自由騎士団本部で勝負
「へぇ……ここが、巡りの大樹℃ゥ由騎士団の本部か」
「なんか思ったよりちっちゃいとこだなー。ルシアンにーちゃんがあんなに憧れてるから、もっとこーパーッとしてキラーっとしてんのかと思ってた、お城とかみたいに」
「そーいうのは思い込みだって。ま、そーいう風に考えてる人は多いんだけど……実際には自由騎士団って、内実けっこう厳しいんだよ」
「え、そうなの? だってあんなに歌に歌われるくらい評判になってるじゃない」
「まぁ、評判はそれなりに高いんだけどさ。できる時の経緯が派手だったし……なにせ聖王家主催の武闘大会で優勝して、満座の聴衆の中で万民のために働く騎士団創らせてくれ、って頼んだわけだから。けど、聖王国は後ろ盾にはなってくれるけど、資金を出してくれるわけじゃないし。出資者は蒼の派閥と金の派閥なんだけど……」
「あ、そーいやそーだっけ」
「うん、でも、それってそもそもが一般市民のみんなへ派閥をいいように思わせるためと、いろんな組織への牽制のためだから、そんなにたくさん金を出してるわけじゃないんだよね。だから台所、わりと厳しかったりするみたいなんだ」
「こら、マグナ……君というやつは、人の組織の内実を聞きかじりでどうこう言うんじゃない。しかも門衛に聞こえかねない場所で」
「う、はーい……でも一応間違ってない、だろ? この話」
「……やれやれ、確かに間違ってはいないがな。とにかく……自由騎士団は高い名声を持つが、財政事情は決して潤沢とはいえない。両派閥の出資すらそれぞれの頭首判断で行われているもので、代替わりしても継続されるかどうかは怪しい。しかも各都市国家の騎士たちは、彼らの存在と活動に対して強い反感を持っている」
「へ、どーしてだ? 別に悪いことしてねーんだろ?」
「だからこそだ。騎士たちからすれば、自由騎士団は自分たちの立場を否定しかねない存在だからな。税金を納めているからこそ騎士たちは市民を守ってくれる、この図式の中に税を納める必要なく自分たちを守護してくれる存在が出てくれば、国家に税を納める人間は誰もいなくなってしまうだろう?」
「あ、そっか……」
「実際にはそれほど単純ではないが、簡略化すればそういうことだ。しかも構成団員も、思想への共鳴者というよりは活計を得るべく働く騎士の次男坊三男坊、という冷や飯食いの連中が多いのが実情。自由騎士団は組織としては、まさに前途多難を絵に描いたような状況だな」
「そーなのかぁ……ルシアンにーちゃん大変だなー……」
「それを言うの、まだ気が早いかと……」
「そうだよ、もしかしたら団に入れなくって故郷に戻ってきてパパのお店で店員続けるかもしれないんだし!」
「うわー、それ想像できすぎてイヤだわ。我が弟ながら哀れなやつ」
「あはは……でも、それでも自由騎士団は、いろんな人から憧れの目で見られたりしてるんだけどね。やっぱり、悪を懲らし正義を守る英雄っていうの、カッコいいからさ」
 などと自分たちが話しているのは、聖王都ゼラムの高級住宅街の一角にある古い屋敷。を改装して作られた、巡りの大樹℃ゥ由騎士団の本部の前だった。周囲に人通り、というか巡りの大樹℃ゥ由騎士団本部を見に来たらしい人間はそれなりの数がいるのでそう目立つというわけではないが、自分たちが武装しているせいか門衛の人間に注目はされているようだ。
 ファナンにいた自分たちは、マグナたちと共にゼラムに向かう、という時、ファミィに呼び出された。自分たちに対して仕事を頼みたい、というのだ。
「リシェルちゃんは正式な金の派閥の召喚師になったわけですから、これが初仕事、ということになるわね」
「あ、はい……でも、お仕事ってどういう」
「仕事については、この命令書を見てちょうだい」
 言って差し出されたやたら豪奢な命令書を受け取り、リシェルは目を見開いた。
「『巡りの大樹℃ゥ由騎士団への書状及び活動資金の運送』……?」
「そう。知っているでしょう? 巡りの大樹℃ゥ由騎士団。彼らに金の派閥は活動資金を提供しているの。そのお金と、書状をリシェルちゃんに届けてほしいな、と思うのよ」
「あの……なんであたしを選んだのか、お聞きしてもいいですか」
「まず、能力がお仕事に合致しているから。機界の召喚術はあらかじめ運送資材が準備されていない場合の物資の運搬にかけては随一ですもの。そして次に、自由騎士団の人たちと縁故を結びやすいだろう、と思ったから。あなたたちは、マグナくんたちと一緒にゼラムへ行く予定だったんでしょう? マグナくんたちはあそこの人たちととっても仲良しなの、一緒に行けば仲を取り持ってくれるわ」
「……それに、あたしが自由騎士団員に知っている人間が何人かいるから、ですか」
「ええ。でもどちらかというとそれはおまけね。もちろんお金をきちんと届けてくれることも重要だけれど……『書状』を届けることも、とても重要なのよ」
「え?」
 きょとんとするリシェルに、シンゲンが苦笑して言った。
「なるほど……先から自分たちが関わってきた、無色の派閥の一件に関わること、ですか」
「え……!」
「ええ、もちろん。部下がやる気になっている仕事があるなら、それを優先して回すのは当たり前でしょう?」
 ファミィはにっこり笑ってみせる。その笑顔の迫力に気圧されながらも、ライは口を挟んだ。
「あの、その書状って、なにが書いてあるんですか?」
「それは秘密。けれど、悪巧みではありませんよ?」
「いや……それはわかってますけど」
「より正確に表現するとね、その書状の中身よりも、あなたたちがその書状を運んだ、という事実の方がより重要なの」
「え……」
「あ! つまり、敵の目を引きつけると同時に、公的な既成事実を作っておく、っていうことですか? 金の派閥と自由騎士団の間に強い繋がりがある、っていうことを示す、っていう」
「その通りよ、さすがリシェルちゃん。だから、あなたたちにはできるだけ人目につくように、堂々と書状とお金を運んでいってもらいたいの。危険もそれなりにあるお仕事だけれど、受けてもらえるかしら?」
「……はい。あたしにやらせてください。たぶん、あたしが適任だと思います」
 やる気の顔でそううなずくリシェルに、ファミィは嬉しげにぱんと手を打って、「じゃあ、お願いするわね」と告げた。
 そういうわけで自分たちは(楽しげに召喚獣の輸送速度やらなにやらを張り合うリシェルとミニスにやれやれと思いつつも)、マグナたちに先にゼラムに行ってもらい、サイジェントへ来る時にも使ったあのカーゴで、相当な大金(といっても召喚師たちの夜≠ノよって戦えば戦うほど金が手に入った頃はこのくらいの金はよく見ていたが)をできるだけ目立つようにゼラムへと運び、マグナたちと待ち合わせて自由騎士団本部へと向かったのだった。その途中盗賊に襲われもしたが、まぁ撃退できたのだしいいだろう。
「ちょっとギアン、それ以上近づかないでって言ってるじゃない、十歩以内に近づいたら送還術発動しちゃうんだからっ」
「……それはわかっているけれども、この距離では会話もおぼつかないと思うんだが。だからせめてというかむしろぜひともライを僕の隣にっ」
「ぜったいあげない」
「……お、来たぜ、あいつら」
「あ! おーい、ハヤトっ、みんなーっ!」
「やあ、マグナ!」
 手を振るハヤトたちにこちらも手を振る。ハヤトたちには自由騎士団本部前で待ち合わせるようミニスに頼んで言付けてあった。これを機に自由騎士団にも人員を出してもらうことになるので、きちんと全員で作戦会議をするようファミィに言われていたのだ。
 全員顔を合わせて離れていた間のことを話してから、まずは金を載せた輸送用自走小型ホバー(というらしいもの)を連れたリシェルとマグナ、そしてネスティが門衛のところへと向かっていく。
「む……あなた方は」
「やぁ、シャムロックいる?」
「む……いつも申し上げていますが、過去はどうあれ、今や我ら巡りの大樹℃ゥ由騎士団の団長である方に対してそのような口の利き方は」
「マグナ。……失礼。我々は、今回は金の派閥の議長殿から正式に依頼を受けて参りました。今回は、彼女とあなた方との仲介役を勤めさせていただきます。彼女の名前はリシェル・ブロンクス、ブロンクス本家のご息女で、このたび正式に金の派閥に参画することとなった召喚師です」
「はじめまして、ご紹介に預かりましたリシェル・ブロンクスです。この度は議長よりみなさまの活動資金をお届けするよう命を受けて参りました。団長さまにお取次ぎ願いたいのですが……」
 服もいつもより大人しげなものに着替えて、全力で猫をかぶって優しげに笑ってみせるリシェル。それに対し、なぜか門衛は顔を赤らめてわたふたと慌てた。
「あ、あなたのようなお若い女性が、ブロンクス家の。はっ、承知仕りました、ただいま団長のところへご案内いたします!」
「ありがとうございます」
「ああ、それから向こうの方にいる人たちも全員俺たちの友達だから、一緒に連れて行くから。シャムロックにはもう話ついてるから心配しないでいいよ」
「……は」
 そういうわけで話がつき、自分たち仲間は全員団長室へと案内されることになった。門から母屋に入り、造りは古いがきちんと隅々まで掃除のしてある廊下を進み、さして玄関から離れていないそれなりに重厚な(あくまでそれなり≠ネのだが)扉の前までやってきた。
 案内してくれた門衛が、こんこん、と扉を叩き呼びかける。
「団長! 金の派閥から新しい活動資金の輸送役の方々がおいでになりました。今回のご寄付もお持ちです!」
『入っていただけ』
 落ち着いた声に門衛は「はっ!」としゃちほこばって返事をし、仰々しく扉を開け中へと自分たちを導く――や、中のソファに座っていた褐色の肌の女性を見てマグナが大きな声を上げた。
「ルウ! ルウじゃないか、どうしたんだこんなとこで?」
「やっほーっ、マグナーっ♪」
「マグナ! 紹介もされないうちに失礼だろう」
「あ、ごめんっ」
「気にすることはないよ、マグナ。私も君たちの前でくらいは、息を抜いて話がしたい」
 そう言ってソファの脇の執務机の向こうの椅子から立ち上がり微笑んだのは、好青年を絵に描いたような男だった。年の頃は二十代後半で、その体つきは逞しいといっていいほどなのに、その立ち姿にはがっしりしたとか強そうなとかいうよりも、爽やかなとかすらりとしたとかいう形容の方が似合う雰囲気がある。
 その青年は、扉脇で敬礼した格好のまま直立不動の姿勢を取る門衛に向かい真面目な顔で言った。
「アーベル、人払いを。これより団の機密任務について会議を行うからね」
「はっ! ……え、いやしかし、彼らも……ですか?」
 睨むようにマグナや自分たちを睨む門衛に、青年は苦笑する。
