盛夏――クセードの恋話のこと

「っかしーなー、どっこに落としたんだろ」
「早く探せよ、ベルフラウとアリーゼを待たせてるんだから」
 七月の終わり。パスティス軍学校は試験を終えて、試験休みに入っていた。
 ナップたちもみんなで教えあいつつしっかり勉強し、それぞれそれなりに手応えを得た。あとは試験の結果を待つばかりだ。
 だが、軍学校では試験休みといえど純粋な休みにはならない。当然補講――成績劣悪者に対するもののみならず、優秀者をも対象とする特別授業が行われ、希望者はそれに参加できる。
 当然ナップたちもそれに参加し、充実した時を過ごしていた。今はさっきの野外実技授業で、ナップが襟章を落っことしてしまいウィルにつきあってもらって探しに来ることになったところ。
「ないなー………確かにここだと思うんだけどなー」
「本当に確かなのかい?」
「間違いねーよ、ここの前で襟章に触った時はあったもん。……こっちかな……」
 少しずつ奥に進んで、藪の中に入り、視線の通りにくい状況になってきた頃、ようやくナップは襟章を見つけた。
「わり! 急ごうぜ、ウィル」
「悪いと思ったんならさっさと……」
「あれ、クセードじゃん」
「え? ……本当だ」
 藪の中を移動していたナップたちから数mのところをクセードが歩いている。死角になるのだろう、こっちには全然気づいていない。
「おーい、クセー……」
「こら、大声上げるなよ。クセード誰かと話してるみたいじゃないか。邪魔しない方がいいよ」
 その通りだった。クセードはクセードと対照的にほっそりした、華奢な感じの男となにか小声で話をしていた。
 襟章からすると相手は六年生。なにを話してるんだろう、と少し気にはなったが。
「そ……だな、早くベルたちんとこ行くか」
「それがい………!?」
 話しながら藪の中を移動していたナップとウィルは絶句した。クセードが――相手の男に、おもむろに抱きついたのだ。
 そしてそのまま押し倒す。頭と頭が重なって、キスしてるんだ、とわかった。
 しかもあれは舌が入ってる。れろれろくちゅくちゅと思いっきり舌を絡める音がこっちまで聞こえてきそうだ。
 ナップとウィルは真っ赤になって固まった。ウィルはその手のことにはまるっきり縁がないし、一応経験者のナップだってそういうことになったのは先生と会った時に数えるほど、他人のそういうシーンなんて想像したこともない。
 しかも片方がクセード、さっきまで一緒に普通に勉強していたクラスメイトというのが背徳感を高め、なんだか自分たちがすごくいけないことをしている気分になって真っ赤な顔を見合わせた。お互いすごくドキドキしているのがわかるが、とてもそんなこと口には出せない。
 しばしキスをしたあと、二人は離れた。下になった男に押しやられ、クセードは体をどける。
 立ち上がらないクセードになにごとか言って、六年の男は立ち去っていった。
「………………」
「………………」
 まだ赤い顔を見合わせる。なんと言っていいかわからなかった。
「え、と……そろそろ、行こっか?」
「うん……」
 二人は歩き出したが、やはりまだちゃんと地に足がついてはいなかったらしい。音を立てずに移動する方法は心得ているのに、がさがさっ! と思いきり大きな音を立ててしまった。
「誰だ!」
 クセードの苛烈な誰何の声。慌てて顔を見合わせ、どうするどうすると視線で相談して、仕方なく二人揃ってクセードの前に出た。
「…………お前たち、だったのか」
 クセードは低い声で言う――だが、その顔を見てナップは仰天した。クセードが真っ赤な顔をして、涙ぐんでいる。あの無表情なクセードが。
「ど……どうしたんだ、クセード? 大丈夫かよ?」
 おそるおそるナップが訊ねると、クセードはうっ、と堪えかねたように口を押さえた。その切れ長の瞳から、ぽろぽろ涙がこぼれ落ちる。
 うわぁ、と慌てたナップは自分より頭ひとつ半大きいクセードに抱きつき、必死に背中を撫で下ろした。
「泣くなよクセード、いや泣いてもいいけど、一人だって思うなよ、大丈夫だ俺たちがついてる!」
 慌てまくって必死にそう言うと、クセードはぽろぽろ涙をこぼしながら、子供のようにいとけなくこくん、とうなずいたのだった。

「……あの人は、俺の兄なんだ」
「兄!?」
 ってことは近親相姦ってやつ!? いや男だから違うのか?
