晩秋――関係修復のこと

 窓際から、教室の横幅の半分の半分ほど離れた場所に座る。
 向こうはそこからさらに横幅の半分ほど離れた場所に座る。
 ――そして、二週間前までは一緒に座っていた親友はその真ん中あたりに座る。
 それが、今の自分たちの距離。

「ナップたーん」
 明るい声で呼びかけられて、ナップはそちらの方を振り向きぶっきらぼうに言った。
「なんだよ、ユーリ」
「んもー、そんな不機嫌な顔しっないの! 可愛い顔が台無しだぞ〜?」
 近寄ってきたユーリにつん、と頬をつつかれてナップは顔をますます不機嫌にする。
「悪かったな。早く用言えよ」
「急かさない急かさない。ほんとにそんな顔ばっかしてちゃだーい好きな先生≠ノだって嫌われちゃうってのに」
「…………」
 ナップはうつむいた。その通りだ、と深く深く思ったからだ。
 ユーリが困ったような声を出す。
「……ナップたーん、そんなに真剣に受け取らないで軽く流してくれればいーんだって。俺の言うことなんか八割方悪ふざけなんだからさ」
「……いいよ。わかってるんだ。今の俺、すっごくみっともねぇって」
「…………」
「だけど――どうすればいいのかわからないんだ、本当に」
 ベルフラウとはまだまともに話せない。アリーゼはいつも泣きそうな顔をしてじっとこっちを見てくる。――そして、二週間前のあの日からウィルは、自分と距離をとっている。
 なんでなのか。ベルフラウのみならず、なぜウィルまでもが自分と距離を取ろうとしているのか。
 話したいのに。話さなくちゃいけないのに。
 ――なのに、ウィルは自分とまともに話すらさせてくれない。
「……ナップ」
 ユーリが、珍しく真面目な、優しい声で言う。
「別に君が今苦しいのは君のせいじゃないよ? もちろんベルフラウやウィルのせいでもない。どうしようもないことなんだと思うよ、こういうことは」
「わかってる……わかってるけど……そうなのかもしれないけど……」
 時間に任せる他ないのかもと思って、必死に修練に打ち込んだ。勉強も演習も必死にやった。少しでも早く時間が経つように。
 ――でも、それでも。
 ベルの、アリーゼの、ウィルの、ひどく辛そうな顔が頭から離れないのだ。
「……それでも気にしちゃう健気なナップたんにはおにーさんが救いの手を差し伸べてあげましょー! はいっ!」
 ばっ、と目の前に差し出されたのは一枚の券だ。エデルミオンサーカス、と名前が書いてある。
「……これ?」
「もうすぐ建国祭だろ? 街に来てるんだよ、このサーカスが。一緒に行ってきなよ。ベルちゃんたちと一緒に楽しんで、少しでも距離縮めておいで」
「だけど……」
 今の状態でどうやって楽しめるというのだろう。第一まともに誘うことすらできないだろうというのに。
 だがユーリは笑顔で言った。
「ベルちゃんたちはもう誘ってあるから。待ち合わせ場所は公園広場噴水前、時間は建国祭当日の朝九時。チケットは午前午後夕方好きな時に使える。ついでに建国祭一緒に回ってきなよ」
「………でも」
「大丈夫。君たちならちゃんと元通りになれるよ」
「ユーリ………」
 ナップは明るい笑顔で言うユーリに、つられたような気分で少し笑った。ずいぶん久しぶりに。
「そうだな……ありがと。俺、頑張ってみる。信じなくっちゃどんな想いだってかないっこない≠烽な」
「おー、いいこと言うー。ファイトだナップたん!」
「たん付けやめろっつってんだろ!」
 笑顔で怒鳴って、ナップは次の授業の教室へと歩き出した。
 ユーリがそのナップの後ろ姿を見送って、ひどく冷えた目つきでため息をつくのには気づかずに。

