聖なる大樹の下で惑い
 かさり、とわずかに茂みが揺れたかと思うと、偵察に行っていた三人が音もなく姿を現した。ガゼルと、パッフェルと、黒装束のシオンの三人だ。
「どうだったかい?」
「……向こうは姿隠す気とかまるでねぇみてぇだぜ。ごっつい鎧着込んだ戦士どもがうじゃうじゃいやがる」
「いやー、あちらさんかなり本気ですねぇ。数だけならもう中隊級ですよ。見たところ、二百は越えているかと……」
 ざわり、と自由騎士団員がざわめく。そこにシオンがくぐもった声でつけ加えた。
「加えて言うならば、質の方もなかなかに侮れないものがあるようです。おそらく雇われた傭兵は半数程度、残りは生え抜きの構成員でしょう。召喚師は総数の十分の一程度ですが、その半数が指揮官役となって構成員を動かし、交代しながら周囲の警戒を行っています。士気も高く、錬度も身のこなしからして腕利きと評するに足るものです。単純な白兵戦力差でいえば、こちらにほぼ勝ち目はないかと」
 仮面をつけたまま、静かに、冷静かつ冷徹に言い切るシオン。彼がシルターンからやってきたシノビだということは今回初めて知らされたが、他言無用ということも誓わされた。マグナを主と仰ぎ、普段は在野で情報収集をしているシオンは正体をめったなことでは明かさないのだという。事実、同行している自由騎士団員たちには、シオンは決して顔を見せなかった。
「いかがいたしますか、団長。ここまでの戦力差があっては、もはや我々だけで当たるのは無謀と言わざるを得ないのでは」
「……ふむ」
 シャムロックはわずかに考えるような顔をしてから、改めて三人に向き直る。
「すまないが、敵陣の詳しい配置を教えてくれるかな」
「……ああ。あのバカでかい樹を背中に背負う格好で、こう、広がった感じで……」
 三人がシャムロックの広げた紙に図を描いていくのを、シャムロックの周りの自由騎士団員たちは食い入るように見つめている。その様子を見て、ライはやれやれと肩をすくめた。
 ここにやってきている人間の内訳は、自分たち七人と、これまで一緒に旅をしたりしてきたハヤトたち七人(ガウムを人、と数えていいものかどうかは知らないが)、マグナたち七人、パッフェルとシオン、そしてレルム村からフォルテ、リューグ、レナードの三人が加わり、さらにシャムロックの率いる巡りの大樹℃ゥ由騎士団員が十人ほど、それと一緒にルヴァイド、イオス、アルバがいる状態だ。
 そして現在のところ、この四十人近い混成部隊はシャムロックと自由騎士団員たちによって指揮されている。なぜかというと、現在自分たちは聖王の命で聖王の襲撃犯人を追う、という形になっているからだ。
 お茶会からの帰途からとって返し、聖王を襲撃したカシスとソルを撃退したのち、自分たちはとりあえず(自分のストラで)聖王を介抱し、意識を取り戻させた。
「む……君、は」
「大丈夫ですか? なにがあったか、覚えてますか?」
「ああ、意識ははっきりしている。……あの男女二人組の召喚師と相対して、意識を奪われ……もしや、君たちが助けてくれたのか?」
「ええ、まあ」
「そうか……」
 険しい顔になって立ち上がる――というところでばぁんとテラスの扉を開けたのが、マグナと、なぜかシャムロックだった。
「シャムロック!? なんであんたがここに!?」
「ディミニエさまを送り届けた帰り道、物音を聞いたので駆けつけたところ、走っているマグナを見つけて話を聞いただけさ。……陛下。何事が?」
「うむ、シャムロックよ。人を呼んでくれ。ここにいた余を、召喚師が襲撃した」
「なんですって! 城の結界を破ったとおっしゃるのですか?」
「いや、結界を破った気配はなかった。おそらくは結界に扉をつけたのだろう。恐るべき技量を持つ召喚師だ……放置しておくわけにはいかぬ。急ぎ手配し、捕らえねば」
『ちょ、ちょっと待ったぁっ!!』
 思わず声を揃えてしまった自分とハヤトを、聖王は胡乱げに見やる。
「なぜだ。城の結界を抜け、私を襲撃したというならば、それは聖王国に仇なす犯罪者に他ならぬ。聖王国を統治する身としては、見過ごすわけにはいかぬぞ」
「え、えーっと、それはー」
「あ……っと、あいつらは俺たちがずっと追ってた奴なんです!」
「なんと。そなたたちの追っていた者……セルボルト家の残党、という輩か? むぅ、あれだけの情報ではと座視してきたが、余の命を狙ってきたとなれば放っておくわけにはいかぬな。正規の討伐隊を出さねば」
「え、っと、ですね! 俺たちの追ってた奴はものすごく情報に敏感な奴らなんですよ! それで俺たちもずっと苦労してたくらいで! たぶん正規の討伐隊を出すなんて情報が流れたら、即姿をくらませちゃうと思うんです!」
「……む。しかし、このまま放っておくことはできぬぞ」
「え、ええと、こういうのはどうですか? 正規の討伐隊をこっそりと組織して派遣するんだけど、そっちは囮で、全然関係ない俺たちがこっそり動いて彼らを追うってのは! けっこう、いい偽装になると思うんですけど!」
「………。つまり、そなたたちには奴らの居場所に心当たりがあると?」
「え、えと、その」
 痛いところを衝かれうろたえる自分たちを静かに見つめてから、聖王はゆっくりとうなずいた。
「よかろう」
「え」
「シャムロックよ。その隊の指揮を、そなたとそなたの巡りの大樹℃ゥ由騎士団に任せる」
『え!?』
「……陛下。しかし、それは」
「正規の騎士団と関係のない人間ならば、そなたの自由騎士団がふさわしかろう。ただし、言っておくが、余から命じられたということは明かしてはならぬ。あくまで彼らからの情報を元に、そなたらが独断で行った、ということにせよ。……そういうことならば、独断専行の誹りは受けようが、成功した際の栄誉もそなたらと、そなたの仲間たちの手のみに与えられるものとなろう」
『…………』
 シャムロックがちらりとこちらを見てくる。聖王はあくまで威厳たっぷりにこちらを見つめてくる。つまり、これに文句をつけたい(ような隠している事情がある)ならば、さっさと白状しろ、ということだろう。
 判断に迷い、ハヤトを見つめる。マグナも同様にハヤトを見つめる。全員に注視されたハヤトは、眉を寄せ数瞬迷い、息をついた。
「仕方ない、か」
 そしてきっ、と聖王に向き直り、真摯な口調で告げる。
「聖王陛下。お願いがあります」
「なにかな、誓約者殿」
「……陛下を襲った者の一味の中で、二人の男女を俺に預けてほしいんです」
「ほう。男女、と」
「はっきり言うならば、陛下を襲った二人の召喚師を」
『!』
 きっぱり告げられた言葉に、衝撃が走る。だがハヤトは一気に険しい顔になった聖王に、あくまで真摯な表情で対峙した。
「それはつまり、我が聖王国に仇なす者たちの首魁を引き渡せ、ということか?」
「……彼らがそういう存在なのかどうかはわかりませんが」
「少なくともそれに近い地位にいることは間違いあるまい、あれだけ技量を持つ召喚師だ。それを引き渡せ、というからにはよほどの理由があるのだろうな?」
「俺の相棒の、弟と妹なんです」
「ふむ。相棒の。それはさぞご心配だろう。が、国を治める者が私情で動くわけにはいかぬ。あなたは私に、いや聖王国に、危険極まりない犯罪者を二人見逃すだけの利を、与えてくれるというのか?」
『…………』
「陛下! お言葉ですが」
「いいよ、シャムロック」
 笑って、ハヤトは聖王に向かい合う。そして、深く頭を垂れた。
「どうか、お願いします。この願いを聞き届けてもらえるなら、俺はあなたに――スフォルトさんにできる限り誠意を持ってお返しをします。どうか、お願いします」
『スフォルトさん』。聖王ではなく、ただのスフォルトに、できる限り礼をする。