「……ナップ、妙な誤解してるんじゃないだろうね。この学校の兄のことだよ。……そうだよね、クセード」
「ああ」
「あ、そっか……そうだよな、はは」
 好みの下級生と兄弟の契りを結ぶというこの学校の慣習なんて、もうほとんど忘れていた。
「俺が一年の時に誘われて……深く考えないで誘いを受けて。夏にはもう、抱かれるようになっていた………」
「へ!?」
 ナップはまたも仰天した。クセードがさらっと抱くの抱かれるのなんてことを口にしたのも衝撃だが(あのキスである程度予想はしていたにしろ)、抱かれるってクセードが言うってことは――
「あ、のさ。クセードが、抱かれる方なの?」
「………ああ」
「そ、そっか。そうならいいんだけどさ、あは、あはは」
「……それからこっそりと会ってデートしたりもするようになって。どんどん好きになっていった。今でも、好きだ――なのに」
 クセードの瞳からまた一粒涙がこぼれ落ちた。あわあわとするナップにかまわず、クセードは続ける。
「もう、こういうことはなしにしよう、と。君とはもうこれっきりだ、もう二度と会わない――そう言われてしまったんだ」
「…………」
 周囲はしーんと静まり返った。その中にクセードがう、う、とときおりしゃくりあげる声が響く。
 ナップは困っていた。どうしよう、なんて言ってやればいいんだろう。
 わっかんないよ。だって俺そんなことになったこと一度もないもん。
 もしそういう状況になったらって考えてみたらどうだろう。もし先生に俺ともう二度と会わないなんて言われたら―――
 ぐわ、とこみ上げるものがあってナップは思わず拳を握った。そんなこと言われたら、俺――死んじゃうかもしれない。
「な、ナップ! どうして君が泣くんだ!」
「泣いてねーよ!」
 泣きそうになってはいたが、涙は流れていないのだからセーフだ。
 それでも泣きたいのは確かで、みっともないと必死に堪えて顔を歪めるナップに、クセードはまだ涙の跡がついた顔で微笑んだ。
「………すまん」
 それからおもむろに立ち上がる。
「妙なところを見せてすまん。―――忘れてくれ」
 そう言って歩み去っていくクセードを、ナップとウィルはただ見守ることしかできなかった。

「………どうすっかなー」
 小走りでベルフラウたちの待つ食堂へ向かいながら、ナップは小さく呟いた。
「どうするって?」
 ウィルが聞きとがめて聞いてくる。
「だからさー、クセードのこと」
「……どうしようもないだろう。僕たちがどうこうできる話じゃない」
「そうだけどさ……」
 気になるのだ。
 放っておきたくない。クセードの、あの無表情のクセードのたまらなく辛そうな泣き顔が忘れられない。
 だって、どうしたって自分だったらって考えてしまう。もし自分が先生にあんなこと言われたら――そう思うと、いてもたってもいられなくなってしまうのだ。
「他人の恋路に首を突っ込む気か? そういうのはおせっかいって言うんだよ」
「そうかもだけど……」
「僕たちになにができるっていうんだ? 相手の人はクセードを振った、その気持ちを変えることなんてできないだろう?」
「そうなんだけどさ……」
「クセードを振った? 誰が?」
「だからあの人が……ってわぁ! ベルフラウ!」
「アリーゼも……」
 小走りのナップとウィルに声をかけてきたのは、ベルフラウとアリーゼだった。いつものように連れ立って、目を見開くナップとウィルを興味深げな目で見つめている。
「遅いから先に食事済ませちゃったわよ。……で、さっきのは一体どういう話? クセードが振られたってどういうこと?」
「え、っとだな、それは」
「隠すようならユーリにそのこと言うわよ」
「だ、だから〜」
 隠しきれず、ナップたちは白状した。クセードが兄に振られるところを見てしまったのだと。
 当然ながら、ベルフラウたちは驚いた。
「クセードが? 本当に? クセードにお兄さまがいたなんて知らなかったわ。しかもそういう関係だったなんて……うわぁ、なんだかすごく妙な気分」