「いつも言っているだろう、アーベル。視野を広く持て、と。騎士としての常識が、いついかなる時でも正しい、というわけでは決してないんだ」
「は……それはわかっていますが、しかし……」
「……彼らはその任務の情報提供者でもある。会議に加えないわけにはいかないだろう?」
「は……」
 不承不承出て行く門衛の背中を見送り、マグナは苦笑して青年に向き直る。
「あいつ、いつ来てもあの調子だもんなぁ。ごめんな、シャムロック、いつも気苦労かけて」
 シャムロックと呼ばれた青年(つまり彼が巡りの大樹℃ゥ由騎士団団長シャムロックなのだろう)も、同様に苦笑して首を振った。
「いや、自分で望んで得た苦労だからね。むしろ、苦労できるだけありがたいと思っている」
 そう言って微笑むその顔は、すさまじいばかりの爽やか好青年、という雰囲気に溢れまくっている。うへぇ、とライは思わず頭をかいた。
「本当に、シャムロックってば苦労症よねぇ。気苦労も苦労も買ってでもしちゃうし、気晴らしらしいものといったら剣の稽古くらいで、お酒も駄目だし甘いものもすごく好きっていうほどじゃないし。うちのケーキおいしいのになぁ」
 そう言って皿に盛りつけられていたケーキをぱくつく褐色肌の女性に(そういえばこの女性、パッフェルという女性が着ていたケーキ店の制服と同じ服を着ている)、マグナがふと気づいたように声をかける。
「あ、そういえばなんでルウがこんなところにいるんだ? しかもそんな格好で……」
「マグナ。それよりもまず先に仕事をすませるべきだろう」
「あ、そ、そっか! えっと、リシェル……」
「ええ。……はじめまして、巡りの大樹℃ゥ由騎士団団長、シャムロックさま。私は金の派閥で幹部職を務めております、ブロンクス家の長女、リシェルと申します。この度は議長より活動資金と、書状を預かってまいりました。こちらを……」
「確かに。……ブロンクス家の方々にはいつも資金等の運送などでお世話になっています。どうぞ、これからもよろしくおつきあいください」
「こちらこそ、以後よしなに」
 堪えきれずぶっ、と吹き出したのはリュームが先か、自分が先だったか。どちらにせよこちらをぎろっとすさまじい目つきで睨むリシェルに(思わず首をすくめた)、シャムロックが目をぱちぱちとさせる。
「ええと、リシェル殿……?」
「あ! いえいえなんでもありませんの、なんでも。おほほほほ」
「そんなに猫かぶらなくったっていいって、リシェル。シャムロックも傀儡戦争の時からの俺たちの仲間なんだから」
「そうそうっ。昔から真面目だったけどねっ、でもちょっとくらい貴女がおてんばなとこ見せても笑って流すくらいのことはできるわよーっ」
「って、誰がおてんばよっ!」
 反射的に叫んでから、マグナとミニス、そして他の仲間たちがにやにやしているのに気づいたらしい。ごまかすように咳払いをしてから、にっと笑って胸を張る。
「あたし、リシェル・ブロンクス。生まれも育ちもほとんど帝国の、金の派閥の召喚師で、あとミニスの友達よ。よろしくね、シャムロック」
「……こちらこそ、よろしく、リシェル」
 シャムロックは一瞬目を白黒させたが、すぐに笑ってリシェルに握手を求めた。
 それからそれぞれに自己紹介と挨拶をすませ、全員楽な姿勢で会議を始める。
「ふぅん……じゃあ、やっぱりまだゼラムでも動きらしい動きはないわけか」
「ああ、エクス総帥もいろいろと手を打ってくださってるんだが。ここまで動きがないと、無色の派閥の次の動きがゼラムだ、という情報自体を洗い直す必要性を進言する人も出てきているようだ」
「…………僕、は」
「あ、いや、君を責めているわけではない、すまない。ただ……私は、ゼラムを……そこに住まう人々を守りたいと心より思うんだ。そのためにできることはなんでもするつもりでいる。だから、少しでも確実性の高い方法を取れればと」
「…………」
「シャムロック。俺は、クラレットに無色の派閥の情報を言えと強要するつもりはないし、他の誰にだってさせるつもりはないよ」
『!』
 きっぱりと言い切ったハヤトに、キールは目を見開き、クラレットは震えた。ガゼルは仏頂面でふんと鼻を鳴らし、モナティは「マスター……」と顔を輝かせガウムは嬉しげに鳴きエルカはふふんと偉そうに笑ってみせる。
「ハヤト……」
「もちろんゼラムの人々の平和は守る。でも、俺はそうやって普通に守られない人々の平和も守りたいんだ。それが『無色の派閥』って呼ばれてる人々のものだったとしても」
『…………』
「……なぜ、そう思うんだい。無色の派閥は法を無視し、人や召喚獣の命をほしいままにする輩だ。なぜ、そんな人々の平和を守ろうと?」
「たとえば、君と俺は違うよな。考えていることも、望んでいることも」
「……そうかもしれないね」
「それが一緒に生活をするには決まりがいる。それが制度として整えられたのが法だ」
「ああ」
「だけど、法はいつも完全に守られるわけじゃないよな。ちょっとくらいならと思って破る奴も、自分の力をいいことに法を無視する奴も、そもそもまともに法を守る奴がバカだって周りを馬鹿にして法の隙間をくぐる奴もいる」
「そうだね」
「だけど、それでもそいつの中に法≠ヘあるんだ」
「? どういうことだい」
「どんな悪事を行う奴も、本当にそれが間違っている≠ニ思ってる奴はあんまりいない。たいていはそれぞれに、それが正しい、というか……間違っていないと思ってやってるんだ」
「……盗みや、人殺しや、人を貶めることも?」
「うん、そう思う。それが明らかに人を害することでも、『自分には力があるから』『こいつらは弱いから、馬鹿だから』……『こいつらは自分とは違う≠ゥら』なにをしてもいい、と正当化してるんだよ」
「!」
「これって、質の悪い貴族とかと同じ理屈だよな。もっと言うなら召喚獣や召喚師を忌避する『一般市民』と同じだ。もちろん『一般市民』を蔑む召喚師ともね」
「…………」
「もちろん、誰でもやっているから正しい≠けじゃ全然ない。ただ、まったく違う人それぞれに世界はあるし、それぞれの中で通用する法もある、って……無色の派閥が間違っているのと同様に、いろんな人が間違っているんだっていうだけだ」
「……そうだね」
「それで、俺は法で守られないような人たちの、普通≠ゥら疎外される世界も守るんだってずっと昔に決めてるんだ。違う$lたちの間に互いが同じ場所に立つための橋を架ける力になると誓ったんだ。だから、俺の力の及ぶ限り、全力でどんな人の幸せも守る」
「……相手が人を殺そうとしていたとしても? 罪を犯そうとしていたとしても?」
「そういう時はとりあえず殴って、動けなくなってから話をするよ。でも、相手が心の底からしてほしくない、って思ってることは、俺の全力でしないように、させないように頑張るんだ」
 ガゼルがふん、と鼻を鳴らし、肩をすくめた。
「お前らしいわ」
「ま、こういうことが言えるのは、俺がたまたま誓約者だったりするのと……お前みたいに頼りになる仲間がいるからなんだけどな?」
「ケッ、抜かしやがる」
「だから、シャムロック。君にも頼む。今回は、俺と一緒に、今手の届くところにいる人みんなの幸せ、守ろうとしてみてくれないか?」
 真剣な顔ですっと差し出すハヤトの手を、シャムロックは同様に真剣な顔で握った。
「わかった。……私の剣は民を守るためにある、その守るべき民が増えるというのならこれほど嬉しいことはない。あなたの手が、目に映る人々の心全てを守ろうというのなら、私は目に映る人々すべてに害が及ぼされぬよう剣を振るおう」
「ありがとう、シャムロック」
「いや、こちらこそ初心を思い出させてもらった、ありがとう」
 ハヤトは笑顔でシャムロックと手を握り合い、言葉を交わす。ちらりとクラレットを見ると、クラレットはほとんど呆然としながらハヤトの方を見ていた。まるでありえないものを見たかのように。今まで見たことのないものを見たように。
 それに気づいたのか、ふいにちらりとハヤトはクラレットに視線をよこすと、茶目っ気たっぷりにぱちっとウインクをしてみせた。妻とか家族とか恋人とか、そういう大切な相手に向けるように特別感たっぷりに。
 ぼんっ、とクラレットの顔が真っ赤になるのを横目で見る。ライですら心臓が一瞬どきりとした。これはなんというか、そりゃ惚れて当たり前だわ、というやつかもしれない。

 いったん休憩を取ってから(ルウという人の持ってきていたホールケーキが役に立った)、改めて会議を再開する。
「……やはり大量の人員を捜査に投入することはできないか」
「情報の真偽を問う人間がいるような状態だからね、さすがに現場責任者がうんと言わないだろう。それにそれほどの人員を投入すれば、別の方面への抑えが利かなくなる。現在レナードさんを呼んで聞き込みに回ってもらっているんだが、はかばかしい成果はない状態だ」
「ふむ……手詰まりだな。情報が足りなすぎる。僕はこれまでの事実から相手の行動原理を推測できないか派閥の書庫を調べてみることにする」
「あ、じゃあ俺も手伝うよ。ネスの補佐は慣れてるし」
「なにを言っている。君ももう一応は一人前の召喚師として扱われているんだ、相応に働いてもらうぞ?」
「え、えぇ? ネスの一応ってあんまり一応の範囲に入らないからなぁ……」
「俺はこの街の裏の奴らの情報を当たってみる。蛇の道は蛇だ、底まで探ってみりゃなんか出てくんだろ」
「お、やる気になってきたな。じゃあ俺はキールたちと召喚獣たちの声を聞いて回るよ」
「……たち、というのは。私も、ですか?」
「えっと、君が嫌っていうならしょうがないけど、ずっと部屋に篭もってても退屈だろ? 一緒に散歩につきあってくれよ。キールがいるから、俺に変なことされないか、みたいな心配はしなくてすむだろ?」
「べっ、つにそういう、心配は、していません」
「そうかい? なら一緒に行こうよ! 駄目かな」
「……別に、一緒に散歩するだけなら、かまいませんが」
「うん、ありがとう」
「パッフェルはエクスさまたちとの連絡も含めて一番動き回ってるから、ルウがお店でみんなの連絡役やるからね。キールに教わった召喚術を使えば、街ひとつくらいならどこにいても呼び出しができるから。ケーキ屋さんなら人が集まっても目立たないでしょ? そのためにファナンから呼ばれてきたんだもの」
 それぞれに自分がどう動くか考えを述べる中で、ライはふむ、と考えていた。自分たちはどう動くか。頭を使うことは苦手だが、正直この土地は不案内だし、情報収集の段階では自分にできることはあんまりなさそうなのだが。
 と、シャムロックが考え深げに口を開いた。
「我々自由騎士団も、動がせる人員はできるだけ動かすつもりだ。ただ、生半な人間を君たちの足手まといにしかならないと思うので……」
「人員削るってか」
