草陰の小径
『はぁ……』
 全員、思わずため息のような声を漏らしてしまった。
 第一階層、『翠緑ノ樹海』。執政院の出す初心者ギルド用地図作成ミッションを受け、見張りの兵士たちの横を通り抜け、地下の穴に潜ること数分。たどりついたそこは、驚くほど美しい森だったのだ。
「きれいな森ですねぇ……木々が光を反射してきらきら光ってる」
「ホントだなー。俺の住んでた森よりずっときれーだ。あれ……でも、なんで地面の下なのにこんな明るいんだ? さっきまで普通に暗かったよな? ランタンあったから歩いてはこれたけど」
「……すごい、不思議」
「ふむ。なるほど、確かに研究に値する場所ではあるな」
 最初ということで安全策を取り、ソダパメア――つまりアルバー、セディシュ、エアハルト、ディック、ヴォルクという編成のパーティでやってきたディックたちは、しばし迷宮の景観に見惚れた。天をどこまでも覆う鮮やかな緑の葉叢。そこから漏れる木漏れ日。床にはところどころに花が咲き乱れ、壁を成す木々や草むらも濃緑に輝き、流れる音楽ですら清澄で美しい。『翠緑ノ樹海』の名にふさわしい場所といえた。
 だが当然ながらいつまでもそうしているわけにもいかない。ディックはバッグから地図と専用のペンを取り出した。
「あ、それが地図描く用の紙なんだよな?」
「ああ、執政院から渡されたのを見てただろう。すでにある程度は書き込んであるが……これに一階の地図を書き込むことでミッションが達成されて、一人前の冒険者ギルドとして認められるわけだ」
「てことは、さすがに一階は探索しつくされてるってことですね。地図が正しいかどうかわかるくらいなんですから」
「そうなるな」
 話しつつ地図を確認する。描き込まれているのは大小の広間とわずかな通路。その下、階段前のわずかなスペースに自分たちパーティを表すポインタが表示されている。
 つまり目測になるが、この地図でいうと1マスは百m四方ということになるわけか。地図測量は経験がないが、ここまでかっちり単位が決まっているとなると難渋するかもしれない。地図作りは少しのズレがあとあと大きく響いてくることぐらいは知っている。
 そこらへんのつじつま合わせの仕方もここで学べというわけか。ご親切なことで。
 地図の脇に書かれている説明を読んで、ボタンを押しパーティマップに切り替える。すると自分たちのいる辺りの地図が拡大されて映った。脇の説明も切り替わる。これで線を引いてこれで消して、こっちが床。イベント宝物アイテムポイントモンスター等々、これらのアイコンを使って地図を描くわけか、なるほど。けどマスとマスの間辺りでなにかあったらどうするんだろう。
 とりあえず納得するまで地図をいじって、ディックは待っていてくれた仲間たちにうなずいた。
「待たせて悪い。もう大丈夫だ、行こう」
「よっしゃ!」
 アルバーが勇んで答え、隊列を組んで歩き出す。周囲の様子を確認して、壁の線を引き直した。
 歩きながらだと案外難しいな、とディックは顔をしかめた。一定距離ごとに立ち止まってやった方がよさそうだ。
 自分たちの背よりはるかに高い、木と石でできた壁に囲まれたスペースから一歩を踏み出す。と、さくっ、と草を踏む音がやけに大きく聞こえた、と思ったら頭の中で世界が1マス進んだ=B
 その驚くほどはっきりとした切り替わりに、ディックは思わず足を止めて眉をひそめる。
「………」
「? どしたー?」
「いや」
 なるほど、こういう仕掛けになっているわけか。便利といえば便利だな。
 まず最初の小広間を歩き回り、壁の線を引き直すことから始めた。右上の壁に逆側からなら獣道が作れそうな壁を見つけた。メモ機能で地図に書き込んでおく。
 それから一時間ほど二百m×三百mの小広間をうろうろする。進み方はとりあえずマッパーのディックに一任されているが、それでもさすがにこれには文句が出た。
「なんで地図書いたのにおんなじとこうろうろするんだよー」
「なにか気になることでもあるんですか?」
「できればいつでも退却できる場所でこの迷宮の魔物の強さを確認したかったんだが……もしかしたらこの小広間では敵が出ないのかもな。仕方ない、先に進もう」
「……慎重にもほどがあるのではないか?」
 この言葉にディックはすっと表情を真剣にし、ヴォルクを見つめた。たじろぐヴォルクに静かに告げる。
「ギルドモットーその1、忘れたのか?」
「お、覚えているに決まっている。全滅だけは全力で回避、慎重に、しかし大胆に≠セろう」
「そう。全滅を避けるためには少なくとも最初に来た場所は慎重の上にも慎重を重ねる必要がある。別に誰かと競争してるわけじゃないんだ、早く進めればなにかもらえるってわけでもない。だったら慎重に進むのに越したことはないだろ。それとも死の危険を冒しても最初に迷宮の謎を解いた人間、という名誉がほしいのか?」
