ファナンで金の派閥に入り
「……なんか……音、しねーか?」
「え? 音?」
 道中で派手に情報収集を行いつつやってきた、金の派閥の本部の置かれている場所、ファナン。その街の門をくぐるよりしばらく前から、ライは奇妙な音が聞こえるのを感じていた。
 草原の草の葉がそよぐ音かと思ったがそれより遠い。水場の音かと思ったがそれよりはるかに大きい。ざざぁ、ざざぁ、とはるか彼方から響いてくる、まるでなにかの呼び声のような音。
 おそろしく自然に耳に入ってきたせいか意識したのはついさっきだったが、もしかしたらかなりに前から聞こえていたのかもしれない。それくらい大きいのに耳障りでなく当たり前のように体に馴染む、ひどく不思議な音だった。
 首を傾げるライに、マグナたちはなぜかにやりと笑ってみせる。
「なんならその音の源、教えてあげようか?」
「え、なんだよ知ってるのか? なら早く」
「よし、じゃあついてきなよ」
「一番眺めのいい場所、教えてあげるよっ!」
 駆け出すマグナとユエル(とレシィと不機嫌な顔でそれを追うエルカ)に目をぱちぱちさせつつも、ちらりと顔を見合わせてにやりと笑みを交わし意志を確認してから、ライたち(ライとリュームとミルリーフとコーラルとリシェル)は走り出した。帝都にも負けないぐらい人通りの多い、車のやたら行き交うごみごみしているとすら言ってよさそうな通りを、それぞれの身体能力を駆使して人を避けながら駆ける。
 やがてたどり着いた小高い丘の上、一本杉がぽつんと立っている根元から、マグナがにこにこと手招きをする。とことことそちらに歩み寄り、なにが見えるのかと視線を巡らせて、絶句した。
 蒼。
 どこまでも続く二つの蒼。雲を浮かばせた蒼天と、それを映して輝くその下の陸から続いていく蒼の平面。それは寄せては返し、寄せては返しと全体が動いているようで、太陽の光を反射しているのだろう、ときおりきらめくのがひどく眩しかった。
 空を映してきらめき光る、これは。
「海だよ。知ってるだろ?」
「海? ……これが?」
「そう。陸地よりも広いんじゃないかって思うくらいどこまでも続く塩辛い水。この音は潮騒っていってさ、波が寄せては返す音なんだよ。なんでも月の魔力の影響で海は陸に引き寄せられるらしいんだ」
「はぁ……」
「けれど海は必ずすぐに元いた場所に戻っていってしまう。陸に時に近寄り時に逃げることから、女の人に例える人も多いんだってさ。それに、この波の音って、赤ん坊がお母さんの体の中で聞く音にも近いらしいよ」
「へぇ……」
 ライは呆然とすらしながら海を見つめる。ややこしいことはわからないけれど、この眼前の景色の迫力はおそろしく確かなものがあった。
 自分の服の裾をつかむ子供たちの肩に手を乗せてやりながらどこまでも続く海≠見る。世界は、本当に、どこまでもどこまでも、広い。
「お、マグナたちじゃないかい! なにやってんだい、そんなとこで」
 不意に響いた威勢のいい声にはっとして振り向く。そこには長い金髪を後ろで結んだ背の高い女が立っていた。年の頃は二十代半ばというぐらいのその女に、マグナは満面の笑みで応える。
「モーリン! よかった、訪ねようとは思ってたけどこんなにすぐ会えるとは思ってなかった」
「お互い運がよかったってことだね。久しぶり、ユエル、レシィ……と、エルカ? に、そっちの子たちもあんたの連れかい? どうしたんだい、そんな大人数で」
「うーん、まぁ、いろいろあるんだけど……とりあえず、モーリンん家に向かいながら話すってことでいいかな? ネスたちも、そっちに向かってるだろうしさ」

「へぇー、そんなことがねぇ……」
 モーリンは緑茶(シルターン風のこのお茶は、けっこうリィンバウムのあちらこちらで生産されている。紅茶とはまた違う甘味と苦味に、このお茶を好む人も多いのだ)を啜りながら、道場であぐらをかきながらうなずく。なんでもこの道場、最近は街の若い者が汗を流すのによく使われているそうで、大事に使われているのは掃除の行き届き具合からもよくわかった。
 今日は休みの日ということで自分たち(全員となると相当な大人数だ)が車座になっても問題はないのだが、この年で一道場を構えているということは、このモーリンという女性はたぶん相当な強者なのだろう。
「そりゃ確かに放っておくわけにはいかないね。マグナ、あたしも手伝うよ」
「ありがとな、モーリン。……でも、今回はいいよ」
「どうしてさ。あたしの腕が衰えてるとでも思ってるのかい?」
「そんなわけないだろ。ただ、モーリンにはファナンを守ってほしいって思ってるだけだよ」
「……へ?」
「無色の派閥にどんな狙いがあるかはわからない。ただ、どんな目的であれ、周りの人や、街や国を大きく巻き込むことは間違いない。つまり、次の目的地はゼラムってことだけど、ファナンが巻き込まれる可能性もけっこう高いんだ」
「うーん……そう言われると、確かにそうだねぇ」
「だから、モーリンにはそういう奴らが出てきたらなんとかできるように、ファナンの街を守ってくれないかなと思うんだ。ファナンの下町の用心棒でもあるモーリンなら、できるだろ?」
「ま、まぁね! 下町の中でも骨がある奴なんかは、うちの道場で体鍛えて自警団とか結成してるし。よぉし、わかったよ、ミニスやカザミネなんかにも声かけて、いっちょやってみるね!」
「うん、たの」
「ミニス? ミニスって、金の派閥の議長の一人娘の、ミニス・マーン?」
 思わずといったようにマグナとモーリンの会話に口を挟んでから、リシェルは慌てたように手を振った。
「あ、ごめんなさい、急に知ってる名前が出てきたから」
「ああ、別にかまやしないよ。そうだよね、リシェル、だっけ? あんたは金の派閥の召喚師なんだもんね」
「正式に派閥に属するのは考査に合格してからですけど。で、あの……あなたたちが言ってるミニスって、本当にあの……?」
「あのミニスがどのミニスかは知らないけど、あたいたちの仲間のミニスは確かに金の派閥の議長さんの一人娘だよ。次の誕生日で十八になる、金の派閥の召喚師さ。それがどうかしたかい?」
