やっと知る、簡単な自覚
「だから! ああいうことは一番好きな人とやるもんなんだよ!」
 リュームの言葉に、ライはいまいち納得がいかず首を傾げた。
「なんでだよ? あのクソ親父だってやってきたじゃねーか。そりゃ、いきなりあんな妙なこと始めてびっくりはしたけどさ……」
「だから! 普通あーいうことは親子でやるもんじゃないんだよ!」
「へ? じゃあ誰とやるもんなんだよ」
「だから! 一番好きな奴とだよ」
「ふーん、一番ねぇ……じゃあお前とやったことは別にいいってことになるのか? 俺、お前のこと好きだし。好きに順番とかつけたくねぇけど」
「……っ、だからそーいうんじゃなくって! あーいうことはあ……愛してる人とやるもんなんだ!」
「愛って……リュームお前けっこう恥ずかしい言い方すんだな。まー、そのなんつーか、俺もお前のことは愛してるぜ?」
「そーいうことでもなくてー! あーくそどーいやいいんだ!」
 悶えるリュームにライは大丈夫かと心配になって思わずぽんぽんと背中を叩いてやる。
「まぁ、落ち着けって。別に大したことでもねーだろ?」
「大したことだよ! だいたいなぁ、あーいうのはそのなんだ……ほんとはつがいになった相手としかしちゃいけないんだぞっ!」
「……つがい?」
「人間でいう結婚!」
「…………」
 思わず目を開いてまじまじとリュームを見つめてしまった。
「……マジで?」
「マジだよっ」
「じゃーなんで親父は……いやあいつは駄目だ、参考にならねぇむちゃくちゃな奴だから。じゃーお前とやっちゃまずかったのか?」
「まずいっていうか……おれは、別に、やじゃない、けど……」
 うつむくリュームの前で考えた。そういえばクソ親父は、子作りがどうとか言っていたような。
 つまり、あれって男女だったら子作りに相当するようなことなんだろうか? 愛してる人とやること。結婚して、共に人生を過ごしていく人とやること。ずっと一緒にいたい人とやること――
 そこまで考えて、『じゃあなんで兄貴とすること考えたらあんなにドキドキしたんだろう』という疑問に気がついた。
「なぁ、リューム。あれって本当なら、ドキドキするもんなのか?」
「……当たり前だろ。好きな人と、なにもかもさらけ出して繋がりあうってことなんだから」
「でも、想像したぐらいで別にドキドキはしないよな?」
「――するよ」
 リュームは顔を上げてきっぱりと答えた。
「本当に好きな人だったら想像しただけでドキドキするよ。想像しただけでドキドキして、緊張して、恥ずかしくってたまらなくなる。考えただけで自分でも嫌になるくらい興奮して、こっそり一人でしたりしたくなっちゃったりするんだ」
「……お前、やけに詳しいな。経験あるのか、そーいう」
「……っ、至竜の知識だよっ」
 顔を赤くしてそっぽを向くリュームの機嫌をとるように頭を撫でてやりながら、考えた。じゃあ、兄貴とのあれを想像した時のあれは、なんだったんだろう。
 想像しただけで興奮して、ドキドキして、体の奥に熱がともって。したあとは申し訳なくてたまらなくて、まともに本人と顔を合わせられなくなってぐるぐるして。
 それから兄貴がいなくなっちゃうってことを聞いて、たまらなく胸が痛んで。
 どんな顔をして兄貴と向き合えばいいのかわかんなくなって、心配までかけた。それが嫌で、兄貴には少しでもマシな自分を覚えていてほしくって、無理をして普通を装った。そうでもしないと辛くて、寂しくてまともに立っていられなかったくらいで。
 兄貴のことが好きだから、笑って送り出してあげたいと思って、自分のことを負担に思われるくらいなら死んだ方がマシだって、そんなことを考えて。
 そういう気持ちって、なんなんだろう。
「……スキとか、アイシテルとか、そーいう気持ちなんて、考えたことなかったけどさ」
 リュームがライにそっと頭を撫でられながらぽそぽそと言う。
「オレの中の至竜の知識がいうんだ。その人のことが気になって、心が乱れたら。すること想像して興奮したら。少しでもいい自分を見てほしくてドキドキしたら。それはもう恋だって」
「………恋?」
 思わずぱかっ、と口を開けて聞き返した。
「うん。だけど、オレは……」
「ちょっと待てよ! だっだっだって、男同士だぞ!?」
 大慌てしながら必死に言うライに、リュームは一瞬泣きそうな顔をして、それから笑った。
「わかってるよ。こんなの普通じゃないし、どうかしてるって思われても仕方ないかもしれない。でも、この気持ちは嘘じゃないって、好きなのは、大切なのはそばにいたいのはほんとだって、胸を張って言えるから」