「綺麗攻めの巨体受けだなんて……! 大木にセミのパターンだったんだ! すごくレア……!」
「……アリーゼ、なに言ってんの?」
「ううんっ、なんでも!」
「それで、クセードはどうするって?」
「どうするとかいうことは言ってなかった……すごく落ち込んだ顔して、忘れてくれって言っただけで……」
「そう……」
「なぁ、なんとかならないかな? 俺、このまま放っておきたくないよ」
 ナップの懇願に、ベルフラウとアリーゼは揃って難しい顔をした。
「私もなんとかなるものならなんとかしたいけど……こういうことって他人が口を出してどうにかなるものなのかしら? かえってこじれてしまわない?」
「私もなんとかしたいけど、私じゃ役不足だと思う……こういうことに慣れてる人でないと」
「慣れてる人?」
 ナップはちょっと考えて、すぐある人に行き当たりため息をついた。
「……しゃーねー。ジーク先輩に頭下げるか」

「無理」
 そのジーク先輩は、連れ立って相談に訪れたナップたちを一言の元に切り捨てた。
 名前は出さず、俺たちの友達が、という形で話したのだが、一応最後まで話を聞いたジークはあっさりそう言ったのだ。
「無理って……そんなぁ」
「無理なもんは無理。一度離れた心を引き戻すなんてエルゴの王にだってできやしないよ」
「……もう四年も関係を続けているのに、ですか?」
「時間は関係ないよ、むしろ長い方がかえってそういう気持ちになりやすい。要するにその友達の相手は友達に飽きたんだよ。よくあること。その友達にはいつまでも引きずってないで新しい恋を探すことをお勧めするね、俺は」
「……ジーク先輩はそうなの?」
「は?」
 ナップは少し唇を噛んで、うつむいて、とつとつと呟く。
「そんなに簡単に、好きな人に振られてはい次ってできるの? 俺、無理だよ。だって俺、好きっていうのはホントにホントに好きなんだもん」
「…………」
「ホントにホントに好きな相手にもう好きじゃないなんて言われたら、泣くよ。死にたくなっちゃうよ。もう生きてらんないって思っちゃうよ。だってホントに、ホントに、命かけて好きなんだもん。クセードが、本気の本気で好きで、苦しいのわかるから――だから、放っとけないよ……」
 ジークはすっと手を伸ばし、ナップに触れた。顔を上げたナップに、にっこりと笑いかけ――ぐいっと体を引き寄せる。
「うわ! なにすんだよ先輩っ!」
「あーもー可愛いなーナップは。そんな可愛いおくちで俺以外の男のことそんな風に言うと嫉妬しちゃうぞ俺は」
「ぎゃっ、離せって尻さわんなバカっ!」
「ちょっとナップ。好きな相手ってどういうこと? ナップ誰か好きな人がいるの!?」
「え、いや、そのっ……」
「ナップくん、もしかしてその好きな人って男の人!?」
「いやだからっ……!」
 ぎゃあぎゃあ騒いでいると、ふいに冷たい声が聞こえた。
「……応接室で騒ぐな」
「お、ダムセン」
「あ……」
 ナップは少し目を見開いた。それは春に自分を弟にしようとした最上級生、ダムセン・デオメールだった。
 あれ以来会ったことはなかったが、ジークの話では相変わらずらしい。
「えーと、お久しぶりです、ダムセン先輩」
「……ああ」
 ダムセンは少しナップから目を逸らしながら答えると、かなりぶっきらぼうな声で聞いてきた。
「なんの話をしていたんだ?」
「いやね、この子たちの友達の、できちゃったお兄さまが友達を振ったっていうのでなんとかならないかって」
 ジークの言葉にダムセンは顔をしかめた。
「こっちでもか。俺はさっきまでキュアルのその手の愚痴を聞いてきたところなんだ」
「キュアルの?」
「可愛くて可愛くてしょうがない最愛の弟をさっき振ってきたとかなんとか。しかもその弟の描写が想像してみるとやたらごつい男にしかならなくて、それを可愛い可愛い言うもんだから正直疲れた」
「はー、あいつそーいう趣味だったんだ。どーりでその手の話に乗ってこないと思った」
 ナップはジークにかまわれながらその言葉を聞き、はっとした。
