盛冬――吸血鬼通り魔事件のこと

『――俺がどうこう言う権利なんてないのはわかってるつもりだ。俺はただ最初に君に出会い手を出しただけの運のいい男にすぎないし、君がもっと年の近い、魅力的な人間に惹かれる気持ちもわかる』
 くだくだしい文句を連ねた手紙を、ナップは急ぎ足で読み進めた。手紙の送り主がなにかにつけて言い訳が多いのは充分承知している。結局なにが言いたいか、が聞きたいのだ。
『君がその人を好きだと言うなら俺にはなにも言えない。言う権利はない。だけど――』
 ここでただでさえ乱れていた文字がさらに乱れる。
『俺は、君が俺のところに戻ってこないのは、嫌だ』
「………………」
 ふぅ、とナップは幸福のため息をつき、ぎゅっと手紙を胸のところで握り締めた。それからもう一度手紙を開いて、そのあとえんえんと続く愛の言葉を読みふける。
 俺みっともないけど、ものすごく嫉妬してるんだ。
 そういう話を聞くたび、そばにいられたらなんて思ってはいけないことを思ってしまうよ。
 願ってはいけないけど俺のためにその人を振ってほしい、なんて思ってしまう。
 俺はナップがたとえ他の人を好きになっても、ずっとナップが好きだよ。
 自然顔がにやける。幸せが湧き上がる。元気が溢れる。
 鼻歌を歌いながらナップは便箋を取り出した。先生に返事を書こう。出せるのはまだまだ先になるだろうけど、それまでにいっぱい書こう。
 とりあえず今日の分はウィルが風呂から戻ってくる前にちょっとだけ。それから召喚術と陸戦戦術の勉強だ。
 先生に次会った時に、先生のためにこんなに頑張ったよって言ってあげるんだから!
 そう思いながらナップは便箋にすらすらとペンを走らせた。

「おっはよー」
「おはよう、ナップ、ウィル」
「おはよう、ベルフラウ、アリーゼ」
「おはよう……」
 朝の挨拶をしたとたん、ナップはふわわとあくびをした。ベルフラウが眉をひそめる。
「あら、寝不足? 学年末試験までまだ間があるのに」
「うん、なんかやってるうちに乗ってきちゃってさ……反省」
 言いながらウィルと一緒にベルフラウたちの向かいに腰掛ける。今日のメニューは焼きたて帝都風パンといわしのフライ、ポテトサラダにトマトにミルク。デザートはオレンジゼリーとちょっと豪華だ。
 パンとフライに一気にかぶりつくナップに、ベルフラウはため息をつく。
「あなたね、勉強も訓練ももちろん必要だけど、周囲に目を向けることも必要よ?」
「周囲って?」
「あなたの前にいる美少女が今日は髪型を変えているとかね?」
「え……」
 言われて驚いてベルフラウを見つめるが、すぐに眉をひそめた。
「変えてるか? 前と変わらないように見えるけど……」
「ひどいわ、ナップ! 私がどんな髪型をしようがあなたはまったく興味がないのねっ!?」
「ひどい、ナップくん! ベルは今日のために一時間も髪を整えたのに……!」
「え、え、えー!? ご、ごめん、ベルっ! 俺、別にそんなつもりじゃ……!」
 泣き崩れるベルフラウとアリーゼにナップは慌てる――そこにウィルの呆れた声がかかった。
「君は騙されやすいな。本当に髪形は変わっていないよ、気づかないのか?」
「……へ?」
「もう、バラさないでよ。このまま押し切って罰としてデートを要求しようと思ってたのに」
「そんなもの阻止するに決まってるだろう」
 涼しい顔でのやり取りを呆然と眺めて、それから脳が沸騰した。
「……ベルーっ!」
「あははっ」
「今日も仲良しだねー、カルテット」
 ひょいと後ろからフライをさらっていこうとするフォークをフォークで押さえる。そのフォークの持ち主は予想通りユーリだった。その後ろにはクセードもいる。
「ユーリてめぇ、人の朝飯かっさらおうとすんのやめろよなっ!」
「まーいいじゃん、ナップたんちゃんと防いだんだしー」
「そういう問題じゃねぇだろっ!」
 がるるると噛み付くナップに、ユーリは笑った。
「まーまー。お詫びにマル得情報教えてあげるから」
「話にもよるわね」
「こらベルっ! なんでお前が俺の朝飯仕切ってんだよっ!」
「そういう細かいことをいちいち言わないの、男らしくないわね。襲うわよ」
「なっ……」
