初夏――ベルフラウナップに礼を言うのこと

 パスティスには帝国でも有数の大きな美術館が存在する。創立者の名をとって、ボルーチェ美術館と名付けられた建物がそれだ。
 あちこちの名家の財産(主に不動産と美術品)を掠め取ってきた貿易商ボルーチェ・ビルスリムが、金にならない美術品を自分の名を冠した美術館に集めたのが始まり。ボルーチェはのちに没落した際、自棄になったのか収集した美術品を全てその美術館に寄贈した。
 帝国中の名家から美術品を奪い、自身高名な美術品収集家であったボルーチェのコレクションを全て吸収した美術館は一気に巨大化、膨れ上がった管理費を処理しきれなくなった美術館は帝国に身代を売り渡す。こういう少しばかり風変わりな歴史を辿り、ボルーチェ美術館は帝国有数の帝国立美術館としてその名を知られるようになったわけである。
 パスティス軍学校では三ヶ月に一回、展示品が変わる時期ごとに生徒有志を集めボルーチェ美術館の見学を行っている。別に強制ではない――軍学校で情操教育に熱心な教官は普通いない。
 だが、美術品に関する観察眼を養い知識を得るためにも、余裕のある生徒は参加するのがより望ましいとされていた。
 ナップもこの催しには毎回参加している。いろんな経験を積む、という先生との約束を果たすことを怠ったりは絶対にしないのだ。
 が―――
「………ぜんっぜん、わかんね」
 ナップは仏頂面でそう言った。
「君は本当に得意分野以外は不器用だな。毎回この課外授業には参加してるんだろう?」
 ウィルが隣で呆れたように言う。
 現在ナップたちの目の前には、数十歩にわたる長さの壁一面に飾られた絵画が広がっている。美術館内は自由行動なのだが、ナップは一人で回るよりはとウィルたちと一緒に回っているのだ。
「だってさあ……どんなに価値があるかは知らないけどさ、絵だろ、これみんな? 見たって絵だな、くらいしか感想なんて浮かんでこないよ」
「別に抽象画でも前衛芸術でもないじゃないか。いくつも見ていれば良し悪しぐらいわかってくるものだろう、普通は」
「悪かったな、普通じゃなくて」
「別に特別な感想なんて抱かなくていいんじゃないかな。良し悪しっていうのは結局好みでしか判断できないと思うし……ただ普通に見て、きれいだな、とかいいな、とか思えばいいの」
 アリーゼがにこにこしながらそう言うが(アリーゼは絵が好きらしく妙にイキイキしていた)、ナップは渋面を作る。
「そのきれいだな、とかいいな、とかがよくわかんないんだってば……」
「……やれやれ」
 ウィルが処置なし、と首を振り、アリーゼも困ったように笑う。
 ナップ自身自分の美術鑑賞眼のなさには呆れているのだ。父の仕事の関係で美術品を見る機会もけっこうあったのだが、それでも(あるいはそれゆえにか)ナップの美術オンチはしっかり形成されてしまっていて治る気配がない。
 はあ、とため息をつき、そこでナップはさっきまで近くにいた人間がいないのに気がついた。
「なあ、ベルはどこ行ったんだ?」
「……ナップ、君いつからベルフラウのことを愛称で呼ぶようになったんだ?」
「え? 一ヶ月前の秘剣習得の時から。あの時ベルのやついろいろオレのフォローしてくれたしさ、それに自分もオレに張り合うみたいにして頑張ってたし、なんか……励まされたんだよな、あいつに。そんで話とかしてるうちになんとなく」
「………ふーん」
「………ベルフラウならいつものところにいると思う」
「いつものところ?」
「ベルは、この時期の展示物でひとつすごいお気に入りがあるの。放っておいたら最初から最後までずっとその前で過ごすくらいお気に入りの作品が」
「へえ………どこ?」
「次の次の部屋。配置が変わってなければだけど」
 少しばかり興味をそそられたが、急いで行っても仕方がない。ナップはすぐ足を止めて見入るアリーゼにつきあいながら、ウィルと見てもさっぱりよさがわからない美術品を見て回る。