 その言葉に、スフォルトは一瞬目を閉じてから、告げた。
「では、ハヤトよ。ディミニエに子が生まれたら、顔を見に来てくれぬか。聖王家という重責を継ぐこととなる我が孫を、聖王家とは関係なく見守ってくれる人間に、一人でも多く存在してほしいと思うのでな」
 ほっ、と小さくつかれた息は一人のものではなかっただろう。ハヤトも明らかに表情を緩め、小さく頭を下げる。
「ありがとうございます、スフォルトさん」
「いや。――それに我が孫が女ならば、あるいはあなたに娘ができたならば、そうして幾度も顔を合わせ話をしていくうちに、自然に添い遂げたいと思うようになるかもしれぬしな」
 にやり、と悪戯っぽく笑んでみせるスフォルトには思わず脱力した――が、そういう先のことはともかく、そういうわけで自分たちは、現在自由騎士団の人間に指揮されている状態なわけだ。
 聖なる大樹とやらがあるというこの深い森まで(本来なら強固な結界が張られているそうだが、これにも扉がつけられていたそうだ)、分かれて聖王都を出てから召喚獣で高速移動し、集合するのに二日、森の中の様子を探り、姿を隠しつつ慎重に進んで敵を発見するまでに一日。
 その間に見知った自由騎士団員の性格はさまざまだったが(偉そう、無愛想、敵愾心むき出しなど。一応良識的な人間もいたがそいつらも基本的に上から目線だ。なんでも視野を広げれば強い騎士になってくれると思えた人間を集めたらしい)、たとえ相手がこちらに対しそれなりに敬意を払っていたとしても(あの稽古が効いたらしい)、こういう組織的な行動というのは、どうにも性に合わなかった。
 気に食わないというほどのことをする奴がいたわけでもないのだが、それでもこう、戦うことを仕事にしている人間の下で、仕事として戦うのはどうにも気が進まなかった。これまで自分は気に食わない奴に噛みついたり納得できないことに抵抗したり、とつまるところ自分の勝手な気持ちで戦ってきた。それを、たとえ自分も納得している目的のためとはいえ、誰かに命じられて戦うというのは正直どうも受け容れがたかったのだ。
 なので、熱心に話し合いをしている騎士団員たちを、仲間たちと一緒に遠巻きに見守っている。正直子供たちは連れてきたくなかったのだが、全員『絶対ついていく!』と主張したので連れてこないわけにはいかなかったのだ。は、と思わずため息をついた。
 と、隣で同様にため息をついた人間に気づき、顔を見上げる。そこに立っていたのはフォルテだった。シャムロックが呼び寄せた応援の一人。フォルテも気づいたのかこちらを見て、にやっと笑った。
「どうしたよ、少年。騎士サマが気に食わねぇか?」
「や、そういうわけじゃねぇけど。なんつーか、組織に命令されて戦うの、これが初めてだけどさ、やっぱ性に合わねーなって思ってただけ」
「お、気が合うねぇ。俺もこーいう風に誰かの下で戦うなんざ大嫌いな性分なんだよ。特に騎士サマだの貴族サマだのってのとはできる限り離れていたいよなぁ」
「……ならなんでわざわざこんなとこまで?」
「んー……まぁ、シャムロックのお願いとなりゃあ聞かねぇわけにはいかねーからなぁ。あいつにはいくつも借りがあるし、それにま、ダチだしな」
「ふーん……」
 そのいかにも他にも事情があります、という顔が気になったが、とりあえずは追求するのはやめにした。大人なんだから聞かれたくないこともあるだろうし、少なくともシャムロックの願いに応えたいという想いは真実だと感じたからだ。
「……そーいやお前さん、聖王サマと会ったんだって?」
「ん、まぁな」
「嫌な奴だったろぉ? なにせけったくそ悪いお貴族サマの大親分だもんなぁ」
「んー……いや、別に。そんな嫌な感じは受けなかったけどな」
「はぁ!? マグナたちに種馬になれなんぞと抜かしたんだろ、嫌だと思わなかったのかよ!?」
「や、それ聞いた時には確かにふざけんなって思ったけどさ。なんつうか……あの人も、好きでそういうこと言ってんじゃねーんだろーなって思ったから」
「……なんで、そんな風に?」
「話してりゃそのくらいわかるよ。少なくともあの人はあの人なりに、自分の責任なんとか果たそうと必死なんだろうって」
「必死だからって……言ったことが許されるわけじゃねぇだろ。あいつ……聖王は、国のためだのなんだのしょうもない理由で、娘の気持ち無視して自分の都合押しつけやがったんだぞ!」
「ああ、俺も許されるって言ってるわけじゃねぇよ。単に責める気になれねぇってだけ。娘にそういうこと言ったことに罪悪感感じまくって、それでも弱いとこ見せるわけにはいかねぇって必死に気ぃ張ってる年寄りをいじめるのとか、趣味じゃねーし」
「………年寄り?」
「ああ、あの人もう六十くらいだろ。じいさんの範疇じゃねぇか」
「……年寄り、か」
 どこか呆けたように言うフォルテに首を傾げながら、ライは一応言っておく。
「ま、だからって納得いかねぇことを言われたら黙ってるわけにはいかねーけどな」
「そ、そうだよな!?」
「けど、あの人曲がりなりにも一国背負ってんだ。それがどんなに大変かってのは想像しかできねーけど、本気でやってりゃ疲れるなんてもんじゃねぇだろ。国の人間が困らねぇようにするってだけでも大変だろうし、国の暗いとこやらバカなこと考える奴やらになんとか対処しようって思ったらそれこそ命懸けなきゃなんねーだろーし」
「そ……れ、は」
「少なくともあの人、そういうのを楽しめるほど根性曲がってる気はしなかったし。だから、あの人も大変なんだろーからま、しょうがねぇ勘弁してやるかって思ったんだよ。そんだけ」
「…………けど、俺は」
「……大丈夫か、フォルテさん? 俺、なんかまずいこと言ったか?」
「……、いやいやなんでもねぇよぉ? さって、軍議はまだ続いてるみたいだし、ミニスでもからかってくるかね」
 明らかに平静を欠いた調子で立ち去りかけるフォルテに、ライは声をかけた。
「フォルテさん!」
「んー? なんだ少年?」
「事情は知らねーけど、死ぬような真似、すんなよ。ケイナさんと子供のこと守るんだろ、生きてなきゃそれも、悩み解決することもできねーんだぞ」
「…………」
 フォルテは一瞬大きく目を見開き、それからふっ、と顔を笑ませた。優しく、おおらかな、力強い笑み。父親の笑みだ、と思った。
「ありがとよ、ライ。……お前さんのおかげで、なんとか俺は父親やれそうだぜ。さすが子持ちは違うねぇ」
「どーいたしまして。……ったく、ひやひやさせやがって」
 苦笑して軽く手を上げるのに、フォルテも軽く手を上げて応える。なんとはなしに通じ合うものがあったのが、確かに実感できた。
 と、シャムロックが小さく声を上げる。
「みんな! ちょっと、聞いてくれ」
 全員が注意を向けると、シャムロックは説明を始めた。
「無色の兵たちは、大樹の前に大きく展開し、襲撃を警戒している。周囲に動きがあればすぐに対応できるよう、いつでも移動が可能な態勢を取って、だ」
「ふーむ。しかも敵はこちらの四倍以上。普通に考えたら、勝ち目は薄いわな」
「なので、考えたんだが。それを逆手にとってはどうだろうか」
「逆手?」
「ああ。向こうは召喚師の集団だ。もし、周囲に強力な召喚術を使おうとする気配があったらどうすると思う?」
「即時散開しつつ、前線の隊を相当数その魔力の源に向かわせるな。いかに強力な召喚師であろうと、即座にここまでの兵をすべて範囲に捉える召喚術は放てない」
 即座に答えるネスティに、シャムロックは我が意を得たり、というようにうなずく。
「その通りだ。だから、それを使う」
「使う?」