 ぱくぱくと口を開け閉めするナップに、クセードがふっと小さく笑った。
「……クセード〜」
「すまん」
「ま、この話は知っといた方がいいよ。今日明日中にも学校の方から知らされるかもしんないからさ」
「……そんなに重大な情報なのかい?」
「重大っていうか、俺たちにはあんまり関係ないだろうって話ではあるんだけど」
 そう前置きしてユーリはひょいと指を一本立てる。
「『吸血鬼』って知ってる?」
 一瞬顔を見合わせて、全員うなずいた。
「そりゃ知ってるさ。サプレスの中級召喚獣だろう」
「人間の血に潜むマナを吸って生きる悪魔の眷属……だよね?」
 ユーリはこっくりとうなずく。
「そう、その吸血鬼が最近この街に出回ってるんじゃないかって噂があるんだよ」
「……えぇ?」
 四人は顔を見合わせ、それからユーリに向き直る。
「どういうことだよ」
「最近この街で通り魔事件が頻発してるんだけどね。その被害者が全員、全身の血を吸い尽くされてるんだ。だから外道召喚師が吸血鬼を使って事件を起こしてるんじゃないかって当局がサモナイト石の流れを追ってるって噂。もうすぐ学校にも来るんでない?」
 四人はそれぞれ顔をしかめ、それからいっせいに喋りだした。全員知的好奇心は極めて旺盛だ、この手の事件には推理合戦に花が咲く。
「な、その事件の被害者って共通点とかあるわけ?」
「ないわけじゃないけど、薄いよ。全員この街の有力者で金持ちだったってだけ。だから金目当てじゃないかって思われてるんだよ」
「曲がりなりにも召喚師がそんなケチな犯罪犯すかしら? 吸血鬼を召喚できるっていうことはそれなりの腕のはずよ」
「むしろ、そうだな。これは大掛かりな儀式の前触れじゃないかって気がするな。襲われた地点になにか法則は?」
「法則と呼べるほどのもんはなかったけどね。こんな感じ」
 手帳から取り出された街の地図、そしてそれにつけられた印と番号を見て四人は考え込む。
「……僕に思い当たるものはないな……もちろん僕の知識がすべてではないけれど。みんなはどう?」
「召喚術の試験ではあなたの方が成績は優秀でしょう? 私だって思い当たるものはないわよ。完全に法則性がないように見えるわ。私はむしろ、儀式なんじゃなくて目に見えない繋がりがあるんじゃないかと思うのよね、被害者に。怨恨とか全員なにかの秘密クラブに入っていたとか」
「ベルちゃん推理小説の読みすぎじゃない?」
「あら、妥当な線よ。それに私が好きなのは推理小説じゃなくて軍記ものだもの」
「そーだなー……俺はなんでわざわざ吸血鬼を使ったのかってとこが気になるけどな。吸血鬼を護衛獣にするなんてまともに召喚術を学んだ奴なら考えないだろ。存在に人間の血が必要なんて費用対効果が悪すぎるぜ。吸血鬼っていうのは血を吸った相手を奴隷化できるのが強みだろ、まともに使うなら死体が残ってんのはおかしいよ」
「それは確かに……」
「だから俺も儀式説だな。場所なんじゃなくて時間とか、そいつらの血の質が問題なのかも。俺らの知らない儀式があるって線も捨てきれないしな。アリーゼはどう思う?」
「そうね……私はベルの目に見えない繋がりがあるっていい線だと思うの。でもナップくんの吸血鬼を使う必然性がないっていうのも確かだと思うし。だから、私思うんだけど、血を吸ったのは吸血鬼じゃなくて――」
 言いかけて、アリーゼは表情を固まらせた。
「? アリーゼ?」
「どうしたの?」
 言われてアリーゼははっとしたように口を閉じ、小さく首を振って無理やりに浮かべたのがありありとわかる笑顔を見せた。
「ううん、なんでもないの。私の気のせいだね、きっと」
 ナップたちは不思議に思ったが、その時は大して気にもせず流してしまった。

「――第三文の語頭でサモナイト石に魔力を注入開始し、第五文までに五割を注入完了しておくことです」
 指されて立ち上がったナップの答えに、スィアスは満足気にうなずいた。
「正解だ。よく勉強しているようだな」
「ありがとうございます」
 すまして答えながらも、内心ではよし! と快哉を叫んでいた。必死に勉強した甲斐があった。
