この作品には男同士の性行為を描写した部分が存在します。
なので十八歳未満の方は(十八歳以上でも高校生の方も)閲覧を禁じさせていただきます(うっかり迷い込んでしまった男と男の性行為を描写した小説が好きではないという方も非閲覧を推奨します)。



そばにいてもいい、そうわかった時
 長いような、短いような片思いの時間のあと、ライと、グラッドは恋人同士になった。グラッドがそう言っていたんだから確かなはずだ、たぶん。
 グラッドは毎朝自分のところに見回りに来て、ついでに朝食を食べ、昼にもやっぱり見回りついでにやってきて滋養強壮ジュースと昼食を取り、夜にもやってきて夕食を食べる。自分が夜遅くにグラッドのところへ会いに行くとか血迷ったことをしなければ、グラッドと一日の間に接する時間はその三度。
「……今までとなんも、変わらねぇような気がすんだけど」
 こっそり思っていたことをこっそり相談してみたのは、一昨日のことだった。
 相談相手はリューム以外にいない。事情を知っている、というかバレている相手はリューム以外にいないし(実はセイロンも知っているのだがライはその事実を知らない)、信用のおける相手だとも思っているからだ。
 だが、答えはあからさまにおざなりだった。
「んなの知るかよ」
「なっ、お前ちょっとぐらい考えろよ」
「んなの俺がするこっちゃねーだろ」
「そりゃそーかもしれねーけど、曲がりなりにも親が悩んでんのにだなぁ……」
「つか、なにを悩んでんだよ」
「え?」
「恋人らしくねーって悩んでんなら、そうグラッドにーちゃんに言えばいーんじゃねーの?」
「ばっ」
 ライは思わず顔を赤らめた。
「ん、んなこと言えるか! 恥ずかしい」
「恥ずかしーってなにがだよ」
「だっ、だって言えねーだろ、普通!? 兄貴に、ここっ、こっいびとらしくしてくれって、普通言えねーじゃんんなこと!」
「恋人なんだろ。だったらそんくらいフツーじゃねーの?」
「そ、そりゃ、そうかもしれねーけど……でも今兄貴は、試験勉強と駐在軍人の仕事で忙しいし……まだその、そーいう関係になってからあんま時間経ってねーし……それに兄貴はそれっぽくなくても全然不満そうじゃねーし、いつも通りだし、だったら俺が言っても、困る、と、思うし……」
 言い訳がましく、最後の方は我ながら消え入るような声でごにょごにょと言うと、リュームはあきれ果てたという顔で面倒くさそうに吐き捨てた。
「じゃー諦めたらいーだろ。つかな、そんなことでうじうじしてる暇あったら自分から恋人らしくしてみたらどーだよ。そんくらいもできねーなら恋人だとか偉そうに言うな」
「………っ………」
 その言葉に、ライは反論する言葉が見つからなかった。
 なので、とりあえず翌日から恋人らしくしてみよう、と決めたはいいものの。
「恋人らしくってどうすればいいんだ!?」
 そうリュームに叫んだのが、昨日のこと。
 翌日から恋人らしく、恋人らしくと考えてグラッドに接しようとしてみたのだが、まず恋人同士というものがどういうことをするのかからしてライは知らない。たぶん夫婦みたいなことをするんじゃないかとは思うものの、そもそも夫婦というのがどういうことをするのかからして尋常な家庭生活というものの記憶が薄いライは知らない。
 なので一応頑張ろうとしてはみたものの、その日一日グラッドの周りを普段より少し多めにうろうろしてみたくらいで(そしてグラッドにいつも通りに笑顔で話をされちょっと嬉しくなってちょっといつも通りじゃねぇかこれと落ち込んでしまったくらいで)、なにも進展せずに終わってしまった。
「……なんでそれを俺に聞くんだよ。グラッドにーちゃんに聞けよ」
 面倒くさそうな仏頂面でそう言われ少しめげたが、いやいやここで退くわけにはと気合を入れて頭を下げる。
「頼む。教えてくれ」
「やだ」
「なんでだよ!?」
「めんどくさい」
「めっ……」
 曲がりなりにも親に向かってその言い方なんなんだよ、と思わず絶句した隙に、リュームは仏頂面のまま続ける。
「第一、恋人同士がどんなことするかなんて人それぞれなんだ。そのくらい自分で考えられねーで恋人やれんのかよ」
「…………」
 確かにそれはごもっともな言葉なのは間違いなく。ライはいったんうつむいて唇を噛んでから、拳を握り締めて決意した。
「そうだよ、な。俺なりに考えて、兄貴と恋人らしいことしてみるぜ!」
 そう決意表明し、翌日一日過ぎたあと。
「俺には無理だ……恋人らしくなんて、できねぇっ……!」
 そうがっくりとうなだれたのが、さっきのことだ。
 ライなりに考えて、とりあえず恋人同士ってのはべたべたしたりするもんなんじゃないか、と思いグラッドが「よう、ライ!」と笑顔で朝食を食べに来た時に(文字通り)くっついてみようとしたのだが。
「? どうしたんだ、ライ?」
 さぁくっつくぞ、と気合を入れてグラッドの前に立つと、グラッドに笑顔でそう言われ、固まった。なぜだかものすごく恥ずかしい。照れくさい。グラッドの笑顔が妙に眩しい。なんでそんな嬉しそうな顔で笑うんだ、カッコいいじゃないか。
「……んでも、ねー……」
 無理だ。あんな風に笑われたら、くっつくなんて恥ずかしくてできない。
 ならば別の方法で。恋人同士っていうのはたぶん優しくしあうものだ。普段より優しくしてみよう! と決めて「おいーっす!」と笑顔で昼食を食べに来たグラッドに接してみると。
「……どうかしたのか、ライ?」
 怪訝そうな顔で聞かれた。
「ど、どうかしたのかって、なんだよ」
「いや、だってさっきから俺の周りうろうろして俺のことじろじろ見てるからさ……」
「う゛」
 改めて優しくとはどんなことをすればいいのかわからず、なにかしなきゃなにかしなきゃと考えながらグラッドの様子を窺っていたのだが、怪しまれてしまっただろうか。