「いや、切り札を投入するだけだ。……ルヴァイド特務隊長とイオス副隊長が、今ゼラムに戻っている」
『!?』
「よく知っている人も多い中なら、誤解されやすい彼も問題なく任務を果たせると思うよ」
「……ルヴァイドのおっさん、今ここにいるのか!? じゃあ、もしかして……」
 思わず口を挟むと、シャムロックは一瞬きょとんとしてから笑ってみせた。
「ライくん、だったね。ああ、ルヴァイド特務隊長は今ゼラムにいる。部下のイオス副隊長と……君たちのよく知っている、見習い騎士のアルバもね。今は道場にいると思う。会いに行ってあげてくれるかな?」
「おうっ!」
 即座に立ち上がり部屋を飛び出す。考えてばっかりでは頭が痛くなる、そういう時はとりあえず動いて心身をすっきりさせなければ。
「あっ、おい、待てよーっ」
「パパぁ、ミルリーフもーっ」
「ルヴァイド、いるのか! じゃあ久しぶりに顔見にいこうっ」
「おいこら待て、マグナ!?」
「ケケッ、ここよりはまだ寝心地よさそうだぜ」
「ばっ、バルレルくんってばっ、そういうの、よくないよっ」
「道場っていうことは、レイドもいるよな。レイドに顔を見せに行って、その時たまたまアルバと会う、っていうことだったら、まぁしょうがないんじゃないか、ガゼル?」
「なっ……別に会いたいなんて言ってねぇだろ!? 俺は行かねぇからなっ」
「そうか? 俺は会いたいから行っちゃおうっと」
「コラてめぇずりぃぞっ」
「………いや、みんな。私は会議が終わってから、というつもりだったんだが……」
「まぁまぁ、そんなに落ち込まずに」
「私たちも一緒に道場行きましょう?」

「アルバっ!」
 だだっ、と道場の前までやってきて声を上げると、ちょうどばしぃんっ、と音を立てて対戦相手を吹っ飛ばした懐かしいまだ若々しい背中がぐるりと捻られた。顔がこちらを向き、視線が合い、表情をぱぁっと輝かせる。
「ライ! ライじゃないかっ、どうしたんだこんなところで!」
「アルバ騎士見習い! まだ稽古中だぞ!」
「あ、は、はいっすいませんっレイド指南役っ!」
 大きく頭を下げつつ、アルバがちらりとこちらを見て『またあとで』と口を動かすのに、大きくうなずいて道場の入り口から中を眺める。
 自由騎士団の道場ということだったが、実際それなりに水準の高い稽古のように見えた。今の自分の目から見るとあくまで『それなり』なのだが。
 自分がちゃんと戦っているところを見た団員はルヴァイドとイオスとアルバだけだが、今見てみるとこの三人は団員の中でも最高水準の力の持ち主だったのだということがわかる。ルヴァイドとイオスの戦いぶりをじっくり見たのはヒトカタの符で作り出した傀儡としてだが、ルヴァイドは総合的な戦闘力では仲間内でも一、二を争うほどだったし、イオスの速さと技はついていける者がほとんどいないほどだった。
 そして、アルバは無限回廊で鍛えまくったせいも大いにあるのだろうが、一撃の重さでは仲間内でも有数だったのだ。その分足が遅かったり技術的に低めだったりもするが、それは戦い方で充分に対処できるものだったし(夏空ロケットで移動力上げたりとか。今でもアルバはそういったアクセサリを持っているはずだ)。
 実際、今やっている稽古の中でも、アルバの動きは群を抜いていた。稽古用の木剣を振り回すごとに、あるいは相手の武器が落ち、あるいは相手が打ち倒される。初撃を受け止めた相手も、それから数合も持たないことがほとんどだった。
「なんか……アルバ、張り合いなさそうだな」
「そうだなー、他の奴らアルバにーちゃんの相手になってねーし」
 自分の隣においついてきたリュームがこっくりうなずく。いつの間にやってきたのか、他にも何人もの仲間たちがいつの間にか道場の入り口に溜まっていた。
「本当に腕を上げたな、アルバ。ガゼル、お前でも正面からぶつかったら厳しいんじゃないか?」
「ケッ……くだらねーこと言ってんじゃねーよ」
「あ、ちょっと動揺してる」
「してねぇ!」
「うん、でも本当に半年前まで普通の騎士見習いだった子とは思えない強さだよ。これって、やっぱりライたちと一緒に戦ったせいなのかな?」
「俺たちと、っつーか……なんでもさ、俺たちの関わってた状況が、召喚師たちの夜≠チつー場? だっけ? そーいうのを作ってたらしくて、実戦経験積んだだけどんどん強くなっていけたんだよな。あと、シャオメイ……本名はメイメイっつーらしいけど、そいつが無限回廊っつー魔力とか力とかを思いきり鍛えられる場所に連れてってくれて……」
「え、ほんとに!? もしかしたらとは思ってたけど、それじゃあ俺たちとほとんど同じじゃないか!」
 などと入り口でわいわいと騒いでいると、つかつかと男――レイド指南役とアルバに呼ばれた黒髪の男が歩み寄り、厳粛に告げた。
「稽古中は、部外者の方はお静かに。それが聞けないというなら稽古の見学はお断りします」
『……はい、すいません……』
 セクターにも似た教師らしい迫力に満ちた声に、思わず揃って頭を下げる。と、そのレイドというらしい男はふっと笑ってみせた。
「まぁ、それはそれとして。久しぶりだな、会えて嬉しいよ、ハヤト、ガゼル。それに他のみんなも」
「……ああ、久しぶり、レイド! 元気そうでよかったよ!」
「ったく、相変わらずの石頭みてぇだな?」
「指南役を任されてる以上締めるところは締めなくてはな。そちらの子たちは? 初めて見る顔のようだが」
「あ、えーとさ、この子たちは前にアルバが関わった事件で世話になった子たちなんだよ。報告受けてるだろ? アルバがこれだけ強くなったのも、この子たちの事件に関わったせいなんだぜ」
「俺らのせいみたいな言い方止めろっての」
「ほう……それは。アルバが世話になったね、ありがとう。……ということは、この子たちも腕に覚えはある、ということかな?」
「ああ、今までに何度か見たけど、相当な腕だよ」
「よし、ちょうどいい。君たち全員……の中の腕に覚えのある者は、稽古に参加してもらおう」
『え!』
「……って、いいのか? 俺たちとしては構わないけど、部外者が団の稽古に参加して」
「君たちは本部に入ることを許されたんだろう? ならば完全に部外者というわけじゃないさ。それに強い稽古相手はいつでも歓迎だし……それ以上に、いわゆる正規の剣術教育を受けたわけではなくても強い、という相手の存在を騎士見習いたちに認識させるのはちょうどいい。どうですか、団長?」
「え」
「かまわないよ、レイド。確かにちょうどいい機会だろう」
 いつの間にやってきたのか、シャムロックがすっとレイドの前までやってきてうなずく。
「むしろ、私も稽古に参加させてもらいたいな。ここのところ体がなまっていたところなんだ」
 その言葉にこちらの様子をうかがっていた団員たちがざわめいたが、レイドは微笑んで「それがいい」とうなずき、声を張り上げた。
「団員諸君! 団長殿がある任務のために特別に招致した方々が稽古をつけてくださるそうだ! 全員これぞ自由騎士団、といわれるだけの力を見せつけよ!」
『はっ!』
 団員たちが揃って声を上げ、こちらを睨む。やれやれ、と思わず肩をすくめた。このレイドという兄さん、血気盛んな奴らの動かし方というのをわかっている。こう言われたら団員たちは勇んで全力でこちらにぶつかってくるだろう。
「しゃーねぇな……竹刀あるか?」
「もちろん」
「俺は木剣だな。大剣の方が好きだけど、ないなら普通の剣でも」
「俺も木剣〜。バルレルは槍でいいんだよな?」
「はァ? 俺もやんのかよ? 面倒くせェなァ……」
「なんだよ、勝つ自信ないのかよ? 俺はやるぜっ、自信あるからなっ」
「……あァ? ふざけんなこのガキッ、なんなら今ここでケリつけてやろうか!?」
「こら、バルレル、子供相手にムキになんなって」
「それにせっかくやる気になったというのなら、その力は団員たちにぶつけてもらいたいな」
「ケッ……いいぜェ、やってやろうじゃねェか。その代わり命の保障はしねェけどなッ!」
「命に関わるような大怪我させたらお仕置きだぞ〜。レシィはどうする?」
「え!? あの、そんな、ボクは腕に自信なんか」
「そうかな? 今のお前ならけっこうやれると思うんだけどな」
「……が、頑張って、みます」
「お、カッコいいぞ!」
「……ケッ」
「こっちからは俺と、リュームと……シンゲンはどうする?」
「そうですねぇ、好き好んでやっとうの稽古する趣味はありませんし、できればご遠慮したいところなんですが……」
「無理にとはいわないが、ぜひともあなたには稽古をつけていただきたい。あなたがどれだけ見事な技を持つサムライかはアルバからよく聞かされている」
「……とまぁ、ここまで見込まれては、稽古ぐらいつけないと今後のおつきあい上よろしくないでござんしょ?」
「マグナとレシィがやるんだったら、ユエルもやるっ!」
「え!? いや、しかしユエルさん、あなたは女性……いや、だからといって戦う力がないわけではないことは、私も何度も思い知らされているな。どうか、よろしくお願いします」
「うんっ、まかせといて、シャムロック!」
 そうしてそれぞれに準備が終わると、稽古が始まった。
「はっ!」
 すぱぁん! といういい音が相手の頭から響く、と同時に相手が白目をむいて倒れた。だっらしねぇなぁ、とこっそり思ったが、当然口には出さずにぽんぽんと肩で竹刀を跳ねさせてみせる。
「……っ、お願いします!」
「おう!」
 挑発されているのがわかったのか、顔を真っ赤にして新しい団員が突っ込んでくる――のをライは素早い足裁きで微妙に距離を取りつついなし、動きが止まったところを狙って脳天に一撃を加えた。またもすぱぁん、といい音がする、と同時にまた相手はひっくり返る。
「はっ!」
「たっ!」
 向こうではハヤトとマグナがそれぞれにばったばったと稽古相手を薙ぎ倒していた。この二人は、それぞれの仲間内で大将格とされているだけあって、やっぱり強い。安定感ではおそらく自分よりも上だろう。実戦ではこれに召喚術も加わるのだから、はっきり言って反則ものだ。
「ふぅっ……絶対、勝つっ」
「へっ……十年、早ぇんだよっ」
 その隣ではアルバとガゼルが一対一でかなり本気入った勝負をしている。ガゼルはアルバたちの父親代わりだったそうだし、アルバとしては経験を積んで自分なりに自信を持てた強さがどこまで通用するか試したい気持ちもあるのだろう。
 速さと巧さでは圧倒的にガゼルだが、一撃の重さと耐久力はアルバの方が上だ。アルバの苛烈な打ち込みをどうしのぐか、捌くか、これはなかなか面白い組み合わせだと思った。
「らぁっ! いい加減、負け認めやがれ、このクソガキがッ!」
「つぅっ! それは、こっちの、台詞、だぁっ!」
「ぐぅっ!」
