初秋――研修旅行のこと

「……っし、じゃー自由行動はイジャイルの遺跡とサングスタ公園で決まりな?」
「そうだね、いいんじゃないか」
「えー、ヴィダ通りは? あそこエルドーンでは一番有名でしょ?」
「歓楽街じゃない。そんなところに言ってどんなレポートを出すつもりよ」
「……第一、昼に行って面白い場所でもないだろう」
「え!? クセードくん、行ったことあるの!?」
「………いや、その………」
 ナップたちがわいわいと騒いでいるのは、一週間後に迫った研修旅行についてだ。
 パスティス軍学校では、四年の秋に旧王国との戦線の最前線である軍事都市エルドーンに研修旅行を行う。最前線で戦う軍人たちに、直接話を聞いたり訓練に参加させてもらったりするのだ。
 基本的には勉強と訓練漬けの旅行なのだが、お目こぼしか最後の一日に自由時間が与えられていることや、旅の間普段とは変わった風景風俗を味わうことができることから、たいていの生徒はこの旅行を楽しみにしていた。
 むろんナップも同様だ。研修旅行は基本的に班での行動になるのだが、班のメンバーは全員自分と仲のいい人間だし。
 班員はナップ、ウィル、ベルフラウ、アリーゼ、ユーリ、クセードの六人。班長はウィルだ。
「あー、楽しみだなー研修旅行〜! 旅行なんてすっげー久しぶりだもん」
「……君は夏期休暇にも里帰りしてたじゃないか」
「あれは里帰り。旅行じゃねーよ。知らないとこに行くちゃんとした旅行っていうのは、これで人生二度目だもん」
「へぇ? マルティーニ家の子息の台詞とは思えないわね」
「だって俺んち親父が忙しかったからさ……どっかへ旅行なんて考えられなかったもん」
「そうなの? 意外に寂しい子供時代を送ってるのね」
「うん。だから今度のはすっげー楽しみなんだ!」
「うんうん、ナップたんは純真だねぇ。そーいうことストレートに言っちゃうんだもん」
「たん付けすんなっつってんだろ」
「……ナップくん、じゃあ一番目の旅行はどこだったの?」
「それは……」
 ナップはふと回想した。先生と初めて出会い、遭難し、忘れられた島で共に過ごした日々のことを。
 あんなの、一言でどこに行ったなんて言えるものじゃない。
「……内緒」
「あー、ナップたんずっるー。大親友の俺たちに秘密を持つ気?」
「っせーな、内緒ったら内緒なの!」
 ユーリとじゃれあいながら、旅行前の浮かれ気分を満喫するナップ――
 そこにウィルの、物問いたげな視線が投げかけられているのには、ナップは気づかなかった。

「それでは出発する。全員パスティス軍学校の生徒として恥ずかしくない行動を心がけるように!」
 学年主任の言葉のあと、全員立ち上がって笑いさざめきながら召喚鉄道に乗り込む。ナップも当然みんなとお喋りしながら乗り込んだ。
「うーっ、わくわくすんなー! 俺召喚鉄道もちゃんと乗るのは初めてなんだ!」
「ちゃんとでなく乗ったことなんてあるのかい?」
「試験走行に乗らせてもらったことがあるんだよ。ほんの短い間だったけど」
「そっちの方がすごいわよ」
「……席、こっちだぞ」
「あ、待てよクセード!」
 走り出した召喚鉄道は快適だった。同じ獣が引く乗り物なのに、馬車よりもずっと揺れが少ない。
「線路の上を走っているんだから当然だろう」
「でもすげぇよー……あ、もう山が見えてきた」
「ナップくん、ウィルくん、こっち向いて?」
「へ?」
 カシャ、と音が立ったと同時になにかが光った。アリーゼがなにやら四角く前に丸いガラス窓がついた機械を持ってにこにこしている。
「……なんだ、それ?」
「この前市に行った時に偶然手に入ったの。『カメラ』っていうんだって。最初は全然動かなかったんだけど、ユーリくんが直してくれたらかなり動くようになったのよ」
「マジ!? ユーリすっげぇ!」
「え、いや、別に。大したことしたわけじゃ……」
 急に話を振られたせいか、顔を無表情にしてぶつぶつというユーリに、ナップは笑って肩を叩いた。
「照れんなって。お前にこんな特技があるなんて知らなかったぜ、すげぇな!」
「………別に、特技ってわけじゃ……」
「それはどういう働きをする機械なんだい?」
「えっとね、これで見た風景を記録しておいて、いつでも見れるようにするの」
「マジ!? すげぇな、ラトリクスにあったやつみてぇ!」
「ラトリクス……? なによそれ」
「え、えーと、それはぁ」
「……アリーゼ。ベルフラウは撮らなくてもいいのか?」
「え、えっとね、それはねっ」
「……私はもういっぱい撮ってもらったもの。あなたたちの記録が少しぐらいあってもいいでしょう?」
「ふーん……じゃ、今度は他の奴に撮ってもらってさ、全員入れたやつにしようぜ! その方が絶対いいって!」
「……あ、それなら俺が撮るよ。なんか撮られるのって魂抜かれそうで怖いしv」
「君はいつの時代の人間だ? ロレイラルの機械が魂に作用できるわけないだろう」
「駄目だって、こーいうのは絶対みんなじゃないとつまんないの! ほら、ユーリこっち来いよ!」
「わ、ちょっと!」
「ほら、ベルもアリーゼも寄って。クセードも! ウィルも来いって!」
「こ、こら、引っ張るな!」
「みんな笑えー。はい、チーズ!」
 カシャ!
「……なんでチーズが出てくるわけ? 笑っちゃったけど」
「……秘密」
 ラトリクスに伝えられたロレイラルの伝統だなんて、言うのはなんだか変な気がした。