「わ、悪かったなっ! おっ俺が兄貴の周りうろついてちゃ、そんなに変なのかよっ」
「変っつーか、んー、あのな」
 照れたようにぽりぽりと頬を掻いて、へらっと笑って軽い口調で。
「せっかく会ってるんだから、ちゃんと向き合って話しないかって、俺は思うんだけどな」
「…………っ」
 ライは思わず固まった。心臓がドドドドドと行進曲の太鼓のように勝手に乱打する。痛いくらい高鳴りまくってもはや苦しいほどだ。グラッドはいつもの少し頼りなくて、少し情けない雰囲気の、でも優しい笑顔でこちらを見ているだけなのに。
 とても真正面から顔なんて見られなくって、「なに恥ずかしいこと言ってんだよバカ!」と叫んで厨房へ逃げ出してしまい、「なにやってんだ俺……恋人同士らしくするんじゃねーのかよ……」とどっぷり落ち込んだ。
 ならば最後の手段。キスだ、キスをしよう。キスは家族でもなきゃ恋人同士以外やらないはずだ。それも唇を合わせる、家族だってめったにやらないキス。
 そう決意して気合を入れて「あー腹減ったー」と笑顔で夕食を食べに来たグラッドを出迎えて。
 当然だが人前でキスなんてできるわけがないので人が引けてグラッドと二人きりになる帰りの時間を待ち。チャンスを待つために集中していると、グラッドとも普通にいつも通りに話せた。
 そして、グラッドとライしかいない閉店後の出入り口。グラッドが「ごちそうさま。うまかったぞ」と言って軽く頭を撫でて去っていこうとする瞬間に、今だ! と気迫をこめて「兄貴!」と声をかけて。
「え? なに?」
 きょとんとした顔で振り向いてそう言ってくるグラッド――その顔を見たとたん、ぼわん、と顔が真っ赤になるほど猛烈に恥ずかしくなった。
 だってグラッドがあんまりいつも通りだから。こっちは必死に恋人になろうとして考えてぐるぐるしてき、き、キスしようなんてことまで考えちゃってるのに兄貴は全然いつも通りにほけっとした顔して「え? なに?」とか言っちゃって、などと考え出すと自分のやってることが猛烈に恥ずかしくてたまらなくなってきて、もうとてもグラッドの顔がまともに見れなくて顔を真っ赤にしてうつむきながら「なんでも、ねぇ……」とか言うしかできなくて。
「そか?」とか言って笑って去っていくグラッドの背中を見送って、どっぷり落ち込みながらリュームのところへ行って愚痴った。
「俺には無理だ……恋人らしくなんてできねぇっ! 世の中の恋人って奴らは本気でみんなあんなに恥ずかしいことしてんのかよ!? 駄目だ、俺にはできねぇ。正気でくっついたりとかキスとかできるわけねーっ!」
「じゃーしなきゃいいじゃん」
「うぐっ……」
 それは、確かにそうなのだが。
「けどっ、なんもしねぇで、いつまでもずーっと変わんねぇまんま、っつーのも、なんか……なんか、よくねぇ気がするっつーか……」
「じゃーやれば?」
「そういう単純な問題じゃねーんだよっ!」
「じゃーどーいう問題なんだよ」
「………う」
 そう言われると……どういう問題なんだろう。要するに自分が恥ずかしさを我慢できればいいのか? いやいやあんな恥ずかしいこと我慢しろっつわれても普通無理だろ!
 煩悶するライに、リュームはずびしっと告げた。
「要するにお前に勇気がないってだけのことだろ。そんなもん相談されたってどーにもなんねーっつーの」
「………うう………」
 ライはがっくりとうなだれた。そう言われてしまうと、こちらとしては反論のしようがない。
 結局それ以上相談することもできず、どうしようもない自己嫌悪に浸りながら、ライはベッドに入った。明日もまた早いのだから、今日もとっとと眠らなければならない。
 グラッドのことをついつい考えてしまって珍しく寝付けなかったが、今日も一日懸命に働いたので体はいつも通りに疲れている。しばしの輾転反側ののち、すぅっとライは眠りに落ちた。
 兄貴は、俺の恋人なんだろう人は今なにしてんのかな、などとぼうっと考えながら。

「……お?」
 そこは森だった。生命の息吹に満ちているが獣や虫の声が少しもしないひどく静かな森。
 太陽も見えないほど深いその森の中の驚くほど水の澄んだ泉。その前に自分は立っている。
「……これって」
「っと!」
 一間ほど間を空けた隣で枝を折る音。反射的にそちらを向いて、とたん拳を握り締めた。前回とまったく同じ流れだ。
 こちらを向いてわずかに目を見開くそこに立っていた男に、ライは走り寄って飛び蹴りを加えた。
「なんでテメェがまた出てきやがんだこのクソ親父ーっ!」
 ……それからまた始まった殴り合いと罵り合いをひとしきり終えて、ライはケンタロウを睨んだ。
「で。なんでまたてめぇが来てんだよ」
「ん〜? 知らねぇのかよ。妖精と夢で会えるのは、その妖精が会いてぇって思った奴なんだよ」
「え……」
「つまりてめぇが会いてぇって思ったからオレ様もこの世界に呼ばれたわけだ。メリアージュの呼ぶ声をぶっちぎっちまうくらいの大声でな」
「なっ……」
「……そんなにオレ様に会いたかったのか、ライ?」
「んっ、んなわけねぇだろっ! 俺は、別に、そんな……」
 その時はっと気付いた。いつの間にか距離が近づいている。肩が触れ合っているのはさっきからだが、真正面から向き合っているせいかひどく顔が近い。
 兄貴とキスする前の距離とおんなじだ、と思ったらぼっと顔に血が上った。
「ばっ、離れろよ!」
「……なんだよ、急に」
「言っとくけどな、もう二度と前みてーなことしねぇからなっ! あれってホントは結婚してる奴らだけがやるんだろっ」
「……そうだな」
「しれっと言ってんじゃねぇよこのスチャラカ親父! いいかっ、今度あんなことしたらぶっ殺すからなっ。……俺にだって、恋人、できたし」
 ぽそりとこっそり、実は誰かに言いたかったことを言う。こいつがトレイユに戻ってくることは少なくともしばらくはまずないだろうから、言っても問題はないだろうと思ったのだ。