 そして次の次の部屋。はたしてベルフラウはそこにいた。小さな絵の前に立ってじっとその絵を睨むように見つめている。
 ナップは早足でその隣に向かった。こちらに気づきもせずじっと絵を見ているベルフラウに、小声で話しかける。
「ベル」
「え?」
 ベルフラウは声をかけられて我に返ったように目をぱちくりさせた。ナップたちの方に振り返り、姿を確認して表情を和ませる。
「なんだ、あなたたち? どうかしたの」
「いや、用があるわけじゃないけど。これがお前のお気に入り?」
「そうよ。タルテル画、『海』」
「ふーん……」
 ナップはなんの気なしにその絵を見つめた。それは小さなカンバスの中に題名どおり海を描いた絵で、角度によって穏やかとも荒れているとも見れる海の図がそこには広がっている。
 と。ナップはその絵を見たとたん、その絵から目が離せなくなった。
 なにか強烈な感想を抱いたわけではない。だがなぜか、不思議に目に馴染む絵だった。なんだか懐かしいような、よく知っているものを切り取って目の前に出されたような、そんな感じがする。
 ああ、とナップは内心手を打った。この絵は、本物の海と同じ感じなんだ。
 あの島で毎日見ていた、船の上で飽かず眺めた、あの海を見た時と同じ印象を与えるんだ。
「……なんかこれ、いいな」
 そう言うと、ウィルとアリーゼが驚愕の表情を浮かべてこちらを見た。
「ナップ……本気かい? 真剣に言ってる? 君の口からそんな言葉が聞けるなんて……」
「そんな……ナップくん、ベルと感覚が近いの? 他の絵はなんとも思わないのにこれだけなんて……」
 だが、ベルフラウは嬉しげな笑みを浮かべてナップに言う。
「あら、わかるの?」
「いや、わかんないけど。でもなんか、この絵感じいいよ。本物の海見てるみたいな感じで、なんか……ずっと見てたい気になる」
 ベルフラウはうんうんと何度も嬉しげにうなずいた。
「でしょう? この絵ってそういう感じよね? アリーゼやウィルにそう言ってもどうも反応が芳しくないから苛立ってたところなのよ」
「うぅ………」
「しょうがないだろう、僕たちは海にそこまで執着があるわけじゃないんだから」
「私だって別に海に執着があるわけじゃないわよ。好きなのはこの絵」
「だって海の絵だろう?」
「絵と本物は違うでしょう」
「そんな当たり前のこともわからないのか。まったく軍学校ではどんな教育をしてるんだか」
 ふいにそんな声が聞こえ、ナップたちはばっと背後を振り向いた。全員そちらの方から気配を感じていたからだ。
 そこに立っていたのは自分たちと同年代くらいの少年だった。なぜか背後に二人護衛だか召使いだか黒服を着た男たちを連れている。
 少年はにやりと笑って言った。
「久しぶりだな、ベルフラウ」
「……リューデ」
 ベルフラウは固い表情で、小さくそう呟いた。
「……誰?」
「リューデ・イグーナフ。私の許婚よ」
『いいなずけぇっ!?』
 ナップとウィルは思わず声を揃えて絶叫してしまった。
「声が大きい! ここをどこだと思ってるの!」
「わ、悪い……でも許婚って……」
「俺とベルフラウが将来結婚するってことだよ」
 リューデはにやにや笑いながら手を差し出した。
「こっちに来いよ、ベルフラウ。親父がこんなちんけな絵よりずっと高い絵をこの美術館に売るんだ。一緒に見ようぜ」
「今は軍学校の課外授業中なの。団体行動を乱すようなことはできないわ」
 ベルフラウは固い表情のまま、かたくなな声音でそう言う。
「いいじゃないか、ちょっとぐらい」
「よくないわよ。こういうちょっとした素行のせいで評価が下がりでもしたらどうするの?」
「そのくらい俺が親父に頼んでどうにかしてやるよ」
「どうにもならないわね、そんなことじゃ。軍学校の成績はたとえ建国帝でも操作することはできないのよ。私の成績が下がるのはイグーナフ家のご当主としても歓迎しないことだと思うけど?」
 そこまで言われて、リューデはちっと舌打ちして踵を返した。