「全員注目!」
 エルドーンに到着し、駅のホームに全員降りたとたん。浮かれ気分で笑いさざめいていた生徒たちの間に、迫力の大音声が響き渡った。
 全員びくりとして声の元を見る――そこに立っていたのは筋骨逞しい、いかにも実戦で鍛え上げられたという感じの軍人だった。
「陸戦部隊エルドーン方面軍第三小隊隊長ゲルメド・ポーリアンスだ。これより諸君らは私の指揮下に入る。これより以後、私の命令には絶対服従せよ。一切の口答えは認めない。返事は常に『了解しました、隊長!』だ!」
『………………』
「返事は!」
『りょ……了解しました、隊長!』
 うひぇー、と思いながらナップは肩をすくめた。ここまで苛烈に扱われるのは初めてだ。
「な、なんかすげぇな、この人」
 ナップがこっそりウィルに話しかけると、ウィルはややきつい目でこちらを睨んだ。
「……研修旅行だっていう意味わかってなかったのかい。この旅行は軍学校の生徒に軍の流儀を直接叩き込むための研修なんだよ。つまり滞在の一週間の間、軍人と同じ生活をして同じように扱われるんだ。これもその一環だよ」
「へー……そうなのか……」
「そこ! なにを話している」
 ナップはびし、と指差されて思わず飛び上がりかけた。ゲルメドはすたすたとこちらに歩み寄り、ぎろりと自分たちを睨む。
「なにを話している、と聞いているんだ。隊長の質問には間をおかずすぐに答えろ!」
「え、えと、隊長がすごい迫力だって」
 そう素直に答えると、ゲルメドはふん、と鼻を鳴らした。
「つまり無駄話だな。罰則だ。二人とも腕立て伏せ一本――十回。今すぐにだ!」
「え、えぇ!?」
「なにをしている。遅れればその分罰を増やすぞ!」
「は、はいっ!」
 慌てて腕立て伏せをし始めるナップとウィルの上で、ゲルメドが大声で檄を飛ばす。
「このように! 隊長命令に逆らった者、口答えした者、その他隊長の意に染まない行動をした者は、そのつど罰則を受ける。基本は腕立て伏せ十回、隊長の任意で数は増える! 常に注意して振舞わねば、旅行終了を待たずして潰れることになるぞ! ……」