 その脇ではリュームとバルレルがやりあっている。お互い得物は槍だが、バルレルはどちらかといえば速さ重視の戦士、リュームはあの小さな体で高い耐久力と腕力を持っている。今は攻撃をうまくいなされやや押され気味だが、リュームの攻撃力が爆発すれば勝機は充分にある。頑張れよリューム負けんなよ、と(リュームがやられているという絵面にこっそりムカムカしながらも)応援を飛ばす。
 その向こうではぴしぴしぴしぴし、と閃光の速さでシンゲンが竹刀を振るい、四方八方からかかってくる相手の武器を落としていく。平然と笑顔を浮かべたまま、息も乱さず武器を落とされるという事態に相当頭にきているのだろう、団員たちは何度も武器を取り直しかかっていくが、シンゲンの見切り、捌き、かわす技術は仲間内でもアカネに次ぐ。こういう雑魚相手の戦いではおそろしく強いのだ。団員たちには悪いが、まぁ修行ということで勘弁してもらおう。
「えいっ、やぁっ、たぁっ!」
「え、えいっ、えいっ!」
 その奥ではユエルとレシィが背中合わせになりながら団員たちと戦っている。ハヤトたちほど圧倒的ではないが、ユエルも相当にやる方だ、団員たちは蹴られ殴られ投げられ、と次々倒れていく。レシィも力不足な感は否めないが、必死にユエルの背中を守っていた。二人の息の合い方は見事なものだったので、実際これはいい稽古になるだろう。
「はーいっ、倒れた人はミルリーフたちがお手当したげるねっ」
「救急、救命、怪我治療」
 倒れた奴らはミルリーフとコーラルが応急手当をし(なんでもポムニットに教わっていたらしい)、次々と目覚めさせていく。あいつらの声援は実際受けると力が湧いてくるので、適性人材だろう。
 レイドとシャムロックも双方かなり本気でぶつかり合ったりして(模範稽古ということで。もちろん他の奴らとも何度もぶつかり合っている)、道場はおそろしくにぎやかだった。
 ――と、ざわり、と道場の入り口の方がざわめいた。
「特務隊長だ」
「え、特務隊長!?」
「ルヴァイド特務隊長がおいでだぞ!」
「副隊長のイオスさんもご一緒だ!」
 ほとんどどよめくような声を立てながら、ざっと道場内に群れていた団員たちが海が割れるように左右に分かれ、ざっと敬礼する。その道を、半年近く前に見たのとまったく変わらずに、堂々と、悠々と赤毛を長く伸ばした偉丈夫――ルヴァイドと、その斜め後ろに当然のように控える中性的な金髪の副官――イオスが歩いてきた。
 一瞬で道場内の空気が固まる――のはわかったが、その顔を見るとつい懐かしいという思いが先に立って、笑顔で手を振ってしまった。
「おう、ルヴァイドのおっさん、イオス! 久しぶりだな!」
『…………!!!』
 周囲がどよっ、とどよめいた。小声でぼそぼそと、早口に言葉が飛び交う。
「あ、あのガキ、どんだけ命知らずなんだ」
「殺されるぞ絶対……イオス副隊長も許しちゃおかないだろうし」
「ルヴァイド特務隊長も絶対問答無用で無礼討ちだろうな……あのガキがいくら馬鹿みたいに強いって言っても、ルヴァイド特務隊長にかなうわけがない」
 うっへールヴァイドのおっさん怖がられてんなー、とこっそり苦笑する。そりゃまぁ親しみやすい人柄とはお世辞にも言えないが、あの二人は別に心が狭いわけでもないというのに。イオスがヤバいくらいルヴァイドに傾倒しているのは確かだが。
 イオスがわずかに眉をひそめる。ルヴァイドがこちらを向く。そして重々しい表情のまま呟いた。
「お前は……ライか」
「おう、久しぶり」
「確かに、久しいな。だが、団長から話は聞いていたが、まさかこのようなところで会うとは思っていなかった」
 周囲がざわりとざわめく。イオスがふぅ、と小さくため息をついた。
「ルヴァイド様……団員の前でそのような気安い口を利いては、下の者に侮られます。ご自身の影響力というものをご理解いただかなければ」
「そう言うな、イオス。この者は年若いが、敬意を払うに値する戦士だ。そのような相手に侮るような口を利くことこそ、騎士としての道を外れることになろう」
「ですが」
「……ならば、この者たちが敬意を払うに値する戦士だということを全員にわからせればよいのだな」
 す、と手を上げるや、団員の一人が駆け寄ってきて差し出す木剣を受け取り、すっと構える。それだけで、圧倒的な威圧感がこちらに向かい吹きつけてきた。
「ライよ。ひとつ、手合わせ願おうか」
 どよ、と周囲が今度はどよめいた。ライはげ、とこっそり思いはしたものの、ぽりぽりと頭を掻いてからこっくりとうなずく。
「いいぜ」
 この状況じゃ退けるわけがないし、一度ルヴァイドと稽古して勝てるかどうか確かめてみたかったのも確かなのだ。どよめく周囲の中で、す、と竹刀を正眼に構えた。
 ふ、とルヴァイドは笑んで、構えたまますす、と場所を移動する。ざっと団員たちが場所を退き、道場の中心に大きな空間を作った。うっわールヴァイドって本気で怖がられてんだな、とまたも内心苦笑した。団長のシャムロックでもここまでじゃなかったというのに。
 まぁ、こちらとしてもその方がありがたい。す、す、とライは静かな足捌きでルヴァイドと間合いを取った。
「……なんでどっちも攻撃しねーんだろ。さっきからぐるぐる回ってるだけで」
「……驚いたな、これは。あのライという少年、ここまでとは……」
「確かに。あの若さで、これほど間≠フ恐ろしさを知っている者はそうはいません」
「へ? なんだそれ、どーいうことだよ」
「バーカ。あいつらァな、今有利な位置取りしようと必死になってるとこなんだよ。実力が伯仲してる相手同士が武器を取って戦やァ、位置取りで戦いの大方が決まっちまうんだ」
「へ……そーなのか?」
「まぁ、確かにそういう一面はござんすね。そしてご主人はそういった戦いの進め方の勘がいい。百戦錬磨のルヴァイドの旦那も、そう簡単にはいかないということでしょう」
「……ライ……ルヴァイド隊長……」
 ぐっ、とライは無造作に一歩を踏み込んだ。ルヴァイドには明らかな隙、と見えたことだろう。予想通り、ルヴァイドはずんっと素早く踏み込み、全速全力で剣を振るってきた。
 ライはその攻撃にすすす、と間を取った。ルヴァイドの攻撃の軌道から二歩の間を置いた位置にまですり足で後ずさる。
「……あんな風に避けてたら攻撃ができないじゃ」
「いや、待て!」
 ルヴァイドは必殺の一撃に間を外されても、さらに踏み込んで剣を振るってきた。苛烈な木剣の一撃が、ライの首を刈り取らんと振るわれる――
 よし、読み通り!
 ずばんずばぁん! と鈍い音を立てて、ルヴァイドの左腕に二度竹刀を打ち込んだ。その部分がぱっと赤く染まり、腕がわずかに震えるのを、ルヴァイドがはっとしたように見る。
 ライはさらに素早く体を移動させながら竹刀を振るう。ルヴァイドは木剣で受けようとするが、追いつかない。追い込むようにさらに左腕へと集中させたライの打撃は、着実にルヴァイドの体に浸透していった。
「な……ルヴァイド隊長が、受けきれてない……!?」
「なるほど……店主殿、最初からこれを狙ってらっしゃいましたか」
「どういうことだ、シンゲン?」
「先ほど店主殿が一見無造作にルヴァイド殿に向かい踏み込まれたでしょう? あれはルヴァイド殿に対する誘いの手だったんでしょう。そこに放たれた必殺の一撃を、最初から大きく避けるつもりだった店主殿は、余裕をもってかわされた。……ただし、あとひとつ踏み込めば致命の一打を与えるに届く、というぎりぎりの間合いで」
「当然、ルヴァイドはそこに踏み込み、攻撃を与えようとする。が、それこそが彼の狙いだったのだろうな。自身迎え撃つように踏み込みながら、けれど絶妙な体捌きで向きを変え、ルヴァイドの攻撃が微妙に届かない間合いから神速の連撃でルヴァイドの利き手を狙ったんだ」
「小手打ちでの武器落とし狙いか。しかもあいつ、あの連撃きっちり使いこなしてやがる……端っからアレ使うつもりでいやがったか。……チッ、でかい口叩くだけのことはあるってことかよ」
「あの二連撃、あいつの得意技なんだよな……なんも考えないで突っ込んでくとたいていあれにやられるし」
「お父さんは、あれを銃でも使えるから……」
「銃で連撃!? どうやってるんだそんなの。ライって器用なんだな、そんなにいろんなことができる奴、俺だって見たことないよ」
「うんっ! もっちろん、パパは世界一だもんっ!」
「……だが、ルヴァイド殿もそう簡単に負ける男ではない。これからどうなるか……」
 ライはざざっ、と懸命に足を捌いて移動する。一瞬でも足を止めれば、それはすなわち負けを意味した。
 ライとしてもあの二連撃は賭けだったのだ。あの連撃は全力で踏ん張らねばならないため、使う時はどうしても足を止めることになる。つまり、どうしてもルヴァイドの間合いにつかまってしまうのだ。
 だが、ルヴァイドとライではまっとうにやれば、腕力と耐久力の差で勝ち目はない。ついでに言うならルヴァイドは自分よりも戦闘経験は上だろう。どうしたってこちらが不利だ。
 ならば、勝つためには不意討ちから一気に流れをこっちに持っていくしかない、と連撃を使った策を(戦いながら)考えたのだが――
「っ!」
「はぁっ!」
 ルヴァイドの嵐のような攻めを、必死に受け流す。この、反撃の間を与えない怒涛の攻撃。これがある限り、こちらの奪った優位は絶対にはなりえない。
 思いきり利き腕を痛めつけてやったつもりなのに、それを微塵も感じさせない剣閃。必死に受けているが、それでも着実に体に攻撃の痛手は蓄積されていく。普通の相手なら後の先を取った一撃で着実に追い詰めていけるが、ルヴァイドの攻撃には反撃をする隙がまったくない。
 それでも必死に間を調整しては常にルヴァイドの間合いよりわずかに遠い距離から一撃を加えてはいるが、それを無視してルヴァイドは素早く間合いを詰め剣を振るってくる。自身の振るう瀑布のような剣の、戦いの流れを制する強さを信じているのだろう。
 そして、確かにその剣技は、信じるに足るものだった。利き手に痛打を与え、確かに腕の動きは鈍っているというのにその苛烈なこと。――このままでは、先に自分の方が耐えられなくなる可能性が高い、とライの頭のどこかが冷静に判断した。
 くそ、と奥歯をかみしめながら必死に足を動かし、竹刀を振るう。と同時になんとか打開策を考えようと頭を回転させるが、そんな悠長な時間を与えてくれるほどルヴァイドは甘くない。ざっと踏み込みライの首を刈ろうと鮮烈な一撃を放ってくる――
 その一瞬。ライがはっとしたのと体を動かしたのはほぼ同時だった。
「っく!」
「ぬっ!」
 その一撃≠ナ互いが数歩後ろに吹き飛ぶ。が、当然ライはそれを無視して再度突撃した。あと一歩、ここで押せなければ自分の勝ちはない!