 建国祭当日。
 生徒たちも教師たちも友達たちと連れ立って祭り見物に行っている。自分も去年はウィルと街中を歩き回ったものだった。
 ――だが、今日はウィルは自分を起こさず、自分より早く部屋を出て行ってしまっている。
 そんなところにも自分たちの距離を感じて心を沈ませながらも、ナップは制服に着替えて部屋を出た。たとえ祭りであろうと休暇以外は常に制服なのが軍学校の規則だ。
 食堂で軽く朝食を済ませ、すでにもらっている外出許可証を使って寮の外へ出る。――去年外出許可をもらうのに手間取って、来年はあらかじめもらっておけとウィルが仏頂面で言っていたから。
 ぎゅ、と胸の前を握り締める。大丈夫、ちゃんと話せばまた元通りになれる。少なくとも今日ならきっと元通りに近づける。
 だって、今日は。
 にぎやかに音楽を奏でる大道芸人たちを見て、うんとうなずいた。
 頑張ろう。

 ――その決意もウィルのその顔を見たら一瞬しおれかけた。
「ウィル………」
「…………」
 ウィルは無言でこちらを見やる。その目には初めて会った時と同じ、いやもっと激しい拒否の色があって、それがナップをすくませた。
 それでも必死にぶるぶると首を振って笑いかける。頑張らなくっちゃ、ユーリがわざわざお膳立てしてくれたんだから。
「ウィル、一緒に出かけるなんて久しぶりだな! 夏季休暇以来だろ?」
「………………」
「俺さー、サーカスって初めてなんだよ。親父がパーティに芸人呼んだりするのは見たけどさ。だから今日はすっげー楽しみ!」
「………………」
「お前スィアス先生のこの前の授業わかったかー? 俺さー、スリーマ方式とアルド方式の複合の辺りがどーにもわかんなくって……」
「………………」
 ウィルはこちらを、静かに見つめている。瞳にきっぱりとした拒否の色をたたえながら。
 思わずくじけそうになったが、ぎゅっと左手首を握り締めて耐えた。そこには先生からもらった腕時計がはまっている。
 先生の手紙には、今の状況のことは書かなかった。書けなかった。心配させるし、第一あの島まで手紙が届くには時間がかかりすぎる。
 だから、せめて。
 普段は大切にしまっている時計に、勇気をもらって。
『負けるもんか』
 そう歯を食いしばって、ナップはウィルに笑いかけるのだ。
「俺さ、今日のことすっげー楽しみにしてたんだよー! めいっぱい楽しもうな、ウィルっ!」
「―――無理だよ」
 静かにそう言われ、ナップは思わず息を呑んだ。
「ウィ……」
「君にしてみれば理不尽な行動なのは承知しているし腹が立つだろうこともわかっている。だから許してくれとはいわない。だけど――まるで何事もなかったかのように、普通に接するのは無理なんだ」
「…………」
「今日は――それを言いに来た。部屋もこの巡り中は変えられないけど、来期には変更を希望しようと思う。――それまで、お互いできるだけ、近寄らない方がいい」
「ウィル―――」
「それじゃ――」
 泣きそうな気持ちで踵を返すウィルの背中に手を伸ばす。そんなのいやだ。そんなのはいやだ。自分は、そんな結末を求めてるんじゃない。そんな悲劇なんてほしくない。
 なんでそうなるんだよ、馬鹿。なんでそんななのか理由もいわないでさ。それじゃこっちだってどうしようもないじゃないか。なんとか言ったらどうなんだ大馬鹿野郎。
 こっち向けよ、ウィル―――!
「ナップくん! ウィルくん!」
 肩に触れるぎりぎりで泣きそうな絶叫が響き、ナップの手とウィルの足は止まった。揃って声のした方を振り向く。
 そこに立っていたのは、軍学校の制服を着て涙ぐみながら荒い息をついている、アリーゼだった。
「ど……どうした? なんかあったのか?」
 アリーゼが涙ぐむのはいつものことだが、雰囲気に鬼気迫るものを感じナップは慌てて訊ねる。アリーゼはう、と顔を歪めて、唇の間からこぼすように言葉を漏らした。
「ベルフラウが――誘拐されたの」
「―――――」
『なんだって!?』