「……ナップの特訓をきっかけに、体力トレーニングを、しておいて、よかったわ」
 ランニング中荒い息の下からベルフラウがそう言葉を漏らす。喋る余裕があるのか、とナップは本気で感心した。
 到着後すぐさま軍宿舎まで走り、荷物を置いてそれからまた訓練所まで走り。そのあとは班別に分かれ、まず身なり検査として着用した制服についてほとんどいちゃもんとしか思えないような修正を強要される。
「襟章が曲がっている! 修正一!」
「ベルトが緩い! 姿勢が悪い! 修正二!」
「襟章が汚れている! 靴紐が緩い! 襟が折れている! 指先が伸びていない! 修正四!」
 そしてその修正の班別合計分だけ特別教練と称し班全員で罰則。
 ナップたち第三班が食らったのは、グラウンド百周、腕立て百回だった。これでも平均より少ない方だ。
 かなりの速さでのグラウンド百周――これにまずアリーゼが脱落した。必死に頑張ってはいたが、軍学校でトップクラスとはいえ体を動かすことは苦手なアリーゼの体力は十三歳女子の平均程度、五里程もの距離を走るのはきつい。
 必死に体力の限界まで走って倒れたアリーゼに、ゲルメドは言った。
「休憩したら五十周追加!」
「そんな!」
 ベルフラウが声をあげる。当然だ、アリーゼが体力の限界なのはわかりきっている。
 だがゲルメドはじろりとベルフラウを睨むと、きっぱり言った。
「隊長に口答え。罰則だ、ベルフラウ・ガスタロッシ。第三班は腕立て一本追加!」
 一本、すなわち十回。ただでさえ気息奄々のアリーゼが、こなせるとはとても思えない。
「……ちょ、待て……じゃない、待ってください! それってアリーゼもですか?」
 思わずナップが口を出すと、ゲルメドはナップをじろりと見て言った。
「当然だ。口の利き方がなっていない、腕立て一本追加」
「う……だったら! 俺がアリーゼの分もやりますから、アリーゼは免除してやってください!」
「ほう?」
 ゲルメドは見下すようにナップを見る。少しドキドキしたが、それでもナップは言った。
「班は連帯責任なんでしょ。だったらアリーゼの分も俺が責任取ります! アリーゼの分も走って腕立て伏せしますからアリーゼは休ませてやってください!」
「………ナップ………」
 ベルフラウが少し驚いたようにナップを見て、それからふっと笑った。隊長に向き直り言う。
「隊長、私も責任を取ります。アリーゼの分を私にも分けてください」
「え、ベル……」
「……俺にもお願いします」
「クセード!?」
「はいはーい、だったら俺にも分けてください。班は一心同体でしたよね〜」
「ユーリまで……」
 思わず助けを求めるようにウィルを見てしまうと、ウィルは小さく苦笑して言う。
「僕も同様にお願いします。――君たちを野放しにしていたら際限なしに罰則を増やされそうだ」
「なんだよそれっ」
「……麗しい友情だな」
 言ってゲルメドはに、と笑ったが、ナップたちは思わず身を引く。それは肉食獣の笑みだった。
「教官の指示に反抗、全員罰則! グラウンドもう百周と腕立て三百回増し!」
「………!」
 えーっ! と思いきりブーイングを飛ばしてやりたかったが、そんなことをしたらまた罰則を課されそうだ。せめてもの仕返しにきっとゲルメドを睨んで、ナップたちは走り出した。
 合計するとグラウンド二百周――これを夕食までかかってなんとかこなしたが、続いての腕立て四百回でウィルとベルフラウが沈没した。歩くのだって一日では無理そうな距離を完走したのだ、腕立てまでもった方がすごい。教官たちは三度水をかけても二人が反応しないのを見て、二人をどこかへ運んでいった。
 そんなに何度も水かけることないだろっ、という言葉が喉から出かかったが、耐えた。というかナップももうかなり体力の限界が近く、口から言葉が出なかったのだ。
 腕ががくがくする。力が入らない。横で見ているゲルメドに対する意地だけで必死に唇を噛み締め、何度も突っ伏しながらようやく腕立てを終えた。
「……よし、いいだろう、休め。明日は午前六時より訓練を始める!」
「………………」
 このサディスト、という言葉を必死に飲み下して去っていくゲルメドを見送る。体力の限界をとうに超え、もはや空には満点の星空が見えていた。
「…………クセード……ユーリ、生きてる、か………」
 必死に口を動かして問うと、しばし間があってからいらえがあった。
「……ああ」
「……なんとかねー」
「そ………か」
「さすがに、きつかったな」
「まー、実際ここまでやったのは久しぶりだわ……」
 やや力をなくしながらもわりと普通に会話しているクセードとユーリに驚愕する。どういう体力してんだ、こいつら。
「……俺、お前らに、巻き込んでごめんなって、言う、つもりだったんだけど………」
「気にすることはない」
「そーそー、俺らから言い出したことだしー」
「そ……か?」
 今にも気を失いそうになりながら言うと、クセードがわずかに笑むのがちらりと見えた。
「……それに、お前らには恩がある」
「………恩?」
「キュアル先輩と、俺のために奔走してくれたことを、俺は決して忘れない」
「…………義理堅い……奴ぅ……」
 自分はただ友達が困ってるから助けてやりたいと思っただけなのに。先生がしてるみたいに。
 クセードたちも、同じように思ったんだろうか。だったら嬉しいな。そうだといいな――
 その思考を最後に、ナップは気絶した。笑顔のままで。
 なのでクセードとユーリが苦笑を交わし、ナップを担ぎ上げて医務室まで運んでいったことも。
「……俺たちがフォローしてやらなきゃな」
「ああ……いっくら優秀だったって、こんな小さな体で無理させちゃ、男が廃るってもんだぜ」
 クセードとユーリが、そう言い合って笑みを交わしたことも、知らなかったのだった。

 翌日、体中を軋ませながらクセードに叩き起こされて向かった朝食の席で――昨日は結局夕食抜きだった――決意の表情のアリーゼに会って、ナップは驚愕した。
「昨日の分を今日やるって……!?」
 アリーゼは決然とした顔でうなずく。
「私のせいでみんなに迷惑をかけちゃったんだもの。ちゃんと、責任取りたいの」
「けど……」
 あれだけの運動量をこなすのはアリーゼには無理だろ――そう言いかけたが、アリーゼ、さらにベルフラウ、それに加えてウィルの顔を青くしながらも向ける決意の視線に口を閉じた。
「私、みんなの足手まといにばっかりなるのは嫌なの」
「あの教官に大きな顔されたくないもの。あの程度の訓練なんてことないってことを思い知らせてやらなきゃね」
「僕にもプライドっていうものがあるんだ」
「お前らさぁ……」
 ナップはため息をついたが、こいつらが教官相手にだって一歩も退かない相手なのはよく知っている。自分だってあんな理不尽な命令に従わねばならないことに憤懣やるかたない想いを抱いているのだ。
 体はきついが――ここはひとつ、やるしかないだろう。
「よっし、わかった。そーいうことなら……」

