初春――先輩たちを送り出すこと

「……いと優しき姫よ、どうかその御手を我が頬に触れさせたまえ。我の進む血と鉄に満ちた道に一時の慈悲と安らぎを――=v
「ナップくんそこ違う。慈悲と安らぎじゃなくて慈愛と安寧」
「あ、そっか。……慈愛と安寧を与えたまえ。我は誓わん、貴女が誰を……≠、あい……」
「ナップくん、ちゃんとはっきり言って」
「……愛そうとも、我はとこしえに貴女に……海より深く炎より熱く愛を捧げん……その瞳は幾万の星の光にも勝る輝かしく、その指先は朝露に濡れた薔薇の雫より優しき、我が愛する姫よ……我にく……≠ュち……」
「ナップくん、照れないでちゃんと言って!」
「…………口付けを………=v
 真っ赤になりながら言ったナップに、ベルフラウはぷーっと吹き出した。
「………っベルっ! 笑ってんじゃねぇよっ、俺だって恥ずかしいのに耐えながら必死でやってんだからなっ!」
「ごめ……っ、だってナップったらめちゃくちゃ必死なんだもの……っ!」
「ひゅーひゅーナップたーん、そんなにベルちゃんとのラブシーンが恥ずかしいのー?」
「うるせぇユーリっ!」
 ナップは怒鳴ると、監督兼脚本兼演出であるアリーゼの方を向いた。
「あのさ……これ、もーちょい台詞、その……普通にならねぇ?」
 だがアリーゼはきっぱり首を振る。
「駄目よ。時代がかった言い回しは古典演劇をやってるっていう印象を先生方に与えるためには必須だし、このシーンは騎士が姫に心底からの愛情を捧げていることを示すシーンだもの! テンポからいってもこのくらいの台詞の装飾は絶対に必要よ!」
「……そーですか……」
 なんか最近強気になったよなーアリーゼ、と思いながらナップはがっくりとうなだれた。

 自分たちがなにをやっているかというと、六年の先輩たちが卒業する際の壮行会の余興の練習だ。
 パスティス軍学校では卒業生を送る際、在校生のうち四年が壮行会の余興を担当することになっている。理由としては研修旅行のある学年なので飛び級ができないとか学業にもまだ余裕があるからとからしいが、ともあれ四年のすべてのクラスは壮行会であにか出し物をしなくてはならないのだ。
 ナップたちのクラスがやることになったのは演劇だった。これを提案したのはアリーゼだ。古典演劇の部類に属する脚本にアレンジを加えたアリーゼオリジナルの脚本を持ってきて、監督と演出も買って出たのだ。
 ストーリーとしては他愛もない御伽噺じみた数幕の物語だ。荒れ狂う魔獣を倒すべく戦場に向かう騎士。それはすべて愛する姫のために。騎士を信じて待つ姫のところへ、魔獣を倒した騎士が凱旋する――
 これが元の話だが、アリーゼはこれにアレンジを加えてまるで趣の違う話にしてしまっていた。基本的なストーリー展開は同じなのだが、台詞と行動の追加と演出で受ける印象としてはまったく違った話になっている。
 まず、魔獣は城の召喚師が戦のために呼び出したときちんと設定されている。魔獣の邪悪な性を持ちながら理性を有するその魔獣は、ひっそり恋仲だった騎士が戦場に行っている間に姫と心を通わせて友誼を結ぶ。戻ってきた騎士も最初こそ戸惑うものの、魔獣の心の中に気高い感情があるのを悟って魔獣の無二の親友とも呼べる存在になっていく。
 だが魔獣はやがて、姫――と普通の見方をすればそう見れるが、深読みすれば騎士に――恋をしてしまう。その報われない想いに絶望した魔獣は召喚師を殺して城から逃げ出し、領民を食らう魔獣へと堕す。騎士に討たれるため。姫に容赦なく嫌われるため。そして、騎士の時間をひととき独占するために。
 騎士は魔獣の心を知ってか知らずか、姫に勝利を約束して魔獣の討伐に向かう。死闘の末騎士は魔獣にとどめの一撃を加えようとするが、その一瞬動きを止める。逆に騎士を食らおうと牙をむく魔獣の心臓に、はるか彼方より矢を射かけたのは姫だった。肩を落として泣く姫のところへ、騎士は自らもひっそりと涙をこぼしながら凱旋する――
 その騎士がナップで、姫がベルフラウで、魔獣がウィルなのだ。
「いやーしっかしアリりん大した配役だよねー。すげー度胸っていうか。よくまーこうも思いきれたね? ベルちゃんもウィルっちもナップたんもさ、人間関係的に複雑じゃないのー?」
 放課後の稽古のあと全員で(ユーリはプロンプター、クセードは語り担当なのだ)食堂に集まり夕食を食べていると(このあとまた稽古だ)、ユーリが唐突にそんなことを言い出した。
 ナップは思わずスープを噴きかける。なにもそんなことわざわざ言わなくても!
 だがアリーゼもベルフラウもウィルも、平然とした顔でそれに答えた。
「私はナップにベルのこと意識してほしいもの。配役に私情をこめるのも監督の特権よ」
「私、演劇って一度やってみたかったのよね。お姫様っていうのも面白いし」
「まぁ、お遊びだからね。それに僕の方を意識する可能性だって充分にあるわけだし」
「ふーん、みんなものわかりいいねー」
 ごっくん、とスープを飲んでナップは仲間たちを睨んだ。こいつらは本当にもう、平然と言うなよ。
「ナップたんは? どんな気持ちで演ってんの?」
 聞かれてナップはわずかに眉をひそめたが、別に隠すことでもないので正直に言った。
「俺は……だって、壮行会だろ。先輩たちを気持ちよく送り出すための会じゃん。今年の六年は世話になった先輩とかいっぱいいるし……俺にできることあったら、頑張りたいなってさ」
『…………』
「そうか、ナップ。……ありがとう」
「え、別に、お礼言われるほどのことじゃ……」
「うわーナップたんってば心がキレー! みんな見習おうねっ!」
「余計なお世話だよ」