 一瞬の出来事だったという。
「わ、私たち、二人で女子寮から外に出たの。外出許可はもらってたから、朝早く、八時ぐらいに。建国祭の街をついでに見物しようってことになって。それで、去年も出てたジャグリングする大道芸人を見物してたら、い、いきなり、ベルが、倒れてっ! 倒れたベルをどこからか出てきた男が支えて、すごい速さで連れてっちゃってっ! わ、私、わけわからなくって、呆然としてたら、こんなものが……!」
 震える手でアリーゼが紙切れを差し出す。そこには『官憲には知らせるな。知らせればベルフラウ嬢の命はない』と書かれていた。
「……これ、誰が?」
「わ、わからない、のっ、ベルが連れてかれるの見て呆然としてて、気がついたら、いつの間にかっ、手の中にあってっ……わ、私、どうしよう、ベルが殺されちゃったら私のせい……!」
「アリーゼ!」
 ごく軽くだがぱん、と頬を張って、ナップはがっしとアリーゼの肩をつかんで視線を合わせ言う。
「アリーゼ。お前はこのことを学校の先生たちに知らせてくれ。スィアス先生ならきっといつもみたいに学校に詰めてる。そっちで対策考えてもらってくれ」
「ナ……ナップくん、は?」
「俺とウィルはベルを追う。なんとか見つけ出して取り戻せないかやってみる」
『…………――――』
 ウィルはぎゅ、と唇を噛み、アリーゼは一瞬呆然とする。だが、一瞬後アリーゼはきっと睨みつけるような瞳でナップを見つめ言っていた。
「……頼んだからね。絶対にベルを助け出してね。絶対よ」
「……おう。任せとけ」
 にっ、と笑ってみせると、アリーゼは即座に踵を返して学校へ向かい走り始める。軍学校では憲兵となる人間のために、警察知識も学ぶ。そこで初動捜査の重要性は何度も繰り返し聞かされた。
「―――君は、本当にベルフラウを助けられるつもりなのか」
 どこか切羽詰ったような口調で言うウィルに、ナップは笑い返す。
「信じなきゃどんな想いだってかないっこない≠セろ?」
「君は――」
 カッとしたように口を開き――そのまま驚愕の表情になる。
「ナップ……君……震えて――」
「そうなんだよ」
 ナップはがたがた震えながら、泣きそうな顔で笑った。
「どうしよう。俺、どうしたらいいか全然わかんねぇ」

 人の命が、自分の行動にかかっている、という経験を、ナップはしたことがなかった。
 あの島での戦いは容赦ない実戦だった。ナップも最初は足手まといだったものの最終的には欠かせない戦力として数えられ、先生や他の奴らの危機を救ったことだって何度もある。
 だが、それはあくまで一戦士として、駒としてだった。瞬間の判断力はともかく戦いの具体的な指示はすべて先生が行ってくれていた。自分は先生は間違いなどしない、と信じきっていたからただ言われるままに戦えばよかったのだ。
 だが、今初めて実感した。人の命を預かる怖さを。
 もし自分が判断を誤ればベルフラウは殺されるかもしれない。もう会えなくなるか否か、それが自分の判断ひとつにかかっているというその重圧、その恐怖。
 体が震える。頭が働かない。どうすればいいのかわからない。
 やらなくちゃいけないのに、ベルフラウを、大切な友達を助けなくちゃいけないのに――
「どうしよう……どうすれば、いいんだろ……俺……」
 こういう時のために軍学校で厳しい修練を積んできたはずなのに、頭も体もまともに動いてくれない――
 逃げ出したいのを必死に抑えながらウィルを見た。ただ意味もなく、意図もなく。ただ呆然と、親友の顔を。
 ウィルの顔は、一瞬さーっと真っ青になったが、その顔はすぐにさっと紅潮した。きっ、と苛烈な、睨んでいると言っていいほどの視線で自分を睨み、言う。
「君の先生≠ニやらの程度が知れるな」
「な――んだって?」
「いざという時動転してなにもできないような教育しかしてこないで、よくまともに家庭教師を名乗れるもんだ。笑わせないでほしいね。君みたいな生徒しか育てられないっていうのに、先生なんて偉そうに言う資格はない」
「―――てめぇっ!」
 ぐい、と胸倉をつかんだが、自分の親友は自分より低い目線からきっとこちらを睨み上げてくる。真剣な眼差しで。
「腹が立つなら立ち上がれ! 震えてる場合じゃないだろ、僕たちの受けてきた授業と訓練の数々はこういう時のためにあるんだろう! 君だってベルを救いたいんだろう、命を守りたいんだろう!? だったら死ぬ気で頭を振り絞らないでどうするんだ!」
「――――」
 一瞬絶句して、それから気づいた。ウィルも、震えてる。
 こいつも怖いんだ。でかい口叩いてるけど、やっぱり失敗したらどうしようって怖いんだ。
 そう思うと、心細くもなったがそれよりもしっかりしなきゃと奥歯を噛み締めたくなるような気持ちが湧いてきた。しっかりしなきゃ。頑張らなきゃ。こいつにみっともないとこ見せられねぇ。こいつには負けたくない。
 ――こいつがいるから、少なくとも自分は、一人じゃない。
「………うん、ごめん。ありがと」
 ナップは胸倉をつかんでいた手を放して、拳を握り締め、打ち合わせる真似をした。
「でも、俺頭悪いから、一人じゃ作戦思いつかないかもしれない。――協力してくれよな、親友」
 ウィルはふ、と久々に、とても柔らかく笑んでうなずき、同様に拳を突き出した。
「――任せろ」

