掛け違う、胸の釦
 ラウスブルグが――ライやリュームやエニシアたちが旅立ってから、一ヶ月。『忘れじの面影亭』に明かりが灯ったと聞き、全員慌てて集合しドアを開けると、そこにはたまらなく懐かしい、食欲をそそる香りが漂っていた。
『ライ(くん・さん)!』
 思わず声を揃えると、厨房からひょいと、一ヶ月前と変わらない笑顔が現れる。そして言った。
「よう、ただいま!」
 その笑顔に思わずわっと駆け寄り、全員でライを取り囲んで話しかける。
「遅いわよ、ライ! なにやってたのよ、パパなんかいつになったら帰ってくるのだっておかんむりだったんだから! まぁ、あたしはどうせこのくらいはかかるって思ってたけど」
「おじょうさま、素直におっしゃったらいかがです? 毎日暦に印をつけてため息をついていらっしゃったじゃないですか」
「なっ、なによっ! ポムニットだって元気なかったくせにっ」
「ライさん、お帰りなさい! リュームくんたちは?」
「ああ、あいつらはラウスブルグを安全な場所へ運んでる。俺だけ先に降ろしてもらったんだ」
「亜人のみんなは無事帰れたの? エニシアちゃんのお母さんは探せた?」
「ああ、どっちも完璧! エニシアも母親とたっぷり話できたしな。残るか戻るか迷ってたみたいだけど……俺らが戻りたいって思ってたこともあって、ラウスブルグで暮らすことになったんだ」
「まぁとにかく……本当に、無事でよかったよ。おかえり、ライ」
 この一ヶ月の間の心配と寂しさが溶けていくような喜びにしみじみとした笑みを浮かべながら、グラッドはひょい、とライの頭に手を載せ、ようとして避けられた。
 え? グラッドは目をぱちくりさせた。今、俺、避けられた、よな?
 ライの顔はなぜか赤い。こちらから微妙に目を逸らしながら、早口で言う。
「なぁ、今忘れじの面影亭営業再会記念の新メニューの試作してんだけどさ。みんな、ちょっと試食してくんねぇか?」
「するするっ! こんないい匂いさせてるんだもん、久しぶりにあんたのご飯が食べたいわよ!」
「楽しみだなぁ。メイトルパでも料理の開発とかしてたの?」
「ああ、メイトルパにもミントねーちゃんのとこのぐらいうまい野菜はなかなかなかったけどな」
 楽しげに会話するライたちを、グラッドは少し呆然として見つめる。なんか、俺、軽く無視されてませんか?

 最初は気のせいかと思った。だが、ライはそれからも自分を軽く避け続けたのだ。
 飯を食いに行ってもまともに話しかけてくれないし。話しかけても微妙に顔を逸らしつつ用事思い出したとか言って逃げるし。他の人のいるところでは話してくれるが、それとても目を逸らしつつだったりすぐそっぽを向いたりしてまともに自分を見てくれないし。
 これは、たぶん、もしかして。
「……俺が妙なこと考えてんのがバレた、ってことなんだろーなぁ………」
 心当たりがありすぎるグラッドは、ランプの灯りの下深々とため息をついて駐在所の机に突っ伏した。
 確かに自分はライに、邪な気持ちを抱いている。弟分に対して抱きしめたいキスしたい体で慰めてやりたい、なんぞと思うのはもう変態としか言いようがないだろうし。それを知られてしまったのだとしたらライが自分を避けるのも当然だろう。他人に知られたら悶死したくなるような恥ずかしい感情なのに、もし本当にそれを本人に知られていたらと思うとグラッドはうぎゃあああと叫びながらごろごろ転がりたくなってしまう。
 言い訳はできない。邪な想いを抱いているのには言い訳のしようはない。でも、グラッドにもライを弟分として純粋に気遣う気持ちはあるのに、それすら今のライにとってはたぶん気色悪いと感じられるんだろうなと思うと、泣きたくなるし、死ぬほどへこむ。
「はぁぁ……なんであんなこと思っちまったかな、俺」
 ただの子供に対する保護欲でいいじゃないか。なんでキスしたいとかそういう方向に行くんだ。
 けれどその答えはもうわかりきっている。ライのあの時のたまらなく虚ろな表情。あれに自分は、心の奥をぎゅっとつかまれてしまったのだと。
 これが恋愛感情と呼べるものなのかどうか、正直グラッドには自信がない。傷ついたライの幸せを願うというより、自分に頼らせたい、自分が守ってやりたいという独占欲と苛烈な保護欲の入り混じった汚い感情を、恋なんて呼んでいいものか。
 第一、ライはもう一人で泣くことなんてないだろうに。この三ヶ月の間の問題はすべて解決した、仲間たちとはより強い絆を結ぶことができた。なによりリュームという子供がもういるのだから。
「……勉強するか」
 グラッドはのろのろと体を起こし、ペンを取った。自分で決めたことだ、最後までやり通さなくては。
「……兄貴、なにやってんの?」
「!?」
 かけられた声に、グラッドは思わずばっと声のした方を向いた。そこには、ライが立っている。一ヶ月前自分に一度だけ頼った時と同じように、気まずそうな表情で。
「ライっ!?」
 自分の頭の中をのぞかれたような気分になって、大慌てで立ち上がる。それから自分の挙動不審さに気付き、冷静に冷静に、と言い聞かせながら笑ってみせた。