「しょうがねえ、今日は引き下がってやる――けど、またすぐ会いに行くからな。その時はドレスでも着てしっかり俺を迎える準備してろよ」
 あはは、と耳障りな笑い声を上げて、リューデは去っていく。
 その後ろ姿に見向きもせず、ベルフラウはうつむいて、なにかに耐えるようにじっと床を見ていた。
「ベルフラウ……」
 アリーゼがそっと背中を撫でる、その仕草にすら気づかない様子で。

「……ガスタロッシ家がどうやって今の地位を築いたか、知っている?」
 学校に帰ってきて。校舎ロビーでベルフラウはナップとウィルにそう言った。
「……ああ。各方面の有力な家と婚姻関係を結ぶことによる閨閥政治。軍事商業行政その全てにガスタロッシ家は手を伸ばしている」
「なら、わかるでしょ。イグーナフ家は帝国でもかなり力を持つ商家の一つよ。マルティーニ家には遠く及ばないにしてもね」
 くす、とベルフラウは笑うが、ナップは笑うどころではなかった。
「……それであんな奴と政略結婚させられることになったってわけか?」
「政略結婚だなんて、言い方が悪いわね。家と家との有益な結びつき、ぐらいのこと言えないのかしら?」
「言い方変えたって同じだろ。……アリーゼ、知ってたのか?」
 うなだれていたアリーゼは、うなだれたままうなずいた。
「前に話を聞いたことがあって……それに、たまにあの人ベルにちょっかい出しに来るから……」
「なるほど……ね」
「でもさ。ベルフラウ、あいつのこと嫌いなんだろ?」
「―――ええ」
「なのになんではっきり『嫌いだから一緒にいたくない』って言わないんだよ?」
 ベルフラウは苦笑した。
「言いたいけどね、そういうわけにもいかないでしょう。だって彼は私の許婚なんだもの。将来一緒に暮らすことになる人間なのよ」
「でも嫌いなんだろ?」
「――っ! だったらどうしろって言うのよ!」
 ベルフラウはきっとナップを睨んだ。
「ええ確かに私はあいつが嫌いよ。大して頭がよくもないくせに態度がでかいところも家の力をかさにきて好き放題やっているところも! でも彼は私の許婚としてガスタロッシ家の当主に認められているのよ!? 私は別に当主のお気に入りってわけじゃない、当主の命令には逆らえないの! たとえ向こうが半ばむりやり押しこんできた縁談だとしても――」
「なあ。向こうから申しこんできた縁談なんだな?」
 ナップが考えながらそう言うと、ベルフラウは怪訝そうな顔をした。
「ええ、そうよ」
「じゃあ、向こうから断ってきたら問題ないんだな?」
「まあ、そうだけど。断るはずがないじゃない、ガスタロッシ家との縁談だもの」
「やってみなけりゃわからないだろ」
「やるって、なにをよ」
「だからさ、あいつ軍学校に来るって言っただろ? そこでさ……」
 ナップがずっと考えていた作戦を話すと、ウィルは呆れて口を開け、アリーゼは「ええええ!」と叫び、ベルフラウは――
「面白そうね」
 そう言って、笑った。

 リューデ・イグーナフは軍学校に向かう馬車(当然イグーナフ家の嫌味なくらい高級仕様の馬車だ)の後部座席で鼻歌を歌っていた。これからベルフラウに会いに行くところなのだ――約束なしで。
 別にベルフラウが好きとかいうわけではなかったが、リューデは暇ができるとよくベルフラウに会いにいった。あのきれいな顔ははべらせておくには申し分なかったし、ガスタロッシ家の息女が自分の支配下に置かれていると実感できるのは文句なしに楽しかったからだ。
 なにしろ自分はベルフラウの許婚なのだから。
 ――彼の中にはあくまで『自分が男なんだから自分が主人』という考えが染みついており、両家の力関係やら個人の能力差やらという考えは完全に頭の中から抜けているのだが、親に甘やかされるだけ甘やかされて育った彼は自分が主人でない関係など我慢ならないのだ。
「ベルフラウ・ガスタロッシを呼び出してもらおうか」