 ケンタロウがこちらを見る。その表情が見ようによっては愕然、と表現されるものであることに、ライは気付かなかった。
「恋人?」
「う……うん」
「へぇ……お前に恋人、ねぇ。どんな奴だ」
 右手がぎりぎりと凄まじい力で剣を握り締めているのに気付かず、ライはなんだよ親父の奴知りたいのかよ、とこそばゆい気持ちになりながら言った。
「なんていうか……優しい人だよ。あったかくてさ、ちょっと見たら普通の、普通に親切なだけの人なんだけど、よくよく見てみると普通より一歩踏み込んだっていうか、ただ生きてるだけじゃできない、相手に気遣わせないけど特別扱いされてるみたいな嬉しい優しさをみんなに振りまいてくれる人なんだ。そんな人が、俺のこと、愛してるって、恋人ってことにしておいてくれって……」
 そんなノロケとしか取れない言葉を、ライはうつむき加減で微妙に目を逸らしながら紡ぐ。ほんのりと頬を染め恥じらいながらのろけるその姿は、初々しくも可愛らしく、ケンタロウに相当な精神的打撃を与えていたのだがライはちーともそれには気付かなかった。
「……なんて奴だ」
「名前なんて聞いてどうすんだよ? グラッドだよ。グラッドの兄貴……帝国の駐在武官で、六年前からよく俺のこと面倒見てくれた人でさ……」
「……男なのか」
「なんだよ、悪ぃかよ?」
「年はいくつだ」
「えっと、俺より九つ上の二十四」
「収入は」
「そんなに詳しくは知らねぇけど、安月給だっつってたから……だいたい月二万バームくらいだと」
 あとから考えたらなんでそんなことをいちいち詳しく、と思うほど執拗にグラッドのことを訊ねるケンタロウに、ライはいちいち答えてやった。本人としては無意識だったが、父親に恋人のことを知ってもらいたいという気持ちがあったせいだろう。
 とにかくひたすらグラッドのことを聞き出され、夢は終わった。

 朝陽が差し込む中、ライはぱっちりと目を覚ました。うーん、と軽い伸びをし、ベッドから飛び降りる。
「おい、リューム! 起きろ、朝だぞ」
「んうー……」
 枕を抱え込んだまま寝ぼけた声で返事をするリュームに、ライは軽く青筋を立てて毎朝恒例の拳ぐりぐり攻撃をお見舞いしてやった。「わっ、なにすんだよー!」「さっさと起きやがれねぼすけ」といういつも通りのじゃれあいを終えると、朝の鍛錬をしているセイロンにつきあって軽く体を動かし、それからリュームとミントの家へ野菜をもらいに行く。
 ミントに挨拶と昨日もらった野菜での料理の評判を伝えて、大量の野菜を担いで帰路につく。店に着く頃にはセイロンが店の前の掃除を終えているから、中に入って朝食を作り始める。
 そしていつも通りに朝食を食べにみんながやってくる。リシェルにルシアン、それにグラッド。
「おっはよー!」
「おはよう、ライさん」
「よう、来たな」
「ようライ、今日も来たぞ」
 どきん、と思わず心臓が跳ねる。グラッドはいつも通りに挨拶してるだけなのに、どうして俺ばっかりドキドキしちまうんだろう。そう思うと照れくさくて、「うん」とか顔を背けながら言ってそそくさと厨房に入るしかできない。
 リュームに横目で見られながら、顔を赤らめつつ料理をする。いつだって厨房に立つ時は気合を入れているけれど、グラッド(や、みんな)に食べてもらうのだと思えば気合の入りもいや増す。
 今日のメニューはローストチキンのホットサンドイッチとジャガイモ入りオムレツの温野菜添え、それにクルトン入りのコンソメスープと果物のヨーグルト和え。ジャガイモ入りオムレツは大皿に盛って取り分ける方式。グラッドにいっぱい食べてほしくて朝食はついつい大皿料理を一品出してしまう。
 そんな自分を少し恥ずかしく思いながら、「お待たせ!」と笑って料理とテーブルの上に置いた。
「お、うまそうだな!」
 グラッドはいつもそう言って笑ってくれる。その笑顔を見るとライはいつも赤くなって目を逸らさずにはいられない。まともに見てしまったら絶対自分は変になってしまう。
「……いただきまーす」
「……いただきます」
「いただきます!」
 自分も今日一日を乗り切るためにばくばくと朝食をとるが、視線はついついどうしても旺盛な食欲を見せるグラッドの方にいってしまう。グラッドはいつも食べっぷりがいいし、自分が作ったものをおいしく食べてくれてるんだと思うと嬉しいし、そういうもろもろが重なり合って食べてるところもカッコいいな、と見惚れてしまうのだ。
 しばらくするとグラッドは視線に気付いて、ん? というように笑いかけてくれる。その眩しい笑顔に猛烈に恥ずかしくなって、ライはばくばくと口の中に食べ物を詰め込んでしまったりしてしまう。
「ごちそうさまでしたっ!」
「………ごちそうさま」
「………ごちそうさまでした」
「ごちそうさま。うまかったぞ、ライ。いつもありがとな」
 そう言ってまたにこっとさわやかな笑顔。ライはだからもう笑顔の大安売りやめてくれよ、と言いたいくらいの気持ちで真っ赤になりながら「うん……」とうつむくしかない。
 そしてああ結局今朝も恋人らしいことなにもできなかったな、とため息をつきながら「さーて今日も一日頑張るか!」と去っていくグラッドを見送る。
 とやっていたその真っ最中にばーんと店の扉が開いた。
 店にいた全員の視線がそちらへ集中する。そこに立っていたのはむやみやたらに男らしい髭を生やしているむさ苦しい顔、わけのわからない材質でできた服のファスナーを胸まで開けた無意味にいやらしい格好をした、ごついわけではないのに驚くほど力強い体の持ち主――
「親父っ!?」
 仰天するライを無視して、ケンタロウはぎろりと凄まじい殺気の篭もった目で店の中を眺め回し、言った。
「グラッドってやつは、どいつだ」
「は?」
 ぽかんとするライ。なんだよ、突然帰ってきてその台詞?