「そっ、そんなわけがなかろう」
「それならけっこう。納得してもらえたところで先に進むか」
 すい、と視線を先に向け歩き出す。迷宮内でも自分のペースで話が進められることに満足を感じつつ。他のメンバーたちも(微妙な顔つきの人間もいたが)同様に隊列を組んだまま歩き出した。
 地図を書きつつわかりきったことを告げる声をスルーして三百mほど進んだところで大広間に出る。さっきの小広間と同様、うろうろ歩いて地図を書き込む。と、あっという間に右下の水晶の色が変わり始めたのを感じ、ディックはさっと意識を緊張させた。
 全員に魔物が近づいていることを告げるか? いや、だが最初の魔物の遭遇だ、あっさり終わらせてしまってはのちのち悪影響を及ぼすかも。まだB1F、しかも地図に書かれた場所だ、全力で戦えば全滅はまずしないはず。ならばここはなにも考えないまま戦わせて、覚悟と自覚をうながした方がいい。
 ディックが素早く頭を回転させ結論を出している間にも、仲間たちはすたすたと進んでいく。アルバーが大きな声で笑いながらセディシュとエアハルトに話しかけていた。
「でさー、俺はそいつに言ってやったわけ。男と生まれたんだったらでっかい夢かなえなくてどーすんだ、って!」
「…………」
「あはは、アルバーさんって本当に見た目まんまの人なんですね」
「呼び捨てでいいって。俺ら仲間だろ?」
「……はぁ。……どうも」
「なんだよー、口ごもっちゃって。照れてんのか?」
「べっ、別にそういうわけじゃ、ないです、けど」
「…………」
「ん? なんだよ、セディシュ。じろじろ見ちゃって。なに、お前も混ざる?」
「…………」
 セディシュはじゃれ合うアルバーとエアハルトをいつものきらきら光る瞳で無表情のままじっと見つめ、それからこっくりうなずいて言った。
「うん。混ざる」
「おー、そーかそーか、こっちこーい」
「ちょ、二人とも、やめてくださいよこんなとこで!」
 ほとんどおしくらまんじゅうのような格好になっている三人をヴォルクは忌々しげに見つめる。ディックはそれを(セディシュが混ざると意思を示したのを意外に思いつつ)注意深く観察していた。いつ魔物が出るかもしれない状況だ、こうも警戒心なくじゃれ合う奴らが、これからどう動き反応を示すのか注意深く。
 と、ふいにくりん、とセディシュがこちらの方を向いた。
 いつも通りの赤ん坊のような瞳。ディックは思わず、びくりとした。その瞳にはこちらを責めるような意思はない。それどころか自分の様子を窺うようなところも、に対してなにか思うところがあるようなところも気配すら見えない。
 ただ、そのひたすらに純真な瞳は、ディックに強烈な自己嫌悪を呼び起こした。
 思わず目を逸らす。セディシュはふい、とすぐに視線を前に戻した。さすがに迷宮内でじゃれ合うのはどうかと思ったらしく、全員喋りながらも警戒態勢で前に進んでいる。魔物が出ても対応はそう遅くならないだろう。そう観察しつつも。
「……っ」
 ディックは小さく唇を噛む。こんなことは、別に大したことじゃない。
「! なんか出た!」
 は、とディックは素早く前を向いた。紫色の大型犬よりでかいネズミが二匹。森ネズミだ。それがこちらに勢いよく駆けてくるのが見える。全員の間に緊張が走り、それぞれ武器を構えた。
 といっても現在の自分たちの武装はナイフ(ないしワンド)とツイードのみだ。アルバーのでかい剣が木彫りで、エアハルトの武装が(なんでも家が家柄はそれなりだがド貧乏だったらしく)張りぼてで、セスとスヴェンの弓がおのおのの未熟な手による手作りのまともに矢が前に飛ばない弓だと知った時には正直くらくらした。つまりほとんど着の身着のままなセディシュもそれなりにいい家の出身と自称するエアハルトも装備は変わらない。
 そしてディックはまずあえてそのまま迷宮に潜ってみることを選んだ。全員の武装を整える金はないし、今店に売っている装備は今のものに毛が生えた程度のものでしかない。ならば新しく強力な装備が売り出されるまでこのままいくのもありだと思ったし、それが通用するかどうか試すには実際やってみなければわからないからだ。
 ヴォルクがなにやら呟きながらガントレットを操作し始める。ディックはワンドを振り上げ前に出た。後列からではろくなダメージにならないだろうが、ないよりはたぶんマシだ。
 まず思い切りよく真っ先に飛び出したセディシュのナイフが左の森ネズミの喉近くを斬り裂いた。だが森ネズミはさして気にした様子もなく、飛びかかってきたアルバーに噛みつく。ずばっ。気持ちいいほどの音がして、アルバーの腹がずっぱり切り裂かれ、血が噴き出した。
「っつぅ……のやろぉ!」
