?」
「え……いや、あの」
 慌てたように横のアルバーが口を開くのを見もせずに、糸目は続ける。
「……そうでしたか、迷宮の最深部へと挑んでいる最中でしたか」
「……え」
「お疲れのさいには、いつでも当宿でお休みください」
『…………』
 思わず全員揃ってぽかんと(セディシュはいつも通りの顔だったが)糸目を見つめる。なんだ。なにを言ってるんだこいつは。話が通じていないじゃないか。
 いや、そういえばこいつは、考えてみればかなりに前から話すことはずっとこんなようなことばかりだったような。屋敷を借り、TPの回復は泉で済ませるのがもっぱらになって、まともに泊まることもほとんどなくなり、ほとんどがただセーブをするためにやってくるだけになっていた長鳴鶏の宿屋。話すことはほとんどこんな、変わり映えのない追従だったような。
 そんな思考をめぐらせてから、さらにはっとする。いやそれ以前に、自分たちはあれからどうなったのだ。ヴィズルを倒した際の激闘。あのあと自分が見た情景は? メッセージは? スタッフロールは?
 そのあと自分たちは、この世界は、どうなったのだ?
 ばっと振り向く。そこには自分の仲間たちが全員揃って立っていた。ギルド『フェイタス』の自分を含めて十人のギルドメンバーたち。ヴィズルと戦った自分たち五人は完全装備だが傷の類は残っていない。残りの五人はそれぞれの平常服に身を包んでいる。おのおの表情の違いはあるにしろ、現在の状況に対する疑問は大なり小なり見て取れた。
「――みんな。場所を移そう」
「場所移す、って……なんなの、これ。さっきまであたしたちあいつと戦ってたはずなのに――」
「そういうことも含めて、みんなで話し合おう。ここじゃ、人目がありすぎる」
 そう囁くと、仲間たちは揃って(何人かははっとした顔になり)うなずいた。それにうなずきを返しつつ、先に立って足早に宿を出ていく。
 そのすぐ後ろに、静かについてくる褐色の肌の少年――セディシュに、ディックはちらりと視線をやる。セディシュがいつものようにきょとんとわずかに首を傾げ見返してくるのに、小さく笑んで頭を撫でてやった。
 それににこ、と嬉しげに、幸せそうにセディシュが笑うのに、ディックはふ、とまた小さく笑む。大丈夫だ、心配ない。世界がどんなことになっていようと、仲間と、この笑顔がそばにいてくれるなら。
「あ、こらてめディックっ、ずりーぞお前ばっかっ」
「別に頭撫でるくらいいいだろう。仲間として親愛の情をこめただけだ」
「嘘つけー、セディシュ好き好きーって気持ちがだだ漏れになってたぞー。ま、いーけどな。セディシュー、今度は俺と手ぇ繋ごうぜー」
「……うん? ……うん」
「ちょっとあんたら、人前でいちゃいちゃすんの鬱陶しいからやめてくれる? 射るわよ」
「セ、セス、街中で人間を射るのはさすがにちょっとお兄ちゃんどうかと思うんだけど。殴打か蹴りくらいにしないか? 血が出ないなら目立たないし」
「目立たないというところが争点なんですか」
「いえ、ですが街中での戦いでいかに忍ぶかということならば血を出すか否かは重要かと」
「そういう、問題でも、ないと思う、わ」
「……まぁ、気持ちはわからんではないがな」
「おおーヴォっちー大胆発言〜♪ この台詞は三角関係に参戦と受け取ってもいいのかな?」
「ばっ、なにを貴様戯けたことをっ」
「俺としてはどっちでもいいぜー? 誰が来ようとセディシュの一番目指すだけだし」
「おおうアルくん男前ー!」
「ほらお前ら、さっさと行くぞ。いつまでも公衆の面前で恥をさらすな」
 この、自分が幸せだと思える時間が、そばに在るのなら。

 屋敷に戻って、装備も外さないままに居間に集まって顔をつき合わせて話し合う。まずは現状の確認からだった。ディックの見たものをまず説明してから、訊ねる。
「お前たちはヴィズルを倒したあとどういう経路を辿って長鳴鶏の宿に来たか覚えているか?」
「どういうって……ヴィズル倒してしばらくその様子見てたらもう……気がついたらあそこにいたわよ。なにがなんだかわけわかんないって感じ」
「僕は部屋にいましたけど……気がついたらあそこに立ってました。部屋にいた時と変わらない服装で」
「んー……なんかさ、前に……第一階層の頃さ、カマキリに殺されて気がついたら宿屋にいたってことあったじゃん? あの時みたいな感じだったな。ふっと一瞬気が遠くなった、って思ったら糸目の前、みたいな」