「っらぁっ!」
「ふ……!」
 ずおん。空気を裂く音が遅れて聞こえた、と思うほどの速さで、剣が交わされる。
 ――そして、その刹那ののち、互いの武器が同時に地面に落ちた。
 どよっ、と周囲がどよめく中、ライは疲労に耐えきれずふらふらっ、と腰を床につけ、両手を上げて叫ぶ。
「あーくそっ、俺の負けだっ! 降参だよ、ちくしょう」
 一瞬の沈黙ののち、わっと周囲が沸いた。ルヴァイドに騎士団員たちが駆け寄るが、一番早く(閃光のような速度で)駆け寄りタオルを差し出したのは当然のようにイオスだった。
 やれやれ、と苦笑していると、こちらにもミルリーフが心配そうな顔で駆けよってきてタオルを差し出してくれる。ライはにかっと笑って礼を言った。
「ありがとな、ミルリーフ。……あと、悪ぃな、勝てなくて」
「そんなことないよっ! パパ、すっごくすっごくカッコよかったもん!」
「……見事な試合、だったかと。見応えあったし……本気で戦うお父さん、きれいだった」
「きれいって……コーラル、そりゃ男に言うこっちゃねーだろー」
「……ったく、負けてんじゃねーよっ、俺の親父なくせしてさっ! カッコわりーったらありゃしねーぜ」
「あーっ、リューム偉そうなこと言ってぇ! リュームだってパパに見惚れてたくせにっ」
「なっ、あれはなぁっ、そんなんじゃなくてっ」
「言い訳、みっともないかと。早めに認めれば、傷も浅い」
「う、うー、うーっ……、……、ま、まー、頑張ってた、んじゃねーの? まー、その、えと……お疲れ、さま……」
「はいはい、わかってるって。ありがとな、リューム……コーラルもな」
「……うん」
「………う、ん………」
 自分を取り囲み騒ぐ子供たちの向こうから、仲間たちが声をかけてきた。それぞれに嬉しげというか楽しげというかな笑顔だ。
「お疲れさまでした、御主人〜。見事なもんでしたな」
「素晴らしかったよ、ライ。僕は武芸には詳しくないけれど、君の動きは美しかった……まさに天使の、いや妖精のか、創りたもうた芸術品、時を止めていつまでも鑑賞していたいとすら思えるほど端麗で、いや時を止めるなど無粋にもほどがあるね、君という存在は生きて動いているからこそなによりも美し」
「あーはいはい、わかったからちょっと黙ってろギアン。……っつーか、シンゲンに見事っつわれるとは思ってなかったぜ。けっこう無様だったんじゃねぇ?」
「いえいえ、そんなことは。確かに自分でしたらもっとうまくやるでしょうが……これだけみなさんに感嘆されるのはご主人ならではですよ」
「……ていうか、あたし最後の方なにがどうなったのかよくわかんなかったんだけど……あんた、いったいなにやったわけ?」
 リシェルが少しばかり難しい顔で言うのに、ライはあっさりと答えた。
「武器破壊狙いの攻撃やったんだよ」
「……は?」
 思わずといったようにリシェルがぽかんと口を開けるのに、ライは苦笑しつつ説明する。
「親父からガキの頃教えられた技っつーのは、いくつかあんだけどさ。そん中に、武器を狙って壊す技っつーのがあるんだよ。剣の都ワイス……なんとかっつー街の鍛冶師に代々伝えられてるやつらしいんだけど。そこの鍛冶師たちは普通に命懸けて切った張ったしてる中で武器を使えなくするのに長けてるらしいんだ。ま、もともとは武器の研究のために生まれた技らしいけど」
「……それが? あんたさっき別に武器壊してないじゃない」
「やろうとしてたのは似たようなもんなんだよ。武器を直接攻撃して使えなくする。ルヴァイドのおっさんの攻撃は、受け流すのがとんでもなく難しい。その後の反撃に繋げるように受けるなんてほぼ不可能だ。けど、機を合わせることだけに集中すれば、攻撃してきた武器にこっちの攻撃を当てることはできる」
「え……えぇ!? そうなの? そっちの方が普通難しくない?」
「普通ならば。ですが御主人はとんでもなく目がいいので、たとえルヴァイドさんの剣技であろうとも剣筋を見ることはできるのですよ。ただルヴァイド殿などは見えても受け流せない勢いで攻撃をしてくるだけでね」
「あとは攻撃をするだけの時間的な余裕がありゃいい。さっきルヴァイドのおっさん、一瞬力んで深く踏み込みすぎたんだ。つまり、うまくかわせば隙ができるわけ。そこに武器破壊技を使って、互いの体勢が崩れて、そこに続けて武器破壊技を使ったら、お互いの武器が吹っ飛んだ」
「え……ならなんで、あんた自分で負けなんて」
「吹っ飛んだ時の体勢だよ。俺たちはどっちも深く相手の間合いへ踏み込んでたからな。お互いかなり前掛かり、もうちょっと手を伸ばせば肩がつかめる距離。そんな間合いじゃ、殴り合いつかみ合いになっても勝ち目ほぼねーからな。やってやれねーことはなかっただろうけど……ぶっちゃけ、俺としてもそれなりに自信あった一撃をそのままぶち破られて気力体力萎えてたし、まだやるとしたら死力尽くした戦いってのになる。試合でそこまでやっちまうわけにはいかねーだろ、ルヴァイドのおっさんにとっても……俺にとってもな」
「俺にとってもってなによ」
「だから、俺もそこまでやったら力使い果たしちまうってことだよ。そりゃいっくらなんでもまずいだろ、このあとやんなきゃなんねー仕事があんのにさ」
「うわ、なによ殊勝じゃない。そんなにこの仕事本気でやる気だったの?」
「金もらうんだから当たり前だろ。お前は違うのかよ」
「あたしは派閥とも関わりあることだもの。召喚師として無色を放っておくわけにはいかないし。でもあんたの目的とはそぐわないんじゃないかって思ってたから」
「んなこたぁねぇだろ」
「なんでよ」
「無色の派閥って連中が、なにを考えてるのかは知りたいって思ってたしな……と」
 人の囲みを抜け、ルヴァイドが静かにこちらに向かい歩いてくる。ライが立ち上がり身構えると、ルヴァイドは口の端に笑みを佩きながら首を振った。
「そう緊張することはない。ただ、一言言いたかっただけだ。――ライよ、心弾む一時であった。見事な腕だ、確かに敬意を払うに値すると証せられるほどに。また剣を交える時を楽しみにしている」
「……そりゃ、どうも。あんたもさすが、大したもんだよな……わかっちゃいたが」
 ふ、とルヴァイドは笑んで背を向ける。イオスも会釈してその後に続いた。騎士団員たちは自分たちを遠巻きにしてちらちら視線を向けながら、めいめい話している。ルヴァイドを囲んでいたマグナたちも戻ってくる――と、それより早く、ぼうっとしていたアルバがたたっとこちらに駆け寄り、目を輝かせて言ってきた。
「すごい……すごいよ、ライ! ルヴァイド隊長に認められるってこともだけど、それだけじゃなくて、あんな、あんな……本当にすごい! やっぱりライはすごいよ!」
「ったく、なんだよ他人事みてーに。お前だって十分すげーだろーが」
「えっ……」
 アルバは一瞬ぽかんとしてから、ぽぽっと顔を赤らめ、少しばかりか細い声で「そう、かな」と言う。それにライは当然にやりと笑ってやった。
「当たり前だろ。お前は本当、大した奴だよ。戦力として、当てにしてるからな」
「え、いや……うん! 頑張るよ、任せてくれ!」
 目をキラキラ輝かせてぎゅっ、と手を握ってくるアルバに笑って握り返してやる――と、ギアンが「ライっなぜそんなもう何か月も会っていない相手にそんなに親しげにっ、できるならば僕にこの僕こそにその小さく柔らかい手を差し伸べてくれても」と悶えていたので蹴り飛ばした。

「マグナ、ハヤト、ライ。ちょっといいかい?」
 とりあえず今日は自由騎士団本部へ泊ろうということになり、道場で寝る準備をしているとシャムロックがやってきた。難しい表情で、なにやら考えている顔だ。
「いいけど、なに?」
「いや……ここでは。少し場所を移して話がしたいんだが」
「えーっ、なによぉ、気になるじゃないっ」
「私たちには聞かせられないわけ? それってみずくさすぎるじゃないのっ」
「マグナたちのことなら、ユエルも聞きたい!」
「マスターたちについてのことなら、モナティたちもちゃんとお聞きしたいですのぉ」
「いや、これは、その……」
 困った顔になってから、少し考え。「……まぁ、実際に行く時になればわかることだし……」と呟いてから、うんとうなずいて口を開く。
「では、言うが。聖王陛下から、君たち三人にお茶会へのお誘いが来ている」
『……は?』
「この国を治めておられるいと尊き聖王陛下、スフォルト・エル・アフィニティスさま。あの方から君たちに、お茶会への招待状が来ているんだよ。三日後の……私と、ディミニエさまとのお茶会の際に同席する、という非公式の形になるんだが」
「……はぁぁ?」
 ライは思わずぽかん、と口を開けたが、なぜかリシェルが嬉しげな声を上げた。
「あっ! ディミニエって、聖王女ディミニエさまよねっ! サーガにもいっぱい詠われてる、自由騎士団長シャムロックの救ったお姫様!」
「え……いや」
「そうそう、シャムロックの婚約者ディミニエさま! シャムロックって、まだ二週間に一回くらいだけど、ディミニエさまと一緒にお茶してるのよ〜」
「いや……ミニス、そういう言い方は……」
 顔を真っ赤に染めて困りきった表情で言うシャムロック。その表情にもリシェルの言った言葉にも驚きながら、ライは訊ねる。
「そのディミニエって人と、シャムロックが婚約してるわけか? で、なんでその人のお茶会に聖王が出てくるんだよ」
「ばっかねぇ、あんたわかってないわけ? 聖王女っつってんでしょうが、ディミニエさまはこの聖王国を治める聖王家の一人娘、本物のお姫さまなのっ」
「へ……マジかよ!?」