 一応手術に立ち会ったこともあるディックですら息を呑むほどの血を噴き出しながら、それでもアルバーはめげずに見事な手並みで森ネズミに斬りつける。「きゅきぃっ!」と甲高い鳴き声を発しながら、森ネズミはセディシュに斬り裂かれた喉をさらに深く斬られ血を噴き出して倒れた。
「う……おぉぉっ!」
 一瞬呆然としていたように見えたエアハルトが叫声を上げてもう一匹の森ネズミに斬りかかる。背と顔に似合わない大力に森ネズミは脳天から血を噴き出したが、まだ動いている。ディックは震える手を必死に叱咤しながらエアハルトの後ろから森ネズミを殴りつけたが、頭を少し揺らした程度でまだまだ倒れはしなかった。
「退がれ……っ!」
 掠れた怒鳴り声が響いた、と思ったより早く、なにかが光った、と思ったら赤いなにかが森ネズミの体を包み込んだ。熱がこちらまで伝わってきて、炎だ、と認識した時にはもう森ネズミは焼け焦げて倒れていた。
『…………』
 全員、荒い呼吸を整えるのにしばしの時間を要した。それからはっと我に返り、ディックはアルバーに駆け寄る。
「傷を見せろ」
「悪い」
 アルバーはまだ息が荒い。ここまで深く切り裂かれたのだ、当然だ。白い脂肪が傷口からのぞいているのを見てディックはぞっとしたが、医者として、それ以上にディック自身のプライドにかけてみっともないところは見せられない。
 素早く鞄から薬を取り出す。現在の自分のTPで使える薬はキュア四回分。それ以上はどれだけ丹精こめて調合しても普通の薬品でしかない。発動条件が精神力などというあいまいなものなのに、結果は厳格な数字だ。
 試験管のコルクを抜き、精神を集中し、傷口にぶっかける。とたん、傷はあっという間に塞がった。ほ、とディックは深い息をつく。
 が、周囲は息を呑んだようだった。特にアルバーは目を大きく見開いて、唖然とディックを見て、周囲を見回し、またディックを見て、おずおずと言った。
「なぁ……傷、消えた、よな?」
「消えた……」
「消えました」
「消えた」
「……消えたな。それが?」
 その唖然とした顔を見ているうちにペースが取り戻せてきた。平然とした顔で肩をすくめてみせると、アルバーはわたわたと周囲を見回し、それからまたディックをまじまじと見つめる。
「だ、だって、傷、消えたぞ? 普通……医者って、薬塗ったり、傷口縫ったりして治すんじゃねぇの? 普通薬ぶっかけてはい消えた、みたいなこと、できなくね? え、俺のとこだけ?」
「普通はそうだな。が、そこが世界樹の迷宮とスキルの普通じゃないところだ」
「え……えとつまり、これがスキル……ってやつの力、なわけ?」
「ああ。キュアというメディックの一番基本的なスキルだ。傷口にぶっかけるだけで傷を癒せる。……言っておくが限界はあるんだぞ。ある程度以上深い傷はキュアじゃ癒しきれないし、なにより薬があれば癒せるってもんでもない。スキルの発動回数はTPで限界が厳密に定められている。TPというのは精神力に近いがイコールでもないからな。逆に言えばTPさえあればその場で空気中から薬やら触媒やらを抽出することもできるらしいが」
「うぇ、マジかよ!?」
「なんでもありすぎませんかそれ……」
「……そうか。さっき術式を構築する時、通常ならありえないほどの高速で完成させることができた……それも迷宮の、スキルの力なのか」
「そう。スキルを割り振るだけで普通じゃありえない力を手に入れられる。だから冒険者ギルドに登録すると、冒険者としての実績や人格の審査に合格するまではエトリアを出られないんだ。不心得者が簡単に強い力を振るうのを防ぐためにきっちり管理してるわけ」
「はぁ……」
「ま、最初のスキルポイントで超常的とまでいえるスキルを手に入れられるメディックやアルケミストは基本的に専門職だから、普通の人生送ってる奴はまずその職にならないがな。職業倫理をいまさら説かれる必要もないのが普通なんだが」
 全員にとくとくと説いていると、ふいにアルバーがぷっと吹き出した。
「てゆか……やべ、今気付いた。ディック、お前さー、やっぱディックだからメディックの道目指したわけ? 最初からメディックになるのわかってるみたいなこと言ってたもんなー」
 にやにや笑っているアルバーに、ディックは眉をぴくりともさせず肩をすくめてやる(この程度のからかいに動揺してやるほどウブではないのだ)。
「別に。俺が医者の道を志した時にはまだ世界樹の迷宮のことなんて知らなかったしな」
「ああ、そういえばディックさんって医師免許持ってらっしゃるんでしたよね。お医者さんの国家資格なんですよね? すごいですね若いのに」
「まぁな」
 また軽く肩をすくめる。実際ディックの故郷では十九歳で医師免許を取り臨床研修も終えているというのはとんでもなくすごいことなのだが、それをここでこいつらに言っても始まらない。
「さて、それより傷も治ったところで素材を集めないか?」
「へ? 素材……って?」
