最終年・1――ウルゴーラへの留学のこと

 ――春。
 新しい学年が始まる季節。今年からは最上級生、気持ちはいやがおうにも引き締まる。
(あと一年で――先生に会える)
 それはなにより嬉しいことだ。世界で一番好きな人とずっと一緒に過ごせる。自分とお互い心の底から想いあっている人と、毎日会って毎日愛し合える。
 考えただけで体中が喜びに震える――けれど。
(それはつまり、ウィルや、ベルや、アリーゼや、ユーリやクセードとも別れることを意味してる)
 それを思うと心の中の喜びはしゅうっと沈む。あの島に帰ったら、もうそうそう帝国に出てくることもできなくなる。もう、会えなくなってしまうのだ。
 先輩たちとの別れで実感した。自分たちはいつか別れてしまう。もう二度と会えないことを知らないままに。自分が先生のところへ帰ったら、本当にさよならになってしまう。
(それは、いやだ)
 同じ視線でものを見れる友達。大切な友達。心の底から信頼できる友達。そういう存在がどれだけ得がたいものか自分はよく知っている。マルティーニの屋敷でどれだけ得ようとしても得られなかったものだから。
(だけど、先生には会いたい。早くまた一緒に暮らしたい)
 それは疑いようのない真実――だが、みんなと一緒に学んでいきたいと思うのも確かなこと。
 それに、自分のことを好きだと言ってくれたみんなとの関係に決着はまるでついていないのだし。
 だから、ナップの心は、学年末の春休みから、将来のことを考えるたび千々に乱れた。自分は先生のところに帰りたい、そばにいたい。それだけは絶対確信できるのだけれど、心の一部がここにいたい、ここでみんなともっと学んでいたいと告げているのもどこかでしっかり感じていた。
 どうすればいいのかわからない――
 そんなことを考えながら鬱々としていた春期休暇の初日。ナップは、ウィルたちと共に校長室へ呼び出された。

「お呼びとうかがいましたが、なんの御用でしょう」
 ウィルが代表で訊ねる。ここにいたのは自分とウィル、ベルフラウ、アリーゼといういつもの四人組だった。
 校長はゆっくりとこちらを向き、重々しく言った。
「君たちにいい話が来ている」
「え……」
「いい話、ですか?」
 四人は顔を見合わせる。
「君たちは帝都ウルゴーラにも軍学校があることは知っているな?」
「ええ、もちろん」
「裕福な階層の子女が、軍人の資格を得るために通うサロンですわね」
「そう言ってしまうとみもふたもないが、確かにそうだな」
 校長は小さく苦笑し、すぐ再び真剣な顔になった。
「だが、こういう話を知っているかね? ウルゴーラの軍学校には特別上級科という、最高の生徒だけが受けられる特殊な授業があると」
「……話は聞いたことがありますけど……」
「ただの噂じゃなかったんですか?」
 だからこそ、自分はちゃんとした軍人になるために、パスティス軍学校の門を叩いたのだから。
「噂ではないよ。確かにウルゴーラには特別上級科が存在する。ただ、生徒にも秘密にされているので知られていないだけだ。なぜなら、そこでは諜報部をはじめとする特殊な軍人たちを育成するための教育が行われているので、あまり情報を開示するのは好ましくないのだよ」
「諜報部……!」
「僕は諜報員になるつもりはないのですが」
「それは知っている。だが、特別上級科はそれだけのためのものではない。将来の尉官佐官、上級軍人を輩出するための教育も行われているのだよ」
 ぐい、と校長は身を乗り出して問うた。
「その授業を、受けてみる気はないかね」
 ナップたちは思わず目を見開く。
「どういうことですか? 僕たちはパスティス軍学校を追い出されると?」
「そうではない、そうではないよ。ただ、今年から新たな制度ができてね。パスティス、ファルチカ、ベルゼンの軍学校からそれぞれ特に優秀な生徒を特別上級科への留学生として送り出すことが決まったんだ。――ウルゴーラも、ずいぶんと人材が不足しているようだからね」
「なるほど……」
「どうかね、諸君。受けてみる気はないかね?」
 ナップたちは顔を見合わせる。それぞれ様々なことを考えているのが顔を見ればわかった。
 特別上級科。より質の高い授業が受けられる。それは嬉しい。だけど、これを受けたらユーリやクセードとは、もうお別れなんだろうか。スィアスもいなくなってしまったのに、ガレッガとの授業や訓練ももう受けられなくなってしまうのだろうか。
 ――また、別れなくちゃならないんだろうか。
 唇をかんでうつむくナップをよそに、ウィルは一歩前に出た。
「僕はその話、お受けします」
「!」
「そうかね、そうかね! さすがはアルダートくんだ。他の諸君はどうかね?」
「……私もお受けします。より質の高い授業を受けられるのなら断る理由はありません」
「私は……」
 アリーゼはうつむいて、それから顔を上げて言った。
「お受けします。――私、もっと強くなりたいですから」
「そうか……さすがだな、二人とも。……マルティーニくん。君はどうかね?」
「俺は―――」
 どうしよう。どうすればいいんだろう?
 気持ちは乱れる。心は迷う。どちらも選びたいけれどどちらを選んでも、もう片方がきっと懐かしい。
 どうすれば――先生、俺はどうすればいい?
『信じなければ……』
「!」
 目を見開いた。今そこに先生がいて、話しかけてくれたかのように心に声が響く。
『信じなければ、どんな願いもかないっこないから……』
 そうだ――そうだった。まずは信じてみなければ。あの人は、先生は、絶対にどちらも捨てない人だった。自分の選べない弱さを認めながらも、それを貫き通す強さを持った人だった。
 ならば。自分は、その生徒である自分は。
「俺は―――」