「ああ。まず、君たちの中で最大の魔力を持つ召喚師が範囲と距離を拡大した呪文を使おうとする。相手はそれを感知し、散開してこちらに向かってくるだろう。たとえ視界の効かない森の中であろうとも、そうしないわけにはいかないはずだ」
「……敵が散開して森の中に入ってきたところを、各個撃破する、と?」
「それしかないと思う。後退しつつ戦って時間を稼ぎ、拡大した召喚術が完成すれば実際に使う。そののち残った戦力で強襲。……実際にそう簡単にいくかどうかはともかく、そういった作戦ならば被害が必要以上に出ることはない。相手の戦力を探るためにも、ひと当たりしないわけにはいかないからな」
「なるほど……おっしゃる通りです」
 騎士団員たちはそれぞれうなずく。ライとしても、その作戦におかしなところはない、と思えた。ライでも似たような作戦を考えるだろう。
 ただ、味方に被害が出ることを、当然のように受け容れるその思考は、やはりライには馴染めないものだったが。
「あ、ちょっと待ってくれ、シャムロック」
 挙手したマグナに、シャムロックは真剣な視線を向けた。
「なんだい、マグナ」
「それなんだけどさ。実際に召喚術使っちゃうのはどうかな。でかいの一発!」
「え……? いや、しかし、現在の配置では、たとえ君たちが強力な召喚術を使っても戦力を大きく減らすことはできないだろう?」
「それがけっこう、そうでもなかったりするんだよな〜、実は」
「! マグナ、まさか君は、あれを使う気か!?」
 血相を変えて叫ぶネスティに、マグナはにっと笑ってみせる。
「もちろん。こういう敵が多数の時にこそ、生きる術だろ、あれは?」
「君はバカか!? まだあれは研究中だろう、君の魔力制御が安定せず唱えるたびにとんでもないことに」
「へっへー。それがそうでもないんだよな。ほら、見てみろよ、これ」
「む……?」
 マグナが突き出した紙に記された、なにやらややこしい文字の羅列を、ネスティはまじまじと見つめ、ぶつぶつと呟く。
「この呪文式は……アイオルの呪理とエレスの呪文式を組み合わせたのか。それに加えフィゲナの呪理で根本原理を補強してある、確かに安定性は大きく増すか……だが出力は? これでは魔力回転数が……、! まさか、デゲベストの法式!? こんなほとんど知る者もいないような法式をこんなところに……だが、確かに、これは……!」
 真剣な顔で早口に呟いていたネスティは、じろりとにこにこと笑んでいるマグナの方を見た。
「誰の入れ知恵だ?」
「なっ、いきなりそれ!? ひどくないか、ネス!?」
「君の召喚術に対する知識は僕が一番よく知っている。確かに君の奇抜な発想力は認めるが、ここまで見事な呪文式として成立させるほどの技術知識は君にはない。さっさと白状したらどうだ」
「ううう……じ、実はその。キールに、ちょっと相談して……」
 はぁ、とネスティはこれ見よがしに息をつき、首を振ってみせる。
「やはり彼か。霊界の召喚術が専門の彼ならば、確かに可能だろうが……君には研究者の誇りというものがないのか? 自力で成立させなければ自分の研究とは呼べないぞ」
「うう……それはそうなんだけどさ。共同研究者として名前入れるよって言ったらそれはやめてくれって言われて……」
「……確かに彼の事情からすればそうだろうが」
「それに、さ。確かに研究者の名誉も大切だろうけど、この研究は、正しく使えば人を救える研究だと思うんだ。こうして使うためにある研究だと思うから、俺はキールに力を借りたんだよ。今、こういう時のために。だから今使わなきゃ、それこそ協力してもらった甲斐がないと思う。……駄目かな」
「…………」
 ふ、とやれやれと言いたげに息をついてから、ネスティはキールの方を向いた。
「すまないな、キール。このバカが迷惑をかけて」
「いや。召喚師として、興味深い研究に協力できて嬉しかったよ」
「そう言ってくれるとありがたい。……君の意に染まないことをさせたのだとしたら、またやり直させなければならないところだったからな」
「ネス、じゃあ!」
 顔を輝かせるマグナに、ネスティはわずかに口の端を笑ませる。
「こういう状況でこそ力を発揮する研究なのは確かだからな。その代わり、魔力の制御をしくじるなよ?」
「もっちろん!」

 カシスはわずかに眉をひそめ、周囲を見回した。それを見とがめ、弟――ソルが声をかけてくる。
「どうした、姉上」
「……なんだか、妙な魔力を感じるの」
「妙? 誓約者か」
「違う……と、思う。それほど膨大じゃない、けど確かにこちらまで広がっている……ソル、あなたは感じない?」
「魔力の感応力は姉上の方がはるかに上だろう。俺にわかるはずがない」
「…………」
 カシスは小さく舌打ちしてから、立ち上がった。
「もうすぐ儀式が始まるぞ」
「あなたがやっていなさい。儀式そのものは呪文数語を唱えるだけですむでしょう。……ここまで来て邪魔されてたまるものですか、周囲をもう一度探ってくる」
「そうか。気をつけて」
「ええ――」
 カシスは立ち上がり、自分につき従う護衛を連れ、聖なる大樹の前に広がる空き地の中央へと向かった。そこで改めて探知の術を唱え、周囲を探ろうと思ったのだ。
 が、中央にたどり着くより早く、だっとばかりに空き地に何人もの人間が飛び出してきた。鐘が鳴らされ、兵たちがざっと身構える。やっぱりいたか、と歯噛みしつつも、カシスは命ずる。
「敵よ! 皆殺しにしなさい! たとえ誓約者だろうと、邪魔をさせてはならないわ!」

「……敵はハヤトだけ、って勢いだな。俺もけっこうやる方だと思うんだけど」
 ネスティと並んで突撃しながら、マグナはひとりごちる。マグナは前線要員としては足が遅いので、こういう突撃の時はどうしても一歩遅れる。バルレルやユエルが真っ先に飛び出しているのを見ると、少しばかり悔しいものがあった。
「バカなことを言っている暇はないぞ。機を見誤れば、負けるのは僕たちの方だ」
「ああ。けど、みんなのことだからうまくやるよ、きっと――と!」
 がんがんがんがん! と大きく鐘が鳴らされる。と思うや、前線で斬り合いを始めそうになっていた仲間たちが、全員素早く背を向けてこちらに駆けてきた。きた、とネスティの顔を見ると、ネスティも小さくうなずいてくる。
「いくぞ、マグナ!」
「ああ! ……クレスメントの名の下に、超律者、マグナが汝の名を呼ぶ。天竜レヴァティーンよ、我が声を聞け!」
「バスクとライルの名の下に、ネスティが命じる。機竜ゼルゼノンよ、世界の壁を超え我が前に来たれ!」
 ぶぉん。魔力で空間が歪み、世界を越えて至竜たちが顔を出してくる。本来なら彼らを力のままに解き放てばいい――だが、今回はここからが本番だ。
「――マグナは汝の心の譜を詠う、深淵の孤独を、勝利の凱歌を、魂を守る歓喜を詠う、いざや心を響かせん」
「コマンド――0100101101010001101101011100101100111101010011101100000」
 重ねて唱えられるまったく違う呪文。まったく違う響き。異なる世界の力。――けれど、それでも、心が寄り添う。マグナの心が、ネスティの心が。まったく違うのに、確かに互いの心が感じられる。
「詠え、叫べ、我は汝を詠い、そして世に顕わさん。汝が力を在るべきように、魂の形を在るがままに。添うべきものと添うように、重なるものと触れ合うように」
「110100110101000011010101110010101110100010101111010100110101000111」
 二人の声が、言葉が、心が、魔力が重なり、響き合い、高め合う――
「響け、四界の彼方まで、我らが声は汝らの声――」
「コマンド・オン――」
『バベル・ギルティ!!』
 どがずぉごどずごずがどごがどずどぉごぉずごおどおずおばどごずおおおんっ!!!