「言ったはずだが? 世界樹の迷宮での金稼ぎの基本は倒した魔物の体を解体することによる素材の入手だ。つまり、この森ネズミもきっちり解体しなくちゃならない」
「え……魔物の死体を解体するんですか……なんか狩人みたいな、ていうかこれ森ネズミっていうんですね」
「ああ。俺がやってみせるからしっかり覚えておいてくれ」
 しゃっ、とディックはメスを取り出し解体を始めた。ヴォルクの術式で倒された森ネズミから口内を切り裂いて牙を抉り取り、喉を切り裂いて倒した方の森ネズミからできるだけ大きく皮を剥ぐ。人間の体を解体するのに比べればちょろいものだ。
「森ネズミから取れるのはこの牙と皮だ。傷がついていない方を取ってくれ。どっちも取れないってこともあるだろうがな」
「へー……そういうのって、決まってんの? 肉とか取ってかなくていいのか?」
「別に持っていってもいいが引き取ってはくれないぞ。食用じゃないしな」
「食えないの?」
「食って食えんことはないだろうが。試してみるか?」
「そーだな、やってみるか!」
 え、本気で持ち帰る気かこいつ、とわずかに引きつつも剥いだ皮と牙を血を拭ってから背負い袋にしまった。それから全員を見回して言う。
「これからは魔物を倒したら即時解体が基本だから、次からはそれぞれ順繰りに解体に挑戦してみてくれ。博識……素材を効率よく入手できるスキルまではまだまだ遠いからな」
「おっしゃ!」
「わかりました」
「わかった」
「……了解した」
「よし。……それじゃあとりあえずこの広間をTPが尽きるまでうろうろしてみよう」
「へ? なんで?」
「さっきの戦闘から想定すると、とりあえずある程度レベルを上げないとまともに探索ができないことがわかったからな。とりあえず俺とヴォルクのTPが尽きるまですぐ逃げ帰れる場所でレベル上げだ。それから戻って改めて少しずつ探索距離を伸ばしていこう」
「えー……でもそんなのつまんなくね? 冒険っつったらスリルがねぇとだろ」
「一時のスリルに命を懸けたいなら俺の目の届かない場所でやってくれ。俺はここでギルドモットーその1をくだくだしく繰り返す気はないぞ」
「ちぇー、わかったよ。なんかディック先生みてー」
 子供のように唇を尖らせながらも、アルバーはナイフを鞘に収めて隊列の自分の位置に戻った。その表情にはすでにさきほどの傷の衝撃は見えない。セディシュはわかってんだかわかってないんだか微妙ないつも通りの無表情だが、少なくとも動揺を表面に表してはいない。エアハルトとヴォルクはわずかにまだ衝撃が抜けきらない顔だが、それでも取り乱しはせず隊列を組み直して歩き出す。
 初戦の戦果としては悪くない、とディックは心の中で自分に言い聞かせる。あとはこれを着実に積み重ねていくことだ。
 慎重に、しかし大胆に。全滅だけは全力で回避。自分の中では最重要項目であるギルドモットーその1を心の中で繰り返す。自分は死ぬのも、他人が死ぬのを見過ごすのもごめんだ。そのためにできることがあるなら、ズルだろうとなんだろうといくらでもやってやる。
(……先生みてぇ、か)
 言われた言葉を思い返し、ふんと肩をそびやかす。いまさらただの生徒に戻る気などないし、あったところでそんなことができようはずもない。

 その後ディックたちはミッション担当の兵士を見つけ、地道に戦闘を繰り返しつつ探索範囲を広げていた。慎重に慎重を重ねつつの探索なので、必然的にしょっちゅう街へ戻ることになるがレベルが上がるごとにその頻度は確実に低下している。
 現在のメインパーティはソダレメア。アルバー、セディシュ、スヴェン、ディック、ヴォルクだ。伐採ポイントも無事発見し、道もつけた。当然毎日スキルポイントを伐採に全振りしているスヴェンと採集にいそしんでいるが、それでもまだまだ効率は悪い。とりあえず伐採を10にするまではレンジャーはスヴェンで確定なのだ。
 セスとも一度一緒に潜り、レベル上げはしたが。もちろん弓を買っている。シリカ商店で購入した弓は、付属の矢筒と合わせるとどれだけ矢を放っても瞬時に補充されるというとんでもない特殊技術が付与されたものだったので、ヴォルクが目を剥いたというようなこともあった。
 細すぎる獣道を発見したり持ち主が殺されたブーツを調べてモグラの群れに襲われたり、夜の間だけTPを回復させる清水を見つけたりと探索は順調に進んでいた。その代わりセスとエアハルトは毎日ディックの用意していたテントで生活しなければならないのだが、とりあえず二人とも不満を言ってはいない(不満そうな顔はするが)。
 書くべき地図の範囲も残り少ない。今回は一度残りTPを考慮して引き返した右下通路奥を完成させるのが目標だ。それが順調に終われば右上に進んでもいい。