 反射的にか周囲の視線がグラッドに集中する。グラッドは少しばかり怖気づいたような顔をしたが、すぐに咳払いをして手を上げた。
「えー、俺、ですが」
 ケンタロウがそちらを睨み、なぜかにぃ、と笑う。
「そうか、お前が………」
 そして笑った直後に剣を抜いてグラッドに斬りかかった。
「どわわわっ!?」
 ぎりぎりのところで槍を使い受けるグラッドに、ケンタロウは迫力のある笑みをさらに深くした。
「ほう、やるじゃねぇか。その槍使いと同じ調子でウチの子にも突っ込んでたぶらかしたのか、あァ?」
「え、へ、え!?」
『……たぶらかす?』
「勝手なこと言うな親父! 俺は別に兄貴にたぶらかされてなんかねぇぞっ! ……どっちかっつーと、俺の方が、頼んで、恋人にしてもらったみたいなもんだし……」
 カッとして叫んでから一気に勢いを減じて顔を赤らめながら続けるライに、なぜかグラッドは「ライ……」と顔を赤らめケンタロウは壮絶な目でグラッドを睨んだ。
「よくもまぁ仕込んだもんだな……夜の方も仕込みは順調か?」
「え、いや、それはまだこれからで」
「なに抜かしてやがんだウチの子に手ェ出す気かこの変態、ぶっ殺す!」
「わ、どわーっ!」
「兄貴っ! 親父、やめろよ!」
 思いきり本気の勢いで始まった打ち合いにライは叫ぶが、まるで耳に入った様子はない。なんなんだなんで親父が、と思いつつも自分を『ウチの子』と呼んでくれたことで少しくすぐったいような気持ちになっていると、ふいにくいくい、と袖口を引かれた。
 振り向くと、そこにはフードをかぶった短髪の浮世離れした美少女と、切れ長の目の女性が立っている。美少女の方のえへ、と照れくさそうに笑う仕草に、記憶が刺激されてライは叫んだ。
「お前……エリカ!?」
「久しぶり、お兄ちゃん」
 ふんわりと笑うその笑顔には確かに十年前の面影がある。だがいつも人見知りで初めて人と会う時はいつも泣いていたエリカが初対面の相手がこんなにいる中で笑っているのだと思うと、自分と同様にエリカにも十年の歳月が流れているのだということを実感した。
「久しぶりね、ライ。大きくなったわね、少なくとも顔はメリアージュ似に育って、よかったわ」
「…………ごめん、誰だっけ?」
 話しかけてきた女性にそう言うと、女性はかっくんとコケながらもすぐに立ち直って苦笑してみせた。
「仕方ないわね、あなたはまだ小さかったもの。でも私はちゃんと覚えてるわよ? 泣き虫だったあの子がずいぶん立派に成長したこと」
「え……なんか、その皮肉っぽい口調、どっかで……」
 ライはしばし考えて、やがてぽんと手を打った。
「思い出した! ナイアのおばちゃんか!」
 ピシィ、とナイアのこめかみに青筋が立つ。つかつかと歩み寄り、ライの耳をぐいぐい引っ張った。
「ほんっとうに、性格はケンタロウそっくりね。微妙な年頃の女性におばちゃん呼ばわりは失礼だって何度も教えたでしょう?」
「ててっ、いてーよっ。だって母さんの親友なんだからおばちゃんだろっ?」
「こっのっ子っはぁ……」
「いてぇっ、放せって!」
 耳をつかむ手をもぎ放して、ライはエリカに向き直る。
「本当に久しぶりだな……でも、どうしたんだ? 突然。もう病気、治ったのか?」
「……ううん。お父さんがもらってきてくれた薬でだいぶよくはなってるんだけど、完全には」
「そうか……けど、十年ぶりに会えて嬉しいぜ、エリカ。ナイアのおばちゃんもな」
「うん、私も……お兄ちゃん、すっごくカッコよくなったね」
「ば、なに言ってんだよ」
「ううん、本当に。女の子にモテるでしょ?」
「んなわけねーだろ。それより、せっかく戻ってきたんだ。なんか作ってやろうか? 俺料理けっこううまくなったんだぜ」
「あ、食べたい! お兄ちゃん、宿屋さん切り盛りしちゃうくらい料理上手になったんだよね!」
「あなたたち……それよりも今戦ってる最中の二人をなんとかしようとは思わないの?」
『あ』
 声を揃えて武器を交える二人を見る。ケンタロウの凄まじい打ち込みに押されてか、グラッドの顔はひきつり冷や汗が浮いていた。必死に剣を受けるグラッドというのを冷静に見れるなんてめったにないのでちょっと嬉しかったりもしたが、そんなことを言っている場合ではない、止めなくては。
 と一歩前に進み出た時、低い声がかかった。
「ちょっと待ちなさいよ、ライ、エリカ」
「え……あ、リシェルちゃん!? うわぁ久しぶりだね、元気だった?」
「とっても元気よ。それより、おじさんいったいなにしに来たのか教えてくれる?」
「え……なんでも、お兄ちゃんをたぶらかした人がいるとかで、家に戻って叩き出してやるってお父さんは」
「たぶらかされてねぇっつってんだろ!」
「まぁ、ケンとしては一足早い花嫁の父の気分なんでしょ。なんにもしてやれなかった分これから息子を任せる相手くらいはしっかり見定めてやりたいってことじゃないかしら」
「なんだよ、それ……」
「え、えーと、ライさん。それってつまり」
「グラッドさんとあんたが、付き合ってるってこと?」
 リシェルに改めて訊ねられ少し照れたが、ライはこっくりとうなずいた。
「ああ」
「……ふ……ふふ、そう、そーいうこと。最近変だ変だと思ってたらそーいうことなの」
「お……おい、リシェル?」
 低く笑う声に不穏なものを覚え声をかけたが、リシェルはこっちの話を聞いていない。
「さんざん恋愛小説のよーないちゃつきっぷりを見せつけられて、そんでおじさんまで出てきて花嫁の父で、あっさり『ああ』なんて答えちゃって、ふふ、ふふふ」
「ね、ねえさん、落ち着いて……僕もかなりうろたえてるけど」
「これが落ち着いていられるかぁぁぁっ!!!」
 目を据え髪を振り乱し、リシェルはサモナイト石に呪文を唱える。
「プロンプト・オン! ぶっとばしなさい、ダブルインパクトォォッ!!」
「ば……ちょ、おまっ!」
 空間が歪み、店の中に巨大な鉄の拳が現出した。それはびゅおん、と風を切り裂いて激しく打ち合う二人に突撃し。
「兄貴っ! 親父っ!」
 どっごぉぉん。強烈なインパクトを食らって二人揃って吹っ飛ぶ。床が壊れなかったのが不思議なほどだ。
 慌てて駆け寄り二人に意識があるのを確認してから、ライはリシェルをきっと睨んだ。
「おいリシェル、お前なに考えてんだよ、そりゃ親父はめちゃくちゃだけど兄貴は悪いこと」
「うるさいっ! うるさいうるさいうるさーいっ! あたし、帰るっ!」
 怒鳴ってリシェルは足音も高く店を出ていく。「ご、ごめん、ライさん!」と叫んでルシアンもあとを追った。あとに残されたライは、「なんなんだ……?」と頭を抱えてから、グラッドの回復にかかった(ケンタロウはまだちょっとわだかまりがあるのでエリカに任せた)。

「……で、どーしてこーなるんだ……?」
 裏庭に開かれた宴席に、ライは思わず深々とため息をついた。