 その閃光が閃いたのち、さっきまで目の前に立っていた敵はすべて倒れ伏していた。
「……すっげぇな」
 思わず息をついてから、召喚術の効果範囲の向こうの敵が呆然とこちらを見ているのに気づき、ばしゅっと一発銃を放った。ここまで距離が離れると銃の威力に自身の魔力(が練られたことによる攻撃力)を足すことができないため与えられた打撃は大したことはなかったろうが、相手を正気に戻すには充分だったのだろう、わっとこちらに向かってくるのに、後退しながらまた銃を放つ。
「お若いのに、さすが銃の扱いがお上手ですねー。どこで勉強されたんですか?」
 自分と同様に最前線で銃を放ち敵をおびき寄せながら笑顔で話しかけてくるパッフェルに、ライは呆れつつも答えた。
「ガキの頃親父にちょっと教わって、あとは独学……っつーか、パッフェルさん、戦ってる最中なんだからお喋りすんなよ」
「あっはっはー、いやー、すいません。私基本的にどんな時でもお喋りをせずにはいられないんですよねぇ、すいません本当」
「……ったく」
「それに、誰かとお喋りしてないと、つい皆殺しにしたくなっちゃいますから。過去の恥部を見せつけられてるようで苛つくとはいえ、さすがにそれはしたくないですからねぇ」
「え」
「さ、もうすぐ森ですよ!」
 言われてはっと前に向き直り、素早く森に駆け込む。後方からすさまじい勢いで敵兵たちが押し寄せてくるのはわかっていたが、あるいは森の中から飛んでくる黄金色の銃弾が、あるいは木々の上から落ちてくるいくつもの手裏剣が、確実にそれに打撃を与えているのもわかっていた。
 森の中に入るや、ライたちは素早く物陰へと散る。木々の間にはシオンの作り出した黒い霧が満たされていたが、自分たちにはそれを見通せるよう専用の薬が与えられていたので、まったく問題はない。
 だが、敵兵たちはそうもいかなかった。視界を失って混乱しているところに、騎士団員たちがわっとばかりに集まって斬りつける。個々人の強さは敵兵たちの方が上だっただろうが、統制を失ったところに集団でかかれば各個撃破するのはそう難しくなかった。
 作戦通りだな、とうなずきつつ、所定の場所で不測の事態に備える。基本的に戦いは騎士団員たちがやることになっていた。シャムロックとしては騎士団員たちに経験を積ませると同時に、のちの厳しいところに備え強い戦力の損耗を防ぐというつもりもあるのだろう。
 まずハヤトとキールが協力して結界を張り、生物が致命的な打撃を受けるのを防ぐ。そしてまず先遣隊が突撃し、敵部隊をひきつけ誘い出す。そして敵が集まってきたところに、マグナとネスティのあの召喚術だ。
 なんでも二人がちょうど研究していた術らしい。同調召喚、と名付けたのだそうな。協力召喚――複数人が協力して一人の召喚者に魔力を集めることで強い、ないしは特殊な術を使うことができるのはライたちも知っていたが、あれはそれをさらに押し進め、複数の召喚者がそれぞれに召喚術を使いつつ、心と魔力を同調させることで、通常ではありえない範囲・威力・規模の新しい召喚術を、普通に戦いながら使うことができるらしい。
 現在のところ二人の使える超弩級召喚獣同士の力を借りた術でしか成功の見通しが立っていないそうだが、実際これはそういう使い方が一番有効だろう。機界と霊界、二つの世界のただでさえ効果範囲の桁外れに広い超弩級召喚術が合わさり、さらに倍以上の規模で炸裂した普通ならありえない召喚術は、見事に敵戦力の大半を撃滅したのだ。
「なんか、勝ちそうな雰囲気だなっ」
「こら、油断すんな」
 弾んだ声を出すリュームに、すかさず注意する。同時にライ自身も気を引き締めた。そうだ、敵は無色の派閥、どんな隠し玉を持っているかわからない。

 カシスはちっ、と舌打ちし傍らの部下に命令した。
「兵を引かせなさい。即座に、全速力で」
「は、ははっ」
 部下が鐘を大きく鳴らすのに従い、森の中へ向かおうとしていた兵たちがこちらへと駆け戻ってくる。そこにすかさず銃弾や手裏剣が打ち込まれるが、その程度の損耗は承知の上だ。
「セルボルトの名の下に、カシスが命じる。おいで、ジュラフィム!」
 ぱっと翠の輝きが周囲を満たした次の瞬間、そこには翠の毛を幾重にも生やした、馬に似ているがそれよりはるかに気高さを感じさせる幻獣が立っていた。にこっと微笑んでその背中にまたがり、鬣を撫でて願う。
「お願いね、ジュラフィム。あたしのことを助けて。あたしの大切な、幻獣界の友達!」
 叫ぶや彼はカシスを乗せて駆け出す。その背中で、カシスは呼吸を整えた。
 彼は大切な友達だ、たとえなにも言わずとも、自分のことをきちんと支え、守ってくれる。彼の背中ならば自分は安らいだ心で召喚術に集中できた。
 この召喚術には少しばかり気合が必要だ。彼女は気が強く誇り高い魔臣。そんな相手に普段使わない力を使えというのだから、こちらとしてもそれなりの誠意を見せる必要がある。
 けれど、本質的なところではなにも心配はしていなかった。召喚する相手は、自分のなにより親しい友達。誓約で心と命を、魂を繋いだ自分たちは、他の誰よりもお互いのことを知っている。
「セルボルトの名の下に、カシスが願う。来たれ、魔臣ガルマザリアよ。我が声に従い、大樹の前に来たりて力を示したまえ」
 ふぉん、という音にならない音が響き、紫の響きと共に門が開く。魔王の一柱に仕える大悪魔の一体、ガルマザリアが姿を見せようとしてるのだ。
 そして、カシスはそこにさらに祈るように言葉を重ねる。かつて誓約を結んだ時、自分だけに教えてくれた力。他の兄弟にすら教えなかった、心を重ねた自分だけに見せてくれた力を願い。
「ガルマザリア、お願い。あたしに力を貸して。父上の、父さまの遺志を継ぎたいの。遺された研究を完成させたいの。遺されたものを受け継がなきゃいけないの! それを邪魔する目の前の奴らを倒させて。あなたの本当の力を貸して!」
 ガルマザリアはしばし無言でこちらを見つめていたが、小さくうなずいて魔力を高め始めた。それににこっと全身の嬉しさをこめて笑い、森の向こうの敵へと憎悪の視線を向ける。
「あなたの叫びは大地の咆哮。あなたの怒りは大地の憤怒。あなたが戦おうとするならば、大地はすべてあなたの武器! あたしの力とあなたの力で、大地をすべて打ち砕きましょう!」
 叫ぶやジュラフィムが大きく跳ねる。そしてそのまま天を駆ける。自分の友達のジュラフィムは、空中を駆けることもできるのだ。
 その背中で、目の前に森が来るまで引きつけてから、全霊の魔力を込めてカシスは叫んだ。
「来たれ――デヴィルテンブラー!」

 どぉんっ!