 少しばかりはやる気持ちを、ディックはいつも通り冷静に制御した。感情というものは人を勢いに乗せる力を持つ、人間の原動力ともなるものだが、野放図に撒き散らすものではない。それは自分を制御できないのと同義だ。ディックにしてみればそんな状態、とてもじゃないが認められない。
 いつも通り周囲の様子を観察しつつ奥へ奥へと進む。装備はセディシュに鞭を買った以外変えていないが、全員戦いには慣れてきていた。途中何度も戦闘があるが、みな敵が現れても即座に武器を構え対応している。はさみカブト以外には白兵戦で充分対処ができた。
 奥に進むこと一時間半。ディックたちは小さな広間にたどり着いた。大きさはいつもの伐採スペースのある広間と同程度、三百m四方。その中いっぱいに花が見事に咲き乱れている。
「へぇ……きれいだな。樹海には花畑いくつもあるけど、ここはまた」
「うんうん。格別っつーかなんつーか」
「いい、匂い」
 ディックはメッセージに軽く肩をすくめ、全員に通達した。
「みんな。少しここで休んでいこう」
「へ? 休むって、なんで? まだ俺全然疲れてねーけど」
「……だが、この花畑は少し休むにはちょうどいい場所ではあるな。さっき術式を使って少し精神的に消耗してはいるし」
「そうだな。ここで行き止まりみたいだし、軽くなら休憩してもいいかも。セディシュは?」
 セディシュはわずかに首を傾げて、こくんとうなずいた。
「いい」
「ふーん……まーみんながそう言うならいいけど。はーっと、きっもちいー!」
 ごろん、とその場に転がるアルバー。一見鎧のように見えるピンク色のパーツはアルバーが『剣士なら鎧くらいつけてなきゃ』という意図から木を削りだして自作したとかで、防御力はないがほとんど邪魔にもならないらしい。
 それぞれ思い思いの格好で休息を取る。と、ばさり、とシンリンチョウのものよりは明らかに大きい羽音が響いた。
「っ!」
「なんだ!? 色が紫だぞあのチョウ!」
「毒吹きアゲハ! 新種だ!」
 数は三匹。全員素早く武器を構える。ディックは即座に指示を飛ばした。この数日で指示通りに人を動かせる程度には自分の判断力は信頼を得ている。
「ヴォルク! 右端に術式!」
「わかっている!」
 ヴォルクが術式の準備に入る。いつものようにヴォルクの術式とは別の敵をディックも含む全員で袋叩きにする。当然向こうも攻撃してくるが、現在の前衛はスヴェンを入れて三人。予想通り攻撃はある程度散り、しかも向こうの行動は毒の粉を振りまくばかり、そんなものそうそう当たるものではない。被害はセディシュが毒に冒されただけですんだ。
 よし、いける、とキュアの準備を始める――その時、ヴォルクが何事か叫ぶ。反射的に視線を追い、ディックは一瞬硬直した。術式で攻撃したアゲハが落とせていない!?
 相当なダメージを食らってはいるがまだしっかり飛んでいる。しかも全員で殴ったアゲハもまだ元気だ。まずい、と理性より先に感情が警鐘を鳴らした。そんな自分の心に喝を入れ、猛スピードで頭脳を回転させて次の指示を飛ばす。
「ヴォルク! 真ん中に術式! 他は全員同じのを袋叩き!」
「おうっ!」
「わかった!」
 無傷の真ん中のアゲハに術式が決まればすべてのアゲハが瀕死になる。そして全員で袋叩きにしたアゲハはおそらくあと二発で落ちる、アルバーの攻撃はおそらく他のアゲハにいくだろう。うまくいけばその一撃で落とせるし、その次の攻撃ができればまず間違いなくすべてのアゲハが落とせる。術式を集中させるよりTPの節約、ひいては帰り道の安全に繋がる。
 一瞬でそう思考を構築し、ディックは先読みでキュアの準備に入った。いつでも取り出せるよう白衣の胸ポケットに入れていた試験管を取り出し、セディシュめがけて噴霧する。本来なら激しく動き回る相手の傷口にうまく薬を投げつけるというのは相当な離れ業だろうが、世界樹の迷宮ではキュアが外れることは絶対にない。
 薬が届くまでに数挙動の時間がかかった。真っ先にスヴェンが矢をアゲハに当てた。続いてセディシュが飛び出す。アゲハが宙に舞いあがり、攻撃態勢に入る。
 その瞬間、げほっ、とセディシュが大量の血を吐いた。
「……え」
 その時気付いた。セディシュに与えられた毒は、セディシュのHPの半分以上、三分の二を超えるかもしれない量を削り取っている。毒吹きアゲハの毒はディックが考えていたのよりはるかに強烈だった。ということは、つまり。
 セディシュはここが病院だったなら即座に集中治療室へ担ぎ込まれるほどの血を吐きながらも、いつもの無表情でアゲハをじっと見つめながら鞭を振るった。ファングウィップを装備しているセディシュは、白兵攻撃力だけならこのパーティの中で最強だ。
 ざしゅっ! 見事にセディシュの鞭の鋭い先端がアゲハの胴体を斬り裂く。直後にキュアの薬が届き、セディシュの傷を癒した。一瞬わずかに息をつく。予想通り、これなら、うまくいけば。
 だが、その直後、無傷のアゲハがセディシュに体当たりをした。