 他の授業とも桁外れに厳しく難しいスィアスの授業だが、これを一年間必死に受けてナップの召喚術の知識と技量は格段に上がった。自分が強くなっていくこと、成長していくことほど嬉しいことはない。それだけ先生に会った時に、胸を張れるということなのだから。
 目配せでやったな、と言ってくるウィルに小さくにっと笑みを返し、席につく。スィアスはもう次の項の説明を始めていたので、大慌てでノートにペンを走らせた。
「――以上のことからわかるように、エゼルメディン術式における上級召喚術理論は、なによりもまず異界の最深部に門を開けるほどの異界との親和性が必要となる。この術式はあまりに異界との同調に偏りすぎているきらいはあるのだが、上級召喚術を学ぶにあたってある程度の異界との親和性は欠かせない要素になるのは事実だ。では、その親和性をいかにして手に入れるかわかるか、アリーゼ・スーリエ?」
「えっ!?」
 アリーゼが我に返ったような声を上げて立ち上がりスィアスを見る。その呆然とした表情に、ナップは疑念を抱いた。
 おかしい。スィアスの授業を一番楽しみにしていたのはアリーゼなのに。全員今期の授業でスィアスの召喚術各論を取ったのですごく喜んでいたのに。それなのにスィアスの話を聞いていないというのは、ちょっとらしくなさすぎる。
 スィアスもそう思ったのだろう、怪訝そうな顔をしてからきゅっと唇を引き締めて冷徹な教師の顔になった。すっと指示棒をアリーゼに向けて言う。
「私の話は君には聞く必要がないということか? ならば退出してかまわないが?」
「……すいません、授業を受けさせてください……」
「……よろしい。二度目はないぞ」
 どこか固い声で答えるアリーゼに、スィアスは冷たく言って授業を再開した。ナップは思わずウィルとベルフラウと顔を見合わせる。
 いったいどうしたっていうんだろう。アリーゼが大好きなスィアス先生に叱られて、泣きそうな顔にもならないなんて。

「どうかしたの、アリーゼ? スィアス先生となにかあったの?」
 授業が終わり、最近みんなでやるようになった自主訓練も終わり、全員連れ立って寮へ帰る途中、ベルフラウが訊ねた。アリーゼはかたくなで暗い、けれどなにかを必死で考えているような顔で首を振る。
「そういうわけじゃ、ないの」
「そう……? それなら、いいんだけど」
 そう言われてしまうとそれで終わるしかないのだが、アリーゼが明らかに様子がおかしいのは変わらない。どう言おうか、とナップはベルフラウたちと顔を見合わせた。
 が、その前にアリーゼが決意の表情で叫ぶ。
「私、ちょっと忘れ物しちゃったの。みんな、先に帰ってて!」
 言うや踵を返して走り出す。それをぽかんとしてナップたちは見送った。
「……どうしたのかしら。アリーゼ」
「珍しいよな、あいつがあんな……」
「……おかしいとは思うけど。なんだかアリーゼ、やる気に満ちた顔をしていたし。なにか考えてることがあるんじゃないか?」
「考えてることってなによ」
「それはわからないけど。アリーゼのことだ、悪いことじゃないと思うよ。気になるなら帰ってきてから聞いてみれば?」
「……そうね、そうするわ」
 まだ少し納得のいかない顔はしていたものの、ベルフラウもうなずく。
 ――この少しあと、それを死ぬほど後悔することになるとも知らずに。

 アリーゼは震える手でコンコン、と扉をノックした。この部屋は何度も訪れたことがある、けれどこんな気持ちでノックしたのは初めてだった。
 いてほしい気持ちよりもいてほしくない気持ちの方が強かったかもしれない。けれどそれでもアリーゼはノックを繰り返し、少し経ってからいらえを得た。
「どうぞ」
「失礼します」
 声が震えないように必死に抑えながら扉を開けて中に入る。部屋の主はいつも通り、優しげな教師の顔で微笑んだ。
「どうしたのかね? もうすぐ下校時間になるが」
「……先生に、質問があるんです。いいですか?」
「かまわんよ。生徒の知的好奇心を満足させるのも教師の仕事だ」
「ありがとうございます」
 小さく頭を下げて、それから言った。これがまったくの間違いで、この人が笑ってそんなわけがないだろうと言ってくれますようにと願いながら。
「――今街を騒がせている吸血鬼通り魔事件の犯人は、先生ですか?」