 二人は足早に誘拐現場に向かいながら作戦を論じ合っていた。
「向こうはベルフラウって名指ししてきた。計画的犯行だ。だったらガスタロッシの本家に直接連絡を取るはずだ。パスティスを抜け出して帝都に向かうはず」
「今は建国祭で出入りがゆるくなってるからな……出入りはたやすいはずだぜ」
「だけど少女を一人不法に連れ去るんだ、それなりの準備がいる。馬鹿じゃなければ馬車なりなんなりを用意しているはずだ」
「手際のよさから考えて向こうはおそらくプロ、足のつくような真似はしない。となればこの近辺の空き家か、ろくに人がいない宿か賃貸の一戸建てかに拠点を構えているはず」
「このへんは下町だけど治安がいい、胡乱な宿屋はめったにない。と、なれば」
「残るは空き家か賃貸の一戸建て……だな! 一番近いとこどこだ!」
 お互い猛烈な速さで思考を回転させながら言葉を投げかけあう。お互い何度もこういう時――実戦を想定して作戦を論じ合ったことを思い出す。
 二人でいれば、思い出せる。
 大丈夫、自分たちはやれる。その時のために必死で頑張って訓練してきたのだから。
 なんとしても――ベルフラウを助け出す!
「向こうがベルフラウを人質に取ってきた時はどうする。僕たちはたぶん人数で劣る、速攻で決着をつけられない可能性はあるよ」
「それについては一応奥の手が――っ!」
 ナップは小さく声を漏らしてから慌てて口を塞ぎ、無言で少し先にある古ぼけた家を指差した。そこに人目を忍ぶようにして素早く入り込む人影があったのだ。
 顔を見合わせ、うなずきあって素早く裏口に回りこっそり中をのぞく。果たしてそこには、黒ずくめの男たちと、縛られ猿轡を噛まされて暴れるベルフラウの姿があった。
 さっと身を隠して素早く相談する。
「俺が一気に突入してベルを助け出す。ウィルは後ろのフォロー頼む」
「それしかないだろうね。……たぶんまだ仲間がいる、馬車を調達するなり見張りするなりしてるんだろう。こっちの動きが悟られる前に突入するしかない」
「ああ。――ウィル」
「――なんだい」
「俺の背中は任せたぜ」
 そう言ってぐい、と親指を立てると、ウィルはちょっと照れくさそうに笑って、同じように親指を立てた。