「……なんだと?」
 訓練のため集合したグラウンドで、ナップたちは揃って言った。
「だから、アリーゼとウィルとベルフラウは昨日終えられなかった分をやります。それで俺たち三人は……」
「その分と今日訓練する分を分担して分け合います」
「体力面の格差からいって、それが一番まともな訓練法だと思いますー」
 それぞれにやりと笑って言ってやる。
 アリーゼたちは自分たちの分をナップたちに負担させるのを嫌がったが、教官に意地を通すのにはこれが一番だろうと思ったのだ。
 向こうの出してくる要求を受け入れつつ、きっぱり反抗。言われたことはやるが納得いかないことには断固として反抗する。
 全生徒の前でそんな決意を突きつけられて、ゲルメドは顔を思いきりしかめると、押し出すように言う。
「……昨日終えられなかった教練を続けるのは許可しよう。もともとその予定だったからな」
「ありがとうございますっ」
「だが! 隊長に訓練方法を指図するなど言語道断だ! 第三班はグラウンド三百周に腕立て伏せ五百回追加!」
『はいっ!』
 うへぇ、とは思ったがここは意地の張りどころだ。全員決意がみなぎっている顔をしている。
 先生。俺、間違ってないよな? もし、誰かが間違ってるって言ったとしても、俺はこうしようって思うんだ。
 だから、先生。俺のこと、見ててね。

 アリーゼは必死で頑張ったが、昨日の分の走り込みを終えて腕立て二百回の辺りで気絶して動かなくなり運ばれた。ウィルとベルフラウはまず腕立て伏せから始めてなんとか昨日の分を消化、走り始めたが二百周の辺りでへたりこみ、もう一歩も動けなくなった。
 ナップたち三人は昼飯抜きで夜までかかって三百周を消化し、腕立て伏せを始めた。他の生徒たちはすでに全員脱落している。
 朝飯は死ぬ気でたらふくつめこんだが、体の中の活力はもう空に近かった。腹が減った。なにか食いたい。そんな想いを抱きながらひたすらに腕立て伏せを続ける。
 ふいに、ずっとそばで腕立てを見ていたゲルメドが言った。
「三十分休憩!」
 とたんにがくっと力が抜けてその場に突っ伏す。ゲルメドはなにか用事があったのか、すたすたとどこかへ行ってしまった。
 地面に寝転がってはぁはぁと息を吐く。もー限界、勘弁してくれと叫びたかった。
 ――けど。
 先生が言ってた。正しいと信じられるものを貫こうとするなら、応援するって。
 先生が応援してくれるなら――俺は絶対逃げない。逃げるわけにはいかないんだ。
「――お疲れ様」
 そんな声と同時に食べ物の匂いが漂ってきて、ナップは思わず飛び起きた。食事の盆を手に持った水色の髪のその相手がにこりと笑う。
「――スィアス教官!」
「食事を持ってきた。食べなさい。まぁ、正直パスティス軍学校の食事と比べれば食べられたものではないがね」
「……って、いいんですか!? そんなことしたらスィアス教官が怒られるんじゃ……」
「いいんだよ。こうするよう指示したのはゲルメド小隊長なのだから」
「………えぇ!?」
 驚愕するナップにスィアスは苦笑して、説明を始めた。
「これは軍学校生徒に与えられる一種の通過儀礼なのだよ。一日ではとてもこなせない量の教練を課されて、その量が次々増えていく。肉体的なしごきにより軍の流儀を予習させると同時に、そういう状況でも精神力を維持させることを学ばせるんだ」
「………………」
「軍の流儀というのは軍の規律を遵守すること。肉体的なしごきの恐怖でそれを学ばせる。そして最終的には教官に逆らわなければ全員一週間で消化できる程度の教練にすることが決まっているんだ」
「………………」
「クセード・ウォルム、ユーリ・ヴァース。君たちはそれをわかっていたようだな?」
「……先輩から聞いていたので」
「まぁ、だいたいそんなことだろうと予想はしてましたしね」
「……時々君たちのようにあくまで教官に逆らおうとする生徒がいる。そういう生徒には我々教師がこうしてそっと耳打ちすることになっているのさ。そうしてムキになったところで得るものなどないよ、とね」
「………………」
「わかったかね、ナップ・マルティーニ? 他の三人にも伝えて、むやみに小隊長に逆らうことのないよう――」
「――けど、俺、やっぱり納得いきません」
 ナップはきっぱり言って、首を振った。
「そりゃ、軍の流儀を学ばせようっていうのはわかるけど。だからって体力ない奴とある奴連帯責任で同じだけ走らせるっていうの絶対間違ってると思う。訓練はむやみにきつくすればいいってもんじゃない、その人その人に合ったやり方っていうのがちゃんとあるんだ」
 先生がそう、自分に教えてくれたのだから。
「……つまり君は、あくまで小隊長に逆らい続けると?」
「……はい。俺の意思だから、それを通すかどうかはみんな次第ですけど」
「……俺は、つきあうぞ」
「俺も俺も〜。あーいう軍の流儀しか知らない奴ってムッカつくんだよねー」
 スィアス教官は苦笑した。
「……君たちの要望はわかった。じゃあご期待に応えて、この教官からの慈悲である夕食はなかったことに――」
「あ……」
 思わず物欲しげな顔で見送ると、スィアス教官は笑った。
「……冗談だ。早く食べなさい。休憩時間は三十分で終わりなのだろう?」
「わは!」
 差し出された夕食に飛びつき、がつがつと貪り食う。確かにうまくなかったが、というかまずかったが、それでもナップの疲れ果てた体は食料を欲した。
「あー、まず……どーしてこんなにまずいんだよここの料理」
「……軍の食事というのはどこもこういうものらしいとは聞いているが」
「と言いつつ二人ともしっかり食ってるじゃ〜ん」
「そりゃ、食わないと! どんな時でもしっかり食っとかないと元気出ないだろ?」
「さっすがナップたん、わかってるぅv」
「たん付けやめろっての。……お?」
 あっという間に食事を終えかけた頃、宿舎の方から駆けてくる音がした。
「ナップくん! クセードくん! ユーリくん!」
「休憩して、ご飯食べて復活したわ! 残り百周、がんがんいくわよ!」
「……君たちだけに任せておくわけにはいかないからね」
「お前ら……」
 ナップは嬉しくなって、思わずにっと笑ってしまった。
「さすがは俺の親友だぜ!」