「な」
 アルバーがそのアゲハに斬りつける。ヴォルクの術式がそのアゲハを燃やす。
 だが、セディシュは内臓破裂するかというほどだろう衝撃を受けて吹き飛び、直後に毒が体に回ったのだろう、げほっ、とまた驚くほど大量の血を吐いて動かなくなった。
「……な」
 一瞬の硬直、その間にも時間は流れる。スヴェンの弓が残りのアゲハを貫き、アルバーが止めを刺す。敵の殲滅終了、戦闘は終わった。
 ディックはセディシュに駆け寄っていた。そんなことをしても無駄だとわかっているのに。セディシュの脈を取り、瞳孔反応と呼吸を確認する。セディシュはもう死んでいると、ちゃんとわかっているのに。
 それでも確認せずにはいられず、確認したら呆然とせずにはいられなかった。だって、あいつが。自分が拾ったちっちゃなガキが、自分の仲間が、パーティメンバーが死んだ≠フだから。
「ディック! セディシュは!?」
 アルバーがこちらに駆けてくる。その顔は蒼白だ。隣ではスヴェンがひどく心配そうな顔でこちらを見つめ、ヴォルクはきっと睨むような視線をこちらに向けてきている。
 ディックは他人の存在を認識し、全力で意識を奮い立たせた。こんなところで醜態を見せるわけにはいかない。自分は知っているのだから。
「死んでる」
 そっけなく言うと、アルバーは愕然とした顔をした。スヴェンは痛ましげな顔で十字を切り、ヴォルクは睨む視線の鋭さを増す。
「死んでるって……死んでるって、そんな。だって、さっきまで、普通に、歩いて……」
「一歩間違えば死に直行。それが冒険ってものだろう。それはお前もわかってたはずだ」
「だけど、だけど、だからって……」
「それより早く街に戻るぞ。ケフト施薬院にこいつを運ぶ」
「へ、な、なんで」
「死んだからには生き返らせなくちゃならないだろ」
 きっぱり言い放ち、ディックはアゲハの解体作業にかかった。

 街に戻るやスヴェンは「セスたちに知らせてくる」とテントへと走った。止めずにディックはケフトへと向かう。どんどん体温が失われ、ただの肉になっていく体を抱えながら。
 大丈夫だ。自分は知っている、世界樹の迷宮内での死は厳密には死ではない。頭蓋骨が砕けようと首を斬られようと体がぐしゃぐしゃになろうと、ケフト施薬院でもネクタルでも自分のいずれ習得するリザレクションでもあっさり蘇らせることができる。
 大丈夫だ。知っている。だから大丈夫だ。大丈夫な、はずだ。
 アルバーと協力してケフトに駆け込む。荷物を持っていたせいで足が遅くなっていたのか(荷物! ディックは自分の思考に身を震わせた)、スヴェンとセスとエアハルトが先に待っていた。全員素直に表しているかどうかの違いはあるもののおろおろと慌て心配している。
 すでに説明はしてある。全滅さえしなければ街に戻って生き返らせられる。あらかじめ知っていた人間以外は半信半疑だったが、それでも全員蘇生できることを知ってはいるはずだ。
 なのになんでこうも心配そうなのか。自分の言葉を信じていないのか。知っているのに、もし万一≠疑ってしまうのか。
 Dr.キタザキは果たしてそこにいた。いつも通りに受付前をまっすぐ進んだ窓の下に、いつも通りの冷静な微笑みを浮かべつつ。
 すたすたと全速でキタザキの前に出て口早に告げた。
「蘇生を。迷宮内で死人が出ました」
 キタザキはわずかに眉をひそめてうなずき、「こちらへ」と告げて踵を返す。全員足早にそのあとへ続いた。
『処置室』と書かれた部屋の中、処置台にセディシュだった死体は寝かされる。キタザキが懐からメスを取り出した。メス? とディックの医者としての意識がわずかに反応するより早く、術式が開始された。
 数分後。吐き気を催したのだろう、ほとんどのメンバーが青い顔をしている中(ディックも手術に立ち会った経験は何度もあるがここまでの大手術を数分でやられた記憶はなかった)、セディシュがゆっくりと目を開けた。
「セディシュ!」
「い、生き返ったの? 生きてるの?」
「大丈夫なんですか? 痛いところとかないんですか?」
「死んだんだぞ、痛いに決まってるだろう馬鹿なことを聞くな」
 セディシュは目を開けたとき同様、ゆっくり周囲を見回し、いつも通りに少し小首を傾げる。それから数十秒静止し、ふわー、と微笑んだ。自分たちが最初に入った酒場から出る時のように、もう今すぐ死んでもいい、と思っているかのような嬉しそうな、幸せそうな笑顔で。
 それぞれしばし絶句し、それからほっとした顔を見合わせた。安堵の笑みが誰からともなくこぼれる。パーティメンバー全員、セディシュがもう心配ない状態まで復帰したことを悟ったのだろう。普段無表情なセディシュが微笑んだことがその気持ちに拍車をかけたのか、アルバーやスヴェンたちが駆け寄り、「こいつー心配させやがって」だの「とにかくよかった、本当によかった」だの小突いたり頭を撫でたりし始める。