 がしゃーん! と窓枠を吹っ飛ばされ、部屋の中の男たちはばっと身構えた。覆面をしているので顔はわからない、だがエルドーンの軍人たちに勝るとも劣らぬ動きだ。
 ナップは秘剣の応用で丸ごと吹き飛ばした窓から部屋の中に飛び込む。雑魚にかまう必要はない。後ろはウィルが守ってくれている――!
 ナップはそこだけは先生にも勝っていると自負している自慢の足で一直線にベルフラウの元へと走る。祭り見物の予定だったのだから当然武器は来る途中に店で買った木刀、鎧はない。大して敵は次々と短剣を抜き放っている。
 だが――負ける気なんて微塵もない!
 襲いかかってきた敵の攻撃を木刀で受け、そのまま勢いを利用して斬り返す。ナップ得意の返し技に、敵が一人沈んだ。残りは二人。
 敵の一人はベルフラウと自分の間に立ち塞がり、もう一人は自分の後ろに回り込もうとする。暗殺者に後ろを見せることは即、死を意味することを知っているナップはひやりとしたが、ぎゅっと木刀を握り締めて息を吐く。
 背中は任せた、って言った。ウィルも応えた。だったらそれを信じるまでだ!
「シャァッ!」
 向こうが飛び上がって襲いかかってくる――だがその程度の速さ、捉えられないと思ったら大間違いだ!
「秘剣―――斬絶月!」
 たかが木刀といえど秘剣の威力は絶大、相手は倒れた。即座にベルフラウを抱き上げて振り返る――
「動くな」
 とたん、そう冷えた声がした。
 ウィルが羽交い絞めにされてナイフを突きつけられている。ひどく悔しげにしている、おそらく全力で抵抗してくれたのだろう。
 だがウィルの駒としての得意分野は剣術よりも召喚術、さすがにプロの相手は荷が重かったのだろう。
「動くな。動けばこいつを殺す」
 ナップは当然動かない。向こうがどの程度本気かはさておき、相手がこういう手に出てきた時の奥の手≠ヘ用意してある。
 そしてそれを使うためには動く必要はないのだ。ただ頭の中で構築式を思い浮かべながら、一言二言呟けばいい。
 いや、構築式を思い浮かべる必要すらない。それは最も使い慣れ、最もそばにあり、最も慣れ親しんでもはや呪文すら必要ないほどに習熟した召喚術―――
「出てこい! アールッ!!」
 カッ! と懐に入れたサモナイト石が青色に輝いた。そして、普段は島にいる自分の護衛獣――アールが姿を現す。
 目がくらんだか、一瞬相手に隙ができる。そしてその一瞬があれば、アールは一人の人間を殴り倒すぐらい楽にできるのだ。
「ピーッ……ピピッ!」
 バキッ! と岩をも砕くほどの力で殴りつけられ、相手の男は文字通り吹っ飛んだ。アールは攻撃力だけならカイルにも匹敵する。相手を容赦なくぶち倒すのを見届けてから、ナップはばっと、まずベルフラウに向き直った。
 猿轡と縄を外してから、訊ねる。
「ベル。無事か」
「え……ええ、無事よ」
 それからウィルに向き直る。
「ウィル。怪我ないか」
「……大丈夫。……足手まといになって、ごめん」
 アールに向き直る。
「アール、無事か」
「ピピッ!」
 ――全員の答えを聞いたとたん、ナップの両目からぶわ、と涙が流れ出すのを見て、ウィルとベルフラウは仰天した。
「ちょ……ナップ!?」
「どうしたのよ、いった……」
 ベルフラウの言葉を途中でさえぎってナップはベルフラウに抱きつき、叫んだ。
「ベル! ベルベルベルベル! よかった、生きてた、よかったよぉっ……!」
「ナッ……」
「お前が死んでたらどうしようかと思った、俺も死んじゃうかと思った、ほんとにほんとに、生きてて、よかった………!」
「………ナップ」
 ベルフラウは少し苦笑して、微笑んで、それからぽた、と涙をこぼした。
「馬鹿ね……それはこっちの台詞よ。あなたたち、本当に殺されちゃうんじゃないかと思ったんだから」
 ぎゅ、と抱き返して、頭をすりつけ、潤んだ声で言う。
「助けてくれて、ありがとう……大好きよ、ナップ」
「ベル………!」
 抱き合いながらナップとベルフラウは、わんわん泣きあった。二人とも悲しくなかったのだから、泣くなんて馬鹿げていたのだろうけど。
 ウィルも少ししたらつられて泣き出したので、三人で抱き合って泣いた。