 いつも通りウィルが風呂に入っている間に先生への手紙を書き終え、ナップは立ち上がった。ウィルと合流して夕飯にしよう。今日はまかないの関係で食事が遅いので腹がぺこぺこだ。ベルフラウとアリーゼ、それにユーリとクセードも降りてきているだろう。
 足早に食堂へと向かう――と、食堂前の男子寮と女子寮の合流部分でベルフラウがひどく心配げな顔でうろうろしているのを見つけた。
「どうしたんだ、ベル? アリーゼは?」
 その問いに、ベルフラウはばっとこちらを振り向いて、泣きそうな顔で叫んだ。
「アリーゼがまだ帰ってこないの!」
「え?」
 ナップは驚いた。忘れ物を取ってくると言って姿を消してから、もう二時間は経っている。普段ならとっくのとうに寮に帰って風呂と食事を済ませている頃だ。
 それなのに――帰っていない? 門限も迫ってきているというのに、あの優等生のアリーゼが?
「そりゃ……おかしいな」
「だから私、もしかしたら帰りに通り魔に襲われてしまったのかって不安になってきて……! ナップ、どうしよう、どうすればいいの、アリーゼがそんなことになってしまったら――」
「お、落ち着けよベル。まだそうと決まったわけじゃないだろ? とりあえずウィルも呼んできて、みんなで探しに行けば――」
 その瞬間、ナップの背筋に、ぞくぞくっと悪寒が走った。
 ナップはばっと後ろを振り向く。後ろからなにかよくないものが近づいてきたのかと思うほど、冷たい感触だった。
 今のは、なんだ? 自分の、なんといえばいいのだろう、勘のようなものが最大限の警告を発した。危険! と。
 ナップは干上がるように乾く自分の唇を舐めて、ためらいながらも言った。
「……武装、していった方が、いいかも」
「え!?」
「なんだかわかんないけど、ただの勘なんだけど。……危険な気がする」

「ほう。なぜそんなことを?」
 その人は優しい顔を崩さず興味深げにそう問い返した。表情には動揺の色など微塵も現れていない。
「……朝食の席で、通り魔事件のことを話していて。ふと、思ったんです。通り魔事件で血が吸われているのは、吸血鬼がやったんじゃなくて、悪魔が血識≠吸ったからなんじゃないかって」
「ほう」
 その人は興味深げな顔を崩さない。
「悪魔が血識≠吸ってその人の記憶や魔力を得られる、なんて知識は普通の召喚師は知らないはずです。私だって家で古い召喚術の本とかいくつも読みましたけど、全然載ってなかったんですから。そんなことを知っていて、それだけのことができる悪魔を召喚する実力があるのは、私に血識≠フことを教えてくれた、先生だけなんじゃ、ないかって………」
「なるほど。君はなかなか突拍子もないことを思いつくな」
 その人はおかしそうに笑う。それにひどくほっとして、アリーゼも笑った。
「そんなわけないですよね。私ったらそうなんじゃないかって思ったらどんどん先生の今までの行動が怪しく思えてきちゃって。先生は霊界の召喚師だし、最近悪魔を憑依させた人間に独特の隈みたいなものができたなとか思ったり、最近先生太陽の光を避けるようになったなとか、私って本当に馬鹿で――」
「いや。そんなことはない」
「――え?」
 その人は優しく言った。顔を優しく笑ませたままで。
「アリーゼ・スーリエ。君はこれまで私が担当した中で、間違いなく最も優秀な生徒だったよ」
「……せん……せ………?」
 その人は、にっこり笑って、きっぱりと告げた。
「その通りだ。私が今街を騒がせている吸血鬼通り魔事件の犯人だよ」

「いたか!?」
「いない! 校舎はもう立ち入り禁止になってるし……!」
 ナップたちはさんざん探し回って集合し、それぞれの虚しい報告を聞いた。アリーゼはどこを探してもまったく姿を見せない。
 ユーリたちには知り合いに声をかけてもらい街を探してもらっているが、それでもナップの危機感はどんどん膨れ上がっている。急がなければ急がなければと体の底が全力で自分を急かす。
「他に思い当たるところなんて……」
「本当に……本当にアリーゼ、通り魔に……!?」
 泣きそうになるベルフラウを見て、ナップは唇を噛む。考えろ。考えろ考えろ考えろ。アリーゼはあのあとどう行動し、今はどこにいる?