「ダムセン先輩!」
「! な……なんだ?」
 ダムセンにすがりつくようにして見上げ訊ねる。
「そのキュアルって人、もしかして華奢でほっそりした感じ? 髪は蜂蜜色で瞳は蒼の、六年生の襟章つけてて身長はダムセン先輩より頭半分低いくらいの!」
「あ、ああ……知ってるのか?」
「って、もしかしてナップ。友達のお兄さまって……」
「そーだよ、その人だよ! 俺昼前にその人がクセード振るとこ見たもん!」
「ナップ! 名前を出しちゃ駄目だろう!」
「あ、やべっ……!」
「心配いらないって、俺こーいうことには口固いから。しかし……クセード? って、この前一緒に遊んだごつい奴だろ? あいつがキュアルの弟ねぇ……やっぱキュアルがネコ?」
「あの、逆なんです。綺麗攻めの巨体受け」
「へー……詳しいねアリーゼちゃん。そういうの好き?」
「そーいうことじゃなくて! キュアルって人もクセードのことまだ好きなんだろ? じゃあなんでクセードのこと振るんだよ!?」
 ナップの言葉に周囲は静まり返る。ジークがぼそっと言った。
「想いながら別れを切り出すってのはいろいろパターンがあるけど……一番ありがちなのは不安に耐えかねてってことじゃないかな」
「不安?」
「そう。この先ちゃんとずっと一緒にいられるか不安で、怖くて、逃げ出したくて。だから自分からおしまいにしちゃおうと思う。そーいう風に思うことない?」
「……よく、わかんないけど……」
 ナップはレックスとの長いすれ違いを思い出した。不安で不安でしょうがなくて、苦しみながらあがいていたあの頃――
 あれは自分にとって必要な時間だったとも思えるのだが、ただ。
「そういうの、自分一人で抱えこむんじゃ駄目だ。ちゃんと相手に言わなきゃ。それで、二人で決めなきゃ。不安とかそういうの、一人だけで済ましちゃおうとするの間違ってる」
「へぇ……」
 ジークはくすりと笑った。
「いいこと言うね。ナップも苦しい恋をしたことがあったのかな?」
「……秘密。それより――俺その二人のことなんとかしてやりたいよ。みんな、助けてくれないか?」
「………他人のプライバシーに首を突っ込むのは好きじゃないけれど。君は僕がしないって言ってもやるんだろう? ならフォローするしかないじゃないか」
「いいわ。私もクセードにはこの前世話になったしね」
「私……っ、頑張る!」
「オッケ。可愛いナップのお願いとあらば聞かないわけにはいかないよな。キュアルは一応知り合いだし。な、ダムセン?」
「俺もか!」
 仲間たちを見渡して、ナップはうん、とうなずく。
「頼むぜ、みんな。頑張ろーな。……で、どーやってやる?」
「キュアルは腹芸がうまいぶん、真正面からの豪速球には弱いんだよな。だから……」

「キュアル・ヴェルネーゼさんですよね」
 キュアルはまだ声変わりのすんでいない声に、ゆっくりと振り向いた。ゆっくりだったのはクセードもこんな声してた時があったな、とまたも自分の世界に一瞬入ってしまったからだ。
 クセードと別れてから、なにを見てもクセードを思い出してしょうがない。今でもとても胸は苦しい。
 でもそれしかないのだ。それしか方法がなかったのだ。
「なんだい」
 キュアルの静かな声に、茶色い髪を短く切った、小さな少年はじっとこちらを見て答えた。
「俺、ナップ・マルティーニって言います。クセードの友達です」
 その言葉を聞いて一瞬キュアルは動きを止めたが、すぐにっこり笑って言う。
「君がナップか。知ってるよ、有名だから。でもなんで僕に? なにか話があるのかい」
「クセードのことで、話があります。顔貸してください」
「……僕はクセードっていう人のことは知らないんだけど。人違いじゃないかな?」
「とぼけても無駄です。俺、あなたがクセードと別れる現場、しっかり見ちゃってますから」
「…………」
 あれを見られていたのか。くそ、まずったな。
 キュアルは仕方なく、にっこり微笑んだ。
「場所を移そうか」
「こっちついてきてください。誰もいないとこ知ってますから」