「ナップ」
「あ、先輩たち!」
 授業が終わり、寮へ帰ろうとしているのか、アーガン、ジーク、ダムセン、それにキュアルが揃って廊下を歩いているところに出くわした。
「どこへ行くんだ? 急いでいるようだが」
「うん、これから講堂で劇の練習するんだ! 講堂使える練習時間限られてるから急がなくちゃ」
「え……ナップ、劇に出るのかい?」
「え、うん、まぁ……」
「ほう、それは朗報だな。どんな劇に出るんだ? 当日までに脚本を読んで、視姦のポイントを探しておかなくちゃな」
「ばっ……変なこと言うなっ!」
「ジーク! お前いい加減に……」
「冗談冗談。楽しみにしてるよ、ナップ?」
「……うん」
 ナップは少し顔に力を入れて笑顔を作り、手を振った。
「楽しみにしててよ、俺劇なんて初めてだけど頑張るから!」
「クセードは出ないのかよ?」
「クセードは語りやるよ。キュアル先輩クセードから聞いてないの?」
「あーあいつシャイだからそーいうの全然話してくんねぇの」
「ナップ……俺、あの……」
「じゃあな先輩たち、俺急ぐから!」
 だっとナップは廊下を走った。時間もなかったし――なにより、ここで話していたら、心が立ち止まってしまいそうで怖かったのだ。