 それからもナップたちは毎日ゲルメドに教練を分けるよう要求し、そのたびにさらなる教練を課された。出された教練を一日で消化しているナップたちはともかく、アリーゼやウィルたちは(頑張っているとはいえ)課題がどんどんと溜まる。
 だが、その運動量に慣れ始めたナップたちは、三日目からはある程度余裕をもって教練を消化できるようになった。課される教練の量が増えない、どころか減り始めていたせいもあるだろう。
 気絶しては復活し教練を消化しようとするアリーゼたちにつきあい、同じペースで走ったり腕立て伏せしたりもし始めた。
 アリーゼたちも教練に慣れ、少しずつ一日のノルマを消化できるようになり始めた。
 ――そして五日目、とうとう。これまでと同様、アリーゼたちの余分な教練をこちらに分けろ、と要求するナップたちに、ひどく無愛想な顔で。
「――許可する」
 と、言ったのだ。
 その頃には教練を終えて小隊の人間と訓練をしている班も多くなってきていたが、そんなことより。教官に意地で競り勝った、ということが嬉しくて、ナップたちは思わず笑みを浮かべた。
 そしてきっちりその日のうちに課された教練を全て終え――意気揚々と宿舎に帰って初めて全員揃って夕食を取っていると、クラスメイトがやってきておずおずと言った。
「あのさ……小隊長が呼んでるんだけど」
『……えぇ!?』
 思わず立ち上がるナップたちに、その生徒は慌てて告げる。
「あ、別に怒ってはいなかったぜ!? 食事が終わってからでいいっつってたし!」
「そうか……?」
「……なんの用かしら。叱りでもする気かしら?」
「少なくとも、褒めるために呼ぶんではないだろうね」
「そうだよね……覚悟しておいた方が、いいかも……」
 全員なんとなく粛然として、食事を口に含んだ。
 ――これがもーちょいうまかったら最後のおいしい食事って感じで盛り上がるんだけどな、とちらりと思い、すぐ打ち消した。
 ……最後、ってなんだ。

「お、来たか!」
 全員緊張しながら足を運んだ軍人用の談話室で(生徒たちは床や納屋に毛布直敷きで寝ている。軍人たち用の部屋には許可があるまで進入禁止)、ナップたちにかけられたのはそんな声だった。
「お、こいつらか? むりやり意地通したっつーむちゃくちゃな奴らは」
「おいおい、いくつだお前ら? そんなちっこい体でよくもまぁ教練消化できたなー」
「……飛び級してるとは聞いてたが。実際に見てみると本気で小さいな」
「え………あの」
 思いもよらぬ歓迎しているかのような雰囲気に、ナップたちは思わず目をそばだたせる。状況がつかめない。
「あの……俺たち、怒られるんじゃないんですか?」
 ナップのその言葉に、そこにいた軍人たちは苦笑を浮かべた。
「……まぁ、それもあるんだが。ま、そこに座れや」
「はぁ……」
「心配すんなよ、取って食いやしないからよ」
 と言いつつ全員で固まって座った場所をその場にいた軍人全員がさらに取り巻く。全員にやにや笑っていた。
 ゲルメドがナップたちの前に座り、改まった――というよりは、いくぶん気安くなった調子で話しかけ始めた。
「……お前ら、最初に聞いとくが。自分でなにしたかわかってるな?」
「そりゃ……」
「――わかっていますよ。上官に対する反抗を押し通した――軍という組織ではもっともあってはならない行為を行いました」
「え!?」
「……マルティーニ。お前、わかってなかったのか?」
 全員なにを当たり前のことでという顔で見ているのに、思わず小さくなる。
「だって……これって意地の張り合いだろ? 間違ってるって思うことを間違ってるって言って、意地をぶつかり合わせただけじゃん。それがなんで上官に反抗とかなんとか……」
「それがつまり上官に対する反抗なんだよ。軍という組織では上官が白と言えば黒でも白なんだ。上官の意思に従わないことは、不穏分子と判断されて、命令違反の罪状を取られかねないことなんだよ」
「そんな!」
「……ま、そういうことだな」
 苦笑したような顔を真剣なものに変えて、ゲルメドはじろりとウィルを見た。
「そこまでわかっていて、なぜ反抗した。命令違反と取られる危険を犯してまで。お前の将来の査定にも関わりかねんのだぞ」
「僕は将来こちらに配属になった時にただの新米隊員のままでいるつもりはありませんから。もちろん軍人として命令に逆らうつもりはありませんが、ただ唯々諾々と命令に従う軍人でいる気もありません。あなた方に僕たちという人材を印象付けるのと、学生の間の反抗がお笑いで済ませられるか否かと秤にかけて、印象付けるほうを選択したまでです」
 しれっと言うウィルに、ゲルメドは苦笑した。
「なかなか言うな。……他の者たちもそうか?」
「……私は単なる意地張りのつもりでしたけどね。負けるのは誰であろうと嫌いですから」
「私は……みんなの足手まといになっちゃいけないって思って……」
「……友達を放っておきたくはなかったので」
「そっちの方が面白そうでしたからv」
「……やれやれ」
 ゲルメドは苦笑すると、表情を柔らかくして全員を見渡し言う。
「正直に言うとな、この通過儀礼は俺たちの憂さ晴らしみたいなものなんだ」
「……憂さ晴らし?」
「ああ。俺たち下士官から見ればお前らは、言ってみれば未来の上司だ。パスティス軍学校出といえばエリート中のエリート。任官後数年で軍大学に進み、将来は上級軍人だって夢じゃないって奴らだ。そんな奴らを俺たちは鍛える機会に恵まれている。さぁ、俺たちはどうすると思う?」
「………いじめる?」
 そう言うと、軍人たちは揃って噴き出した。何人かは笑い転げすらしている中で、ゲルメドは苦笑しつつ言う。
「そういうことだな。軍の流儀を学ばせるのも精神力と体力を養うのも本当だが。将来の上司を思う存分しごける状況にいて、その特権を活用しないでどうする、と俺たちは考える。軍の厳しさというやつを教え込み、泣かせてやろうと思うわけさ」
「…………」
 なんだよそれ、とむっとしたナップに、ゲルメドたちは笑った。
「そんな顔をせんでもいいだろう。……お前らはだというのに意地を張った。しかも俺たちの課す教練と堂々渡り合い、俺たちに意地で競り勝った。俺たちとしてははなはだ面白くないわけだ」
「まぁ久しぶりに骨のある奴が来た、っていうのではけっこう喜んでるけどな」
「こら、バラすな。……とにかく、このままで済ませるのは俺たちとしては面白くないわけだ」
「……なにかする気ですか?」
 その言葉に、我が意を得たりとゲルメドは微笑む。
「俺たち小隊と、明日勝負してみないか?」
「……勝負っ!?」
「そうだ。お前たちは学年でも有数の優等生だそうだな? 胸を貸してやろうじゃないか。俺たちは一個小隊、五人で戦う。一人分のハンデをつけてやる。俺たちと真っ向勝負で片をつける気はないか?」
「――――…………」
 ナップたちは思わず顔を見合わせ――決意の表情を浮かべて答えた。