「え、いえあの、なんでもないんです。ただ、偶然だなぁ、って」
「偶然って?」
「ええと……その」
 言い辛そうにするリシェルに、ふと記憶の底に閃いたものがあった。確か、リシェルが昔こんなことを愚痴っていたような。
「ああ、そういやお前、前に親父さんに金の派閥の議長の娘と比べられてどうこう、みたいなこと言ってたよな。知勇兼備の才女だの年が同じくらいなのにお前はだの見習えだの言われてムカついたって」
「ちょ……! なんでそんなことこんな時に思い出すのよぉっ!」
「あだっ! いってぇな、叩くな!」
「ち、知勇兼備の才女ぉ? ミニスがかい?」
「現実を知らねぇってのは幸せだよなぁ、ケケッ」
「そう言うなって、ミニスだって……その、最近はまぁ、大人っぽくなってきてるんだから」

「俺らが金の派閥についてっていいのか?」
「まぁ、蒼の派閥の総帥からの依頼受けたのは確かなんだから、一応行くだけ行ってみるにこしたことはないんじゃない? 入れてもらえるかどうかは知らないけど」
「ま、それが筋だよな。俺も金の派閥の本部って初めてだから、楽しみだよ。ミニスとも会えればいいんだけど」
「え、ハヤトさんたちも、そのミニスと……」
「あいつ、ガキの頃サイジェントに家出してきたことがあるんだよ。そん時俺らと知り合って、まぁ、ダチになったわけ」
「……家出?」
「あはは、最近は会ってないけど、少なくとも子供の頃のミニスは才女とか言われるタイプじゃなかったよ。礼儀正しいようには見えたけど、わがままだったし、気が強かったし口は立つし……でも寂しがり屋で、子供の頃からいい子ではあったけどね」
「……ふーん」
 などと喋りながら全員で金の派閥の本部を目指す。今日の宿はモーリンの道場と決まったので足取りも軽い。ファナンの観光をしたい気持ちもないではないが、それよりも早く仕事を終えるのが筋だろうと全員の意見が一致したのだ。
「あと……キールさん。俺らの素性については、心配しなくていいんだよな?」
「ああ……もともとそうそう気がつく人間はいなかっただろうけど。情報隠匿に長けたサプレスの聖霊を召喚してあるから、どんなに魔力感知に長けた人間でも君たちの魔力を感じることはできない。そもそも存在が認識から疎外されるから、君たちに気づくことすらほとんどないと思うよ。気づく可能性があるとすれば、蒼の派閥の総帥と同等の力を持つ者くらいだね」
「つまり、金の派閥の議長くらい、と。でもファミィさんなら気づいても、誰にも言わないでいてくれるよ。俺たちも、それなりにあの人のことは知ってるからね」
「……信頼させてもらうことにするよ。キールの術は、実際見事なものだからね」
 などと話しつつ、派閥本部の前にたどり着く。そこは今まで見た中で、王城をのぞけば一番と言っていいほど大きく、きらきらしい……というか派手な建物だった。
「うっわ……また、こりゃでっけぇ建物だな。リシェルん家もでかかったけど、こりゃそれ以上だぜ」
「そりゃ、金の派閥の本部だもの」
「リシェル、君はまだ金の派閥の召喚師じゃないんだよな? じゃあ、ここは俺が対応させてもらうけど、いい?」
「あ、うん。わかった。あたしもまた考査の時に改めてここに来ると思うし」
 マグナはリシェルの言葉にうなずき、すたすたと本部の門の前に立つ衛視の前へと向かった。うさんくさそうにこちらを見る門衛たちに、すっと書状を見せて言う。
「蒼の派閥より、金の派閥の議長への書状を届けに参りました。議長へのご連絡をお願いしたいのですが」
「おぉー、マグナにーちゃんが大人みてーな口利いてるぜ」
「何度見ても似合わねェよなァ、ケケッ」
「ふ、二人とも、そういう言い方は駄目だよぉっ」
 確かに今まで見てきたマグナは少し舌足らずに子供のような口調で喋っていたのでライとしても違和感はあったが、相手の門衛はごく素直にそのきっぱりとした口調にマグナを大人と認めたようだった。書状を受け取り、顔をしかめる。
「む……これは、確かに蒼の派閥の印章ではあるが。……承知した、確かに議長にお届けしよう。なので今日は」
「いえ、できる限り速やかに、と命をいただいていますので。申し訳ありませんが、議長の返答をここで待たせていただきます」
 ずい、と前に進み出てきたネスティがそう告げる。きらりと眼鏡を光らせて、いかにも有能! という感じの言葉に気圧されたのだろう、渋々とではあったが、「議長にお聞きしてくるが、ご返答は期待するなよ」と言って門の中に姿を消す。
 待つこと十分ほど。泡を食った様子でさっきの門衛が飛び出してきた。マグナたちの前で直立不動になり、びしっと敬礼して「大変失礼いたしました、今すぐご案内せよとのことです!」と大声で言う。
 その待つ間も派閥本部の中には荷馬車に乗ったり荷物やら書類鞄やらを持ったいかにも商人風の奴らが出入りしていたのだが、その全員が中に通される自分たちに明らかな好奇の目を向けてきた。やはり自分たちのように多様性豊かな団体が本部の中に入るのは珍しいらしい。
 きょろきょろと忙しく周囲を見回しながらも(召喚獣らしき者はほとんどいなかった。というか、召喚師らしい人間がほとんどおらずいるのは事務員やら商人やらばかりだった)、やたらめったら贅沢な装飾が施された廊下を案内人のあとについて進む。仲間の中の召喚獣たちに顔をしかめる連中もいたが、ぎろりとガンをつけると怯えたように目を逸らした。
「……派閥の本部なのに、なんで召喚師がいないんだろうな」
「いや、いることはいるんだけど、仕事の話をしに来てるだけなんで、あんまり目立たないんだよ。金の派閥って召喚術で商売するところだから、みんなで協力して研究とか、召喚術を派閥の生徒に教えるとか、あんまりしないから」
「へぇ……そうなのか、リシェル?」
「まーね。金の派閥じゃ基本的に召喚術って家々ごとの秘伝だから。帝国みたいに術式を公開するとか、広く生徒を取って教えるとかありえない話なわけよ。それだけ自分たちが利益を独占するための技術の価値が減るってことだもん」
「はー……」