「もっちろん。で、シャムロックはそのお姫さまの、一応公式では現段階での″・約者だけど、実際にはもう揺るぎない結婚相手ってわけ。将来は聖王か、少なくとも聖女王婿ってことになるお方ってわけよ」
「リシェル……頼むから、からかわないでくれ」
「……マジで? 自由騎士団団長ってそんなに偉かったのか」
「ちーがうわよ、自由騎士団長が偉いんじゃなくてシャムロックがすごいの。っていうか、もともとシャムロックとディミニエさまは恋仲っていうか、子供の頃からお互いをほんのり想い合ってた仲なんだけどね、シャムロックはトライドラの、名門の家ではあったけど騎士隊長の一人でしかなかったからやっぱりお姫さまと結婚するなんて夢のまた夢だったわけよ。それでもね、聖王国が以前開いた大会で聖王国の後ろ盾を取りつけて自由騎士団を作って、ってやってる間もずっとずっと姫さまを想ってたわけっ」
「いや、リシェル……頼むから」
「でね、半年弱、ぐらい前らしいんだけど、ディミニエさまが誘拐される事件があったんだって。行幸に出たところを狙われたの。それでね、泡を食って右往左往する衛視とか騎士隊の中にね、聖王国の騎士じゃないってことを理由に遠ざけようとする奴らを問答無用でぶっとばして飛び込んで、そいつらが当てにならないとわかったら自分たちだけで捜査して、誘拐犯のアジトに飛び込んで、誘拐犯全員斬り倒してお姫さまを救い出したの! これまで自分たちの身分との違いを考えて手を触れたこともなかったのに、その時は涙ぐみながらディミニエさまを抱きしめちゃったんだってっ」
「へぇ〜………」
「リシェル………」
「それでね、そのあとディミニエさまをお姫様抱っこで抱き上げて。自分の部下引き連れて堂々と王城までやってきて、聖王陛下に面会を求めて。万座の聴衆の中で、ディミニエさまと結婚したい、って聖王陛下に言ったんだってーっ!」
「うわ、すげぇな。マジでそんなことやったのか?」
「そうなのよ。シャムロックって時々すっごく熱血なのよねー。もちろん聖王さまは怒ったんだけど、ディミニエさまが目を潤ませながらも毅然と聖王さまに自分もシャムロックと結婚したい、彼以外の人とはしたくないって宣言したから、渋々だけど、とりあえず他の結婚するにふさわしい相手が出てくるまで、っていうことで当座の婚約者ていう地位を手に入れたわけ」
「んで、もっと自由騎士団が手柄を立てて、聖王国すべてに祝福されるに足る存在になったら結婚を許す、っていう形になったんだってーっ! 今時本当にあったとは思えないくらいの、おとぎ話みたいな話よねーっ」
「……………………」
 真っ赤な顔で撃沈しているシャムロックを感心した目で眺めやる。なるほど、それは確かにまったく大した話だ。帝国でもそんなこと考えられないのに、帝国よりはるかに歴史が長いという聖王国でそれをやるとは、大した男だとしか言いようがない。
「けど、なんでリシェルはそこまで詳しく知ってんだよ」
「はぁ? あんた知らないの? この話、もうほとんど大陸中の吟遊詩人が知ってるし歌いまくってるじゃないの」
「へ……そうなのか?」
「うんっ! リシェルお姉ちゃんに何度も聴くの、つれてってもらったよ? 騎士さまとお姫さまのお話、とってもすてきだった!」
「ミルリーフもか!? ……俺、知らなかったけど」
「それは単にあんたがそーいうのに疎いから。……っていうかあたしが何度も話題に出してんでしょーがっ、あんた人の話ちゃんと聞いてんの!?」
「たっ、いてっ、やめろって! お前は聞かせるつもりで話してねーことも大量に話すから、聞き分けんの難しいんだよっ!」
「あ、でもそんな風に、山ほどの吟遊詩人に歌われてるっていうのは実は俺の仲間の仕業なんだよ。ほら、ライたちもレルム村で会ったフォルテ。フォルテはシャムロックと仲がよくて、ディミニエさまとの……そういうのもすごく応援してたからさ。民意を味方につければこっちのもんだ、って自腹はたいてでもたくさんの吟遊詩人にこの話広めてもらったんだよ、シャムロックを応援したいと思わせるような感じに」
 口を挟んできたマグナに、目を瞬かせる。
「へぇ! あの人頭いいんだなぁ……けど、自腹はたくってあの人出産費用なんかで大変じゃなかったのか?」
「うん、だからその一時期ものすごく大変な仕事とか受けてたみたいだけどね。どっちにしろ俺たちも協力したし……もう小説やなんかもいくつも出版されてるしさ」
「ふぅん……つまり、その聖王さまは娘と婿のお茶会に俺たちを招待したわけだよな。なんでだよ? 普通娘と婿の……なんだ、そーいうのに親が出てっても楽しくねーんじゃねーのか?」
「……、確かに、普段は聖王陛下は私とディミニエさまとのお茶会には参加なされない。ただ、そういう形にすることで、公式に君たちを招待することで起きるもろもろの軋轢から君たちを守ろうとなさったんだと思う。君たちのことは、聖王国の貴族の中に知っている者はほぼいないし……王族の寵を受けるということが、どれほどの嫉妬の対象になるかは私も身をもって知っていることだからね」
「けど、ディミニエさまと結婚する気は全然衰えてないんでしょ?」
「それはもちろん……はっ」
「ひゅーひゅーっ、シャムロックかっこいーっ♪」
 またも撃沈するシャムロックの横から、招待状をのぞきこむ。豪奢な装飾の施された上質の紙を使っていたが、それには日時と、『ハヤト殿、マグナ殿、ライ殿を三日後の王女ディミニエの茶会に招待したい。お待ちしている』としか書かれていない。手書き……ということは、これはもしや聖王の直筆だろうか。
「……なんで俺たちをわざわざ茶会なんぞに招待しようってんだ? なんか俺たちに用なのかな……っつか、なんで聖王さまが俺たちのことを知ってんだよ」
「だよなぁ。俺、聖王さまと会ったことなんて一回もないのにさ」
「どういうことだ……? 僕たちのやったことを知っているのは、仲間以外では両派閥の党首とその周囲の人間のみ。貴族のような相手には、僕たちはただの派閥の一召喚師でしかないはず……もしや、あの人が情報を漏らした……?」
「……私もなぜ陛下が君たちのことを知っているのか、詳しいことは知らない。ただ、使いの者の話からすると、陛下は君たちの力と、その力で成したことについて興味を持たれているようだった」
「……力、か」
 呟いたハヤトに、視線が集中する。そうだ、ハヤトは誓約者なのだ。誓約者というのは聖王家にとってみればご先祖様なのだから、その力を継ぐ人間がいるというのは心穏やかならざるものなのかもしれない。
「ハヤト……」
「そんな心配そうな顔するなよ、キール。大丈夫、俺がそんじょそこらのやり方じゃ負かせないっていうのはよく知ってるだろ? ま、万一の時は助けに来てくれよな、頼りにしてるからさ」
「……ああ……任せてくれ」
「ガゼルもな。心配ないって、俺は聖王さまぐらいじゃどうにもすることはできないよ。だからそんなに泣きそうな顔して心配することないんだ」
「な……誰もんな顔してねぇだろーがっ!」
「俺も、か……超律者の力って、そんなに興味があるもんなのかな?」
「ケケッ、心配すんな。てめェが国王なんぞに捕まってつまんねェ奴になり下がったら、きっちり俺がトドメ刺しに行ってやるよ」
「バルレル……おっまえなぁ〜……まぁいいや、それだけお前が今の俺を好きってことで許してやるよ」
「なァッ!? んんんなわけねーだろッ! 俺はただなァッ」
「ところでその、ライ。君は菓子職人なのか?」
「へ?」
「こいつお菓子職人っていうか、なんでも作るわよ。帝国料理のフルコースも作れるけど、小腹が空いた時の簡単な料理もすごく得意だし」
「お父さんは、天下一の料理人」
「パパのお料理はなんでも、ほんとにおいしいもんっ」
「こういってはなんだけれど、聖王国にも彼に匹敵する料理人はほとんどいないだろうねっ! なにしろライはあの『ミュランスの星』で帝国一の若手有名料理人と認められた」
「ギアンお前は黙ってろ」
「そ、そうなのか……すごいな。まだそんなに若いのに……しかも、あれだけの武芸の腕を持ちながら」
「なんで、そんなことを?」
「いや……使いの者から言われたんだ。陛下からの言伝という形なんだけれども……君に、茶会の時のお茶菓子を用意してほしいんだそうなんだ」
「……へ!?」
 ライは思わずぽかんと口を開ける。完全に予想外の言葉だった。
「俺にお茶菓子を……? そーいうのって、専門の菓子職人とかいるんじゃねぇの?」
「それはもちろんそうなんだが……君が帝国では高名な料理人だというのを存じ上げていらっしゃるような口ぶりだったから、単純に君の料理の腕に興味をお持ちになったんじゃないかな」
「ふぅん……」
「こういう言い方は失礼だとは思うけれど、君はおそらくおまけ……というか、ハヤトやマグナたちの心を解きほぐすのに一役買ってもらおうとお思いになったのだろう。君が君たちの事件での頭首的な立場に立ったのは、成り行きと君の器によるものなんだろう?」
 あ、と思わず口を開ける。そうか、俺が響界種だってことは仲間内以外誰も知らないんだ。ハヤトたちが勝手に気づいただけで。
 となると、自分は本当に珍しい料理人の腕を見てみたい、というので呼ばれたわけか。一気に気が楽になると同時に、頭の中の形態が料理人状態へと変化していった。
 お茶菓子。どんなものを出せばいいんだろう。そのディミニエという人はどういう人で、どんなお茶菓子が好きなんだろう。シャムロックは? 聖王はどんなものが? この地方にはどんな特産があってどんな菓子が作られているんだろう。どんな材料にいいものがある? この時期が旬のものは? 果物、牛乳、卵、ミルク、小麦粉、どれをどう作れば一番うまいお茶菓子ができる……?