 女子寮の窓口に尊大な口調でそう告げる。しばらくお待ちくださいという舎監に早くしろよと告げて、大物ぶってソファにどっしりと腰かけた。
 ――と。目の前にふっと影が落ちた。
「おい、お前」
 低い声で偉そうに呼びかけられ、むっとして相手を睨――もうとしてリューデは硬直した。そこに立っていたのは、プロの軍人もかくやと思わせるごっつい男の二人組+それに負けないくらい背の高い超美形男だったからだ。
「な……な……」
 なんだ貴様らは、と言いたいところだったが三人の威圧感に体の方が勝手に萎縮してまともに声が出ない。男たちはぎろりとリューデを睨むと、顔を近づけて凄んだ。
「ベルフラウ様を呼び出したってのはお前か、あぁ? こともあろうにベルフラウ様にご足労を強要するたぁどういうつもりだ、おい」
「相手を誰だと思っている。ベルフラウ様だぞ? この学校の女王だぞ? 貴様、何様のつもりだ?」
「……よほど、命がいらないらしいな」
 リューデは口々に凄む男たちに半ばパニックを起こし、必死に叫んだ。
「お、お前ら、こいつらをなんとかしろっ!」
 当然連れてきていた黒服の護衛たちはそれに応えて立ち上がったが、男たちは余裕たっぷりに言う。
「ほう、こちらから手を出したわけでもないのに攻撃するか? 軍学校内部でそんなことをしたらどうなるかわかってるんだろうな?」
「教官たちは気性が荒いからなぁ……自分たちの生徒が先に殴られたと知ったら……」
「……全員タコ殴りのうえ、石抱き鞭打ちの刑だな」
「い……石抱き、鞭打ち……?」
 ぞっとして震えるリューデ。護衛たちは困惑してリューデを見た。
「どうします、坊ちゃん」
「う……」
 そんなこと聞かれても。俺にどうしろって言うんだ!?
「あら、リューデ。なんの御用かしら?」
 ベルフラウの声だ。リューデはほっと安堵の息をつき、ベルフラウに向けて叫――ぼうとして固まった。
 ベルフラウの周囲に性別を疑いたくなるような筋骨隆々とした女子生徒たちが付き従っている。ベルフラウはそれこそ女王のように十人以上の逞しい女子生徒をはべらせ、余裕たっぷりにこちらに向けて歩いてきていた。
「ベ、ベ、ベル、ベルフラ、そいつらは……」
「ああ、彼女たち? 私の親衛隊たちよ」
「し……親衛隊……?」
「先日先代の女王と決闘して勝ったら新しい女王として担ぎ出されちゃってね」
「じょ、女王って……」
「この学校には最強の女子生徒を女王として崇める慣習があるの。男子生徒からも女子生徒からも女王のように扱われるのよ」
「私が先代の女王だ」
 そう言って前に進み出たのはその中でも特に体格のいい女子だった。リューデよりもはるかに縦も横も大きい。
 ……こんな奴と決闘して……勝った!?
「……で、なんの御用なのかしら?」
 リューデはまたも固まった。たいした用事があるわけでもないのに、というかベルフラウに対する自分の支配力を確認しに来ただけなのに、こんな強そうな、しかもベルフラウを崇めているという連中の前で言えるはずがない。
 男たち&女子たちにぎろりと睨まれ、リューデは思わず泣きそうになってしまった。
「べっ、別に、用があったわけじゃ……」
「ベル!」
 そこに走りこんできたのはリューデと同年代程度の少年だった。どこかで見たような気もする顔だ。
 大して強そうでもない少年にリューデはついほっとするが、そこに厳しい声がかかった。
「ナップ。ベルフラウ様≠セろうが。クラスメイトとはいえベルフラウ様はこの学校の女王なのだぞ、立場をわきまえろ」
「す、すいませんベルフラウ様」
「気をつけなさい。……それで、いったいなにごと? 私に用事なのかしら」
「いえ、ベルフラウ様に用事があったわけじゃありません。そこの(とリューデを指して)ベルフラウさまの許婚に用があったんです」
『許婚!?』
 逞しい男女たちは声を揃え、いっせいに凄まじい目でリューデを睨んだ。リューデの体が勝手にびくんと震える。
「貴様……ベルフラウ様の許婚だと? 自分をなんだと思ってるんだ、この田吾作が」