「……なるほど、な。確かにあの時と状況はそっくりだ……」
 思考を巡らせながらディックは答える。確かにあの時と状況はほぼ同じだ。だが、ひとつ違うのは。
「それじゃあ、あの時みたいに時間が戻った、ってことなのか? その……ヴィズルって人を倒したことも、なかったことになったって、そういう」
「それはない……と、思う。おそらくは」
「なにか心当たりがあるのか、ディック」
「ああ……心当たりというか……頭のどこかで、『たぶんそういうことはないだろう』と俺は感じているんだ」
「……は? なにそれ、気のせいじゃないって保証」
「保証はないが、おそらく間違いはない。……俺が十五になった時から頭に流れ込み続けてる世界樹のデータ、それと同じような感覚を俺は覚えている。感覚的なものでしかないがな」
『…………』
 仲間たちはそれぞれ考え込んだ。この感覚については自分以外感じようがないので通じにくいだろうが、自分のこの感覚については何度も検証済みだ、間違いということは考えにくかった。
「でも……今回に限っては違う、ってこともあるんじゃないの?」
「ああ。だから調べる」
 その言葉に、クレイトフがふむ、とうなずいた。
「街に変化がないか、迷宮内に変化がないか。それを調べることでディッたんの見たものは本当にあったことなのかどうか、この世界になにか亀裂が走ってないか、そこらへんがわかるってことだね」
「亀裂? って、なんだよ」
「つまりさ。さっきアレイが言ってたじゃんか」
「……アレイ?」
「ああ、宿屋の糸目。あいつなんか微妙に話通じてないこと喋ってただろ? こっちが喋ってもないことに相槌打ってさ。だから、世界樹の迷宮を踏破してヴィズルを倒したことで、この世界に変化……それこそもうすぐ崩壊するとか、そういうのが起きてないか調べるんだよ」
『…………』
 全員粛然とした顔になる。さすがに、自分たちの生きてきた世界が崩壊しそうなのかもしれない、などという認識は重いものがあるのだろう。おのおのしばし思考を巡らせるように黙ってうつむいていたが、やがてアルバーが顔を上げた。
「っし。じゃ、さっさと動こうぜ。とりあえずこの街のめぼしい知り合い手分けして当たろう。俺ギルド長んとこ行ってくる」
「それでは、俺は執政院に向かおう」
「じゃ、俺は金鹿の酒場の女将さんを」
「あたしはシリカ商店に行く」
「俺も一緒に。シリカさんについては俺が一番付き合いがあるし」
「では、拙者は……ええと」
「……私と、一緒に、もう、一度宿に、行って、くれる?」
「え……あの、レヴェジンニ殿」
「もう一度詳しく、反応を、見て、みたいの。きちん、と調べる、なら、あの糸目が、一番やりや、すいし」
「は……承知しました」
「では、僕は執政院の内部を探ってみます」
「じゃあ、俺はケフトだな……セディシュは、どうする?」
「……街中の、知り合いのとこ、行ってみる」
「へ? 街中に知り合いなんていたのか?」
「うん。連れ込み宿の主人、とか」
「……そうか。無理せず頑張ってくれ」
「うん。ありがとう」
 一応万一の時のことを考え、めいめい武装して街へと向かうことに決めて、ディックたちは立ち上がった。

 それから体感時間で約二時間後、全員戻ってきて報告しあう。
「ギルド長はいつもと変わんなかったぜ……っつーか、変わんなさすぎ。一応探り入れてみたけど全然反応なかったし」
「ケフトも似たようなものだな……迷宮を踏破したという情報が向こうにはまるで伝わっていない、と思う。俺の見た限りでは知っていて知らんふりをしているわけでもない」
「シリカもだね。探索を終わらせたらこの街がどうなっちゃうのかー、なんて以前も言ってた不安をこっちに投げかけてきてたよ。金鹿は?」
「執政院の長が行方不明になった、とか探してくれ、とかそーいうことを聞いてくるくらい以前と変わんなかったよ。探りを入れてみても反応はなし……っつーか、あの変わらなさは逆に妙な感じがしたね。演技してる感じはしないんだけどこう、作り物っぽい雰囲気があるっつーか……ラーダは?」
「……反応があった」
『!』
 思わず全員が注視する中、ヴォルクは呟くように語った。
「俺たちがヴィズルを倒したこと、ヴィズルが世界樹を使って再生計画を行っていたことをあの眼鏡は知っていた。そして自分がこれからエトリアを発展させていくこと、俺たちには遠慮なく迷宮の全てを解き明かしてほしいことを告げ、これを渡された」