「………………」
 ライはしばし呆然として、それから小さく「そっか」と言った。そうか。そうだったのか。
「……ライ?」
「そうだったのか……なんか、俺、ばっかみてぇ……」
 目が潤む。自分が心底馬鹿みたいだと思った。単純な話だったのに、リュームでもわかるようなことだったのに、なんで自分は気付かなかったんだろう。
「俺、兄貴が好きなんだ」
 たまらなくて、言ってしまっていた。
「兄貴が、恋してるって意味で、好きなんだ……」
 こんな気持ち今までに感じたことはないからわからなかった。しかも相手が九つの時から世話になっている本当に兄のような人だなんて。馬鹿馬鹿しくて笑える。
 いつから好きだなんて思うようになったんだろう。グラッドがこの街を離れてしまうと知った時から? グラッドに触れられることを想像した時から? 苦しくてたまらない時に相談に乗ってくれたから? 遡れば、九つの時の、人間不信気味だった自分に優しく接してくれたというただそれだけのことにまで戻っていってしまう。
 理由なんてきっと星の数。そして同時にたぶんまともな理由なんてない。六年間そばにいて、自分はいつの間にか、恋をしていたのだ。
 それをもうすぐ別れようとしている時に気がつくなんて。ホント、ばっかみてぇだな俺、とライは笑った。
 リュームはベッドの上に立ち上がり、そっとライの頭を抱きしめてくれた。震える腕で。大丈夫だと告げるように。どんなことになっても、そばにいるよと言い聞かせるように。

 そして昨日と同じような朝がやってきた。また手伝いにやってきてくれたリシェルとルシアンにリュームとセイロンのことを紹介し、野菜をもらってきて仕込みにかかる。朝飯時から昼飯時まで店を開いて、忙しく立ち働く。
 そして、昼飯時の終わりに、グラッドがやってきた。
「よーっす……ってうわ! セイロン!?」
「あっはっは、グラッド殿、久しぶりだな」
「……よっす」
「リュームも!? どうしたんだお前ら、ラウスブルグにいるはずじゃなかったのか!?」
「まぁ、話せば長いことながら」
「しばらくウチで手伝いをしてもらうことになったんだよ」
 言いながらライは厨房を出て、グラッドの前に立った。驚いた顔をしているグラッドに、笑顔を作って話しかける。
「そうなのか? ……そっか、よかったな。寂しい思いしないですむじゃないか」
 嬉しそうにこちらを見て、笑ってくれるグラッド。そのあっけらかんとして、ちょっと間抜けで、たまらなく優しい笑顔を見ると、胸がたまらなくぎゅうっとした。
 苦しい。痛い。辛い。逃げたい。だけどずきんずきんと痛む胸の奥で、確かにたまらなく幸せだと絶叫している心がある。
 兄貴のそばにいられて、笑いかけてもらえて、それだけで幸せに疼く心が。
「いつもの、いるだろ?」
「おお、お前の滋養強壮特製野菜ジュースな! 今日も当てにしてたんだ」
「すぐ持ってくるよ。座って待ってて」
 いつも通りの会話。それだけで胸は溢れそうな感情に満たされる。こんなことでなんで、と思うくらい。
 一言一言が、少し情けない仕草ひとつひとつが、泣きそうなほど嬉しい。
「……言わないのかよ」
 厨房までついてきていたリュームが、ぼそりと言う。
「言ってどーなるもんでもねぇだろ」
 手早く準備していた野菜をすり潰しながら、軽い口調で答える。
「向こうだってつがいになってもいい、って思ってるかもしれないぜ」
「んなわけねーだろ。兄貴はミントねーちゃんが好きなんだぜ。それに、俺男だし年下だし。ガキの頃から迷惑ばっかかけてるし。好きとか言われても迷惑だろ」
「言ってみなきゃ、わかんねーじゃん」
「わかるよ」
「なんでだよ」
「なんでも」
 喋りながらも手は休まずに動き続ける。神経を集中させて、ありったけの気合をこめて。これだけは、グラッドの口にするものを作ることだけは、間違いなく自分がグラッドにしてやれると確信できることだから。
「なんでそんな後ろ向きなんだよ。お前らしくもねぇ」
「そうか?」
 十種類以上の野菜やら薬草やらを水と混ぜながらすり潰し、飲みやすいように蜂蜜と果物も混ぜる。この配分が難しくてなかなかまともな味のものが作れなかったが、最近は少しは飲めるものを出せる。
「いっつもやってみなけりゃわかんねぇって、突っ走ってたくせによ。こういう一生に関わる話に、なんで」
「…………」
 ライは無言で野菜ジュースをジョッキに注いだ。早くグラッドに野菜ジュースを持っていかなければ。