 そんな中、ディックは一人睨むようにセディシュを見つめていた。
 セディシュは瞬きした隙にすでに無表情に戻っていたが、それでも数十秒アルバーたちの言葉にうなずいたり答えたりしているセディシュを見つめて、それからきっとキタザキに向き直る。
「もう完全に復調しているんですね? 予後治療の必要は?」
「心配する必要はないと思うが、不安なら検査を行うよ」
「では一応お願いします。先生の腕を疑うわけではありませんが、念のため」
「わかった。ちなみに別料金なので会計の方よろしく」
「了解しました。……セディシュ、検査が終わったら迎えに来る。みんな、俺は会計を済ませてくるから」
 言い捨てるような早口で言い、それから処置室を出る。すたすた早足で廊下を歩き、どんどん施薬院の奥へ進む。注意する人はいない。当然だ、ディックは白衣を装備しているのだから誰でも病院関係者だと思う。
 大きい病院というのは人の目に触れない場所がどうしたって出てきてしまうものだ。廊下の奥、階段の影のそういう場所にやってきて、ディックは吐き出すように叫んだ。
「どちくしょう!」
 がすっ、と壁を蹴りつける。拳では痛くなるし手を傷つけたくない。それに一発では終わらないと確信していた。
 苛立ちのままにがすがすと、ちくしょうちくしょうと怒鳴りながら壁を蹴りまくる。そうでもしなければ、いやそこまでしてもこの苛立ちと腹立ちは収まらなかった。
 大丈夫なつもりだった。危険を見越して行動していたつもりだった。安全側に大きく振り子を振って行動していると確信していた。誰かが死ぬなんて思考の上では考えたことはあったけれど本当は一度だって想像したことはなかった。
 だけど、あいつは死んだ。
 がすっ、とさらに壁を蹴る。あいつは生き返った。だからこの苛立ちには意味なんてたぶん微塵もない。
 だけど悔しい。心底悔しい。悔しくてどうにかなりそうなほど。自分の無力さが、見通しの甘さが。
 なにより自分は間違えないと確信していた自分の自惚れが。
「ちくしょうっ……!」
 がすっ! と最後に全力で壁を蹴ってはぁはぁと荒い息をつき、なにをやってるんだ俺は、とため息を吐いた。こんなことをしたところで施薬院の人間に掃除の手間をかけるぐらいしか意味なんてないのに。
「……ディック」
 びくぅ! とディックは文字通り飛び上がった。馬鹿な、なんで、いないはずなのに、と思考を空転させながらのろのろと振り向き、アルバーが曲がり角のところに立ってじっとこちらを見ているのを発見した。
 アルバーはなにも言わない。ディックはなにも言えない。真っ白な頭のまま、ただ時だけが十数秒過ぎた。
 それから、アルバーは笑った。軽やかに、嬉しげに。
 え? ときょとんとするディックに、アルバーは笑みを浮かべたまま言った。
「ディック。お前、いい奴だな」
「は?」
「セディシュ死なせちまったこと、責任感じてたんだろ?」
「………な」
「気にすることないぜ、あの状況じゃ不可抗力ってやつだと思うし。お前実際よくやってるよ、うん。……まぁ、生き返ったから言えんだけどな、こういうことって」
「…………」
「ホントはな、俺お前に腹立てて責めるつもりで追ってきたんだ。セディシュが死んだばっかだってのに仲間のこと物みてーな扱いするしさ。つかディックって口はうまいけどなんか騙されてるみたいな気がしてたし、そのくせ偉そうっつーか、なんか信用できねー奴だなって思ってたんだよ。仲間が死んだのにどーってことねーよーな顔で素材集めてるしさ」
「っ」
「けどさ、今お前がセディシュのことでムキになって、必死に悔しがってんの見て、ちゃんとしてんじゃんって、いい奴じゃんってわかった」
「………」
「俺たちさ、まだまだ未熟だけど。これから一緒に、頑張ろーなっ」
 にかっ、と最後にいつもの明るい笑みを残して、アルバーは小走りに立ち去っていった。もしかしたら自分でも恥ずかしくなったのかもしれない。
 ディックはそろそろと、胸の辺りをつかんだ。なんだろう、この感じ。顔が熱い。胸の辺りがぎゅうっとする。なんでだ、俺はもしかして動揺してるのか? あんなわかりやすい奴の言葉に。
 別に大したことは言われてないはずだ、今まで見てきたあいつの人格から当然想定される言葉のはずなのに。たまらなく恥ずかしくて、そのくせ腹立たしくはなくて、なぜか胸が奇妙に痛い。
「……ああっ、もう!」
 ディックはがすっ、ともう一発壁を蹴ってずかずかと歩き出した。今は感情について論じている暇はない。セディシュの体調、精神状態、アルバーにうかつなところを見られてしまったことを考えに入れて改めて迷宮踏破計画を練り直さなければならないのだから。とりあえずは会計を済ませなければ、ああこれでますます出費がかさむ。ディックは真っ赤になっている顔をもてあまして必死に理性的な思考をしようと試みた。