「……ったく、無茶言いやがって、このガキ」
 ガレッガが苦笑しながらナップの額を小突く。ナップはむっとしてその手を払った(もうすぐ十五歳になるのだ、ガキ扱いされる年ではない)。
「なんだよ、あんただって受けただろ」
「そりゃ、俺にやる気を起こさせたのはお前だからな。教える学校を変えるぐらいのことはするさ。ウルゴーラの坊ちゃん嬢ちゃんにも教えなきゃならんっつぅのは気に食わんがな」
「う……それは、ごめんなさい」
 うなだれて頭を下げると、ガレッガの大きな手が、クセードの無骨な手が、ユーリのしなやかな手がその頭をくしゃくしゃに撫でた。
「なに落ち込んでんだか。俺らを呼んだのはてめぇだろうが、しょぼくれてんじゃねぇよ」
「……お前の言葉、嬉しかったぞ。俺もお前とは、どこかで繋がっていたいと思う」
「そーそー、ナップたんの愛感じてちょっと感動しちゃったよんv でもよく考えたよねー、実際。まさか――」
 珍しく少し苦笑するような顔で、ナップの頭をぽんぽんと叩き。
「ガレッガ教官をウルゴーラ軍学校の教師に推薦して、俺らをウルゴーラ軍学校との連絡生に推薦するなんてさ」
 ナップはへへへ、とはにかんだ。実際、こうもとんとん拍子に話が進むとは思っていなかったのだ。
 ガレッガはそもそもウルゴーラからも申し出が来ていたから話は早かったし、ユーリとクセードの連絡生というのは最上級生に与えられるウルゴーラと他都市の連絡を行う任務で、授業の単位をあらかたとった生徒が選ばれる役割なので、二人も候補に入れられていたということも幸いしナップの指名はすぐ受け入れられた。
 つまり、ナップはガレッガともユーリともクセードとも、本当には別れなくてすむのだ。少なくとも、今は。
「まぁ、ナップらしいといえばらしいんじゃない? どっちも捨てないって選択はね」
「そうだね。夢想する人間はいくらでもいるだろうけど、実際にやってしまうのは君くらいだろうな」
「本当に……ナップくんって、すごいね」
 ウィルが、ベルフラウが、アリーゼが微笑む。それにナップも微笑を返して、召喚鉄道の窓から遠ざかっていくパスティスの姿を見送った。
 先生。俺、信じたこと貫けたよ。これから先も、その調子でいけるかどうかは分からないけど、やれるだけやってみようと思うんだ。
 だから、先生。見ててね。
 そう思って、ナップは空を見上げた。空はいつもと変わらず、青い。

戻る   次へ
サモンナイト3 topへ