 がらり、とテーブルの上に小さなメダルを置く。勲章のように見えた。エトリアの紋章が刻まれているそのメダルを見た瞬間、それは『エトリアの勲章』というものだと脳が認識する。
「エトリアの街で最高の冒険者になった証拠、と奴は言っていたな。……奴としてはこれからも俺たちにここで冒険してもらうつもりらしい。というか、それが当然のことだと認識しているようだったな」
「え、じゃあ、もしかして世界樹の迷宮ってまだなんか秘密があんのかっ!?」
 ざわ、と場がざわめく。ディックも高速で思考を回転させていた。
 世界樹について自分たちは大したことを知っているわけではない、むしろわからないことだらけと言ってもいい。わかっているのはあれが世界の根幹に関わる代物だろうことぐらいだ。自分たちという存在をエトリアに閉じ込め、世界のありようを変えるもの――
 いや、待て。なぜ自分たちは今の世界のありようが不自然だと感じている? スキルや死からの蘇生、時間の逆行をありえないと思うことができている? 自分たちがこの舞台に用意された役者なら、それが当然のものだと感じていてもおかしくないのでは?
 つまり、これは。いや、そう断定するには時期尚早だ。むしろその場合誰がなんの目的でそんなことをしたかがわからない。第一それならば自分たちの過去はどうなる? 確かに存在すると実感できる過去、これは一体なんのために――
「……世界樹にまだ、深部があ、るという、こと?」
「そうなるよな……二十五階より下、か。けど、世界樹を創ったのはヴィズルなんだろ? その下なんて一体誰が」
「エアハルト、ラーダの奥はどうなっていた?」
「なんというか……微妙に様変わりしていましたね」
「様変わり?」
「人が少なくなっていたり……配置が変わっていたり。会えるはずの人に会えなかったり。なにかがおかしい、とは感じました」
「セディシュはどうだった?」
「……会え、なかった」
「いなかったのか」
「うん……? うん」
「……なにかが変わってる、っていうのは確かみたいだよな……」
「その秘密は、やっぱ世界樹にあんのかね?」
「それ以外に考えようがないな。とりあえず、ヴィズルのいた奥を調べるしかあるまい。それでいいな、ディック?」
「っ、すまん、聞いてなかった。なんだって?」
「……お前が? 珍しいな。ヴィズルのいた奥を調べに行くのはどうだ、と言ったのだ」
「ああ……とりあえずそれしかないだろうな。…………」
「っし、じゃーとっとと準備すっか。メンバーはとりあえずいつも通りの……」
「いや、待て。普段とはメンバーを変えてみよう」
「へ……なんだよヴォルク、急に」
 全員に注視されながらも、ヴォルクは真剣な顔で告げる。
「今回のメンバーは、俺、セス、クレイトフ、エアハルト、アキホでやってみたいと思うのだが」
「っ! せ、拙者ですかっ!?」
「……それは、どういう意図があって?」
「ひとつの実験だ。これまで迷宮に潜る時、ディックは常にメンバーに加わっていた。ならばその条件を変えてみればなにか起きる可能性があるかもしれん、と思ってな。ディックに常にデータが流れ込んでいたというなら、可能性はあるだろう。戦力的にも地下二十五階程度の敵なら俺とセスがいれば楽に勝てるだろうし。どうだ?」
「けど、もし新しい階層とかに入ることになってさ、そこの敵がぐっと強かったらどうすんだよ? 第二階層の時みてーにさ」
「……その時はその時じゃないですか。敵が強いか、勝てるかどうかなんてやってみないとわからないわけですし」
「そりゃ……そうだけど」
「僕たちは冒険者で。冒険者は冒険をするもの、でしょう。どうですか、ディックさん」
 じ、と見つめてくるエアハルト。その瞳が真剣なのに、ディックは小さく息をついた。確かに、言っていることに間違いはない。こいつはこいつなりに、常に自分たちの後塵を拝することに忸怩たる思いを抱いていたのだろう。
 だが、だからといって危険度の高い道を選ぶことはない。少なくとも迷宮では回復役は必須なのだ、少なくとも自分はついていかなければ――
『まー磁軸くらいまでならなんとかなるだろ、セーブはしてあるしヤバくなったらリセットすりゃいいし』
 ――という思考は、走った言葉に一瞬停止した。
 そしてすぐにさらに高速で再回転する。状況を再確認し、論理を再構築し、推測し判断し決断する。そして言った。