 彼が自分の単純な感情に、十五で一流大学に入学し八年も飛び級して一発で医師免許を取り、大学始まって以来の鬼才と褒めそやされ、天才、俊才、神童、俊英、その手の褒め言葉は飽きるほどもらってきたけれど『いい奴だな』という、自分を仲間と認めてくれた言葉は一度ももらったことがなかった彼が、だからただそれだけのことが嬉しくてならなかったのだということに気付くのは、もう少しあとのことになるのだった。

「だっからとりあえず戦ってみようって! 二階の敵ももー大体は倒せてるだろ?」
「だからまだ完全に地図を書いてもいないのにそういうことを言うなと言ってるだろう! FOEはこの階に出てくるどの魔物よりも確実に強いんだぞ、そいつらにまだかなわないレベルだったら全滅確定だろうが!」
 怒鳴りあうアルバーとディックを、セディシュはいつものきょとんとした無表情で首を傾げながら見つめ、ヴォルクは難しい顔で見つめ、セスは苛立たしげな顔で見つめて冷たく言った。
「そーいう風にやり合ってる時間がそもそも一番無駄だって思うんだけど?」
「全滅のリスクを冒すくらいなら時間を無駄にした方がマシだろう!」
「こういう風にやり合ってたらその声聞かれて襲われるんじゃないのっつってんの」
「地図のポインタは動いていない、その心配はないはずだ」
「絶対じゃないでしょ!? 迷宮の中でそんなこと言い合ってるのがそもそもまずいでしょうが!」
「お前まで熱くなってどうする、セス」
 ヴォルクの声にあ、とセスは口を塞ぎ、それからきっとディックを睨んだ。ディックはふんと肩をそびやかし、その視線を跳ね返す。
 ディックたちは今B2F、FOEの徘徊するすぐ隣の通路にいた。FOEをかわして奥に進もうとしてもうまくかわせないため、真っ向勝負を挑むか否か意見を戦わせているところなのだ。戦う前にFOEの強さどころか姿形すらもわからないのが非常に口惜しい。
「俺の出したギルドモットー忘れたのかよ、どんな敵にもひとまず当たる約束だろ!?」
「あからさまに強いと思われる敵は別、とも注釈がついてるだろうが! まだスキルもろくに揃ってないんだ、全滅してから後悔しても遅いんだぞ!」
 ぎゃんぎゃんとやり合いながら、ディックはいかん、と心の中で頭を押さえていた。同レベルでやり合ってどうする。そもそもやり合うということ自体がギルド運営上好ましくないのに。
 それはわかっているのに、ついついこいつと喋っているうちに熱くなってきて。
「……はい」
 ときおりセスやヴォルクも含めながら喚き合っていると、ずっと黙っていたセディシュがすっと手を上げた。
「なんだ、セディ」
「FOEって、かわせる、んだよね?」
「この階のはそのはずだ」
「なら、こうするしか、ないと思う」
 すっとセディシュは地図を指差す。
「あの、FOE、ここの通路を、行ったりきたりしてるでしょ? 通路をのぞいた時に見えた、新しい通路が、このへん。なら、ぎりぎりまで後ろから近づいても、大丈夫なんじゃない? そうでないと、かわせないよ」
 たどたどしい言葉遣いながらも熱を帯びた声でそう説明するセディシュ。その視線には出会った時にはなかった明確な意思の力があった。
 その新たな情報に全員ざわめき、また討論が始まる。だがそれはさして時間をかけずに終わり、とりあえず戦わないで先に進めるかどうかやってみよう、ということになった。
 足音を殺しながらそろそろと後ろから近づきながら、ディックはぎゅっとワンドを握る。悔しい。悔しいが、あれだけ情報を集めシミュレーションを行ったのに世界樹の迷宮探索は自分の思い通りには進まないらしい。他人と意見をぶつかり合わせ、自分自身と仲間の力で、力を合わせてやり方を見つけ出していかねばならない。
 だが、それでもいい。だからって別に困りはしない。
「うわ……ここまで近づいても大丈夫なのか……突然振り向いたりしねぇよなこいつっ、なっなっ?」
「こんなとこでそんなくだらないこと大声で言わないでよバカ!」
 自分はいくらだって努力する。仲間たちだってするだろう。こいつらはそう簡単にめげるような奴らじゃないと、迷宮に潜って知ったのだから。
「おい……なんだあのFOE。こんな狭いスペースをうろうろしてるのか!?」
「なんというか嫌がらせとしか思えないな……」
「すごい。ちょっと」
 自分だってこの程度のことでめげはしない。理性と知性とたゆまぬ努力、いくらでも積み重ねて乗り越える。
「わっわっわっ、追ってきた追ってきた追ってきた!」
「逃げろ逃げろ逃げろ逃げろっ!」
 だって自分も仲間たちも、途中で諦める気なんてさらさらないんだから!

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