「………よぉぉっしゃああぁっ、燃えてきたぁっ! シャムロックっ、ここの厨房貸してくれるかっ!?」
「え!? い、いやそれはもちろんかまわないけれど」
「っし! じゃー俺買い物行ってくるっ、今ならまだ夕方の市場が開いてる! 今のうちにこの辺りの菓子に必要な食材の調達と味の調べ直しだっ」
「わっ、ちょっと待てよっ、俺も行くってのっ」
「パパぁっ、ミルリーフもっ、ミルリーフもぉーっ」
「……追跡して、追い着く。お父さんの匂いなら、わかる」
「待ってくれライっ、君のような子がこんな時間に外に出てはどんな男に襲われるか……ぐふっぐげっ」
「……すごいな。彼は本当に根っからの料理人なんだな……あれだけの武の才を持っていながら。大したものだ……」
「ていうかそこ感心するところと違うから。単なる料理バカって言うのよ、あーいうのはね」

 ライはやや緊張しながら、周囲を何人もの侍従、すなわち監視役に囲まれつつ王城の廊下を進む。手で目の前のカートを押し、進む先は王城のテラスだ。
 ライはお茶会の前夜から王城の厨房に詰め、お茶菓子の準備を行っていた。最終的に決定したのが改めて作るとなるとかなりに手間暇のかかるメニューだったので、そのくらいの時間は必要だったのだ。それに料理を始める前に厨房の主に挨拶をしておくのが料理人としての礼儀だとも思ったし。
 先に頭を下げに行ったのに気をよくしたのか、料理長はライの好きに厨房の隅を使わせてくれた。厨房の隅をうまく使うのはレストロ・ミュランスの修行で慣れている、おかげで自分なりに満足のいく出来栄えのお茶菓子ができた。
 テラスの扉を先頭の侍従がとんとんとノックし、鈴を鳴らしておとないを告げる。即座に「入るがよい」と重々しく厳しげな声が返ってきた。
 侍従がさっと道を空け、しずしずと開けてくれる扉の中にライ一人が入っていった。このお茶会は非公式なものなので、聖王が参加していることを知られてはならないのだそうだ。王城の中でも知っているのは、ここにいる聖王の信頼する数人の侍従だけらしい。
 カートを押して、中に入る。滝の前へと張り出す形になっているテラスには(どこからも視線が通らないし聞き耳も立てられないので密談に使われているのだそうだ)、重苦しい雰囲気が立ち込めていた。ハヤトは苦笑し、マグナは少し唇を尖らせている。シャムロックは困惑を示すようにきゅっと眉を寄せている。これが聖王なのだろう、髭をたくわえた壮年の男は厳しい顔で中空を睨んでいる。聖王女ディミニエらしい亜麻色の髪を長く伸ばした女性は――
 うわ、とその女性を見るやライは一瞬固まってしまった。その女性は、ライの人生で見た中でもちょっといないほど美しかったのだ。
 腰まで流れる髪は薄い亜麻色、肌はミルクのように白い。両の瞳は若草色で、こちらに春の景色のように鮮やかな印象を与えてくる。
 美しさを等級で表すなら、母メリアージュやエニシア並みの美人だろう。ただ、この人はエニシアたちのようなどこか幻想的な雰囲気とは違い、小動物というか草花というか、人としての生命力は感じるのにどこかか弱げな雰囲気をまとっている。こういう人もいるんだなー、と一瞬まじまじと見つめてしまった。
 が、すぐに頭を振ってそんな思考を追い出す。ディミニエはどこか怯えたような顔で聖王とシャムロックとハヤトを見比べていた。おそらくお茶会はかなりに深刻なものだったのだろう、そういう時こそうまいものを食って雰囲気を変えなければ。
 なのでライはにっと笑みを浮かべ、明るく言った。
「お茶菓子、お待たせしましたーっ!」
『…………』
「ライ………こういうことを君のような若い子に言うのはどうかと思うが、その……」
「うーん……いつもながらなかなかに空気読まないなー、ライって」
 む、と唇を尖らせる。自分は自分なりに空気を読んでいる。その上でこの重苦しい雰囲気を打破するにはちょっとバカっぽいくらい明るく振舞うのがいいと思ったのだからしょうがないではないか。
 とにかく、ライは軽快な動きでからからとカートを押した。一段目には新しいお茶の準備がしてあり、二段目にはお茶菓子が載せられている。まずは新しいお茶を次ぐところからだ。
「あ、私が……」
 携帯焜炉でここに着く時間にちょうどいい具合になるように沸かしていたお湯をカップに注ごうとすると、ディミニエがしずしずと立ち上がる。お? と思いつつ、にかっと笑いかけた。
「そーですか? じゃ、お願いします!」
「え……はい」
 なぜか戸惑った顔をするディミニエにかまわず、ライはお茶菓子の準備に取り掛かる。このお茶菓子はうまい具合に冷やしておかなければならないので、うまく食うには皿に取り分けるタイミングが命。手伝いがいるのは正直かなりありがたかったのだ。
 二段目から皿を取り出し、テーブルの上に載せて蓋を開け具合を見る。大丈夫、と判断してからナイフを入れた。ナイフはすっとその菓子に通り、あっという間になん切れかに切り分けられる。
「へぇ、ロールケーキか。うまそうだなー……あれ、でもなんか中に入ってないか?」
「これ……苺? ていうか、すごい冷たくないか、これ? 冷気が漂ってくるんだけど……」
 菓子を目の前に首を傾げるハヤトとマグナに、にっと笑いかける。それからもちろん、シャムロックや聖王たちにも。
「苺のアイスロールケーキ=Bま、とりあえず食べてみてくれ……ください」
 慌てて言葉尻を直しつつ言うと、聖王は明らかに眉をさらに寄せたが、とりあえず切り分けたケーキをフォークでさらに切って口に運んだ。他の者たちもそれに習う――や、全員揃って目を見開いた。
「………! これは」
「わ! なんだこれ、甘酸っぱい! で、冷たい!」
「アイスロールケーキって、ほんとにアイスが入ってるのか! ……けどこのアイス、やたら甘酸っぱい……のに、すごい口当たりなめらかっていうか」
「……とても、おいしいです……!」
 っし、とライは小さくガッツポーズする。試食してくれた子供たち(&ギアンとリシェル)は揃ってうまいと言ってくれたが、こうして本来のお客が喜んでくれるのはまた格別というものだ。
「すごいなぁ、ロールケーキの中にアイスが入っちゃうんだ。こんなケーキ考えたこともなかった」
「発想は、俺の親父から教わったケーキなんだ……です。実際に作ってもらったわけじゃないけど。で、この辺りの旬のうまいものをうまく食べられるように、って考えて」
「旬……確かに、旬の苺を使ったお菓子はいっぱいありますけれど……でも、このお菓子はそれだけではないですよね? この甘酸っぱさは普通の苺では出せません」
 明らかに目を輝かせて聞いてくるディミニエににっと笑顔を返す。料理人としては自分の技を正当に評価してくれる相手はとてもありがたいものなのだ。
「それは、朝摘みの野苺だ……です」
「野苺!?」
「ここら辺って実は野苺がいっぱい生えてたりするんだ……ですよ。今は本来の旬には早いから、酸っぱすぎるんだけど……今回はそれを逆に利用してみた……みました」
「逆に利用、ですか……?」
「ああ、じゃねぇ、はい。アイスクリームに混ぜて風味付けに使った……んです」
「ふふ、無理して丁寧な言葉を使わなくてもかまいませんわ。あなたの普段使っている言葉を、聞いてみたいです」
「あ、そっか? なら遠慮なく。えっとな、アイスクリームってのは基本的に、牛乳の旨味と甘味を前面に押し出した濃厚な味のものが基本だろ? きちんと作ればさっと口の中で溶けるものになるから、そうしないと物足りない味になっちまんだ」
「ええ……そうですね」
「けど、ディミニエさまは果物を使った菓子が好きだってシャムロックから聞いたし、聖王さまは甘いものはあまり好きじゃないっていう話も聞いた。ならこういう感じの、果物の甘酸っぱさを前面に出した菓子がいいかなと思ったんだよ。それに対応して旬の甘い苺をたっぷり入れて、スポンジやなんかの味を調えれば、最初に感じる味は果物の鮮烈な甘酸っぱさなのに、後口は牛乳と果物のなめらかでほんのりした甘味になるからな。そういう味には、普通のロールケーキよりアイスケーキの方がいいって思ったわけ。冷たさで甘味が抑えられて、さっぱりした味になるだろ?」
「そうなのですか……本当に、あなたはそんな年若いのに、立派な料理人でいらっしゃるのですね……」
「へへっ、おだてるなって。俺はまだまだ未熟者だよ。未熟者なりに死に物狂いでやってりゃ、わかることもあるってだけ」
 などと和やかにディミニエと話していると、ふいに聖王が立ち上がった。なんだ、と思ってから、やべぇやっぱ王女さまにタメ口ってのはまずかったかな、と身構える。
 が、案に相違して聖王陛下は怒り出しはしなかった。むしろ苦笑を浮かべて、テラスの手すりに手をかけて流れ落ちる滝を眺めながら、ぼそりと言う。
「少年よ」
「あ、はい」
「君は聖王家に対して、怖気もせぬのだな」
「え……と。まぁ、はい」
「聖王家というものには、もはや価値はない、と思うからか?」
「いや、そうじゃなくて。聖王さまも聖王女さまも、聖王国を治める偉い人だけど、でもやっぱり俺らと同じようにメシ食って普通に生きてる人間……っつーか、生き物だって思っただけで」
 ライにも家というものの重みはわかる。長年の人の営みが作り出した血脈と形式には、そう簡単に放り出すことのできない責任というものが確かにある。
 ただ、ライだったらそういうものに怖気をふるわれて遠ざけられるのは嬉しくないだろうと思ったから、そう振舞っただけなのだ。リシェルやルシアン、それにエニシアも、個人的な付き合いの中では今ここにいる自分自身を見てほしい、と願っていたのだから。
 そういうようなことを言うと、聖王はまた、小さく苦笑した。
「そうだな……違いない。家というのは人の集まり。人というものを無視しては動かすことができぬ。それは国を背負う王家であろうとも同じ……か」
 そしてくるり、と振り向いて、初めて小さく微笑む。その笑みは顔の普段使わない筋肉を使っているようにやや固いものだったが、それでも聖王――スフォルトの顔に馴染み、その表情を柔らかく彩っていた。
「ハヤト殿、そしてマグナ殿。身勝手な申し出をしてすまなかった。お許し願いたい」
「あ、いえそんな、いいですよ! 聖王さまも大変なんだなっていうことは、よくわかってますから」
「ええ。俺も、それなりに背負うものがある身ですから、あなたの気持ちはそれなりにわかるつもりです」
 慌てるマグナに、朗らかに笑うハヤト。それにスフォルトが小さくうなずいたのを見て、シャムロックが安堵の表情になり、ディミニエも同様の表情で微笑む。
「……お茶も尽きたようだ。この辺りで茶会は終わりといたそう。シャムロックよ、ディミニエを部屋へと送り届けてやってくれ」
「はっ」
「ハヤト殿、マグナ殿、そしてライよ。今日はわざわざお呼び立てしてすまなかった」
「いや、俺は別に。俺は料理人ですから、料理を食いたい人がいればどこだって行きますよ」
「俺も別に気にしないでいいですよ。王城に入って、珍しいものいっぱい見れたし」
「俺も。楽しかったですよ、聖王スフォルトさま。また機会があったら、お茶でも酒でも一緒にしましょう」
 そんな言葉にスフォルトはまた苦笑し、うなずいた。
「ああ、本当に――そう願いたいものだ」

「……深く、深く。深淵の霊王よ。我、汝に請う。汝の張りし厚き幕の、その奥へと我らがいざり出んことを」
「深く、深く。深淵の霊王よ、我、汝に願う。汝の築きし城砦の、その中へと我らを誘わんことを」
「我ら、始祖の教えを継ぐ者。世界をまったき形へと還す者」
「我ら、汝の言の葉を知る者。汝の意を現し世に示す者」
『いざや、我らの願いによりて、汝の境界に道を開きたまえ!』