「それでは、これよりエルドーン方面軍第三小隊とパスティス軍学校一組第三班との模範演習を開始する!」
 六日目、最前線の軍人を交えた厳しい練習の最後。思いもかけぬイベントにパスティス軍学校の生徒たちは沸き立った。
「やれーっ、マルティーニ! パスティス軍学校魂見せてやれ!」
「いけっ、天才四人組+2! 根性見せろーっ!」
 そんな怒号が飛び交う。当然これまでしごきにしごかれたのだ、小隊側を応援している生徒は一人もいない。
 だが第三小隊以外の軍人たちも柄の悪いのがけっこう見物に来ていた。ときおり野次るように声を上げる。
「ゲルメド隊長! 軍学校のガキに負けたら恥ですぜ!」
「やっちまってくださいや!」
 ナップは仲間たちを見回す。昨日はこの戦闘のために必要な睡眠時間をぎりぎりまで削って作戦を討論したのだ。
「みんな―――行くぜっ!」
『おう!』
 全員気合の声を上げる。もちろんナップも気合充分だった。なにせ初めてのナップが指揮する側に立つ戦いだ。
 先生――俺、先生に近づけるように頑張るからね!
 そう誓いながら、ナップは昨日討論した作戦を思い出していた。

「向こうの構成は前線の戦士が二人、弓手が一人、召喚兵が一人。隊長は第三小隊だから戦士だ」
「攻撃用召喚術を禁じられているというのが痛いな……どう転んでも盛大な削りあいになるぞ」
「けど向こうも攻撃召喚術は使えないわ。私が先行して遠距離から召喚兵を仕留めれば回復手段は断たれる――」
「いや、先に隊長を仕留めるべきだ。僕がセイレーヌのスリープコールで弓手の動きを封じるから――」
「ちょい待てって。そんなに理屈どおりうまくいくはずないじゃん。回復できる人間が二人もいるんだからさ、ここは手堅く前線に俺とクセードを入れて後ろから――」
「曲がりなりにも前線で戦ってる兵だぞ、受け止められるのか」
「大丈夫。これまで見てきた兵のレベルなら俺たちでも三〜四回は攻撃に耐えられる。俺と並んで一度に二人以上に攻撃されないようにすればいい。攻撃を受けたら回復しつつ思いきり反撃して、一人に攻撃を集中して仕留めていくんだ」
「……あのね、私思うんだけど、私が前線に出たら弓手は私を狙ってくるでしょ? 前に出てきたところを袋叩きにして倒すっていうのはできないかな?」
「怪しむだろう、向こうだって馬鹿じゃないんだから」
「そうかしら。試す価値はあると思うわ。当たれば大きいんだもの、向こうだって誘いっていうのは承知で乗ってくるかも」
「そうだな……それならさ、前線を前に押し立ててその少し後ろにアリーゼ、っていうのはどうだ? 弓手がうっかり前に出てきたら足の早い俺とユーリで即行叩き潰して――」
 クセードとユーリはナップたちが討論している間ずっと黙っていたが、ふいに言った。
「……口を挟む暇がないな」
「だね。天才って呼ばれてるのは伊達じゃないってことか」