 先生――先生だったら、どう考える………?
 そう考えた瞬間、天啓のようにナップの脳裏に推理がひらめいた。
「二人とも! こっちへ!」
「え!? そっちは……」
「早く! アリーゼはきっと、ここにいる!」

「――嘘、でしょう?」
 アリーゼは震える声で言った。そんなの嘘だ。ありえない。あっちゃいけない。心はそう言う、けれど。
 アリーゼの目の前のその人は、微笑みながらアリーゼの肩を押さえて呪文を唱える。
「――命ず。霊界より出でて我が敵を捕らえよ」
「ケケケケッ」
 魔精タケシーが現れてパシッとアリーゼに雷を走らせる。それだけでアリーゼの体は麻痺した。
「…………っ!」
「アリーゼ・スーリエ。君は私と共に来る気はないかね?」
「…………っ?」
 体を動かせないアリーゼに、その人は微笑みながら語りかける。演説するように雄弁に、大げさに、手振り身振りを交えながら。
「現在の帝国の制度ではいかに召喚術を学んだとしても、しょせんは軍の犬となるしかない。聖王国では派閥の頂点に立てば国家をもしのぐ力が手に入れられるというのに、だ! 馬鹿馬鹿しい、召喚術というのは軍のおもちゃではない! 世界そのものを変えられる強力な力だ!」
 その人は目を輝かせながら大きく腕を振る。まるで周りに満座の観衆がいるかのごとく。
「私は数年前から悪魔を召喚し、気づかれないように少しずつ方々の力ある召喚師を襲わせ血識≠得、知識と力を蓄えてきた。そして――その悪魔を自らの体に憑依させ、悪魔の力を我が物にした! 私は事実上無限の寿命を得たのだ! もうくだらん常識も良識も気にすることはない、金と権力の亡者どもを襲い現在の帝国の政治的情報と隠し金を得て研究の資金はできた。これを足がかりに、私はもっと上へいく。より高みへ! 知と力を磨き、悪魔の力を高め、この世界すら手中に収める力を得てみせよう!」
「………………」
「どうだね、アリーゼ・スーリエ? 君も共に高みへと上る気はないか? 君には才能がある、私の弟子として連れていってあげよう。世界のどこよりも高くへ、共に上りたくはないか?」
「………………っ」
 体の動かないアリーゼの瞳からぽろり、と一筋涙がこぼれた。その意思表示にその人は眉をひそめた。
「この状況で断るかね? まったく理解できんな。断れば君は殺されるということくらいわかっているだろう?」
 その人は、アリーゼが憧れて必死に話を聞いたその人は、これまでにないほど優しく笑んでアリーゼに手を伸ばしてきた。
「まぁ、仕方ない。新たに悪魔を召喚し、君の血識≠吸わせて君の姿と魔力を手に入れさせよう。軍人の名門スーリエ家の令嬢だ、むしろ軍内部に置いて情報収集をさせたほうがいいかもしれんな」
(……先生……っ)
 そしてその人は、伸ばした手でアリーゼの首に手をかけた。
(……スィアス先生……っ!!)
 その人――パスティス軍学校召喚術教師スィアス・バウゼンはにっこりと微笑む。
「さらばだ、アリーゼ・スーリエ。君は今まで私が見てきた生徒の中で、本当に一番優秀な生徒だったよ」
 そしてぐっと力が込められ――
 ガッシャーン!