 その揺らぎは、一撃で自分たちの立つ場所の真芯を揺らした。揺れたのは本当に一瞬といってもいいほどのものだったというのに、その深い場所に与えられた衝撃は、間違いなく致命的な一打だったのだ。
 ずずずずっ、という音。めり、めりりっ、という音。その音にこちらが反応するより早く、周囲の木々が自分たちへ向けて倒れてきた。
「っ!」
 反射的に隣にいたキールを庇いながら、上に倒れてきた樹をぶった切る。幸い樹は一撃で斬られてくれた、が衝撃は消せない。どぉんっと体に伝わってきた衝撃は、自分の体に確かにダメージを与えていた。
「みんな! 無事か!」
「はいっ……大丈夫ですのぉっ……」
「ふんっ、この程度で……エルカがやられるわけ、ないでしょっ」
「きゅ、きゅきゅーっ」
 自分の仲間たちはそれぞれにダメージを受けながらも、倒れこんできた樹を押しのけて立ち上がる。だが、森の外側近くで戦っていた騎士たちはそうもいかなかった。衝撃にやられ、それに伴って倒れこんできた木々にやられ、それぞれ倒れたまま苦痛の呻き声を上げている。
 カシスの魔力によって引き出されたガルマザリアの一撃は、前線辺りの木々を根こそぎ薙ぎ倒し、ほとんどの騎士たちにほぼ致命的なダメージを与えたのだ。自分たちの張っていた結界のために命を奪われたものはいないはずだが、治療を施さなければまともに立つこともできなかろう。
 それに、視界を遮っていた木々と霧を吹き飛ばされた以上、これまでと同じ戦い方は通用しない。まだ敵の数はこちらの三倍近く、このままならば押し包まれて終わりだ。
 通常こういった戦いの時、召喚師は土地そのものを損なうような術は使わない。それは一歩間違えれば自身に危険を招く。高所に陣取った敵に足場を崩そうとしたせいで山津波を起こしてしまうようなことにもなりかねないからだ。
 だが、カシスはそれをやった。しかも、ガルマザリアのあの力は召喚師自身をも巻き込むものだというのに、別の召喚獣に騎乗することでそれを無効化して。
 頭がいいのか、勘がいいのか。どちらにせよ確かなことは、カシスはあの召喚獣たちと、力を合わせて召喚獣自身では成しえないことを行えるほどの絆を結んでいる、ということ――
「……キール。結界の維持、一人でできるか」
「ああ……ハヤト、君はまさか」
「モナティ、ガウム、エルカ。キールのことを守りながら傷を負った奴らの回復をしてほしい。頼めるかい?」
「まかせてくださいですのぉっ! 傷を治す召喚術は得意ですのっ!」
「ふんっ、誰に言ってるわけ? エルカの力を舐めるんじゃないわよ!」
「きゅきゅっ、きゅーっ」
「そっか。頼んだぞ、みんな」
 にっ、と笑い、ハヤトは剣を抜く。サモナイト石で作られた剣、サモナイトソードだ。
 マグナの話では、他に二本あるサモナイト石で作られた剣は精神の剣で、使い手を変身させたり召喚術の威力を爆発的に高めたりすることができるようだが、この剣にはそんな力はない。だが、自分の力を反映して世界に顕現させる、自分にはこれ以上ない武器だ。
 この武器は無限と思えるほどのサモナイト石の結晶。だからこれを使って誓約を行えば、サモナイト石を一個一個使って誓約をする必要もなく、自分の喚びたいと思う召喚獣を、無限に呼び出すことができる――
(……来てくれ、ドリグヴェーダ)
 心の中で呟く。小さく、けれどはっきりと意志を込めて。掲げた剣はその力を伝え、翠色の光を発する。門が開き、咆哮と共に現れた旧知の仲の風竜の幼体(といっても馬以上の大きさはあるのだが)にハヤトはひょいとまたがった。
「頼む、ドリグヴェーダ。あのジュラフィムにまたがった女の子を追ってくれ。ばんばん召喚術使ってくると思うから、落とされないようにな」
「グァォオオン!」
 馬鹿にするな、と言いたげに返ってくる咆哮に、笑って首を叩く。
「そう怒るなって、信頼してるよ。――頼んだぞ!」
「グォォン!」
 ばっさっ!
 羽ばたきと共に風が巻き起こる。ドリグヴェーダはそれを魔法のように操って空へと舞い上がった。呻く騎士たちの前で、盾になって戦う仲間たちの上を飛びながら、ハヤトは大きく叫んだ。
「悪い、みんな、俺はあの子を追う! ここは任せたぜ!」
 それに返ってくる怒号のような喊声に、ハヤトは小さく微笑んでから、きっとカシスを見た。ジュラフィムでどんどんと後方へと駆けていくカシスを。――自分は、あの子と話をしなければならないのだ。

「やれやれ、彼も簡単に言ってくれるな。こちらの優位を保たせていた森はなくなった。この状況ではシオンの霧も有効には働かないだろう。下手をすれば押し包まれ総崩れになりかねないというのに」
 やれやれ、とでも言いたげに頭を振るネスに、マグナはにやりと笑って立ち上がった。こんな状況になったのは、ずいぶんと久しぶりだ。
「それだけ俺たちを信頼してくれてるってことだろ。……レオルド、ハサハ、レシィ。傷は大丈夫か?」
「は、はいぃっ、なんとかぁ〜……」
「おにいちゃんが、きず、なおしてくれたから、へいきだよ?」
「問題ナク戦闘継続可能デス、あるじ殿」
「そうか……でも、無理はするなよ。俺たちの後ろから援護をしてくれればいい」
「……オイ。なんで俺には聞かねェんだよ」
「え、聞いてほしいのか? お前だったら聞かれたら逆に怒るかと思ってたんだけどな、『俺をそんじょそこらの悪魔と一緒にすんじゃねェよ!』って」
「ケッ、わかってんじゃねェか。このくれェちょうどいいハンデだぜ、久々に派手にやってやろうじゃねェか!」
「ようし、その意気だ! けど魔公子状態は封印な、あれ使うとお前消耗が激しいから、しこたま魔力補充しなきゃならないからさ。昨日ちょっと頑張っちゃっただろ、だから翌日いきなりってのは」
「だァーッ!!! てめェこんなとこでなにバカなこと言ってやがんだッ!」
「みなさん、お元気そうでなによりですねー♪」
 軽やかな声と共にひょいと倒れた木々の間から顔を出してきたのは、パッフェルだった。相も変わらずのケーキ屋の制服には、微塵も乱れたところがない。
「パッフェルさん! パッフェルさんは大丈夫なのか?」
「はいはいー、私は召喚術の効果範囲とはずれた場所にいたもので。それより、よろしいんですか? 向こうの方々、こっちにどんどんと迫ってきてますけど?」
「おっと、まずいな。よし、バルレル、間合い見計らって敵の右翼を攻撃しつつ足止めしてくれ。パッフェルさんはシオンさんと組んで左翼を攻撃しつつ引き寄せて、こっちへの突撃を遅らせてほしいんだ。できるかな」
「お任せください♪」
「お任せを、マグナさま」
「わっ、いつもながら唐突に現れますねぇ、シオンの大将さん」
「貴女もとうに気づいてらっしゃったでしょうに?」