「はじめっ!」
 歓声と共にナップたちは全員で走り出した。第三小隊は弓手が弓を射つつ前に戦士二人を押し立ててその進軍を止める。
「はぁっ!」
 ナップは練習用の大剣を振り上げて全力で振り下ろした。その閃光の一撃を、戦士は驚愕の表情を浮かべながらも辛うじて受ける。いい腕してる、とナップは内心ちっと舌打ちした。
「………!」
「や!」
 攻撃してくる相手の剣を受け、その勢いを利用して相手に斬り返す。相手の戦士はそれを受け損ねて倒れた。
 よし、一気に叩き潰すぞ! と剣を振り上げかけた時、隣でクセードが膝をつくのが見えた。向こうの攻撃に押されているらしい。
 慌てて援護しようと剣の振り下ろし先を変え――
「ナップ、前!」
 ――かけたところで目の前に迫ってくる木剣に反応して剣を跳ね上げた。
 ガキィッ!
 木剣とはいえ中に鉛を入れ重さは本物の剣と同じだ。その木剣と木剣が噛み合い、強烈な音を立てる。
「……ゲルメド隊長」
「今のを受けられるとはな――天才児と呼ばれるのは伊達じゃないわけか」
 そうにやりと笑って嵐のような攻撃を始める。ナップは先手を取られて防戦に回った。
 まずい――ナップは奥歯を噛み締めた。向こうのペースだ。
 こっちは能力としてはどうしたって下回っているのだから、勢いをつけ一気呵成に攻め込んで少なくとも一人は倒さなくてはならなかったのに。
 現在ナップとゲルメド、クセードと戦士その1、ユーリと戦士その2が真正面からやりあっている。だが押されている――クセードはいくら優秀とはいえ十歳近く年上の最前線で戦う兵士に勝てるほどではないし、ユーリは真正面からの戦いは不得手だ。
 弓手は遠方からアリーゼに向けて次々と矢を放っている。アリーゼも必死にかわしているが防戦一方だ。ベルフラウは乱戦に向けて矢を放つのをためらい、そちらに向けて弓を放っているが向こうは巧みにかわす。ウィルはときおりスリープコールを放つが、待機している召喚兵が即座に叩き起こす――
 このままじゃジリ貧だ。どうすればいい、どうすれば――
 その時、天啓のように閃いた。
 ――先生がやってたようにやればいいじゃないか!
「ウィル! 弓手にスリープ!」
 叫んでがぃん、とゲルメドの剣を弾いて勢いを利用して押し返す。
 ウィルが一瞬息を呑んで、呪文を唱え始めた。それを確認してまた叫ぶ。
「ベル! こっちに矢!」
 即座に自分の頭を飛び越えてゲルメドめがけ矢が飛んできた。ゲルメドは大きくのけぞってそれをかわす。
 ――これで三挙動分余裕ができた!
「アリーゼ! 四歩後ろに、五つ数えるだけ耐えてくれ!」
 言うや全力で走る。ナップは足の速さには自信があるのだ。
 ――一挙動。
 スリープコールが発動して眠り込んだ弓手に容赦なく木剣を振り下ろす。見事に食らって弓手は気絶した。
 ――二挙動。
 そのままの動きで隣にいる召喚兵を殴り倒す。
 ――三挙動。
 振り向く。ゲルメドが体勢を立て直して、アリーゼに向き直っているところだった。ゲルメドの剣技ならアリーゼは一撃であっさり地面に倒れ付すだろう。
 だけど、大丈夫だ。
「ウィル! ベル!」
 ウィルが素早く後方に退避してきたアリーゼを庇い、ベルフラウが弓を次々とゲルメドに放つ。一瞬だけゲルメドの足が止まる――
 それで五秒の時間は稼げた。
「はぁっ!」
 大きく跳んで、一息にゲルメドとの間合いを詰める――
「秘剣――斬絶月!」
 意図的に軽くしたその一撃は、ゲルメドの後頭部を見事に打ちのめした。