「てめぇ、俺たちに喧嘩売っとんか? 言い値で買うぞ、オラァ」
「……極刑決定だな」
「軍学校伝統の拷問のあとでね」
「静かに」
 ベルフラウがそう一言言っただけで周囲はシーンと静まり返った。そんな中ナップと呼ばれた少年はちろりとこちらを見て言う。
「そいつがベルフラウ様にふさわしいかどうか、俺が確かめてやろうと思いまして。そいつと決闘させてください!」
「な!?」
「そうねぇ。悪くはない案ね。リューデ、どうする?」
 ベルフラウの言葉と同時に、周囲がいっせいにリューデを睨む。断るなんて言えそうにない雰囲気だ。
 まあこんな少年相手なら怪我することはないだろう、と少年を見て――
 リューデはまたまた硬直した。ナップから発せられる殺気に。
 こんな自分と変わらないような少年の眼光がなんでこんなに鋭いのか。今まで会ったどんな人間からもこんな目で見られたことはない。
 リューデは殺される! という恐怖すら感じ、叫んだ。
「お前たち! 俺を守れ!」
「ま、守れって、坊ちゃん」
「そいつを俺の目の前からどっかにやれっ!」
 男たちは困惑した面持ちを見合わせたものの、それでもナップに向けて手を伸ばす――
 と、リューデはぱかんと口を開けた。
 ナップが目にも止まらない速さで動いた、かと思うと護衛が二人とも倒れていたのだ。
 呆然とするリューデに、ナップはあの殺気に充満した目を向けた。
「守ってくれる奴はいなくなったぜ。ま、大した腕じゃなかったけど。どうする?」
 リューデは今度こそ完全に硬直した。手品のようにしか見えなかったが、この少年が護衛二人を一瞬で倒したっていうのか。
 そんな奴と自分が戦う!? そんな、無茶な! 無茶な無茶な無茶な無茶な!
 頭がほとんど機能停止状態に陥っているリューデの前で――ナップがバキィ! と音を立てて吹っ飛んだ。
 ――ベルフラウが、殴ったのだ。
「ナップ! あなた、私の顔に泥を塗るつもり!? 現在のところは一応許婚ということになっている者のところの人間を叩きのめすなんて! やるんならリューデだけをおやりなさい!」
 ナップは動かない。ベルフラウの一撃で気絶してしまったようだった。護衛たちを一瞬で倒した少年が、一撃で―――
「悪かったわね、リューデ。さあ、なんの用だったの? お言いなさい」
 そう言ってにっこり笑うベルフラウ。周囲の男女もリューデを殺意をこめて睨みつけながらにやりと笑う。
 筋骨隆々な逞しい男女が今にも殴りかからんというくらいの形相で―――
「………う」
「う?」
「うわあぁぁぁぁんっ!!!」
 リューデは泣き叫びながら、軍学校の外、馬車へと逃げ出したのだった。

「………ぷっ」
「あっははははははは!」
「いいか? いくぞ? せーのっ」
『大成功ー!』
 ナップ、ベルフラウ、そして協力者たちは声を揃えて叫んだ。
 ――さっきまでのは、当然全員グルになって仕掛けた悪戯というか、芝居だった。
 ナップ原案、ベルフラウ・ウィル監修、アリーゼ脚本の。要するにリューデをめちゃくちゃビビらせてやろう(特にベルフラウ自身を)という作戦だった。
 ベルフラウとアリーゼを可愛がっている上級生女子(逞しい)と数人の男子生徒の協力を得て打った大芝居だったのだが、予想以上にうまくいった、とナップは満面の笑みを浮かべる。
「……うまくいった? よかった……」
「やれやれ……本当にやるとは思わなかったよ」
「ウィルっちー、ここまで協力しといてそれはないんじゃない?」
 アリーゼ、ウィル、ユーリも顔を出す。ユーリはベルフラウたちの直接の知り合い以外にもベルフラウたちをこっそり思っている逞しい女子に声をかけたり、交渉したりと活躍してくれたのだ。
「ま、ああいう思い上がったガキをへこますのは嫌いじゃないからな。楽しかったよ、ナップ」
「ナップ! お、俺、ちゃんとできてたかい? ヘマしたりしなかったよね?」