「……我を許したまえ、姫よ。我は貴女の心を傷つけたり=v
『我が騎士よ、なぜ我に許しを請うのか? 貴方は許しを請うべきことをしてはいない=x
「いいや姫よ、我は罪を犯した。貴方の心を傷つけた=c…やっぱ相手がいないとやりにくいな……」
 ナップは放課後の教室でひとりごちた。相手の――ここでは姫の台詞を頭の中で想像しながら練習しているのだが、やはり違う役の台詞だから完璧には頭に入っていないし、なによりタイミングが取りづらい。
「……私、ベルの役やろうか?」
「うわ!」
 急に声をかけられて飛び上がりかけ、ナップはいつの間にか教室に入ってきていたアリーゼを見つけた。
「アリーゼ……来てたのか」
「うん。……私じゃ力不足だと思うけど、一人でやっているよりはいいでしょう?」
「たりまえじゃん、全然いいよ。えっと、こっからなんだけどさ」
「ああ……第二幕第二場、魔獣を倒すために出発する騎士と姫との会話のシーンね」
「うん……ていうかさ、どーしてこの話の騎士と姫ってしじゅういちゃついてんだよ? 二人一緒に出てくるシーンの八割ラブシーンじゃん」
「八割までいってないと思う……せいぜい半分よ」
「それだけいけば充分だって」
 苦笑しながら問題のシーンを稽古する。アリーゼは監督でもあるので、いちいち演技指導が飛んできて慌てながらの稽古になった。
「姫よ、我がどれだけ貴女の安寧を願っていることか貴女に伝わろうか。貴女の心の安全を、貴女の幸福を――=v
「ほら、ナップくんまた棒読みになってる!」
「ううう……演劇ってんっとに難しいな……」
 肩を落とすナップに、アリーゼはちょっと笑顔になって言う。
「大丈夫よ、ナップくん。ナップくんならできるわ」
「どこにあるんだよその根拠……」
「だって、役を演じるっていうのは自分の感じたことのある気持ちを膨らませるっていうことなんだもの。ナップくんはこの騎士と似たような経験をしてるから、演じやすいって思ったのよ」
「ええー……」
「ナップくんの役はベルの演じる姫が大好きなのよ。だからラブシーンは大好きな人に言うつもりで演ってみて? 好きな人にならナップくんだって気持ちのありったけをこめて言葉にしたいって思うでしょう?」
「うー………」
 そういうものだろうか。よくわからない。好きな人になんて、自分は好きと一言言うのにも決死の覚悟を振り絞らなくちゃならないというのに。
「さ、さっきのところからもう一度やってみて?」
「……姫よ、我がどれだけ貴女の安寧を願っていることか貴女に伝わろうか=v
 台詞を言いながら考える。好きな人のこと――先生のこと。
 もし先生に自分が言うんだったら、自分はきっと必死になる。先生はいっつも無茶して自分だけ傷つこうとするから、俺のできるありったけで守りたいって、幸せにしてあげたいって思う――
「貴女の心の安全を、貴女の幸福を=v
 先生、先生、先生。大好きだよ、先生。絶対に俺が強くなって、守ってあげるから。
「ゆえに我は貴女の魂、身命懸けて守らん――=v
 心の底から真剣に、アリーゼの前にひざまずき手を取ってキスをする――
「愛している、我が姫よ=v
 とたん、う、という声が聞こえた。
 なんだ、と思って顔を上げると仰天した。アリーゼが、泣いている!?
「ど、どうしたんだよアリーゼ!」
「な……んでもっ、ない、の。本当に、なんでも……」
「なんでもって顔じゃないだろ!? おい、俺なにかし――」
「なんでもないから! お願い、本当になんでもないから……」
「たって……」
「なんでもないから……お願い、ベルには、言わないで………」
 涙をぽろぽろこぼしながら言うアリーゼに、ナップは困惑しながらもうなずいた。
 アリーゼのこの涙は、なんとなく自分のせいで流れたものだろうとわかっていた。理由はわからなかったけれど、でもこの涙は自分のせいだ。
 わけがわからなかったけれど、心だけはやたらに痛くって。ナップは自分はどうしてこんなにいっぱい人を傷つけてしまうのだろうと先輩たちのことを思い出しながら、たまらない思いでアリーゼの髪を撫でた。

 劇は大成功を収めた。
 卒業生たちはピーピーと口笛を吹きながら歓声を上げてナップとベルフラウとウィルの奮闘を見守り、最後には拍手を送ってくれた。最後にクラス全員が出てきて礼をした時には、ちょっと感動して涙ぐんでしまった。
 ナップたちは壮行会が終わり、謝恩会会場へと向かう道の途中で先輩たちを待った。謝恩会は夜中まで続くそうだからさすがにそこまでは待てない。
 アーガン、ジーク、ダムセン、キュアルがやってくる。クセードが目を潤ませながらキュアルのところへ向かっていったので、ナップたちは自然残りの三人と向き合った。
「いろいろとお世話になりました。迷惑もかけられましたけど」
「相変わらず生意気だなー、ウィルっち」
「……あなたにまでそのあだ名で呼ばれる筋合いはありません」
「いろいろありましたけど……お世話になりました。本当に……特に婚約を破談にしてくれたことにはお礼を言います」
「いや、気にすることは……ないよ」
「ダムセン先輩、軍大学でも勉強頑張ってください」
「ああ、もちろんだ」
 アーガンが、ジークが、ダムセンがこちらを向く。ナップは小さく息を吸い込んで、勢いよく頭を下げた。
「アーガン先輩ジーク先輩ダムセン先輩、キュアル先輩も! これまで……本当にありがとうございましたっ!」
『…………』
 わずかに漏れる、苦笑する声。
 ひょいと手が伸びて、くしゃ、とナップの髪をかき回した。目をしばたたかせて先輩たちを見ると、先輩たちはみんな微笑みながら歩き出している。
「それじゃあな、ナップ。いろいろありがとう」
「また会おう、ナップ・マルティーニ」
「じゃーな」
「……また、いつか。ナップ」
 それぞれの笑顔を胸に刻んで、ナップはまた勢いよく頭を下げた。――別れの瞬間なのだ、と思うと、目から涙がこぼれそうで必死に歯を食いしばって耐えた。

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