「きれいね、アリーゼ……ナップ! ほら、見てごらんなさいよ、すっごくきれいよ!」
「おう!」
 打ち上げ花火を街中の柵の上で見つめながら、ナップは少し離れた柵の上で同じように花火見物をするベルフラウたちに手を振った。
 あのあと。誘拐犯たちは気がつくと姿を消しており、アールを送還したナップとウィルとベルフラウは途方にくれつつも学校に向かいアリーゼにベルフラウを無事助けたことを報告した。
 やきもきしながら知らせを待っていたアリーゼは涙を流しながらベルフラウに、次いでナップとウィルに抱きついた。その時はもう落ち着いていたナップは恥ずかしくなって慌ててしまったけれども。
 そのあとスィアスにこってり絞られた。殺される危険があったことをわかっているのか、とそりゃもう思いっきり。
 だがスィアスは自分のところで情報を止めていたらしく、それ以上怒られることはなくてすんだし(独自に捜査を始めようとしていたらしい)、最後に微笑みながら「生徒としては感心できないが、軍人としてはよくやった」と褒めてくれた。
 それからナップたちは四人で街に出かけ、建国祭を楽しんだ。もちろんサーカスにも行ったし出店で買い食いもやった。露店をひやかしたりお互いにプレゼントを買いあったりもした。
 そして今、四人で花火を見ている。
 ナップはベルフラウと具体的に話し合ったりはしていなかった。今はそんなことが無粋に思えた。
 この先どうなるかはわからないけど、お互いにお互いのことが命がけで大切なのだとわかったから、ちゃんと確認できたのだから、それでいいじゃないか、と思えたのだ。
 そして、ウィルは。
 静かな顔で花火を見つめているウィルに、ナップは微笑みかけた。
「ウィル」
「………なんだい」
「去年もこの花火、一緒に見たよな」
「……うん、そうだね」
「あの時だったよな。俺たちが、ちゃんと、友達になったの」
「……うん」
 ナップは一度息を吸い込んで、きゅっと拳を握り締め、そっと言った。
「ウィル、お前、俺のこと、好きか?」
 一瞬の間。
 それからそっとウィルはこちらに顔を向け、うなずいた。
「好きだよ」
「………………」
「………………」
 二人はしばし黙って見つめあう。お互い、お互いが相手に向ける気持ちに気づいているのがわかった。
「俺が好きなのは、先生だよ」
「わかってるよ」
「でも、ウィルとも一緒にいたい」
「……そうか」
 ウィルは小さく微笑んだ。少し困ったように、戸惑ったように。けれど視線は逸らさずに。
 ナップはそろそろと、腕をウィルに伸ばした。ウィルは器用にバランスを取りながら、ぐいっとナップの体を引き寄せて――抱きしめる。
 暖かかった。
「……俺、ウィルのことも大切だよ。ほんとだよ。ウィルが困ったことになってたら世界の果てだって助けに行くよ」
「うん………」
「ウィル」
「うん……もう、いいから。ごめん。勝手に好きになって、勝手に突き放して傷つけて」
「いいよ、そんなの……」
 ごめんな。
 本当に言いたかったその言葉は言ってはいけない言葉で、ナップは涙を堪えながらぎゅっとウィルを抱きしめた。

 パスティス、裏路地にて。
「――もうこんな要請をしても聞かんぞ、こちらは。茶番に付き合うのは一度で充分だ」
「ああ、わかってる」
 そんな会話が交わされていた。
「お前の役目はお前が果たせ。役に立たなければ始末される、その掟を忘れるな。今回の一件はかなりでかい貸しだぞ」
「そりゃひどいな。『候補』たちの能力を実地で確かめられただろ?」
「――確かにな。まさか本当に居場所を突き止められるとは思わなかった。いくぶんわかりやすくしていたとはいえな。特に、あの茶髪の坊主――あれは、何者だ?」
「大した腕だろ? 『候補』の中でもナンバーワンだ」
「そういうレベルの人間か、あれが。あれが真剣だったらほぼ間違いなく殺されていた。まだ十四歳の少年にだぞ? そのくせ友達が助かったといって泣き喚く。どういう人間なんだ、あれは」
「人気者のいい子だよ」
「ふざけるな。――過去を探っておけ。マルティーニ家の令息、というだけでは済まされんなにかがあの子供の過去にはある。依頼主も気にするところだろう」
「………了解」
 その答えを聞くと、三つの気配はさっとその存在の痕跡すら残さずに消える。
 残された声の主は、小さくため息をついた。

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