 宴席というのは正確ではない。裏庭にナイアが召喚した蔦で柵が作られた試合場。そこで対峙するグラッドとケンタロウを、自分たちは今テイラーが召喚した観覧席から見ている。
 席についているのは自分、エリカ、ナイア、リューム、セイロン、それにテイラーとなぜかリシェルにルシアンにポムニット、ミントとオヤカタまで揃っている。
「まったく、くだらん! わしの手をこのようなことで煩わせるなというのだ!」
「意地っ張りねぇ、テイラー。子供たちが心配だって素直に言えばいいのに」
「グラッドさんとライさんが……グラッドさんと、ライさんが……」
「う、うーん……なんだかこの状況複雑だよ……」
「ライくんがグラッドさんと付き合ってたの……それはすごいね、びっくりだよ。ね、オヤカタ?」
「ムイムイッ」
「……ふんっ」
「つーかさー、みんなしてあいつらの惚れた腫れたに顔つき合わせんの不毛じゃねぇ?」
「はっはっは、善哉善哉」
「お兄ちゃん、私そろそろお父さんの付き添いに行くから、恋人さんのところに行ってあげたら」
 エリカに言われ、ライは再度ため息をつく。
「……いや、つうかな……当然みてーにこの状況に流されてることに、疑問とか持たねーか、エリカ?」
「え、だって私だってお父さんの意見には賛成だもん。お兄ちゃんをそう簡単にお嫁にやるわけにはいかないよ!」
 はー駄目だこりゃ、とさらにため息をつき、ライはグラッドのいる場所へと下りていった。
 リシェルの召喚術から回復したケンタロウとグラッドは、ライ(とエリカ)を交えて改めて話し合った。ときおり拳も飛び交ったその話し合いは、なぜか「ウチのガキと付き合いたいなら俺を倒してからにしろ!」というところへ落ち着いてしまったのだ。
 なんでそうなるんだクソ親父。突然こんなことに口出ししてきやがって。
 口の中で呟きながら試合場の片方の端で誓いの槍をきゅっきゅと磨いては革をかぶせているグラッドに、ライは近づき声をかけた。
「兄貴」
「ライ」
 グラッドはこちらを向いて笑ってくれる。それにほっとしながら近づいて囁いた。
「別に親父なんか相手にしなくてもいいんだぜ? あいつに口出しされる筋合いねぇし」
「いや、その……まぁ、突然なのは焦ったが、一生を共にしようと思うならご両親に認めてもらうのは大事なことだろ」
 少し照れくさそうに鼻の頭をかきながら言うグラッドに、体温が上昇した。
「な、なに言ってんだよ、兄貴……」
「それにな。俺にも理由があって親父さんの持ちかけた勝負を受けたんだ。別に不本意なわけじゃない、心配しなくていいぞ?」
「兄貴……」
 少し不安になって見上げると、照れくさそうに笑って頭をわしゃわしゃとかき回してくれる。その心地よさに目を閉じると、怒鳴り声が飛んできた。
「俺に勝つ前にそのガキに手ェ出しやがったら殺すぞ、若造!」
「いちゃついてんじゃないわよあんたたちっ!」
「いちゃついてねぇよっ!」
 思わずリシェルに怒鳴り返すと、グラッドはまた笑ってぽんぽんと頭を叩いてくれる。その手は心地よかったが、見上げると心底真剣な顔でケンタロウを見つめるグラッドに、思わずどきりとしてしまった。

「勝負は一回、まいったと言うか気絶するかした方が負け。双方ともいいな」
「おうよ」
「はい」
「では……はじめっ!」
 テイラーの掛け声と同時に、ケンタロウが動いた。速い。迅雷の速度で間合いを詰め、凄まじい勢いで振り下ろす。
 それをぎりぎりでかわして槍で突き返しながら、グラッドは隙をうかがった。ケンタロウの強さはさっきの喧嘩で充分にわかった、そう簡単に勝てはしないだろうというのは嫌でもわかる。
 だが、自分だってそう簡単に負けはしない。
「ふっ!」
 受けて突く、払う、かわす、薙ぐ。苛烈な攻撃を防ぎ反撃することを繰り返す。
「おじさーんっ、グラッドさんなんかやっつけちゃいなさいっ!」
「ちょっとくらいやっちまってもいいぜっ、おっさん!」
 観覧席から野次が飛ぶ。ライを奪った奴としてそこらへんは受け入れざるをえないだろうが、こちらとしたって負けるわけにはいかないのだ。
 ケンタロウの強さは嫌でも認識させられた。白夜の連中と何度も戦いを繰り返し鍛錬していなければとうに打ち据えられていただろう。
 だが、自分にも意地と、誇りがある。なにより、自分はライを(改めて言うのも気恥ずかしいが)愛しているのだから。
「若造、てめぇウチのガキのどこに惚れた」
 何度目かの鍔迫り合いのときにケンタロウが囁いてきた。ぐいっと全力で押し返し即座に穂先で切り払いながら、グラッドは答える。
「意地っ張りで、寂しがり屋なところですっ!」
「じゃああいつが寂しくなくなったら飽きちまうんじゃねぇのかよっ!」
 ぶおん、と音が遅れて聞こえたような気がするほど速い打ち込み。グラッドはそれをぎりぎりでかわして突きを放つ。
「飽きませんっ。俺は、あの子を俺の手で、幸せにしてやりたいんですっ」
「口じゃあなんとでも言えりゃぁな!」
 疾風の飛び込み突き。防ぎきれず肩に激痛が走ったが、その程度で動きに支障が出るような鍛錬はしてきていない。
「俺もあなたに、聞きたいことがあるっ」
「あ? 言ってみろ若造!」
「なんであなたはたった五歳だったライを、一人ぼっちにしたんですか!」
 だんっ、と踏み込んで放った突きを、ケンタロウは受け損ねた。胸に突きが一発入る。
「っ!」
「あの子は、たった一人で、ずっと頑張ってきた。その寂しさに、俺もなかなか気付いてやれなかった」
 左から槍で薙ぐ。ケンタロウは剣で受けたが、即座に切り返して上から穂先を脳天に振り下ろす。
「ぬっ……!」
「ライは、あの子はあなたに捨てられたと思ってる。そしてそれをずっと引きずってる」
 それを下がりながら受けたケンタロウに、槍をすっと引き即座に突きを放ちながら最適な間合いを取り。
「あの子は本当にいい子に育った。ちゃんとした奴に育った。だからいまさら責任がどうこう言えないし俺が言うのは筋違いだ。だけど、だから、あいつに惚れた一人の男としてあなたに言いたい!」
「くっ!」
 だんっ、と地面を蹴って全速の突きを放つ。
「あの子にちゃんと向き合って、解放してやってください!」
「ぐ……く、うが……!」
 自己流で編み出した技、我流・紫電槍。嵐のようだ、とライに言われたこともある攻撃。
 その怒涛の攻めに、ケンタロウは苦痛の声を漏らしながら膝をつき、剣を取り落とした。
 はぁ、はぁ、と荒く息をつきながらケンタロウを見つめる。全力を叩き込んだ、言うべきことは言った。ライをもらうというか、両親への挨拶というのはまた別にこなさねばならないわけだが、今ライの父親に向けた思いは表せたと思う。
 ケンタロウはひどく苦い顔をしてこちらを見ていたが、やがて「あー、クソッ!」と叫んで頭をがしがしとかき回し怒鳴った。
「わーったよ、チクショウ! 俺の負けだ! 結婚なりなんなり好きにしやがれ!」