 勝負の結果に、ナップは満足と不満足が半分半分というところだった。
「六十点ってとこかな……最初の方もたついちゃったから」
「結局、あれってどういう作戦だったの?」
「単純だよ。前線の奴の動きを一瞬止めて防衛線を越えて後衛を潰す。その分前衛が薄くなるから危険度は増すけど――耐えてくれるって信じてたからな」
「ナップくん……」
「あれってうまく決まればすんげーきれいなんだぜ! 全員うまいこと動かしてこっちの間合いに持ってくの。向こうは反撃できないで一方的に殴られるわけ」
 先生がした時は、本当にびっくりするぐらいきれいに決まったのだ。
 あのあと、勝負は当然大勝利。勝ち誇った笑みを見せたナップに、ゲルメドは苦笑した。
「さすがはガレッガの教え子だな……お前俺よりも強いんじゃないか?」
 そんな風にゲルメドは負けを認め(ガレッガが軍学校に赴任するまでここの第一小隊長だったという話を聞いた時は驚いた)、軍学校生徒たちは大いに沸き立った。
 だがそのあと当然のようにびしばしとこちらに最後のしごきを与え、威厳を回復していたのだけど。
 そしてナップたちは今自由行動。エルドーンの観光名所を巡っているところだ。
 この都市は軍事都市には似合わず観光名所がそこここにある。観光客もそこそこあるほどなのだ。いつ戦争になるかわからない都市とはいえ。
 みんなでお喋りしながら都市を巡って、体は疲れていたが爽快な気分で旅行気分を味わって――休憩しようと公園で座り込んだ時、ベルフラウがナップのそばに寄ってきた。
「ナップ。ちょっといい?」
「なんだよ?」
 ベルフラウは平然と、普段の話をしている時とまったく変わらなかったので、ナップも気軽に返す。
「あなた、好きな人がいるって言ったわよね?」
 なのでこんな台詞を吐かれて思わず噴いた。
「なにやってるのよ、汚いわね」
「げほっ……だっていきなりんなこと聞かれりゃ誰だってびっくりすんだろ!」
「別に変なことじゃないでしょう? 好きな人がいるかどうか聞いただけじゃない」
「……そりゃ……そうだけどさ」
「いるのね?」
「……いるよ」
 それは絶対の真実だ。
「どんな人?」
「どんなって……優しいよ。そんで、大人のくせに子供みたいな人なんだ。馬鹿みたいな理想を、心の底から信じて、それを貫き通すために頑張っちゃうような人」
「ふぅん……その人はナップのことをどう思ってるの?」
「……好きだって、言ってくれたよ」
 恥ずかしくなって顔を赤らめながらナップは言い――すぐに怒鳴った。
「おいベルなに言わせんだよ! なんでんなこと言わなきゃ――」
 だが思いの外真剣なベルフラウの視線に出会って口の動きが止まる。
「私にとっては重要なことなのよ」
「……なんでだよ」
 はぁ、とため息をひとつ。
「鈍いわねぇ。なんでこんな男がいいのか自分に問いかけたくなるわ」
「んだとっ………?」
 怒鳴りかけて固まった。今、ベルはなにか妙なことを言ったような。
 ベルフラウは、ナップの方を向いて、くすりと笑うと、耳を赤くし手をわずかに震えさせながらも、きっぱりと言った。
「――私はあなたが好きよ」

 帰りの召喚鉄道の中で、ナップは一人、物思いに沈んでいた。
 ベルフラウに好きだと言われた。きっぱりはっきり、誤解のしようもなく。
「……友達として、とかじゃ、ないんだよな」
「そう思うの?」
「思わないけど……なんで?」
「なんでかしらね。最初は面白い相手として見ていて。同級生になって、どんどん親しくなって。――やっぱり決定打は、私に自由な世界を見せてくれたことでしょうね。それから少しずつ想いが膨らんでいって――昨日の演習であなたを見て、告白しようって決めたのよ」
 なんで演習で、と思いつつも言う。
「許婚のことか? あれは――」
「あなただけでやったことじゃないとか言わないでね。そんなことはわかってるし私はあなた同様にみんなに感謝しているの。――だけど、最初から自由になるなんて無理だと決め込んでいた私に、『信じなければどんな想いもかないっこない』と教えてくれたのはあなただったわ」
「…………」
 ナップは困った。非常に困った。ベルフラウのことは好きだ、身近な女友達として大切に思ってる。だけど―――
「俺、好きな人がいるんだ」
「その人には、もう、告白したの?」
「……うん。向こうも俺のこと、好きだよって言ってくれた」
「……そう。―――だから?」
「へ?」
 思わず顔を上げて、ナップはすっとんきょうな声をあげてしまっていた。
「あなたには好きな人がいるかもしれないけど、その人とはいつも会えるわけじゃないんでしょう? 私それらしい人に会ったことないものね。つまり、私にもつけいる隙があるってことじゃない?」
「な……」
 そう自信たっぷりな顔をして言い放ったかと思うと、ふいにふぇ、とまるで泣くのを堪えているかのような顔をして、潤んだ赤い瞳で早口に言う。
「そのくらいのこと思っていたっていいでしょう。私だって半端な想いで好きな人のいるあなたに告白したわけじゃないのよ」
 そう言って足早に逃げ去るように走っていき、ナップは一人取り残された。
(どうしよう……)
 どうしようもこうしようも決まっている、ベルフラウの気持ちには応えられない。自分には先生がいるんだから。
 ベルフラウも告白がまるでなかったことのようにごく自然にいつも通りに振舞っている。このままなかったことにするのが一番いい――
 だが、ナップの胸はどうしようもなく高鳴っていた。好きな人は先生以外いない、それは確かだ、だけど。
 確かなはずなのに、ベルフラウに、同い年の親しい女の子に告白されて、胸がひどくざわめきときめいているのも確かなのだ。
 あの時のベルフラウは可愛かった。たまらなく恥ずかしそうというか、もういっぱいいっぱいになってそれでも必死にこちらに訴えかけているのがわかった。
 その気持ちには正直ずきゅんときたし、嬉しいとも想った。
 ――なにより、女の子を可愛いと思ったことなんて、自分には初めてのことなのだから。
(先生……俺、どうすればいいんだろう……)
 そんなことを考えながらみんな寝ている召喚鉄道で窓の外の景色を眺めているナップを、じっと見つめているウィルの視線には、ナップは気づかなかった。

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