 ヴュオン……
「……さすがだな。かつて魔王候補として選ばれただけのことはある」
「無駄口を叩くな。作戦予定はわかっているだろうな」
「もし、あんたたちの失敗で作戦に遅れをきたそうものなら……この世の苦痛を全て合わせたよりも重い苦痛を、未来永劫味わわせてやるから覚悟しなさい。知ってるわよね、あたしたちにはそれができるって」
「あ、ああ、わかっている。もちろん作戦は予定通り行うとも」
「ならいい。――行け」
「く……」
「……消えたか。行こう、姉上」
「ええ。――ああ、ようやく、ようやくこの時が来たわ! 本当になんて長い雌伏の時だったのかしら。本当ならやろうと思えばこんな城一日で攻め落とせたのに、聖王が結界の穴に近づくまで待たなくちゃないなんて」
「……姉さんだってわかってるだろう。そのことについては」
「ええ、わかってるわよ、あたしたちは始祖の教えを継ぐ者。エルゴの王の血筋には敬意を払わなくちゃならない――だけど、本当に今の聖王家に敬意を払う必要があるのかってあなただって思わない? もう血も薄くなって、『至源の剣』の召喚すらろくにできなくなってきているらしいのに」
「……今はそんなことを話している場合じゃない。急ごう。時間はさして残っているわけじゃない」
「わかってるわ――あの忌まわしい誓約者に気づかれると、面倒なことになるものね」

「……しっかし、ライが普通に喋り出した時はビビったよ。もしかして無礼討ちになるんじゃないかって」
「ああ、まぁそういうこともちょろっとは考えたけどさ。あのお姫さま……ディミニエさんは本気で普通に話してほしそうだったから。娘の機嫌損ねるのも聖王さま……スフォルトさんにとっちゃ面白くないだろうし、だったらやりたいようにやってもなんとかなるだろ、って思ってさ」
 周囲を自分を案内してきた侍従に取り巻かれながら、王城の廊下を歩く。目の前に聖王に仕える人間がいるのに聖王家の人間を名前で呼ぶのはアレかな、と思いはしたが、侍従は本職の人間らしくあくまで礼儀正しく無表情を貫いてくれた。
「けどさ、俺が来た時なんか場の空気重かったけど、あの時どんなこと話してたんだ?」
「ああ……いいのかな、これ言って?」
「いいんじゃないか? 向こうから言ってきたことなんだしさ」
「そうだな。……要はさ、俺に婿にならないか、って言われたんだよ」
「……誰の?」
「ディミニエさんの。それが駄目なら、その子供の」
「………はぁっ!?」
 思わず仰天して声を上げる。侍従たちも、さすがにその無表情が一瞬揺らいだが、ハヤトとマグナはそれぞれ苦笑しながら話してくれた。
「なんていうかさぁ……聖王家って、エルゴの王の血を引くだろ? だから強力な召喚術の力を持ってなくちゃならないらしいんだけど」
「血が薄れて、しげ……んっん、王家に伝わる強力な術具とか、うまく使えない人も出てきてるらしいんだ」
「だからまぁ、俺たちみたいに四属性使える召喚師の血を入れて、また強い召喚術の力を得ようって思ったらしくて」
「なんだそりゃ……まるで種馬じゃねぇか」
「まぁね……でも実際、聖王さまも自分が言ってることの乱暴さはわかってたみたいだぜ。その上で頼む、って。エルゴの王の血統の本流である聖王家の人間として、受け継がれたものを絶やすわけにはいかない、って」
「あの人なりに悩んでたんじゃないかな……ま、だからってそんな頼みを聞くわけにはいかないけどさ。シャムロックが幸せになれないなんて絶対嫌だし、俺だっていくらきれいだっていってもよく知りもしない人と結婚するなんてごめんだよ―――!?」
「? どうしたんだよ、二人と……え」
 二人が唐突に来た道を走って戻り始めたのに、ライは一瞬ぽかんとしてから続いた。なんだなんだ、と困惑してはいたが、二人ともなんの考えもなくそんなことをする人間ではないことくらいわかっていたからだ。
 侍従たちは当然そうもいかなかったようで、「お待ちを!」と叫んだりあとを追ってきたりしたが、こちらの足の方がはるかに速かった。走りながら二人に早口で訊ねる。
「なにがあったんだ!?」
「城の結界に穴が開けられた。それも、さっきまで俺たちがいた、滝に面したテラスに」
「え……この城、結界とか張られてたのか?」
「あぁっ……聖王国の王城、っていうだけあって、物理的にも、敵意を持つ者の侵入を防ぐ、結界が張られて、るんだっ」
 かつて自分の宿に御使いたちが張った結界を思い出す。確かにあれは敵意を持つ者――クラウレに反応した。
「しかもこれは結界を消したり破ったりしたんじゃない。きちんと手順を踏んで結界に扉を開けたんだ。技術的にはキールに匹敵する、そんな力を持つ召喚師がそうそういるもんじゃない!」
「それって、まさか」
「ああ――って、いうか、二人とも、先行って、いいよっ。俺のせいで、遅れてるっ」
『わかった!』
 二人揃って答えて走り出す。ライも足には相当の自信があるほうだったが、ハヤトはそれに負けない足の持ち主だった。あっという間に廊下を走り終え、勢いのままにばぁんと扉を蹴り開ける。
 や、見えたのはぐったりとした聖王に向けナイフを振り上げる若い女と、それを見据える若い男だった。
「てっ……めぇっ!」
 だんっ、と床を蹴ってその女に飛び蹴りをかます――が、それより一瞬早くナイフは振り下ろされていた。ナイフはわずかにスフォルトの額を掠っただけだったが、そこからはどぷっとばかりに血が流れ出す。
 そこにライの飛び蹴りが放たれた。不意を衝かれたらしい女はそれをまともに受けてひっくり返ったが、ライは微塵も油断せずその女の首根っこを締めつける。ローブ、小柄な体格、傍らには杖。どう考えたってこの女は召喚師だ、召喚術を使われるより早く絞め落とす!
 が、その瞬間、ぼわ、と紫色の炎が灯った。
「待て」
 ライは女の首に腕をかけたままの体勢で、油断なく立ち上がった。声をかけてきた男の方を向く。もっとも、声がかからずともライは動きを止めていただろう。これほどの強力な魔力、感じないようにしようとしたってできるもんじゃない。
「誓約者ハヤト、そして帝国の宿屋の主人、ライだな」
「ああ――君は、ソルか。そしてそっちの子が、カシス。キールと、クラレットの弟と妹」
「兄上から聞いたのか」
「まぁね」
 小柄な体格に似合わないドスの効いた声で、男は淡々と言葉を繋げる。傍らの中空にいかにも強力な召喚獣、という感じの黒馬に乗った騎士を停止させておきながら、その声には感情の揺らぎがまるでなかった。
「取引をしよう。姉上を開放して、俺たちを見逃してくれ」
「……交換条件は? 言わなくてもわかる気はするけど」
「聖王の命と、あんたらの保身。あんたらがうんと言わないなら、俺はここで即座にこの召喚獣を暴走させる。魔力を体に張り巡らせることに長けたあんたらは助かるだろうが、聖王はそれなりの年で、しかもその魔力の大半を『至源の剣』の制御に費やしている。直撃を受ければまず助からないだろうな」
「…………」
「誓約者ハヤト、確かにあんたは俺の召喚術を受け止めるくらいの結界は張れるだろう。ただ、それは充分な準備時間があればの話だ。あんたの力は調べさせてもらった、あんたは膨大な魔力を駆使できるがその制御は完璧とは言い難い。兄上の補助がなければ魔力を立ち上げるのに時間がかかる。そして俺は魔力の制御には自信がある、だからどうすれば召喚獣を瞬時に暴走させられるかも心得ている。あんたが結界を張るより早い、と間違いなく断言できる」
「…………」
「それでも賭けてみる、というなら止めはしないが、分の悪い賭けだと思うがな。それに失敗した時、あんたたちが失うものはあまりに大きいぞ。この状況で聖王が死ねば、あんたたちは聖王を殺した大罪人だ。だが、俺たちを逃がしてくれるのならば、聖王は間違いなくあんたたちの擁護をしてくれるだろう。聖王は俺たちの姿を見ているからな。自分の命を救ってくれた、とそれなりの無理も聞いてくれる相手になるだろうさ」
「……確かに……この状況じゃ、君の言うことを聞かないわけにはいかない、か」
「ならば、先に姉上を」
「だけど、このままはいそうですか、と逃がすわけにもいかない。教えてくれないか。君たちはなにをしようとしてるんだ? オルドレイクの遺した研究っていうのはいったいなんだ? なぜ聖王を襲う必要がある? 君たちの本拠地はどこで、これからなにをどうしようとしている?」
 ソルに負けず劣らず静かで、しかも堂々とした声に、ソルが一瞬小さく笑った気がした。が、すぐにソルは鉄面皮のような無表情で、淡々と首を振ってみせる。
「その大半は教えるわけにはいかないことだな――が、俺たちの本拠地と、目的地ならば教えてもいい」
「!」
「問題ないだろう、姉上。本拠地はどうせすぐに引き払うし、残りの目的地には時間をかける必要はない。研究が完成すれば、誓約者だろうと俺たちの邪魔はできないんだからな」
 ライはカシスの首根っこを押さえたまま、こっそりと驚いた。誓約者だろうと邪魔はできない? 本気で言っているのか? あれだけとんでもない力の持ち主だと知っていて?
 だが、ソルは淡々とした冷静な表情で、あっさりと本拠地と目的地を告げた。
「俺たちの本拠地はデグレアだ。詳しい場所は調べればすぐにわかるだろう。次の目的地は聖なる大樹、そして忘れられた島。その順番で向かうことで、俺たちの研究は完成する」
「……なんだって?」
「譲歩できるのはここまでだ。これ以上の情報は漏らせない。これ以上要求するなら、即座に召喚獣を暴走させるぞ」
 ソルが鋭い眼差しでこちらを睨む。それを数秒間見返してから、ハヤトは告げた。
「ライ。放してあげてくれ」
「わかった」
 ライは口答えせず、素直にカシスを解放した。確かにこの状況では放さないわけにはいかないし、なにより自分たちはカシスたちを倒したいわけではなく、救いたいのだから。
 カシスはげほげほとしばらく咳き込んでからきっとこちらを睨んだが、状況は理解しているのだろう、素早く杖とナイフを拾いソルの後ろに立った。ソルがそこに小さく声をかける。
「姉上。逃走用の召喚獣を」
「……わかったわ」
 数語の呪文を唱えると、二人の傍らに一体の召喚獣が現れた。馬に似たその召喚獣に二人はまたがり、あっという間に空を駆けて姿を消す。そうして見えなくなったのとほぼ同時に、ソルの召喚した召喚獣の圧力がすっと消えた。
 ふ、と二人で小さく息をつく。緊張から解放された安堵というよりは、すぐ手に届くところにいた相手の調子で進められた戦いを悔いる気持ちの方が大きいのは、互いにわかっていた。

「……ソル。あなた、なぜあんなことを奴らに教えたの」
「仕方ないだろう、あの状況じゃ。交渉なんだ、一方的にこちらが利を得るというわけにはいかない」
「あの状況ならあたしを見捨てても問題なかったでしょう!? あの場での目的は果たしたのよ、誓約者たちにつきまとわれたら面倒なことになるって言ったのはあなたじゃないの!」
「俺はそんなことは言っていない。言ったのは姉上だ」
「どっちでもいいわよ、そんなこと! どうする気、あいつら絶対にあたしたちを追ってくるわよ!」
「追ってこさせればいい」
「……あなた、本気?」
「ああ。誓約者の力のほどは見えた。俺たちの計算に間違いはなかった。ならばどうとでもしようがある。それなりの対策を打っておけば、誓約者だろうと木偶同然だ」
「……ふぅん。いいわ、あなたがそこまで言うならあたしも力を貸してあげる。次の目的地は聖なる大樹――そこで、あたしたちの力を見せつけてあげようじゃない。あははっ」
「そうだな。……そうでなくては、困るからな」

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