 少しばかり仏頂面で言うリシェルに思わず息を吐く。金の派閥のやり方の是非などきちんと考えたことはなかったが、どうにもあんまり立派とは思えないやり方ではあるし(是非についてはそう簡単にどうこう言うことはできないだろうが)、リシェルはそんな中に飛び込んで行くのかと思うと、つい大丈夫なのかなこいつ、と勝手な心配をしてしまう。ちろりとリシェルの様子をうかがって、「なによ」と睨まれるのに、「なんでもねーよ」とぽんぽん頭を叩いた。
 ひとつの建物の中とは思えないほど歩いて、ようやく『議長執務室』と書いてある扉の前にたどり着く。案内人はごほん、と咳払いをしてから、こんこん、と扉についたノッカーを鳴らした。
「議長様、客人をお連れしました」
「入っていただいて」
 ほんわりとした柔らかい声。それこそ絹織物のような感触を肌と耳に与える声。
 この声が金の派閥の議長? と考えていたのとは違う雰囲気に首を傾げながらみんなと一緒に部屋に入り、また驚いた。机に座っていたのは、まだ三十かそこらじゃないかと思うほど若々しく穏やかな印象の女性だった。
 本当に、この人が? と首を傾げるライのことなど気にした風もなく、その女性はにっこりと笑ってみせた。
「ごめんなさいね、ちょうど決済を片付けている途中だったの。もう少し待ってもらえるかしら?」
「あ、はい、もちろん」
「ありがとう。もうすぐ終わりますからね」
 決済? と机の上を見やって、仰天した。机の上に山をなすほどの書類が積み上げられている。
 これを終わらせるって、普通一日かかってもできねーんじゃ、と書類仕事の苦手なライは呻いたが――その女性はまったく違った。ふんふんと鼻歌を歌いながら、すさまじい早さで書類を片付けている。
 しかもそのひとつひとつの書類をきちんと見ているらしく、赤を入れる時黒を入れる時ときちんとペンを使い分けているし、修正も細かいところまでやっている。なのに、びっしり文字が書かれた書類一枚にかかる時間がほとんど一瞬なのだ。
 数分も経たないうちに書類は片付き、隣の部屋から何人もの人間が出てきてできた書類を運んでいく。その人たちにお茶と椅子の用意を命じてから、その女性はこちらに向き直った。
「改めて、こんにちは。金の派閥の議長をやっている、ファミィ・マーンといいます」
「あ、はい。俺たちは……」
「あなたがハヤトくん。そちらが、ガゼルくんね?」
「え、と、はい……そうっす、けど」
「ミニスちゃんから話を聞いているから、すぐにわかったわ。これまできちんと挨拶できなくてごめんなさいね。七年前にミニスちゃんを助けてくれて、本当にありがとう。母親として、心からお礼を言います」
「え、や、あの」
「俺たちがしたことなんて大したことないですから。ミニスは自分の力で、シルヴァーナと誓約したんです」
「でも、あなたたちがいなければミニスちゃんが私たちのところに戻ってくることはなかった。少なくともあんなに早くではなかったと思うの。本当に、ありがとう」
 深々と頭を下げるファミィに、ハヤトは照れくさそうに頭を掻き、ガゼルは居心地悪そうに頬を掻く。やはり、子供を助けて親に出てこられるというのは照れくさいものがあるのだろう。
 ファミィはそこまではにこにこ笑顔を浮かべていたが、次にマグナの方を向いた時の表情にライはう、と気圧された。別に怖い顔をしているというわけではない、さっきまでの笑顔と別に変わるところがあるわけではないのに、なんだかひどく顔に迫力が満ち満ちているのだ。
「それで、マグナくん。無色の派閥の人たちが、ゼラムで活動しているというのね?」
「は、はいっ。エクス総帥も調べてみたらしいんですけど、青の派閥の情報網に引っかかってこなかったらしくって」
「その辺りのことについてはすでに報告は受けていますよ。それで、あなたたちの情報収集の結果はどうなのかしら?」
 う、と一瞬言葉に詰まったが、それでも(おそるおそるという感じに)口を開くマグナ。
「あの、一生懸命やってみはしたんですけど、その、情報らしい情報が入ってこなかった、というか……」
「まぁ……ファナンに着くまで一週間はあったのに?」
「は、はい……」
「困ったわねぇ……それではいざという時に対処ができなくなってしまうわ。もう少し頑張ってもらえるように、カミナリどかーん、した方がいいかしら?」
 ぶっ、と吹き出す自分たちをよそに、ファミィの体からは魔力が立ち昇っていた。ぱりっ、ぱりりっ、と雷のような音も立つ。ひきっ、とマグナの顔があからさまにひきつり、ぺこぺこと必死に頭を下げた。
「すっすいませんファミィさんっ、力及ばずっ、でもこれからはこれまで以上に本気で全力で頑張りますからなんとかして情報見つけますから、どうかその、カミナリどかーんは勘弁してくださいっ!」
「…………」
「…………」
 しばしの沈黙のあと、ファミィの周りに立っていた音はすぅっと静まった。
「そうね。マグナくんたちが頑張ってくれていたのは確かでしょうし、実際私の情報網でも無色の派閥の情報はほとんど入っていないというのも確かですし。今回は、カミナリどかーんはやめておきましょう」
「た、助かったぁぁ……」
「でも、もしお仕事をサボったり、怠けたりしたら、ちゃんと思いっきりカミナリどかーんしますから、覚えておくんですよ?」
「は、はいぃっ!」
 慌てて直立不動になるマグナにファミィはうふふ、と娘のように笑った。
 ちょうどその機を見計らったかのように、隣の部屋からお茶と椅子が運ばれてくる。ソファに座りきれなかった者は運ばれてきた椅子に座り、揃ってお茶とお茶菓子を堪能した。茶葉は上等だし、きちんと蒸らして茶葉の味を引き出してもいる。お茶菓子もかなりに上等なものだ(マドレーヌだった)。
 ちゃんと金かけてあるなぁ、とリシェルのいたブロンクス家のことを思い出す。あそこでもお茶が出た時はこんな感じだった。
「さて……じゃあ、改めてそちらの、ライくんたちとお話したいのだけれど、いいかしら?」
 ぶっ、と吹き出しかけてあわてて口の中のものを飲み込む。にこにこしながらこちらを見つめるファミィに、おそるおそる訊ねた。
「えと……俺たちと話したいって、なにをですか?」