「え……」
「なに馬鹿なこと抜かしてやがるクソ親父っ!」
 がんっ、とケンタロウの頭に石が命中する。「ぐはっ!」と呻いてケンタロウは地面に倒れた。投げた張本人、ライは柵を乗り越えてこちらに走り寄り怒鳴る。
「男同士は結婚できねぇし、第一俺たちはまだ……っとにかく! 兄貴のこと認めたんだったら、馬鹿ばっかやってねぇで、ちゃんと兄貴に謝れよ!」
 それからとたんに勢いを減じ、赤くなってぽそぽそと言う。
「兄貴は、俺の……すげぇ、大事な人、なんだから……」
「……ライ」
 可愛い、と思ったら反射的に肩を抱いてしまっていた。やってからやば……! と思って固まったものの、なぜかライの妹がぱちぱちと拍手をしてきてそれに流されたのか観客席の連中が全員で手を叩き始め、祝福されているような状態になってしまう。
 あとで方々に言われた。
「しょうがないから、あの馬鹿のことはグラッドさんにあげるわ。……あいつが、あんな顔したの、グラッドさんの前だけだし。グラッドさんがおじさんに言った時、すごい嬉しそうな顔したし……だけど! もし今後あたしの幼馴染を不幸にするようなことがあったら、ゼルギュノスぶっ放すからね!?」
「その際はわたくしも参加いたします!」
「言っとくけど、俺もその時は本気出すぜ?」
「ふん……あの小僧がどうなろうと知ったことではないが、もし仕事などに悪影響を及ぼすことがあれば、雇い主としてお前には一生冷や飯を食わせてやるくらいの報復はさせてもらう。覚えておけ!」
「は、ははは……はい」
 猛烈な勢いに気圧されはしたものの、グラッドは引きつり笑いをこぼしながらもうなずいた。ライは一人で生きる時間が長かったかもしれないけれど、多くの人に愛されている。
 胸にずっしりと、責任の重みを感じて、グラッドは粛然とした。

 試合が終わると、ケンタロウが「よっしゃ、そんじゃ結納といくか!」とわけのわからないことをぬかして宴会が始まった。店は強制休業、というかやってきた街の人たちも宴会に巻き込まれた。試合観戦した者は当然のように強制参加(テイラーすら)、というむちゃくちゃなその宴会は、ケンタロウが料理の腕前を振るったり宴会芸が披露されたりとにぎやかで、なぜかそこでライはグラッドと並ばされて一緒に酒を杯に三杯飲まされたり頭を下げさせられたり手を打たされたりまた頭を下げさせられたりと謎の行為をさせられた。
「グラッドさん、お兄ちゃんをよろしくお願いしますね」
「は、はぁ……全力を尽くします」
「ライくんを幸せにしてあげてくださいね、グラッドさん」
「はっはいミントさん、全身全霊で精励恪勤させていただきます!」
「あの子のことを途中で放り出したらメリアージュに代わって呪殺するわよ」
「は、はぁ……気をつけます」
 そんな風にやたらグラッドになんやかや言いに来る奴らが多くてライとしては無性に恥ずかしかったが、長いこと続いた宴会の中で何度か口に入ってしまった酒に酔ったのか、こてんと眠りに落ち。
 目が覚めると、店の中は沈没した奴らがごろごろ転がる大惨事になっていた。うへ、と顔をしかめて立ち上がる。少しふらつきはしたが体は軽かった。
 料理の残りをちょっとだけつまむ。親父の味だ、と思った。親父の料理なんて十年ぶりだ。自分と比べれば今の自分の方が腕は上だという自負はあるが、この味が自分の基本になっているのは否めない。
 グラッドは隣にいない。兄貴もう帰ったのかな、と少し寂しくなりながら外に出ると、壁に背を預けて一人夜空を見ているケンタロウに出くわした。
「よう」
「……おう」
 いまさら喧嘩を吹っかけるのも妙な気がして、隣に並んで空を見る。ケンタロウが隣にいるのに妙に落ち着いた気分だった。グラッドがケンタロウに向けてくれた言葉のせいだろうか。
「……なんだったんだよ、あの宴会」
 しばし無言の時間が過ぎ、なんとなく間がもたなくてそんなことを聞く。ケンタロウはふっと笑った。
「俺の故郷じゃ結婚式は家族友人みんなで大騒ぎするって決まってんだよ」
「な……けっこ……!?」
「騒ぐなって。寝てる奴らが起きるぜ?」
 くっくと笑ってケンタロウはライの口に指を当てる。ライはカッと顔を赤くしてその指を振り払い言った。
「だっから、男同士は結婚できねぇだろっての!」
「俺の心情としては変わんねぇよ。ったく、エリカの時もこんな思いするのかと思うと、今から気が重ぇぜ」
「…………」
 ライは思わず黙り込む。ケンタロウの言葉に、不思議に重い寂しさが感じられたような気がしたからだ。
 まさかな、と思い首を振る。じっと星空を見つめ続けるケンタロウに、小さく訊ねた。
「お前、マジでなにしに戻ってきたんだよ」
「バーカ、お前の男がお前を任せられる奴か見極めにに決まってんだろ」
「な……」
「お前にはなんにもしてやれなかったくせにな……親心だけは一丁前に持ってるってのも厄介なもんだ。けど、お前が男に惚れたっつーんなら、そいつの器を確かめずにゃいられなかったんだよ、俺ぁな」
 ライは思わずまじまじとケンタロウを見つめた。なんだよ、まるで、こいつの言い草は。
「お前にゃさんざん振り回して放ったらかしにするしかできなかったけどよ。それでも、俺に言われるなんざ噴飯ものだろうたぁ思うが、それでも俺はお前に、幸せになってほしいって思ってるぜ。世界の、誰より」
「おや……」
「俺はお前を愛してる。お前が俺たちのとこに来てくれてからずっとな。ずっと一人にして、悪かったな、ライ」
「…………」
 呆然とライはケンタロウを見つめた。ケンタロウはわずかに苦く笑んで、くしゃりとライの頭をかき回す。
「泣くなよ。……もうこれからはお前の泣く場所は俺の前じゃねぇだろ?」
「な……にいって、つか泣いてね……」
「あいつのとこに、行ってこいよ。お前の部屋で待ってるぜ」
「……っ」
 ライはたまらない思いで駆け出した。どうしよう、心の中のものが溢れ出しそうだ。受け止めてほしい。自分のありったけを誰かに注ぎ込みたい。
 できるなら、それは。今の自分は。誰か≠カゃなくて、自分の大好きな、あの人に受け止めてほしいと思ってしまうのだ。
「兄貴……」
 そっと部屋の扉を開けて、おそるおそる荒い息の下から言ったライに、グラッドは振り向いて照れくさそうに笑ってくれた。
「よう、起きたのか、ライ」
「………っ」
 たまらなくなって抱きつく。受け止めてくれるんだ、この人は。俺が寂しい時、辛い時、嬉しすぎて苦しかったりする時だって、頼ってもいい人なんだ。
 目の前が涙でにじむ。胸の奥が奇妙な幸福感で溢れていた。そうだ、この人が、俺の恋人なんだ――
 しばらく抱きつきながら頭を押し付けて、頭を撫でられ抱きしめられて。ようやく恥ずかしくなって顔を離して見上げると、グラッドの顔はなぜか切羽詰っていた。というかぶつぶつとなにか呪文のようなものを唱えている。これは、法律の条文?