「してないって。すっげーハマってた。アーガン先輩もジーウルク先輩もありがとな、あとでちゃんとお礼するから……クセードもな」
「……気にするな」
 ジーウルク、アーガン、クセードはその顔と体の迫力を見込んでナップに誘われた。アーガンが乗りまくり、見事な演技を見せてくれたのは以外だったが。
「お、それなら俺への礼は次の休日の一日デートね。優しくエスコートしてやるから楽しみにしてろよ?」
「ジークっ! お、お前……なんてことを……お前みたいな奴とナップがデートしていいと思ってるのか!」
「いいだろうデートくらい。妬いてる暇があったらお前もデートすればいいだろうが。いいよな、ナップ?」
「うーん……まあいいけどさ……二人っきりはちょっとな……。アーガン先輩、一緒に来てくれない?」
「えー?」
「え!? も、もちろん行くともっ、ナップの誘いなんだもの! 喜んで行かせてもらうよ!」
「あ、それならさ、俺たち全員で遊びに行けばいいじゃん、打ち上げってことで。ベルちゃんたち女の子組も一人一人とデートするわけにはいかないからさ、みんなで遊びにいく約束だったんだよ。いいですよね、先輩?」
「んー、ま、いいでしょ。でもその中で一度は二人っきりの時間をつくってもらうからね、私は」
「クセード、お前も一緒に来るよな?」
「いや、俺は……」
「え、クセード、来ないの? ……俺たちと遊びに行くの、嫌なのか?」
「いや、そういうわけでは……わかった、一緒に行こう」
「やり!」
 気絶しているリューデの護衛の前で楽しげに騒ぐみんなをにこにこしながら眺めているベルフラウに、アリーゼが近寄って言った。
「ベル……これでよかったんだよね?」
「うん――すっきりした。すごく気持ちよかった」
 ベルフラウはにこっと、アリーゼに笑いかける。
「このあとどうなっても、私は後悔したりしないわ」

「みんなーっ! 大変、大変なのーっ!」
 アリーゼが食堂で食事をしていたナップとウィルの前に走り出てきて、そう叫んだ。
「アリーゼ……珍しいね、君がそんな風に慌てるなんて」
「なんかあったのか?」
「あっ、あっ、あのね」
 はあはあと荒い息を必死に整え、叫ぶ。
「ベルの許婚の話が白紙に戻ったの!」
「……ていうと、あのリューデとかいう奴が許婚じゃなくなったわけ?」
「そう!」
「ええっ!?」
「やりっ!」
 ウィルは驚愕の表情を作ったが、ナップは達成感に満ちた笑顔を浮かべる。ウィルはさらに驚いてナップに訊ねた。
「君、そうなることを知ってたのか?」
「知ってたわけじゃないけど、なんとかそうしようって思って計画考えてた。アリーゼ、それってやっぱりこの前のあれのせいだよな?」
「う、うん。あんな恐ろしい女と結婚するぐらいなら死んでやるってあの人が騒いで、子供に甘いイグーナフ家のご当主がガスタロッシ家に頭を下げたって……」
「そっかー。なんていうか、やったぜって感じだな! ベル! お前もこれでちょっとは気が楽になったか?」
「………………」
 アリーゼにのろのろとついてきていたベルフラウは、呆然とした顔でナップを眺めた。
「……こんなことになるなんて、思わなかった」
「ふうん?」
「だって、変えられるはずなんてないと思ってたの。私がどんなに頑張ったって、ガスタロッシ家当主の決定には逆らえないんだって……だから、なにしたって無駄だって思ってたのに……」
「信じなかったらどんな思いだってかないっこない=v
「え?」
「オレの先生の口癖。そりゃ信じれば救われるなんてわけじゃないけどさ、最初に信じてやってみないと話は進まないっていうのはホントだと思うんだ。お前がやってみたから事態が動いた。信じてやってみたから結果が出たんだろ。胸張ってろよ」
「…………」
 ベルフラウはしばし目を閉じたあと、ナップをちらりと見て顔を赤らめ――小さな小さな声で、『ありがとう』と言った。

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