「そうね……なぜ、帝国の宿屋、ミュランスの星でも最高の評価を受けた『忘れじの面影亭』の主人であるライくんと、その仲間さんたちが蒼の派閥からの書状の輸送なんてしているのか、とか。次の定例考査を受ける予定になっている、ブロンクス家のリシェルちゃんがどうしてそれに加わっているのか、とかかしら?」
「っ、あたしのこと気づいてたんですかっ!?」
「もちろんよ、リシェルちゃん。金の派閥の家の子のことですもの。あなたとライくんが幼馴染なことは知っているけれど……どういうわけで蒼の派閥からの依頼を受けることになったのかしら?」
「え、えと、えっと、それはですねっ……」
 迫力に満ち満ちたファミィの笑みの前で、ライはリシェルと協力してなんとか説明をし終えた。たまたまガゼルたちと旅の途中で知り合い、サイジェントでハヤトたちのところに世話になって、一緒に旅をしてたまたま蒼の派閥に一緒に向かって依頼を受けたのだ、というように。
 リュームたちが落ちてきたところから始まった自分たちの事件については省いたが。ファミィを信用していないわけではないが、あまり言いふらしていいことでもない。
 話を最後まで聞いて、ファミィはふむ、とうなずいた。
「わかったわ。ライくんたちと他の仲間さんたちが出会った経過とかもとても気になるけれど、とりあえず今は聞かないでおくわね」
 うぐ、と思わず呻いてしまった。あからさまに見逃してあげる、と言われているわけだが、この人の場合手加減してくれている方がありがたい。
「ハヤトくん、マグナくん。あなた方はこれからどうするのかしら?」
「ええと……俺たちはとりあえず、ファナンで派手に情報収集をして、反応がなかったらゼラムに戻ろうと思ってます」
「俺は、その手伝いをしようかなって。俺にもそれなりに、情報収集の伝手とかあるし」
「そうなの……ライくんは?」
「俺たちもその手伝いがしたいとは思ってるけど……リシェルが定例考査を終えるまではきっちり見守ってやんねーとだから、それまではファナンにいる。と思います」
「そう……それでは、やっぱりあの子の手伝いが必要ね?」
「へ? あの子、って」
 ファミィはちりちりりん、と机の上に載せてあった鈴を鳴らした。キールとクラレットが目を見開く。
「それは、サプレスの妖霊を封じた……」
「よくご存知ね、キールくん、だったかしら? そう、これは召呼の鈴≠ニ呼ばれているの。鳴らすと、術を施してあるものの中で、使用者の意図したものを鳴らすことができる。呼び出しにはとても便利な鈴よ」
「呼ぶって……誰を」
「心配しなくても、すぐにわかるわ……あらまぁ、あんなに足音を響かせて。マーン家の惣領娘ともあろうものが、あんな風にみっともない真似をしてはいけません、といつも言い聞かせているのに」
「え、それって」
「はいお母さまっ、なんのご用でしょうっ!」
 ばたーん! と勢いよく扉が開かれ、金髪の少女が部屋の中に飛び込んでくる。年の頃はリシェルと同じか少し上というあたり、はぁはぁと息を荒げながら駆け込んで、部屋の中にひしめく人の多さに気圧されたかわずかに身を引く。
 が、すぐに少女はぱぁっと顔を輝かせてたたっとファミィの前にいる男たちに駆け寄った。抱きつかんばかりの勢いで、マグナとハヤトとガゼルの前で歓声を上げる。
「マグナ! それにハヤトに、ガゼルまで! わぁ、ネスティも、モナティにガウムも! ユエルもいるっ! エルカも、レシィも、ハサハもレオルドもバルレルまで……どうしたのみんなっ、なにか用事っ?」
「なんで俺を最後に呼ぶんだよ、このガキぁよ」
「あはは……だって、バルレルって喧嘩っ早いから下手に話しかけるとすぐ喧嘩になっちゃうんだもん。私は獣属性の召喚師だし……うわぁ、でも嬉しいなぁ、みんなとこんなところで会えるなんて」
「久しぶりだなぁ、ミニス。なんだかミニス見てると俺たちも年を取ったなぁとか実感するよな、ガゼル?」
「ケッ、んななぁうちのガキども見てりゃいつものこったろうが。……けど、まぁ、本当に……でかくなったな、ミニス」
「えへへっ、もうすっかり大人なんだから。……それ、と。マグナも、久しぶり」
「うん、久しぶりだよなぁ、ミニス。なんだか最近避けられてるみたいな気がしてたから、ほっとしたよ。ファナンに来る用事があっても、いっつも留守でさ」
「べ、つに、避けてるわけじゃ、ないけど。……もうっ、マグナってホントに、バカなんだからっ」
「え、えぇ!? なんでいきなりバカ呼ばわり!?」
「うるさいなぁ、もうっ。いいから黙って呼ばれてなさいっ」
「は、はい、わかりました……うぅ」
「……もうっ。あ、でも、ユエルたちとこの時期に会えるなんて思わなかった。もう学校が始まってるんじゃないの?」
「えっへへー、それがね、マグナやハヤトたちの手伝いをするために、ちょっとお休みをもらったの。その間も宿題とかあるんだけどねっ。えへへー、でもミニスに会えて嬉しいなー。ミニスっ、ミニスっ♪」
「きゃっ、もう、くすぐったいってばっ。でも手伝いってなんの」
「ミニスちゃん?」
 ファミィが穏やかな声をかけると、その場の空気は凍った。少女――ミニスはぎぎぎぎと機械仕掛けの人形のような動きでファミィの方へと向き直る。
 ファミィはにこにこと穏やかな笑みを浮かべていたが、その笑みから感じられる気迫はもはや殺気と呼んですらいいような代物だった。あからさまに恐怖に固まった口を必死に動かして、ミニスは必死に言う。
「お、お母さま、あの、これは、その」
「心配しなくてもわかっていますよ、ミニスちゃん。久しぶりに仲間さんや、友達の人たちと会ってはしゃいでしまったのよね?」
「う、うんそうなのっ! 状況を見失ってたわけじゃ全然」
「でも、呼び出した相手のことを忘れてお喋りをはじめてしまうなんて、淑女としても、マーン家の惣領娘としても、あってはならない姿よね?」
 ひぃ、とミニスの喉がなる。ぱりっ、ぱりりっ、と再びファミィの体から魔力と雷気が立ち昇った。
 流れるようにファミィが呪文を唱え、周囲の人間がざざっ、と飛び退るや、ファミィが高らかに叫んだ。
「カミナリどかーん、です!」
 どおぉぉんっ!!