 けたたましい音がしてなにか大きなものが飛んでくるのをアリーゼは見た。スィアスが驚いたように身を引く。その大きなものは自分とスィアスの間に突き刺さり、続いて自分と頭半分程度の差しかない大きさの人影が飛び込んでくる。
 けれど、ああ――なんて大きな背中だろう。
「無事かっ、アリーゼ!」
 そう叫んで大剣を抜くナップの姿に、アリーゼはただ涙した。

「大丈夫、アリーゼ!? 動けないの!?」
「麻痺してるみたいだ……待ってて、僕が」
 ウィルがセイレーヌを召喚して麻痺を解除する。動けるようになったアリーゼは、泣きながらベルフラウにしがみついた。
「ベル……ベル……! スィアス先生が……!」
「ええ、わかってるわ、大丈夫――」
 そんな会話を後ろに聞きながら、ナップはスィアスを睨みつけた。たまらなく悔しい思いで。
 信じたくなかった。アリーゼがスィアスを通り魔事件の犯人として疑っているのではないかと思いつきはしたものの、そんなの外れているに決まってる、外れていてくれと祈っていたのだ。ナップの勘は最大級の警鐘を鳴らしていたけれども。
 けれど、その祈りは届かなかった。
「なんでだよ……スィアス教官」
 ナップは低く、唸るように言った。
「俺、あんたのこと尊敬してたよ。すごい召喚師だって。すごい教官だって。あんたの教えてくれる授業は、本当に楽しかった……」
「それは嬉しい。教師としてそれ以上の喜びはないな」
 スィアスは微笑みを崩さず、あくまで悠然と答える。
「あんたが研修旅行の時食事を持ってきてくれた時も嬉しかった。この人、俺たちのことちゃんと大切に思ってくれてるって思ったよ」
「もちろん。私は君たち生徒を教師として心から愛しているとも」
「じゃあなんで! こんなことするんだよ!」
 全身全霊を込めて睨みつけて叫ぶナップに、スィアスはわずかに苦笑した。
「単純な理屈だ――私には君たちへの愛よりも重要なものがあった。それだけだ」
「…………わけわかんねぇ。そんな理屈」
「それは君がまだ子供だからだな」
「うるせぇっ!」
 ナップはビッとビリオン・デスをスィアスに突きつける。怒りとも悔恨とも悲嘆ともしれない感情が心の中で渦巻いていた。
「あんたにどういう理由があろうと、俺はあんたを止める! あんたは……あんたは、絶対に許さない!」
「………ほう」
 微笑みを崩さないスィアスに、ウィルが冷たい口調で言う。
「スィアス教官、潔く覚悟を決めたらいかがです。僕たちはすでに憲兵に連絡を行いました。もうすぐ大量の人員がここに押し寄せてきますよ」
「小賢しいな、ウィル・アルダート。その賢しく立ち回ろうとする器の小ささが君がアリーゼ・スーリエに及ばない理由だ」
「なっ……」
「君たちはどこにも連絡などしていない。しているなら君たちだけがこうしてここに来れるものか。たとえ可能性が低くとも、まともな大人なら子供を斥候になど出しはせん」
「………っ」
「つまり、君たちを黙らせれば、私は悠々と当局から逃げおおせられるというわけだ――しかも君たちは全員揃って優秀な上に帝国でも有数の良家の子女。血識≠得るにはうってつけだ――」
 ぐ、ぐぐ、とスィアスの姿が変わっていく。人であった姿が、角が生え、肌の色が変わり、人でないものへ、悪魔へと変わっていく――
『グギャオォォォォッ!』
 完全に変身して、スィアスは大きく吼えた。そしてそれと同時に周囲に次々とサプレスの下級悪魔たちが出現していく。その数、すでに十体近く。
『――サア、ドウスル? 諸君ラガ優秀ナノハ知ッテイルガ、ソレハショセン学生トシテノ話。私ト本気デ戦ッテ、勝チ目ガアルト思ッテイルノカネ?』
「………っ」
 ナップは思わず唇を噛んだ。先生がいればこれくらいの敵すぐにでも倒せる。だけど、ここに先生はいない。あの島の仲間たちもいない。
 スィアスの召喚術の実力は実習で何度も見せられたからよく知っている。この悪魔たちも相応に強力な奴らだろう。それに対しこちらの戦力は四人。どうする。どうする。どうすれば……!