「……兄貴、なにぶつぶつ言ってんだよ」
 思わず問うと、グラッドは咳払いした。顔が赤い。
「いや、そのな。まぁ、我慢しようとしてるんだよ、これでも」
「我慢って……なにを?」
「いや、あのな……」
 グラッドは顔を赤くしたままなにか逡巡する様子を見せたが、やがて覚悟を決めたようにうなずいてきっとこちらを見つめ言う。
「ライ。結婚式を終えた男女が夜二人っきりですること、してもいいか」
「……は?」
「つまり、なんだ、その。……抱いてもいいか?」
「抱いてるじゃん」
「いや、だからな……男女なら子作りに相当すること、してもいいか、って聞いてるんだが」
「っ!」
 ライは顔にぼんっ、と血が上るのを感じた。子作り。子作りって、以前親父が俺にやって、俺がリュームにやった、あのことだよな。
 あれを、兄貴が、俺に?
「兄貴……俺に、そ、そういうこと、したいの?」
「したい。めちゃくちゃ」
 グラッドは赤い、だが真剣な面持ちでうなずく。
「だ、だって、今まではそんなことなかったじゃんか。以前と全然変わらなくて、フツーで」
「んなわけないだろ、我慢してたんだよ。まだ子供のお前にほいほい手ぇ出すのも人の道に外れてるかと思って……それまでも我慢してたから慣れてたし」
「……マジ?」
「大マジだ。けど、ご家族に挨拶もして、結婚式みたいなこともして、いうなれば初夜という状態で。ここでまで我慢するのは、そっちの方が間違ってるみたいな気がしたから」
「………あ」
「ライ。お前みたいなまだそういう欲望もない奴にそういうことをするのは間違ってるとは思うんだが、できるなら、どうか抱かせてくれないか」
「…………っ」
 ライはぼすん、とグラッドに頭を叩きつけた。そしてぐりぐりぐりと擦り付ける。
「……ライ?」
「兄貴のバカヤロー……」
「へ」
「そんなこと考えてんだったら、早く言えよ……」
「ラ、ライ?」
 俺てっきり兄貴が俺のことそういう対象に見てないんじゃないかって思っちゃったじゃねぇか。恋人らしくないなんて必死に考えちまって馬鹿みてぇ。
 そんなことを言うのは恥ずかしすぎるので、ライは泣きそうだと自分で理解しながらも。
「好きに、しろよ」
 そう言って背伸びしてそっとキスをした。

 夜の闇の中、明かりは窓から落ちる月明かりだけという状況で、二人はベッドの上で座って向かい合う。どちらも恥ずかしく照れくさくて、まともに相手が見れないくらいだったけれど、それでも必死に。
「よ、よろしくお願いします……」
 目が合うと、グラッドが赤くなりながら頭を下げてきたので、くそー死ぬほど恥ずかしいっ、と思いながらもライも頭を下げ返した。
「……よろしく、お願いします」
 グラッドが真剣な顔で、すっと手を伸ばしてきた。頭が引き寄せられる。キスだ、と思ってライはわずかに身を固くして目を閉じた。
 予想通り、グラッドの唇が自分の唇に触れる。温かくて、少しがさがさしているけれど柔らかい、大好きな人の唇。
 だがその唇が軽くついばむような口付けを繰り返しながら顎、喉と下りてくるのを感じて、ライは思わず固まった。
 これって、つまり、俺の体に、兄貴の唇が……。
 ぼんっと、考えただけで火を噴きそうな状況に、ライは頭がくらくらするのを感じた。グラッドの唇は喉から鎖骨に移り、ライの上着の前をいつの間にか大きくくつろげている。
「ライ……ちょっと腕、上げてくれるか」
「なん……で?」
 問い返す声もすでに掠れている。
「服、脱がすから」
 答えるグラッドの声も掠れていた。
 真っ赤になりながらもライはうなずいて、素直に腕を上げる。グラッドは腕のところに少し手間取り、「くそ、この」などと言いながらもすぽんと上着を脱がせた。
 それから、じっとライの体に視線を注ぎ、震える声で囁く。
「下も、脱がせていいか」
「っ!」
 カッとさらに頭に血が上ったが、ここまできてがたがた言っても始まらない。ライはベッドのシーツをぎゅっと握り締めながら、こくんとうなずいた。
 グラッドはごくりとなにかを飲み込むようにしてから、勢い込んでライのズボンを取り去り始めた。半ズボンをずり下ろし、股間のところを隠していた黒の下着も取り去り――ライは、完全に生まれたままの姿になる。
「…………」
 ごくり、と唾を飲み込む音が小さく聞こえた。ライは恥ずかしくて恥ずかしくてもう泣きそうになりながら、おそるおそる言う。
「……あんま、見ないで」
「無理だ」
 きっぱり否定された。
「好きな相手の裸を目の前にして、じっくり見ない男なんていない」
「……っじゃあ! 兄貴も脱いでくれよっ!」
「え」
「俺だって、兄貴の裸、見てみたい……」
 言いながら恥ずかしくなって声は掠れて消えた。だがグラッドはまた小さく唾を飲み込み、凄まじい早さで服を脱ぎだす。
 上着、ズボンをベッド脇に放り捨て、下着も思いきりよく脱ぐ。よく鍛えられ、均整の取れた体があらわになった。
 そして、同時に股間の、猛々しいまでに勃ち上がったものも目に入り、ライの心臓は死にそうなくらいの速度で早鐘を打つ。どくんどくんどくんどくん、もう泣きそうで死にそうだ。
 グラッドはゆっくりと上体を倒し、裸の体をそっと擦り付けながら(太腿の辺りにひどく熱い滾りが感じられてライは惑乱した)ライにキスをする。ちゅ、ちゅ、と何度か繰り返して、それから小さく囁いた。
「口、少し開けて」
 もはやなにがなんだかわからないまま、言われた通りに口を開けると、ぬるっと口内にぬめぬめしたものが侵入してくる。舌だ、とわかった。大きく分厚くてぬめぬめした舌は、最初は遠慮がちに、やがて大胆に口中を探って舐め回してくる。
 頭の中がぐるぐるする。なんで? なんで舌? だけどなんだろう、なぜかこの舌は心地いい。口の中を舐められて心地いい。ライは思わず自分も舌を伸ばしてグラッドの口内に侵入させようとした。グラッドの舌にぶつかった。グラッドの舌は一瞬驚いたように固まったが、すぐにさらに勢いを増してライの口内を蹂躙する。