 凄まじい音を立ててミニスに雷が落とされる。何度か見たことがあるのでわかった、あれはタケシーの高位召喚術だ。普通ならあんなもん食らったら命に関わる(一発二発なら仲間たちは全員平気だろうが)。
 それを食らってもミニスがわりと普通に立っていたので反射的に振り上げかけた拳は下ろしたが、「カミナリどかーん、って本気で雷落とすのかよ……」とは思わず呟いてしまった。
「し、しび、しびび、しびれたぁぁぁ……」
「……なんだ。ミニス・マーンって才女とか言われてるけど、実はそんな大したことないじゃない」
 ぼそり、と(おそらくはつい口が滑って)言ったリシェルの言葉は、固まった空気の中で妙に大きく響いた。周り中から視線を向けられてリシェルは焦って(たぶん言い訳しようと)立ち上がったが、それよりも早くミニスが立ち上がってぐるりとリシェルの方を向き、顔を赤くして怒鳴った。
「ちょっとあなた! どこのどなたか知らないけど、初対面の人間に対してその言葉、失礼だと思わないのかしら!?」
「え、な……あたしは、別に」
「まったく、そんな妙な格好して、そんな言葉遣いして、お里が知れるというものよねっ」
 リシェルのこめかみにぴしぃ! と青筋が立つ。あ、やべ、と思わず頭に手を当てた。リシェルは自分が田舎育ちということを少し気にしている上にトレイユをそれなりに愛しているので、育ちを馬鹿にされると即行で戦闘態勢に入ってしまうのだ。
「あーら、よくそんなことが言えるわねぇ。そもそも自分のしくじりで罰受けながらその台詞! あなたの自慢のお育ちっていうのはそういう風に状況わきまえず人のこと馬鹿にしていいって教えるものなんだ、へー、ふーん」
「なっ……そ、そもそも最初に人のことを馬鹿にしたのはあなたじゃないっ! 私の反応がどうあれ、あなたのやってることが失礼なのは変わりないでしょっ」
「そーいうのを『自分のことを棚に上げて』って言うのよ、知ってる? あーわかんないかー、知ってたら恥ずかしくてとてもそんなことできないもんね」
「ぬぐっ……それこそあなたに言われたくないわよ! あなただって自分のことを棚に上げて人のことを馬鹿にしてるじゃないっ。そもそも私の実力を知りもしないくせに偉そうにどうこう言うなんて、人として恥ずかしいと思わないわけっ」
「さっき見たわよ! あなたファミィさまに呼ばれて来たっていうのにすぐお喋り始めちゃったじゃない、おしおきされるのわかりきってるのにさっ。その程度の頭じゃ召喚術の実力も知れたもんだわっ」
「あーらあなたってその人の一面を見ただけで召喚術の実力を判断してしまうような知性しか持ち合わせがないのね。ごめんなさーい、私の環境だと召喚師は幅広い知識と物の見方を持っているのが当たり前だったものだから」
「うぐっ……それこそあんたみたいに状況わきまえない奴に言われたくないんだけど!?」
「なんですってぇ!?」
「なによっ!」
 ぎっ、と顔を間近まで近づけて睨み合うリシェルとミニス。今にもつかみあいが発生してもおかしくないほど一触即発な状況だ。
「わー、リシェルねーちゃんおっかねー」
「なぁライ、君はリシェルの幼馴染なんだろ? なんとかなだめられないか?」
「無理。幼馴染だからこそ断言すっけど、こーなったリシェルは暴れるだけ暴れるまで止まんねー」
 ひそひそと囁きあう自分たちをよそにリシェルとミニスは歯軋りしながら睨み合い、ばっと手を上げる――と、そこに静かな声がかかった。
「ミニスちゃん? リシェルちゃん? ちょっと落ち着いてくれるかしら?」
『ひっ!』
 声を揃えて固まるリシェルとミニス。ぎぎぎぎぎ、と机の方を向き、ファミィがさっきと同じすさまじく迫力のあるにこにこ笑顔で告げる。
「困った子たちねぇ。他の派閥の方もいるところで口喧嘩なんて。これはちょっと、おしおきしないといけないかしら?」
「いっいえっお母さまっ、私たち別にそんな喧嘩なんて、ねぇっ!?」
「えっええそうです、ただちょっと意見の行き違いが」
「そういうのを、白々しい、というのですよ?」
『うぐ……』
「仕方ないわねぇ。ここまでみっともなく金の派閥の恥をさらされてはねぇ……これはもう、きちんと念入りにおしおきしなくちゃならないでしょうねぇ……」
「ひ! お、お母さまっ、お願いですっ、私心を入れ替えて頑張りますから、どうかそんな気合を入れたおしおきはっ」
「あ、あたしも本当に心入れ替えますから! 別に喧嘩売りたかったわけじゃ全然ないし! きちんと金の派閥の召喚師として派閥の誉れってくらいに仕事やりまくりますから、そんな気合を入れなくて本当に」
 必死に懇願する二人に、ファミィはんー、と考えるように頬に人差し指を当ててから、にっこりと笑った。
「じゃあ、こうしましょう!」

「……まったく。なんで私がチビジャリの決闘の観戦などしなければならないんですの? 私だって暇ではないんですのよ?」
「そんなこと言わないで、ケルマちゃん。あなたもミニスちゃんの成長ぶりがどんなものか見てみたいと言っていたでしょう? それに、議長からの正式な招待ということにしたから、あなたの旦那さまと久しぶりにゆっくりくつろぐこともできるでしょうし」
「……ま、まぁ、それに関しては一応お礼を言ってあげてもいいですわっ! 二人っきりでないのは残念ですけれど……はい、カザミネさま、あ〜んっv」
「む……むぅ、いただくでござる。む……これはうまい」
「……まぁ、本当においしい。さすがミュランスの星に帝国最優秀と認められた料理人ね、その年でここまで修練を積むなんて、本当にすごいわ」
 観覧席という名の桟敷でそんな会話を聞きつつ、ライは全員に弁当を配って回った。ファミィが「帝国に名高いあなたのお料理を食べてみたいわ」と言ったので、朝から気合を入れて作ったのだ。
 場所は海岸、時刻はそろそろお茶の時間というところ。午後の陽射しが射す中、リシェルとミニスはそれぞれ真剣な顔で戦いの準備をしている。
「なーなー、おっさんおっさん。カザミネっつーの?」
「なっ、このコジャリっ、私の最愛の旦那様v であるカザミネさまに向かって失礼なっ」
「よ、よい、ケルマ殿。……童よ、なにか聞きたいことでもあるのか?」
「うん、あのさ、俺たちの仲間にも侍がいんだけどさ、あそこで三味線弾いてる、シンゲンっつーんだけど。あいつとおっさ……カザミネさん、どっちが強いか、わかる?」
「ふむ、それはやってみねばわからぬが……確かに、相当やるのは気配で察せられるな」
「それはもちろんカザミネさまに決まっていますわ! 私の旦那様v のカザミネさまは、岩であろうが飛んでくる大砲の弾であろうが刀一本で両断してしまう腕の持ち主なんですものv」
「け、ケルマ殿、その、そうくっつかずとも、ここは衆目が……」
「へー! すっげーなー。シンゲンシンゲン、お前そういうのできる?」
「いやぁ、自分にはそんな腕はありませんな。……というか、腕というか、流派の求めるものの違いじゃないですかね」
「へ? なんだよそれ」
「あちらの方の流派は、おそらく徹し≠ノ特化したものでしょう」
「徹し……?」
「……本来は、素手の武術で使う技術。物体を、その弱点を読むことで、本来の硬度や、耐久力を無視して簡単に壊す≠アとができる技術」