「……ナップ」
 後ろからウィルが囁いた。
「……なんだ?」
「君だけで戦ってるんじゃないぞ。言っておくが、このくらいの奴らなら僕たち四人でも充分倒せるはずだ」
「え………」
「そうよ。はっきり言って私たちかなり強いわよ。戦術を駆使すれば、こいつらに立ち向かってスィアス教官を捕らえることだってできるはずだわ」
「……私も、戦う……! スィアス先生を、止めなくちゃ………!」
「みんな……」
 ナップは胸の底からこみ上げてくるものを感じた。そうだ、自分は一人じゃない。みんな一緒だ。みんなで一緒に、力を合わせて戦おうとしてるんだ。
 そうだ、自分たちは、こんな奴なんかに負けるほど、やわな訓練してきてないんだ………!
 ナップはぎゅっと一瞬奥歯を噛み締めると、小さく囁いた。
「みんな。俺に呼吸合わせてくれるか」
「うんっ」
「了解」
「なにをする気だい?」
「……でかい召喚術ぶっ放して、悪魔兵を一掃する」
「え!?」
 仰天したような声を上げるアリーゼに「しっ」と小さく言って、ナップは続けた。
「この召喚術は、誰かと協力しなきゃできないんだ。みんなの魔力を俺に集中してくれ。うまくいけば魔力はちゃんと戻ってくるから」
「で、でも、そんなこと、私たちが本当に……」
「俺たちなら、できるさ」
 にっと笑いかけると、アリーゼはわずかに顔を赤くしてうなずいた。ウィルも、ベルフラウも、同じようにうなずく。
「じゃ……いくぞ!」
 すっとナップが前に立ち、ウィルたちは左右に展開する。スィアス教官の研究室が広かったからできることだ。
『相談ハ終ワッタカナ?』
 余裕の態度で訊ねるスィアスに、ナップは低く言う。
「……ああ、終わったさ」
『ソレデ、ドウイウ結果ニナッタノカネ?』
「決まってるだろ―――」
 ナップは必死に気づかれないように押さえながら魔力を練る。外に出さないように体内で魔力を集中させ、しかも他の三人と同調させるのは至難の業だった。
 だけど、できないことじゃない。
 魔力の同調はシージス方式の中でも最重要の術式。あんた、そう言ってたよな、スィアス教官。
 バカヤロウ――こんなことしやがって!
「出てこい、アールッ! 俺たちの魔力で、敵をみんな吹き飛ばせっ!」
「ピピピ――――ッ!!」
 カッ、と機界の召喚術を使う時の光が溢れ、宙からアールがまろび出る。そしてその下には、巨大とすら言えそうな大きさの光学兵器を備えた機械兵士の体が空間を歪めつつ異界から姿を見せていた。
『いっけぇーっ!』
「ピ、ピピピピーッ!!!」
 ジュゴォンッ!!!
 アールのジェミニシュートで二列に並んでいた悪魔兵たちが消し飛ぶ。その隙にナップは間合いを詰めていた。
『クッ!』
 スィアスが呪文を唱えようとするが、その口の中に凄まじい勢いで飛んできた矢が突き刺さった。ベルフラウだ。この勢いは、ウィルのナックルキティを憑依させて攻撃力を上げているに違いない。
『グ……ハッ!』
 それでもスィアスは呪文を止めなかった。詠唱に応え、宙に魔精タケシーが強烈な魔力を撒き散らしながら現れる。
『魔精ヨ、ソノ力ノスベテヲモッテシテ我ガ敵ニ雷ヲ落トセ!』
「ケケケケケケーッ!!」
 ドォンッ!
「く……はっ!」
 衝撃と痛みに一瞬息が詰まる。ここまで強烈な攻撃を受けたのは久しぶりだった。さすがの魔力だ、もう少し魔防御力が低ければ麻痺していたところだった。
 皮膚が焼けて痛い。神経が電気で痺れる。けれど――
「霊界の優しき聖母プラーマよっ、アリーゼ・スーリエが望む! 我が友の傷、その力もて癒したまえ!」
「………!」
 そう、自分には自分を助けてくれる友達がいてくれる!