 口の中を思いきり舐めて、舌と舌を絡め合わせて、時々ちゅっと吸って。飢えた獣ががっつくように、唇を軽く噛まれた時は飛び上がりそうになった。
 一瞬のような長時間のようなキスを終えて、グラッドの唇がライのそれから離れる。そしてずっ、と大きく移動した、とぼんやりした頭で思っていると、突然ライの股間の男の徴が温かいものに包まれた。
「え、へ!?」
 わけがわからず上体を起こして仰天する。グラッドが、ライの男性自身を咥えていた。
 ちゅ、ぢゅ、と音を立てながら、吸ったり、揉んだり、舐め回したり。そのたびにライの体にぞくぞくぞくぅ、と快感が走る。
「わ、や、兄貴、ちょ、ま」
 おかしい。こんなのおかしい。普通しない。することじゃない。
 そう首を振りながら訴えても、グラッドは聞いてくれない。そしてその唇は、ライに鮮烈な快感をもたらしてしまう。
「兄貴、やだ、兄貴、きたな」
 ちゃっ、と音がしてなにかぬめぬめした、そして太く固いものがライの後孔に触れた。兄貴の指だ、俺の尻の穴馴らしてるんだ、と頭のどこかで思った。
 ああでも、気持ちいい。尻の穴を弄られて、広げられて、同時に股間のものを咥えられて、こんなのおかしいんじゃないかってどこかで思ってるのに、たまらなく気持ちいい。
 グラッドの口内で自身がびくんびくんと震えるのがわかった。濡れた指が少しずつ奥へ奥へと分け入ってくる。それがさらに深い快感をもたらす。
「あ、だめ、兄貴、だめだよ俺っ、出ちゃう、でちゃ……あーっ!」
 びゅくっびゅくんぴゅくぴゅくにゅく。
 たまらない絶頂感と開放感。ふーっと体から力が抜けて、ライはぐったりとベッドに倒れ伏した。
 グラッドはげほげほ、と咳き込んでいる。口の中で出しちまったからだ、と理解して、思わず顔から血の気が引く。
「ご、ごめっ、兄貴、ごめん、大丈夫か!?」
「いや、まぁ、平気だ。……気持ちよくなってくれたんなら、よかった」
 げほげほと何度も咳き込みながら言うグラッドに、ライはさらに顔を赤くした。自分がひどく乱れてしまった自覚がある分、たまらなく恥ずかしい。
 そしてグラッドは、身を縮めるライを真剣な顔で見て、言ってきた。
「今度は、俺を気持ちよくさせてくれるか」
「……俺も、やんのか……?」
 あんなことできるのか!? と呆然とするライに首を振り、グラッドはさらに言う。
「俺のを、お前の尻の穴の中に挿れたいんだ」
「…………っ」
 あくまで真剣な顔で言うグラッドに、ライは場をわきまえず吹き出してしまいそうになった。だって、確かにそういうことやるんだけど改めて言うと馬鹿みたいだ。
 でも、その言葉と同時に体の奥がずきゅんと疼いたのも確かだった。グラッドのものが自分の中に入ってくる。それは、恐怖と、同時に興奮を感じさせる思いだった。
 ライはすうはあ、と一度深呼吸し、うなずいて、見上げるようにグラッドを見つめ言った。
「俺のこと、兄貴の好きにしてくれって、言っただろ」
「……ライッ……!」
 グラッドが吠えるように叫び、自分を押し倒してきた。「わっ」とライは小さく叫び声を上げるが、それに逆らわず素直に倒れる。
 グラッドはライの脚を大きく持ち上げて開かせる。ライの恥ずかしいところがグラッドに丸見えな格好。ライは強烈な羞恥に顔を赤くしたが、グラッドははぁはぁと荒い息をつきながら後孔に自身を挿入してくる。
 ずっ、ずっ。ゆっくりと、熱く、固く、どくんどくんと脈打つものが、ライの体を押し広げ中に入ってくる。それは痛みを覚えさせる感覚だったが、それよりも圧迫感が、驚くほどの存在感がライを圧倒した。
 今、グラッドが。兄貴が、俺の中に入ってる。息をはぁはぁ荒くしながら。必死に唾を飲み込みながら。興奮しながら、俺の中に、ちんちんを挿れてくれてる。
 その認識は、ライの体温を一気に上げた。
「あっ、あぁっ、兄貴、兄貴兄貴、あくっ……!」
「ライ……ライ、ライ、ライ」
 体中をまさぐられている。だけどよくわからない。体中が脈打っていてどこもかしこも心臓みたいになっている。
 自分の喘ぎ声が遠くに聞こえる。グラッドの掠れた、自分の名前を呼ぶ声がひどく耳に近い。兄貴が、俺の中も外もいっぱいにしてる。
 ずっ、ずっ、律動、リズム、心と体の鼓動。自分のものと、グラッドのものが混ざり合ってわけがわからなくなる。体中に兄貴の手、体の中心に兄貴のもの、体の表面中に兄貴の声――
「あーっ……あーっ、あっあっ、あーっ……」
「ライ……ライ、駄目だ、もう……っ」
 自分が達したのか、兄貴がどれだけ達したのか、ライはよく覚えていない。ただ、体中が、グラッドで満たされた感覚だけが身に迫って感じられた。

 ライはぼんやりと目を開けた。早朝の薄い光が自分を照らしている。
 なんだかまだ夢を見ているようで、記憶が判然としない。ただ、たまらなく、温かくて、いいや熱くて、なにもかもがいっぱいで……。
 それから自分の体を温もりが包んでいるのに気付いた。逞しい、大きい腕と体。安らかで規則的な優しい寝息。それが自分の周りに在る。
 そうだ、自分はこの人のそばにいていいんだ。
 そうぼんやりと考えて、それがひどく幸せなことだと気付いて、ライはグラッドにすり寄りながら再び眠りに就いた。

 朝、普段通りの時間に目が覚めたライは、裸で自分の隣に寝ているグラッドに赤面しながらも起こし、いつも通りに店を開けた。前日の惨状を手早く片付けて、食材を準備して、従業員たちを叩き起こして。その日はそれにケンタロウたちも加わったが。
 飯を食ったら出発するというケンタロウと口論をしたり、エリカと笑いあったりしながら朝食を食べさせて。人は違えどいつも通りのような朝。
 だけど、いつもと違うのは。
 グラッドと目が合うと、お互い恥ずかしくなって頬を染めながらも、そっと微笑み合えることだった。

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