「その通り、さすがよくご存知ですな。刀でそれをやろうという方はそうそういらっしゃいません。しかも飛んでくる大砲の弾を斬るとなると……よほどその修練を徹底的に積まれたのでしょうな」
「じゃあ、シンゲンはできねーのか」
「ええ、自分の流派は『人を斬る』ためのものなのでね。そちらにしか労力を裂いていない分、人殺しはあちらの方よりうまいでしょうが……そんなしょうもないことを自慢する気もないので、これは内緒ということにしておいていただけませんか」
「……わかった。ないしょの、ないしょ」
「わかったぜ、内緒なっ」
「しかし……カザミネが結婚かぁ。しかも、金の派閥の召喚師と。赤ちゃんももういるんだよな?」
「お腹の中には二人目がいるよ。本当にケルマの押しはすごかったからなぁ……腰の引けてるカザミネさんに、とにかく押して押して押しまくって。逃げても追いかけて、断られても諦めないで……んで、そーいうケルマがふとした時に弱い姿を見せるのに落とされちゃったんだってさ。で、一度手を出したからには責任を取らないわけにはってんで結婚したわけ」
「親戚とか、なんも言わねーのかよ。金の派閥の奴らの感じからすると、すっげーやかましそーな気ぃするけどな」
「うん、すごい大変だったってカザミネ言ってたよ。いろんな人をなだめたりすかしたり脅したり戦ったりして、子供ができてることもわかって、ようやく許してもらえたんだって。でも反対するせいりょくとかいっぱいいるから、普段はカザミネ、ケルマの護衛とかしてるみたい」
「そのくせあのケバいオンナの護衛の当てができたら、すーぐふらふらどっか行っちまう。まだどっかで自由諦めきれてねェんだよ、往生際悪ィよなァ、ケケッ」
「そのたび、ケルマおねえちゃん、むきぃーってなるけど、ちゃんと家で、カザミネさんのかえり、まってるの……」
「ソシテ、夫婦ノ記念日ヤかざみね殿ノ力ガ必要ナ時ニハ、必ズ戻ッテキテゴ活躍サレルノデス」
「なんのかんの言いつつ、仲良しご夫婦なんですよねぇ」
 全員揃って気楽というか、決闘だというのに緊張感のかけらもない。それもそのはず、この決闘ではファミィが術をかけているので、召喚術だろうが物理攻撃だろうが、食らってもズタボロにはなるが致命的な損傷には決してならないそうなのだ。そりゃ見世物を見るような気分にもなるだろう。桟敷と弁当まで用意されてるし。
 全員に弁当を配り終えて、ライは子供たちに取っておいてもらった一番前の席に座った。じっ、と真剣なリシェルの横顔を見つめる。
「パパ……どうしたの? なんだか、お顔、こわいよ?」
「ああ……そうか、悪ぃな、ミルリーフ。ただ、ちょっと……」
「ああライ君のかんばせはいつも太陽のように輝かしく月のように優しい、けれど今君はなにを憂えてるんだい? 君のその眼差しが向けられるだけで僕は歓喜に震えるというのに君はいつもそっぽを向いてしまうつれない恋の妖精」
「ギアンとりあえず黙れ」
 ライはギアンを軽く叩きのめしてから、再びリシェルを見つめた。別に憂えているというわけではない。ただ、自分は、リシェルが(ミニスもだが)ちょっとばかり妙に本気に満ちすぎている気がするというか――
「それでは、これよりミニスちゃんとリシェルちゃんの決闘を始めます! 二人とも、いいかしら?」
『はいっ!』
「負けた方にはとっても念入りにおしおきしちゃうから、二人とも頑張ってね?」
『は、はいぃっ!』
「それでは……はじめっ!」
 ファミィが手を下ろすや、十歩ほどの間を空けて向かい合った二人はそれぞれざっ、と杖を構え呪文を唱え始める。召喚師のぶつかり合いというのはこれまでの戦いの中でもほとんど見たことがなかったが(召喚師というのは普通魔法に対する防御力も高いので集団戦ではぶつかり合うのを極力避ける組み合わせなのだ、敵に対し囮的な役割をすることはあるが)、二人ともどう動く気か。
 リシェルの構えたのは幽冥の錫杖。いかにもおどろおどろしい装飾がつけられた、審判の書を使って召喚した最強の杖だ。対するミニスが構えたのはなんの変哲もない箒――に見えたがそれの先にぐんぐん強大な魔力が集中しているのを感じ、中に強力な魔力を持つ杖が仕込んであるのだ、と理解する。
 ご、ごぉ、と二人の周囲の空間が強大な魔力に軋み、悲鳴を上げる。鈍感な自分でも感じられるほどの強大な魔力の渦。それをあっという間に作り出す二人の魔力がとんでもない段階のものだというのはよくわかる。リシェルが(無限回廊で鍛えて)凄まじい魔力を持つのはわかっていたが、やはりミニスもとんでもない魔力を持っているのだ。
「……我、ここに友誼によりて力の顕現を願う――ミニス・マーンの名において、来たれ、我が盟友シルヴァーナ!」
 かぁっ、とミニスの懐から翠玉の輝きがほとばしるや、ごぉん、という音と共に輝きは天へと昇り、太陽も打ち負かすほどの光玉となって爆発した。一瞬視界が奪われたのち――そこには銀色に輝く竜が翼をはためかせていた。
「っ! 竜!?」
「ワイバーンさ。あれがミニスの十八番、ワイバーンのシルヴァーナ!」
 ミニスがさっ、と手を上げるや、銀色の飛竜はごぉっ、とこちらまで熱が伝わってくるほどの巨大な火球をリシェルに向けて吐き出した。
 呪文を懸命に唱えているリシェルに避けられるわけがない。ミントの使っていたワイヴァーンよりさらに強烈に思えるその爆炎は、見事にリシェルに直撃した。
『!』
「どうっ、シルヴァーナの一撃は! そんじょそこらの召喚師にはこの一撃に……って、え!?」
 リシェルは直撃を食らいながらも、なんとかそれに耐え、呪文を唱え続けていた。召喚師であろうとも自らを鍛え、生命力を高める術を知れば、普通の人間ではありえないほどの耐久力を持つことができる。さらに魔力を操る術に長けた召喚師は、召喚術に対し自らの内の魔力を張り巡らせることで、ぐっと被害を軽減することが可能なのだ(やろうと思えば誰にでもできるのだが、魔力操作の技術はやはり本職の召喚師にはかなわない)。
 慌ててミニスも呪文を唱え始めるが、さすがにリシェルが詠唱を終える方が早かった。ぎゅおん、ぎゅおんという音すら伝わってくるほどの魔力の充溢。黒色の輝きがきらめき、にぃっと笑ったリシェルの言葉とともに爆発する。
「プロンプト・オンっ! エネルギー全開、バニシングビーム最大威力で全力照射っ! ぶっとばしなさい、ゼルギュノスっ!」
 ずどばぉぉおんっ!
 現れた巨大な機械兵士から放たれた極太の光線は、周囲の空間を飲み込んでミニスに激突した。ぼじゅぅっ、と音を立てて周囲の砂が蒸発し、もうもうと煙を吹き上げる。
「……すごい魔力だなぁ。リシェルって、強い魔力持ってるとは思ったけど、ここまで強かったんだ……」
「んなこと言ってる場合か! これじゃミニスの奴マジでどうにか……え」
 もうもうと舞い上がる煙の中から、金にきらめく少女が飛び出す。息をついていたリシェルがはっとして、再び呪文を唱え始めた。
「我らが結びし誓約によりて、我ここに願うっ! 幻歪の光機兵、ゼルの名を冠されし機兵の一、ゼルギュノスよ、その大いなる力を――」
「――魔獣の王母を封じし大いなる水竜、深淵の英雄エイビスよ! その最も深き溝より、大海の激流をここに放てっ!」
 ずどばじゃごじゃずしゃばしゃああぁぁっ!