「あはは、どうでしょうねぇ? ……あれ、でも中央はどうなさるんです? あちらさんけっこうがっちり隊列組んでますから、中央は一番層が厚くなってますけど?」
「ああ、それは、フォルテたちが今右翼に近いから支えるのはそっちの方がいいだろうし……それに」
 にやり、と笑って言ってみせる。
「中央近くにいる子たちは子たちで、しっかりやってくれると思うからさ」

「任せたぜ、って……」
 ライは思わず口を開ける。ずいぶんあっさり言い捨てにしていくものだ。仲間内はともかく、騎士団員たちはほとんどがさっきの一撃でへろへろになってしまっているというのに。
 向こうからはずん、ずんとばかりに敵の兵たちが迫ってくる。真正面から戦えば、押し包まれて終わりだろう。
 ――普通の人間ならば。
「どーすんの? 向こうの奴らどんどんこっち来てるわよ?」
 リシェルの面倒くさそうな、けれどどこかに期待したような色も持った声に、ライはふぅ、と息を吐いた。まさか、あの戦いが終わってからまたこんな、戦いの指揮みたいなことをするハメになるなんて思っていなかった。
「……ま、しゃーねーか」
 ここにやってきたのは自分の意思だ。他の誰かに責任を押しつける気はない。それに、無色の派閥と話ができる機会があるならしてみたい。その時に向こうが喧嘩を売ってくるなら、きっちり買って殴り倒してやるのが筋というものだろう。
「よし、リシェル、ゴレム召喚頼む。リューム、シンゲン、お前らは俺とゴレムと一緒に前線支えろ。ミルリーフは後ろから召喚術で援護、コーラルはその前で援護しつつ機を計ってくれ、敵が集まってきたらでかいのかますぞ。ギアン……は、後ろからコーラルと同じくらいの位置で召喚術で援護しつつ、ここって時にブリスゴアで敵蹴散らしてほしい。できるか」
「可能不可能でいえばもちろんできるけれど……ああっ、でもライっ、僕も前線で君の身を守るわけにはいかないのかい。君の柔肌がむくつけき男共の手で傷つけられていくのを見るなんて僕には」
 がづん。
「阿呆なこと言ってんじゃねーよ! ……つかな、真面目に言って、お前を前線に連れてくわけにはいかねーんだよ。お前は確かに前線要員もこなせなくはない能力持ってるけど、それでも基本は召喚師だろ。集中攻撃受けたらどうしたってローブじゃきついじゃねぇか。言っとくけど、俺はお前が倒れるとことか見る気ねー、っつかお前も含めて誰一人倒れさせたりしねーからな」
「………ライぃっ! ああ君は本当になんて心優しい、天使よりも深く妖精よりも明るいその愛情は僕をいつも」
 がづん。
「てめぇ真面目に戦う気あんのかてめぇのミスで誰か倒れたなんてことになったらマジでぶっ殺すぞ……!」
「いや、すまない、本当にすまない、ただ君への愛情が溢れそうになっただけなんだ、本当嬉しくてはしゃいじゃっただけなのでどうか勘弁してくださいごめんなさい」
「よし、頼んだぞ。……行くぞ、リューム、シンゲン!」
「おうっ!」
「はいはい。せいぜいお役に立つとしますか」
「パパぁっ、気をつけてねっ!」
「くれぐれも、気をつけて……お父さんなら大丈夫だとは、思うけど」
「ヘマするんじゃないわよっ」
「誰に言ってやがる。……さって、一暴れするとするか……!」

 ハヤトはドリグヴェーダの首筋を叩きつつ、がっしり胴体にしがみついて宙を駆けた。ドリグヴェーダは風の力に親しい竜、飛行能力はメイトルパの竜の中でも随一だ。
 アクロバット的な飛行も行うが、魔力と想いで心身を絆で繋げていれば、たとえ天地が逆になっても落ちはしない。猛スピードでジュラフィムへと追いつき、上方から声をかける。
「カシス! ……わっと!」
 返礼はプチデビルの紫炎だった。慌てて身を縮めて、ひぇぇと震わせる。召喚獣に乗りながら当たり前のように召喚術を操ってくるなんて、騎乗に慣れているのももちろんだが、やっぱりこの子は召喚獣とよほどしっかり絆を結んでいるに違いない。そうでなければ集中を失って放り出されるのがオチだ。
「カシス! 聞いてくれ! 俺は」
「あなたなんかの話なんて聞きたくないわ!」
 言いながらまたイビルファイア。心身を繋げたドリグヴェーダと共に、舞うように避けて上方を取る。
「なんでそんなに俺のこと嫌うんだよ!? 俺は別に君になにかしたりしてないだろ!」
「したわよ! 父上の研究の邪魔をしたじゃない!」
「いやだって、魔王の力使ってリィンバウムを一回滅ぼして創り変えるなんて言われたら止めるだろ、普通!?」
「父上だったらきちんとうまくやれたわよ!」
「うまくやるとかそういう問題じゃないだろ! たくさんの人が、人だけじゃなく山ほどの命が失われるんだぞ!」
「それがなによ! そんな人たちなんて、どうせかつて誓約者が創った法にあぐらをかいてただ守られてばかりいた奴らじゃない! そんな奴らの命に価値なんてないわ、みんなみんな消えてしまえばいい!」
「カシスっ……!」
 びょうびょうとすさまじく音を立てる風の中で、ハヤトとカシスは怒鳴りながら言い合う。お互い高速で宙を翔けながらも、カシスはどんどんと召喚術を撃ってきた。この状況でドリグヴェーダから落ちれば自分は相当なダメージを受ける、それを狙っているのだろう。
「っと! ……カシス! 君はなぜ父親の、オルドレイクの研究を完成させようなんてしてるんだ!? オルドレイクと君は違うだろう、君は別に好きで命を奪ってるわけじゃないはずだ!」
「! な……にを、言ってるのよっ!」
「君は優しい子だ。本当は命を奪うなんて大嫌いな子だ! そうじゃない自分にならなきゃ耐えられなかったから、生きられなかったから平然と命を奪うようにしただけで、本当は命を大切にしたいって思ってる子なんだ!」
「なにをっ……馬鹿なことを言ってるの、私は無色の派閥の最上位、セルボルト家の最後の生き残りの一人、カシス・セルボルトよ! 兄上からどんな話を聞いたかしらないけれど」
「キールからも聞いた、クラレットからも聞いた、でもなにより君が使っている召喚術を見て確信した! 君は優しい子だ、そうじゃなかったらジュラフィムやガルマザリアとそんなにちゃんと絆を結べるはずない! 命を、友達を、ちゃんと大切にして誠実に向き合う子じゃなかったらそんなことは」
「………っ、黙りなさいっ……!」
 じゃりん! とカシスが杖を構える。あれは確か、セルボルト家に伝わるという最高の装備のひとつ、デスロッド。強烈な死の匂いを漂わせる黒紫の杖に、どんどんと魔力が集まってくる――
「セルボルトの名の下に、カシスが望む。霊界の深淵を駆ける黒紫の騎士よ、星を翔けよ、光刃を振るえ、混沌の輝きもて我らが敵を――」
 まずい、とハヤトは思わず顔色を変えた。彼女は、ツヴァイレライを喚ぶ気だ!