『クウッ……!』
 後方から矢が飛んでくる。タマヒポが現れてブレスを吐く。そして自分も――
「秘剣――斬絶月!」
『グハ……!』
 ――その一撃で、スィアスは倒れた。

 気絶したスィアスからサモナイト石を取り上げて縛り上げ、憲兵隊を呼ぶと、憲兵隊はうさんくさげな表情で事情を聞くや血相を変えて自分たちに説教を始めた。子供が危ないことをするんじゃないだの、身の程を知れだの。
 聞きながらナップはやきもきして仕方なかった。早くアリーゼを休ませてやりたいのに。
 スィアスの行動はナップですら強烈なショックだった。今まで自分たちの側の人間だと思っていた存在に、尊敬すらしていた存在に裏切られた衝撃は――イスラで似たようなことを経験しているとはいえ嬉しいものでも慣れるものでもない。アリーゼは自分よりはるかに辛いだろう、少しでも早く休ませて、思いきり泣かせてやりたかった。
 と、そこに現れたのがガレッガだった。ガレッガは歴戦の戦士の迫力で「こんなガキどもを、しかも必死に戦ったガキどもを休ませることもできんのか」と睨みつけ、ガレッガの名前を知っていたのか憲兵隊は震え上がって今日は帰って休んでよいと言ったのだ。
 そして自分たちは寮へとゆっくり歩いている。
 憲兵隊詰め所を出てからひたすら沈黙して少し先を歩くガレッガに、ナップは小走りに追いついて囁いた。
「ガレッガ教官」
「なんだ」
「来てくれて、ありがとうございます」
 ガレッガはわずかに眉を上げて、肩をすくめた。
「それはあのへらへら野郎に言ってやれ。お前らが憲兵隊詰め所にいることを俺に教えたのはそいつだ」
「へらへら野郎って……ユーリのこと?」
「そんな名前だったかな……あのデカブツと一緒に今頃お前の帰りを待ってるだろうさ」
「そっか……」
 ナップは小さく呟く。あの二人には悪いことしちゃったな。けどユーリ、よくそんなこと気づいたなぁ……。
 後ろをゆっくり歩くアリーゼに目をやった。ベルフラウに支えられながら、アリーゼはのろのろと歩いている。真剣な顔でアリーゼを支えるベルフラウに対し、ウィルはどうすればいいのかわからないのか浮かない顔だ。
 ナップだって、どう言えばいいのかなんてわからない。自分がイスラに裏切られた時は、先生が倒れてそっちの方ばっかり心配していたし。
 結局寮の前まで無言でやってきてしまった。ガレッガは教官寮へ帰っていき、ナップとウィル、それにベルフラウとアリーゼはここで男子寮と女子寮に別れる。
「……それじゃ、お休みなさい」
 小さくベルフラウが言って、アリーゼはうつむいたまま小さくうなずき、女子寮へ行こうとしている時――
「――アリーゼ!」
 考えるより先に、言葉が口をついて出た。
「アリーゼ、あのさ……」
「…………」
 アリーゼがうつむいたままこちらを向く。ナップは唾を飲み込んで、一気呵成に話す。
「お前に回復してもらえて助かった。ていうかお前すげぇと思う、誰にも言われないうちに推理して。ていうか俺たちけっこうすごかったと思うんだけど、だから俺はお前に感謝してるっていうか、また一緒に頑張りたいっていうか、そのつまりな」
 わけがわからなくなりながらも、ナップは必死に微笑む。
「また明日な」
「…………」
 アリーゼは、この時初めて顔を上げて、くすっと笑ってうなずいてくれた。
「うん」
「………うん」
 ナップもへへっと笑う。ベルフラウが少しおどけた調子で口にした。
「あらナップ、私のことはどうでもいいのかしら?」
「僕のことにも言及されていないな」
「あのなっ、二人とも話の流れってもんがあるだろっ! ……そりゃ、二人ともすげぇって思ったし感謝してるけどさ」
「ふふっ、ありがたく受け取っておくわ」
「僕も。好きな人からの感謝の言葉は格別だね」
「お、おま、お前らなっ、そーいうことてらいもなく言うなよっ!」
 ナップの声に、全員が声を上げて笑った。
 ――笑えることが、嬉しいと心から思った。空元気でも、ただ泣くよりはずっとマシだ。
 一人になったら、きっとみんなこっそり涙を流すだろうけど。それは自分たちだけの、秘密。

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