 先に立ってすたすた歩くナップを見ながら、キュアルは考えていた。このガキの口を封じる方法はないか。
 キュアルはクセードとの関係を秘密にしておくためなら、それこそ犯罪まがいのことでもなんでもやってきた。今もその決意に変わりはない。
 しかしこのガキをどう扱えばいいものか。キュアルもそれなりに腕に覚えはあるが教官に勝つような生徒相手に腕ずくの脅しは通じまい。裏から手を回して村八分というのも駄目だ、この少年はクラスメイトの有名人たちに可愛がられていることはよく知っているし、自分自身強力なシンパを持っている。
 色仕掛けでそういう展開に持ち込んで脅すか、と決めて、人の来ない校舎の隅で足を止め振り向いたナップに笑いかける――だが、その目論見はいきなり吹っ飛ばされた。
「キュアルさん、あなたはクセードのことまだ好きですか?」
「――――!」
 絶句するキュアルを真剣な眼差しで見つめ問うナップ。
「答えてください。あなたはクセードのことまだ好きですか?」
「…………」
 キュアルは頭の芯が燃え上がるのを感じた。なんでこんなガキにクセードとのことをほじくり返されなくちゃいけないんだ。
「君さぁ。あいつに頼まれでもしたわけ? お兄さまの気持ち聞いてきてくれって」
 髪をかき上げて流し目を送る。キュアルは繊細な雰囲気で誤解されがちだが、本性はかなりひねくれているのだ。
「人の恋路に首突っこむ奴は馬に蹴られて死んじまえって言葉知らない? そーいうのお節介っていうんだよ。わかる?」
「絡むのは質問に答えてからにしてくれよ。あんたはクセードのことが好きなのか聞いてるんだぜ」
 敬語をやめたナップに、キュアルはち、と舌打ちした。話を逸らさせてくれない。伊達に飛び級してるわけじゃないってことか、このガキ。
「お断り。俺プライベートを人に喧伝する趣味ってないの」
「俺も冷やかしで聞いてるんじゃないんだ。大事なんだよ。答えてくれるまで帰さない」
 瞳に明確な決意を感じ、キュアルは軽く唇を噛む。こいつは本当に答えるまで帰さないつもりなのだろう。
 ならばこっちはこう答えるしかない。
「別に? 好きでも嫌いでもない。四年付き合ったから愛着はなくもないけど、あいつと付き合うのもー飽きたし。あいつ一年の頃は可愛かったけど二年の終わりからすげぇ勢いで背ぇ伸びちまったしな。もー可愛げないしごついし、もー抱く気にゃなれないな」
 軽く言って踵を返す。
「言ったよ。もーいいだろ? 俺さっさと寮戻って寝たいんだ」
「本当にそうか?」
 ――思わず、足を止めてしまった。
「――なに?」
「あんた本当にクセードを好きでも嫌いでもないって思ってんのか?」
「ああそうだよ、嘘ついてどうする」
「それ、嘘だろ?」
 一瞬、言葉につまった。
「……は? なに言ってんの君? 俺が君に嘘ついてなんか得でもあるわけ?」
「それは知らない。けどあんたは嘘ついてる。そうでなきゃ、クセードの悪口言う時そんな切なそうな顔しない」
「な―――」
 カァッと頭に血が昇った。
「お前に俺とクセードのなにがわかるっていうんだ!?」
「わかんないよ、なんにも。でもあんたが嘘ついて、クセードが傷ついてるのはわかる」
「………っお前には関係ねぇだろ!」
「関係ある。俺とクセードは友達だから」
「ハ! 友達!? そーいう友情ごっこってすっげー迷惑なの知らないの!? おせっかいなんだよ、人のことなんて放っとけよ!」
「俺だって普段は人の恋愛に口出したりしないけど。あんたらクセードが傷ついたまま終らせようとしてるんだったら、クセードがいいって言っても俺おせっかい焼く。好き合ってる奴ら同士がむりやり別れさせられんなんて最悪じゃんか」
「……好きじゃ、ないっ」
「それ、世界中に向けて言えるか」
「ああ、言えるさ!」
「リィンバウム中に、四界全部に、クセードとの思い出に。絶対絶対自分の真実だって言って、誇れるか」
「――――」
 クセードとの思い出に。
 楽しかった思い出全部に、嘘偽りなく言って、消し去れるか?