 海からずおんとその巨大な頭を持ち上げた竜が膨大な量の水流をぶつけ、それとほぼ同時にゼルギュノスが光学兵器を放つ。それぞれ相手に向けて放たれた強烈無比な力は、ぶつかりあい、干渉しあって凄まじい大爆発を引き起こした。
 揃って吹き飛ばされるリシェルとミニス。ばっ、と思わず立ち上がりかけるが、ファミィにすっと制された。
「大丈夫。あの子たちは、そんなにやわではありませんよ」
 言われて示された通り、二人はずたぼろになりながらものろのろと体を起こしていた。ふらふらしながらも二本の足で立ち、相手をぎっと睨みつける。
 ふと、ミニスが笑った。リシェルも笑った。だっとばかりに二人は相手に向かい駆け寄り、ぐぉん、と力を込めて腕を上げる。
 そして二人同時に相手の顔に拳を叩き込み、揃ってひっくり返った。
「……えーと。これって……」
「いいのか、おい、これ」
 ざわめく周囲を制し、ファミィは手を上げ、にっこり笑顔で宣言する。
「今回の決闘は引き分け、ということで、これにて勝負を終わらせたいと思います。みなさん、よろしいかしら?」
「いや二人とも気絶してるのによろしいもなにも」

「……ったく、大騒ぎしたあげくの果てに、なぜか俺がこんな着たこともねー服着てぶとーかいにご招待、か……」
「うっさいなぁ、嫌ならいいのよこなくてっ」
「嫌とは言ってねーだろ。まぁ、窮屈な服だなとは思うけどな」
 言いながらライは襟元をいじった。白いシャツに黒い蝶ネクタイ、そして体にぴったりした黒い上着というこの服は、襟元が苦しい上に肘やら膝やらが突っ張って動きにくいったらない。まぁ、自分以上に体に密着している上に高そうな装飾品をどっちゃり着けたドレスを着ているリシェルよりはマシだろうが。
 金の派閥、定例考査後の舞踏会は、派閥本部の奥で行われる。金の派閥は商業組合的な役割があるため人の行き来が激しく、そういうことに使う施設も準備してあるのだそうだ。
 で、なぜ自分がそこに向かうブロンクス家の馬車に同乗しているかというと。
 決闘のあとすっかり意気投合しもう親友というくらいにリシェルと仲良くなったミニスに、ファミィが無色の派閥の動きを調査し妨害するよう命令を下した(そもそも十人弱を高速で移動させられるシルヴァーナがいると調査の行ったり来たりに便利だろうということでミニスを呼んだのだそうだ)。ミニスはそれを受けて、全員で協力して情報を調査していたのだけれども、まるで収穫も反応もないので、これはやはり一度ゼラムに戻るべきではないかと(ファミィも含めた)全員の意見が一致した、はいいのだが。
 運び屋のようにハヤトたちをゼラムまで送ったミニスが、マグナに舞踏会に一緒に来てくれないかと頼み、俺踊り踊れないし無理だよーと断ったところにリシェルが冷たいわね乙女心をなんだと思ってるのと怒り、マグナがミニスに謝るその余波をくってリシェルが考査に合格したらライも舞踏会につきあう、ということに(いつの間にか)なっていたのだ。
 そして予想通り、リシェルは考査にミニス以来だという成績で合格し、ブロンクス家の親戚があれこれを手配してくれたので、マグナはミニスと、ライはリシェルと、舞踏会に行くことになってしまったのだった。
 ミルリーフはいいなーいいなーと羨ましげだったが、リュームはごしゅーしょーさまとでも言いたげな顔をしていた。やはり女と男というのには舞踏会というのに対しそのくらいの認識の差があるのだろう。実際、ライとしては窮屈な衣装を着て(数日でブロンクス家親戚にある程度は仕込まれたものの)さして自信のない踊りをご披露するなど、苦行としか言いようがない。
 こいつは、どうなんだろう。ライは隣のリシェルをこっそりと見た。やっぱり舞踏会に憧れとかあったりするんだろうか。
 がらがらと音を立てながら進むブロンクス家の四輪馬車。その椅子に座ってリシェルは物思わしげに窓の外を見ていた。派手で高そうなドレス(どう? と自慢げに見せられた時、そう感想を言ったら殴られた)に身を包み、妙に大人っぽい顔でどこかを見つめるリシェル。その姿は、なぜか、まるで知らない人間のように思えた。
 ライは居心地悪くもぞもぞと体を揺らし、きっちり整えられた自分の猫っ毛をぐしゃぐしゃとかき回して、はぁとため息をついて、それから言う。
「リシェル」
「え……なに?」
 リシェルは夢から覚めたような顔ではっとこちらを見る。なんでお前がそんな顔するんだ、となんだか妙に居心地が悪かった。
「お前、さ。この舞踏会、行きてーのか? 行きたくねーのか?」
「……なによ、急に。そんなことこれまで聞かなかったくせに」
「いや、最初は俺を連れてくからには行きてーのかなって思ってたんだよ。お前、いいなと思うもんや場所ができたら、すぐ俺たちにも見せびらかそうとするし」
「……そうね」
「けど、お前って、行きたくないところに連れて行かれるときにも、俺ら連れてこうとしたよなって思い出してさ。いい時も悪い時も道連れ作りたがるっつーか。だから……」
「――だから?」
 すい、とリシェルの顔が近づいてきて、思わず身を引く。ふわ、と漂った香りに身が固まる。それは子供の頃から取っ組み合って遊んだおてんば少女の香りではなく、自分の知らない、女性になろうとしているものの香りだった。
「だから、なによ? あたしがほんとは行きたくなくて、逃げ出したかったら、連れ出してくれるの?」
「リ、シェ」
「あたしが怖くて、ほんとは全部放り出したくなっちゃってて、誰か助けてくれないかって思ってたら、その手を取って、連れ出してくれるの?」
「っ……」
 間近から自分を見上げるリシェルの眼差し。少し潤んで、少し揺らいで、今まで見たことのないような、不思議な……そうだ、これは、『切なげ』というのだ――
 と、ライがそう一瞬絶句した隙に、リシェルはさっと身を引いた。うつむいて、くっ、くくくっ、と抑えた笑い声を漏らす。
「な……おい、リシェルお前っ」
「ぷくくくくくく……っ、なにあんたのさっきの顔! かちーんって固まっちゃって、なにあれ? 子供?」
「だっ……騙しやがったなぁぁ!?」
「あっさり騙されるあんたが悪いのよーだ」
「てめぇはぁ……ったく。本気で驚いたじゃねーかよ」
 くっくっくっとまだ笑っているリシェルの肩を軽く小突く。手袋越しにひどく柔らかい感触が伝わってきて、こっそり無意味にどぎまぎした。
「……ったく、はこっちの台詞よ。あんなにあっさり騙されてるんじゃないわよー、女は魔物なんだから。お相手がいるっていうのに、こんなにちょろいんじゃ先が心配だわ」