「どうしたんだ、急に? まだ店はやってる時間だろ?」
「うん、今日は早じまい。お客さんもいなかったし、それに……ちょっと、兄貴と話、したくてさ」
「……俺と?」
 グラッドの心臓はどきりと跳ねたが、根性で顔の笑みは崩さずにすんだ。ライはいかにも気まずそうな顔で口元をむにゅむにゅさせていたが、やがて決然とした表情になるとぐいっと頭を下げる。
「ごめん、兄貴。こっち帰ってきてから、俺、感じ悪いよな」
「え……」
「避けてたんだ。その、理由は言えないんだけど、兄貴と顔合わせるの、なんか気まずいっつーか申し訳ないっつーか恥ずかしいっつーか……でもんなこと兄貴にしてみりゃ全然関係ないことなのにな。だから謝る、ごめん」
「………そうか」
 なんだ、バレたわけじゃなかったのか。心底ほっとしてグラッドは今度は心底からの笑顔を浮かべた。
「気にするなって。まぁ、そりゃ避けられてたのはちょっときつかったけど、理由があるならしょうがないさ。そういう時ってあるしな」
「うん……ごめん。ほんとに」
「だから、いいって。でも、なんで理由言えないんだ?」
 ライはカッと顔を赤らめた。
「そんなの、どーでもいいだろ! 言えねぇったら言えねぇんだ!」
「……はいはい」
 苦笑してやると、ライも照れくさそうな笑みを浮かべる。
「で、兄貴はなにしてるんだ、こんな遅くに? 報告書かなんか?」
「いや、勉強」
「勉強? なんの?」
 目を丸くするライに、一瞬言うべきかどうか迷ったが、すぐに心を決めた。いずれは知れることだし、どうせなら自分の口から思っていることを伝えたい。
「軍学校の上級科の編入試験を受けてみようと思ってな。そのための準備をしてるのさ」
 ライは目を見開く。
「……上級科って………なんでまた、急に?」
「別に、急に決めたことでもないさ。ほれ、お前にも何度か話したことがあるだろう? 俺の夢は、アズリア将軍の率いる『紫電』に、入ることだって」
「あ……」
「今まではな、かなわぬ夢のつもりでいたんだ。ただ、願望を言ってただけで、本気で努力をしてはこなかった。でもな、望みをかなえるために、みんなを守るために必死でがんばり続けているお前の姿を見ていて思ったんだよ。今のまんまで本当にいいのか? ってな」
 ライは目を見開いたままじっとこちらを見つめ聞いている。
「兄貴……」
「できる、できないじゃなくって、やってみる。そう決めたから、とりあえず、もう一度勉強を始めてみることにしたんだよ」
「そっか……」
 ライは目を伏せた。ややうつむき加減になりながら、小さく言う。
「だけど、編入試験に合格しちまったら、グラッドの兄貴はこの村の駐在軍人をやめちまうんだよな」
「……そういうことになっちまうな」
 そう。だから迷った。この一ヶ月の間も何度も迷った。
 けれど、それでも心にある想いは消せなかったのだ。
 このままじゃいけない。自分で自分を誇れるくらい、強く優しい軍人に、男にならなくちゃいけない。
 今の自分では、ライを胸の中で泣かせることは、きっとできない。それがわかったから。
 せめてライに男として負けないくらいになりたい、そう思ったのだ。そうでなければこのまま消えるのを待つしかないライへの感情が、あまりに情けなさすぎる。
「…………」
「しょげた顔するなよ? 別に今すぐ、どうこうなるわけじゃないぞ。次の季節の巡りがこなけりゃ、試験は受けられないし。そもそも、合格する保証だってないんだぞ」
 小さくうつむいて、目を伏せるライにグラッドは明るく言った。自分と別れ別れになることを悲しんでいるのか、と思うとグラッドの胸の中に燃え上がるものはあったが、それを兄貴分に対する思慕の念以外からくるものだと勘違いするほどグラッドは我を失っていない。
「するさ・・・兄貴なら、きっと合格できるよ」
 ライはゆっくりと顔を上げ、笑顔になって言った。その笑顔にまで思わず心臓を高鳴らせてしまい、なに考えてるんだ俺は、とグラッドは自分を戒める。
「今まで、一所懸命に町の人たちのために頑張ってきたんだ。その頑張りがあれば編入試験だって、突破できるって思う!」
「ライ……」
「兄貴が、この町からいなくなっちまうのはさびしいけど……でも、オレは兄貴のことを応援するぜ。だって、夢ってのはかなったほうが絶対にいいもんだもんな?」
「ありがとうな……ライ。お前にそう言ってもらえると、なんか力が湧いてくるよ」
 本当に。心の底から湧いてくる。この少年に抱いてしまった想いを、昇華したいと、誇れるようなものにしたいという想いが。
 自分との別れはライにその程度の傷しかつけられないのかと思うと、口惜しいなどと思ってしまうみっともない心に蓋をして、グラッドはライと微笑みあった。
 ――ライが心の底で、どう感じているかには気付かないまま。

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