「だぁっ!」
 マグナはビリオン・デスを大きく振り回して敵を斬り倒した。後続の敵が素早く間合いを詰め、剣を振るってくるのを受け流し、その体の流れを利用して敵の開いた体めがけ大剣を振り下ろす。
 マグナはこういう、後の先を取る剣術を主に使っていた。マグナの基本になっている蒼の派閥での戦闘訓練が、そもそも召喚師としての体力をつけるため、そして敵に斬りかかられてもしのげるような防御力を磨くためのものだったせいもあるのだろう。先手を取って敵に斬りかかろうとするとたいていよけいな打撃を受けてしまう。
 六年前もそうだった。自分も必死に戦って、山ほどの人間を斬りまくったけれど、自分の魔力は防御力に最も強く出たようで、敵に集中攻撃を受けてもそうそう死にはしない。なのでこうして最前線で敵の突進を食い止めるのが役目だったのだ。
「えぇぃっ!」
 ぴしゃぁん! という音と共に点から雷が降り、目の前の敵を撃つ。ハサハの使う召雷術だ。ハサハは主に魔力を集中的に鍛えているため、この術は何気にかなり強力だったりする。
 続いてだぁんっ、と銃弾がその敵に撃ち込まれる。レオルドは基本的に近距離格闘型だが、経験を積んで自分の能力を使いこなすことで銃器も使えるようになったのだ。魔力と同時に磨かれた攻撃プログラムによる銃撃は、そんじょそこらの射手よりよほど強い。
 怯んだ相手にとどめの一撃。当然その隙を突き、他の敵二人が斬りかかってくる。
「……ぐっ!」
 受けそこねて体に刃が突き立った。希望のメイルをまとい、魔力を体中に張り巡らせて鉄のような防御力を持っているとはいえ、やっぱり斬られれば痛いし血も出る。
 だが、即座に後方から「ご主人様ぁっ!」という叫びと共に翠色の光が立ち昇った。レシィの使った召喚術の輝きだ。
 レシィに喚び出されたフラップイヤーは、たちまちのうちにマグナの傷を癒す。にっ、と笑って敵二人に、攻撃で大きく開いた体の隙を衝いて斬りかかる。
 と、そこに続くように後ろから斧の一撃が襲いかかり、敵はなすすべもなく倒れた。マグナは思わず目を瞬かせる。
「リューグ! ライたちの方は大丈夫だったのか?」
 左翼がマグナたちだけで支えられそうだったので混戦状態の中央へと向かっていったはずのリューグは、彼独特の息を吐き出すようなやり方で笑ってみせた。
「ハッ! そうじゃなきゃこっちに戻ってきてるかよ。向こうにゃフォルテもシャムロックも、ルヴァイドの野郎もいるからな、むしろ数が足りないのはこっちだろ。とりあえずこっちを片付けてから側面を突くぞ!」
「了解!」
 声をかけ合いながら大剣を、斧を振り回し敵を斬り倒す。それからだっとバルレルのいる方へ向かい走った。バルレルがその闘気によって敵を足止めし、ユエルが縦横無尽に飛び回って敵を倒す。後方からミニスが召喚術で援護する。その連携は、六年前と同様どんどんと敵を減らしていた。
「……おい、マグナ」
「なんだ?」
「……あの坊主、思ったよりやりやがるな。言うだけのことはあるってことか」
 走りながらぶっきらぼうな仏頂面で言ってきた言葉に、マグナは少し考えてから笑った。
「ああ、ライのことか! 確かにライって、お前より上なんじゃってくらい強いもんな」
「そこまでは言ってねぇ!」

 ばしゅんばしゅっ!
 ライの二連射でこちらに向かってこようとした敵の一人は倒れた。ライの銃の間合いになにも考えずに突撃してくる敵に、容赦をしてやる義理も意味もつもりもない。
「だぁっ!」
「リュームっ、一人で突撃すんじゃねーぞっ!」
「わかってらぁっ!」
「そちらの方は心配なく、御主人。きっちりリューム殿の背中は守らせていただきますんでね」
「頼むぞ、シンゲン!」
 それぞれがそれぞれに自分の意思で動きながら、互いに互いを援護し、補い助ける。それぞれが正しいと思う戦術のもとに。自分たちにとっては、あの半年前の二ヶ月で慣れた仕事だ。
 ばしゅんばしゅん、ずさっ、ざすっ。周囲を確認しつつ、手が足りないところに走ってプラズマブラストを撃ち、あるいは戒刀乱魔を振るう。敵はそれなりに強かったが、せいぜいがギアン配下の奴らと同程度だ、白夜の兵士たちと比べればぶっちゃけちょろい。
「いっけぇーっ、ペンタ君!」
 どっごぉん、という爆発音と共に敵が吹き飛ぶ。後方からミルリーフが放った召喚術だ。ペンタ君の召喚術は射程距離が長いのが特徴なのだ。
 そこにすかさず光線を撃ち込み、間合いを詰めて刀を振るう。刀と銃を両手で使いながら、次々と敵をぶち倒す。ざしゅっ、ざぐっ、と時には体に刃が突き刺さるが、へっと血交じりの唾を吐いてせせら笑う。
 このくらいで死ぬほど自分はやわじゃない。危なくなった時の回復薬はまだまだあるし、自分も、後ろで支えてくれる奴らも回復の召喚術が使えるのだから。
「さすがだな、ライよ!」
「おう、ルヴァイドのおっさんもやってるな!」
 最前線で巨大な大剣を振り回すルヴァイドとすれ違いざまに声をかけ合う。その隣ではイオスが槍で敵を突きながらも、ちらりとこちらに非難の視線を送ってきていたが。
 その横を通り過ぎてばしゅっと光線を横から撃つ。前面の敵を次々斬り倒しながらも、後ろに回りこまれようとしていたアルバがグランキューシュを振るいながら声を上げた。
「悪い、ライ!」
「おう、気をつけろよ!」
 さらに走り、敵と斬り合っていたフォルテの横へと駆けて敵の一人を斬り倒す。フォルテがそれに動揺した敵にきっちり止めを刺した。
「おっ、すまねぇな、さすが子持ち!」
「そりゃ関係ねーだろ!」
 言いながらさらに敵陣深くへと斬り込み、敵を引きつけ陣形を崩す。戦いの基本は各個撃破だ、数がいる時はよけいに、できるだけ敵をばらばらにして倒さなくてはならない。
 光線を撃ち、刀を振るい、相手からできるだけ攻撃を受けないようにしながら全力で敵を引きつける。向こうからうじゃうじゃと湧いてくる敵の、先頭の奴に光線を打ち込んでから間合いを詰めた。
 わっとばかりに敵が大きく広がり押し包もうとしてくる。それと微妙な間合いを取りつつ、光線を撃つ。先頭の奴は力を込めた銃撃に倒れたが、続いて襲ってくる敵には間合いを詰められて斬り合いになった。
 だがそれも当然承知の上。ずばっとセンジュコウレンの上から斬られるが、大きく開いた敵の鎧の隙間へ刀を振るってやる。斬り合いながら少しずつ後退し、敵をばらばらに自分たちの陣地へ誘い込むのだ。
 ――と、大きく振りかぶった剣を打ち下ろそうとしていた相手していた奴の隣の敵が、ずばっ、と背中を斬り裂かれて倒れた。え、と思って思わず目の端でそちらの方を見ると、傷だらけになってはぁはぁと荒い息をつく、いかにも青息吐息といった状態の、自由騎士団員の一人が剣を振り切った状態で息をついている。
「油断を、するなっ。悔しいが、お前は、俺より強いんだっ、お前が倒されたら、どれだけ、戦力減になると思うっ」
 ぎっとこちらを睨み、必死に剣を構えて言ってくる騎士。それに思わず苦笑しながら、ライは刀を振るいつつ言ってやる。
「おう、ありがとなっ。けど言っとくけど、俺はお前も倒させる気ねぇぞ。誰一人欠けさせねぇできっちり完全勝利してやるつもりだからな俺たちは!」
「はっ……抜かせ!」
 そいつが笑って、さっきよりもいくぶん力を取り戻した腕で剣を振るう。シャムロックが「総員、迎撃しつつ後退せよ! 我らの磨き上げてきた力と技は、この程度で負けはしないと示せ!」と剣を振るいつつ叫ぶのが見えた。
「ライっ! ちょっとこっち来なさい、リュームたちと協力してでかいのかますわよっ!」
「あいよ!」
「……幻獣界の彼方にて猛る、氷炎の双覇竜よ。狭間に立つ者の一人、ギアンが汝に請う。汝の力の一双、空へと燃え上がる爆炎をここに放ちたまえ。汝の息は焼尽の歌、汝の力は炎熱の極、極炎の獄界を今ここに来たらせたまえ!」
 ぼじゅおぉんっ!