「――わかった。俺は、異存はない」

「大丈夫かなぁ、あいつら」
 居間でカフェオレに近いほど牛乳を入れたコーヒーを啜りながらアルバーが漏らす。その言葉に、スヴェンはわずかに苦笑したようだった。
「まぁ……ヴォルクとクレイトフがいるなら、引き際を見誤ることはない、とは思うけど」
「あなたたち、そのやりとり、もう、三度目、よ」
 自分で淹れた紅茶のカップをマントから伸ばした触手(のようにしか見えないのだ、マントだけが伸びて手の代わりになっているように見える)で支えながら味わうレヴェジンニが言うと、アルバーは目をぱちぱちとさせてから頭をがしがしと掻き、スヴェンは苦笑した。
「ってさぁ……しょーがねーじゃん、心配なんだもんよ」
「待つ身の辛さはいつものこととはいえ……ディックがいないっていうのは初めてだしね」
 ちらり、とこちらを見やるスヴェンに答える暇もなく、ディックはひたすらに脳裏に走る情報に没入していた。
 データ。思考。試行。指向。自分の頭の中に流れ込んでくるもの。自分が自らの意思によって考えたもの。すべてを必死に統制し、推論を打ちたてようとする。
 自分の中に在るものに、意味はあるのかと。
「……そろそろ、着いてる、頃」
 ふいにぼそりと口にした(飲んでいるものはアルバー同様カフェオレだ)セディシュに、は、と視界の左上を見る。そこに表示された時刻は変わらずam5。これがヴォルクたちが迷宮に入ることで変わるのだろうが――
 とたん。脳裏に、映像が浮かんだ。
「………え」
 脳に浮かんでいるのは第五階層、遺都シンジュク。磁軸前の風景。そこに降り立ち、隊列を組んで進み始める仲間たちの姿が上方の視点から見えている。
 一瞬絶句して、その映像を必死に観察する。眼球から入る情報をカットするために目を閉じた。そうでないと両方の情報が入り乱れ混濁する。仲間たちはそれぞれ緊張した面持ちで、慎重に歩を進めていた。
 歩くことしばし、視界右下の水晶球が赤くなってくる。そうだ、水晶球。それも脳裏の映像には映し出されている。これは、幻像なのか、それとも、今仲間たちが経験している現実なのか。わけがわからず必死に映像を解析しようとしている間に、ざっ、と視界が変わって魔物たちが現れた。
「っ」
 思わず一気に緊張したが、戦闘はすぐに終わった。セスのアザステでヴォルクが初っ端に全体術式を飛ばして終わりだ。思わずほう、と息をつくが、仲間たちは緊張した面持ちのまま迷宮を進み始める。
 B25Fへたどりつき、ショートカットを使ってヴィズルのいた場所の前にやってきて慎重に扉を開ける。その時はディックも相当に緊張したが、すぐにその先にはなにもいないのがわかった。
 揃ってほ、と息をつき、その先の空間を調べる。マッピングをしているのはヴォルクのようだった。何度か魔物と戦いながらその空間のマッピングを終え、揃って部屋中央の階段を見つめる。
 B25Fからさらに下へと下りる下り階段。予測していたものではあったが、みな緊張した面持ちでそれを見つめた。
 それからうなずきあい、隊列を組んでその階段へと向かう。みな緊張してはいるが、熱意、いや決意のようなものは確かに感じられた。自分たちが迷宮の奥に進むのだ、という心底からのやる気と責任感。
 それを見つめながらディックの視点は仲間とともに奥に進み、階段を下りていく。第五階層で何度も上り下りした石のように堅い、灰色の『コンクリート』の階段――
 は、ある一点から唐突に変わっていた。
「…………!」
 思わず目を見開く。『コンクリート』が赤の、妙に生々しい生物の内臓を連想させる肉のような代物に変わっている。
『…………』
 仲間たちも驚き、周囲をしばし調べたがなにもわからなかったようでまた奥へと進む。内臓のように拍動を感じさせる、真朱の道を。
 その行き止まり、薄明るい緑の植物の皮のような壁に、エアハルトが警戒しつつも剣先を触れさせる――とたん、その壁が開いた。仲間たちは警戒しつつもその奥へと進む。そして、ディックの脳裏に文字が浮かんだ。
『真朱ノ窟』
 階層を移動した時に脳裏に浮かぶのと同様の言葉。そして階の名前らしい文章がつらつらと浮かぶ。それと同時に、今までより格段に天井の低く狭苦しい、それこそ生物の内臓の中のような階の光景が見えた。