「は? お相手ってなんの相手だよ?」
「うっさいわねー、そのくらい自分で考えなさいっていうの!」
「あだっ。すぐに叩くなっつってんだろ!」
 ぎゃあぎゃあ喚いて、お互い服のせいかすぐ息が切れ、背もたれに背を預けて休む。その妙な空白の時間に、ライはぽつりと言っていた。
「……別に、どうこうしようとか考えて聞いたわけじゃねーよ」
「…………」
 リシェルは答えず、自分の隣で背もたれに背を預けたまま、自分と同じ方を向いている。
「ただ、どっちかわかっといた方が、腹が据わるだろ」
「腹って、なによ」
 ひそやかな声で返事があった。ライも静かな声でそれに返す。
「どっちの道に行くにしろ」
「道って、なによ」
「お前を舞踏会から連れ出すにしろ、一緒に舞踏会にいるにしろ、ってことだ。……お前も、俺も、一応一人前って扱われる年なんだから、そうそうガキっぽくもしていられねぇ。自分に課されたもんを、気まぐれやわがままで放り捨てるわけにゃいかねーって、わかってるだろ?」
「……当たり前でしょ」
「だから、お前が本当に逃げ出したいって思う時は、本気の本気でどうしようもなく逃げ出したいって時なんだろ」
「え」
「そういう風に、どうしてもできねーってことを無理やりやらせたって、ろくなことにゃなんねーしな。そーいう時の避難する手伝いくらい、してやらねーわけにゃいかねーだろ? 昔っからお前を知ってる身としちゃあさ」
「っ……なによ、それ」
「そのまんまだよ。助けてほしい時には言えってこった。俺も、まぁ、一応、お前助けられるくらいの甲斐性は身につけたつもりだからな」
「……バーカ」
 小さく言ってから、リシェルはぐいっとこちらの方を向いて、ぴん、と額を指で弾いた。
「てっ! なにすんだこのっ」
「あんたってほんっとバカねー、自惚れてんじゃないわよバーカ。いつまでもあたしがあんたに助けを求めるようなお子ちゃまだと思ってたら大間違いなんだから」
「高そーなドレス着てデコピンするよーな女がお子ちゃまじゃねーとは初耳だなぁおい」
「あーっ、言ったわねーっ!」
「わっばかこらっ、だから暴れんなって」
 がったん。リシェルが身を起こすや馬車が大きく揺れ、ドレス姿のリシェルの体がこちらに倒れこんできた。慌てて中腰になって支え、そろそろと腰を下ろす。
「っぶねぇなぁ、だから言っただろーが暴れんなって……おい、リシェル?」
 す、と、リシェルの腕が、静かにライの腰に回された。
「リッ」
「黙っててよ。ちょっとの間でいいから」
「黙ってろって、おま」
「しばらく、こうさせてて」
「しばらくって……」
「もうちょっとでいいから。もう、ほんのちょっとでいいから。……このまんまで、いさせて」
「…………」
 ライはは、と息をついた。できるだけいつも通りに聞こえるようにしながら。リシェルの柔らかな体が自分にぴったりくっついていることや、リシェルのどこか濡れた声や、リシェルの香りや、ライの胸の中にリシェルの頭があるという体勢にひどく心臓がばくばくいっていることに、気づかれないといいと思いながら。
「しょうがねぇなぁ。……ちょっとだけだぞ」
 そう言って、ライはリシェルの髪を梳くように撫でた。昔、ずっと昔、遊んでいてリシェルを泣かせてしまった時、どきどきおろおろしながら必死に頭を撫でた時よりは、いくぶん優しくなった手つきで。

 馬車が本部にたどり着いた時には、もうリシェルはいつものリシェルに戻っていた。化粧や服も完璧に調えて、ライの服もいちいち直し、わざと高飛車な口調で言ってきたりして。
「そこのあなた、エスコートしてくださる?」
 エスコートのやり方は教わっていたので、ライは苦笑しながらうなずいて。
「へいへい、ご指名いただき身に余る光栄。……どうぞこちらへ、お嬢様」
 手を支えつつ馬車から降ろし、舞踏会場へと付き添って。リシェルと同じようなドレスに身を包んだミニスに同じように四苦八苦しながら付き添うマグナと、お互い分かり合った笑みを交わして。
「ほら、踊るわよ、ライ!」
「へいへい……っと、なんだよ、行かねぇのか?」
「あんた教わったでしょーが、ダンスは男の方から申し込むもんなの!」
「あ、そうだったな、悪ぃ。……リシェル、俺と踊ろうぜ」
「……ったく、あんたはぁ……ムードもロマンスもへったくれもないわね」
「なんだよ、踊らないのかよ?」
「まさか、踊るに決まってんでしょ。……それに、そういうのも、あんたらしくていいわ」
 奏でられる音楽の中、リシェルと踊って。手を握り、体を支え、回転させては元の体勢に戻して。
「……あんた、うまいじゃない。初めてだなんて思えないわよ」
「そりゃどーも。教師がよかったんだろ」
「謙遜しちゃって。なっまいきっ」
「お前に生意気っつわれちゃおしまいだな」
「なによぉ。……ふふっ」
「ははっ」
 ときおり言葉と、笑みを交わして。
「……ふぅ。……踊ってくださって、ありがとう」
「こちらこそ……で、よかったんだよな、こういう時?」
「当たり前でしょ、ったく。……じゃ、あたしは、いろんな人に顔見せしなきゃいけないから。あんたは適当に飲み食いして、踊ってていーわよ」
「どっちもこの服じゃ窮屈そうだな。ま、適当にやってるから心配すんな。……あ、そうだ」
「なに?」
「聞こうと思ってたんだけど、お前なんであそこまでムキになって勝とうとしてたのに、引き分けたら仲良くなっちまったんだ、ミニスと。お前だったらもっとあと引くかな、って思ってたんだけどよ」
「ああ……そんなの簡単よ。ミニスが、あたしと同じだってわかったから」
「……は?」
「好きな相手の前でみっともないとこ見せられる女なんていないでしょ? 好きな相手が見てるんなら、勝負には死んでも勝ちたいしできるだけ強い自分を見といてもらいたいのよ。あたしたちは」
「ふぅん……え、なんだよ、その、す……」
「す……なに?」
「す…………っだぁぁっ、わかってるくせに聞くんじゃねぇ!」
「あははっ」
 そう笑って背を向けてしまうリシェルを、ごまかされちまったけどまぁいいかやれやれと思いながら見送って。
「ライ!」
「ん?」
「じゃ、またね」
「ん? ……おう」
 にこっと笑顔を向けて言われた言葉に、首を傾げながらもうなずいて。
 ――そんな風にして、自分とリシェルの舞踏会は終わったのだった。

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