「―――うるさいッ!!!」
 キュアルは喉を嗄らして怒鳴り、まだじっと自分を見つめてきているナップの胸倉をつかんだ。
「ああ俺はまだクセードが好きさ。あいつが入学してきたのを見て一目惚れしてから今までずっと! 今だってあいつのことが可愛くてしょうがないよ、今だってあいつのとこにすっ飛んでって悪かった許してくれって言うの必死にこらえてんだから!」
「…………」
「だけどしょうがねぇじゃねぇか! あいつはいい子だ、優秀で優しくて、将来軍でだってきっと出世する! なのに……その道を、俺が邪魔するわけにゃいかねぇじゃねぇかっ………!」
「…………」
「あいつは俺とのことを隠したくないって言う。結婚もしないで俺と一緒にいるって言う! けど、俺とのことがバレたら出世コースから排斥されるに決まってんだ! あいつには俺みたいな根っからのホモと違って、可愛い嫁さん貰って幸せになる生活が待ってる! 俺の……俺なんかのために、そんなのふいにしちゃ……」
 涙が出そうになってキュアルはうつむいた。ナップがキュアルの手を外させ、静かに言ってくるのが聞こえる。
「……そういうこと言えよ、ちゃんと。クセードに。最終的に別れることになったとしてもさ、やっぱ……一方的にぶっちぎられるみたいにして別れるのと、とことんまでやって別れるのとじゃ、気分違うと思うし」
「…………あいつに、こんなみっともねぇ姿見せられるかよ」
「自分のカッコ悪いとこ隠すために好きな奴傷つけんのかよ?」
 う、とキュアルは言葉につまった。そう言われると返す言葉がない。
「……ま、どっちにしてもそんなのもー手遅れだよ」
「は……?」
 その瞬間、すぐそばの空き教室の扉が開き――がっしりとした体躯の、四年生の襟章をつけた、その男らしい顔を真赤に染めた男――クセードが現れた。
「…………!」
「……先輩」
 クセードが震える声で言い、キュアルの手首をつかんだ。逃げ出しかけていたキュアルは否応なしにクセードと向き合う。
「……すいません、俺、先輩にばっかり先のこと考えさせちゃって。先輩に頼りきりで」
 そこだけは一年の時とまるで変わらない、恥じらいながら戸惑いながら必死に自分の方を見つめる瞳。
「でも、俺、頑張りますから。先輩のそばにいられるように、卒業してもそばにいられるように頑張りますから。だから、どうか……俺を、見捨てないでください」
 さんざんひどいことを言ったのは俺なのに。傷つけたのは俺なのに。なんでお前はそんな風に言ってくれるんだ。
「キュアル先輩……俺と、一緒にいてください」
 ぶっきらぼうにも聞こえるような、だけど自分には必死の想いをこめているのがよくわかる、一本調子の中にかすかに潤んだものを感じさせる声――
 キュアルはたまらなくなって、背伸びしてクセードに思いきり口付けた。
「しょうがねぇなぁ……一緒にいてやるよ」
「はい……」
「ごめんな。愛してるからな」
「はい、俺も………」

 そこまでこっそり見届けて、ナップは音を立てないように全速力で逃げ出した。打ち合わせしておいた待ち合わせ場所――食堂に走りこみ、はーっと息をつく。
「は……恥ずかしかったぁ………!」
 自分は自慢じゃないが(経験は数回あるとはいえ)まだまだ初心者なのだ。ウブなのだ。なのにこうも恋人オーラ炸裂されてしまうと、恥ずかしいったらありゃしない。
「首尾はいかがー? ナップたん」
「ユーリ……たん付けすんなっつっただろ。お前見てなかったの?」
 近寄ってきたユーリに一睨みくれる。どこからか話を聞きつけやってきたユーリは、クセードを連れ出すのやら周囲の人払いやらに活躍してくれたのだ。
「見る暇なかったよー。クセードだいじょぶだった?」
「うん……なんとかなった。たぶんもう大丈夫だと思う」
「そ。よかったね」
 言ってにっこりと笑うユーリ。その顔を見て、ナップは思った。
 なんのかんの言いつつ、ユーリって俺たちのこといろいろ助けてくれてるよな。しょっちゅう人のことからかうけど、いざっていう時には率先して手伝ってくれるんだ。
 ナップはにっと笑い、ぽんぽんとユーリの背中を叩いて言った。
「ありがとな、ユーリ。お前って、いい奴だな」
「……おやおやナップたん、珍しく優しいじゃん。そーいうこと言ってるとお兄さんに食べられちゃうぞ?」
「素直に礼言われとけよ、ったくいい年こいて照れ屋なんだから。……ホント、ありがとな」
「…………いや」
 困ったように目を逸らすユーリが面白くて、ナップはやたらユーリの背中を叩いた。
「ナップ! なにを油を売っているんだい!? 報告は!」
「うわ、ちょっと待てよウィル!」
 ウィルのせっかちさに思わず笑みを浮かべながらナップはみんなの待つところへ走っていく――
 だからナップは、気づかなかった。
 ユーリがナップが走っていく後姿を、ひどく苦しげな瞳で見つめていたことに。

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