 仲間たちは揃って地図を見ながら相談する。幸い、地図には自分が見た時と同様マッピングする前から磁軸の場所は記されているようだった。磁軸へ、と脳裏で呟く。とりあえず、磁軸を目指すんだ。
 その呟きが聞こえたわけでもないだろうが、仲間たちは少し相談してから、磁軸のある西方向へと進み始めた。思わずほっ、と息をつく。やはり、あいつらもこれまで伊達に迷宮探索をしていたわけじゃない。
 少しずつマッピングをしながら慎重に進む。と、すさまじい早さで視界の右下の水晶球が赤くなってきた。
 敵か、と唇を噛む。おそらく、ここの敵はこれまでとは桁違いに強いはずだ。そういう情報が自分の頭には伝わってきている。だが、それでも全力を揮えばけして打倒できない相手では――
 ざっ、という音と共に敵が現れた。その姿を見てディックは思わず眉をひそめる。白い、せいぜいが人間の頭程度の浮遊する樹脂のような石。それが二つ。そうとしか見えなかったからだ。
 脳裏に浮かぶ名前はルーカサイト。心当たりのある単語ではない。おそらくはこの魔物の名前として造られた造語だとは思うが――
 ざわ、と体中に鳥肌が立った。全身があの白い石を最大級の警戒対象として認めているのを感じる。考える暇もなく、ディックは心の中で叫んでいた。
『全力攻撃!』
 セスが矢を射る。アキホが斬りかかる。それを迎撃するように、ルーカサイトはがすっ、とアキホに体当たりをする。
 HPの全快していたアキホは、それでばったりと倒れた。
『…………!』
 声のない声がその場に響き渡る。クレイトフが矢を射て、エアハルトが斬りかかる。その間にエアハルトは一発殴られたが、かろうじて耐えた。続いてのヴォルクの全体術式の発動で、セスのダブルショットが効いていたのだろうが、ルーカサイトたちはその場に落ちた。
 ふぅっ、と深く息をつく。素材を剥ぎつつも、仲間たちは話し合っていた。このまま進むか、一度引き返すか。
 ディック自身それは迷うところだった。自分がいればさっさとリザして先に進むところだが、今の状況では蘇生にはアイテムを使うしかない。様子見の探索でアイテムを使ってまで先に進む必要はない。一度戻るか、それともあとわずかなのだから先に進むか。
 迷っている間に仲間たちは先に進むと決めたようだった。ディックはぐっと唇を噛む。大丈夫だ、あと少し。あと少し進めば磁軸にたどり着ける。まっすぐ進めば次の魔物が出てくることはたぶん――
 だが、その期待はあっさり裏切られた。唐突に魔物――シンリンチョウそっくりの蝶の魔物(脳裏に浮かんだ名前はヘルパピヨン)二匹と鋼色の蟹の魔物(メタルシザース)が出現したからだ。
『………!』
 叫び声と共に全員一気に戦闘態勢に入る。――瞬間、流れ込んだデータにはっとして頭の中で叫んだ。
『大雷嵐の術式を!』
 感覚的な、言葉にするなら『なんとなく』というものでしかないが、あのメタルシザースという魔物は雷属性が有効な、いや雷属性でなければならない、という気がする。してしまうのだ。
 その言葉が届いたのかどうか、ヴォルクは大雷嵐の術式の起動準備にかかる。クレイトフが猛き戦いの舞曲を奏で、セスはダブルショットで三本の矢を放つ。だが攻撃がばらけてしまったせいで一匹も落ちない。そこに、ヘルパピヨンがひらひらと舞い、がづり、とエアハルトに体当たりをして沈めた。
「……っ」
 ディックは思わず臍を噛む。まずい、これはまずい、後列の人間が前列に引きずり出された、このままでは――
 続いてもう一匹のヘルパピヨンの一撃はセスに向かった。セスはその一撃に吹き飛びながらも耐え、敵を睨む。そこにメタルシザースの鋏が無造作に振り下ろされ、ぐしゃり、とセスは全身をぐしゃぐしゃにされて死んだ。
「っ……!」
 なんだ、この攻撃力。強いなんてもんじゃない、強烈すぎる。ヴォルクなんかが喰らったら二回は死ねる。だがかろうじて今回は持った、大雷嵐が発動すればなんとか。
 そしてようやくヴォルクが起動させた大雷嵐の術式が吹き荒れる。強烈な雷撃はヘルパピヨンを二匹とも打ち落とし、メタルシザースに打撃を――
 与えたが、メタルシザースはいまだぴんしゃんしていた。
「っ!」
 なんだそれは、さっきセスの一撃をくらってもまるでダメージがなかったくせに、そんな奴が効果のある攻撃をくらってもさしてダメージを受けないってどういう、いやさっきのダメージからすると、こいつにとって雷は効果があるけど弱点じゃない、のか?