「………っ」
「てっ」
 ぱかっ、とライの頭が軽い音を立てた。リュームがオニロの実を投げつけたのだ。
「なにす……」
 振り向いたライは言葉を失った。リュームが泣きそうな顔でこちらをきっと睨んでいたからだ。
「うじうじしてんじゃねぇダメ親父! オレはそんな情けねぇ親を持った覚えはねぇぞっ! そんな風に、本当は好きなくせに黙って、言わないで、幸せ見過ごすなんて……オレは、そんなの嫌なんだよっ!」
「……リューム」
「そんなお前見てるこっちの気持ちも考えやがれ! バッカヤロ―――ッ!!」
 瞳いっぱいに涙を溜めながらそう怒鳴って、リュームはこちらに背を向け駆けていく。
 リュームの言葉に心臓をずっしりと重くしながらも、ライは無言でてきぱきと作業を終えて食堂に向かった。これだけは。自分にはなにもしてあげられないからこれだけはせめて、全身全霊をこめてやり遂げたかった。
 あと残り少ない日々の間。
「お、来たな! 待ってたぞ!」
「ちょっとライ、リュームと喧嘩でもしたの? なんか騒いでたけど」
「まぁな。ほれ兄貴、野菜ジュース! 昼飯もすぐ用意してくるからな」
「おお、頼む! もう腹が減って死にそうなんだよ」
 笑うグラッドに笑顔を向け、そっとジョッキを置いて踵を返す。そう、自分にはグラッドにしてやれることがこれしかないのだ。
 自分は子供を産めない。胸もない。女みたいにきれいじゃない。
 グラッドはミントが好きで、自分などに振り向いてくれることは絶対にない。むしろ嫌われ遠ざけられて当然だろう。グラッドは優しいから、表面には出さないだろうけれど。
 けれどもし万一自分を振り向いてくれたとしても、自分には、女でもない自分には、グラッドになにもあげられるものがないのだ。自分は可愛らしくもないし綺麗でもない。ただのいつも傷だらけの男のガキだ。抱き心地も悪いし、きっと結婚みたいな状態になれたってグラッドを満足させることなんてできないだろう。
 グラッドは優しいから、気にするなと言ってはくれると思う。だけど、自分がそれでは嫌なのだ。
 グラッドにはいろんなものをもらっている。もらいすぎている。九歳の時からずっと世話になってきて、心を支え続けてくれた。
 それを(他のみんなへと同じように)料理で必死に返しているところなのに、それ以上の忍耐を強いることになってしまったら。自分のために面倒をかけてしまったら。
 自分のことを、鬱陶しい、なんて思われてしまったら。
 自分はきっと、まともじゃいられない。
 ライは厨房に戻り、手早くもうあとは火を通すだけにしておいた料理を仕上げていく。グラッドに温かいご飯を届けるまで、ほんの数分だ。
「……なっさけねぇよな、実際」
 そう、なんのかんの言って自分はただ怖いだけなのだ。負担に思われたらどうしよう。邪魔だって思われたらどうしよう。面倒くさいって思われたらどうしよう。そう思ったら、子供の頃のように怖くて動けなくなっただけ。
 世界に自分ただ一人のような不安と寂しさは年を取るにつれ消えていったと思っていたのに。世界中に見捨てられたかのような気持ちはただの妄想の産物で、自分にはちゃんとそばにいてくれる人が他にもいっぱいいるとわかっているのに。
 なのに、不安が治まらない。だってグラッドは自分のいるこの場所から離れていってしまうから。大好きな人が、なんでなのかわからないけど恋をして、ずっとそばにいてほしい、抱きしめてほしいと思う人が自分から離れていくのだから、他の人もいつかきっと自分から離れていくと、そう思えてしまうから。
 馬鹿なと笑おうとしても考えてしまう。リシェルは金の派閥で生きるためもうすぐ忙しくなるしいつか聖王国に帰る。ミントだって同じこと。ルシアンは軍学校に行くし、卒業したら巡りの大樹自由騎士団に入ると言っていた。
 リュームだって、一年もすればラウスブルグに戻ってしまう。
「……馬鹿みてぇ、ほんと」
 だからって別にみんなと永遠にさよならするわけじゃないのに。それはわかってるのに。
 だけど『兄貴ともうすぐさよならしなきゃなんないんだ』と思うと、自分がたった一人になるような恐怖を覚える。
 別れたくない。本当はさよならなんて絶対したくない。
 でも、嫌われるのが怖くて『好きです』の一言すら言えない。そんな自分が心底馬鹿みたいだと思って、ライは立ち上る煙が沁みる瞳をぬぐった。

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