 呪文を唱えている最中だというのに、カシスは思わずぽかんと口を開けてしまった。だって、今自分たちは召喚獣たちの背に乗って、目にも止まらぬ速さで宙を駆けているところなのだ。すでに高さは森の木々を下に望めるほど、ここからそんな速さで飛び降りれば、まず間違いなく命はない。
 そんな状態で、ハヤトは飛んだのだ。風竜の背から、馬より少し大きい程度の大きさしかない、自分の乗るジュラフィムの背へ。
「…………っ!!!」
 ジュラフィムを動かそう、などと考える暇もなかった。一瞬の飛行ののち、誓約者ハヤトは自分の後ろへと飛び乗ってきてしまった。
 衝撃はなぜかほとんどなかったが、ハヤトはその力強い腕で、ぎゅっとカシスの体を抱きしめ、間近に近づいた顔に満面の笑みを浮かべて言う。
「捕まえた!」
「な……なっ、なにをするのっ! 放しなさいよっ、なに考えてるの変態っ、触らないでよっ、この子の背中に乗っていいのはあたしだけ」
「でも、こいつ別に嫌がってないだろ?」
「そ……れ、は」
 確かに、ジュラフィムは嫌がってはいなかった。むしろ、ハヤトが飛び移る時、衝撃を吸収するような体勢すら取っていたかもしれない。
 けれどそれは、単にこの男が誓約者としての力を持つがゆえだ。エルゴの祝福を受けた、恵まれた存在。疎外された者の哀しさなど考えたこともない。そういう奴らに負けたくないと、思い知らせなくてはならないと、そう思ったから、自分は。
「カシス」
「っ」
 がっしりと自分を抱きとめながら、ハヤトは真剣な顔で自分を見る。ジュラフィムがゆっくりと地面に向かい降りていくのが、他人事のように感じられた。
「君がなにを考えて、どんなことを思っているかは俺にはわからない。でも、わかる気持ちもあるんだ」
「……あなた、なんかにっ、あたしのなにが」
「君が、本当に兄弟たちを好きなこと。召喚獣を心の底から友達だと思っていること。俺は、そういう子とは、戦いたくない」
「っ……あなたがそうでもねっ、あたしはあなたを」
「俺のこと、嫌いかい?」
 心臓の鼓動が感じられるほどぴっとりとくっつきながら、ハヤトは問う。真剣な眼差し。自分の体を支える力強い腕から、触れ合った胸から、体温が伝わってくる。
「俺は、君のこと好きだよ。……っていうか、一緒にいたら、俺は君のことを好きになるなって思った」
「な――、に、をっ」
「俺のことが嫌いなら嫌いでいい。俺の命を狙って、襲いかかってきてもかまわない。……でも、だったら俺を殺すまでは、他の人の命を狙ったり、迷惑をかけたりしないようにしてくれないかな」
「な……んで、あなたが、そんなこと」
「君に、ひどいことをしてほしくないんだ」
「――――」
「キールやクラレットの妹で、今でももう好きだなって思える子に、俺がしちゃならないって思ってることをしてほしくない。君が幸せな気持ちでいられるように、頑張りたいって思うんだ。だから、そのためなら命くらい懸けるさ。それに」
 ここでにこっ、と明るい、可愛らしいとすら言えそうな笑顔になって。
「君が人や召喚獣をむやみに殺す子じゃないって、俺にはよーくわかってるからさ」
「……っ馬鹿なことを言わないで! あたしがこれまで何人の人間を殺したと」
「でも、君はそういう子だ」
「勝手な、こと……」
「俺は君を信じる。信じられる子だって思ったんだ」
「偉そうにっ……」
「うん、ごめんな。でも、頼むからさ、お願い聞いてくれないかな? 聞いてくれたら、俺は絶対に君を守る。どんなことがあったって。そう、約束するから」
「なにを、勝手にっ……」
 ハヤトのがっちり体を抱きとめての果てしない口説き文句は、カシスが自分の顔が真っ赤になっていることに気づき、悲鳴を上げてハヤトを突き飛ばすまで続いた(それでもハヤトはカシスを放さなかったので、二人一緒にジュラフィムから落っこちた)。
 そのあと、カシスはなんだかひどく馬鹿馬鹿しくなってハヤトと一緒に笑ってしまい、この状況じゃ仕方がないから捕虜になってあげる、ということで落ち着いたのだった。

「……逃げるぞ」
 言ってソルは立ち上がった。周りで儀式を手伝っていた奴らが、驚きの眼差しでこちらを見る。
「よいのですか。ここに集めた兵力は、我々の保有する戦力の八割以上を占めます。いかに研究内容の遂行が最優先とはいえ、敵をこのまま討ち滅ぼすという選択が」
「もはやそれが不可能な段階にまできてしまっている。もう俺たちの兵力は敵とさして変わらない状態だ、しかも敵は勢いに乗っている。個々の能力も高い上に連携も見事だ、これを我々が打ち破るのは不可能に近い」
「く……」
「心配はいらない、儀式は無事終わった。我々は研究を完全に遂行することだけを考えていればいい。研究が完遂されれば、どんな奴であろうと恐れるに足りないんだからな」
「は……」
 ソルは一瞬カシスたちが駆けていった空の彼方へと視線をやったが、すぐにふいと逸らして逃走用の召喚獣を呼んだ。
「―――行くぞ」
 そう、自分は、ここで捕まってしまうわけにはいかないのだから。

 うおおぉぉぉお!
 ぼろぼろになりながらも騎士たちが勝ち鬨の声を上げる。それは力強く猛々しく、弱い者を跳ね飛ばすような覇気に満ちているとクラレットは思った。
 いつもそうだ。そういうものだ。弱い者を、数の少ないものを迫害する奴らは、それを当然のことと考えて、むしろそれがかなったことを喜ぶ。相手にも心があることを考えようともしない。自分たちは、ずっとそういう者たちに、傷つけられて生きてきた。
 クラレットは顔が上げられなかった。戦いに置いていかれたくはなかったけれど加わるのも嫌で、結局自分は戦場から離れた後方の森の中で戦いの決着が着くのを待っていた。
 ここに自分を迎えにくるのは誰だろう。騎士たちの冷たい手か、兄の弱々しい声か。それとも、彼の――ハヤトの、優しい笑顔なのだろうか。
 そんなことをぼんやり考えてから、はっとして首を振る。なにを考えているのだ、自分は。なんで自分があの人のことを。彼はただ、自分を利用していいようにするために……いや、そこまでじゃないかもしれない。彼が自分のことを気遣ってくれているのは本当かもしれない。あの人は確かに、自分に想いをかけてくれていると……いやいやそんな、でもでも。
 そうぐるぐる無駄に頭を回転させていると、ふいにかさり、と音がした。え、と周囲を見渡してみると、自分の目につくような木の枝の間に、紙が挟まっているのが目に入る。
「……これ、は」
 その紙を手に取り、読む。そこには端的な言葉が角ばってはいるが整った字で――ソルの字で、記されていた。
『誓約者と、その仲間たちへ 忘れられた島で待つ ソル』
 ただ、そうとだけ書かれた文が。

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