 そんなことを高速で考えている間にもメタルシザースは動いていた。巨体に似合わぬ素早い動きで鋏を振り下ろし、クレイトフの頭を一撃で消し飛ばす。ヴォルクは顔面を蒼白にして逃げ出したが、それを素早くメタルシザースは追い、後方から頭を、ぐしゃりと潰
 ぶちゅんっ。

『ATLUS』
『世界樹の迷宮』
『深き樹海に総ては沈んだ…。』
『罪なき者は、偽りの大地に残され 罪持つ者は、樹海の底に溺れ 罪深き者は、緑の闇に姿を消した。』
『人の子が失ったのは大いなる力 新世界が失ったのは母なる大地』
『真実は失われた大地と共に 深淵の玉座でただ一人 呪われた王だけが知っている。』
『Load Game』

 がたん、と立ち上がりかけた拍子に、テーブルの上のコーヒーが揺れた。幸いこぼれはしなかったが、驚いたように周囲の仲間たちに注視される。
 アルバー、スヴェン、レヴェジンニ。すぐ横で、じっとこちらを見上げるセディシュ。
 そして脳裏には第五階層の磁軸で、驚き慌てるヴォルクたちパーティ。
「おい、どした、ディック、大丈夫か……って、え? あれ?」
「あれ……今、なにか、一瞬、くらりときた、ような」
「……意識の、断絶。世界の、断絶。……時間が戻った、のかしら?」
 淡々としたレヴェジンニの声に、はっとこちらを見やるアルバーとスヴェン。それに応えることもできずディックは震える体を押さえて必死に考えていた。今のは、以前と同じ、まるで同じ、けれどなにか、どこかが違う、ような――
 ふいに、くいくい、と服の裾を引っ張られ、ディックははっと傍らのセディシュを見る。セディシュは、静かな、けれど心底気遣わしげない瞳でこちらを見上げ、小さく首を傾げる。
「ディック。大丈、夫?」
「……ああ。大丈夫。大丈夫だよ、セディ」
 ディックはさら、とセディシュの頬を撫でる。大丈夫。大丈夫だ。この暖かみが、言葉が視線が、そばにあるのなら。
「あーこらっディックっずりーぞお前ばっかっ。セディシュー、俺もお前の隣いっていーかー?」
「うん? うん」
「アルバー、お前な、もう少し状況と空気を読め。今の状況で四六時中いちゃついていいんだと思ったら大間違いだぞ」
「俺も四六時中いちゃつけるとは思ってねーけどさ、今はいちゃついていいタイミングじゃね? お前がなに見てるかなんて、お前から話してくれなきゃわかんねーんだしさっ」
「…………」
 一瞬目をぱちぱちとさせてから、ディックは思わずふっと笑った。アルバーもにやりと笑い返す。スヴェンが苦笑し、レヴェジンニは静かに紅茶を啜る。セディシュはきょとんと首を傾げ、自分とアルバーを見比べた。
 ディックは小さくうなずいて、全員を見回す。そう、一人ではないのだから、そばにいてくれる人間がいるのだから、対話と協力の姿勢を失ってはならない。今の自分には、それができるのだから。
「実は、さっきから俺の頭にはな……」
 脳裏の映像の中の仲間たちは、また『エレベーター』に到達しようとしていた。

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